第4話(BS52)「覇権国家の契約事情(後編)」 1 / 2 / 3 / 4

1.1. 覇王の姪御

※本節の登場人物についてはブレトランド八犬伝8を参照。

 「アントリア子爵領内ノルド自治領マージャ村」にて、まもなく三つの催し物が始まる。一つは、大工房同盟諸国による国際会議。もう一つは、主に彼等を対象としたエーラムの新人魔法師のお披露目会。そして最後の一つは、彼等の来訪を歓迎する意図を込めた第三回マージャ国際音楽祭である。
 その知らせは、当然のごとくアントリアと深い繋がりを持つランフォード地方のウィンザレア男爵領にも届いていた。この地の領主イリア・マーストン(下図)はアントリア子爵ダン・ディオードの姪であり、彼女にもまた今回の「同盟会議」への招待状が届いている。


 そんな彼女の道案内兼護衛役として抜擢されたのが、アントリアからウィンザレアへ派遣された遠征軍の指揮官の一人である獣人の邪紋使いのプロキオン(下図)である。今回の会場となるマージャ村には彼の旧知の人物がいることもあって、その人脈を買われての抜擢であった。


 本来ならばイリアの側近達も同行すべきなのだが、ランフォードの戦況は極めて不安定で、近々アロンヌ方面からの大規模な侵攻計画が進みつつあるという噂もあり、イリアとしては自分の側近達はウィンザレアに残しておきたい(なお、『グランクレスト戦記』ではこの時点で既にルクレール伯による侵攻は開始されているが、本作品内での彼等はまだ動き出していない。その理由はいずれ別の物語にて明かされる)。そこで、イリアは犬猿の仲である遠征軍の指揮官バット・パイシーズ(下図)に護衛を依頼し、彼は自分の側近の一人であるプロキオンを推挙するに至った。


 バットとしては政敵でもあるイリアに協力する義理もなかったのだが、彼は密かに同盟会議後に開催予定の「新人魔法師のお披露目会」に興味を抱いていたのである。

「どうせイリアは選り好みして、なかなか新しい魔法師を雇おうとも思わないだろう。だから、もしお前が気に入った魔法師がいれば、勝手にお前が横から掠め取って連れて帰って来い。俺の第二の契約魔法師として雇ってやる」

 バットの聖印規模はまだ男爵に満たないが、魔法師二人と契約する程度の規模はある。一人でも多くの戦力を欲していた彼としては、この機にプロキオンを勧誘役としてお披露目の場に潜り込ませようと考えていた。

「了解ッス。イリアさんは男嫌いですし、『使えない男』はいらないと言ってますからね」
「そうだな。ただ、『使えない奴』は俺もいらん。お前が気に入って連れて来ても、魔境を目の前にして怖気付くような奴なら、契約する気はないからな」
「まぁ、セリーナ様がいれば、バット様はよっぽど大丈夫だとは思うんですけどね」
「確かにな。とはいえ、戦力は少しでも多い方がいい。では、よろしく頼むぞ」
「分かったッス」

 主人とのそんなやりとりをかわしつつ、プロキオンは旅支度を整えた上で、イリアの元へと向かう。この時点で、イリアの方は既に準備万端であった。

「では、行くとしようか。で、そのマージャ村というのは、どういうところなんだ?」

 イリアにそう問われたプロキオンは、以前に「戦友」から聞いた話をそのまま伝える。

「領主様がすごく穏やかというか、平和主義の女の人らしいッス。あと、村には孤児院があって、そこには異界の動物達がいるらしいッス」
「孤児院に異界の動物……? よく分からんが、危険な匂いがするな……。まぁ、いい。とりあえず、私の足だけは引っ張ってくれるな。あと、私の半径三歩圏内には入るな」

 どうやら彼女は自分の周囲に男が入ることを生理的に好まないらしい。とはいえ、あまり離れていては護衛役として機能しない。そこで、プロキオンは一計を案じた。

「この姿でもダメッスか?」

 彼はそう言うと、その姿を「秋田犬(極東の島国の北部を原産地とする大型犬)」の姿へと獣化させた。これならば(雄であっても)「男」とは認識されないであろう、という判断である。

「まぁ……、それなら半径一歩圏内に入らなければ良しとする」

 それが、男嫌いのイリアにとってはギリギリの妥協点らしい。こうして、一匹の秋田犬を連れた姫君主の旅が始まった。

1.2. 歌姫と楽士


 マージャ村で開催される国際音楽祭は、今回で三回目を迎える。そんな中、過去二回の音楽に出場して二回連続で「準優勝」の座に甘んじていた女性がいた。彼女の名はポーラ・ウィングス(下図左)。マージャの領主であるレイン・J・ウィンストンとは、かつて共にバンドを組んでいた仲である。彼女は現在、グリースの首都ラキシスを主な拠点として活動しており、今回の音楽祭にも「三度目の正直」を期して「グリース代表」として出場することになった。なお、今回は彼女の補佐役として、「紅の楽士」と呼ばれる謎の地球人も随行する(下図右)。


 そんな二人の護衛役を任じられたのは、ラキシスの東隣に位置するマーチ村の領主セシル・チェンバレン(下図中央)である。まだ僅か11歳で、つい数ヶ月前にグリース傘下に加わったばかりの彼にこのような任務が与えられたことに、周囲の者達はやや違和感を感じていたが、ひとまず彼は先日魔法師契約を果たしたばかりのメーベル・リアン(下図左)と、ヴァレフール時代からの側近のSFC(下図右)を連れて、その護送任務に当たることになった(なお、彼の留守中のマーチの警備に関しては、アルファ・ロメオが担当する)。


 セシル達はラキシスに到着した後、グリース子爵ゲオルグ傘下の自然魔法師マーシー・リンフィールドから一通りの説明を受けた上で、ポーラおよび紅の楽士の待つ、城の裏庭へと案内される。

「あら、噂に聞いていた通り、可愛らしい君主様ね」

 セシルの姿を見るなり、ポーラはそう言って彼に近付き、その豊満な胸元にセシルの頭を抱え込むような形で抱きつこうとするが、次の瞬間、彼女の周囲の空間に異変が生じる。周囲の者達の目には、彼女の姿がまるで「異界のモザイク画」のような姿へと変貌したように見えた。どうやら彼女は、セシルの傍らに立つSFCの周囲に漂う異界の自然律の力によって「視認しにくい存在」となってしまったようである。

「セシル様、ダメです。この女はCERO規定に違反します。コンシューマー版である私のフィールドには、この女は登場させてはいけません」

 厳密に言えば、SFCの時代にはCERO規定なるものは存在しないのだが、ヴェリア界時代に後輩達からそのような概念を学んでいたらしい。どうやら彼女は、ポーラの姿が「肌色面積が広すぎて、青少年にはやや不適切」と判断したようである。
 一方、紅の楽士は微笑を浮かべながら、やや芝居じみた物腰と足取りで、メーベルへと近寄ってきた。

「これは美しいお嬢さん。お会いできて光栄です」

 そう言いながらメーベルの手を取り、その甲に唇を近付けようとする。これに対して、(イリアほどではないにせよ)「軟派な男性」を嫌うメーベルは表面上では微笑み返しつつ、反対側の手で火炎瓶を取り出そうとしていたのだが、その前にセシルが二人の間に割って入った。

「あの……、彼女は僕の契約魔法師なので、ヘンなことはしないで下さい!」

 やや緊張しつつも、キリッとした表情でそう言い放った少年を目の当たりにして、紅の楽士はニヤリと笑う。

「おぉ、坊主、なかなかいい心意気だな。そうだな、『自分の女』は、ちゃんと自分で守ってやらんとな」

 子供とはいえセシルはれっきとした君主であり、その彼に対してこのような物言いは明らかに不敬なのだが、一応、今回のセシル達の任務は彼等二人の「護送」である以上、ここで彼等と衝突する訳にもいかない。SFCは彼等のやりとりを苦々しい思いで眺めつつ、モザイク状になったポーラをセシルから遠ざけながら、メーベルに向かって叫ぶ。

「この女は私が抑えておきますので、メーベル様はそちらの男を見張っておいて下さい!」
「いや、私、そんな小さな子相手に何もしないわよ!」

 もはやその場にポーラがいるのかどうかも分からない謎空間から聞こえてくるそんなやりとりを耳にしたメーベルは、微妙な表情を浮かべつつ答えた。

「SFCさん、私もポーラさんは大丈夫だと思いますよ、この男はともかく……。あ、初対面の方に失礼でしたわね」

 作り笑顔に切り替えつつそう付言するメーベルであったが、楽士の方も特に気にした様子はない。彼は彼で、口説いた相手から邪険にされることには、すっかり慣れ切っているらしい。
 やがて、ポーラがセシルから引き離され、SFCによる異界の自然律の効果が途切れたところで、ポーラは楽士に向かってこう言った。

「じゃあ、行くわよ、オトヤ」

 セシル達は聞かされていなかったが、どうやらそれが彼の名らしい。こうして、奇妙な取り合わせの五人組は、マーシーが用意した馬車に乗り、ラキシスからアトロポスを経てアントリアの国境を超え、マージャへと向かうことになる。幸い、現在の国境線を守っているのはレインの上司のヴィクトールということもあり、レインによって発行された音楽祭への招待状を見せた彼等の入国は、あっさりと認められたのであった。

1.3. 義妹達の想い

※本節の登場人物についてはブレトランド戦記・簡易版および『グランクレスト戦記』を参照(ただし、後者とは微妙に異なる歴史を歩んでいる)。

 それから数日後、グリースの首都ラキシスに新たな訪問者が現れた。彼女の名はシルーカ・メレテス(下図)。現在は、大陸南東部の諸侯を集めた(同盟でも連合でもない第三勢力としての)「アルトゥーク条約」を主導している旧アルトゥーク伯爵領の遺臣の一人テオ・コルネーロの契約魔法師である。


 彼女が遠く離れたこのブレトランドへと足を運んだのは、この小大陸において彼女達と同様に「第三勢力」としての地位を確立しつつあるグリースに「アルトゥーク条約」への参加を呼びかけるためである。彼女の義兄であるヒュース・メレテス(下図)がグリースの筆頭魔法師を務めている縁を頼った上での、今後の長期的展望に基づく外交政策の一環であった。


 とはいえ、グリース側にしてみれば、この新興勢力への加盟は極めて不確定性の高い案件であるため、ひとまずは「保留」という返答がゲオルグからは提示されることになる。無論、それはシルーカにとって想定通りの回答であり、彼女としても一足飛びで事態が進展するとは思っていない。あくまでも、後々の世界戦略を見越した上での外交の窓口を一つ開いておくことが今回の来訪の実質的な目標であり、その意味では十分に目的は果たせたと言える。
 そして、彼女には実はもう一つ、この地に来た目的があった。

「お養父様の誕生会には、私も参加したいところなんですけど……」

 まもなくマージャで開催予定の同盟諸侯の国際会議の場には、彼等の師匠(養父)であるアウベスト・メレテス(同盟盟主マリーネの契約魔法師)も来訪予定である。そして、この滞在期間中に彼が誕生日を迎えるということで、実質的な一番弟子であるダン・ディオードの契約魔法師クリスティーナ・メレテス主催で、(アウベストには極秘に)誕生会を開こうという企画があり、ヒュースとシルーカに招待状が届いていたのである(なお、グリースにはメレテス一門の魔法師がもう一人いるが、彼の元にはその招待状は送られていなかった)。
 ヒュースとしては、もともと今回のマージャで開催される新人魔法師のお披露目会に興味があったので、自分自身の見聞を広める上でも、この機にマージャを訪問したいと考えていた。幸い、グリースとアントリアは中立関係にある上に、以前にヒュースはマージャを訪れたこともあるので、彼の入国にはそれほど問題もない。だが、シルーカはこの点に関しては色々と事情が異なる。

「それは、大丈夫なのか?」
「いえ、大丈夫ではないです」

 彼女は幾度も同盟諸国と戦火を交えており、多くの同盟諸侯から恨みを買っている。しかも、これからシスティナ攻略作戦へと向かわねばならない都合上、あまり長期間この小大陸に滞在する訳にもいかなかった。

「ですから、私の代わりにこれを渡しておいてもらおうかと」

 それは、イスメイア製の高級ネクタイと、手編みのマフラーであった。

「このマフラーはアイシェラが編んだんですけど、彼女はそのことは言わないで、と言ってます。でもまぁ、伝えるかどうかはお任せします。私が編んだことにしてもいいし、お兄様が編んだことにしてもいいです」
「いや、あの、僕には裁縫する技術はないんだが……」
「じゃあ、お兄様の奥様が編んだということにしても……」
「いやいやいや、違うから! あの人とは別に……」
「いえ、私、別に誰が奥さんとも言ってませんけど?」

 そもそも、シルーカはエスメラルダとは面識もない。ただ、ヒュースが「エーラム時代の先輩と昵懇の仲になっている」という噂だけは事前に察知していた。

「……お前こそ、君主に仕えるのは馬鹿馬鹿しいとか言ってたくせに、今では君主と恋仲になっている、という噂はこっちにも届いているぞ」
「まぁ、女子三日会わざれば刮目して見よ、ということです。色々あったんですよ、私も」

 やや頬を紅潮させつつも淡々とした口調でそう語りつつ、シルーカは彼の前から去って行った。その後ろ姿を眺めつつ、ヒュースは小声でボソボソと独り言を呟く。

「正直、今そういう関係になるには、あっちはこっちのことを覚えてない訳だし……」

 そんな想いを抱きつつ、彼は念のため、ネクタイとマフラーに混沌の気配が含まれていないかを魔法で確認する(これは本来は菖蒲の系譜に属する錬成魔法だが、今の彼は召喚魔法以外の様々な魔法に精通している)。シルーカがアウベストを害するような陰謀に加担することは絶対にないとは思うが、誰かが彼女の善意を利用して何かを仕組む可能性もある以上、万が一に備えて万全の確認を取る必要がある。
 結果、どちらもごく普通の素材で作られた「ごく普通の衣類」であることを確認した彼は、メーベル達とは別の経路で、自身の召喚したワイバーンに騎乗して、マージャへと向かうことにした。

1.4. 異教の難民達

※本節の登場人物についてはブレトランドの遊興産業2を参照。

 アントリア南西部(旧トランガーヌ領北部)のモラード地方に位置するウリクル村の契約魔法師であるヴェルディ・カーバイト(下図)の元に、師匠であるカルディナ・カーバイトからの手紙が届いた。彼女がまもなくマージャで開催予定の「新人魔法師のお披露目会」および「音楽祭」に参加するという話は、ヴェルディも既に知っている。


「お前の妹弟子達を紹介したいから、マージャに来い。ある意味、お前の『直系の後輩』のような連中だ」

 その文面から「嫌な予感」しか感じられなかったヴェルディは、ひとまず毒矢を調達するために村の市場へと向かおうとする。その途上、この村の傭兵隊長である邪紋使いのクロー・クロー(下図)が彼女に声をかけた。


「おや、傭兵隊長さん、どうしました?」
「実はさっき、村の入口でちょっと奇妙な連中に出くわしてな。『先代領主の奥方であったアクア殿の縁者』と名乗る者達が来ているんだ」

 アクアとは、この村の先代領主ワイマール・エルメラ3世の妻であると同時に、彼の契約魔法師でもあった女性である。元は自然魔法師であり、「ヘカテー」という名の異界の神を信仰する神官のような存在でもあったらしい。彼女はワイマールの変死後、アントリアによる占領体制への不信感から、まだ幼い息子のマリウスと共にこの村から出奔していた。
 今、この村に来ているのは、そんなアクアの出身地である大陸のヘカテー信者の隠れ里の者達であり、彼等の中の何人かはヘカテーの加護による特殊な魔法を使える自然魔法師でもあるらしい。だが、先日、聖印教会の手で故郷を滅ぼされ、行く宛のなくなった彼等は、難民として世界各地を彷徨った末に、旧知のアクアの縁を頼ってこの地に流れ着いたという。

「で、実は俺の傭兵仲間のアマルから聞いた話によると、アクア殿は既に亡くなり、その息子のマリウス殿は、今は『ビート』と名を変えて、マージャ村の孤児院にいるらしい。だから、そっちに誘導するという道もあるんだが……、とりあえず、俺はまだ巡回中なので、この件について、領主様に伝えておいてもらえないか?」
「では、まずは私から彼等にお伺いしましょう。安心して下さい。あなたが伝えてくれたのだから『そんな奴等は来なかった』なんてことにはしませんよ」

 逆に言えば、ヴェルディが最初に彼等と遭遇した場合は、彼等の様相次第では「何も無かった」ということにする可能性もあった。「異界の神を信仰する自然魔法師集団」など、彼女にしてみれば「厄介事の種」としか思えない。
 ヴェルディが村の入口へと向かうと、そこには見窄らしい風貌の難民達が、村の衛兵達に監視された状態で、おとなしく待機していた。

「今の領主様の娘さんですか?」

 難民の一人がそう問いかけると、ヴェルディは淡々と答える。

「そう思われるのも仕方ないですが、僕は魔法師です」
「これは失礼しました」

 彼等もある程度までは魔法に精通した身である以上、見た目が子供でも一線級の力を持つ魔法師がいることは知っている。恐縮した様子の難民達に対して、ヴェルディは不敵な笑みを浮かべながら話を続けた。

「私は忙しいので、手短にお願いします」
「は、はい。あの、アクア様がお亡くなりになったということは、先程傭兵隊長殿からお伺いしたのですが、その際に、どうやらアクア様のお子様がご存命らしい、とお伺いしましたので、出来れば、お会いしたいと思っています。その上で、私達のような難民を受け入れて下さる村を我々は探しておりまして……」

 彼等がこの村を頼ってきた理由は、縁者であるアクアがこの地にいるということだけでなく、数ヶ月前にこの村が大陸南西部の島国エストレーラからの難民を受け入れたらしい、という噂を聞きつけた上で、この村の領主が移民に寛容な施政であることに期待した上での来訪であったらしい。ヴェルディにしてみれば、ただただ面倒な案件でしかなかったが、実はこの「数ヶ月前の難民」を手引きした人物こそが他ならぬヴェルディであったため(その経緯については、いずれ更新されるであろう鴎の戦旗第一話を参照)、少々複雑な心境でもあった。
 そんな中、「村の入口で何かが起きている」という話を聞きつけたこの地の領主であるジェローム・ヒュポクリシス(下図)が現れる。その手には「剣と盾が一体化したような武具」が握られていた。


「どうしたヴェルディ?」
「おや、領主様。この者達が『受け入れ先』を求めてこの村にやってきたそうです」

 ヴェルディは「一通りの事情」をジェロームに軽く伝えた上で、改めて難民達に対して淡々と語り始める。

「魔法師としての僕は難民の方々を歓迎しますよ。ただ、あなた方が本来頼ってきたアクア様は今のこの村の方針が気に入らなかったようですし、あなた方も気に入らないのであれば、去る者は、追わずです」

 それに続けてジェロームもまた、領主としての見解を彼等に伝える。

「この地に住みたいのであれば、自由にすればいい。アクア殿の息子も、戻って来たいならば戻って来ればいいと思う。前にクローから聞いた話によると、今はマージャ村で暮らしているようだが、こうして母の縁者が現れたことで、この地で皆と一緒に暮らしたくなったのなら、そうすればいいだろう。少なくとも、その選択肢があることを知る権利が彼にはある筈だ」

 そこまで言った上で、彼は視線をヴェルディへと移す。

「すまないがヴェルディ、そのことをアクア殿の息子に伝えに行ってもらえないか? もうすぐ開催されるマージャの音楽祭にはカルディナ殿も来るようだし、顔を見せれば喜ぶだろう」
「あぁ、そういえば、そんな手紙も来てましたね」

 興味がなさそうな口調でヴェルディがそう答えたところで、ジェロームが持ってた「剣と盾が一体化したような武具」に奇妙な光が宿り、ジェロームが手を離すと、その武具の「人間体」としてのオルガノン少女・ベーナ(下図)が現れる。


「私のご主人様も、ゴルフ場建設要員は沢山欲しいらしいので、働き手となる方々が増えることは歓迎ですよ」

 ベーナの主人(ドミナス)の話を聞いたヴェルディは露骨に嫌そうな顔をしつつ、冷ややかな流し目を難民達に向けながら付言する。

「人手があればある方がいい、というのは同意です。余計な厄介事の種を持ち込まなければ、ですが」

 難民達があくまでも粛々とした態度でその視線を受け止めていると、やがてそこに一通りの巡回を終えたクローが戻って来た。ジェロームが改めて領主としての方針を皆に伝え、ヴェルディがマージャ行きを了承すると、クローはヴェルディに問いかけた。

「じゃあ、俺がアマルへの紹介状を書いておこうか?」
「お願いします。聞くところによると、わんわんランドの経営者さんでいらっしゃるとか」
「まぁ、そんなところだな」

 正確に言えば、アマルは野良犬達を拾って私費で養っているだけで、別に犬達を使って事業経営している訳ではない(実質的にマージャの観光名所と化しているのも事実ではあるが)。なお、もしアマルの「正体」をヴェルディが知った場合、おそらく大変なことになるだろうが、幸か不幸かそのことはクローも知らなかったため、少なくともこの時点においての不毛な衝突は避けられたのであった。

1.5. 前主催者の出陣

※本節の登場人物についてはブレトランドの遊興産業4を参照。

 ウリクルと同じモラード地方の西方に位置する漁村スパルタでは、蟹料理店「黄金の蟹座亭」の看板娘である地球人の少女アカリ・シラヌイ(下図)が、マージャ村の音楽祭に参加するために、隣の港町であるエストへと旅立とうとしていた。彼女は地球においてアイドル歌手として活躍していた実績があり、前回の音楽祭では主催者(審査員)として参加している(ブレトランド八犬伝6参照)。


 そんな彼女の護衛役を任せられたのは、沿岸警備隊長のボニファーツ・ヴェッセルス(下図)である。海路での渡航となる以上、何か不測の事態が起きた時を想定した場合、海戦に慣れた彼が隣にいるのが一番心強いというアカリの希望を採用した上での抜擢であった。


「じゃあ、道中の護衛、よろしくお願いね」
「あぁ、このボニファーーーーーーーーーツに任せておけ」

 相変わらず自己主張の激しいこの語り口に対して、見送りに来ていたこの村の契約魔法師フレイヤ・カーバイト(下図)は心底辟易した表情を浮かべながら忠告する。


「旅先で呑んだくれてちゃダメッスよ。あと、先生にも迷惑かけるのもダメっス」

 今回の音楽祭においては、フレイヤの師匠であるカルディナ・カーバイトが、アカリのステージの盛り上げ役として協力してくれる予定らしい。フレイヤとしては、出来れば自分がレヴィアと一緒にマージャに行ってカルディナに挨拶したかったが、君主と魔法師が同時に村を離れるのはあまり望ましくない(そしてなるべくレヴィアとは一緒にいたい)以上、渋々ボニファーツに任せることにしたのである。

「あぁ、ちゃんと蟹味噌に合うクラッカーの代わりのものを探して来るよ」
「それはいらないっス」

 フレイヤがそう即答したところで、一緒に見送りに来ていたアカリの同僚の食物オルガノン・カニミソ(下図)が、「金属製の円柱状の箱」がいくつか入った皮袋を見せながら語りかけた。


「じゃあ、お土産用に『ボクの缶詰』作ったけど、持ってく?」
「あぁ、貰っていこう」

 ボニファーツが笑顔でその皮袋を受け取る様子をフレイヤが汚物を見るような目で眺めている傍らで、この地の領主であるレヴィア・ルーフィリア(下図)もまたボニファーツに声をかける。


「くれぐれも、マージャの人々によろしく頼む」
「あぁ、このボニファーーーーーーーーーーツに任せておきたまえ」

 フレイヤは「本当にコイツで大丈夫なんスか?」と言いたそうな目でレヴィアを見ているが、レヴィアは苦笑しながら宥めるような視線を彼女に向ける。

「まぁ、お祭りの場に派遣するなら、ボニファくらい賑やかな人の方が適任だろう」

 そう言われてもまだ少し納得出来ない様子のフレイヤであったが、ボニファーツはそんな彼女の不審な視線など全く意に介することもなく、改めてアカリに声をかける。 

「アカリちゃんも、頑張ってくれよ」
「もちろん! 今回は、頼もしい助っ人もいるから」

 その「助っ人」であるカルディナがどんな形で協力するつもりなのかは、アカリ以外誰も聞かされていない。ただ、アカリはこれまでに見せたことがないほど楽しそうな表情を浮かべていた。それが「この世界に来て初めて経験する大舞台」への高揚感なのか、あるいはそれ以外にも何か特別な感慨が彼女の中にあるのか、その真相を知る者はまだこの場にはいなかった。

1.6. 孤児院の諸相

※本節の登場人物についてはブレトランド八犬伝6を参照。

 こうして各地から続々と「それぞれの催し物への参加者」がマージャ村へと集まりつつある中、先日の蝋人形騒動を解決したばかりのティリィ・アステッド(下図)は孤児院の子供達と共に、音楽祭に向けての練習に勤しんでいた。


 彼女が率いる「マージャ少年音楽隊」は前回大会の優勝者であり、今回は新たに(前回大会の直前にこの村に出現した)「異界の五匹の小動物と一人の小人の少女(下図)」を歌い手として加えた新体制で臨むことになったのである。


 小動物達はいずれも当初は「この世界の人間」そのものを怖がっていたが、孤児院の子供達との触れ合いを通じて、徐々にこの村にも馴染みつつある。もともと彼女達は異世界において「歌姫」と呼ばれていた存在であり、歌への愛情は人一倍強く、今回の音楽祭では多くの人間達の前に立つことに不安を覚えつつも、それ以上に「たくさんの人達に歌を届けたい」という気持ちが彼女達の中では高まっていた。
 だが、そんな「小さな歌姫達」が伴奏役の子供達と共に練習を重ねていた中、彼女達にとってはあまりにも衝撃的すぎる風貌の四人組が孤児院を訪れる。それは、顔面を(謎の塗料を用いて)白く塗り、目元に赤い模様を入れ、革製の上着に金属の装飾を加えた(どこか禍々しい雰囲気の)装束をまとった、四人の青年達であった。

「よ! 久しぶりだな、死神さん」

 彼等の姿を見て怯える子供達(とその後ろに隠れる小動物達)をよそに、気軽な口調で語りかけられたティリィは、その声に聞き覚えがあることに気付く。

「えーっと、あなた達は……、あ!」

 彼女はすぐに思い出した。彼等は前回大会にテイタニアのハーミアと共に出場していた地球人バンド「QUATRO ACES」の面々である。ティリィに声をかけたのは、四人のリーダー格であるベース担当のアキラであった。

「前回は完敗だったけど、今回はお互い新ボーカルを加えての再戦だな。今度は負けないぜ」
「うん。音楽祭、楽しみにしてる。でも、その化粧は一体……」
「あぁ、これはその新ボーカルにあやかったメイクだ」

 実は彼等は、当初は別の歌い手と共に今回の大会に出場する予定だったのだが、先日の蝋人形騒動でその歌い手が怖がって逃げてしまい、その件に関して責任を感じた「とある悪魔」が代役を申し出たらしい。その「悪魔」は、アキラ達の世界における伝説的なロックバンドのボーカリストだったこともあり、彼等は二つ返事でその提案を彼等は受け入れた。

「みんな、この人達は怖い人達じゃないよ」

 怯える子供達と動物達に対してティリィがそう告げると、四人の中で(異界の調味料の匂いを漂わせつつ)ドラムスティックを持った人物が、アキラに声をかける。

「あまり子供相手にムキになるのは大人気ないですぞ、アキラ殿。我等は我等で、閣下と共に最高の悪魔的楽曲を奏でれば良いだけであろう。フハハハハハハ!」

 よく分からないテンションでそう語る様子が更に子供達を怖がらせてしまう中、孤児院の奥の方から、年長者のニコラ(下図)が現れる。


「大変です! ビート君がいません!」

 ビートとは、孤児院の中では比較的新入りの年少組の男の子の名である。彼は今回の音楽祭から新たに「少年音楽隊」に加わった子供の一人なのだが、ここ最近、なぜか彼の周囲で「謎の怪奇現象」が多発しており、彼はそのことに悩んでいる様子であった。「混沌を嗅ぎ分ける能力」を持つティリィには、ビートの身体には特に異変は感じられなかったが、彼自身は「自分が悪魔か何かに取り憑かれているんじゃないか」と不安に思っていたらしい。

「分かった。すぐに探しに行く」

 ティリィはそう告げた上で、来客達に事情を告げる。

「すみません、ちょっと孤児院の子が行方不明になっちゃったので」
「そうなのか? 特徴が分かれば、俺達も探すのに協力するが」

 今の「悪魔に取り憑かれているかもしれない」と思い悩んでいるビートにとって、目の前に彼等のような存在が現れることがどんな心理的影響を与えるかは不明であるが、ともあれ早めに探し出したいところではあったので、彼女はかいつまんでビートの外見的特徴を彼等に伝える。
 そんな中、孤児院の中で最年少のグリン(下図)が、呑気な口調でティリィにこう言った。


