第5話「電脳世界のアマデウス」

5.1.1. 雨の共同墓地

 ハロウィンの戦いから数日後の夕方、 武蔵坂学園の一角にある「火葬場」にて、英雄は、かつての部下達の亡骸が灼熱の炎で浄化されていくのを、ただ黙って静かに見守っていた。五十嵐邸での戦いでは、闇堕ちしたかつての部下達の多くが、翔、りんね、淳子(&昌子)といった面々との戦いで倒されており、その状況に心を痛めた英雄としては、彼等の「遺骨」をそれぞれの故郷に自らの手で送り届けることを決意した上で、まずはその遺体の「処理」を、学園内の火葬場に委ねることにしたのである。
 その日は、複雑な想いを抱えていた英雄の心を象徴するように、昼から激しい雨が降っていたのだが、そんな中、火葬場に併設されている共同墓地の一角にて、10歳くらいの少年が、傘も持たずに(レインコートではなく)パーカーを羽織ったまま立ちすくんでいるのが、英雄の目に入る。気になった彼が近付いてみるが、少年は英雄に全く気付いた様子はない。英雄は、少年の目の前に回り込んで、こう尋ねる。

「どうした? こんなところで、傘もささずに」

 そう言われて、少年はようやく彼の存在に気付き、慌てて後ろへ仰け反る。この時、英雄は初めて気付いたのだが、彼はパーカーの下でヘッドフォンを付けており、おそらくはそのせいで、英雄が近付いてくる音が全く聞こえなかったようだ。

「お、お前には、関係ないだろ!」

 明らかに動揺した様子で、目をそらしながら彼は答える。彼の頬から顎にかけて、いくつもの水滴が流れていたが、それが雨なのか、涙なのかはよく分からない。

「お前も、誰か親しい者を亡くしたのか?」
「……あぁ。僕にとっては、何よりも大切な存在だった。彼がいなくなった今、もう、僕は誰を亡くしても悲しむことはないだろう」

 歳の割に落ち着いた答えを返す少年に対し、英雄は更に問いかける。

「何を思って、ここに来ていたんだ?」
「……分からない。ただ、月に一度はここに来ないと、落ち着かないんだ」

 そう言って、彼はその場を去って行こうとする。英雄としても、これ以上、悲しみを背負った者の古傷をえぐるような質問を続けるつもりはない。ただ、さすがに素性も明かさぬまま去るのも礼節に欠けると思ったのか、最後に自らの名を名乗ると、少年は一瞬、少しだけ驚いたような顔を見せる。

「鳳凰院……? いや、ただの偶然か」

 そして、そのまま彼は雨の中を小走りに去っていく。彼が立っていたその場所にあった墓標には「二〇一三年四月二日、新入生送迎バス襲撃事件之犠牲者」と書かれていた。

5.1.2. 荒ぶる竹刀

 その日の夜、ミラはいつもと変わらぬ静かな生活を送っていたが、一つ、いつもと違うことがあった。それは、ルームメイトの観澄りんねが、寮の門限である20時を過ぎても、まだ帰ってきていないということである。ミラが彼女のことを心配していると、彼女の部屋を寮長が尋ねてきた。

「今、連絡があったんだけど、観澄さん、ダークネスに襲撃されて、病院にいるんだって」

 寮長曰く、どうやら彼女は井の頭キャンパスでの調査活動中に、突然、「竹刀を持ったダークネス」に襲われて重体となり、そのままどこかに連れて行かれそうになっていたらしい。幸い、キャンパス内の他の灼滅者達の救援のお陰で、かろうじて身柄は確保されたが、かなりの重体で、しばらくは安静にする必要がある、とのことである。
 さすがに、今から行っても面会の時間は過ぎているだろうと判断したミラは、ひとまず、お見舞いに行くのは明日以降に回して、この日は一人で就寝することになった。学園の方針としては、闇堕ちから解放されて間もない生徒は(精神的なケアのために)なるべく一人部屋にはさせないように気を使っているのだが、昨日のクラウスの誘いもはっきりと断った彼女に関しては、もはやそこまで心配する必要は無い。この日の夜、彼女がどんな夢を見たのかは分からないが、たとえ、夢の中に再びクラウスが現れたとしても、彼女は同じように拒絶し、仲間と共に戦うことを選び続けることになるだろう。

5.1.3. 終わらない悪夢

 一方、ここ一ヶ月ほど、同じ悪夢を見続けていたヤマトであったが、(精神世界で戦う能力を持つ)シャドウハンターとしてのポテンシャル故か、徐々にその悪夢にも免疫がついてきたようで、夢の中でどれほど凶悪なノーライフキングが現れようとも、どれほど残虐に仲間達が倒されようとも、以前ほど精神的な疲労は感じなくなってきた。
 この日の夜も、以前よりも更に残酷なダークネス達による殺戮の場面が彼の夢の中では展開されていたが、もはやその状況すらも冷静に客観視することが出来るレベルにまで、彼の中での「悪夢」に対する抵抗力は強化されていたのである。
 しかし、彼の父・タケルはそうではなかった。古来からのエクソシスト(陰陽師)の血統者ではあるものの、その力を発現させることなくこれまでの人生を生きてきた彼は、繰り返される悪夢故の睡眠不足と精神疲労が、もはや限界に達していたのである。
 そして翌朝、遂にタケルは苦渋の決断を下す。精神状態が回復するまで、しばらく学校を休職することを決意したのである。責任感の強い性格故に、職場を放棄するのは断腸の思いであったが、むしろ今の状態のまま授業をすることの方が生徒達のためにならない、と判断せざるを得ないほど、彼の心身は衰弱しきった状態になっていた。
 そんな夫・タケルを心配そうに見守りながら、ミコトは愛する息子にも同じ視線で訴えかける。

「あなたも、辛くなったら、いつでも休んでいいんだからね」
「大丈夫だよ、お母さん」

 そう言って、ヤマトは今日も元気に、淳子と共に学校へと向かう。彼の中でも、早く父親を悪夢から解放したいという想いから、自分が頑張らなければ、という気持ちが着実に強まりつつあった。

5.1.4. 永遠の小学生

 そんなヤマトとは対照的に、心配する親兄弟を持たないスサノオもまた、この日もいつも通りに元気に登校していたが、そんな彼の目の前で、衝撃的な光景が展開されることになる。

「今日は転校生を紹介します」

 先生がそう言って連れてきた少女は、紛れもなく、あの「竹箒の少女」であった。

「はじめまして、覇狼院花之(はろういん・かの)です。しばらくアメリカにいたので、日本のことはよく分かりませんが、よろしくお願いします。ルーツは魔法使いで、ポテンシャルはシャドウハンターです」

 大嘘である。彼女は灼滅者どころか、人間ですらない。どちらかと言えば、ダークネスに近い存在なのだが、どうやら姫子あたりが学園側を説得して、実質的な監察下に置くために、偽造プロフィールをでっち上げて編入させたようである。

「今、空いてる席は……、えーっと、そこは坂本君の席よね」

 担任の先生が教室を見回しつつ、教室の奥の空席を見ながらそう言うが、それに対して生徒の一人が口を挟む

「いいよ、どうせアイツ、もう学校来ないし」
「コラ、そういうコト言うんじゃないの!」

 そう言って先生はたしなめるが、実際のところ、その「坂本」という生徒に関しては、スサノオも会ったことがない。4月にこのクラスが作られた時から、彼は既に登校拒否状態となっていた。

