第7話「死ねない屍体」

7.1. それぞれの休日(日曜)

7.1.1. 黒瀧の疑問

 先日のロイヤル・ガストでの一件は、学内のみならず、日本全国に衝撃を与えた。だが、その話題の中心は、料理対決の結果よりも、同社の数々の不正が明らかになったことにあった。

「あの情報、一体どういうルートで調べたのか、教えてくれないか?」

 風紀委員長の黒瀧がアンドラスにそう問いかけたのも、当然の話である。「ちょっと腕の立つ居候」程度に思っていた彼等が、ディオ・コッキー商会の件に続いて、二度も日本経済界に影響を与えるような大スキャンダルを暴いた以上、そのネットワークを更に生かしたいと思うのは当然である。
 しかし、アンドラスとしては、素直にその問いに答える訳にはいかない。あの情報はカノンが勝手に集めてバラまいたものであり、その情報源は全く知らされていない。そして、さすがに使徒であるカノンとの裏取引という、学園への背信行為と言われても仕方のない事実を(いくら信頼関係があるとはいえ)風紀委員長に知られる訳にはいかない。

「偶然、学園のOBを名乗る人物と出会って、その人と協力することになったんです。あの情報は全てその人物が集めたものだったので、入手ルートは分かりませんし、その場限りの関係だったので、連絡先も分かりません」

 厳密に言えば、カノンはまだ公式には「OB」ではなく、「休学中」扱いなのだが、今の彼にはこれが精一杯の弁明であった。そして、黒瀧の頭の中では「情報通のOB」と聞いて、筧鷹政の顔が思い浮かべていた訳だが、その勘違いのお陰で、アンドラスはそれ以上の追求を免れたのであった。

7.1.2. カノンからの手紙

 ちょうどその頃、つばめ館の月の元に、一通の手紙が届いていた。と言っても、消印が押されている訳ではないので、誰かが直接投函した代物である。月が慎重に封筒を開いてみると、それはカノンからの手紙であった。

「このあいだは、協力してくれてありがとう。おかげで、雛菊も心身共に回復した。お前はお前で、本当は俺に色々と言いたいことがあっただろうが、黙って手を貸してくれて、本当に嬉しかった。だが、今の俺は、もう使徒だ。人間ではない。その決断に後悔はない。ただ、どうやら雛菊は、あまり使徒には向かない精神・体質の持ち主だったようだ。だから、彼女にとっての本当の幸せは、実は人間として生きる道の方にあったのかもしれない。しかし、俺達はもう引き返すことは出来ない。彼女が使徒として生きることで、今後どれだけ苦しむことになったとしても、俺は生涯をかけて、彼女を守り抜く。俺は、ディヴァインナイトとして生きる意義を、彼女に出会って、ようやく見つけることが出来た。今更言えた立場ではないが、早くお前にも、人生をかけて守り抜く相手が見つかることを祈っている」

 使徒となった今でも、今でも自分のことを気にかけてくれているカノンに対して複雑な感情を抱きつつ、彼の語る「ディヴァインナイトとして生きる意義」について、改めて考えさせられることになった月であった。

7.1.3. 筧からの招待状

「百合子ちゃーん、手紙だよー。筧さんからー」

 剣百合子は、手紙が嫌いである。その理由は彼女自身にしか分からないが、おそらく、過去に様々なトラウマがあるのだろう。そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか、学園のOB・筧鷹政は彼女に対して、二度目の「手紙」を送りつけてきた。と言っても、今回は前回の図書館の折のような謎ルートではなく、正規の郵便物である。

「明日の放課後、太平洋ホテルの最上階レストランに来てほしい。大事な話がある」

 それが手紙の内容である。思わせぶりな記述にやや戸惑っていた彼女に対して、その手紙を渡した寮長・海原満月は、興味津々で駆け寄る。

「百合子ちゃん、筧さんかからの手紙、何て書いてあったの? えー!? すごーい! 太平洋ホテルって、この島で最高級のホテルだよ。筧さん、そんなお金あるんだぁ」

 どうやら、彼女も筧とは知り合いらしい。筧が何年前まで学園にいたのかは分からないが、小学生の彼女とどういう交友関係があったのか、なかなか想像し難い。

「じゃあ、明日の外泊許可、出しておくわね。あー、いいなぁ、私も早く先輩と……」
「いや、泊まりませんから。ただ話聞くだけですから」

 百合子があっさりと否定しているのも耳に入らず、自分とアンドラスの将来図を妄想している寮長であった。

7.1.4. 竜崎との会食

 一方、その頃、まどはその太平洋ホテルのレストランに呼び出されていた。上流階級の紳士淑女のデートスポットとして有名なこの店であるが、彼女を呼び出したのは、彼女に対して下心を抱く男性ではなかった。

「この間はありがとうね、まど。遠慮しないで、好きなコースを頼んでちょうだい」

 そう言って、それなりにTPOに合わせた軽装ドレス姿で彼女の前に座っていたのは、竜崎である。先日の食堂の一件で、彼女としては個人的なお礼がしたかったらしい。

「正直、私は石森食堂みたいな店の方が好きなんだけどね。でも、あなたもいずれ殿方に誘われた時に恥をかかないように、こういう店にも馴れておいた方がいいわよ」

 確かに、周囲にいる面々は学生・教員・職員を問わず、カップルばかりである。もっとも、そのような雰囲気の店だからこそ、余計なナンパが入らずに落ち着いて食事が出来るとも言える。

「ところで、あなた、誰か気になる人とか、いないの? こないだの様子だと、男の子の友達は結構いるみたいだけど」
「いえ、特には……」
「若いんだから、今のままじゃ勿体無いわよ。私みたいに、後悔しないようにね」

 完全に親戚のオバちゃんモードでまどを煽る竜崎に対し、まどの方は、竜崎が言うところの「後悔」とは何のことなのか、特にツッコむことはしなかった。それが、立場的に言えなかっただけなのか、あえて聞きたいとは思わなかったのか、そもそも特に気にならなかったのかは分からない。
 そんな中、彼女の携帯にメールの着信が入る。

「……あ、ちょっとごめん。友達からメールだわ。私の同期で、明日から教師として赴任することになった子なの」

 そう言いながら、メールの返信をしている間に、まどのプライベートへの関心は薄らいでしまったようで、以後は二人でつつがなく、昔話を交えながら夕食を楽しむこととなった。

