第3話 「真夜中は別の顔」

3.1.1. JAZZ BARへの招待

 ある日の朝、五十嵐姫子から鳳凰院英雄の元にメールが届いた。と言っても、宛先から察するに、彼一人に送られた訳でもなく、今回の件に関わっている灼滅者達全体に送られた内容らしい。

「サウンドソルジャーではなかった淳子ちゃん達も歌姫であったという事実に鑑みて、今後は学生全体を調査してみる必要があると思います。そこで、出来れば音楽の先生に協力を依頼する形で、私を教務アシスタントという名目で、音楽の授業に参加させてもらえれば良いと思うのですが、どなたか、音楽の先生と親しい方がいたら、紹介して頂けないでしょうか?」

 なかなかの難題である。確かに、それが可能であれば調査効率は良いだろうが、音楽の授業に姫子が参加するには、姫子が他の授業をサボらなければならない以上、仮に音楽の先生の協力が得られたとしても、何か特別な理由がなければ他の教員の賛同を得るのは難しい。無論、学園側に事情を話せば理解は得られるだろうが、「敵に気取られないよう、なるべく情報は公にしない」という前提を考えると、相当な無茶振りである。
 もっとも、英雄にしてみれば、そもそも音楽の教員と特に接点がある訳でもない。さて、どうしたものか、と馬車に乗りながら思案を巡らせていると、これから向かおうとしている道の先に、朝帰りの山口さゆりが、二日酔いの頭を抱えながら歩いているのを発見した。

「おぉ、この間の女、大丈夫か?」

 そう言って、彼が馬車を降りて声をかけると、さゆりも気付いて足を止める。

「あ、こないだはありがとね。淳子も、新しい環境に馴れてきたみたいだし、本当に助かったわ」

 結局、淳子はしばらく神代家で預かることになったらしい。さゆりとしても、彼女が都市伝説だけでなく、ダークネスとの本格的な戦いに巻き込まれる可能性のある立場である以上、今は武蔵坂関係者の人々の元にいた方が安全であると考えて納得したようだ。

「ところで、実は今夜、私の知り合いが経営しているJAZZ BARで、ちょっとしたイベントがあるんだけど、もし良かったら、皆で来ない? 高校生くらいなら、私が保護者という形で付き添えば、入店も認めてもらえるし。何なら、彼女とか一緒に連れてきてもいいよ。まぁ、さすがに小学生は無理だけど」

 とりあえず、そういう話であれば英雄もやぶさかではないので、ひとまず(中3のミラを含めた)年上組の面々にメールで伝えてみた。

3.1.2. 穏やかならざる朝

 一方、その頃、メールを送られたミラが(移動中だったのでそれに気付かぬまま)登校していると、一人の見知らぬ制服を着た女子高生(下図)に声をかけられる。


「あなた、素敵な香りがするわね。私、好きよ。あなたみたいなオーラの人」

 妖しげな微笑みを浮かべながら、彼女はそう言って近付いてくる。

「でも、不思議ね。あなたと同じ香りを、最近、どこかで感じたような気がするわ」

 いきなり訳の分からないことを言われてミラが戸惑っていると、後方から凄まじい勢いで走り込んでくる足音が聞こえる。それは、血まみれで重症のスサノオを背負った翔の姿であった。

「先輩、コイツが急に刺客に襲われて……、これから学園付属の病院に連れて行きます。もし、他にコイツの知り合いがいたら、伝えておいて下さい」

 そう言いながら、彼はそのまま病院へと走り去っていく。呆然と見送る二人であったが、興が削がれたと思ったのか、その見知らぬ女性もまた、くるりと向きを変えて歩き出す。

「なんだか大変そうね、では、また会いましょう。ごきげんよう」

3.1.3. 朱雀門の噂

 同時刻、微妙な夫婦間の軋轢(?)をひとまず棚上げして、淳子を迎え入れることになった神代家のタケル&ヤマト親子は、その淳子と共に学校へと向かっていた。淳子の背後には昌子の霊がいるのだが、さすがに日頃は気配を消しているため、よほど霊感の強い灼滅者でない限り、その存在は気付かれない。
 そんな中、ヤマトはまた何者かが自分を尾行しているのを感じる。しかし、それが無害な存在であるということもまた、すぐに察知出来た。

