第3話(BS51)「覇権国家の契約事情(前編)」 1 / 2 / 3 / 4

1.0. 国際会議と音楽祭


 ブレトランド北部を支配するアントリア子爵領の北西部に位置するマージャ村(上図)の北方には、巨大な魔境が広がっていた。一時はその魔境はマージャ村全体を飲み込み、その被害は周辺の村々にまで及ぼうとしていたが、マージャの仮領主となった白狼騎士団の軍楽隊長レイン・J・ウィンストン達の活躍により、徐々にその魔境の勢力は減退し、マージャはレインと彼女を慕う音楽家達を中心とした「音楽の村」へと生まれ変わろうとしていた(ブレトランドの英霊2参照)。
 そんなマージャにおいて、先日、村の北部の魔境が忽然と消滅するという異変が発生した。誰かが浄化したのか、あるいは何らかの混沌の偶発的な作用によって消え去ったのかは分からないが、これによってマージャの住民達は長年悩まされた混沌災害から解放されることになり、村には歓喜の輪が広がった。
 同じ頃、アントリアの筆頭魔法師ローガン・セコイアの発案により、大工房同盟の首脳陣を集めた国際会議を開催しようと計画していたアントリアの魔法師団は、この知らせを受けた上で、この「マージャ村」をその開催地に選定する。「アントリア領内に位置するノルド自治領」という、一種の中立地帯とでも呼ぶべき特殊な立地環境が、列強を集めた会議の場としてふさわしいと判断されたらしい。その呼びかけに応じて、ヴァルドリンド、ノルド、ウィンザリア、ユーミル、メディニア、ファルドリア、ダルタニアなど、各国から要人達が集まることになり、村内では彼等の滞在のための高級宿舎の建設が急速に進みつつある。
 また、そんな要人達への歓待の意味も込めて、その同盟会議の翌日に「第三回・マージャ国際音楽祭」が開催されることが決定した(過去の大会はブレトランド戦記6およびブレトランド八犬伝6を参照)。今回の主催者はエーラムの高等教員バリー・ジュピトリスであり、優勝者には彼が盟友メルキューレ・リアンと共同開発した「新型の魔法具」が贈呈されるという。
 更に、昨今のグリースとヴァレフールにおける魔法師団強化政策に触発される形で、大工房同盟の有力諸侯が集まるこの機に、新人魔法師斡旋の機会を設けようとする動きも展開されており、平和を取り戻したマージャ近辺では、急速に慌ただしい空気が漂い始めていた。

1.1. 元魔法師の君主


 アントリア南西部の対グリース国境最前線に位置するカレ村(上図)の領主を代々務めてきたサジタリアス家は、英雄王エルムンドによるブレトランド平定以前からこの地方を治め続けたと言われる名家であり、旧トランガーヌ子爵領崩壊後も、当時の領主アルベルト・サジタリアス(下図)がいち早く降伏を宣言したことで、そのままアントリア傘下の領主家としての地位を維持し続けていた。彼は神聖トランガーヌ成立(ブレトランド戦記8参照)後も、タレイアのジニュアール(ブレトランド八犬伝5参照)やエフロシューネのマーグ(ブレトランドの光と闇3参照)のような形での「帰参」の道を選ばず、グリース領となった南隣のアトロポス村とも非公式な形での友好関係を維持しながら、アントリアの騎士として生きる決意を固めていた。


 だが、先日、そのアルベルトが一族郎党揃って何者かの手によって暗殺された。目撃者の証言によれば、それは「子供程度の身長の黒装束の暗殺者」であったという。その容疑者に心当たりがある者は多かったが、アントリアの対グリース戦略の都合上、真相の追求は差し止められ、そして生き残った家臣団は、その場にいなかったために命を免れた「唯一の血族」の少年を、この地に連れ戻す方針を固める。
 その少年の名は、ジーク・サジタリアス(下図)。彼はアルベルトの長子として生まれながらも、幼少期に魔法師としての才能を見出されて、エーラムのジュピトリス家に迎えられていた。ただし、この時、アルベルトは「もし、サジタリアス家の後継者が不在となった場合は、ジークに領主の座を継がせるために呼び戻す」という条件を提示して、エーラムもその方針を受け入れていたのである(これは極めて異例な契約だが、エーラムがこれを認めた背景には、サジタリアス家の血族に関する「特殊な事情」が存在していたらしい)。


 ジークは魔法学校において極めて優秀な成績を収め、将来は七色魔法師となることも期待されていたが、上記の「お家の事情」により、それまで習得した全ての魔法に関する記憶を抹消された上で実家へと送り返され、領主の座を継ぐことになった。エーラムの教員達は「魔法師としてのジーク」を失うことを惜しんだが、彼は子供の頃から「おとぎ話に登場する勇者様」への憧れがあったため、聖印を引き継いで「騎士」としての第二の人生を歩むこと自体には、むしろ前向きであった。
 ただ、彼は領主としての心得を父から学ぶ機会もなく、エーラム時代も(なまじ魔法の才覚に恵まれていたこともあって)領地経営などに役立ちそうな教養科目に一切出席せずに魔法の修練に励んでいたため(そしてその知識も奪われてしまったため)、領主としての政務に関しては全くの素人であった。そのため、彼は領主としての地位は引き継いだものの、政務は家臣団に任せた上で、日頃は身分を隠して「農家の青年ジーク」と名乗った上で「庶民」として生活することにした。それは、少しでも村の実態を知ろうとする彼なりの手法だったのであろう。
 そんな中、数ヶ月前に大規模な災害が発生し、村全体が深刻な食料・物資不足の状態に陥ってしまった。ジークはこの状況に対して、村内の全ての食料・物資を執政府の管轄に置いた上で、村内における貨幣経済を停止し、物品を村民達に配給制で分け与えることで苦難を凌ぐという道を選択する。この政策は賛否両論を引き起こすが、結果的に村内の危機的な窮乏状態はひとまず克服された。ただ、村民達(主に商人達)の間では、その危機的状況を脱した後も「貨幣経済停止」の命令が解除されないまま、物々交換による生活しか認められない状況が続くことに対しての不満が日に日に高まっていたのだが、ジークはそのことに気付かぬまま、黙々と畑を耕す日々を送っていた。
 こうしてカレ村が「原始共同体社会」として独自の道を歩みつつある中、アントリアの首都スウォンジフォートから、アントリア子爵代行マーシャル・ジェミナイの命を受けたヴィクトール・ボズレフ(下図)率いる白狼騎士団が到着した。彼等は元来はノルドの軍人だが、大工房同盟の同胞としてアントリアを支援するために派遣された精鋭部隊である。日頃はジークの好きにさせている村の執政官達も、さすがにこの物々しい武装集団の来訪には驚き、すぐさまジークを畑から呼び戻す。


 久しぶりに「領主」としての貴族服を着て来客の前に立ったジークに対し、ヴィクトールは「子爵代行」からの通告書を見せながら、淡々と事情を説明する。

「まもなくマージャ村にて『大工房同盟諸国の首脳陣を集めた国際会議』と、今回で三回目となる『マージャ国際音楽祭』が開かれる。それに合わせて、同地にてエーラムから新人魔法師達を集めた『契約斡旋のための場』が設けられることになった。現在の『最前線の地であるカレ村に魔法師が不在』という状況は好ましくないので、この機会にマージャに招待したエーラムの新人魔法師達の中から、貴殿の契約相手を探すように、という子爵代行閣下からのご命令だ」

 ジークの隣でその通告を聞いていた筆頭執政官の男は安堵する。彼はてっきり(勝手に貨幣経済停止などという政策を実施したことが不興を買って)ジークがこの地の領主を解任されるのではなかいかと内心肝を冷やしていたのである。確かに、先代アルベルトの契約魔法師も先日の暗殺事件の折に共に殺されてしまっていたため、この村は魔法師不在の状態が続いており、その状況は憂慮すべき事態だと彼等は考えていた。本来ならば、ジークが引き継ぐ時点で新たな契約魔法師を要求すべきだったのだが、彼を連れ戻すことをエーラム側に了承させるだけで手一杯で、そこまで魔法師協会に要求出来る状況ではなかったのである。
 そんな執政官の思惑など知る由もないまま、ジークはその通告書に目を通す。すると、そこには一人の見知った人物の名が記されていた。それは、今回の音楽祭の「主催者(景品となる魔法具の提供者)」であるバリー・ジュピトリスである。彼はジークのエーラム時代の師匠(養父)であった。子爵代行マーシャルがそのことに気付いた上で自分に参加を促しているのかは不明だが、おそらくバリーがエーラム側の「新人魔法師の引率者」であろうことを考えると、ジークにしてみれば、これは参加し易い条件である。

「分かりました。私としても、村の政務のことについては全く分からないので、契約魔法師は欲しかったところなんですよ」

 あまり緊張感のない表情でジークがそう答えると、ヴィクトールもくだけた表情で応じる。

「まぁ、あんたは魔法師出身だから、ある程度の知識は元々あるんだろうけどな」
「いえ、私は魔法大学時代は魔法のことしか学んでいなかったので、一般的な契約魔法師となるような人々が持っているような教養などは全く未履修なのです」

 そして、その魔法の知識を消されてしまった今の彼は、控えめに言って「平民の子供程度の知識」しか持ち合わせていない。

「その辺の詳しいことはよく分からんが、とりあえず、 あんたの留守中は俺達がこの地を守ってやるから、安心してマージャに行ってきな。正規の斡旋の機会は同盟諸国が集まった後で開催されるらしいが、代行閣下曰く、多分、その前に話をつけといた方がいいだろう、とのことだ」
「先に目星をつけておけ、と?」
「そういうことだな。他の国の連中が来る前に、めぼしいのを捕まえておけ、ということだろう。お前さんも、残り物のカスは掴みたくあるまい?」
「そうですね。前線の村として、ちゃんとした、学のある魔法師を雇いたいものです」
「あと、例の『アトロポスの小さな坊ちゃん』の相手は、俺達に任せておきな。やっこさんも、俺達が来たと聞けば、喜んで飛び込んで来るかもしれん」

 「小さな坊ちゃん」とは、ジークの父アルベルトを殺した容疑のかかっている、アトロポス駐在の邪紋使いコーネリアス・バラッドのことである。彼は旧トランガーヌの騎士団長アウグスト・バラッドの息子であり、3年前の侵攻戦でアウグストを討ち取ったヴィクトールは、コーネリアスにとってまさに不倶戴天の仇敵であった。

「えぇ。留守の間の『奴の相手』はお願いしますね」

 ジークにとって、コーネリアスは「同い年の幼馴染」でもある。コーネリアスにしてみれば、アルベルトは「侵略者ダン・ディオードに尻尾を振る裏切り者」であり、そんな輩を誅殺することはコーネリアスにとっては紛れもない正義なのだが、ジークにしてみれば、コーネリアスは「父や弟達を殺した(と思われる)下手人」であり、もはや昔のように気楽に語らえる相手ではなくなってしまった。

「とりあえず、ここから行くなら、エストから海路でクラトーマ経由の方が早いだろうな」
「そうですね。では、さっそく出立の手配を始めます」

 陸路でも行けないことはないが、モラード地方とマージャの間には山脈があるため 、大回りを強いられる。それよりは明らかに海路の方が早い。理想としては、何らかの飛行手段を用いた上での「山越え」が最短の道だが、飛行乗騎を持たないジークにはそれは不可能であった。
 ひとまずジークはヴィクトールを駐在武官用の宿舎へと案内した後、執務室に主だった家臣達を集めて「事情」を説明する。

「おぉ! ようやく魔法師の方がいらっしゃるのですか!?」

 家臣達の間でも歓喜の声が上がる。彼等もまた、領民達からの「貨幣経済廃止令」への不満に対してどう対処すべきか悩んでいたところだったので、領主に対して対等な立場で進言出来る優秀な魔法師の来訪を心待ちにしていたのである。

「今から、その目星をつけに行くところだよ」
「坊ちゃんは、魔法大学にいたのですから、いくらでもお友達のアテはあるんですよね?」
「あ、あぁ、もちろんだとも」

 一旦はそう答えたジークであったが、自分の記憶を辿ってみると、これといって「友達」と呼べるほどの人間関係を築いていなかったことに気付く。

「……ごめん、嘘だ。今のは忘れてくれ。実は、在学中は勉強に身を捧げていたので、あまり目星もないんだ」

 正確に言えば、それなりに親しかった学友もいた筈なのだが、「魔法の講義中の記憶」が消えてしまっているため、断片的な記憶しか残っていない。うっすらと顔と名前は覚えていても「彼等と共に学んだ記憶」が消されてしまっていては、もはやそこに「友情」と呼べるような関係があったのかどうかすらもはっきりしない。勤勉であったが故に「魔法の勉強以外の思い出」がそもそも殆どなかった以上、それも致し方のない話である。

「いずれにせよ、これは渡りに船だよ。ちょうどいい機会だからね。じっくり品定めしたいと思う。私の元師匠のバリーさんも関わっているようだし、バリーさんの紹介で、良い魔法師を見繕ってくれると思う」
「なるほど。それならば期待が持てそうですね」
「あぁ。留守のことは任せたよ」

 彼はそう告げた上で、さっそく身支度を進めて、まずは最寄りの港町であるエストへと向けて旅立って行くのであった。

1.2. 叔父の秘策

 エーラムで高等教員を務めるアルジェント・リアン(下図左)とメルキューレ・リアン(下図右)を筆頭とするリアン一門には、つい先日まで四人の弟子達が学生として在籍していたが、そのうち三人が無事に君主との契約を交わすことに成功した。


 そして最後の一人となった末弟ランス・リアン(下図)は、改めてメルキューレの研究室へと呼び出され、彼の口から「最後の機会」への参加を言い渡される。


「まもなく、アントリア北部のマージャ村にて、大工房同盟の方々による会議が開かれます」
「うむ」

 相変わらず、全く危機感の感じられないランスに対して、メルキューレは粛々と説明を続ける。

「その翌日に同じマージャ村で『音楽祭』が開催される予定らしいのですが、私の盟友のバリーが、その主催者の一人として現地に赴くことになりました。そして世界各地の同盟諸侯が集まるこの機会に、若い魔法師達を紹介する機会を儲けよう、という方向で話が進みつつあります」
「そうか」

 ここで義父のアルジェントが鋭い口調で問いかける。

「言いたいことは分かるな? 我が弟子よ」
「我のヤマト教の素晴らしさを、皆に伝えれば良いのだな?」

 全く変わらぬ様子のランスのその答えを無視しつつ、アルジェントは静動魔法を用いて『「近くにあった机の引き出し」を開け、そこから「何か」を取り出す。

「私もそろそろ『師匠らしいこと』をしなければならないと思ったのでな。メルキューレに頼んで『これ』を作らせた」

 アルジェントがそう言ってランスの前に見せたのは「金色で簡素な造りの額冠(サークレット)のような何か」である。その構造は、中華世界における伝説的存在「斉天大聖」の頭部に装着された「金の輪」に酷似しているのだが、ランスがそのような伝承を知る筈もない。

「これを頭につけろ。これが、お前の契約を成功させるための秘策だ」
「『天使の輪っか』という奴だな。我は既に天使から堕天した身。だが、それも良いだろう」

 そう言ってランスが額冠を装着したところで、アルジェントは話を続けた。

「では、私が君主だと思って、自己紹介の練習してみろ」
「我が名は堕天使ヤマ……」

 そこまで言ったところで、彼の頭部に激痛が走った。ランスがその痛みに悶え苦しんでいると、アルジェントは「実験」が成功したことに満足気な表情を浮かべながら説明する。

「お前が『余計な言葉』を口にする度に、その額冠はお前の頭を締め付ける。該当するのは『堕天使』『教祖』『全裸』だったかな?」

 アルジェントがそう言いながらメルキューレに視線を向けると、彼はいつも通りの穏やかな声で付言する。

「あと、メーベル達からの助言もあって、『ヤマト』と『ヤマトゥ』も付け加えておきました」

 どうやら義姉達は、ランスの契約相手探しを本気で心配しているようで、魔法杖通信を通じてメルキューレとは頻繁に連絡を取り合っていたらしい。その上で「彼が君主に受け入れられない理由」を考えた結果、「堕天使」「ヤマトゥ」「ヤマト」「教祖」「全裸」というこの五つの言葉を封じることがまず重要なのではないか、という結論に達したようである(なお、「全裸で寝る」という習慣自体はこの世界でもそこまで珍しい訳ではなく、実は学生時代のジークもそうだったらしい)。

「わ、我がその程度で……」

 苦しみに耐えつつ、それでも「自らの信念」を貫こうとするランスに対して、アルジェントは淡々と諭す。

「それらの肩書きや名前が、お前の魂に関わる程に重要なことならば、どちらにしても、あまり気安く誰彼構わず教えるべきことではないだろう。そういうことは、自分が本当に『この君主のために命を掛けられる』と思った相手にだけ伝えればいい。自らその痛みに耐えてでも伝えるべき相手を見つけた時にだけ、な」
「そ、そうであるな……」

 ランスとしても、そう説明されれば納得せざるを得ないらしい。彼はこの課せられた制約の中でいかにして自分を売り込んでいくべきか悩みつつ、今回の「引率役」である高等教員バリー・ジュピトリスの元へと向かっていく。そんな「末っ子」の背中を見守りながら、メルキューレは心配そうに兄に問いかける。

「大丈夫でしょうか? あの額冠に萎縮して何も喋れなくなってしまっては、それはそれで彼の未来を閉ざすことになってしまいかねませんが……」
「その程度で閉ざされるような未来なら、閉じてしまった方がマシだろう。むしろ心配なのは、質実剛健な大工房同盟の面々に、奴がまた揉め事を起こさぬかどうかだ」
「今回は、監視役がいませんからね」
「そうだな……。まぁ、一応、アントリアには一人、奴と面識がある者もいる。多少は便宜を図ってもらえるよう、手紙でも送っておくか」

 アルジェントはそう言いながら、魔法で紙と筆を取り出し、一筆したためることにした。その手紙の宛名欄に記されていた名は「ラーテン・ストラトス」である。

1.3. 悩める再就活生


 ラーテン・ストラトスとは、アントリア子爵ダン・ディオードの次席魔法師クリスティーナ・メレテスの実弟であり、現在は姉の所轄で無任所魔法師として首都スウォンジフォート(上図)に滞在しつつ、アントリア国内の諸々の雑用に当たっている青年である(下図)。真っ赤に染め上げた改造制服を着込んだ静動魔法の使い手であり、直接の師匠は現学長のセンブロス・ストラトスだが、卒業研究指導においてはアルジェントの指導を受けていた身でもある。


 彼は元来はアントリア騎士サイロットの契約相手としてこの地に赴任したが、サイロットが敗戦の責任を取って騎士を廃業して以来、明確な契約相手を持たない中途半端な立場で姉の庇護下に置かれている身であった(ブレトランドの英霊2参照)。さすがにそろそろ次の契約相手を見つけたいと考えていた彼にとっては、今回の「合同斡旋企画」は絶好の機会なのだが、そんな彼の元にアルジェントからの手紙が届く。

「ウチの馬鹿弟子が今度、そちらに就活に行くことになった。グリースとヴァレフールでまともな契約相手を見つけられなかったような出来損ないだが、両国にはウチの一門の娘達が就職している。だから、外交面では役に立つかもしれん。というか、それくらいしか『売り込めるような要素』がないのだが、とりあえず、よろしく指導を頼む。何か問題を起こしそうなら、遠慮なく力付くで止めてくれ」

 ラーテンとしては、正直困惑していた。まずそもそも、再就職先を見つけられないまま既に一年以上が経過している状態にある今の自分に「後輩の就職の手助け」など出来るとは思えないし、そのような問題児を「力付くで止める」となった場合、手加減しきれずに大惨事を引き起こしてしまうのではないか、という心配もあった。
 なお、ラーテンの中には、確かにうっすらと「昔のランス」の記憶はある。と言っても、自分が卒論発表の直前にアルジェントの研究室で徹夜で指導を受けていた時に、部屋の隅で怪しげな異界魔書(宗教書?)を読み耽っていた子供がいた、という程度の印象であり、どのような子供だったのかは、あまりはっきりとは覚えていない。

「まぁ、俺と一緒に、誰かいい相手が見つかればいいが……」

 彼が私室で一人そう呟いたところで、扉を叩く音が聞こえてきた。ラーテンの実姉クリスティーナ・メレテス(下図)である。彼女は今回のマージャで開催される「大工房同盟の首脳会議」における司会進行役として現地へと向かう予定であるが、まだその前に片付けなければならない政務が残っているため、まずはラーテンを彼女に先立って現地へと向かわせ、そこで準備状況を確認させるという方針であった。


 もっとも、それも半分は「建前」であり、彼女としてはラーテンに早目に現地に入って、世界各地から集まるであろう「契約魔法師を探している君主達」との間での(ラーテン自身が契約するための)事前交渉」を進めておいてほしい、というのが本音である。

「あなたはマージャとも縁はあるし、この機会に、もうそろそろ身を固めてほしいんだけど……、結局、あなたとしては、どんな相手が理想なの? 世の中、理想通りに進む訳じゃないけど、せめて方向性だけは聞かせてくれる?」
「方向性かぁ。そうだなぁ……。正直、ビビッと来るのが一番だとは思うけどなぁ。言葉に表し辛くて……」

 結局、ラーテン自身が自分の「理想」をはっきり見据えられていないことが、ここまで再就職が長引いている最大の原因らしい。そのことを悟ったクリスは、思わず溜息をつく。

「そう……。ビビッとくる人がいればいいけどね」
「あぁ、俺も本当にそろそろ、どうにかしないとな!」

 ラーテンは姉を前にそう決意を新たにしつつ、この一年間共に散々国中を駆け巡った愛馬に跨り、陸路でマージャへと向かうのであった。

1.4. 姫君主と補佐官


 アントリア南東部の城塞都市クワイエット(上図)の領主であるファルコン・トーラス男爵(下図)は、アントリア騎士団を構成する四軍閥の一つである「南東方面軍」の指揮官であり、覇権国家アントリア内における「名門貴族出身ではなく、戦場で武勲を上げて聖印を賜った叩き上げの君主達」の代表格である。


 彼は今回のマージャでの「魔法師斡旋企画」に対して、娘のミネルバ(下図左)を「君主」として出席させるという旨を、自身の契約魔法師であるスュクル・トランスポーター(下図右)に告げる。その上で、彼にミネルバと共にマージャへ同行し、諸々の手助けにあたるよう命じた。


 スュクルは粛々とその命令を受け入れて準備を進めつつ、その過程においてファルコンに対して率直に問いかける。

「まだミネルバ様はお若いですが、もう魔法師を付けるのですか?」

 既にファルコンから従属聖印を受け取っているとはいえ、ミネルバはまだ9歳であり、「若い」というよりも「幼い」と言った方が適切な年齢である。名門貴族の場合、魔法師団の一人が次期当主となる者の幼少期から教育係を兼任することもあるが、あえて今のこの時点で「彼女の専属の契約魔法師」を探すという方針に対して、スュクルが違和感を感じるのも当然の話である。

「正直、俺も早すぎるとは思うのだが……、今、家臣達の間では、彼女を国外に嫁に出すべきだという意見も出て来ている」

 ファルコンがそう答えると、スュクルは眉をひそめながら答える。

「……マーチ、ですか?」
「そう、マーチの領主セシル・チェンバレンだ。歳も近いしな」

 実際にセシル(およびその親衛隊長)と複雑な因縁のあるスュクルは、若干顔をしかめる(ブレトランドの英霊5参照)。戦略的にはそれは確かに有効な手段の一つかもしれないが、様々な意味で危険性が高い策であることは間違いない。当然、そのことはファルコンも分かっている。

「俺としても即断出来る話ではない。だが、状況によってはそれも選択肢の一つとして考えねばならん。だからこそ、身一つで送り出す訳にはいかない」

 つまり、ここで求められているのは、ミネルバの「教育係」であると同時に、異国に送り出す際の「護衛」としての役割も果たせるような魔法師、ということである。

「ならば、やむを得ませんな。いずれにせよ、早いうちから知識を身につけるのは良いことかと。お嬢様に発現した聖印が示しているのは、艱難に喘いで万難を排して行こうとする道。であれば、障害を払うための術は少しでも多く手に入れておいた方がよろしいでしょう」

 ミネルバがファルコンから従属聖印を受け取った時点で、彼女の身体に出現した聖印は「殺戮者」としての適正を示していた。それは将来、自らの身一つで大軍を相手に立ち向かう能力を身につけるであろうことを意味している。もしミネルバが男子として生を受けていれば、ファルコンはこの結果を喜んだであろう。だが、可憐な令嬢へと育つことを期待していた父親としては、複雑な心持ちにならざるを得なかった。

「出来れば、『救世主』としての聖印でも作り出してくれれば良かったものを……」

 とはいえ、聖印の性質はその人物の本質を表していると言われている。こればかりは(魔法師としての適正同様)どうしようもないのである。

「我々が夢を開いたところで、投影体の脅威はしばらくは消えません。皇帝聖印が出来るその時まで、前に立って頂けることは悪いことではありません。どのような形であれ、心のままに動くことを受け入れることは悪ではありません。ただ、そのために必要なものは多いでしょう」
「そうだな……。では、ミネルバのこと、よろしく頼むぞ」
「承知しました。マージャまでの道中の宿に関しては既に手配済みですので、可能な限り……」

 彼がそこまで言いかけたところで、その場に二人の「姫君主」が現れた。一人は、既に旅支度を整えたように見えるミネルバ・トーラス。そして彼女の手を引きつつ二人の前に現れたのは、肩に一羽の梟を乗せた、10代中盤程度の年頃の北国装束の少女であった。

「いや、それに関しては、私がヴィクトリアで送って行くわ。というか、私も行くから」

 彼女の名はマルグレーテ・リンドマン(下図)。「梟姫」の異名を持つ、ノルドの海洋王エーリクの姪御(姉の次女)である。「ヴィクトリア」とは彼女の肩に乗った梟の名であり、彼女はこの梟を巨大化させて自らの乗騎とする力を持つ「騎乗者」の聖印の持ち主であった。


 彼女は約半年前の長城線攻防戦に破れた後、側近の飛空兵団達と共に、この地に滞在する(大工房同盟盟主マリーネ直属の)「銀十字旅団」の一員として、クワイエットに食客として駐留し続けていたのである(ブレトランド風雲録5参照)。

「おや、mademoiselle マルグレーテも今回の会合に参加されるのですか。よろしいのですか? ノルドからも客人が来られるようですが」
「んー、まぁ、正直、今はお母様とは顔を合わせたくないところではあるんだけど……、出来ればこの機会に、『姉様が勝手に連れ帰っちゃった銀十字旅団の魔法師』(ブレトランドの光と闇1参照)の穴埋めになるような戦力を、補充したいと思ってね」

 マルグレーテとしては、今の立場で自分が魔法師と契約しようという発想自体がおこがましい、という気持ちもあるが、世話になっている銀十字旅団の面々の恩義に報いるためにも、そしてヴァレフールに対して一矢報いるためにも、ここは新たな戦力を迎え入れたいと考えていた。

「姉様が連れ帰ったのは時空魔法師だったんだけど、この街にいる間に関しては、あなたいるなら時空魔法師は不要だろうし……、長い目で見るなら、私の契約相手としては……、自力で空を飛べる召喚魔法師あたりがいいかもしれないわね」

