第3話(B03)「長城線(ロングウォール)の三本槍」 1 / 2 / 3 / 4

1.1. 「姉弟子」の旅立ち

 時空魔法師のオルガ・ダンチヒ(下図)は、住み慣れたエーラムの魔法学院寮の自室において、一人、旅立ちの荷物をまとめていた。


 彼女はブレトランド小大陸の南部を支配するヴァレフール伯爵国の家臣の一人、ジュマール・ケリガン男爵(下図)との魔法師契約がまとまったことで、彼の本拠地であるヴァレフールの北の要衝「オディールの街」へと向かうことになったのである。


 ジュマールは、ヴァレフール騎士団の「七人の騎士隊長」の一人であり、オディールの北側に築かれた(アントリアとの国境線を守護する)「長城線(ロングウォール)」と呼ばれる巨大な防壁の管理の管理責任者でもある。そんな彼には本来、ハッシュ・ノスクという契約魔法師がいたが、先日病没し、その後任にオルガが選ばれることになったのである。
 オルガの所属するダンチヒ一門は、お世辞にも名門とは言えない。しかも、彼女の師匠のノルガン・ダンチヒは既に高齢で健康状態も芳しくなく、あまり満足に指導が出来る状態ではなかった。それ故に、彼の中では彼女の契約先が決まったとしたこの機に、引退することを決めているようである。
 しかし、オルガが「ノルガンの最後の弟子」という訳ではない。実は彼女よりも先に学位を獲得し、君主との契約を果たした「妹弟子」が存在する。その妹弟子の名はオデット・ダンチヒ。彼女はオルガ同様、師匠からの指導を十分に受けられない状態であったにも関わらず、ほぼ独学のみで極めて優秀な成績を収め、首席卒業を果たした逸材である。
 姉弟子として、あまりに優秀すぎる妹弟子の存在は、あまり心地の良いものではない。現在のオルガは23歳。オデットは20歳。オルガは病気で一時期休学していたこともあり、同期の面々に比べてやや就職は遅れることになったが、それ以上に、三歳年下の妹弟子に先を越されたことが、大きなコンプレックスであった。しかも、そのオデットの契約相手は、オルガの契約相手であるジュマールの長男ロートス・ケリガンなのである。現状では、オルガの契約相手の方が「格上」ではあるが、この状況であるが故に、周囲の者達の中には「妹弟子のコネで就職出来たのではないか?」などと噂する者もいる。真実がどうであるにせよ、オルガとしては複雑な心境にならざるを得ない就職先であった。
 そんなオルガが、出立前に師匠ノルガンの自室を尋ねた。ノルガンの年齢と健康状態を考えれば、これが最後の挨拶になるかもしれない。そんな彼女の門出を師匠は祝福しつつ、彼女に最後の助言を伝える。

「あの街は、色々と揉めているという噂も聞く。気をつけるのじゃぞ」

 現在、ジュマールには三人の息子がいる。妹弟子のオデットが仕える長男ロートスの他に、武勇に優れた次男ゲンドルフ、知謀に長けた三男リューベンという二人の弟がいて、しかもいずれも母親が異なる。ロートスは長男だが妾腹、ゲンドルフは最初の正妻の子供だが母は既に亡く、リューベンの母であるケイラが現在のジュマールの正式な妻である。このような複雑な家庭環境だけに、三人のうちの誰が後継者となるのかも、まだ明言はされていない。未来予知の能力を持つ時空魔法師(予言者)のオルガが選ばれたのは、もしかしたらこの後継者問題に関する助言を必要と考えているのかもしれない、とノルガンは考えていた。その意味では、彼女が権力争いに巻き込まれる可能性は十分にある。

「まぁ、何か分からないことがあったら、オデットに聞けば良い。彼女はおそらく、あの地に骨を埋める覚悟であろうから、きっと、もう既にあの地の人々のことも熟知しておるじゃろう」

 彼がそう考えたのには、明確な理由がある。というのも、実はオデットにはもっと高位(子爵以上)の君主からの契約依頼もあったのだが、彼女はそれらを全て断り、あえてオディールという小領主の(しかも、後継者と決まっている訳でもない)息子との契約を選んだ。それがどのような意図なのかは分からなかったが、何か特別な想いがあることだけは、師匠としても確信していたのである。そこまでして選んだ相手である以上、彼女にとっての今の職場が「ただの腰掛け」程度とは考えにくい。

「分かりました。今まで本当にありがとうございました。それでは、行って参ります」

 師匠にそう告げると、オルガはエーラムを後にして、新たな君主と妹弟子の待つ北の大地へと旅立つ。彼女の祖国は既に戦争によって滅びており、実質的には彼女にとってのエーラムは「第二の故郷」であった。そのエーラムを去った今、オディールは彼女にとっての「第三の故郷」となりうるのであろうか。「優秀すぎる妹弟子」への様々な複雑な感情を抱きながら、彼女はブレトランドへの直行便のある港町へと向かって、歩き始めるのであった。

1.2. 身分違いの友

 そんな彼女が向かった先のオディールには、実は妹弟子のオデットとは別にもう一人、オルガのことをよく知る人物がいた。食客的な立場でこの街に仕える邪紋使い、セリム・ガイゼルである(下図)。彼の身体には、異界の存在になりきることでその力を発揮する「レイヤー」の邪紋が刻まれており、彼はその中でも強力な「ドラゴン」の力をその身に宿す能力の持ち主として知られていた。


 彼はオルガとは同じ年に同じ故郷で生まれた幼馴染みである。戦争で祖国を失った後、各地を点々としていく過程で邪紋の力に目覚め、無法者として様々な戦場を渡り歩くことになったのだが、そんな中、とある戦争で有力な大将首を取ったことで勇名を轟かせることになる。
 そして、その戦場に居合わせたオディールの領主の次男ゲンドルフ・ケリガン(下図)に気に入られたことから、彼に誘われる形でオディールに雇われることになったのである。


 ゲンドルフとセリムは、形式的には主従に近い関係だが、実質的には互いに相手を認め合った「親友」同士である。現領主の三兄弟の中で、最も武勇に優れた存在であるゲンドルフにとって、セリムはようやく見つけた「自分と互角に渡り合える稽古相手」であり、二人はこの日も、領主の館に併設された兵舎の一角で、武術の鍛錬に励んでいた。
 龍のレイヤーであるセリムは、戦場において武器を必要としない。彼は戦いに際しては、自らの身体の一部をドラゴンに変え、その身に生やした龍の爪・牙・尾を用いて敵を粉砕する。その攻撃の威力は圧倒的であり、ゲンドルフのような武術の達人でなければ、まず彼の猛攻に耐えることは出来ないだろう。
 一方、ゲンドルフの本来の得意武器は剣だが、この日の彼の右手には、金色に光るショートスピアが握られていた。これは、ケリガン家に代々伝わる「三本の黄金槍」の一つである。約百年前に一度は消失してしまったのだが、先日領内に突如出現した魔境(混沌濃度が極端に高い地域)をジュマールが討伐した際に再発見され、三人の息子達に一本ずつ分け与えられた。彼はこの槍がケリガン家の家宝であることを重視し、最近はこの槍を誰よりも上手く使いこなせるようになろうと心掛けるようになっている。それは「自分こそがケリガン家の次期当主に相応しい人物である」ということを証明するための自己アピールでもあったが、そんな想いを抱いているからこそ、今日の彼は非常に不機嫌な様子であった。

「結局、ここを継ぐのは兄貴で、俺はオーロラみたいな貧乏村に左遷かよ。やってらんねーぜ」

 ゲンドルフは黄金槍を激しく振り回しながら、そうぼやく。現在、彼とオディールの隣村であるオーロラの領主の娘ユーゾッタ・キッセンとの間での婚儀の話が進みつつある。現在のオーロラ村の領主ルナール・キッセンには息子がおらず、娘には君主としての聖印を受け入れる資質が無いため、娘婿としてゲンドルフを迎え入れようと考えているらしい。オーロラ村はオディールの街に比べると規模も小さく、あまり裕福でもない。自分こそがオディールを継ぐべき存在だと自負しているゲンドルフとしては、オーロラのキッセン家の婿養子となることで、ケリガン家の後継者争いから外されてしまう展開には、どうしても納得が出来ない様子である。
 それに加えてもう一つ、彼にはこの縁談が気に入らない理由があった。というのも、オーロラ村は、魔法師や邪紋使いのような「混沌の力」に頼る者達を嫌う「聖印教会」の力が強いことである。それ故に、歴代の領主は魔法師と契約することもなく、邪紋使いの家臣を雇ったこともない。

「仮に俺があの村の領主となっても、聖印教会の奴等は、お前が俺に会いに来るだけでも嫌な顔をするだろう。ったく、めんどくせぇ連中だ」

 ちなみに、ゲンドルフは基本的に「神への信仰心」なるものは持たない。聖印教会の人々が崇める「唯一神」の実在性については様々な論争があるが、ゲンドルフにとってはその議論自体が「どうでもいいこと」である。神が存在しようがしまいが、この世界を救うべきは神ではなく「人間の力」であると彼は考えている。だから、神にすがりたい人間はすがればいいが、その思想を他人にまで押し付けようとする聖印教会のことは気に入らない、というのが彼の正直な本音であった。

「なるほど、それは厄介な話だな」

 そう言いながら、セリムは彼の黄金槍の猛攻を難無く受け止める。セリムにとっても、ゲンドルフは「強さを極める」という同じ目標を分かち合える「かけがえのない友」であり、本来はただの無法者である自分を食客として招き入れてくれた彼の度量の広さにも感服している。だからこそ、彼がオディールを出て、オーロラ村へと移り住むことで、今のこの関係が壊れることは、あまり望ましいとは思えなかった。
 だが、槍を振り回しながら一通りの文句を吐き出し終えたゲンドルフは、稽古を一段落させて汗を拭きながら、こうも呟く。

「まぁ、あの領主の娘御に関しては、その……、悪くはないんだがな…………」

 軽く紅潮した表情を隠しながらそう漏らす彼を見て、セリムはニヤニヤと笑みを浮かべながら、龍化させていた身体を戻し、本来の小柄な青年の姿に戻るのであった。

1.3. 身分違いの恋

 一方、このオディールにはもう一人、セリムとは異なる意味での「特殊な立場」でケリガン家に仕える邪紋使いがいた。彼女の名はエリザベス(下図上段)。しかし、これは本来の彼女の名ではない。彼女の現在の主である、この街の領主の三男、リューベン・ケリガン(下図下段)が彼女に与えた名である。


 彼女の外見は20代の妙齢の女性だが、その実年齢はこの屋敷の、いや、もしかしたら、このブレトランドの全ての住人よりも年上かもしれない。彼女の正体は、この世界において最初に「邪紋使い」と呼ばれた一族の最後の世代の一人である。その一族の名は現代のアトラタンの人々にとっては発音が困難であるため、歴史家達の間では「夜の一族」と呼ばれている(そして当然、その一族である彼女の本来の名前もまた、現代の人々では発音出来ない)。彼等は「白い肌」と「緑の瞳」と「黒い髪」をその特徴としする、「(アトラタン南東部のアルトゥークに住む)ヴァンパイア」の一族に近い風貌であり、現在の邪紋使いの分類では「アンデッド」に含まれる人々である。
 何百年にも渡って混沌の拡大に抗い続けてきた彼女達であったが、コートウェルズを支配する竜王イゼルガイアとの戦いで、その大半の者達が命を落とし、彼女を含めた僅かな者達は、コートウェルズの南の地・ブレトランドへと逃れ、その小大陸の地中に自らの身体を冷凍化させた状態で、千年以上に渡る冬眠状態へと入った。そんな彼女を偶然「発掘」したのが、リューベンだったのである。
 リューベンは学才に優れ、機智に富んだ人物だったこともあり、古代の記憶しか持たない彼女との間でも様々な形で意思疎通を重ねがら、「現代のブレトランドにおける常識」を教え込むことに成功し、彼女には「ケリガン家の親族」という扱いで貴族待遇の立場を与えることになった。そんな彼の才覚と配慮にエリザベスは惚れ込み、やがて二人は枕を共にする関係へと発展することになるのだが、表向きは今でも彼の「侍従」という立場で接している。
 そんなエリザベスが、この日もリューベンに呼ばれて彼の私室を訪れた。リューベンから貰った貴族用のドレスに身を包んだ彼女に対して、リューベンは淡々とこう告げる。

「先日、父上から賜った『黄金の槍』が、何者かに盗まれたようです」

 リューベンは、相手が家族であろうとも、臣下であろうとも、そして恋人であろうとも、基本的にはこの口調である。そして、家宝の盗難という緊急事態においても、その声からは全く動揺した様子は感じられない。彼は日頃から、あまり感情を表に出さないため、その真意がどこにあるのか、最も近くにいる筈のエリザベスですら、よく分からないことが多い。

「正直、私としては、あんな成金趣味のような槍はどうでも良いのですが、一応、我がケリガン家の家宝でもあるらしいので、さすがに奪われたことが知られてしまっては、良くない風評が広がるでしょう。一応、調査をお願いします」
「分かりました。では、まずは屋敷の内部の者達からその盗難時点での情報を集めてみましょう」

 そう言って、彼女はさっそくその場を立ち去ろうとするが、それをリューベンが呼び止める。彼にはもう一つ、告げなければならないことがあったのである。

「既にご承知のこととは思いますが、私はこれから、しばしこの村を離れなければならなくなります。しかし、いずれ必ず帰ってきます。あなたを迎えるために」

 彼はエリザベスの瞳を真っすぐに見つめて、そう告げる。実は彼もまた次兄ゲンドルフと同様に、隣村であるジゼルの領主ブーレイ・コバックの娘ブリュンヒルデとの間での縁談が成立しつつあったのである。ジゼル村(コバック家)も、上述のオーロラ村(キッセン家)と同様、現在の領主には跡継ぎ息子がいない。それ故に、どちらの家にとっても、この近辺では一番の名家であるケリガン家との結びつきを強める形で婿養子を迎えることは、村の安定に繋がるという思惑がその背後にあることは容易に想像出来る(下図参照)。

 この話は当然、エリザベスの耳にも入っていたが、この状況において、エリザベスは表立って何も言う気はなかった。形式的には貴族待遇とはいえ、自分とリューベンとの関係は決して対等とは言えない。自分を呼び起こしてくれた彼が、自分を求めてくれるからこそ、戦士としても、女としても、彼のために全てを捧げてきた。そして、そのことに彼女も喜びを感じてきた。彼女はリューベン以外の者に対して、心も身体も開くつもりはない。しかし、だからと言って、同じことをリューベンに対しても求めるつもりはない。そのような形で自分の想い人を束縛することこそ、彼女にとっては「恥ずべき行為」であった。
 だが、そんな彼女の決意を知ってか知らずか、リューベンは彼女に対して更にこう告げる。

「私がジゼルの姫君と結婚するのは、あくまで政治上のこと。私の心はあなたのものです。それに、あの姫君は病弱という話も聞きます。私あの村のが領主となった後、彼女に『何かが起きる』可能性も十分にありうるでしょう」

 まるで、「妻とはいずれ別れる予定だから」と不倫相手に囁きかけるような言い分であるが、エリザベスとしてもその言葉をそのまま真に受けることはない。ただ、リューベンが自分の心を繋ぎ止めようと配慮してくれていること自体は、悪い気はしなかった。たとえそれが、自分のことを「利用価値のある道具」としか思っていなかったとしても。

「さて、では私はこれから、ジゼルの姫君に対して形だけの恋文を書かねばなりません。心にもないことを書くのは辛いですし、その姿をあなたに見られるのも嫌ですから、ひとまず、今日のところはこれでご退席下さい」
「分かりました。では、黄金槍の件の調査に向かいます」