「じゃあ、ちょっと席を動かしましょう。スサノオ君、たしか、覇狼院さんとは知り合いよね?」
「あ、はい、一応……」

 先生の指示により、本来の座席をずらす形で、スサノオの隣に「覇狼院さん」が配置されることになった。ちなみに、日本の小学校の先生は普通、「名字」で生徒を呼ぶのが一般的だが、さすがに「ビヨンドルメーソン君」というのは、先生としても呼びにくいらしい。

「じゃあ、同じ帰国子女同士、この学校のこととか、色々教えてあげてね」

 先生はそう言って、授業を始める。実際のところ、帰国子女と言ってもスサノオにはアメリカにいた頃の記憶は殆ど無く、「覇狼院さん」もまた(確かにハロウィンやカントリーミュージックなど、アメリカの文化には精通しているようだが)本当にアメリカに行ったことがあるのかどうかは不明である。というか、そもそも彼女は本当に「小学四年生」なのかどうかも怪しいのだが、いずれにせよ、こうしてまた一人(?)、武蔵坂学園は新たな仲間(?)を迎え入れることになったのである。

5.1.5. 剣道部の危機

 同じ頃、高等部では、政次が廊下で、偶然遭遇した律子に呼び止められていた。

「あ、あの、平福君、その、えーっと、『剣道』って、出来る?」

 唐突すぎる質問である。確かに、政次の殲術道具は日本刀である。しかし、「剣道」が出来るかどうかと言われると、全く別次元の話である。

「すみません、俺、完全に我流なんで、剣道はちょっと……」

 そもそも、「剣道」とは「礼」を重んじる武道であり、ただ相手を倒せばいいだけの「剣術」とは、根本的に異なる。ただ、当然、世の中には「両方出来る人々」が存在するのも事実であり、たとえばスサノオも(「礼」が出来ているかどうかは不明だが)小学校の剣道部に所属している。

「そう……。実は、剣道部の先生に頼まれたのよ。誰か紹介してくれないかって」

 どうやら先日、中学生くらいの少年が突然、高校の剣道部に試合を申し込みに来て、それを軽くあしらおうと思って対応した部員達が、完膚なきまでに叩きのめされてしまったらしい。それで重症を負った者や、自信喪失した部員達が続出し、現在、剣道部としては戦力不足で困った状態にあるという。
 通常、武蔵坂の運動部はあまり対外試合には参加しない。彼等がサイキック能力を使ってしまったら、普通の人間では勝負にならないからである。そんな彼等が全く歯が立たなかったということは、その「中学生くらいの少年」は、灼滅者か、もしくはダークネスである可能性が高い。
 色々と不吉な予感を頭によぎらせつつも、やはり、礼節を重んじる武道の世界が自分に合う筈がないと自覚している政次は、黙って教室へと戻っていくのであった。

5.2.1. 朱雀門の闇

 その日の放課後、いつものように、姫子から皆に招集の連絡が届く。ただ、今回はいつもの五人(英雄、政次、スサノオ、ヤマト、ミラ)だけでなく、これまで一連の事件に関わったほぼ全ての学園関係者、すなわち、須藤まりん、鴻崎翔、山口淳子(&昌子)、桂木律子、覇狼院花之、そして退院したばかりの倉槌姉妹にも声がかかっていた(りんねも呼ばれていたのだが、まだ入院中のため、今回は欠席)。
 そんな中、まず最初に口を開いたのは、倉槌葉那である。

「皆さんのお陰で、こちらの世界に戻ってくることが出来ました。本当に、ありがとうございます」

 彼女はそう言って深々と頭を下げた上で、ダークネス(ヴァンパイア)時代の自分が見聞きした情報について、語り始める。彼女は、朱雀門にいた間は「酒井小五郎」という教師の指導を受けつつ、彼の秘書的な仕事をこなしていたらしい。酒井は常に「偉大なる我等が神君」の復活を望んでおり、その詳細は葉那には知らされていなかったが、先日のフリードリッヒの発言から察するに、おそらくはそれが「徳川家康」を意味している可能性が高い。
 ただ、彼は朱雀門の中ではやや浮いた存在で、他のヴァンパイア達からは奇異の目で見られていたらしい。というのも、通常は異なる種族のダークネス同士は仲が悪いことが多く、特にヴァンパイアは自らが「万物の頂点」に君臨する者であるという認識が強いことから、あまり他のダークネスと関わることが無い。にも関わらず、酒井の周囲には、頻繁に他のダークネスが出入りしていたらしい。その中でも特に印象的だったのが、「淫魔」の榊原クラウス、「闇堕ちファイアブラッド」の井伊フリードリッヒ、そして「六六六人衆」の「No.56」こと本多五十六(いそろく)の三人であり、彼等のことは「同志」と呼んでいた。
 「榊原」と「井伊」に関しては、既に英雄達もよく見知った存在であり、「本多」という名についても、以前にスサノオを襲った服部健一がその名を挙げていた。つまり、ここ一ヶ月ほどの間の一連の戦いの裏では、この酒井小五郎を初めとする「異種族ダークネス連合」が暗躍していたことが伺える。
 ただ、酒井はこの三人のことを表面上は「同志」と呼びながらも、どこか見下している様子だった、というのが葉那の印象である。酒井は彼等に関して「榊原は女に執着しすぎる」「本多は戦いに執着しすぎる」「井伊は鳳凰院に執着しすぎる」と評していたらしい(なお、鳳凰院を初めとする彼等灼滅者の存在は、クラブ「リヒテンラーデ」の一件以来、既に酒井達の中では知れ渡っていたらしい)。
 そもそも、彼等は「我等が神君の復活」という目的は共有していたようだが、細かい利害などに関しては対立している側面もあり、あまり足並みは揃っていないように葉那には見えていた。また、「神君の復活」に必要な条件についても、その全てを把握しているのはどうやら酒井だけのようで、榊原達にも全てを話している様子ではなかった(故に、当然、葉那も詳しい話までは聞かされていない)。
 そして、スサノオを襲撃した「柳生雅治」のことも、彼女は知っていた。彼は現在、朱雀門中等部の剣道部に在籍しているが、(翔の推察通り)その正体はヴァンパイアではなく、「六六六人衆」の三百番台に位置する殺し屋で、本多から酒井に「鉄砲玉」として貸し与えられた存在らしい。だが、酒井曰く、基本的にこちらの言うことを無視して勝手に暴走するので、「腕は立つが、役には立たない」とのこと(全中大会に出場したのも、スサノオを襲撃したのも、当初の酒井の計画にはなかったのだという)。一方で、もう一人の襲撃者である「服部健一」という人物の名前については全く聞いた覚えがないらしく、おそらく彼は酒井の計画とは無関係に動いていた人物ではないか、というのが葉那の推測である。
 なお、当初の計画では、葉那が桂木律子の籠絡に成功した後は、「観澄りんね」と「五十嵐姫子」を闇堕ちさせる、というのが、酒井の立てた計画だったらしい。当初はミラもその候補だったが、榊原に「彼女は俺の物だから手を出すな」と言われ、彼に任せることにした、とのこと。一方で、山口親子に関しては、全く名前を聞いた記憶はないらしい。
 ここまでの情報から推測するに、酒井という人物が「十二人の歌姫」の存在に気付いている可能性が高い、ということは予想出来る。ただ、「籠絡」のターゲットに姫子が入っている一方で、山口親子が外れていることから推測するに、彼等も全てを把握している訳ではなさそうである。そもそも、彼等にとって歌姫達が「殺すべき対象」なのか「籠絡すべき対象」なのかについても、これまでの動向から一貫性が感じられないため、判断しにくい。
 とはいえ、昨日の時点でりんねが襲撃された以上、次は律子か姫子のどちらかが狙われる可能性が高い。しかも、この二人は灼滅者ではないので、誰かボディーガードを付けた方がいい、というのが葉那の提案である。その場合、ここにいる者達をどういう配分で二人の護衛に付けるかが問題であった。