「ニトロおねーちゃん、どうしたの?」
「あ、ヤマト君。お久しぶり。なになに、一緒に登校する彼女が出来たの? いーわねぇ、羨ましいわ」
「ちがうよ、彼女とかじゃないよー」

 照れながらそう言うヤマトと、同じように赤面しながら、どうリアクションしていいか分からない淳子を横目に、不審そうな顔をした保護者が割って入る。

「ヤマト、誰なんだ、この人は?」
「ニトロおねーちゃん、記者さんだよ」
「初めまして。フリー・ジャーナリストの猫玉ニトロです」

 本当は、ただのオカルト好きのストーカー女子大生なのだが、先日の淳子のストーカーのような露骨に怪しい雰囲気ではなかったので、タケルもそれ以上の詮索は避ける。

「そうそう、こないだの榊原クラウスに関してだけど、最近、朱雀門高校に出入りしてるっていう噂があるのよ。そのことを教えとこうと思ってね」

 「朱雀門高校」は、実は灼滅者達にとっては色々な意味で特別な存在なのだが、小学2年生の彼には、まだそこまでの知識はなかった。ひとまず、ニトロはそのことを伝えると、満足気に去っていく。どうやら、彼女の中では、また次の特ダネに関するタレコミが入っているようである。女子大生ジャーナリストである彼女には、休む暇も、講義に出る暇もないのであった。

3.1.4. 臨時担任

 こうして各自がそれぞれに色々な人々と遭遇する朝を迎えている中、政次もまた、目の前で見知らぬ女性と遭遇する。と言っても、彼女から声をかけてきた訳ではない。眼鏡をかけて、カジュアルなスーツに身を包んだその女性は、道端で「絵に描いたようなチンピラ達」に絡まれていた。

「ねーちゃん、大学生? OL? どっちでもいいから、俺達と付き合えよぉ。楽しませてやるからよぉ」
「あ、あの、私、これから仕事で……」
「いーじゃんかよぉ、そんなの。こんなもん捨てちまえよぉ」

 そのチンピラがそう言いながら女性のカバンを放り投げると、それが、彼等を止めようとして近付いてきた政次に当たった。

「おい、その辺にしておけ」
「あぁ? ガキはすっこんでろ!」

 リーダー風の男がそう言って政次に殴り掛かったが、彼はひらりとかわす。他の者達も次々と彼に襲いかかるが、触れることすら出来ない。

「ア、アニキ、なんかコイツやばい奴っぽいですぜ」
「ちっ、今日のところはこの辺にしといてやる!」

 そう言って彼等が去って行くと、その女性は慌ててカバンを拾って頭を下げる。

「あ、ありがとうございます!」

 彼女はそのまま一目散に走り去っていくが、その直後、政次は、彼女のカバンから落ちたと思しき、プラスチック製の棒の存在に気付く。どうやらそれは、合唱やオーケストラにおいて用いる指揮棒(タクト)のようだ。今から彼女を追いかけようとしても間に合いそうになかったので、ひとまず警察に届けた上で、学校へと向かう。
 そして政次がクラスに着くと、その「眼鏡をかけて、カジュアルなスーツに身を包んだ女性」が現れた。どうやら、彼(と英雄)のクラスの担任の先生が産休でしばらく休むことになり、副担任である彼女が、しばらく臨時担任を担当することになったらしい(下図)。


「か、桂木律子と申します。あ、あの、私、その、今年から教師になったばかりで、一応、形の上では春から副担任だったんですけど、多分、音楽選択の人以外は、その、そもそも、私のこと、知らないと思いますけど、それで、あの、た、頼りないとは思いますけど、よ、よろしく、おねがい、します……」

 オドオドしながら、やや挙動不審気味にそう語る。周囲の学生達が「おいおい、大丈夫か、この先生」という目で見ている中、(判断としては何も間違ってなかったとはいえ)指揮棒を警察に届けてしまったことを、ちょっとだけ後悔した政次であった。