 そう言って、彼女はリューベンの部屋を後にしようとしたが、その瞬間、彼が開いた机の引き出しの中に、一通の手紙が入っているのが目に入った。そして、決して盗み見るつもりはなかったのだが、「夜の一族」としての彼女の研ぎすまされた視力が、その手紙の差出人の名前を捉えてしまったのである。
 そこに書かれていたのは「ハルク・スエード」というサインであった。彼女の記憶が間違っていなければ、それは敵対するアントリアの将軍の名前である。なぜ、リューベンが敵国の将軍からの手紙を持っているのか、気にならない筈はなかったが、自分が口出しすべき問題ではないと割り切って、ひとまずこの場は、素直に盗難事件の調査へと向かうのであった。

1.4. 覇気なき騎士

 こうして、次男・三男がそれぞれに「隣村の領主の娘」との縁談が進みつつあるのとは対照的に、長男のロートス・ケリガン(下図)は、街の広場の片隅で、狩猟服を身にまとった状態でハーモニカを奏でながら、街の人々との交流を楽しんでいた。


 彼は弓の名手として知られていたが、その標的の大半は、彼等にとっての最大の宿敵であるアントリアの兵士でも、領内に稀に出現する投影体でもなく、領民にとっての「糧」や「毛皮」となる動物である。彼は頻繁に城を抜け出しては、領内の狩人の人々と共に狩りに出かけることが多く、そこで得た収穫物を街の人々に無償で分け与えるのを生き甲斐としていた。
 彼は長男ではあるが、母親のカミーユが正式な妻ではなく、父ジャマールの侍従の女性に過ぎなかったこともあり(彼女は父が正妻マチュアと結婚し、ゲンドルフが生まれた後、逃げるように屋敷から去ったと言われている)、幼少期から、彼が家を継ぐ存在なのかどうか、はっきり明言されてこなかった。ただ、本来の正妻マチュアが次男ゲンドルフを生んだ後に若くして死去し、後妻のケイラとの間に三男リューベンが生まれたことで、いずれの候補者も「正統性」という意味では決め手に欠ける、という状態に陥ってしまっているのが現状である。
 ただ、ゲンドルフが「騎士」として既に様々な戦場で功績を重ね、リューベンが首都ドラグボロゥの学術院を首席で卒業しているのに対し、彼にはこれといって目立ったアピールポイントがない。彼の最大の特技は、弓の技術を生かした「狩り」と、母親譲りの「ハーモニカの演奏」だが、どちらも「君主」に必要とされる能力ではなく、宮廷内でも、積極的に彼を推そうとする者は少ない。領民達の間では、市井に溶け込んで狩猟や音楽を楽しむ彼の人気は高いが、一方で、あまりに「覇気」が無さ過ぎることに不安を感じる者も多い。
 だが、そんな彼が一転して、後継者の最有力候補へと躍り出る「事件」が発生する。エーラムの魔法学院から、長男であるロートスに対してのみ「契約魔法師」として召還魔法師のオデット・ダンチヒ(下図)が派遣されることになったのである。


 誰がどういう経緯でそのことを決定したのかは不明だが、いずれにせよ、これで「次期領主はロートス」という噂が近隣地域にも広がり、それと呼応するように、次男ゲンドルフ、三男リューベンの他家との(実質的には養子縁組を前提としていると思われる)縁談の話が進んでいるのが現状である。
 しかし、当のロートス本人からは継承に向けてのそれほど強い意志は感じられない。もし、正式に後継者として指名されれば、謹んでその任に就くつもりではいるが、弟達と争ってでもその座を勝ち取りたいというほどの意欲は無い。ましてや、領主となった上で、更に所領を増やしたり、戦争で名声を高めたりすることには全く興味を持てなかった。彼はただ、この地に住む人々と共に笑顔で幸せに暮らせることが出来るのなら、自分自身はどんな立場でも構わないと考えている。果たして、そのような人物に「領主」が務まるのか、それとも、そのような人物だからこそ「領主」に相応しいのか、家臣達の間でも、領民達の間でも、彼に対する評価は二分されている。
 そんな彼は、この日も猟師装束で屋敷を抜け出して森へ向かうつもりだったのだが、その直前に、契約魔法師であるオデットに、声をかけられていた。

「ロートス様、旦那様からのお達しです。まもなく、旦那様の新たな契約魔法師が到着するので、ロートス様に出迎えに行ってほしい、とのことです」

 新しく到着する魔法師であるオルガ・ダンチヒは、オデットの姉弟子である。故に、本来ならばオデットが迎えに行くのが筋なのだが、彼女はこれから別件の仕事を抱えているらしい。いきなりこの日の予定を狂わされた彼だが、そういう事情ならば仕方がないと素直に納得して、その格好のまま街の入口となる表門へと向かうことになったのである。
 すると、そこで彼に声をかけてくる女性が現れた。

「お主、この街の者か?」

 そう言ってロートスを呼び止めたその女性は、明らかに魔法師風の装束であった。年の頃は、おそらくオデットより少し上くらいだろう。

「はい。もしかして、オルガ・ダンチヒ様ですか?」
「うむ、そうだが。私のことを知っているということは、お主は?」
「ロートス・ケリガンと申します。あなたの契約相手のジュマール・ケリガンの息子です」

 笑顔でそう答えるロートスに対して、いきなりの非礼をやらかしてしまったことに気付いたオルガは青ざめる。まさか、領主の息子がこのような装束で街中を歩いているとは夢にも思わなかった訳だが、よりにもよって、妹弟子の契約相手に対してこんな失態を犯してしまったのでは、さすがにやりきれない気持ちになる。
 だが、当のロートス本人は、そんなことは全く意に介していないようである。

「父から、あなたを屋敷へと案内するように言われているのです。こちらへどうぞ」

 そう言って、笑顔でそのまま彼女を屋敷へと案内しようとするロートスにたいして、逆にオルガの方が拍子抜けしてしまう。

(そうか、これが「オデットが選んだ君主」か……)

 正直、彼女が何を基準に彼を選んだのかはまだ分からないが、色々な意味で「型破りの存在」であることは、この時点で何となく察していた。そして、彼女はこの後、領主の屋敷において、更なる衝撃に出会うことになる。


2.1. 白昼の惨劇

 こうして、領主の屋敷へと辿り着いたロートスとオルガは、二階の一番奥にあるジュマールの部屋の扉の前へと到着する。すると、その瞬間、部屋の内側から異様な物音が聞こえてくる。奇妙に思ったロートスが扉を開くと、次の瞬間、彼の目の前で「黄金の槍」に身体を貫かれたジュマールが、その場に倒れ込む。その傍らには、黒装束の男が立っていた。

「ち、父上!?」

 ロートスが驚愕の声を上げる同時に、黒装束の男は部屋の奥にある窓に向かって走り出そうとする。誰がどう見ても、この男が刺したとしか思えないこの状況において、そのまま黙って見逃す訳にはいかない。そう考えたオルガは、即座に走り込んで黒装束の男との距離を詰めようとする。黒装束の男を逃がさないことを優先するなら、扉の位置からライトニングボルトを彼に向かって放つべきだったのだが、角度的に倒れているジュマールを巻き込んでしまうため、彼の生死が分からないこの状況では、その手は使えない。魔法師として、暗殺者(と思しき人物)相手に間合いを詰めるのは危険な行為だが、さすがに今は自分の身の安全を考慮している場合ではない、と判断したのである。
 一方、黒装束の男はジュマールに刺さっていた黄金槍を抜こうとしていたが、彼女がいきなり距離を詰めてきたことに対して焦ったのか、槍を諦めてすぐに後方へと逃げようとする。この時、オルガの目には、彼の左手に豪華な装飾が施された「銀の腕輪」が装着されているのが目に入った。この金の槍といい、銀の腕輪といい、暗殺者にしては異様に目立つ装備には、違和感を感じざるを得ない。
 これに対して、ロートスは背中に背負っていた弓を瞬時に構えて、黒装束の男に向かって放つが、その矢が彼に届こうとしたその瞬間、彼の銀の腕輪から奇妙な光が放たれ、聖印のような紋章となってその一撃を防ぐ。どうやら、何らかの特殊な力を持つ腕輪のようである。
 一方、黄金槍に貫かれたまま倒れているジュマールの身体からは、彼の聖印が浮かび上がってくる。君主が力を使った訳でもない状態で自らの意志と無関係に聖印が現れるということは、その聖印の持ち主が既に息絶えているという証拠である。そして、このまま放置しておけば、その聖印は消滅し、周囲一面に混沌となって拡散してしまう。
 それを防ぐ方法はただ一つ、ロートスがこの聖印を自らの聖印と融合させて、自身の中に取り込むことである。ジュマールは自分の死後の後継者を明確にしていない以上、ロートスにこの聖印を受け取る権利があるのかどうかは微妙な問題であるが、さすがにこのまま放置して「男爵」級の聖印を消してしまう訳にはいかない。この場にいる君主が彼一人である以上、他に選択肢はないのである。ロートスは意を決してジュマールの遺体へと駆け寄り、そして聖印を右手に握って、そのまま自身の体内へと取り込んだ。
 その直後、黒装束の男が窓を破って逃げようとしたのに対して、射程内に誰もいないことを確認したオルガがライトニングボルトを打ち込む。銀の腕輪の防壁効果は連続発動することが出来ないようで、今度は彼の身体に直撃し、彼は深い傷を負う。更に、それと時を同じくして、先刻のロートスの叫び声を聞いて駆けつけてきた者達が、この部屋に現れた。

「おいおい、何があったんだ!?」
「何事ですか、一体?」

 このオディールにおける「武の双璧」とも呼ぶべき邪紋使いのセリムとエリザベスである。だが、この二人が目の前の状況を理解するよりも前に、その黒装束の男は窓の外へと飛び出してしまう。この部屋は二階に位置しているが、オルガ達が窓まで駆け寄って外を確認した時には、既にその男の姿は消えていた。

2.2. 疑惑と対立

 この状況下において、セリムは直感的に「黒装束の男」を逃がしてはならないと考え、屋敷の外へと走り出そうとする。その直前、オルガと目が合った時、一瞬にして彼女が「同郷の幼馴染み」であることに気付くが、なぜ彼女がここにいるのかを確認する前に、まず今は目の前の「賊」を追いかけるべきだと考えた彼は、そのまま飛び出して行った。
 その彼と入れ違いになるような形で、時間差でゲンドルフ、リューベン、オデット、そしてリューベンの母のケイラが、次々と現場に到着する。

「兄者! これは一体、どういうことだ!?」

 次男ゲンドルフは激昂して、ロートスに詰め寄る。彼が到着した時には、既に黒装束の男の姿はなく、黄金槍に貫かれた父親の遺体と、その父の聖印をロートスが自身の聖印として取り込んでいた。この状況では、ロートスが父を殺して聖印を奪ったように思えてもおかしくはない。
 少し遅れて到着したリューベンは、父の死を目の当たりにして絶句しつつ、彼の身体に刺さっている黄金槍を確認した上で、それが盗まれていた自分の黄金槍であることを皆に告げる。彼の黄金槍が盗まれていたという話はエリザベス以外には告げていない以上、中にはその発言に違和感を覚える者もいた。
 その後に到着したオデットも同様に驚愕した表情を浮かべつつ、ひとまず死因を確認してみたところ、やはりこの黄金槍の一撃で絶命したことは間違いないと断言する。そして、ロートスから銀の腕輪の話を聞き、その時に浮かび上がった紋章を図示されると、それが「聖印教会の高位の人々」だけが持つ特殊な腕輪である可能性が高い、という憶測を告げる。
 そして、最後にこの場に到着したケイラは、絶叫を上げてジュマールの遺体へと駆け寄って行った。

「あなた! 一体、どうして……、こ、こんなことって……」

 そのまま錯乱した様子で取り乱した彼女は、やがて失神してその場に倒れ込む。オデットはエリザベスに、彼女を自室まで連れ帰るように頼み、彼女も素直にそれに従って、ケイラを抱きかかえてその場を去ろうとするが、その時にオデットが、エリザベスに対して小声で耳打ちする。

「あなた、リューベン様のことは、もう忘れた方がいいですよ。身分違いの恋など、成就するものではありません。いずれ捨てられるのがオチです」

 エリザベスとオデットはそれほど親しい関係でもないし、リューベンとの関係についても、誰にも話したことはない。それでも勘付いている者はいるだろうが、日頃のオデットは他人のゴシップを気にするような人物でもない。そんな彼女から突然、厳しい眼差しでそう告げられたことに違和感を感じたエリザベスであったが、他人にどうこう言われる筋合いもないと考えた彼女は、特に何も言い返すことなく、淡々とケイラを抱えたままその場を立ち去っていく。
 そして、残った者達の間は当然のごとく、互いに牽制し合いながら疑惑の眼差しをぶつけ合うことになる。
「私の黄金槍を武器に使ったのは、おそらく、私を犯人に仕立てるためでしょう。誰か、私に濡れ衣を着せたい者がいるのではないかと。そうでなければ、暗殺にわざわざ槍を用いるなど、常識的に考えてあり得ません」

 リューベンはそう言って、ロートスとゲンドルフにチラリと目を向けると、それに対してゲンドルフが異論を唱える。

「どうだかな。あの槍には特別な力があるという伝説もある。その特別な力を使って、親父を瞬殺したのではないか?」
「なるほど。私も存じ上げませんが、槍を盗んだ輩がその力を知っていた可能性はありますね」
「お前が知らないことを知っている輩が、そうそう何人もいるとは思えんがな」
「買いかぶりですよ、兄上」

 二人は互いに皮肉めいた口調で言葉を交わしながら、互いに疑惑の視線で相手を睨む。この状況に対して、ロートスが何も言えずにいると、今度はオデットが口を開いた。

「その可能性があるとしたら、やはり、オーロラ村の教会でしょうか」

 銀の腕輪が「聖印教会の高位の者」しか持てない代物である以上、当然、彼等にも疑惑は向けられる。この近辺で聖印教会の力が強い地域と言えば、間違いなくオーロラ村である。その村の司祭のハインリッヒであれば、あのレベルの腕輪を所有していてもおかしくない。
 だが、それに対してもゲンドルフは異議を唱える。

「このタイミングで教会が親父を狙う理由がない。むしろ、教会に濡れ衣を着せたい奴がいるのでは?」

 確かに、聖印教会とジュマールの間で不仲説があった訳でもないし、ゲンドルフの縁談に聖印教会が反対していたという話も聞いたことはない。

「おや? 兄上、いつの間に教会の肩を持つようになったのです? 以前はあんなに嫌っていたのに」
「好き嫌いの問題じゃない! 不自然だと言ってるんだ。色々な意味でな!」

 薄笑いを浮かべたリューベンに突っ込まれたゲンドルフは、そう言って今度はロートスを睨む。確かに、父が殺された直後にロートスが現場に現れ、その聖印を「引き継がざるを得なかった」という状況は、他の者達にとっては「不自然」に見えてもおかしくはない。

「ゲンドルフ様、まさか、ロートス様のことを疑っている訳ではないでしょうね?」

 オデットがそう言ってゲンドルフを牽制しようとすると、そこにリューベンが割って入る。

「この状況で、疑うなと言う方が無理ですよ。いくらなんでも、都合が良すぎますからね。もっとも、あえて教会を庇うゲンドルフ兄上の言動も、いささか不可解とは思いますが」