7.1.5. 明良の決意

「ずっと前から聞きたかったんだけど、お前、いろんな味を試した上で、マヨネーズに行き着いたのか? それとも、生まれた時からずっとマヨネーズ一筋なのか?」

 久しぶりにバイトのない日曜日、バンドの自主練をしながら、明良は友人にそう問いかけた。

「無論、生まれた時からずっとマヨネーズ一筋ですぞ」

 全く迷いもなく、その異世界人はそう答える。

「今まで、他の味に浮気したいとか思ったことは、一度もないのか?」

 何かを迷っている様子の明良が更にそう問いかけると、その味覚障害者は、何のためらいもなくこう答える。

「ありませんな」

 その表情を見て、明良はどこか安心していた。どうやら、その一片の曇りも無いマヨネーズ中毒者の表情こそが、彼の望む答えであったらしい。

「そうか……、カッコいいな、お前」

 そう言って、彼は空を見上げる。イヤミでもギャグでも何でもなく、彼は本心でそう思っていた。

「俺も、そろそろ、カッコよくなりたい。カッコよく生きてみたい。というか、カッコよく生きないとな。ありがとう、俺もようやく、決心がついたよ」

 それが何を意味しているのか、彼ははっきりとは語らなかったが、少なくとも、自分もマヨネーズまみれの生活をしたいと思っている訳でもないことは確かであった(そして、そのことに隣にいるマヨネーズ男が気付いていないのも、当然と言えば当然のなりゆきであった)。

7.1.6. 女子高生からの手紙

 そんな明良の独り言に近い決意を聞かされたマヨネーズが黒瀧邸に戻ると、そこには、真司宛の封書が届いていた。だが、彼は今、夏風邪をこじらせて寝込んでいる状態である。とりあえず、黒瀧邸の住人達が、彼の枕元にその封書を置いておこうとすると、彼の守護霊(?)がそれに近付いてくる。

「この封筒の中身から、何か禍々しいオーラを感じます。これはきっと、真司さんに災いをもたらすモノです。真司さんを守るために、これは我々で事前に中身を確認しておくべきではないでしょうか? そうですよね? それが私達の義務ですよね?」

 突然、まくしたてる様に雄弁を語りながら、周囲の者達が呆気にとられた状態のまま、幽霊は無断でその封筒を破り、中身を取り出す。すると、そこには一通の手紙と、海外からのエアーメールが同封されていた。
 手紙の内容を読むと、どうやら、差出人は真司の昔のバンド仲間らしい。曰く、随分前にライブハウスに彼宛のファンレターが届いていたのだが、彼の連絡先が分からなくて、届けるのが遅れてしまっていたらしい。実際、そのエアーメールには、2ヶ月以上前の消印が捺されていた。

「危険です。特にこの小さな封筒から、真司さんをダークサイドに引き込む魔性のオーラが溢れ出ています。これをこのまま真司さんに手渡すなんて、危険すぎます。ここは真司さんを救うために、我々の手で食い止め泣ければ。そうですよね? それが我々の責務ですよね?」

 そう言って、またしても誰の答えも聞かないまま、勝手に幽霊はエアーメールの方の封も開ける。すると、その中には、日本語で書かれた一通の手紙と、黒髪ロングの女子高生らしき少女の写真が同封されていた。

「初めてお手紙させて頂きます。いつもライブで、真司さんの奏でる音色に、心を奪われています。次のライブで真司さんにいつ会えるか、それだけを楽しみに、日々の生活を送っています。これからも、ずっと応援し続けます。いつまでも、素敵な真司さんでいて下さいね」

 手紙の最後に署名はなかったが、連絡先として、電話番号とメールアドレスが載っていた。

「うわっ、キモッ、こいつ、典型的なバンギャってやつですよ。バンドやってる男なら、誰でもいい女ですよ。まぁ、当然、真司さんは、こんな女に興味ないと思いますけど。大体ね、こんな、いかにも『男に媚びてます』みたいな黒髪ロングで清純派気取ってるような女なんて、ろくなもんじゃないですよ。いくらサラサラ艶々だからって、天パのこと見下してんじゃないってーの!」

 そう言って勝手に一人で盛り上がり、手紙を自分の懐に押収している幽霊を横目に見ながら、アンドラスは「まぁ、日本の法律で裁けるのは、人間だけだしなぁ……」と自分に言い聞かせることで、無理矢理、今の状況を受け入れようとしていた。彼の目の前でおこなわれているのは、ただ、真司が飼っている黒ヤギさんが、勝手にご主人のお手紙を食べてしまった、ただそれだけの話なのだと、自分を納得させるしかなかった。

7.2. 新任教官(月曜・授業)

「本日から、生存訓練の講義を担当することになった、タチアナ・チャプリーンシカだ」

 そう言って、学生達の前に現れたのは、東欧系の若い女教官である。それを聞いている学生達の中には、アンドラス、月、まどの三人もいる。本来ならば、百合子も先週まではこの講義を受けていたのだが、自分の特性を生かすために、ちょうど転科したところであった。
 そして、彼女のサポート役として同行してきた竜崎が、更に説明を加える。

「ターシャは私の同期で、今までは国連直属の対天魔機関で指南役も務めていたエリートなのよ」

 この世界、対天魔戦闘員の養成機関は、久遠ヶ原学園の専売特許ではない。世界各地に様々な組織が点在しており、実は国連の中にもそういった問題を専門に扱う部隊の人々がいた。それはまさに、各国から集められた選りすぐりのエリート集団なのである。

「余計なコトはいい。あと、生徒の前で『ターシャ』はやめろと言っただろ!」

 そう言って、竜崎のことを軽く睨みつつ、受講者の名簿を確認して点呼を取ろうとした新教官であったが、その中に見覚えのある名前を見つけて、突然、動揺する。

「おい、このアザミ・タチバナって、まさか、あのアザミさんか?」

 そう言って、隣の竜崎に確認しようとする。どうやら、この二人とは彼女と何らかの接点があるらしい。すると、竜崎が答える前に学生達の中から手が挙った。

「橘さん、今日は欠席らしいです。なんでも、食堂を壊したお詫びに修復を手伝ってるとか」
「あー、それ、私も聞いた。なんか、中学生くらいのカップルに喧嘩売って、大乱闘したんだって?」
「やっぱり、三角関係なのかな? 痴情のもつれ?」

 この話を聞いて、実際に食堂で何が起きていたのかを想像出来た人間がこの場に何人いたかは分からないが、いずれにせよ、この人に関しては触れない方がいいと判断したタチアナは、続けて名簿の名前をチェックする。

「ん? ユリコ・ツルギ? どこかで聞いたような……、あぁ、でも、もう今週からは別の講義に移ったのか。なら、別にどうでもいいか」

 この時、百合子がこの講義を受けていれば、この二人を繋ぐ重要なキーパーソンの存在に、お互い、もう少し早く気付けていたのかもしれない。なんとも、皮肉な話である。

「とりあえず、ここ最近、通り魔事件が多発していると聞く。生き残るために、心して訓練に励め」

 彼女がそう言うと、各自、それぞれのポジションで訓練を開始する。実は数日前から、学内で謎の通り魔事件が発生しており、その被害者の大半が命を落としている。そんな状態だからこそ、実際に国連の直属機関を通じて、現場での即戦力撃退士を育成し続けた彼女に「生存訓練」の教科を担当させることになったのである。
 彼女自身も世界各地の対天魔戦の現場で戦ってきた経歴の持ち主だけに、その指導は厳しく、音を上げる学生達も多かったが、そんな中、月の中では、そのタチアナの熱心な指導を見ながら、ある感情が芽生えつつあったのだが、彼自身がそのことに気付くのは、もう少し先の話である。