3.2.1. 放課後ミーティング

 その日の放課後もまた、彼等は「いつもの日課」のごとく、姫子のクラスに集まる。と言っても、りんねは引き続き吉祥寺キャンパスの調査を続けているため不在であり、新たに仲間に加わった淳子(&昌子)も、放課後の音楽教室に通っているため、こちらには顔を出していない。それに加えて今日はスサノオもまた不在であり、その理由をミラから告げられると、さすがに皆も動揺したが、姫子の未来予知にもその状況は映っておらず、全く手掛かりがないため、どうにも動き様がない状態であった。
 一方、それに続けて近況報告として、ヤマトがニトロから得た情報を告げると、その場が凍り付く。というのも、朱雀門高校とは、表向きは文部省に認可された通常の教育機関だが、実はその関係者の大半がヴァンパイアで構成されている、まさに武蔵坂の宿敵と呼ぶべき存在なのである。さすがに、過去の記憶を全く持っていないミラだけはそのことは知らなかったが、自分を監禁していたクラウスが関わっているということで、おそらくは心中穏やかではなかったのであろう。
 そのタイミングで思い出したかのように、ミラは今朝、自分が「見知らぬ制服の女性」に声をかけられたことを伝えるが、その制服を絵で説明しようとしたものの、どうやら彼女は「音楽以外の芸術的才能」を全く持ち合わせていなかったようで、他の者達には全く伝わらなかった。ただ、彼女に興味を示す不審人物が現れたというだけでも、十分に警戒すべき事態であるという認識だけは、皆で共有出来たようである。
 そして、本題である音楽教師の件については、一応、英雄と政次のクラスの臨時担任が音楽教師になったという旨は告げたものの、まだそれほど親しいという訳でもないので、協力してもらえるかどうかについては、まだ何とも言えない状態であった。
 なお、JAZZ BARの件については、姫子は家の門限の事情で断るものの、政次とミラは快諾する。ただ、政次には一つ懸念があった。

「お前にこういうことを頼むのはシャクなんだが……、そういう場に着て行く服とか、どうすればいいか教えてくれないか?」

 そう言って、彼はバツが悪そうな顔で鳳凰院に頼み込む。幼少期から、自他共に認める「育ちの悪い環境」で生きてきた彼が、オシャレなオトナのBARに着ていく服など、持っている筈もない。ついでに言えば、今のミラもまた、私服など買える経済的余裕など、殆どないのが実情である。

「そういうことなら、心配はない」

 そう言うと彼は「クローゼットが内包されたリムジン」を呼び寄せ、「さぁ、好きなものを選べ」と彼等に提示する。彼のこの資金の出所は実家の財産らしいのだが、両親は既に他界しているらしく、どういう経緯でこれだけの財産を築き上げたのかは、誰も知らない。ともあれ、こうして、今夜の服装問題はひとまず解決したのであった。

3.2.2. スサノオのお見舞い

 その後、彼等は学園付属の病院へと移動し、スサノオのいる病室へと向かう。すると、そこには彼に付き添う高等部2年の倉槌緋那の姿があった。スサノオ経由で話に聞いてはいたが、姫子以外の面々にとっては、ほぼ初対面である。

「意識は失ってるけど、命に別状はないみたい。点滴さえ打てば、あとは自力回復でなんとかなりそう。明日か明後日には目を覚ますだろうって、先生が言ってた」

 彼女が翔から聞いた話によると、今朝、突然、刀を持った中学生くらいの男に襲われたらしく、翔の憶測によれば、おそらくそれは六六六人衆の上位メンバーであろう、とのこと。翔が助けに入ったことで、どうにか相手は退散したものの、あと一歩で命を落とす寸前の状態だったらしい。
 そして、翔がここに彼を届けた後、午前中は彼がそのまま付き添っていたが、午後からは緋那が代わりに来て、汗を拭き取るなどの看病をしていたらしい。

「正直、今日は午後の音楽の授業をサボりたかったから、ちょうど良かったよ。いや、音楽自体は好きなんだけどね。ちょっと、あの先生を見てると、嫌なことを思い出しちゃうから……」

 その話を聞くと、英雄と政次がピクッと反応する。高等部で音楽選択ということは、桂木が担当している可能性が高い。しかし、その件について詳しく聞こうとしても、彼女は軽くはぐらかしてしまう。