 そう言って兄二人に対して疑惑の目を向けるリューベンに対して、ゲンドルフは露骨に不快な顔を浮かべて、こう言い放つ。

「そこまで言うなら、オーロラには、俺が今から真偽を確認に行く。それでいいな!?」
「ちょっと待ってよ、みんな!」

 このタイミングで、それまで黙っていたロートスが割って入った。

「犯人探しも大切だけど、父上が亡くなったんだよ? まず、葬儀の話をするのが先じゃないの?」

 この発言に対して、彼と同様にそれまで黙っていたオルガは、ハッとさせられる。この異様な状況下において、まず死者を弔うという「人として当然のこと」を皆が忘れていたのである。確かに、自分自身が容疑者となりうる立場にいる人々が自衛のために他人を牽制するのは、やむを得ない側面もある。だからこそ、現状で(部外者であるが故に)最も犯人扱いされにくい立場にある自分が率先して言い出すべきだったことをロートスに先に言われてしまった彼女は、深い自責の念を抱く。それと同時に、この「オデットの選んだ君主」が、思った以上に大物かもしれない、と少しずつ実感し始めることになる。
 そしてオデットもまた、自らの君主のその心遣いに対して、どこか少し安堵したような表情を浮かべながらも、彼の「まっとうな主張」に内在する問題点を指摘する。

「おっしゃる通りです。しかし、この話を外に漏らしたら、もう暗殺の事実をごまかすことは出来ません。それで良いのでしょうか?」

 確かに、真相が分からないまま「領主の死」のみを公表して葬儀を開くのは、それはそれで更なる混乱を招きかねない。だが、その疑念に関しては、ゲンドルフが一蹴する。

「ごまかす必要がどこにある!? ハッシュの時とは、訳が違うんだぞ!」

 次の瞬間、オデットは目を丸くし、リューベンは呆れたような顔で目をそらし、オルガとロートスは混乱し、そしてゲンドルフは「しまった……」と言いたそうな表情を浮かべる。

「ちょ、ちょっと待って。ハッシュは病気で死んだんだよね? それが今回の件とどう関係あるの?」

 ロートスがそう言ってゲンドルフを問い詰めようとすると、彼は黙って早足でその場を立ち去る。そんな彼のことを目で追いながら、今度はリューベンが「やれやれ」という表情で語り始める。

「こうなると、最悪の場合、オーロラ村との間で戦争になる可能性もありますね。私はジゼルに行きます。もし戦争になった時に、加勢を頼む必要もあるでしょうし」

 確かに、もし今回の件の黒幕がゲンドルフであった場合、オーロラ村に逃れた彼との間で抗争が起きる可能性はある。また、仮にゲンドルフが無関係であったとしても、聖印教会がジュマールを殺したということであれば、このまま黙っている訳にはいかない。

「ハッシュの件については、オデットさんに聞いて下さい。では、私はこれにて」

 そう言って、バツが悪そうな顔をしながら、リューベンも去っていく。厄介事を押し付けられたオデットは、深刻な表情を浮かべつつ、この場に残った君主と姉弟子に対して、「ハッシュの死の真実」について語り始めるのであった。

2.3. それぞれの思惑

「ハッシュ様は、表向きは病死ということになっていますが、実は、何者かの手で殺されていたのです」

 オデットは重々しくそう語る。ちょうどロートスが公務で留守にしていた日に、ハッシュが自室で何者かに刺殺されているのが発見され、犯人の目星は全くつかなかったという。その上で、もしこの事実が広まった場合、エーラムから次の魔法師の派遣を渋られる可能性があるとオデットがジュマールに助言した結果、「病死」と発表することになったらしい。現時点でこのことを知っているのは、ゲンドルフ、リューベン、ケイラ、オデットの四人のみ、とのことである。
 その暗殺事件の直後に帰って来たロートスにその事実が知らされなかったのは、ジュマールから全員に対して厳しい箝口令が敷かれていたからであるが、オデット個人の感情として、心根の優しいロートスをこの件に巻き込みたくない、という想いもあった。もっとも、それ以上に知られたくなかった相手は、エーラムから代理で派遣されてきた姉弟子であるオルガなのだが、こうなってしまった以上は仕方ない。

「このようなことになってしまって大変申し訳ございませんが、お姉様にはこのまま、私と共にロートス様にお仕えして頂けませんか?」

 魔法師の慣例として、彼女達はいずれもダンチヒ家に「養女」として入門することになる。故に、オデットから見て彼女は「姉弟子」であると同時に「義姉」でもある。故に、オルガに対しては「お姉様」と呼ぶ習慣がオデットの中には身についていた。
 オルガの契約相手であるジュマールが死んだ以上、今の時点でオルガにはエーラムに帰る権利はある。それと同時に、なし崩し的に後継者となったロートスに仕えるという選択肢も、もちろん可能である。現在のロートスの傍らには既にオデットがいるが、一人の君主が二人以上の魔法師と契約することも、「男爵」以上の聖印の持ち主であれば、それほど珍しい話ではない。とはいえ、さすがに現状ではまだそこまで決断出来る状態ではなく、かと言って契約相手を殺した犯人を特定出来ないまま帰る訳にもいかない。

「とりあえず、お仕えするかどうかは別として、この一連の事件の調査には協力するわ。その後のことは、その後で考えましょう」
「ありがとうございます、お姉様」

 こうして、彼女はひとまず真相究明のためにこの地に残ることを決意する。そして、ジュマールの遺体についてはひとまず密かに寝室に隠し、暗殺に用いられた黄金槍は血糊を拭き取った上で、ロートスの黄金槍と同じ場所(ロートスの私室)で保管しておくことにしたのであった。


 一方、黒装束の男を追っていたセリムは、結局、その手掛かりすら掴めぬまま屋敷に戻ると、ゲンドルフが出立の準備をしているのに気付く。ゲンドルフはセリムに一通りの経緯を話しながら、納得いかない様子で準備を続ける。

「どう考えても、兄貴に都合が良すぎる。兄貴が殺したに決まってやがる。多分、あの新任の魔法師もグルだな。もしかしたら、エーラムが絡んでいるのかもしれん」

 セリムとしては、正直、誰の言い分が正しいのかは分からない。だが、親友であるゲンドルフが、暗殺や謀略などの小細工が出来る男ではないということは分かっている以上、彼が犯人ではないことは確信していた。だが、それと同時にもう一人、彼にとっては信頼出来る、というよりも「信頼したい人物」がいた。ゲンドルフが言うところの「新任の魔法師」ことオルガである。

「あいつは、俺と同じ国の出身なんだ。今はもう、その国は無くなってしまったんだがな」
「そうだったのか……、すまん、お前の友のことを悪く言ってしまって」
「いや、別に気にしなくていい。それに、もう何年も会っていなかったんだ。その間に『俺の知っている彼女』ではなくなってしまった可能性もある」

 そもそも、領主の部屋で一瞬だけ顔を合わせただけで、まともに会話を交わす暇もなかったため、本当に彼女がオルガなのかどうかも、この時点のセリムの中ではまだ確信出来ていない以上、今の段階でどうこう言えるだけの判断材料も持ち合わせていなかった。

「いずれにせよ、聖印教会が関わっている可能性も、ゼロとは言えない。だから、念のため今から俺が行って確かめてくる」
「俺も一緒に行こうか?」
「そうしてもらえれば心強いが、邪紋使いが俺と一緒にいると、奴等の態度が硬化して、かえって話がややこしくなる可能性がある」

 そう言われると、セリムとしても納得せざるを得ない。ゲンドルフが亡き父から託された黄金槍を片手に、数人の部下達と共に早馬でオーロラへと向かうのを横目に見つつ、セリムはオディールに残って、犯人に関する調査を続けることにした。


 その頃、リューベンの母ケイラを彼女の自室へと送り届けたエリザベスは、そこで再び目を覚ました彼女が怯えた様子で繰り返す奇妙な発言に悩まされていた。

「ロートスが殺したに決まってるわ。このままだと後継者から外されるから、聖印を奪い取ったのよ! ハッシュを殺したのも、きっとロートスだわ。次はきっと私が狙われる……。あぁ、もう、どうしたらいいの! あなたは、リューベンの味方よね? 私の味方よね? そうよね?」

 エリザベスとしては、彼女が何を言っているのか、さっぱり分からない。そもそもハッシュが暗殺されたということも聞かされていない上に、なぜ彼女がそこまでロートスを疑うのかについても、理解に苦しむ。現状において、ロートス一人だけが魔法師との契約を認められ、弟二人と別の村の領主の娘との縁談が進みつつある以上、ロートスが「このままだと後継者から外される」と考える要因が見当たらない。無論、だからと言って彼をシロと決めつける要素はないが、なぜケイラがここまで怯えているのか、エリザベスには分かる筈もなかった。
 そんな中、リューベンが「現場」から戻ってきて、一通りの事情を説明し、これから自分はジゼルの村に行く旨を告げる。

「わ、私も連れていってくれ。ここにいたら、私は殺されてしまう!」

 そう言って、リューベンにすがりつこうとするケイラであったが、彼はその手を優しくほどき、諭すように母親に優しく語りかける。

「ここで我々が揃ってオディールから去ったら、我々が犯人なのではないかと疑われます。エリザベス、母上をお願いしますね」
「分かりました。ただ、護衛の兵は十分に付けていって下さい」

 この状況であれば、どこで何が起きるかは分からない。自分が彼の傍らにいればいつでも護れる自信はあるが、今は母親の警護を優先してほしいと言われた以上、エリザベスとしては、そう忠告することしか出来ない。リューベンは笑顔で頷き、そのまま幾人かの兵を連れて、オディールを後にした。

2.4. 錯綜する捜査

 こうして、ゲンドルフとリューベンが去った今、実際に黒装束の男を目撃した4人(ロートス、オルガ、セリム、エリザベス)は、それぞれに真相究明に向けて動き出すことになる。
 ただ、その前に、セリムとしてはまず確認すべきことがあった。

「お前……、オルガだよな? どうして、ここにいる?」
「私はあれからエーラムで勉強して、契約魔法師となったのです。そう言うあなたこそ、なぜ?」
「俺は、戦場を渡り歩いてる間に、ここの次男坊に気に入られてな。今はあいつと一緒に、この国で武術を極めることにしたんだ」

 数年ぶりに再会した同郷の幼馴染みを相手に、本来ならばもっと募る話を語り合いたいところであったが、今はこの程度の会話が精一杯であった。この事件の真相次第によっては、対立せざるを得ない立場になる可能性もあったが、ひとまず今は「事件の究明」を最優先する方針で同意する。この点については、ロートスもエリザベスも同調していた。
 こうして、ひとまず協力体制を築いた四人であったが、四人で手分けして情報を探ってみても、今回の殺人事件の真相に繋がる証拠には、なかなか辿り着くことは出来なかった。
 殺人現場の状況から、おそらくあの黒装束の男は、天井裏から部屋に侵入し、全く無防備状態だったジュマールを黄金槍で貫いたのであろうと推測される。ただ、天井裏に入り込む方法はいくつかあるが、どの経路を使ったとしても、屋敷の内部構造に詳しい者がいなければ、「領主の間」まで物音を立てずに辿り着くのは難しい。つまり、誰か内部から手引きした者がいる可能性が高いことは伺えたが、それが誰なのかを絞り出す証拠は、全く見つからなかった。
 一方、リューベンの倉庫から黄金槍が盗まれた件については、どうやらもともと、それほど厳重な警備が敷かれていた訳ではなかったようで、天井裏に忍び込めるレベルの侵入者であれば、盗むことはそれほど難しくなさそうだということが分かる。ましてや、もし「内部」に敵がいるのであれば、誰でも容易に盗めそうな状況に思えた。
 また、街中に出た上での調査を通じても、それらしき人物の手掛かりもなく、また聖印教会についても、特に最近になって奇妙な動きを見せているという噂も無かった。まだ領主の死を知らされていない人々は、特に何かが変わった様子もなく、いつも通りに平和な日常を送っている。
 そんな中、「三本の黄金槍」の由来について、オデットと共に屋敷に伝わる過去の文献について調べていたロートスは、「100年前の喪失」に関する記述を発見する。その記録書によると、当時の契約魔法師の突然の失踪と同時に三本の槍が消失しているため、彼が槍を持って逃亡したのではないかと推測されているらしい。
 また、それと時を同じくして、当時の領内に存在していた「魔境」が突然姿を消した、とも書かれている。当時の地図を見る限り、その魔境の位置は、先日、ジュマールの手で浄化された(彼が三本槍を発見した)魔境とほぼ同じ位置に存在のようである。この状況から察するに、百年前の魔法師がその三本槍の力によってその魔境を封印した、と考えるのが自然であるが、だとすると、なぜそのことを魔法師が「逃亡」した上で実行しなければならなかったのかが不明であるし、その魔法師がその後でどうなったのか、なぜその魔境が最近になって再び出現したのか、様々な謎が残ったままである。
 ちなみに、黄金槍そのものの由来に関しては、ケリガン家の開祖が四百年前に英雄王エルムンドから賜ったとも言われているが、あまりにも古すぎて明確な記録が残っていないため、確証には至らなかった。そもそも、なぜ同じ大きさの槍を三本も持っていたのかも不明である(常識的に考えて「三槍流」は普通の人間には不可能である)。何らかの特殊な力を秘めているらしい、ということは様々な書物に書かれていたが、それが何なのかについても、明確な答えは得られないままであった。

2.5. 黄金槍の暴走

 こうして、この日の調査が(あまり明確な成果も得られないまま)一段落して、陽が落ちようとしていた頃、全身に傷を負ったゲンドルフがオディールに戻ってきた。オーロラ村から往復してきたにしては、あまりにも早すぎる帰還である。しかも、彼と同行した筈の兵達は一人もいなかった。

「何があったんだ、ゲンドルフ!?」

 セリムがそう問うと、彼は無念そうな、そして不可解そうな顔で答える。

「聖印教会の連中が、いきなり襲ってきやがったんだ……」

 彼がオーロラ村に向かって、幾人かの部下達と共に早馬を飛ばしていた時、反対側から、棍棒や皮鎧で武装した聖印教会の信者達が現れ、ゲンドルフの姿を見かけると同時に、

「我等が同志、ハインリッヒの仇! 神の裁きを受けるがいい!」

などと叫びながら、襲いかかってきたらしい。「ハインリッヒ」とはオーロラ村の聖印教会の司祭の名であるが、ゲンドルフにしてみれば彼等に「仇」と言われる所以はない。しかし、彼等がこちらの言い分を何も聞かずに襲いかかってきた以上、ゲンドルフとしては反撃するしかない。だが、一人一人は大した戦力ではなかったものの、あまりにもその数が多すぎて、僅か数人のゲンドルフの部下達は次々と倒され、遂には彼も取り囲まれ、危険な状態に陥ってしまったという。
 そんな中、彼の心に対して、何者かが語りかけてきたという。

(我が力を解放せよ……)

 どこからその声が聞こえてきたのか、ゲンドルフには分からなかった。だが、このままでは自分が(その理由も分からないまま)殺されると思った彼は、思わず心の中で叫ぶ。

(俺に……、その力を貸せ!)