7.3. 放課後恋模様(月曜・放課後)

7.3.1. アンドラスの場合

「先輩、今日こそは逃がしませんよ。今度こそ、私とデートして下さい」

 講義終了後の教室の前で待ち伏せしていた満月は、そう言ってアンドラスの腕に飛びつく。彼女からの好意を知りながらも、年齢という問題もあり、なんとなく接触を避けていたアンドラスであったが、さすがにここまでストレートに言われては、南欧系男子として、その誘いを断る訳にはいかない。
 そんな二人が向かったのは、この島の港にある魚市場である。デートスポットとしては異例だが、二人を繋ぐ最大の接点である海鮮料理に関する話題で盛り上がるためには、絶好の空間となる筈だった。
 ところが、二人が屋内の鮮魚コーナーに入った直後、突然の停電で会場の明かりが消え、何も見えない状態となってしまう。混乱した状況の中、アンドラスは手探りで満月を探そうとするが、それがとんでもない事態を招くことになる。

「え? あ、ちょ、ちょっと先輩!? ど、どこ触ってるんですか!? そんな、私、まだ心の準備が……、ってか、こんな場所で、そんな……、え!? いや! もう、やめて下さい!!」

 何が何だか分からないまま、どうにか予備電源に切り替わったことで電気は復旧したものの、そこにいたのは、涙目でアンドラスを睨みつける満月の姿であった。

「そんな人だと思ってなかったのに……。先輩のバカー!!」

 そう言って、泣きながら走り去っていく小学生の後ろ姿を見ながら、周囲からのゴミクズを見るような自分への視線を浴びつつ、その場で放心状態のまま立ちすくむことしか出来なかったアンドラスであった。

7.3.2. マヨネーズの場合

「山口くん、ちょっと付き合ってもらえるかしら?」

 そう言って、露骨に不機嫌そうな顔をして、相沢桃香はマヨネーズを、町外れのカフェへと連れていった。形式的には女子高生が同級生をデートに誘った様子ではあるが、その雰囲気は、決して恋人同士の甘い空気ではない。むしろ、一方的な敵意に満ち溢れていた。

「最近、ミハイル様が、あなたのコトばっかり考えてるみたいなんだけど、どういうコト? てか、あなた、ミハイル様に何をしたの? あなたにとって、ミハイル様はどういう存在なの?」

 顔を紅潮させながら、桃香はそう問い詰める。マヨネーズにとって彼は、自分の存在価値(=マヨネーズ)を理解してくれる数少ない同志である。ミハイル自身も、最初は迷惑をかけたお詫びのつもりで彼からのデート(?)の誘いに応じていたのだが、段々と彼の価値観に感化されつつあった。

「こないだなんて、せっかく寮長さんから作り方を習った地中海風のマリネを食べてもらったのに、『この味付け、マヨネーズにした方がいいんじゃないか?』とか言い出すし。もう、一体、何なのよ!? あんた、私のミハイル様をどうするつもりなの!?」
「いやー、彼もようやく、マヨネーズの素晴らしさを理解してくれたようですな。嬉しい限りです」

 彼女がこの場に彼を呼び出して問い詰めている意味を全く理解せずに、満面の笑みでそう答えるマヨネーズに対して、更に彼女の怒りが爆発する。ミハイルを追いかけて、彼への想いだけを胸にこの学園に転校し、彼のためなら自分が前科者になることも厭わないほどの覚悟を持っていた彼女にとって、その彼が、自分よりもこんな男のことを優先することなど、絶対に我慢出来ない事態であった。

「まだこれが、竜崎先輩みたいな人が相手なら、私も黙って身を引くわよ。勝てる訳ないもん。百合子やサルビアやまど先輩でも、まだ納得は出来る。百歩譲って、相手が男だったとしても、黒瀧さんなら、まだ分からなくもないわ。でも、アンタだけには、絶対に譲りたくない! てか、絶対にありえない!」

 そう彼女が叫んだ矢先、こちらでも魚市場同様、停電が発生する。そしてその混乱の中、マヨネーズの手が偶然、彼女の「まだミハイル様にも触らせたことがない部分」に触れてしまう。
 結局、こちらも電気はすぐに復旧したものの、そこには、それまでの剥き出しの敵意に加えて、明確な殺意までもが加わった視線でマヨネーズを無言で睨みつける桃香の姿があった。さすがにマヨネーズも、今回ばかりはマズいと思ったようで、何も言えないまま呆然と立ち尽くした状態のまま、一人で黙って会計を済ませて店を出ていく桃香を黙って見送るしかなかった。

7.3.3. 月の場合

「なぁ、あんさんの先輩について、ちょっと詳しく教えてもらえんかなぁ?」

 放課後の月の前に現れたのは、馴れない力仕事(石森食堂の復旧作業)で疲れた様子の薊であった。事態がよく飲み込めないまま、月は彼女に共に学内の甘味処へと連れていかれる。

「すまんな、ウチの馬鹿むす……、あ、いや、妹が、あんさんの大切な人をたぶらかしてしもうて」

 どうやら、(彼等の予想通り)彼女は昨日、夜食を食べに石森食堂に入った時、偶然、お忍びで(一応、変装もして)ブラボー丼を食べに来ていた雛菊&カノンと遭遇していたらしい。

「でもまぁ、あの娘の気持ちも分からんでもないけどな。あんたの先輩、いい目をしとったわ。あんな目で、自分のことを守ってくれる男の人がいるなんて、ホンマに羨ましいわ」

 自分の敬愛する先輩のことを褒められて、月も思わず「そうですよね」と上機嫌で相槌を打つ。そして薊は、少し遠くを見ながら、ボソっと呟く。

「私も、こないだ旦那の一周忌も済ませてきたところやし、そろそろ、新しい恋を探してもええんかな」

 そう言って、月に目を向ける。どこまで本気かは分からないが、薊としては、自分の「女」としての魅力を確認するために、精一杯の色目を使ってみたつもりだったが、月の頭の中には既にカノンとの思い出回想で一杯になってしまっていたようで、その発言の真意に全く気付けないままでいた。

「ふぅ……、あの鳴滝とかいうガキにしろ、コイツにしろ、どうしてこの学園の連中は、こうも見る目がないんだか」

 小声でそう吐き捨てつつ、あっさりと会計を済ませて、彼女は店を出ていく。特に何が悪かった訳でもないだろうが、どこか後味の悪い形で、中学生(にしか見えない人)同士のデートは、あっさりと終わりを告げた。