「とりあえず、しばらくは私と鴻崎君が交代で付きそうよ。コイツには、他に身内もいないことだし」

 彼女がそう言うので、ひとまずスサノオのことは彼女達に任せて、彼等はその場を去ることにした。ただ、この一連の会話を通じて、ミラは緋那が「今朝出会った女性」とどこか雰囲気が似ているような印象を受けたのだが、この時点では、まだそれ以上の確信は持てない状態であった。

3.2.3. MIDNIGHT JAZZ QUEEN

 その日の夜、さゆりと共に英雄、政次、ミラの3人は、少し大人びた服装で、彼女の友人が経営するJAZZ BARへと向かう。別にいかがわしい店ではないので、18歳以下の入店でも問題はないのだが、さすがに小学生を連れていくのは店の雰囲気を壊すと判断したので、「年上組」だけを招待することにしたようである(ちなみに、さゆりはミラのことも高校生だと思っていたらしい)。
 店内に入ると、そこは客も店員も様々な人種の人々が集まる、不思議な空間であった。彼等が席に着き、ノンアルコールのシャンパンを口にしながら、店内に流れるピアノや管楽器のスウィングするような生演奏に浸っていると、さゆりがこの日のプログラムを見ながら、こう告げる。

「次に出てくる人は凄いよ。多分、実力は姉さんに匹敵するんじゃないかな」

 そう言われて出てきたのは、真っ赤なドレスに身を包んだ、やや小柄な、それでいて不思議な迫力を兼ね備えた日本人の女性(下図)である。


 どうやら彼女はこの店の専属歌手のようで、彼女が登場すると同時に、拍手喝采が沸き上がる。そして、ピアノ奏者の指が踊るように伴奏を始めると、彼女の堂々とした歌声が店内に響き渡る。それは、先刻まで歌っていた(おそらく)本場の黒人シンガー達にも全くひけをとらない、圧倒的な存在感の歌声であった。

 その歌声を聞きながら、ミラは、自分の中でかすかな何かが共鳴している感覚を覚え始めていたが、彼女がそれが何かという確信に至る前に、政次と英雄が口を開く。

「なぁ、あれ、桂木先生じゃないか?」
「そうだよな、やっぱり」

 学校でのあまりに地味でオドオドした印象とのギャップ故に、初見では分からないほどの別人っぷりであったが、それでもサイキックエナジーを使える彼等の目をごまかすことは出来ない。それは間違いなく、彼等の臨時副担任・桂木律子の姿であった。
 しかし、彼女の方は客席の中に自分のクラスの生徒が来ていることに気付いた様子はない。スポットライトの角度の構造上、そもそも客席の顔は見えにくいし、今日初めて会ったばかりの彼等の顔もまだうろ覚えであったし、彼等自身がいつもの学生服とは全く印象が異なる服装であったことも大きな要因だとは思うが、それ以上に、彼女自身が、自分が作り出す歌の世界に集中しているために、余計な雑念が入らなかったのであろう。
 だが、そんな彼女が、突然、客席の中にいた一人の女性と目が合った瞬間、表情が一変する。驚愕と恐怖が折混ざったような顔を浮かべた彼女は、歌うのをやめ、その場に倒れ込んでしまう。皆が心配したように彼女を取り囲むと、彼女は「ごめんなさい、ちょっと急に体調が……」と言って、そのまま店のスタッフに支えられる形で、奥へと引っ込んでしまう。
 その彼女の目線の先にあった女性は、律子が去って行くのをうっすらと笑みを浮かべながら、そのまま店を出て行こうとする。それは、今朝、ミラと遭遇したあの女子高生であった。そのことをミラが英雄と政次に告げると、三人は「そろそろ帰らなければならない時間だから」と告げて、彼女の後を追う。
 当初は尾行しようとしていた彼等であったが、どうやら彼女もまたサイキックエナジーの持ち主のようで、あっさりとその動きを見破られてしまう。

