第2話(BS02)「聖女の末裔」 1 / 2 / 3 / 4

1.1. 名付け親

「お前の名は、今日からメアだ」

 その男は、ベッドから起きたばかりの少女に向かって、そう言った。男の名は、アントリア子爵ダン・ディオード(下図)。今やブレトランド小大陸の北中部を支配する「北の英傑」である。彼はもともと、世の人々を救うために世界中の混沌(カオス)と戦っていた流浪の君主(ロード)であったが、その実力と名声を評価されて当時のアントリア子爵ロレインの婿に迎えられた後、その彼女を殺して子爵の座を奪った、乱世の奸雄である。


 彼が語りかけたその少女には、名前は無かった。いや、正確に言えば、覚えていなかった。彼女は全ての記憶を失っていた。それがなぜなのか、彼女には分からない。この男が言うには、彼女が道端で倒れていたところを、彼が拾って自分の屋敷に連れ帰ったらしいが、そのことすらも今の彼女の記憶の中にはない。そんな今の彼女が認識出来ているのは、目の前のこの男と、「メア」という新たに付けられた名だけである。ちなみに、この名はもともと、彼の遠い先祖の名らしい。

「俺はお前の過去は問わん。大切なのは、未来だ。お前の未来を、この俺と、この国の人々のために捧げてくれれば、それでいい」

 男にそう言われ、彼女は黙って頷いた。この男が、政治家として優秀なことも、それ故にアントリアの国民の多くが「弑逆者」である筈の彼を支持していることも、その一方で彼の覇権主義がこのブレトランドの平和を乱していることへの批判があることも、彼女は何も知らなかった。ただ、目の前の男のオーラに圧倒され、この男のために生きることを決意した。それはまさに、王者の覇気であった。
 そんな彼女の身体には「シャドウ」の邪紋(アート)が刻まれていた。この力を手に入れた経緯も、当然彼女は知らない。しかし、この力を彼のために捧げることを、この瞬間、彼女は本能的に、心に誓ったのであった。

 ******


 それからメア(上図)は、主となったダン・ディオードのために働き続けた。当初は彼の身の回りの世話と護衛が主な仕事であったが、やがて彼女のシャドウとしての能力に目をつけたダン・ディオードは、彼女をアントリア軍内の特殊斥候部隊の指揮官へと任命する。日頃はそれまで通りに彼の近くにいながらも、必要に応じて彼の命令で様々な任地を飛び回る「お庭番」的な存在として、その存在感を増すようになっていった。
 そんな彼女の自室に、ある日の朝、彼女の部下が伝令としてやってきた。

「メア様、陛下がお召しです。どうやら、出撃命令が下るようです」

 つい数刻前に愛猫の甘噛みで起こされたばかりで、まだ出仕の準備もしていなかった彼女は、急いで身支度を整え、屋敷内の謁見の間へと向かう。その途上、部下が彼女に一つの懸念を伝える。

「今回の作戦の責任者は白狼騎士団の人らしいですが、余所者に指揮を任せて、大丈夫なんですかね?」

 白狼騎士団とは、現在、アントリアを支援するために大工房同盟から送られてきた一騎当千の強者集団である。アントリアが電撃作戦で領土を急速に広げることが出来たのも、ひとえに彼等の功績が大きい。だが、本来のダン・ディオードの側近達にとっては、あくまでも「余所者」であり、両者の関係は必ずしも良好ではない。

「大丈夫。いざとなったら、私が陛下をお守りするから」

 彼女は静かにそう告げた。余所者達が何を考えていようとも、自分がいる限り、ダン・ディオードを危機に陥れるような陰謀は許さない、そんな強い決意が彼女の中では常に漲っているのであった。

1.2. 人工邪紋

「意識が戻ったようだな。無事に成功したようで、何よりだ。これで、あの4人も浮かばれるだろう」

 アントリア北部の小さな村の宿屋の一室で、錬成術師(アルケミスト)のシアン・ウーレン(下図)は、自らの手で造り出した手術用具を片付けながら、その傍らのベッドで目が覚めたばかりの一人の青年に対してそう告げる。ちなみに、「4人」とは、これまでに彼の手術の結果、「不幸な最期」を遂げた人々の数である。


「これが、邪紋……」

 青年は自らの胸に刻まれた邪紋を見ながら、そう呟く。彼の名は、アマル。姓は無い。アントリアの片田舎で育った彼は、由緒正しい君主の家系や魔法師一門などとは全く縁の無い、ごく普通の若者であった。つい数日前、彼の故郷であるマージャ村が、混沌の拡大によって壊滅するまでは……。

「ありがとう。君がこの術法の成功例第一号だ。今回は副作用も無いだろう。その力、好きに使うがいい。私の研究のためにその身を捧げてくれたことに、心から感謝する」

 アマルに邪紋を植え付けた男、シアン・ウーレンは、涼しげな顔でそう語りつつ、その部屋から立ち去って行く。彼は、エーラムの魔法学院には所属しない、いわゆる「闇魔法師」と呼ばれる存在である。左右で異なる瞳の色(左が黒、右が金)を持ち、大陸東部の民族衣装をアレンジした独特の装束に身を包んだその姿は、見るからに異様な雰囲気を漂わせている。顔付は20代後半くらいに見えるが、実際にはもっと年上なのではないかと思わせるような、奇妙な貫禄も併せ持っていた。
 この二人は、アントリアの片隅の小さなこの村で、偶然に知り合っただけの関係である。アマルは「自分の故郷を取り戻すための力」を欲し、シアンは「自分の生み出した人工邪紋を完成させるための人体実験の素材」を探していた。そんな二人の思惑が合致して、シアンはアマルに、この時点ではまだ未完成だった「邪紋移植手術」を施した結果、アマルの身体に「ライカンスロープ」を刻み込むことに成功したのである。

「ありがとう、ウーレンさん。これで俺は、混沌と戦える……」

 そう言ったアマルの表情は、喜びに満ち溢れていた。たとえ相手が、自分のことを「ただの人体実験の素材」としか考えていなかったとしても、アマルにとっては、そんなことはどうでも良かった。このシアン・ウーレンという魔法師が何者であろうと、彼にとっては「自分の力を与えてくれた恩人」以外の何者でもなかったのである。

 ******


 その後、アマル(上図)はその邪紋の力で国内各地の混沌と戦いつつ、時には糧を得るために剣闘士として闘技大会に出場するなど、様々な経験を積んで武術の腕を磨きながら、やがてアントリアの軍隊に加入する。彼の目的である「マージャ村の再建」を実現するためには、どうしても聖印(クレスト)の力が必要になる。彼はその素質が無かったため、邪紋使い(アーティスト)として生きる道を選んだが、アントリア軍に参加し、国内各地の混沌を浄化していく君主達の手助けをすることで、その目的達成への道を開こうと考えていたのである。
 そんな彼は今、20歳という若さで、主に対混沌戦用の治安部隊の一分隊を任せられる立場にまで出世していたのであるが、その彼の分隊にも、メアと同じ「白狼騎士団との共同作戦」への参加が命じられていた。まだその内容は不明であるが、部下の一人が彼にこう告げる。

「噂によると、今回の任地、隊長の故郷の近くみたいですよ」

 沸き上がる闘志を胸に秘めつつ、彼は隊を代表して、ダン・ディオードへの謁見の場へと向かった。

1.3. 栄光からの転落

「すまん、ラーテン。すまん、みんな……」

 そう言って、アントリア騎士団のサイロット・グレーン(下図上段)は、膝から崩れ落ちる。その背後には、既に満身創痍の彼の部下達と、彼と契約していた「赤衣の魔法師」ラーテン・ストラトスが、絶望の表情でその光景を目の当たりにしていた。サイロットの率いる部隊は、ヴァレフールの西部国境に位置するイェッタの街の攻略作戦に参加していたが、ヴァレフール軍の巧みな陽動作戦に翻弄されたところで魔法師部隊による急襲を受け、壊滅寸前の状態に追い込まれていた。この危機的状況を脱するために、サイロットは敵将ファルク・カーリン(下図下段)との一騎打ちに挑んだのだが、あと一歩のところで敗れてしまったのである。


 それでも彼はなんとか立ち上がる。しかし、既に剣を持てる状態ではない。そんな彼が何をするつもりなのかと周囲の者達が固唾を飲んで見守る中、彼は、自らの聖印をファルクに差し出した。

「この聖印は貴殿に捧げる。だから、俺の部下達は見逃してやってくれ」

 既に一騎打ちに敗れ、部下達も戦う気力も失っている状態で、こんな要求をファルクが受け入れる必要はどこにもない。だが、ファルクは彼が提示した内容以上の条件で、その聖印を受け取った。

「既に勝負は決した以上、無駄に争う必要はない。貴殿が責任を持って、皆をアントリアへと連れ帰るがいい」

 サイロットは聖印と共に自らの命も差し出す覚悟であったが、ファルクは彼の命すらも不要と答えた。戦略的に考えれば、ここで敵の戦力を完全に叩き潰しておいた方が得策なのだが、戦意を無くした敵を一方的に虐殺するのは、ヴァレフールの中でも有数の名門カーリン家の当主としての彼の美学が許さなかった。
 しかし、サイロットにとっては、これは自身の首を取られることと同等以上に屈辱的な仕打ちであった。それでも、隊を率いてきた責任者として、敗軍の将として、皆を国へと連れ帰ることを決意する。だが、騎士の証である聖印と共に、それまで培ってきたプライドまでもズタボロにされた彼には、もはや騎士として再起するだけの気力までは残っていなかった。

「これから俺は、第二の人生を探す。お前には、貧乏籤を引かせてしまって、すまなかったな。次は、いい君主と巡り会えることを祈っている」

 互いに傷だらけの身体を支え合いながら、彼は自身の契約魔法師であるラーテンにそう告げる。

「いえ、こちらこそ、今まで本当にありがとうございました」

 サイロットの心境を慮りつつ、ラーテンはそう答えた。実は彼は、厳密に言えば正規の契約魔法師ではない。彼はまだエーラムの魔法学院に学生籍を残したまま、一時的な「仮雇用契約」として、このアントリアのサイロットの許で働いていたのである(彼の赤衣は、魔法学院の制服を改造したものである)。サイロットは特別才能のある騎士ではなかったが、部下達からの信望も厚く、自分よりも遥かに若輩(20歳)のラーテンに対しても対等に接しつつ、彼の成長を促すような様々なアドバイスを与えるなど、君主としては申し分ない相手であった。しかし、こうなってしまった以上、今の彼に再起を促すことはラーテンには出来なかった。
 この後、アントリアの首都スウォンジフォートに帰還したサイロットは、ダン・ディオードに敗戦の報告を届けた後、騎士を廃業して首都から姿を消す。彼が領有していた領土には、ひとまず他の騎士が仮領主として派遣されることになった。

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 こうして契約相手を失ったラーテン(上図)は、ひとまず、実姉のクリスティーナ・メレテス(下図)の許に預けられることになった。彼女はダン・ディオードに仕える魔法師の一人で、実質的にはこの国の筆頭魔法師のローガン・セコイアに次ぐNo.2と言っても良いほどの重臣である。