7.3.4. まどの場合

「先輩、今日、これから俺と一緒に、デートしてもらえませんか?」

 授業終了後のまどに対して、真顔でストレートにそう言ってきたのは、一つ後輩の竜童明良である。彼の手には、学内の映画館で上映中の最新の和風ホラー映画のチケットが握られている。まどが怪談好きという情報をどこかで仕入れた上で、イギリス留学のために貯めているバイト代の一部を切り崩して購入したらしい。
 二週間前のディオ・コッキーとの戦いにおいて身を挺して自分を庇ってくれた彼に対して、特に悪印象も持ってなかったまどとしては、断る理由もなかったので、あっさりと了解し、二人でそのまま映画館へと向かう。
 そして、映画終了後、彼はまっすぐな視線でまどを見つめ、こう告げた。

「先輩、俺、あなたのことが好きです。先月の電車の襲撃戦以来、ずっと『いいな』と思ってました。もし今後、先輩に何かあったら、またこの間みたいに、いつでも駆けつけます。俺がずっと、先輩のことを守ります。だから、俺と、付き合ってもらえませんか? もちろん、答えは今すぐでなくていいです。俺のことを、もっとよく知ってもらってからで構いません。だから、また今度、デートに誘ってもいいですか?」

 実直すぎるその告白は、まどとしても好印象だったようで、素直に笑顔で彼の申し出を受け入れる。友人達が次々と地雷を踏んでいく中で、唯一、彼女達だけが、少しだけ関係を進展させつつあった。

7.3.5. 真司(の周囲の人々)の場合

「何しに来たんですか? 人類の敵が」

 そう言って冷たい視線を向ける幽霊・白藤ミカに対し、先日、中庭で真司に告白した堕天使・クリスティーナ・カーティスは、淡々と答える。

「真司君が体調を崩したと聞いて、お見舞いに来たんだ。悪霊に取り憑かれたことで、生気を吸い取られているんじゃないかと心配になってな」

 悪霊呼ばわりされたことで露骨に眉間にしわを寄せながら、幽霊は、真司の前では絶対に見せないような下卑た顔で堕天使を強く睨みつける。

「そういうアンタは、真司さんが眠っている隙に、別のモノを吸い取ろうとしてるんじゃないんですか? この淫乱堕天使が。残念ですけど、私と真司さんは一心同体。今更、アンタが入り込んでくる隙なんてありませんよぉ」
「ふっ、ミカ・シラフジ。貴様のことは調べさせてもらった。私も、別に男に嫉妬するほど度量は狭くない。だが、私の看病を邪魔しようというなら、力付くで排除させてもらう」
「やーれるものなら、やってみなさいよ。私は今、アンタみたいなサラサラ・ストレートを見ているだけで、ムカついて仕方がないんですからね!」

 この後、幽霊と堕天使の血で血を洗う抗争が黒瀧邸で繰り広げられることになったのだが、そんな状況にも気付かず、真司は眠り続けていた。そして、力を使い果たした堕天使がやむなく帰宅し、同様に疲弊した幽霊が真司の身体に戻ったその頃、自宅に帰ってきた黒瀧は、病人一人しかいなかった筈の家の中が、なぜここまで荒れているのか分からず、ただひたすらに困惑させられることになるのであった。

7.3.6. 百合子の場合

「おぉ、来てくれたか。ありがとな」

 太平洋ホテルの最上階レストランに来た百合子を、学園OBのフリーランサー・筧鷹政がそう言って出迎える。この二人が会うのは、百合子が島を訪れる直前の夜以来。つまり、約二ヶ月振りである。

「実は、例の天使との戦いで死んでしまった君の親友の『鏡蘭子』について、新しい情報が入った。ただまぁ、その情報を集めるために、俺もそれなりに苦労した訳だから、せめてその分の役得として、まずは女子高生とデートを楽しませてくれ」

 そう言って、彼はこの店で最高級のコース料理を彼女に振る舞ったのだが、亡き親友・蘭子の情報と聞いて気が気で無い百合子にとっては、その味を堪能する余裕などなかった。
 その後、百合子は筧に案内されるがままに、彼が泊まっているホテルの部屋へと入る。すると、彼はその部屋の大画面テレビに映像再生機器を接続し、彼女にこう告げた。

「お前さんが知ってるかどうかは知らんが、彼女は密かに、国連直属の対天魔組織で働いていたそうだ。その組織は天魔との戦いで壊滅させられたんだが、彼女と共に命を落としたフランス人の同僚の遺品のカメラの中に、彼女がお前さん宛に撮ったと思われるビデオレターのような映像が発見されたらしい。おそらく、その同僚が撮影して、後で編集して君に送るつもりだったんだろう」

 蘭子が撃退士であったことは知っていたが、具体的にどこの機関で何をやっていたのかまでは知らされていなかった百合子にとって、この情報はかなり衝撃的であった。そして、筧がリモコンで機器を操作すると、画面に、懐かしい友の顔が映る。

「百合子〜、元気? 私ね、これからちょっと、海外に行くことになったんだ。百合子を巻き込みたくないから、あんまり詳しいことは言えないけど、この世界を救う重要な仕事なの。だから、ちょっと帰りが遅くなるかもしれないけど、心配しないでね。あとね……、これは内緒にしといてほしいんだけど、実は最近、好きな人が出来ちゃったの! 友達とよく通ってたライブハウスでバンドやってる、シンジさんって人なんだけど、ホントもうチョーかっこいいの。外見だけでなくて、声も、しぐさも、演奏も、全部好き。それでね、ついついラブレターまがいのファンレター出しちゃったんだけど、私ったら、写真まで同封して、連絡先も書いたのに、うっかり名前書き忘れちゃったのよ〜。これって、マズいかな? キモいかな? かえって不審に思われるかな? ねぇ、百合子、どう思う? てか、百合子はどうなの? そろそろ、誰かいい人とか見つかったり」

 ここで、プツッと画像が途切れる。どうやら、ここでカメラの電池が切れたらしい。

「ということで、残念ながら、あまり有益な情報はなかったんだが、彼女の残した最後の映像だ。持っていきな」

 そう言って、筧はUSBメモリを彼女に渡しつつ、最後にこう告げる。

「あと、お前さん、もうちょっと、男を警戒した方がいいぜ。ほいほいホテルの部屋に入るなんて、不用心すぎる」

 自分としては、むしろこの学園に来て以来、男に対して警戒しすぎるほどに警戒していたつもりだったのだが、確かに言われてみれば、男にホテルでの夕食に誘われて、そのまま部屋に入るのは、女子高生としてあまりに軽卒な行為である(いくら彼女が自衛能力のある撃退士とはいえ、相手もおそらく自分以上の実力の持ち主である)。彼女をそうさせてしまったのは、(「蘭子の情報」というエサに釣られてしまった側面もあるとはいえ)日頃からマヨネーズを初めとする非常識な男性陣に振り回され続けていたからこそ芽生えた、この筧という「大人の男性」に対しての一種の「信頼感」「安心感」なのかもしれない。