「大丈夫だよ。多分、そのうち帰ってくるって」

 彼は孤児院の中ではビートと一番仲が良い。そして、ティリィの目には、グリンのその口ぶりはただの楽観論ではなく、何かの事情を彼が知っているようにも見えた。

「まぁ、でも探さない訳にはいかないし。ちょっと村の中を見てくるね。皆はここで待ってて」

 ひとまずティリィはそう言った上で、QUATRO ACESの面々と手分けする形で、村内を探し回ることになった。

1.7. 悪魔の処世術

 その頃、QUATRO ACESの面々に「新ボーカル」として迎え入れられた「悪魔」は、領主であるレイン・J・ウィンストン(下図)の館を訪れていた。


「クレイジーロードよ、吾輩は今回の音楽祭に、吾輩と同じ世界の若人達と共に『罪(sin)聖飢』というバンドで出演することになった。よろしく頼むぞ」
「まぁ、それは楽しみね」
「とりあえず、我輩の正体は『悪魔の姿を模倣しているだけの、ただの地球人』ということにでもしておいてくれ。その方が、色々と面倒事が起きなくて済むだろうからな」

 実際、これは彼が地球にいた頃に用いていた手法である。なお、オラニエの身体から抜け出たこともあり、「デーモン・ハイデルベルグ」と名乗る訳にもいかなくなった彼は、ひとまず「デーモン・ミュンヒハウゼン」と名乗ることにした。これは 彼が地球時代に「声」だけを用いて出演した映像作品 における彼の役名に由来する。

「分かったわ。その辺りは抜かりなくやっておくから」

 レインとしても、余計な揉め事の発生は避けたい。彼女は能天気な楽天家のように思われがちだが、さすがに「魔境一つ分の混沌核を体内に宿す悪魔」の存在が明るみに出ることは望ましくない、という程度の常識は持ち合わせていた。

「ところで、あの『堕天使の少年』は面白いな。投影体でありながら、この世界の魔法も使えるとは」

 実際のところ、稀にそのような投影体も確かに存在する。無論、だからと言って「彼」が「堕天使の投影体」であるという確かな根拠はどこにもないのだが。

「いっそ、あの少年と契約してみるのはどうだ? 奴の出自が障害になるのであれば、我輩と同じように『堕天使の真似事をしてるだけの、ただの人間』ということにでもしておけばいい」
「デーモン、あなた……」

 レインは、何かに気付いたような表情でデーモンの姿をまじまじと眺めつつ、叫んだ。

「頭いいわね!」
「吾輩も『世を偲ぶ仮の姿』で何十年も地球で過ごしてきたからな」

 そんなやりとりを交わしている中、アントリア子爵ダン・ディオードの契約魔法師であるクリスティーナ・メレテス(下図)が来訪したという知らせが届くと、デーモンはすぐにその場から退散し、レインは彼女を迎え入れる。


 立場上、レインの軍籍は今でもノルドであるが、実質的には「アントリア預かり」の立場でもある。一応、クリスとしては「客将」であるレインに一定の敬意を示しつつ、今回の国際会議においては「実質的な上司」として参加するという前提の上で、彼女に対してこう告げた。

「もうしばらくしたら、各国の方々が来訪されます。あなたには『私の補佐役』としてご同席頂くことになりますが、よろしいでしょうか?」
「えぇ。盛り上げることなら、任せて下さい!」
「いえ、それは会議が終わった後でお願いします」
「あれ?」
「会議の場では、あくまでこの地の現状を皆様にお伝えするための参考人として出席して下さい。盛り上げるのは、その後で」
「分かりました」

 こうして、レインは「世界最高峰の国際会議」の場に(「楽士」としてではなく)「君主」として出席することになったのである。

1.8. 堕天使と少年

 一方、マージャの公園付近では、ランス・リアン(下図)が道往く人々を相手に、自作の教本を片手に「布教活動」に従事していた。


「いかがですか、ヤマト教……」

 うっかり口にしてしまったその「禁句」によって、「金色の額冠」が彼の頭を締め上げ、彼は激しく悶え苦しむ。そんな光景を、村の人々はここ数日で見慣れてしまったのか、特に奇異の視線を向けることもなく、「最近の日常の一環」として生暖かく眺めながら、何事もなかったかのように彼の傍を通り過ぎていた。奇々怪界な現象が頻発するこの村においては、新興宗教を布教する少年程度では、特に驚きもしないらしい。
 そんな中、ランスは少し離れたところに、見覚えのある中年男性の姿を発見する。それは、かつて彼の故郷を訪れた吟遊詩人ハイアム・エルウッド(下図)であった。以前、エーラムでは彼の姿を模倣した偽物に遭遇してしまった彼であったが(ブレトランドと魔法都市2参照)、今回の音楽祭にはハイアムも参加するという噂はランスも聞いていたため、おそらく今回は本物であろうと推測出来る(もっとも、「エーラムで会った彼」も、ランスにとってはある意味「本物」だったのだが)。


 そして彼の傍らには、一人の見慣れない子供の姿があった。おそらく年の頃は8歳程度の、やや粗暴そうな雰囲気ながらもどこか品の良さを兼ね備えた顔立ちの男の子(下図)である。


「それは初めて聞く事例ですね。そういう話であれば、魔法師の方の方が詳しいのでは?」
「ダメだよ、もし俺が本当に悪魔に取り憑かれてたら、殺されちまうかもしれない……」

 そんな二人の会話に対して、ランスが割って入った。

「ハイアムさーん!」
「おや? あなたとは以前、どこかでお会いしたような……」
「あなたより、本物の記憶を呼び戻してもらった者です」

 ハイアムはしばらく考えて、ランスの表情からその面影を手繰り寄せようとする。

「あぁ! あの聖印教会の村にいた……、しかし、今のあなたは魔法師の姿のようですが」
「あの時の姿は仮の姿、あなたに教えてもらった通り、私は異界の……、生まれ変わりだ! この混沌は、我の、うん、そうだなぁ……、我の…………」

 なんとか「禁句」に触れずに説明しようと苦心していたランスであったが、途中で諦める。

「……魔法師になりました!」

 その最後の一言で、ハイアムは概ね事情を理解した。一方、ハイアムと話していた「少年」の方は、やや戸惑いつつも「なんかすごい人らしい」と思い込んだ上で、ランスに話しかける。

「あんた、異界から来た魔法師なのか?」
「いや、魔法師というのも仮の姿。我は天界より堕ちし者、山と海を統べる者だ」

 少年が更に困惑の表情を浮かべる中、ハイアムが口を挟む。

「よく分かりませんが、何やら特殊な力を手に入れているようですし、彼に話を聞いた方が何か分かるかもしれませんよ」
「じゃあ、その、天と山と海を統べる者さん……」

 そう言って少年が話を始めたところで、ハイアムは去って行く。ランスは「憧れの人に認められた」と勝手に勘違いした上で、上機嫌で話を続ける。

「我は、世界の全てを知っている」
「そうか、じゃあ、聞きたいんだけど……、最近、俺の周りで色々と変なコトが起きててさ。いきなり取ろうとした食器がガタガタ震え出したり、俺の周りにいる人達に向かって何かが飛んでてきて怪我することもあったりして、もしかして俺、悪魔か何かに取り憑かれているんじゃないかって……、でも、ウチの院長先生は死神だから、相談していいのかどうか分からなくて……」

 今ひとつ要領を得ない説明であったが、ランスは何かを悟ったような顔で問いかける。

「少年よ、最近、左目や手が疼くことはないか?」
「え? いや、特には……」
「本当か? 本当に、疼かないか?」

 ランスに凄んだ勢いでそう念を押された彼は、少し自分の記憶に自信がなくなり始める。

「う、うーん、言われてみれば、何か違和感を感じることも無くもないかも……」
「そうだろう! 貴様もまた、異界の者に選ばれし者!」
「え? 選ばれた!?」
「そうだ。貴様もまた我の友なり。この世界に平和と平等と幸福をもたらそうではないか!」
「え? 俺の力って、そんな特別な……」

 何が何だか分からないまま、調子に乗ったランスに巻き込まれていく少年に対して、ランスは更にこう言った。

「安心しろ。我も鋼の心を持っている!」

 何をどう安心すれば良いのかさっぱり分からないが、少なくともランス自身はこの一言によって、より強い意志の力を手にれたようである。

1.9. 新旧の門弟達

「え? フィオナ姫がマージャに!? 行かなきゃ!」
「主上、その前に溜まった仕事を片付けて下さい!」

 ******

「え? お姉様がマージャに!? 行かなきゃ!」
「すまない、馬達が逃げ出してしまった。探すのを手伝ってくれ!」

 ******

「え? マーシャル様がマージャに!?」
「いやー、先生から聞いた話によると、今回は欠席みたいよ(ほろ酔い口調)」

 ******

「では、お気をつけて、ロード・バランカ。オラニエ君にもよろしくお伝え下さい」
「リッカよ、別の地方の酒があったら、土産に持ってきてくれ」

 ******

「さぁ、見えてきたぞ、あれがマージャだ」
(本当に私で大丈夫でしょうか?)
(僕にふさわしい相手がいるといいけどね)
(不吉な匂いが漂う村だな。だが、そこがいい)
(何かあっても、私の破魔矢で一撃ですよ)
(ラブ&ピース……、太平道に通じる思想かもしれぬな)
(出雲神楽とはまた違った趣がありそうですね)
(わーっはっはははははははは! この機に購読者を増やすのだ!)
(風水的にも最高の立地みたいね、ここは)
(この世界の君主達の力量、見定めさせてもらうわ)
(楽しそうな出会いが待っている、そんな未来が私には見えます)
(海からは遠いけど、ここではどんな料理が出るのかな)
(内陸ではありますが、どこかライデンにも近い雰囲気ですね)
「では、参ろうか! 新生カーバイト一門の実力、しかと見せてやれ!」

2.1. 宿舎の「不手際」

 セシル達によって護衛されたポーラと紅の楽士がマージャ村に到着したのは、音楽祭の二日前(国際会議の前日)であった。レインの側近の一人である邪紋使いのメア(下図)が彼等を出迎える。


「皆様の宿舎の御予約は、グリースのマーシー様から承っています。こちらへどうぞ」

 メアはそう告げた上で、彼等を村内における最高級の宿へと案内した。ポーラと紅の楽士にはそれぞれ個室が、セシル、メーベル、SFCの3人には、ポーラ達の部屋の近くの大部屋が用意されているという旨を伝え聞いていたメアは、その指示通りに彼女達を各部屋へと連れて行く(セシルとメーベルを同じ部屋にすることに関しては、防犯上の都合もあり、当人達も了承済みであった)。
 だが、ポーラと楽士をそれぞれの部屋へと届けた後、残りの3人を「予約した筈の部屋」へ案内したところで、事件は起きた。その部屋の中には、既に「先客」がいたのである。

「あれ? 猫屋敷のおねーちゃん?」

 そこにいたのは、ミネルバ・トーラス(下図左)、マルグレーテ・リンドマン(下図中央)、ヒルダ・ピアロザ(下図右)の3人であった。


「え? あ、ちょ、ちょっと待って下さいね……。あれ? なんで? 確かに書類には……、すみません、こちらの手違いで、相部屋扱いになってしまっていたようです」

 メアが慌てた様子で困惑している中、ミネルバは屈託のない笑顔で告げる。

「私は誰と一緒の部屋でもいいよ」
「良くないわよ!」

 すかさずマルグレーテがそう叫ぶと、メアは慌てて別の部屋を用意するために、その場から走り去る。一方、ヒルダはセシルと目が合った瞬間、明らかに動揺した表情を浮かべた。

「セシル様、どうしてここに……」

 それに対してセシルもまた驚いて言葉を失っている中、SFCが訝しげな表情で問いかける。

「あんた、あのクソ親父のところの契約魔法師ですよね? なんであんたがここに?」
「私は先日、こちらのマルグレーテ様の契約魔法師となりまして……、その、セシル様には、お父上のことに関して、何と申し開きすれば良いか……」

 微妙な空気が広がる中、セシルがどう反応すれば良いか分からずにいると、何の事情も知らないミネルバが同世代と思しきセシルに声をかける。

「私はクワイエットの領主の娘、ミネルバ・トーラスよ」
「そうか、クワエットか……。僕はマーチ村の領主のセシル・チェンバレン。こちらは僕の契約魔法師の……」
「メーベル・リアンです」

 そう言ってメーベルは深々と頭を下げる。この時点で、メーベルはおおよその事情を察していた。彼女はセシルの契約魔法師となった直後の時点で、村の執政官達から「セシルとミネルバの間での縁談交渉」が両国首脳間で密かに進みつつあるという噂を聞かされていたのである。おそらく、これは二人の間で偶然を装った「出会いの場」を提供しようとする計略なのだろう(それが誰の思惑によるものなのかは不明だが)。

「そして彼女が……」
「私は『セシル様のおもちゃ』です」
「親衛隊長のSFCさんです」

 メーベルがすかさず「誤解を招きそうな言い方」を訂正する。この「明らかに異形な姿の女性」に対してミネルバは好奇の視線を向けるが、マルグレーテはそれ以上に「メーベルの家名」が気になっていた。

「あれ? あんた、もしかして、あの『山と海のなんとか』の知り合い? 確か、案内状の登録名ではランス・リアンとか書いてあったような……」
「え? 彼、この村にいるんですか?」
「いるわよ。就職活動で来てるって」
「やっぱり、ローラちゃんから聞いてたけど、まだ就職してなかったのね……」
「結局、彼の話を聞いてもよく分からなかったんだけど、あの子は何なの? 存在がヤバい奴なの? 頭がヤバい奴なの?」
「後者です。あの子の妄言というか設定は、あの子が一生懸命考えたものなので、暖かく見守ってもらえばいいというか、放っておいて下さい」

 その説明を聞いて、マルグレーテは自身の解釈が正しかったことを確認出来て安心したような表情を浮かべる。

「……あぁ、やっぱり、契約しなくて正解だったわ」
「姉弟子のような立場の身としては、出来れば、とっとと就職してほしいんですけどね」

 しみじみとそう語るメーベルに対して、マルグレーテはミネルバを視線で指し示しながら、微妙な表情で話を続ける。

「いや、あのね、私は今、『この子』のお父さんのところで世話になってて、この子が、あの『山と海となんとかの子』をちょっと気に入ってるみたいで……」
「あら」
「でも、やっぱり、やめといた方がいいわよね」

 そう呟くマルグレーテであったが、もしランスがクワイエットに就職すれば、街道沿いに並ぶ「クワイエット、トーキー、マーチ、ケイ」にリアン一門が揃うことになる。そうなれば、今後の諸々の外交折衝がやり易くなりそうに思えたメーベルは、ミネルバに対して後輩の売り込みを始めた。

「あの、ミネルバ様、ランス君は確かにちょっとおかしな子ですけど、とても楽しい子なので、契約すれば愉快な毎日が送れるんじゃないかと思いますよ」

 それが先輩として提示出来る精一杯の褒め言葉だったのだが、マルグレーテがすかさず横槍を入れる。

「最前線の街に、愉快な毎日はいらないかな」

 正論である。そもそも、質実剛健なミネルバの父ファルコンがランスを受け入れるかと考えると、かなり厳しいであろう。それでも、メーベルはなんとか彼の株を上げようと、梟姫を相手に話を続ける。

「でも、彼、ああ見えて戦力としては結構……」
「それは分かってる。戦力としては優秀なことは分かってる」
「そう、優秀なんですよ、あの歳であそこまで召喚魔法を習得してる訳ですし」

 ここで、マルグレーテは少し考えた上で、ある提案を思いついた。

「召喚魔法新の呼び出す『従属体』ってさ……」
「はい」
「従属体だけ雇う、ってことは出来ないのかな?」

 彼女としては、純粋に「長城線を壊すための戦力」として、ランスの呼び出したトロールだけが欲しいらしい。

(ランス君の立つ瀬ないなぁ……)

 メーベルはそう思いつつ、ひとまずその辺りも含めて、一度ランスに長城線に来てもらうよう相談することを提案しようとするが、そんな中、隣で(いつの間にか打ち解けて)話をしていたミネルバとセシルの会話がメーベルの耳に入ってくる。

「この村には、犬屋敷と猫屋敷があってね。さっき猫屋敷の方には行ったから、今度は犬屋敷に行こうと思ってるんだ」
「じゃあ、一緒に行こうか?」

 動物好きのメーベルの耳は、そのやりとりにピクピクと反応する。一応、村に着いた時点でポーラ達の護送の任務は一旦完了しているため、ここから先は彼等にしてみれば自由時間であり、音楽祭が終了するまでの間については特に何の予定もない。ポーラも紅の楽士も「現地では好きに行動させてほしい」と言っており、特に護衛は要請していなかったため、彼等はメアが「代わりの部屋」を用意するまでの間の時間潰しとして、ミネルバ達と共に「犬屋敷」へと向かうことになった。
 ただ、ヒルダだけは、セシルと一緒にいることが辛く感じられたので、留守番役という名目で、宿屋に残った。彼女の中では、一度気持ちに整理をつけたつもりではあったが、セシルに対してどんな顔で接すれば良いのか、まだ分からなかったのである。

2.2. もう一人の「妹」

 一方、同じグリース組のヒュースも、ほぼ時を同じくして空路でマージャへと到着する。ワイバーンの鞍上から村の様子を眺めつつ、第一回の音楽祭の時に比べて明らかに街並みが発展していることを実感しながら、着陸地点を探していたところで、彼は「奇妙な人物」を発見する。
 それは「白を基調とした露出の多い服」をまとったシルーカ(下図)であった。先日ラキシスで会った時、自分が現地に行けないからという理由で贈り物をヒュースに託した(その時点では通常のエーラム制服を着ていた)彼女がこの場にいることを不審に思ったヒュースは、再び菖蒲の錬成魔法を用いて彼女の周囲の混沌の気配を確認する。


 すると、「彼女自身」から明確な混沌核の反応が感知された。彼女は明らかに投影体である。しかも、かなり強力な混沌核を宿している。
 ヒュースはワイバーンに命じてシルーカの前に回り込むように着陸し、彼女に対して厳しい口調で問いかけた。

「そこのあんた、何者だ? ウチの妹弟子の姿をして……」

 これに対して「露出の多い服を着たシルーカ」は、きょとんとした顔で首をかしげる。

「妹? お養父様の内弟子は私とアイシェラしかいない筈……、え? もしかして、『ここ』では違うの?」

 その不可解な言動に対して、ヒュースは一瞬困惑しつつも、召喚魔法師である彼はすぐに一つの可能性に行き着いた。この世界に出現する投影体の一例として、極めて稀な事象ではあるが、「この世界とよく似た(途中で分岐した?)並行世界」の住人が出現することもあるらしい、という話を彼は聞いたことがある。だが、ヒュースが更に問い詰めようとしたところで、その「シルーカ」は背を向けて走り去ろうとする。

「あ、ちょっとごめんなさい! 私、急いでるから!」
「ちょっと待っ……」

 ヒュースが止めようとしたところで、彼女は大声で叫んだ。

「きゃあぁぁぁぁ! ワイバーンが襲ってくるー!」

 いくら投影体に寛容なマージャとはいえ、ワイバーンの姿はさすがに目立つ。そして、現在のシルーカは魔法師制服ではなく、ただの「肌の露出の多い服」を着ていることもあり、傍目には魔法師には見えない。よって今のこの状況は「エーラムの魔法師がワイバーンと共に少女を襲おうとしている絵面」に見える。必然的に村人達はヒュースに警戒した視線を向けた。

「ち、違う、そこの、その『妹の姿をした投影体』が……」
「いやあぁぁぁぁぁ! あの人、初対面の私のこと、いきなり『妹』とか呼んでくるー!」

 村人達の視線は更に冷たくなる。

「い、いや、違うから、そうじゃないから……」

 ヒュースが狼狽している中、彼女はそのまま走って彼の視界から消えてしまう。そんな彼女と入れ替わるようなタイミングで、「ワイバーンが現れた」という話を聞きつけたクリスティーナ・メレテスが駆け込んで来た。

「あ、ヒュース、来てくれたのね! どうしたの? 何か騒ぎがあったみたいだけど」
「……多分、『並行世界のシルーカ』が投影された」

 ヒュースは、今目の前で起きていた状況をそのまま正確に姉弟子に伝えた。日頃は冷静なクリスティーナも、さすがに困惑した顔を浮かべる。

「本当にそんなことってありえるのかしら……」

 一応、そういった「並行世界」の存在に関する学説はクリスティーナも聞いたことはある。ただし、実例に遭遇したことはないため、やや半信半疑の様子であった。

「何しに来たのかは分からないけど、もしかして師匠を探してこの地に……?」

 彼女がもし「偶然この世界に迷い込んだ並行世界の住人」であれば、「この世界のアウベスト」に対してどのような感情を抱いているのかは分からない。ただ、先刻の彼女の口振りから察するに、彼女は自分が「異世界の投影体」であることを自覚はしているように見える。その上で、あえてヒュースの問いに答えずに逃げ出したところを見ると、ただの表敬訪問でこの地を訪れたとは考えにくい。明らかに何か裏があるように思える。
 一応、ヒュースは改めてこの村全体の中に潜む混沌の気配を探ろうとするが、今回の音楽祭に際して様々な人々がこの地を訪れていることもあり、あまりにも多様な気配が混在しすぎていて、判別がつかない(なお、今この時点で最も手近に感じられる「強い混沌の気配」は、彼自身が召喚したワイバーンである)。

「とりあえず、そういうことなら、警戒はしておいて。今のあなたがその菖蒲の魔法を使いこなせるなら、本人を目の前にした時点で識別は可能でしょうしね。ところで、お養父様はもうすぐこの村に到着予定なんだけど……」

 クリスティーナはヒュースに対してそう告げつつ、この日の夜に開催予定の「秘密の誕生日会」について軽く打ち合わせをした上で、マリーネおよびアウベストの出迎えへと向かった。

2.3. 犬と少女

 その頃、ウリクル村から派遣されたヴェルディは、「犬屋敷(もしくは託犬所)」の異名を持つ、この村の駐在武官である邪紋使いのアマル(下図)の私宅を訪ねていた。


「おや、お嬢ちゃん。この村の子じゃないようだが、音楽祭の出場者かい? 見学者かい?」
「ウリクル村の契約魔法師のヴェルディと申します」

 彼女はそう言って「招待状」をアマルに差し出す。

「ほうほう、なるほど。そういえばクローが言ってたな、今はチビッ子魔法師と一緒に働いてるとかなんとか」

 アマルはそう呟きつつ、その書状の署名が確かにクローの筆跡であることを確認した上で、ヴェルディにビートの近況を伝える。彼が最近「自分の周囲で起きている怪奇現象」に悩んでいるという話を聞いたヴェルディは、珍しく本気で関心を示す。

「ほう、それは興味深いですね」
「じゃあ、今からその孤児院に案内しよう」

 アマルはそう言って、ティリィが経営する孤児院へとヴェルディを連れて行くと、そこで二人はちょうど村の中を一回りして戻って来たティリィと遭遇した。

「おや、孤児院に何かご用でしょうか?」
「あなたは?」
「この孤児院の院長を務めております、ティリィと申します」

 自分とさほど大差ない年頃の彼女を見て、ヴェルディは「院長には見えないなぁ」と思いつつも、自分も人のことは言えない立場であることを自覚している以上、その感想は口には出さずに、いきなり本題の話を切り出す。

「おや、それはそれは。よろしければ、今、ビート君という子を探しているのですが、どこにいるかご存知ですか?」
「私も今、その子を探しているんです」
「ということは、ここにはいないのかな?」
「どこかに勝手に遊びに行っちゃったのかなぁ……」

 二人の少女がそんな会話を交わしている中、ヴェルディの視界に一匹の「東方系の犬」の姿が映る。

「おや、アマルさん、はぐれ犬ですよ」

 そう言われたアマルは視線をその犬に向けるが、凝視した上で首を傾げた。

「うーん、ウチの子じゃないんだが……、誰かが友達を連れて来たのかな?」

 そんな彼等の反応を気にせず、その「犬」はティリィに向かって近寄り、そして語りかけた。

「お久しぶりッス、ティリィさん!」
「うわっ! 喋った!」

 ヴェルディが驚いてそう叫ぶ一方で、ティリィは冷静に自分の中の記憶を辿る。

「この声は……、プロキオンさんでしょうか?」
「ですです! プロキオンッス! お久しぶりッス!」
「お久しぶりです。なんで『その姿』に?」
「実は、今回はイリアさんという人の護衛で来たんスけど……」

 プロキオンは一通りの事情をティリィに説明する。彼は先刻、この村に無事にイリアを送り届けた後、ティリィに挨拶するために孤児院を訪れたのである。犬の姿のままだったことに関しては、特に深い意味はない。ただ単に、何日も犬の姿のままでいたため、イリアから離れた今の時点においても、元に戻るのを忘れていただけである。

「ということは、邪紋使いですか?」

 ヴェルディがそう問いかけると、プロキオンは犬状態のまま頷く。

「そうッス。ところで『そちらの方』も自分とよく似た匂いがするんっすけど……」
「あんたも、俺と同じ獣人のようだな」

 アマルがそう答えると、再びプロキオンは頷いた。

「見ての通り、犬ッス」
「そうだよな。やっぱり、犬の方がいいよな」
「特に犬派とか猫派とかはないっすけど、動物は大体好きッス」

 同類相手に意気投合している二人を見ながら、ティリィは微笑ましい表情で付言する。

「アマルさんは犬が大好きで、アマルさんのお家にわんこがいっぱいいるんですよ」
「おぉ、それは行ってみたいッスね」
「まぁ、俺も犬好きが高じてこの力を手に入れたようなものだしな」

 ここでアマルがもう少し「余計なこと」を口にすると、ヴェルディの逆鱗に触れるところだったのだが、さすがにこの発言だけではヴェルディは特に何も気付かない。彼女は「獣人も龍の模倣者と同じように脳が筋肉で出来てるのかな」「犬も猫も畜生じゃないですか」などと内心で思いつつ、冷ややかな目でその様子を眺めていた。

「あ、そうだ。ビートを探さなきゃ!」

 ティリィがそう言ったところで、ヴェルディは改めて彼女に語りかける。

「よろしければ御同行しても? あ、申し遅れました、僕はウリクル村の契約魔法師のヴェルディと申します。このなりですが、契約魔法師ですよ。以後お見知り置きを」
「ウリクルですか。それは遠いところから……。音楽祭に来たのでしょうか?」
「まぁ、半分は」

 残り半分の理由については、本人以外にはあまり気楽に話して良いことでもないのでひとまず濁しつつ、彼女はティリィと、そして(なりゆきで)プロキオンも同行する形で、ビートを探しに行くことになった。

2.4. 幼子との再会

 それから少し遅れて、アカリとボニファーツもまた無事にマージャに到着する。村内は音楽祭の開催に向けて、すっかり活気付いていた。

「ィヤッホォォォォォ!」

 テンションが上がったボニファーツは、特に意味もなくそう叫ぶ。その隣でアカリは地図を確認していた。

「領主様が用意してくれた宿舎はこっちみたいね」

 彼女がそう言って歩き出そうとしたところで、後方から幼児の声が聞こえてくる。

「あ、カブトムシのおじちゃんだ!」
「ほう、このボニファーーーーーーーツを知ってるとは」

 ボニファーツが振り返った先にいたのは、孤児院の中でも最年少の少年グリンであった。そして、実はこの二人には面識がある。

「おや、君はあの時、変な奴らに捕まっていた子か?」
「うーん、捕まってたのかどうかはよく分からなかったんだけど……」

 彼はかつて、マージャ少年音楽隊がスパルタを訪れた際、怪しげな男に「カニを食べさせてあげる」と言われて連れて行かれたところをボニファーツに助けられ、そのまま夜の街に放置されていた、あの子供であった(ブレトランドの遊興産業4参照)。

「そうか、君達はここの村の者だったか」
「うん、そうだよー」

 一応、あの時も「マージャ少年音楽隊」の一人として来ていたという説明は受けていた筈だが、この「カブトムシのおじちゃん」は、そんなことを一々覚えているような性分でもない。

「あぁ、そうかそうか。こないだ来てくれた時の、一番小さな子ね」

 その話を聞いて、アカリも思い出す。彼女の中でグリンの記憶が薄かったのは、彼は孤児院の子供ではあるものの、厳密に言えば第二回音楽祭の時の演奏者ではなかったからである。孤児院の中でも、年少組の何人かは、まだ楽器を扱える自信がなかったので、「少年音楽隊」には加わっていなかった。しかし、ティリィが皆を引率してスパルタへと行く以上、その子達だけを外すのも忍びなかったので、アカリは孤児院全員分の無料招待券を贈呈していたのである。

「で、おじちゃんは何しに来たの?」
「今回はアカリちゃんがこの音楽祭に出ることになってな。それで私もお酒……、じゃなかった、護衛についてきたんだ」
「そっかぁ」
「あ、そうそう、これはお土産だ」

 そう言って、彼は蟹味噌の缶詰の一つをグリンに渡す。

「確か君も、蟹味噌の店で沢山食べてたよな」

 「黄金の蟹座亭」は決して「蟹味噌の店」ではない。そして、グリンが食べていたのはあくまで「身」であって、「蟹味噌」ではない。

「これが、みんなが『変な味』がするって言ってたやつ?」
「『大人の味』なんだよ。ところで、君はこんなところで何をしてるんだい?」
「友達がね、ちょっと『物知りそうな人』を探して相談してくる、って言って出て行ったんだけど、なかなか帰ってこなくて、そろそろ皆が本気で心配し始めたから、探しに来たんだ」
「そうか。それは心配だな」

 なりゆきでグリンを助けながらも危険地帯に放置したボニファーツが言ってもあまり説得力のない話ではあるが、実際のところ、彼は詰めが甘いだけで、人並み程度には「無力な子供達を思いやる気持ち」を持ち合わせている。そして当然、アカリも心配そうな顔を浮かべていた。

