第9話「最後の鍵」

9.1.1. ヤマトにまつわるエトセトラ

9.1.1.1. 人類とダークネスの狭間で

 三河から戻ってきたその日の夜、馴れない地での戦いに疲れ果て、熟睡していたヤマトの夢の中に、またしても狐面の男が現れる。しかし、今回はその夢空間の中には、彼一人しかいない。どうやら今夜は、本来は夢を見る筈ではなかったノンレム睡眠状態のヤマトの精神世界に、強引に彼が入り込んできたようだ。

「やぁ、ヤマト君。何か聞きたいこと、ある? 『狐おじさんの質問コーナー』やで」

 どういう風の吹き回しかは分からないが、今夜の彼は「喋りたい気分」らしい。とりあえず、色々と気になっていたことを聞いてみることにする。

「結局、あなたは、安倍晴明なの?」
「そやね。ただ、正確に言うなら、僕は本来の安倍晴明の『かけら』のような存在なんよ」

 そう言った上で、彼はまず、この国における人類とダークネスの歴史から、語り始める。この国で最初に権勢を誇ったダークネスは、平安時代の藤原氏の一部に潜んでいた「ソロモンの悪魔」であった。しかし、やがてそれに対して叛旗を翻す者達が現れる。それが、武家を中心に拡散していた「吸血鬼(ヴァンパイア)」の面々であった。その始祖と言われているのは、酒呑童子を退治したことでも知られる源氏の頭領・源頼光。そして、その源頼光の親友だったのが、陰陽師(エクソシスト)の創始者にして、「最も闇(ダークネス)に近い灼滅者」と呼ばれた、安倍晴明であった。

「僕はな、正直、人間ともダークネスとも仲良かったから、どっちにも肩入れしたくないねん。ただ、仲の良かった人、気の合う友達の頼みに関しては、断れないタチやったんよ」

 しかし、結局、最後まで完全な闇(ダークネス)には染まらなかった彼は、「人間」としての天寿を全うする。だが、彼の残した様々な逸話が一人歩きし、人々やダークネスの間で、いざという時には「陰陽師・安倍晴明」が自分を助けてくれるという、一種の信仰のような伝説が広がっていったらしい。そんな人々の想いが結実した存在が、今、ヤマトの目の前にいる彼だという。

「つまり、僕自身は、君達の言葉で言うところの『都市伝説』みたいなものなんよ。でも、僕はあくまで断片的な存在やから、本来の安倍晴明としての力は持ってない。それを呼び戻すために必要なのが、聖歌と歌姫、という訳や」

 ようやく、これで彼の存在については一応の納得は出来た。ただ、ここまでの話を聞いた上で、ヤマトとしてはどうしても気になる点が一つある。

「あなたは、僕達にとっての味方、ということでいいの?」
「まぁ、少なくとも、歌姫と聖歌の力で『本来の安倍晴明』として召還されたら、召還してくれた人の言うことは聞くよ。というか、その場合は、実質的には君の『式神』的な存在になるんやけどね」

 つまり、実質的には歌姫と聖歌だけではなく、その呼び出した安倍晴明を制御するための「陰陽師系エクソシスト」が必要、ということらしい。これは姫子の未来予知にはなかった情報だが、そんな彼女がヤマトに協力を依頼したのは、果たして偶然なのか、それとも何者かによって仕組まれた必然なのか、それは誰にも分からない。

「だから、三百年前の時は、君のご先祖様である寺坂のきっちゃんに言われた通り、ちゃんとタケちゃんを封印したよ。もっとも、今、それがまた蘇ろうとしとる訳やけどね」
「そういえば、そのタケちゃんって、結局、誰?」
「あー、まだそれも言ってなかったか。竹千代ちゃんや。君等は『徳川家康公』とか『神君』とか『東照大権現』とか呼んでるけど、僕の中では彼は今でも『タケちゃん』やから」

 そう、竹千代とは、徳川家康の幼名である。もっとも、家康に限らず、秀忠や家光など、歴代の徳川将軍家の人々にも用いられた名でもあるため、それだけでは特定は出来ない名なのだが、どうやら彼が言うところの「タケちゃん」は徳川家康のことを指している、ということが、ようやくこれで確定出来た。

「タケちゃんはな、本来はヴァンパイアの家系の筈の源氏の家に生まれたんやけど、ヴァンパイアやなくて、ノーライフキングとして覚醒したんよ。それは、もともと、僕等と同じでエクソシストのポテンシャルを持ってたからなんやけどね。僕、彼とも仲良かったから、正直、また彼と戦うのは、気が引けるんやけどな」
「さっきから、人間の友達があまりいないような……」
「そ、そんなことないで。人間でも仲いい人はおったよ。帝とか」

 ここで言うところの「帝」とは、ヤマト達の知っている演劇部の部長のことではなく、まさに日本を支配する天皇そのもののことであろう。もっとも、彼が言うところの「帝」というのが、いつの時代のどの帝のことを指しているのかは不明である。

「家康は、どうやって復活しようとしてるの?」
「あー、そっか。まだそれも気付いとらへんのか。ほなら、まだそれは言えんわ。さっきも言うたけど、彼は僕の友達でもあるし、ちゃんと呼び出してくれるまでは、どっちか片方に肩入れしたくはないからな」

 こういった言動を聞く限り、まだ彼のことが本当に味方なのかどうか怪しく思えてしまう訳だが、本人が口を割る気がない以上、この件については諦めるしかない。

「じゃあ、あなたを呼び出せば、復活した家康も封印出来るの?」
「そやね。ただ、封印するには時間がかかるから、それまでに僕を呼び出した君が倒されたら、その時点で僕も消滅するんよ。多分、酒井君は全力で君を殺しに来ると思うから、頑張って耐えてな。彼、三百年前の時も悔しがっとったから、今回は必死やと思うで」
「三百年前って……、そんな昔からいたの?」
「せやで。てか、四百年以上前からやな。もともと彼はタケちゃんの側近やった訳だし」

 つまり、現在、朱雀門高校で教鞭をとっている酒井小五郎とは、徳川四天王の一人・酒井小五郎忠次そのもの、ということらしい。だからこそ、本来の主君・家康の復活に賭ける想いは、彼の同寮であった四天王達の「末裔」にすぎない井伊・本多・榊原の三人よりも強いのだろう。

「ただ、ヴァンパイアの中でも、必ずしもタケちゃんの復活を望んでる人達ばかりやないと思うで。確かに、タケちゃんが関ヶ原で勝ったことによって、ダークネスの支配が完成したとは言われとるけど、本来、ダークネスの中で支配的な地位にあったヴァンパイアの人達にとっては、ノーライフキングとしてのタケちゃんの登場によって、その地位を奪われたことになるからな。だから、実は三百年前の時にも、タケちゃんの封印にこっそり手を貸したダークネスもおったりしたらしいからね。詳しくは知らんけど」

 つまり、状況次第によっては、家康復活後にダークネス同士の争いが勃発する可能性もありうる訳だが、そうなると両陣営が自分達の手駒として次々と人類を眷属化する可能性もあるので、どちらにせよ、ヤマト達としては、早めに家康を封じる必要がある。
 その上で、彼は最後に、一番聞きたかったことについて質問してみる。

「残りの歌姫二人は、どこにいるの?」
「さぁ? それは、僕にも分からへん。頑張って探してや」

 どうやら、これはとぼけている訳ではなく、本当に知らないようである。音楽にもある程度は通じているらしいが、残念ながら、具体的に「誰が『本来の安倍晴明』を呼び起こす力をもっているのか?」ということを識別出来るのは、やはりあくまで歌姫自身と、そして姫子だけのようである。

9.1.1.2. 北国育ちのヒーラー娘

 そんなこんなで、急に色々な情報を伝えられて困惑気味のヤマトがようやく目を覚まし、朝ご飯を食べるために食卓へ向かうと、そこには、久しぶりに顔色の良い状態で楽しそうに母と談笑している父・タケルと、長身で眼鏡をかけた一人の女子高生の姿があった(下図)。


「久しぶりね、ヤマト君。最後に会ったのは3年前だから、もう覚えてないかしら?」
「那月お姉ちゃん! 久しぶり」

 彼女の名は、谷山那月。北海道の牧場の娘であり、神代家とは遠縁の親戚にあたる。以前に出会った時はまだ灼滅者には目覚めていなかったが、今の彼女からは、ほのかにサイキックエナジーを感じる。どうやら、タケルが体調不良で休職するレベルにまで苦しんでいるという話が親戚中に広まったようで、彼をヒール能力で助けるために、わざわざ神代家まで来てくれたらしい。つまり、彼女はヤマトには使えないキュア効果のあるヒール系サイキックの使い手、ということである。
 しかし、それならばなぜ、彼女は武蔵坂学園に来ていないのか? タケルが武蔵坂の教員であることは彼女や親族も知っている以上、能力を身につけた時点で、彼女を武蔵坂に転校させる筈である。

「笑っちゃうだろうけど、実は私、モデルになるために、芸能科のある若本女学園に通ってるの」

 若本女学園とは、東京にある芸能人養成学校として有名な中高一貫型の私立学校である。どうやら彼女は、北海道から上京して、同校の寮に下宿しているらしい。

「私、今までずっと自分に自信がなくて、地元でも浮いた存在だったんだけど、修学旅行で東京に来た時に、若本の学園長にスカウトされたの。私を生かせる場所がモデルの世界にあるって聞いたから、それで、こっちに来ることにしたんだ。最近になって、サイキックエナジーを使えるようになったから、武蔵坂に来るようにタケルおじさんには言われてるんだけど、私を誘ってくれた学園長の期待に応えたくて……」

 そういう事情であるならば、タケルとしても彼女に転校を無理強いするつもりはない。武蔵坂は灼滅者達の強制収容所ではなく、学生達の任意に基づいて集められた学校であるし、現実問題として芸能人となるためのカリキュラムが武蔵坂には存在しない以上、彼女に転校を強いるのは酷である。

「那月お姉ちゃんなら、きっとなれるよ。だって、綺麗だもん」

 純粋な目でそう言われた彼女は照れながら、「ありがとう。私、頑張るね」と言って、そのまま学校へと向かう。とりあえず、タケルの症状が再度悪化する可能性もあるので、今後はしばらく、彼女は毎朝、登校前に神代家へと通うことになった。

9.1.1.3. 少女達の戦い

 その後、ヤマトも学校に行くために玄関の扉を開けると、そこには、今日から武蔵坂に通うことになった三学年上の女子生徒の姿があった。

「おっはよー! ヤマト君♪ さぁ、一緒に学校行こ♪ おねーさんに、学校のこと、色々教えてね」

 田原みなとである。どうやら彼女は、昨日のうちに姫子経由で転校手続きを済ませて、さっそく今日から登校することになったらしい。ちなみに、いなり共々、しばらくは姫子の家に厄介になる予定である。
 いきなりのハイテンションな先輩の登場に、ヤマトがやや気後れしながら学校に向かおうとすると、少し離れたところで、動揺した表情でモジモジしながら自分の方を見ている淳子の姿が目に入った。

「あ、淳子ちゃん、おはよう!」

 ヤマトは彼女に近付き、笑顔でそう声をかける。安心した表情で彼に微笑み返す淳子であったが、彼の傍らにいる女子のことが、どうしても気になる。

「あの、その人は、ヤマト君の親戚の人?」
「あ、いや、そうじゃなくて、この人は……」

 と、ヤマトが説明しようとすると、それよりも先に、彼の肩に手をかけて覆い被さるような仕草で、みなとが自己紹介する。

「はじめまして。あたし、田原みなと! 小学五年生! 田原市のご当地ヒロインで、あたしも歌姫の一人なの。よろしくね!」
「よ、よろしくお願いします……」
「ちょっと、みなとお姉ちゃん、重いよ」
「何よ! 女の子に向かって重いなんて、失礼じゃない!」

 しかし、現実問題として、小学校2年生と5年生の対格差は、かなり大きい。ましてや、見た目はスレンダーながらもバイク乗りの灼滅者でもある彼女は適度に筋肉もついているので、重いのも当然である。
 そんなこんなで、三人はそのまま小学校へと向かう。校舎に入って異なる教室に向かうために分かれるまで、みなとのハイテンションに付き合わされた二人は、やや困惑気味だったが、二人きりになったところで、淳子が口を開く。

「あの先輩、ヤマト君のこと、特別な目で見てるよね」

 小学二年生といえども、さすがに女子である。みなとが自分と同じ(?)感情を抱いていることは、彼女にはすぐに分かった。

「そうかな? 特にそんなこともないと思うけど」
「…………そっか。そうよね。それがヤマト君よね」

 鈍感さは、時に美徳であり、時に災いの種となる。ただ、ひとまず現状においては、彼が「そういう性格」であることに、どこか安心している様子の淳子であった。

9.1.2. ルーマニアからの手紙

 その頃、白泉寮の鳳凰院英雄の元には、大型の国際郵便の封筒の手紙が届いていた。差出人の名前は、鳳凰院勇(いさむ)。英雄の父の名である。

「ば、馬鹿な……。死んだ筈の父上から、なぜ……?」

 英雄は、行方不明となった父は既に死んだと思い込んでいたようだが、誰もその生死は確認していない。半信半疑で封筒を空けてみると、そこには確かに父の字で書かれた手紙と、二通の小さな封筒が同梱されていた。

「久しぶりだな、英雄。風の噂で、お前のことは色々と伝え聞いている。私は今、ルーマニアにいる。母さんも元気だ。まだ諸々の事情で、日本に帰る訳にはいかないが、心配することはないし、私達もお前のことは心配していない。お前は今まで通り、自分の信じる道を行けばいい。さて、その上で、一つお前に頼みたいことがある。実は私の活動を支援してくれている友人達から、是非にと頼まれてしまったお前への縁談が沢山あってな。ずっと断り続けていたんだが、その中で二件、どうしても断りきれなかったので、せめて会うだけでも会ってやってくれ。その上で、どうするかは、お前の判断に任せる。詳細は、同封した封筒の中に入っている」

 十数年ぶりの連絡とは思えないほど、唐突すぎる内容である。ツッコミ所はいくらでもあるが、無視する訳にもいかないので、ひとまず同梱された封筒を開いてみると、そこにはそれぞれ、縁談相手の写真とプロフィールが封入されていた。
 一人は「鈴村真美(まさみ)」。黒髪で清楚な雰囲気の女性である。しかし、「お見合い写真」にしてはあまりに無愛想で、どこか厳格そうな雰囲気を漂わせている(下図)。現在、若本女学園高等部の芸能科に在籍する1年生とのことなので、英雄とは同学年ということになる。


 もう一人は、「諏訪部蓮華(れんげ)」。茶髪の巻き毛で、露出の多い派手な服装を身に纏い、どこか挑発的な視線を投げかけており、これはこれで「お見合い写真」らしからぬ雰囲気が醸し出されている(下図)。彼女もまた、若本女学園高等部芸能科の1年生らしい。


 二人とも、鳳凰院家に負けず劣らずの名家の出身であるらしいが、どういう経緯で父と接点を持ったのかは、よく分からない。いずれにせよ、他ならぬ父の頼みを無下にする訳にはいかないので、話だけでも聞く義務はあると考えた彼であったが、問題は、この両者の指定した「お食事会」の日時である。

  • 鈴村真美:11月26日(火)18時〜、銀座の高級料亭「恋桜」
  • 諏訪部蓮華:11月26日(火)20時〜、六本木の高級レストラン「Orange Rhapsody」