7.4. 美女が野獣(月曜・真夜中)

 その日の夜、アンドラスとマヨネーズは、放課後の出来事で気落ちして、眠れぬ夜を過ごしていた。少しでも気を晴らすための何かを求めて、二人して夜の学園をさまよい歩いていたところに、偶然、シャドーボクシングをしながらジョギングしていたサルビアが通りかかる。

「あら、二人とも、久しぶりじゃない」

 ジャージ姿で汗をかきながら、そう言って彼女は駆け寄る。彼女はバハムート・テイマー科に転向したものの、それまで魔術的な基礎能力を一切鍛えていなかったので、その分の遅れを取り戻すために、月曜の生存訓練の授業を受けなくなったことで、同じクラスのアンドラスとも、あまり顔を合わせなくなっていたのである。
 そして、いつもなら、目の前の金髪美女に対して全力で自分をアピールする筈のアンドラスも、さすがにこの日は浮かない表情のまま、今ひとつテンションが上がらない。同様に、いつもなら誰彼構わずマヨネーズの素晴らしさを力説する筈の彼も、どこか上の空の状態である。
 そんな二人の様子に違和感を感じていたサルビアであったが、彼女が何か二人に声をかけようとしたその瞬間、彼女の後方から別の女性の声が聞こえてきた。

「あぁ、今日は三人もいるんですね。ちょうどいいわ」

 その声の主は、黒髪の女子高生である。暗くてよくその顔が見えなかったが、本来のこの学園の制服とは異なるセーラー服を着たその少女が、サルビアに近付いてきたその瞬間、それまで呆けていたアンドラスが、異変に気付く。

「異界認識!」

 その女子高生の姿が一瞬で他の「何か」に変わり、それと同時に三人に対して斬撃が振り下ろされる。アンドラスが咄嗟に発動した異界認識の力で、なんとか彼とマヨネーズはそれをかわすことが出来たが、女子高生の目の前にいたサルビアまではカバーしきれず、彼女はその斬撃を喰らって、近くの建物の壁に叩き付けられる。
 そして、その斬撃と同時に彼等の目の前に現れたのは、一体の醜悪な獣と化した女子高生の姿。身体の一部にまだ人間としての面影が見られるものの、インプの翼、ゴブリンの目、ワーウルフの耳と腕、そしてマンティコアの下半身を持つその風貌から、おそらくは悪魔によって作り出された合成獣のたぐいであろうと予想される。
 だが、アンドラスの気転のお陰でかろうじて斬撃を免れたマヨネーズが即座に反撃を試みた結果、思いのほかあっさりとその合成獣は退散する。その後、倒れていたサルビアの治療を試みた結果、どうにか彼女も九死に一生を得る。どうやら、忍者コース時代に培った受け身の技術のお陰で、命拾いが出来たようだ。

「今、ナニがあったの? 女の子が近付いてきて、その次の瞬間から、記憶がないんだけど……」

 彼女の中ではその程度の記憶しか残らない程に、一瞬の出来事であったらしい。おそらくは、あの女子高生こそがタチアナの言っていた「最近、学園内に現れる通り魔」であろうとアンドラスは考えながら、その人間状態の時の姿が、昨日、真司宛に届けられた(正確には、まだ真司自身の元には届いていない)封筒の中にあった女子高生の写真と、どこか似ているような、そんな記憶が呼び起こされていた。

7.5. 恋と調査と再襲撃(火曜)

 翌日、アンドラス達が「通り魔」に襲撃された者達の中の生き残りの面々の話を聞いて回ってみたところ、やはり、最初は普通の女子高生の姿をして近付いてきて、それが一瞬で異形の怪物の姿に変わり、次の瞬間には自分の四肢の一部が奪われていた、というような証言が続く。やはり、同一犯と考えて間違いはなさそうである。
 そして、真司のファンの女子高生が、あの怪物の正体なのではないかと推測したアンドラスは、幽霊を説得して手紙を受け取り、最後に書いてあった電話番号とメールアドレスに連絡を入れてみるものの、どうやら、どちらも現在は使えない状態になっているらしく、確証を得るには至らなかった。

 一方、その頃、月は、タチアナに個人面談を申し出ていた。表面上は、撃退士としての自分の悩みについて相談に乗ってもらう、という形であったが、内心では、タチアナという一人の女性と親しくなりたい、と考えていた。それが、カノンの手紙にあった「ディヴァインナイトとして生きる意義」を探そうとする目的意識によるものかどうかは分からなかったが、 自分の倍以上の年齢の女性に対して、「先生と生徒」以上の関係になりたいという感情を抱き始めていたのである。もしかしたら、昨日の時点で薊からのアプローチに全く気付かなかったのも、彼の中では(カノンに匹敵する存在として)タチアナの存在が既に大きな位置を占めていたからなのかもしれない。そして、彼の中でのその気持ちは、この日の個人面談を通じて、より強まっていくことになる。

 こうして、それまで同性の先輩のことばかり考えていた月が、初めて(?)女性に対して特別な想いを抱こうとしていたその頃、マヨネーズは相変わらずミハイルと、活動再開した不良中年部の部室で談笑していたのだが、そんな二人の様子を、嫉妬と憎悪と殺意に満ちた目で部室の窓の外から睨みつけている眼鏡&おさげの女子高生の存在には、二人とも全く気付いていなかった(なお、このくだりは、以後の本編には全く関係ない)。

 そして、その日の夜、妙な胸騒ぎを感じた百合子が学園内を散策していると、公園で一人遠くを見つめている明良の姿を見かける。

「つ、剣さん!? どうしてここに?」

 彼女と遭遇したことで、なぜか妙に焦った彼は、周囲をキョロキョロと確認しようとする。別に、百合子としては特に理由があった訳でもなく、軽い雑談を交わす程度のつもりで近付いただけだったので、そんな彼の反応には、逆に戸惑わざるを得ない。
 実は、明良の中では、まどへの気持ちとほぼ同時期に、百合子に対しても同様の好意に近い感情が生まれていた。だからこそ、二週間前には彼女をデートに誘おうともした訳だが、そんなフラフラした自分の態度を『カッコ悪い』とも思っていたため(彼自身の中での「カッコいい存在」としてのマヨネーズとの対話を経た上で)、まどという一人の女性に自分の気持ちを絞ることを決意したのである。しかし、そうやって自分の中で強引に気持ちを整理したつもりではあったものの、実はまだ彼の中で百合子への想いも完全に消えた訳ではなかったようで、だからこそ、その状況に至って、一人で勝手に狼狽してしまっていたのである(無論、そんな彼の個人的な事情など、百合子もまども知ったことではない話なのだが)。