 次の瞬間、彼が右手に握っていた黄金槍が「龍の首」の形へと変わっていく。そして、それを握る彼の右腕もまた、その「黄金龍の首」と一体化していく。

「な、なんだこの力は……」

 自分の右腕に、これまで経験したことのない強大な力が宿っていくのを感じる。それと同時に、自分の右腕が自分のコントロールから離れていきつつあることも彼は感じていた。
 そして、その異様な光景に一瞬怯んだ聖印教会の面目に対し、ゲンドルフの右腕と一体化した「黄金龍の首」が、これまで見たことのない光を伴うドラゴンブレスを浴びせたのである。その一撃で彼等の大半はその場に倒れ込み、そして残った僅かな者達は一目散にオーロラ村の方向へと逃げ帰る。

「こ、混沌だ……、混沌の力だ……」

 恐怖に怯えながら去って行く彼等に対して、ゲンドルフは追いかけて真相を確かめたいところであったが、この時点で、彼にはそんな余裕はなかった。彼の右腕は完全に「黄金龍の鱗」に覆われ、そのまま胴体にまで「侵蝕」が進みつつあったのである。このままでは完全に自分の身体を奪われると思った彼は必死に抵抗しようとするが、どうすればそれを止められるのかも分からない。
 やがて彼の意識は朦朧となり、自分が完全に「何者か」に乗っ取られようとしていく過程において、彼の目の前に「魔法師のような姿」の男が現れたらしいのだが、それが何者だったのかを確認する前に、彼は完全に気を失う。そして、次に目が覚めた時、彼の回りには誰もいなかった。ただひたすら、敵と味方の死体が転がっているだけであった。彼の身体は全身が正常な状態に戻っていたものの、黄金槍は失われ、そして「魔法師風の男」の姿も、どこにも見当たらなかったという。

「正直、ここまで戻ってくるのがやっとだった。父上から賜った黄金槍も奪われてしまったが……、兄者、あれはとんでもない代物だぞ」

 この説明を聞く限り、確かにただの「家宝」で片付けられるレベルの武具ではない。人間の身体を乗っ取るということは、間違いなく混沌の類いの力である。敵集団を一瞬で一蹴するほどの力を秘めてはいるようだが、制御出来ない強力な武器は、人類全体にとっての脅威でしかない。
 だが、そんな中、一人だけ異なる感情を抱いていた者がいる。セリムである。彼はもともと「龍」への強い憧憬心故に、自分自身が「龍」となることを夢見て「龍のレイヤー」となった邪紋使いである。自らの右腕を龍そのものに変える力を持つ黄金槍と聞いて、興味が湧かない筈がない。たとえそれがどれほど危険な物品であっても、それを手にしてみたいという欲求が彼の中に生まれるのも、当然の話である。だが、さすがに今、この場においてそのことを口にするほど、彼は愚かではなかった。
 そして、その黄金槍(黄金龍)の問題と同等以上に気がかりなのが、「聖印教会の人々が問答無用でゲンドルフに襲いかかってきた」という事実である。どういう経緯で彼等がゲンドルフを敵視しているのかは分からないが、いずれにせよ、彼等との間での本格的な抗争という可能性が現実味を帯びてきた。
 こうなると、エリザベスとしては、この可能性を危惧していたリューベンに、一刻も早くこの事実を伝える必要があるように思えてきた。ケイラの護衛を厳重にするように警備兵達に命じた上で、彼女は一人、早馬でジゼルへと向かうことになる。

2.6. 暁の牙

 エリザベスがジゼルの街に着いた時、既に時刻は深夜に差し掛かり、村の家々の明かりも、徐々に消えつつ会った。そんな中、彼女は村外れの古い小屋の周囲に、リューベンの護衛の兵達が集まっているのを発見する。

「リューベン様は、こちらにいらっしゃるのか?」
「あ、はい。そうですが、今は何人たりとも通してはならぬ、と言われておりまして……」
「中には、他に誰かいるのか?」
「いえ、今はリューベン様お一人だけです」
「そうか……、事情は理解した」

 そう言って、彼女は兵を押しのけて、扉を開けようとする。

「ま、待って下さい。ですから、今は開けてはならぬと……」
「リューベン様、エリザベスです。至急、お伝えせねばならぬことがございます!」

 彼女がそう言って扉を力強く叩くと、中からリューベンが現れる。

「どうしたのですか? こんな夜更けに」
「リューベン様、実は……」

 彼女は一通り、ここまでの事情を説明した。ちなみに、部屋の中にいたのは、確かにリューベン一人だったようである。机の上で何かを書いていたような形跡はあるが、紙が片付けられているため、彼が何を書いていたのかは分からない。

「なるほど。そういうことならば、確かに、早めに動いた方が良さそうですね」
「今から、ジゼルに援軍を要請出来るのですか?」

 リューベンはこの村の領主に気に入られてはいるものの、まだ正式に娘と婚約した訳ではない。あくまでも「友好的な隣人」にすぎない彼に、この村の軍隊に出動を要請することは難しいように思える。

「私がアテにしているのは、ジゼルの軍隊ではありません。彼等です」

 そう言って、彼は自信の鞄の中から、一枚の書類を取り出した。この瞬間、エリザベスの頭の中には、出立前に偶然見てしまった「敵将ハルク・スエードの署名が書かれた手紙」が想起されたが、ここで彼が取り出したのは、それとは全く異なる「契約書」のような書面であり、その最後には、リューベンと、そして「ヴォルミス」という名の署名が書かれている。

「ヴォルミス……、隻眼のヴォルミスですか?」

 「隻眼のヴォルミス」と言えば、この世界で最も名の知れた傭兵団「暁の牙」のリーダーである。リューベンは彼等に密かと契約を交わしていたらしい。

「彼等とは明日、合流する予定です。当初の予定とは異なりますが、状況によってはすぐに参戦出来るよう、要請しておきましょう。深夜の早馬での連絡、ありがとうございます」

 リューベンがどういう理由で、このタイミングで「暁の牙」を呼び寄せていたのか、エリザベスにはさっぱり分からない。やはり、今回の一連の事件の背後で糸を引いているのは彼なのではないか、そんな疑惑が、彼の一番の忠臣である筈のエリザベスの中ですら沸き上がってくる。

「リューベン様、一つ確認してよろしいですか?」
「どうぞ」
「その傭兵団は『オディールの軍』と戦うためではありませんよね?」

 このような質問を投げかけること自体、かなり大胆な行為であるが、リューベンはそれに対して、全く動揺も驚愕も激高もすることなく、どこか自信に満ちた笑顔で答える。

「えぇ。彼等がオディールの人々を傷付けることなど、絶対にありえません」

 リューベンは何を考えているのか分からない人物だが、この時の彼の笑顔は「嘘をついている時の顔」ではない、と彼女は本能的に感じていた。その直感が正しいのかどうかは分からない。ただ、彼がそう言う以上は、彼を信じるしかない。彼女が彼を信じることを彼が望んでいる以上は、彼を信じる以外に彼女には選択肢が無いのである。
 こうして、要件を終えた彼女は、再び早馬でオディールへと帰還する。かなりの強行軍ではあるが、オディールでも何が起こるか分からない以上、本来の自分の任務である「ケイラを護る」という役割を果たすために、一刻も早く帰る必要があると考えていた。

2.7. 深夜の襲撃

 こうして、エリザベスが再びオディールへと向かいつつある中、オディールに残った者達は、暗殺者が再び誰かを狙う可能性があると考えて、厳戒な警戒態勢を取っていた。
 状況的に考えて、ロートスかゲンドルフのどちらかが狙われる可能性が高いと考えた彼等は、護衛戦力を分散させないために、ゲンドルフをロートスの部屋に寝泊まりさせ、オデット、オルガ、セリムの三人が交代で警備を担当する、という形で防御策を採る(ケイラに関しては、本人は「自分が狙われる」と思っていたようだが、リューベンもエリザベスもいない状態で、彼女が襲われる可能性が高いと考える者はいなかった)。

「じゃあ、俺はソファーで寝るから。兄者は自分のベッドで寝ろよ」
「いや、怪我人のお前こそ、ベッドでゆっくり寝るべきだろ?」
「いいんだよ、俺は兄者とは違って、日頃から野営にも馴れてるから」

 そう言って、ゲンドルフは勝手にソファーに横たわり、自室から持ってきた毛布に包まる。二人とも、色々と思うところはあったが、ひとまず今は臣下達を信じて、静かに就寝する。


 そして、彼等の予感は的中した。その日の真夜中、ロートスの部屋の上から奇妙な物音がしたことに、セリムが気付いたのである。彼が即座に皆を起こし、ロートスが弓矢を天井に向かって放つと、その天井が崩れて、黒装束の男が落ちてきた。「飛び降りて」きたのではなく、(彼の矢を身体に受けたことで)「射落とされて」きたのである。即座に、その部屋にいた者達が、その彼を包囲しようとする。
 しかし、幸か不幸か、彼が落ちてきたその場所は、ロートスとリューベンの黄金槍が置かれていた場所であった。彼は思わずロートスの槍を掴んで牽制しようとするが、その表情は(覆面越しでも分かるほどに)明らかに動揺していた。

「くっ……、なぜこんなにも護衛が! 話が違うぞ!」

 彼がそう叫んだ目線の先には、オデットの永続召還獣であるジャック・オー・ランタンがいた。ロートス、セリム、オルガ、(手負いとはいえ)ゲンドルフに加えて、彼等に匹敵する戦闘力を持つジャック・オー・ランタンの出現によって、完全に「万事休す」かと思われたその時、その黒装束の男の右腕が突然、黄金に輝き、槍と一体化し始める。

「な、なんだこれは……、お、お、俺の腕がぁぁぁ!」

 そう叫びながら、黒装束の男はのたうち回りつつ、腕を振り回す。

(あれは、俺の時と同じ……)

 ゲンドルフがそう思った次の瞬間、ロートスの二度目の射撃、オルガのライトニングボルト、そしてジャック・オー・ランタンの炎熱攻撃により、黒装束の男はその場に倒れ込む。ロートスの矢までは銀の腕輪の力で食い止めたが、その後の連撃を耐えられるだけの体力は、もう彼には残っていなかったのである。そして、彼の身体から生気が抜けていくと同時に、彼の右腕もまた本来の形に戻り、そして「龍の頭」と化していた黄金槍は、再びただの「槍」の形状に戻っていく。

(これが、ゲンドルフが言っていた「龍化」の力か……)

 セリムはこの光景に対して異様な興奮を覚えていた。彼が数年間の修行の末に手に入れた「龍化」の能力よりも更に強力な力を、この黄金槍はもたらしているのである。果たして、自分がこの黄金槍を手にした場合、どれほどの強い力が手に入るのか、想像しただけで際限のない高揚感に包まれてくる。無論、その結果として自分が自分で無くなってしまう可能性も、十分に彼は考慮している。だからこそ、そのことを表には出さないが、それでも、自分の中でこの「黄金龍」への渇望が否応無しに沸き上がってきていることは、確かに実感していた
 そんなセリムの内的葛藤など知る由もない他の面々は、この暗殺者の黒装束を引きはがして、なんとか身元を明らかに出来ないかと試みたが、結局、彼が何者なのかは分からなかった。息があればまだ拘束して尋問するという手段も使えたのだが、最後のジャック・オー・ランタンの放った火炎の威力が強すぎたのか、即死状態だったようである。
 こうして、彼等が当面の最大の脅威を撃退すると同時に、領主殺しの手掛かりを失ってしまったその時、屋敷内に意外な警報が駆け巡ることになる。

2.8. 怒れる隣人

 ここで、時間を少し遡る。

 ロートスとゲンドルフが静かに床についたちょうどその頃、ジゼルからオディールに帰るために早馬を飛ばしていたエリザベスは、奇妙な集団がオディールに近付きつつあるのを発見する。左手にたいまつ、右手に棍棒を持ち、軽装備を着込んだ村人達である。そして、彼等は聖印教会のシンボルを掲げつつ、口々にこう叫んでいた。

「同志ハインリッヒの仇を!」
「神を恐れぬ不遜な輩共に、天罰を!」

 明らかに異様なその光景を目の当たりにして、エリザベスは更に馬足を早める。彼等が何に対して憤っているのかは分からないが、彼等がオディールに向かっていることは間違いない。その激しい怒号の響きから、そこには明確な敵意・殺意が感じられた。どう考えても、平和的な目的の集団とは思えない。
 なんとか彼等よりも先にオディールに到着したエリザベスは、警備兵達に大声で告げる。

「敵襲だ! 臨戦態勢を!」

 そして、その知らせはすぐに屋敷にも届き、慌てて屋敷の外を見たロートス達も、その姿を確認する。

「あいつら、今度は本気で攻めてきやがった!」

 ゲンドルフはそう叫び、手負いの身体に鞭打って戦場に向かおうとするが、その前にロートスがその場にいる者達に告げる。

「まず、誤解を解こう。多分、彼等は僕等がハインリッヒ司祭を襲って、この銀の腕輪を盗んだんだと勘違いしてるんだと思う。でも、今、その腕輪はここにあるし、その犯人の死体もここにある。話せば分かってもらえる筈だよ」

 正直、分かってもらえる保証はどこにもないし、そもそもこの「黒装束の男」が「司祭襲撃の犯人」なのかどうかも分からない。だが、現状で彼等を相手にまともに戦った場合、こちらが本気で戦えば負ける可能性は低いが、それでも相当な損害を被ることは間違いない。戦わずに済ませられるなら、その方がいいことは間違いないだろう。
 だが、果たして本当にそれは可能なのか? どういう理由かは全く分からないが、現実に怒り狂った状態にある信徒達を宥めるのは、相当に難しいことは誰にでも分かる。しかし、それでも説得すべきと考えたロートスは、一人敵陣の目の前で矢面に立ち、大声で叫ぶ。

「話を聞いて下さい、オーロラ村の皆さん!」

 彼は訴えた。自分達がオーロラ村にも聖印教会にも敵対する意志はない、ということを。そして、ハインリッヒ司祭に何があったのかについても何も知らない、ということも。
 並の人物であれば、「黙れ! この邪教徒が!」と言われて、そのまま村人達に撲殺されていたであろう。しかし、彼のその訴えに、彼自身の聖印が応えた。まばゆい光が無実を訴え続ける彼の身体を照らし出し、彼の発する言葉の一つ一つにも神々しい波動を与えていく。「聖印」を何よりも深く崇める彼等にとって、その効果は絶大であった。更に、彼が心清らかで穏やかな人物であることは近隣の村々にも知れ渡っていたこともあり、怒りに我を忘れていた彼等の中に、少しずつ動揺が広がる。

「お、おい、本当に司祭様は、アイツに殺されたのか?」
「もしかして、俺達は誰かに騙されているんじゃ…………?」

 彼等が半信半疑の状態に陥り始めると、やがて彼等の代表者が、一歩前に出る。

「どういうことなのか、説明してもらいましょうか?」

 その表情はまだかなり険しい様子ではあるが、明らかに先刻までの狂乱状態とは異なり、少なくとも「相手の言い分を聞こう」という意志が感じられた。ロートスの決死の訴えが、彼等を「話が通じる状態」にまで引き戻すことに成功したのである。
 その後、両者の間で一通りの事実を確認する。教会側の代表者曰く、オーロラ村の聖印教会のハインリッヒ司祭が「黄金槍を持った黒装束の男」に殺され、その銀の腕輪が盗まれたのだという。そして、その黒装束の男の手掛かりを探っていったところ、その黄金槍がオディールの三兄弟が持っているものだと分かり、更に「黒装束の男がオディールの屋敷に入って行くのを見た」という証言がどこからともなく広まったことで、「オディールの犯行」と思い込んでしまっていたらしい。
 ひとまず、ロートス達が「黒装束の男」の死体を彼等に見せた上で、自分達も彼の手で領主ジュマールを殺されているという旨を告げると、彼等も一応は(まだかなり釈然としない様子ではあったものの)納得した姿勢を示す。この時点で、何者かが裏で糸を引いていることはオディール側もオーロラ側も察していたが、互いに相手を「シロ」だと仮定すると、その「何者か」が誰なのか、さっぱり見当がつかない。
 だが、少なくとも、現状において互いに相手が黒幕だと断言出来る要素が無かったこともあり、聖印教会の者達は、素直にこの場は引き下がり、オーロラ村へと帰還する。もし、衝突していたら相当な数の死傷者が出ていたであろうが、ロートスの人望と聖印により、なんとか最悪の事態だけは回避することが出来たのである。

3.1. オデットの正体

 こうして、立て続けに発生した脅威をなんとか乗り越えた彼等であったが、ここで一つ、奇妙な事態に気付く。いつもロートスの傍らに立ち、彼をサポートし続けていたオデットが、いつの間にかいなくなっていたのである。彼女は、聖印教会の襲来の時点では確かにその場にいたのであるが、彼等との本格的な事実確認が始まった頃には、既に姿を消していたようにロートスには思えた。
 彼女の身に何かあったのかと思い、ひとまず彼女の私室に向かおうとしたロートス、オルガ、セリム、エリザベスの四人は、その扉の近くまで来たところで、扉の奥から聞こえてくる奇妙な話し声に気付く。