 いきなり明日の夜、しかも、時間差二時間のダブルヘッダーという、かなり無茶苦茶なスケジュールである。両者が相談した上でこうなったのか、ただの偶然なのか(そもそも、この両者が互いの予定のことを知っているのかどうか)は不明だが、銀座での食事会を早めに終わらせなければ、20時までに六本木に着くのは難しい。しかし、誘ってくれた食事会を途中で切り上げるというのも失礼な話である。
 地下鉄で銀座から六本木までは日比谷線で一本のみ。しかし、その前後の徒歩時間も考慮に入れると、19時30分には銀座を出ておきたい。タクシーという手もあるが、東京の道路事情を考えると、かえって到着が遅れる可能性も高い。学園内で乗り回している馬車は、さすがに公道で使うのはまずい。ならば、いっそ走った方が早いのではないか? などと、色々と思案を巡らせつつ、とりあえず、まずはスーツを新調する手続きを始める英雄であった。

9.1.3. 過去を知る者、未来を開く者

 こうして、ヤマトと英雄が想定外の女難(?)に遭遇してしまっている頃、ミラは珍しく、一人で学校に向かっていた。というのも、いつも一緒に登校しているりんねが、今日は朝からいないのである。家主の姫子が言うには「三鷹キャンパスに用事がある」と言って、早朝に出かけていったらしい。
 そんな中、ミラは突然、「見知らぬ女子中学生」に声をかけられる。フリルの沢山ついたロリータ服を着て、大きなリボンを頭につけた、どことなくお嬢様風の少女である(下図)。


「ミラ? ミラよね? あなた、どうして東京にいるの?」
「……どちら様ですか?」
「私よ! 唯よ! 忘れたの? それとも何? 私なんて最初から眼中になかったってこと!?」

 「唯」と言われても、ミラの記憶の中にそのような名前の少女はいない。

「あー、そうなんだ。世界的指揮者様のお嬢さんにとっては、私なんて、どーでもいい存在だったってことね。いいわよ、もう!」

 そう言って、彼女は去って行こうとするが、少なくとも彼女が自分のことを知っているらしい、ということを理解したミラは、慌てて呼び止める。

「あの、もしよろしければ、どこで私と知り合ったのか、教えてもらえませんか?」

 これは確かに、今の彼女の素直な気持ちである。彼女には何の悪気もない。しかし、彼女が記憶喪失だということを知らない「彼女の旧知の人物」にとっては、これほど神経を逆撫でされる言葉もない。

「…………そう、よーーーく、分かったわ。あなたの中での私の位置付けが。見てなさい! 私、絶対、あなた以上の歌手になってみせるから!」

 そう言って、彼女は足早に去っていく。ミラは自分の過去を知る人物から話を聞く機会を逃してしまったことに落胆しつつ、そのまま学校へと向かう。そして、教室に着き、授業の準備をしていると、遅刻ギリギリの時間帯に、りんねが走り込んできた。

「ミラ、見つけたわ! 三鷹キャンパスにいたのよ、歌姫が!」

 興奮気味に彼女はそう語る。歌姫探しのために、ここ数ヶ月、各地のキャンパスを転々としていた彼女であったが、ようやくその努力が実を結んだらしい。

「私達の一つ下の中学二年生の平野由奈って子で、エクスブレインらしいわ。ただ、エクスブレインとしての活動の実績はあまりないらしくて、日頃何をしてるのかも、よく分からないみたいなの。でも、この間、この子が友達とカラオケしてるのを偶然、聞いちゃったのよ。間違いないわ、あの歌声は」

 とりあえず、りんねとしては先刻、登校中の彼女を待ち伏せして話しかけて、「歌姫」と「世界の危機」について簡単に説明したらしい。その上で、今日の放課後、五十嵐邸に来て姫子に会ってほしい、という旨を伝えた、とのことである。ミラとしても、この日は特に予定もなかったので、放課後に二人で三鷹キャンパスまで迎えに行くことになった。

9.1.4. 「平」の一族

 一方、政次はこの日も、まりんと登校していた。葉那に言われたから、という訳でもないが、自分の身を案じて好手を打ってくれたまりんに感謝の意を伝えたい心情もあったのだろう。

「本当に、あなたが無事で良かったわ。あなたが、見知らぬ女の人達に嬲り殺しにされる未来が見えた時は、私、本当に焦って、取り乱しちゃったから」

 どうやら、まりんには彼が「女の人」と戦っている光景が見えていたらしい。ということは、知多娘達が本気(怪人)モードにならない状態で彼と戦っていたのか、それとも、怪人状態でも女性と分かるオーラか何かを感じ取っていたのかのどちらかであろうが、政次がその点についてツッコむ前に、まりんは新たな懸念について語り始める。

「でも、実はもう一つ、気になることがあるの。ここ最近、各地のキャンパスで行方不明になる人達がいて、その人達に色々共通点があるのよ」
「ほう?」
「平松洋文、平田義範、平林秀一っていう三人なんだけど、全員、身寄りのない人達らしいわ。……私の言いたいこと、分かるわよね?」

 名字が「平」で始まり、身寄りがない人間。まさに、平福政次そのもののことである。名字の件については、普通に考えれば偶然としか思えないのだが、この話を聞いた彼は、豊橋で見た「夢」を思い出す。
 あの夢の中で、彼は「『頼朝』と敵対する一族の一員」であった。同じ頃に英雄が、彼の祖先である「吉田松陰」となった夢を見ていたことからも、おそらくは政次にもまた何らかの理由で「自分の祖先」の記憶がオーバーラップした可能性が高い。「頼朝」と敵対する一族と言えば、まず真っ先に思い浮かぶのは「平家」であろう。
 その上で、自分の中で微かに残っている「故郷」の記憶、いつ名乗り始めたかも覚えていない自分の名字、そして今回の「平」連続失踪事件…………、何らかの繋がりがある可能性が極めて高い。

「次にあなたが狙われる可能性は高いわ。しばらくは、目立った動きは控えた方がいいんじゃない?」
「…………そう言われても、今更、後に退く訳にもいかないだろう」

 政次にしてみれば、どちらにしても、ここまで歌姫探しの任務に関わっている以上、いつ狙われてもおかしくない立場である。しかも、彼の故郷を襲った張本人が、今回の戦いの敵側の黒幕である可能性が高い以上、今更、身を隠すという選択肢はありえない。まりんの忠告は受け止めつつも、来るべき決戦に向けて、自分の為すべきことをやり遂げる、今の彼に出来ることは、それしかなかった。

9.1.5. 「八神」の血筋

 こうして、東京に戻った面々が、それぞれに新たな事件(?)への予兆を感じ取っていたのに対し、豊橋に残っていたスサノオは、うずら&透と共に続けてきた養鶉場巡りを朝からハイペースで遂行し、なんとか昼前に豊橋市内の全てのウズラから鳥インフルエンザ・ウイルスを除去することに成功する。
 そして、ようやく念願が叶ったうずらはテンションが上がったのか、周囲の人達からのリクエストもあり、その場でミニライブを始める。農家の人々だけでなく、道行く人々も彼女の歌声に惹かれて立ち止まり、次々と人だかりが出来ていく中、透だけは、冷ややかな目で彼女を見ていた。

「あいつらアイドルとか言ってるけど、正直言って、大したことないよな。どう見たって、姫子ねーちゃんの方が綺麗だし、姫子ねーちゃんの方がスタイルいいし、姫子ねーちゃんの方が歌もうまいし」
「いや、確かにあの人達もすごいよ。でも、姫子さんの方がすごすぎるだけだよ」

 自分の推しメン以外は認めないメンドくさいファンのようなコトを言い出す透に対して、同い年のスサノオは大人のリアクションで答える。すると、透はまた得意気にファン自慢を始める。

「まぁ、俺は子供の頃に姫子ねーちゃんに子守唄歌ってもらったこともあるしな。その辺の連中よりも、耳が肥えてるのは、仕方ないか」
「子守唄か……。僕は全然聞いたことがないな…………」
「…………あ、いや、ごめん。悪かった」

 スサノオが孤児ということは既に聞いていただけに、透としても、ちょっと無神経な発言だったことに気付き、気まずい雰囲気になる。すると、後方から、見知らぬ老人の声が聞こえてきた。

「お主がそのような育ち方をしてしまったのは、我等のせいでもあるな。すまなかった」

 いきなりの乱入者に驚いた二人が振り返ると、そこには、宮司服を着た老人と、セーラー服を着た中学生くらいの女子生徒の姿があった。

「儂は名古屋十六人衆の一人・熱田龍。熱田神宮の宮司であり、おぬしの祖父・八神巽(やがみ・たつみ)の兄じゃ」

 八神巽とは、スサノオの母方の祖父であり、彼にとっては「日本における育ての親」に相当する人物の名である。 つまり、この老人は彼にとっての「大伯父」にあたるらしい。祖父・巽は既に他界しており、まだ幼かった彼は、彼の仕事が何だったのかもよく把握していなかったのだが、どうやら、彼のポテンシャルである「神薙使い」の力は、母方の祖父に由来していたようである。
 更に続けて、その老人は衝撃的な事実を告げる。

「おぬしが本多五十六に狙われる理由は、儂等の長兄・八神大蛇(やがみ・おろち)への因縁じゃろうな」

 どうやら、彼の祖父・巽と、この老人・龍の上にもう一人、八神大蛇という人物がいたらしい。かつて、彼等「八神三兄弟」は「熱田神宮の守護神」と呼ばれ、敵味方問わず畏怖の対象であったらしいが、やがて長兄・大蛇は闇に堕ち、六六六人衆の序列「八位」にまで上り詰めるほどの伝説級のダークネスとなったという。現在は、名古屋の地に封印されているらしいが、いつ再び目覚めるか分からない状態であるが故に、お市や十六人衆は名古屋の地を離れにくい、という事情らしい。

「五十六は、かつて我等が兄・大蛇に敗れた時の屈辱を晴らすため、御主に期待しているんじゃろう。今の大蛇に復讐することは叶わぬが故に、大蛇を超える潜在能力を持つお主を成長させた上で殺すことで、そのやり場の無い衝動を発散させようとしているのではないかと」

 実際、新幹線から叩き落される時に「お前はオロチよりも強くなる」と言われている以上、おそらく、この宮司の言っていることは正しい。無論、こんな厄介な因縁を押し付けられることは、彼にとっては迷惑以外の何物でもない。
 そうこうしている間に、うずらのミニライブも終わり、そろそろ皆で東京に行こう、という流れになったところで、その老人はようやく、傍らにいた少女(下図)をスサノオに紹介する。


「この子を、武蔵坂に連れていってやってほしい。儂の孫、つまり、おぬしの又従姉妹じゃ。本多五十六に親を殺された娘でのう。腕は儂が保証する。きっと、役に立つじゃろう」
「宮野朱鷺と申します。以後、よろしくお願いします」

 明らかに年下のスサノオ相手に、堅苦しく礼をする。その目は、どこか冷たい決意に満ちており、その身体からは確かに強烈なサイキックエナジーが感じられた。
 その後、四人はウズラ農家とその老人に別れを告げた上で、豊橋駅からこだまに乗り、東京へと向かう。つい二日前までは全くの面識もなかった筈の奇妙な組み合わせの四人だが、そんな中、朱鷺がスサノオに問いかける。

「あなた、五十六に将来性を見込まれてるというのは、本当なの?」
「そうみたいだね」

 スサノオにしてみれば、全くもって不本意な立場なのだが、朱鷺にとっては、それが羨ましいらしい。

「私は、その可能性すら見出されなかった。だから、あっさり奴に殺されそうになったけど、お爺様に助けられて、今もこうして生き恥を晒している…………。どうしてなのかしらね、同じ血族なのに…………」

 まるで、自分が恵まれた環境にいるかのように思われていると感じたスサノオは、それに対して反論したかったのか、自分の生い立ちを語り始める。

「僕だって、子供の頃に両親が死んで、マフィアの奴隷にされて、何度も死にそうになったりしながら、ここまでどうにか生きてきた訳で……」
「…………そう、つまり、私には、それだけの力に覚醒するだけの経験が足りない、ということなのね」

 そう言って、悲愴な決意を胸に秘めた彼女の表情を見ながら、余計な感情を煽ってしまったような気がしたスサノオは、そのまま黙り込む。そして、ちょうど武蔵坂の授業が終わる頃に、彼等は東京に到着したのであった。

9.2.1. 白昼の襲撃

 その頃、ミラとりんねは三鷹キャンパスの近くの公園にいた。この地が、りんねが「平野由奈」と合流を約束した場所であるらしい。しかし、その約束の時間が来るよりも前に、やや離れたところで、激しいサイキックエナジー同士がぶつかり合う音が聞こえる。バベルの鎖の力で、一般人の人々は全く気にもとめていないようだが、どうやら、灼滅者とダークネスの争いのようである。
 慌てて二人が現場に駆けつけると、そこには、瀕死の重傷を負った、見知らぬ少女(下図)が一人、倒れていた。


「この娘、平野さんの友達だよ。こないだ、一緒にカラオケに行ってた」

 りんねがそう告げる。さすがに、このまま放っておく訳にはいかないので、待ち合わせ場所にはりんね一人が残った上で、ミラは彼女を学園付属病院へと連れていく。
 病院での診察の結果、命に別状はないものの、当面は安静と判断された。ちなみに、学生証から、彼女の名が「寺島音羽(おとは)」であること、三鷹キャンパスに通う中学二年生の生徒であることが分かる。なりゆきで、しばらくそのまま看病を続けていると、やがてその少女は目を覚ます。

「ここは……? 由奈は? 由奈は一体、どこ?」
「あなたは、道で倒れていたんです」

 冷静にミラが状況を説明すると、もともと顔色が悪かった彼女の表情が、更に暗くなる。

「私、由奈を守れなかったのね……。あの娘を守ることが、私の使命だったのに……」

 詳しい事情を聞いてみると、この少女・寺島音羽と、(りんねが歌姫と断言した)平野由奈は、同じ孤児院で育った身らしい。しかし、音羽曰く、由奈の本当の出自は「平野」ではなく「平」であり、武家の名門・平家一族の末裔なのだという。更に彼女は、本来ならば学園内でもトップクラスの秘密を、あっさりと口にしてしまう。

「彼女、ダークネスの目をごまかすために『エクスブレイン』って名乗ってるけど、ホントは違うの。彼女は本当は『ラグナロク』。体内に無限のサイキックエナジーを溜め込める特異体質の人間なのよ」

 ラグナロク、という言葉にミラは耳馴染みがないが、それも当然である。それは近年になってようやくその存在が明らかになった、学園内でも数えるほどしか存在しない特殊な生命体であり、その無限のエナジーを利用して、対ダークネス戦においては(主に集団戦における治癒方面で)切り札的な活躍をしている者達なのである(当然、ダークネス側に堕ちれば、相当な脅威となる)。もっとも、その存在を隠していたということは、まだその素質が確認されただけで、その力を使いこなせるレベルではないのかもしれない。
 そして、今日、りんねと会うために待ち合わせ場所に由奈が行くということで、心配に思った音羽も彼女に同行しようとしたのだが、到着する直前に、朱雀門高校の制服を着た人々に襲われてしまったらしい。音羽は彼女を守ろうと必死で戦ったが、善戦虚しく倒れて意識を失ってしまっていたようである。
 つまり、ここまでの状況から、歌姫にしてラグナロク少女でもある平野由奈は、ヴァンパイアの巣窟である朱雀門高校にその正体を見破られ、拉致されてしまった可能性が高い。とりあえず、ミラはりんねに電話でこの旨を伝えつつ、他の面々にもメールを送り、ひとまず五十嵐邸に集合するように依頼した上で、重症を負った音羽には、自分達がなんとか彼女を取り戻す策を考えてみると伝える。

「そんなこと言ったって、朱雀門に連れ去られた人が無事に帰ってきたことなんて、あるの?」
「一人、います」

 無論、それは倉槌葉那のことである。ミラのように淫魔によって闇堕ちさせられた場合とは異なり、ヴァンパイアからの生還は極めて難しいと言われているが、そんな中、奇跡的に灼滅者としての心を取り戻した事例を、彼女は目の前で体験している。
 だからこそ、まだ由奈を奪還出来る可能性もあると告げると、音羽はベッドから降りてミラについて行こうとするが、看護婦達に止められる。ひとまず、彼女を宥めて病室を後にしたミラは、皆を集めた五十嵐家へと足早に向かうことにした。