 魔法師の才能は遺伝とは無関係と言われており、実の姉弟が共に魔法師となる事例は、非常に珍しい。しかも、この二人が養子に入ったメレテス家とストラトス家はいずれも魔法師の名門であり、クリスの師匠アウベスト・メレテスはヴァルドリンド(大工房同盟の盟主国)の魔法師長、ラーテンの師匠センブロス・ストラトスはエーラムの魔法学院の学長であった。
 だが、入門後の二人の人生は明暗を分けることになる。クリスは魔法師の王道である元素魔法科を首席で卒業し、飛ぶ鳥を落とす勢いのダン・ディオードと魔法師契約を結ぶことになったが、ラーテンは魔法師界ではやや亜流の静動魔法科において、創作魔法の実験の最中に発生した魔法爆発の事故で長期休学を余儀なくされ、それを機にエリートコースから転落していくことになる。そんな彼の惨状を見かねた師匠のセンブロスは、閉塞状態を打破するための転機になればと思い、彼に(まだ卒業前だが)姉と同じアントリアの騎士との仮契約を勧めたが、その契約騎士の廃業により、再び行き場を失ってしまったのである。
 そんな彼に、クリス経由で新たな任務が舞い降りてくることになった。

「あなたに出撃命令が出たわ。白狼騎士団とアントリア軍の混成部隊に同行する魔法師に指名されたの。私の護衛の兵を貸すから、私の名代として、頑張ってきて」

 エーラムに帰るべきかどうか迷っていた彼にとっては、これは想定外の朗報である。契約騎士を守れなかったという汚名を返上し、彼自身も自信を取り戻す上での絶好の機会であると言えよう。そしておそらく、この仕事を貰ってくるために、姉が主君のダン・ディオードや上司のローガン・セコイアに働きかけてくれたであろうことは容易に想像出来る。

「ありがとう、姉ちゃん。俺、頑張るよ」

 ここまでお膳立てしてくれた以上、今度こそ失敗は許されない。熱い使命感に燃えた彼は、さっそく出仕の準備を始める。そんな彼に、姉はもう一言付け加えた。

「白狼騎士団の代表さんは、まだ魔法師を持ってない人らしいから、その人と契約するのもいいかもね」

1.4. 命の恩人

「気がつきましたか? 随分深い傷でしたが、もう大丈夫なようですね」

 アントリア東部の海岸沿いに立っている古い丸太小屋の中で、黒髪の女騎士(下図)が、目覚めたばかりの銀髪の女騎士に向かって、そう告げる。


 一方、まだ意識が朦朧とした状態の銀髪の女騎士は、ボーっとした表情のまま、ゆっくりと口を開く。

「あれ…………? ここ……、どこ………………? てか、私の枕は!? 猫ちゃんの抱き枕は!?」

 この銀髪の少女の名は、レイン・J・ウィンストン。大工房同盟に所属する白狼騎士団の一員である。アントリアのダン・ディオードに加勢するために、海を越えてブレトランドへと向かう途中、運悪く遭遇してしまった海蛇との戦いにおいて荒海に投げ出され、かろうじてアントリアの海岸までは辿り着いたものの、そこで力尽きてしまっていたのである。
 一通り取り乱した後、そのことを思い出した彼女は、ようやく状況を理解する。どうやら自分は、この目の前の黒髪の女騎士に拾われて、この丸太小屋で介抱されていたらしい。彼女の見た目は、20歳の自分と同じか、少し若いくらいに見える。

「あなたが助けてくれたのね。ありがとう! 私、あなたに恋しちゃったみたい!」

 突然、訳の分からないことを言われた黒髪の女騎士は、やや動揺する。彼女も自分も、騎士という「男装束」を見に纏ってはいるものの、どこからどう見ても女性である。だが、別にレインも同性愛者という訳ではない。彼女は基本的に博愛主義者であり、「恋愛」と「親愛」の概念が彼女の中では明確に区別されていないだけの話である。

「あの、えーっと、あなたが抱えていた武具のようなものは、そちらにあります」

 予想外のテンションに困惑しつつ、黒髪の女騎士はそう言って部屋の片隅を指す。そこには、棍棒と小型の盾が一体化した形状で、その片面には六本の弦が固定された、不思議な道具が置かれていた。

「それは、武器なのですか? 防具なのですか?」
「武器でもあるし、防具でもあるし、楽器でもあるのよ」

 そう言って、彼女はその道具の棍棒状の端の部分の弦を左手の指で押さえつつ、右手の指で盾状の部分の弦を弾く。すると、美しい和音がその小屋に響き渡った。

「美しい音色ですね。それは異国の楽器ですか?」
「そうよ。私、白狼騎士団の軍楽隊の一員として、このブレトランドに来たの。あなたは?」

 「白狼騎士団」の名を聞いた黒髪の女騎士は一瞬、表情を曇らせつつ、レインの質問には答えないまま、立ち上がってその場を去ろうとする。

「そうですか……。それでは、もう大丈夫なようなので、私はこれにて失礼します。どうか、御武運を」
「え、ちょっと待って。あなたの名前は? ねぇ?」

 そう言ってレインが後を追おうとするが、立ちくらみで足下がふらついている間に、彼女は小屋の外に出て、そのまま姿を消してしまった。

「まだお礼も言えてないのに……」

 一人呆然とその場に立ち尽くすレイン。しかし、現状における最大の問題は、そもそもここがどこかということ自体、彼女には全く分からないことだった。土地勘の全くない彼女が、ここからアントリアの首都スウォンジフォートに到着し、白狼騎士団に合流するのは、一週間後のことである。

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 レイン(上図)が騎士団に合流するまでの間に、白狼騎士団は破竹の快進撃を続けていた。電撃作戦でトランガーヌ子爵領の大半を制圧し、その勇名はブレトランド中に響き渡っていたのである。そんな中、すっかり出遅れてしまったレインであったが、別に彼女はそのことを気に病んでいる様子はない。
 彼女の騎士としての聖印は、父から受け継いだものである。しかし、彼女の実家は既に没落し、今の彼女は貴族としての所領も持たない自由騎士にすぎない。だが、彼女にはウィンストン家のかつての栄光を取り戻そう、という野心など毛頭なく、功名心も名誉欲も持ち合わせてはいない。一応、聖印の所有者ということで白狼騎士団に拾われることにはなったが、彼女としては、軍楽隊の仲間達と共に、得意のギターと歌で皆を楽しませることが出来ればそれでいい、と考えている。
 そんな彼女に、団長から意外な命令が下されることになった。

「お前さんに、アントリア軍と合同での『旧子爵派の残党の討伐作戦』の指揮を任せることになった」

 唐突な話である。「旧子爵派」とは、ダン・ディオードが殺した前妻ロレーヌとその一族(つまり、本来のアントリア子爵家)の正統性を主張し、ダン・ディオードのアントリア子爵位の正統性を認めない人々のことである。領内各地で様々な反政府活動を続けており、ダン・ディオードにとっては、「外敵」としてのヴァレフール伯爵とはまた異なる、もう一つの不倶戴天の敵であった。
 そんな旧子爵派の討伐を、アントリアの軍隊と共同で討伐することになったのだが、その指揮権を彼女に委ねることになったのである。

「なぜ、子爵殿はこの任務の指揮を我々に依頼したと思う?」

 団長にそう問われるが、レインには全く分からない。彼女は軍略センスも政略センスも全く持ち合わせていない。基本的に「皆と仲良くしたい」ということしか考えないという、全くもって騎士にあるまじき性格なのである。

「まぁ、分からないなら分からないで構わん。余計なことを考えない方がいいかもしれないしな」

 そう言って、団長は彼女に、ダン・ディオードとの謁見の間へと向かうように促す。ちなみに、彼自身の考えは以下の通りである。

(アントリアの古参の騎士達の中には、旧子爵家と繋がりが深い者も多い。そうなると、旧子爵派との戦いでは士気が上がらないどころか、最悪の場合、寝返る可能性もある。だからこそ、旧子爵家に対して何の思い入れもない我々余所者に「指揮権」と「責任」を押し付けたのではなかろうか……)

 その上で、白狼騎士団の中から派遣する指揮官として、彼女を選んだのは団長の判断である。その理由は、作戦内容的に彼女の持つ「固有の能力」が役に立つと考えたからなのだが、その詳細は、謁見の間での彼女に伝えられることになる。

1.5. 作戦の概要

 こうして集められた四人の指揮官(メア、アマル、ラーテン、レイン)を前に、この国の主であるダン・ディオードが、鎧姿のまま彼等にこう告げる。

「旧子爵派の残党が、巨大な『混沌の化け物』を復活させようとしているらしい。お前達には奴等の討伐と、その企みの阻止を命じる」

 それだけを言い終えると、後は傍らに立っていたこの国の筆頭魔法師ローガン・セコイア(下図)に後を任せて、彼はその場から去っていく。彼は生粋の武人であり、現在も続く対ヴァレフール戦でも常に陣頭指揮を採り続けている。いつまた彼等が反撃に転じるか分からない以上、一刻も早く最前線に戻りたいというのが本音のようである。


 こうして後を任されたローガンは、彼等に作戦の概要を説明する。

「旧子爵派の反乱軍はここ最近、このスウォンジフォートの西方に広がる旧マージャ村を中心とした混沌地帯を浄化しつつある。しかし、奴等の真の狙いは、あの地域一帯の混沌の浄化ではなく、その奥にある『より強大な混沌の力』を得ることだ」

 ローガンが王城の地下倉庫から見つけた古文書によると、どうやら、その混沌地帯の奥地には『子爵家の守護者』が眠っているらしい。それは『身の丈数メートルの巨大な鎧武者』であり、どういう原理で復活するのかもよく分からないが、その復活の鍵を握るのは本来のアントリア子爵家(英雄王エルムンドの長女ソニアの一族)であるという。

「どこまで信憑性のある話だかは分からんが、その古文書が書かれていた場所の近くには、確かに『巨大な人型の銅像』が立っているらしい。もっとも、今は混沌の力が強すぎて、なかなか立ち入れない状態になっているのだがな」

 その話を聞いて、マージャ村出身のアマルは思い出す。確かに、村の近くの山奥に、それらしき巨大な銅像があった。村の人々は「武神像」と呼んでいたが、当時は誰もそれを投影体(混沌核によって生み出される異界の生命体の姿をした怪物)だとは考えていなかったのである。

「マージャ村の近くにあるヒュトラン村に、そのことについて詳しい老人がいるらしいのだが、あの村は旧子爵家への忠誠心が強く、我々に素直に教えるとも思えん。力付くで聞き出す手もあるが、民衆相手に強硬手段を用い続けると、余計に人心が陛下から離れることに繋がってしまうからな」

 ローガンは、目的のためなら手段を選ばぬ悪逆非道な謀略家として知られており、実際にこれまでも様々な非道な「汚れ仕事」に手を染めてきたが、その一方で、国家運営において民衆の支持が必要だということも理解している。ましてや、外にヴァレフールという敵を抱えている状態で、内側の旧子爵派の支持基盤を広げるようなことは極力避けたい、と考えるのも当然である。

「そこで、まずお前達4人に先行して調査に行ってもらいたい。通常の行軍なら5日はかかるが、早馬を飛ばせば2日で行ける距離だ。お前達には『流浪の冒険者』のフリをして、村に潜入し、その怪物の復活のために必要な条件を聞き出した上で、5日後に到着する部下達の本体と合流した上で、それまでに得た情報に基づいて、『怪物の復活の阻止』のために最適な措置を遂行するのだ」


 そう、これが、白狼騎士団がレインを代表に選んだ理由である。彼女は到着が遅れたことで戦争に殆ど参加していないので、スウォンジフォート以外の住人達には殆ど顔が知られていない。しかも、変型ギターを抱えたその姿で村を訪れれば、「旅の吟遊詩人とその仲間達」に見えるだろう。潜入捜査にはうってつけの人物である。