「あの男を殺せ、という依頼は出してない筈ですよ」

 その声色はいつもの口調とは全く異なるが、明らかにオデットの声だった。それに対して、聞いたことがない男の声が帰ってくる。

「殺してはならない、とも言われてない。アレを奪おうとする流れ上、仕方がなかったんだろう。どちらにしても『彼等の仕業』にするつもりだった訳だし、問題ないのでは?」
「我々を彼等と衝突させて、『あなた方にとっての厄介者』も葬る気だったのですか?」
「他人事のように言っているが、エーラムにとっても、オディールにとっても、彼等は厄介者だろう? 」
「無闇に敵を増やしていられるほど、こちらにも余裕はないのです。ロートス様のお陰で、なんとか正面衝突だけは避けられましたが、お陰で、かえって事態が複雑化してしまいました」

 ロートス達には、彼女と『謎の男』が何の話をしているのかはよく分からない。だが、明らかに「今回の一連の事件」に関わることを彼女が話していることが分かったエリザベスが、その扉を蹴破って中に入り込む。

「おや、エリザベスさん、何事ですか?」

 その部屋の中にいたオデットは、淡々とそう問いかける。その部屋の中には、他に誰かがいた形跡は全く感じられない。だが、エーラムの魔法師ならば、タクトを用いて遠方にいる魔法師と通信することが出来る。おそらく、彼女が誰かと通信していたことは間違いないと皆が考えていたが、その確たる証拠もない。

「オデット、君は、何をしようとしているんだい?」

 ロートスが、深刻な表情でそう問いかけつつ、自分達が扉の外で、彼女達の会話を聞いてしまったことを伝える。すると、彼女はあまり驚いた様子もなく、淡々と切り返す。

「それを知った上で、どうなさるおつもりですか?」

 その表情は、契約魔法師としてロートスを暖かく見守る「いつもの彼女」とは明らかに異なっていた。しかし、その瞳からは、一切の邪念も悪意も感じられない。「いつもの彼女」と同じ、純粋にロートスを支えていこうとする彼女の強い「忠義」の決意が感じられた。

「僕は、この街が好きだ。父上も、母上も、ゲンドルフも、リューベンも、この街に住む皆が、僕にとっては大切な人達だ。だから、もし君がその人々を殺めたり、傷付けたりするようなら、僕はそれを許さない」

 悲しそうな顔で彼がそう言うと、オデットは意外な問いかけで周囲を驚かせる。

「『あの女』のことを、あなたは『母上』と呼ぶのですか?」

 この文脈上、ロートスが「母上」と呼ぶのは、ケイラ以外にはありえない。確かに、彼女は彼の実の母ではないが、父の正式な後妻である以上、そう呼ぶことは別段不自然な話ではない。なぜそのことをこのタイミングでオデットが気にしているのか。

「どういうこと? 母上は母上だよ……?」

 この時点で、オルガの脳裏に一つの仮説が思い浮かんだが、ひとまず彼女が黙ったまま状況を見守っていると、その奇妙な沈黙を破って、オデットが再び口を開く。

「私の悲願は、ロートス様が立派な君主としてこの街を統治されることです。真実を知った上で、正しい判断を下すと約束して頂けるのなら、私は全てをお話しします」

 それに対してロートスが決意の表情で頷くと、彼女は「真実」を語り始める。

「ジュマール様とハッシュ様を殺すように依頼したのは、この私です」

 そう言い切った彼女の瞳には、一点の曇りもなかった。そして、その事実に薄々勘付いていたロートス達も、ただ黙って、彼女の話を聞き続ける。

「ジュマール様が後継者に指名したかったのは、ロートス様ではなく、最も御自身に近い気性の持ち主だったゲンドルフ様だったのです」

 彼女曰く、ジュマールは当初、『ゲンドルフ様の契約魔法師』として招き入れるつもりでエーラムを訪れ、その時にはっきり『次男に後を継がせる予定だから、彼と契約して欲しい』と言っていたが、彼女がそれを断り、ロートスとの契約を強硬に希望したらしい。通常の魔法師であれば、そのような要求が通ることは滅多にないが、その時点で既に首席卒業が確定していた優秀な魔法師を迎え入れることが出来るならば、ということで、渋々了承することになったようである。
 だが、ジュマールがゲンドルフに継がせたいと考えていたなら、なぜそのことを公言出来なかったのか? オデット曰く、先代の契約魔法師であるハッシュが、リューベンを後継者として強く推していたため、なかなか決断出来なかったらしい。そして、その理由は誰も予想すらしていない驚愕の事実であった。

「実はハッシュ様は、ケイラ様と不倫関係にあったのです」

 オデット曰く、ケイラの想いを叶えてやりたいと考えたハッシュは、ジュマールに対してリューベンを後継者として指名するように強硬に主張すると同時に、街の内政官達にもリューベンの優秀さを説いて回り、少しずつ同意者を増やそうとしていたらしい。だが、それに対して、先妻マチュアに恩義のある者達が密かに結託して反発し、家臣達の間でも方針が二分される状態になっていたという。
 そして、ゲンドルフとリューベンに近隣の村の領主との間での婚姻の話が進みつつあったのも、決して二人を婿養子に出そうとしていたのではなく、むしろそれぞれにオーロラ村やジゼル村を味方に引き込むことによって、あくまでも「オディールの後継者候補」としての後ろ盾を増やそうとする両陣営の戦略であったらしい。

「このままでは、どちらにしても、いずれロートス様は殺されてしまう、と私は確信しました。ロートス様の母君のカミーユ様が、ゲンドルフ様が生まれた後、殺されそうになった時のように」

 確かに、二人の権力争いが激化した場合、契約魔法師がいるとはいえ、家臣内にも近隣の村々にも特に後ろ盾を持たない長男ロートスは、どちらの陣営にとっても「邪魔な存在」であることは間違いない。そう考えれば、彼が命を狙われる危険性は確かにありうる。
 だが、ここでなぜ彼女が、ロートスの生母であるカミーユの名を突然出したのか、(既に一つの仮説に辿り着いていた)オルガ以外の者達が疑問に思う。そもそも、カミーユが屋敷から逃げ去った理由が「殺されそうになったから」なのかどうかは、誰も知らない筈である。だが、皆が微妙に釈然としない表情を浮かべているのを横目に、彼女はそのまま「真相」を語り続ける。

「だからこそ、私は先手を打って二人を消すために、パンドラと手を組み、暗殺者の手を借りることにしました。私は学院に所属する前に、大陸のパンドラで魔法を学んでいたことがあり、その時の知人を通じて、パンドラ・ブレトランド支部の人々と連絡を取ったのです」

 パンドラとは、エーラムの魔法学院とは敵対する、闇魔法師の組織である。その目的は支部ごとに様々と言われているが、少なくとも、表社会においてその名を出すことは、犯罪者であることを公言するのと同じくらい、危険な組織である。そして、オデットが魔法師として優秀な成績を収めることが出来た最大の要因は、実は入学前からパンドラで魔法の素養を学んでいたからだったのである。 
 ここまでの話を聞いて、確かに一定の筋は通っていると思ったが、まだ色々とよく分からない点が多かった。何よりも疑問だったのは、オデットの「動機」の根本的理由が全く不明なことである。

「オデット、どうして君はそこまで僕のために……?」
「私にとっては、あなたが全てだからです。もう私には、あなたしか残っていないのですから」

 そう言われて、更に混乱するロートスに対して、オルガが密かに耳打ちする。

「もしやとは思いますが、彼女の顔、ロートス様がご存知の誰かに似ていませんか?」

 オルガとしても、確信があった訳ではない。だが、この仮説が正しければ、全ての話が繋がると彼女は確信していた。ロートスはその意図がよく分からないまま、改めてオデットの顔を見つめながら、自分の記憶を紐解いていく。すると、彼の記憶の一番奥底に眠っていた「一人の女性」の顔が、彼女とかすかに重なってみえた。

「母上……? オデット、まさか、君は……?」
「そうです。私の母の名はカミーユ。私とロートス様は、父親違いの兄妹です」

 オデット曰く、カミーユは屋敷を去った後、逃げるように大陸に渡り、その地で知り合った男性と結婚し、その間に生まれたのが彼女であるという。その後、カミーユも父も若くして病死し、行くアテの無くなった彼女は偶然知り合ったパンドラの闇魔法師に拾われて魔法の基礎を学んだものの、やがてその闇魔法師も姿を消し、再び天涯孤独となったところで、自らエーラムの学院の扉を叩くことになった。そして、学院の研修でブレトランドを訪れた際、自身の兄が、地味ながらも領民に慕われる後継者候補として、人々の草の根レベルで評判になっていると聞き、彼の契約魔法師となる道を決意することになったのである。

「オデット……、君がそこまで僕のことを想ってくれていたことは嬉しい。でも、君がやったことは、人として、やってはいけないことだったんだよ……」
「ロートス様なら、そう仰ると思っていました。ですから、真実を知られてしまった今、私はもう、いつでも自ら命を断つ覚悟は出来ています」

 オデットにしてみれば、ロートスに聖印を引き継がせることには成功した以上、既に悔いは無い。無論、ゲンドルフもリューベンもそのことを納得した様子ではない以上、まだ様々な難題が残っていることも分かっている。だからこそ、まだしばらく自分が生きて彼を支える(そのための汚れ仕事を一手に引き受ける)つもりではあったが、彼自身がそれを望まぬのであれば、いつでも自害する覚悟は固めていたのである。

「死んで償うのは簡単だよ。でも、それではダメだ。君には、自分の犯した罪を生きて償ってもらう」

 具体的な方法は何も思いついてはいない。しかし、ここで「本懐を遂げて満足した彼女」をそのまま殺すことが正しい処罰になるとは、どうしてもロートスには思えなかった。無論、それだけではなく、自分のために全てを投げ打って支えてくれた妹を殺したくない、という気持ちがあるのも当然である。

「ロートス様なら、そう仰ると思っていました。しかし、他の方々はどうでしょう? 領主を殺した私が生き続けることに、納得出来ますか?」

 そう言って周囲の三人を見渡す。確かに、三人とも神妙な表情ではあるが、しかし、ここで強硬に彼女を殺すべきと主張する者はいなかった。セリムにとってはゲンドルフ、エリザベスにとってはリューベンの意向を確認したいところであったし、オルガとしても今の自分の中途半端な立場のまま口出しすべき問題ではないと判断していたのである。
 そんな彼等の微妙な反応を踏まえた上で、ロートスは力強く宣言する。

「確かに、ゲンドルフやリューベンが認めてくれるかどうかは分からない。でも、僕は彼等を説得して、君が『生きて償う』ことも、僕が領主となることも、認めてもらうよ。大丈夫、聖印教会の人達だって、話せば分かってくれたんだ。同じ兄弟で、分かり合えない筈がない」

 完全にただの楽観論にすぎないが、それでも、彼が言うと一定の説得力を感じてしまう。それくらい、今の彼には「君主」としてのオーラが感じられた。そして、彼が自ら「領主となる」と宣言したことで、それまでずっと強張っていたオデットの顔が一瞬和らぎ、安堵の表情を浮かべる。

「ただ、君の身柄はしばらく拘束させてもらう。正式な処分は、また改めて決定するから」

 そう言って、ロートスが彼女の手を縛るべく縄を取り出そうとしたその時、部屋のどこからか、謎の声が聞こえてきた。

「それでは困るのですよ。まだ彼女には、やってもらわねばならないことがあるのですから」

3.2. 黄金槍の正体

 その声の主を探して皆が周囲を見渡していると、部屋の片隅に突然、一人の長髪の男性が現れる(下図)。東方の国々の衣装をアレンジした奇妙な出で立ちのその男の声は、明らかに、先刻までオデットと会話していた男のそれであった。そして、彼の右手には一本の「黄金槍」が握られている。


「はじめまして、ロートス卿。パンドラ・ブレトランド支部のシアン・ウーレンと申します」

 そう言って、彼は恭しく礼をする。その口調は、先刻までのオデットとの会話の時とは明らかに異なる。一応、王侯貴族を前にした時の彼は、最低限の礼は尽くすようにしているらしい。

「その黄金槍は!?」
「これは、ゲンドルフ殿が持っていた槍です。彼を助けた報酬として、勝手ながら頂戴して参りました」

 いけしゃあしゃあと、慇懃無礼な態度で彼は言ってのける。どうやら彼が、ゲンドルフが意識を失う直前に彼の前に現れた「魔法師風の男」であるらしい。
 突如現れたシアンに対して厳しい表情を浮かべるオデットを横目に、彼はロートスに問いかける。

「あなたはこの黄金槍のことを、どこまでご存知ですか?」

 実際のところ、ロートスはまだよく分かっていない。ひとまず、自分の知っていることを一通りシアンに伝えると、彼はしたり顔でこう告げる。

「では、まずは昔話から始めましょうか」

 そう言って、シアンは四百年前のブレトランド開拓の歴史から語り始める。かつて、このブレトランド小大陸は混沌に覆われていた。それを開拓したのが、英雄王エルムンドと七人の騎士(そして、名前が残っていない一人の魔法師)であることは、この国に住む者なら誰でも知っている。また、エルムンドの三人の子供は、それぞれヴァレフール、トランガーヌ、アントリアという三つの国を築いたのも常識であるが、一方で、七人の騎士達がどうなったのかについては、全く何の記録も残っていない。

「彼等は、強大な混沌核に触れてしまったことで、異界の魔獣の姿へと変わってしまったのです」

 いかに強大な力を持つ君主であっても、それ以上に強大な(浄化しきれぬほどの)混沌核によって投影体となってしまった事例は、過去にいくらでも存在する。ただ、彼等は身体は投影体となったものの、心は「人間(君主)」としての「理性」を保っていた。それは、彼等に聖印を分け与えた英雄王エルムンドの強靭な精神力によって、彼等の従属聖印を彼等の「混沌に侵された身体」の中で維持させていたからである。
 しかし、そのエルムンドが死期を悟り、間もなく彼等の心を制御する術が無くなることを告げると、彼等は自ら進んで「封印」されることを選んだ。いずれ再びブレトランドに危機が訪れた時には、その力を「彼等の心を制御出来る新世代の英雄」のために解放すると心に決めた上で、彼等はひとまず、このブレトランドの各地に封印されることになったのである。

「その七人の中でも最も気性が荒く好戦的と言われていた騎士トライアードの魂を封印しているのが、これを含めた三本の黄金槍です」

 そう言って、シアンは自らの手に握られた黄金槍を掲げる。曰く、トライアードは「エステル・シャッツ界」に住む「三つ首の黄金龍」の姿となっていたそうで、その身体から繰り出すドラゴンブレスは、一瞬にして魔物の大軍を消し去るほどの威力であったと言われている。彼は封印に際して、自らの身体を三分割して槍の姿へと変えた上で、自らの魂の分身を(この世界に現れる投影体と逆の要領で)「エステル・シャッツ界」に投影封印することにしたらしい。つまり、彼の封印を解くためには、依代としての「三本の黄金槍」と「強大な魔物を制御出来る力を持つ召還師」が必要になるという。
 そして、トライアードは自らを封印した槍の管理を、彼の一番弟子であったケリガン家の開祖に委ね、以後も代々同家が保有することになったが、時の流れと共に、徐々にその意義が忘れられていったらしい。
 そんな中、約百年前に当時のオディールの契約魔法師だった召還師がそのことを記した古文書を発見し、自らの野心のために封印を解いたものの、その黄金龍に「貴様は我が主にふさわしくない」という理由で食い殺されてしまった、とのことである。
 では、なぜそのことをシアンが知っているのか? 実はこの100年前の魔法師も、パンドラと密かに通じていた人物で、その召還の際には当時のパンドラの人々も立ち会っていたのである。当時、誰もその黄金龍を制御出来る者がいなかったことから、彼等は当時の領内に存在していた魔境へと黄金龍をおびき寄せ、その中に入ったのを確認したところで、その魔境の「入口」を封印したのである(パンドラは混沌を拡大することを目的とした組織なので、魔境を開くことに長けた者が多いが、それが出来るということは当然、入口を閉じることも可能なのである)。
 その後、トライアードはその魔境の中で一通り暴れた後に、力を使い果たして三本槍の姿に戻ったという。しかし、最近になって、その黄金槍の中に眠る彼の魂の断片がうずき始めたことで、百年前にパンドラが閉じた入口が再び開き、それを討伐に来たジュマールの手によって、その黄金槍が発見されることになったという。