5.2.2. 移住計画

 ここで、政次が一つの妙案を思いつく。

「先生、一人暮らしですか?」
「あ、はい、そうですけど……」

 突然、話をふられた律子は、ちょっと驚きながら、そう答える。ちなみに、ここは学校なので、今は完全な「昼の顔」モードの状態である。

「だったら、しばらく一緒に住ませてもらった方がいいかもしれませんね」

 彼がそう言った瞬間、律子(と、その隣にいたまりん)の表情が一変する。

「え? い、いや、ちょっと待って下さい。さすがにその、生徒と一緒にってのは、ちょっと問題が……」
「でも、それが一番、効率がいいと思うんですよ」
「そ、それはそうですけど、でも、さすがにそれは、倫理的にというか……」

 顔を真っ赤にして狼狽する律子を見て、何か自分の発言が誤解されているように感じた政次が、その計画の詳細を説明する。

「いや、あの、姫子さんの家に、先生が一緒に住む形にした方が、我々としても護衛がしやすいのではないかと思ったんです」
「あ、そ、そういうコトですか……。でも、それはそれで、五十嵐さんにご迷惑がかかるのでは……」
「私でしたら、全然構いませんよ」

 そう言って、姫子はにっこりと微笑む。自宅生であり、先日は大規模なハロウィン・パーティーを開催出来るほどに、その邸宅の間取りは広い。その気になれば、女性を一人下宿させることなど容易である。
 とはいえ、勝手気侭な一人暮らしを捨てて、大金持ちのお嬢様(しかも自分の学校の生徒)の家での下宿生活を始めるというのは、さすがに彼女としても抵抗はある。ただ、現実問題として、自分と姫子の両方の護衛を受け持つ灼滅者達の負担を考えると、その方が効率が良いことも理解は出来る。そんな形で葛藤している律子(と、安心した表情を見せるまりん)の横から、それまで黙っていた覇狼院が口を挟む。

「じゃあさ、私もそこのお嬢様の家に住んでもいいかな?」

 彼女はそもそも住所不定というか、家の中に住む必要のない生き物(?)なのだが、一定の戦闘能力と「瞬間移動能力」を持つ彼女がいれば、姫子や律子の安全性はより高まる。もっとも、彼女がそう提案した本当の理由は、先日のパーティーの時に食べた五十嵐家お抱えの一流パティシエ達のケーキの味が忘れられなかったからであることは言うまでもない。
 すると今度は、それまで淳子の背後で気配を隠していた昌子が、すーっと姿を現す。

「それでしたら、私達も一緒に泊めて頂くことは可能でしょうか?」
「え? お、お母さん?」
「実は最近、どういう訳か分からないんですけど、ヤマト君のお母さんから、冷たい目で見られているような気がして……」

 その理由を知る者はここにはいなかったが(もしかしたら、ヤマトは薄々勘付いているのかもしれないが)、確かに、護衛という観点から考えれば、(この親子の存在が現時点ではまだバレていない可能性が高いとはいえ)歌姫達が一ヶ所に集まっていた方が、より安全である。
 淳子は「私、ヤマト君と一緒がいいんだけど……」と言いたそうな顔をしていたが、それを口には出せずにいた。無論、昌子はそんな彼女の気持ちに気付いてはいたが、ここはあえて一度引き離して、淳子自身の中でのヤマトが「たまたま近くにいたから、なんとなく親しみを抱いていた存在」にすぎないのか、既に「それ以上の存在」になっているのかを、彼女自身の中で確認させる必要がある、と考えていたのである。
 そして、こうなると当然、次の皆の視線はミラに集中することになる。ミラの中では、居住歴一ヶ月程度の現在の寮にそれほど強い愛着がある訳でもない以上、五十嵐邸に移住することに、特に抵抗がある訳ではない。一応、一緒に住んでいるりんねの意向を確認する必要はあるが、彼女の性格上、ミラが移住すると聞いたら、おそらく自分も一緒に行くと言い出す可能性が高いことは容易に想像出来た。

「なんだか合宿みたいで、楽しそうですね♪ 皆さんは、どうします?」

 今まで、殆ど外泊すらしたことがないお嬢様にとっては、仲間達と自分の家で共同生活を送るという展開を想像するだけで楽しく思えてきたようで、「歌姫以外の灼滅者達」に対しても下宿を促そうとするが、さすがに男性陣は(彼女の実家の人々の目を気にして)誰も手を上げようとはしない。一方で、もともと律子の護衛を買って出るつもりだった倉槌姉妹は、「お部屋に余裕があるなら……」という前提の上で、律子と共に移住の提案を受け入れる。
 こうして、それまでバラバラに生活していた灼滅者と歌姫達による大規模な共同生活計画が進められることになった。なお、女性陣の中でただ一人、(狙われる可能性が低く、護衛としての戦力にもならないため)その計画に加わらなかったまりんは、少々疎外感を感じてはいたものの、結果的にこれで今後も「登下校中に『彼』と二人っきりになる機会」が減らずに済みそうなことに、少し安堵していた。

5.2.3. 「聖歌」の紡ぎ手

 そんな新生活プランについての話し合いが一段落したところで、姫子は、次の議題について語り始める。

「これまで皆さんにはお伝えしていませんでしたが、実は、私の未来予知の中で歌姫の方々に歌っていた『聖歌』は、ブレイズゲートの影響もあって、あまりはっきりと聞こえてはいないのです」

 つまり、仮に歌姫を12人集めたとしても、彼女達が歌うべき「聖歌」の内容が、実はまだよく分かっていない、ということである。一応、断片的に歌声は聞こえるものの、それらを繋ぎ合わせてもメロディの一部が予想出来る程度で、歌の全体像までは姫子も認識出来ていないらしい。しかも、その歌詞は(彼女が聞き取れた限りにおいては)「日本語でも英語でもない言語」に聞こえるという。

「なんとかその歌の全容を明らかに出来ないかと手を尽くしていたのですが、そんな中、インターネット上で、私が断片的に聞き取ったメロディーとよく似た旋律の曲を見つけました」

 そう言って彼女がノートPCを開けると、そこには「近未来的なコスチュームをまとった女性」が歌いながら踊っている映像が流れていた。しかし、よく見ると、その女性の動きはあまりにも俊敏かつ正確すぎて、通常の人間が踊っているようには見えない(下図)。