「反乱軍そのものを殲滅してくれればそれが一番だが、まともに戦っても勝てるとは限らん。故に、功を焦って無理はするな。失った兵を補充する費用も、決して安くはないからな」

 ローガンはプラグマティストだからこそ、無駄な戦闘は避けようとする。彼にとっては兵の命は「金で買える道具」にすぎないが、逆に言えば「金のかかる道具」でもある。そう易々と無駄遣いすることは許されない。彼のそういった意図を理解したからこそ、白狼騎士団側も「最も功名心から遠い人物」を隊長として推挙したのであろう。もっとも、逆に覇気がなさすぎるのも、それはそれで問題ではあるのだが。
 その上で、ローガンはもう一言、付け加える。

「あの地域の混沌の浄化は、後回しでいい。どうせ既に滅びた村だ。そんな地を再開拓していく余裕など、今の我が国にはない。むしろ、しばらく放置しておいた方が、怪物への道を封じる防波堤となるかもしれない。まぁ、そもそも、お主ごときの聖印では、完全に浄化することなど出来ぬだろうがな」

 マージャ村の再建を悲願とするアマルにとっては苦々しい言い分だが、今はそれに反論出来る立場でもない。一方、レインの方は自分が馬鹿にされていることなど一切気にせず、素直に話に聞き入っている。この神経の図太さもまた、彼女が「外様の指揮官」という難しい立場に選ばれた一つの理由であった。

1.6. 自己紹介

 こうして、一通りローガンの話を聞き終わると、レインはすぐさま他の三人に対して自己紹介を始める。

「はじめまして。私はレイン・J・ウィンストン。この世界に歌の力でLOVE&PEACEを広げるために戦ってるの。よろしくね!」

 いきなりの予想外のテンションに戸惑いつつも、「次の契約相手」を探しているラーテンとしては、ひとまず友好的に手を差し出す。

「俺はラーテン。静動魔法師だ。よろしく頼む」
「よろしく! 頑張ろうね♪」

 そう言って、レインは喜んで彼の手を握る。落ち着いた雰囲気のサイロットとは全く異質な雰囲気に「世の中には、こんな君主もいるのか」と驚きつつも、自分自身も、魔法学院の中では静動魔法科という異端な道を辿ってきた上に、学院の制服を勝手に赤に染めて登校するような「変わり者」だけに、もしかしたら異端児同士、仲良くやっていけるかもしれないとも思えた。
 続いて、今度はアマルが彼女の前に出る。

「俺の名はアマル。狼のライカンスロープだ」
「え? 狼? わんこ? すごーい! 何が出来るの?」
「敵を殴ることだけだ。守りはあまり得意ではない」
「そうなんだ。私も戦いに関しては攻撃特化だから、気が合いそうね」

 平和主義者にも関わらず、戦いに関しては攻撃重視という辺りが、なんともこの女騎士のよく分からないところである。そして、実際のところ、あまり攻撃特化型ばかり固まっても、戦力のバランスとしてはあまり適切とは言えない。そんなことを、自分自身も攻撃特化型であるメアが考えていると、レインが改めて声をかけてきた。

「ねぇ、そこのさっきからずっと黙ってる子、あなたの名前は?」
「…………メア、です」
「メアちゃんか。あんまり喋るのは好きじゃない? それならあなたのこと、『無口ちゃん』って呼んでもいいかな?」

 本人には何の悪気もないのだろうが、端から見ればその呼び名は「軽いイジメ」である。

「でもあなた、すごく可愛い顔してるわね。そうだ、これあげる」

 そう言って「猫耳カチューシャ」を取り出し、問答無用で彼女にかぶせる。

「え……、あの、これは……?」
「あ、うん、似合う似合う♪」

 いきなりの意味不明な行動に困惑しつつも、自分が「猫派」であることをいきなり見透かされたようで、ほんの少しだけ、この女騎士の「指揮官」としての器を認めてもいいのかも、と思い始める。一方、そんなやり取りを見た「犬派」のアマルは、ほんの少しだけ、彼女達との距離を感じたのであった。

(これは、厄介事を押し付けたつもりが、逆に厄介者を押し付けられたのではないか……?)

 彼女等のやり取りを見ながら、ローガンは心の中でそう呟く。果たして彼女にこのまま指揮を任せて大丈夫なのか、やや不安に思えたが、失敗したらその時はその時で、その時は白狼騎士団の本隊に彼女の尻拭いを頼めばいい、と割り切って、その場を静かに立ち去って行った。

2.1. 獣道の夜

 こうして、急遽結成された四人の潜入部隊は、軍から支給された馬に乗り、ヒュトラン村へと向かうことになった。と言っても、正規の街道経由では相当な遠回りとなるため、最短距離となる(殆ど整備されていない)獣道を強行することになったので、その途中には宿場町もない以上、夜は野営を強いられる。
 この場合、当然、夜中には山賊や魔物が現れる可能性もあるので、無防備のまま熟睡する訳にはいかない。そこで、ひとまず男性陣(アマル、ラーテン)と女性陣(レイン、メア)に分かれて、交代で見張りをすることになった。
 そして、まず「早番」として男性陣が見張りをしていると、遠方から魔物の気配を感じる。アマルはライカンスロープとしての獣の本能で、ラーテンは静動魔法師として鍛え抜かれた感性で、その正体が「ゴブリン」と呼ばれるティル・ナ・ノーグ界の投影体であることを理解する。一体だけなら彼等二人で十分対処出来る相手だが、どうやら相当な数がこちらを狙っているらしい。しかも、そのうちの一体に関しては、明かりかに通常のゴブリンとは異なる「強大なオーラ」を放っているようにラーテンには感じられた。
 彼等は、お気に入りの猫の抱き枕を抱えて寝ているレインと、主から貰った質素なマントに包まって寝ていたメアを慌てて揺り起こす。

「んー、なにー? ゴブリン? それくらい、あんた達だけでどうにかならないのー? あ、メアちゃん、これあげるねー」
「いや、数が尋常じゃないんだって。しかも、その中の一体は、ちょっとヤバい奴っぽいぞ」

 寝ぼけた状態で抱き枕をメアに渡そうとしたレインであったが、ラーテンからそう聞かされて、すぐに戦闘態勢を整える。
 こうして、彼等の前に現れたゴブリン達であったが、レイン達がギリギリの間合いで敵の動きを見計らっていると、まずラーテンが一歩踏み出し、自らの魔法の射程範囲内に敵を捕えたところで、開いていた左手の掌を強く握りしめる。すると、ゴブリン達の中の一体が、急にもがき苦しみ始めた。敵の身体や臓器の一部を遠距離から握りしめる静動魔法「フォースグリップ」である。
 得体の知れない攻撃に動揺したのか、ゴブリン達が一斉にそのラーテンへと襲いかかる。しかし、彼等の刃が届く前に、他の三人が割って入った。暗闇から繰り出されるメアのダガーの一閃、獣化したアマルの爪と牙、そしてレインのギター状武器から伸びる弦を用いた攻撃によって、次々とゴブリンは倒れていく。異様なオーラを放っていたゴブリンも、彼等の攻撃によって為す術もなくその場に崩れ落ちた。
 しかし、それでも敵の数は膨大であり、レイン達も無傷ではいれらない。ゴブリン達の剣に塗られていた毒の効果もあり、彼女達も相応の負傷を強いられることになったが、それでもどうにか撃退に成功する。最終的には一部のゴブリンは逃亡することになったが、彼等もそれを深追いしようとはしなかった。ラーテンの「フォースグリップ」をもう一度使えば、逃亡するゴブリンに止めを刺すことも出来なくはなかったが、魔力を大量に消耗する上に、そのような行為は彼の「美学」に反することでもあった(このような「こだわり」もまた、彼が魔法師として異端視されていた要因でもある)。
 ただ、そのゴブリンが向かった先に、奇妙な人影がいたことに、ラーテンとレインは気付く。しかも、暗闇であったにも関わらず、その人物の瞳の色だけは、はっきりと見えた。それは、左目が黒で右目が金色のヘテロクロミアである。そのことを皆に告げた二人であったが、そのような人物に心当たりがある筈のアマルは、何も言わなかった。彼の中では、恩人であるシアンが自分と敵対するような状況など全く想定していなかったので、(極めて珍しい特徴であるにも関わらず)イメージが繋がらなかったのである。
 こうして、「対ヒュトラン潜入隊」としての最初の夜は、波乱含みながらも、どうにか無事に乗り切ることが出来たのであった。

2.2. ドラグーンの戦旗

 翌日、レイン達はやや疲れた身体に鞭打って、予定通りにこの日のうちにヒュトラン村に着けるよう、馬を走らせる。そして、どうにかヒュトラン村まであと一息、という距離まで近付いた所で、その獣道からやや外れた場所で、誰かが戦っているような物音が聞こえてきた。彼女達が気になってそちらに向かうと、そこにいたのは、数人の武装した人々と、彼等と戦う三体の巨大かつ凶暴な熊の投影体「バグベア」の姿であった。
 そして、その武装集団の中核にいたのは、海岸で倒れていたレインを助けた、あの「黒髪の女騎士」だったのである。しかも、彼女は聖印の力で具現化させた「戦旗(フラッグ)」を掲げていた。戦旗とは、一定以上の規模の実力を持つ君主だけが生み出すことが出来る精神の結晶体である。彼女が掲げていたのはその中でも「ドラグーン」と呼ばれる戦旗であり、由緒正しい血筋の者達によって生み出されることが多く、その戦旗の下で戦う部下達の身体能力を一時的に向上させることが出来るという。
 少なくとも、レインには、まだそのような戦旗を生み出せるほどの実力はない。つまり、彼女は明らかにレインよりも格上の騎士ということである。しかし、レインにとっては、そんなことはどうでもいい話であった。それより何より、まず、目の前で「命の恩人」が戦っているという状況自体が、彼女にとっては一大事である。

「あれは、あの時の…………、みんな、助けに行くよ!」

 そう言って駆けて行こうとするレインを、ラーテンが止める。

「おい、ちょっと待てよ。あれって、旧子爵派の反乱軍じゃないのか?」

 その武装集団の装備は、ダン・ディオード体制になった後の「実用性の高い鎧」ではなく、どちらかと言えば見た目重視の「華美で装飾の多い鎧」である(そのような使い勝手の悪い鎧でも、通常の鎧と同じように戦えていることこそが、まさにドラグーンの戦旗の効果の賜物でもある)。そして、そのことはアマルにもメアにも分かっていた。

「そんなこと、どうでもいいじゃない。今、目の前で混沌と戦ってるのよ。助けなきゃ!」

 反乱軍への助力を堂々と口にする彼女に対して、メアは無言で睨みつける。ダン・ディオードへの忠誠心の強い彼女にとって、この発言は聞き捨てならない。だが、そんな空気を察したのか、レインは三人に協力を得るために、異なる角度からの説得を試みる。

「みんな、今回の任務は何? 敵の動きを探ることでしょ? だったら、ここはあの人達を助けて、話を聞く機会を作るべきじゃないの?」

 そう言われると、他の三人も納得せざるを得ない。ただ、実際にはレインが白狼騎士団の一員だということを「黒髪の女騎士」は既に知っているので、この作戦にはそもそも最初から大きな欠陥があるのだが、そんなことをこの三人が知る筈もない。
 こうして、彼等四人がバグベアの後方から参戦し、不意をつかれたバグベアの一体は、あっさりとその場に倒れ込む。そして、残り二体も「反乱軍と思しき武装集団」によって無事に撃破されたことで、白昼堂々と現れた強大な混沌の脅威は、無事に浄化されることになったのであった。