 それに対して、スュクルは記憶にある限りの「空を飛べる魔法」を思い浮かべる。

「召喚魔法師や静動魔法師、あるいは元素魔法師あたりですかね。なにぶん、私にはこれといったツテがないものですから、現地で探す他ありませんが……。では、マージャの宿を一つ追加しておきましょう。出立はいつになさいますか?」
「私は、今からでも行けるけど?」

 二人がそんな会話を交わしている中、ミネルバが唐突に割って入る。

「あのね! 私も召喚魔法師がいい! 召喚魔法師って、猫さんとか鶏さんとか呼べるんでしょ?」
「おそらく、そのようなものかと。かつての私の日記にも、そう書いてあったようですし」

 スュクルは今でこそアントリア最前線の時空魔法師として確固たる地位を築いているが、実は当初は召喚魔法師としての道を志していた。だが、魔法実験の事故で妹を亡くした際に、それまでの記憶を失い、時空魔法師として再始動したのである。

「さすがに、居候先の御令嬢と希望が被るなら、召喚魔法師はそちらに譲るべきかしらね」

 マルグレーテは今の自分の立場をわきまえた上でそう呟くが、スュクルは首を振る。

「いえ、お気になさる必要はありません。ミネルバ様に必要な方は、必要とあらばエーラムから何人でも見繕った方が良いかもしれませんし。むしろ今はあなたの方が『急いで功績を上げねばならない立場』であることを自覚なされているのでしょう?」

 あまり指摘されたくない事実を指摘されたマルグレーテは、顔を引きつらせながら頷く。

「……そこまで配慮してもらえてることに関しては、素直にありがたく思っておくわ。今は自尊心がどうこうとか言ってられる立場じゃないしね」
「あと、私はこの地に時空魔法師が増えてくれることも歓迎です。ただでさえ、この周辺の地域には時空魔法師が増えているようですし」

 少なくとも「南の壁の向こう側」に一人。そして西の森の先には「時空魔法にも通じた召喚魔法師」が滞在していることが多く、その更に奥には「得体の知れない自然魔法師」も控えており、最近は南西の湖岸都市にも新たな「夜藍の時空魔法師」が赴任したという話もある。時空魔法師同士の知略戦ということになれば、少しでも確実な情報を手に入れるために、人員は多いに越したことはない。
 そんな様々な想いを胸に抱きつつ、スュクル、ミネルバ、マルグレーテの三人は、巨大梟と化したヴィクトリアの背に乗って、空路でマージャへと飛び立って行った。

1.5. 現地に漂う不穏な空気

 こうして、各地から客人達がマージャへと集まろうとする中、マージャの領主であるレイン・J・ウィンストン(下図)の元には、筆頭魔法師のローガン・セコイアからの書状が届いていた。


「エーラムからの魔法師達が到着したら、すぐに歓迎の宴を開け。同盟諸侯の到着を待つ必要はない。目ぼしい魔法師は早めに囲っておくのだ」

 それが手紙の本題である。レインとしても、新たな「お友達」として自身の契約魔法師を迎えたいという想いはあるし、そのような思惑以前に、せっかく足を運んでくれた人達に対しては、その時点ですぐに歓迎会を開きたい気持ちはある。ただでさえ同盟諸侯会議や国際音楽祭のための準備で忙しい次期ではあったが、こういった楽しそうな「お祭りごと」のために奔走することは、レインにとっては全く苦ではなかった。
 ただ、彼女の中には一つ、気がかりなことがあった。それは先日、長年のマージャの民を苦しめてきた「魔境」が消滅した日の夜のレインの「夢」の中に現れた「謎の男」のことである。その男の顔は陰に隠れてはっきりとは見えなかったが、漆黒の鎧を纏い、「これまで見たことがないほどに禍々しいオーラ」をその身から放っていた。夢の中の彼は、マージャの魔境の混沌核から生まれた後、その混沌核そのものを吸収した上で、七人の「屈強な半裸の男性の戦士達」を従えて、高笑いと共に彼女の前から去って行った。そしてレインが目を覚ました時、実際に魔境は跡形もなく消え去っていたのである。

(あの夢は一体、何だったのかしら……)

 レインは、これまでに「予知夢」などを体験したことはない。だが、魔境の消滅と時を同じくして見た夢である以上、そこに何らかの意味があるとしか思えない。とはいえ、彼女には「漆黒の鎧の戦士」にも「七人の半裸の男達」にも全く心当たりがないため、その正体が気になった状態のまま、モヤモヤした感情だけが残っていた。

 ******

 一方、そんなレインの側近の一人であり、軍楽隊員にして村の孤児院の院長を務める「白狼騎士団の死神」こと邪紋使いのティリィ・アステッド(下図)の元には、村人からの不穏な噂が届いていた。どうやら、村人達の何人かが、数日前から行方不明となっているらしい。また、それと同時に「早目に到着する予定であった音楽祭の参加者」の何人かが、予定の期日になっても到着していない、という話もある。


 ただ、現状ではレインを初めとする村の執政府の面々があまりにも多忙すぎるため、誰もそのことを彼女達に言い出せない状態にあるらしい。そんな中、ティリィは例外的に今回の諸々の行事の設営準備の人員からは外されていたため(彼女は前回同様に孤児院の子供達と共に音楽祭に出場する予定であったため、レインから「子供達との練習に専念してほしい」と言われていた)、村人達にしてみれば、彼女が一番「相談しやすい相手」だったようである(なお、正確に言えばこの村にはもう一人、「何の公務も与えられていない邪紋使い」がいるのだが、彼は「生まれたばかりの義理の姪」の世話で付きっきりになっていた)。

「それは、由々しき事態……。ルークさんみたいに、この村の近くの魔境や、危険なところに迷い込む人が、いるかもしれない……。一応、探してみる……」

 情報提供者に対してそう告げた彼女は、魔境の跡地へと向かってみる。既に魔境は消滅した筈だが、マージャの近辺ではまだ稀に魔物が出現することもある程度には、混沌の揺らぎが残った状態であり、再び大規模な混沌災害が起きるか分からない、という憶測もあった。
 しかし、彼女がくまなく探してみても、その魔境の跡地からは何も手掛かりとなるような要素は見つからない。こうなると、ティリィとしても、安穏と子供達との音楽の練習だけに興じていられるような状況ではなくなりつつあることを実感せざるを得なかった。

1.6. 新型魔法具

 今回の音楽祭の主催者(出資者)であるバリー・ジュピトリス(下図)は、エーラムで高等教員を務める元素魔法師である。彼は元々はダルタニアの自然魔法師の継承者であり、魔法発動時に演武を舞う独特の詠唱法で知られていた。彼の一族の祖先は投影体であると言われており、その血筋の影響か、実年齢は26歳だが(その年齢自体もエーラムの高等教員としてはかなり若いのだが)、見様によっては10代にも見えそうな程に若そうな見た目を保っている。


 バリーは典型的な「陽気でお祭り好きな南国気質の男」であり、音楽にも造詣が深いため、今回のマージャでの諸々の機会を利用して、「音楽祭」と「契約魔法師斡旋会」の同時開催を発案したのである(現在の彼には直属の弟子はいないが、「元弟子」であるジークが未だに契約魔法師を雇っていないことが気掛かりだった、と言うのも、その動機の一つらしい)。
 そして、マージャに向けて出発することになったこの日、彼はエーラム内におけるミルドレッド高原と呼ばれる平原地帯に、ランス・リアン、オラニエ・ハイデルベルグ(下図左)、ヒルダ・ピアロザ(下図右)という三人の若き「契約魔法師候補生」を呼び集めていた(なお、ランスがこの地に来るのは、先日のヴァレフールからの客人を招いた時以来、二度目である)。


 オラニエは16歳の錬成魔法師であり、以前はアントリアのエルマ村で実地研修を勤めていた経験もあるため(ブレトランドの遊興産業5参照)、今回のアントリアでの契約斡旋会には真っ先に名乗りを上げた。ただ、彼はもともとは目立たない勤勉な学生として知られていたが、エルマから帰還して以来、なぜか「悪魔」に関する文献を積極的に調べ始めたことから、一部では「何かエルマで良からぬものに出会ってしまったのではないか?」という噂も流れている。
 一方、ヒルダは18歳の夜藍(亜流)の時空魔法師であり、数ヶ月前までヴァレフール七男爵の一人であったガスコイン・チェンバレンの次席契約魔法師を務めていたが、ガスコインの戦死に伴ってエーラムに出戻った身である(ブレトランド風雲録11参照)。ヴァレフールの一部では、ガスコインが謀反を起こした原因は彼女の「予言」が原因であったとも噂されているが、本人はヴァレフール在任中のことに関しては一切口を閉ざしたまま、今度はアントリアへの「再就職」を希望する申請を提出し、受理されることになったのである。
 なお、二人共、ランスとは直接の面識は殆どないものの、「堕天使を自称する変わり者の少年」が召喚魔法科にいる、という噂は聞いたことがあった。そして当然、バリーも盟友であるメルキューレからランスの話は聞かされていたが、それでも彼は「出来れば一緒に連れて行ってほしい」という盟友からの頼みを二つ返事で快諾した。

「皆、よく来てくれた。では、これから『あれ』に乗って、ブレトランドに向かうとしよう」

 バリーがそう言って指差した先には、徐々にこちらに向けて飛来しつつある巨大な「気球」が浮かんでいた。エーラムの学生達にとって「気球」はそれほど珍しい存在ではないが(アニメ版『グランクレスト戦記』第1話冒頭参照)、混沌が渦巻く不安定な大気の中で生きるこの世界の住人達にとっては、まだあくまでも「好事家の嗜好品」にすぎず、あまり実用化はされていない。

「あれは私とメルキューレが、異世界の書物を参考に共同開発した新型の『熱気球』だ。今回の音楽祭での優勝者への商品でもある。耐久性には限界があるので、あまり軍事目的では使えないが、平和な地域の地域内管理用には使えるだろう。開発コード名は雲形飛空船第九号。略して『CLOUD NINE』だ」

 その構造は異界の技術に依拠しているものの、あくまでも投影装備ではなく、魔法の技術によってその構造を再現した魔法具らしい。「外側」はメルキューレが、「動力源」はバリーが開発した代物であるという。
 やがてその気球が近付いて来ると、それを操縦している操縦している二人の魔法師の姿が彼等の視界に入る。格子縞の独特な衣装を体にまとったその二人の名は、トレミー・ジュピトリス(下図左)とアド・ジュピトリス(下図右)。バリーの直弟子ではないが、同じジュピトリス一門に所属する青年達であり、いずれも生命魔法の使い手である(より性格に言えば、トレミーは本流の「緑」、アドは亜流の「常盤」の系譜であった)。


「あの二人も、今回君達と共にマージャで契約相手を探す魔法学生だ。そして、今回の音楽祭の出場者でもある。彼等は私が主催するサークル『異世界音楽研究会』の後輩でもあるのでね」

 そこまで言ったところで、バリーはふと何かを思い出したかのようにランスに問いかける。

「そういえば、君も最近、魔歌(まがうた)を練習しているそうだね」

 魔歌とは、魔法の詠唱方の一つであり、歌のように抑揚をつけて詠唱することによって、その魔法の精度を高める技術である。バリーはこの魔歌の技術を発展させた「歌って踊れる自然魔法師」の一族の出身であり、彼が率いる「異世界音楽研究会」の面々も、当然その技術に長けた者達が集まっている。
 ランスには決して音楽的才能がある訳ではなかったが(むしろ、周囲からは音痴扱いされることが多いが)、堕天使としての力を強めると同時に、ヤマト教の布教活動のためにも「歌」の力が必要と感じて、最近になって取り入れるようにしたらしい(彼がそう考えるようになった背景には、幼少期に出会ったハイアムの影響もあったのかもしれない)。

「うむ。我が……、我が……」

 ランスは「黄金の額冠」によってもたらされた苦痛を思い出しつつ、額冠によって「不適切」認定された言葉を使わずに自分の考えを伝えようと苦心する。

「……我の信条とする信念の下には、歌が必要である」

 何が言いたいのかよく分からない表現となってしまったが、ひとまず「この表現」に対して額冠が反応しなかったことに、ランスは安堵する。

「うんうん、そうかそうか」

 バリーは、ランスの意図を理解したのかどうかもよく分からないまま笑顔で頷きつつ、今度はオラニエに視線を移す。

「そういえば、君も君で、夜な夜な下町の公園で密かに美しい歌声を披露している、という噂を聞いたことがあるんだが」

 急に話を振られたオラニエは、ビクッと反応しつつ、明らかに動揺した表情を浮かべる。

「え? 歌声? い、いや、それは、誰か、他の人と間違えてるんじゃないですかね?」

 どう見ても「何か」を隠しているようにしか思えない口振りであったが、そんな彼に対して、バリーはどこか意味深な笑顔を浮かべる。

「まぁ、 そういうことにしておこうか。そういえば、今回の会場のマージャ村には『死神』と呼ばれる少女がいるらしい。君達が、『悪魔』とか『堕天使』とか、そういう方向に興味があるなら、気が合うかもしれないね」

 オラニエとランスに対してバリーがそう言ったところで、今度はヒルダに視線を向けようとすると、彼女は機先を制するように、冷めた声色で言い放つ。

「私には、歌とか音楽とか、そういうのは無理ですから、一切期待しないで下さい。私に出来ることは、未来を読むことだけです」

 それに対してはバリーも苦笑を浮かべるだけで、あえて何も言わない。やがて気球が彼等の前に到着すると、バリーは学生達と共に搭乗し、そして六人の魔法師を乗せた状態から、気球は再び空へと舞い上がる。

「さぁ、皆で歌いながら、空の旅を楽しもうか!」

 バリーはそう告げると、朗らかな美声を響かせながら 異界の歌 を歌い上げるが、学生達はアドがサビで手拍子を入れる程度で、誰も一緒に歌おうとはせず、ただ黙ってその歌声を聞き流しつつ、現地到着後の斡旋会に向けての気持ちを高めている。そんな中でランスもまた、今度こそ君主との契約を果たすという「鋼の意志」を強く心に抱くのであった。

2.1. 真夜中の筆談

 六人の魔法師を乗せた熱気球は、数日間に渡る航空を経て、無事に海を越えて、ブレトランドへと到達する。といっても、マージャ村はブレトランド全体の中でもかなり北部の地域なので、まだここから先の旅路は長い。
 気球の運用に関しては、当初はバリー、アド、トレミーの三人が交互に操縦を担当していたが、やがて旅の途中で(器械類の錬成技術についての基礎を学んでいる)オラニエもその操作法を身につけたことで、様々なバリエーションでのローテーションが可能となった。
 また、長旅を通じて雑談などを交えながら、彼等の間の距離も少しずつ縮まりつつあった。

「ヒルダさん、あなた、前はブレトランドにいたんですよね?」
「ブレトランドでは、何が美味しい?」

 トレミーとアドにそう問われたヒルダは、出発時点のピリピリしていた雰囲気に比べると、幾分緊張感が解けた様子で答える。

「いや、ブレトランドに美味しいものとかないから。ヴァレフールはまだマシな方だったけど、アントリアには期待しない方がいいわよ」

 そんな会話を交わしつつ、彼等はやがて中央山脈を超えて、アントリアの領空へと入り込もうとしていた。

 ******

 やがて、もうまもなくマージャ村へと到着しようとしてたある日の夜、夜の見張りを担当しているランスに対して、気球を操作していたオラニエが手元の紙と筆記用具を用いて、「筆談」で語りかける。

《ちょっと内密に聞きたいことがあるから、他の人達を起こさないよう、筆談で話がしたいんだけど、いいかな?》

 熱気球の火を灯り代わりにそのメモ書きを見せられたランスが頷くと、オラニエは続けてこう書き記した。

《君が「堕天使」だという噂は聞いている。それは、本当なのかい?》

 ランスは出発以来、金の額冠のこともあって、一度も自ら「堕天使」とは名乗っていない。にもかかわらず、彼の方からこう言ってくれたことが嬉しかったようで、何も考えずに反射的に口を開く。

「本当である」

 それに対して、オラニエはやや焦った顔を浮かべながら、小声で「いや、だから、声を出さないで」と告げつつ、次の質問を書き始める。

《じゃあ、君は「堕天使」の中で、何を担当している? V? G? B? D?》

 ランスには、彼が何を聞きたいのか、さっぱり意味が分からない。とはいえ、自分に興味を持っている者に対して、何も答えない訳にはいかない。

《我はまだ未覚醒の身故……》

 その説明でオラニエが何を悟ったのかは分からないが、彼はそれ以上は追求しなかった。

《そうか。僕はVなんだ。だから、もし君がGやBやDなのであれば、君とは協力関係を築けるかもしれない》

 何か凄いことを提案されているのかもしれないが、ランスにはさっぱり理解出来ない。ただ、オラニエの表情はいつになく真剣であり、ふざけている様子も、からかっている様子も微塵に感じられない。だからこそ、ランスは内心でどこか底知れぬ不気味さを感じていた。

《はい。分かりました》

 ランスはそう書き記して、それ以上会話を続けようとはしなかった。どうやら彼は、自分と同類の妄想癖の持ち主(と思われる人物)は苦手のようである。

2.2. 深窓の令嬢と時空魔法師


 海路でクラトーマ(マージャの最寄りの港町)へと向かうために、まずはモラード地方の中心都市である港町エスト(上図)に到達したジークは、乗船券の購入窓口を探していたところで、見覚えのある人物を発見する(下図)。


 彼の名はフィネガン・アーバスノット。このエストの村の領主ジン・アクエリアスの契約魔法師である。一度、臨時講師としてエーラムに招かれたことがあり、その時に彼の講義を聞いていたことを思い出した(もっとも、講義内容自体は既にジークの記憶からは消されているのだが)。
 その彼の傍らには、幾人かの護衛の兵士達に守られた可憐な姫君の姿があった(下図)。


 彼女の名はフィオナ・アクエリアス。フィネンガンの契約相手であるジンの孫娘である。心優しく見目麗しい「理想の姫君」として、多くのアントリア臣民から慕われる存在であった。

「では姫様、お気をつけて行ってらっしゃいませ」

 フィネガンがフィオナにそう告げたところで、彼はジークの姿に気付く。

「おや、貴殿は……、そういえば、退学して君主になられたのでしたね」
「フィネガンさん、お久しぶりです」

 ジークはそう挨拶した上で、フィオナに対しても軽く一礼する。

「フィオナ姫、お会い出来て光栄です。カレ村の領主ジーク・サジタリアスです」
「ごきげんよう、ジーク様」

 フィオナが笑顔でそう返したところで、フィネガンは何かに気付いたかのような顔を浮かべつつ、ジークに問いかける。

「もしかして貴殿もマージャに行かれるのですか?」
「そうですよ。私の村には今、魔法師が不在ですからね」

 彼がそう答えると、再びフィオナが口を開く。

「まぁ、そうでしたか。私はお爺様の名代として、マージャにいらっしゃる各国の方々にご挨拶に参ります」

 彼女はジンの後継者候補と言われているが、まだ従属聖印も受け取っていない。ただ、この機に同盟諸侯を相手に顔を売っておくことは彼女の将来にとっても有益であろうというジンの判断に基づき、初めて本格的に対外的な場に出席することになったのである。

「では、フィネガンさんはフィオナ姫の護衛を?」
「いえ、私は政務の都合で行けないのです。一応、この通り護衛の兵士達は連れているのですが、もしよろしければ貴殿も……、あ、いえ、さすがに護衛をお願いするというのは失礼ですが、出来れば御同行して頂けると……」

 フィネガンが言いにくそうな表情を浮かべながらそう言うと、ジークは笑顔で答える。

「もちろん、引き受けさせて頂きます。私も海路で向かおうと思っていたのですが、この通りの一人旅で、現地に知人もいなかったので、こちらとしても助かります」

 実際のところ、「フィオナ姫の護衛役」を望む騎士など、この国にいくらでもいる(その筆頭格がビルト村の領主である)。もっとも、その大半は下心に満ち溢れた若い男性ばかりなので(その筆頭格がビルト村の領主である)、誰に頼んでも、頼まれなかった者達の恨みを買いかねない。下手したら、嫉妬心から護衛担当者を襲撃する者も現れるかもしれない(その筆頭格がビルト村の領主である)。その意味では、もともと別件で現地へと向かう用事のあったジークに依頼するのが、最もカドが立たない対処法であると言える。

「では、よろしくお願いします」

 フィオナ姫に笑顔でそう言われたジークは、嬉しそうに答える。

「こちらこそ、短い間ですが、よろしくお願いします」
「ジーク様は、契約魔法師の方を探しに行かれるのですよね? 私も、この機に海外の方々や色々な魔法師の方々とお会い出来るのが楽しみです」
「そうですね」

 ジークはそう言って微笑み返しながら、彼女をエスコートするように船着場へと向かって行く。「領主としての政務上のパートナー」を探すために旅立ったジークであったが、彼の内心では、この「麗しの姫君」を前にして、別の意味での「人生のパートナー」を得られたらいいな、という気持ちが徐々に芽生え始めていたのだが、その気持ちを表明した瞬間、彼はアントリア各地の若い男性諸侯を敵に回すことになるだろう(その筆頭格がビルト村の領主である)。

2.3. おてんば姫と騎士崩れの男

 スウォンジフォートから陸路から馬に乗ってマージャへと向かっていたラーテンは、マージャの近辺の山道へと差し掛かったところで、一人の女騎士と思しき少女(下図)と、数人の男性達が激しく口論している場面に遭遇した。その二人は、いずれも彼にとって見覚えのある人物であった。


 女騎士の名はマリベル・キャプリコーン。アントリア北端の港町パルテノ(下図)の領主エルネストの娘である。勇猛果敢で、様々な問題事に首を突っ込みたがる「おてんば姫」として、良くも悪くも有名な存在であった。ラーテンとは、彼が姉の名代として各地の監査に回っていた時に、チラッと見かけた程度の関係である。


 一方、彼女と口論している男達を率いていると思しき人物の名は、サイロット(下図)。彼は元アントリア騎士であり、かつてはラーテンの契約相手だった人物である。対ヴァレフール戦で七男爵の一人であるファルク・カーリン相手に惨敗を喫した責任を取り、自ら聖印を返上して騎士を廃業した後、旧アントリア子爵家の生き残りであるミリア・カークランド率いる反体制派勢力に加わり、今はその身に邪紋を刻んでいる(ブレトランドの英霊2参照)。


「誤解だよ、嬢ちゃん。俺達は山賊でもないし、人さらいなんてしてないから」
「じゃあ、どうして所属が言えないのよ!? こんなところでコソコソやってるなんて、やましいことがあるに決まってるわ!」
「いや、だから、大人には大人の事情があるんだ。俺達も、女子供相手に本気を出したくはない。頼むから関わらないでくれ」
「馬鹿にするんじゃないわよ! 騎士に女も子供もないわ!」

 そう言ってマリベルが剣を抜いたところで、ラーテンが両者の間に割って入った。サイロットは思わず声を上げる。

「お、お前は……」
「こんなところで会うとは、変な因縁だな」

 かつての契約相手を前にして、ラーテンは苦い表情を浮かべる。

「誰なのあんた? あんたもこいつらの仲間?」

 どうやらマリベルの方は、ラーテンのことを覚えてはいないらしい。

「『元』がつくけどな」
「どういうこと? あなた、その格好からして、魔法師よね?」
「あぁ。俺は……」

 と言ってラーテンが名乗ろうとしたところで、先にマリベルが問い詰める。

「あなたの契約相手は?」
「……ま、まだ、契約相手はいないんだが、スウォンジフォートから来たんだ。今は姉に厄介になってる」

 あまり言いたくない自己紹介をさせられた上で、ラーテンは話を続けた。

「そして、こいつは俺の元契約相手だ。今はもう反体制側だがな。だから、少なくともこんな奴等には関わらない方がいいぜ」
「反体制派ってことは、この辺りを荒らし回ってる連中ってこと?」

 マリベルがそう言って問い詰めようとするところで、今度はサイロットが答える。

「待て待て。俺達は別に、この地の住民達に特に手出しはしていない。俺達は簒奪者ダン・ディオードが許せないだけだ。あんたが言ってる『人さらい』だか何だかは知らないし、何だったら、捜査に協力してもいいぞ」

 サイロットのその言葉に対して、マリベルは訝しげな表情を浮かべつつ、ラーテンに問いかける。

「こいつはそう言ってるけど、こいつは人間的に信用出来る?」
「……難しい質問だな」

 ラーテンの知る限り、確かにかつてのサイロットは誠実な騎士であった。だが、今の彼に対しては、ラーテンも少なからず不信感は抱いている。立場が変われば、それぞれに「守らなければならないもの」も変わる以上、敵対する立場にある相手の言うことを無条件に信用する訳にもいかない。そんなラーテンの心境を察したのか、サイロットは極力穏便な態度で問いかける。

「あんたらの立場として、俺達と手を組むという訳にはいかないんだろうが、とりあえず、状況を教えてくれんか? 『人さらい』とは何なんだ?」

 それについてはラーテンも確認したかったことなので、ひとまずマリベルは、彼女の知っている限りの事情を両者に伝えることにした。
 どうやらここ最近、マージャの近辺で「音楽に関わる仕事をしていた者達」が何人か行方不明になっているらしい。マリベルは今回の音楽祭開催に際して、前回大会の出場者である父エルネストの名代としてレインに挨拶するために数日前にマージャに到着したが、現地でそのような事件が起きている(しかも現地の人々が準備で忙しくて動けない)と聞いて、居ても立ってもいられなくなり、一人で勝手に「調査」を始めたらしい。その過程で、「この近辺で独自に活動している武装勢力」を発見して、不審に思って問い詰めようとしていた、とのことである。

「最近のこの辺りの事情については詳しく聞いてなかったけど、そんなことが起きてたのか」

 ラーテンにとっても、マージャは因縁浅からぬ村である。以前は巨大な魔境が存在していたが故に、頻繁に混沌災害が起きることもあったが、それが消滅したことによって、今はもう平穏な状態へと落ち着いたと思われていた。しかし、どうやら必ずしもそうとも言い切れないらしい、ということを実感させられる。
 一方、サイロット達にしてみれば、現在のアントリアを支えている君主達を相手に自分達の素性をそう易々と話す訳にはいかなかったのだが、ラーテンがこの場に現れたこともあって、腹を括ったような表情で語りかけた。

「俺達が反体制派であることは、もう隠しはしない。その上で、俺達が音楽家を攫って何をするっていうんだ?」
「確かに、それもそうだな。話の筋は通っている」

 実際、彼等が音楽家を攫っても何の利益も得られないように思える。反ダン・ディオードという意味では、かつての質素倹約令に反対していた音楽家の人々は、むしろ潜在的には彼等にとって味方であり、危害を加えるべき相手ではないだろう。
 こうしてラーテンが彼等の主張を受け入れる姿勢を示すと、マリベルはまだ不審な視線をサイロット達に対して向けつつも、一応は納得したような様子を見せる。

「まぁ、いいわ。どちらにしても、今のところ明確な証拠がある訳じゃないから、今日のところは見逃してあげる。でも、ちょっとでも怪しいところを見せたら、今度こそしょっぴくからね」
「あぁ、はいはい、分かったよ」