「その子も、前にウチに来てた子?」

 アカリも、顔が分かるなら捜索に協力したいと考えていたのだが、グリンは首を横に振る。

「あの時は『俺は音楽祭には参加してなかったから』って言って、ついて来なかったんだ。まぁ、それを言ったら僕も参加してなかったんだけどね。でも、それでも皆がついて来ていいって言ったら、普通はついて行くよね?」
「まぁ、美味い酒が飲めるとあればな」

 なお、マージャの孤児院は院長すら(この世界の倫理的にはギリギリだが)未成年である。ちなみに、グリンはその時に「来れなかった友達の分のお土産」を黄金の蟹座亭の店主にねだり、加工した蟹(not 蟹味噌)の缶詰を受け取っていたのであるが、実際にそれがビートの手に届くまでの間に中身が幾分減っていたことを知る者はいない。
 ともあれ、アカリもボニファーツも特に急いで宿屋に向かわねばならない理由もなかったので、グリンと一緒にその「行方不明の少年」の捜索に協力することにしたのであった。

2.5. 歌劇団と差し入れ

 この間、領主であるレインのところには、次々と「翌日の同盟会議」および「翌々日の音楽祭」の参加者が来訪していた。その中でも特に異彩を放っていたのは、大陸南西部に位置する島国エストレーラから訪れた「アラン・デュラン歌劇団」の面々である。これまでもブレトランド外からの参加者は何組がいたが、ここまで遠方(しかも連合側)からの参加者は初めてである。
 歌劇団を代表してレインに謁見したのは、派手な装束に身をまとった若い団長(下図)と、どこか人間離れした雰囲気の「美女」と、そして「野獣の被り物」を頭部に装着した貴族服の人物(身長的におそらく男性)であった。


「はじめまして。レインです」
「アラン・デュランと申します、はじめまして。この度は、幻想詩連合の一員である我々の参加を受け入れて下さり、ありがとうございます。このような形で、連合と同盟の垣根を超えて音楽の祭典が開かれること、我々も嬉しく思います」

 彼の本業はエストレーラの地方領主ゼノット・スクア(現在は隠居中)の契約魔法師であり、この劇団は彼がエストレーラ近辺の演劇愛好家達を集めて「趣味」で運営している集団である(彼についてはグランクレスト 鴎の旗の物語の第二話の更新に期待)。
 もともと連合の盟主国ハルーシアとも繋がりが深いエストレーラでは、貴族達を中心に高度な芸術文化が発達していた。そんな彼等の間では「ノルド」と言えば「芸術を理解出来ない北の蛮族」という評判が定着していただけに、そのノルド人のレインが、つい半年ほど前まで反享楽主義的な国是で知られていたアントリアで「音楽祭」を開いているという話は衝撃を与えた。それでも、これまでは誰もそのような「遠く離れた危険な蛮族の地」にわざわざ足を踏み入れようとは思わなかったのであるが、そんな中で最初の一歩を踏み出したこのアラン・デュラン歌劇団の参戦は、今後の音楽祭の未来を占う上での一つの試金石になるかもしれない。

「噂はかねがね聞いています。行く先々で劇場を建てて公演しているそうですね」

 アランの専門は浅葱の召喚魔法師であり、彼は休暇を得る度に「劇場と呼べるような建物を持たないような辺境の地」へと赴き、自ら「劇場」をその場に「召喚」して公演を開くという荒技で、より多くの人々の演劇の素晴らしさを理解してもらうことを生き甲斐としていた。

「えぇ。我々は歌劇を主体に活動していますが、今回はそんな我々の数々の歌劇の中でも一番の人気曲である『美女と野獣のテーマ』を披露させて頂こうかと」

 その「主役」となるのが、アランの背後に控えている二人である。アラン自身もそれなりの歌唱力の持ち主ではあるが、今回は裏方に徹するつもりらしい。ちなみに、レインは気付かなかったようだが、実はアランの背後にいる美女の正体は、彼が呼び出した妖精界の住人であるリャナンシーである(一方、「野獣」の方は被り物をしているだけで、中身は人間である)。

「一度聞いてみたかったんですよ。音楽祭ではよろしくお願いします」
「えぇ、よろしくお願いします」

 アランはそう言って、二人を連れてレインの元から去って行く。そんな彼等に続いて入ってきたのは、巨大な酒樽を担いだ異界の女剣士と、その雇い主の女君主であった。

「エルマ・ウィスキーをお届けに参りました!」

 そう叫んだ女剣士の名はリッカ・シラガミ(下図左)。その背後にいる女君主の名はベアトリス・バランカ(下図右)。二人はモラード地方の酒の名産地エルマ村の領主と酒蔵の番人である(この二人に関してはブレトランドの遊興産業5を参照)。リッカは以前にもこの地にエルマ・ウイスキーを届けに来たことがあり、それが村人達にも好評であったため、レインが今回世界各地から集まる人々への饗応のために、再びこうして発注することにしたのであった。


「レイン殿、お久しぶりです」
「お久しぶりです。今回も楽しく飲もうね!」

 なお、レインは別にそれほど酒飲みという訳でもなく、あくまでも普通に嗜む程度である。そして、少し遅れて彼女達の後方から、呼ばれてもいないのに顔を出す一人の「カブトムシの兜を被った男性」が現れる。

「こちらにウィスキーらしきものを運んだ台車がこなかったか?」

 ボニファーツである。彼は謎の直感力で酒の気配を感じ取り、アカリとグリンには「この建物の中に少年がいるような気がする」と告げた上で一旦別れて、勝手に領主の館に入り込んだのである。

「ちゃんと祭の時には出す予定よ」

 この「明らかな不審者」に対してレインが平然とそう答えると、その不審者は手持ちの革袋から「菅味噌の缶詰」を取り出す。

「そうか。私も酒に合うツマミを持って来たので、これをぜひ提供したくてな」

 ボニファーツがそう言いながら缶詰の一つをレインの前に差し出すと、彼女は興味深そうな顔を浮かべつつ受け取る。

「初めて見るわね」
「ウチの村では大人気なんだよ」

 あくまでも「村民の一部では」という程度の話である。そして、改めて缶詰をまじまじと見つめたレインは、その正体に気付いた。

「あ、これってアカリちゃんが言ってた……、ということは、あなた、ボニファーツさんね!」
「そう、我が名は、ボニファーーーーーーーツ! 祭りの本番までには美味しい酒を用意しておかなければな」
「今日はきっとこの村に各地からいろいろなお酒が届くから」
「あと、蟹味噌に合うクラッカーの代わりとなるものも探さなければ」

 二人がそんな会話で盛り上がってるところで、リッカも「見つかるといいですね」と告げる。同じモラード地方の住人ということもあり、リッカは以前からボニファーツとはそれなりに顔馴染であった。
 一方、突然の乱入者によって挨拶のタイミングを逃したベアトリスは、呆気にとられていた。彼女は生粋のモラード人ではない上に、あまり村の外に出る機会もないため、周辺の村々の事情についてもよく知らず、ボニファーツのこの「奇妙なテンション」にも免疫がなかった。そんな彼女に対して、レインの方から声をかける。

「ベアトリスさん、よろしく! クリスティーナさんとか色々いるから、皆さんに挨拶するのは大変だろうけど、色々終わったら、 楽しく飲みましょ。あなたもお酒は飲めるのよね?」
「もちろん。酒の村の領主として、飲めない訳がなかろう」

 ちなみに、ベアトリスの親族であるリリア、ミリア、マリアの三姉妹はレインにとっては「お友達」であり(そして、その中の一人は今もこの村にいる)、だからこそ、レインの中ではベアトリスは最初から「この子も私のお友達」という認識だったのだが、そのことをベアトリスが知るのは、もう少し先の話である。

2.6. 「力」の正体

 その頃、「肌の露出の多い服を着たシルーカ」を探していたヒュースは、村の公園の一角で「召喚魔法科の後輩」が「自分は悪魔に取り憑かれているかもしれないと悩んでいる少年」を相手に「この世界の真理」について講釈を垂れているのを発見する。

「あ、あれはランス・リアン……?」

 微かに残っている後輩の記憶と今の彼の姿を照合させようとしているところで、ランスの方もヒュースの存在に気付く。

「ヒュースさん! ご無沙汰してます!」

 先刻まで、子供を相手に大上段に構えていたのが、途端に腰が低くなる。なんだかんだで、彼は「実力のある先輩」に対しては媚を売りたがるタチらしい。

「君は確か召喚魔法科の……」

 どうやら記憶違いではなかったらしい。そして「悩める少年」は、そんな二人の関係を見て困惑する。

「師匠がここまでへりくだるということは、まさかあなたは……、大魔王様!?」

 堕天使の上司が大魔王、という認識が正しいのかどうかは分からないが、この少年の様子から、ヒュースは嫌な予感を感じ取る。

「ランス、お前、何をした?」

 不審な視線を向けられた後輩であったが、気にせずそのまま「先輩の偉大さ」を少年に語る。

「彼はこの世だけでなく、異界の全てを統べる者である」

 さすがにヒュースといえども、異界の全ては知らない。知ってる異界だけである。

「お前だって、大概に実力だけはあるだろう」
「そんなことはないですよぉ」

 まんざらでもない口調で謙遜する後輩をよそに、ヒュースは少年に真剣な表情で語りかける。

「君、こいつの言うことは、あまりに間に受けてはいけないから」
「え? それはどういうことですか?」
「そもそも、何を聞かされた?」
「天空から舞い降りた、山と海を統べる方だと……」

 ヒュースが再び訝しげな視線をランスに向けるが、彼は「いかにもである」と相槌を打ちつつ、したり顔で踏ん反り返る。そんな彼とは対照的に、少年は不安そうな表情で話を続けた。

「で、最近、俺の体にも色々おかしなことが起きてるらしくて、俺の中で異界の何かが目覚めようとしているらしくて……」

 ヒュースのランスへの視線はより一層厳しくなる。

「ヒュースさん、どうしたんですか? 間違ってはおりません」

 ここで、この「話が通じない後輩」をたしなめても無益だと考えたヒュースは、改めて少年に問いかける。

「どういうことなのか、僕にも聞かせてもらえないかな」

 そう言われた少年は、先刻のランスに語った時と同じような形で「最近の身の回りで起きてる怪奇現象」について語り始める。
 一方、少し離れたところから、そんな彼等の様子を発見した者達がいた。「犬屋敷」へと向かおうとしていたセシル、ミネルバ、メーベル、SFC、マルグレーテの五人である。

「セシル様、ちょっといいですか? 向こうにランス君が見えたので、姉弟子として挨拶を……」

 メーベルがそう言って、少し小走りでランスの元へと走り寄ろうとする。その姿に最初に気付いたのは、ヒュースであった。

「あ、メーベルさん。ちょうど良かった」
「あら、ヒュース様、どうも」

 年齢的にはメーベルの方が一歳年上だが、現在のグリース内の序列としてはヒュースの方が格上である。ヒュースがマージャに来るとは聞かされていなかったメーベルは少し驚くが、少年の話を聞くのに集中したかったヒュースは、ランスを指し示しつつ、彼女にこう告げる。

「こいつの相手をお願いします」

 メーベルとしてもそのつもりだったので、彼女は頷きつつランスに声をかけようとするが、その前にランスの方から問いかけてきた。

「こんなところで、どうしたのだ?」
「あなたこそ、こんなところで何をしてるの?」
「実は『この者』は我と同じで……」

 少年を指しつつ「ここまでの話」を説明しようとしたランスであったが、それを遮るようにメーベルが問いかける。

「就職出来なかったの?」
「……我の器ではなかった。ただ、それだけのことだ」

 やや上ずった声で答えるランスに対して、メーベルは納得しながら頷く。

「あなたを認めてくれる領主様がいなかったのね。まぁ、そりゃそうだけど」
「我に釣り合うものなど、この世界にそう何人もおらんからな」
「ところで、その頭の輪っかは、お師匠様が言ってたキンコジってやつ?」
「分からぬが、師匠から貰った新たなアイテムだ。よく分からぬが、『我の好きな言葉』が言えなくなった」
「まぁ、さすがお師匠様!」

 ちなみに、メーベルはアルジェントのことは「伯父様」と呼ぶが、メルキューレのことは「お義父様(お養父様)」ではなく、「お師匠様」と呼ぶ。さすがに3歳しか違わない彼のことを「父」と呼ぶことに抵抗があるのか、あるいはメーベルの中で彼のことを「父」とは呼びたくない事情があるのかどうかは定かではない。

「あら、ランス君、その隣の子は誰?」
「うむ。この子は我と同じ『新たな力』に目覚めようとしている子だ」
「そう……」

 彼女は何かを悟ったような顔を浮かべながら、火炎瓶を取り出そうとする。

「どうした?」

 姉弟子(に近い存在)の不穏な空気にランスが違和感を覚えたところで、メーベルの後を追いかけて来たミネルバが声を上げる。

「あ、堕天使のおにーちゃんだ!」

 彼女の中では、スュクルと共にランスの話を聞いていた時に彼が決死の想いで口にした「堕天使」という言葉が、なぜか鮮明に記憶に残っていたらしい。
 そして、その声はヒュースに事情を説明していた少年の耳にも届く。

「堕天使? そうか、この人は堕天使だったのか……。ということは、俺のこの力も……」

 少年が独り言のように小声でブツブツとそう呟いているのを横目に、メーベルはランスに対して、引きつった笑顔で問いかける。

「ランス君、あの、もしかして、また『布教』してたの?」
「当たり前ではないか。布教は我の……」
「そうか、『布教』は禁句の中に含まれてないのね……。お師匠様に連絡して追加してもらおうかしら……」
「我は、そういうことは、いけないと思うぞ」
「いや、でも、小さい子を狙って広めるのはよくないと思うわ」
「誤解だ。我が広めている訳ではない」
「あなた前もセシル様に……」
「我は事実を言っているだけ」
「本当にいい加減にしなさいよ」
「いや、すみません」

 そんな二人の様子を、梟姫は冷たい視線で眺めていた。

(少なくとも、教育係として雇っていい子じゃなさそうね……)

 彼女が改めてそう実感している一方で、この「少年」の呟きを耳にしたミネルバが、今度は彼に問いかける。

「あなたも堕天使なの?」
「いや、俺はまだ、堕天使になれているのかどうか分からなくて……」
「でも、なりかけてるのよね? すごいわ。どうしたら完全な堕天使になれるの?」
「俺もそこはよく分からないんだけど……」

 ここまで少年の話を聞いていたヒュースにも、彼の周囲で起きているという怪奇現象の正体はよく分からない。ただ、ヒュースが魔法で調べた限り、この少年の身体からは特に混沌の気配は感じられない以上、何かに取り憑かれている訳でもなければ、彼自身が投影体の類いであるという訳でもなさそうである(言うまでもないが、ランスの身体からも混沌の気配などは感じられない)。
 そして、何やら「奇妙な集団」が形成されつつあるこの場に、また別の一行が現れた。ヴェルディ、ティリィ、秋田犬(プロキオン)の三人(二人と一匹)である。

「何やら騒がしいですね」

 ヴェルディがそう呟きながら「奇妙な集団」に視線を向けると、ティリィもまたその集団の中心にいる少年の姿を発見して、思わず声を上げる。

「あ、ビート、いた!」

 そう言って駆け出すティリィを追いかけつつ、ヴェルディも呟く。

「彼がビート君ですか」

 ヴェルディは先代領主夫婦とは面識がない。ただ、ビートの顔立ちは(先刻見かけた)他の孤児院の子供達に比べて、どこか気品を感じさせる、整った顔立ちのようにも見えた。あれが没落貴族の子供だと言われれば、素直に納得出来そうな風貌ではある。

「ビート、探したんだからね」
「あ! ティ、ティリィさん……。あの、俺、やっぱり……、孤児院にはいない方がいいみたいで……」

 悩ましげな表情でそう語る少年(ビート)に対して、いち早く彼のは背後に回り込んでいた秋田犬が、ポンとその方に手(肉球)を置く。

「何があったんスか? 自分で良ければ話を聞きますよ」

 見覚えのない犬が突然喋り出したことにビートは少しだけ驚くが、最近は「喋るネズミ」や「喋るリス」と一緒に暮らしていたこともあり、彼の中ではそこまでの違和感はない。一方、それまでランスに対して厳しい表情で説教していたメーベルは、その「喋る秋田犬」を目にして、目を輝かせる(しかし、今はひとまず黙って眺めるに留めていた)。
 そしてこの時、一つの「異変」が発生した。道端に転がっていたいくつかの小石が、突如として一斉に秋田犬に向かって飛びかかってきたのである。秋田犬は華麗に飛び上がってあっさりとかわすが、その小石の動きが「何か特殊な力」によって引き起こされた作用であることは明白であった。

「また、我の力が発動してしまったようだな……」

 いつもの如くランスは一人で勝手にそう解釈して悦に浸っているが、この場にいる中で一人だけ、その「小石の動き」の正体に気付いた者がいた。ヴェルディである。

(今の動きは、静動魔法?)

 亜流(山吹)とはいえ、彼女は静動魔法の専門家である。この場に自分以外に静動魔法師がいる可能性もあるが、誰かが魔法を使ったような様子は見受けられない。そして大気中の混沌の揺らぎから察するに、おそらく出所はこの少年のように思える。

(無意識のうちに、彼が魔法を使った?)

 そのような現象は、魔法師に目覚め始めた子供の初期症状として、ごく一般的な話らしい。ヴェルディは物心つく前に力に目覚め、その後は「特殊な環境」で育ったため、原初の目覚めの記憶は殆ど残っていないが、エーラム時代に他の静動魔法科の面々が話していた「魔力に目覚めた時の思い出話」の状況に酷似している。

「ほう、ほう、なるほど、なるほど」

 一人でそう呟くヴェルディに対して、 ティリィが問いかけた。

「どうかしましたか? ヴェルディさん。何か気付いたことでも?」
「どうも、私と同類のようです」

 納得した表情を浮かべながらそう答えたヴェルディに対して、今度はヒュースが問いかける。

「失礼、あなたは?」
「そういえば、ここではまだ自己紹介していなかった。ウリクル村の契約魔法師のヴェルディ・カーバイトですよ」
「あぁ、あのカーバイト一門の……」

 ヒュースもまた「カーバイト一門」に関しては「いわくつきの変人集団」として色々な噂を聞いてる。とても契約魔法師とは思えない外見のヴェルディだが、「カーバイト」の一人と聞けばそれも納得出来る。

「……ということは、エステルちゃんの妹さんね。はじめまして。メーベル・リアンです」
「おや、お姉様のお知り合いですか」

 カーバイト一門の長女(第二子?)に相当するエステル・カーバイトは、メーベルにとっては、(系譜は違うが)同い歳の錬成魔法師であり、面識もある。エステルは姉妹達の中でも比較的良識派として知られており、メーベルの中でも印象は悪くない。

「僕はグリースの魔法師のヒュース・メレテスです」
「これは、思わぬ大物と会えたものですね」

 一年前までは魔法大学の学生にすぎなかった彼も、今ではブレトランドの列強の一角を占めるグリース子爵の筆頭魔法師である。それに続けてメーベルも改めて自己紹介を続ける。

「私も同じくグリースに所属しています。こちらは弟弟子みたいなものの、ランス・リアンです」
「それは仮の名であろう?」
「本名です」

 そんなやりとりを交わしている中、気付いたら、ビートはこの場から離れようとしていた。どうやら、また「自分のせいで何かが起きた」と思って、他の人々に危険が及ばないようにしなければ、と考えたらしい。だが、当然の如くティリィは呼び止める。

「ビート、待ってよ! また勝手にどこかに行ったら危ないよ!」
「いや、でも、俺は堕天使だから!」

 いつの間にか彼の中では「そういうこと」になってしまっていたらしい。そして、今までの話を何も聞いていないプロキオンが、なぜかここで激しく反応する。

「堕天使ってことは、異界の神の投影体ってことッスか? マジッスか? 話だけは聞いたことあるんスけど、堕天使って実在するんスか!?」

 どうやら彼は、そのような類いの異界の投影体に興味があるらしい。だが、すかさずティリィが口を挟む。

「プロキオンさん、あなたなら分かりますよね? ビートからは混沌の匂いはしませんよ」
「本当だ、ということは、まさか……」

 プロキオンは、何かに気付いたような表情でビートの姿をまじまじと眺めつつ、叫んだ。

「……混沌の匂いを消すことが出来る投影体ってことッスか!?」
「違いますー!」

 ティリィがそう叫び返したところで、ヴェルディが魔法杖を構えつつ、淡々と語り始める。

「そいつは、そんなややこしい話じゃないですよ。れっきとした、説明のつく『魔法』です」

 彼女はそう言いながら、先刻と同じように近くの小石群を誰もいない場所に向かって飛ばす。その動きは、確かに先刻プロキオンに向かって飛びかかった時の軌道に酷似していた。

「僕と同じ系統です」

 その話を聞いて、ヒュースは概ね納得したような表情を浮かべつつ、確認のためにヴェルディに問いかける。

「となると、彼は静動魔法の才能に目覚めかけている、ってことですか?」
「まぁ、そういうことかと。安心しなさい、少年。堕天使がどうとか、そんな類いの話ではないですよ」

 そう言われたビートは、困惑しながら問いかける。

「じゃあ、俺のこの力は、魔法? ……魔法と堕天使って、どう違うんだ?」

 辺境の村で育った子供としては、理解出来なくても当然であろう。

「『実際の能力』か『妄言』か、ということです」

 メーベルがはっきりとそう告げたのに対し(なお、実際には「実在する堕天使」もいるのだが、彼女はその話は聞かされていないらしい)、ランスはすぐに訂正を試みる。

「堕天使の力の中の一つが魔法だ」

 次の瞬間、ランスの額冠が激しく締め上げる。

「し、しまったぁ!」

 ビートやプロキオンがあまりにも自然に「堕天使」という言葉を連呼していたため、それが禁句だということを忘れてしまっていたらしい。メーベルは興味深そうに額冠を凝視する。

「あぁ、これがお師匠様の魔法具の力なのね」
「頭が、頭が疼くぅ……」
「すごい威力ね。さすがお師匠様」
「我は……、この世界を、平等と幸福で、満たすのだ……」
「ランス君、大丈夫? 回復薬はあげないけど(自業自得だから)」

 そんな不毛なやりとりを横目に、ヴェルディはいつになく真剣な面持ちでビートを諭す。

「君のその力は、ちゃんと訓練すれば制御出来るものだし、人々に益を与えるものになりえます」「訓練すれば……?」
「君次第ですがね」
「じゃあ、訓練すれば、俺は人のために戦える堕天使になれるんですか?」
「君が愚か者になりたいというのであれば、僕には止める義理はありません」

 さすがにこれ以上放置しておく訳にもいかないと思ったメーベルが、再びビートに語りかける。

「あの、ビート君? ランス君が言ってた堕天使云々は、あの子が一生懸命考えた『ごっこ遊び』だから。14歳のお兄ちゃんの『ごっこ遊び』につきあってくれてありがとうね。だから、気にしなくて大丈夫よ」

 ビートがその説明で納得しかけたところで、ランスは即座に小悪魔(インプ)を出現させた。

「騙されるな、お前は堕天使だぞ」

 ビートの耳元で小悪魔がそう囁き、再び彼は動揺するが、ヴェルディは淡々と告げる。

「その小悪魔も魔法の力ですよ」
「少年よ、騙されてはいけない!」

 ランスは必死にそう訴えるが、さすがにビートもそろそろ「堕天使」という概念に本格的に疑念を抱き始めていた。
 そんな中、また新たな来訪者が現れる。

「何やら騒がしいようだが、何かあったのか?」

 リッカである。その背後にはレイン、ベアトリス、ボニファーツの姿もある。レインが村の各地を訪れている来訪者達に挨拶に行こうとしたところに、なりゆきで三人が同行していた。

「皆さーん、そろそろ今晩の宴の準備が出来たわよー!」

 レインが大声でその場にいる者達全員に対して叫ぶ。彼女は「前日入りした各国からの来訪者達」を相手に「同盟会議の前夜祭」を開催する予定らしい。と言っても、特に参加資格を設けるつもりもなく、適当に「遊びに来てくれた人達」全員を手当たり次第に誘う「ゆるい集まり」である。
 そんなレインに対して、最初に反応したのは秋田犬であった。

「あ、領主様ッスかー?」
「あれ? 喋れるワンちゃんって、ウチにいたっけ?」
「イリア様の護衛でついてきた、プロキオンッス」
「あぁ、プロキオンちゃん! ティリィが前に言ってた子ね」
「ティリィさんから、もうお話は聞いてるんすか?」
「うん、とてもいいワンコちゃんだって」

 ティリィとしては、そんな言い方をした記憶はないのだが、レインの中ではそう変換されていたらしい。そんなプロキオンに対して、メーベルは触りたそうな目でそわそわした様子を見せる一方で、ボニファーツとベアトリスもまた興味深そうに凝視する。 

「おぉ、この村には喋れる動物が沢山いるのか」
「実際に目にするのは初めてだな」

 なお、彼等の住むモラード地方にも「喋れる猫」が(少なくとも)2匹いる。この世界では「喋る動物自体」、それほど珍しい存在ではないのかもしれない。

「グリースの代表として来ました、ヒュース・メレテスと……」
「同じくグリースから来ました、メーベル・リアンです。あの、ランス・リアンのことはご存知ですか?」
「うん! だって、何日か前に来てるもん。すごく楽しい子よね」

 レインに笑顔でそう言われたヒュースは、深々と頭を下げる

「ご迷惑をおかけしております……」
「ヒュース君も久しぶりよね! エスメラルダさんは元気? アストリッドから色々聞いてるけど、そろそろ『いい関係』になってる?」
「なれたらいいんですけどね……」

 そんな会話を交わしつつ、その場にいた者達はなし崩し的にレインによって宴会場へとまとめて案内されたのであった。

2.7.1. 前夜祭〜不穏〜

 この日の夕刻までに各国首脳も概ね到着し、音楽祭出場のために来訪した人々も交えた前夜祭(音楽祭出場者にとっては前々夜祭)が、レインの館で開催されることになった。と言っても、まだこの後で本格的な宴が用意されていることもあって、酒も料理もそれほど豪華ではない簡素な立食パーティーにすぎないが、この機に交流を深めたいと考えている人々にとっては絶好の機会であった。
 魔法師達に関しては、数日前にバリー・ジュピトリスに引率されて到着した面々のうち、まだ契約相手を見つけていないランス、トレミー、アドが彼と共に出席し、そして先刻到着したカルディナ・カーバイト(下図)も出席していたが、彼女が連れて来ると言っていた「新人魔法師達」の姿は見えなかった。彼女としては、明日のお披露目までその正体は秘密にしておきたいらしい。


 音楽祭出場者達の中では、アカリ、ポーラ、紅の楽士、マージャの子供達(および動物達)、といった面々が出席する一方で、アランは参加したものの彼の歌劇団の面々は最終調整に専念するために欠席し、罪聖飢の面々もまた急増バンド故の調整のために姿を見せなかった(他にもそれぞれに参加出来ない事情はあったのかもしれないが)。
 そんな中、紅の楽士は会場内で見かけた「喪服を着て、物憂げな表情を浮かべた金髪の美女」に声をかける。

「レディ、今の君は何かに悩んでいるようだね。そんな君に今必要なのは『新しい恋』だと思わないか?」

 世界情勢に疎い彼は、その女性が何者なのかを知らない(もっとも、仮に知っていたとしても、自重はしなかっただろう)。そのあまりに大胆かつ不敬すぎる行動に周囲の者達の空気が凍りつくが、その美女には彼の口説き文句は蝿の羽音程度にしか聞こえなかったようで、一瞥すらせず無視して背を向ける。

「オトヤ! あんた、ほどほどにしときなさいよ!」

 ポーラがそう言いながら楽士の手を引いて女性から引き剥がすと、この場で刃傷沙汰が起きなかったことに周囲の者達は安堵した。なお、この時点でティリィとプロキオンには「オトヤ」と呼ばれたこの楽士が投影体であることはすぐに分かったが、それと同時にポーラからも、ごくごく微弱な混沌核の匂いを感じ取る。

「おかしいな……、あの人、前に来た時にはこんな匂いはしなかったのに……。あの後、邪紋にでも目覚めたのかな?」

 ティリィは首をかしげつつ、小声でそう呟く。この時点で会場内で他に混沌の匂いを発しているのは、アカリの護衛(という名目)で出席しているボニファーツや(孤児院の仲間でもある)小動物達くらいであるが、ボニファーツから発せられる「邪紋の匂い」とポーラから発せられる「微弱な混沌核の匂い」は明らかに異なる。どちらかと言えば小動物達の体内にある混沌核の方に近いようにも思えるが、その混沌核の規模は明らかに彼女達よりも弱い。これは(先日のオラニエの時とはまた異なる意味で)今まで経験したことのない「独特な混沌の匂い」であった。
 そして、その呟きを耳にしたプロキオンもまた、何か不穏な予感を感じ取る。とはいえ、ひとまず今の時点では彼女の見た目は「普通の人間」でしかないし、特に不審な言動も見られないため、二人共、あえて本人に何かを問い詰めようとはしなかった(なお、この村にはもう一人の「混沌を察知出来る邪紋使い」が存在しており、もし「彼」がこの場にいれば、この時点で「真相」に気付けた可能性はあるが、彼はこのような場に興味を示すような性格でもなかった)。