9.2.2. 朱雀門への潜入計画

 こうして、五十嵐邸に集まった面々を相手に、ミラとりんねが状況を説明する。まりんが予想した通り、またしても「平」で始まる名字の者が連れ去られてしまった訳だが、それに加えて、彼女が平家の一族だという話を聞いた政次は、どうやら自分の推測もほぼ的を射ていたことを実感する。そして更に、りんねが持っていた「平野由奈」の写真(下図)を見た彼は、どこかでその姿を見たような記憶が呼び起こされそうとしていたのだが、それが誰なのかまでは思い出せない、そんなもどかしい感情に包まれていた。


 そして彼女達が一通りの説明を終えると、数少ない「朱雀門からの生還者」である倉槌葉那が、今の状況を打開するための策について語り始める。

「私なら、朱雀門の内部構造も分かるわ。あの学園の地下には、拉致してきた人間達の監獄があるの。ヴァンパイアの素質がある者は、特別牢に入れられる。多分、その娘もそこにいる可能性が高いと思う。ただ、警備は厳重だから、潜入して奪還するなら、少人数の方がいいわ」

 つまり、(前回の吉良荘での失敗を踏まえた上で)隠密行動に馴れた者だけに絞った方が良い、ということで、今回は、 最も機敏な動きに長けた(豊橋から帰ってきたばかりの)スサノオと、内部構造を知っている葉那、そして、歌姫・由奈を確保した直後にテレポートで脱出する能力を持つ花之の三人で潜入した上で、いざという時の救援要員として、英雄、政次、ミラ、ヤマト、緋那、りんね、そして(本人の強い要望により)朱鷺が朱雀門高校の近辺で待機する、という方針を固める。
 その上で、ヴァンパイアの活動はむしろ夜の方が活発ということで、(既にこの日は夕方なので)作戦の決行は翌日の昼の授業中に決定した。
 こうして、ひとまず今日のところは解散となった訳だが、一応、政次は事前に近辺の情報を確認しておいた方が良いと判断し、五十嵐邸から帰る途中で、朱雀門高校まで足を伸ばす。一見すると普通の高校だが、校門前には(バベルの鎖に包まれた)厳重な警備が成されており、外部からの侵入に対しては相当に警戒されていることがよく分かる。建物の構造的にも、警備の死角となるような場所は少なく、潜入はかなり難しそうである。
 そんな中、政次は、自分と同じように朱雀門の近辺をウロウロしている女子高生らしき人物の姿が目に入る。不審に思った彼は「うっかりぶつかるフリ」をして、探りを入れてみることにした。

「おっと、すみません」
「あ、いえ、こちらこそ」
「失礼しました。ところで、ここで何をなさっているんですか?」
「友人との待ち合わせです。あなたは?」
「私もです。さっきから待っているんですが、なかなか来なくて……」

 互いに無難なやり取りを交わしつつ、結局、どちらも「友人」が現れることもなく、そのまま朱雀門を後にする。結局、この女子高生が何者なのかは、この時点では判別の仕様がなかった。

9.2.3. 少年の決断

 そして翌日、学校に欠席届けを出した彼等は、朱雀門高校へと向かう。「他校にカチコミに行く」が公欠扱いになる学校は、おそらく日本中を探しても武蔵坂だけであろう。
 厳重な警備をかいくぐり、どうにかスサノオ・葉那・花之の三人は校舎内への侵入に成功するが、彼等が地下室へと向かおうとした瞬間、明らかに朱雀門の制服ではない服を着た少女が三人、大きな袋を持って走っているのがスサノオの目に入る。

「ちょっと気になるから、後をつけてもいいかな?」

 スサノオにそう言われた葉那は、判断に迷う。ここは相当に危険な場所なので、一刻も早く目的を達成して脱出したいところだが、確かに別の侵入者(?)の存在も気になる。そこで、ここはひとまず、スサノオの直感を信じて、彼女達の後を負ってみることにする。
 すると、彼女達が大荷物を持っていたせいか、あっさりと追い付くことに成功するのだが、スサノオが彼女達に声をかけようとした瞬間、彼等六人の前に、並々ならぬ闇のオーラをまとった、一人の少女が現れた(下図)。


「アナタ達、ウチの生徒じゃないわよね」

 その姿を見た瞬間、思わず葉那は目を見開き、「一番会ってはならない人」に遭遇してしまった恐怖で、顔が引きつる。

「る、瑠架さん……」
「あら、お久しぶりね。裏切り者の葉那さん?」

 彼女の名は、朱雀門瑠架。朱雀門高校の生徒会副会長である。次の瞬間、彼女の周囲を大勢の親衛隊達が取り囲み、スサノオ達三人と、謎の少女三人に、強烈なプレッシャーを与える。

「ここで何をしているのかしら?」

 瑠架にそう言われたスサノオ達(と三人の謎の少女)が、この場をどう切り抜けるべきか、その判断に迷っている間に、瑠架は一番奥で怯えている少女の存在に気付く。

「あら、ちょっと厄介な人がいるみたいね」

 そう言った次の瞬間、彼女の全身から禍々しい衝撃波が六人の侵入者に対して放たれる。これまでに戦ってきたどのダークネスよりも強烈な一撃に、スサノオの身体は一瞬で臨界点を突破してしまう。なんとか、魂の力でかろうじて立ってはいられるものの、次に同じ一撃を喰らったら、間違いなく死ぬ、ということを自覚する。そして、ふと傍らに目を向けると、葉那はかろうじて(おそらくは自分と同じレベルで)まだ動ける状態のようだが、花之が完全に意識を失ってしまっている。そして、謎の少女三人も、同じようにその場に倒れ込んでいた。

「たまには、酒井先生の言うことも聞いておくものですね。どうもあの人は胡散臭くて、私は信用していないんですけど」

 どうやら彼女は、「テレポート能力を持つ都市伝説」の存在を、朱雀門の教師である酒井小五郎から聞いていたらしい。こうして、彼等から「緊急脱出装置」を奪った彼女は、自らの周囲に眷属の蝙蝠を呼び出して防御を固めた上で、スサノオ達を捕えるため、親衛隊に突撃の構えを取らせる。
 まさに絶体絶命の窮地に立たされたスサノオは、この場を乗り切るため、自分に何が出来るかを考える。目の前には圧倒的な実力を持つ強大なダークネスと、屈強な親衛隊。今の「立っているのがやっと」の状態の自分では、彼等を撃退する力は残っていない。おそらくそれは葉那も同様。頼みの綱の花之は既に倒されており、心霊手術によって彼女を重症状態から回復させることも出来なくはないが、この状況下でそんなことをしている時間はない。 ここは敵の本拠地のど真ん中。建物の外に味方はいるものの、今から電話をかけたところで、彼等の到着よりも先に自分は殺害もしくは捕縛されることは明白。ならば、この状況を切り抜けるためには、もはや「あの方法」しかないのではないか……………………。
 こうして、彼は、目の前のダークネスを撃破するために、葉那が花之を連れてこの場から逃げ去ってくれることを信じて……………………、闇に堕ちた。

9.2.4. 少女の決断

 闇堕ちしたスサノオの力は圧倒的であった。彼の放った全力の一撃によって、一瞬にして親衛隊と蝙蝠は灰塵に帰す。そこに更に葉那の連撃が加わったことで、瑠架もまた深い傷を負う。この時、葉那だけでなく、どこからか「謎の連撃」が彼女に突き刺さっていたのだが、既に意識が遠のきつつあるスサノオには、それが何者の手によるものなのかを確認する余裕などなかった。

「くっ、この校舎内で、そのような汚らわしい姿を見せつけられるとは……」

 瑠架は「ヴァンパイアに覚醒する可能性のある人間」に対しては寛容だが、それ以外のダークネスに対しては強い嫌悪感を抱いている。しかし、一瞬にして自分の親衛隊を消し去り、自分にも痛手を被らせるほどの力を持つこの少年相手に、さすがに一対一で戦い続けるのも危険と判断した彼女は、ひとまず撤退して「生徒会長」に報告し、援軍を要請することを決意する。スサノオはそんな彼女の息の根を止めようと襲いかかるが、間に合わずに逃げられてしまう。
 そして、目の前の敵を失った彼は、傍らにいる葉那への殺人衝動を必死で抑えつつ、別の獲物を探すため、その場から立ち去る。彼のその様子から、彼が闇に堕ちたことを理解した葉那は、深い後悔と自責の念に苛まれながらも、まず今の自分に出来ることは、花之を連れてこの場から去ることだと言い聞かせて、彼女を背負って脱出しようと試みる。
 すると、先刻まで倒れていた三人の少女がすっと立ち上がり、大袋を持ったまま走り去っていく。どうやら彼女達は「死んだフリ」をして、脱出のタイミングを見計らっていたらしい(おそらく、瑠架相手に連撃を加えていたのも、彼女達だったのであろう)。そして、その袋の中から、「女子生徒の足」らしきものがはみ出ていることに葉那が気付いた次の瞬間、朱雀門らしき生徒の叫び声が聞こえる。

「あのラグナロクが連れ去られたぞ!」

 …………どうやら、彼女達に先を超されたようである。彼女達が何者なのかは分からないが、いずれにせよ、まず今は、花之を連れてこの場から立ち去るのが先決と考えた葉那は、スサノオが他の朱雀門の生徒達を相手に暴れているのを横目に見ながら、自分の無力さ故の悔し涙を必死で堪えつつ、校舎の外へ脱出する道を探す。
 一方、学園の外で待機していた英雄達も、学園内が騒がしくなっていることに気付く。彼等が突入すべきか迷っていると、やがて校庭にスサノオが現れ、朱雀門の生徒達を相手に圧倒的な力で暴れ回っているのが目に入る。その姿から、彼が既に闇に堕ちているということは、その場にいた誰もが理解していた。その状況に皆が絶句している中、名古屋から来た少女・宮野朱鷺は一人、静かな決意を胸に、前に歩み出る。

「どうやら、私を同行させたお爺様の判断は、正解だったようですね」

 そう言うと、彼女は天を仰ぎ見て、そして自分の身体に「何か」を呼び降ろす。次の瞬間、彼女の身体が、神々しくも禍々しい謎のオーラに包まれた。

「彼を救うのが私の役目。これでいいんです。どちらにせよ、私は『こちら側の世界』に行くことは決めてました。そうしなければ、奴は倒せませんから。だから、私の『人』としての最後の力で彼が救えるなら、それでいいんです」

 そう言って、彼女は校舎内へと飛び込み、そして乱戦状態のスサノオに自らの身体に宿った「神」の力をぶつける。神薙使いの最終奥義、「神降ろし」である。闇に堕ちた者の心を浄化し、再び人(灼滅者)としての心を取り戻させる。しかし、その代償として、使用者自身の心が闇に堕ちてしまう。

「ここから先は、闇に堕ちた私とあなた、どちらが先に五十六を倒すか、競争ですよ」

 薄れゆく意識の中で、逆に意識の戻りつつあるスサノオにそう告げると、彼女はその場から去っていく。次の瞬間、スサノオの身体は人間に戻ると同時に、暴れすぎた反動でその場に倒れ込んでしまうが、彼女を追う形で校舎内になだれ込んだ英雄達がなんとか彼を奪還し、そのまま朱雀門の外へと脱出することに成功する。そして、その一連の校舎での乱闘に紛れて、なんとか校舎外へと脱出した葉那&花之とも合流した彼等は、ひとまずこの場からの撤退を決意する。
 こうして作戦は失敗に終わり、仲間になったばかりの一人の少女を失ってしまった彼等は、ひとまず五十嵐邸に再集結し、一から計画を練り直すことになったのである。

9.2.5. 情報の再整理

9.2.5.1. 姫子の鉛筆画

 失意のうちに五十嵐邸に戻った彼等を待っていたのは、追い打ちをかけるような悲報であった。姫子が過労で倒れて、意識不明の状態になっていたのである。どうやら彼女は、日曜の夜に彼等が東京に戻ってきて以来、学校も休んで徹夜でサイキックアブソーバーと向き合い、未来予知に専念していたらしい。医師の診断によれば、あくまで純粋な過労で、しばらく安静にしていれば意識は戻るとのことだが、これまで、一切疲れなど見せずにいつも微笑んで彼等を迎えていた彼女が倒れたという事実は、皆に少なからぬ動揺を与えていた。
 そんな彼女が、倒れる直前に描いていた一枚の鉛筆画が、五十嵐家の執事から皆に提示された。そこに描かれていたのは、拘束具をつけられた長い髪の少女と、その少女を怪しげな表情で見つめながら嬲ろうとする女性の淫魔の姿であった(下図)。


 淫魔の方は誰も見覚えのない姿であったが、拘束具の少女の方は、髪型こそ違うものの、おそらく現在彼等が探している「平野由奈」であることが伺える。どうやら、これが姫子が最後に見た「未来予知」の図らしい。

「僕は姫子君とは美術の授業で同じクラスだが、彼女の絵の実力は美術の先生からも高く評価されている。だから、この絵の淫魔は『現在、彼女を拘束している犯人』の似顔絵として、十分に信用出来るだろう」

 そう語ったのは(五十嵐邸の住人ではないものの、緊急事態と聞いて駆けつけた)帝である。ちなみに、歌姫でもある帝がなぜ美術選択なのかと問えば「今更、僕が高校の音楽の授業で何を学べと?」と返す。もっとも、律子があと一年早く武蔵坂に赴任していたら、おそらく話は変わっていただろう。
 そして、女性の淫魔(サキュバス)と言えば、当然、彼等の脳裏に浮かぶのは、現役最強のダークネス軍団を率いる少女・ラブリンスターである。そして、この日は帝と共に、一時期、彼女の傘下にいた浅美博之と高倉大介も会議に参加していた。彼等曰く、東京都内の淫魔であれば、ラブリンスターが把握してる可能性が高く、彼女はドライで計算高い性格だから、敵対勢力を倒すためなら、協力してくれるかもしれない、というのが彼等の判断である。

「確かに、それは有効な方法かもしれないが、しかし、だからと言って、ダークネスと手を組むというのはなぁ……」
「あのお姉ちゃんとは、会いたくないな……」

 それが英雄とヤマトの見解であり、実際、演劇部の二人も、あまり彼女と関わり合いたくない、というのが本音らしく、彼女の連絡先も既に(闇堕ちの後遺症を断ち切るために)消去済みのため、現実問題として今から彼女とコンタクトを取る手段もないという。
 しかし、実はこの時、「ラブリンスター(武林星羅)」の連絡先を懐に忍ばせていた人物がこの場に一人いたのだが、彼はあえてそのことを口には出さなかった。彼は個人的に「ラブリンスターに伝えるべき案件」を一つ抱え込んでいたのだが、そのことを皆の前で口に出すと、余計な混乱を招く可能性があると考えていたからである。

9.2.5.2. 若本女学園

 一方、実際に朱雀門で「平野由奈を誘拐したと思しき三人組」と遭遇した葉那が言うには、この淫魔の絵はその三人組の誰とも似ていない、とのことである(ちなみに、スサノオと花之はまだ療養中)。その上で、彼女がその三人組の外見について説明すると、英雄の脳裏に、今日これから会う予定の二人の女性の写真が思い浮かんだ。

「その三人のうちの二人は、私の見合い相手である可能性が高いな」

 葉那の説明を聞いた上で、そう判断した英雄は、素直にそのことを口にすると、さすがに周囲の面々がどよめく。

「お前さん、見合いなんて話、いつから?」
「あぁ、確か、昨日の朝だったかな」
「はえーよ!」

 もっともな政次のツッコミだが、これはおそらく英雄の父が、国際郵便が届くまでの所要時間を甘く見積もっていたせいであろう。ちなみに、このことに関して一番リアクションが気になる姫子はまだ病床であり、別の意味でどう反応するかが見物の透も、彼女に付き添っていたため、この場には不在であった。