 サイロット達はそう言いながら、ひとまず彼女達の前から去って行く。そんな彼等をまだどこか怪しんでいるような視線で見送りつつ、マリベルはラーテンに問いかけた。

「で、スウォンジフォートから来た『契約相手のいない魔法師さん』だっけ??」
「なんだい? おてんば姫さんよぉ」
「あんたは、ここに何しに来たの?」
「俺は今から、マージャ村の音楽祭に行くところなんだ。俺もそろそろ契約相手を見つけないといけないからな。あんたみたいに、そのことをズバッと言ってくる人もいるし」

 別にマリベルとしては、特に悪意や皮肉を込めてそう呼んだつもりではなかったのだが、当事者であるラーテンの方が、さすがにそろそろ今の身分のままでは世間の目が厳しい、という意識が強まってきたらしい。

「なるほど。じゃあ、そういうことなら一緒に行きましょうか」
「あぁ。ひとり旅は寂しいと思ってたところなんだ。助かるぜ」

 こうして、二人はそのまま共にマージャ村へと向かうことになった。

2.4. 魔物の歌声

 クワイエットから巨大梟に乗って一直線にマージャへと向かいつつあったスュクル、ミネルバ、マルグレーテの三人は、途中で(その直線上に位置する村で)何度かの休憩を挟みつつ、道中は特に危険に遭遇することもないまま、ようやくマージャ村と思しき集落がその視界に入るあたりまで近付きつつあった。
 だが、ここで彼等はその東方の森林地帯から、強い混沌の気配を感じ取る。そして「魔物と思しき何か」が森の近辺を浮遊しているような気配にもスュクルは気付いた。

「mademoiselle、何かが出現しています。御警戒を」
「だとしたら、このまま突っ込むのは危険かもしれないわね」
「ならば、私が調べに行きましょう」

 戦場における情報収集に関しては、明らかにスュクルの得意分野である。

「そうね。上空からだと向こうにも気付かれるだろうから……」
「えぇ。私が地上から近付きます。その間に、お嬢様をお願いします」

 そう言われたマルグレーテは頷きつつ、梟の高度を下げ、スュクルを一旦地上におろす。その上で、彼女自身はミネルバを梟に乗せた状態のまま再び浮上し、そのまま(まだ安全と思われる距離で)空中を旋回し続けつつ、様子を伺うことにした。

 ******

 一方、クラトーマから北側の街道を通じて陸路でマージャ村へと向かおうとしていたジークは、村の近くまで来たところで、東の森の方面から「謎の女性の歌声」を耳にする。そして、その声を聞いたジークと、フィオナの護衛の兵士達が、苦悶の表情を浮かべて苦しみ始めた。
 ジークはこの声が「何らかの特殊な音波攻撃」であることに気付き、すぐさま隣のフィオナに声をかける。

「フィオナ姫、大丈夫ですか?」
「え? 何かあったのですか?」

 ケロッとした顔でフィオナは答える。護衛の兵士達と共に同行していた彼女の世話係の侍女達も、何が起きてるのか分からない様相である。どうやら、この音波攻撃は女性相手には効かないらしい。

「いえ、大丈夫ならば良いのです。ただ、今、何か歌声のようなものが聞こえませんでしたか?」
「えぇ。確かに、女性の歌声のようものが……」

 フィオナはそう呟きつつ、兵士達が一様に苦しんでいることに気付き、さすがに動揺する。そしてジークは、護衛の兵達にフィオナを守るように頼んだ上で、その女性の歌声が聞こてきた森の方向へと向けて走り出して行く。

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 同じ頃、南側の陸路から村へと近付きつつあったラーテンもまた、同じ歌声を耳にして、苦しそうな表情を浮かべる。

「あれ? どうかしたの?」

 隣のマリベルがそう問いかけると、ラーテンは頭を抱えながら答える。

「いや、よく分からないけど、何かこの歌声が……?」
「それって、もしかしてマージャによく出没するっていう『歌う魔物』?」

 それは第二回の音楽祭に現れた「異界の女魔王」の眷属らしい(ブレトランド八犬伝6参照)。女魔王はその際に浄化されたが、その後もちょくちょく彼女達はこの地に出現するようになっていた。どうやら、彼女達にとってこの地は、よほど居心地が良いらしい。

「さすがは芸術の村ってことだな。だが、こんなのが出たなら、放っておけねえ。悪いけど、俺はあっちに向かわせてもらうぜ!」

 そう言ってラーテンが、歌の聞こえてくる森の方向へと向かって走り出す。

「何言ってんのよ、私も行くに決まってるでしょ!」

 当然のごとくマリベルもそう叫びつつ、すぐに後を追うのであった。

 ******

 そして、僅かに遅れてこの地に近付きつつあった熱気球の魔法師達も、当然この「異変」には気付く。

「魔境は討伐されたと聞いていたが、まだ完全に平和という訳ではないようだな」

 バリーはそう呟きつつ、村の状況を冷静に分析し、どうやら村の近くの森に「歌」を操る危険な魔物が出現しているらしい、という推測に行き着いた。

「我の出番という訳だな」

 何の根拠もなくランスがそう言い放つと、バリーは嬉しそうな表情で熱気球に設置されていた「布状の何か」を取り出す。

「お、ちょうどいいね。今、ここには『落下傘』は一つしかないんだ。じゃあ、早い者勝ちということで、君に託そう」

 どうやらこの「布状の何か」は、緊急時の飛び降り用の器具らしい。バリーはそれをランスに手渡そうとするが、ランスはそれを見た瞬間、それを用いて一人で飛び降りる光景を想像して、急に怖気出す。

「いや、ちょっと、我は急用が出来た。我はちょっと、まだ、これは我が使う時ではない、ね、うん」
「じゃあ、君に今からトロールを召喚してもらって、そのトロールに落下傘を付けて降りてもらうことにしようか?」

 そう提案されたランスは、少し迷いつつも、再び勇気を奮い立たせる。

「……我が行くとしよう! 我が化身ローちゃんを、そんな危険な目には合わせられん!」

 「ローちゃん」とは、ランスが呼び出すトロールの名である。ランス曰く、女の子らしい。

「そうか、良かった。この落下傘は人間用で、トロールで実験したことはなかったから」
「……安全性は大丈夫なのか?」
「飛び降りるのが人間ならね。まぁ、いざとなったら私が上から魔法でどうにかしてあげるよ」
「それなら、最初から一緒に来てもらう訳にはいかないのか?」
「もちろん、私が解決することも可能だ。でも、ここは君が村の人達相手にいいとこ見せるチャンスじゃないか?」

 バリーに笑顔でそう促されたランスは、当然の如く胸を張って「いつもの調子」で答えようとする。

「そうであるな! 我は将来……、××××××になる者だからな」

 話しながら途中で「金の額冠」のことを思い出したランスは、ゴニョゴニョとした口調でその言葉をごまかす。周囲の者達には何と言っていたのか、よく聞き取れない。バリーは心配そうな表情で見つめる。

「喉の調子が悪いのかい?」
「ちょっと……、その、言語化されないんだ」

 苦悩の表情を浮かべるランスに対して、横からオラニエが口を挟んだ。

「彼はきっと今、人間の声帯では発音出来ない何かを言葉にしようとしたのではないかと」
「おぉ、うむ、そうだ。そうなのである!」

 オラニエがどのような意図でそう言ってくれたのかは分からないが、ともあれ、今のランスににとっては絶好の助け船となったらしい。

「では、いざ行かん! 戦場へ! Fly Away」

 ランスはそう言いながら落下傘を身につけ、勢い良く熱気球から飛び降りると、落下傘は綺麗に開き、そして少しずつ森へと向けて降下していく。その光景を上から眺めながら、トレミーはバリーに問いかける。

「先生、彼は召喚魔法師なら、別に飛び降りなくても、上空から地上に直接トロールを召喚すれば良かったのでは?」
「いや、おそらくこの状況なら、現地の警備隊が既に動いているだろう。そこにトロールがいきなり現れたら、その時点で敵認定されるかもしれない。だから、『召喚主』は一緒に地上にいないといけないんだよ」
「なるほど。しかし、それではトロールだけを落下傘で降下させた場合でも同じでは?」
「空からトロールが降ってくれば、当然、視線は空を向く。そこでこの熱気球の存在に気付いてくれれば、その時点で『エーラムの魔法師が呼び出したトロール』だと分かるだろう。マージャの人達には、僕等は熱気球で来ると伝えてあるからね」

 もっとも、そもそも人間用の落下傘がトロール相手に使える保証はなかったので、もともとバリーとしては、あの提案は半ば冗談のつもりであった。
 ここで、今度は常盤の生命魔法師であるアドが問いかける。

「でも、それなら彼より俺の方が適任だったんじゃないっスか?」

 常盤の生命魔法師は肉弾戦を得意とする以上、地上に降りなければ戦えない。だからこそ、落下傘が一つしか無いのであれば、アドが先に降りて現地の警備隊と合流した上で、上からランスがトロールを地上に召喚し、アドがそれを味方だと地上の人々に説明した上で共に戦う、という流れの方が、確かに合理的な選択のようにも思える。

「では聞くが、もし君が地上に降りて、目の前で美しい女性の姿をした魔物が歌っていた場合、君は彼女を殴れるか?」
「……殴れなくはないっスけど、殴りたくはないっスね」

 アドはジュピトリス一門の中でも、最も気性がバリーに近いと言われている。軽薄で、好奇心旺盛で、女好き。そんな人物を「洗脳能力を持っている可能性のある女性型の魔物」の元へと送り込むのが危険だということは、同じ性分であるバリーには容易に想像がついていた。

 ******

 そして当然、この「森の異変」はすぐにマージャ村の住人達の知るところとなる。

「レインさん、森の方で、またあの『歌う魔物』が出たようです!」

 ティリィからの報告を受けたレインは、即座に準備作業を中断し、ギター(の形状をした武具)を手に取る。

「分かったわ。じゃあ、行ってくるから、皆、後をよろしく!」

 彼女はそう言って、ティリィと共に現地へと駆け出して行く。当然、この時点で全く異なる四つの方角からの援軍が近付きつつあることなど、知る由もなかった。

2.5. 歌う鳥乙女

 最初に「現地」に到着したのは、ラーテンとマリベルである。二人の前には、十体程の半人半鳥の女性型の魔物達が現れ、ニヤニヤとした笑みを浮かべながら語りかける。

「もう帰るとこ無くなっちゃったんだから〜、せめて遊んでってよ〜、お客さん達〜」

 どうやら彼女達は、つい最近までマージャの魔境に住み着いていたらしい。ただ、彼女達は魔境の混沌核そのものが生み出した投影体ではなかったあめ、その魔境が消滅した後もその身体を維持したまま、この森へと移り住んでいたようである。この時点でそんな彼女達が唐突に歌い始めたのは、この地に再び「音楽を愛する者達(自分達の歌に感応しそうな者達)」が集まりつつあったからだろうか。

「ある意味、可哀想な存在ではあるが、このまま放っておく訳にはいかないんでな」

 そう言ってラーテンが魔法を唱えようとすると、マリベルが彼を守るように剣を持って彼と魔物達の間に立ちはだかる。それに加えて、更にこの場に様々な方向から「援軍」が現れた。

「ジーク・サジタリアス、助太刀致す!」

 そう言って北の街道から剣と盾を手にした若い君主が現れると、上空からは彼とほぼ同世代の魔法師が、落下傘と共に舞い降りてきた。

「我が名は、ダ……いたんふテきの……、シンこうを持つ……、ヤマの……中の和を持つ……、トっぷ、生まれ堕ちた天使、である!」

 何を言ってるのかさっぱり分からない名乗りを上げながら、彼は空中から召喚魔法を唱え、「頭に大きなリボンを付けた女性型トロール」のローちゃんを召喚する。

(誰だ、あいつ?)

 ラーテンは呆気にとられる。彼はランスとは5年ほど前にアルジェントの研究室で会ったことはある筈だが、当時のランスはまだ眼帯も包帯も巻いていなかったこともあり、今とは大きく風貌が異なっているため、すぐには認識出来なかった。
 そして、別の方向からはまた別の魔法師が姿を表す。

「サジタリアス殿、私はクワイエットのスュクル・トランスポーター。投影体討伐であれば、協力しよう!」
 スュクルは、ひとまずこの場にいる中で唯一名前が分かる(自ら名乗った)人物に対してそう呼びかけつつ、「目の前にいる赤いエーラム制服を着た青年」と「空から降ってくる眼帯と包帯の少年」がいずれも魔法師であることを即座に察した上で、彼等に向かって叫ぶ。

「混沌濃度を上げるのに協力してほしい!」

 エーラムの魔法師であれば、誰でも自分の周囲の混沌濃度をある程度まで制御することが出来る。通常、その力は混沌濃度を下げるために用いられることが多いが、魔法師の中には混沌濃度が上がることによってその威力を増すことが出来る者もいるため、自軍に魔法師が多い場合は、短期決戦を期してあえて混沌濃度を上げることもある(無論、それは状況によっては敵の力を増加させるかもしれない危険性を持つ選択でもある)。

「なんか、すげーコトになってきたようだな……、とりあえず、協力しよう!」

 ラーテンはそう呟きつつ、言われた通りにスュクルに合わせて周辺空間の混沌濃度を上げ、ランスもそれに続く。そうして一気に混沌濃度が急上昇したところに、今度はレインとティリィが現れた。レインは、この場にいる者達が(ラーテン以外は)誰なのかも分からないまま、聖印を掲げつつ叫ぶ。

「みんな! 力を貸して!」

 その叫びと同時に彼女の周囲を聖印の光が包む。魔物達がその光に対して本能的な恐怖を感じた次の瞬間、彼女達の中の一体が、突然血反吐を吐いて倒れた。ラーテンが、静動魔法を用いて彼女の『内臓』を握り潰したのである。

「そっちが歌で『心の内側』を蝕むなら、こっちは『身体の内側』から潰させてもらおう」

 ラーテンは第二回の音楽祭の時にこれらの魔物とも遭遇していたため、彼女達の手の内は分かっている。だからこそ、先手を打ったのである。
 これに対して、魔物達は再び呪歌のような何かを歌い始める。この歌は、先刻までの歌とは異なり、女性相手にも通用する(その代わりに効果範囲の狭い)音波攻撃であったが、レインはそれに対して自らギターを奏でて自分の周囲の音波を上書きすることで、かき消すことに成功する。どうやら彼女の中では、この魔物への対処法はすっかり身に染み付いているらしい。
 一方、スュクル、ジーク、ランス(とトロール)はその攻撃で脳を締め付けられるような痛みを受けるが、ランスはその苦しみを(召喚魔法師としての特殊な技術を用いて)トロールへと肩代わりさせることでどうにか耐えきりつつ、ラミアを瞬間召喚することで手近な距離にいた魔物を一体葬ることに成功する。
 一方、スュクルはその声に翻弄された結果、無駄に走り回らされてまともに魔法を放つことが出来ず、ジークはジークでひとまず手前にいた魔物に斬りかかるものの、まだ君主としての実戦経験の浅い彼は力加減が分からず、長期戦を想定して聖印の力をやや抑えながら斬りかかった結果、あと一歩のところで仕損じてしまう。

(しまった! ここはもっと本気で踏み込むべきだった……)

 ジークがそう後悔している間に、マリベルは長剣で、ティリィは大鎌で、そしてレインはギター(型の武器)で、それぞれ着実に一体ずつ葬っていく。レインは更にそのまま聖印を掲げつつ、ギターを改めてかき鳴らす。

「さぁ、みんな、私の音色に合わせて動いて!」

 その音色に勇気付けられた彼等は更に攻勢をかけるが、ラーテンの二撃目の静動魔法の標的となった魔物は、内臓の大半を破壊されながらも、まだかろうじて意識を保ちつつ、他の者達と共に歌い続ける。

「ひっどいなぁ〜、おにいさ〜ん」
「クッ、足りなかったか」

 ラーテンがそう悔やんだ直後、再び魔物達による音波攻撃がその場にいる者達を襲うが、スュクルへの音波に対してはレインが聖印の力を込めたギター音波によってはじき返し、ランスに対してはジークが聖印を掲げつつ間に入ることで、身代わりとなってその攻撃を受け止める。
 その直後、スュクルが衝撃波を放って(ラーテンの攻撃で既に瀕死状態だった)一体にとどめを刺し、それに続いてランスが呼び出したジャック・オー・ランタンの吐き出した大規模火炎攻撃によって、一気に三体が焼け焦げる。
 この時点で、彼等の目の前に残っていたのは一体のみとなり、それに対してジークが今度こそ撃退しようと踏み込もうとした瞬間、横から走り込んで来た「ローちゃん」に殴られた魔物は、その一撃であっさりと消滅する。

(油断して手を抜いている間に、戦いが終わってしまった……)

 ジークが呆然と立ち尽くしている目の前で、魔物達の混沌核をレインが浄化・吸収し、無事にこの地の混沌災害は鎮圧される。その上で、まだ残存勢力がいないか確認するために(フリック同様、混沌の匂いを嗅ぎ当てることが出来る)ティリィは一旦その場を離れるのであった。

2.6. 歌舞伎者達

「みんなすごいねー!ありがとう!」

 レインがそう言って、その場にいる面々に対してまとめて感謝の意を示したところで、上空から熱気球がそのまま(乱戦の中でトロールによってなぎ倒された木々の合間の空間に)降り立ち、そこからバリーが手を叩きながら現れる。

「いやー、お見事お見事」

 彼は笑顔で皆を労いつつ、まずは、戦場で持ち味を発揮出来ないまま終わってしまったジークに対して、元師匠として声をかける。

「壮健なようだが、まだ自分の道に迷っているのか? 親愛なる我が元弟子よ」

 上空から観戦していたバリーには、そのように見えた。ジークの掲げていた聖印は、一般的には(ミネルバの聖印と同様の)「殺戮者」としての適性を表す構造を示しており、本来ならば一人で大量の敵を殲滅するほどの破壊力に満ちた聖印である。だが、先刻のような乱戦状態の(味方の統率も取れていない)戦場でジークがその聖印の力を発動させた場合、多くの味方を巻き込んでしまう可能性もあったため、今ひとつ本気を出せないまま終わってしまった。
 今の戦場における彼の最大の功績は、終盤戦においてランスを敵の攻撃から庇ったことであり、それは彼の本来の聖印の特質とは合致しない行動である。その意味で、バリーの中ではまだジークが「どのような君主を目指すべきか」という道を定められていないように見えた。

「いえ、バリーさん。これが今の僕の君主としての生き方です」

 ジークはそう断言する。彼は魔法学生だった頃と同様に、君主としても「一人で何でも出来る万能な君主」を目指しているのだろう(もしかしたら、その信念が「一人で大軍を相手にする能力」を持つ「殺戮者」の聖印をもたらしたのかもしれない)。それは、彼によほどの(魔法師の時と同じような)才覚が無ければ実現不可能な「高すぎる望み」であるが、ジークの瞳から強い決意の意思を感じ取ったバリーは、納得したような表情を浮かべる。

「そうかそうか。まぁ、それで土地が守りきれるならそれで良い」

 バリーはそう言って話を切り上げた上で、今度はこの場にいる「もう一人の君主」に声をかける(なお、彼女はジーク以上に「聖印の方向性」と「生き方」が合致しない君主であった)。

「レイン・J・ウィンストン殿でよろしいか?」
「はい。あなたはバリーさんですね?」
「えぇ。あなたの噂はかねがね伺っています。実は前回や前々回の音楽祭の時にも参加したかったのですが、まだ当時はウチにコイツがいたから、そうそう気易くは来れなかったのですよ」

 「当時の弟子」を指差しつつそう言ったバリーに対し、レインも笑顔で答える。

「こっちも、あなたにはぜひ来て欲しいと思ってたのよ」

 既にこの時点から「タメ口」になっている辺りがいかにも彼女らしいところだが、バリーはむしろそれに気を良くして話を続ける。

「今はもう直弟子もいなくなったので、余裕も出来たのですがね。とりあえず、今回連れて来た面々に関しては、今この場で自己紹介するのも何なので……」
「えぇ。今から皆をマージャに案内するわ」

 レインがそう言ったところで、周囲の確認に出ていたティリィが戻って来た。

「どうやら魔物は一通り一掃出来たようです」
「あぁ、ティリィ、お疲れ様!」

 レインにそう言われたティリィはすぐに「気球」と「エーラムからのお客人達」の存在に気付くが、 彼女はその中から、奇妙な混沌の匂いを感じ取る。その匂いの発生源は、オラニエであった。ティリィは彼から「魔法師からは感じられないほどの強い混沌の力」を感じ取る。ただ、それは今まで彼女が嗅ぎ取ったことがない、奇妙な匂いであった。

「エーラムから来た方々ですね。皆様、魔法師の方々でしょうか?」

 ティリィが内心警戒しつつも平静を装いながらそう尋ねると、アドがトレミーの肩を抱きかかえながら答えた。

「そう、俺達が、エーラムから来た『新進気鋭の魔法師』です! 俺とコイツは、『ユニット』として今回の音楽祭にも参加するんですよ!」

 トレミーはそんなアドのテンションに対して若干ウザそうな顔を浮かべつつ付言する。

「僕等とバリー先生は『異世界音楽研究会』というサークルを結成しているんです。今回は『地球』という異界の楽曲をアレンジしたダンスナンバーを披露しようかと」

 それに対して、横で聞いていたレインは興味津々な顔で食い入るように聞き入っていた。

「まぁ、それは楽しみ! いいわね、すごくワクワクするわ♪」

 一方、ティリィは改めてこの二人の周囲の空気を確認してみるが、一切の混沌の匂いは感じられない。彼等が来ている衣服も、元のデザインは異界の代物だが、素材自体はこの世界の物質で作られているようである。

「私も楽しみにしています。ぜひ、この音楽祭を盛り上げていって下さい」

 ひとまずティリィはそう答えた上で、奥の方でヒルダと共におとなしそうにしているオラニエへと再び注意を向ける。やはり、この場にいる中で、自分以外で明確な「混沌の気配」をまとっているのでは、彼だけのようである(なお、トロールは既にランスの手によって一時的に送還されていた)。
 そして、音楽祭の話が出てきたことで、バリーは一つ、重要なことを説明し忘れていたことを思い出す。

「そうそう、レイン殿、これが今回の音楽祭の優勝賞品となる、私と盟友メルキューレが開発した新型熱気球『CLOUD NINE』だ」
「すごいわね! 私も乗ってみたい!」
「えぇ、ぜひとも後で試乗してみて下さい。耐久性には限度があるので、危険な場所での軍事利用には向きませんが、平穏な地域において上空から街の様子を確認したり、山や川などで隔絶された地域へ連絡や物資援助などの際には有用かと。一応、一年間の整備保証は付きますが、外傷による破損の場合はその限りではありませんので、御注意を」

 そこまで説明したところで、トレミーとアドを指差す。

「なお、この二人はあくまでも『オープン参加』なので、彼等にはこの『賞品』の獲得権はありません。ですから、『前座』として使ってやって下さい」
「分かったわ。一緒に盛り上げましょう!」

 そんなやりとりを交わしつつ、やがて北の街道から「護衛を連れたフィオナ姫」が、そして上空からは「巨大梟に乗ったマルグレーテとミネルバ」が合流する。そして彼等は、歩きながらギターを奏でつつ道案内するレインの先導に従って、マージャ村の領主の館へと向かって歩き始めるのであった。

2.7. 道中の歓談

(さっきの戦いを見る限り、どうやらあの召喚魔法師はかなりの実力のようね……)

 上空から様子を観察していたマルグレーテは、村へ向けての移動の最中、そんな考えを巡らせながら、自分と歳の近そうな少年魔法師の様子を観察していた。

(もし、彼がワイバーンも呼び出すことが出来るなら、ぜひとも欲しいところだけど、でも、それだけの実力者なら、きっと奪い合いになるわよね……。多分、ミネルバも彼を欲しがるだろうし……。まぁ、私がダメでも、彼がミネルバと契約してくれるなら、それはそれで長城線攻略の戦力になるからいいわ。それに、もう一人のあの赤い服の魔法師も気になる。どうも静動魔法師みたいだけど、スュクルが言うには、静動魔法師でも空を飛べる人はいるらしいし、一撃で敵の臓器を握り潰す魔法は、奇襲攻撃の時にはとても有効……)

 マルグレーテがそんな戦術家としての視点で後ろから魔法師達を品定めしていることに気付かぬまま、ジークはランスに語りかける

「先ほどの魔法は見事でしたね」
「当然であろう。我は……」

 そこまで言いかけて、再び額冠の恐怖が脳裏を過ぎり、苦悶の表情を浮かべる。

「どうしたんですか?」

 心配そうなジークの視線を目の当たりにしたランスは、反射的に「昔からの習慣的な妄想癖」を発動してしまう。

「ひ、左目が……、うずくのだ……」
「大丈夫ですか? 治療道具でしたら手持ちが・・・・・・」
「いや、これは怪我などではなく」
「古傷のようなものですか?」
「先天性のもので……」
「それはまた……。生まれ持っての病でしたか」

 二人のそのやりとりに対して「護衛役」として同行しているティリィが声をかける。

「おや……、どうしましたか、お客様……?」
「い、いやー、ちょっと、その、左目が、うん、疼くと言いますか……」

 ランスはそう言いながら眼帯に手を当てると、ティリィは首をかしげる。

「そちらは、右目では……?」

 確かにランスの眼帯は「今は」右目を覆っている。おそらく、少し前までは彼は左目に眼帯をしていたのだろう。それを右目に変えたのは(何らかの異界魔書の影響で?)「そっちの方がカッコいい」と考えるようになったからのか、「時々変えないと片方の目だけ眼精疲労が蓄積する」ということに気付いたからなのかは不明である。

「あぁ、うん、左目が、疼くんだ」

 慌ててランスは左目を覆うが、そうなると必然的に、前が全く見えなくなる。改めてジークとティリィが心配そうに声をかける。

「大丈夫、なのでしょうか……?」
「一応、簡単な治療道具はありますが、目のこととなると、さすがに……」

 そもそもこの世界において「眼科医」と呼べるほどの技術を確立した者など、殆ど存在しない。そしてランスの病気(?)を治せる者は、おそらくどこの世界にも存在しない。

「誰か、生命魔法を使える者は……」

 ジークは周囲の人々にそう問いかけようとする。実際、この場には生命魔法師は二人(トレミーとアド)いるし、マージャに着けば育休中の生命魔法師(実質登録抹消済み?)もいるのだが、さすがにそこまで話を大きく広げられる前に、ランス自身が止めに入る。

「いや、いつものことだ! 気にしなくていい! じきに収まる!」

 そう言われた二人は、やや気がかりな表情を浮かべつつも、ひとまずはそれ以上の追求をやめる。その上で、ジークはまだ自分がティリィに対しては名乗ってもいないことに気付いた。

「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はカレ村の領主ジーク・サジタリアスと申します」
「カレ村……、遠いところから、ありがとうございます。私はティリィと言います。この村に住んでいる『死神』の邪紋使いです」

 「死神」という言葉を聞いて、ランスはピクッと反応する。

「なるほど……、我と同じ力の根源か……」

 それに対して、ティリィの中ではまた新たな疑念が生まれた。

(同じ? ということは、この人も「模倣」の邪紋使いってこと? でも、この人の身体からは混沌の力は感じられないし……)

 彼女がそう思いつつ、ふと「混沌の力が感じられる少年」であるオラニエへと視線を向けると、一瞬だけ目が合い、直後にオラニエは視線をそらす。どうやら彼も彼で、ティリィの「死神」という発言を耳にして、興味を示していたらしい。ティリィはその様子に対して見て見ぬ振りをしながら、自己紹介を続ける。