 姫子曰く、この女性の正体は、近年開発された「ヴァーチャル・アイドル・プリンセス(通称:VIP)」と呼ばれる電子データの集合体らしい。VIPとは、いわゆるVocaloidとMMDの両方の要素を併せ持つ「歌って踊れるアイドル(の映像&音楽)」を自作出来るソフトなのだが、ここで歌っているVIP「尋音(ひろね)くるむ」は、その中でも特別で、市販されている商品ではなく、ネット上で活躍する「伏龍(ふくりゅう)」と「鳳雛(ほうすう)」という謎の二人組が自作したオリジナル・プログラムらしい。
 通常のVocaloidやVIPの歌声は「元になる歌手(声優)」の音声を合成して作られるが、このVIPの歌声には「元の音声」が存在せず、全くの「無」の状態から作り出した音声らしい。それでいて、まるで人間が歌っているかのごとく自然な歌声が生み出されており、その場にいる人々も、姫子に言われるまでは、これが「機械の音」だとは気付かなかった。そして、それに合わせて踊る彼女の動きも実に滑らかであり、市販品と比べても全く遜色がないどころか、現存するどのVIPよりも完成度が高いと言われている。しかし、そのプログラムは一般流通していないため、それを使えるのは「伏龍」と「鳳雛」の二人だけで、これまで発表された「尋音くるむ」の楽曲は、全て彼等二人自身の手によるものだという。
 なお、この二人の正体は全く不明だが、「尋音くるむ」に関しては伏龍が音声合成、鳳雛がグラフィックを担当しており、彼女が歌う楽曲については、伏龍が作曲、鳳雛が作詞を担当している、と表記されている。そして、姫子曰く、この伏龍の生み出す旋律から感じ取れるフィーリングが、彼女が未来予知で断片的に聞こえた聖歌の印象と非常に近いのだという。
 そこで、なんとかして、この「伏龍」の正体を明らかにして、「聖歌」の作成に協力させてほしい、というのが、姫子からの依頼であった。ただ、ネット上の彼は自分のプロフィールを全く明かしていないため、ネット上に無数に展開している噂話の中から真相を探し出すのは非常に困難である。
 それでも、ひとまずその場にいた面々がそれぞれにスマートフォンでインターネットに接続して色々と調べてみた結果、スサノオが有益な情報源に辿り着く。どうやら、伏龍の正体は「武蔵坂学園に通っている生徒」の可能性が高い、ということが「それなりに信用度の高い情報ソース」から提示されているらしい。確かに、市販品を遥かに凌ぐスペックのVIPや、ダークネスを封じる「聖歌(に近いメロディ)」を生み出している点からも、サイキックエナジーの持ち主である可能性は十分に高そうである。
 ただ、「尋音くるむ」の楽曲がアップロードされている時間帯は午前中が多く、それらの大半は「授業中」の時間であるらしい。そう考えると、もし武蔵坂の学生であるとすれば、それが可能な人物はかなり限られてくる。
 ここで、スサノオの脳裏に一人のクラスメートの名前が思い浮かぶ。同じクラスにいながら、まだ一度も会ったことがない登校拒否児童「坂本俊一」である。彼についての情報を改めてインターネット経由で調べてみると、どうやら彼は今年の春から登校拒否を始めたらしいが、それ以前から友達は少なく、学校内の情報処理室に入り浸ることが多かったという。しかも、ルーツはサウンドソルジャーで、ポテンシャルはシャドウハンターということで、「伏龍」の条件には十分に合致する。
 そして、彼が学校に来ていた頃の集合写真も発見するのだが、それを見た英雄が口を開く。

「これは、昨日のあの少年……」

 そう、昨日、降りしきる雨の中で「二〇一三年四月二日、新入生送迎バス襲撃事件之犠牲者」の墓標の前で佇んでいた、あのパーカー&ヘッドフォンの少年である。多少、写真よりも成長しているせいか、微妙に印象が異なるようにも見えるが、「この事件の日付」と「登校拒否」となった時期が重なっていることからも、同一人物である可能性は高そうである。
 ということで、五十嵐邸への移住計画に加わらない男性陣は、ひとまずこの「坂本俊一」という少年を軸に、「作曲家(兼音楽プログラマー):伏龍」の調査を開始することを決めた上で、ひとまず散開することになった。

5.2.4. 半年前の襲撃事件

 まず、坂本と同じクラスのスサノオは、様々な情報網を駆使した結果、彼の住所を探し出すことに成功する。昨今は個人情報保護法の問題もあり、同じクラスであっても住所や連絡先が全員に配布される訳でもないため、少々手こずったが、それでもどうにか無事に確認することが出来た。どうやら、彼は自宅生で、学校から電車で数駅程度の距離の一軒家に住んでいるらしい。
 一方、英雄は「伏龍」が高価な音響機器を購入している可能性を考え、近所の家電用品店に潜入して、商品の出荷先などを調べようとするが、残念ながら、失敗に終わる。バベルの鎖の力で、内部に潜入するところまでは可能であったが、さすがに家電用品店でのバイト経験などある筈もない彼には、膨大な調査対象の中から必要な情報を探し出すことは不可能であった。
 そんな彼等の動きと並行して、政次とヤマトは、坂本(と思しき少年)が見つめていた墓標に書かれていた半年前の襲撃事件について、政次は学校内の資料に基づいて、ヤマトは自宅で療養中の父親に尋ねる形で、それぞれに調査してみた結果、概ね事件の概要が明らかになった。
 武蔵坂学園の関係者達は、全国各地を回って灼滅者(およびその候補者)の少年少女達を探して、学園への編入を促している。それは一年中常に行われている行為ではあるが、実際のところ、最も多くの学生達が編入を決意するのは4月の新学期の時期であり、その時期には何台ものマイクロバスを使って、東京駅に集まった全国からの編入生達を学園へと連れていくのが恒例行事となっている。
 そして今年の4月2日、そのマイクロバスの一つが、ダークネスの襲撃を受けたのである。襲撃者は六六六人衆の面々で、どうやら彼等は、空席となった上位ナンバーの席を巡って、「制限時間内に誰が何人殺せるか?」というゲームをするために、そのゲームのターゲットとして、編入生達が乗ったマイクロバスを選んだらしい。まだ戦いに馴れていない編入生達は為す術も無く全滅し、学園から駆けつけた救助隊が向かった時には、編入予定者達の死屍累々が転がっていたという。
 そのあまりに外道なやり口に怒りを覚えながらも、ひとまず政次はその編入者予定達の名前を書き写した上で、ひとまず彼もまた寮に戻ろうとする。しかし、その途上、彼は、思わぬ事件に遭遇することになるのであった。

5.2.5. 歌姫達を狙う影

 男性陣が「伏龍」の正体を調べるために奔走していた頃、移住に向けての準備を始めるために五十嵐邸へと向かっていた(まりんを除く)女性陣であったが、その途中で、ミラは自分達が何者かに尾行されているのを感じる。一人であれば全力で撒こうと試みるところだが、現在は灼滅者ではない姫子や律子がいる以上、それは難しい。
 そして、倉槌姉妹や他の灼滅者達もその存在に気付いたようで、彼女達が同じ方向に目を向けると、どうやら尾行者も「自分の存在が既にバレている」ということを察知したようで、彼女達の前に姿を現す。

「思ったより、人数が多いな。これは、殺さずに連れ帰るのは難しそうだ」
「あ、あなたは……」

 いち早く反応したのは、葉那であった。この場にいる中で、彼と面識があるのは彼女だけ。そう、彼こそが、朱雀門中学の剣道部員にして、先日のスサノオ襲撃事件の犯人でもある、六六六人衆の一人・柳生雅治である。

「おやおや、裏切り者が、すっかりそちらに馴染んでいるようで。とりあえず、アンタは『殺すな』とは言われてませんから、容赦はしませんよ」

 そう言って、彼が(ダークフォースに満ち溢れた)竹刀を取り出すと、灼滅者達も一斉に武器を構える。まさに一触即発の空気となったが、次の瞬間、偶然にもこのタイミングで、寮に帰ろうとしていた政次がその場に現れる。

「大丈夫ですか!?」

 目の前で女性陣が強大なダークフォースを持つ敵と対峙しているのを目の当たりにして、当然のごとく彼も日本刀を取り出す。

「また一人増えたか。こうなるといよいよ、殺してしまった時の言い訳を考えないとな……」

 柳生がそう呟いた次の瞬間、今度はまた別の「敵」が彼の前に現れる。しかも、それは彼にとって、本来ならば待望の、しかし、このタイミングでは会いたくなかった存在であった。

「お前、この間の!」
「き、貴様! スサノオ! そうか、やはり、あの程度では死んではいなかったか」

 坂本家の場所を確認して、家に戻ろうとしていたスサノオである。先日、仕留め損なった彼に対して、激しく敵意を燃やす柳生であったが、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、その場を去ろうとする。