「まぁ、日常はいつも変化するものだ。この程度のこと、覇王である私にはいつものことなのだよ」

 そう言って平静を装う英雄であったが、それに対して今度は、ヤマトが素朴な疑問を投げかける。

「じゃあ、英雄お兄ちゃんは、姫子さんのこと、諦めちゃうの?」
「……私にとっての一番は、今も昔も変わっていないよ」

 微妙な言い回しではぐらかした英雄であったが、ともあれ、今は英雄のプライベートを詮索している場合ではないため、話はすぐに本題に戻る。とりあえず、英雄が持っていた二人の写真を確認してみたところ、やはりその二人は葉那が朱雀門で遭遇した三人の中の二人とよく似ており、そのうちの片方、鈴村真美に関しては、政次が前日に朱雀門の校門前で遭遇した女性である可能性が高い、という結論に至った。
 その上で、英雄が持っている彼女達のプロフィールによれば、彼女達が通っているのは、芸能人養成学校・若本女学園である。その名を聞いて、久しぶりに昌子が、淳子の背後から姿を現した。

「若本女学園は、私より少し上の世代のカリスマ的な女性シンガーであった、ライトニング若本さんという方が設立した芸能人養成学校です。あの人は歌手としての才能に加えて、高潔な人格でも知られた方で、私は今でも尊敬してます」

 「ライトニング若本」という名は、若い世代にはあまり馴染みがないようだったが、芸能界を志す者達の間では、若本女学園は名門として名高い存在らしく、実はりんねと律子も、かつては進学を希望していたらしい。ただ、りんねは小6の時点で灼滅者の力に目覚めて武蔵坂にスカウトされたことで受験を取りやめ、律子は筆記試験には合格したものの、面接で「芸能人向きの性格ではない」と言われて、不合格となったらしい。
 少なくとも、彼女達の知る限り、若本女学園は武蔵坂とも朱雀門とも特に深い関係にはなく、これまでにダークネスに関する事件が起きたという記録もない。ただ、ここでもう一人、この学校に縁のある人物を知っている者がいた。ヤマトである。彼の遠縁の親戚の少女・谷山那月は、サイキックエナジーを使う能力を持ちながらも、武蔵坂ではなく若本女学園に通っている。昨日の時点で、彼女はヤマトの父・タケルの体調不良を癒すために神代家を訪れていたところを見ると、少なくとも彼女自身は人類に敵対する意志は無さそうに見えるが、彼女が力に目覚めたのが若本女学園に入学した後であることを考えると、何らかの「特別な力」が学園内に潜んでいる可能性は、十分に考慮すべきであろう。
 とりあえず、演劇部の三人は、若本女学園の演劇部とも交流があるらしいので、ひとまず彼等は「姫子の鉛筆画に描かれた淫魔」の件も含めて、彼等独自のネットワークを用いて、調査に向かうことになった。

9.2.5.3. 病室から消えた少女

 そんな話をしている中、ミラは葉那が語った「朱雀門で遭遇した三人組の最後の一人」が気になっていた。というのも、葉那の語るその少女の外見的特徴が、自分が今朝遭遇した「自分の過去を知っていると思しき少女」と一致してるように思えたからである。しかし、確証が持てない上に、特に写真や情報などを持っている訳でもなかったので、その場で言い出すべきか迷っていた時、彼女の携帯が鳴り響く。昨日、彼女が平野由奈の友人・寺島音羽を連れていった武蔵坂学園の付属病院からである。

「寺島さんが病室からいなくなったのですが、行き先に心当たりはありますか?」

 どうやら、今日の昼、看護婦が昼食を届けようと部屋を訪れた時には、既に彼女の姿がなかったらしい。昨日の言動から察するに、彼女が病体に鞭打って由奈を探しに行ったことは容易に想像出来るが、その場合、彼女はおそらく、一人で朱雀門に向かった可能性が高い。タイミング的に、スサノオ達による潜入作戦よりも前なのか後なのかが微妙なところであるが、いずれにせよ、これでまた厄介な案件が一つ増えてしまった。
 ひとまず、彼女の行方についてはミラが調査することにした上で、英雄は「お見合い(仮)」を通じて若本女学園の内情を探り、ヤマトは父を通じての那月の連絡先の確保、そして政次はまりんに「とある極秘案件」について相談することを決意する。

9.2.6. 英雄にまつわるエトセトラ

9.2.6.1. 五十嵐姫子

 こうして、各自がそれぞれの担当する方面への調査へと向かっていく中、英雄はその前に、病床の姫子を見舞うため、彼女の私室へと赴く。その傍らには、心配そうな目で彼女を見つめる透の姿もあったが、英雄の姿を見るなり、彼はいつになく素直に、すっと自分の立っていたポジションを彼に明け渡した。

「お前はいつも変わらないな。周りのためなら、自らの犠牲など考えず、どこまでも突き進んでしまう。そんな姿が、少し眩しくもあり、やはり愛おしくもある」

 軽く笑みを浮かべながら、まだ意識が戻らぬ彼女に英雄がそう告げると、透が口を開く。

「そう。だからこそ、姫子ねーちゃんを守るために、おま…………、俺達が必要なんだ」

 実はこの時、透が素直に彼を認めたことには理由がある。病床の姫子は、つい先刻まで、ずっとうわ言で英雄の名を呼んでいたのである。自分にとって最も大切な存在である姫子のその声を隣で聞かされ続けた彼は、もはや英雄のことを認めざるを得なかった。しかし、そのことを英雄に伝えてあげられるほど、大人にはなれなかったのも事実である。

「あぁ、そうだな。これからも、俺達がこいつの力になってやろう」

 そう言って、英雄は部屋を去っていく。しかし、この時、英雄の様子が何かおかしいと察した透が、密かにこの後、彼の後をつけていったことに、英雄は気付いていなかった。一方、この時、英雄がボソリと呟いた一言に、透の方も気付いていなかった。

「やはり、そろそろ、色々なことに決着をつけなければならないな」

9.2.6.2. 鈴村真美

 そして英雄は銀座の高級料亭「恋桜」に辿り着く。そこには約束通り、彼の縁談相手の鈴村真美が、清楚な雰囲気のスーツに身を包み、正座で待っていた。正直、「お見合い」というよりは、ビジネスの現場にいるかのような装束である。

「はじめまして。鈴村真美と申します」
「はじめまして。鳳凰院家の英雄です」

 そう言いながら、互いに深く一礼して、食事会は始まる。どちらも未成年ではあるが、雰囲気的には、既に成人した社会人の風格を漂わせていた。

「お噂は、かねがね聞いております。名門・鳳凰院家をその歳で継がれて、世界を股にかけて活躍しておられるとか」

 英雄が対ダークネス組織を率いて世界中を転戦していたということは、当然、普通の人は知らない。ただ、彼が鳳凰院家を継いでいることは周知の事実であり、「何かよく分からないけど、世界中を旅して何かをしているらしい」という程度の情報は、上流階級の社交界ではそれなりに広まっているようである。もっとも、先刻の朱雀門に現れた三人組の一人が彼女であると仮定すれば、彼女が「それ以上の情報」を知っている可能性も十分にあるのだが。

「いえいえ、私もまだ若輩の身。至らぬことも多くて、お恥ずかしい限りです」

 ひとまず、英雄はそんな当たり障りのない受け答えをしつつ、相手の出方を待つ。そんな形で微妙な探り合いの空気が広がる中、真美が唐突に本題(?)に踏み込む。

「あなたは私に、何をお望みですか? 貞淑な妻ですか? 優良な遺伝子ですか? 鈴村家の資産ですか?」

 単刀直入すぎる質問に英雄がやや面食らっていると、少し間を開けて、彼女は続ける。

「私には、あなたとの縁談を断る権利はありません。あなたが私を必要とするかどうか、それだけです」

 その割り切りすぎた態度に少し困惑しつつも、英雄は落ち着いて返答する。

「今回の縁談は、我々鳳凰院家が望んだものではないのですが、断れないとは、少々不穏ですね」

 少なくとも、英雄が知る限り、この縁談を持ちかけてきたのは彼の父ではなく、鈴村家の方である。にも関わらず、このような言い方をされるのは、英雄にとっては不本意であっただろうが、どうやら彼女の中では「鈴村家から申し込んだ縁談」だからこそ、鈴村家の側からそれを断るのは道理に反する、という認識らしい。

「鈴村の娘は、十六までは好きにしていいと言われているので、私はピアノを学ぶために若本女学園に入りました。しかし、十六になったら、いつでも嫁に行ける準備をしておくというのが、鈴村家の家訓です。私も先日誕生日を迎え、十六になりました。あなたが望むのであれば、今すぐにでも退学し、花嫁修業を始める所存です」

 つまり、鈴村家に生まれた女性は、16歳になった時点で、自分の意志に関係なく、嫁ぎ先の相手のために尽くす人生を送ることが定められている、ということらしい。無論、英雄もまだ未成年なので、正式に結婚するにはまだ数年を要するのであるが、彼女の中では、英雄が彼女を自分の妻に迎えることを決めたのであれば、その時点から、身も心も彼に捧げる覚悟は出来ているようである。

「なるほど…………。家のためにその身を捧げるというその覚悟は、ご立派なものです」

 同じ名家に生まれながらも、自分とは全く異なる境遇で育ってきた彼女の決意に対しては、人生観として強烈な違和感を感じつつも、英雄は素直に敬意を示す。ただ、彼は彼で自分の意に沿わぬ形で縁談を進められることは不本意であるし、今ここにいる上でのもう一つの目的、つまり「若本女学園に関する情報」を調べるために、少し話をそらして探りを入れ始める。

「最近の、日々の学園生活は、あなたにとって実りの多いものですか?」
「そうですね。やはり、音楽を学べること自体は楽しいです。しかし、その楽しさに溺れすぎてもいけないと思っています。無論、それはあなたが私に何を望むかにもよるのですが」

 一瞬、素の自分に戻ったかのような「純粋に青春を謳歌する女子高生」としての素顔を見せながらも、すぐに再び、彼女は「名家に生まれた令嬢」の顔に戻る。

「私はこの歳まで、おそらく普通の人よりも自由に、やりたいことをやらせてもらいました。鈴村の家に生まれなければ、ここまで恵まれた環境で音楽を楽しむことも出来なかったでしょう。ですから、今は確かに充実していると言えばしています。しかし、それは『いつ捨ててもいい』という覚悟の上です」

 強い決意の上でそう語る彼女に対して、ノブレス・オブリージュの精神の持ち主でもある英雄は一定の理解を示しつつ、これ以上の会話を続けることは双方にとって望ましいことではないと感じた英雄は、早めに結論を告げた方が良いと判断する。

「そうですか。いや、唐突に変なことを聞いてしまってすみません。私もこのような場は馴れていないもので、何を聞けば良いやら、分からなかったもので。ただ、今回の縁談に関しては、申し訳ございませんが、当方には受ける意志はありません。ですから、失礼ですが、今回のお話に関しては『ご縁がなかった』ということにして頂きたい」

 そう宣告された真美は、少なくとも表面上は平静を装いつつ、淡々とした態度で口を開く。

「そうですか。では、一つお聞かせ頂けませんか? 私の何が至らなかったのでしょう?」

 彼女自身が望んだ縁談ではなかったにせよ、自分を拒絶されたということは、何か自分に問題があったと考えるのが自然である以上、その点を聞きたいと思うのは道理である。もっとも、本人を目の前にしてここまでストレートに聞くのは、あまりエレガントな行為とは言えないが。

「あなたは実に美しく華麗な人間です。どうして、と理由を問われるならば、『あなたは彼女ではない』、それのみがただ一つの理由だと答えましょう」

 そう言われた真美は、素直に納得した様子で、それまでずっと張りつめていた表情を少し和らげながら、なぜか軽く笑みを浮かべる。

「なるほど。既に心に決めた方がいらっしゃるのですね。私の初めてのお見合いの相手が、あなたのような誠実な方で良かったです。出来れば、次はあなたのような方と、まだ『その人』と出会っていない人と、巡り会いたいと思っています」

 そう言って、彼女は一礼して店を去っていく。その時、彼女が「軽く足を引きずるような仕草」を見せていたのだが、「次の縁談」が控えている英雄にとって、これ以上、彼女を詮索する時間はなかった。


9.2.6.3. 諏訪部蓮華

 真美との縁談を早めに切り上げたこともあり、タイトスケジュールであったにも関わらず、英雄は無事に時間通りに六本木の高級レストラン『Orange Rhapsody』に到着する。そこで彼を待っていたのは、真美とは対照的に、お見合いとは思えぬほどのラフな格好の女性であった。

「あ、どうも、はじめまして。諏訪部蓮華と申します。いやー、申し訳ないですね。というか、災難でしたよね。私なんかとの縁談を勝手に進められてしまって」

 一応、最低限の敬語で話してはいるが、明らかにその口調は、よく言えばフランク、悪く言えば無作法な態度である。

「いえ、あなたのような美しい女性と出会えることは、私にとって実に幸運なことです」

 先刻までの重苦しい雰囲気とは対照的な空気のせいか、応答する英雄の声もどこか軽い。「覇王」としての威厳を保ちながらも、(特に最近は)一般庶民の人々と交流する機会の多い彼にとっては、こういう女性が相手の方が、話しやすいのかもしれない。

「なるほど、女性にそれなりに馴れた方のようですね。まぁ、私も正直、父親の顔を立てるために来ただけのことですから、帰りたくなったら、いつ帰ってもらってもいいですよ」

 どうやら、彼女も真美と同様、本人の意志とは関係なく縁談を進められた立場らしい。ただ、真美とは異なり、彼女は「自分自身があまり縁談に乗り気ではない」という姿勢を隠す気がないようである。そして、英雄も同様にこの縁談には前向きではないということを察したのか、とりあえず、彼女は他愛無い雑談から話し始める。

「ところであなたは、今、何を? まだ高校生ですか?」
「えぇ、そうですね。まだまだこの身には至らぬことが多いと感じ取り、今は色々と学び直すために学園にいます」
「もう既に、鳳凰院の家を継いでるのに?」
「えぇ。だからこそ、自らに足りないものがあると実感しましたので」
「なるほどねぇ」

 そもそも16歳なのだから、日本人であれば普通は高校生である。しかし、彼が「世界を股にかけて活躍する鳳凰院家の若き当主」であるという評判が一人歩きしているせいか、海外で飛び級で大学まで卒業しててもおかしくない、というイメージが広がっているのかもしれない。
 そして、会話を交わす過程の中で、蓮華の口調が徐々にタメ口になりつつあった訳だが、根が気さくな英雄は、そんなことにこだわるほど器の小さい人間でもなく、そのまま自然と雑談を続ける。

「そういうあなたの学園生活はどうですか?」
「私、ちょっと前まで、ニューヨークでモデルの仕事やってたんだけど、そっちでジャズに興味を持ったのよ。で、今の学校ではサックスを勉強してるわ」
「なるほど。新しい挑戦ですか」
「そう、だから、正直まだ結婚する気はないんだ。あと、過去の男性関係とか、そういうこと詮索する人は、私、基本的に無理だから」
「ハハハ、では、私も聞かないように致しましょう」

 そうやって談笑しつつ、英雄は「自分の中での本題」に切り込むタイミングを見計らっていた。相手に縁談を真面目に進める気がないのは英雄にとっても幸いであったが、そんな相手であるからこそ、彼としても「遠慮」をする必要はないと考えたのかもしれない。