2.3. 旧子爵家の血統

「ありがとう、あんた達のお陰で、助かったよ」

 武装集団の人々は、レイン達に向かって素直にそう賛辞を述べるが、そんな中、レインの姿を確認した「黒髪の女騎士」は驚きと動揺の表情を浮かべる。だが、そんなことはおかまい無しに、レインは彼女に向かって一目散に走り寄ってきた。

「このあいだは、本当に、ありがとう。やっとお礼が言えたわ!」
「あ、う、うん……、元気そうで、何よりね……」

 明らかに温度差が異なる二人の再会に対して、周囲の人々は首を傾げる。

「ミリア様、お知り合いなのですか?」

 「ミリア」という名を聞いて、アマルとメアは表情を一変させる。「ミリア・カークランド」とは、ダン・ディオードのかつての妻ロレインの、歳の離れた妹の名である。ダン・ディオードによる聖印奪取の後、その正統性に異を唱える旧子爵派の武装集団の指導者の一人として、アントリア軍の中では最重要レベルの「お尋ね者」扱いとなっている人物の一人である。状況的に考えても、おそらく彼女がそのミリア・カークランド本人である可能性は高い(影武者の可能性もあるが、ドラグーンの戦旗を生み出せるほどの騎士が、そう何人もいるとは考えにくい)。

「あ、ミリアって言うんだ。うん、私とミリアは友達なの。そうよね?」

 聞かれたミリアではなく、レインが勝手にそう答える。彼女の中では「命の恩人」は自動的に「友達」扱いになるらしい。もし、レインがただの「流浪の騎士」なら、ミリアも笑顔でそれに同意したかもしれない。だが、ダン・ディオードに味方する白狼騎士団の一員にそう言われても、彼女としてはそれを素直に受け入れ難い。しかし、今のこの「相手が自分の『正体』に気付いているかどうかもよく分からない状況」で、それを真っ向から否定する訳にもいかないという、非常に困った表情を浮かべる。

「私はレイン。この世界にLOVE&PEACEを届けるために歌い続ける、旅の冒険者よ!」

 そう言って、彼女は手持ちの変型ギターの弦を奏でながら歌い始める。ブレトランドではあまり聞いたことのない楽器と曲調に周囲の人々は戸惑いながらも、やがて彼女の演奏と歌声に次々と魅了されていく。自分達を助けてくれた女騎士が、目の前で突然独奏会を始めるという、なんとも奇妙な状況であったが、ミリア以外の武装集団の人々は、素直に彼女のペースに巻き込まれていた。
 そんな中、ミリアはレインの後ろにいたメアの姿を見て、レインの時以上に激しい驚愕の表情を浮かべ、そして大声で叫ぶ。

「マリア!? あなた、マリアよね? 生きてたの? というか、どうしてそこにいるの?」

 いきなりそう呼ばれたメアは、つい先刻のミリア以上の困惑の表情を浮かべる。

「ちょっと、何言ってるの? 彼女はメアちゃんよ、メ・ア・ちゃ・ん」

 リアクションに困っていたメアとの間に割って入るように、レインが演奏を中止して口を挟む。メアも混乱した状態のままそれに同意すると、ミリアは少し落ち着きを取り戻し、自分に言い聞かせるように呟く。

「あ、う、うん、そうよね。マリアが生きてる訳ないわよね。ごめんなさいね、私の『死んだ妹』によく似ていたものだから……」

 そう言われたメアは、更に困惑した表情を浮かべる。自分には、確かに過去の記憶がない。もし、この女性が「ミリア・カークランド」で、自分がその妹なのだとしたら…………、これまでの自分の人生そのものを引っくり返しかねない状況である。当然、それを裏付ける証拠は何もないし、信じるべき理由もない。だが、それでも、自分がこの上なく動揺していることは、嫌でも実感せざるを得なかった。
 そんな諸々の混乱の傍らで、ラーテンが彼女達から話を聞いてみたところ、この武装集団は「自主的に混沌圏の拡大を防ぐために戦っている自警団的な存在」であるとミリアは説明する。この先のヒュトランの村とは繋がりが深く、基本的には村と混沌圏の間の平原で野営しているらしい。
 彼女達が本当に「ただの自警団」なのかどうかはともかく、この近辺を中心に活動しているのであれば、当然、レイン達の本来の任務とも関わってくる。

「ところであんた、この辺りにある『武神像』について、何か知っていることはないか?」

 アマルがそう言ってミリアに探りを入れると、彼女は首を傾げながら答える。

「さぁ……、そういう物があるということくらいしか……」

 しかし、アマルはその動物的な嗅覚から、明らかに彼女の口調に違和感を感じる。だが、この状況で彼女を追求しても口を割らないことは彼にも察しがついていたこともあり、それ以上は何も言わなかった。
 そして、このまま彼女達に同行して野営地までの同行を希望するのも不自然ということもあり、ひとまず彼等はミリア達とは分かれて、当初の予定通り、ヒュトラン村へと向かうことになる。

2.4. 二つの「再会」

 こうして、二日目の夕刻にようやくヒュトラン村へと辿り着いた彼等は、ひとまず村の小さな宿屋の部屋を確保した上で、村の人々から話を聞こうと試みる。
 そんな中、ラーテンは村の市場で、見覚えのある人物を見かける。彼の元契約者のサイロットである。「あの日の敗戦」でスウォンジフォートを去って以来、全く連絡も取っていなかった彼が、数人の男達を引き連れて、大量の野菜を買い込んで歩いていたのである。思わず彼の前に飛び出したラーテンに対して、サイロットも驚愕の声を上げる。

「ラーテン? なぜここに!?」

 ラーテンにしてみれば「こっちの台詞」である。無論、騎士をやめた彼が、田舎の村で一般村民として普通の人生を歩んでいてもおかしくない訳だが、自分の赴任先でその姿を見れば、「理由のない違和感」を感じるのも無理はない。

「いや、まぁ、ちょっと調査任務があってさ。そういうアンタは?」
「俺は…………、その、あの、なんだ、運び屋を始めてな、うん」

 サイロットはやや狼狽した様子でそう答えるが、彼の後ろにいた人々が「運び屋」という単語に対して明確に首を傾げていたので、何かを隠していることはすぐに分かる。そのままごまかして立ち去ろうとするサイロットに対して、ラーテンが雑談を続けながら彼に食い下がろうとするが、その傍らで今度はアマルが、全く別の方向に向かって歩き出した。

「アイン? お前、アインだよな?」

 そう言って彼は、群衆の中にいた一人の青年に声をかけ、そちらに向かう。どうやら彼もまた、知人を発見したらしい。

「ちょ、ちょっと、二人とも、どこ行くのよ?」

 そう言ってレインが止めるのを無視して、二人が勝手に歩き出したので、ひとまず女性陣も二手に分かれて、レインはアマルに、メアはラーテンに、それぞれ同行することになった。

2.5. 「自警団」の正体

 大量の野菜を手にしたサイロットは、その野菜の運び先を言わないまま、街の外へと向かって歩き続ける。なんとか会話を切り上げようとする彼であったが、ラーテンは何かを聞き出そうと執拗に食い下がり、なかなか話は終わらない。ひとまず、部下と思しき者達に荷物を預けて先に行かせた上で、街の片隅でしばらく会話を続けたが、どうしても口を割ろうとしないサイロットに根負けし、最終的にはラーテンの方から話を終わらせる。

「それじゃあ、また、何かあった時にはよろしく」
「あぁ、元気でな」

 そんな社交辞令的な会話を交わしつつ、一度は諦めたフリをしたラーテンであるが、サイロットが向かった先が、明らかにミリア達の言っていた駐屯地の方角だったこともあり、どうしても彼への疑惑は消えない。そこで、隠密諜報のスペシャリストであるメアに彼の尾行を頼んだ上で、ラーテン自身はレイン達に状況を伝えるために、ひとまず宿屋へと戻ることにした。
 そして、シャドウであるメアの尾行に、騎士としての訓練しか受けていない(しかも、その力すらも既に失った)サイロットが気付ける筈もない。ラーテンの追求をかわして安堵した彼が向かった先は、予想通り、ミリア達の駐屯地であった。そこでは、先刻までサイロットと一緒にいた男達が、鍋で野菜を煮込んでいた。どうやら彼等はこの武装集団の一員で、村に食料の買い出しに行っていたらしい。つまり、サイロットもまたミリアの仲間であることは、これで完全に確定したと言えよう。
 そんな中、そのミリアは側近と思しき人々と深刻な表情で会話を交わしている。

「ミリア様、あの少女は、やはりマリア様なのでは?」
「確かに、あの子が生きていて成長していたら、あれくらいの年頃の筈。でも、彼女と一緒にいた銀髪の女騎士は、前に会った時に『白狼騎士団の一員』だと言っていた。だとしたら、彼等はダン・ディオード側の人間ということになるわ。もし仮にマリアが生きていたとしても、姉さんの仇である彼等に加担するなんて、ありえない」

 ここでようやく、「レインが既にミリアに正体をバラしていた」という事実をメアは知ることになる。だが、そのことに驚く以上に、彼女達が自分のことを「ミリアの妹のマリア」である可能性を真剣に考慮していることの方が、彼女個人の中では大きな問題であった。
 しかも、この会話の内容から察するに、やはりこの「黒髪の女騎士」の正体は「先代アントリア子爵(ダン・ディオードの元妻)の妹のミリア・カークランド」であり、この武装集団が旧子爵派の反乱軍であることはほぼ間違いない。ということは、彼女達の予想が正しければ、自分もまたその「旧子爵家」の血を継ぐ者である、ということになる。しかし、ダン・ディオードへの恩義と忠誠心を自らのアイデンティティとして生きて来た彼女にとって、その推論はどうしても受け入れ難い内容であった。

「それにしても、あの銀髪の女騎士、何を考えているのか分からない。私に正体が知られているにも関わらず、堂々と私の前に現れるということは、我々の正体には気付いていないのか? それとも、油断させるために知らないフリをしているだけなのか?」
「仮にあの時点で気付いていなかったとしても、彼等が武神像のことを嗅ぎ回っているなら、時間の問題でしょう。計画を早めた方がいいのかもしれません」
「そうなると、シアン殿にも意向を確認する必要があるな」

 メアには「シアン」という名に心当たりはない。だが、何らかの協力者であることは分かる。いずれにせよ、彼等もこちらの動きが警戒し始めているということは分かったので、ひとまずレイン達と合流するため、彼等のアジトを後にした。

2.6. 「武神像」の正体

 一方、市場で彼等と分かれたアマルは、レインと共に、市場で見かけた一人の青年に声をかけていた。アマルの記憶が間違いなければ、彼はアマルと同じマージャ村の「鍛冶屋の息子のアイン」の筈である。

「お前、アマルか? いつ、この村に?」

 どうやら、見間違いではなかったらしい。彼はマージャ村が混沌に侵されて居住不可能となった後、このヒュトラン村に移り住み、今はこの村の鍛冶屋で徒弟として働いているという。この村や近隣の村には、彼の他にも何人も難民となった同郷の人々が住んでいるらしい。
 アマルは「自分がアントリアの軍隊に入って活動していること」を告げた上で、この村で「武神像」について詳しい人物がいないかと尋ねたところ、この地域の故事について詳しい「長老」の家の場所をアインから聞き出すことに成功する。その後、一旦宿屋に戻り、ラーテンとメアにその場所を記した置き手紙を残した上で、その「長老」の家へと向かうことにした。
 それは、村の外れにある小さな家であった。その中にいたのは、確かに「長老」と呼ばれるに相応しい雰囲気を漂わせた白髪の老人である。レインが彼に武神像のことを尋ねたところ、怪訝そうな顔をしながら、「長老」は逆に彼女に対して質問を投げかける。