「貴様がいたら、俺は本気にならざるをえん。そうなると、この場で女達を傷付けずに戦うのは不可能だ。日を改める」
「待て! お前、なぜ俺を襲ったんだ!」
「覚えてないのか? 俺のことを! 貴様につけられた、この傷のことも!」

 そう言われて、スサノオは必死で自分の過去を思い返してみた結果、ようやく思い出した。彼のことを、そして、自分が灼滅者として覚醒する前のことを。

5.2.6. スサノオの過去

 スサノオ・ビヨンドルメーソンは、アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた。しかし、彼は両親の顔を覚えていない。二人は彼が幼少期に交通事故で無くなり、以後、彼は父方の親戚の家を(厄介者扱いされながら)転々とさせられた結果、最終的にはアメリカのマフィアのボスに奴隷として売られることとなる。
 そのボスは、自分の奴隷同士を戦わせる「殺人ゲーム」を楽しんでいたのだが、そんな環境下で、スサノオは自らのサイキックエナジーに覚醒し、圧倒的な力で次々と他の奴隷達を殺戮していくことになる。その力を気に入ったボスは、彼を「殺人マシーン」として鍛え上げ、組織間の抗争における重要な切り札として重宝することになる。
 その後、ボスはアジア圏への勢力拡大のため、彼を連れて日本へと乗り込むが、外敵の介入を阻止しようとするヤクザとの抗争の中、ボスは敵組織によって送り込まれた「スサノオより少し年上の少年」の襲撃により、命を落とす。その「少年」はその次の瞬間、スサノオに正面から斬りつけられ、命を落としたと思われていたが、実は死んではいなかった。生死の狭間を彷徨い続けた結果、彼はダークネスとして蘇っていた。それが、この剣道少年・柳生雅治の正体だったのである。

「そうか、お前、あの時にボスを殺した……」
「ようやく、思い出したか。貴様を探し出すまでの日々、長かったぞ」

 スサノオはボスを失った後、生きる意味を無くしたまま日本を転々とすることになるのだが、やがて、以前から彼の行方を追っていた母方の祖父に発見・保護された後、近所に住んでいた倉槌姉妹などとの触れ合いで人間としての心を取り戻しつつ、灼滅者としての力に目覚め、自分を養ってくれた祖父の病死後に、武蔵坂学園へと編入することになる。そのあまりの過酷なマフィア時代の記憶が脳裏から完全に抜け落ちていたのは、おそらく、彼の人間としての理性が、無意識のうちに「忘れた方がいい記憶」として、消し去ってしまっていたのだろう。
 だが、スサノオが忘れても、柳生の方は忘れられる筈がない。それまで、サイキックエナジーに目覚めかかってはいたものの、まだ灼滅者でもダークネスでもなく、「普通の大人と同等程度に戦える身体能力を持った小学生」でしかなかった彼は、自分と同じような境遇で、自分よりも少しだけ高いレベルで覚醒しかかっていたスサノオによって、地獄の底へと叩き落されたのである。その屈辱から這い上がり、生きていくための力を取り戻すには、ダークネスとして覚醒するしかなかった。いわば、彼を倒すことこそが、自分自身のダークネスとしてのアイデンティティそのものだと言っても良い。

「いずれにせよ、この場でお前と戦うのに、そこの女達は邪魔だ。殺してはいけないと言われた連中がいる状態では、俺も真面目に戦えない」

 そもそも、「殺さずに生け捕り」という困難な任務を、「殺人衝動の塊」である六六六人衆に命じた酒井の判断が間違っているように思えるが、葉那という優秀な手駒を失った彼としては、本多から借りたこの鉄砲玉くらいしか、まともに使える人材が手元にいないのかもしれない。

「場所を改めよう、スサノオ。後日、朱雀門の武道場に来い」
「ふざけるな! そんな場所に行くなど、わざわざ罠にかかりに行くようなものではないか」

 そう言って拒絶したのは、スサノオではなく、英雄である。彼もまた、いつの間にやら、この修羅場に辿り着いていたのである。

「では、どこならばいい?」
「そうだな、武蔵坂の武道場はどうだ?」

 英雄としては、当然、この提案を柳生が同じ理由で拒否することは想定した上での挑発だったのだろうが、意外にも彼はあっさりと受け入れる。

「いいだろう。では、明日の夜8時、武蔵坂の武道場で待っていろ。俺は、灼滅者に一対一で戦えと言うほど愚かではない。お前が、俺に勝てると思えるだけの人数を連れて来るがいい」

 そう言って、彼は去っていく。この場で追撃することも出来なくはないが、姫子や律子がいる状態での戦闘を避けたいという気持ちは、彼等もまた同じであった。

5.2.7. 武道場の決闘

 そして翌日、決闘の刻限が迫ってくる中、スサノオはヤマト・英雄と共に、武道場で柳生の到着を待っていた。スサノオとしては、かつての自分のボスの仇とはいえ、マフィア時代の因縁など、もはやどうでもいい。しかし、彼が姫子や律子をいつ襲撃するか分からない以上、彼を討てる機会があるなら、それを逃したくはない。
 無論、その気になれば、学園にこのことを告げて、もっと大勢で迎え撃つことも可能であるが、おそらく、明らかに柳生にとって不利すぎる状態だと分かれば、彼も武道場には入って来ないだろう。その意味で、「3人」という数は、スサノオの中では適性人数だと思えた。また、考えようによっては、柳生のこの挑発は(ハロウィンの時の井伊同様)一種の陽動作戦の可能性もあったので、女性陣には(まだ引っ越しの準備も終わっていない状態ではあったが)五十嵐邸に集まってもらい、念のため政次もそちらに待機してもらうことにした。
 そんな中、刻限ぴったりの時間に、柳生は現れる。

「三人か。舐められたものだな」

 武道場全体を見渡しながらそう言うと、彼はゆっくりと竹刀を取り出し、そして、スサノオに向かって襲いかかる。すぐに英雄もその二人の間合いに入ろうとするが、柳生の目には最初からスサノオしか映っていない。彼はいきなり、怒濤の勢いでスサノオに強烈な二連撃を喰らわせる。スサノオは一撃目はなんとか耐えたものの、二撃目を喰らった瞬間、その肉体が機能停止寸前にまで追い込まれるのだが、そこで彼の灼滅者としての魂が、無理矢理彼の身体を奮い立たせ、反撃へと転じる。
 それに合わせて、ヤマトと英雄も連続して柳生に猛攻撃を加える。途中で柳生が魔法力に弱いことに気付いた彼等は、徹底して魔法力攻撃で柳生の生命力を削り取ろうとするが、それでも彼は崩れない。六六六人衆の中でも三百番台に位置する彼のサイキックエナジーは、以前に戦った服部健一とは比べ物にならないほど強大であった。
 このままでは危ない、と彼等が思ったその瞬間、その場にいる誰もが信じられないことが起こった。柳生を含めて4人しかいなかったこの武道場に、突然、政次、ミラ、そして覇狼院の姿が現れたのである。彼等は五十嵐邸で敵の襲撃に備えて待機していたのだが、そんな中で覇狼院が(趣味の占いで)「学園の方角で不吉な前兆がある」と察知し、姫子に「モンブラン10人前」を予約した上で、政次とミラを瞬間移動させたのである。
 力を使い果たしてその場に倒れた覇狼院を横目に、ミラと政次、そしてヤマトと英雄の4人がフォースの力を結集させた結果、柳生からスサノオへの猛攻は、スサノオが倒れる寸前のところで食い止められ、更にその次の瞬間、政次とミラの連続攻撃が柳生の身体を突き破る。