「そういえば、今日のお昼頃、あなたとよく似た人を見かけたのですが、失礼ながら、今日のお昼頃は何をなさっていたのですか?」
「今日の昼? 普通に学校に行ってたけど」

 突然の予想外の質問に困惑しつつも、彼女はそう答えた。英雄達の推測が正しければ、確かに彼女は「学校」にはいた筈である。しかし、それがどの学校であるかが問題であった。

「それは、若本女学園ですよね?」
「えぇ、そりゃあ、私は若本の生徒だし。普通に授業を受けてたわよ」
「それは、どのような授業ですか?」
「今日は……、午前中は普通の高校と同じカリキュラムで、午後は選択科目で、ダンスと演技の授業だったわ。若本は総合芸能人養成学校だから、私はサックスがメインだけど、そういう授業もあるのよ」

 正直、それが本当か否かを確認する術は英雄にはない。ただ、彼女のその語り口調が、どこか「取り繕っている様子」に思えた英雄は、ここで一つの「賭け」に出る。

「それは、嘘ですね」
「……どうして、そう思うの?」
「今日のお昼頃、あなたは別の場所にいた筈。だから、その授業に出ることは出来ない」
「へぇ……。じゃあ、私をどこで見たのかな?」

 そう言いながら、彼女は開き直ったような笑みを見せる。そして、密かに袖の内側に忍ばせた「何か」を操作していたのだが、それは完全に英雄からは死角の位置であった。

「それは…………、朱雀門高校です」
「ほーう、あなたはその時、朱雀門にいたの?」
「そうですね。さる目的のために、あの近くにいました」
「……武蔵坂だとは聞いてはいたけど。……武蔵坂と朱雀門は仲が悪いということは、私でも知ってるけど」

 どうやら彼女は、英雄が武蔵坂学園の生徒であるということは、事前に知っていたようである。というか、見合い相手の通う学校が事前に伝わっているのは当然の話である。その上で、武蔵坂と朱雀門の関係についてまで知っているということは、つまり、先刻の質問は、あくまで「なぜ、彼が武蔵坂に通う必要があるのか?」について探りを入れることが目的であった可能性が高い。そしておそらく、彼女は武蔵坂学園と朱雀門高校の「正体」にも気付いているのであろう。

「えぇ、そうですね。決して、友好的な目的のためにあそこにいた訳ではありません。それは、あなたもでしょう?」
「…………んー、なるほどね。それで、私なんかとの見合いの席に、わざわざ出て来たって訳ね」
「正直、この理由は無い方が良かったのですよ。女性と会うのに、このような無粋な理由など邪魔なだけです。あなたと出会えたことが幸運だったというのは、私の本心です。さて、本題に入りましょう。あなた方が誘拐した彼女は、今、どこで何をしているのですか?」

 そう言いながら、彼は密かに仲間達(ヤマト、スサノオ、政次、ミラ)にメールでエマージェンシー・コールを送る。それは自分が今、六本木にいて、これから敵との衝突が発生するかもしれない、という内容であった。

「…………まぁ、誘拐ではないんだけどね。誘拐してたのは、朱雀門だし。あの子、武蔵坂の子でしょ?」
「えぇ、ですから、彼女の身柄は武蔵坂学園が保護します。出来れば、返して頂けるとありがたいんですが」
「残念ながら、そういう訳にもいかないのよね」

 そう言うと彼女は、一瞬にして後ろに飛び退き、戦闘態勢に入る。彼等の会食の場は、洋風レストランにしては珍しい「個室」であり、周囲を気にする必要がなかった。彼女は、スレイヤーカードによく似た謎の四辺形の物体を懐から取り出すと、そこからサックスが現れる。それを手にした彼女が英雄に音波攻撃を仕掛けようとするが、それより一歩早く、英雄が懐に飛び込んで、やや手加減した一撃を加える。彼としては、今は情報を聞き出すことが目的である以上、彼女の正体が何であれ、ここで殺す訳にはいかなかった。
 しかし、手加減された一撃では、彼女を止めることは出来ない。すぐさま蓮華は英雄から離れて間合いを取り直し、改めて音波攻撃を仕掛ける。それは不気味な闇の波動に包まれており、それが彼の耳に届いた瞬間、同時に炎が巻き起こり、彼の心身に壮烈なダメージを与えるが、それでもなんとか耐えきった彼は、再び彼女との間合いを詰めようとする。
 こうして、両者が「自分の間合い」を取りながら互いに打撃を与え続けていく中、どちらも満身創痍の状態になりかかったところで、部屋の二つの扉から、二人の乱入者が現れる。

「蓮華さん! 」

 そう言って、蓮華の側から現れたのは、「眼鏡をかけた長身の女性」であった。どうやら彼女は、先刻、蓮華が「袖の内側にある何か」を操作した結果、彼女がこの場で危機に陥っていることを知って駆けつけた、蓮華の仲間らしい。彼女は到着すると同時に、ヒールのサイキックで、蓮華の傷を癒す。
 一方、それとほぼ時を同じくして反対側の扉から入ってきたのは、誰も予想しない人物であった。

「鳳凰院! 大丈夫か!?」

 英雄の危機に駆けつけたのは、彼がエマージェンシー・コールを送った面々ではなかった。彼等よりも早く到着したのは、英雄の危機を予見して、五十嵐グループの一員が持つゴールドカードの力でレストランに入店していた少年・中田透だったのである。彼もまた、豊橋でのウズラ農家巡りで鍛えた得意のヒール技術で、ボロボロだった鳳凰院の身体を全快させる。自分にとっては宿敵といえども、「姫子にとって必要な存在」である彼を助けることには何の躊躇もなかった。
 そこから更に彼女達を捕縛しようと手加減攻撃を続けた英雄ではあったが、敵の数が増えたことで短期決戦で終わらせようとしていた彼の目論みは大きく崩れた。しかも、まだ他にも敵の援軍が近くに潜んでいる可能性も考慮しなければならない。

「鳳凰院、ここは退いた方がいいんじゃないか?」
「…………現状では、やむをえんな」

 そう言って、彼等はその部屋から退散する。そして、既に危機的な状況にあった蓮華も、彼等を追撃する余力は残っていなかった。

「仕方ないわね。次は、全力でやりましょう」

 こうして、彼女を捕えて情報を聞き出そうとした英雄の作戦は失敗した。ただ、「11人目の歌姫」と思しきラグナロクの少女が、現在、若本女学園の者達の手にあることは、これでほぼ確定したと言っても良い。英雄は自分の不甲斐なさを悔いつつも、その情報を伝えるために、透と共にどうにか無事に五十嵐邸へと帰還した。

9.2.7. 躍動するダークネス

9.2.7.1. 少女達の邂逅

 一方、寺島音羽の行方を探していたミラは、音羽が向かったと思われる朱雀門に行く途中で、通りすがりの(幽霊的な)都市伝説と遭遇していた。どうやら彼女もまた(豊橋での赤小人のクララとの遭遇の件も含めて考えると)ヤマト同様、都市伝説と相性の良い体質のようであるが、それが「魔法使い(ヤマトの場合はシャドウハンター)」であるが故の特性なのか、彼女個人の属性なのかは分からない。

「あぁ、見た見た、その子。かなりフラフラの身体で、朱雀門高校に行こうとしてたみたいだけど、その途中で、でっかい袋を持った三人組の女の子とぶつかってね。その時に、そのズタ袋の中から女の子が出てきたんだけど、その子を見た途端に取り乱して、彼女達に殴り掛かろうとしたのよ。でも、全然身体が動かなかったみたいで、なんか色々話をして、なんかよく分からないけど、最終的には納得したんだかしてないんだかみたいな顔をしながら、その三人についてったよ。なんか怖い雰囲気で近付けなかったから、何を話してるのかまでは聞こえなかったけど」

 おそらく、その三人は葉那やスサノオが遭遇した朱雀門で遭遇した三人組で間違いはないだろう。そして、状況的に考えて、「ズタ袋の中にいた女の子」が平野由奈である可能性も高そうではあるが、最終的に彼女達と音羽との間でどのような会話(取引?)がなされたのかが分からない以上、彼女の行方を特定出来る情報とは言い難い。

「で、ちょっと気になったから、後をつけていったんだけど、そしたら今度はその四人が、目がイッちゃったカンジの荒れた中学生の女の子と遭遇してね。その子もその子で、なんか疲れ果ててたみたいだけど、なんか色々話した上で、その子も一緒について行ったよ」

 この「荒れた中学生」が誰なのかの特定は難しい。ただ、朱雀門高校の近くであったとすると「闇堕ちした直後の宮野朱鷺」である可能性は十分に考えられる。神薙使いをルーツとする彼女は、羅刹となった筈であり、一般的には羅刹が他のダークネスと関わることは少ないと言われているが、まだ人間としての心が若干残っている状態であれば、本来の彼女の人格が多少影響する可能性は十分にありえる。
 彼女達が何を思って、何を為そうとしているのかは、ミラには分からない。ただ、今回の事件を巡る状況が悪化の一途を辿っているということは、うっすらと感じ取っていた。

9.2.7.2. 禁断の選択肢

 そんな中、政次がまりんに持ちかけていた相談は、演劇部の面々が提案した「ラブリンスターとの交渉」という選択肢についてである。実は彼は、劇場で彼女から貰った「名刺」をまだ持っていた。電話番号やメールアドレスが今でも使える保証はないが、少なくとも彼女とコンタクトを取れる可能性はある。
 とはいえ、英雄のように、ダークネスと手を組むこと自体に嫌悪感を示す者がいることも理解出来るし、状況によっては、自分がダークネスに取り込まれる、もしくは彼女達に都合の良いように利用される可能性も否定は出来ない。その意味で、淫魔である彼女との接触を試みるという行為は、まさに「禁断の選択肢」である。だからこそ、その選択肢を選んでも良いものかどうか、エクスブレインとしてのまりんの見解を聞こうと考えたのである。このことからも、政次は姫子と同等以上にまりんのことを信用していることは明らかであった。

「ラブリンスターって、現役では最強クラスのダークネスよね……。あなたは、どうするつもり?」
「それで何か情報が得られるなら、交渉はしたい」

 彼がそう答えるのは分かりきっていた。彼女としては、出来れば危険な橋は渡ってほしくないのが本音だが、ここは私情を押し殺して、サイキックアブソーバーの元へ行き、未来予知を試みる。かなり厳しいブレイズゲートによって妨害されてはいたが、それでもどうにか、彼女は二つの未来のヴィジョンが見えた。一つは、彼がラブリンスターに殺される未来、もう一つは、笑顔で彼女から何かを聞き出している未来である。そして、どちらの未来においても、ラブリンスターと交渉しているのは政次一人であったという。
 そのことを告げられた政次は、ひとまず他の調査の結果を聞いてみた上でどうするかの方針を決めようと考え、五十嵐邸に向かう。そしてこの時、まりんも彼と共に同行し、出来ればそのまま五十嵐邸に居続けたい、ということを希望する。これまで彼等を導いてきたエクスブレインの姫子が倒れている現状において、まりんの力が必要となる可能性は十分にあるし、逆に言えば、だからこそ、まりんを一人にしておくことの危険性も考慮する必要がある以上、彼としてはそれを断る理由は無かった。

9.7.2.3. 深まる疑惑

 こうして、英雄、ミラ、政次がそれぞれに情報を集めている中、ヤマトは自宅に帰り、父親から那月の連絡先を聞いていた。現状、若本女学園が事件に関わっている可能性が高い以上、何らかの情報を聞き出すためである。その上で、具体的に彼女から何を質問するかについては、皆と相談してから決めようと考えていた彼は、皆よりも一足先に五十嵐邸に戻り、彼等の帰りを待つ。
 そして、皆が揃ったところで、英雄が自分の作戦失敗の顛末について説明することになった訳だが、その話の中で登場した「諏訪部蓮華の救援に駆けつけた、長身で眼鏡をかけた女性」のくだりを聞いた瞬間、ヤマトの脳裏にに嫌な予感が過る。

「英雄お兄ちゃん、その人って、もしかして……」

 そう言って、彼は自分の携帯に入っていた那月の写真を見せる。英雄の説明を聞く限り、その少女の外見的特徴が、那月に一致しているように思えたからである。

「おぉ、そうだ。その女性だ。知っているのか?」
「うん、僕の、親戚のお姉ちゃん……」
「なん……、だと………………」
「今年から、若本女学園に通うことになって、モデルを目指すんだって…………」

 こうなると、彼女を含めた若本女学園の面々がこの事件に関わっていることは、ほぼ間違いない。ただ、彼女はヤマトの父・タケルの治療のために神代家を訪れ、実際に彼女の治癒の力で父が順調に回復していることに鑑みると、ヤマトとしては、彼女が「人類の敵」であるダークネスとは、どうしても考えにくい。ただ、彼女達がダークネスであるにせよ、灼滅者であるにせよ、彼女達が「歌姫(と思しき)平野由奈」をどこかに連れ去った可能性が高い以上、最悪の場合、父の恩人である那月と戦う覚悟も必要であるということを、ヤマトは実感し始めていた。

9.7.2.4. 四天王、参戦

 こうして、徐々に若本女学園への疑惑が深まる中、彼女達に関する調査に出ていた演劇部の三人が、なかなか帰ってこない。更に言えば、現在の五十嵐邸の住人達のうち、(東京に土地勘がないにも関わらず)自主的に情報収集に出かけていたうずら・みなとも、まだ帰ってきていなかった(いなりは、俊一にサンスクリット語を教えるために、今回は別行動)。
 そんな中、家に戻ってから、姫子の看病を続けていた透が、彼女の携帯を持って、皆が集まっていた居間にやってきた。どうやら彼女の携帯に、学園の付属病院から電話がかかってきたらしい。皆がどうすべきか迷っている中、英雄が携帯を受け取り、自ら電話に出る。

「こちら、五十嵐姫子様のお電話でよろしいでしょうか? 今、急患で担ぎ込まれてきた重症の方々の履歴に、この電話番号が載っていたので、かけさせて頂きました」

 そう前置きして語り始めた看護婦らしき人の説明によると、どうやら現在、病院に重傷者が5名運び込まれたそうで、その全員の履歴にこの電話番号があったらしい。そしてその5名の名は、まさに今、帰還が遅いことに心配していた面々であった。とりあえず、意識はあるということらしいので、英雄、政次、ヤマト、ミラ、そして(スサノオよりも一足早く目を覚ました)花之の5人で、病院へと向かう。
 まず、うずら・みなとの病室を訪れた彼等に対して、心身共に憔悴しきったみなとが、事の顛末を語る。どうやら彼女達は、姫子の鉛筆画のコピーを使って、人が多く集まる(というイメージが地方出身者の中では強い)新宿駅近辺を探していたらしい。

「そしたら、アイツが現れたのよ。西尾で、お市様と戦ってたアイツが」

 西尾での一件を思い出した彼等の背筋に、強烈な寒気が走る。西尾で名古屋市と戦っていた者と言えば、六六六人衆の二桁メンバー・本多五十六である。はっきり言って、今の彼等にとっては「遭遇したら、即撤退」が義務付けられるレベルの相手である。

「私等を見るなり、『この件には関わらん方がいいぞ』って言って、素手で軽く殴り倒されたわ。あの時みたいな本気も殺気も全然感じなかったけど、それでも、全く歯が立たなかった」
「それは…………、むしろ、生きていただけでも幸運だったな」

 英雄が素直な感想を呟き、皆も同意する。とはいえ、どうやら彼もまた平野由奈を巡る争いに関わっているらしい、という情報は、彼等にとっては非常に厄介な話であった。
 その後、今度は演劇部の三人の病室を訪れた彼等であったが、どうやら彼等もまた、調査中に遭遇した謎のダークネスによって、重症を負わせられたらしい。帝曰く、そのダークネスの姿ははっきりと覚えているのだが、自分は姫子ほどの絵心はないので、上手くその姿を表現することは出来ない、とのことである。
 すると、ここで花之が突然、皆の前に出てくる。