2.7.2. 前夜祭〜競合〜

 一方、カルディナは会場内に「末娘」がいるのを見つけて、嬉しそうに声をかける。

「おぉ、よく来たな、ヴェルディ。お前のことだから、てっきりすっぽかすかと思ったが」
「いえ、別に先生に会いに来た訳ではないのですが」
「つれないなぁ、お前は。まぁ、さすがにお前にはまだ酒は勧められんから、そういう意味では飲み交わせる相手が来てくれた方が良かったんだが、手紙にも書いた通り、今回連れてくる相手は、ある意味で『お前の直系の後輩』のような存在だからな」
「どうせ、ろくなこと考えてないんでしょう? 先生」
「お前は本当に私のことをよく分かっているな」
「先生が拾ってくる魔法師なんて、まともな魔法師な訳がない。というか、どうしてあの山と海(略)(笑)さんをカーバイト一門に入れてやらなかったんですか?」
「あぁ、あの例の噂の堕天使か。確かに面白い奴だとは思ったんだが、アルジェントが見つけてきた奴だしな。横取りするのはよくない。まぁ、横取りするほどの奴でもないしな」
「そんな先生に耳寄り、と言っていいのかどうか分からないというか、未来ある若者に先生を勧めて良いのか疑問に感じるところではありますが、お耳に入れておきましょう」

 そう言いながら、ヴェルディは「静動魔法の才能に目覚めた少年」のことを告げる。彼がエーラムで魔法師としての修行を積むことになるのなら「信頼出来る師匠」が必要となるだろう。ヴェルディにしてみれば、カルディナが適任者かと言われるとかなり疑問はあるが、今の彼女には他に頼れる相手もいない。

「ふむ。なるほど。しかし、話を聞く限り、その少年はまっとうな少年なんだろう?」
「えぇ、今は」
「というか、お前の手でまっとうな道に戻したんだろう?」
「僕みたいな道を歩ませるのはもちろん嫌ですし、変な思想に染まるのも嫌なので。まぁ、多少縁のある相手ではありますし、この音楽祭の間は様子を見ておくことにしますよ。それが終わった後にどうするかは、本人次第というところでしょうか」

 ヴェルディはそう言いながら、部屋の一角で(先刻の一連の流れで知り合った)ミネルバやセシルとの会話に興じていたビートに視線を向ける。

「ゲルハルト兄様枠が一人くらいはいてもいいのでは? 彼からは苦労人の気配がしますし」
「それはそうかもしれんが、今は弟子を取っていないという意味では……、おいバリー、 お前もそうだろう?」

 カルディナは唐突に、隣のテーブルで初対面の若い女性君主(実は新婚の人妻)を口説いていたバリー(下図)に声をかける。


「え? なんですか? カルディナ先輩」
「どうやら、新弟子の候補となる少年がいるらしいんだが……」

 彼女はヴェルディから聞いた通りの内容をそのまま伝える。

「なるほど。しかし、実は私は高等教員を引退して、そろそろ契約魔法師の道を進もうと思っているのですよ。ここの君主が実に面白い」

 バリーはそう言いながら、来客に挨拶しているレインに視線を向ける。先日の祝宴の席では契約には至れなかった彼だが、まだ諦めてはいないらしい。彼にしてみれば、自分のエンターテイナーとしての才能を最大限に活かせる契約相手は、レイン以外にはありえなかった。そして、契約魔法師となった状態で新弟子を迎え入れることも出来なくはないが(実際、ヒュース達の師匠であるアウベストなどはそうしてきたが)、あまり望ましくないと彼は考えていたようである。

(歌って踊るアントリアかぁ。御免被りたいな)

 ヴェルディはそんな感慨を抱くが、実際にはこのマージャの地はアントリアなのかどうかも怪しい特別自治区である(無論、「歌って踊るノルド」も、あまり望ましい光景とは思えない)。
 一方、カルディナはそんな彼に対して不敵な笑みを浮かべる。

「珍しく気が合うな。私も同感だ。あの君主の下であれば、契約魔法師をやってみるのも悪くない」

 どうやら彼女も、同じ相手を狙っているらしい。もし、カルディナがレインの契約魔法師になるのであれば、その任務を果たしながら新弟子の育成などという二足の草鞋を履く気もない(それ以前の問題として、彼女の場合、そもそもどちらか片方だけでも真面目にやる気があるのかどうかも怪しい訳だが)。
 バチバチした雰囲気が二人の高等教員の間で漂う中、飽きれ顔でヴェルディが問いかける。

「ところで、秘蔵の新弟子(笑)とやらはどこにいるんですか?」
「それは明日のお楽しみだ」
「そうですか。期待せずに待っておきます」

 大抵ろくでもないんだろうなぁ、という予感を胸に抱きつつ、大人気ない雰囲気を漂わせた師匠達を冷ややかな目で眺めながら、その場から離れていくヴェルディであった。

2.7.3. 前夜祭〜贈物〜

 その頃、宴会場の隅の方で、クリスティーナとヒュースは、この前夜祭終了後についての「秘密の打ち合わせ」を交わしていた。実はビートの入門先を考えた場合、近年になって着実に勢力を拡大しつつある彼等メレテス一門こそが一番安心して任せられる窓口のようにも思えるのだが、彼等は今、アウベストのサプライズ生誕祭の下準備で忙しくて、それどころではなかったのである。

「とりあえず、この前夜祭が終わったら、お養父様にはこちらで用意した宿舎に向かってもらうわ。で、その前に私達が部屋に入って準備して、お養父様が入ったと同時に驚かせる予定だけど、とりあえず今は黙っていてね」
「分かりました」

 ヒュースとしても、本来ならばこの場に自分がいること自体が不自然な話なので(グリースは建前上はアントリアとも敵対はしていないが、先日のカレの先代領主殺害事件などもあり、現時点での両国の関係はそれほど良好とはいえない)、あまり目立つことをするつもりはない。アウベストは既にマリーネと共にマージャに到着し、この前夜祭にも参加しているが(なお、先刻の紅の楽士とのやりとりの際はマリーネ自身が意に介していなかったこともあり、特に何もしていなかった)、今はあえて彼とは目を合わせないよう、粛々と他の出席者の動向を部屋の隅で見守る程度にとどめていた。
 なお、この場には来ていないが、アウベスト直系ではない者達も含めて、アントリア国内のメレテス一門の面々も何人か密かにこの地を来訪している。彼等は既にクリスティーナの指示を受けて、アウベストの宿舎にて待機しているらしい。

「で、私の方からは誕生日プレゼントとして、スウォンジフォートの老舗の職人に造らせたワイングラスを用意してるんだけど、あなたの方は?」
「こちらの方からは、ウチのミスリル鉱石で作った宝飾品と、あとはシルーカから預かったネクタイと、アイシェラが編んだマフラーを……」

 正直にヒュースがそう告げると、クリスティーナは意外そうな表情を浮かべる。

「あら、あのアイシェラがねぇ。それはそれで、あの人がどんな顔をするか、楽しみよね」

 ちなみに、クリスティーナは魔法師としての戸籍上はアウベストの養女ではあるが、彼女が一門に迎えられた頃のアウベストはヴァルドリンドに滞在していた時期が長く、あまり直接的な指導は受けていない。そして、アイシェラが拾われた頃にはクリスティーナは既に研修生として各地に派遣を転々としていたため、同じ一門と言ってもそれほど深い繋がりはないのだが、時折エーラムに戻った時に見せていたアイシェラの様子から、彼女がアウベストに対して抱いていた複雑な感情の正体については、概ね察しがついていたようである。

2.7.4. 前夜祭〜動物〜

 アントリアの次席魔法師とグリースの筆頭魔法師がそんな「私的な相談」を交わしていた頃、アントリア子爵の姪御であるイリアは、微妙な距離を保ちながら随行する秋田犬と共に、参加している君主や魔法師達を物色していた。一応、事前にプロキオンは「犬の姿のままでの参加」の許可をレインから得ているものの、その姿は明らかに周囲の目には異様な光景に見える。だが、イリアもイリアで、あまり周囲の視線を気にする性格でもなかった。

「どうですか? イリア様。めぼしい魔法師とかいますか?」
「そうだな……、あそこで話をしている二人の高等教員は相当な実力者だと聞いているが、果たして人格的にはどうなのか……。あとは、先程あそこにいるアドとかいう生命魔法師にも声をかけられたが、私はああいった『頭の軽そうな男』には興味はない。お前が持ち帰りたいのなら、勝手に連れて行けばいい。バットには、ああいう馬鹿そうなのがお似合いだろう」
「え? でも、セリーナ様はすごく頭良さそうですけど」
「確かにな。彼女のことは認める。彼女がいないと、あの遠征軍は成り立たないであろうし」
「そこは自分も思うッス。バット様はお人好しすぎるッス。でも、そこがバット様のいいところッス」

 二人(一人と一匹)が、そんな「噛み合っているのかいないのかよく分からない会話」を交わしている中、その秋田犬の様子を遠くから「5匹の小動物と1人の小人の少女」が眺めていた。

「あれ、犬よね? 犬よね?」
「もしかして、私達の世界の犬なのかしら?」
「でも、私達の世界の犬は喋れなかった筈……」

 そんな彼女達に気づいたプロキオンが視線を向けると彼女達は慌てて隠れようとするが、隠れきれずにそれぞれの尻尾を露呈する(もっとも、どちらにしてもプロキオンには「匂い」で彼女達のことは見つけられるのであるが)。

「大丈夫ッスよー、こわくないッスよー」

 プロキオンがそう言って近付こうとすると、彼女達も少しずつ距離を詰めていく。ひとまず、「5匹と1人」の中で最も積極的な性格の「リスの少女」が問いかけた。

「あなたは、どこの世界から来たの?」
「自分は元はこのアントリアの生まれで、今は大陸の方に行ってる人間ッス」

 その発言に、改めて彼女達は困惑する。

「あれ? 『人間』? この世界では『人間』って、どういう人達のことを指すんだっけ?」
「『私みたいな姿の人』のことだと思ってたんだけど」

 「リスの少女」の問いかけに対して、「小人の少女」がそう答える。実際のところ、どこまでを「人間」と数えるのかはこの世界の中でも微妙に見解が異なるのであるが、プロキオンはひとまずイリアから許可を得た上で(イリア自身が彼から離れて行動することにした上で)「獣化前」の少年の姿に戻る。

「こっちが本当の姿ッス」

 突然「人間化」(彼女達から見れば「大型化」)したプロキオンを目の当たりにして、再び動物達は怯えた様子を見せるが、彼はしゃがんで視線の高さを合わせようとする。

「大丈夫ッスよ、こわくないッスよ」

 そう言われたリスの少女は、まだ少し困惑した様子ながらも、気持ちを落ち着かせながら再び口を開く。

「この世界、本当にいろんな人達がいるんだね……」
「それが、この世界の面白いところだと自分は思うんスよねぇ」

 もっとも、どこまでが「この世界の住人」として認識されるべきなのか、というのも人によって見解の異なる問題ではある。とはいえ、この村の領主は「言葉が通じる相手はみんな友達」という認識であるため、少なくともこの村の中にいる限りは、犬もリスもネズミもモグラもイタチもカエルも小人も悪魔も堕天使も「みんな友達」であった。

2.7.5. 前夜祭〜珍味〜

 そんな「みんなの友達」である領主のレインは、エルマ・ウイスキーと蟹味噌を持って、(ヴェルディやバリーとのやりとりを終えた)カルディナの元へと語りかける。

「先生、一緒にやりませんか?」
「ほう? なかなか話のわかる君主殿のようだな」
「お会いしたかったんですよ。色々噂は聞いてて」
「私も聞いているぞ。この村に『頭のおかしい君主』がいる、とな」
「今回は、アカリちゃんと色々やってくれるんですよね?」
「あぁ。私でなければ演出出来ないスペシャル・ステージだ」

 二人がそんな会話を交わしているところに、蟹味噌の提供者であるボニファーツが割って入って、カルディナに挨拶する。

「あ、お久しぶりです」
「おぉ、スパルタ公認の蟹味噌大使殿か」
「そうです。私が蟹味噌大使、大英雄ボニファーーーーーーーーツです。覚えていてくれて光栄です」

 なお、「蟹味噌大使」などという制度はスパルタにはない。

「今回もちゃんと蟹味噌を持ってきましたよ」
「嬉しいな、ここでも食えるとは」

 いつの間にか、カルディナもすっかり蟹味噌肯定派になっていたらしい。そして、エルマ・ウイスキーの提供者であるベアトリスもまたカルディナに声をかける。

「私の方も、ご無沙汰しています」
「あぁ、エステルのところの君主殿だったな。最近、あいつは真面目に仕事してるか?」
「えぇ。私も私で、色々と彼女に罵倒されながら頑張っています」

 今回のマージャ行きに関しても、本来ならばカルディナとの関係性を考えればエステルの方が適任のようにも思えたが(そしてエステルもこういった催し物には興味があったのだが)、あえてベアトリスにその任を譲ったのは、こういった諸外国の人々が集まる場での立ち振る舞いを経験させることがベアトリスの将来にとっても望ましい、とエステルが考えたからなのかもしれない。エステルはエステルで、彼女なりにベアトリスのことを気遣ってはいるのである。
 そして、これまで静かに状況を見守っていたヒュースが、ここでこの「未知の食べ物」に興味を示して歩み寄って来た。

「その蟹味噌とやら、食べてみてもいいですか?」
「あぁ、もちろんだ。この缶詰は、こうやって開ければいい」

 ボニファーツがそう言って缶詰の一つを開けて小皿に振る舞う。ヒュースはその「缶詰」なるものの構造にも興味を持ちつつ、恐る恐るその「灰褐色の不気味な食物」を口に含んでみた。

「あ、これ、意外と美味しい……」

 かなり特殊な味ではあるものの、これはこれで酒のつまみとしてはアリなのかもしれない、と思える程度には、ヒュースの舌は柔軟であった。彼は生真面目ではあるが、決して保守的ではない。未知なるものを積極的に受け入れようとする懐の広さがなければ、グリースなどという「胡散臭い新興国家」の筆頭魔法師は務まらないだろう。

(クレアさんに渡せば、もっと美味しい料理に仕上げてくれるかもしれないな……)

 そんなことを考えつつ、ヒュースはアストリッド商会に依頼して輸入するという選択肢を真剣に考え始める。
 一方、ベアトリスもまた初めて食べる蟹味噌の味を好意的に受け止めていた。酒の村の領主としても、つまみの一つとしては悪くないと思えたらしい。

「これは一体、どこで生産されているものなのだ?」
「私のスパルタ村だ」

 ボニファーツが胸を張って答える。ベアトリスの所領であるエルマからは程近い距離なのだが、外様の彼女は周囲の村のこともよく知らなかったらしい。彼女は彼女で、これはこれで積極的に買い付けても良いかもしれない、と考え始めていた。
 一方、提供している蟹味噌大使(非公認)のボニファーツ自身は、微妙な表情を浮かべる。

「意外とウイスキーとも合うな。だが、鮮度が良い方がもっと美味しい」

 専門家の舌は存外厳しい。とはいえ、レインもカルディナもこの「モラード地方随一の酒と珍味の組み合わせ」には満足した様子であり、蟹味噌の普及という(ボニファーツの中での)今回の任務の第一目標は無事に達成出来たようである。

2.7.6. 前夜祭〜宿敵〜

 こうして宴会場の一角で勝手に蟹味噌品評会が開かれている間、師匠から解放されたヴェルディは「宿敵」であるパルテノの領主の娘マリベル(下図)と遭遇していた。彼女はヴェルディの契約相手であるジェロームの主家の娘であり、乳姉妹でもある。


「あら? あなたがここにいるということは……」
「あぁ、領主様はいませんよ」
「そうなんだ。ふーん……、いや、別に、探してた訳じゃないんだけどね」
「領主様はお忙しいので」

 その言い方にどこか棘を感じたマリベルは、嫌味を込めた口調で言い返す。

「じゃあ、あなたは暇なのね」
「お陰様でウリクルは平和ですから、僕が抜けても問題はありません。なので、僕が領主様に代わって表敬訪問に来たのです。お久しぶりです、マリベル姫」

 超慇懃にお辞儀をするヴェルディに対し、マリベルも皮肉めいた笑顔を浮かべながら答える。

「お久しぶりね。まぁ、私も父様の表敬訪問で来たようなものなんだけどね。あと、今はこの場にいないけど、私も一人、契約魔法師を見つけたの。これで私も、いつでも父様の後を継げるようになったわ」

 なお、彼女の契約魔法師となったラーテンは、今は公務で村内の様子を確認するために巡回中らしい。
 そんな彼女に対してヴェルディは、ニヤニヤと笑いながら話を続ける。

「ということは、ようやくウチの領主様と対等な関係になられたということですね」
「いや、まだ土地を引き継いだ訳ではないけどね。ところで、元気なの? ジェロームは」
「えぇ、問題なく」
「そっか。なんか最近、ゴルフ場を10番コース以降も増築するために亡命者を受け入れてるとかいう話は聞いてるわ」
「人は貴重な資源ですからね」
「大陸の南の方からも、訳有りの姫と騎士様が来ているらしいわね」
「……まぁ、利益になる者ならば、受け入れるのが領主様の方針ですし」

 この点に関しては、ヴェルディも少し目線をそらしながら答える。さすがに自分が連れて来たとは言いにくい。そして、今の彼女が抱えているもう一つの「難民案件」についても、この場で明かす訳にはいかなかった。

2.7.7. 前夜祭〜癒し〜

 そんなヴェルディが密かに注目しているビートが、相変わらずセシルやミネルバと子供同士で仲良くしている中、メーベルは少し離れた場所でそんなセシルの様子を伺いつつ、チラチラと視界に映る「小動物達」が気になっていた。そんな彼女の視線に気付いたプロキオンが、「人間状態」のまま彼女に話しかける。

「あ、メーベルさん」
「あら? どこかでお会いしたかしら?」
「自分、プロキオンッス」
「あぁ、あのワンちゃん」

 言われてみれば、確かにその声には聞き覚えがある。

「はい、この子達に、自分が人間だということを説明するために、今はこの姿ッス」
「なるほど……、この子達は?」

 メーベルが、小動物達を撫で回したそうな手つきを見せながらプロキオンにそう問いかけると、小動物達は少し怯えた様子を見せる。それに気付いたメーベルはすかさず声をかける。

「大丈夫よ、急に触ったりはしないから」

 口ではそう入っているものの、両手はワシャワシャと触りたそうな仕草を見せている。そのことに自覚出来ていないまま、メーベルは今度は物欲しそうな視線をプロキオンに向けつつ、そわそわした口調で話を続けた。

「……プロキオンさんは、犬の姿に戻ったりはしないの?」
「出来るッスよ」

 彼はそう言うと、再び「秋田犬」の姿に戻る。それを見た瞬間、メーベルの両手が反射的にプロキオンへと向かう。

「ちょっと失礼していいかしら……」
「あ、どうぞどうぞ」

 許可を得るとほぼ同時に、メーベルは彼の首の後ろのあたりを撫で始めた。

「あー、そこ気持ちいいッス」

 恍惚とした表情を浮かべつつ、プロキオンはそんな声を漏らす。その様子を眺めながら、先刻犬屋敷に行きそびれたことでモヤモヤ感を抱えていたメーベルの心は、ほどよく癒されていくのであった。

2.7.8. 前夜祭〜迷い〜

 こうして姉弟子が秋田犬に夢中になっている間に、ランスはマージャの子供達(およびセシルとミネルバ)の元へと向かっていた。

「子供達のみんな、君たちの中に、ちょっと不思議な体験があった子はいないかい?」

 ランスは、ビートと同じような資質を持つ子供が他にもいるかもしれないと思い立ったらしい。唐突に現れたこの「胡散臭いお兄さん」に対して、最初に答えたのは最年少のグリンである。

「僕ね、ちょっと前にスパルタっていうところに行った時に、カニを食べさせてくれるっていうおじさんについっててね、そしたら、あそこのカブトムシのおじさんが来て、二人が喧嘩してる間にどこかに行っちゃって、どうすればいいか分からなくなった時に、死神先生が助けに来てくれたんだ」

 何が言いたのかよく分からない説明を垂れ流すグリンであったが、おそらく、ランスが聞きたかったのはそういう話ではないのだろう。そして、そんな話を楽しそうに語るグリンに対して、保護者としてのティリィが横からたしなめる。

「そのことについては、グリンもちゃんと反省してよ。あと、今日のビートもだよ。この村は平和だけど、一歩外に出れば危険なんだからね。この前だって、聖印を持ってる君主の人が魔境に迷い込んだくらいなんだから」

 一応、今はもうその魔境は存在しないのであるが、それでも先日の「歌う魔物」のような存在がいつ再び出現するかも分からないのが現状である。
 そして、ティリィのこの発言の中の「この村の外」という一節を聞いたところで、ビートはピクッと反応し、そしてティリィに問いかけた。

「さっき、『あのお姉ちゃん』から聞いたんだけど、俺、魔法師の才能があるらしくて、魔法師の才能がある人は、この力を変なことに使わないように、大陸のなんとかいうところに修行に行かなきゃいけないらしいんだけど……、俺も、そうしなきゃいけないのかな?」

 厳密に言えば、この世界にはエーラムが統括する魔法師協会とは別に、彼等によって「無害な存在」と認められた「自然魔法師」と呼ばれる人々もいる。彼の母の一族がまさにそれに該当する人々であり、ビートが彼等の下で適切な指導を受けてその魔力を制御出来るようになるなら、必ずしもエーラムに留学する必要はないのだが、今のこの時点ではヴェルディがその一族の存在を誰にも知らせていない以上、この時点でその選択肢が思い浮かぶ者は誰もいなかった。

「ならば、我の師匠の下で、君のその『異界の魔法』を磨くといい」

 唐突にランスがそう提案する。なお、「異界の魔法」とは、普通はエルフ(や堕天使?)などが用いる「投影体のみが使える魔法」のことを指す言葉であり、この場にメーベルがいれば「異界の魔法ではない」とすかさず訂正が入っただろうが、実は今のビートの中で目覚めつつある力をそう表現することは、あながち間違いとも言い切れない。
 ビートの故郷の一族が用いてる自然魔法は、その力の根源を異界の女神ヘカテーの加護に依存しているため、エーラムによって生み出された「この世界における一般的な魔法体系」とは異なるという意味で、「異界の魔法」と呼ぶこともある。そして、ビートの中で目覚めようとしている魔法の才能の根源が、母親から譲り受けたヘカテーの加護であるという可能性は高い(と言っても、ランスがそのことを知っている筈もないので、この符合はただの偶然なのだが)。
 ただし、彼等が使用可能な魔法の一つ一つはエーラムで教えられている魔法の範疇内であり(むしろ、それらの魔法をエーラムが取り込むことで現在の魔法体系が作られたとも言われる)、本質的には「この世界の魔法」と大差ない。実際、ランスの同門のローラ・リアンはビートの母アクアと同じ一族の出身であり、彼女の才能もヘカテーの加護に由来していたが、エーラムに留学することによって「この世界の魔法」としての時空魔法を習得するに至った。故に、ビートがランスの師匠の下で魔法を学んだ場合も、当然「この世界の魔法」の使い方を学ぶことになる

「君のその『天から堕ちた力』は、そこら辺の者では教えることは出来ない。だが、我が師匠であればこの私を魔法師に……、あ、いや、違う、うん、あの……、『この私の力』をコントロールさせた師匠であれば、君の力をコントロールし、君の『天から堕ちた力』を使えることが出来るであろう」

 ランスは必死にそう力説するが、どうもビートの心には響いていないようである。

「でもさっき、あのお姉ちゃんから、堕天使の人の言うことは信用するなって言われたし」
「安心しなさい」
「というか、堕天使の師匠って、どういうこと……? 堕ちてない天使?」
「我の師匠は、この世の全ての者よりも強い」

 なんだかんだで師匠への敬意は強いランスが一生懸命に説得しているところで、マリベルとの煽り合いに飽きたヴェルディが現れる。

「また良からぬことを吹き込んでらっしゃるんです?」
「何を言っている。この子の『天より堕ちし力』を制御するために、我が師匠に紹介しようと思っていたところだ」

 それを聞いたヴェルディが少々複雑な心境に陥っているところで、横からティリィが口を挟む。

「もしビートが本当にエーラムに魔法を学びに行くのであれば、それも良いかもしれませんね。この方のお師匠さんは、同じ系統の魔法師だと聞きました」

 この時点で、ヴェルディは先刻のカルディナの話を思い出す。彼女が言うには、ランスを抜擢したのは静動魔法師のアルジェント・リアンらしい。ヴェルディも静動魔法の基礎を学ぶ際にアルジェントの講義を受けたことはあり、その指導力の高さには定評がある(口が悪いことでも有名だが、その点に関してはヴェルディが言えた義理ではない)。

「確かに、この山(笑)さんの言ってることは聞かない方がいいですが、彼の師匠に関しては、腕は確かな人ですよ。それは保証します」
「……なんか、今、我を呼ぶ名がおかしくなかったか?」
「あぁ、すみません。長い名前は言うのが面倒なので」
「それは仕方あるまいな」

 ランスとしては、出来ればせめて「山と」まで言ってほしかったところだが、そんな個人的なこだわりなど、他人の知ったことではない。
 そんな先輩達の会話を聞きつつ、ビートがどう答えるべきか迷っているところに、唐突に「小動物達と小人の少女を背中に乗せた秋田犬」が現れ、ビートの周囲の子供達が喜んでそれに群がり始める。どうやら、いつの間にかこの秋田犬はすっかり小動物達と意気投合していたようで、そのまま子供達の輪に加わっていった。

(あー、畜生増えたわ)

 子供達の中でヴェルディだけが冷ややかな目でその光景を眺めている中、秋田犬の毛並みを堪能して満足気な顔のメーベルもこの場に現れる。どうやら、彼女も途中から話を聞いていたらしい。

「そうねぇ。伯父様のところに行くのもいいかもしれないけど、選択肢としてはウチの師匠でもいいんじゃないかしら。だって、あなたが今回就職出来るとは限らないでしょ? 伯父様が暇になるとは限らないじゃない」

 確かに、メーベルの師であるメルキューレならば、今は指導中の直弟子がいない。更に言えば(これは誰も知らないことだが)同じヘカテーの力を源泉とするローラを育てた実績もある。

「何を言う? 我はもうここで就職すると決まっている」
「まぁ、どこに行くかはビート君が決めることだけどね」
「君も一緒に、天から堕ちよう!」

 ビートを相手に改めてよく分からない勧誘を再開するランスに対し、メーベルもまた再び隠し持った火炎瓶に手を伸ばす。

「ランス君、私もね、こんなところで火事は起こしたくないのよ」
「何を言う? 間違ったことは言っておらんであろう」

 こうして(結果的に)ランスの相手をメーベルが引き受けている間に、ヴェルディがビートに問いかける。

「エーラムで学ぶことに不安があるかな?」
「その『エーラム』ってのが、どんなとこなのか分からないけど……、最近になって、ようやく『ここ』に馴染んできたところだし……、『あの村』を出てからずっと行くところがなくて、やっとこの村で友達も出来て、この村で生きていこうって思ってたところだったから……」
「『前の村』も、悪いところではなかったでしょうに」

 何も知らないふりをして、ヴェルディはそう呟く。

「前の村、っていうか、今まで、あちこちの村を行ったり来たりしてきたんだけど……、少なくとも『俺が生まれた村』は、もう全然知らない奴等に乗っ取られてるし、俺も小さい頃だったからよく覚えてないけど、父上が不気味なカラスの怪物に殺されて、あれが誰の差し金だったのかは分からないけど……、でも正直、あそこにはもういたくないかな……」

 俯きながらそう語るビートに対して、話半分にしか聞いていなかったランスが口出しする。

「それはひどいな、許せないな」

 何も知らないまま勝手に共感し始めるランスの傍らで、全てを知っているヴェルディはあえて何も言わずに、逡巡するビートの様子を見守っていた。

2.7.9. 前夜祭〜酔い〜

 再び重い雰囲気が広がっていくビート達のところに、今度は小瓶とグラスを持ったほろ酔い状態のボニファーツが乱入する。

「やあやあ、君達、どうしたんだい? ここに、さっき酒蔵で見つけた葡萄ジュースがあるんだが、一緒に飲まないか?」

 おそらくそれは「葡萄から絞り出した液体」ではあるが、葡萄ジュースではない。

「ダメです、ボニファーツさん」

 ティリィがそう言って止めに入り、ヴェルディは「まだ面倒そうなのが来た」と言いたそうな冷ややかな視線を向けるが、そんな彼女達のことなど気にせず、ボニファーツはランスに声をかけた。

「そこの君、さきほど道で苦しんでいたようだが、大丈夫かい?」
「うむ。大丈夫である。少々、我の頭が疼いただけだ」
「それは、アルコール不足じゃないか?」

 ランス以上に支離滅裂な論理を繰り広げようとするボニファーツに対し、後ろからついてきたアカリが割って入る。

「ボニファさん、彼はまだ年齢的にまずいんじゃない?」

 アカリは元の世界において「16歳」だった頃の状態でこの世界に投影されており、現時点における彼女の肉体年齢が何歳なのかはよく分からないが、元の世界にいた頃の倫理観を未だに抱き続けているようで、こちらの世界に来てからも(酒類も豊富な食堂で働いているにもかかわらず)酒に手を出そうとはしない。あるいは、それは彼女の中での「アイドル像」に抵触する行為なのかもしれない。