「そうか、3人と思わせておいて、伏兵か。見事な作戦だ……」

 それが、柳生の最後の言葉であった。スサノオとの決着を望んでいた彼であったが、最後は全く何の因縁もなかった二人の乱入によって、灼滅されることになったのである。しかも、それはスサノオが意図した伏兵などではなく、これまた彼等の因縁とは何の関係もない、一人の都市伝説の気転にすぎなかった。
 結局、スサノオへの怨念だけに捉われていたが故に、この僅か一ヶ月の間にスサノオの元に集まっていた仲間達の絆の強さを完全に見落としていたことが、彼の敗因であったと言えよう。それは、なまじ人より強い力を持ってしまったが故に、最後の最後まで「一人で戦うこと」しか出来なかった少年の、哀れな末路であった。
 そして同時に、それは一歩間違えば、スサノオが迎えていたかもしれない未来像でもあった。幼少期から強大な力に目覚め、裏社会で生きる事を強いられていた二人の人生は、まさに鏡写しの関係にある。もし、祖父や倉槌姉妹がいなければ、スサノオもまた六六六人衆の一人として、英雄達の前に立ちはだかる存在となっていたかもしれない。逆に、柳生が彼等に相当するような人々と出会えていれば、武蔵坂で「普通の青春」を謳歌する中学生になっていたのかもしれない。たった一つのボタンの掛け違いで、全てがひっくり返ってしまう。それが、この世界に生きる者としての、哀しき宿命であった。

5.3.1. 「伏龍」の正体

 翌日、スサノオは学校の最新のプリントを届けるという名目で、坂本家へと向かう。彼が「伏龍」である可能性(最悪の場合、ダークネスである可能性)も考えて、ヤマトと政次も彼に同行する(ミラはりんねのお見舞い、英雄は部下の納骨巡業に必要な書類提出のため、不参加)。
 坂本家に着くと、俊一の母親は「友達が尋ねて来てくれるなんて、初めて」ということで、彼等を歓迎する。母親曰く、俊一は部屋に閉じ篭ってパソコンで音楽を作成する日々を送っているそうで、稀に、音楽業界の人がビジネスの話のために訪れることはあるものの、いつも話がまとまらないまま、追い返されているらしい。
 この状況から、彼が「伏龍」である可能性が高いと判断したスサノオ達は、俊一の部屋へと案内してもらう。部屋の中は電子機器に埋もれていて、その大量の熱を冷ますために(秋であるにも関わらず)冷房が全力で稼働していた。そんな中、部屋の真ん中にパーカーを羽織ってパソコンに向かっている少年の姿が目に入る。そして彼は、背中を向けたまま、スサノオ達の顔も見ずに話し始める。

「今度は、どこの会社の人? 何と言われても、『くるむ』の権利は譲らないよ。あれは、僕と鳳雛の物だからね」

 「鳳雛」の名を聞き、彼が伏龍であることを確信したスサノオは、自分が音楽ビジネスの話をしに来た訳ではないことを告げようとする。

「あの、僕、同じクラスのスサノオ・ビヨンドルメーソンっていうんだけど……」
「ビヨ…………、なんだって?」

 さすがに、この名を聞いて一度で覚えられる人は、まずいない。とりあえず、スサノオは軽く自己紹介した上で、数百年前に封印されたノーライフキングが蘇ろうとしていることと、それを阻止するために必要な「聖歌」の作曲を彼に依頼したい、ということを告げる。しかし、それに対する俊一の反応は、全く想定外のリアクションだった。

「ダークネスと戦う、ねぇ……。君は、人類がダークネスに戦って勝てると思う? というより、戦って勝つ必要があると思ってる?」

 いきなり予想外の問いを投げかけられたスサノオが、どう答えて良いか分からずに沈黙していると、彼はそのまま語り続ける。

「僕は、ダークネスとの戦いに関わるつもりはないよ。人類はこれまで何百年もダークネスの支配の下で生き続けてきたんだ。これからも、そうすればいいじゃないか。彼等は人類をエサとしている以上、人類を絶滅させることは出来ない。つまり、彼等と僕等は、生態系の上と下に位置する関係なんだよ。それに何の問題がある? 生態系の頂点にいなければならないなんて、その考えの方がよっぽどダークネス的だよ」

 これまで、本能の赴くままにダークネスを倒してきたスサノオとしては、自分と根本的に異なる思考を持つ少年を前にして、何も言い返すことが出来ない。同様に、家訓としてダークネスを倒すことを「当然の使命」と考えてきたヤマトも、「とりあえず、気に入らない奴は殴り倒す」を信条として生きてきた政次も、呆気にとられたまま、何も言えない状態であった。

「僕はこれからも、音楽を作り続けていきたい。鳳雛が残した歌詞を、一つでも多く世に届けるためにね。だから、ダークネスとの戦いなんていう、くだらないことに巻き込まれて、命を落とす可能性を高めるのはごめんだよ。いずれは、僕もダークネスに殺されることになるかもしれないけど、だからこそ、生きている間に、少しでも多くの芸術作品を残しておきたいんだ。これまでの先人達が、ダークネスの支配下において、そうしてきたように」

 とりあえず、今のこのメンバーでは彼を説得することが出来ないと判断した彼等は、ひとまず撤退して、作戦を練り直すことを余儀なくされる。

5.3.2. 方針の再確認

「あ、ミラ! 来てくれたのね、ありがとう! もう、退屈すぎて死にそうだったのよ」

 一昨日の夜の時点で生死の境を彷徨っていたとは思えないテンションで、病室のりんねはミラを迎える。

「で、お土産は? 差し入れは? プリン? ゼリー? なんでもいいよ?」
「…………また、今度ね」

 ミラにそこまでの気配りが出来る筈がないということに気付けないあたり、まだまだこの二人は、お互いにお互いのことを分かっていないらしい。とりあえず、自分が襲撃されてから、今までの出来事を何も知らされていなかったりんねは、ミラから事情を聞いた上で、五十嵐邸への移住計画に賛同する。

「せっかくルームメイトが出来たのに、またミラがいなくなって一人部屋に戻るなんて、ヤだもん。でも、ギターとか、アンプとか、どれくらいまでなら持ち込んでいいのかな……?」

 そんなこんなで退院後の方針が明らかになったところで、ミラはひとまず病院を後にして、五十嵐邸へと向かう。すると、そこでは坂本家から戻ってきた3人と、事務手続きを終えた英雄が揃っていた。3人から一通りの話を聞いた姫子は、重い口調で語り始める。

「その方の言うことも分かります。というより、今まで、私は皆さんの善意に甘えすぎていたのかもしれません。自分の身を危険に晒す強大なダークネスとの戦いに、皆さんが無条件で参加して下さると言って下さった今までが、恵まれすぎていただけなのかもしれないですね」

 とはいえ、他に「聖歌」を作れそうな人材のアテもない以上、なんとか俊一を説得しなければ、今後の展望は開けない。ひとまず、明日は、俊一の語る哲学的な話にもついていけそうな英雄と、「作曲家としての彼のモチベーションを上げることが出来るかもしれない存在」としての歌姫・ミラも同行する形で、改めて彼の説得に向かう、という方針をまとめた上で、男性陣達はそれぞれの自宅へと帰っていくことになった。

5.3.3. 二度目の交渉

 翌日、学校の終了後、今度は5人で坂本家を訪れた彼等であったが、俊一は相変わらず、背中を向けたまま、彼等と顔を合わせようとはしない。

「私を覚えているか? 鳳凰院英雄だ」

 さすがに、こんな名前を一度聞けば、忘れられる筈もない。ましてや「鳳」の字は、彼にとっての「相方」を想起させる名前である以上、深く印象に残っていて当然である。

「あぁ、あの時の……。そうか、僕を籠絡するつもりで、あの時から見張っていたのか」
「いや、そうじゃない。あの時は私も、死んだ部下達の火葬のために、あの場に来ていたのだ」