「お主、このブレトランドの者ではないな。武神像の話を聞いた上で、どうしたい?」

 すると、レインは意外な答えを返す。

「『歌』にしたいと思います」
「なるほど、異国の吟遊詩人か……。それはそれで面白いかもしれんな。『彼等』の物語は、この国の人々以外にも伝えて欲しい」

 どこか嬉しそうな顔をしながら、その長老はこの村の、というより、このブレトランド小大陸全体の起源に関わる伝説について、語り始める。曰く、彼はかつて先々代のアントリア子爵(つまり、ロレインやミリアの母)に仕えていた魔法師で、それ故に旧子爵家に伝わる伝承にも深く精通しているらしい。それはすなわち、現在のミリアを初めとする反乱軍とも繋がりがある可能性が高いということでもあったが、ひとまず情報を得るために、二人は黙って彼の話に聞き入ることにする。

「あの武神像の正体は、英雄王エルムンド様と共に戦った七人の騎士の一人、ブレーヴェ様じゃ」

 英雄王エルムンドとは、約四百年前にブレトランドを混沌の支配から解放した人物であり、その後のヴァレフール伯爵家、トランガーヌ子爵家、そしてアントリア子爵家の祖先となった、この小大陸の最初にして(今のところ)最期の「王」である。彼には七人の騎士が付き従っていたが、彼等はいずれも混沌との戦いの中で強大な混沌核に触れてしまい、「異界の魔物(投影体)」の姿に変わってしまったのだという。
 その「七人の騎士」の一人であったブレーヴェは、その中でもまだ比較的人間の姿に近い、グランフィルム(大映)界の『人型の魔物』の姿となったが、他の方々は、より面妖かつ巨大な怪物の姿へと変わってしまったらしい。それでも彼等はかろうじて『人』としての意識を保ち、異形の姿となってもなおエルムンドを支え続けたが、そのエルムンドが死を悟った段階で、(彼がいなくなることで、己の理性を保てなくなる可能性を考慮して)それぞれ自らの意志で、このブレトランドの各地に封印されることになったという。

「ブレーヴェ様は、エルムンド様の娘である聖女ソニア様からの信望が厚かった。それ故に、封印される直前に『ソニア様の末裔が危機に陥った時には、必ずや蘇ってお助けする』と約束された上で、銅像のような姿となり、あの地で眠り続けることになったという」

 「聖女ソニア」とは、初代アントリア子爵の名である。つまり、彼女の末裔ということは、旧子爵家の末裔であるミリアも当然、その一人ということになる。もし、その伝説が本当なら、確かに今、ダン・ディオードの「裏切り」によって国を奪われたミリアのために、再び立ち上がってもおかしくはない。
 だが、そのブレーヴェが「武神像」として封印されている地も、今は混沌に侵され、そう易々と入ることは出来ない。そこで、ミリアはあの地の混沌を除去する力を得るために、各地を回って混沌核を浄化・吸収しつつ、生き残っていた旧臣達の聖印を譲り受けることで、現在では準子爵に匹敵するほどの強力な聖印の力を得て、遂にあの地の混沌の浄化を開始したらしい。このまま彼女が浄化活動を続けていけば、やがてマージャ村近辺の混沌は一掃される可能性が高い、と長老は考えているようである。
 ちなみに、ブレーヴェを蘇らせるための具体的な方法や条件については、明確に伝えられていないらしい。だが、「聖女の末裔が目の前で祈りを捧げること」が鍵になると言われている。つまり、このままミリア達による浄化活動が進んで行けば、いずれはブレーヴェが彼女の従者として蘇る可能性は十分にある。それが果たしてどれほど強力な存在なのかは、まだ不明である。しかし、いずれにせよその復活を阻止するのがレイン達に課せられた使命である以上、何らかの形で手を打つ必要がある。しかし、ミリアに助けられた恩があるレインにとっても、マージャ村の解放を目指すアマルにとっても、今の彼女達の活動を妨害するのは、あまり心地良い任務とは言えなかった。

2.7. 「シアン」の正体

 こうして、レインとアマルが複雑な表情で長老の話を聞き込んでいると、そこに『意外な人物』が尋ねてくる。

「爺さん、この間、頼まれてた代物なんだが……」

 そう言って入ってきたのは、左右の目の色が異なる、奇妙な風貌の魔法師だった。その姿を見た瞬間、思わずアマルが声を上げる。

「ウーレンさん!?」
「おぉ、お前さんは、あの時の。どうした? こんなところで」

 そう、それは間違いなく、彼に邪紋を刻み付けた魔法師、シアン・ウーレンである。そして彼の瞳を見た時、レインは、彼が昨夜の「ゴブリンを率いていた男」であることを確信する。

「あなた、昨日の夜、あのゴブリン達を……」
「おや、見られていたか。そう、あれは私の最新作だったのだが、残念ながら君達には全く通用しなかったようだね。やはり、上半身の強化だけでなく、下半身もバランス良く強化して機敏性を持たせないと、実戦では使えそうにないな」

 いけしゃあしゃあと、訳の分からない話を口にしている彼に対して、どこからツッコむべきかとレインが悩んでいると、そこに今度は、置き手紙を見てやってきたラーテン、そして更に遅れてメアが、長老の家に到着する。シアンは、自分の目の前で互いの情報を交換する彼等を見ながら、アマル以外の三人が露骨に自分に対して不審の目を向けているのを感じ取る。

「うーむ、さすがに、この狭い空間で『4対1』はキツいかな」
「儂の家を血で汚すのは、勘弁してくれんかのう」

 物騒な話を口にしたシアンに対して、長老がそう釘を刺すと、シアンは軽く諦めたような、それでいてどこか軽く笑みを浮かべたような表情で、レイン達に向かってこう告げる。

「もうお察しかもしれないが、私は『パンドラ』の人間だ」

 「パンドラ」とは、一般には「混沌崇拝者」と呼ばれる人々の集団である。より具体的に言えば、混沌をこの世から無くそうとする君主や、その君主をサポートするエーラムの魔法学院とは対照的に、この世界における混沌の必要性を強く主張する人々の集団、ということになるのだが、実際のところ、その目的・主張はパンドラ内でもバラバラで、様々な考えの人間が混在している、と彼は言う。

「私はただ、混沌の研究がしたいのさ。混沌には無限の可能性がある。それを突き詰めたい。だから、混沌の消滅をもたらす皇帝聖印(グランクレスト)の出現を阻止する。それがパンドラに入った理由さ。混沌は確かに脅威だが、使いこなせば有益な道具になる。それは、君もよく分かっているだろう?」

 そう言って彼がアマルに語りかけると、彼は「勿論です」と強く頷く。どうやら、アマルは今でも、自分に力を授けてくれた彼に対して絶大な信頼を抱いているらしい。それはもはや、「恩義」という次元を超えて「崇拝」に近いレベルの強固な感情であった。

「さて、そんな我々パンドラにとって、このブレトランドで一番倒すべき相手は誰だと思う?」

 そう問われたレインであったが、ブレトランドのことをよく知らない彼女としては、なかなか答えにくい。ただ、皇帝聖印の出現を阻止することが目的ならば、必然的に「強い君主」こそが彼等にとっての「敵」と考えるのが自然であろう。

「ダン・ディオードか、それとも、ヴァレフール伯?」
「そう、中でも特に問題なのは、ダン・ディオードだ。あの器量ならば、ブレトランドの統一どころか、いずれは皇帝聖印をも目指してもおかしくない。つまり、パンドラにとっては非常に厄介な存在なのだよ。だから、彼を倒して、ブレトランドを元の三国鼎立体制に戻そうとするミリア嬢と利害が一致したのさ」

 つまり、現在のミリア達反乱軍の活動の背後には、パンドラの支援がある、とのことである。ただ、彼女がブレーヴェを復活させようとすることに対しては、パンドラ内でも意見が分かれているらしい。
 もし、彼女がブレーヴェを制御しきれずに、理性を失って純粋な投影体として暴走させてしまうなら、それはそれで結果的に混沌の勢力は広がり、ブレトランドの混沌は今後も維持されることになるので、パンドラとしては望むべき未来が広がる。
 だが、彼女がブレーヴェを完全に制御してしまった場合、彼女が『第二のダン・ディオード』になりかねない。今はブレトランド統一など望んでいないようだが、力を手に入れた人間は、どう変わるか分からない。それに、仮に旧来の三国鼎立体制に戻ったとしても、彼女がその力を用いて、ブレトランド中の混沌を浄化してしまうかもしれない。それはパンドラにとって最も絶望的な未来だ。
 しかし、こうした反対意見に対して、シアンは全く別の見解を有しているという。

「私は純粋に、古(いにしえ)の騎士が蘇る姿を、この目で見てみたい」

 つまり、パンドラとしての目的や世界の趨勢などとは無関係に、純粋な研究者としての知的好奇心で、ブレーヴェの復活に手を貸そうとしている、ということである。おそらく、昨夜の「強化ゴブリン」にしても、(レイン達を襲わせたのが、偶然なのか計画的だったのかは不明だが)純粋に興味本位で生み出しただけの存在なのだろう。社会的な正義とも悪とも無関係に、ただひたすらに「智」のみを行動原理とする、ある意味で最も純粋な魔法師、それが彼であった。

「それに、もし彼女が蘇らせた武神像があまりにも強力すぎる場合は、他の六人の『古の騎士』のいずれかをダン・ディオードに与えることで、バランスを取るという戦略もある。実際、その目星も既にいくつか立っているようだしな。まぁ、最悪、仮にこのブレトランドから全ての混沌が消えてしまったとしても、今度は大陸に行って、別の混沌を調査すればいいだけの話だ。私にとっては、私自身も含めた、この世界の全てが実験道具。そこまで、この小さな国にこだわるつもりないよ」

 もはや言っていることのスケールが大きすぎて、どこまで本気で語っているのかもよく分からない。そんな壮大な放言の後に、彼は改めて、今度はピンポイントにアマルに向けて語り始める。

「さて、君の望みは何だい? 故郷の解放だろう? ならば、ここは彼女に協力して、この地を浄化させた方が得策ではないか? 彼女の目的達成のためには、この地の浄化は必須条件だから、間違いなく君の望みを叶えてくれる筈。逆に言えば、このままダン・ディオードに仕えていたところで、君の故郷の解放はいつになるか、分かったものではないよ」

 そう言われたアマルは、しばらく黙り込む。故郷の解放という観点だけでなく、そもそも彼自身の個人的な感情として、シアン・ウーレンとは戦いたくない。だから、彼が反乱軍に協力する立場にいることが分かった以上、今回の作戦には協力し難いというのが今の彼の本音である。
 一方、いきなり目の前で仲間を引き抜かれようとしているレインとしては、「恩人」であり「友人」でもあるミリアに協力したい気持ちがない訳ではないが、さすがに今回の作戦の指揮官として、この状況に黙っている訳にはいかない。とりあえず、シアンにはこの件から手を引いてもらうように促そうとするが、彼にそれを受け入れさせるだけの誘因が見つからないのが現状であった。