「我はこの世界では14歳と名乗っているが、本当の年齢は、もう数えるのを忘れた」

 いつもの調子でそう語るランスであったが、ボニファーツはボニファーツで勝手にその言葉を自己流で解釈する。

「なるほど。だいたい14歳と15歳の間くらいかな」
「まぁ……、そういうことにしておこう」
「それならば、酒はまだ少し早いかな」

 ボニファーツとしても、別に無理に勧めるつもりはない。だが、ランスもランスで、勧めてくれるなら満更でもない、という程度には酒に興味がある年頃であった。

「酒というのは、我がこの世界で更に力をつけるために必要なものなのか?」
「そうだな、酒の力を借りるということも……」

 ボニファーツがそう答えかけたところで、後ろからベアトリスの声が響く。

「必要ないな」

 彼女は酒造の村の領主であるが、酒に過剰な期待を抱くことには否定的らしい。そしてメーベルもまた止めに入る。

「妄言が加速しそうだから、やめなさい」

 そもそも、最初から酔っているような状態のランスに酒を飲ませたところで、あまり変わらないような気もする(もしかしたら、逆に「素」に戻るかもしれない)のだが、どう見ても「分別のついた大人」とは言えないランスに酒を飲ませることには、やはり賛同出来ない。

「じゃあ、とりあえずはこの蟹味噌だけでも食べてみればいい」

 ボニファーツがそう言って新たな蟹味噌の缶詰を開くと、おそらくこの場にいる中で最も強い嗅覚の持ち主であるプロキオンが真っ先に反応してボニファーツに近付く。

「あー、いい匂いするッスー」
「おぉ、さっきの喋るワンちゃんか。食べるかい?」
「いただくッスー」

 そう言ってプロキオンは小皿に取り分けられた蟹味噌を口に含むが、次の瞬間、微妙な表情を浮かべる。

「食べれなくはないッスけど……」

 少なくとも、あえて好んで食べようという気にはなれそうにない、というのが正直な彼の感想である。そして、同様にボニファーツから一口勧められたヴェルディとメーベルも、どう表現すれば良いのか分からない不思議な味に困惑する。

「食えなくはないけど、これを認めてしまうと、お姉様との関係が崩れそうだな……」
「あら、そうなの?」
「ウチのお姉様は『あれは、世界にとって悪いものだから××しろ』と言ってました」

 「××」の部分はよく聞き取れなかったが、おそらく筆舌に絶するほどの罵詈雑言なのだろうとメーベルは察しつつ、果たしてどの「お姉様」のことなのだろうと想像を巡らせる(一応、メーベルはエステル以外にも何人かカーバイトの知り合いはいるらしい)。
 一方、ティリィは(以前にスパルタを訪問した時に免疫が出来たのか)美味しそうに食べているが、勧めたボニファーツ本人は、やはり「缶詰化した蟹味噌」にはやや不満らしい。

「やっぱり、もう少し新鮮な方がいいよな。冷凍保存技術があれば……」

 そういう技術を開発出来そうな人物と言えば、魔法具生成に長けた錬成魔法師か、気温調整などの魔法にも通じた朽葉の元素魔法師であろうが、おそらくスパルタの元素魔法師は死んでも協力はしないだろう。

2.8. 秘密の二次会

 こうして来客者間での様々な交流を経た後、この日の「前夜祭」は宵の口のあたりで終わりを告げ、来客達はそれぞれにあてがわれた宿舎へと案内される(なお、プロキオンはアマルに気に入られて、彼の犬屋敷で一泊することになった)。
 そんな中、明日の同盟会議の主賓と呼ぶべきマリーネ・クライシェの契約魔法師であるアウベスト・メレテス(下図)は、使用人達と共に主人を部屋まで送り届けた後に、粛々と自身の客室へと向かう。そして彼が入口の扉を開いた直後、「小さな爆音」がいくつも同時に部屋中に鳴り響いた。この日のためにクリスティーナが取り寄せた異界の宴会道具「クラッカー」である。


「お誕生日、おめでとうございます」

 この場に集まっていたメレテス一門の面々が、一斉に声を揃えてそう叫ぶと同時に、クリスティーナが部屋の明かりを灯すと、先刻までの宴会場よりも若干豪華な程度の飾り付けや垂れ幕が露わになる。直前まで、彼等は「入室前に中の気配に気付かれるのではないか」という警戒心から、必死で息を殺していたのだが、アウベストが本気で驚いた表情を見せていることを確認し、安堵する。

「師匠、誕生日おめでとうございます」

 入口近くに立っていたヒュースが改めて真っ先にそう声をかけると、アウベストはすぐに落ち着きを取り戻し、何かに納得したような表情を浮かべる。

「そうか、グリースのお前がなぜこの場に来ていたのかと思ったが、そういうことだったのか。なるほどな」

 アウベストはその心遣いに感謝しつつ、このような個人的な魔法師達の事情で入国を認められる程度にグリースとアントリアが友好関係を結んでいるという状況が、今後のブレトランド情勢にどう影響を与えるのだろうか、などということを内心で考え始めるが、そんな彼に対して周囲の者達が次々とプレゼントを渡していく。その流れに乗じて、ヒュースも持参品を取り出した。

「僕からは、グリースの特産のミスリルを使った宝飾品です。そしてこれが、シルーカからのネクタイで……」
「ほう、シールカから? それをお前が預かっているということは……、そうか、彼女はグリースを抱き込みに行ったか……」

 再び「契約魔法師」の顔に戻りかけたアウベストに対して、横からクリスティーナが嗜める。

「お養父様、今はあまりそのようなことを考えないで下さい」
「あぁ、そうだったな……」

 アウベストは基本的に「仕事」と「家族愛」は切り離して考える性分である。だが、日頃から「仕事」に従事している時間が長すぎて、家族と共にすごす機会が乏しいため、このような「仕事の話を持ち込むべきではない場」においても、ついつい思考がそちら側に傾いてしまいがちになる。

「あと、もう一つ、アイシェラからも……」

 そう言われながらマフラーを手渡されたアウベストは、今までで一番戸惑った様子を見せる。

「そうか……、あの二人には、今後、また会う予定はあるか?」
「どうでしょう? あいつらのシスティナでの戦いが上手くいけば会えるかもしれませんが……」
「私も、次に彼女達と会う機会があったとしても、おそらくそれが戦場である可能性が高い……。その時点で彼女にまだ息があったら、その時に何と言うべきか、今から考えておこう」

 唐突に空気が重くなり、祝いの場の雰囲気ではなくなってきたこの状況に対して、ヒュースは必死で流れを変えようと試みる。

「今は、どの国がどうとかいうことは忘れて、メレテスの家族として楽しみましょう」
「……そうだな」

 その後は再びクリスティーナが主導で「なごやかな雰囲気」を取り戻しつつ、そのまま(翌日の同盟会議に差し障りがない程度に)、ささやかな二次会を開催したメレテス一門であった。

2.9. それぞれの夜

 結局、アウベストの誕生会には「並行世界のシルーカ(推定)」は現れなかった。何事もなく祝宴を終えたことにヒュースは安堵しつつ、その動向が改めて気になった彼は、自分の客室へと戻った後に、一つの探索法を思いついた。
 それは、物品探索の魔法を用いて、あのシルーカが着ていた「露出の多い服」の所在を確認することである。あの服は「この世界」においてもシルーカがアルトゥーク伯に仕えていた時代に着ていた代物だが、先日彼女がグリースを訪れた際には、彼女は通常のエーラム制服を着ていた。つまり、この時点で「シルーカ」をこの魔法で探そうとした場合、「本来のこの世界のシルーカ」の方が探知されてしまう可能性があるが、「あの露出の多い服」に絞って探し出すのであれば、間違いなく「並行世界のシルーカ(推定)」の所在を割り出せるだろう、という算段である。
 だが、ヒュースがその魔法を用いてみた結果、少なくとも今のブレトランド内には「あの露出の多い服」は存在しないらしい、ということが分かった。もし仮に、ヒュースの仮説通り、「あの服を着たシルーカ」が「混沌の産物」だったとしても、それが「あの形状」のまま存在していれば感知することは出来る筈である。

(既に彼女が何らかの理由であの服を消滅させたのか、彼女そのものがこの世界から消失したのか、あるいはそもそも最初から「物質」として存在しない幻影の類いだったのか……)

 様々な可能性が思い当たるが、今のこの時点では、ヒュースの中ではどの仮説も明確な確証には至れなかった。

 ******

 一方、同じグリースのマーチ組は、メアの計らいによって、無事に別の部屋を提供してもらっていた。どうやら、先日の蝋人形騒動で恐れをなして逃げ帰った音楽家達の部屋の一部が空室となっていたらしい。
 ベッドは二つしかなかったが、もともとSFCは「玩具」状態になればどのような場所でも休眠可能なので、彼女を室内のテーブルの上に設置した上で、セシルとメーベルはそれぞれのベッドに入りつつ、天井を見つめながら軽く言葉を交わす。

「ここまでお疲れ様」
「セシル様もお疲れ様です」
「あのヴァイオリンの人、大丈夫だった?」
「えぇ。あれ以降は特に何もして来ませんでした。もし何かしてたら、村の一角が燃えてたかもしれませんが」

 そうならなかったことにセシルは安堵しつつ、ふとメーベルに問いかける。

「ところで、さっきの姫様なんだけど……」

 正確に言えば何人か「姫様」はあの場にいたのだが、おそらくそれがミネルバのことを指しているであろうことは、メーベルにも察しがついた。

「……まだ父様が生きてた頃、『アントリアのどこかの領主の娘と縁談が出てくるかもしれない』と言ってたことがあったんだけど、それって、あの姫様のことなのかな?」
「あら? そうなんですか?」

 ひとまずメーベルは「知らなかったふり」を装って話を続けることにした。

「でも、セシル様と波長が合うなら、いいんじゃないですかね?」
「いや、まぁ、そうなんだけど、正直よく分からないというか……、悪い子じゃないと思うんだけど……、そもそも、結婚ってどういうものなの?」
「そうですねぇ……、私も経験がないので……」
「僕の父様と母様は仲は良かったけど、もう二人とも死んじゃって、こういうことを聞ける人が他にいなくて……」
「そうですね。SFCさんは玩具ですしね……」

 とはいえ、メーベルも今まで「結婚」ということについてあまり考えたことがない。彼女の中でこれまで心惹かれた男性と言えば、せいぜい「三歳年上の義父」くらいだが、彼への感情も「慕情なのかどうか判別が難しい程度の感情」である。結局、どう答えて良いか分からないまま沈黙が続き、いつの間にか二人は眠りについていた。

 ******

 その頃、同じ宿舎の中で、ボニファーツは就寝前にアカリの様子を確認しようと彼女の部屋を尋ねるが、誰もいない。宿の従業員に聞いてみたところ、どうやら彼女はカルディナの客室へと向かったようである。おそらくは、明後日の音楽祭に向けての打ち合わせだろう。
 念のため、ボニファーツがそのままカルディナの部屋へと赴いたところ、彼女の部屋の中から、明らかに「アカリでもカルディナでもない人々の話し声」が聞こえてきた。何と言っているのかまでは分からないが、その中の何人かは明らかに「若い男性の声」であった。
 不審に思ったボニファーツが、より詳しく中の声を聞くために扉に耳を密着させようとしたところで、内側から扉が開き、アカリが姿を現わす(どうやら彼女は「扉の外に誰かいる」ということに気付いたらしい)。

「あ、なんだ、ボニファさんか。えーっと、何かあった?」
「いやいや、一応、護衛として来てるからな。何か起こってないか確認しておこうかと」
「あぁ、うん、そうね、とりあえず、中でちょっと変な音とか聞こえるかもしれないけど、そのことは黙っててね。当日まで、秘密にしておきたいから」
「なるほど……。誰かいるのか?」

 そう言って中を覗こうとするボニファーツをアカリは止めようとするが、小柄な彼女では長身のボニファーツの視線を遮ることは出来ない。
 しかし、ボニファーツが中を覗いた時点では、カルディナ以外の人物の姿は見えなかった。

「まぁ、カルディナさんがいるなら、とりあえずは大丈夫だろう。明日も早いから、アカリちゃんも早く寝るんだぞ」
「うん、おやすみ」

 こうして、結局何が起きていたのかもよく分からないまま、ボニファーツはカルディナの部屋を後にするのであった。

 ******

 そんなアカリ達のライバルであるマージャ少年音楽隊の面々は、宴会終了後、無事に孤児院へと帰り着いていた。寝具の準備を始めていたティリィに対して、ふとビートが問いかける。

「魔法師の修行って、どれくらいかかるもの?」

 実際のところ、ティリィも詳しいことはよく分からないのだが、彼女の知る限りの「実例」に関する話から推測しつつ答える。

「今の時点で、制御出来ていないとはいえ魔法が使えているんだから、才能はある方だと思う。それでも数年はかかる。もしかすると、もっと……」
「そっかぁ……、それだけ経っちゃったら、もうみんな、俺のこと忘れちゃうよな……」

 寂しそうな声でそう呟くビートに対して、ティリィは「院長」として、あえて淡々と語る。

「この孤児院にる子達も皆、大人になったら独り立ちしていく。そして、この孤児院にはまた新しい子達が入ってくる」
「じゃあ、さっき一回会っただけのあの子も……、あ、いや、うん、そうだよな……」

 ビートが何かを思い悩みながらそう呟いているのに対して、ティリィも彼の心境を慮りながら、彼女自身の考えを素直に告げる。

「ビートがこの村を出て、エーラムで色々なことを学ぶのは、いいことだと思う。その力で人を助けることが出来るかもしれない。でも、それはビートが決めること。ビートがこの村にいたいんだったら、私はなるべくビートの希望が叶うように交渉してみる。いずれエーラムに行くにしても、まだしばらくこの村にいたいんだったら、そう出来るように話が通せるかもしれないし」
「……ありがとう。もう少し、考えてみるよ」

 そう言って、彼は静かにグリン達の待つ年少組の寝室へと向かって行くのだった。

 ******

 同じ頃、村のはずれでリッカが(酔いを冷ますために適度な水を補給しつつ)日課の素振りを繰り返し、そんな彼女の様子を少し離れたところからベアトリスが見守っていたところで、二人の視界に「奇妙な光景」が映る。それは、夜陰に紛れて一人の怪しげな人物が「村の外壁の内側」に何かを貼り付けている姿であった。

「何奴!?」

 不審に思ったベアトリスがそう叫びつつ、リッカと共に目を凝らしながらその男へと近寄る。わずかな月明かりの下で二人の眼前に映し出されたのは、背はあまり高くない小太りの「明らかに胡散臭い風貌の男」(下図)であった。


「そこの者!、こんな夜中に何をしている!?」

 リッカがそう叫ぶと、彼女の緊張感をあざ笑うかのように、その男は「陽気なような、尊大なような口調」で答える。

「わーたしに何か用か?」

 能天気な笑顔でそう返した「怪しげな男」に面食らいつつ、リッカが彼の背後に目を向けると、そこに貼り付けられていたのは、間も無く開催される三つの催し物を題材とした「奇妙な怪文書」であった(下図×3)。


「そうかそうか、貴殿も定期購読を所望か?」

 何ら後ろ暗い様子も見せずに、その「胡散臭い男」がそう問い返すと、リッカは困惑したまま首をひねる。

「……一体、これはなんだ? 貴殿は何者だ?」
「わーたしは……、あ、いや、この世界で『名前』を名乗って良いかどうか、まだ確認してなかったな。とりあえず、『じゃあなりすと』だ。正体が知りたくば、明日には明らかになるだろう」

 リッカには明らかにその男は不審者に見えるが、そもそも、端から見れば夜中に素振りをしてるリッカ自身も十分怪しい以上、あまり他人のことをどうこう言えた立場でもない。ベアトリスとしても、他人の領地で勝手に揉め事を起こすわけにもいかない以上、ひとまず黙っていた。

「つまり、明日や明後日もここにはいる、と?」
「あぁ。少なくとも明日はいる。明後日には、もしかしたら私は新天地に旅立っているかもしれないがな」

 男は踏ん反り返りながらそう言い放つと、今度は反対側の壁に同じ怪文書を貼り付けるべく、走り去って行く。リッカはひとまずこの光景を見逃した後に、一応、レインに報告に行くことにするが、今のところ特に実害と言えるほどのことも起こっていないようなので、レインはそれに対して特に何の行動も起こさなかった。この程度のこと、この村では日常茶飯事のようである。

3.1. それぞれの朝

 翌朝、ヒュースは改めて、村全体に対して「混沌」の気配を探知する。第一回の音楽祭での幽霊騒動のこともあり、彼は警戒心を強めていた。彼は今回の音楽祭には直接的には関与していないが、現地に到着して目の当たりにした優勝賞品の「熱気球」に強い興味を示しており、混沌災害などによってそれが壊されるのは避けたいと考えていたのである。
 とはいえ、今のこの村の中には「友好的な投影体」が多数来訪している以上、やはり反応が多すぎてどれが警戒すべき対象なのかの判別は難しい。そこで、ヒュースはひとまず自身が泊まっている高級宿舎の近辺に集中して調べてみたところ、宿舎の一角から、明らかに不自然なほどに大量の混沌核の気配を察知する。
 ヒュースが警戒しながらその一室へと向かい、宿舎の従業員にその部屋の宿泊者の名前を聞く。すると、返ってきた答えは「カルディナ・カーバイト」であった。

「ま、まぁ、あの人なら、きっと妨害なんて野暮なことはしないだろう……」

 首をつっこむと面倒なことになりそうだと考えたヒュースは、あえて何も触れずにその場から退散することにした。

 ******

 同じ頃、プロキオンは音楽祭のもう一人の優勝候補であるポーラのことが気がかりになっていた。昨夜の時点でティリィが「前に来た時はこんな匂いはしなかった」と呟いていたことから、彼女の身に何か異変が起きているのではないか、と予感していたのである。
 この日は同盟会議の当日であり(さすがに会議の場に「犬」を連れ込む訳にもいかないため)、一時的に護衛としての任務を解かれていたプロキオンは、ポーラが宿舎の近くで発声練習をしているのを発見すると、その近辺を飛んでいた野鳥達に問いかける(彼の邪紋には、鳥獣との意思疎通を可能とする特殊な力が宿っていた)。

「ポーラさんの歌声に、何か前と変わったことはあったッスか?」

 この村に住む野鳥達なら、前にポーラが来た時のことを覚えているかもしれない、と彼は考えたのである。特に、人間よりも聴覚が鋭い鳥達であれば、彼女の「歌声」の微妙な変化に気付けるかもしれない。

「別に前とそんなに変わらない」
「あー、でも、時々、ちょっと声が震えていたような……」
「もしかしたら、少し体調が悪いのかもしれない」

 鳥達はプロキオンにそう告げる。おそらくそれは、通常の人間では気付けない程度の微々たる違いなのだろう。だが、その「ごくごく微妙な不調」の原因が「体内の混沌核」にあるのかもしれないと考えたプロキオンは、改めてポーラのことが心配に思えてきた。

 ******

 一方、ヴェルディはこの日、孤児院を訪れ、ビートを相手に簡単な「魔法教室」を開いていた。自分とあまり歳の違わない子供達に囲まれながら、彼女は孤児院の中にある家具や食器などを空中に浮遊させつつ、自在に操る。

「わぁ、すごい」

 子供達が好奇と歓喜の眼差しをヴェルディに向ける中、それ以上に強い「羨望」の念を込めたビートの視線を目の当たりにしつつ、ヴェルディは彼にこう告げた。

「これが魔法だ」
「じゃあ、俺も、力を極めれば同じことが出来るように……?」
「僕よりも凄い人はいますが、少なくとも、これくらいは出来るようになるかと」

 そう言われたビートの瞳は、明らかに「特殊な力への憧れ」に満ちていた。しかし、それと同時にまだどこか逡巡した様子の彼に対して、グリンを初めとする周囲の子供達が次々と笑顔で語りかける。

「いいじゃん、いいじゃん、行きなよ。せっかくそんな凄い力があるんだから」
「そうだよ、そんな才能があるんだったら、行かないのは勿体ないよ」

 そこまで言われても、まだどこか複雑な表情のビートに対して、ヴェルディも淡々と告げる。

「もちろん、 無理にとはいいません。ただ、周りの人に迷惑をかけない程度の制御は出来るようになった方が良いかと」
「そっか、そうだよな……」

 ビートとしても、このままでは周囲に迷惑をかけてしまうことは分かっている。しかし、それでも即断出来ないほど、今の彼の中ではこの孤児院への強い愛着が染み付いていたのである。

3.2. 同盟会議

 そしてこの日、大陸各地から集まった大工房同盟諸国の代表者達が、領主の館の大広間に集められた。司会進行役を務めるのは、アントリア子爵ダン・ディオードの次席契約魔法師クリスティーナ・メレテス。その補佐役を努めるのが、この館の主である白狼騎士団軍楽隊長レイン・J・ウィンストンである。
 出席者は他に、大工房同盟の盟主を務めるヴァルドリンド辺境伯マリーネ・クライシェ(下図)を筆頭に、ノルド侯爵の実姉クリスティーナ・リンドマン、ウィンザレア男爵イリア・マーストン、ユーミル管区大司教ジークリンデ・ベルウッド、メディニア伯爵付き契約魔法師スティアリーフ・ストレイン、ファルドリア子爵夫人シストゥーラ・ヴォーティガン、クリフォード男爵令嬢ソニア・イースラー、ダルタニア魔法師団副団長シェレン・ジュピトリスの八名。


 司会者達も含めて全員が女性となったのが偶然か否かは不明だが、無骨な印象の強い同盟諸国の会議とは思えぬほどに華やかな面々が集まったこの空間は、どこか不思議な雰囲気が漂っていた。なお、この場には二人の「クリスティーナ」が並存しているため、ノルド侯爵の実姉の方は「リンドマン夫人」、司会者の方は「リトル・クリス」と呼び分けることになった(後者も女性としてはむしろ長身な方だが、女傑として名高い前者と比べると明らかに小柄である)。

 まずは、これまで中立を保ってきた「クリフォード男爵領」の大工房同盟への参加が承認され(この過程については文字数の都合で割愛。詳細はブレトランドと魔法都市4/同盟会議を参照)、その後は大陸各地の諸々の局地戦についての確認作業などが進む中、ふと思い出したかのように、リンドマン夫人(下図)がリトル・クリスに問いかける。


「ところで、今この場で問うべき話ではないのかもしれないが、アントリアとしては、いつまでこのマージャに『彼女』を置いておくつもりだ?」

 リンドマン夫人はレインを指差しつつ、やや厳しい表情を浮かべながら、そのまま司会者に対して問い続ける。

「魔境が消滅したのであれば、我がノルドの精鋭部隊である白狼騎士団の部隊長を、こんな『辺境の山奥の領主』という閑職に回しておくのは不毛ではないか?」
「そのお考えはごもっともです。ただ、この地の領民達はレイン殿を慕っており、この地が一種の特別自治区であることで、様々な形でこの地に亡命してくる者達もいます。結果的にそれがアントリア全体にとっても益をもたらしている側面もあります。今の我々としては、白狼騎士団の一員としてのレイン殿よりも、この中立村の領主としてのレイン殿の方により重き価値を置いている、というのが正直なところです」

 リトル・クリスとしてもこの質問は想定内であり、当然、この回答も事前に用意していた。だが、この点に関しては、リンドマン夫人もまたそう簡単に引き下がる気はなかった。

「このまま中途半端な立場であり続ける方が、今のアントリアにとって都合が良いということか。その理屈は分かるが、レインよ、お前はそれで良いのか? 誇り高きノルド騎士の一人として、このような辺鄙な土地の領主という地位に封じ込められることに、不満はないのか?」

 ここまで黙って資料配布などの雑用に徹していたレインだったが、さすがに今回は自分に直接話が振られている以上、答えるしかない。

「私は、どこにいても私の意思を貫けると思います。それに、今この村にいる人達は、私のことを必要としてくれていますし」
「それを言うなら、ノルドとしても今のお前の戦力は必要なんだがな。今のお前の聖印は、ヴィクトールと同等か、あるいはそれ以上の規模となっているであろう。正式にエーラムから承認を受ければ、少なくとも男爵、あるいは準子爵級以上の君主として認められることになる。だが、お前がそこまでの爵位をもらい受けるなら、もはや白狼騎士団の部隊長ごときに留めておく訳にはいかなくなる。それにふさわしい地位と所領と権限を以って、我がノルドのために尽くしてもらう。それが騎士としての本来の筋であろう。それとも、今のこの中途半端な地位に留まり続けることが、今のお前の望みなのか?」

 そこまで自分のことを高評価されていたことにレインは驚きつつも、素直に自分の考えをそのまま伝える。

「ごめんなさい。お言葉ですが、私は今の立場を中途半端なものとは思っていません」
「この地に混沌があった時はそうだっただろう。だが、魔境がなくなった今、それでもお前がこの地に留まり続ける理由は何だ?」

 これに対してレインが返答に困っていると、リトル・クリスが再び間に入る。

「申し訳ないですが、そこにはアントリア側の事情もあるのです。貴重な戦力を借りている身でこのようなことを申し上げるのも心苦しいのですが、もうしばらく彼女をこの地に置かせて頂けないでしょうか? このマージャの発展は、アントリアの発展だけでなく、大工房同盟全体の発展にも繋がると私は考えています」

 アントリアとしては、レインには「(マージャ近辺に潜伏する)旧子爵家の面々との交渉役」としての役割を期待している以上、ここで彼女をマージャから切り離す訳にはいかないのだが、(ダン・ディオードと敵対する旧子爵家のことを快く思っていない)イリアがいるこの場でそのことを公言する訳にもいかない。リトル・クリスの「察して下さい」と言わんばかりの微妙な表情を読み取ったリンドマン夫人は、苦笑を浮かべつつ、ひとまず引き下がる。

「そこまで言うのであれば、私も別に弟の全権代理人ではないのでな。国家機密に関わるような事情があるのなら、これ以上追求はしない。そういうことなら、彼女もヴィクトールも、しばらくはそちらに預けておくことにしよう」

 その発言を受けてレインとリトル・クリスがほっと安堵した表情を浮かべる中、リンドマン夫人は少し意地が悪そうな顔で語りかける。

「まぁ、こちらも、ウチの馬鹿娘の縁談が崩れた時以来(ブレトランドの光と闇1参照)、そちらとの関係が微妙になっていたが、貴国とはあくまで友好関係を保ちたい。あれは主にこちら側の責だと私は認識しているが、今回、マーシャル卿が来ていないのは、さすがに見合いを断った相手の母親を相手にするのが気まずい、という事情もあるのだろう?」
「……そういうことにしておいて頂ければ幸いです」

 リトルクリスは微妙な表情を浮かべながらそう答える。マーシャルではなく彼女がこの場の司会役を担当することになった背景には様々な事情があるのだが、それらは今、この場で説明出来ることではなかった。
 そして、以後の諸々の議題についても特に大きく議論が紛糾することもなく、この日の大工房同盟会議は無事に幕を降ろすことになったのである。

3.3. 微弱なる混沌核

 領主の館で同盟会議が開かれている間、しばらくポーラの様子を観察していたプロキオン(人間状態)であったが、何度匂いを嗅いでも彼女から漂う混沌の気配の正体が分からなかったため、思い切って、宿屋の裏で発声練習を続けていた彼女に直接問いかけてみることにした。

「ポーラさん、今、何か『混沌系の病気』にかかってますか?」
「病気? いや、別に……。というか、『混沌系の病気』って、何?」

 言ってるプロキオンも、それが何を意味しているのか良く分かっていない。そんな中、ヒュースが「グリース代表の音楽祭出場者」である彼女の様子を確認するために、この場に現れた。

「どうしました?」

 それに対してプロキオンが(もともと嘘がつけない性分ということもあり)自分が知っていることを全てそのまま話す。

「あ、すみません、自分、混沌の匂いが分かるんスけど、ポーラさんは邪紋使いでも投影体でもないと聞いてるんスけど、ちょっと混沌の匂いがするんスよ」

 その言い分の根拠はよく分からなかったが、念のためヒュースが混沌探知の魔法を用いて調べてみると、確かに彼女の体の内側から、「ごくごく微弱な混沌核」の存在を感じ取る。それは極めて小さな、しかし確かに(混沌の残滓などではなく)「混沌核」の気配であった。

「確かに、ポーラさんの内側に反応が……、ポーラさん、最近何か変なことが起きたりしませんでした?」
「うーん、確かに最近、時々体調を崩すことはあったけど、でも別に混沌によるものってカンジじゃなかったし……」

 ポーラはそこまで言ったところで、突然表情を歪める。

「あ、ごめん、少し疲れたのかな、ちょっと失礼」

 彼女はそう言いつつ、その場から離れた上で、宿屋の裏庭の隅でゲホゲホと何かを吐こうとするような動作をしつつ、しかし口からは何も出てこない、という状態となっていた。
 その様子を見たヒュースの中で「一つの仮説」が思い浮かぶ。

(まさか……)

 彼は今度は「生命探知」の魔法を唱え始める。すると、ポーラの体内(胎内)から「生命と言って良いのかどうか微妙な何か」が存在することを感知した。
 この時点で全てを察したヒュースは、すぐにメーベルを呼びに行く。この状況において必要なのは、薬物の専門家であるが故に医学全般に対しての一定の心得があり、そして「女性」でもある彼女だろうと判断したのである。
 ヒュースは宿舎にいたメーベルに「ここまでの間に確認した客観的事実」をそのまま告げると、メーベルもすぐに事情を察する。

「なるほど、分かりました。すぐ行きます」

 彼女がそう言ってポーラの元へと向かい、そして彼女の下腹部を中心に診察をおこなった結果、はっきりとした確信の上で、こう言った。

「『おめでた』です」

 ポーラの胎内には「混沌核を持った子供」が宿っている。それがメーベルの診断結果である。極稀に「胎児の状態で異界から投影される形での受胎」という事例もこの世界には存在するが(その実例が他ならぬグリースにいるのだが)、もう一つの可能性として「投影体とアトラタン人の間に生まれた子供」の中にも、体内に混沌核を宿している者がいる。そしてポーラの中には、明確な「後者」の心当たりがあった。

「あー、そっかぁ、そういうことかぁ。確かに、微妙に体調がおかしいとは思うけど、でも、まだお腹も出てないし、1ステージくらいなら、大丈夫よね?」
「そうですね。歌う分には問題ないかと」

 メーベルがそう答えると、ポーラは少し考えた上で、ボソリと呟く。

「……とりあえず、『あいつ』と、ちょっと相談するかな」

 そう言いながら、彼女は「紅の楽士」ことオトヤ(地球人)の部屋へと向かうのであった。

3.4. お披露目

 そしてこの日の夜、「同盟会議後の懇親会」と「音楽祭の前夜祭」を兼ねた「新人魔法師のお披露目会」が領主の館で開催されることになった。世界中から集められた君主達が、自身の地元の特産の料理や酒を持ち寄って振る舞い合う中、バリー・ジュピトリスはようやく「本来の任務」としての司会進行役に従事する。

「では、まずは我が同門の二人から紹介しよう」

 彼が全体に対してそう告げると、アド(下図右)とトレミー(下左)が改めて挨拶する。


「俺達は、どちらも生命魔法師です。俺は常盤の系譜のアド・ジュピトリス。こいつは、緑の系譜のトレミー・ジュピトリスです」
「僕等はバリー先生と一緒に異世界の芸術文化についての研究も続けてきました。明日の音楽祭では、余興役として僕達二人の『最初で最後のユニット曲』を披露させてもらいます」

 今までは二人一緒に行動することが多かったが、おそらく今後はそれぞれ別の君主に仕えることになるであろう、ということを見越した上での宣言である。逆に言えば(本来の本命であるレインが無理でも)「絶対にこの機会に契約相手を見つける」という決意表明でもあったのだが、実際のところ「歌って踊る魔法師」という売り文句は(芸術文化を愛する優雅な連合諸国ならまだしも)同盟諸侯にはあまり響かなかったようで、会場全体の反応は今ひとつ芳しくなかった。
 そんな会場内の空気は、次に控えているランスにも伝わっていた。世界各地の軍事大国の代表者が集うこの場には、明らかに今までとは異なる雰囲気が漂っていることを実感させられたランスは一瞬萎縮するが、それでもここはあえて自分の覚悟を見せる時だと(なぜか)思い立ち、意を決して「真実の言葉」で自己紹介を始める。

「我が名は堕天使ヤマトゥ! ヤマト教の教祖なり! 我は天より堕ちた堕天使だ。我が目指すのは幸福で平等な世界!」

 彼はそう叫びながら、立て続けに頭を締め付ける額冠の激痛に苦悶の表情を浮かべ続ける。

「どうも、よろしく……」

 最後はやや消え入るような声でそう言った彼は頭を押さえつつ、静かに後方へと下がる。当然、会場内にはザワザワとした空気が広がる。

「今のあれは何だ? 余興か?」
「一応、エーラムの制服は着ていたようだが……」

 参加者達は首を傾げながら、そんな言葉を交わす。この時点でランスは本名や専門分野どころか、自分のことを「魔法師」だとすら名乗っていない(今までは最初に他の誰かに紹介してもらっていたため、彼はその必要性にすら気付いていなかったのである)。結果、この時点で一部の参加者達からは「道化師の余興」のように見えていた。
 奇妙な困惑の時間が流れる中、彼に続いて皆の前に立ったのは、カルディナ・カーバイトである。その傍らには、自前の小さな台車に乗せた「大小様々な大きさの12冊の異界の書物」が並べられていた。いずれの表紙にも様々な画風の「表紙絵」が描かれ、そして異界の文字で題名が書かれていたのだが、この場にいる中で地球出身のリッカやアカリはその文字を読むことが出来た。

(モンスターメーカー? ログ・ホライズン? 鵺鏡? ……なんだ、あれば?)