「私は『異世界の死神の力』を使える邪紋使い、らしいです……。あまり詳しくは知らないのですが。混沌にはあまり詳しくないので……」

 実際のところ、ティリィの邪紋は色々な意味で特殊な存在なのだが、そのことについては、詳しく説明したところで、この場にいる者達は誰も理解出来ないだろう。
 そんな彼等の会話に対して、今度はスュクルが割って入った。

「カレの新しい君主殿。直接の目通りがこれまで叶わず、申し訳ない。改めて、クワイエットの、スュクル・トランスポーターです。先程の戦いでは見事な助力をありがとうございます」

 スュクルから見ると、カレはクワイエットと並ぶ「もう一つの最前線基地」であり、その意味では同志としての連帯感が強いのだが、間に森と山があるが故に直接会いに行くには遠すぎて、しかも先代の暗殺以来、カレには魔法師が不在の状態が続いていたため、魔法杖通信すら出来ない状況だった。その意味でも、スュクルにしてみれば、ここでカレに新たな魔法師が赴任することは、今後の同地との連携作戦を模索する上でも歓迎すべき話であった。
 とはいえ、先刻の戦場においてあまり「助力」が出来ていた気がしていないジークとしては、そう言われても微妙な心境であった。

「いえ、こちらこそ、ご協力ありがとうございます。おかげで助かりました」

 「元弟子」が恐縮しながらそう言っているのに対して、バリーもスュクルに対して頭を下げつつ、鞄の中から取り出した何本かの魔法薬を取り出す。

「これは『万が一の時のために』ということでメルキューレから預かっていた精神回復薬です。先刻の戦いで気力も消耗したでしょうし、これをお使い下さい」

 なお、バリーとスュクルはエーラム時代の教養課程時代に面識がある。年齢的にはスュクルの方が上ということもあり、バリーは丁重な口調でその薬を手渡すと、スュクルも(エーラム内の実質的な序列としては格上の)高等教員であるバリーに対して一礼しながら受け取る。

「ありがとうございます。もっとも、いつの間にか精神的な疲労も殆ど回復してはいるのですが、一応、今後また何かあった時のために、受け取っておきましょう」

 疲労回復の原因は、レインが奏でている「聖印の力を込めた歌」の効果である。それでもバリーは念のため、ランスやラーテンにも同様に薬を手渡しつつ、この場にいる「君主」達に対して申し訳なさそうな顔を浮かべながら「業務連絡事項」を伝える。

「実は、本来ならば『我々とは別の班』の魔法学生達も一緒に来る予定だったのですが、引率予定の教員が二日酔いで出発が遅れておりまして。一応、『彼女』は『前回の音楽祭の主催者』と組んで今回の音楽祭に出場すると言ってたので、当日までには間に合うとは思うのですが」

 マージャの音楽祭は毎回、「会場」を提供するレインとは別に、(今回のバリーのように)「優勝賞品」を提供する「もう一人の主催者(審査委員長)」が存在する。そして前回の優勝賞品は「スパルタの蟹料理屋『蟹座』の食べ放題券」であり、それを提供したのは、その「蟹座」の看板娘として有名な「地球人のアイドル少女」であった(ブレトランドの遊興産業4)。

2.8. 助言と予感

 やがて彼等がマージャ村へと辿り着き、そして領主(レイン)の館の前まで到着すると、レインは彼等を「広めの客間」へと案内する。

「じゃあ、これから歓迎の宴があるから。ちょっと待っててね」

 いつのまにやら完全に友達口調となったレインは皆にそう告げた上で、ティリィと共に一旦客間を後にする。ここで、ティリィがレインに小声で語りかけた。

「レインさん……、ちょっと、いいですか?……」
「どうしたの? ティリィ」

 ティリィの表情から、なんとなく深刻な事態を察したレインは、廊下の途中で足を止めて耳を彼女に近付ける。

「ちょっと気になることが……。あの、エーラムから来た方々の中の……、オラニエさん、でしたっけ? あの方から、『強い混沌の気配』を感じます」
「じゃあ、あの方も地球とか、そういう所の方なのかしら?」

 オラニエの外見は、普通の人間と変わらないように見える。そして、これまでにレインが遭遇した「見た目が人間と変わらない投影体」と言えば、前回の音楽祭に出場していたハーミアやアキラ達のような「地球人」が真っ先に思い浮かぶ。あるいはキヨやKX-5のような「オルガノン」の可能性もあるが、彼等もまた「元は地球出身の物品」であったものが多い。それは、この世界と「地球」との間の親和性が異様なまでに強いことが原因と言われている(その理由に関しては『グランクレスト戦記』の最終巻を参照)。

「私は、そういうことは詳しくはないのですが……、邪紋使いや投影体の方が魔法師になることもあるのでしょうか……?」

 実は、ティリィはそれに近い実例を一つ知っている。だが、それは「この世界の魔法師の持っていた装身具のオルガノン」という、極めて稀な事例である(ブレトランド八犬伝8参照)。そして、その時に感じた実感とは、明らかに異質な気配をオラニエから感じ取っていた。

「ちょっと私もよく分からないけど、ともあれ、そういうことなら覚えておくわ。ありがとう」
「何事もないといいのですが……」
「そうね。音楽祭はいつも何か起こるから、気をつけないとね」

 その原因がどこにあるのかは分からない。土地柄のせいかのかもしれないし、この村の誰かが混沌を呼び寄せる体質なのかもしれないし、あるいは世界そのものに内在する何か不可解な「意思」によるものなのかもしれない。だが、どんな理由があるにせよ、レインの中ではそれは「音楽祭をやめる理由」にはならない。音楽を愛する人々が集まるなら、全力でそれを守るのが「音楽を愛する君主」としての自分の役割だと彼女は考えていた。

3.1. 多彩なる魔法師達

 やがて、領主の館の大広間にて、この日の来客達の歓迎の宴の準備が整ったという知らせが、客間の面々に届けられる。ティリィに案内される形で魔法師達がそちらに向かうと、そこには立食宴会形式で、世界各地の珍しい酒や料理が並べられていた。先日のエーラムでの「新伯爵就任祝賀会」ほどの豪華さはないが、世界中の音楽愛好家が集まっているマージャ村ならではの、かなり多様な食文化が混ざり合った、バラエティーに富んだ食卓であった。
 なお、この宴会はあくまでも非公式な「私的な集会」であり、正式な「魔法師斡旋会」は「酔いどれ教員に率いられた、もう一つの魔法師集団」および「大工房同盟所属の君主達」が集まった後に開催される予定である。ただ、「その前の時点で、勝手に意気投合して契約に至ってしまったとしても、それはそれで仕方がない」という暗黙の了解の上で、まずはこの時点で集まった面々による「自己紹介」の時間が設けられる。

「それでは、まずは我々エーラム側からご挨拶しよう。ラーテンくん、だったかな? ここでは君が一番顔が通るみたいだから、君から簡単に自己紹介してもらおうか」
「そうか……。まぁ、自慢じゃないが、あちこち回ってはいるからな……」

 実際のところ、各地の諸侯と顔が広いということは、それだけ就活期間が長かったということを意味している以上、あまり誇れる話ではない(その意味では、彼はヴェルナとも似たような立場だったとも言える)。

「俺の名前はラーテン・ストラトス。黄の学派の静動魔法師だ。各地を転々として君主を探してるんだけど、実はまだ契約相手がいない状態で。今回はいい奴に会えればいいな、と思ってるので、どうかよろしく」

 ざっくばらんに彼がそう告げると、それに続いて今度はランスが前に出る。彼は「額冠によって封印された言葉」を使わずに「真実の自分」を伝えるためにはどうしたら良いかを考え抜いた上で辿り着いた「新たな自己紹介」を披露する。

「我が名は『生まれ堕ちた天使』……、『ヤマ』……ト『ゥみ』を、統べる……、信念を持った男、である。皆の幸福と平等のために、我は行動しようと思う」

 額冠に怯えながらの、やや歯切れの悪い言い回しであったが、どうやら「この言い方」なら額冠は反応しないらしい、ということが確認出来たランスは、ホッと息をつく。なお、彼はこの時点で名乗ってもいないし、(先刻の戦いを見ていた者達は既に分かっているとはいえ)自分の専門領域すら説明していないのであるが、なぜか彼のこの自己紹介に対して奇妙な好印象を抱いた人物がいる。

「ブラボー!」

 レインである。どうやら彼女は「幸福と平等」という言葉に感銘を受けたらしく、拍手をしながら彼を讃える。一方、彼女と同じノルド人君主であるマルグレーテは、彼の言っていることが何一つ理解出来ないまま、隣にいたスュクルに問いかけた。

「ごめん、私、『魔法師語』とかよく分からないんだけど、翻訳してもらえる?」
「申し訳ないですが、少なくとも彼は『私の理解出来る言語』で話してはおりません」

 他の君主達も同様に頭を捻り、会場内に奇妙な空気が漂う中、今度はヒルダが自己紹介を始める。

「私はヒルダ・ピアロザ。夜藍の時空魔法師です。そこのラーテン先輩も、以前に『君主に仕えた経験』のある身のようですが、私も同じです。先代の主を守りきれずに……、というよりも、先代の主を……」

 そこまで言いかけたところで、彼女は一瞬言葉に詰まる。

「……すみません、何でもないです。ともかく、私は一度失敗した身です。それでも、恥を忍んでもう一度、士官の道を選ぶためにこの地にきました。ただ、私は攻撃魔法は使えません。ですが、出来れば今度は、君主の国造りを手助け出来るような、そんな魔法師になりたいと思います。私から契約相手となる君主の方にお願いしたいことは一つだけ。命を粗末になさらないで下さい。それだけです」

 彼女が「重い覚悟」を背負ってこの場に来たことを察したレインは、今度は静かに黙って拍手し、同じ「再就職組」のラーテンも真剣な表情で手を淡々と叩く。こうして空気が再び「正常な雰囲気」に戻ったところで、今度はオラニエが名乗りを上げた。

「錬成魔法師のオラニエ・ハイデルベルグです。僕は一度、研修でアントリアに来たことはありまして、エルマの村で、エステル先輩という方の下で、色々と修行させて頂きました。元々は薬品調合が専門だったのですが、実際に政務を目の当たりにして、国を動かすために魔法師が果たすべき役割について色々と学んだ結果、国力向上に繋がるような手法を最近は研究しています」

 彼がそこまで言ったところで、唐突に後ろからアドが付言する。

「あと、こいつ、めっちゃ歌上手いんスよ」
「あ、いえいえ、それは多分、人違いですから」

 オラニエがあくまでそう言い張るのを横目に、そのままアドは自分の自己紹介を始める。

「俺はアド・ジュピトリス。バリー先生の直属ではないけど、同じジュピトリス一門で、さっきも言ったけど、このトレミーとも一緒に『異世界音楽研究会』を結成してます。だから、俺、この村にはめっちゃ興味あったんスよ、レインさん」

 そう言って、早速レインに迫ろうとするのを、トレミーが静止する。

「おい、最初からあんまりがっつくな! 失礼。トレミー・ジュピトリスです。俺もこいつも、どっちも生命魔法師なんですが、私は本流、こいつは亜流です」
「亜流っていう言い方は引っかかるな。むしろ、俺達『常盤』の方が需要はあるんだからな」
「それは『魔法師』としての需要ではなくて、『兵士』としての需要だろう?」
「おいおい、そこはせめて『将軍』と言えよな」

 同門の後輩達のそんな口論をバリーは途中で制しつつ、ひとまず「まとめ」に入る。

「一応、この通り、全系統の魔法師をこちらは用意した」

 彼がそう言ったところで、スュクルが首を傾げながら、指を折りつつ数え始める。

「静動魔法師、召喚魔法師、時空魔法師、錬成魔法師、それに生命魔法師が二人……」

 ここでレインも気付いた。

「あれ? 元素魔法師は?」

 その答えに最初に気付いたのは、ジークであった。

「バリーさんは元素魔法師ですよ」

 ここでバリーがニヤリと笑う。

「その通り。いつ私が、ただの引率者だと言った?」

 どうやら彼は、自分自身も契約魔法師候補として、この「斡旋会」に参加するつもりらしい。その突然の出馬宣言に対して、スュクルが思わず声を上げる。

「君は、エーラムで研鑽を積むのではなかったのかね?」

 年下のバリーに対して、つい敬語が抜けた口調となてしまったスュクルに対して、バリーもまた「素」の口調で答える。

「あぁ。正直、私は宮仕えには向かない性格だと思っていたんだが、一人、『興味深い君主』が見つかったのでな」

 バリーがそう言いながらレインに熱視線を送っているのを見て、今度はアドとトレミーが不満そうな顔を浮かべる。

「ちょっと先生、そりゃないっスよ。レインさんは俺が狙ってるんですから」
「それならそれで、事前に言っておいてもらわないと……。先生が相手では、勝てる訳ないではないですか……」

 どうやら二人共、契約相手の第一志望はレインらしい。それは「音楽を愛する魔法師」として、当然の発想だろう。

「おいおい、恋敵の肩書きを理由に、争う前から降りるような覚悟なら、どっちにしても本命は落とせないぞ。そんな奴はレイン殿のお相手には相応しくない。そうでしょう、レイン殿?」

 もはや主君を探しているのか恋人を探しているのかも分からないようなテンションでそう語るバリーに対して、レインは思わず苦笑を浮かべつつ困惑する。
 一方で、そんな「後輩」の好き勝手な振る舞いを目の当たりにしたスュクルもまた、困惑しながら呟く。

「間違いなく逸材であることは確かだが……」

 とはいえ、バリーがそう決めた以上、今更自分がどうこう言うべき立場にもない。そして、どちらにしても彼はおそらくレイン以外の君主とは契約する気はないだろうから、彼の参戦が自分達の勧誘戦略に影響を及ぼすことはないだろう。

「では、よろしくお願いします」

 スュクルは改めて全体に対してそう告げる。この時点で、それまで「この斡旋会の司会進行役」だと思われていたバリーが「参加者」に回ったことで、なし崩し的に自分が全体の統括役に回るべきであろうということを察したスュクルであった。

3.2. 多才なる君主達

 こうして「魔法師側」の紹介が終わったところで、そのままバリーがジークに語りかける。

「では、私の元不肖の弟子よ」
「はい」
「軽く自己紹介してもらえるか? まぁ、君は全学科に出ていたから、微妙に彼等とも顔馴染みかもしれないが」
「えぇ、分かりました」

 実際のところ、様々な学部の授業に出席はしていたものの、「広く浅い人間関係」しか構築していなかったため、あまりジークの中には学友の記憶は残っていない。授業以外で付き合いが出来るほどの繋がりもなく、その授業内の記憶すら殆ど消されている以上、当然の話であろう。だが、そんな「優秀な後輩」の姿は、ヒルダやオラニエの記憶の中には確かに残っていた。

(元天才少年が、今は一介の地方領主とはね。どっちが彼にとって幸せだったのかしら……)
(僕なんかよりも、ずっと魔法師としての才能があった筈なのに……)

 そんな彼等の視線を受けつつ、ジークは魔法師達に向けて語り始める。

「この中に、私の顔を知っている方もいるかもしれませんが、今はカレ村の領主をしています、ジーク・サジタリアスと申します。今回は契約魔法師探しを目的にこの村に来ました。私はエーラムでは魔法の修練に専念していたため、統治に関する勉強は何もしていませんでした。ですので、村の政治を全て、というのは言い過ぎかもしれませんが、殆ど全てを担ってくれるような魔法師を探しています。ご縁があればよろしくお願いします」

 無難にそう自己紹介したジークに対して、スュクルが静かに拍手していると、その傍らに立っていたミネルバが一歩前に出て自己紹介を始めた。

「私はミネルバ・トーラス。私の父はファルコンと言って、あのロング……、えーっと、あの長い壁の街の前にあるのが、私の街です。で、その長くて大きな壁を壊さなきゃいけなくて、壊すために人が足りないから、なんか色々こう、壁を壊したり、敵を倒したりすることが出来る人を探しに来た……、ってことでいいのかな?」

 最後はスュクルに対してそう問いかけたミネルバに対し、スュクルは頷きながら答える。

「えぇ。よく出来ました、お見事です。ただ、少々補足させて頂きましょう」

 スュクルは保護者として、淡々とした口調で付言する。

「クワイエットはヴァレフールと面しておりますので、戦時の備えは必要です。しかし、我々が必要としているのはそれだけではありません。戦いを通じて多くの命を失わせないために魔法師一人一人に出来ることがあります。そのために忌憚なく意見を述べてくれる方を求めています。そして何よりも我々が勝利し、ブレトランドに平穏をもたらした上で、その『次』を支える人々が必要です。ミネルバ様を支えることが出来ると思えるだけの意思がある方は、声をおかけ下さい」

 彼の中では既にアントリアが勝利することは大前提であり、その先を見据えた人材を求めているらしい。彼は戦術家である以上に戦略家であり、それ以上に政略家なのである。

「じゃあ、家主の話が終わったから、次は居候の番ね」

 梟姫がそう言って前に出ると、スュクルはすっと道を空けるように後ろに下がる。

「私はマルグレーテ・リンドマン。ノルドの飛空戦部隊を率いている。私が治める土地は今はない。有り体に言えば、今の私は敗軍の将だ。だが、私は約束しよう。私と共に覇道を歩んでくれるのであれば、私は必ず長城線を落とす。そして、私がオディールの領主となる!」

 実際には、オディールを陥落させた後に誰がその地の領主になるのかについては、今のところ何の取り決めも存在しない。とはいえ、今この場でそのことを指摘するのも野暮だと思ったのか、現地の当事者であるスュクルはあえて何も言わなかった。
 一方で、主催者であるレインは内心動揺する。

(え? オディール!?)

 オディールの現領主と友人関係にある彼女は露骨に困った顔を浮かべるが、復讐に燃える梟姫はそんな彼女の様子には気付かぬまま熱弁を続ける。

「私がそれを果たせるか、私が討ち死にするか。二つに一つだ。この国のために、ひいては大工房同盟のために命を掛けることが出来る者、そして我が大工房同盟の盟主マリーネ様に皇帝聖印を作り上げて頂くために力を貸せる魔法師を探している」

 彼女の叔父エーリクはマリーネとは盟友であると同時に皇帝聖印を巡る競合相手でもあるのだが、今の彼女は「エーリクの血族」としてではなく、「マリーネ直属の銀十字旅団の一員」としてこの場にいる。あくまでも今の彼女の主君は、父母でも叔父でもなくマリーネなのである。
 そんな彼女に続いて、今度はマリベルが名乗りを上げた。彼女は本来、この「歓迎会」に招く予定の人員ではなかったのだが、なりゆき上、その場に居合わせた来客をレインが放っておく筈もないため、そのままなし崩し的に参加することになったのである。

「私はパルテノの領主エルネストの娘マリベル・キャプリコーン。いずれお父様の所領を引き継ぐ立場と言われてはいるけど、私もまだ治める領土は持っていないわ。私はこの村には、お父様の名代として音楽祭を観覧するために来たのだけど、でも出来れば私もここで、私のパートナーを探したい。お父様からも常々『一人で突っ込むな』と言われているし、だからこそ、ここで私と一緒にこの国の人々を助けてくれるような、そんな魔法師を探している」

 「おてんば姫」がそう言い終えたところで、似たような立場(しかも同い年)でありながらも彼女とは対照的な雰囲気のフィオナも「一応、名乗った方がいいですか?」というような表情で周囲を見渡し、周囲がそれに対して頷くと、彼女もまた一歩前に出る。

「私はフィオナ・アクエリアスと申します。エストの領主ジンの孫娘です。私はまだ君主ではないので、本来ならば今のこの流れで自己紹介するのは場違いなのですが、いずれはお爺様の聖印を引き継いで君主となるかもしれません。そのための社会勉強として、今回は同席させて頂こうと思った次第です」

 少なくとも今の彼女は魔法師と契約出来る立場ではない。だが、ここで魔法師達の中の誰かが彼女と親密な関係を築いておけば、彼女を介して祖父の契約魔法師であるフィネガンの補佐官のような立場に収まることも可能であろう(彼女の祖父のジンは男爵なので、複数人の魔法師と契約することは可能である)。そう考えれば、魔法師達から見れば彼女も十分に「交渉相手」となりうる存在ではある。

「じゃあ、改めて……」

 最後にレインがそう言いながら、ギターをかき鳴らしつつ歌い始める。


 その主旋律は「異世界音楽研究会」の面々にとっては聞き馴染みのある楽曲であった。レインがどこでこの曲を知ったのか(それとも偶然似てしまっただけなのか)は不明だが、彼女はその1フレーズを歌い終えると同時に、高らかに叫ぶ。

「私、レイン! みんなと友達になるのが目的よ!」

 唐突なテンションに皆が一瞬唖然とする中、レインは少しだけ真面目な表情に切り替えた上で語り始める。

「私はみんなと仲良くなりたい。これは冗談じゃなくて本当のこと。出来れば、力を使わずにみんなが仲良くなってくれるのが一番だと思うけど……、とりあえず今日は皆で楽しくすごして、お互いの様子を知ってもらって、いい人を見つけてくれればいいのかな、と思います」

 そこまで言った上で、最後に再びギターをジャランと鳴らす。こうして、君主達の自己紹介も無事に終わり、歓談の宴は幕を開けるのであった。

3.3.1. 教員間の謀略

 ジークが最初に声をかけたのは、元師匠のバリーである。

「バリー師匠、お疲れ様です」
「まさか、こんな形でお前と再会するとはな」
「えぇ。私も、あの頃はこんな立場になるとは思っていませんでしたよ」

 そして、バリーが自ら契約魔法師に名乗り出るとは、当然誰も予想もしていなかった。

「まだ相変わらず、あれもこれも手を出そうとする癖は治っていないようだな」

 先刻の戦いを思い出しつつ、バリーはそう言った。魔法師時代からジークは探求欲が強く、全ての系統の魔法を習得しようと意気込み、実際にそれが可能な程の飛び抜けた才覚の持ち主ではあったが、君主としての彼に同じだけの才覚があるとは限らない。攻撃型聖印である「殺戮者の聖印」を持ちながら、味方を庇う技術にまで手を伸ばそうとするその姿勢は「多才な凡夫」で終わってしまう恐れがあるようにバリーには思えた。

「すみません、まだ私には色々足りないことが多くて、それを補っているうちに、今のようなスタイルになってしまいました」

 ジークとしては、その選択自体が間違っていたとは思っていないが、現実問題として先刻の戦いでは大した戦功も上げられなかった以上、声高に反論することも出来ない。

「決めるときはビシッと決めないとな。すぐに他の誰かに持っていかれる。功績も、魔法師も、女も、同じだぞ」
「えぇ。分かりました。ところで、師匠は今は契約相手を探していらっしゃるのですか?」
「そうだな。まぁ、探しているというよりも、私はここの領主に強い興味を示している」

 どうやら、やはりバリーの中では完全に「決め打ち」でレインに焦点を絞っているらしい。

「師匠ほどの魔法師ならば、契約を希望する相手もごまんといらっしゃるでしょうに」
「そうかもしれん。しかし、せっかくだから楽しく生きられる道の方がいいだろう? 正直、私はエーラムであいつらと一緒に色々な世界の音楽や舞踊を研究することが一番楽しいと思っていたんだが、まさか君主の中に『同じようなこと』をしようとしている者がいるとは思わなかった」

 先刻のレインの歌が、彼女自身の完全な創作なのか、異世界の類似曲を踏まえた上で作り出されたのかは分からない。だが、いずれにせよ、あの時点でバリーの中では改めてレインのことを「同志」と認知したようである。

「そうですね。レインさんはとても『彼女らしい治め方』をしていると思います」

 ジークはレインの統治方針については噂程度にしか聞いていない。ただ、実際にこの地で彼女に会ってみた結果、その方針が彼女自身の強い信念に基づいていることは実感出来た。
 ここで、バリーは早くも少し酔いが回り始めた顔をジークに近付けつつ、小声で語りかける。

「ここだけの話なんだが……」
「どうしました?」
「実はもう一人、彼女を狙ってる奴がいるんだ。そいつは今、二日酔いで、到着が遅れているんだがな」

 先刻の話から察するに、どうやらその「二日酔いの遅刻者」もまた教員であるらしい。ジークはその話を聞いて、その人物が誰なのかを想像しつつ、なんとも言えない表情を浮かべる。

「えーっと……」
「ついでに言おう。『彼女』を泥酔させたのは、私だ」

 バリーはその「女性教員」の晩酌に付き合う振りをして、かなり濃度の高い高級酒を取り寄せて、存分に振る舞ったらしい。そこまでの妨害工作を施してまで、彼女に先んじてレインを口説き落としたいお考えているようである。

「師匠は本気なのですね……」

 ジークはため息をつく。実際のところ、ジークの中では、この場で一番見知った存在がバリーであるため、彼と契約を交わしてカレ村に招く、という選択肢も考えていたらしい。

「残念です。師匠ほどの魔法師であれば、私の村を安心して任せられると思ったのですが、レインさんを狙っているのであれば、私から無理に勧誘する訳にはいきませんね」
「お前も、レイン殿と同じくらい私を楽しませてくれるのか? ならば考えても良いぞ。そういえば、隣の村には第一回の音楽祭の優勝者がいるとか」
「えぇ、そうですね。噂は聞いております。会ったことはないですけど」

 ジークはそう言って話を合わせたが、そもそもその「隣村」は(「敵国」とまでは断言出来ないまでも)異国である。気易く会いに行ける関係でもない(ついでに言えば、彼女は現在、出産直後で子育ての真っ最中である)。

「そうか。まぁ、確かに元弟子と契約を結ぶというのも、それはそれで面白いかもしれないな。お前が『私のマスター』として存分に楽しませてくれるのであれば」
「えぇ。こんな若輩者ですが、今のところは、師匠以外の魔法師をよく知らないもので。考えておいてもらえると幸いです」

 一応、ジークはそう告げたものの、おそらく自分では彼を満足させられないだろうな、ということは薄々勘付いてはいたため、現実問題として他の魔法師に目を向けて探さなければならないだろうと、気持ちを切り替えていた。

3.3.2. 律儀な先輩

 ラーテンは悩んでいた。アルジェントからの手紙の中には、面倒を見てほしい後輩として「ランス・リアン」の名が挙げられていたが、今の一連の自己紹介の中で、そう名乗った魔法師はいない。そうなると、消去法で「まともに名乗っていない彼」がそうなのか? と思いつつも、いまひとつ確証が持てない。最後に見たのは随分前だが、確かに今の「彼」からは、当時の「卒論指導の際にアルジェントの研究室にいた子供」の面影が残っているようにも見える。
 そして、もし仮に彼が「ランス・リアン」だとしたら、そもそも面倒を見る以前に、会話を成り立たせる自身もない。その意味では、別の誰かであってほしかったのだが、意を決して、「彼」に声をかけてみることにした。

「おい、お前……、あのランスなのか?」
「うむ。まぁ、人間の名としては『ランス』の名で通っているな。久しいではないか、ラーテン殿」

 どうやら、正解だったようである。ラーテンが困った顔を浮かべていると、ランスは何かを察したような顔を浮かべながら(実際には何一つ察することが出来ないまま)「みなまで言うな」と言わんばかりの態度で話を続けた。

「まぁ、我が『生まれ堕ちた天使』だと知って嘆くのも、分からんでもない」

 ランスは、この「生まれ堕ちた天使」という言葉ならば額冠の制約を突破出来ると気付けたことで、本来の威勢の良さを少し取り戻したようだが、そんな彼が見せる「いつも通りの振る舞い」が、ますますラーテンを落胆させる。

「そうか、なるほど。そうか……」

 どう表現すればいいのか分からない。これは就活が難しいのも分かる。そして、何をどう手助けすれば彼をアントリアの君主達に斡旋出来るのかについては、さっぱり道が見えて来ない。

「ラーテン殿もまだ相手が見つからぬようで。就職というものは、大変なことのようですな」

 暢気な顔で発せられた後輩からのこの無礼な一言には、さすがにラーテンも怒りを覚える。

(ちょっとシメとくか、こいつ?)