「私に、何か御用ですか?」
「あんた、あの人の知り合いか?」
「えぇ。一応、昔の教え子、ということになるんでしょうかね」

 そう言って、今朝と同様に妖艶な笑みを浮かべながら、英雄達から様々なことを追求されるも、本質的な回答を避けるように、あっさりと受け流していく。彼女の雰囲気から、闇の陣営の者である可能性が高いと察知していた彼等ではあったが、この場で三人だけで戦うのも危険、と判断し、この場はそのまま彼女をやり過ごすことにした。
 すると最後に、彼女はミラにこう告げて去っていく。

「あぁ、そうそう。分かったわ。あなたから感じた香り、榊原さんの残り香だったのね」

3.2.4. 一年前の悲劇

 翌日、英雄と政次は、担任である桂木律子に、昨日の店での出来事について、詳細を問い質そうとする。自分の教え子に、自分の副業(教則的には違反ではない)のことを知られ、更に醜態を見せてしまったことに激しく動揺する彼女であったが、昨日、自分を助けてくれた政次への恩義もあり、真実を全て話すことを決意する。
 彼女は去年、教育実習生としてこの学園に来ていたらしいのだが、その時に担当していた女子生徒の一人が、あの店に来ていた女性・倉槌葉那だったらしい。二人はウマが合ったようで、たまたま帰り道が同じで一緒に帰ろうとしていたところを、ダークネスに襲われ、葉那は律子を助けるために、自ら闇堕ちしてヴァンパイアとなってしまったのだという。そして、その時にその場に居合わせたのが、当時はまだ一般の中学校に通っていた、(姉と一緒に帰るために待ち合わせていた)彼女の妹の倉槌緋那であったらしい。

「緋那さんは私が赴任して以来、ずっと音楽の授業には出てくれません。当然ですよね。あんなに歌うことが好きだった子なのに……。そんな私に、教師としての資格はあるのかと……」

 そう言って俯く律子に対して、英雄がいつもの「上から目線」で説法する。

「失礼だが、おぬしがそのような態度では、彼女達も浮かばれぬのではないか。そもそも、彼女がダークネスとなってしまったのは、おぬしの責任ではない。もっと教師として堂々と振る舞うべきであろう」

 目の前で一般人が襲われていたら、それを助けるのは「力をもつ者」として当然の義務、というのが、覇王としての彼の信条(ノブリス・オブリージュ)である。その結果として、自らの力が及ばずに闇に堕ちたとしても、その責を一般人に負わせるなど、彼の中では到底承服出来ない理屈であった。
 日頃は英雄とはソリが合わない政次も、今回は基本的に彼と同意見のようである。その上で、彼もまた自分の言葉で彼女を励ます。

「昨日のあなたは、堂々と歌えていたじゃないですか。もっと日頃から自信を持って良いのでは?」
「あぁ、うん、私、もともとはジャズ歌手になりたかったの。だから、ジャズを歌ってる時が、一番自然体でいられるのかもしれない。でも、才能なくて、全然ダメで、だけど、音楽は好きだから、この仕事に就いたんだけどね……」

 まだ彼女の中では、過去のトラウマは払拭出来てはいないようだが、それでも、長い間、自分の中だけに留めていたことを口にしたことで、多少は気が楽になったようで、少しだけ表情が明るくなった様子ではあった。
 とりあえず、昨日の女子高生・倉槌葉那がヴァンパイアであると分かった以上、いつまた律子が襲われるか分からないので、しばらくは政次が影から彼女を護衛しつつ、英雄はミラ・ヤマトと合流して、スサノオの容態を見に行くことにした。

3.3.1. 家族の問題

 そして、その三人が昨日とほぼ同じ時間帯にスサノオの病室へ行くと、予想通り、そこには緋那がいた。スサノオの体調が順調に回復しつつあることを聞いて安堵した彼等は、彼女に、一年前の経緯について確認した上で、彼女の姉と思しき人物が、律子の前に現れたことを伝える。
 その事実に激しく動揺した緋那は、少し間を開けた上で、彼等にこう告げる。

「ごめん、スサノオの面倒なんだけどさ、誰か、ちょっとの間、代わってくれないかな……?」
「何をするつもりですか? 内容によっては、協力させてもらいます」
「家族の問題……、かな。いや、こいつも家族みたいなものなんだけどさ、私にとっては……」