 文字は読めても意味が理解出来ないリッカが困惑していると、カルディナは静動魔法を用いてそれらを同時に自分の周囲に浮遊させ、そして12冊同時にそれらを開くと、その中から12人の「魔法師のような姿をした者達」が現れる(下図)。一人一人の「特性」が分かりやすいように、それぞれの周囲にはカルディナが幻影想像の魔法で作り出した「魔法の系統を表す色のオーラ」が漂っていた。


「あ、あの、元素魔法師のルフィーア・カーバイトと申します。得意魔法は炎系です」

 橙のオーラをまとったその少女は、やや怯えた様子でそう名乗った。身体の大半を覆い隠す赤いローブを着て、先端が折れた三角帽子を被り、長めの杖を持ったその姿は、アルトゥークの自然魔法師達に似た風貌である。彼女を呼び出した本の背表紙には 『モンスターメーカーRPG ホリィアックス』 と書かれていた。

「ルンデルハウス・カーバイト。攻撃魔法全般が僕の得意領域。よろしく頼むよ」

 朽葉のオーラをまとったその短い金髪の少年は、自信満々にそう語った。彼もまたエーラムの魔法杖よりは長めの杖を持っていたが、そのデザインはルフィーアの杖よりも洗練されたデザインであり、その装束もどこか貴族的な豪奢な雰囲気である。彼を呼び出した本の背表紙には 『ログ・ホライズンTRPG』 と書かれていた。

「ドーマン・カーバイト。この世界では静動魔法師と呼ばれるらしいな」

 黄のオーラをまとったその男は、不敵な笑みを浮かべながらそう呟いた。一見すると少年のような風貌でありながらも、どこか年齢不詳の不気味さを感じさせる雰囲気を漂わせており、その独特の装束は極東の島国の文化を想起させる。彼を呼び出した本の背表紙には 『平安幻想夜話 鵺鏡』 と書かれていた。

「私はウィザ……、あ、いや、この世界じゃ、そう名乗っちゃいけないのね。私は山吹の静動魔法師、クレハ・カーバイト。弓を使うのが私の特技よ」

 山吹のオーラをまとったその少女は、何かを言い淀みつつ、そう自己紹介した。奇妙な形状の弓を持ち、その手には護符と思しき紙片を持ち、そして明らかに極東の自然魔法師の一族と思しき装束を身にまとっている。彼女を呼び出した本の背表紙には 『ナイトウィザード』 と書かれていた。

「私はカイコウ・カーバイト。生前の名前は張角というのだが、まぁ、それはどうでもいい。人々の傷を癒すのが私の仕事だ。リピート・アフター・ミー、蒼天既に死す」

 緑のオーラをまとったその女性は、唐突にそんな意味不明なフレーズを口走った。シェンム北部のシャーン地方の装束を想起させる独特の服を着込んだ彼女は、明らかにどこか浮世離れした空気を漂わせている。彼女を呼び出した本の背表紙には 『武将バトルRPG 転生三国志』 と書かれていた。

「カンリュウサイ・カーバイト。一応、私の本業は剣なんだがね。出雲流巫術も使える。ここでは生命魔法師と呼ばれるらしいな」

 常盤のオーラをまとった長い金髪のその男性は、どこか他人を見下したような口調でそう言った。彼もまた極東風の(しかも微妙に紛らわしいことに浅葱色の)装束を見にまとい、眼鏡をかけ、そして腰には片刃剣を携えている。彼を呼び出した本の背表紙には 『幕末霊異伝〜MI・BU・RO〜』 と書かれていた。

「わーたしはチャーラン・カーバイト! 魔法師にして、真実を伝えるじゃあなりすとでもある! 得意技は、ウニの召喚だ!」

 青のオーラをまとったその小太りの男性は、能天気な笑顔を浮かべてそう言い放った。いかにも魔法師然とした風貌ではあるが、顔も口調も何もかもが胡散臭い(そして間違いなく、昨晩リッカ達が遭遇した「あの男」である)。彼を呼び出した本の背表紙には 『ルナ・ヴァルガーRPG 呆然』 と書かれていた。

「私はDr.このは。コノハ・カーバイト。色々な便利道具を生み出すのが私の仕事よ」

 浅葱のオーラをまとったその片眼鏡の少女は、そう言いながら奇妙な小道具を自分の周囲に次々と出現させた。その装束はシャーンとも極東とも似て非なる独特の形状であり、額には二色の勾玉が合わさったような髪飾りを付けている。彼女を呼び出した本の背表紙には 『番長学園!! 大吟醸』 と書かれていた。

「私はローザリンデ・カーバイト。魔法師としては未来予知が本業ね。元の世界では政治家としてもそれなりに実績があると自負しているわ」

 藍のオーラをまとったその少女は、長く美しいその髪をかき上げながらそう豪語した。その装束も顔付きも態度も、魔法師というよりは明らかに君主然とした様相であり、出席者達を値踏みするような視線で周囲を見渡している。彼女を呼び出した本の背表紙には 『Blade of Arcana Reincarnation』 と書かれていた。

「マリン・カーバイトです。私も未来予知が得意です。この世界の分類では、私の方が『夜藍』ということになるらしいですね」

 夜藍のオーラをまとったその丸眼鏡の少女は、ハキハキとした口調でそう語りつつ、さわやかな笑顔を見せた。見た目にはエーラムの中等部の学生のようにも見えるが、その学生服の形状は魔法学校のそれとはやや異なる。彼女を呼び出した本の背表紙には 『サイキックハーツRPG』 と書かれていた。

「ミツキ・カーバイトです! 海鮮パティシエです! 私の料理を食べた人達は、みんな心も体も元気になるみたいで、この世界では錬成魔法師と呼ばれています!」

 紫のオーラをまとった、おそらく最年少と思しきその少女は、元気いっぱいにそう宣言した。彼女もまた「魔法学校とはやや異なる制服」を身にまとい、耳の上の辺りにはクラゲを形取った独特の髪飾りを装着している。彼女を呼び出した本の背表紙には 『恋と冒険の学園TRPG エリュシオン』 と書かれていた。

「私はスレイン・カーバイト。冒険者として、様々な地方の魔境や洞窟を探検してきたので、色々とお役に立てると思います」

 菖蒲のオーラをまとったその男性は、落ち着いた口調で皆にそう告げた。手元の部分が丸く曲げられた形状の長い木の杖を持ち、質素なローブに身をまとったその風貌からは、「歴戦の魔法師」としての風格が感じられる。彼を呼び出した本の背表紙には 『ロードス島戦記コンパニオン』 と書かれていた。

(なんなんだこいつらは……)
(本から出てきたようだが……、本当に人間なのか? それともオルガノンか何かなのか?)

 出席者達がそんな困惑の表情を浮かべている中、カルディナはしたり顔で語り始めた。

「まぁ、こいつらはオルガノンの親戚みたいなものだと思えばいい。正確に言うとオルガノンではなく、『象徴体(レトロスペクター)』と呼ぶらしいのだがな。『こいつらが元々いた世界』には、『こいつらのような存在』を生み出す『禁書』と呼ばれる特殊な本があるらしい」

 つまりは「ヴェリア界経由で出現した異界魔書のオルガノン」ではなく、構造的にそれとよく似た性質を持つ 別の異世界 の(その異世界内では「象徴体」と呼ばれている存在の)投影体、ということらしい。

「そして、彼等は当初、『悪い魔法師』によってこの世界に呼び出され、悪いことをさせられそうになっていたところを、私が助けて、そして更生させたのだ。今の彼等はエーラムでの登録上は『魔法師見習い』扱いで、実際のところ、『この世界の魔法師』としては、まだ未熟な力しか持たない。しかし、それとは別に『特殊な異界の力』を使うことも出来る」

 それはすなわち、正真正銘の「異界の魔法(のような力)」の使い手ということである。その上で、彼等は彼等自身に本来備わっていた「異界の魔法(のような力)」の特性に近い系統の「この世界の魔法」も勉強中らしい。

「登録上はあくまで『魔法見習い』扱いなので、契約魔法師とは別枠で『研修生』として雇うことが出来る、非常にお買い得な面々だ。ただし、その能力への対価としては破格に安いので、一君主につき一人までにしてもらおう」

 まるで卵の特売のような感覚でそう語るカルディナに対して、君主達からは疑念の声が上がる。

「そいつらは、本当に信用していい存在なのか?」

 イリアはそう問いかける。カルディナは「更生させた」と言ったが、そもそも「異界の魔法師」という時点で、胡散臭さを感じない方がおかしい。だが、それに対してはカルディナよりも先に横からリンドマン夫人が口を挟んだ。

「エーラムの魔法師殿が仰られるのであれば、大丈夫なのだろう。もし我々に対して彼等が害を成そうとした場合、正規の魔法師でないのであれば、我々の判断で『処分』して良いのだな?」

 それに対してはカルディナも頷く。

「あぁ。もしそのような事態に陥ってしまた場合は、私の監督不行き届きによる失態だからな。致し方ない」

 その言質を得たことで、君主達は改めて本格的に「12人」を雇い入れるべきか検討を始める。この場にいる君主達の中には、これ以上契約魔法師を雇える枠のない者達も多かったが、研修生扱いで雇えるというのなら、試しに雇ってみる価値はあると考え始めたようである。
 一方、この「格安の新人達」を前にして割りを食ったのは、「正規の契約魔法師」としての就職を目指していた三人である。

「なんか、影が薄くなってしまったな……」
「どうする? 明日の出し物、今ここでやっちゃう?」

 トレミーとアドがそんな愚痴を交わし合う中、先刻まで集めていた皆の注目を一瞬にして失ってしまったランスもまた落胆していたが、この厳格な雰囲気の君主達に色々と問い詰められる展開が避けられたという意味では、どこか助けられたような心境でもあった。

3.5. 背水の堕天使

 こうして、奇妙な雰囲気を漂わせたまま、各国の代表達と魔法師達による「交渉」の時間が始まった。並み居る首脳を前にしてランスが微妙に怯えているところに、ダルタニア魔法師団の副団長であるシェレン・ジュピトリス(下図)が声をかける。


 彼女は元はダルタニアの(投影体の血を引いているとも言われる)少数民族に属する自然魔法師であり、バリーとは同郷・同門の関係にある。エーラム時代はバリーと同様に異界の芸能にも興味を持つなど、この場にいる者達の中では珍しく、どこか俗っぽい雰囲気を漂わせていた(なお、専門領域もバリーと同じ元素魔法師だが、彼女は朽葉の系譜であり、「火」を得意とするバリーとは対照的に「水」系統の魔法を得意とする)。

「君、堕天使なんだって?」
「うむ。いかにもである」
「ってことは、君はどこの世界から来たの?」

 どうやら「彼等」と同類だと思われているらしい。それに対して、横から召喚魔法師(浅葱)のコノハが口を挟む。

「あぁ、私と同じ関東豪厳にも堕天使って名乗ってる人達がいるから、多分、君、昭和70年代から来た人よね?」
「ショウワ?」

 ランスが首を傾げていると、今度は錬成魔法師(紫)のミツキが割って入る。

「いや、違うよ。あなた、久遠ヶ原から来た人でしょ? 堕天使ってことは、悪い天使さん達と戦う私達の味方をしてくれるいい人なんだよね?」
「うーん、まぁ、間違ってはいないような……」

 そうは答えつつも「クオンガハラ」という言葉にも彼は心当たりはない。そこへ、更に静動魔法師(山吹)のクレハまでもが興味を抱いて問いかけてきた。

「確か、私の住む第八世界と並行関係にある第三世界に、そんな人達がいると聞いたことがあるけど、そこの出身じゃないの?」
「いや、まぁ、その……、我は『まだ貴様達が知りえない世界』から来ている。貴様達が認識出来ないのも、仕方ないことであろう」

 ひとまずそう言って煙に巻いたランスに対して、改めてシェレンが問いかける。

「ふーん。まぁ、それはいいや。で、君の専門は何?」
「我は、ローちゃんという使い魔を飼っている」
「ローちゃん?」

 シェレンは頭の中で様々な「ロー」で始まる「使い魔となりそうな存在」を想像する。

(ローズバトラー? ロールパンナ? いや、そういえば潜水艦のオルガノンの中にそんなのがいたような……?)

 なぜ召喚魔法師でもないシェレンがそこまで異界の存在に詳しいのかは謎だが、彼女が判断に迷っていると、ランスはしたり顔を浮かべる。

「ならば、実際に見せてやろう」

 彼はそう言うと同時に窓を見て、そして叫んだ。

「ローちゃぁぁぁぁぁぁぁん!」

 次の瞬間、窓の外にいつもの「巨大な女性トロール」が出現する。その姿を目の当たりにしたシェレンは、興味深そうな顔で窓の外を凝視しつつ、ランスに語りかける。

「あー、なるほどね。トロールかぁ。いいねぇ、いいねぇ」
「可愛いであろう?」
「君、あの子と命を共有してる?」
「あぁ、いかにもである」
「じゃあ、前線に送っても大丈夫だね」
「まぁ、うん、いかにもである」
「ウチの太守様はね、私達みたいな『ちょっと頭が弱い魔法師』でも、戦場での実力さえあれば使ってくれるから」

 シェレンは「実戦派」であり、「武闘派」でもある。だからこそ、研究職に進んだバリーとは対照的に、地元に帰ってその力を戦場で活かす道を選んだ。その意味では、彼女は(同じ朽葉の系譜に属するスパルタの契約魔法師と同様)明確に「座学が苦手なタイプ」であり、ランスのことも勝手に「自分と同類」だと考えているらしい。

「我は頭は悪くない。なぜなら我はこの世の全てを知るものだ」
「ふーん」

 シェレンはランスの言い分を軽く聞き流し、窓の外のトロールの様相から、その戦闘員としての実力を直観的に割り出そうとしていた。
 そんな中、今度は(前々からランスに興味を持っていた)ミネルバが声をかける。

「ねーねー、堕天使のおにーちゃん、猫さん召喚出来る?」
「猫?」
「鶏さんでもいいけど」
「鶏……」

 ランスは少し考えた上で、窓の外を指す。

「そこにローちゃんがおるであろう?」
「うん」
「遊んできなさい」
「いや、ローちゃんはこないだ見たから、次は猫さんか鶏さんに会いたいな」

 そう言われたランスは悩みつつ、ここまで頼まれたら、さすがに無下には出来ないと思い、魔法杖を取り出し、ミネルバの隣のあたりを指し示す。

「良いか、我は数秒しか召喚出来ん。ここに出すから、数秒でモフモフするのだ」
「うん、分かったー」

 ミネルバが頷くと、彼はその場にケット・シーを瞬間召喚の魔法で呼び出す。

「汝に祝福を……、ん? 我は何をすればいい?」

 呼び出されたケット・シーが困惑しているところに、ミネルバが抱きついて撫で回す。困惑した表情のまま、ケット・シーは首をかげた。

「じゃあ、用がないなら帰るニャ」

 そう言って、すぐに姿を消す。ランスはこの一瞬だけのために相当な魔力を費やしたが、その甲斐あってか、ミネルバは満面の笑みを浮かべていた。

3.6. 巡る思案

 一方、全くもって想定外な「後輩」を目の当たりにさせられたヴェルディは、相変わらず非常識な振る舞いを続けるカルディナに呆れつつ、再びマリベルの姿を発見して、ふと問いかける。

「どうです? マリベル姫。お眼鏡にかないそうなのはいました?」
「そうねぇ。ウチは港町だし、あの海鮮パティシエの子とか、いいかもしれない」

 彼女がそう言ったところで、ちょうどヴェルディを探してたカルディナが二人を発見し、声をかける。

「ミツキは私の一番のお気に入りだからな。『新鮮な海産物』が取れるところでないと、こいつはやらんぞ」

 カルディナがそう言うと、横から今度はアカリとボニファーツが現れる。彼女達もまた「港町」の住人である。

「そういうことなら、ウチも欲しいわね。ボニファさん」
「あぁ、そうだな。ウニも捨てがたいが……」

 ボニファーツがそう言うと、カルディナが渋い顔をして答える。

「チャーランの呼び出すウニは食用じゃないから、食ってもまずいぞ」
「そうか、じゃあ対象外だな」

 ボニファーツが残念そうな顔を浮かべている中、アカリはいち早くミツキに声をかけると、ミツキも彼女の話に興味を示す。

「カニかぁ。それは確かに魅力的かも。ところで……、もしかして、あなた、私と同じ世界から来てる?」
「うん、厳密に同じ世界かどうかは分からないけど、多分、似たような世界だと思うわ」

 なぜ二人がそう思ったのかは不明だが、確かにこの二人の出身世界は極めて近い関係にある。ただ、正確に言えば、それは 「象徴体としてのミツキの出身世界」 ではなく、 「ミツキの『本体』である書物の中に描かれている世界」 「アカリの出身世界」 との間の親和性なのだが(しかも、より正確に言えばそれはあくまで「この世界線におけるアカリ」の出身世界であり、「別の世界線におけるアカリ」の出身世界かどうかは不明なのだが)、さすがにそこまで細かい事情まで理解出来るものは、この場にはいなかった。

 ******

 一方、再び秋田犬の姿でこの祝宴会場に足を踏み入れていたプロキオンもまた、イリアに問いかける。

「イリアさんは、どうします?」
「優秀そうなのは、あの時空魔法師の二人かな……。正直、時空魔法師は欲しい。セリーナに対抗出来るような人材が。表裏どちらがいいかは相談した上で確認したいところだが、でも、表の方がいいかもしれないな。雷撃の打ち合いにも対応出来るし」

 どうやら彼女の中では、いずれバットとも衝突する未来図を描いているらしい。その考えを堂々とバットの側近の前で語ってしまう辺り、彼女も基本的にはバットやプロキオンと同類の「馬鹿正直な気質」なのかもしれない。

「それなら、こちらはやっぱり火力ッスかねぇ」

 プロキオンはそう呟きつつ、ルフィーアやルンデルハウスに視線を向ける。魔境と日頃から対峙しているバットには、やはり即戦力となる攻撃魔法の使い手が必要に思えた。

 ******

 この「お披露目会」に出席している者達の大半は大工房同盟諸国の面々だが、翌日の国際音楽祭の前夜祭も兼ねているため、必然的に同盟外の面々も何名か出席している。その意味において、この場で「同盟外の人間」が新人魔法師を勧誘して良いかどうかは微妙な問題であり、セシルやメーベルはひとまず自粛していたのだが、ヒュースはこの時点で積極的に新人勧誘に動こうとしていた。
 それは、このお披露目会を「大工房同盟会議の懇親会」の一環と考えるか、「(誰もが参加可能な)国際音楽祭の前夜祭」の一環と考えるか、によって解釈が分かれるところなのだが、特に「同盟諸侯以外は勧誘禁止」とも明言されていなかったので(おそらく一部の同盟諸侯の中では「それくらいは言われるまでもないこと」だと考えていたのだろうが)、ヒュースは気にせず、「今のグリースにとって必要な人材」が誰か、と思案を巡らせていたのである。

(今のウチには表の六系統の魔法師は一通り在籍している。そう考えると、ここは裏系統の誰かを連れ帰るべきか……、そういえば、あの「常盤の生命魔法師」が持っていた片刃剣は、「ウチの問題児」が前に使っていた武器に似ているような……)

 そんな考えを抱きつつ、彼はカンリュウサイに視線を向ける。前線で役に立つ常盤の生命魔法師であれば、ゲオルグの好みにも合うだろう。
 一方、同じような片刃剣を武器をリッカもまたカンリュウサイには興味を示していたのだが、さすがにただの護衛の身で村の人事に口出しする気はない。そしてベアトリスはベアトリスで、誰を連れ帰るべきかと悩んでいた。

(あのスレインという魔法師は優秀そうだが、エステルと同じ系統の魔法師を連れ帰っても意味があるかどうか……、かといって、変なのを連れ帰るとまたエステルに怒られるだろうし……)

 好事家のエステルの性格を考えれば、誰を連れ帰っても喜びそうな気はするのだが、どうにもベアトリスの中では、必要以上に植え付けられてしまった彼女への恐怖心が拭えないらしい。

3.7. 禁書大戦

 こうして各地の首脳陣が新人魔法師達を相手に思案を巡らせている中、唐突に館の外から謎の人物の声が響き渡った。

「カァァァルディナ・カーバイトォォォォォォォ!」

 それは野太い男性の怒号であった。この時点でカルディナの近くにいたバリーが、彼女に問いかける。

「何をやらかしたんですか、先輩?」
「さて、どの件だろうなぁ」

 人から恨まれることに関しては、彼女の中では心当たりは無数にある。

「でもまぁ、多分、こいつらの件だろうな」

 「12人」を見渡しながらカルディナはそう呟きつつ、窓の外を見ると、そこには一人の初老の男性(下図)の姿があった。


「貴様、私の貴重なコレクションを、勝手にこんなところで競売に出すんじゃない!」

 窓の外の男がそう叫ぶと、カルディナはボソッと呟く。

「あぁ、やはり生きておったか」

 明らかに不穏なその言い方に対して、周囲の者達が「嫌な予感」を感じる中、窓の外の男はそのまま彼女に対して叫び続ける。

「貴様の奪った私のコレクションは、私が元いた世界の『禁書』だ。それを私自身の手でこの地に召喚し、そして自律的に動けるようになるまで調整を施した傑作。それを奪って勝手に売りさばくなど、一体どういう了見だ!」
「生きていたことには感服するが、これだけエーラムの魔法師や同盟の諸侯が集まっている中に顔を出すとは、なかなかいい度胸をしているなぁ、パンドラの者が」

 その名を聞いて、ヴェルディを初めとするその場にいる者達の顔色が変わる。だが、すぐに窓の外から男の反論が響き渡る。

「私はもうパンドラではない! あんな組織のことなど知らん!」
「そうかそうか、追い出されたんだったな。新世界派の首領に新しく就任したという、あの小僧に」
「私はもうあんな連中にはついて行けぬ! 私は私の力で、この世界に『私の国』を作り上げる。そのために『その12人』は必要だ。返してもらうぞ」

 彼はそう言うと同時に、その場に何十冊もの本を出現させ、先刻のカルディナと同様に宙に浮かせる。それらもまた、地球の文字で題名が書かれた異界魔書であった。

(グランクレスト戦記1巻、2巻、3巻、4巻……、アデプト、メイジオブリージュ、ライブファンタジア、ライブファクトリー、ファルドリア戦記、ノートリアス、魔王修行……)

 リッカがそこに書かれている文字を確認している間に、彼はそれらの本を一斉に開き、そしてその中から次々と「アトラタン世界の住人と酷似した象徴体」の投影体が現れる。その中には、前日の時点でヒュースが遭遇した「露出の多い服を着たシルーカ」や、「今この場にいる同盟諸国の首脳陣とそっくりな外見の者」も含まれていた。

「なんだなんだ、何が起きた!?」

 宴の参加者達が次々と窓際に来て外の状況を確認し始めると、カルディナは涼しい顔で参加者全員に対して、こう告げる。

「いわゆるひとつのエンターテイメントですよ。契約時の参考になるようにと、魔法師と君主のそれぞれの持ち味を見せつけてもらうために用意した『余興』です。存分に叩きのめしてやって下さい」

 明らかにそれが「今思いついた言い訳」であることを察したヴェルディは、真っ先に動いて館の外へ向けて走り出しつつ、その途上でカルディナに小声で語りかける。

「先生、後でパンドラの最新の内情について教えて下さいね。そうでないと、先生がやったことの『いくつか』をエーラムに報告しなければなりません」
「分かった。覚えておこう」