「いや、落ち着け、俺。俺はもう、まど先輩一筋と決めたんだ。今更、ここで気持ちが揺らぐようなコトは……」

 明良がそうやって一人で勝手にシドロモドロになっていたその時、また別の女性がその場に現れる。それは、昨晩、アンドラス達を襲った黒髪の女子高生なのだが、その姿を見た百合子は、思わず声を上げる。

「蘭子!?」

 そう、紛れもなくそれは彼女の亡き親友・蘭子の姿であった。しかし、そう言われた彼女は、首をかしげながらこう答える。

「あら? どうして、その名を知ってるのかしら?」

 明らかに、相手は自分を認識していない。百合子がその奇妙な状況に戸惑っている間に、その「蘭子の姿をした女子高生」は、昨晩同様、彼等二人に襲いかかってくる。咄嗟の判断でそれを回避しようとした百合子だったが、心の動揺が抑えきれなかったのか、その斬撃が自分に届くよりも先に、彼女の中のアウルが暴発してしまう。
 だが、結果的にこのアウルの暴発によって公園から弾き飛ばされたことで、百合子は致命傷を負わされる前にこの戦場を離脱する形となる。その後、自らのアウルの力による深い傷を負いながらも公園に戻ってきた彼女の前には、既にその「蘭子の姿をした女子高生」の姿はなく、瀕死の状態の明良が一人その場に倒れているだけであった。自分が失態を犯した戦場で仲間を倒されてしまったことに罪悪感を感じつつ、彼女は明良を片肩に抱えながら、近くの大学病院へと彼を搬送した上で、くらげ館に帰還することになる。

7.6. キリル文字の手紙(水曜・授業&放課後)

 その翌日、月は昨日に続いて、タチアナに話を聞いてもらおうと、彼女の元を訪れる。自分を頼ってくれる生徒がいることに対して、まんざらでもない様子のタチアナは、喜んで彼に近付くが、その時、彼等のいる建物内の事故で床が傾き、思わず倒れかった二人の顔が近付き、その唇と唇が触れ合ってしまった。
 その瞬間、月の中で何かが完全に弾けた。それまでの自分の周囲の(カノンをも含めた)人間関係が全てどうでもよくなるほどに圧倒的な慕情を、目の前の女性に対して抱いてしまったのである。これが、カノンを狂わせた「ディヴァインナイトとして生きる意義」を感じさせるほどの「感情」なのだろうか。本来はただの「事故」であった筈のその「接触」の直後、彼は真剣な眼差しでタチアナを見つめる。

「ば、馬鹿! 大人をからかうんじゃない!」

 そう言って、慌ててその場を立ち去るタチアナであったが、その時、彼女の上着のポケットから、書きかけの手紙らしきものが零れ落ちる。すぐに月は拾い上げるが、次の瞬間には、彼女はもういない。そこに書かれていたのは、ロシア・東欧系の国々で用いられるキリル文字である。おそらく彼女の母国の言葉なのだろうが、彼女の出身国すら知らない彼としては、言語自体、判別の仕様がない。
 とはいえ、自分の愛する女性が書いた手紙への興味を捨て去ることが出来る筈もない月としては、地理的に言えば東欧に位置するギリシャ出身のアンドラスにメールでその画像を送って、相談してみることにする。
 ちょうどその頃、アンドラスは屋上で空を見上げながら、ここ数日の諸々の出来事を思い返しつつ、物思いに耽っていた。満月のこと、通り魔のこと、ついでに幽霊・黒ヤギ事件のこと、色々な想いが頭の中で渦巻いて混乱していたが、ただただ目の前に広がる青空に心を委ねたことで、ようやく精神が少しだけリフレッシュされた状態になっていた。そんな時に月からのメールを確認した彼は、その最高潮の状態の頭脳をフル回転させて、それがウクライナ語であることに気付く。本来、ギリシャ語とウクライナ語は言語系統はかなり異なるのだが、どうやら、おそらくは彼が祖国にいた頃の友人達の中に、この国からの亡命者もいたのであろう(ウクライナは現在、国土の多くを悪魔に蹂躙されている)。
 そして、その画像の中の文字を、web辞書などを用いながら解読した結果、以下のような内容であることが判明した。

「ようやく、教え子の仇を討てそうだ。ただ、そのためには自らこの手で教え子に止めを刺さねばならない。そろそろ私の精神も限界に近いが、この任務は他の誰にもやらせる訳にはいかない」

 このような思い詰めた内容の手紙であることを知らされた月は、今ひとつ事情が見えぬ状態のままではあるものの、自分が彼女を支えなければ、という決意に燃える。一方、少し気分が晴れやかになったアンドラスは、満月に一昨日の件についての誤解を解こうとデートに誘うが、今ひとつ彼の真意は伝わらなかった(しかし、このことは以後の本編とは関係ない)。
 また、同じ頃、病院での応急措置によって一命を取り留めた明良は、自分が百合子に片肩を預けた状態で夜の学園を歩いていたことを誰かに見られていたのではないか、という可能性を考慮し、まどに対して「あれはやむをえない状況でそうなったのであって、決して、剣さんと何か特別な関係にあるとか、そういう訳じゃないですから」という弁明を試みる。しかし、当のまどの方はそもそも、その話を聞いたところで、特に気にした様子でもなく、それはそれで、自分に対して嫉妬心すら持たれない今の状況に、ほんの少しだけ落胆することになる明良であった(しかし、このことも以後の本編とは全く関係ない)

7.7. タチアナの過去(水曜・真夜中〜木曜・放課後)

 そして、その日の夜、タチアナの身を案じる月と、相次ぐ仲間の襲撃に警戒心を強めるアンドラスが、夜の学園を警戒しながら散策していると、体育館の裏手の方から、激しいアウルの衝突する音が聞こえる。二人がそちらに向かうと、そこには、例の怪物と対決するタチアナ、そして、その二人の後方で様子を見守る下位悪魔ディオ・コッキーの姿があった。

「いいですねぇ。ようやく、この新兵器のテストの相手として、ふさわしい撃退士と遭遇出来ましたな」

 そう言ってほくそ笑むディオ・コッキーであったが、当然、その状況を月が黙って見ている筈がなく、すぐさま彼とアンドラスが助太刀に入る。

「また、あなた方ですか! さすがに、3対1は厄介ですね。ここは引かせて頂きます」

 そう言って撤収するディオ・コッキーと怪物を横目に、月はタチアナに駆け寄る。だが、彼女の視線は冷たい。

「助けてくれたことには礼を言うべきなのだろうが、その前にこれだけは言わせてもらう。お前達は、この件には関わるな。これは私が一人で解決すべき問題だ」
「そんなこと、出来る筈がないじゃないですか!」

 月はそう言って食い下がるが、タチアナは頑として聞く耳を持とうとしない。最後は「これは、子供が出しゃばるべき問題じゃない」と言って、その場を強引に立ち去ってしまった。