2.8. 「メア」の正体

 そんな中、一番最期に到着したが故に部屋の隅に立っていたメアに対して、長老がおもむろに口を開く。

「思い出しましたぞ! あなたは、マリア様ですな? そんな姿をしても、私の目はごまかせませぬ」

 そう言われて、思い出したくない疑惑を再び突き付けられたメアは、激しく動揺する。長老曰く、先々代アントリア子爵の末娘のマリアは、数年前に旧子爵一家がコートウェルズ島の君主を表敬訪問した際に、乗っていた馬車が運悪く遭遇した現地の龍の攻撃を受けた時に馬車の外へ投げ出され、そのまま行方不明となったらしい。その時、まだ現役だった彼もその馬車に同乗しており、彼女を守れなかったことが、彼の引退を決意させる原因になったという。
 しかし、そう言われたところで、メアとしてはその話をそのまま鵜呑みにすることは出来ない。もしかしたら、そのコートウェルズでの恐怖体験が記憶を失う原因だったのでは、とも考えられるが、それならばなぜ、その状態から邪紋使いとなり、そしてアントリア領内でダン・ディオードに拾われることになったのか、その間の過程の説明がつかない。
 すると、その二人の会話に割って入ったのは、シアン・ウーレンであった。

「君の記憶が無くなったのは、龍の攻撃による恐怖が原因ではなくて、何らかの魔法の力で消されたのではないかな。このアントリアでそれが出来るとしたら、ローガン・セコイアくらいのものだと思うが」

 確かに、ダン・ディオードに拾われたという状況から考えても、彼の側近であるローガンが絡んでいる可能性は大いにある。その上でシアンは、その「消された記憶」をもう一度呼び起こすことも可能だと言い切った。たった今、ローガンのことを「このアントリアで一番の魔法師」と認めていた彼がそう言うということは、自分はそのローガンよりも更に格上だと宣言しているのと同義である。
 果たしてこの男の言うことが、どこまで信用出来るのかはさっぱり分からない。しかし、少なくとも今のモヤモヤした心境のままでは、まともに任務を遂行するのも難しい。散々悩んだ結果、彼女はシアンに依頼して、自らの記憶を呼び戻してもらうことを決意する。

「分かった。では、こっちに来てくれ」

 そう言うと、シアンは彼女の額に掌を当てて、呪文を詠唱し始める。一瞬、今までに感じたことのない奇妙な感覚に捉われたメアであったが、その直後、全ての記憶が彼女の中でフラッシュバックする。

 ******

 彼女の名はマリア。アントリア子爵令嬢である。その日、彼女は両親と、三人の姉と共に、ブレトランドの北に位置するコートウェルズを訪れていた。この島は「龍」に支配されており、人々はその恐怖に怯えながら暮らしているが、それでも果敢に立ち向かい続ける人々もいる。狭い海峡を隔てた隣国であるアントリアは昔から彼等を支援し、その龍の影響力がブレトランドへと拡大するのを防いでいた。アントリア子爵家に生まれた者として、このコートウェルズの君主達を助けることは、代々受け継がれてきた使命なのである。
 無論、非常に危険な島なので、渡航の際にはなるべく「龍が出現しない時期」を選んだ上で、常に多くの護衛を伴うのが慣例である。だが、この日は運悪く、いつもは龍が休眠期に入っている筈のタイミングで、新たに生まれた龍の子供達が暴れ回り始めていた。必死でアントリアへ帰還しようとした子爵一行であったが、彼等の乗っていた馬車が龍に襲われ、その時に破壊された扉の隙間から、まだ幼かったマリアが転げ落ちてしまったのである。
 一番歳が近かった姉のミリアは、自分も飛び出して助けようとしたが、同乗する人々に止められた。この状況下で馬車を止めれば、全員が龍の餌食になることは確実だったからである。また、それ以前の問題として、そもそも全力で走る馬車から放り出された衝撃に、幼いマリアの身体が耐えられるとも思えなかった。両親も家臣の人々も、断腸の想いで諦めざるを得なかったのである。
 しかし、馬車から放り出されたマリアは、転げ落ちた時の衝撃で瀕死の重症を負いながらも、奇跡的に生き延びていた。意識が遠のきつつあった彼女の身体に「混沌」が入り込み、彼女の身体を乗っ取ろうとしたその瞬間、彼女の強靭な「生きたい」という意志によって、逆にそれが彼女の身体に「邪紋」として取り込まれ、「シャドウ」の邪紋使いとして彼女は再生したのである。
 だが、コートウェルズの土地勘など全く持たない彼女は、そこで完全に道を見失い、誤って魔境へと足を踏み入れてしまう。シャドウとしての特性故に、なんとか魔物達から隠れて生き延びることは出来たものの、その魔境を脱出する術も分からぬまま、たった一人で数年間、魔境内に発生した得体の知れない木の実を食べながら生き続けることになったのである。
 その後、どうにか魔境からの脱出を果たし、コートウェルズの村を転々としながら路銀を貯めて、ようやくアントリアへと帰還したマリアであったが、その時には既に、祖国はダン・ディオードという得体の知れない男によって乗っ取られていた。姉を殺して爵位を奪ったと聞いて憤慨した彼女は、逃げ延びていた他の姉や家臣達を探すこともなく、たった一人で彼を暗殺しようとしたが、あっさりと返り討ちにあってしまう。
 生涯二度目となる瀕死の重傷を負い、朦朧とした意識の中で、今度こそ死を覚悟したその時、彼女が殺そうとした簒奪者ダン・ディオードは、彼女を見ながらこう言った。

「こいつ、いい目をしている。殺すには惜しいな。ローガン、こいつの記憶を消すことが出来るか?」
「雑作も無いことです」

 彼の傍らにいる魔法師がそう答えると、彼は満足そうに続けた。

「何者かは知らんが、俺の下で、この国の人々を混沌と悪習から解放する手助けをさせてやろう」

 彼がそう言ったのは聞こえていたが、それに対して反発出来るほどの気力すら、彼女には残っていなかった。その後、ゆっくりと意識が遠のいていく。そして、次に目が覚めた時、彼女の目の前に立っていたその男は、こう言ったのである。

「お前の名前は、今日からメアだ」

2.9. かりそめの結論

 こうして、メアは全ての記憶を取り戻した。だが、その結果、彼女の中のモヤモヤした感情は、晴れるどころか、より混迷を増した。自分がこれまで、生涯をかけて守ろうと誓っていた男は、自分の姉の仇で、自分が殺そうとした男だった。あの時、彼を殺そうとした記憶は、確かにある。だが、それと同時に、彼を守り続けたいという気持ちも、今でも存在している。彼女のダン・ディオードへの忠誠心は、魔法による洗脳ではない。「まっさらの状態の自分」が、(実質的には他に選択肢が無かったとはいえ)自らの意志で選んだ道だったのである。果たして、どちらが本当の自分なのか、二つの異なるアイデンティティの狭間で、彼女は悩み苦しみ始める。
 そして当然、その傍らでは他の三人もまた、自分の立場を巡って揺らぎ始めている。アマルはシアンと敵対するくらいなら、彼と共に反乱軍に協力してもいいと考えている。レインはそれを止めようとしているが、彼女自身も本音では「友達」であるミリアと戦いたくはない。ラーテンは姉への恩義がある以上、ここで離反するという選択肢は有り得ないし、そもそもパンドラが協力している時点で、学院の生徒としても彼等を討つ大義はある。だが、敵の陣営にサイロットがいる状態では戦意が削がれるのもまた事実であるし、それと同時に、一人の魔法師として「ミリア・カークランド」という君主にも興味を持ち始めていた。
 そんな中、今度はその「渦中の人物」がこの長老の家を訪れることになる。

「シアン殿、こちらにおられるか?」

 旧子爵派の反乱軍の首謀者、ミリア・カークランドである。

「ミリアちゃん?」
「な、なぜあなた達がここに……?」

 ミリアの狼狽した声を聞いて、彼女の後ろから「護衛の男」が割って入ってきた。その見慣れた顔を見て、ラーテンが叫ぶ。

「サイロット!」

 もはや隠し立てしても無駄と考えた元騎士は、元相方に向かって、決意の表情で言い放つ。

「俺は第二の人生について、色々と考えた、しかし、俺にはやはり、戦うことしか出来ない。騎士である以前に、俺は戦士でありたいんだ」

 そう言いながら、彼は右腕の袖をまくり、そこに刻まれた「邪紋」を見せつける(下図)。


「……騎士としての誇りも捨てたというのか!?」
「これしかなかったんだ。俺が戦う力を取り戻すには。だから、俺はシアン殿に依頼した。アントリアの戦士として、俺をもう一度拾ってくれた姫様を護る力を授けてくれ、と」

 彼はダン・ディオードの簒奪以前からのアントリアの騎士である。当然、旧子爵家には思い入れがある。そんな彼が、旅先で旧子爵家の末裔であるミリアと出会ったのである。彼女のために戦いたいと考えるのも必然であろう。つい先日まで仕えていたダン・ディオードに弓引くことに疑念が全く無かった訳ではなかったが、もう一度生まれ変わって「戦士」として生きると決めた以上、もはや彼には迷いはなかった。

「頼む、ラーテン、ここは引いてくれ。お前はブレトニア人じゃない。俺にはアントリアのために死ぬ理由があるが、ここで俺とお前が戦う理由は何もない。今からでも、エーラムに帰ればいい。俺がロードでなくなった以上、お前はもう自由の身なのだから」

 それはそれで「一つの正論」ではあるが、だからと言って、姉が自分の汚名返上のために準備してくれた任務を、そう簡単に放棄する訳にもいかない。
 こうして、皆がそれぞれに困惑している状況の中、一通り事態を把握したミリアが、レイン達四人に向かって訴えかける。先刻までの「村を守る自警団の長」としての社交辞令口調ではなく、「正統なるアントリア子爵家の仮当主」として、その座を奪った簒奪者ダン・ディオードに仕える彼等に対して、本気の形相で語り始めたのである。

「頼む、力を貸してほしい。このブレトランドの平和を取り戻すためには、ダン・ディオードは倒さなければならない。確かに、奴は政治家としては姉上よりも優秀だ。彼を支持する人々も少なくはないだろう。だが、奴の覇権主義に巻き込まれて、ヴァレフールとの果てない争いの中で、多くの民が苦しんでいるのも事実なんだ。私は、伝統的な三国鼎立体制が復活して、この小大陸に平和が戻るなら、アントリア子爵の座は誰に譲っても構わない。だが、ブレトランド統一の野望に取り憑かれたダン・ディオードにこの国を任せることだけは、絶対にあってはならない。そのために、ブレーヴェの復活に協力してくれないか」

 皆が、それぞれの心の中での葛藤に苦しんでいる中、しばしの沈黙を経て、四人を束ねる立場にあるレインが、ゆっくりと口を開く。

「分かった。ミリアちゃんとは仲良くする! そして、マリアちゃんとも、シアンさんとも、ダンとも、仲良くする!」

 この瞬間、彼女が何を言ってるのか、誰も理解出来なかった。ただ、彼女が「マリア」と言ったことで、「メアの正体」はミリアに伝わることになった。そのことにミリアが驚いているのを横目に、レインは更に語り続ける。