 エーラムの静動魔法師界隈では、生意気な後輩をシメる手段として内臓を軽く握りしめるという文化が脈々と受け継がれているが(かつて男子寮長を務めていたイクサ・カンティネンなどはその継承者の一人として有名である)、さすがに、こんなところで無駄に精神力を費やすのも馬鹿馬鹿しく思えてきたラーテンは、ひとまず一呼吸置いて、心を落ち着かせる。

「分かった……。それだけ確認出来ればいい……」
「うむ、お互い、頑張ろうぞ」
「あぁ……」

 そう言って、ラーテンはランスから距離を取る。ほんの少し言葉を交わしただけで、どっと疲労感が湧き上がる。

(「よろしく頼む」って言われてもなぁ、どうすればいいんだよ、こいつを……)

 なんだかんだで律儀なラーテンは、本来の目的であった筈の「自分の契約相手探し」に頭が回らなくなるくらい、ランスの扱い方に悩み始みつつ、ひとまずは目の前にある食事を黙々と口にし始めるのであった。

3.3.3. 手繰り寄せるべき未来

 「新たな出会い」を求めるために集まった宴ではあるが、上記の二組のように、同じ会場の中に「知人」がいれば、まずはそちらに挨拶に行こうとするのもまた自然な行動である。数ヶ月前のブラフォード動乱において(当時はアントリアと裏で繋がっていた)ケイの領主ガスコインの次席魔法師であったヒルダと共闘していたスュクルは、まだどこか当時のことを引きずっているように見えた彼女に声をかける。

「先日は不幸だったようだが、あまり気を落とさぬように」

 スュクルとヒルダは同じ時空魔法師とはいえ、系統が異なる上に歳も離れているため、エーラム時代に面識はない。ただ、ヒルダは以前から(当初は敵国の参謀であった)スュクルに対しては、先達として一定の敬意を抱いていた。

「アントリアの方々に対しては、色々と申し訳無かったと思っています」

 ガスコインの遺臣達の中には「アントリアの口車に乗ってしまったがために主君が討たれた」と考える者もいたが、実際にはアントリアも(戦死者自体は少なかったが)一定の損害を被っており、その意味ではむしろ、ヴァレフールもアントリアもブラフォード(当時)も、グリースのマーチ無血占領のために利用された被害者のようにヒルダには思えた(だからこそ、彼女の中での再就職先としては、アントリア以外にはあり得なかった)。
 その意味では、時空魔法師としてそこまでの未来を見通せなかったヒルダはアントリアに対しても(罪悪感とまではいかなくとも)どこか後ろめたさがあったのだが、スュクルにしてみれば、その点に関しては実質的には自分も同罪である以上、ヒルダを責めるつもりは毛頭ない。
 ヒルダも、いつまでも過去を引きずり続けるのは良くないということは分かっている。だが、もう二度とあんな事態を引き起こしたくはない、という思いから、心の中に残っていたわだかまりを、この場で「先輩」相手に投げかけてみることにした。

「ところで、同じ時空魔法師である貴方に一つ聞きたいことがあります」
「ほう?」
「もしあなたが、時空魔法の力によって、自分の主君を破滅させるかもしれない情報を知ってしまった場合、どうされますか?」

 そこまで言ったところで、唐突かつ抽象的な質問を投げかけてしまったことに気付いたことに気付いたヒルダは(おそらくスュクルであれば文脈上何が聞きたいのかは理解してくれるだろうと思いつつも)より具体的に付言する。

「私の以前の主君は実直な方でした。その意味では、ファルコン殿にも近いところはあったと思います。あのような実直な方々に『自分の主君の隠された不義』を伝えれば、自分の命を危険に賭してでも、筋を通すために危険な道を歩むことは、当然想定出来ることです。そのような方に『破滅の道を歩むことを決意させるかもしれない情報』を伝えることは、時空魔法師として、正しい道だと思いますか?」

 スュクルは少し黙った上で、強い口調で答える。

「あぁ。君は満足出来ないかもしれないが、私はそう考える。意思を砕かれた者は、心を殺された者に等しい。体が生きていたとしても、それでは死んでいることと変わらない。その上で、我々は魔法師だ。魔法以外の手段で主君を救うことは出来ない。だからこそ、真実を告げ、『手繰り寄せるべき未来』を測り、導くことが我々の使命だ。時空魔法師が見るべき未来は『無数にありうる未来』ではない。望むべき未来のために、自らの力で手に入れたものを我々は見ている。私は、そう考えていますよ」

 ヒルダの中では、特に「答えて欲しかった答え」が想定されていた訳ではない。ただ、出来ることなら「同じ過ちを繰り返さずに済む道」を示して欲しかった。そのためには、当時の自分の行動が間違っていたという批判を貰えた方が、むしろ開き直って気持ちを切り替えられたのかもしれない。だが、結果的にこの先達の返答は、それまでヒルダ自身に見えていなかった「新たな視点」を与えたようである。

「なるほど……。私にはまだそこまでの覚悟がなかった。覚悟がなかった状態で、中途半端に真実を告げてしまったから、私の中でまだ何かが引っかかっているのでしょうね……。いや、申し訳ございませんでした。貴重な時間を割いてしまって」
「悩むことは大事だ。その上で、もしも君が割り切れないのであれば、あるいはもう一度エーラムで学ぶのも良い。教養はいつだって荷物にはならない。まぁ、出来れば、私としても『見たい未来』がある。そのためにもう一度、力を貸してくれるなら、これほど嬉しいことはない」

 そんな二人の会話は(スュクルに代わって一時的にミネルバの面倒を見ていた)マルグレーテにも聞こえていた。

(そうか、彼女がブラフォードの……。ある意味、私と同じ立場、ということなのね)

 おそらくは自分とは異なる形で敗戦の悔恨を引きずり続けている彼女に少し興味を抱きつつも、今のこの場で彼女にどんな声をかければ良いのか分からなかったマルグレーテは、あえて黙ってその様子を眺め続けていた。

3.3.4. 少年の影に潜む闇

 宴の主催者には二種類存在する。会場全体の状況を常時確認するために、酒を控えて一歩身を引いた立場で参加する者と、自らの手で少しでも多くの参加者を楽しませるために、酒瓶を片手に積極的に饗応する者。レインは間違いなく後者であり、彼は自分に興味を示してくれたトレミーとアド、そして、たまたま(か否かは不明だが)レインの近くにいたオラニエを相手に、からみ酒を始める。
 トレミーとアドは、バリーと共に(大衆娯楽の研究という名目で)エーラムの下町の酒場で飲み歩くことが多いため、酒には強い。そして、大人しそうな優等生に見えるオラニエもまた、意外にもそんな二人に負けないペースで飲み続けていた。

「やるなぁ、お前。やっぱり、アレか? エルマの村で鍛えられたのか?」
「えぇ。先輩が開発した新製品の試飲とかに関わっているうちに、いつの間にか慣れました」
「いいよなぁ、美味いんだろうなぁ、エルマの酒は」
「そうですね。ただ、あの村、というか、モラード地方全体が、色々とトラブルの多い土地柄でもありますけど……」

 アドとオラニエがそんな会話を交わしている中、トレミーはレインに問いかける。

「レインさんは、いつ頃からこの村で領主を?」
「まだ一年くらいだけど」
「そういえば、ノルドの方なんですよね?」
「そうね。本当の血筋が何系なのかはよく分からないけど」
「てっきり、白狼騎士団ってのは、もっとギラギラした怖い人達なのかと思ってました」

 世間一般の認識としては、ノルド人と言えば「粗暴で野蛮な戦闘狂民族」である。その中の精鋭部隊と言われる「白狼騎士団」の中から、「音楽の村」を築き出すような女君主が現れるとは、誰も想像すら出来なかった。

「確かに、みんなはそうなんだけど、私は軍楽隊長だからね。軍楽隊長はみんなを元気付けるのが仕事だから、私にぴったりだったってわけ」

 もっとも、今のレインは「マージャの領主」という立場の方が強くなり、「白狼騎士団の軍楽隊長」という肩書きが徐々に有名無実化しているとも言われている。ただ、それでも再び白狼騎士団が本格的な侵攻作戦に加わることになれば、レインも従軍を余儀無くされるだろう。

「ところで、あなた達の『異世界音楽研究会』ってのは、どういう所の音楽をやってるの?」
「そうですね。色々やってますけど、やっぱり『地球』の音楽が多いです。特に最近は、この異界の投影装備を元にすることが多くて……」

 トレミーはそう言いながら、懐から 長方形で底が浅い小さな箱 を取り出す。彼がその蓋の部分を開けると、そこには銀色の円盤が収納されていた。レインには読めないが、その円盤には「戦国鍋TV」と記されている。

「これはその中に出てくるユニットの衣装です。最初は、別の投影装備に映っていた『AKR47 featuring KIRA』をやろうと思ったんですけど、人数が集まらなくて」

 なお、別に48人必要な訳ではない。そして、レインにはそれらがどんな音楽なのか全く見当もつかなかったが、なんとなく「楽しそう」という雰囲気だけは伝わっていた。

「そういえば、オラニエ君も歌うのよね?」

 唐突に横から話を振られたオラニエは、飲みかけていた酒を一瞬喉に詰まらせ、軽く咳き込みつつ答える。

「あ、いや、それは人違いで……」
「いや、あれは絶対お前だって。間違いないから」

 アドが改めてそう言いながら詰め寄る。そしてレインは更に質問を続けた。

「オラニエ君も何かそういう投影装備を持ってるの?」
「い、いえ、僕は召喚魔法師ではないので……」

 そう言って否定するオラニエだが、どう見ても挙動不審であり、明らかに「何か」を隠しているように見えた。そこに、アドが更に不穏な質問を投げかける。

「そういえばお前、最近『悪魔』に凝ってるんだろ?」
「凝ってる、というか、それはその、エルマで色々ありまして……」

 言葉を濁しつつごまかそうとするオラニエに対し、レインも更に問いかける

「悪魔っていうと、ウチのティリィみたいなのとか? それとも、あそこの『降りてきた天使』君、だっけ? 彼みたいなカンジなの?」

 どうやら、ラーテンとバリー以外は誰も「ランス」の名前を把握していないようである。

「うーん、その辺りと近いものなのかもしれないですが、あの邪紋使いの彼女についてはよく分からないですし、『降りてきた彼』についても、まだよく分からないというか……」

 いよいよ本格的に困った表情を浮かべてきたオラニエであったが、レインはこのやりとりの過程で、オラニエの「背後」に何か奇妙な気配を感じる。「彼ではない別の霊的な何か」が、彼の影の中に潜んでるように見えた。

(ティリィの言っていた通りね……)

 レインがその霊的な何かの存在の存在を確かめるために、更にオラニエとの距離を詰めようとすると、その「影の中の何か」が、レインの魂に対して、直接何かを訴えようとしているような気配を彼女は直感的に感じ取る。心の耳を済ませてその言葉を聞き取ろうとした彼女の脳裏に、断片的な言葉の欠片が届いた。

(でん……せ…………な………………きし……)

 この時、レインの脳裏には、かつてこの村で巨神像復活を目論んだ闇魔法師が語っていた「伝説の七人の騎士」という言葉が蘇る。そこに、魔境が消滅した日の夜に見た、あの「漆黒の鎧を着た男と、七人の屈強な半裸の戦士達」の夢が重なって、レインの中では様々な形での「最悪の事態」の可能性が次々と思い浮かぶ。今はコートウェルズへと旅立ったあの「かつては英霊と呼ばれた怪物」に関わる何かが「オラニエの中」にいるのであれば、これは早急に「何か起きた時のための対策」を講じておく必要があるだろう。

「レインさん、どうしたんですか?」

 急に黙りこくったレインに対してトレミーがそう問いかけると、彼女は慌ててその場から立ち去ろうとする。

「私、領主の仕事があるので、ちょっと抜けるわね。また戻って来るから」

 彼女はそう言いつつ、この場にいる中で唯一「伝説の七騎士」の存在を知っているラーテンに目配せをしつつ、入口を警備していたティリィに「オラニエ君をよく見ていてね」と通達した上で、会場の外に出る。そしてラーテンもまた「何かが起きた」ということを察した上で、さりげなく反対側の扉から退出するのであった。

3.3.5. 召喚魔法師と元召喚魔法師

 この地の領主達が密かにそのような慌ただしい動きを見せていた頃、スュクルは改めて「ミネルバの保護者」として、彼女に問いかけた。

「今のところ、誰か招きたいと思えた人はいますか?」
「私、ちょっと『あのお兄ちゃん』に興味があるんだけど」

 彼女がそう言って指差した先にいるのは、ラーテンとの話を終えた後で黙々と料理を堪能しているランスであった。

「では、話を聞いてみますか?」
「うん。でも、さっきの『あのお兄ちゃん』の言ってたこと、よく分からなかったから、通訳として一緒に来て」
「えぇ。まぁ、私にもよく分からないというか、かつての私が残した手記にも、あのような言葉はなかったと思うのですが」

 召喚魔法科時代の記録を思い出しながらスュクルはそう答えつつ、ミネルバを連れた状態でランスに語りかける。

「さて、『大地と海を統べる者』だったかな、君は?」
「うむ、そうである」

 微妙に間違っている筈なのだが、どうやら彼の中ではこの「仮の名」は何でもいいらしい。そんな彼に対して、ミネルバは無邪気な笑顔で問いかけた。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、猫さん呼べる?」
「猫?」

 しばらく考えた上で、彼は窓の外に『何か』を呼び出し、激しい物音が建物の外に響き渡る。

「え? 何? 猫さん出たの?」

 ミネルバがワクワクしながら見に行くと、そこにいたのは「大きなリボンをつけて可愛らしく微笑みを浮かべたトロール」であった。

「す、すごーい! おっきいい! 猫さんじゃないけど、これはこれですごい!」

 普通の幼女が見れば泣き出しそうなほど不気味な風貌だが、彼女の中では「恐怖」よりも「驚きによる感動」の方が強いらしい。

「君の従属体のようだが、君は固定召喚以外は不得手なのかね?」

 スュクルはそう問いかけた。彼の記憶の中には、召喚魔法に関する基礎的な知識までは残っている。通常の召喚魔法師は、長期間に渡る「固定召喚」が可能な投影体は一体が限界であり、いずれかの投影体(現在のランスの場合はこのトロール)との間で「いつでも望む時にこの世界に投影される」という契約を結んでいる間は、他の投影体を固定召喚することは出来ない。
 だが、それとは別に「瞬間召喚」で一瞬だけ見せることは可能である。もっとも、ケット・シーは瞬間召喚の際にかなりの精神力を消耗するので、見世物だけのために呼び出すには代償が大きい。
 ランスがその辺りを考えた上で瞬間召喚を控えたのかは不明だが、彼はいつも通りの調子で胸を張って「答えになっていない答え」を返す。

「いや、我の一番の眷属は『ローちゃん』である」
「『ローちゃん』っていうんだぁ」

 ミネルバには意外に好印象のようである。

「うむ、可愛いだろう?」

 普通、小さな女の子が見れば怖いと思うものだが、最前線で、父親をはじめとする屈強な戦士達に囲まれて育った彼女は「筋肉質な生き物」に対して免疫があるらしい。とはいえ、可愛いとまで思えるかと言われると、さすがに彼女もやや表情を引きつらせながら回答に困った様子を見せる。

「君のその『言動』や先程の『疼き』がどうにも心配に思えるのだが、君はきちんと魔術を制御出来ているのかね? あくまで、私が不得手だっただけだが、召喚術は危険が大きいからな」

 スュクルは召喚魔法師時代に、実験中の事故で妹を失った過去があり、「混沌の産物」を生み出す者達が暴走する可能性への警戒心(そして「混沌の暴走」への敵愾心)が極めて強い。

「安心するが良い。我のこの力は、召喚魔法師の力ではない。我の中にいる……、生まれ堕ち……」

 そこまで言いかけたところで、ランスは意を決して、あえて(彼にとっての)「真実の言葉」を口にする。

「……堕天使の力によるものである」

 その直後、彼は激痛に苦しみながら頭を押さえる。彼の中では、ここは「本当の自分」を曝け出さねばならない時だと判断したらしい。当然、スュクルはその様子に対して(色々な意味で)心配そうな声色で問いかける。

「それは、呪いの類いかね? 必要ならば解呪を試みようか? あまり得手ではないが……」
「安心するがいい……。これは、我が生まれ持ったものである。そして、我はこれに向き合わねばならぬ。他人の介入は受け付けておらぬのだ」

 この時、その一連の様子を遠目に見ていたオラニエは、急に酔いが覚めたような顔をしてランスを凝視するが、ランスはその彼の視線にはまったく気づいていない。そして、同様に密かにランスを注視していたマルグレーテは、何かを悟ったような顔でミネルバに近付き、こう告げた。

「彼は譲るわ。私も欲しかったけど、譲る」

 どうやら彼女は、この少年と意思疎通することは自分には不可能だと諦めたらしい。一方、スュクルはそんな彼を理解することを諦めず、真正面から質問を投げかけ続ける。

「君が向き合わねばならぬということは、それは『継承された呪い』か何かかね?」
「ま、まぁ、ある意味、呪いのようなものでもあるな」

 さすがにそろそろ、ランスも言葉選びに疲れてきた様子を見せる。

「君の力は借りたいところではある。お嬢様は君のことを気に入っているようだしな」

 真剣な表情でそう語るスュクルと、その横からキラキラした瞳で見上げるミネルバを目の当たりにして、ランスはもはや何をどう答えれば良いのか分からなくなってきた。

「我も、年下は嫌いではない」

 色々と言い回しに問題がある発言だが、今のランスの精神状態で発せられるのは、この程度の言葉が限界だったようである。

3.3.6. 幸福と平等

「私も混ぜてもらっていいかな? 割り込むようになってしまって悪いが、私も彼と話がしてみたいんだ」

 そう言いながらランスに近付いてきたのは、ジークであった。それに対して、スュクルはさっと道を開けるように一歩後ろに下がる。

「えぇ。構いませんよ。あなたも最前線に立つ身として、『あの暗殺者』と対峙しなければならないのは大変でしょうし、戦力は必要でしょう」
「コーネリアスのことをご存知で?」
「あぁ、彼には何度か痛い目に合わされたこともある。彼は非常に優秀なのだが、ブレトランドのためにその力を使ってくれないのは、残念に思う」

 スュクルは「過度に過去にとらわれ、私的な感情を満たすためだけに凶刃を振るい続けるコーネリアス」に対しては、色々な意味で複雑な感慨を抱いているらしい。その点に関しては「幼馴染」であるジークもほぼ同様であった。

「私も彼には手を焼かされていてね。その意味でも優秀な戦力は確かにほしい。そこの『山と海を統べる者』が並大抵の魔法師ではないということは、先程の戦いで痛感させられた。魔法師としては非常に優秀だということは分かる」

 ただ、今のジークに必要なのは「戦力としての魔法師」だけではない。むしろ、今の彼が求めているのは「優秀な政務官」なのである。そのために、まずは直接会話を交わして色々と確かめてみる必要があると彼は考えていた。
 一方、ランスは純粋に「魔法師としての自分」をベタ褒めされたことに気を良くして、いつも通りの「調子に乗った表情」を浮かべる。

「当然である。これでもまだ我は十分の一も出しておらん」

 何を出していないのかは説明せぬままそう言い切ったランスに対し、ジークは彼の調子に合わせるような形で、そのまま会話を続ける。

「ほう。ということは、おそらくとても博識な方なのであろうと見受けられる」
「うむ。我はこの世の全てを知っている」
「であれば、私の村も安心して預けることが出来ます」
「そうであろう、そうであろう」

 したり顔で頷きながらそう語るランスから、ジークは一旦視線をスュクルへと移す。

「ということで、申し訳ない、スュクル殿、私もこの話し合いに参加させて頂きたい」 
「構いませんよ。お二人だけで話された方がよろしいですか?」
「そうさせていただけるのであれば、お言葉に甘えて」
「分かりました。では、お嬢様、我々は他の者達の話も聴きに行きましょう」

 スュクルはそう言いつつ、ランスにも最後に一声かける。

「後でまたもう一度お話を伺うことになるかもしれません、『山と海を統べる者』よ」
「いや、もう、いいと思う、ぞ」

 ランスとしては、さすがにもう疲れたらしい。

「あなたのように力のある者は、我々としてもお迎えしたいところです。長城線を打ち壊すには、トロールのような存在は望ましいですから。しかし、ジーク殿も最前線を任される身である以上、相応の方が必要にはなるでしょう。『あの暗殺者』から身を守るためには、投影体の力も有用でしょうし」

 スュクルがそんな話をしている間に、既にミネルバは、近くにいたアドに話しかけていた。

「ねーねー、どんなダンスとかやってるの?」
「お嬢ちゃんも興味あるのかい? そうだねぇ、女の子向けなら、こっちのDVDに入ってるプリキュ……」

 そんな会話を交わしている様子を確認したスュクルは、ひとまずそちらへと向かう。その上で、その場に残ったジークは改めてランスに語りかける。

「では、『山と海を統べる者』殿……」
「うむ。長いな。『最初の三文字』だけで良いぞ」
「では……、やまとう殿?」

 それは「四文字」な気もするが、ランスはその呼び名で満足したらしい。

「うむ。そうであるぞ。何か用か?」
「あなたにお伺いしたいことがあります」
「うむ」
「あなたは、村を治める際に、一番大事なものは何だと思いますか?」
「うむ、民を統べる上で一番大切なのは、幸福と平等だ」
「幸福と平等、ですか?」
「うむ」
「ですが、それは言うには簡単ですが、実現するにはとても難しいかと」
「うむ、我も最近まではそう思っておった。しかし、我は『ある書物』を見つけたのだ」

 この『書物』という発言を耳にしたオラニエが再び鋭い視線を向ける。ランスはまたしてもその視線には気付いていなかったが、ジークはそのオラニエの様子が妙に引っかかる。しかし、今はひとまずそのままランスの会話に集中することにした。

「書物、ですか。それは一体、どのような?」
「その本によれば、権力を集中させ、民の持つものを一箇所に集めて、それを平等に分配すれば、幸福と平等が実現出来るらしい。それを共産主義と呼ぶのだそうだ」
「共産主義、ですか……。しかし、それは実現が難しいのでは?」
「確かにそうだ。しかし、この世の全ては実現が難しい。だが、諦めなければ必ず成功する。我はそう信じている」

 何の根拠もなくそう語るランスに対して、ひとまずジークも話を合わせる。

「やまとう殿、その通りですね。諦めなければ……」
「いつか叶うものである」

 半信半疑にその話を聞き流していたジークだが、実際のところ、ジークが現在のカレ村で施行している「貨幣経済停止令」こそが、その共産主義(の中の一派)が掲げる理想形態の一つである「原始共同体社会」そのものであり、その意味では計らずもジークはその「共産主義の理想」の入口付近にまで到達していたのである(ただし、前述の通り、それに対する村人からの不満は多く、ジークはまだそのことに気付いていない)。
 ジークがそのことをどこまで自覚していたかどうかは不明だが、もう少し踏み込んだ意見を聞き出すために、ジークは具体例を交えた話を試みようとする。

「やまとう殿は、私のカレ村についてご存知ですか?」
「うむ、我は、外の世界についてはよく知らぬ」

 そこまで言ったところで、先刻の「この世の全てを知っている」という発言と矛盾していることに自分で気付いたランスは、慌てて言葉を続ける。

「ヤマト教が広まっているところであれば……」

 「知らぬことはない」と続けようとしたところで、金の額冠が激しく彼の頭を締め上げた。焦って「禁句」のことを忘れてしまっていたらしい。先刻の「覚悟の上での発言」の時とは異なり、完全な「不意打ち」の痛みのため、ランスはより一層激しい表情で悶え苦しむ。

「どうしたのですか? やまとう殿? いきなり頭を抱えて」
「わ、我の中にいる何者かが、疼いておる……」
「そのような者が体内に?」
「我は生まれながらにして、生まれ堕ちた天使……」

 さすがにそろそろ彼の言っていることが理解出来なくなってきたジークは、この辺りで話を切り上げることにした。

「やまとう殿、カレ村についてご存知ないのであれば、一度機会があれば私の村に顔を出してもらえますか?」
「うむ、我も世界中を旅してみたいからな。そして我の素晴らしい思想を広めることとしよう」
「えぇ。あなたがお越しの際は私達も歓迎の準備をしてまっております。いつでも来て下さいね」「あぁ……」

 こうして、無意識のうちに同じ道を歩もうとしていた二人の「平等主義者」は、その方向性の親和性を完全に自覚出来ぬまま、会話を終えることになる。もし、ランスにもう少し具体的な説明能力があれば、この二人が協力してこの世界に新たな革命を起こそうとする可能性もあり得ただろうが、その場合は逆にランスは(もっと早い段階で)魔法師協会の手で「世界に害をもたらす危険分子」として選別されていた可能性もある。その意味では、このまま彼の中での「一時的な思いつきと気まぐれの妄言」程度で済ませておいた方が、彼にとっても世界にとっても「幸福」なのかもしれない。

3.4. 主催者の判断

 宴会場を抜け出したレインとラーテンは、一旦領主の館の外にまで出た上で、この村を支える二大武官であるメア(下図左)とアマル(下図右)を呼び寄せた上で、館の裏の人目につかない場所で、彼等に「事情」を伝える(なお、メアは「影」の邪紋使い、アマルは「獣人」の邪紋使いである)。


「ごめんね、急に。来てもらって、ありがとう。実は、今回招いた魔法師の一人であるオラニエ君の中に、例の『英霊』に関する何かがいるみたいなの。『七騎士』がどうのこうのとか、そんなようなことを言っていたわ」

 ここで初めてその話を聞いたラーテンは、驚きつつも首をひねる。

「七騎士、ですか……。今のところ、心当たりがないですね……」

 数なくともラーテンは、あの時の武神像(ブレーヴェ)がこの地に戻ってきたという話は聞いていない。そして、七騎士の復活を目論んでいた闇魔法師シアン・ウーレンについても、最近は全く情報が入ってきていなかった。
 この場にいる中で唯一「七騎士」と深い関わりを持つ立場であるメアも、最近は「姉達」からの連絡も届いていないため、現状では何とも言えない。ただ、ひとまず状況を確認するために、彼女はレインに問いかけた。

「その魔法師は何者なのですか?」
「普通の錬成魔法師の学生だと聞いてたけど、詳しくは分からないわ。あまり自分のことを話そうともしないし……」

 なお、件のシアン・ウーレンも専門は錬成魔法なのだが、今のところオラニエとシアンの間に何らかの関係があるのかどうかは分からない。
 メアは少し考えた上で、一つの仮説を思いつく。