 一方、ランスもまた、外にいるローちゃんと合流すべく窓から飛び出そうとするが、その直前にメーベルが彼に何かを投げつける。

「ランス君、これ使って!」

 それは彼女が錬成魔法で作り出した「異門の魔法杖」であった。姉弟子の餞別と言わんばかりのその品を受け取ったランスは、いつもの如く窓ガラスを割って外へと飛び出る。
 そんな彼の目の前に待ち構えていたのは、「巨大なイカの怪物」の象徴体であった。ランスに続いて多くの者達が館の外に出てそれぞれに目の前に現れた様々な象徴体達と戦う中、ラメーベル、ヴェルディ、レイン、ティリィ、ボニファーツ、プロキオン、ヒュース、リッカの八人は、ランスと共にその怪物に対峙することになる。
 最初に動いたのはプロキオンであった。彼は秋田犬の姿のまま突撃し、イカの触手の一つに食らいつくと、そこから不気味な色の血が周囲に飛び散る。更に、ヒュースとランスが立て続けにタルタロスを瞬間召喚し、メーベルが火炎瓶を投げ込み、そして幻想弓を作り出したヴェルディがその威力を魔法で最大限度まで増幅させた上で矢を放つと、その矢は鮫のように周囲を高速でうねりながら飛び回り、その場に広がっていた全ての触手を焼き尽くす。相手がパンドラ関係者ということもあって、いつになく彼女の中での殺意は高まっていた。
 更にリッカの二本の鋭い刀が次々と触手を斬り刻み、レインもまたその剣に炎を宿した状態で斬り掛かる一方で、ティリィは上空から邪紋で生み出した毒を撒き散らしながら大鎌を振るい、そこにヒュースのワイバーンによる突撃と、ランスのトロールによる巨大な棍棒の一撃が加わったところで、ボニファーツの邪紋の力によって再度放たれたヴェルディの二本目の矢がうねりをあげて襲いかかり、巨大イカはその身の大半が焼け爛れた状態へと陥り、辺り一面に焼きイカの匂いが広がり始める。
 だが、それでも巨大イカは怯まずに、ランス達に向かって八本の触手で襲いかかる。(ヒュースのケット・シーの力を借りた)プロキオン以外は避けきれずに直撃してしまうが、ヴェルディの生み出す静動魔法による防壁と、ヒュースとランスの呼び出したオルトロスによってその威力が弱められた結果、ティリィとボニファーツは自力で耐え切り、ランスはトロールにその痛みを肩代わりさせ、レインは自らの聖印の光壁によって防ぎ、メーベルとヴェルディとヒュースへの攻撃はボニファーツがその強靱な鎧を用いて庇うことで、誰一人倒れることなく対峙し続ける(そしてレインは聖印を用いて自らの傷を癒し、メーベルの投薬によってヒュースの精神力も回復する)。
 その直後、巨大イカは今度はドス黒い色の毒スミを吐き出すが、ヒュースの呼び出した小悪魔の妨害とボニファーツの助言によって大半の者達はそのスミを避けることに成功し(ヒュース自身も危なかったがメーベルの魔法のおかげでどうにか避け切り)、唯一かわし損なったヴェルディを庇ったボニファーツは猛毒に冒されるが、メーベルの万能薬ですぐに解毒に成功した上で、レインが掲げた聖印の力によって全員の精神力が回復していく。それはとても即興の連合軍とは思えぬほどの息のあった連携戦術であった。
 こうして徐々に追い詰めてられていった巨大イカは、最終的にはプロキオンに食いつかれ続けた状態のまま、ヒュースの生み出したラミアと、メーベルの二本目の火炎瓶、そしてヴェルディの三本目の矢を受けて力尽き、その「本体」である禁書( 『グランクレスト・リプレイ・ライブ・ファンタジア 天災魔法師と竜を駆る姫君』 )ごと消滅する。
 同じ頃、ベアトリスや他の出席者達(および12人の「新カーバイト一門」の者達)も次々と他の象徴体(の投影体)を撃破し、そして本の持ち主であった男は、懐に潜り込んだカルディナの(常盤の生命魔法を用いた)拳でその腹部を貫かれ、(数々の禁書コレクションと共に)混沌の塵となって消えていく。どうやら、彼自身もまた投影体だったようである。

3.8. 磯の香り

 この戦いを通じて、領主の館の一部は破壊され、何人かは一時的に深手を負ったものの、さすがに大陸中から集められた強者揃いだけあって、死者は一人も出なかった(そして重傷を負った者達も、トレミーやソニアが次々と回復させていく)。

「今のは、本当に余興だったのか?」
「これが『仕込み』だとすれば、いくらなんでもやりすぎだったのでは?」

 さすがに出席者達の中にはそう考える者達も多かったが、そんな微妙な空気を振り払うように、その場に「いい匂い」が広がっていく。巨大イカが消滅する直前に焼け落ちていた触手を、プロキオンが手持ちの調理道具を用いて捌き、ボニファーツの持っていた松明から発せられる火を利用して、ミツキが謎の調味料を用いて「焼きイカ料理」として完成させ、周囲の者達に振る舞い始めていたのである。

「そうか、こうやって焼きイカを提供するところまで含めて『余興』だったのか! さすがはカルディナ先輩、いつもながらお見事なお手前です!」

 バリーが大声でそう叫ぶことで、なんとなく、それ以上の追求を避ける空気がその場に広まっていく。一方、この戦いで最大の功績を上げたヴェルディは、カルディナに対して胸を張って戦果報告していた。

「あの時の教訓を生かして、範囲魔法を強化した甲斐がありました」

 以前にカルディナを招いてゴルフ会を開いた際、カラスの魔物の大群を倒しきれずに取り逃がし、結果的にドミナスの力を借りることになってしまった時の悔しさが、今の彼女の成長をもたらしたのである。今ならば自らの手でドミナスをも倒せそうな、そんな自信に満ち溢れていた。
 そんな彼女に対して、カルディナはこっそり耳打ちする。

「さっきの奴に関しては『とある筋』から『出所不明の情報提供』があってな。パンドラを追放された奴が悪巧みをしようとしているらしい、と聞いて、行って、倒したつもりだったが、生きてた。そういうことだ」

 カルディナとしては、それで十分説明したつもりのようだが、当然、ヴェルディとしてはその答えだけでは納得出来ない。

「その『情報源』について聞いたら、先生は困るんですよね?」
「困ると言うか、正直に『分からん』と答えるしかない。匿名の情報提供だった以上、可能性は無限だからな」

 とはいえ、さすがにこの説明だけでは満足してくれそうにない末娘の視線を目の当たりにしたカルディナは、もう少し細かく事情を説明することにした。
 曰く、あの「禁書使い」の名はゴルディオ・ジェファーソン。投影体でありながら「異界の魔法」と「この世界の魔法」の両方を使える特殊な存在であり、当初は楽園派に属していたが、やがて彼等のやり方を「手緩い」と感じて、新世界派へと転向したらしい。しかし、つい数ヶ月前に発生した新世界派内での「政権交代」に反発し(その詳細はブレトランドの光と闇7を参照)、反乱を起こすものの敗退し、秘蔵のコレクションを持って逃走中だったところを、「謎の情報提供」を受けたカルディナによって討伐されたらしい。
 この状況から推察するに、カルディナに「情報提供」をした人物は新世界派の関係者である可能性が濃厚であり、むしろカルディナ自身が「新世界派の現主流派」に協力しているようにも見えるだけに、その話を聞いたヴェルディは仏頂面で呟く。

「出来れば、やっと信用出来る人が出来た僕のことを裏切るような真似は、絶対にしないでほしいんですが……」
「おや? ではお前は『パンドラを抜けた輩を殺すのはよくない』と?」
「そういうことではないです。もちろん、パンドラを抜けていようがなんだろうが、邪魔になるのならば殺します。遠慮はありません。ただ、僕が言っているのはその、先生のことで……」
「まぁ、色々やっているとな、あちこちに顔が広くなると、色々なところから、勝手に情報が入ってくるのだよ」

 そう言われたヴェルディは「ムムムムムム」と唸るような、納得のいかない表情を浮かべる。

「……弓を向ける師匠が二人に増えないことを祈っていますけどね」

 ヴェルディはそう吐き捨てつつ、それ以上は何も言わなかった。

 ******

 その間に、ベアトリスとリッカは改めて皆にエルマ・ウイスキーを追加で振る舞いつつ、ボニファーツもまた蟹味噌の缶詰を開け尽くして皆に手渡していく。
 そんな中、 子供達の無事を確認しようとしたティリィは、半壊した館の壁の隅で、ビートが蹲って落ち込んでいる様子を目の当たりにする。

「ビート、大丈夫? 無事だった?」
「あ、あぁ、無事、だったんだけど……」

 塞ぎ込みな様子のビートの傍らで「無神経な親友」のグリンがティリィに事情を説明する。

「いやー、さっきね、ビートも覚えたての魔法で戦おうとしてたんだけど、上手くいかなくて、あの子に助けられてたんだ」

 グリンが指差した先にいたのは、「殺戮者」の聖印を掲げ、衛兵から借りた長斧を片手に汗を拭つつ満足気な笑みを浮かべているミネルバの姿であった。その傍らには、セシルやSFC、そしてマルグレーテやヒルダといった面々が立ち並び、彼女と共に互いに労をねぎらい合っている。どうやら彼女は既に、自らの聖印の力をある程度まで使いこなせているらしい。

「ほら、それは、ビートはまだその力に目覚めたばっかりなんだし……」

 ティリィがそう言って慰めようとするが、少年の中の自負心は、どんな言葉をかけられても取り戻すことは出来なかった。それを取り戻すための方法は一つしかない、ということを彼は理解していたのである。

「……よし、決めた! 俺はエーラムに行く! そしていつか、絶対、彼女に借りを返す!」

 そう言い出すであろうことを予想していたティリィは、黙って笑みを浮かべる。一方、彼の視線の先でミネルバと仲良く談笑しているセシルの元には、メーベルが駆けつけていた。

「セシル様、SFC様、大丈夫でしたか?」
「えぇ。私がいる限り、問題はないです。コンシューマー版の世界で残虐な流血描写なんて、絶対に許しません」

 実際にはメーベル達の活躍により、巨大イカは多量の血を流していたようだが、SFCの中では「赤くない色の血」ならば許されるようである。

3.9. 新人達の契約

 その後、半壊した領主の館に代わり、カルディナが急遽召喚した「異界の宴会場」へと場を移して「お披露目会」は再開され、各国の代表者達は次々と魔法師達と契約を結んでいく。ミツキ(紫)はスパルタ、カイコウ(緑)はエルマ、コノハ(浅葱)はウリクル、マリン(夜藍)はマージャ、クレハ(山吹)はパルテノの領主とそれぞれ契約する方向で話がまとまる一方で、ルンデルハウス(朽葉)は銀十字旅団預かりのマルグレーテと契約を結び、チャーラン(青)はフィオナ姫のはからいで(ひとまず)エストへと招待される。一方、カンリュウサイ(常盤)はグリース、ドーマン(黄)はノルド、スレイン(菖蒲)はバルレア、そしてローザリンデ(藍)とルフィーア(橙)はウィンザレアへと赴任する方向で話はまとまった(それぞれの合意に至った理由等については文字数の都合で割愛。詳細はブレトランドと魔法都市4/新人魔法師を参照)。

 そして「正規枠」での雇用を目指していた三人のうち、トレミーは救護活動の過程でソニアと意気投合し、彼女の契約魔法師としてコートウェルズへと旅立つことになった。「救世主の聖印」の持ち主であるソニアと「緑の生命魔法師」であるトレミーでは役割が重なってしまう面も多いが、もともと領内の人々の治療活動に従事しすぎて若干過労気味だったソニアにとっては、むしろトレミーを迎え入れることで、多少なりともその負担は減ることになるだろう。
 アドは諸々の交渉の末、最終的には同門の先輩であるシェレンに誘われる形で、ダルタニア太守の傘下の魔法師団に加わる道を選ぶことにした。この二人はいずれも「武闘派」かつ「舞踏派」であり、「実践派」かつ「実戦派」でもあるという意味で、もともと通じる気質であったことを考えれば、ある意味でこれも必然的な結果といえよう。ダルタニアの現太守は苛烈な性格で有名だが、そのような環境だからこそ、楽天家のアドのような人材が必要なのかもしれない。
 もともとはレインとの契約を希望していた二人であったが、さすがにバリーに加えてカルディナまでもがレインの契約魔法師の座を狙っていると聞いた上で、現実的に自分を受け入れてくれる君主を素直に選ぶことにしたらしい。
 そんな中、ランスは相変わらず誰に対しても積極的な交渉に入れぬまま、気付いた時には「お披露目会」は散会してしまっていた。彼の中では、シェレンが声をかけてきてくれた時点で話を詰める道もあったし、寛容な性根で知られるソニアと契約する道もなかった訳ではないのだが、いずれも(対混沌か、対人間か、という違いはあれど)「過酷な戦場」で生きることを強いられることになると感じて、どこか尻込みしてしまっていたのである。
 そう考えると、今更ながらに「一番安全に生活出来るのはマージャなのではないか」ということに彼は気付く。実際、ここ数日、この村で暮らしてみた上で、ランスは確かに「居心地の良さ」を感じていたし、レインもランスに対しては好意的な姿勢を示している。だが、レインと契約を交わしたいと考えている者達が複数人(少なくとも、大物が二人)いる以上、彼女がその誘いを蹴ってまで自分に声をかけてくれるかと考えると、客観的に見れば期待薄である。
 とはいえ、今度ばかりは、さすがにこのまま契約相手を見つけられずに帰る訳にもいかない、という焦りがランスの中でも高まりつつある。だが、この状況を打開するための道を、まだランスは見つけられずにいた。

4.1. 三度目の祭典

 翌日。無事に音楽祭の幕が切って落とされた。最初に楽曲を披露するのは、バリーから「前座」として指名されたトレミーとアドである。

「俺達は、このイベントのために結成されたデュオなので、今日で解散です」

 完全に学園祭のノリでアドが最初にそう宣言すると、トレミーもそれに続く。

「明日からはそれぞれ、大陸を挟んだ真逆の土地で、契約相手となった新たな君主の下で第二の人生を歩みます。そんな僕等の決意を込めたこの曲、聞いて下さい。 聖印2011

 そう言って二人が歌い出したのは、始祖君主レオンとエーラム魔法師協会の創始者ミケイロのを題材にした歌舞曲であり、原曲は異界の英雄とその側近の関係を描いた楽曲である。彼等の歌と演舞の師匠であるバリーは、審査員席で満足そうにその様子を眺めていた。

 ******

 そんな前座の彼等が盛り上がっている中、唐突に遅れて登場してきた面々がいる。前回大会にも出場していたロザン一座の面々であった(彼等についてはブレトランドの英霊5を参照)。
 団長のロザン(下図左)は、会場の入口を管理していたメアに対して、双子の歌姫であるミレーユ(下図中央)とアイレナ(下図右)の飛び入り参加を頼み込む。


「すまない。日程を勘違いしていたんだ。今からでも、ウチのこの二人を参加させてもらえないだろうか?」

 どうやら到着が遅れたのは団長の失態らしい。メアは審査員席にいたレインに意思確認したところ、すぐに彼女は許可を下す。もともと、当初予定していた参加者の何組かが蝋人形騒動で逃げてしまっていたため、時間的には余裕のあるスケジュールが組まれてたのである。

「すまない、恩に着る」
「しっかりして下さいよ、座長!」

 ミレーユにそう言われた座長は改めて周囲に頭を下げつつ、改めて音楽祭のスケジュールに名前を刻み込まれたミレーユとアイレナは、即座に発声練習を始めるのであった。

 ******

 一方、今後の音楽祭のスケジュールに参加者として名前が載っている訳でもないのに(諸事情により)舞台裏に足を踏み入れていたランスは、まもなく回ってくる出番に向けて準備に勤しんでいるアラン・デュラン歌劇団の面々に遭遇し、今回の舞台の主演である「野獣」の被り物を装着した男性を発見する。
 その男は、その奇異な姿からは想像も出来ないような繊細で美しい歌声を披露しつつ、華麗なステップで優雅なダンスを披露しているが、やはり「頭の被り物」が重そうで、微妙に辛そうな様子ではある。そして、やはり視界が遮られたているのか足元がはっきり見えなかったようで、小石に躓いてよろめき、近くで見ていたランスの方向へと倒れ込んできた。
 ランスは細身の身体でその「野獣」の男性を受け止めるが、その男性はそれなりに高身長な割に、妙に軽い。骨格的にはランスよりも華奢な体型のように思えた。

「あぁ、申し訳ない」

 野獣の男は、ランスにそう言って頭を下げる。その声は歌声の時よりもか細く、少年とも少女ともつかない独特の声色であった。

「君は見たところ、エーラムの魔法師のようだね」
「いかにもである」
「この音楽祭に出演する予定の人かい」
「あぁ、はい」

 ランスは反射的にそう答えた(前述の通り、この後の参加予定者一覧に彼の名前はない)。

「そうか、それは楽しみだ」

 野獣の男がそう呟いたところで、慌てて彼の周囲に「屈強な男達」が駆け寄ってくる。彼等の腕や顔には邪紋が刻まれており、どう見ても「普通の歌劇団の一員」には見えない。しかも、その邪紋の様相から察するに、相当な(おそらくはティリィやボニファーツ以上の)実力者達のように見える。

「大丈夫ですか?」

 邪紋使い達は野獣の男の身体を案ずるが、彼は平気そうな素振りで答える。

「あぁ、大丈夫。この『頭』が重くて、少し足がふらついてしまっただけなんだ。本番では、ちゃんとやるから」

 野獣の男はそこまで言ったところで、ふとランスに視線を戻す。

「そういえば、昨日は新人魔法師のお披露目会があったらしいけど、君もその新規魔法師の一人、なのかな?」
「そうだ。我は天から堕ちし者。山と海を統べる者である」

 いつもの調子でそう答えるランスに対して、野獣の男は頷きながら呟く。

「なるほど……。君は、詩人なんだね」

 聞く人によっては、そう解釈することも出来るらしい。その被り物故に表情は見えないが、その声色から察するに、どうやら彼はランスに対して好意的な印象を抱いているようである。

「で、契約先は見つかったのかな?」
「いや、ま、まだ、我に合うところはまだ見つかっておらぬが、まぁ、いずれ決まるであろう」
「そうか。私は君のような芸術家肌の人間とはきっと気が合うと思うのだけど……、さすがにここで君と契約するのは信義に反するから……」

 彼はそう言いつつ、自分を取り囲む邪紋使いの男の一人から筆記用具を借りた上で、その場でサラサラと紙に何かを書き記す。

「もし気が向いたら、これを持ってハルーシアに来てほしい。あくまで、他に行くところがなかったら、ね。私が君をここで引き抜いたと聞いたら、『彼女』が怒るだろうし」

 そこに記されていたのは「ドゥーセ家契約魔法師長ホスティオ・フィグルス」宛の紹介状である。「この者、我が友人につき、本人が士官を希望した場合は前向きな配慮を願う」と書かれた後に「美しすぎて読めない字体」の署名が添えられていた。

4.2. 激戦と決着

 今回の音楽祭における演奏順は、バリーが「より期待出来そうな面々を後に残す」という直感的基準で決定している。そして実際、概ねそのバリーの直感通りに、後半に行けば行くほど会場内も盛り上がりを増していった(本節の具体的な描写については文字数の都合で割愛。詳細はブレトランドと魔法都市4/音楽祭を参照)。
 特にデーモン・ミュンヒハウゼン率いる「罪聖飢」の登場以降、会場内の空気は一変した。デーモンが圧倒的な歌唱力で歌い上げた名曲 「Century of the rasing arms」 で観客の度肝を抜き、続くアラン・デュラン歌劇団の 「美女と野獣のテーマ」 もまた、美しい男女デュエットで人々の心を掴む(ただ、その過程で「野獣の男」の正体に気付いたマリーネは、激しく心を動揺させられていた)。
 一方、ハイアム・エルウッドが奏でた 「八忠臣の歌」 と、飛び入りのロザン一座の披露した 「巨大蛾の歌」 は、いずれも歌い慣れた職人芸の妙で審査員席のバリーをも唸らせる(なお、その過程でセシルの懐に収まっていた「巨大蛾」の幼虫が繭化を始めていたのだが、そのことに気付いていた者は彼の他には誰もいない)。
 だが、やはり本格的に優勝戦線を形成することになったのは、当初の下馬評通り、アカリ、ポーラ、マージャ少年音楽隊の「三強」である。アカリはカルディナの新作魔法「アイドルプロジェクション」の助力を得て、地球時代の15人の仲間達と共に披露した 「モラード六六花合戦」 で観客をも巻き込む圧巻のパフォーマンスを披露したのに対し、今回の音楽祭を最後にしばらく休業することを決意した上で臨んだポーラは、紅の楽士のヴァイオリン演奏を背に異界(?)の英雄達を題材とした名曲 「Starry」 で会場全体を感動の渦に巻き込む。
 この時点で、バリーの中ではアカリとポーラによる同点決勝という選択肢も頭をよぎっていたが、そんな彼の悩みを吹き飛ばしたのが、マージャ少年音楽隊であった。異界の小さな歌姫達(五匹の小動物と一人の小人)と共に彼等が披露した、この村を訪れた全ての人々に捧げる歓待曲 「ようこそ、マージャ村へ」 は、子供達の心の込もった演奏と、人前に出ることへの恐怖を克服した小さな歌姫の歌声が見事に絡み合って、会場の人々全員の心を和ませる。バリーは文句無しに彼等を優勝者と認め、熱気球はマージャ村にそのまま残され、村の新たな名物の一つに加わることになるのであった。

4.3. 悪魔達の共演

 だが、これで全てが終わりではなかった。子供達が壇上から降りたところで、突然、会場全体が闇に包まれる。空にはまだ陽が残っていた筈だが、その太陽の光をも遮る謎の力によって、会場内の人々全員が「光」を失ったのである。
 突然の出来事に会場全体が混乱する中、その暗闇の中に「悪魔の声」が響き渡る。

「マージャ少年音楽隊の諸君、優勝おめでとう。そんな君達の栄誉を称えつつ、この会場に集まった全ての人々への感謝の心を込めて、最後に吾輩と、グループの垣根を超えたスペシャルバンドによる、最高のエンディング曲をお聞かせしよう!」

 そう言い終えたと同時に、ステージ上にどこからともなく「光」が灯る。 そこに立っていたのは、先刻までとはまた微妙に異なる衣装に身をまとったデーモン・ミュンヒハウゼンだった。そして彼は「事前に密かに打ち合わせしていた者達」の名前を読み上げる。

「まずはメインギター! クレイジーロード(狂王)・ウィンストン!」

 彼がそう叫ぶと、スポットライトを浴びながらレイン・J・ウィンストンがギターを掲げて立ち上がる。

「ハァァァイ!」

 これまでは、音楽祭は彼女のソロ曲で終わるのが定番であった。だが、デーモンからこの話を持ちかけられた時点で、彼女は二つ返事で快諾した。一人よりも皆で一緒に盛り上げられるなら、その方が楽しいに決まっているというのが彼女の持論である以上、当然の判断であろう。

「サイドギター、ラムール(死神)・アステッド」

 続いて立ち上がったのは、ティリィ・アステッドである。彼女もレインの部下ということもあって、ギターの弾き方についても一通りの手ほどきを受けていた。

「もうひと頑張りです。張り切っていきましょう、レインさん!」

 彼女はそう言いながら、あらかじめ用意していた「死神」の仮面をつけて壇上へと登っていく。子供達以外の人々と共に楽曲を奏でるのは、彼女としてはかなり久しぶりのことであった。

「ベースギター、サキュバス(淫魔)・ウィングス!」

 これまで幾多の男達を悩殺してきた魔性の歌姫ポーラ・ウィングスは、誇らしげな表情でその二つ名を受け入れ、そして久しぶりに手にした弦楽器を持って壇上へと向かう。

「みんな忘れてるかもしれないけど、私、もともとベース担当だからね!」

 ポーラはかつて、まだレインが聖印に目覚めるよりも前の頃、彼女と同じバンドで活動していた。その頃の彼女の担当楽器はベースギターだったのである。古参ファン達の間では常識だが、ブレトランド新規の面々には、楽器を手にした彼女の姿は新鮮に映る。

「そしてドラムス、リュシフェル(堕天使)・ヤマトゥ!」

 その名を聞いたメーベル達が驚愕の表情を浮かべる中、スポットライトを浴びたランスは一瞬にして壇上へと飛び移り、そして会場全体に向かって大声で叫ぶ。

「YEAAAAAAAAAAH! 我が名はリュシフェル・ヤマトゥ! Come on! ローちゃん!」

 彼が額冠の痛みに耐えながらそう叫ぶと同時に、この日のために用意した「可愛いステージ衣装」に着替えたトロール(♀)と、彼女のサイズに合わせた巨大なドラムセットが出現し、そしてランスと彼女が二人がかりで激しいドラムロールを披露する。ランスの叩くリズムは明らかにどこかズレていたが、ローちゃんのドラムの音量の方が圧倒的に大きいので、あまり気にならない。

(これ、ランス君いらないんじゃ……?)

 メーベル達はそう思っていたが、デーモンは、トロールのこの破壊的なドラムサウンドは、召喚主であるランスの狂気的なテンションがなければ生み出せないと考え、彼をこのバンドのメンバーに誘うことにしたのである。

「それでは聞いて頂こう。 Pledge !」

 デーモンがそう叫ぶと、しっとりとしたイントロから始まる異界の楽曲が会場全体へと広がり、そこにデーモンの歌声が乗り、やがて少しずつテンポアップして、激しさを増していく。元来は女声曲だが、女性ボーカリスト達の名曲のカバーアルバムを出したこともあるこの悪魔にとっては、全く問題のない音域の曲であった。

「みんな、一緒に盛り上がって!」

 レインがそう言って観客を煽ると、デーモンはペンライトを観客全員の手元へと召喚し、彼等はよく分からないままそれを振り始める。そして彼等はそのまま「凛>https://www.youtube.com/watch?v=zOzy79zzEWA」「 衝動 」と歌い続け、観客達の心が一体となる中、やがて会場内を包んでいた闇は晴れ、改めて観客達は壇上の五人(とローちゃん)に向けて喝采を送る。

「いやー、すごかったな、今の演出」
「今回はエーラムの全面協力があるとは聞いていたけど、まさかここまでとは」

 そんな会話が交わされる中、エーラムの高等教員二人は、それぞれに不敵な笑みを浮かべながら、黙って視線を交わす。

(今のはお前の仕業か? この私を出し抜くとは、やってくれるではないか)
(先輩、こんな楽しい仕掛けを用意してるなら、私も誘って下さいよ)

 互いにこの演出主の正体を誤解したまま(そして関係者の大半も「あの二人のどちらかの魔法の力だろう」と勘違いしたまま)、この最後の余興も大盛況に終わり、第三回マージャ国際音楽祭は無事に閉幕することになった。
 なお、そんな中、一番最初に会場から足早に歩き去って行ったのはマリーネであった。この時点での彼女の心境を知る者は、誰もいない。

4.4. 魔法師への道

 音楽祭を終えた後、優勝した子供達と動物達が歓喜に湧く中、ティリィは一人その輪から抜け出し、メーベルの元へと向かうと、ティリィの姿を見つけたメーベルの方から先に彼女に声をかけた。

「優勝おめでとうございます。すごく良かったです」
「私じゃなくて、孤児院のみんなのおかげ」
「楽しい音楽でした」
「それなら、皆で頑張って練習した甲斐がある……。こちらも、はるばる遠いところからありがとうございます……。ところで、一つお願いしたいことがあるんですが……」
「なんでしょう?」
「ウチの孤児院に、一人、魔法の力に目覚めようとしている子がいます」
「あぁ、ビート君のことですね」

 一昨日の時点でメーベルも「その場」にいたので、大方の事情は彼女も分かっている。

「そうです。彼はこの前の一件もあって、エーラムで魔法を学ぶ決心をしたそうです。メーベルさんのお師匠さんは、彼と同じ静動魔法師の方だと聞きましたので……」
「えーっと、それは私ではなく、ランス君の方ですね」
「あれ? そうなんですか?」

 さすがに、魔法師の一門の詳しい事情まではティリィも把握しきれていない。

「私のお師匠様はメルキューレ・リアンという錬成魔法師です。でも、日頃から交流はあるので、私の方から伯父様に進言するのは構わないですよ」
「そうですか? じゃあ、よろしくお願いします」

 ティリィはそう言った上で、楽屋に戻ってビートを連れてくる。そして二人がメーベルの元へと再び現れた時には、彼女の傍らには契約相手のセシルの姿もあった。

「そうか。エーラムに行く決心がついたんだね」

 セシルはビートにそう問いかける。彼は、年が近いビートに対してどこか親近感を覚えていたようで、宴会の席などでも親しげに会話を交わしていた。

「あぁ。色々な意味で、今の俺はもう、今更君主を目指す訳にはいかないからな。きっとそれは誰も望んでいない。俺のこの力が母様譲りなのかどうかは分からないけど、俺はこれを形にしたい」

 ある意味、この二人は似た境遇にある。いずれも君主の家に生まれたものの、両親を亡くし、一時は人間不信気味になりかけていた。互いに互いの素性はよく知らないが、どこか心の奥底で共鳴し合うものがあったのかもしれない。そして、自分とは異なる道を歩むことになったビートの決断を祝福しつつ、セシルは珍しく「からかうような表情」を浮かべながら、こう告げる。

「一応、言っておくけど、『彼女』は結局、誰とも契約しなかったみたいだよ。君が卒業するまで、待ってくれてるかどうかは分からないけどね」
「そ、それは、まぁ、うん、そうだな……」

 何と答えれば良いか分からぬまま、ビートは視線をそらす。そんな二人のやりとりの意味を知ってか知らずか、ティリィは改めてメーベルに頭を下げる。

「じゃあ、よろしくお願いします」
「私も、弟が増えて嬉しわ」

 厳密に言えば「従弟」なのだが、これまでも従弟であるランスのことを弟同然に扱ってきたメーベルにとっては、その差は微々たるものであった。

 ******

 その後、ティリィがエーラム行きの日程を決めるためにメーベル達の宿舎に残って話し合う一方で、ビートはひとまず先に孤児院に帰ることにした。その途上、彼の姿を見つけたヴェルディが問いかける。

「そうです、少年、私からまだ一つ『教えていないこと』がありました」
「え?」
「マリウス・エルメラ。君を探してやってきた人達がいる」

 母の死以来、約一年ぶりにその名で呼ばれた彼は、驚愕の顔を浮かべる。

「正確に言えば、君の母上を、だけど。それでも、君が生きているなら君を縁者として頼りたい、と言っていた」
「え、えーっと、それは、どこの誰が、どこに?」
「そうだね、まぁいい加減、自分の話もした方がいいかな……。僕は、ウリクル村の現領主に仕える契約魔法師」

 さすがにその肩書きに対しては、彼もピクッと反応する。

「そうか……、俺とあんまり歳の変わらない魔法師だって聞いてはいたけど……」
「そして先日ウリクル村に、君のお母上であるアクア・エルメラと親しいという自然魔法師の一団が現れたよ」
「なるほどな……、そうか、母様の知り合いか……。確かに、母様はもともと特殊な一族の出身だって聞いたことはある。でも、なんで俺を……?」
「そうだな……、縁がある者ならば『共に暮らしたい』と思うものじゃないのかな?」