 彼女がそう言うと、病室の扉をガラッと開けて、誰かが入ってくる。

「そいつの家族なら、ここにもう一人いる。用事があるなら、俺が代わろう」

 それは、スサノオが目を覚ますことを期待してコンビニスイーツを購入して帰ってきたばかりの、翔であった。翔がどこまで話を聞いていたのかは分からないが、この状況下においては、確かに渡りに船である。彼等はその申し出を受け入れ、政次に合流するため、病院を後にした。

「一度、闇堕ちした灼滅者が、再び闇堕ちから帰還出来た例も、数は少ないけど、無い訳じゃないわ。だから、たとえ万に一つでも、私はその可能性に賭けたいの」

 そう言いながら、緋那は英雄の指し示す「政次(と先生)のいる方角」へと走っていく。ほんの僅かな、一抹の希望を信じて。

3.3.2. 再会、そして……

 一方、その頃、政次に尾行されていた律子の目の前に、まさに彼等の予想通りに、葉那が現れる。

「く、倉槌さん、わ、私……」
「先生、私、先生のこと、恨んでなんかないですよ。むしろ、感謝してます。先生がいなかったら、今の私はなかった。今、私が万物の頂点に立てているのは、先生のお陰です」

 そう言いながら、彼女はヴァンパイアの証である牙を剥き出しにして微笑む。この露骨な状況に、政次としても、介入すべきか否か、飛び出すタイミングを見計らっていた。

「どうです? 先生も、私と一緒に来ませんか? 素晴らしい世界が待ってますよ。私の指導教員の酒井先生が、桂木先生をご所望なんです。ぜひ迎え入れてくれ、って」

 彼女がそう言ったところで、ちょうど英雄達が政次に合流し、彼等は二人の前に姿を現す。

「姉さん!」
「あら、緋那、あなたも来てくれたの? 嬉しいわ。一緒に朱雀門に来ましょう。私が口利きしてあげるわ。それと、そこのあなたも、こないだは気付かなかったけど、どうやら、お仲間みたいね」

 葉那がそう言った先には、政次の姿がある。ダンピールとしての彼は、確かにこの場にいる中で、緋那と並んで、最も彼女に近い存在であった。更に、彼女はミラにも再び目を向ける。

「あなたも連れていきたいけど、榊原さんの物だから手を出しちゃだめ、って先生に釘を刺されたわ。だから、あなたはまた今度ね。他の子達は、いらないわ」

 そう言って彼女は「いらない子」である英雄とヤマトに向かって襲いかかる。一見すると「ただのマニキュア」にしか見えなかった爪がどす黒く伸び、二人を切り裂こうとしたが、政次のサポートもあり、二人とも深手を負うことなく、体制を立て直す。
 そこに、間髪入れずに政次とヤマトが連続攻撃が直撃し、葉那はよろめいて体制を崩す。それに続くミラの一撃はなんとかかわしたものの、その後に待っていた英雄のハンマーは、まさに彼女を真正面から捉えていた。

「妹の気持ちの深さを思い知れ!」

 そう言ってハンマーを振り下ろした英雄であったが、既に二人の連撃でボロボロになっていた葉那にとっては、当たれば(人間に戻すどころか)一撃で消し炭になるレベルの威力であった。
 しかし、そこで緋那が割って入る。その打撃を二人で分け合う形になった姉妹は、そのままその場に倒れ込む。そして、目の前で緋那が自分を庇って倒れたという事実を目の当たりにして、葉那の中に僅かに残っていた人間の心が、再び彼女の身体を取り戻す。

「あ、あれ……、ひ、緋那……?、わ、わたしは……」

 葉那の身体から闇のオーラが少しずつ消えていき、そして彼女は再び意識を失う。緋那もまた、そんな姉の変化に気付いているのか否かは分からないが、どこか満足そうな顔を浮かべながら、意識を失ったまま倒れている。彼女の姉への想いが、絶妙な形で折り重なった結果として引き起こされた、まさに奇跡的な生還劇であった。