「第一回の音楽祭の時に、死者の霊が騒動を起こしたことがありましたが、あの時のように、何か霊のようなものが現れて、その魔法師に取り憑いている、とか?」
「確かにその可能性もあるかもしれないわね……」

 とはいえ、現時点ではあくまで「可能性」の一つでしかない。一瞬の沈黙の後に、今度はアマルがレインに問いかける。

「では、我々はどうすれば? その魔法師の学生を監視していれば良いのですか?」
「そうね。まだ、何をしようとしているのかも分からないけど……」

 レインが思い悩んだ表情を浮かべる中、アマルは言いにくそうな顔でレインに、この件と関係があるのかないのか分からない「新情報」を伝える。

「実は、つい先刻入ってきた話なのですが……」

 それは、ティリィが調査していた「行方不明者」に関する話である。先刻、町の人々が不安そうに話しているのを偶然アマルが耳にして、まさにアマルもこれから本格的な捜査に向かおうと考えていたところであった。

「それは一大事じゃない!」
「どうも調べてみたところ、先程魔物が出た森の方角へと向かったという目撃証言があるようです。ただ、問題は、これをお客人にお伝えすべきかどうか……」

 アマルはそこまで言ったところで、この場に「マージャの住人」ではないラーテンがいることを思い出す。

「あ、失礼、あなたも『お客人』でしたね」

 アマルの中では、この村の再興期から行動を共にすることが多かったラーテンのことは「客人」というよりは「身内」という認識の方が強い。

「いや、まぁ、その話は、俺も別の筋から聞いていたんで……」
「そうでしたか。……というか、いい加減そろそろウチに就職した方がいいのでは?」

 ラーテンが契約相手を探すために今回のマージャの宴に参加していることは、アマルも知っている。だが、アマルから見れば「契約相手が見つからないのなら、ウチの領主と契約すればいいのに」というのが本音である。実際、ラーテンが希望するなら、レインはいつでも喜んで彼と契約を結んだだろう。

「いやー、まぁ、もうちょっと考えさせて下さい」

 どうも彼の中では、レインに対しては「ビビッ」と来ないらしい。ラーテン自身も、それがなぜなのかは分からない。彼は理屈や損得勘定よりも「直感」を重視する性格なのである。
 そしてこの時、ラーテンのその鋭い「直感」が、何かを感じ取った。領主の館の方面から、誰かが「森」の方向へと向かって走り出して行く姿に気付いたのである。それは「おてんば姫」ことマリベルであった。そのことに気付いたラーテンは、即座に静動魔法を用いて、走る彼女の周囲の重力を操作して、その足を止める。突然の出来事に彼女が戸惑っている間に、ラーテンは彼女のところへと走り込み、レイン達もそれに続く。

「何やってんだよ、ホントに……」

 マリベルに追いついたところで、ラーテンが呆れ気味にそう声をかけると、マリベルは大声で叫ぶ。

「だって、森の方で人が行方不明になってるんでしょ? だったら、パーティーなんてやってる場合じゃないじゃない!」

 どうやら彼女は、レインとラーテンがいなくなったことから、何か事件が起きたのかと察して外に出た上で、先刻のアマルの話を立ち聞きしてしまったらしい。
 そして、聞かれてしまった以上は隠しても仕方がないと割り切ったレインはこう言った。

「私も気持ちは同じよ。だから、一緒に行きましょう!」

 客人を巻き込むのは不本意だが、レインがマリベルの立場でも同じ行動を取ったであろう。この状況下で「戻れ」と言われても戻りたくないマリベルの心境は、レインにも十分すぎるほどに理解出来た。この二人はいずれも「剣士」の聖印の持ち主である。目の前で人々に害を及ぼす敵がいれば、まず自分が率先してその敵に向かって行こうとするのは、まさに「剣士」としての本能であった。

3.5. 保護者の責務

 一方、館の中においても、いつの間にかマリベル姫までもがいないことにスュクルが気付き、会場管理の担当者と思しきティリィに問いかける。

「パルテノのお嬢さんは、どちらに?」
「私もそれが気になっていたのですが……。今から探して参ります」

 そう言ってティリィが会場から出ようとしたところで、スュクルが制止する。

「待ちたまえ。君は、護衛としてここにいるんだろう? ならば、私が探そうか? もしここで何かが起きた時に、戦える者がこの場にいた方がいいだろう。もちろん、『あの山と海を統べる者』や他の来客達も優秀な人材ではあるようだが、学生達には、あまり無理をしてほしくない」
「分かりました。それでは、よろしくお願いします」

 ティリィにそう言われたスュクルは、まずその場で時空魔法を用いて「マリベル姫の今後の未来」についての「鍵」となる概念について、この世界の根源に対して問いかける。その結果として導き出されたのは、以下の五つの言葉であった。

「森」「悪魔」「館」「人形」「危険」

 どうやら、想定していたよりも深刻な事態へと繋がる可能性が見えてきたと判断したスュクルは、ひとまずティリィに問いかける。

「この辺りで、『森』にほど近いところに、『館』と呼べるような建物はあるかね? あるいは『人形』が置いてあることで知られているような『館』、とか」
「うーん、この辺りで『館』と言えば、ここくらいですね」
「では、この村の近辺で『危険』な『森』と言えば……、やはり、あの歌う魔物が出現していた森か」

 そう判断したスュクルは、ティリィにその場を託した上で、館から出て森の方向へと向かう。すると、ちょうどそこにはマリベルを囲んでいるレイン達の姿があった。

「おや、皆様、どうされましたか?」

 あっさりとマリベルが見つかったことでスュクルは一旦安堵するものの、ここで彼女達から一通りの事情を聞き、自分の先刻の予言とも照らし合わせた上で、相当に危機的な事態が進行しつつある可能性を憂慮する。

「分かりました。ならば私も協力させて頂けますか? 学生達を危機に晒す訳にはいかない。早めに危険は払うべきでしょう」
「ありがとう。こちらからもお願いするわ」

 レインはそう答えた上で、ひとまず館に対してはメアを伝令に出して「宴会の一時中止」を伝えてもらった上で、自分はアマル、ラーテン、マリベル、スュクルの四人と共に、森へと向かうことにした。

3.6. 悪魔が来たりて

 徐々に宴会場から人が減りつつある状況に、さすがに他の参加者達も違和感を感じている中、ランスだけが何も気にせず食事を続けていたのだが、そこへメアが到着する。

「すみません、また森の方面に投影体の気配が出てきたようなので、宴会は一旦中止させて頂きます。バラバラになると危険なので、この建物の中に留まっていて下さい」

 メアがそう皆に告げて、会場内がややザワつく中、オラニエがこっそりと部屋を出て行こうとするのにティリィが気付く。

「おや、いかが致しました? オラニエさん?」
「その……、外が危険ということであれば、やっぱり、僕達も助けに行った方がいいんじゃないかと……」
「とはいえ、お客様を危険な目に遭わせる訳にはいきません。申し訳ございませんが、少々この館でお待ち下さい」
「じゃあ、外で何が起きているのか教えてもらえませんか?」

 その質問に対して、(レインを通じてオラニエの疑惑を聞かされていた)メアは少し迷いつつも、どちらにしてもこの場にいる人々に説明した方がいいと判断した上で、かいつまんで現在分かっていることをそのまま全員に伝える。
 その直後、オラニエの顔色と口調が突如として変貌した。それまでの穏やかそうな雰囲気から一変し、どこか人間離れした不気味さを漂わせた、苦々しい表情を浮かべる。

「もう、これは仕方がない。これ以上、時間をかけて、手遅れになってしまっては遅いからな」
「オラニエ……、さん……?」

 ティリィはそう問いかけつつ、オラニエの身体に、それまで彼の影の中に眠っていた「よく分からない気配」が乗り移るのを確認する。その瞬間、オラニエの髪が逆立ち、もともと色白であった彼の肌が薬で漂白したかのごとく真っ白になり、その両目の周囲のみ赤く縁取られている。

「申し訳ない、エーラムの方々。この少年の身体、しばらく借りるぞ」

 明らかに先刻までとは異なる声色でそう語るオラニエに対して、ティリィは「死神の大鎌」を構える。

「オラニエさん……、ではないようですね……。あなたは、誰です?」
「吾輩の名前は人類の声帯器官では発音出来ない。ひとまずは、 そうだな……、デーモン・ハイデルベルグとでも名乗っておこう」

 ハイデルベルグとはオラニエの姓である。つまりは「悪魔がオラニエに憑依した状態」ということらしい。もともと「憑依型の投影体」の可能性を考慮していたメアは、ティリィと共に武器を構えつつ、警戒心を強める。
 一方、「異世界音楽研究会」の面々は、突如として現れた「その姿」を目の当たりにして、呆然と立ち尽くす。

(まさかあれは、 あの伝説のバンド の……)
(オラニエの正体は あの方 だったのか!?)
(ヤベぇよ! 俺、めっちゃタメ口で話しちゃたよ! 蝋人形にされちまうよ!)

 そんな中、ジークはあくまでも冷静な面持ちのまま、その「オラニエに憑依した悪魔」に対して問いかけた。

「では、デーモン殿、あなたはオラニエさんの身体を借りて、何をするつもりですか?」
「話せば長くなるのだがな……。今、この世界に『もう一人の吾輩』が出現しているのだ」
「もう一人の、あなた? それは一体、どういう状況なのですか?」
「簡単に言おう。この世界の……、いや、この世界に限らぬな。全ての『人間』にはその本質を表す根源的な『属性(アライメント)』というものがある。それは大きく分けて二つの軸によって構成されているのだ」

 そのような理論については、この場にいる幾人かは聞いたことがある。一般的には「善と悪」や「秩序と混沌」といった二元論が用いられることが多いのだが、ここでこの「悪魔」が語ったのは、それらとは全く異なる別次元の概念であった。

「その中の一つが『音楽軸』だ。音楽を愛する者と憎む者。まず、この点に関して聞こう。貴様等はどちらだ?」

 唐突にそう問われたジークは、迷いながらも答える。

「私は、音楽は決して嫌いではありませんよ」

 バリーに弟子入りして以来、古今東西の様々な音楽の楽しさを教え込まれた彼がそう答えるのは、当然と言えば当然であろう。
 それに続けてティリィも答える。

「マージャ村に、音楽を嫌う者はいません」

 やや誇張のようにも聞こえるが、あながち間違ってもいないだろう。レインが村の各地で四六時中奏でている音楽に耐えられないのであれば、わざわざこんな(元)魔境の最前線の村の復興に手を貸すとは考えにくい。そのことは、この「悪魔」も納得出来たようである。

「そうだろうな。そしてもう一つの軸は、『相撲』への愛と憎しみだ」
「スモウ?」

 ジークは首をひねる。そしてこの場にいる者達全員、彼が何を言っているのか理解出来ない。異世界音楽研究会の三人も、さすがに異世界の格闘技までは専門外らしい。

「その反応を見る限り、どうやらこの世界には『相撲』が存在しない、ということか。ならば『相撲軸』に関しては中庸、ということで良いのだな?」

 ジークとティリィは顔を見合わせつつ、困惑した様子のまま答える。

「えぇ。分からない以上、憎むも何も……」
「スモウというものを存じ上げない以上、何とも言いようがありません」

 一方、それまで何が起きているのかさっぱり理解出来ないまま、部屋の隅で食事を続けつつ話を聞いていたランスが、ここで唐突に口を開く。

「あぁ、スモウ。あれね。すごく、いいものであるな」

 いつもの如く適当に知ったかぶるランスに対して、「オラニエの身体を乗っ取った何者か」は、鋭い視線を向ける。

「貴様だけは地球の文化に通じているということは……、やはり貴様、Λucifer(リュシフェル)の者か?」

 「リュシフェル」とは「堕天使(ルシファー/ルシフェル)」のアロンヌ式の発音である。

「当然であろう」
「では、改めて、あの時の気球の中での質問を問い直そう。貴様は、ΛuciferのVocalなのか、Guitarなのか、Bassなのか、Drumsなのか、どれなのだ?」

 正確に言えば、ΛuciferにはGuitarは二人いるのだが、それはここでは大きな問題ではない。なお、この「悪魔」が地球上においてΛuciferのメンバーとの間で交流があったのかは不明だが、ΛuciferのVは「彼のバンド」のトリビュートアルバムに参加しているし、ΛuciferのGの片割れと「彼のバンド」のB(2代目)は同じステージで共演したこともある。
 なお、この時点においてもランスはまだ(当然のことながら)この悪魔が何を言わんとしているのかが、さっぱり理解出来ていない。

「我は……、まだ、修行中の身!」
「ふむ……、まぁ、いい。どちらにしても、Λuciferも 漫画版 アニメ版 実写版 で色々違うからな」

 なお、彼がこの世界に投影された後の時代においては、 続編のアプリゲーム も開発されているらしい。

「本来の吾輩は、相撲軸においても音楽軸においても『愛』を貫く者。しかし、奴は相撲軸においては『愛』の象限に止まったまま、音楽軸においてのみ『憎』の象限へと反転してしまった。分かりやすく言えば『デーモン・オルタ』とでも呼ぶべき存在だ」

 本人は分かりやすく説明したつもりらしいが、この場にいる者達にはさっぱり分からない。

「奴は吾輩の音楽への愛が反転してしまった存在であるが故に、並々ならぬ憎しみを音楽に向けている。どのような経緯でこの世界に現出したのかは分からぬが、音楽に満ち溢れたこの村を目の当たりにして、その憎しみが増幅された結果、その力は魔境そのものを飲み込むほどの存在へと肥大化してしまったらしい」

 つまり、消滅した魔境の混沌核は、現在、その「デーモン・オルタ」なるものの体内に吸収されているのだという。

「行方不明となってしまった者達がどうなっているのかは分からん。分からんが、このまま放っておく訳にもいかんだろう。奴は確かに強力な力を持っているが、奴を止める方法が吾輩にはある。故に、まずは奴がいると思われるその『森』に向かうことにする」

 そう言って、改めてその場から出て行こうとするデーモンに対して、ジークは再び問いかける。

「魔境そのものの力を身に宿している、その『デーモン・オルタ』に対して、あなたはどんな力を持っているのですか?」
「それは、吾輩の歌の力だ」
「歌の力……? オラニエさんは、魔法師ですよね?」
「今はこの少年の身体を借りているが、吾輩はもともと、何百年も前に『漂流図書館』と呼ばれる異空間からエルマの村に持ち帰られた『音楽を発生させる投影装備』を媒介として、『魂』だけの状態でこの世界に投影された存在なのだ」

 「魂」だけが本来の肉体と切り離される形で投影されるということは、確かにこのアトラタンにおいては稀に発生する事例である。その場合、「異界人の魂を宿したアトラタン人」として誕生することもあるが(グランクレスト異聞録3参照)、この悪魔の場合は「自分と縁のある投影装備」に取り憑いた霊的存在として投影されることになったらしい。

「この少年は村の倉庫の中からその装置を発見し、その使い方を自力で解明し、そこから発せられる吾輩の音楽の魅力をすぐに理解した。おそらく、吾輩と魂の波長があったのだろう。故に、吾輩はこの少年の同意を得た上で、彼の身体に憑依させてもらうことにした。彼のおかげで、この世界の混沌なるものについても概ね理解している。なお、時折、吾輩がこのような形でこの少年の身体を完全に乗っ取らせてもらうことはあるが、この間は少年の意識はない。『身体を乗っ取られていた』ということだけは自覚しているようだがな」

 その話を聞いて、アドはようやく合点がいく。つまり、彼が夜中に目撃した「美声を弾かせていたオラニエ」は、この悪魔が憑依した状態だった、ということなのだろう。

(あれ? だとしたら、俺、めっちゃ役得じゃね? 閣下の生歌をあんな間近で聴けたなんて!)

 とりあえずは「オラニエ」と「悪魔」が完全に別人格だと分かった上で、「この悪魔」が人間に対して好意的であることが分かったことで、アドの中での先刻までの恐怖感はどこかに吹き飛び、今はむしろ「本物」に会えたことへの喜びの方が上回っていた。
 そんな能天気な(元)先輩とは対照的に、ジークはあくまでも冷静な様子で申し出る。

「事情は分かりました。私も、この身に聖印を宿している君主です。混沌を浄化するのが君主の役目です。あなたが行くのであれば、私も連れて行って下さい。きっとお役に立てます」
「そうだな。だが、奴は魔境そのものを取り込むほどの混沌の持ち主である以上、敵は奴一人とは限らぬ。その混沌から新たな眷属を生み出している可能性もあるだろう。既にこの村の主力部隊が森へと向かっているのなら、その間に、眷属達がこの村を襲う可能性もある。この村には、まだ音楽に関わる者達はいるのだろう? ならば、この村に残って領民を守る者も必要だ」

 そこまで言ったところで、悪魔(を宿した人間)は再び堕天使(自称)に視線を向ける。

「さて、Λuciferの転生体よ」
「うむ。なんだ?」

 心なしか、そう呼ばれて少し嬉しそうな様子で堕天使(自称)は答える。

「貴様はどうする?」
「我は、この世から邪悪を消すことが目的である。ならばやることは一つ。貴様のオルタとやらを潰すのみであろう。さぁ、行くぞ」

 堕天使(自称)はそう言い放つと、窓を破って外へと飛び出す。

「ローちゃぁぁぁぁぁん」

 外で待っていたトロールは、飛び出して来た堕天使(自称)を肩に乗せ、そのまま森へと向けて歩み始めた。

「気が早い奴だな。では、悪魔と堕天使が留守にしている間、この地は死神殿に任せることにしようか?」

 悪魔(を宿した人間)にそう言われた死神(他称)は、強い決意を込めた表情で頷く。

「はい。もともとこの会場の警備を任されて配置された者です。その務めくらいは果たしてみせましょう」

 一方、バリー達はまだ今のこの状況に対して、まだどこか夢見心地なほどの興奮状態に陥っていたのだが、そんな「元師匠」に対して、悪魔(を宿した人間)と共に森に行こうとしていたジークは言い放つ。

「この村の安全は、師匠に任せます!」

 その一言で、ようやくバリーも正気に返り、「引率者」としての顔に戻る。

「あ、あぁ、分かった。とりあえず、村全体に何か異変が起きていないか、気球に乗って上空から確認することにしよう。トレミー、お前も一緒に来い」
「分かりました」

 気球は一人でも動かせるが、もし上空に敵が出現した場合、バリーが迎撃に専念するためには、気球の制御を担当する人員が必要になるためである。

「アド、お前は地上に残れ。私が上空から魔法杖を通じて指示を出すから、それを『死神のお嬢さん』に伝えるんだ」
「バリーさん……、俺もジークと一緒に、閣下について行っちゃダメですか?」

 アドとしては、悪魔(を宿した人間)が「歌の力」を使う場面に立ち会いたいらしい。

「気持ちは分かるが、お前は『目の前で閣下が歌っている状態』で、その歌声に聞き入らずに戦いに専念出来る自信はあるか?」
「…………無いっスね」
「そうだろう。私も同じだ。だからこそ、我々はここで留守番なのだ」
「分かりました……」

 アドが渋々そう答えたのを確認したバリーとトレミーが、気球を動かすために外に出ようとしたところで、マルグレーテが梟のヴィクトリアを肩に乗せた状態で声をかける。

「魔法師だけだと、危ないでしょ。私も一緒に行くわ」
「おぉ、梟姫殿、これはありがたい! しかし、その……、ミネルバ殿は大丈夫なのか?」

 そう言われたマルグレーテが後ろを振り向くと、ミネルバも彼女について行こうとしている。

「あ、えーっと……、ちょっと待って。さすがに今回はあなたを一緒に連れて行く訳には……」
「私も戦えるよ! というか、戦ってみたいし!」

 ミネルバは確かに既に「殺戮者」としての聖印の使い方をある程度までは修得している。しかし、まだ実戦経験はないし、肉体的にも幼すぎて、もし何者かの急襲を受けた場合、一撃で大怪我を負う可能性が高いだろう。もし梟に彼女を同乗させた場合、マルグレーテ一人では庇い切れる自信はない。

「ミネルバ様、ならば私達と一緒に、地上で村の人々をお救いしましょう。敵はどこから現れるか分かりません。地上の守りも重要です」

 後方からそう言いながら現れたのは、ヒルダである。そう言われたミネルバは、納得したような表情を浮かべて、足を止める。

「私は戦闘は不得手ですが、いざとなったら次元断層を作り出して敵の攻撃を遮断するくらいのことは出来ます。ミネルバ様のことは私にお任せ下さい、梟姫様」
「……ありがとう、助かるわ!」

 こうして、バリー、トレミー、マルグレーテの三人が上空へと向かい、ティリィ、メア、アド、ヒルダ、ミネルバが地上に残って周囲の警戒に当たる、という布陣が整った(もし、「産婦」やその「娘」にまで危険が及ぶほどの危険な事態になった場合は、きっと「もう一人の邪紋使い」も参戦してくれるだろう)。
 そんな中、この会場内でただ一人、「何の力も持たない人間」であるフィオナの内心では、一つの「迷い」が生じていた。

(今、私がこの場でどなたかから「聖印」を少しでも分けて頂くことが出来れば、お力になることが出来るかもしれない……)

 実はフィオナは、過去にジンから聖印を一時的に借り受けた上で「君主」としてその力を振るう訓練を受けていた。その時点で正式な従属君主とはせずに、あくまでも彼女を「一般人」の状態のままにしておいたジンの真意は不明だが、いざという時に聖印を借りて戦えるだけの覚悟は、実は彼女の中では定まっていたのである。

(でも、今の時点で私が中途半端に聖印をお借りしても、かえって足手まといになるだけかもしれない……)

 彼女の中ではそんな想いもあり、結局、この時点で自分から「その道」を提示することは自粛することにした。そもそも名門貴族の令嬢として、たとえ一時的とはいえ、その場の勢いだけで誰かの従属君主になるということ自体を「はしたない、不名誉な行為」と考える者もいる。それでも、結果的にそれで自分が周囲の人々を少しでも多く守れるのであれば、フィオナは自身の名誉をかなぐり捨ててでも聖印の力を求めたであろうが、そこまでの確信が彼女の中では持てなかった。それに、ここでジーク達に「聖印の力を貸して欲しい」と頼むことは「君主としての彼等の力量を信用していない」と受け取られる可能性もある。それはフィオナとしても本意では無い。

「気をつけて行って下さいね」

 フィオナは内心の葛藤を押し隠しながら、ジークに対してそう告げる。

「ありがとう。姫も、くれぐれも危険に身を晒さないように」
「はい。私には、皆さんの帰りを待つことしか出来ませんから」

 彼女は「君主としてのジーク」の力量を信じて、彼を笑顔で送り出した。そしてジークと悪魔(を宿した人間)が外に出ると、そこには、既に森に向かったと思われていたトロールに乗った堕天使(自称)が立ち止まっていた。

「何をしておる、早く行くぞ!」

 ランスがそう言うと、再びトロールが森へと向かって歩み始める。どうやら彼の中では「一番乗りしたい」という気持ちと「一人で行くのは怖い」という気持ちが共存しているらしい。

「待ってくれ、山と海を統べる者殿!」

 ジークがそう言って後を追うと、ランスは程良くトロールの歩幅を彼等に合わせながら、三人は森の奥地へと向かって行くのであった。

3.7. 霧の立ち込む森の奥深く

 ジーク達に先行する形で森の奥地へと入り込んでいたレイン達は、やがて不自然に広がった夜霧に隠された『本来は存在しなかった筈の館』を発見する。二階建てで、ところどころに窓のようなものは存在するが、外から中は見えない。それが「中に明かりが灯っていないから」なのか、「特殊な(黒塗り?)加工が窓に施されているから」なのかは不明である。

「これは何かしら?」

 この地の領主であるレインがそう呟いた時点で、明らかにこれが「不審な建物」であることは分かる。

「『森』の中に存在する『館』である以上、私の予言の条件とはおおよそ合ってます。中に『悪魔』や『人形』がいるかどうかは分かりませんが、少なくとも『危険』という言葉が出ているので……」

 スュクルがそう言って皆に警戒を促そうとしたところで、マリベルが一歩踏み出して、自らその扉を開けようとする。当然、慌ててスュクルはそれを止めようとするが、彼よりも先にまず、アマルがマリベルの前に立ちはだかった。

「お客人に行かせる訳にはいかない。ここは俺が」

 そう言って彼が扉に手をかける。立場上、これは確かに彼の役目だろうと判断したスュクルは、もし館の中から何らかの「変異律」が発生した場合に備えて、混沌を緊急発散させるための準備を整えた。
 アマルがその扉を開けると、中には明かりが灯っており、やや不気味な装飾の施された玄関広間が彼等の眼前に広がる。建物の様式は、この世界における一般的な「領主や豪商などの住む館」に似ているが、ところどころに「まるで生きた人間の如く精巧な蝋人形」が立っている。
 そして、その玄関広間の奥から、一人の男が現れる。それはレインの夢の中に登場した「黒い鎧の男」と背格好のよく似た「薬で漂白したかのごとく真っ白な肌で、両目の周囲だけが赤く縁取られた男」であった。
 スュクルは反射的に魔法杖を突きつけた上で、大声で叫ぶ。

「そこの奇怪な姿をした者、何者か!?」
「吾輩は、貴様ら人間の言葉で言うところの『悪魔』というものだ。せっかく我が館に来てくれたのだ。歓迎しようではないか」

 不気味なオーラを漂わせながら、その男はそう言ってアマルに向けて手を翳すと、アマルの身体は一瞬にして硬直し、周囲に並ぶ「蝋人形」と同じような形状となる。

「アマル!」

 レインのその叫び声に対して、アマルは全く反応しない。どうやら、何らかの特殊な力で「人形」とされてしまったようである。

「貴様、よくもアマルを!」

 ラーテンが殺気立ちながらそう叫ぶ一方で、マリベルは事態を把握出来ないまま、声を震わせながら問いかける。

「あ、あんた、その人に何をしたの?」
「せっかくの来客だ。『我が館の住人』となってもらっただけのこと。さぁ小娘、お前も……」

 男が張りのある声でそう言いかけたところで、ドスンドスンという「巨大な何か」の足音が館の底から聞こえてくる。

「む、この気配は……、やはり、もう『一人の吾輩』も、この世界に迷い込んでいたようだな」

 その呟きの意味を誰も理解出来ぬまま、やがてその足音がより大きくなり、そして、それが止まったと思った次の瞬間、突如としてこの「蝋人形の館」に巨大な衝撃が加わり、玄関部分の壁や天井が(二階がごと)破壊され、そして月光に照らされるように「リボンを付けたトロール」の姿が現れる。
 レイン達が崩れ落ちる天井の破片を避けながら走り回る中、そのトロールの足元にはランスとジーク、そして「デーモン・ハイデルベルグ」の姿があった(なお、彼の衣服はオラニエが着ていたエーラム制服のままである)。

「同じ顔!?」

 ラーテンは「デーモン」と「蝋人形の館の主」を見比べて、そう叫ぶ。厳密に言えば、前者は顔そのものはオラニエの状態のまま化粧だけを変えたような状態なのだが、その「化粧」の印象が強すぎて、夜の暗がりの中では「同じ顔」に見えたのである。そしてデーモンは、目の前にいる「本来の自分の顔」を持つ男に対して、憐憫と侮蔑の視線を送る。

「哀れなる我が現し身よ、貴様のような災厄を生み出してしまったのも、吾輩の音楽への愛の強さ故か。あるいは、この不条理なる現象こそが吾輩の悪魔としての業なのか。いずれにせよ、歪んだ鏡に映し出された忌々しき虚像の存在を、吾輩は許す訳にはいかぬ」
「やはり、貴様であったか。だが、貴様が来たところで、吾輩の決意は変わらぬ。この村には悪しき音楽が満ちている。悪しき音楽は人々を堕落させる。だから、吾輩はこの世界から、いや全ての世界から音楽を駆逐する。存在して良い音楽は、キミガヨだけだ」

 二人の「悪魔」がそんな会話を交わす中、当然、何の説明も聞いていない「先行組」は何を言っているのか全く理解出来ない。

「キミガ……ヨ?」

 ラーテンは首をかしげる。それは「相撲を愛する者」にとって特殊な意味を持つ歌なのだが、そのことを知る者はこの世界にはほぼ存在しないだろう。

(音楽に「良し悪し」などあるのだろうか?)