「武神像の復活には協力するわ。でも、その代わり、ダンとも話し合って。もうこれ以上、皆で喧嘩をするのはやめて」

 つまり、武神像を復活させた上で、ダン・ディオード派と旧子爵派との間での和平交渉を始める、ということである。白狼騎士団内の軍楽隊の隊長でしかないレインには、当然、そんなことを決める権限はない。そもそも、ダン・ディオード自身に彼女達との共存を望む気持ちがあるかどうかも分からない。だが、それでも、この状況において皆をまとめていくには、その前提の上で協力するしかない、というのが、彼女の出した結論であった。
 はっきり言って、無茶苦茶な主張である。しかし、少なくともメアには、今はこの提案に乗るしか無かった。実現可能性があろうが、無かろうが、今の自分の中にある「二つの信念」を共存させる道は、それしか無かったからである。故郷の解放とシアンへの協力を希望するアマルにとっても、この方針には何の異論もない。一方、ラーテンとしては、実質的に任務そのものを完全に放棄することになる以上、受け入れ難い方針ではあったが、だからと言って、ここでミリア達と戦うことが正しい選択肢であるとも思えず、消極的ながらも、その指針を受け入れることになる。
 こうして、彼等は「ダン・ディオード陣営」に留まりながらも、実質的には「旧子爵派」に協力しつつ、両者の和解を目指すという、この上なく厳しい難題に挑戦することになったのである。現実問題として、仮に両者が交渉のテーブルについてくれたとしても、決裂する可能性が高いことは皆が分かっている。そうなった時に、自分がどちらに協力するのか、という問題については棚上げしたまま、ひとまずはこの「かりそめの結論」に基づいた上で行動するしかない、というのが、この時点での全員の共通認識であった。

3.1. 「歌」の力

 こうして、ひとまず「一時的な協力関係」を結んだ両者は、それぞれに「武神像近辺の混沌の除去」に向けて動き始める。ミリア達はヒュトラン村の人々に協力を依頼し、レイン達は遅れてきた「本隊」に作戦を説明する必要があった。しかし、前者はともかく、後者はかなり難題である。ダン・ディオードの勅命の下でローガンが立てた方針を、現場の判断で180度転換させることになる以上、「謀反」と思われてもおかしくはない。
 だが、ここでレインがその「愛と平和の伝道師」としての本領を発揮する。彼女はヒュトラン村の近くに集まった四部隊の兵士達に対して、彼女の生み出した「歌」の力で、この作戦に協力することの大義を訴えかけたのである。

「ダン・ディオード派も、旧子爵派も、関係ないわ。みんなで仲良く平和に暮らすために、この地の混沌を除去するわよ! LOVE&PEACE!」

 騎士としての実績は乏しいが、楽士としてはカリスマ的な名声を誇る彼女の歌声に魅了され、兵士達はなし崩し的に今回の作戦に同意していくことになる。

「凄いわね、あの人。混沌の力でも、聖印の力でもない。彼女自身の持つ『人を動かす力』で、こんな簡単に兵達を納得させてしまうなんて」

 彼女の演奏と説得の様子を遠目に見ていたミリアは、静かにそう呟く。どうやら、自分が偶然助けてしまった「敵軍の将」は、想像以上の大物だったらしい、と思い始める。
 だが、レインの掲げる「理想」には部分的に共感しつつも、やはり、彼女の掲げる和平案が実現するとは信じ難い。だからこそ、「現実」を切り開く立場にあるミリアとしては、彼女達の善意を利用しつつも、自分を信じてついてきてくれた人々の期待に応えるために、自分は自分の信じる道を進むしかない、と心の中で言い聞かせていた。
 一方、そんな彼女の傍らに立つシアンも、一つ気がかりな点があった。それは「マリア」の存在である。古の騎士は、聖女ソニアの末裔のために戦うと言われているが、長老の話を聞く限り、その「末裔」は必ずしも「君主」である必要はないらしい。ということは、「マリア」にも古の騎士を動かす力がある、ということになる。

(もし、この二人が異なる願いを抱いた場合、武神像はどちらに味方するのだろうか……)

 本来の目的であるブレーヴェの復活の成功率を上げるためには、不安要素としてのマリアの存在は排除すべきである。だが、混沌を研究する者として、そうなった時にどうなるのかを確かめたい、という知的好奇心の方が、彼の中では強い。むしろ、マリアという想定外のイレギュラーな存在の出現により、事態がより「面白く」なってきたことを、純粋に楽しんでいた。こういった無責任な性分こそが、彼が「パンドラ」である所以なのだろう。

3.2. グラン・フィルムの投影体

 こうして、微妙に異なる思惑をそれぞれに抱きながら、ミリア軍とレイン軍の合同での混沌浄化作戦が開始される。混沌圏に足を踏み入れた彼等は、次々と現れる魔物達を除去しながら、数日がかりで着実に旧マージャ村の近辺を浄化することで、「足場」を確保していく。当初は、ティル・ナ・ノーグ界の投影体であるゴブリンや、ディアボロス界の投影体であるインプなど、比較的どこにでもいる下級の魔物が中心であったが、武神像に近付いて行くにつれて、徐々に「見たことのない投影体」が出現するようになる。
 黒頭巾・黒装束の剣豪、真っ赤な胴鎧の少年剣士、仕込み杖を用いる盲目の抜刀剣士、穴の空いた貨幣を投げつける十手使い、そんな奇妙な姿の「人型の投影体」達が、次々とミリア軍に襲いかかってきたのである。と言っても、「彼等」には何の悪意もない。今、ここに現れているのは、(武神像と同じ)グラン・フィルム界における英雄達の「断片」である。本来ならば、決して無益な殺人はしない筈の彼等であるが、その戦いに生きる者としての「戦闘本能」の部分だけが具現化する形で投影されてしまった結果、目の前に現れた(彼等の視点から見れば)「面妖な装束の怪人」達と戦うことしか考えられない状態になってしまっているのである。
 だが、彼等は個々の戦闘能力は高いものの、相互に連携する様子もなく、しかも全く見知らぬ土地での戦いを強いられていることもあり、ミリア軍の集団戦法によって、着実に一人ずつ仕留められていく。倒された彼等の身体は消滅するが、それはグラン・フィルム界における彼等の「本体」には何の影響もない。あくまでも、彼等の一部を複写した存在が消え去るだけである。無論、それは他の世界から投影されたゴブリンやインプなどの魔物に関しても同じことである。
 一方、レイン軍の目の前に現れたのは、上述の面々よりも更に厄介な存在であった。それは、個々としての戦闘能力は彼等よりも劣るものの、「集団」として投影された数十人もの「ローニン」と呼ばれる者達である(その中には、なぜか上述の抜刀剣士や十手使いと同じ顔の者もいた)。

「キラは!? キラはどこだ!?」
「おのれ、コーズケノスケ! 物の怪の世界へと我等を追いやったのか!?」

 そう叫びながら襲い来る彼らは、半ば狂乱したような表情を浮かべながらも「部隊」として統率された状態で戦っており、レイン軍の兵士達も苦戦を強いられる。だが、レインの奏でる変型ギターの音色と歌声に鼓舞される形で、四部隊が絶妙の間合いを保ちながらの連携攻撃を繰り返すことで、少しずつ敵の陣形を崩し、着実に一人ずつ葬っていくことに成功する。
 それでも、敵の総大将(上述の十手使いと同じ顔を持つ剣士)を中心とする最精鋭部隊の忍耐力は強靭で、なかなか致命傷を与えられない。レイン達も、なるべく早く決着をつけたいと考えてはいたが、この後でまだどれだけの敵が待ち受けているかも分からない状態ということもあって、この戦いで聖印の力や魔力を使い切ってしまってもいいのか、判断に迷っていたのである。こうして、レイン軍の戦いは徐々に持久戦へと持ち込まれようとしていた。

3.3. 聖女の魂

 そんな中、自らが率いる歩兵隊に次の攻撃を命じようとしていたメアの心に、どこからともなく「声」が聞こえてくる。

「その場を離れよ、聖女の末裔」

 その声の主が何者なのかは分からない。だが、本能的にそれが「従うべき声」であると察した彼女は、周囲の仲間達にそのことを伝える。その意図がよく分からないままレイン軍が散開すると、彼等の目の前に、異様な光景が飛び込んできた。人間の身体よりも遥かに巨大な一本の剣が、ローニン達に向かって振り下ろされたのである。その衝撃によって、必死の抵抗を続けていた彼等の身体は一瞬にして砕け散り、灰塵となって消えていく。そして、その剣の主は、身の丈数メートルはあると思われる、巨大な鎧武者であった。

「あれが、武神像…………」

 兵士達が、驚愕の表情でその光景を見つめる。どうやら、レイン軍がローニンを相手に苦戦を強いられている間に、ミリア軍が武神像の足下にまで辿り着き、彼女が祈りを捧げたことで、こうして動き出すようになったようである。ただ、子供の頃に何度かその武神像を見たことがあるアマルの記憶では、どちらかと言えば穏やかな雰囲気の無表情に近い顔だった筈なのだが、今、目の前に現れたそれは、明確に「怒り」の表情を浮かべている。おそらくは、これが「封印を解かれた武神像」の真の姿なのであろう。
 そんな中、その怒りの形相の武神像は、メアに対して語りかけた。

「聖女の末裔よ、お主は何を望む?」

 突然、そう問われて、メアが一瞬言葉に詰まっていると、武神像は更に語り続ける。

「もう一人の聖女の末裔は、我に『簒奪者ダン・ディオードを討ち取れ』と命じた。お前もそれを望むのか?」

 やはり、この武神像は、先に彼の許に到着したミリアによって、彼女の想いを実現するために蘇ったらしい。だが、そう言われたところで、レインが横から口を出す。

「討ち取る!? 話が違うじゃない!」

 レインの認識としては、武神像を復活させた後は、ダンとの和解の席を設けると約束した筈であった。しかし、ミリアは今の段階でそれが実現可能とは考えていない。ダンを交渉の場に引きずり出すためには、まず一度、彼を「絶体絶命の窮地」にまで追い込んだ後でなければ不可能であろう、と考えていたのである。無論、それでもダンが抗戦を選ぶなら、そのまま彼を討ち取ればいい。そこまで追い込んでもダンが平和を望まないのであれば、どちらにしても彼との共存など有り得ない、というのが彼女の認識であった。レインもミリアも、平和を望む女騎士という点では変わらない。だからこそ、ひとまずは「かりそめの共闘」を受け入れた。だが、その実現までに何が必要か、という認識が、根本的に異なっていたのである。
 そして、心情的にはどちらの考えも理解出来る立場にいるメアは、ゆっくりと口を開き、自らの想いを伝える。

「私は…………、ダン・ディオードと話し合いたいと思っています」

 今の彼女としては、やはり、ダンと戦うことは出来ない。かつては彼を憎んでいた。今でもその記憶は消えた訳ではない。しかし、彼に命を助けられた記憶も、彼を守っていくと誓った気持ちも、捨てることは出来ない。だからこそ、この武神像にダンを攻撃することを命じることは、少なくとも今の彼女にはどうしても出来なかったのである。レインの言っていることはただの理想論だと理性では分かっているが、それでも、今はその理想論にすがる以外に、自分のアイデンティティを保つ方法は見つからなかったのだ。
 彼女がそう告げると、武神像は振り上げていた剣を静かに下ろす。

「今、聖女の魂は二つに分かれている。その魂が一つとなった時、再び我の前に現れるがいい」

 そう言って、彼はゆっくりと、本来の「封印されていた場所」へと戻って行き、そして再び、「穏やかな無表情」を浮かべた「ただの銅像」の姿に戻ったのであった。

3.4. 残された課題

「マリア、どうして……? あなたは、分かってくれると信じていたのに……」

 再び銅像に戻った武神像の前で再会したミリアは、メアに対してそう問い詰める。だが、メアの困惑の表情を見るにつれ、今の彼女に何を言っても、自分の気持ちは伝わらないのだということを理解する。