3.3.3. 「5人目」

 その後、二人は学園の病院へと運ばれ、特に葉那については闇堕ちからの帰還直後ということで、厳重な警戒の上で隔離病棟へと配属される。ただ、医師の診断によると、このまま何日か安静にしていれば、元の灼滅者に戻れる可能性が高い、とのことである。一方、緋那の方も傷は深いが致命傷には至っておらず、スサノオ同様、明日には目を覚ますであろう、という診断結果であった。
 そして、ようやくトラウマから解放されたかに思えた桂木であったが、今回の一件においても、自分が何も出来なかったことに対して、やはり罪悪感は拭えないようだった。しかし、そんな自分でも出来ることがあると言われ、姫子の音楽の授業への臨席という提案について相談するために彼女の教室へと向かった彼女に対して、姫子はまるで通過儀礼のように、こう問いかける。

「一曲、歌って頂けますか?」

 本来の彼女のステージではない「学校」という特殊な空間故に、最初はやや緊張があったようだが、この一年間のモヤモヤがようやく晴れたせいか、昨夜よりも更に伸び伸びと、堂々と、そして軽やかにJAZZのスタンダードナンバーを歌い上げる。伴奏がなくても歌だけで、あたかも本格的なJAZZ BANDを従えているかのような迫力を醸し出していた。
 そして、その場に居合わせていたミラもまた、彼女の歌声から、JAZZ BARで聞いた時以上の「あの波動」を感じていた。その感覚を共有した姫子は、笑顔でこう語る。

「どうやら、私が授業に同席する必要はないようですね。歌姫同士であれば、共鳴出来る筈ですから」

 そう、彼女もまた「歌姫」の一人だったのである。しかし、そう言われて、いきなり納得出来るほど、胆の座った先生ではない。

「え? そ、そんな、無理ですよ。だって私、そもそも灼滅者じゃないし。それに、私が関わると、また誰かが大変な目に……」

 そう言って焦る律子だが、もう既に「人間ではない者(幽霊)」までカウントされている以上、今更、「一般人」が歌姫と言われても、英雄達にとっては、それほど驚くべき事態ではない。こうして、彼等は、少し頼りない「5人目の歌姫」を手に入れたのである。







 ちなみに、葉那については、一年前に授業を担当していた律子は、ややバツが悪そうに「緋那さんと同じくらい、歌うのが大好きな人」としか言わず、それで全てを察した灼滅者達であった。


第3話の裏話

 幼女、幽霊、と来て、次は何かと思ったら、まさかの「先生」、しかも灼滅者ですらない「一般人」。本来なら、10番目くらいに出てくるべき設定だと思うのですが、それを実質2人目の時点で出してしまったことで、今後のプレイヤーの予想もかなり難しくなったのではないかと思います。
 で、実は今回のシナリオでは(緋那と幼馴染み設定のある)スサノオが重要な役割を果たす予定だったのですが、セッション当日の時点で急用が入って欠席になってしまったため、急遽、彼には冒頭でリタイアしてもらい、彼の役回りを他のPCが分担することになった訳ですが、結果的には、そのお陰で物語がスムーズに進むようになった気もします。ただ、スサノオと緋那の距離を縮めるタイミングを逃してしまったという意味では、少々残念な展開でもありました。
 葉那が元に戻る際の経緯については…………、我ながらご都合主義というか、ヌルい展開だなぁとは思うのですが、PBW版のシナリオを色々と読む限り、このゲームはダブルクロスほど重苦しい雰囲気を味わうゲームでもないように思えたので、これくらい甘い裁定でもいいかな、と(物語の展開上、「敵の内情をしる人物」が味方陣営に一人欲しかった、という思惑もあった訳ですが)。
 ちなみに、緋那の口調に関しては、ルールブックでは「です、ます調」なのですが、さすがに「幼馴染みの小学生(スサノオ)」相手に敬語を使うのも不自然だろうということで、なんとなく姉御口調で話しているうちに、性格的にもそんなキャラになってしまいました(他のPC達よりも年上ですしね)。よくよく設定を読み返してみると、本当はもっと大人しい性格だったのではないか、という気もするんですが……、それだとミラとキャラがカブってしまうので、今回のキャンペーンにおけるポジションとしては、ちょっと姉御肌なキャラというポジションで正解だったのかな、という気もします(PBW版を知ってる人には、違和感があるでしょうけどね)。

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最終更新:2014年01月05日 04:59