 スュクルも当然困惑する。なお、もし彼のこの疑問への答えを求めようとした場合、これはこれで世界を二分するほどの大論争が繰り広げられることになるだろう。

「何を言ってるの、あなたは! 音楽は、人の心を豊かにするものよ! それを無くすなんて、許せないわ!」

 レインは当然の如くそう叫ぶ。この男(および、後から現れた「この男と同じ顔をした男」)が何者であろうと、この世界から音楽を無くすと言われたら、黙っている訳にはいかない。
 だが、そんな彼女の主張など意に介さぬまま「音楽を憎んでいる方の悪魔」は、この空間に漂う混沌と自身の魂を共鳴させることで、空間そのものを歪ませ始める。

「せっかくの我が館を壊されてしまった以上、新たなステージへと招待する他あるまいな」

 「音楽を憎む悪魔」がそう呟くと同時に、彼等を収容していた「半壊した館」は消滅し、それと同時に「新たな建物」がこの場に現れ、来訪者達は全員、その新たな建物の中へと封じ込められる。その建物の名は 「両国国技館」 であった。

3.8. 伝説の七人

 突然の出来事に来訪者達が困惑する中、気付くと彼等は巨大な建物の内側にいた。彼等の頭上には(ちょうど「ローちゃん」の頭の少し上くらいの位置に)「屋根」が吊るされ、その四方は階段状になった観客席が取り囲んでいる(この時点では、彼等の足元には何もない)。そして、二階の「貴賓席」と思しき場所に、満足そうな顔で見下ろす悪魔(憎)の姿があった。

「なんだ、ここは!? ブドーカンか!?」 

 かつてマーチ村で遭遇した「異界の建物のオルガノン」の内部と微妙に雰囲気が似ているように思えたスュクルがそう叫ぶと、悪魔(憎)は驚愕の表情を浮かべる。

「貴様、日本武道館を知っているのか!?」

 ちなみに、「地球に降臨していた時代の悪魔」にとっては、 日本武道館 両国国技館 も、馴染み深い場所である。

「まさか貴様、パンドラか!?」

 スュクルの頭の中では当然、そのような仮説に行き着くことになるのだが、当然、この二人の間では全く会話が噛み合っていない。

「パンドラなるものが何者なのかは知らぬが、吾輩は、吾輩の周りの空間を自由に操ることが出来る。そして本来、この両国国技館こそが、吾輩の聖地」

 悪魔(憎)がそう言い切った上で、両手を広げると、一階のレイン達の周囲に、七つの強力な混沌核が出現し、それぞれが急速に収束していく。

「吾輩が様々な世界を巡って集めた、『伝説の七人の力士』よ、ここに現れよ!」

 その声が響き渡ると同時に、その七つの混沌核は「豪奢な布を腰にまとった、屈強な半裸の男達」の姿へと変わる。それは紛れもなく、レインが夢の中で見た男達と形状が一致していた。そして、どこからともなく「行事呼び出し」の声が響き渡る。


 その呼び出しと共に現れたのは、酒臭い匂いとけだるい雰囲気を漂わせながらも、どこか底知れぬ力を感じさせる風貌の中年男である。おそらく、この場に現れた者達の中で最年長と思われる彼は、独特の不気味な風格を感じさせていた。


 続いて現れたのは、不気味な鬼のような仮面を付けた大男である。呼び出しが終わると同時に彼はその仮面を外し、額に傷のある荒々しい面構えを見せつけた。その体躯は七人の中でも最も巨漢で、圧倒的な威圧感と存在感を見せつける。


 そう呼ばれたのは、ハリマナダに比べて頭一つ以上小柄な青年である。おそらく年齢的にも最年少であろうが、身体中に無数の傷を背負い、炎を纏ったかのようなその鋭い眼光は、他の六人にも負けない鬼気迫るオーラに満ち溢れていた。


 その名を呼ばれると同時に、彼は雄叫びを上げた。身長はオニマルよりは高いものの、体格は最も細身であり、その肉体にはオニマル以上に多くの傷跡が見える。それはまるで、幾多の死線を踏み越えてきた兵士のような出で立ちであった。


 明らかに今までの面々とは趣の異なる名で呼ばれたその男は、七人の中で最も長身で、どこか「人間を超えた生命体」のような気配を感じさせる。また、彼はサメジマとはまた違った意味で「死線を踏み越えてきた男」のようにも見えた。


 七人の中で唯一、ブレトランド風の名を持つその男は、その顔面に(両悪魔ともどこか似た)色鮮やかな縁取りが施され、旅芸人か何かのような容貌にも見えるが、他の者達と比べても全く見劣りしない堂々たる体躯の持ち主でもあった。


 蛙である。その名で呼ばれた男の風貌は、どう見ても「巨大な蛙」であった。他の六人と同じようにその腰に豪奢な布を巻き、胸に大きな傷を持ち、なぜか左手に瓢箪を持ったその「七人目の力士」は、まごうことなき蛙の姿をしていた。

(あの蛙さん、ツバキちゃんにどこか似てるような……)

 レインは、マージャ村に住む「異界の蛙」のことを思い出す(ブレトランド八犬伝6参照)。実際、本来はコウゲイとツバキは「同じ世界」の蛙であり、元の世界では面識もある(ウタカゼ@Y武参照)。ただ、コウゲイはこの世界に召喚される際に、混沌の力によって、なぜか人間と同等の大きさにまで拡大投影されていたのである。
 そして、いずれの男達も、その瞳からは禍々しい気配が漂っており、悪魔(憎)によって魂を支配されているように見える。あるいは、肉体と魂が別物の投影体なのかもしれない。

「ここは吾輩が理想の相撲トーナメンを開催するために作り出した理想郷。この空間の中では吾輩の力は貴様達には止めることは出来ない。故に、貴様等を排除するにはこやつらの力を借りるまでもないのだが、せっかくこの地まで訪れたのだから、その身で受け止めるがいい。世界で最も高貴で、最も美しく、そして最も気高い、世界最強の格闘技、相撲のしんず……」

 悪魔(憎)がそこまで言いかけたところで、唐突に会場内に 「力強い歌声」 が響き渡る。それはデーモン(愛)の歌声であった。次の瞬間、悪魔(憎)が突然、頭を抱えて苦しみ始める。

「や、やめろ! この音楽は、この音楽はぁぁぁぁ〜!」

 どうやら悪魔(愛)の言っていた通り、この歌声は悪魔(憎)にとっての天敵であるらしい。当然、そんな話など聞かされていないレイン達は困惑するが、ここでレイン、ラーテン、スュクル、マリベル、ジーク、ランス、ローちゃん(仮)の脳裏に、悪魔(愛)の心の声が直接響き渡る。

(吾輩が歌っている間、『奴』は本来の力を発揮出来ない。吾輩が奴に触れて、吾輩の魂を奴に流し込めば、奴の身体を吾輩が乗っ取ることが出来るだろう。ただ、あの七人が邪魔するだろうし、おそらくこの少年の身体は脆い。吾輩を守りながら、あいつらを倒して道を開けろ!)

 レイン達「先行組」にしてみれば、そもそもこの悪魔(愛)が何者なのかも分からない。だが、ジークとランスが「その声」に対して頷いているのを見て、ひとまずここは彼のことを「味方」だと信じることに決めた(彼の肉体がオラニエだということまでは分からなかったが、少なくともエーラム制服を着ていただけでも、味方として認定しやすかったという側面はあるだろう)。
 だが、その次の瞬間、彼等の「足元」に異変が生じた。それまで何も存在しなかったその床の上に、突如として「土俵」が湧き出てきたのである(無論、これが「土俵」だと認識出来る者はレイン達の中には誰もいない)。そして、それまで固まって存在していた彼等のうち、レイン、マリベル、ローちゃんの三人はその土俵から弾き出されてしまう。どうやら、この土俵には「女人禁制」の呪いが掛けられているらしい。

「さぁ、力士達よ、奴らを叩き潰せ!」

 分断されてしまったレイン達は、各個撃破されそうな危機に陥るが、七人の力士達のうち、アラコマ、ハリマナダ、オニマル、サメジマの四人は、困惑した様子で顔を見合わせる。

「いや、さすがに女はなぁ……」
「殴れる訳ないわい」
「ありえんわ」
「冗談じゃねぇ」

 どうやらまだ彼等の中にはかすかに「大相撲力士」としての本能が残っていたらしい。一方、残りの三人は異なる様相を見せる。

「オレは、女超人が相手でも容赦はしない」
「Street Fighterとして、婦警や女軍人が相手でも戦うでごわす」
「女のウタカゼと相撲を取ったこともあるゲコ」

 この三人の中では、アラコマ達とはまた別の相撲道があるらしい。最初から意見が合わない様子の七人を貴賓席から睨みつつ、悪魔(憎)は頭痛に苦しみながらも叫ぶ。

「ま、まぁ、いい。どちらにしても、この土俵の中には女性は入れぬ! ならばその間に、まずは土俵上の四人を……」
「女の子だからと言って、差別するのか!?」

 話の腰を折るようにランスが口を挟む。「幸福と平等」を掲げるランスとしては、それは許せないことらしい。

「『山と海を統べる者』よ、ここは再び混沌濃度を……」

 スュクルがそう囁くと、ランスは彼と共にこの場の混沌濃度を上げる。その間にレインは聖印を掲げて光をその身に浴び、そしてラーテンはその身を空中に浮かせつつ、まずは手前にいたサメジマを標的に定めた上で、彼の身体を静動魔法を用いて空中へと叩き上げ、そのまま地上へと叩きつける。だが、その激しい衝撃を全身で受けたサメジマは、逆に闘志を燃やし始める。

「……やってくれたな!」

 サメジマはそう叫ぶと、すぐさま己の全身を武器としてラーテンに向かって体当たり(ブチカマシ)をかけるが、その間にジークが割って入って庇い、ラーテンとスュクルが魔法でその衝撃を和らげる。それでも、鎧を着ているジークの体に強く響くほどに、その丸腰の突撃は重く、激しく、凄まじかった。

「魔法のおかげで防げたとはいえ、なんて衝撃だ……」
「チッ、邪魔が入ったか!」

 サメジマはそう吐き捨てるが、彼がこの「土俵」の内側に足を下ろした瞬間、その身体に神々しいほどの光が宿る。どうやら彼等は、土俵の内側に入ることで更にその力を増すらしい。
 スュクルはそのことを察した上で、彼等を土俵に上がる前に撃破すべく、悪魔(憎)と土俵下にいる力士達を巻き込むほどの大規模な雷撃魔法を放つ。だが、ハリマナダが身を以て貴賓席への雷撃を食い止めたことで、悪魔(憎)は無傷に終わる。結果的に他の者達の二倍の雷撃を受けることになったハリマナダは全身に大火傷を負うが、それでも仁王立ちしたまま叫んだ。

「わしは日下開山横綱じゃ! 相手が『雷電』であろうとも負けはせん!」

 その声に勇気付けられるように、電撃で身体が痺れていたオニマル、ウルフマン、コウゲイ、アラコマの四人も、身体の痛みに耐えながら一人ずつ確固たる足取りで「土俵入り」を始める(なお、彼が言うところの「雷電」とは「大関」の方であり、「殿下」の方ではない)。
 一方、ランスは既に手負いのサメジマにとどめを刺そうと、ラミアを召喚してサメジマを体内から破壊しようとするが、その複雑怪奇な攻撃法にもサメジマは耐え切って、未だその土俵上に立ち続ける。彼等力士は鎧を着ていない分、並の人間の数倍の生命力によってその身体を維持しているため、ラミアによる「鎧や盾を無視して身体の内側を蝕む攻撃」は、通常時の戦場ほどには効果を発揮しないのである。
 そして、唯一少し離れた場所にいたためスュクルの雷撃を受けずに済んだエドモンドは、空中に浮いた状態のラーテンに対して、そのラーテンのお株を奪うかのように重力を無視してその巨体で宙を舞い、そのまま一直線に「頭突き」を仕掛ける。

「ジャンプ中の敵は突撃技で叩き落とすのがセオリーでごわす!」

 だが、それに対してランスが魔法でラーテンを補助したこともあり、ラーテンは空中でギリギリのタイミングでその頭突きを交わす。その結果、エドモンドはそのまま「土俵の反対側」にいたマリベルとトロールの近くの観客席へと突き刺さった。その直後、彼はマリベルの長剣とトロールの剛拳による連続攻撃を受けることになるが、世界中のSreet fighter達と戦い続けた歴戦の勇士は、そう易々とは倒れない。

「デーモン殿、私が道を開きます。ついてきて下さい」

 ここでジークはそう言いながら土俵から一歩降りた上で、遂に「殺戮者」としての本領を発揮する。彼は(遠くに飛び去ってしまった)エドモンド以外の全ての敵を相手に、その長剣を乱舞させ、そこに聖印の力を込めることで無数の波状攻撃を仕掛け、更にそれをラーテンが魔法で強化することによって、幾万もの敵軍を瞬時に撃破するほどの神懸かり的な重撃を放つ。その結果、土俵上では既に満身創痍であったサメジマが遂に力尽き、そして悪魔(憎)への斬撃を再び身を呈して庇ったハリマナダもまた、その場に立ち尽くしたまま混沌核を破壊されて消滅する。

「みんな、頑張って〜、私も応援するから〜!」

 レインは悪魔(愛)の歌声に対して、即興で適切なコードを予想しながらギター(型の武器)を奏でつつ、コーラスや合いの手を入れることで、皆の精神力を回復させていく。それは必ずしも調和した合奏とは言えなかったが、両者の魂が混ざり合うことで、一種独特のケミストリーが生まれつつあった。
 そして更に、そこに新たな歌声が加わる。ランスによる魔歌である。彼は決して耳障りの良い歌声の持ち主ではなく、そもそも悪魔(愛)やレインの奏でる旋律や拍子とも全く調和していなかったが、そんなことは一切気にせぬまま、彼はその魔歌を通じて自身の魔力を高めていく。

「うるさいゲコ!」

 コウゲイがそう言ってランスを標的に定めようとするが、彼が動くよりも先に、ラーテンが(おそらくは彼にとっても初めての感触であろう)その蛙の臓器を魔法で握り潰し始める。

「こ、この程度の圧力では、潰れないゲコ……」

 コウゲイはそう言いながら必死の形相で耐え忍ぶが、それに続けて放たれたスュクルの魔法によってとどめを刺され、焼け焦げた蛙のような姿となって消えて行った。
 だが、こうして次々と目の前で仲間が倒されていったことが、友情に厚い男達の闘志に火をつけてしまった。オニマルはコウゲイの遺志を継ぐかの如くランスへと組みかかり、彼のベルトを掴んだ上で足を引っ掛けながら、彼の体を一回転させるように投げ回し、そのまま地面に叩きつける。

「百千夜叉墜!」

 それは、脆弱な少年としての身体しか持たないランスが直撃すれば即死するほどの衝撃であったが、咄嗟にジークが聖印から作り出した防壁と、スュクルによって生み出された次元断層によってその威力は半減され、その上でランスは自らの身体への負荷を従属体であるトロールへと移送させることでどうにか一命を取り留めるものの、放心状態へと陥ってしまう。
 それでもなんとか起き上がろうとするランスに対して、今度はウルフマンが走り寄ってきた。だが、そこで(既に一旦土俵を下りていた)ジークが再び駆け戻り、その身を呈してウルフマンの得意技である「合唱捻り」の餌食となり、土俵へと叩きつけられる。それはジークにとって決して浅くはない痛撃であったが、その結果として、彼の聖印は更に激しく輝き始める。

「こいつ……、『火事場のクソ力』の使い手か!」

 それはウルフマンの元の世界における戦友に備わっていた特殊能力の名であったが、概ねそれとよく似た能力である。ジークの聖印は、自らの身体が危機的状況に陥った時にこそ、真の力を発揮するのである。
 一方、観客席側の戦場では、くしくも「女性相手に本気で戦える力士」の一人であったエドモンドが、目の前の二人に対して、目にも止まらぬ速さの掌底による必殺技「百烈張り手」を繰り出そうとしていた。だが、その瞬間、マリベルがトロールを庇うように彼女の前に立ちはだかり、一身でその張り手を受け止め続ける。

「お、お前! 何を!?」

 驚きのあまりその声を上げたのは、土俵上からその光景を目の当たりにしていたラーテンである。確かにこの時、トロールは先刻のランスが受けた衝撃を肩代わりしていたため、既にその身体は激しく消耗していた。だが、それでもトロールはあくまで「魔法師によって作り出された下僕」であり、トロールが姫騎士を庇うことはあっても、姫騎士がトロールを庇うというのは、常識的にはあり得ない。
 マリベルはその張り手の衝撃を受け切った上で、身体的には限界に達し、その場に膝をつく。だが、その状態で彼女はラーテンに向かって叫び返した。

「丸腰の女の子を、放っておく訳にはいかないじゃない!」

 彼女にとっては、あくまでも「ローちゃん」は(その肉体そのものが武器であると同時に防具でもあると言っても良いほどの頑健な存在なのだが)あくまで「丸腰の女の子」らしい。その心意気に打たれたローちゃんは、エドモンドに対して鬼神の如く暴れまわり、遂にはエドモンドもその場に倒れ、そのまま消滅していった。
 一方、ここまで酔いどれた表情で様子を伺うように周囲を観察していたアラコマは、ジークの後に続いて悪魔(憎)の元へと向かおうとする悪魔(愛)の動きを見逃さなかった。

「どうやら、お前が大将らしいな!」

 アラコマはあえて土俵から下りた上で、土俵下にいた悪魔(愛)、ジーク、レインの三人を相手に大立ち回りを始める(この時点で彼は既に狂乱状態となっており、自らの剛腕が女性のレインをも巻き込んでいることに気付けていなかった)。一見、千鳥足のように見えるその不規則な動きからの連続攻撃に対して、ジークは懸命に悪魔(愛)を庇いつつ耐え忍び、レインもまたラーテンとスュクルによる魔法の庇護を受けつつ、自らの聖印によって作り出した防壁によって、どうにか倒れずに踏みとどまる。
 その間にも魔歌を歌い続けていたランスは、遂に自らの魔力が最高潮に高まったことを確認した上で、ラミアによる攻撃を貴賓席の悪魔(憎)に向けて放ち、(もはや庇える力士が近くにいなかったため)大打撃を与える。そして、その間に悪魔(愛)は二階の貴賓席へと駆け上り、自らの「ゆがんだ分身」である「悪魔(憎)」に手を触れる。次の瞬間、二人の間で「何か」が発生した。

「ぐぁぁぁぁ」

 悪魔(憎)はその身体を硬直させたまま、苦しみ始めた。どうやら、「悪魔(愛)の魂」が「悪魔(憎)の身体」の中に入り込もうとしているらしい。
 その間に、レインはギター(型の武器)での演奏を続けつつ、その刃の部分でアラコマに向かって斬りかかって深手を負わせ、そこに更にスュクルが魔法攻撃を仕掛ける。これに対し、アラコマはギリギリのところで避けようとするが、その足元を妨害魔法によって掬われたことで避けきれず、そして既に極大混沌級にまで高められていたこの空間の混沌の力によって増幅されたその魔法は、アラコマの生命力を奪いきり、彼もまたその身体を消失させていく。
 こうして、土俵下の敵が一掃されていく中、土俵上ではオニマルがラーテンの静動魔法によって土俵に叩きつけられていたが、それでも彼はまだ闘志を失わない。

「さぁ、そろそろ決着つけるか! ……と言いたいところじゃが、今のワシにも、守らねばならんものがあるからのう」

 オニマルはそう呟きつつ、悪魔(憎)を救うために土俵を下りて、貴賓席へと走って駆けあがって行き、ウルフマンも彼に続く。やはりこの二人にとっては仲間(?)の危機を救うことの方が、敵を倒すことよりも優先順位が高いらしい。
 だが、そんな二人に対して、ジークが再び「殺戮者」としての奥義を発現させて斬りかかったことで、オニマルも階段の途中で力尽き、かろうじてそれを耐え切ったウルフマンも、追い討ちをかけるように振り下ろされたレインの刃によって息の根を止められる。

「ここまでか……、だが、オレは必ずまた超人墓場から……!」

 その断末魔の叫びを言い終えることも出来ぬまま、彼は混沌の塵となってこの世界から消滅していった。

3.9. 狂王の裁定

 こうして「伝説の七人の力士」が消滅した後、彼等の残した混沌の残滓をレインとジークが吸収する中、二人の「悪魔」はまだ接触した状態のまま、悪魔(憎)が苦しみ続ける状況が続いていた。
 その間にジークが皆に「ここに至るまでの事情」を説明していると、やがて悪魔(愛)の表情が、徐々に「オラニエ」の状態へと近付きつつあることに皆が気付く。そのまま皆が見守る中、彼が完全に「オラニエ」の姿に戻ると同時に、その「オラニエ」は気を失い、一方で「悪魔(憎)」だった存在は、徐々にその表情から毒気が抜けていき、やがて穏やかな表情を浮かべながら、レイン達に向かって語りかける。

「ようやく、吾輩の本来の体を取り戻した。貴様らのおかげだ。感謝する」

 この間にジークから聞かされた情報に基づいた上で、レインは問いかける。

「あなたは『音楽を愛する方の悪魔』?」
「あぁ、その通りだ」

 どうやら、今まで「オラニエの身体に取り憑いていた『音楽を愛する悪魔』」が、「実体としてこの世界に投影されていた『音楽を憎む悪魔』」の魂を消滅させ、その身体の支配権を手に入れたらしい。彼は、気を失って倒れたオラニエを抱え上げながら語り続ける。

「特にこの少年には本当に助けられた。それに加えて貴様等の死を恐れぬ戦いぶり、まったくもって感服した次第。貴様がこの地の領主か?」
「えぇ、そうよ」
「まさに貴様こそ、Crazy Lord(狂王)の名にふさわしい。そして、この地こそが音楽のEl Drado(黄金郷)となるであろう。ところで……」

 ここで悪魔(完全体)は表情をやや強張らせながら、そのまま語り続ける。

「……この少年を通じて、エーラムのことを色々と学んだが、吾輩はこの世界では『危険な存在』らしいな。魔境そのものの混沌核が吾輩の中にある。さぁ、どうする? Crazy Lordよ。この世界のために、ここで吾輩と雌雄を決するか?」
「あなたには、音楽を愛する心があるんでしょう? なら、大丈夫。あなたは私のお友達よ。同じ音楽を愛する者同士、歓迎するわ」
「分かった。ならばその言葉を信じよう。他の者達も、それで良いのか?」

 そう言いながら彼は「エーラムの魔法師達」に視線を向ける。

「我が化身の友人である以上、我は仲間を傷つけることはせぬ」

 ランスはそう答えた。彼が言うところの「我が化身」というのが誰を指しているのかは定かではないが、ともあれ彼は悪魔(完全体)のことを「仲間」と認識しているらしい。その答えに満足した悪魔(完全体)は満足そうな表情を浮かべる。

「貴様も早く、『本来の力』を取り戻せると良いな」
「う、うむ。そ、そうだな……」

 これ以上「その話」を広げるとまたボロが出ると思ったのか、ランスはそれ以上は何も言わなかった。そして、ラーテンはもともとこういった問題に対しては柔軟な思考の持ち主であり、盟友であるレインが認めた以上、特に彼女の判断に異論を挟むつもりはない。
 問題は、スュクルである。彼は「強大な混沌の制御の失敗」というトラウマがあるため、「強大な投影体」を野放しにしておくことに対しては、本音としては容認し難い。

(祓うべき存在であることは間違いないのだが……)

 とはいえ、この地の領主であるレインが「認める」と言ったことに対して、立場上、声高に反論するのも望ましくない。なんとかそれでも彼女を翻意させる方法はないかと、必死で言葉を選びながら提言する。

「『彼の音楽の志を受け継ぐために、あなたが彼を浄化する』という訳にはいきませんか?」

 だが、それに対してレインは首を横に振った。

「『今』はまだ、その時じゃないわ」

 レインとしても、もしこの「悪魔(完全体)」が人々にとって危険な存在であると判断したら、その時は自らの手で浄化する覚悟は出来ている。実際、これまでも彼女は、平和主義者を自称しつつも「明確に人間の敵となった投影体」に対しては、容赦せずに浄化を続けている。その彼女が、今の時点でそのような裁定を下した以上、スュクルとしてもこれ以上は何も言えない。
 こうして、マージャ村にまた一人、「(強大な魔境の混沌核をその身に宿した)ゆかいな仲間」が加わることになったのである。

4.1. 狂王と悪魔の凱旋

 その後、悪魔(完全体)は両国国技館をひとまず消滅させた上で、放置されていた(アマルを初めとする)「蝋人形化した人々」も「人間」の状態へと戻し、レイン達と共にマージャ村へと帰還することになった。
 捕まっていた人々の大半は音楽関係者で、彼等の「音楽への愛」が悪魔(憎)の憎悪の対象となり、謎の力で森の奥へと誘導された上で、館の中に蝋人形として閉じ込められていたらしい。彼等は村に着いた時点でそれぞれの家や宿へと送られ、そしてレイン達は「悪魔(完全体)」を連れた状態で、堂々と領主の館へと凱旋する。その上で、その悪魔本人が、事の顛末を「留守番組」に対して説明する。

「……ということで、『この世界に仇なそうとする吾輩』は、『吾輩』がこの手で消し去った」

 その説明を聞いて、皆、「分かったような分からないような顔」を浮かべていたが、大半の者達は「そういうこともあるのだろう」と自分に言い聞かせて、納得することにした。

「吾輩は、もう二度と吾輩の音楽の心を失わないために、まず仲間を集めなければならない。そのためにはまずエースとルークと……、あ、いや、ここはジェイルの方がいいか?」

 なお、カレ村の隣村の領主の名前は「エース」であり、ティリィの盟友でもあるラピス村の領主の名前は「ルーク」なのだが、おそらくは欠片も関係ない。
 こうして、ようやく「事件」を一通り解決した彼等は、改めて「本来の本題」である「契約相手探し」の話題へと戻ろうとする。ここで、スュクルが皆に対して提案した。

「とりあえず、君主と魔法師、それぞれの間で、一度、意思確認をしませんか?」

 「指名」が競合することで険悪な雰囲気にならないよう、事前に裏で調整しておいた方が良いだろう、というのが彼の判断である。こうして、このアントリアの地においても(ランスにしてみれば三度目の)「事前方針調整会」が開かれることになった(一方で、この間に「悪魔」は、宴会場の場に残った上で、アマル、メア、ティリィの三人から、「この村で生きていくために必要なこと」について学ぶことにした)。