 そのくだりについては軽く説明する程度に留めた上で、やがて交渉は本題に入る。しかし、なかなか話は前に進まない。

「どうせ人はいずれ死ぬんだ。だったら、その前に、後世に語り継がれる芸術を残せるだけ残しておきたい。自分が長く生き残るためにダークネスと戦うことよりも、そっちの方がよっぽど有意義な時間の使い方じゃないかな」
「若いのに、随分と老成した考えだな」
「よく言われるよ。脳の成長が、他の人よりも早いのかもしれないね」

 冷めた口調でそう語る彼だが、英雄には、それだけが彼の本心とは思えなかった。少なくとも「一昨日の夕刻に墓標の前で涙を流していた少年」としての彼の姿を知っている身としては、まだ彼の中に何か「押し殺している自分」がいるのではないか、と考えていたのである。
 そんな中、彼の内面に踏み込むために、あの墓標に記されていた犠牲者達の話を切り出してみると、少しずつ、彼も自分の中にある「もう一つの感情」を露にし始める。

「鳳雛と僕は、ネット上で知り合ったんだ。彼は僕と同い年で、学校にも殆ど行ってなかったらしい。彼は自分が灼滅者だということに気付いていなかったけど、僕は話していてすぐに分かったよ。彼も僕と同類だということがね。だから、僕が武蔵坂に誘ったんだ。そしたら、あんなことになってしまった……」

 政次達の予想通り、「鳳雛」はあの事故で六六六人衆達に殺された犠牲者のうちの一人だった。しかも、どうやらその時、新入生達の歓迎式典に向かっていた俊一も、その殺害現場に直面していたらしい。

「僕がいけなかったんだ。僕が彼を誘わなければ、彼は死ぬことはなかった。今も創作活動を続けられていた筈なんだ。灼滅者だから、ダークネスと戦わなければならないなんて、そんなくだらない話に付き合わせた結果が、これだよ……」

 徐々に声のトーンを落としながらそう語る彼に対して、英雄が強い口調で言い放つ。

「お前はダークネスには勝てないと言っているが、私は勝ったぞ。これまで何度もダークネスには勝ち続けてきた。そして今、我々にはダークネスを倒すための『歌姫』も揃いつつある」
「歌姫、ねぇ……。そういえば、もう一人、昨日いなかった人がいるみたいだけど、もしかして、その人が、その『歌姫』の一人ってこと?」

 それまでずっと黙っていたミラに急に話を振られるが、彼女は落ち着いて答える。

「はい」
「…………ふーん、確かに、いい声だね」

 音楽プロデューサーとして、彼女の「声」に興味を持ったのか、ようやく彼は、座っていた椅子を180度回転させて、5人の前に素顔を晒す(下図)。


 英雄以外はこれが彼との「初対面」であったが、ここで、俊一はミラと目があった途端、慌てて視点をそらしながら、泳ぐような視線のまま話し始める。

「う、うん、まぁ、その、なんだ、別に、その、曲を作ること自体が、そんなに嫌って訳ではないんだよ」

 これまでとは明らかに異なる態度を見せる彼であったが、ミラを視界から外しつつ、まだ「人類がダークネスと戦うこと」そのものに対しての疑念を語ろうとする。しかし、それを英雄が遮った。

「もういい! 世界がどうとか、人類全体がどうとか、そういう話が聞きたいのではない! お前自身はどうしたいんだ?」
「……そりゃあ、僕だって、出来ることなら、あの鳳雛を殺した『竹刀使いのダークネス』を倒したいという気持ちはある。でも、何度シミュレートしてみても、勝てる計算には行き着かない。それが、この世界の現実なんだよ」

 「竹刀使いのダークネス」と言われて、「もしや……」と思った彼等であったが、その予想は的中した。「鳳雛を殺したダークネス」とは、つい昨日、彼等が倒した柳生雅治のことだったのである。シャドウハンターでもある俊一が、自作のヘッドギアをスサノオに被せて「スサノオの記憶の中の柳生」の顔を確認したことで、俊一もその事実をようやく知ることになる。

「そ、そんな……、お前達、実は、結構スゴいヤツなのか?」

 そう言いながらも、まだ彼等の実力について半信半疑の俊一は、彼等への協力の条件として、一つの「ゲーム」を提案する。

5.3.4. 仮想世界の冒険

 俊一は部屋の奥から更に四つのヘッドギアを取り出し、彼等にそれを手渡した。

「さぁ、これを付けて、僕の作った『ゲーム』の世界に入ってくれ。対ダークネス用に作った『坂本・オリジナル・システム』、略して『SOS』の世界だ」

 曰く、このヘッドギアを付けることで、プレイヤーは『マトリックス』のような仮想世界に入ることが出来るという。そこは、現実のこの世界によく似た空間で、プレイヤーは自分の分身となる「灼滅者」の身体を動かしながら、次々と現れるダークネスと戦う、という内容らしい。
 彼に言われた通りにヘッドギアを付けた5人の目の前に広がったのは、彼等のよく知る武蔵坂学園の光景である。そして、自分の身体が「本来の自分ではない(しかし、同じルーツを持つ)灼滅者」となっていることも実感出来た。

「おい、なんだこのアバターは? 威厳が足りんぞ!」

 英雄がそう叫ぶ。確かに、彼の身体は中学生の熱血少年のような風貌であり、本来の彼のイメージとは程遠い。

「仕方ないだろ。一般的なファイアブラッドのイメージは、そんなカンジなんだよ」

 どこからともなく、「天の声」としての俊一の声が鳴り響く。他の面々はというと、ヤマトは髪の色が違う程度で比較的本人に近いイメージだったが、スサノオは長身で日本刀を携えた高校生殺人鬼、政次は耽美な装束に身を包んだ美形ダンピール、ミラは巨大なチェーンソーを持った女子高生サウンドソルジャーの姿となっていた。どうやら、これらが俊一がイメージするところの「一般的な灼滅者の姿」らしい。
 そして、そんな彼等の前に「五十嵐姫子」が現れる。どうやらこれは、プレイヤー達のイメージする「エクスブレイン」のイメージが優先して現れる仕組みになっているらしい。

「この先の山中に、強大な幻魔種イフリートが出現したわ。灼滅者の牛飼・みくるが先行して向かったけど、一人じゃ無理ね。みんなで助けてあげて」

 いかにも「ゲームの中の依頼人」のような口調で語りかける彼女に若干の違和感を感じつつも、彼等は言われるがままに山中へと向かうことにした。
 そんな彼等の前に現れたのは、イフリートの眷属と思しき怪物達である。チェインキャタピラー、バスターピッグ、鬼火狐、といった怪物達からの猛攻に対して、彼等は馴れない「仮の身体」ながらも、本物に違わぬサイキック能力を駆使して倒していく。ただ、そんな中、スサノオが奇妙な違和感を感じ始める。