「私の『第五の能力』の出番のようね」

 ちなみに、現時点で発覚している彼女の四つの能力は「お菓子をねだる」「いたずらする」「歌う」「テレポートする」である(箒で空を飛ぶのは、魔法使いなら誰でも出来ることなので、彼女の中では「能力」と呼ぶには値しないらしい)。
 そんな彼女がここで発揮した「第五の能力」とは「人間の頭の中にあるイメージを映像として映し出す能力」であるという。「そんな力があるなら、もっと早く言えよ」とその場にいた人々が思っている中、彼女は帝の頭に右手を差し伸べつつ、左手から映像を病室の壁へと映し出していく。そこに映っていたのは、英雄の仇敵・井伊フリードリッヒの姿であった(演劇場の戦いの際に彼も観劇していたのだが、さすがにあの戦いに直接参加していなかった帝が、彼の顔を知っている筈もなかった)。
 彼もまた本多と同様、「この件に関わるんじゃない」と言って彼等に襲いかかってきたらしい。当初は、3対1ということもあり、なんとか帝達にも勝機はあったらしいのだが、その戦いの最中、徐々に彼の身体が「炎をまとった獅子(下図)」の姿へと変わっていき、最終的にはその圧倒的な炎の力によって、一蹴されてしまったという。


「それでも、止めを刺さなかったのは、我々に言付けを頼みたかったらしい。『カイザー鳳凰院に、この件からはお引き下さい、とお伝え下さい』と言っていた」

 英雄の中で、かつての部下に対する怒りが更に込み上げていくのを横目に、政次はひとまず、冷静にこの状況を整理してみた。彼等の話から察するに、どうやら、本多も井伊も平野由奈の行方は知らないらしい。つまり、彼等「徳川四天王」の面々と、若本女学園のグループは、あくまで別勢力と考えるのが妥当である。その上で、最初に彼女をさらった朱雀門と四天王組が協力関係にあるのかどうかは分からない。
 この複雑な状況を打破するために、政次は一つの決断を下す。

「すまん、ちょっと考えをまとめたいから、屋上で空気を吸ってくる」

 そう言って、彼は病室を後にする。しかし、彼の中では既に「考え」はまとまっていた。彼は遂に「禁断の選択肢」に手を出すことを決意していたのである。

9.2.8. 「淫魔」の正体

 病院の屋上に出た政次は、携帯で「武林星羅」の名刺を取り出し、そこに書かれていた番号に電話をかける。

「はい、こちら『アナタの恋人』ラブリンスターです♪ どんなお仕事のご依頼ですか?」

 聞き覚えのある声が、電話の向こう側から聞こえてくる。どうやら「武林星羅」の名は、既に封印したらしい。

「お久しぶりです。平福政次と申しますが、覚えていらっしゃいますか?」

 覚えている筈がない。なぜなら彼は、そもそも彼女に対して名を名乗っていないのである。

「ヒラフクさん……? えーっと、どちらのテレビ局の方でしたっけ?」
「そうですね……、武蔵坂というところです」

 この状況で取り繕っても仕方がないと判断でした政次は、ストレートにそう告げる。すると、彼女の声色が変わる。

「武蔵坂ね……。ヒラフク…………? そんな部員、いたっけ?」
「いつぞや、演劇やってた時にちょうど名刺を渡された訳ですが……」
「あー、思い出した。あの日本刀の子か!」

 ちなみに、政次と彼女が会った時点では、彼は日本刀など持ち合わせてはいなかった。つまり、この時点で彼女は、今自分が電話で話している相手が、「自分の誘いを断った高校生」であると同時に、「日本刀を武器に自分達に歯向かった灼滅者の一人」であることまで認識している、ということである。 

「で、今更、何の用?」
「あの時に、あなた達を追い出そうとしていたダークネスと、それとは別勢力の淫魔と思われるダークネスが、とある人物を取り合っていましてね」
「ほーう」
「あなたにとって、どちらも『追い出さなければならない存在』だろうということで、ここは『蛇の道は蛇』ということで、あなたに連絡を入れてみた訳ですよ」

 厳密に言えば、酒井達がラブリンスターを三鷹近辺から追い出そうとしていたということを、ラブリンスターが知っているかどうかは分からない。ただ、彼女にとって、どちらも敵対勢力である可能性が高いという目算の上での発言である。

「で、その『取り合ってる人物』ってのは、何者なの?」
「我々にとって、かなり特殊な存在です」

 もしかしたら、ラブリンスターも既にこの争いに参戦している可能性もあるが、ひとまず政次は名を伏せる。しかし、ラブリンスターは、どうやらそれが誰なのかという点については、あまり興味を示さなかった。

「で、それを取り合ってるのが、酒井達の一派と、よく分からない淫魔ってことね。その淫魔について、何か分かってることはある?」
「一応、似顔絵はありますが」
「じゃあ、写メ送って」

 そう言われた彼は、姫子の鉛筆画の映像をラブリンスターのメールアドレスに送る。すると、それを見た彼女は、すぐにそれが誰か分かったらしい。

「あぁ、知ってるわよ、この子」
「もし、それが厄介な存在なら、その排除に協力しても良いかと」
「厄介というか、ムカつく存在よね、この子。兄貴も兄貴だけど、この子もこの子で色々厄介というか、ウチの子にちょっかい出して来たりして、人とか物とか場所とか、色々取り合ったりもしてるんだけど」

 「兄貴」と聞いて政次は嫌な予感が思い浮かぶが、直後の彼女の発言で、それが正解であったと分かる。

「榊原ヒルダっていうんだけどね、この子。兄貴がいなくなって、好き勝手に羽伸ばしてるのかしらね、まったく」

 予想通り、である。とりあえず、ラブリンスターの言い分によると、榊原兄妹は仲が悪いらしいので、協力関係とは考えにくいらしい。

「で、そいつが今、どの辺にいるのか、とか…………」
「そうねぇ、まぁ、教えてもいいけどぉ……、それ教えることで、私に何かイイ事、あるかな?」

 見返りを要求されていることは分かっていたが、政次としても、具体的に彼女に提示出来るリソースは少ない。政次が返答に窮していると、彼女は更に付け加える。

「まぁ、情報が欲しいっていうなら、それに相応しい対価は、やっぱり情報よね。勿論、ガセ掴ませたら、タダではおかないけど❤」

 この状況において、政次が抱えている最大の情報、それは、ノーライフキング・徳川家康の復活計画である。色々と迷いつつも、ここで彼女にこのコトを伝えることはマイナスにはならないと判断した政次は、包み隠さず、その情報を彼女に提供した。ここまで、酒井達と彼女の仲が悪いことを考えれば、彼女がこの情報を知っているとは考えにくく、また彼等と協力関係を結ぶ可能性も低いと思えたからである。

「なるほど……。それは厄介な話ね。せっかく、今、各界の強力なダークネス達が眠ってくれてるお陰で、私もやりたいようにやれてる状態な訳だし、その私の優位が崩れるのは、確かに困るわ」

 政次の思惑通り、どうやら彼女はこの情報に価値を見出してくれたらしい。その上で、状況によっては、協力関係すら結べそうな雰囲気ですらある。

「それにしても、アイツが復活かぁ……。まさか、本当にそんなことになるとはね……。あの時、やっぱり、もっと他に取るべき行動があったのかもしれないな……」

 彼女がボソボソとそう呟くと、それを聞いた政次は「彼女の正体」について一つの確信に至った。そこで彼は彼女に、吉良荘の地下室で聞いた「『姉』の伝言」を伝える。

「まさか……、あなた、月見姉さんに会ったの!?」

 「月見」という名は知らない。しかし、彼女の反応からして、おそらく間違いないだろう。現在、淫魔・ラブリンスターと名乗っている彼女の正体は、姉と共に300年前に安倍晴明の召還に力を貸した十二人の歌姫の一人である。それがどんな因果でダークネスとなってしまったのかは分からないが、強力な力をもつサウンドソルジャーであれば、いつそれが淫魔に堕ちてもおかしくはない。灼滅者とダークネスとは、常に表裏一体の存在なのである。
 そして、政次が吉良荘での顛末の詳細と、現在ダークネス同士の間で奪い合っている少女が「歌姫」の一人である(可能性が高い)ことををラブリンスターに告げると、彼女は深いため息をつく。

「ふーん、そう、そういうことなの……。つくづく、馬鹿な人よね、あの人も。そんな使命なんかに付き合って、何百年も孤独な地下室で一人で待ち続けるなんて……。まぁ、いいわ。使命だか何だか知らないけど、私は、全てを私の歌の下に跪かせる。それこそが、今の私が私自身に課した使命。その私にとって、正直、家康の復活は困る。だから、そういうコトなら、協力するのもやぶさかじゃないわ」

 そう言って、彼女はヒルダについての情報を彼に語り始める。曰く、現在、ヒルダは若本女学園の内部に入り込み、少しずつ学園内の生徒達を自分の下僕に堕としている過程らしい。そして、彼女の動きを警戒していた彼女は、更に詳しい情報を握っていた。

「あの学校の中央階段の、一階と二階の間の踊り場に、異空間へと繋がる隠し扉があるわ。そこにあの子がアジトがあるの。多分、その歌姫の子も、そこに捕えられてると思うわ」

 なぜ、彼女がそこまでの情報を知っているのかまでは教えなかったが、おそらくは彼女もまた、若本女学園を「自身の勢力を広げる上でのターゲットの一つ」と考えていたのだろう。淫魔である彼女達にとって、芸能人養成学校ほど美味しい狩り場は他にない。もしかしたら、既に同学園内にもラブリンスターのシンパはいるのかもしれないし、ヒルダの部下の中にも彼女のスパイが紛れ込んでいる可能性はある。ただ、いずれにせよ、その情報源についてまで詮索したところで、彼女が本当のことを話すとは考えにくかった。
 そして当然、この情報も真実である保証はない。彼女がヒルダと通じていて、政次達を罠に嵌めようと考えている可能性もゼロではない。ただ、今の彼女にとって家康の復活が望ましいことではないのは事実であろうし、元歌姫である以上、家康を封じる上で安倍晴明の復活が最良の一手であることも承知している筈である。そのことを考えれば、ここで彼女が自分達を陥れることが、彼女自身にとっての利益に繋がるとは考えにくい。よって、彼はここで彼女の情報を信じることにしたのである。

「で、あんた達としては、その子を助けるのに、私の力は必要?」
「実際のところ、俺の仲間には、ダークネスを見るとすぐに殴り掛かってしまう奴もいるので……」

 この時点で彼が想定していたのは主に英雄であるが、本能的に戦いを求めるスサノオや、闇と戦うことを家訓としているヤマト、そして淫魔に対してトラウマを持つミラもまた、彼女との共闘に賛同させるには厳しい面々である。故に、戦略的には彼女との同盟は大きなプラスになるが、現実的には難しい、というのが現状であった。

「なるほどね。まぁ、私もあんまり無駄にウチの兵隊殺したくないし、そういうことなら、酒井の一派の目をそらすために、ちょっと偽の情報でも流して、からかってみるくらいに留めておこうかしら」
「そうしてもらえれば、こちらとしても助かる」

 こうして、政次とラブリンスターとの間での「密約」が成立した。無論、このことが表沙汰になれば、武蔵坂から政次への嫌疑の目は避けられない。彼は今後も、非常に難しい立場でこの協力関係を維持していくことを強いられるのであった。

9.3.1. 突入メンバーの選定

 政次が病室に戻ったそのタイミングで、ちょうど別の病棟で療養中だったスサノオも目を覚まし、皆で五十嵐邸へと帰還する。
 その上で、政次は皆に(情報源については伏せたまま)ヒルダの居場所に関する情報を伝えた。さすがに、いきなりの詳細すぎる情報に対して、英雄は「これだけの情報をどこで調べたんだ?」と目で政次に問いかけるが、彼は「教える訳ねーだろ」と目で返す。英雄も、これはさすがに何らかの「人には言えない方法」を使ったことは察していたようで、「まぁ、それも当然だろう」と言いたそうな雰囲気で目をそらす。なんだかんだで「政次の言うことならば」と無条件で信じられる程度の信頼関係は、同級生でもあるこの二人の間に既に構築されていたようである。
 この時点で、既に刻限は真夜中となっていた訳だが、様々な勢力が絡んでいる以上、早めに動くことが望ましいと判断した彼等は、このまま若本女学園にあると思われる「榊原ヒルダのアジト」に奇襲をかける、という方針を固めるが、問題はそのメンバーである。敵側にフリードリッヒがいる以上、五十嵐邸の存在は知られており、灼滅者全員で出撃すると、その間に五十嵐邸を襲撃されて、姫子や律子が誘拐される可能性がある。そこで、英雄、政次、ヤマト、スサノオ、ミラの5人までは確定とした上で、他に誰を連れて行くかが問題であった。

「わ、私も、行かないとダメかな……」

 震え声でそう言ったのは、花之である。確かに、彼女のテレポート能力は、いざという時には役に立つのだが、午前中の朱雀門で喰らった瑠架の一撃が、相当なトラウマとなっているらしい。しかし、ここで英雄から、(先刻、銀座の「恋桜」で買ってきた)高級和菓子を渡された彼女は、なんとか気持ちを持ち直す。

「と、とりあえず、頑張ってみようかな。でも、戦闘始まったら、私、隠れてていい?」

 ちなみに、どうやら彼女には「第六の能力」として、「姿を消す」ということも可能らしい。それが出来るなら朱雀門の時にやっておけ、と言いたくなる話ではあるが、これはこれでそれなりにエネルギー(糖分)を消費するので、滅多なことがなければやらないことにしているらしい。
 一方、もう一人、どうしてもこの突入戦に参加したいと申し出た者がいた。透である。

「俺は行くぜ。俺はスサノオを闇堕ちさせないって約束したんだ。そうだろ?」

 それは確かに、先日の豊橋での一件の際に交わした約束である。午前中の朱雀門突入戦において、自分がいないタイミングでスサノオが既に一度闇堕ちしてしまっている以上、透としては、今度こそそれを自分が止めなければならない、という強い使命感に駆られていた。

「そうか……。お前の助力はありがたい。頼りにしているよ」

 英雄もそう言って受け入れる。正直、まだ力に目覚めたばかりの彼を連れていくことに懸念がない訳ではなかったが、先刻の戦いで自分が助けられている身である以上、それに反対する道理はなかった。
 こうして、7人による突入作戦が決行されることになったのである。

9.3.2. 闇に堕ちた少女達

 そして、深夜の女子校に潜入した彼等は、政次が得た情報通りに、一階と二階の間の踊り場へと向かう。すると、確かにそこにはバベルの鎖によって隠蔽された隠し扉があった。彼等がその扉を開くと、そこで繰り広げられていたのは、まさに姫子が描いていたあの場面、すなわち、淫魔・榊原ヒルダが、拘束具をつけた平野由奈を嬲っている光景そのものだったのである。

「アンタ達、誰? ここ、男子禁制なんだけど」

 ヒルダがそう問うと、政次が即答する。

「男子禁制だろうと何だろうと、俺達は、連れ去られた人を取り返しにきた。それだけだ」
「……兄様の手の者? それとも、朱雀門?」
「いや…………、武蔵坂の灼滅者だ」

 政次がそう言い放つと、ヒルダは納得したような表情を見せ、由奈を放り出して戦闘態勢に入る。

「そっか、分かったわ。あんたらね。ウチの子にちょっかい出してくれたのは」

 どうやら、蓮華と英雄の戦いは、既に彼女の耳に入っているようである。その上で、彼女のこの言い分から察するに、あのお見合い自体は、彼女が仕組んだことではなく、あくまで彼女達の実家の意志だったらしい。