「我々としては、この黄金槍を用いて、トライアードをヴァレフール側の戦力として復活させたいのです。このままではブレトランドは、アントリアを支配するダン・ディオードの手に落ちてしまう。強大すぎる君主の出現は、我等パンドラが最も忌避する皇帝聖印(グランクレスト)の出現に繋がってしまう可能性があるので、それを阻止するために、ヴァレフールの方々にトライアードの力を与えたい、というのが我々の本音です。まぁ、私が復活を望むのは、それと別にもう一つ、個人的な理由もあるのですけどね」

 それは「伝説の騎士(魔獣)を見てみたい」という純粋な知的好奇心なのだが、そのことを告げたところで意味はないことは分かっているので、その点については何も言わなかった。

「そう考えていた我々のところに、彼女から暗殺依頼が来たので、彼女と盟約を結んだのです。彼女に暗殺者を貸し与える代わりに、彼女に黄金龍の復活の儀式を執り行ってもらう、という条件で」

 オデットとしては、百年前の魔法師が失敗した召還の儀式を、自らの手で成功させる自信はあった。なぜならば、百年前に失敗した要因は「英雄王の後継者にふさわしい人物」が不在だったからであり、ロートスであればそれに足る心の持ち主であると彼女は信じていたからである(一方で、母をあっさりと捨てたジュマールにはその資格はないと確信していた)。そこで、パンドラ側がゲンドルフとリューベンの槍を奪取した上で、ロートスが正式に君主として認められた後であれば、その召還に協力すると約束したのである。
 ちなみに、暗殺者(黒装束の男)に銀の腕輪と黄金槍を持たせたのは、それぞれゲンドルフとリューベンへの疑惑を与えることで捜査を攪乱させるためだったが、オデットとしてはハインリッヒ司祭を殺すつもりは無く、聖印教会との全面戦争までは想定していなかったらしいが、暗殺者が強奪の過程で「うっかり」殺してしまったのだとシアンは主張する。
 その後、その暗殺者が銀の腕輪と黄金槍を持った状態でジュマールを殺し、その場に「たまたま」居合わせたロートスがその聖印を「やむなく」引き継いだ上で、その日の夜に今度はロートスを「襲うフリ」をしてすぐに逃げることで、ロートスが無実であることを証明する、というのが本来の計画であった。

「ところが、なぜか必要以上に多くの護衛がそこに配置されていて、あえなく彼は殺されることになってしまった訳ですが……、これはどういうコトですか?」

 シアンにそう詰問されると、オデットは開き直って返答する。

「司祭の時と同じように『うっかり』殺されたら、たまったものではありませんからね」

 どうやら、この二人の間でも、そこまでの信頼関係はないらしい。あくまでも利害の一致に基づいた同盟にすぎない以上、常に相手に対して必要以上に警戒するのも、致し方のないことであろう。
 また、この黄金槍が一本だけでも『暴走して持ち主の身体を乗っ取る力』があることは、シアンもオデットも知らなかったらしい。シアンとしては、ゲンドルフの槍を奪う機会を伺っている時に、たまたま彼が暴走してそのまま乗っ取られそうになったので、彼を気絶させた上で、その槍を彼の身体から魔法の力で強引に引きはがしたのだという。

「さて、ロートス卿、我々としては、あなたが黄金龍を呼び出すのに協力して頂けるのであれば、この槍はお返ししますし、今後も協力させて頂くつもりです。今の我等にとって最も危惧すべきは、アントリアによるブレトランド統一です。あなたがこの長城線を守護し、ダン・ディオードの野望を止めたいとお考えなのであれば、我等が敵対する理由は何もありません」

 当初の予定では、パンドラは最後まで「悪役」に徹するつもりであった。彼等が奪った黄金槍をロートスに「自力で」奪還させることで三本の槍を全て手中に収めさせ、あとは折を見てオデットが「街の守り神としての黄金龍」に関する伝承を「偶然」発見し、正式に召還の儀式をおこなわせる、という筋書きだったのである。パンドラとしては、あくまでも「ヴァレフール陣営の強化」が目的なので、最終的にはロートスに敵対する理由は何もない。ただ、自分達が堂々と協力しようとすると抵抗を覚える人々も多いと考えたので、表舞台には出ずに彼等が「自主的に」召還する流れを作り上げたかったのである。
 だが、こうなってしまったからには、もはや全てを明かした上で協力を申し出るしかない。そう判断したシアンは、更に続けて、彼等にこう告げる。

「現在、アントリア軍が、この街への大規模な侵攻作戦を計画中です。伝説の黄金龍の力、今こそ用いるべきではありませんか?」

 このタイミングで突然そう言われても、それを信用する根拠はどこにもない。ただ、エリザベスだけは、リューベンの私室にあった「ハルク・スエード(アントリアの将軍)からの手紙」を見ている以上、その情報が真実である可能性を、他の者達よりも強く憂慮していた。とはいえ、今のこの時点でそのことを口に出すつもりは毛頭ない。そもそも、リューベン自身がこの一連の事件にどう関わっているのかも含めて、彼女としては分からないことが多すぎた以上、中途半端な情報を伝えても、場が混乱するだけだと彼女は考えていた。
 一方、そんな彼女の苦悩など知る由もないロートスは、アントリア軍による侵攻という情報が正しいか否かに関わらず、既に自分の中で固まっていた決意をシアンに告げる。

「黄金龍の召還には、手を貸さない。この街は、僕等自身の手で護る」

 彼がそう考えるであろうことは、シアンもオデットも予想していた。少なくとも、ここまでパンドラに踊らされていたことを知ってしまった上で、彼等の提案にそのまま乗るのは、あまりにも危険すぎると考えるのが自然である。また、ゲンドルフや「黒装束の男」が、自らの意志に反して身体を乗っ取られかかったという事実から考えても、召還した黄金龍を制御出来る保証はどこにもない。最悪の場合、その黄金龍の力によって街が滅びるという可能性も考慮して然るべきであろう。
 だが、シアンはそれを聞いた上で、自らが持っていたゲンドルフの黄金槍をロートスに手渡した。

「今はそう思うなら、それで構いません。とりあえず、この黄金槍はお渡ししておきますので、必要に応じて、いつでも使って下さい」

 そう言って、彼は不適に笑うと、次の瞬間、姿を消す。瞬間転移の魔法が相当に高度な技術であることは、時空魔法師であるオルガにはすぐに分かった。少なくとも、自分やオデットよりも格上の魔法師であることは疑いない。
 ともあれ、ひとまず三本の黄金槍は再び屋敷に戻った。彼が言っていることがどこまで本当かは分からないが、ひとまず、既に皆の疲労は限界に達していたこともあり、対アントリア陣営の警戒強化を物見櫓の兵達に伝えた上で、しばし仮眠を取る。オデットに関しては、特に脱走や抵抗を試みる様子も感じられなかったので、さほど厳しく拘束せぬまま、オルガと同じ部屋で監視されながら就寝するという形で落ち着いた。シアンの言うことをそのまま真に受ける訳ではないが、どんな形であれ、オデットの力が必要となる可能性があることは、皆が薄々感じ取っていたのである。

3.3. 二正面作戦

 そして、僅かな仮眠と共に朝を迎えた彼等に、偵察兵からの報告が届く。シアンが言っていた通り、確かに、北方のアントリアの前線基地に、続々と兵達が集まりつつある、という内容であった。この件については、オデット自身も知らなかったようだが、果たして裏でパンドラが動いた結果なのかどうかは、まだ分からない。
 しかも、その数刻後に、更に驚くべき事実が届けられた。なんと、このオディールから見て東方の海岸線に、アントリア軍が上陸したというのである。ブレトランド南東部の海岸は激しい崖状となっており、通常の船では乗り入れることは出来ない筈だが、その一角がいつのまにか何者かによって削り取られ、実質的な「船の乗り入れ場」が作られていたらしい。
 一体誰が、そのような工作を秘密裏におこなっていたのかは分からない。海岸の絶壁はどの領主の管轄でもないが、あえて言えば最も近いのはジゼル村である。ここで再び「嫌な予感」が頭をよぎったエリザベスであったが、今はひとまずリューベンを信じた上で、彼の要請により「暁の牙」がジゼル村の近くまで来ていることを皆に告げる。

「一刻も早く彼等と合流し、迎え撃ちましょう。私がその旨を伝えに行きます」

 実際のところ、本当にその「暁の牙」が味方なのかどうかは分からないのだが、その懸念については伏せた上で、まずは彼等にそう告げる。

「では、私も同行しよう」

 オルガがそう言って手を挙げる。場合によっては、ジゼル村との交渉も必要になることを考えると、邪紋使いのエリザベスが一人で行くよりは、彼女よりも社会的身分の高い契約魔法師のオルガが同行した方が、相手を説得しやすいのは間違いない(ジュマールの死はまだ伝えられていないので、現在の彼女は対外的には「領主の契約魔法師」のままである)。
 こうして、二人が早馬で駆け出していくのを横目に見つつ、ロートスはセリムと共に、ゲンドルフに協力を要請する。この時、彼はあえてゲンドルフに、ここに至るまでの全ての経緯(オデットによる暗殺指令、パンドラの思惑、黄金槍の正体)について説明した。本来ならば、このタイミングで全てを説明する必要はないようにも思えたが、それでも彼は、ゲンドルフの信頼を得るためには、そこまで語るのが筋だと考えていたのである。
 さすがに、その話を聞いたゲンドルフは複雑な表情を見せるが、それに対する第一声は、意外な内容であった。

「つまり俺は、パンドラの手で助けられてたということなんだな。だとしたら、今の俺は自らの失態で一度は死んだ身だ。どうこう言える立場じゃない」

 どうやら彼の中では「パンドラの手で生かされていたという事実」が、かなり堪えたらしい。その上で、後継問題についても、オデットの処遇についても「納得はしていない」と告げた上で、まずは目の前の侵略者と戦うために全力を尽くすことを約束する。
 とはいえ、状況的にはかなり厳しいことは間違いない。これまでアントリアからの攻勢を防ぎ切れていたのは、長城線という強大な防壁が存在していたからである。その防壁を海路から突破された今、その侵入者を撃退しつつ、北から迫り来る大軍にも対応するのは、現在のオディールの戦力だけでは非常に厳しい。
 だが、それでもロートスは「黄金龍」の力を借りるつもりはなかった。仮にここでパンドラの思惑通りに黄金龍を召還させて、それで敵軍を撃退出来たとしても、その力が強大すぎた場合、「世界の均衡」を望むパンドラが、今度は自分達に対して牙を剥く可能性がある。そんな泥沼の争いに足を踏み入れることだけはしたくないとロートスは考えていたのである。

3.4. 特攻部隊

 そんな中、ジゼルに到着したエリザベスとオルガは、さっそくリューベンを探そうとするが、昨夜の時点で彼が滞在していた小屋には、既に誰もいなかった。領主の館の人々に確認してみたところ、どうやら彼等は今朝方、村の南東方面に向かって出立したらしい。おそらく、「暁の牙」との合流に向かったのだろうが、その具体的な場所が分からない以上、ここから彼等を追うのは難しいと考えた二人は、ひとまず村の自警団の人々に「海経由で敵軍が長城線の内側に潜入した」という旨を告げ、すぐにオディールへと戻る。
 一方、長城線側では予想外の援軍が到着していた。オーロラ村の聖印教会の面々である。昨夜の強行軍で相当に疲弊していた彼等ではあったが、一度振り上げた拳をぶつける相手を失ったままになっていた彼等にとって、北からの侵略者は格好の標的であった。「このタイミングで攻めてくるということは、ハインリッヒ暗殺の黒幕はアントリア軍に違いない」という、何の根拠も無い噂話が彼等の間に広がったことで、逆に(同じ「アントリア軍の陰謀」に巻き込まれた)オディールへの親近感が高まったようで、不眠状態で疲れた身体に鞭打って、北方の防衛ラインに加わることになったのである。
 そんな彼等を指揮するのは、ジュマールの軍事的才能を最も色濃く引き継いだと言われるゲンドルフであった。彼の指揮の下、オディールの防衛軍と聖印教会の民兵達、更にそれに加えて、やや遅れて到着したオーロラ村の正規の防衛軍も彼の指揮下に入り、迅速に防衛体勢を構築していく。

「こっちは俺に任せて、兄貴は海路経由の部隊を叩いてくれ」

 まだ癒えていない傷を抱えながら、ゲンドルフはロートスにそう告げる。まだ彼の中では色々とモヤモヤした感情は残っているが、今の彼の頭の中には、武人として侵入者を撃退することしか考えてなかった。むしろ、自己嫌悪と猜疑心で混乱した状況から目を逸らすために、あえて「迷う必要のない戦い」に専念しようとしていたのかもしれない。
 ともあれ、こうしてなんとか「北の防衛線」を整えたことを確認したロートスは、ジゼルから戻ったオルガとエリザベス、そしてセリムに各一部隊ずつを任せた上で、自らの傍らにオデットを同伴させた上で、侵入者がいると思われる街の東方へと軍を進める。
 すると、彼等の予想よりも遥かに早い段階で、アントリア軍が彼等の前方に現れた。どうやら彼等は、数は少ないものの、全員が騎兵のようである。まずそもそも、海路で騎兵を運ぶこと自体が軍略の常道から外れている訳だが、ただでさえ上陸が困難な東海岸の断崖絶壁に、馬の乗り入れが可能なレベルの本格的な「船着き場」を短時間で築けるとは、誰も予想していなかった。どうやらこれは、相当に周到な準備を重ねた上での電撃作戦のようである。
 そして、彼等の掲げる旗に描かれた紋章を見たエリザベスは、敵の指揮官がハルク・スエードであることを確認する。彼女がそのことで複雑な疑念を抱えている中、騎兵の圧倒的な機動力でアントリア軍は彼等の前に迫ってきた。こちらの旗印がロートスの紋章であることを知り、一気にこちらの「大将首」を取ろうと目論んでいるようである。
 これに対して、まず機先を制したのは、オルガのライトニングボルトであった。敵軍の本陣を見事に直撃するが、それでも敵は構わず距離を詰めてくる。しかし、それに対して、鉄壁の防御を誇るエリザベスが立ちはだかった。不死の身体を持つ彼女が最前線で敵の猛攻を食い止め、それ以上の進軍を許さない。
 そして、敵の馬足が止まったところで、今度はセリム隊が前に出てくる。

「我が身は龍なり!」

 そう叫んだ彼の身体は巨大化し、身体から牙と尾と角を生やした半人半龍の姿となる。黄金龍に乗っ取られていたゲンドルフや黒装束の男とは異なり、完全に「龍の力」を自分の制御下に置いている彼の猛攻の前に、次々と敵の騎兵隊は崩れ去っていく。
 更にその後方から、ロートス隊の放つ弓攻撃が敵の各部隊を次々と襲う。日頃は人間相手に弓を用いることがない彼であったが、いざ戦場に立てば、領民を護るために敵を射抜くことには一切の躊躇いはない。彼は常に「戦争を嫌う心」と「戦場で戦う覚悟」を持ち合わせた君主なのである。
 こうして両軍が真っ向からぶつかり合う中、アントリア軍の別働隊はその戦場を北側から迂回して後方に回り込もうとしたが、そこに巨大な魔龍が立ちはだかった。オデットが召還したサラマンダーである。たった一体で、敵の一軍を足止め出来るほどの強大な魔獣の出現に、敵の別働隊は驚愕する。サラマンダーは、召還師の中でもそれなりに高位の者でなければ呼び出せない魔獣であり、そこまでの実力者が敵陣営の中にいたこと自体が、彼等の中では想定外だったのである。そのサラマンダーから放たれる炎のブレスの威力により、次々と敵の別働隊の兵達は倒れていく。
 だが、それでも敵軍はアントリアの精鋭部隊であり、そう簡単に総崩れにはならない。しかし、敵の本隊が必死の猛攻で突破口を開こうとしても、エリザベス隊の築く防壁に阻まれてしまう。そして、敵将の姿を発見したエリザベスは、大声で挑発した。