「分かったわ。今のあなたの心がまだ混乱しているのなら、仕方ない。それなら、あなたが『本当の自分』を取り戻すまで、待つことにする」

 その言い分に対して、横からレインが口を出す。

「『本当の自分』って、何? メアちゃんはメアちゃんよ。記憶を失う前の『ダンを殺そうとしたマリアちゃん』も、記憶を失った後の『ダンを守ろうとするメアちゃん』も、どちらの気持ちも『本物』なのよ」

 そう言われたミリアは、複雑な表情を浮かべつつ、目線をそらしながら静かに呟く。

「……そうね、『本当の自分』という言い方は訂正するわ。でも、私にとってのマリアは、『記憶を失う前のマリア』だけよ」

 彼女としても、妹の苦悩は理解出来なくはない。だが、今のこの状況を素直に受け入れることも出来ない。なぜ、こんなことになってしまったのか。残酷すぎる運命を、ただひたすらに彼女は呪い続ける。

「とにかく、ブレーヴェが、私達の魂が一つにならない限り動かないというならば、あなたの気持ちが変わるのを待つしかない。それまで、ブレーヴェの復活は諦めるしかないわね」

 ミリアがそう言うと、傍らにいたシアンが、ささやく様に彼女に進言する。

「『魂を一つにする方法』は、『二つの魂の意志が一致すること』の他にも、もう一つあると思うのですけどね」

 瞬時にその意味を理解したレイン達の表情は一瞬にして硬直し、彼に対して明確な敵意を向けるが、彼女達よりも更に険しい表情で、ミリアが彼に言い放つ。

「それ以上言ったら、あなたとの関係は断ち切るわよ」

 ミリアの鋭い眼光に押されて、シアンは苦笑いを浮かべながら答える。

「ならば、仕方ないですね。とはいえ、どちらにしても当面は武神像の復活が期待出来ないというのであれば、私はしばらく、他の土地の英霊達を見て回りたいと思います。でも、私の力が必要になったら、いつでも言って下さい。あなたが『ブレトランドの武力統一』を拒否し続ける限り、我々パンドラはあなたの味方ですから」

 そう言って、彼は去っていく。アマルとしては、彼にまだ言いたいことも無い訳では無かっただろうが、今のこの状況で、彼を追いかけていくことが出来る立場でもなかった。というのも、まず今は、目の前で混沌から解放されたばかりの故郷をどうするのか、という問題が残っていたのである。
 一時的に村の近辺の混沌は浄化されたものの、この地域一帯の混沌が完全に浄化された訳ではない以上、放っておけばいずれ必ず、再び混沌の力に侵されてしまう。ミリアがこの地に逗留し続けるのであれば、それも防げるであろうが、反乱軍である彼女達が明確にここを拠点とした場合、今度は更なる大軍がこの地に派遣され、激しい戦場となることだろう。しかも、民間人が殆どいないという状況に鑑みれば、この地を遠方からの攻撃で焼き討ちにしてしまうという作戦も、ローガンあたりが献策しかねない。
 それが分かっているからこそ、ミリアとしても、この地に腰を落ち着ける訳にはいかない。もともと兵力が少ない彼女達は、各地の支援者達の許を転々とすることでアントリア軍の追撃を逃れてきたのであり、今の戦力のまま一ヶ所に滞在し続けることは得策ではない。
 そんな中、レインがその場にいる人々全員に対して、高らかに宣言した。

「私がこの地に残るわ。そして、ミリアちゃんと仲良くなって、ダンと話し合う」

 彼女は、あくまでもミリアとダンの和平交渉への道を模索し続けたるつもりである。ミリアがメア(マリア)を説得して武神像を対ダン・ディオード用の切り札として使うつもりなら、逆に彼女は、ミリアを説得して、「和平交渉を前提とした武神像の(「立会人」としての?)利用」を求める、そのために、武神像のすぐ近くのこの場所に滞在し続け、この地の混沌を浄化し続けるというのである。
 そして、彼女がそう考えるもう一つの理由としては、ミリアがこの周辺地域を活動拠点の一つとしている以上、この場に逗留し続ければ、彼女と交渉する機会も自ずと増える、という目算もある。

「だから、私はあなたの心を動かしてみせるわ。LOVE&PEACEの魂で!」

 そういって彼女に近付いていったレインは、彼女に(メアにつけたのと同種の)猫耳カチューシャをつける。

「な……、あなた、一体何を!?」
「私とあなたは友達だから。そうでしょ?」

 その全くもって意味不明な言動に困惑しながら、ミリアは即座にレインから距離を取るように後ずさり、そして彼女に背を向けて歩き始める。

「あなたがそこにいたいのなら、勝手にしなさい。私は、絶対にダン・ディオードを許さないから」

 そう言って、彼女は猫耳カチューシャを取るのを忘れてその場を去る。周囲の部下達も、その点にツッコんでいいのか分からないまま、彼女の後を追って歩き始める。後に、ミリアがそのことに気付いた時には、言葉すら上げられないほどに激しく赤面したようだが、実は(姉妹揃って)猫派のミリアとしては、なぜか悪い気はしなかったようで、そのまま彼女の化粧道具入れの中に収納され続けることになる。

4.1. ラーテンの報告書

 その後、レインと、そして同様にその場に滞在し続けることを決意したメアを残して、ラーテンはアマルと共に、兵達を引き連れて首都スウォンジフォートへと帰還する。以下は、そのラーテンがローガンに提出した報告書の概要である。

「武神像の正体は、英雄王エルムンドの部下の七騎士の一人、ブレーヴェ。武神像は反乱軍の首謀者ミリアの手で、一度は起動したものの、なぜかすぐに機能を停止し、反乱軍もそのまま散開して逃亡。武神像の完全なる復活の方法は今のところ不明で、反乱軍も把握していない様子」
「反乱軍が再び武神像を稼働させる可能性もありうるので、その監視のためにレイン隊とメア隊はそのまま旧マージャ村に残留。その上で、この地を『対武神像』および『対反乱軍』のための長期的な活動拠点とするために、レイン・J・ウィンストンを仮領主として、マージャ村を再建することが必要」
「また、両隊はそのまま、その地域で活動する反乱軍とも必要に応じて接触を続けながら、彼等に反体制活動の休止を求める交渉を継続する予定。彼等が、陛下にとって許諾可能な条件での停戦を求めてきた場合は、随時その旨を報告する」

 この報告書を受け取ったローガンは、その内容をダン・ディオードに上奏した上で、自らの考えをそこに付け加える。

「武神像の復活の方法については、引き続き彼女等に調査させましょう。その上で、マージャ村の再建についても、今回の作戦に参加した程度の数であれば、そのために人足を割いても構わないと存じます。こうなってしまった現状においては、それくらいの戦略的価値があると言えるでしょう。ただ、反乱軍との和平交渉については、陛下を納得させられる条件を奴等が提示するとは考えられませぬ。また、そもそも現場で勝手にこのような交渉を進めるのは、彼女等の越権行為ではありませぬか?」

 これに対して、ダン・ディオードは冷ややかに答える。

「俺も概ね同感だ。だが、奴等がミリア達を相手に『交渉する』という姿勢を見せれば、その間の反乱軍の活動は鈍るかもしれない。結果的にそれで一時的にでも内乱が沈静化するなら、それはそれで悪い話ではあるまい。今はまず、ヴァレフールを倒すことに専念すべきであるしな」
「御意。ただ、その指揮権をあの白狼騎士団の女に任せたままで良いのでしょうか? どうも私には、あの女には得体の知れない不気味さを感じます。何を考えておるのか、理解出来ませぬ」

 実際、プラグマティストのローガンには、本能的に理想に向かって行動するだけのレインの心理を理解出来ないのも当然である。いや、彼だけでなく、それが普通の「政治家」の一般的な反応であろう。

「心配ない。そういう時のために、メアを随行させたのだ。彼女が目を光らせている限り、勝手な真似は出来ぬだろうよ」

 ダン・ディオードは、自信を持ってそう言い切る。実際のところ、この目算は半分はずれだが、半分正解でもある。現実問題として、メアは既にダン・ディオードの命令を無視して、レインの「暴走」に手を貸しているが、それは彼を守るための忠義心故でもある。もし、レインがミリアに説得されて完全に反体制側に傾こうとすれば、少なくとも今のメアなら、それを止める側に回るだろう。問題は、いつまでその「メアとしての心」が「マリアとしての心」を抑えきれるか、という点であるが、その葛藤で彼女が悩んでいることなど、ダン・ディオード自身は知る由もない。
 こうして、ラーテンの報告書で申請されていた「レインを中心としたマージャ村の復興計画」および「反乱軍との交渉の継続」の申請は受理された。アントリアの領内の村を外来の騎士に委ねることには家臣内で異論もあったが、色々な意味での「厄介事」を抱えた地域ということもあり、誰も代わりにその地に向かおうとする者はいなかった。最悪、もし何か現地で不測の事態が生じた場合は、彼女一人に責任を負わせれば良いだろう、という打算に基づいた上で、最終的には全会一致で承認されることになったのである。

4.2. そして次の「物語」へ

 その後、アマルは申請が受理されたことをレイン達に伝えるために、そして自分自身も改めてマージャ村の復興計画に加わるために、再び現地へと向かうことを決意する。現実問題として、復興のためには現地人である彼の協力が必要であった以上、その決断に対しては誰も異を唱えなかった。それまで共に戦ってきた治安維持部隊の面々や、時折出場していた闘技場の人々にも別れの挨拶を済ませた上で、隊舎の中の自分の部屋も引き払い、一通りの荷物を持って、本来の故郷であるマージャ村へと向かう。まずは(アインを初めとする)近隣の村々に散り散りになったかつての仲間達に帰郷を促すのが、最初の任務となるであろう。
 一方、スウォンジフォートに戻らないまま現地に残ったメアの自室は、ダン・ディオードの命令でそのまま残され、彼女の愛猫は他の侍従仲間が世話することとなった。メアが希望すれば、実質的に彼女にとっての「唯一の家族」であった愛猫を、誰かに頼んでマージャ村まで届けさせることも可能だった筈である。あえてそうしなかったのは「自分の『帰るべき場所』はまだここにある」ということの意志証明であるようにダンには感じられた。それもまた、彼がメアの離反の可能性を考慮しなかった一つの要因でもある。だが、果たして本当に彼女はこの部屋に戻って来るのか? まだこの時点では、それは誰にも分からなかった。
 これに対して、もともと「帰る家」がある訳ではないレインの場合は、必要な荷物は一通り持って移動していたので、その点についての心配はなかった。ただ、彼女がいなくなったことで、密かに彼女の歌声を楽しみにしていた兵士達や街の人々の中には、寂しさを感じる者も少なくなかった。ダン・ディオードの質素倹約政策の下で娯楽に飢えている彼等にとって、彼女の歌声は数少ない「癒し」を与えていたのである。やがて、彼等の一部がマージャ村へと移住し、更にその評判を聞きつけた若い楽士達が同地に集まることで、マージャは「音楽の村」として再生していくことになるのだが、それはまだもうしばらく先の話である。
 そして、一人スウォンジフォートに残ったラーテンは、姉のクリスに一通りの経緯を(話せる範囲で)報告した上で、まだもうしばらく、この地で「新たな契約相手」を探したいという旨を告げる。レインもミリアも、どちらも興味深い君主ではあったが、自分が仕えるべき君主については、もう少し様々な人々を吟味しながら決めたい、と考えたのである。クリスもその意志を尊重し、しばらくは彼女の助手という立場でアントリアに残ることを許された。後に、彼には視察官の一人として、国内各地の領主達を監視する任務が与えられ、やがてその過程で「生涯守るべき君主」と出会うことになるのだが、それはまた別の物語である。

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最終更新:2014年03月28日 00:19