「いいわ。ちょうどこちらも、二人増員したところだから、人数的にはいい勝負かもね」

 そう言って、彼女が指を鳴らすと、彼等の前に六人の少女達が現れる(下図)。そしてそれは、いずれも、この場にいる灼滅者達と何らかの形での関わりを持つ者達であった。


「思ったより早かったわね、ここに来るのが」

 英雄にそう言ったのは、諏訪部蓮華である。そして、もう一人の見合い相手もまた、彼女同様、英雄達の前に立ちはだかっていた。

「そうですか。あなたが蓮華を襲った、というか、蓮華のお見合い相手だったのですね。誠実な方だと思っていたのに……」

 鈴村真美は、落胆したような顔でそう告げる。どうやら、彼女は自分の同級生が同じ男と見合いをすることになっていたことは知らなかったようである。一応、最初から二人とも断るつもりであった英雄の対応自体はそれなりに誠実な対応と言えなくもないのだが、事情を知らない者から見れば、同じ日に二人の女性とお見合いすること自体が、不誠実と取られても仕方がない。
 一方、その蓮華とのお見合いの席での戦いに割って入った少女・谷山那月もまた、彼女達と共にヒルダを守るように立ちはだかっていた。

「ごめんなさい、ヤマト君。でも、私、せっかく手に入れた自分の居場所を守りたいの」

 バツの悪そうな顔をしながら、彼女はヤマトにそう告げる。そして、彼女の身体から漂う「本気モードのサイキックエナジー」が、明らかに闇に染まったものであることを、ヤマトは理解した。
 そして、蓮華・真美と共に朱雀門に潜入していたもう一人の「小柄な少女」は、ミラに向かって指を指す。それは確かに、昨日、ミラと遭遇した「唯」と名乗るあの娘であった。

「ミラ、今日という今日は思い出させてあげるわ! アンタの最大のライバルは、この私だということを!」

 そう言われても、まだミラは彼女が何者なのか思い出せない。ただ、少なくとも、彼女が自分のことを深く知っている人物であるということだけは、はっきりと認識していた。
 そして、残りの二人のうち、一人はミラと、そしてもう一人は全員と面識のある人物であった。前者の名は寺島音羽、後者の名は宮野朱鷺。前者は平野由奈の親友、そして後者は、スサノオを闇堕ちから解放するために自ら闇に堕ちた、熱田神宮の宮司の娘である。

「私はどこまでも由奈と一緒。彼女が闇の世界で生きていくしかないなら、私も闇を選ぶわ」

 そう言い放った音羽の目は、悲壮な決意に満ちていた。それが、今の自分の力で彼女を救うことが出来ないということを朱雀門との戦いで痛感していた彼女の出した、苦渋の選択だった。つい半日前まで、ストリートファイターとして武蔵坂に身を置いていた彼女は、戦闘狂・アンブレイカブルとして、かつての同胞達と戦う道を選んだのである。

「闇に堕ちて、行き場所のなくなった私を拾ってくれた彼女達のために、一宿一飯の恩義、果たさせてもらいます」

 羅刹と化した朱鷺はそう言って彼等の前に立ちはだかる。本多五十六への復讐に燃える彼女は、朱雀門の近辺で偶然出会い、その目的達成のために協力してくれると約束した彼女達に、その身を預けることを決意していたのである。厳密に言えば、実はまだ「一宿」すらしていない状態なのだが、自分を受け入れてくれた人々に尽くすことが、今の彼女の行動原理となっていたようである。

9.3.3. 決着は雷と共に

 そして、両陣営がそれぞれ前列・後列に分かれて、決戦の火蓋が切って落とされる。若本側で前線に出てきたのは、唯(と名乗った少女)・朱鷺・音羽の三人で、真美・蓮華・那月は後方に回って援護の体勢に入り、その更に後ろにヒルダが控える陣形を取ったのに対し、武蔵坂側からは、英雄・政次・スサノオが前に出て、少し離れた所にヤマト・ミラ・透が控え、そして花之は当初の計画通り、姿を消してその戦場からは離脱した。
 この状況から、まず最初に動いたのは朱鷺である。羅刹と化した彼女は、その闇の力で腕を伸ばして後方にいたヤマトを狙い、その身を前線に引きずり出そうとするが、スサノオによる妨害もあり、その目論みは失敗に終わる。
 直後に、そのヤマトがスレイヤーカードから取り出した大鎌から放った黒き波動で、唯・朱鷺・音羽の三人に大打撃を与える。その一撃を見て、ヤマトを厄介な存在と考えたヒルダが、闇の瞳を煌めかせた魔導攻撃でヤマトを追い詰めるも、ヤマトはシャドウハンターのフォースの力で肉体を回復させ、どうにか倒れずに踏み止まる。
 それに続けて、今度は唯がサイキックインパクトのフォースを発動させ、英雄・政次・スサノオに肉弾戦での猛攻をかけるものの、英雄と政次は破壊系の攻撃に対しては耐性があり、スサノオへの攻撃にはヤマトによる妨害フォースが入ったことで、どうにか三人ともその攻撃には耐えきった。その直後に、透が祝福の光を用いたヒーリングライトでその三人が受けたダメージを全快させる。更に、ミラ・政次・スサノオの三連続攻撃にヤマトのサポートが加わったことにより、唯・音羽は倒れ、朱鷺も満身創痍の状態にまで追い込まれる。
 しかし、ここで後方から、那月のヒールが唯・音羽・朱鷺に浴びせられ、唯と音羽は立ち上がり、再び彼等の前に壁として立ちはだかる。更に、立ち上がる同時に音羽が繰り出した足技攻撃により、再び彼等は危機的状況に陥る。ここに至って、まず回復要員である那月を倒す必要があると考えた英雄は、目の前に立ちはだかる前衛の三人ではなく、那月・蓮華・真美の後衛の三人に対して、持てる全てのフォースの力を用いた大震撃を繰り出し、そこに政次とヤマトの援護フォースを組み合わせた結果、見事にその三人を撃破することに成功する。

「えぇい、この役立たず共が!」

 部下達の不甲斐ない戦況に激昂したヒルダがそう叫ぶと、彼女はまだ前線で立っていた三人も含めたその場にいる全ての灼滅者達に、全力で魔導攻撃を仕掛ける。その威力は絶大で、それを喰らえば殆ど者がその場に倒れ込むと思われたその瞬間、透が叫んだ。

「ここでコイツ等を死なせる訳にはいかないんだよ!」

 その声と同時に、この若本女学園の校舎に雷が落ちた。学園内は一時的に停電に陥り、アジト内も真っ暗となるが、すぐに予備電源に切り替わり、再び光が灯される。すると、そこには透の姿はなく、ヒルダの攻撃によって唯・音羽・朱鷺が倒れている一方で、なぜか英雄達は全く無傷のままであった。

「え? ちょっと、どういうコト? 何があったの?」

 突然の事態にヒルダは動揺するが、状況が掴めないのは英雄達も同じである。どうやら、透が用いた何らかの力によって、彼等への攻撃は全て無効化されていたらしい、と推測は出来るが、その透の姿が見えない以上、なんとも判断が仕様がない。

「もう、しょうがない。この娘はくれてやるわ!」

 そう言って、彼女は部屋から去っていく。さすがにこの状況下で、彼女を追撃する余力は、彼等には残っていなかった。

9.3.4. ミラの記憶、政次の記憶

 透の行方が気がかりな彼等ではあったが、まず目の前の状況から確認する必要があった。倒れている少女達にはまだ息があったが、状況的には「人間」に戻るか「ダークネス」として消えていくかの瀬戸際の状況で苦しんでいるように見えた。
 そんな中、ミラは唯の懐から零れ落ちた生徒手帳の中に、自分と彼女が二人揃って映っている写真が挟まっていることに気付く。そして、それを見た瞬間、彼女は全てを思い出した。ここに倒れている少女の名は「下野唯(しもの・ゆい)」。彼女はミラと共に、名古屋の名門女子校「城金(しろがね)中学」に通っていた、ミラの親友である。二人は共に歌うことが好きで、様々な歌唱コンクールでも競い合うライバルでもあった。殆どの大会において勝利を収めていたのはミラであり、そんな彼女に対して唯はいつも対抗心を見せながらも、心の底では互いに信頼し合っている、そんな関係だったのである。
 更に、彼女への記憶が蘇ったことで、そこから連動して、自分が名古屋に住んでいた頃に記憶も次々とフラッシュバックして浮かび上がってくる。自分の父が世界中を飛び回る指揮者だったこと、自分の母も(何の仕事をしているのかは教えてくれなかったが)名古屋近辺で多くの人々から慕われる存在であったこと。そして、豊橋と西尾で出会った「あの人」こそが、間違いなく自分の母であるということを。
 そして、少し裕福な家庭に生まれただけの、ごく普通の女子中学生だった自分が、ある日突然、目の前に現れた淫魔・榊原クラウスに誘拐され、彼の私室に閉じ込められ、彼のために歌い続けることを強いられるに至るまでの記憶が、鮮明に蘇ってきたのである。その過程で、彼女はクラウスによって記憶を消され、それは人間に戻った後も回復せぬままだったのだが、彼女にとって最も大切な存在であった唯と共有していた時間を思い出したことにより、ようやく回復するに至ったのであった。
 一方、今回の突入戦の主目的であった少女・平野由奈は、まだ半ば放心状態のまま部屋の隅に座り込んでいたが、その彼女を間近で見た政次は「自分は確かにこの少女を知っている」と確信する。そして、彼が近付いてくると、その少女はこう呟いた。

「マサ兄さま……、どうしてここに?」

 その声を聞いた政次もまた、全てを思い出した。彼と彼女は同じ「平家の落人」の里で、兄妹同然に育った幼馴染みである。しかし、その里は酒井小五郎率いるヴァンパイア達の襲撃により、壊滅へと追い込まれ、両親や彼女ともはぐれた彼は、必死の思いで逃げ続けた結果、山中で倒れて記憶を失い、偶然通りかかった近隣の村人に拾われた。その後、彼は日本中を転々とする過程において、須藤まりんと出会い、やがて灼滅者の力に目覚めて、武蔵坂学園へと行き着くことになったのである。しかし、同じ学園内の別のキャンパスに同郷の者がいたことには、お互いに気付いていなかった。

「あれから、色々あってな……」
「良かった。ご無事だったのですね……」

 彼女がそう言うと、彼女の左目の瞼が光り出し、彼女が左目を閉じると、そこに「蝶」の紋章が現れる(下図)。それは、平家一門の家紋であった。


 彼女は幼い頃から、左目の瞼に不思議な痣があり、それ故に彼女はなるべく左目が隠れやすい髪型をしていたのだが、政次との再会によって精神が満たされた彼女の中で「何か」が解放されたようである。

「こ、これは、ラグナロクの紋章!」

 英雄がそう叫ぶ。彼等が事前に姫子から聞いていた情報によると、ラグナロクの力は、身体のどこかに浮かび上がる紋章を、心を許した人に触れさせることによって発揮されるらしい。その力を確認すべく、政次がその瞼を軽く撫でるように触れると、彼女を中心に癒しの光が周囲に放たれ、彼等が負っていた傷は全て全快し、更に、倒れていた六人の身体からは、傷と同時にダークネスの気配も消えていき、やがて彼女達は意識を取り戻していく。身体に膨大なサイキックエナジーを溜め込むことが出来るラグナロクがその力を発揮すると、ここまで圧倒的な治癒能力が発揮されるという事実を目の当たりにした英雄達は、ただただ圧倒される。

「あれ? ここは一体……?」
「え? 何? 何なの、この部屋?」

 困惑した状態の若本女学園の面々に対して、ひとまず彼等は簡単に事情を説明しつつ、この部屋を出て、五十嵐邸まで同行することを提案する。ダークネス化していた間の記憶が曖昧な彼女達は、今ひとつ状況を整理出来ないままではあったが、唯にとってはミラ、那月にとってはヤマト、朱鷺にとってはスサノオ、音羽にとっては由奈という「ダークネス化以前から見知った存在」がいたことで、どうにか彼等の言うことを信頼することは出来たようである。そして、真美と蓮華に関しては、(ダークネス化する以前から)同じ学校に通う唯と那月がいたことに加えて、「自分の婚約者候補」としての英雄の記憶がうっすらと残っていたことで、少なくとも彼等の言うことが「嘘ではない」と信用するに至ったようである。

9.3.5. 蘇る神君

 その後、彼等は透の行方を探そうと、隠し部屋の外の学園内も調べて回ろうとしていたが、そんな中、学園の校舎の外で、強力なサイキックエナジー同士がぶつかり合う気配を感じる。慌てて彼等が外に出ると、そこにはズタボロの状態のヒルダと、そんな彼女に対して、冷酷な瞳で見つめる兄・榊原クラウスの姿であった。

「愚かな妹ながら、最後の最後で、役に立ってくれたようだな。これで、お前の役目は終わりだ」

 そう言って、クラウスは自らの姿を変化させていく。爪が伸び、羽根が巨大化し、角を生やしたその姿は、人間としての面影が残っていた以前の彼とは異なる、より凶悪なダークネスの力に満ちていた(下図)。


 そんな彼が漆黒に染まったその爪でヒルダに止めの一撃を与えると、彼女はそのまま消滅していく。その威力は、以前彼等が戦った時とは比べ物にならないほど強力であることは、端から見ていた彼等にも伝わっていた。
 そして、彼が英雄達の存在に気付くと、その背後から酒井小五郎、本多五十六、井伊フリードリッヒ、そして、先刻の雷以来、行方不明となっていた中田透の姿があった。

「おぉ、透、無事だったか!」

 そう言って、英雄は駆け寄ろうとするが、周囲の者達がそれを制止する。なぜなら、彼等の目の間にいた透は、明らかに数刻前までの彼とは別人であった。その表情は不気味な笑みを浮かべ、全身から漆黒のオーラが満ち溢れていたのである。そして、彼を中心に徳川四天王達が囲むように立ち並んでいた。

「なぜ、そこにいる? そこは危険だ、離れろ!」

 英雄はそう言うが、それに対して透は冷笑を浮かべながら答える。

「よくぞ今まで、この身体を守ってくれた。長かったぞ、記憶を取り戻すまでのこの十年間」

 それに続けて、彼の傍らにいた酒井が口を開く。

「どうやらラグナロクはそちらに先を越されたようだが、まぁいい。乾電池の一人くらいくれてやる。こちらは遂に大願を果たした。『最後の鍵』がようやく手に入ったのだ。さぁ、参りましょう、若君」

 彼がそう言うと、そのまま五人はその場から立ち去ろうとするが、事態が全く飲み込めない英雄は、なおも大声で叫ぶ。

「待て、透、どこへ行くつもりだ! お前は姫子を守ると誓ったのではないのか!?」
「…………お主との日々、なかなか楽しかったぞ」

 その声の中に、先刻までの「彼等が知っている透」の意識が若干感じられたような気がしたが、彼はそれ以上、何も語らぬまま、五人の姿は消えていく。何も事態を把握出来ないまま、英雄達は、ただ呆然とその場に立ち尽くすことしか出来なかった。

9.3.6. 透の真実

 その後、困惑した状態のまま、ひとまず五十嵐邸に彼等が戻ると、ようやく意識を取り戻した姫子が出迎える。一通り、彼女に事情を説明すると、彼女は重い表情で語り始める。

「すみません、私の責任です。私が皆さんに伝えるべきことを伝えていれば、こんなことにはならなかった筈です」

 そう言って、彼女は「中田透」という少年について、彼女が知っている全ての情報を説明する。それは、彼女の中では「本来ならばもっと早く伝えなければならないこと」であった。