「なんか、俺のアバターだけ、妙に弱くないか……?」

 他の4人には自力で自分の傷を癒す能力があるのに(しかも、自己回復中は敵が襲ってこない仕様となっている)、なぜか彼のアバターにはその力が備わっておらず、その代わりと言えるほどの強固な攻撃力がある訳でもない。おそらく、俊一の「六六六人衆」への個人的な恨みから、無意識のうちに「殺人鬼」に対して厳しいステータスとなってしまっていたのであろう。一応、サーバントの「ナノナノ」が1シナリオ中4回まで現れて回復させてくれるオプションもあるのだが、序盤だけで彼がその殆どを使い切ってしまうという有様であった。
 そんな中、彼等の前に、今度は、姫子の話に出ていた「牛飼みくる」という灼滅者が現れる。しかし、彼女は既に「闇堕ち」した状態であり、プレイヤー達に向かって、容赦なく襲いかかってくる。これが現実世界の出来事であれば、彼女を救うためには、力尽くで倒した上で、運良く彼女が生還出来る可能性に賭けるしかない(その可能性も、闇堕ちした時期によっては、決して高くはない)。しかし、どうやらこの「SOS」の世界は、そうではないらしい。

「力尽くで倒してもいいけど、彼女には説得防御値と説得耐久度が設定されてるから、彼女を説得して元に戻すことも出来るよ」

 再び、「天の声」としての俊一の声がそう響き渡る。はっきり言ってしまえば、これは実際の「闇堕ちした灼滅者」との戦闘を経験したことがない10歳の少年の「幻想」である。現実には、一度闇堕ちしてしまった灼滅者が、説得だけで帰ってきた実例など存在しない。しかし、それが可能な仕様となっている辺りに、このゲームを設定した彼の人間性の本質(「人間の可能性を信じたい」と思う心?)が現れているのかもしれない。
 そして、説得能力に長けたエクソシストのアバターを操るヤマトの活躍によって、どうにか彼女を元の灼滅者の身体に戻すと、彼女はプレイヤー達に様々な殲術道具を渡す。こうして、それぞれに新たな力を手に入れた彼等が更に進んで行くと、今度はより強大なダークネス「ウイングリザード」が立ちはだかる。
 これまでの怪物達とは比べ物にならぬほどの圧倒的な生命力故に、なかなか倒しきれずに苦戦を続けていた彼等であったが、そんな中、ついにスサノオがそのウイングリザードの一撃で生命力を削り取られて、「闇堕ち」させられてしまう。

「あれ? なんだこの力? すっげー、楽しい♪」

 闇堕ちにより、圧倒的な攻撃力を手に入れた彼は、ようやくまともにダークネスと戦う力を手に入れたのだが、他のプレイヤーとしては、既に敵と味方の区別もつかなくなってしまった彼を、このまま放置する訳にもいかない。ひとまず、政次とミラの説得でどうにか彼を元に戻した上で、なんとかウイングリザードを倒すことにも成功する。
 そして、最後の最後で彼等を待ち受けていたのが、姫子が話していた幻魔種イフリートである。さすがにラスボスに設定されているだけあって、相当な強敵ではあったが、既に先日の五十嵐邸での戦いで「本物の(猫型)イフリート」と戦っていた彼等にとっては、そこまで絶望するほどの相手ではなかった。落ち着いて相手の弱点を探りつつ、これまで溜め込んでいた特殊攻撃リソースを一気に放出したことで、今度は誰一人闇堕ちさせることなく、最後はミラの一撃で、そのイフリートは倒されることになった。

5.3.5. そして現実へ

「本当にスゴいな、お前達。こんなあっさりとクリアされるとは」

 ミッションを達成したプレイヤー達が現実世界に戻ってくると、俊一は素直にそう賞賛する。その声も、表情も明らかに数時間前とは別人であった。

「本当はこの後、ノーライフキングと戦うシナリオも用意してたんだけど、その楽しみは『現実』に取っておくことにするよ」

 そう言って彼はヘッドギアを回収しつつ、ミラの方を向きながら(しかし、目が合わないように視線を微妙に外しながら)こう告げる。

「その、出来れば、まず、聞かせてくれないかな……。君の……、歌声を……」

 俯きながら、消え入りそうな声でそう言った彼に対し、ミラは全力で応える。彼女の伸びやかな澄んだ歌声が、電子機器で埋め尽くされた部屋中に響き渡り、そして俊一は、今まで誰にも見せたことのない恍惚とした表情のまま、ただただその歌声に聞き入っていた。

「…………ありがとう。お陰で、創作意欲が湧いてきた。他の歌姫達の歌声の音源も、ぜひ聞かせてほしい。これから先、その曲作りに専念するから、まだしばらく学校には行かないけど、完成次第、すぐに届けるよ」

 そう言って、さっそくパソコンに向かって音楽ソフトを開いた俊一に対して、英雄は最後にこう告げる。

「お前も、これからは世界全体のこととかを考えるよりも先に、まず、目の前の『守りたいもの』のことを考えるようにすればいいんじゃないかな」
「…………そうだね。正直、鳳雛を失ってから、僕にはもう守りたいものなんて無いと思ってたけど、でも、ようやく、それを見つけた気がする」

 それが何なのかを俊一は語らないまま、ただ、パソコンのモニターに反射して映るミラの姿を視野に入れながら、自分の中に芽生えた新たな感情に高ぶる心を抑えつつ、画面上の五線譜に新たな世界を紡ぎ出していく。
 こうして彼等は、世界を救う歌姫達の力を引き出すための最強の「導き手」を手に入れたのであった。


第5話の裏話

 多分、一番反省点が多いのがこの回でした。まず、ポカその1は、冒頭の火葬場&墓場のシーン。よくよくルールブックを読み返してみたら、「灼滅されたダークネス&眷属」は、骨も残さずに消えてしまう筈なんですよね、これが……。じゃあ、なぜ彼等の遺体が(火葬しなければならないレベルで)残っていたのかと考えると、それはまだ彼等が完全なダークネスにはなりきっていなかったから、とかいう理由しか思いつかなくて、そうなると、やっぱり彼等は助けられたのではないか、という話が私の中で蒸し返されてしまう訳です。
 そして、マスタリング上のポカについて語ると、本来は「俊一と対話」→「柳生が共通の敵だと分かる」→「一緒に倒しに行く」という予定だったのが、プレイヤーの誘導に失敗して、先に柳生を倒してしまった後、ようやく俊一と対面出来る状態になるという、まるで「用心棒を先に倒してから悪代官に悪事を問い詰める」かのような「締まらない展開」になってしまいました。しかも、歌姫の集団移住計画という、当初のGMの予定にはなかった案をプレイヤー側から提示され、序盤の展開が思った以上にかかってしまったこともあり、「5.2.7.」の時点でプレイ時間が終わってしまい、やむなく前後編となってしまった訳です。
 でもまぁ、こういう形で「想定外のアクシデント」が起きるのもまたTRPGの楽しみなんですよね。で、中途半端に「俊一の説得」だけが残ってしまった「後編」を盛り上げるための要素として、カードRPG版の「サイキックハーツ」を持ち出して、それを「俊一が作り出したバーチャルゲーム」として導入するという荒技で乗り切った訳ですが、これはこれでそれなりに盛り上がったので、GMとしては楽しかったです(ただ、殺人鬼の弱さはガチでヒドい)。なお、この時に皆が(キーワードカードを使って)プレイ中に作った「決め台詞」が全然記録に残せてなくて、それを勿体無く感じたことが、後に「ICレコーダー導入」を決意させる一因となっていきます。
 ちなみに、俊一の説得のくだりは、本来ならば「神秘判定」だけで終わらせても良かったのですが、せっかくなので、たまには「PC能力に寄らないガチ説得」に挑戦してほしいなと思って、(実際にはこの記録で書かれた量の数倍の)台詞の応酬を楽しませてもらいました。「PC能力ではなくプレイヤー自身の能力で行動結果が左右されるのはTRPGとしておかしい」という批判もあるかもしれませんが、でも、サイコロ振るだけで全てが解決するTRPGって、それはそれで味気がないと思えてしまうんですよ、私は。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2014年01月05日 06:16