 だが、恋心と使命感に燃える男子生徒が、そう言われて簡単に引き下がる訳にもいかない。その翌日、月は更にタチアナの元を訪ね、必死で説得を重ねた結果、ようやく彼女は月に対して、少しずつ心を開くようになる。そして、アンドラス達によって百合子を紹介されると、思わず声を上げる。

「そうか、思い出した! ユリコ・ツルギ、キミはランコの友人だ。そうだろう? 彼女の残していた日本での写真に、いつもキミの姿が映っていた」

 そして、ここで彼女と出会ったということは、もしかしたら、蘭子が自分を導いてくれているのかもしれない、と思った彼女は、事情をゆっくりと皆に語り始める。

「あの怪物の身体のベースとなっているのは、かつて私の教え子だったランコ・カガミだ。彼女は天使との戦いで命を落としたが、生まれながらにして身体の内部に大量のアウルを抱え込んでいる、数百万人に一人の特異体質の持ち主であったため、その死体を悪魔に利用され、あのような姿に変えられてしまった。今の彼女の魂は既に死んでいる。ただ死体を悪魔に弄ばれているだけだ。だからこそ、早く彼女の身体を開放してやらねばならない。これは、彼女の教官だった私が果たすべき使命なんだ」

 そこまで言い切った上で、百合子を見ながら、彼女はこう提案する。

「だが、私一人では彼等を倒しきれなかったのも事実。そこで、もし良ければ、あの怪物を操っている悪魔『ディオ・コッキー』を、君達の手で倒してくれないか? 君達とも因縁があるらしいし、何度も戦っているのなら、奴に関しては君達の方が対処しやすいと思う。それに、蘭子の身体を切り刻むという仕事は、少なくとも君には、やらせたくない」

 そう言われた百合子も、色々と複雑な感情を抱きながらも、「お気遣い頂き、ありがとうございます」と素直にその申し出を受け入れる。こうして、散々学園内を荒し回った悪魔商人ディオ・コッキーとの最後の戦いの幕が切って落とされようとしていた。

7.8. 三度目の決戦(木曜・真夜中)

 タチアナ自身が分析したこれまでの出現傾向の調査から、次にあの怪物達が出現する場所と時間について、ある程度の目星はついていた。そして彼等がそこで待ち伏せしていると、案の定、ディオ・コッキーと、蘭子を元にした合成獣が姿を現す。
 それに対して、まず、タチアナが先陣を切って怪物に猛攻を仕掛け、その間にアンドラス達5人(真司はまだ病床)が周囲からディオを包囲する形で取り囲む。今度こそ、彼を逃がさずに確実に仕留めるための作戦であったが、これが見事に功を奏し、ディオの退路を完全に遮断することに成功する。

「もういい加減、アナタ達の相手はうんざりなんですよ」

 そう言いながら、彼等の攻撃に応戦するディオであったが、過去二回の戦いで部下二人を失っている彼にとって、頼みの綱の合成獣と切り離された状態での5対1の戦いは、あまりにも不利であった。しかも、自分の手の内は過去2回の戦いを経て、既にアンドラス達には知られている状態なのである。
 だが、それは彼にとっても同じことであった。過去2回の戦いの経験上、まずディヴァインナイトとしての月を倒さなければ、彼が他の者達を庇い続け、いつまで経っても戦況が改善しない、ということに気付いていたため、徹底して月を攻撃する作戦を採る。
 しかし、逆にこれが彼の闘争心をより強く燃え上がらせることとなる。この時、彼はタチアナへのあまりに強い想い故に、それまで百合子やマヨネーズ達に抱いていた強固な仲間意識が(相対的に)弱まり、「守りの盾」としての力がやや劣化していたのだが、それ以上に熱く燃え滾るタチアナへの感情を爆発させた結果、本来の「守り人」としての自分の役割からは信じられないほどの痛烈な一撃を、ディオに喰らわせることに成功したのである。

「ば、バカな……、こんな子供に敗れるとは…………」

 そう言って、ディオ・コッキーは遂にその場に倒れ落ちる。これまで、学園の内外で人類を苦しめてきた悪魔商人の、あまりにも呆気ない最期であった。
 そして時を同じくして、タチアナの方も、怪物の心臓に(それは同時に蘭子の心臓でもあるのだが)止めの一撃を喰らわせていた。

「すまんな、蘭子。遅くなって。今度こそ、安らかに眠ってくれ」

 タチアナがそう言って天を見上げるとほぼ同時に、その怪物の身体は瓦解し、砂のように崩れ落ちていく。そして、本来ならばこの怪物の身体の中には彼女の魂は微塵も残っていない筈なのだが、なぜか、タチアナと百合子の耳元にだけ、

「ありがとう……」

という言葉が聞こえたような気がした。それが、奇跡的に微かに残っていた蘭子の残留思念なのか、それとも、彼女達の記憶の中の蘭子がその幻聴を聞かせたのか、それは誰にも分からなかった。

7.9. エピローグ

 こうして、多くの犠牲者を出し、学園を震撼させた通り魔騒動は、ようやく幕を閉じた。そして、その立役者となった二人が、放課後の誰もいない職員室の片隅にある応接室で、二人で語らっている。

「すまなかったな、君のことを子供扱いして」

 タチアナはそう言って、憎き悪魔商人に止めを刺した月を笑顔で労う。月としても、こうしてタチアナに自分のことを認めてもらえたことが、本当に嬉しかった。

「私はまだしばらく、教員としてこの学園に留まるつもりだ。だから、当面は君と私は教員と生徒であって、それ以上の関係になる訳には……、というか、いや、その、別に私自身がそれ以上の関係になることを望んでいる訳ではないんだが、まぁ、その、とにかく、これからも、よろしくたの……」
「邪魔するでー」

 タチアナがシドロモドロになりながら、言葉を取り繕っていたその時、京都弁の陰陽師装束の女性が、部屋に入ってくる。

「ア、アザミさん!? てか、やっぱり、アザミさんだったんですか? なんで今更、学生なんかに……」
「まぁ、人にはそれぞれ、色々と事情があるんよ」

 どうやら、薊はタチアナが日本に留学していた頃に世話になっていた人物らしい。そして、薊は同じ部屋にいるもう一人の人物に一瞬、目を向けつつ、遠くを見ながらこう呟く。

「まぁ、正直な、さすがに歳の差があるから、私じゃあ無理と言われても仕方ないかな、とは思うとったんや。でも、さすがに、この状況はちょっと納得いかんわ。これやったら、私じゃダメな理由を、年齢のせいに出来ひんもんなぁ。何やったんやろうなぁ、私じゃあかんかった理由は」

 彼女が何を言っているのか、タチアナには全く理解出来なかったし、月もどこまで理解していたのかは分からない。ただ、もしタチアナが先日の甘味処での一件のことを知っていたのなら、「いや、あなた、私達よりも遥かに歳上でしょ」と突っ込んでいたことは間違いない。