「噂に聞こえたハルク・スエード将軍の力は、この程度のものか?」

 それに対して、まだ多少余裕を見せながらも、必死の形相で指揮を採るハルクは、強気に言い返す。

「へらず口を叩くな! 我々には、まだ切り札が残っている」

 そう言って彼が後方に目を向けると、そこにはオディール(ヴァレフール)軍でも、アントリア軍でもない、第三の部隊が到着していた。その旗印に描かれていたのは、大陸最強の傭兵団「暁の牙」の紋章であった。その存在を確認したことで、エリザベスは心の奥底に眠る「疑惑」を抱きながらも、それでも今はリューベンを信じて、味方を鼓舞する。

「皆! あれはリューベン様だ。リューベン様が助けに来てくれたぞ!」

 そう言って皆を鼓舞する。それに対してハルク・スエードは「何も知らない哀れな者達」を見るような目で薄ら笑いを浮かべながら戦い続ける。しかし、エリザベス隊の防壁を敗れぬまま、セリム隊の猛攻とロートス隊から放たれる矢の雨によって、徐々に劣勢へと追い込まれていく。
 その状況においても、後方に見えた「暁の牙」は、全く動く気配を見せなかった。やがて、これ以上の特攻は無理と判断したハルク将軍は、やむなく撤退を決意し、軍を引き返す。さすがに騎兵隊の逃走に対して、歩兵主体のオディール軍では追い付ける筈もない。しかし、そのまま彼等が戦場から離脱しようとしたその時、後方で待機していた「暁の牙」が、突如、アントリア軍に向かって襲いかかったのである。

3.5. リューベンの思惑

 リューベン率いる「暁の牙」の奇襲に対して、ハルクは驚愕の表情を浮かべ、そして怒号を上げる。

「おのれ、リューベン! たばかったか!」

 その声は、部隊の後方で「隻眼のヴォルミス(下図)」と共に指揮を採るリューベンの耳にも届いていたが、そう言われた彼は、一切表情を変えずに、淡々と敵の殲滅を命じる。一方、ヴォルミスは皮肉めいた笑みを浮かべながら、リューベンに語りかける。


「アテが外れて残念だったな、若様」
「正直、もう少しやってくれると思ったのですがね。仕方がない。こうなったら、せめて彼の首と聖印だけは頂くことにしましょう」
「了解! じゃあ、俺もそろそろ暴れてくるぜ!」

 そう言って、ヴォルミスが前線に躍り出る。大陸きっての傭兵団のリーダーである彼の勢いを止められる者が、既に敗走状態のアントリア軍にいる筈もない。だが、彼の大剣よりも先にハルクの身体を貫く者がいた。遠方からオルガによって放たれたライトニングボルトの一撃が、ヴォルミス達を含めたこの戦場の者達全員の身体を直撃したのである。

「くっ……、こんなところで…………」

 既に満身創痍だったハルクはその場に崩れ落ちる。ヴォルミスも相当な傷を受けたが、大陸一の傭兵は、魔法一撃で倒れるようなヤワな身体ではない。

「やってくれるねぇ、俺達も巻き添えかよ。まぁ、厳密に言えば『味方』じゃねえから、仕方ないか」

 ヴォルミスは後方を見ながらそう呟く。実際のところ、オルガも傭兵団を巻き込むことに躊躇はあったが、この世界の戦場では、そこまで気にしていたら大型の攻撃魔法は使えない。彼等が足止めしてくれたアントリア軍を確実に倒すためにそれが必要だと考えたならば、これはこれでやむを得ない一手でもある。
 そして、ヴォルミスは倒れ込んだハルクにまだ微妙に息があることを確認すると、少し遅れてその場に到着したリューベンの目の前で、彼の首を刎ね飛ばし、その彼の身体から湧き出てきた聖印を、リューベンが自らの身体に取り入れる。

「せめて、これくらいの報酬がなければ、やってられませんからね」

 表情を変えずにそう言いながら、彼は自身の聖印が強化されたことを実感する。

「まぁ、若様の思惑通りにはいかなかったみたいだが、俺達はきっちり仕事はしたんだ。報酬は頂くぜ」
「えぇ、分かっています。これも私の読みが甘かっただけのこと。仕方ありません」

 実は今回のアントリア軍の上陸作戦は、全てリューベンの計画でおこなわれたことであった。彼は密かに貯めていた私財を投げ打って暁の牙を雇い、彼等の中の工作部隊に命じて東岸の断崖絶壁に突貫工事で「船着き場」を作らせ、アントリア軍を迎え入れる準備を進めていたのである。だが、彼はアントリアに寝返ろうとしていた訳ではない。あくまでもヴァレフール陣営のまま、自分自身が「オディールの領主」となるための策謀の一環として、彼等に内応するフリをして彼等を利用しようとしていたのである。
 当初の彼の計画では、アントリア軍を領内に電撃侵攻させて、彼等に「父」と「兄二人」を討ち取らせた後に、暁の牙による急襲でそのアントリア軍を殲滅することで、自らが「救国の英雄」としてオディールの支配者となる筈であった。ところが、父の突然死と兄の「どさくさ紛れの聖印奪取」を目の当たりにした彼は、自分とは異なる誰かが、自分の計画とは全く別の陰謀を企んでいるらしいことに気付き、当初の予定よりも早く計画を実行することを決意する。しかし、その結果、ハルク将軍が思ったほど多くの部隊を動員することが出来ず、ロートスを倒すことも出来ないまま彼等は敗走することになってしまったため、せめて「最低限の名声」を確保するために、こうして彼の首と聖印を奪うことになったのである。

(これで、また一から出直し、ですね……)

 リューベンは心の中でそう呟く。これまで密かに溜め込んでいた私財を、今回の暁の牙の雇用で全て使い果たしてしまった上に、兄を消すことも出来なかった彼としては、釈然とせぬ想いを胸に抱きながらも、ひとまず大将首を兄に届けるべく、ヴォルミスと共に兄の陣営へと向かうのであった。

4.1. 次兄の決意

 こうして、東岸からの敵の電撃作戦を撃退した彼等は、すぐにオディールに取って返し、ゲンドルフ軍に加勢したことで、北からの敵の猛攻も見事に撃退する。昨日から僅か二日の間に起きた一連の動乱が、ようやく収まったのである。
 だが、これで全てが解決した訳ではない。まだ彼等には「後継者問題」と「オデットの処遇」という、二つの大きな課題が残っていたのである。
 この日の夜、街全体が勝利の余韻に浸っている中、一人思い悩んでいたゲンドルフは、屯所で皆と騒いでいたセリムを一人連れ出し、自分の部屋へと招き入れ、深刻な表情で問いかける。

「なぁ、もし、俺が暗殺事件の真相を暴露したら、どうなると思う?」

 今のところ、まだジュマールの死自体が明かされていない。戦場に姿を現さなかったことから、「領主の身に何かあった」ということまでは勘付いている者達もいるようだが、まさかオデットの命令で暗殺されていたことなど、誰も知る由もない。
 もし、ロートス自身が本気で後継者となる気があるなら、この事実はおそらく隠すであろう。自分の契約魔法師が父を暗殺したとなれば、当然、その指示を出していたと疑われるのが自分であることは明白だからである。つまり、ゲンドルフがこの事実を公表すれば、その時点でロートスが後継者として周囲の者達に認められることは極めて難しくなる。無論、中にはダン・ディオードのように、自ら簒奪の事実を隠さず、実力で「領主」としての地位を認めさせた事例もあるが、ジュマールは先代アントリア子爵のような悪政をおこなっていた訳でもなく、そもそもロートス自身、そのような「力による覇道」を求める性格ではない。
 よって、ゲンドルフが真相を公表すれば、ほぼ確実にロートスを追い落とすことが出来る。もし、ロートスがそれを認めなかった場合、どちらの言い分にも確たる証拠がない以上、泥沼の対立へと発展する可能性はあるが、わざわざ話さなくても良いことを自分に打ち明けたロートスの性格を考えれば、素直に認めて引き下がる可能性は高い、と彼は考えていた。
 逆に言えば、彼は自らの立場を危うくする情報を、わざわざ政敵であるゲンドルフに教えたのである。いくら楽観論者のロートスでも、この事実を一般大衆にまで公言すれば、自分が後継者として認めてもらえないことは分かっている筈である。これはすなわち、ロートスが「ゲンドルフは自分に無断でこの事実を公表したりはしない」と信頼していることの証明であり、ここでゲンドルフが(自らが領主となるために)そのことを暴露するのは、その信頼を裏切ることを意味している。

「お前は、どうしたいんだ?」

 ゲンドルフの中のそんな葛藤を察したセリムは、逆にそう問い返した。すると、ゲンドルフは苦悩の表情を浮かべながら、更に別の質問を投げかける。

「この事実を公表するような俺に、お前はついて行きたいと思うか?」

 これまでずっと剛胆実直を信条に生きてきたゲンドルフそう問われたセリムは、ニヤリと笑って答える。

「お前の中でそこまで結論が出てるなら、もう迷うことはないじゃないか」

 セリムには分かっていた。これは「質問」ではなく、ただ「自分の中の結論」を後押しして欲しいだけの問答であるということを。ゲンドルフの中では、今でも「自分こそが父の後継者であるべき」という強い自負はある。しかし、そのために「自分を信頼してくれた兄」を裏切るべきではない、という気持ちの方が圧倒的に強かった。その程度のことは、ずっと彼のことを見ていたセリムには、一目瞭然であった。

「そうだな……、やはり、それは俺の歩むべき道ではないな」

 ゲンドルフはようやく表情を和らげ、すっきりした笑顔でそのまま語り続ける。

「正直、俺は兄貴のことをずっと見下していた。あんな奴より、俺の方がずっとこの街の領主にふさわしいと思っていた。だが、今回の聖印教会との一件で、俺がただ力付くで排除しようとしていたアイツ等を、兄貴は言葉だけで鎮めることが出来た。兄貴のお陰で、俺は『妻の実家の民』を傷付けずに済んだんだ。そして、彼等を味方にすることが出来たお陰で、アントリア軍を撃退することも出来た。もし俺が兄貴の立場だったら、この街は今頃、アントリアの手に落ちていただろう」

 実際のところ、この街が守られたのはロートスだけの手柄ではなく、ゲンドルフが彼の留守中に長城線を守り切ったことも大きな功績なのだが、彼の中では「敵を撃退すること」は「武人として出来て当然の行為」であり、わざわざ声高に主張するほどの大きな実績とは考えていなかった。セリムは、そんな彼の「武人としての謙虚な姿勢」を友として誇りに思いつつ、ゲンドルフの中でオーロラの姫君が既に「妻」扱いになっていることについても、あえて何も言わなかった。

「だから、この街は兄貴に委ねて、俺はオーロラに行く。キッセン家の養子となって、いずれオーロラを、オディール以上に発展させてみせる」

 彼はそう力強く宣言し、セリムもその決意を笑顔で受け入れる。だが、彼がオーロラに行くということは、聖印教会との兼ね合い上、セリムとの関係の維持が難しくなる、ということも意味している。

「正直、今はまだ教会側も俺に対しては警戒心が強いと思う。だから、今の時点でお前を一緒に連れて行く事は出来ない。だが、これから時間をかけて説得して、なんとかアイツ等に、邪紋使いであるお前達の力もこの世界を守るためには必要なのだということを、納得させていくつもりだ。だから、それまでは、俺の故郷であるこのオディールを、俺の代わりに守ってくれないか?」

 セリムはあくまでゲンドルフとの個人的な繋がりでオディール軍に籍を置いている以上、彼が去った後にこの地に残り続けなければならない理由はない。ただ、彼にそう言われてしまった以上、それを断る理由も見つからないというのが本音であった。

「分かった。だが、正直、お前との稽古が出来なくなる思うと、寂しくなるな」
「なぁに、いずれ必ず、アイツ等を説き伏せてみせるさ。兄貴がアイツ等を説得出来たのだから、俺に出来ないとは言わせない」

 ゲンドルフにそう言われると、セリムも笑顔で頷く。そして二人は、兵達が勝利の宴に酔う屯所へと戻って行くのであった。

4.2. 末弟の決意

 一方、祝勝ムードの街の中で、当初の予定を完全に狂わされて落胆していたリューベンは、しばらく自室で一人考え込んだ後に、エリザベスを呼び寄せる。

「今回の件では、あなたにも色々とご心配をおかけしたようですね」

 リューベンとしては、彼女には何も真相は語っていないし、ハルク・スエードからの手紙を彼女に見られている事も知らない。ただ、彼女が自分の行動に何か「裏」があると感じていたことは、これまでの彼女の雰囲気から、なんとなく察してはいたようである(しかし、仮に彼女が全て知っていたとしても、彼女はそのことを誰かに公言したりはしないだろう、と確信していた)。
 オディールに戻った後、リューベンは一通りの経緯をロートスから聞かされたが、彼はロートスの継承に対しても、オデットの処遇に対しても、何ら口出しするつもりは無かった。この状況で彼がロートスと明確に敵対する立場を取った場合、逆に自分自身とアントリアとの内通を調べ上げられる可能性があると考えていたのである。
 実際、アントリア軍の捕虜の中には、密かにリューベンとハルクが内通していたと証言する者もいた。それに対してリューベンは「彼等を罠に嵌めるために、内通したフリをしておびき寄せた」と説明し、実際に彼等を殲滅している(しかも、リューベンの援軍がなければ、敵には逃げられていた可能性が高い)ので、その説明自体に矛盾はない。ただ、その「作戦」を事前に誰にも伝えていない以上(その点については「敵を騙すにはまず味方から」と言ってごまかしたが)、見方によっては「アントリアに街を売り渡すつもりだったが、アントリア軍の戦況が不利になったから、寝返った」とも思われかねないのも事実であり、その点を蒸し返されないためにも、ここは粛々と兄の継承を認めた方が得策と考えたのである。

「正直、今回の『アントリア軍を誘い込んだ上での殲滅作戦』のために『暁の牙』に支払った報酬で、私の私財は底をつきましてしまいました。ひとまず、ジゼルに行って一から出直そうと思います。」
「……それほどまでに、『この機会』に賭けていたのですね」

 「この機会」が何を意味するのかについては、エリザベスは語らない。だが、彼女がおそらくリューベンの計画を見透かした上で、それでもそのことを黙っていたであろうことを確信したリューベンは、改めて彼女にこう告げる。

「繰り返しますが、私がジゼルの領主と養子縁組を結ぶのは、あくまでも政略のための『かりそめの婚姻』です。私が本当に信用出来る女性は、あなた一人です」

 「相変わらず、本音が読めない人だ」と思いつつも、どんな形であれ、リューベンが自分を必要としていることだけは信じられる。今のエリザベスにとっては、それだけで十分だった。

「出来ることなら、あなたもジゼルに連れていきたいのですが、おそらく、あなたのような美しい人が私の傍らにいては、姫君も不安に思うでしょう。ですから、申し訳ないですが、あなたにはもうしばらく、このオディールに残っていてほしいのです。私の故郷であるこのオディールにおいて、私の目となり、耳となり、この街を見守って頂けませんか?」