「透君には、父親がいないんです。それも、かなり特殊な事情で」

 こういう話を小学生(特にヤマト)がいる前で語って良いものか、と悩みつつも、状況が状況だけに、彼女は包み隠さず説明することを決意する。

「透君のお母さんは、愛知県西尾市の職員だったのですが、11年前に吉良荘を訪れた時に、落雷に遭ったそうです。命に別状はなかったのですが。その時に入院した病院で、妊娠が発覚したそうです。本人は、相手に心当たりがないと言っていたらしいのですが、そういうことを言えば言うほど、周囲の人々は彼女を白い目で見るようになったそうで……」

 つまり、状況的に考えて、彼女の受けた落雷によって、彼女の胎内に「透」という生命が宿った、ということになる。無論、こんな非科学的な話を、普通の人が信じる筈がないのも当然である。

「それでも、透君のお母さんは『きっとこの子は、神様の子だから』と信じて、出産を決意されたそうです。しかし、透君のお母様は産後の肥立ちが悪くて、彼が幼い頃にお亡くなりになってしまいました。その後、透君は親戚の家を転々とした上で、一時は私の家で一緒に暮らしていたこともあるんです。でも、その出自のせいか、周囲の目は厳しくて、それを察した彼自身が、自分から出ていきました」

 そして姫子曰く、これまでの彼等の情報から、透が家康の転生体である可能性が高いということは、既に彼女は予想していたらしい。というのも、彼の母親が落雷を受けた日付は、元禄赤穂事件の直後に家康が寺坂吉右衛門と安倍晴明によって吉良荘で封印された日から数えて、ちょうど300年後であったという。ヤマトの見た夢、政次が出会った300年前の歌姫の話、そして覚醒後の透の急成長、これらを総合すれば、状況証拠としては十分すぎる要素が揃っていた。

「でも、そのことを皆さんに伝えた時に、皆さんから、家康復活を阻止するための『最善の策』を提案されるのが怖くて……」

 彼女が言うところの「最善の策」の内容は、言わなくてもその場の誰もが理解していた。家康の転生体と思しき存在を、その力が覚醒する前にこの世から消滅させれば、おそらく最も確実にその復活を阻止することが出来る。

「それは最善というよりも、『最も簡単な策』だな」

 英雄がそう言うと、姫子は頷きつつ、話を続ける。

「そうですね……。それを提示されるのが怖くて、、なんとか、なんとか他に手はないかと思い、皆さんにそのことを伝えぬまま、ここ数日、サイキックアブソーバーに頼って、未来予知を続けていたんです。でも、その結果、このようなことになってしまって……。本当にごめんなさい。私情に流されて、伝えるべきコトを伝えないなんて、エクスブレイン失格ですよね」

 重い空気が広がる中、英雄は、はっきりと首を横に振る。

「その考えがエクスブレインとして失格と言う者も、中にはいるだろう。だが、私は、灼滅者として、エクスブレインとして、その気持ちは絶対に間違っていないと思う。私達は強力な力を用いてダークネスと戦うことが使命だ。だが、それは『自分の大切な人を守りたい』という心を抱いて戦うもの。その最初の気持ちを忘れた者は、灼滅者として、正しい姿ではないだろう。君のその選択は、灼滅者として、胸を張って賛成出来るものだ」

 この発言に対して、周囲の者達は大きく頷き、姫子はその発言に感謝しつつ、現状を打破するための彼女の推論を語り始める。
 彼女がこれまで見てきた未来予知から察するに、おそらく徳川家康の亡骸は今でも日光東照宮にあり、言わば透は、その家康を完全に蘇らせるための「コア(あるいは小脳)」に相当するものなのではないか、というのが彼女の仮説である。その「コアとしての家康」の意識は長い間、透の中に眠っていたが、先刻の戦いにおいて、皆を守るために「自分の中に秘められていた力(ダークフォース?)」を開放した結果、彼は闇堕ちし、「家康」としての意識が蘇ることになったと推測される。そして、その力を覚醒させた直後に若本女学園に落ちた雷こそが、彼の力の源なのであろう(ちなみに「透」という名は、彼が「雷によって授けられた子」であることから、北欧神話の雷神トールにひっかけて付けられたらしい)。
 そして、これまでの酒井達の動向から察するに、透が「家康のコア」だということに彼等が気付いていた可能性は低そうである(もしそれが分かっていたなら、彼を誘拐する機会は過去にいくらでもあった筈)。おそらく彼等は、今回の件においては純粋に「戦力」としてのラグナロクを探していたのであろうが、その過程において偶然、「家康の力を宿した雷」が若本女学園に落ちたのを目の当たりにして、そこに「家康」がいることを確信し、急遽その場に集まったのであろう。
 その上で、彼等が歌姫を探していた理由については不明であるが、もしかしたら彼等の中で未来予知を出来る者が「歌姫の中にラグナロクがいる」という断片的な情報を得ていたのかもしれないし、あるいは安倍晴明を呼び出すことで、家康のコア探しを手伝わせようとしていたのかもしれない(ヤマトの夢の中に出てきた晴明は、その可能性を否定していたが)。いずれにせよ、これで彼等は家康のために必要な「最後の鍵」を手に入れたと言っていた以上、近日中にその目的が達成される可能性は高い。問題は、それまでにこちらが「安倍晴明」を蘇らせるための歌姫を揃えられるかどうか、である。

9.3.7. 「11人目」、そして……

 この状況において、ひとまず彼等は「11人目」として最有力候補である平野由奈の歌声を確認してみようと試みる。事情がよく分からないまま、とりあえず「得意な歌」を歌うように要請された由奈は、五十嵐家にあった家庭用カラオケ機能を用いて、その大人しそうな容貌からは想像しがたい、一昔前のユーロビートに乗せたテクノポップを歌い上げる。無機質でありながらもどこか暖かみを感じる不思議な彼女の声質は、その場にいた人々を魅了し、そしてミラを初めとする歌姫達は、間違いなく彼女が「仲間」であることを実感する。りんねが語っていた通り、彼女は確かに「11人目」の歌姫であった。
 さて、こうなると問題は「あと一人」の行方である。とりあえず、この場には歌手志望の下野唯を筆頭に、芸能科に通う女子生徒達が集まっていたので、(朱鷺・音羽も含めた)彼女達にも一通り色々と歌ってみてもらった訳だが、残念ながら誰一人として、歌姫の波動は感じられなかった。若本女学園にはまだ他にも歌手志望の女子生徒も多いので、翌日以降に探しに行くことも可能だが、唯曰く、「ミラほどの飛び抜けた歌唱力の持ち主は、私くらいのもの」とのことなので、残念ながら期待は出来そうにない。
 そんな中、政次の脳裏には、一人の候補が浮かび上がっていた。それは、300年前に歌姫として安倍晴明を呼び出した「あの少女」である。既にダークネスと化した彼女に、まだ歌姫としての力が残っているかは分からないが、確かめてみる価値はある。ただ、仮に彼女が歌姫だったとして、彼女を仲間として皆が受け入れることが出来るのか……、そう考えると、なかなかその仮説も言い出せずにいた。
 こうして、彼等が手詰まり状態になっているところへ、五十嵐邸の二階の一室で泊まり込みで作業を続けていた作曲少年・坂本俊一が、サンスクリット語講師のいなりと共に、姿を現した。どうやら、「聖歌」がようやく完成したらしい。

「例のラグナロクの人も歌姫だったんだってな。これで全員揃って、準備は整ったってことか。なんとか曲の方も間に合って良かったよ」

 興奮気味に彼はそう語るが、英雄達は首を傾げる。

「全員? まだ一人足りないぞ」
「え? ちょっと待って……。いや…………、12人、いるだろ? あれ? もしかして、僕、誰か勘違いしてる?」

 指を折りながら、俊一はそう語る。どうやら彼の中では、現時点で五十嵐邸に集っている面々の中に、既に12人の歌姫が揃っている、という認識らしい。

「とりあえず、一回確認してみよう。君が言うところの『歌姫』が誰なのか」

 政次がそう言うと、俊一は周囲を見渡しながら、こう語る。

「えーっと、まず、この人だろ」

 そう言って彼は………………………………………………、姫子を指した。

9.3.8. 「12人目」

 その俊一の発言の直後、姫子を含めた全員が、そのまま呆然とした膠着状態に陥る。すると今度は、その凍り付いた空気に対して、逆に俊一が驚く。

「いや、その、曲を作る時に、実際に未来予知でどんな曲を聴いたのか知りたくて、それでこの人から、断片的にメロディーを聞き出したり、実際に作った仮歌を歌ってもらったりもしてたから、てっきり、この人も歌姫の一人だと思ってたんだけど、違うの? 僕、ずっと勘違いしてた?」

 つまり、誰も彼に対して「姫子が歌姫」とは言っていない。故に、現時点ではこれはただの彼の思い込みにすぎない。しかしそれは、音楽に関して天賦の才を持ち、ミラを初めとする歌姫達のデモテープを聞いていた彼が、姫子の歌声を聴いて、何も疑うことなく「歌姫の一人」と認識するだけの歌唱力を彼女が持ち合わせている、ということの証明でもある。そして実際、姫子の歌唱力の高さについては、豊橋でのうずらのミニライブの際に、透が熱弁していたことを、スサノオも思い出していた。
 更に言えば、姫子は美術選択であった以上、音楽教師の律子も、同学年の帝も、まだ一度も彼女の歌声を聴いていない。つまり、歌姫の誰一人として、彼女が「歌姫の波動」の持ち主であるか否かを確認していないのである。

「え? 私? 私ですか?」

 突然、そう言われた姫子は困惑するが、それに対して、真っ先に冷静さを取り戻した政次が口を開く。

「確かに、落ち着いて考えてみれば、それが一番自然だ。だって、歌姫の歌を聴いて、あんたはそれが歌姫だと認識出来るんだろう? だったら、あんたも歌姫の一人だと考えるのが自然だ」
「いや、それは、私がエクスブレインで、実際に歌を聴いてるから分かるものだと……」

 実際、その説明で今までも皆が納得していた。しかし、冷静に考えてみれば、それだけでは理由として不十分である。

「俺達も今まで、ミラさん達の歌声を何度も聞いてきたが、一度として何も感じることはなかった」
「確かに『上手い』とは思うけど、波動とかそういうのは、分からなかったよね」

 政次の主張に、スサノオも同意する。そもそも、仮に姫子が天才的な聴力の持ち主だったとしても、未来予知において激しいブレイズゲートをかいくぐって聞こえる微かな「断片的な歌声」から、12人の歌声の声質を正確に覚えることは至難の業である。つまり、彼女が歌姫を識別出来ていたのは、彼女が実際に歌声を覚えていたからではなく、彼女が歌声の中にある「歌姫の波動」を感じ取ることが出来るから、と考える方が自然であろう。

「確かに、そう言われてみれば、そうなのかもしれませんね……」
「ということで、まずは一曲、歌ってみて下さい」

 これまで、歌姫候補の人々に告げていた要請を、まさか自分が受けることになるとは思わなかった姫子は、困惑しつつも、彼女の得意曲である「ゴスペル」を、朗々と歌い始める。その歌声は、歌姫でない者達にも、そして音楽的素養のない者達にもはっきりと分かるほどに、柔らかく、暖かく、そして全てを包み込むような優しさで満ち溢れていた。そして、その場にいた他の歌姫達も、彼女の歌声を聴いて、はっきり認識する。彼女こそが「最後の歌姫」であることを。
 彼女が歌い終えて、歌姫達がそのことを告げると、彼女は自らの「歌」への想いを語り始める。

「私、昔から歌うことが好きだったんです。でも一時期、歌うことにのめり込みすぎて、他のことがおろそかになってしまったので、父から禁止令が出てしまって……」

 それが、彼女が歌わなくなった理由らしい。ちなみに、芸術科目で美術を選んだのは「一番苦手なものを克服しようと思ったから」だそうな(その結果、美術教師を唸らせるほどのデッサン力を身につけるに至ったらしい)。
 ともあれ、こうして彼等は「最後の歌姫」を手に入れた。家康復活を封じるための「最後の鍵」は、実は最初から、彼等の懐の中にあったのである。


第9話の裏話

 ということで、遂に12人の歌姫が集結、そして敵も家康復活の準備が整い、いよいよ最終決戦への布石が揃った訳ですが、この回も色々と反省点が残るセッションでありました。
 今回は、キャンペーンの回数的にまだ余裕があったので、最初から前後編にするつもりだったのですが、それにしても色々な要素を詰め込みすぎたな、と思います。特に、新キャラ9人ってのは、いくらなんでも多すぎました。というか、実は「最終決戦のヒルダ以外の6人」は、当初は名前すら無い、ただの「ヒルダ親衛隊」としての位置付けでしかなかったのですが、イラスト担当に発注する際に、ビジュアルイメージとして「 某乙女ゲーの六人 の女体化」というお遊び要素を取り入れてしまった結果、そこから勝手に各キャラの設定が膨らんでしまって、このような事態となってしまった訳です。
 まぁ、結果的に、それで物語が面白くなった(と思う)からいいんですけどね。ただ、その反面、今回はかなり気合い入れて作った筈の敵データが、完全に消化しきれないまま、またしても時間切れで無理矢理に終わらせることになってしまったのは、非常に残念でした。せめて、あと1ターン分の時間があれば、残った敵で英雄に集中攻撃して、彼が完全に倒されそうになった時に透がダークフォースの「復活の奇跡」を使って闇堕ち(=家康として覚醒)する、という展開に持っていけたのですが、その時間も作れなかったので、あのような強引な決着となってしまった訳です。
 そして、当初の予定では、この「六人」は戦闘の結果として灼滅される予定だったのですが、ここまで個別設定を作ってしまった結果、殺してしまうのは惜しく思えてきて、最終的に生還する展開にしてしまいました。ここまでのラスボスの末路を振り返ってみると、

第1話:逃亡(クラウス)
第2話:灼滅(服部)
第3話:生還(葉那)
第4話:逃亡(フリードリッヒ)&灼滅(火呼にゃん)
第5話:灼滅(柳生)
第6話:逃亡(ラブリンスター)&生還(浅美&高倉)
第7話:灼滅(茨城三怪人)
第8話:生還(知多娘)

という流れだったので、流れ的にはここで全員が灼滅される方が物語としての緊張感は増したと思うんですが……、なんだかんだで、やっぱり甘いんですかね、私。「闇に堕ちてしまった人達を涙ながらに灼滅して、その哀しさを胸にダークネスの殲滅を誓う」という重苦しいドラマよりも、「倒した敵を次々と仲間にして、最終的には力を合わせて巨大な敵に立ち向かう」という爽快な少年漫画の方が、今の私には性に合ってるみたいです。
 ちなみに、透の正体が家康というのは、プレイヤー陣も薄々勘付いていたようですが(彼の名の本当の由来は、戦国無双と戦国BASARAで家康を演じた人達の名です)、最後の歌姫が姫子だというのは、誰も最後まで気付かなかったようで、俊一の指摘の際の皆のリアクションを見た時は、久しぶりにGM冥利に尽きる瞬間でした。皆、キャンペーンの序盤では彼女も候補の一人として怪しんでいたようですが、次から次へと新キャラが登場していく過程の中で、すっかり忘れてしまっていたようですね。それに加えて、最後の最後で「ラブリンスター」がいいカンジでフェイクになってくれたのも、GMとしては嬉しい誤算でした。
 まぁ、実際のところ、ラブリンスター(淫魔)を歌姫にしてしまうのも、アリと言えばアリだったと思うんですよね(実際、もっと早く「300年前の歌姫」の設定を思い浮かんでいたら、そうしていたかも)。枠的な問題に関して言うなら、渥美枠を「うずら」1人に絞った上で、残り2枠を「ラブリンスター」と「尋音くるむ(都市伝説? アイテム?)」にした方が、全体のバランスとしては面白かったかな、という気もします。でもまぁ、やっぱり、このゲームのコンセプトは基本的に「勧善懲悪」だと思うので、「敵対勢力枠」は覇狼院さん一人くらいでちょうど良かったのかもしれません。

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最終更新:2014年01月05日 09:09