「あー、もう、ホンマ分からんわ。最近の若い子達の好みは」

 そう言って、彼女は職員室を立ち去っていったちょうどその頃、海月館でも、彼女とはまた違った形で、男に対するボヤキを口にする女性がいた。

「あー、もう、結局、何なんだろうなぁ、男の人って」

 そう言って、不機嫌そうに座りながら足をブラブラさせているのは寮長である。ついこの間まで「憧れの先輩」と思っていたアンドラスに対して、今は軽蔑の気持ちしか抱けない、そんな今の自分の心境に、自分でも嫌気が指していた。

「なんか面白いコトないかなぁ。ねぇ、まどちゃん、百合子ちゃん、せめてアナタ達の話でもいいから、何か聞かせてよ。何かいいコトないの? 誰かいい人いないの?」

 そう言われたところで、つい先日、親友の屍を葬る場面に出くわしてしまった百合子としては、とても楽しく何かを語るような気分ではない。一方、まどの方も、まだ明良との関係も中途半端な状態のままである以上、わざわざそのことを他人に話す気にもなれなかった(ちなみに、これと時を前後して、明良からは最新の怪談本もプレゼントされていた)。
 そんな中、二階からもう一人の住人が降りて来る。

「寮長、バッティングセンター行きませんかー」

 寮長と同等以上に死んだ目をした桃香にそう誘われると、寮長も無気力な表情のまま同意する。

「いいわねー。私もちょうど、何かをぶっ飛ばしたい気分だったのよー」

 そう言って、二人は寮を後にする。色々な意味でモヤモヤした状態のこの二人の気持ちが、バッティングセンターでどこまで解消されたのかは分からないが、本格的に彼女達の機嫌が元に戻るには、まだもうしばらくの時が必要であった。

 一方、その頃、黒瀧邸では、アンドラスがミカに事情を説明していた。

「……ということで、その人はもう死んでしまったんですよ。ですから、その手紙と写真を彼に見せてしまっても、問題はないかと」

 そう言われて、ミカとしても最初は少々戸惑ったが、最終的には納得した表情を見せる。

「そうですね。話を聞いていると、可哀想な人だったみたいですし。もうお亡くなりになってしまったなら、特に害を及ぼすようなこともないでしょう。『死人に口無し』ですしね」

 そう言って、勝ち誇ったような満面の笑みを浮かべつつ、相変わらず病状が回復しない真司の枕元に、そっと封筒を添えるミカであった。


裏話

 この回は、それまでのシナリオの作り方から大きく転換して、PC一人一人にスポットを当てる形で話を作ることになりました。ほどよく各PCの設定も関わってきて、そろそろ本格的に「恋と冒険の学園TRPG」をやりたいな、と思っていたところだったので、序盤は各人の恋愛話を中心に展開しつつ、そろそろ百合子の過去にまつわる話をやりたいな、と。
 ただ、ここで誤算だったのは、真司のプレイヤーが体調不良で欠席してしまった、ということ。本来のこのシナリオの目的の一つは「自分のファンだった女の子が、ヘラクライストに殺されていた」という事実を真司に突き付けて、彼の最終決戦へ向けてのボルテージを上げてもらうことだったんですが、肝心の真司が不在という状態の中で、とりあえず当初予定していたシナリオの流れで進めた結果、ミカが当初の予定以上に暴走することになってしまいました(まぁ、これはこれで、彼のキャラ付けとしては美味しい展開だったんですけどね)。
 とりあえず、PC・NPCのカップリングについては、ここまでの流れでPC間の恋愛フラグが作られていれば、そっちを優先する方針で良かった訳ですが、残念ながらそういう流れにはならなかったので、ここまでの流れを踏まえた上で、こんな流れにしてみました。正直、明良については、セッションの直前まで、百合子に向かわせるか、まどに向かわせるかで(私の中でも)迷ったのですが、

  • 百合子とのデートフラグが曖昧なまま立ち消えてしまった
  • まどを庇った時の展開が、私の中では結構印象的
  • 途中参加でNPCとの絡みが少ないまどの方にスポットを当てるべき
  • 今回の話の主役が百合子だからこそ、脇役のまどの出番を増やすべき
  • 一応、百合子には(歳の差が相当離れてるとはいえ)筧もいる

 ということで、まどに明良、という流れになった訳です。まぁ、ここまで悩んだ上で、デート判定で失敗したら目も当てられんな、と思っていた訳ですが(それで次に百合子に行くという流れも、あまりにあんまりだし)、いいカンジに成功してくれて助かりましたわ。
 一方、アンドラスとマヨネーズが、まさかの「同じ出目で失敗」という奇跡を引き起こしてくれたお陰で、二人ともヒドい目に遭うことになってしまった訳で。まぁ、マヨネーズはキャラ的にアレでいいんですが(もし、まかり間違ってこの二人に恋愛フラグが立ったら、それはそれで面白いかと思ったんですが)、アンドラスがこんな形になってしまったのは、私としても想定外。結局、この後、彼は関係修復のため、貴重な通常フェイズを彼女とのデートイベントに費やさざるをえないことになります。
 そして、今回の「嬉しい誤算」は、月が積極的にタチアナを口説きに行ってくれたこと、でした(当初、月は薊と絡ませる予定が、デート失敗でそのルートも途絶えていたので)。このタチアナというNPCは、イラスト担当者に「昨日、夢の中で、こんな女軍人キャラが出てきたから、良かったら使って」と言ってイラストを渡されたという、当初の予定には全くなかったNPCだったのですが、ちゃんとプレイヤー側から積極期に物語に絡めに来てくれたので、GMとしても非常に嬉しかったです。というか、この月のプレイヤーはカノンのプレイヤーでもある訳で、多分、「恋と冒険の学園TRPG」としては、彼がキャンペーン全体の中でのMVPと言っても良い活躍っぷりでしたね。
 そんな訳で、個々のエピソードとしては割と気に入ってる話なのですが、全体通して見ると、序盤のドタバタ恋愛コメディと、後半の「親友の死体と戦うという悲劇」がちょっとアンバランスというか、百合子一人だけやたら重いテンションのまま終わらせてしまったので、その意味では、一つの話でやるべき題材ではなかったかもしれません。キャンペーンも終盤に入ってきて、色々と「やりたかったこと」をまとめてやろうとしているうちに、ちょっと色々詰め込みすぎて、食い合わせの悪いセッションになってしまったなぁ、と反省させられた次第です。
 戦闘バランスについては、こちらも一人火力担当を欠いていた訳ですが、それでもさすがに、もはや一人だけになってしまったディオ・コッキーでは太刀打ち出来る筈もなく、ジワリジワリと削りながら、綺麗に倒してくれました。てか、三週も彼を引っ張ることが出来たのは、対天使戦が中心のこのキャンペーンの中では、良いアクセントになったかな、とも思います。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2013年08月26日 12:57