 要は「スパイ」としてロートス陣営の内部に残っていてほしい、ということである。エリザベスは瞬時にその意図を理解した上で(本音を言えば、どんな形であれリューベンの傍らにいたいという気持ちはあったが)、リューベンが望む以上は仕方ないと諦めて、それに従う決意を固める。

「分かりました。御一緒させて頂けないのは残念ですが、仰せのままに致します」
「すみません。ですが、待っていて下さい。いずれ必ず、私はあなたを迎えに来ます。何度も言いますが、私の心は、永遠にあなたのものです。どれほど離れていようとも、誰が間に入ろうとも、決して、私の心が他の女性に奪われることはありません。私にとっての『真の花嫁』は、あなた一人です。あなたを堂々と妻に迎え入れることが出来る日が来ることを信じて、今は断腸の思いでこの街を去りますが、いつか必ず、私はこの街に戻ってきます。あなたを、私のこの手に取り戻すために」

 このリューベンの言葉が本当か嘘かは、エリザベスにとってはどちらでも良かった。彼女の中では、ここまで言葉を並べて必死に自分を繋ぎ止めようとしているという事実だけで満足だったのである。

「はい、リューベン様」

 彼女の返答は、その一言だけであったが、その声色は、明らかに喜びに満ち溢れていた。リューベンもそれを感じ取り、ようやく心から安堵した表情を浮かべる。こうして、「二人の夜」は静かに更けていくのであった。

4.3. 「姉」と「妹」

 その頃、自身の処遇がなし崩し的に棚上げされた状態にあったオデットは、今後のことについて相談するために、オルガに与えられた(本来はハッシュが使っていた)私室を訪れる。すると、そこには粛々と出立の準備を進めている姉弟子の姿があった。

「お姉様!? どちらへ行かれるおつもりなのですか?」
「新領主のロートス様には既にあなたがいるのだから、私は不要でしょう? だから、エーラムに戻ることにしたの」

 オルガとしては、さすがにジュマールの死を放置したまま帰る訳にはいかなかったので、ここまでの捜査と一連の防衛戦には協力したものの、それらが一段落した段階で、もう「自分の役目」は終わったと考えていたようである。

「待って下さい。まだ私の処遇が決まった訳ではありません。いくらロートス様が私を救おうとして下さっても、私がそのまま『契約魔法師』の立場でいられるとは限りませんし、仮に私が今の地位にそのまま残ったとしても、契約魔法師が二人いること自体、男爵家であれば別段珍しい話でもありません」

 むしろ、オデットとしては、仮に自分が処刑されても、オルガが代わりにロートスを支えてくれるだろう、という目算だった。だが、このタイミングで姉弟子に去られては安心して断頭台に立つことも出来ない、というのが本音なのである。
 これに対して、オルガはしばらく沈黙を続けた後、重々しく口を開く。

「…………なんとか頑張ってそれらしい理由を探そうと思ったけど、思いつかないから、本音をはっきり言うわ。私はもうこれ以上、あなたの隣にいることで劣等感を感じるのは嫌なの」

 それは、彼女がエーラムにいた時から、ずっと感じていたことだった。自分よりも遥かに優秀な妹弟子と常に比較され続けるのが姉弟子として堪え難いのは、当然の話である。オデットの能力が入門以前のパンドラ時代に既に身につけられていたものだと聞かされても、彼女の中ではそれは「妹弟子に負けていい理由」にはならなかった。

「本当はね、私はこの街の領主の契約魔法師となることで、あなたに勝ちたかった。領主の契約魔法師として、あなた以上にこの街に貢献することで、あなたに対するコンプレックスを克服したかったの。でも、私は今回も、あなたには勝てなかった。新領主の傍らに立つ契約魔法師にふさわしいのはあなたであって、私はその隣にいるべきではないのよ」

 自分の契約相手のために、自分が全ての罪を背負って人道に反した道を歩むその姿勢は、人としては褒められたものではない。しかし、そこまでロートスのために尽くそうとする彼女の心意気を目の当たりにさせられた上で、自分が彼女以上の忠誠心を持って新領主のために働けるかと考えたら、それは到底無理な話であった。自分の契約相手が殺されても、その彼を弔おうとする心すら忘れていた自分が、あの場にいた中でただ一人、その心を忘れなかったロートスの契約魔法師としてはふさわしくない、という気持ちが、彼女の中にはあったのである。

「…………お姉様がどうしてもと仰るなら、私には止める権利はありません。でも、せめて私の処遇が決まるまでは待って下さい。私がいなくなったら、ロートス様を支えて下さる方が、もう誰もいなくなってしまうかもしれないんです」

 セリムにとってはゲンドルフ、エリザベスにとってはリューベンの方が、ロートスよりも大切な存在であることは、オデットも察している。もし今後、彼等がロートスと対立することになった場合を想定すると、「何があっても彼を守ってくれる存在」がどうしても必要だと彼女は考えていた。その役割を姉弟子に押し付けるのは身勝手と分かっていても、彼女は今、オルガを頼る他に道はなかったのである。
 オルガとしても、その信条は理解出来たので、ひとまず出立は保留する。確かに、もしオデットが処刑もしくは追放によってこの街からいなくなった場合、その次にこの街に来る魔法師に、相当な「重荷」を背負わせる可能性がある。そう考えると、妹弟子の「最後の願い」を叶えてやることが、姉弟子として採るべき道であるようにも想えてきた。
 こうして、二人の魔法師の運命は、ロートスの「決断」に委ねられることになったのである。

4.4. 「兄」と「妹」

 ロートス・ケリガンは悩んでいた。父親違いとはいえ「実の妹」が犯した「『父』と『父の側近』の殺害をパンドラに依頼した」という罪。更に、当初は銀の腕輪の強奪だけが目的だったとはいえ、彼女のその指示の結果として隣町の司祭も殺されたという事実。まっとうに裁くなら、死罪以外にはありえない。
 だが、自分の信念に基づいて、最初から死を覚悟してこれらの凶行に及んだオデットを処刑したところで、それが本当の意味での「償い」になるとは、彼には思えなかった。彼は何としても、彼女に「生きて償う道」を歩ませたい。だが、その理屈では納得しない者がいることも分かっている。だから、彼女の罪を公表する訳にはいかない。一連の事件は「パンドラの陰謀」として片付けた上で、彼女がそれに深く関わっていたことは伏せたまま、秘密裏に「罰」を彼女に与えたいのだが、問題はその「罰」の内容である。
 投獄や追放など、あまりに重すぎる罰では、なぜ彼女がそんな処罰を受ける必要があるのか、という説明が難しい。仮に「領主を守れなかったから」という理由を挙げたとしても、その場合、ジュマールの契約魔法師となる筈だったオルガにもその罪が連座する(むしろ、彼女の方が立場的にはより重いとも言える)ため、彼女を後任に据えることは出来なくなる。
 ならばいっそ、彼女の中の「魔法に関する能力(記憶)」を(表向きは「事故で失われてしまった」という名目で)消し去り、一従者として雇用し直す、という道も考えたが、記憶消去の技術を持つ者は、エーラムかパンドラくらいにしかいない。エーラムにその依頼を受けてもらうためには真実を語る必要があるが、そうなると後々の関係が色々と厄介になる。パンドラの場合は、あくまでも「このまま放置しておけば、いずれオディールの領主はオデットに黄金龍の召還を命じざるを得なくなる日が来るだろう」という思惑に基づいて手を引いているだけなので、オデットの能力を失わせることに協力する筈がない。
 だからと言って、彼女をそのまま無罪放免にする訳にもいかない。やはり、罪は罪であり、「乱世だから仕方がない」という一言で片付けるようなことは、ロートスには出来なかった。彼は自室でひたすら悩み続けた挙げ句、最終的に一つの決断を下す。それは、常に「領民の生活」を第一に考える彼の性格を反映した、実に「ロートスらしい結論」であった。


 数日、オディールの下町に新たに作られた「生活相談所」に、次々と街の人々が駆け込んでくる。

「オデット様、この子の手当をお願いします」
「オデット様、店舗の修復を手伝って頂けませんか?」
「オデット様、私にも読み書きを教えて下さい」

 この施設を任されたオデットは彼等の要求に対して、その緊急性に応じて優先順位をつけた上で、朝から晩まで無償で対応していた。
 今回の一連の戦いでは、街そのものが直接攻撃を受けることはなかったものの、民兵の死者も数多く出ており、街全体が人手不足に陥っていた。その苦境を察したロートスは、彼女との魔法師契約は維持したまま、彼女を(一般的に領主の契約魔法師が務めることが多い)「内政官の長」としての立場ではなく、新たに創設した「住民の生活を支援する社会奉仕機関」としての「生活相談所」の責任者に任じたのである。彼女の「最低限度の生活費」と「魔法具の維持費」は国庫から支給しつつ、困っている住民達を無償で助けるというのが、彼女に与えられた任務であった。
 一方、ハッシュの後任としての「内政官の長」には、改めてロートスと契約を結んだオルガが就任することになった。オルガとしては、この決定に対して思うところがなかった訳ではないが、結果的に「オデットと異なる職場」に就くことになったという意味では、彼女にとっても望ましい配置だったとも言える。

「私達のために御側近のオデット様を派遣して下さるなんて、ロートス様は本当にお優しい人だ」

 何も知らされていない街の人々の間では、そんな評判が次々と広がっていく。一方で、あまりにハードなスケジュールで皆の要求に応え続けるオデットの身を案じる者や、「この街に来たばかりのオルガ様よりも、昔からこの街で働いていたオデット様の方が、内政官にふさわしいのではないか?」と考える者もいたが、そんな住民達の声に対して、オデットは笑顔でこう答える。

「私自身がお願いしたんです。この街の人々のために、私に出来ることをやらせて下さい、と。だから、今、私はすごく充実しています。皆さんのためにお役に立てることが、本当に嬉しいんです」

 実際には、この任務を命じたのはロートスであり、彼女の自主的な希望ではない。ただ、彼女自身、この仕事を命じられたことは素直に嬉しかったし、実際に仕事を始めてみて、この上ない充実感に満たされていた。日頃から、街に出て人々と交わることを好んでいたロートスの気持ちが、ようやく本当に分かった気がする、そんな心境であった。

「オデット様、またハーモニカを聞かせて下さい」

 僅かな休憩時間に食堂で昼食を食べ終えたオデットに対して、街の子供達がそうせがむ。彼女は疲れた様子も見せずに笑顔でハーモニカを取り出し、母から教えてもらった優しく軽やかなメロディーを奏で出す。それは、ロートスがしばしば街中で奏でていた音色そのものであった。街の人々がその旋律に癒されているのを実感しつつ、兄・ロートスが愛するこの街の人々をこれからも全力で支えていこうと、改めて心に誓ったオデットであった。

4.5. 「三兄弟」

 それから数日後、正式にゲンドルフとリューベンの養子縁組の話がまとまり、ロートス達が見送る中、二人はオディールを去ることになった。同行するのは、身の回りの世話をする僅かな(セリムとエリザベス以外の)側近と、リューベンと共にジゼルに行くことを選んだケイラのみである。
 ちなみに、彼等三兄弟の聖印は、本来は「ジュマールの従属聖印」であったが、この時点では三人とも「独立聖印」となっている。本来、君主が死んで聖印が誰かに受け継がれた場合、「その君主に従っていた君主の従属聖印」は一時的に「独立聖印」化するが、その後で改めて配下の君主達が自らの聖印を後継者に捧げた上で「従属聖印」として受け取り直す、というのが一般的な慣習である。だが、この二人は他家に養子に行くという事情もあり、この時点でロートスに対して聖印を捧げる必要はないとロートス自身が判断したのである。
 一方で、彼等の婿入り先となるオーロラ村の領主ルナール・キッセンと、ジゼル村の領主ブーレイ・コバックの聖印は、ヴァレフール伯爵直属の「従属聖印」である。ヴァレフールにおいては、オディールのケリガン家を含めた「七男爵家(七騎士隊長家)」以外の領主の聖印は原則として「ヴァレフール伯爵の従属聖印」なので、本来ならばゲンドルフとリューベンも、ケリガン家を出た時点でヴァレフール伯爵もしくは各村の領主に聖印を捧げるのが筋である。
 だが、今回の養子縁組においては、少々複雑な契約事項が存在していた。というのも、彼等はそれぞれキッセン家、ブーレイ家の後継者として婿入りするものの、もしロートスが世継ぎに恵まれぬまま命を落とした場合、彼の持つケリガン家の聖印と所領を引き継ぐ権利も二人は有する、という約定が交わされていたのである(二人の間の優先順位については、ひとまず棚上げされた)。つまり、彼等が「キッセン家・コバック家の聖印(ヴァレフール伯爵の従属聖印)」だけを引き継ぐならば、今の時点で伯爵に聖印を捧げれば良いが、「ケリガン家の聖印(独立聖印)」を引き継ぐ可能性もある以上、現時点では独立聖印のままの方が都合が良い、という結論に達したのである。この旨をヴァレフール伯爵にも伝えた結果、ひとまず彼等の要求は受理され、しばらくは「独立聖印」のまま維持することを許されることになった(過去にも、このような形で「一時的な分家」が認められた事例は何度かあった)。
 こうして、ケリガン・キッセン・コバックの三家は、実質的に「三兄弟家」と呼ぶべき関係を構築することになる。だが、それが必ずしも三家の絆の強化に繋がったと言える訳ではない。ゲンドルフも、リューベンも、ロートスに取って代わる野心を捨てた訳ではない以上、むしろより強い火種を抱え込むことになったとも言える。
 そんな中、ロートスはまさに今、オディールを出立しようとしている弟二人に対して、彼等が生前の父から賜っていた黄金槍を、改めて一本ずつ彼等に託す。

「この黄金槍は、危険な存在だ。一ヶ所に置いておく訳にはいかない。僕達三人で、それぞれに管理するんだ。パンドラの陰謀を実現させないために」

 いつもは穏やかな表情の彼が、いつになく険しい表情でそう告げる。黄金龍の力は、確かに制御出来れば強力な武器となるだろうが、あまりにも強すぎる力を手にすることは、この戦乱をより過熱化してしまう可能性もある。だから、そんな力は永遠に封印されなければならない、というのが彼の信念であった。

「そうだな。正直、俺はもうこの槍には関わりたくないが、かといって、放置する訳にもいかん」

 黄金槍に身体を乗っ取られる恐怖を実体験しているゲンドルフは、そう言って強く同意する。一方、その光景を少し離れた場所で見ていたセリムは、密かに「あの黄金龍の力を全て自分のものに出来たら……」という妄想を抱いてはいるものの、さすがにそれを実行しようとは思わない。そんなことはゲンドルフも望んでいないし、おそらく「純粋に強さだけを求める自分」では、黄金龍に「主」として認められることはないだろう、ということも察していたからである。

「そうですね。私達三人で、きちんと管理していきましょう」

 リューベンはあくまでもクールな態度のまま、淡々とその槍を受け取る。彼だけは黄金槍の暴走を目の当たりにしていないため、今ひとつ実感がないのだろう。むしろ彼としては、この槍の力を利用して黄金龍を復活させるという選択肢も完全に放棄すべきではないとも考えていたのだが、現実問題として自分の配下にそれが可能な召還師がいない以上、「他の陣営にこの力を渡すくらいなら、自分がこの槍を抱え込むことで復活を阻止した方が賢明」というのが、現状における彼の本音であった。

「じゃあ、二人共、元気でね」
「兄者、オディールのことは任せたぞ」
「これからも友邦として、よろしくお願いします、兄上」

 そう言い交わして、ゲンドルフとリューベンは、それぞれの思惑を胸の奥底に秘めたまま、街を去っていく。後にこの三兄弟は「長城線の三本槍」と呼ばれ、その勇名をブレトランド全土に轟かせることになるのであるが、それはまだもう少し先の話である。

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最終更新:2014年04月17日 07:36