 白々しい口調でヴェルディはそう語る。これまで自分のことを天涯孤独だと思っていたビートにしてみれば、ようやく手に入れた「二番目の家族」と別れる決意を固めたところで、今更ながらに「最初の家族」の血縁者の存在を明かされても、さすがに困惑する。そんな彼に対して、ヴェルディはある一つの提案を持ちかける。

「マリウス、もし君が、君の友達から遠く離れたところに行きたくなくて、ウリクルを訪ねてきた人達とも共に暮らしたいというのなら、私から一つ提案があります。私の内弟子として、制御の仕方だけ指導するという手もありますが?」

 確かに、ウリクルであればマージャからはそれほど遠くもない。そして同じ国内にいる「彼女」とも会える機会は作れるかもしれない。あるいは、彼が自然魔法師として生きるなら、母の縁者達の中の誰かにマージャに来てもらった上で指導を受けるという道もあるだろう。既にティリィとメーベルは彼の受け入れに向けての手続きを進めようとしているが、まだ今なら止めることも可能ではある。
 だが、彼は首を横に振った。

「いや、今の俺は、多分、そんな中途半端な形じゃダメなんだと思う。それに、少し希望が見えてきた」
「ほう?」
「あんた、今、何歳だ?」
「僕は今、11です」
「ということは、9歳で契約魔法師になった、ってことだよな」
「まぁ、色々と縁がありましてね。最初から魔法を知らなかった訳ではないので」
「そういう意味でも、俺と近いと言えば近いのか」
「えぇ。故郷を追われた領主の子供という意味では、そこも共感出来るところではあります」

 実際のところ、その経緯はかなり異なるし、おそらくは何か「人の道に外れるような手法」でも使わなければ、9歳での契約魔法師就任など、およそ不可能である(無論、ヴェルディはそのような意味での「後輩」が生まれることなど、欠片も望んでいない)。

「じゃあ、俺も少しでも早く一人前の魔法師になりたい。だから、今の友達とか親族とかよりも、まず俺は今の中途半端な自分を変えたい。だから、やっぱりエーラムに行く」

 そこまで強い決意を固めた彼に対して、もはや止めるべき理由もないと判断したヴェルディは、最後に「伝えるべきこと」を告げることにした。

「ならば、私から助言を二つ。まず、まっとうな道に進みたいのなら、カルディナ・カーバトには関わらないことです。学べるものも多いですが、失うものも多い」
「お、おう、分かった」
「まぁ、リアン家の魔法師ならば妥当だと私も思います。そしてもう一つ。エーラムはパンドラと敵対しています。もちろん、私も。君がもし道を踏み外して、パンドラに協力するようなことがあれば、私は君を殺します」
「そのパンドラってのはよく分からないけど、悪い奴等に手を貸す気はねえよ」
「ならば良かった」

 そう言ってヴェルディはビートが孤児院へと向かうのを見送りつつ、ボソッと呟く。

「でも、少し残念だな。自分の弟や妹を初めて持つことになるかもしれないというのは、少しワクワクしたんだけど……」

 彼女がビートに真実を告げるタイミングが違えば、あるいは異なる未来もあったかもしれない。とはいえ、彼がこうして決意を固めた以上、今はただこの少年が健やかに真っ当な魔法師としての道を歩むことを願っていた。

4.5. 客人達の群像

「勝てると思ったんだけどなぁ」

 音楽祭会場から宿舎への帰り道で、アカリはそう呟いた。閉会後、バリーから「実質、ポーラと並んで準優勝タイだった」と聞かされていた彼女は、その結果に納得はしつつも、あと一歩で栄冠に届かなかったことへの無念さを噛み締めていた。そんな彼女の傍らを歩くボニファーツも、うんうんと頷く。

「本当になぁ。だが、みんなすごく良かった。アカリちゃんもだ」
「ありがと。まぁでも、やるだけやったから、悔いはないわ。久しぶりに『向こうのみんな』とも歌って踊れて、楽しかったし」
「それなら良かった。今度、皆を読んで打ち上げでもやったらどうだ?」
「うーん、彼等はカルディナ先生が一時的に呼び出した存在だから、あんまり長くこの世界にはいられないのよね」
「そうなのか」
「まぁ、彼等は彼等で『向こうの世界の私』と仲良くやってるみたいだから、時々こうやって一緒に共演出来るだけでいいよ」

 実際のところ、アカリは時々、「向こうの世界の自分」と夢の中で共鳴することがあるようで、「向こうの世界の住人達」とも会えている気分になっているらしい。もっとも、それが本当に「共鳴」なのか、ただの「妄想」なのかは分からないのであるが。

「じゃあ、また孤児院の子達を誘うのはどうだ?」
「そうね。今回は私は主催者ではなかったけど、あの子達の演奏からも色々と学べるものは多かったし、もう一度招待してもいいかな」

 そこまで言ったところで、アカリはふと、小動物の歌姫達と一緒にいた「小人の少女」のことを思い出す。

「そういえば、あの小人の女の子、ウチのメンバーの一人に似てた気がするんだけど……」

 似ていたどころか、外見も声も瓜二つであり、更に言えば名前も同じである。

「まぁ、世の中には似てる奴が三人はいるというからな」

 ボニファーツのその一言で、ひとまずアカリは納得したことにする。そもそも、彼女自身も含めて、色々な世界の投影体が混在するこの世界においては「別の時代の同じ人間」が投影されることもある。そう考えると、何が起きても不思議ではなかった。

「じゃあ、帰ろっか。せっかく料理人さんも仲間になってくれたことだしね」

 彼女は『恋と冒険の学園TRPG エリュシオン』と書かれた書物を手に、ボニファーツと共にいち早くスパルタへの帰り支度を始めるのであった。

 ******

 一方、もう一人の準優勝者であるポーラの元には、(彼女が身重であることを知る数少ない人物である)プロキオンが駆けつけていた。

「ポーラさん、体調大丈夫ッスかー?」
「大丈夫、大丈夫。正直、三回連続準優勝ってのは悔しいところではあるけど……、まぁ、私もやれるだけのことはやったし、満足はしてるわ。次は、ガイアと組んで出ようかな。何年後になるかは分からないけど」
「そしたら、ママ友ユニットで出ればいと思うッス」

 なお、プロキオンは「ガイア」なる人物が誰かも知らないし、そもそも「ママ友」なるものが何なのかもよく分かっていない。

「そうね、それもそれで楽しいかも」

 ポーラはそう呟きつつ、実際にその光景を想像して、思わず苦笑を浮かべる。

「さて、じゃあ、敗戦報告に帰ることにするわ。なんだかんだで、今の私にはラキシスが一番居心地がいいから、早く帰りたいしね」

 そう呟いて会場を後にした彼女の笑顔は、いつになく晴れやかであった。

 ******

 ポーラの惜敗で熱気球が手に入らなかったことを(それなりに本気で)悔しがっていたヒュースは、気持ちを切り替えてラキシスの主君に対して(現地に残っていた別の魔法師の魔法杖を通じて)連絡を取っていた。昨日の時点で密かに契約の内定を交わしていたカンリュウサイ・カーバイトの雇用の件について、一応の確認を取る必要があると考えたからである。
 それに対するゲオルグの答えは単純明快であった。

「使える奴なら、誰でもいい」

 想定通りの答えに安堵したヒュースは、カンリュウサイと共にラキシスへと帰る準備を始める。そんなヒュースの横顔を眺めながら、カンリュウサイは色目を使いつつ声をかけた。

「ヒュース君、君は綺麗な肌をしているね……」
「あー、ごめんなさい、僕はそっちの方の趣味はないタイプの人間なので」
「大丈夫。最初はそう言う人も多いから」

 その発言を不穏に感じたヒュースは、ひとまず彼の「本体」である『幕末霊異伝〜MI・BU・RO〜』の中に彼を封印した上で、あくまでも「本」として持ち帰ることにしたのであった。

 ******

 一方、村のはずれで、いつも通りに日課の素振りを繰り返していたリッカのところに、マリベルが偶然通りかかる。「意識の高い武芸者」同士であるこの二人は、以前にも何度か面識(剣識)がある、という程度の関係であった。

「剣の鍛錬などしましょうか?」

 何とは無しにリッカが二本の刀を構えながらそう提案すると、マリベルも頷いて長剣を抜く。

「そうね、じゃあ、久しぶりに手合わせしようかしら。私も契約魔法師を迎えたことだし、いつお父様の跡を継いでも大丈夫なように、鍛錬は必要だと思うしね」

 実際のところ、領主としての今の彼女に足りないものはもっと別の能力だとパルテノの人々は思っているのだが、そんなことはお構い無しに、彼女はリッカに向かって剣を振り下ろし、リッカはそれを二本の刃で受け止める。
 そんな二人の様子を、心配そうにベアトリスは見つめていた。その手には昨日のお披露目会の折に手に入れた『武将バトルRPG 転生三国志』が握られている。

「怪我をされてはかなわんからな。生命魔法師を雇って正解だった」

 いつでもその本を開ける態勢で準備している中、通りすがりのヴェルディがマリベルの姿を見かけて、心配そうなふりをしながら野次馬を始める。

「やれやれ。また私に尻拭いさせる気ですか?」

 彼女もまた、いざとなったらいつでも「『重度の瀕死状態』を『軽度の瀕死状態』にまで回復させる魔法」をかけられるよう、準備を整えていた。

4.6. 音楽の村の契約魔法師

 三つの催し物を全て終え、ようやく全ての重責から解放されたかに見えたレインだが、まだ彼女は一つの重大な問題を先送りにしたままであった。それは自身の契約魔法師についてである。研修生枠でマリンを雇うことにはしたものの、まだ「正規枠」は空いたままであった。

「契約魔法師、二人いちゃダメですか?」

 レインはリトル・クリスの宿舎を訪ねた上で、そう問いかけた。それに対してクリスは、非常に悩ましい表情を浮かべる。

「今のあなたの爵位は『騎士』です。しかし、今の時点のあなたの聖印規模なら、おそらくエーラムから正式な認定をもらえば何人も魔法師を雇う権利はあるでしょう。ただ、リンドマン夫人も仰ってましたが、もしあなたがそこまでの聖印を持っていることが知れ渡ると、おそらくノルドから帰還命令が出るでしょう。ですから、あなたが今の『マージャの領主』としての立場を望むのであれば、今の時点で二人の魔法師と契約するのは難しいです。ましてや魔境が無くなった今、この地に魔法師を二人配置する理由もないですしね」
「そうですよね……」

 予想通りのその返答に対して、レインは改めて悩ましい表情を浮かべる。

「そこまで悩むほど、捨てがたい二人がいるのですか?」
「本当のことを言えば、みんなに来て欲しいんですけどね」
「それは多くの君主の方々がそう言います。多くの君主の方々は多くのものを望む。だからこそ、魔法師も、技術も、エーラムが管理した上で、『この世界のために貢献した者としての証』である聖印の規模に基づいて配給されるのです。あなたはその聖印を持ちつつ、今のマージャ村の領主という立場に収まろうとしている。私としては、そちらの方がありがたいです。魔境が無くなったとはいえ、あの地を根城とする旧子爵家の方々との関係もある。向こう側との仲介役が出来るあなたには、まだこの地にいて欲しいと私は考えています。ですが、その限りにおいては……」

 クリスはそこまで言ったところで、本気で悩んでいる様子のレインを目の当たりにして、一つの妥協案を提示することにした。

「……まぁ、奥の手としては『あなたが誰か一人と契約した上で、子爵様付けでもう一人を雇った上で、その人を現地に派遣する』という道も無くはないですが」

 つまりは先日までのラーテンと同じような立場で、実質的にマージャに常駐させるということである。その提案を出されたレインは、一瞬にして満面の笑みを浮かべる。

「ありがとうございます! ちょっと交渉してみます!」
「ただ、その場合、子爵様もしくは子爵代行様に、その地に魔法師を追加で派遣する許可が必要となります」
「そうか……、そうですね……」

 現実問題として、芸術に理解を示さないダン・ディオードも、堅物で知られるマーシャル・ジェミナイも、説得するのは難しそうである。とはいえ、そこに可能性を見出したレインは、まずは今の時点で彼女が契約したいと考えていた魔法師の一人を探しに出かけることにした。

 ******

 こうしてレインが「その魔法師」を探そうと村を歩き回っていると、彼女よりも先に、「その魔法師」の方から彼女を見つけて、声をかけてきた。

「レインさんよ、この村は、非常にいいな」

 その魔法師の名は、ランス・リアンである。

「そうでしょう? 分かってくれると思ってたわ」
「この村は、我のこの壮大な思想を受け止め、そして我が思想を共に愛そうとしてくれている。これは、エーラムではなかったことだ。そして今までの君主達も、我のこの考えには賛同しなかった。しかし、この村は違う」

 実際のところ、別にこの村の住人の住人は、そこまでランスの思想に興味してくれた訳ではない。ただ単に「おかしなことを言う人間」への耐性がついているため、意味不明なことを言われても邪険にしない程度に聞き流す能力が染み付いているだけである。そしてそれは、主に領主であるレインの存在によって植え付けられた耐性であった。
 だが、それだけでも、今のランスにとっては十分すぎるほどの高待遇だったのである。彼は、自分の中で、今まで吐き出したくても吐き出せなかった感情を、今までの自分を覆っていた殻を破って、彼女に対してそのまま吐き出すことを決意した。

「この村は…………、正直、こんな『妄言ばかり言っているこの私』を受け入れてくれた。私は、この村と共に行こうと思う。あなたが良ければ、この私を、この村の一員として、受け止めてほしい」

 それは、ランスが人前で初めて見せる「14歳の素の自分」であった。つたない言葉で精一杯表現した、彼の中での初めての「自分と契約してほしい」という意思表明である。

「私も……」

 レインはそこまで言いかけたところで、一瞬、言葉が止まる。

「……ランス君って呼んだ方がいい? ヤマトゥ君って呼んだ方がいい?」
「あなたに、任せます」
「じゃあ、ヤマトゥはバンドネームみたいなものだから、今はランス君って呼ぶね」

 そう断った上で、レインは改めて笑顔で語りかけた。

「ランス君、私も君と一緒にいて楽しいし、それに君は子供にも優しいじゃない? ちゃんと周りのこと考えてくれる人だな、って思ってる。ぜひウチで、契約魔法師として頑張ってほしいな。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。本当に」

 そう言って、二人は握手を交わす。そんなランスのことを、安堵した表情で遠目で見守っていた従姉弟子がいたことには、二人共気付いてはいなかった。
 その上でレインは一旦ランスと別れ、もう一人の「契約したい魔法師」の宿舎へと向かうことにした。

 ******

「カルディナ先生、ウチの子爵代行様の契約魔法師になってもらえませんか? そうしてもらえないと、先生がウチに来ることは出来ないんですよ」

 レインはそう言って、カルディナに「リトル・クリスの提案」を伝える。

「なるほどなぁ」
「ウチで一緒に遊びませんか?」 
「しかし、形だけとはいえ、あの代行閣下は私を雇いたがらないだろうな。実力主義者のダン・ディオードの方が、まだ何とかなるかもしれないが……」
「じゃあ、私がコートウェルズまで説得に行きます!」
「いや、待て待て、お前がここを開ける訳にはいかんだろう」

 そもそも、確かにダン・ディオードは実力主義ではあるが、質実剛健を是とする性格を考えれば、むしろマーシャルよりも説得は難しいかもしれない。

「まぁ、別に遊びに来たければいつでも来れる訳だし、そこまでしてこの村に住む口実を作りたい訳でもないのだが……、そもそも、そうしないといけないというのは、どういうことだ? 私の方がお前の『正規の契約魔法師』の枠に入れない理由が、何かあるのか?」
「実はもう一人、決まってしまって……」
「バリーか?」

 険しい表情でそう問いかけたカルディナに対して、レインは首を横に振る。

「山と海を統べる、ランス君よ」

 誇らしげにレインがそう告げると、カルディナは一瞬「面食らったような表情」を浮かべつつ、すぐに「興味深そうな笑顔」へと切り替わる。

「おぉ、あいつか。なるほど、そうか。あいつが正規枠で、この私が補充枠か。しかし、私がここにいたら、あいつの出番はないだろう」

 ランスの専門領域である「青の召喚魔法」はカルディナの専門外ではあるが、結果的に「似たようなこと」は他の魔法でも可能である以上、実力的には確かにランスの出る幕はなくなるだろう。カルディナが週休六日のスケジュールでダラけ続けたところで、残り一日でランスの七連勤分の仕事をこなしてしまうことは疑いない。

「あいつのことは前々から噂には聞いていた。正直、私の門下に欲しかった気持ちもあるくらいには、面白い奴だとも思う。だからこそ、あいつを成長させるためにも、ここは一人で頑張らせた方がいだろう」
「そうですね……。じゃあ、今まで通り、いつでも遊びに来て下さいね。歓迎しますから」
「あぁ。では、ひとまず今回は、バリーと一緒に帰ることにしよう。とりあえず、あいつのことは鍛えてやってくれ。私の弟子でもなんでもないが、同じエーラムも傾奇者の一人として、期待しているからな」

 そう言い残して、カルディナはこの村から去って行った。こうして、完全にレインの思惑通りにはいかなかったものの、各自が収まるべきところに収まる形で、このマージャ村の魔法師契約を巡る物語は、ひとまず決着したのであった。

4.7. 歓迎と祝福

 翌日、道端で偶然ランスと出会ったティリィは、声をかける。

「ヤマト君……、だっけ?」
「我は……、ランス・リアンだ。だが、好きに呼ぶがいい」

 とりあえず、そういうことにしたらしい。

「そっか。聞いたよ、ランス君。ウチの村に就職することになったんだって?」
「あぁ、これから長い付き合いになるが、よろしく頼むぞ」
「孤児院の子とも仲良くしてあげてね」
「子供は貴重な財産だからな」
「あと、君が言ってた堕天使がどうとか、何か危険なことがあったらすぐ言ってね。私、混沌の力を察知することは出来るから。解決することが出来るかは分からないけど、何か異常があったら、すぐ言って」
「任せておれ!」

 相変わらず微妙に会話が噛み合っていないが、それはそれでこの二人の間では問題なさそうである。

「この村の皆、優しい人ばっかりだから。だから私も死神ということに捉われずに生きていけるんだ。これからもよろしくお願いします」
「これからも、よろしく頼むぞ」

 ようやく「自分の居場所」が出来たことで、ランスは満面の笑みを浮かべていた。そしてティリィがひとまず任務のためにその場を離れたところで、今度はまた別の人物が声をかける。

「ランス君、昨日の音楽祭の後、レインさんと話してたみたいだけど、何だったの?」

 メーベルである。彼女は、実際には現場を直接見ていたことを隠しつつ、あえてそう問いかけてみた。

「うむ。我も遂に、我が仕えし者が決まったということだ」
「あぁ、就職決まったのね。おめでとう」
「まぁ、我の力をもってすれば……」
「おめでとう。本当に良かった」
「まぁ、我も長い間……」
「レインさんなら大丈夫だと思うわ」
「……迷惑をかけたな」

 「本当にね」という言葉をメーベルは飲み込みつつ、素直に今の自分の本音を告げる。

「私やローラちゃんやラナちゃんとは、ちょっと離れたところになっちゃったけど、いつでも連絡していいからね。なんだかんだ言って、ローラちゃんも、ラナちゃんも、あなたのこと、弟として好きだと思うから」
「当たり前であろう。我はこの教団のトップである」
「あのね、私達は別にあなたのことを教祖として好きな訳じゃないからね」
「違うのか?」
「弟」

 メーバルは真顔で答える。そして少し間を空けて、改めて答える。

「同じ一門の、弟」
「まぁ、うん……、我も、そのくくりで言ったら、姉や……、姉達も、お前も、好きだと思うぞ」「ランス君、そういうところが一番可愛いと思うわ」

 メーベルは笑顔でそう語りながら、背伸びをしつつランスの頭を撫でる。

「そんなことはない。我は天から堕ちし者だ」
「じゃあ、元気でね。私達はもう帰っちゃうけど」
「うむ。そちらも、頑張って、やるがよい」
「そうね。今一番苦労してるのは、就職したばかりのローラちゃんかしらね。あなたも就職したばかりだけど」
「大丈夫である。ここのトップは、我が認めた人である」
「出来れば、ローラちゃんもラナちゃんも連れて来たかったんだけど、ローラちゃんは会議が忙しいっていうし、ラナちゃんは混沌災害が忙しいっていうし、来てくれなかったのよね」
「我はこの村にいつでもおる。いつでも来るが良い」
「じゃあね!」

 こうして、互いに会話が噛み合わないまま、言いたいことだけを言い合って、メーベルは彼の元から去って行く。ある意味、このような形で「無理に会話を噛み合わせようとしない態度」こそが、彼との良好な関係を築く上では、一番の正解なのかもしれない。

4.8. 去り行く客人達

 ランスに別れを告げたメーベルがセシル達と合流した時点で、他の面々の帰り支度は既に万端であった。

「では、帰ろうか、我が妻よ」

 白々しい表情でポーラにそう語る紅の楽士に対して、メーベルは露骨に嫌悪感を抱きつつ、彼の耳元で問いかける

「ポーラさんのお腹に子供がいる状態で、私を口説いたんですか?」

 彼がポーラの妊娠に気付いていたのかは不明だが、正確に言えば、メーベルだけでなく、他にも彼はマージャ滞在中に様々な女性を口説いて回っていた。

「安心しろ。俺はどんな時であろうが、女性は女性として、『俺の流儀』で大切に扱う」
「そうですか……」

 メーベルはそう呟きつつ、スススッと彼から遠ざかり、以後は彼に一切関わるのをやめることにした。幸い、ポーラが妊婦であることを告げられたSFCのポーラに対する態度が若干緩和したこともあり、この後はグリースに帰り着くまで、SFCが徹底して楽士を監視することになる。
 なお、紅の楽士は後日、ヴァレフール護国卿の契約魔法師宛に「もうすぐお前の叔父か叔母が産まれるから、いずれどこかで会ったら仲良くしてやってくれ」という手紙を送ったらしいが、それを受け取った彼女がどんな反応を示したかは定かではない。

 ******

 無事にウリクルに帰り着いたヴェルディは、マリウスのことをジェロームに報告する。

「それが本人の意思で選んだことなら、それが一番だろう」
「例の自然魔法師の一団にも、そう伝えておきます」
「そうだな。それならば彼等も納得する筈だ。それにしても、今回も色々大変だったようだな」
「イカが焼けたくらいですね。大したことはありませんでした」
「お前が一番活躍した、と聞いているぞ」

 どうやらエストから「でいりい・もら〜ど」という新聞が届いていたらしい。

「ゴルフ場で大敗を喫した甲斐があったというものです。あぁ、それに収穫もありましたよ」

 彼女はそう言って『番長学園! 大吟醸』と書かれた本を開く。すると、そこから奇妙な装束の少女が現れた。

「私はDr.このは。異界のアイテムをこの世界に顕現させることが出来るから、欲しいものがあったら、何でも言ってね」

 唐突に出現した異形の投影体に対して、ジェロームは存外冷静に受け止める。

「ほう、なるほど」
「人手は沢山ありますが、まだまだこの村には物資で足りないので、ちょうど良いかと」
「そうだな。しかし、なかなか珍妙な存在のようだが、この『人』……、と言って良いのか?」
「まぁ、この村にはもともと『珍妙な奴』しかいませんし」
「そうか。ベーナと同じような存在だと思えばいのか」
「オルガノンのようなものだと言っていたので、間違ってはいないと思います」

 こうして、また一人「珍妙な住人」がウリクルに加わることになった。

 ******

 同じ頃、エルマに帰還したベアトリスもまた、契約魔法師であるエステル・カーバイト(下図)に一通りの結果を報告していた。


「なるほどなるほど。それは確かに面白い話ですね。本から生まれる魔法使い、ですか」
「で、その魔法師というのが、こちらだ」

 そう言ってベアトリスがカイコウを紹介すると、さっそくエステルは聴取を始める。

「ほうほう、あなたはどこの世界から来たのですか……。なるほど、あなたには前世が……。では、あなたは前世ではどのような……」

 ベアトリスとしては実益重視で選んだつもりだったが、思ったよりも好事家としてのエステルに好評だったらしい。気付いた時にはエステルは「三国志演義」の序盤の物語の妄想動画を作り始めていた。

「問題は、この人が言うところの『太平道』という教えが、『ウチの酒の神様』と共存出来るかということですが……、まぁでも、あの人はお酒が飲めれば何でもいいのでしょう」

 エステルが勝手にそう結論付けると、カイコウは静かに頷く。

「我が教団は酒は禁止していないし、楽しむべき時には楽しむべきだと私は思う」
「それは何より。いずれ他の11人の異界の魔法師の方からも話を聞いてみたいものですね」

 ひとまず連れ帰った人材が好評だったことにベアトリスは安堵しつつ、改めて問いかける。

「ところで、留守の間は何も変わりはなかったか?」
「えぇ。特に何も。幻影の邪紋使いも来てませんし。図書館も出現してないですし。出来れば私がそちらに行きたかったところなんですけどね。まぁ、限られた情報から音楽祭の妄想動画を作るのも楽しそうなので、詳しく聞かせて下さい」
「あぁ。不在の間の仕事を片付けてからな」

 そう言って、彼女達もまた「いつもの日常」へと回帰していくのであった。

 ******

 一方、プロキオンとイリアは、まだ船の上にいた。甲板で潮風を浴びながら、イリアの手にある『Blade of Arcana Reincarnation』を眺めながら、プロキオンはふと呟く。

「イリアさんって、ローザリンデさんと、どっちも気が強そうだから、すごく気が合うか合わないかのどちらかになりそうで、怖いんですけど」

 相変わらず、正直者であるが故に「言わなくても言いこと」まで本人の前で話してしまう秋田犬に対して、イリアは淡々と答える。

「そうなったらなったで、私の役に立たないと思った時点で消せばいいだけの話だ。それを認めるという言質もとってあるしな」
「女の人て、怖いっすねぇ……。その点、こっちのルフィーアさんはおとなしそうだから、セリーナ様やバット様と対立することはないと思うんですけどね」

 プロキオンは自分の背中の鞄に入っている『モンスターメーカーRPG ホリィアックス』の少女を思い返しながら、そう語る。彼の中では、その点も採用基準としては重要な点であった。

「とはいえ、そちらは対魔境戦の危険地帯にいる以上、そこで生き残れるだけの人材かどうかは分からぬだろう。火の魔法が得意と言ってはいたが、どこまで使えるかは未知数だ」
「まぁ、そうなんですけどね。でも、どちらにしても今の最前線で必要なのは『火力』なので」

 甲板でそんな会話を犬と交わしているイリアに対して、周囲の乗客は少し距離を取っているが、イリアもプロキオンもそんなことを気にする様子もなく、やがて水平線の彼方に見えて来る大陸の街の灯を静かに眺める一人と一匹であった。

4.9. 末弟

 それから半月ほど経過した後、ランスとメーベルはビートをアルジェント(下図左)の元へと届けるために、エーラムを来訪していた。メーベルが同行した背景には、ランス一人に任せるのは心配だという配慮に加えて、久しぶりにメルキューレ(下図右)に会いたいという思惑もあった。


 直弟子と姪弟子と新弟子を目の前にしたアルジェントは、まずはランスに声をかける。

「どうにか、寛大な君主に巡り会えたようだな」
「まぁ、我の考えを理解してくれる人が現れた、ということだ」

 誇らしげにそう語るランスに対して、師匠は淡々と応じる。

「そうか。ならば、卒業証書もとっとと手配してやるから、ここから先は一人の契約魔法師としてやっていけ」

 そう告げた上で、彼は傍らに立つメルキューレに目配せすると、メルキューレはランスの頭に嵌められた金の額冠を外す。次の瞬間、ランスは全力で奇声を上げた。

「イヤッフゥゥゥゥゥゥ! 我が名は堕天使ヤマトゥ! ヤマト教の教祖なり!」

 その有頂天ぶりに不安そうな呆れ顔を浮かべるメーベルであったが、そんな彼女の「何か言いたそうな雰囲気」を察して、アルジェントが再び口を開く。

「まぁ、大丈夫だろう。あそこの君主のことは私も聞いている。相当な変わり者らしいからな」

 その上で、彼はビートに視線を移した。

「さて、少年。お前はどんな魔法師になりたい?」

 ビートは少し考えた上で、緊張しつつも強い決意を込めた瞳で答える。

「『皆を守れる力』を持つ魔法師になりたいです」
「ありきたりで、誰でも言えそうな言葉だな。しかし、それでいい。最初はそれでいい。そこからお前の道を探し出していけ。時には道を踏み外したり、迷ったり、自分が何をしているのかも分からなくなることもあるかもしれないが……」

 そう語る師匠の視線の先には、当然の如くランスがいる。

「……最終的にはそれでも縁があれば、誰かお前の力を必要とする者は現れる。今回の件を通じて、私はそれを確信した。誰にでも、道は開けるということをな。私に希望を持たせてくれたことを感謝するぞ、我が弟子よ」
「我が力を持ってすれば、当然である」

 改めて、踏ん反り返って鼻高々にそう語るランスを見て、メーベルはため息をつく。

(皮肉とか、理解出来ないんだろうなぁ……)

 そんな感慨を改めて抱きつつ、メーベルは「新たな後輩」が魔法師として健やかに育つことを、切に願うのであった。

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最終更新:2018年10月21日 08:10