4.2. 迷える君主達

 「君主部屋」に該当者が集まったところで、最初に口を開いたのはフィオナである。

「先程も申し上げました通り、私はまだ聖印を受け取っている身でもありませんので、今の時点で口を挟むつもりはございません」

 その意思を確認した上で、この場に集まった五人の君主は、なかなか自分の考えを言い出せずにいた。というのも、まだこの時点で誰も「本命」を絞り切れていなかったのである。

「私は候補が二人いて、どちらにしようか悩んでる」

 マリベルが言いにくそうにそう告げると、ジークとマルグレーテも頷いた。

「実は私も、招き入れたい人物が二人いて、悩んでいるんだ」
「奇遇ね、私もよ」

 そんな「微妙な空気」が流れる中、レインが「根本的な疑問」を今更ながらに口にする。

「ねぇ、『一人』じゃないとダメなの?」

 彼女としては、自分の村に来たいと言ってくれる人が複数人いるなら、何人でも迎え入れたいというのが本音である。それに対しては、(ミネルバの保護者としてこの場にも同席している)スュクルが「魔法師協会」としての一般的な見解を述べる。

「それが可能かどうかは、君主の方の聖印の規模の問題になります」

 聖印の規模が男爵級にまで発展すれば、一人で複数の魔法師を雇い入れることも珍しくはない。そして、実は今のレインの聖印は、この地に就任して以来、数多くの魔物達を倒してきたこともあり、既に男爵級と言って良いほどの聖印を手にしているのだが、今のところ彼女はそのことをエーラムには報告しておらず、正式な男爵位を授与されてはいない。
 この背景には、今の彼女を取り巻く複雑な状況が関係している。彼女は正式には白狼騎士団の所属である以上、その軍籍はあくまでノルドであり、本来はアントリア領である筈のマージャの領主を務めているのは、本来は「仮の人事」でしかなかった。しかし、「音楽の村」としてここまで発展した今のマージャにおいて、彼女以外の領主はもはや考えられない。
 だが、もし今の段階でレインが正式に男爵位を獲得した場合、軍事国家ノルドとしては、そこまでの聖印の持ち主をこの「何の戦略的価値もない村」に留めておくことに対して、いずれ必ず疑念を抱くようになるだろう。ましてや魔境が消滅した今となっては、「男爵級聖印」の持ち主をこのような辺境の村で遊ばせておくことを了承してくれるとは思えない。だからこそ、今のレインの立場としては「いくらでも代わりの効く、ただの平凡な騎士」として扱ってもらわなければ困るのである。少なくとも、今のマージャを捨てて本国に帰参させられることは、レインにとって本意ではない。
 再び重い沈黙が広がる中、このままでは埒があかないと判断したマリベルは、思い切って自分の中の「迷い」をそのまま皆に伝えることにした。

「私は今回の事件を通じて、二人に借りが出来た。一人は、暴走しかけた私を止めてくれたラーテン。そしてもう一人は、私に代わってあの半裸の投影体を倒してくれた『ローちゃん』の召喚主である、山と海と大地の少年」

 マリベルとしては、その二人のどちらにすべきかで迷っているらしい。なお、「呼び名」自体もよく覚えていないことからも分かる通り、彼女が実質的に恩義を感じているのは「ラーテンとローちゃん」であり、ランス本人ではない(実際、この村への帰路においても、マリベルはすっかりローちゃんと意気投合した状態であった)。

「では、mademoiselle マルグレーテ、あなたは?」

 スュクルにそう言われた梟姫も、少し迷いながら本音を語り始める。

「私も、あのラーテンは悪くないと思っているわ。昼間の森での戦いの時も活躍していたし、空も飛べるのであれば、『私の戦場』にもついて来れそうだしね」

 実際にラーテンが両国国技館内において浮遊状態で戦っていたということも、彼女はスュクルからの報告を通じて確認していた(一方、先刻の宴の際に表明していた通り、彼女は「昼間の森の戦いでラーテン以上に活躍し、ラーテン以上に確実に空が飛べる召喚魔法師」のことは、既に候補から外して考えていた)。

「それと同じくらい、時空魔法師としてのヒルダも悪くない気がする。戦いは苦手と言ってたけど、今の私にはむしろ、彼女のような冷静かつ誠実な補佐官の方が望ましいのかもしれない。もっとも、今のクワイエットに時空魔法師が二人必要か? という問題はあるけど……」

 マルグレーテがそう言いながらスュクルに視線を向けると、彼は淡々と個人的見解を述べる。

「彼女が『答え』を出せたのであれば、きっと私を凌ぐ魔法師となれるでしょう」

 その上で、彼は手元のメモを確認しながら話を進める。

「では、mademoiselle マリベルは『ラーテン・ストラトス』もしくは『山と海を統べる者』をご希望で、mademoiselle マルグレーテは『ラーテン・ストラトス』もしくは『ヒルダ・ピアロザ』を御希望、ということでよろしいですね。mademoiselle レイン、あなたは?」
「ん? うーん、そうねぇ……、私、一人を選べと言われても、選べないのよ……」

 レインの本音としては「全員まとめて来てほしい」としか言えない。それが不可能なら、せめて周囲の希望を確認した上で方針を決めたい、というのが本音であった。
 一方、ここまでの話を聞いた上で、ジークが自分の中での方針を定める。

「私は、オラニエ・ハイデルベルグを雇いたいと思います。彼は、おそらく最初は正体不明であったであろう『悪魔』をその身に宿すほどの勇敢さがあり、また、私は彼の勤勉さもエーラム時代に目にしています。彼ならばきっと、カレ村を仕切るに値する人物だと判断しました」

 そう、実はジークの中でも、かすかにオラニエの学生時代の記憶は残っていたのである。少なくとも錬成魔法科の講義において、自分と同等以上に真摯に魔法習得に打ち込んでいたオラニエのことは、当時からジークの中では好印象だったらしい。
 ちなみに、彼がギリギリまで迷っていた「もう一人の候補者」はランスである。しかし、彼はランスに関しては「契約魔法師」としてではなく、むしろ「戦力」としての「彼が呼び出すトロール」が欲しかった、というのが本音であり、それならば別に契約魔法師としての枠を費やしてまで招かなくても、別の方法で(現在逗留中のヴィクトール達のように)招聘すれば良いのではないか、ということに気付いたのである(もっとも、それはランスがどこに就職するかにもよるのであるが)。
 その上で、スュクルは残ったミネルバに問いかける。

「お嬢様は?」
「私も正直、よく分からなくなっちゃった。皆それぞれ面白くて……、一人に絞るのって、難しいよね」
「そうよね〜、難しいよね〜」

 レインが横からそう言って口を挟むのを聞き流しつつ、スュクルは話を進める。 

「では、レイン様とお嬢様は、この場では『保留』ということにしておきますか」

 そもそも、この宴会の場はあくまでも「本番の魔法師斡旋会」の前段階であり、今の時点で全員が決めてしまう必要はない。まだこの後、もう一人の「酔いどれ教員」が連れてくる魔法師達もいる以上、今の時点で無理に決める必要はなかった。
 なお、スュクルの中では、当初の時点でミネルバが最も興味を示していたランスに関しては、二度の戦場での働きぶりを目の当たりにした上で、それなりに将来有望な人材として映っていたのだが、だからこそ、危険が伴う最前線で使い潰してしまう(かもしれない)ことへの抵抗もあり、強く勧めるには至らなかったようである。
 そして、ここまでの皆の話を聞いた上で、マリベルとマルグレーテもまた「それぞれの第一志望」を一人に定めた上で、あとは魔法師側の判断に委ねる、という方針で決着した。

4.3. 悩める魔法師達

 一方、「魔法師部屋」においては、本来はまとめ役である筈のバリーが、その役割を完全に放棄していたため、全く「調整の場」として機能していなかった。

「いいか、誰がレイン殿に選ばれたとしても、恨みっこなしだぞ」
「本当に大人気ないですよね、バリーさんは……」
「まぁ、仕方ないっスね。まぁ、俺はもう覚悟は決めましたよ。ダメならダメで、諦めて他を探しますわ。まだこの後で『本番』もあるんだし」

 ジュピトリス一門がそんな会話で盛り上がっている中、先刻ようやく目を覚ましたオラニエは、浮かない顔で部屋の隅に佇んでいた。

「君はどうなんだい、オラニエ君? 君も『音楽を愛する者』として、この村の契約魔法師の座を狙っているんじゃないか、と思ってたんだけど」

 バリーにそう問われた彼は、やや俯き加減に答える。

「確かに、最初は僕もレインさんに興味がありました。でも、正直、今の僕は、今回の騒動の元凶かもしれない身である以上、契約相手を探すどころの立場ではないですし……。もちろん、それでも僕を必要としてくれるところがあれば、どこへでも行くつもりではいますが……」

 今のところ、「デーモン・オルタ」がこの世界に出現した原因は不明だが、確かに一つの可能性として、オラニエがエルマの倉庫で「デーモン」の霊を呼び起こしたことに誘発された、という仮説も成り立ち得るだろう。しかし、「デーモン・オルタ」がこの地に現れた(魔境が消滅した)のは、彼が音楽装置を発見した時点でもなければ、彼がこの地に訪れた時点でもない以上、そこに明確な相関関係があるとは考えにくい。仮にバリーが今回の件をそのまま魔法師協会に報告したとしても、よほど悪意のある伝え方をしない限りは、懲罰対象とはならないだろう。

「むしろ、あなたは功労者でしょう。あなたの中に宿った『悪魔』がいなければ、今回の事件は解決しなかったかもしれないのですから」

 そう呟いたのはヒルダである。彼女は彼女で、自分が今回の件で何一つ貢献出来なかったことで、改めて強い自己嫌悪に陥っていた。戦闘では役に立たないことを自覚している以上、時空魔法師として、その前の時点で出来ることはいくらでもあった筈なのに、異変が起きていたことにすら全く気付けぬまま、先達であるスュクルとの差を完全に見せつけられるだけで終わったことに、少なからず落胆していたのである。
 一方、 ラーテンは今回の宴会の場において、ろくに誰とも話せなかったことを後悔していた。「後輩の世話」のことで頭を悩ませていた上に、途中からは予期せぬ騒動もあって、結局、まともに会話を交わせたのはマリベルくらいだったのである。

(こいつがいなければ、もっと他の君主達の話も聞けたんだがな……)

 恨めしそうな顔でラーテンは「山と海を統べる者」のことを睨んでいたが、彼はそんな視線には一切気付くこともなく、「ローちゃんを助けてくれたマリベル」を契約相手として希望すべきかどうかで迷っていた。

(ローちゃんと彼女は意気投合していたが、彼女が求めているのは『我自身』ではないのだよな……)

 一方で、宴会の席ではミネルバから好感触が得られていた(ように見えた)が、彼女の近くにいた時空魔法師のことが怖くて、あまり積極的に自分から希望する気にはなれない。そうなると、一番妥当なのは、自身の掲げる「幸福と平等」の理論に最も関心を示してくれた(ように見えた)ジークとの契約なのかもしれない……、などと考えを巡らせていた。

4.4. 加熱する争奪戦

 それから程なくして、改めて宴会場に集まった両者は、悪魔や邪紋使い達も見守る中、「希望指名」の機会が設けられることになる。

「では、まず魔法師の方々から、希望される君主がいればお申し出下さい」

 成り行き上、レインやバリーの代わりに司会進行役を務めることになったスュクルは、魔法師側に対してそう告げた。このような場において、最初にどちら側から指名するかについては、明確な慣習も規則もない。形式的には、誰をどこに派遣するかの決定はエーラム側の権利だが、もし君主側からの具体的な指名があれば、その意向を可能な限り尊重する、というのが原則である。
 つまり、どちら側が先に「希望」を伝えるかはその場の仕切り役の意向次第なのだが、スュクルとしては、レインとミネルバが先刻の時点で明確な意思を示していなかったこともあり、まずは魔法師側の様子を伺った方が良い、と判断したらしい。
 これに対し、予想通りに「ジュピトリス一門の三人」がレインを指名する。

「あなたの奏でるギターに合わせて歌い、踊る。そんな日々を待ち焦がれておりました。共にこの街を、世界一の芸術の都へと発展させようではありませんか」
「技術ではバリーさんには負けますけど、センスと情熱なら俺の方が上っス。あと、俺、子供も動物も大好きなんで、きっとこの村のみんなと仲良く出来ると思います」
「僕はこれまで、作曲や振り付けについても色々勉強してきました。あなたが新たな音楽を生み出す上での手助けを、この僕にやらせて下さい」

 そんな三人の申し出を受けて、レインは嬉しさと心苦しさが入り混ざった顔を浮かべる。

「私としては皆に来てほしいんだけど、『上』が許してくれないから……」

 本気で困った様子のレインを目の当たりにした上で、スュクルが後輩に向けて問いかける。

「さて、バリーくん、三人全員を受け入れさせるために、賢人委員会を説得する勇気はありますか?」
「うーん、さすがに難しいだろうな。それに、実はさっき、『もう一人の教員』から連絡が入ってね。『私が着く前に、勝手に決めるんじゃねーぞ』と怒られたところなんだ」

 唐突にそんな裏事情を聞かされたレインは、ひとまずそれを口実に、一旦この場はうやむやにしようと試みる。

「そう、私は主催者だし、音楽祭が終わるまではちょっと……」

 実際、それは彼女の本音でもあるし、紛れもなく正論である。スュクルもそれに対して頷きつつ、先刻からずっと気になっていたことをバリーに問いかける。

「ところで、いい加減にそろそろ聞きたいのですが、その遅刻している『酔いどれ教員』というのは?」
「噂くらいは聞いたことがあると思うが、『裏虹色魔法師』の異名を持つ、カルディナ・カーバイト殿だ」

 その名を聞いた魔法師達の何人かは「あぁ、やっぱり」という顔を浮かべる。エーラムの高等教員としての重要な職務を任されておきながら、堂々と二日酔いで遅参するような人物など、彼女くらいしかいないだろう(ブレトランドの遊興産業・簡易版を参照)。その背後にはバリーの陰謀があったのだが、そもそも出発前日に大酒をあおる行為自体が非常識である。

「あぁ、あの人! 前にもここに来てくれたことがあったのよね!」

 レインがその名を聞いて嬉しそうな表情を浮かべたことに、バリーは内心舌打ちしつつ、粛々と話を続ける。

「彼女はいたくあなたを気に入っておりましてね。やはり、メインディッシュは残しておかないと怒られそうなので、今、この場で結論を出して頂かなくても結構です」

 むしろ、この場でフライングゲットしていてたら相当ヤバかったんじゃないか、という恐怖感から、アドとトレミーは冷や汗をかく。そして、エーラムが誇る最強の「歌舞伎者」と「傾奇者」が同時参戦すると聞いて、ますますマージャへの就職の道が絶望的に思えてきた二人であった。

4.5. 若人達の再出発

 そして、他の魔法師達が動く気配を見せなかったので、ここで今度は「君主側からの希望指名」へと移行する。最初に動いたのは、マリベルであった。彼女が向かった先にいたのは、ラーテンである。

「今回の事件を通じて、あなたには色々助けられたわ。あなたが止めてくれたおかげで、私は二度も助けられた。そしてあなたなら、これから先もきっと、私のことをうまく制御してくれそうな気がする。私はどうしても、目の前で何が起きると、何も考えなしに一人で突っ込んでしまう。だから、あなたに、私の手綱を取ってほしい」

 彼女のその申し出に対して、ラーテンはしばらく黙ったまま、悩んだ顔を浮かべる。その沈黙がマリベルを不安にさせた。

「それとも、誰か他に……」
「いや、一つ訂正するところがある。お前は確かに、何も考えずに突っ込むところがある。でも、俺もそれは同じだ」

 今回は行きがかり上、ラーテンが「止める立場」になったが、本質的には彼もマリベルと同じ「目の前で事件が起きていたら、放っておけない気質」なのである。「歯止め役」としての補佐官を求めるのであれば、自分は適任ではないとラーテンは自覚していた。

「だが、お前が突っ込み、俺も突っ込めば、少なくとも、一人で突っ込むことにはならない」
「そうか、一人で突っ込むよりは、二人で突っ込む方が、勝算は上がるわね!」

 おそらくそれは、彼女が父エルネストから言われていた「一人で勝手に突っ込むな」という問題に対する根本的な解決ではないのだろう。だが、頭ごなしに止めようとする堅物魔法師よりも、同じ視点に立って考えることが出来るラーテンを契約魔法師として迎える方が、今の彼女にとっては、より現実的な打開策ではあるのかもしれない。
 こうして二人が意気投合した様子を確認した上で、スュクルが声をかける。

「お二人が力を合わせて歩んでいくのであれば、 他の者達もより一層強く、お二人を支えていくことになるでしょう。では、他の方々はよろしいですか?」

 ここで、マリベル以外の君主がラーテンとの契約を望むなら、その人物にも交渉の機会は与えられるのだが、マルグレーテは動かなかった。彼女の中では、既に「もう一人の候補」へと希望は絞られていたのである。
 こうして、無事に「1組目の契約」が成立したところで、今度はジークがオラニエの元へと向かう。

「オラニエさん、あなた、私の村で魔法師をしませんか?」
「私、ですか?」

 どうやら全く想定していなかったようで、かなり意外そうな顔を浮かべる。

「えぇ。あなたが独特の才覚を持っていることは先程デーモン殿から聞かせてもらいましたし、それ以前から私は、エーラムに学籍を置いていた頃から、あなたの勤勉さは知っていました。そんなあなたになら、安心して私の村を政治を託すことが出来ます」

 オラニエから見ればジークは年下ではあるが、魔法大学時代の実力は自分よりも遥かに格上だと思っていた。そんなジークが、当時から自分のことを覚えていてくれたこと、その上で、そこまで高く評価してくれてたことは、オラニエの中ではあまりにも光栄な話であった。

「勿体無いお言葉です。どこまでお力になれるかは分かりませんが、この命尽きるまで、お仕えさせて頂きます」
「一緒に頑張りましょう」

 ジークがそう言ったところで、スュクルは周囲を見渡す。どうやらこの二人に対しても、誰も横槍を入れるつもりはないらしい。その間に、オラニエは言いにくそうな顔を浮かべながら、小声でジークに語りかける。

「あの……、一つだけわがままをお願いしたいのですが……、今後、マージャの音楽祭が開かれる時は、参加してもよろしいでしょうか? もちろん、その分、その前後の時期には政務を一生懸命頑張りますので……」
「えぇ。余裕のある時であれば構いません。ただ、私の村は最前線です。それなりに覚悟はして下さいよ」

 そんな言葉を交わす二人に対して、「もう一つの最前線」を預かるスュクルはこう言った。

「我々がすぐに勝利すれば良いだけのことです。期待していますよ、お二人とも」

 こうして「2組目」が誕生したところで、今度はその「もう一つの最前線」に居候する梟姫が、ヒルダに向かって歩き出す。ヒルダもまた、ここで自分が指名されるとは思っていなかったようで、やや戸惑った表情を見せていた。

「あなたもあなたで、色々と大変だったみたいだし、あなたもグリースやヴァレフールに対して、色々とややこしい宿縁があるみたいだけど……」

 マルグレーテは「今の自分に、ここまで言う権利はあるのか?」と一瞬躊躇しながらも、あえて強気に、今の自分の決意を改めて彼女に伝える。

「私と契約してくれるなら、私を選んだことを、決して後悔はさせない。あなたが先代の君主の元では果たせなかったことを、私が果たしてみせる」

 上目遣いにそう言い切った年下の姫騎士に対して、ヒルダは自分の中で込み上げて来る様々な感情を抑えつつ、彼女の前に跪き、深々と頭を下げる。

「私にもう一度、機会を与えてくれてありがとうございます。ただ、これだけはもう一度、言わせて下さい」

 一呼吸置いた上で、今度は自分の方から梟姫を見上げながら、やや潤んだ瞳で(しかし落涙は堪えながら)自分の気持ちを率直に伝える。

「私より先に、死なないで下さい。私はあなたの命を守るために、この魔法を使います。たとえそれが、あなたの覇道を止めることになったとしても。私は私の判断で、あなたを助けるために、私の魔法を使います」

 ヒルダは強い覚悟と決意を胸に秘めたままそう言い切った上で、一瞬スュクルに視線を向けると、彼は(日頃はあまり見せることのない)朗らかな笑みを浮かべる。

「えぇ。お二人の道はお二人で決めることです。その上で、私も、他の者達も、力を貸すことになるでしょう。あなた達の道が正しい道であるならば」

 スュクルは、自分が(主に性格的な意味で)魔法師として「模倣すべきではない先輩」であると自認している。だからこそ、彼女達に道を請われれば答えはするが、出来ることなら、彼女達自身の手で、自分では指し示すことが出来ない「正しい道」を探し出してほしいと考えてた。

4.6. 「本番」に向けて

「では、ミネルバお嬢様とレイン卿はまだしばらく悩むようなので、そちらはまた他の方々が到着してから改めて、ということで」

 司会代行としてのスュクルがそう宣言したことで、ひとまずこの場での「事前斡旋会」は事実上の終幕となった。
 この時点で、スュクルは自分一人で一旦クワイエットへ帰還しようと考えていた。もともと自分が長期間最前線を離れるのは好ましくないと彼は考えていたが、ミネルバには自分の契約相手をじっくり考えてから選んで欲しいと思っていたため、彼女がこのままこの地で熟考するなら、マルグレーテや(新たに彼女の契約魔法師となった)ヒルダに彼女を委ねて、しばらくこの地に逗留させ続けた方が良いだろうと判断したのである。
 その上で、最終的にこの後の「本番」の機会を通じて彼女が契約魔法師を見つけようが見つけまいが、しばらく彼女をこの地に留学させる、という選択肢もスュクルは考え始めていた。最前線の危険な都市で、無骨な男達に囲まれつつ、状況によっては異国への嫁入りも検討しなければならないような状態よりは、しばらくこの地で多様な人々に囲まれながら育った方が、情操教育的にも望ましいように思えてきた。無論、そのためにはファルコンとの綿密な相談が必要となるため、そのためにも早目に帰って話を始めた方がいいと彼は考えていたのである。
 そんな考えを脳裏に宿しつつ、スュクルは「締めの一言」をその場にいる者達に伝える。

「皆様が皇帝聖印に近付けば、協会からの支援も得られることになるでしょう。アントリアの勝利のために、ぜひとも力をお貸し下さい」

 その一言でこの場の雰囲気が空気が綺麗にまとまったところで、皆が次々と拍手を始める。新たに誕生した3組の契約者達を祝福する中、結局、誰からも指名されることがないまま「三連敗」を喫したランスもまた、いよいよ後が無くなったことを自覚しつつ、乾いた心で淡々と手を叩き続けていた。

(ま、まぁ、まだこれは本番じゃないからな。うん、これからだ。これから大陸中から我の力を求める者達が殺到することになるだろう)

 もし、彼が「ローちゃん」の魅力を全面に押し出した上で積極的に就職活動していれば、この時点でいずれかの君主との契約を果たせていたかもしれない。だが、彼はあくまでも「トロールの召喚主」としてではなく、「自分自身」を求めてくれる君主を探していたのである。だが、彼はそんな願望を抱きつつも、実際にはここまで「自分から契約を申し出る」という行為には一度も至ってなかった。いずれ誰かが自分を見出してくれるだろうと盲目的に信じて、自分からは動こうとはしない。実はこの消極性こそが、彼の就職を妨げてる(妄想癖と並ぶ)もう一つの大きな壁だということに、まだ彼は気付けていなかった。
 一方、無事に再契約を果たしたラーテンもまた、そんなランスを横目で見ながら、アルジェントにどのように報告すれば良いものやら、と内心で悩んでいた。一応、まだこの後に「本番」が控えており、立場上、ラーテンもマリベルもまだこの地に逗留し続けることにはなるのだが、どうすれば彼をここから契約へと導けるような流れを組み立てられるのか、今のラーテンには皆目見当がつかなかったのである。
 そして、当初は契約相手を見つけた時点で帰還しようと考えていたジークであったが、オラニエが音楽祭の観覧を望んでいたので、もうしばらくこの地に残り続けることにした。どちらにしても、その音楽祭の直前の同盟会議の場において「国境を守る君主としての報告」が必要となる可能性もある以上、この地に残り続けることには十分な正統性がある(もっとも、最近赴任したばかりのジークには、十分な説明が出来るほどの知識はないのだが)。そして、出来ることならこの滞在期間中にフィオナ姫との関係を深めたい、という思惑もジークの中にはあったのかもしれないが、実際に二人の仲が進展するような「何か」があったのか否かは定かではない(なお、カレへの帰還後のジークの物語に関してはグランクレスト異聞録4を参照)。

4.7. 堕天使と死神

 こうして歓迎の宴は幕を閉じ、客人達の大半がそれぞれの宿舎へと案内され、館の給仕達が料理を下げ始める中、育ち盛りのランスはまだ微妙に食べ足りなかったのか、黙々と残飯を食べ続けていた。
 そんなランスに対して、一人の少女が語りかけた。それは「死神」の異名を持つ邪紋使いのティリィである。彼女は先刻からずっとランスに興味があったのだが、警備担当という職務上、宴が終わるまでは気軽に声をかけられる機会が得られなかったのである。

「えっと、魔法師の方、ちょっとすいません、名前を聞きそびれてしまったので……、なんとお呼びすれば良いか?」

 これに対して、ランスはあえて覚悟を決めて「自らの正体(自称)」を明らかにする。

「我が名は堕天使ヤマトゥ! この世の全てを知る者だ」

 禁句二連撃による額冠の痛みに耐えながらも彼がそう言い切ると、ティリィはますます興味深そうな顔を浮かべながら話を続ける。

「堕天使様ですか。それは、私と同じような存在なのでしょうか?」
「いかにもである。貴様は確か、『死神』といったな」
「はい。『死神の力を宿す邪紋使い』だそうです」
「まぁ、少し違うが、大体同じようなものだ」

 何がどう同じなのかは、当然、言ってるランスにもさっぱり分かっていない。だが、その答えを聞いたティリィは、ここで聞きたかった「本題」を切り出す。

「あの、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「何なのだ?」
「あなたは、自分の力について、どう思いますか?」
「自分の、力?」
「正直、私はしばらく前まで、『この力』が嫌でした。死神って、人を殺すものじゃないですか。少し前に『とある旅の君主さん』に出会えたことで、その考え方を変えることは出来たのですけど……。今回、堕天使さんとか、悪魔さんとか、そういうような力を宿してる人が私の他にもいると知って、そういう人達は、どう思ってるのかな、って思って」
「うん、そうだねぇ……」

 またしても「深い質問」が投げかけられたことで、ランスは思わず「素の口調」に戻りかける。

「ねぇ、教えてよ」

 ティリィもまた、珍しく「歳の近い、自分と同じような境遇にある(かもしれない)少年」と出会えたことで、いつもよりもくだけた「素」の口調で問いかける。

「確かに、悪魔や死神や我の力は、時には人に牙を剥く……。しかし、この力を手に入れたということは、我は世界に選ばれた、そして、我には成し遂げなければならない目標がある、ということを実感した。それは我が宗教を広め、世界に平等と幸福をもたらすことだ。我はこの力を嫌いとは思わん。我唯一の力だからな。誇ることだな」

 どうにか「禁句」に触れずにそう言い切ったランスが内心でホッと一息する中、ティリィもその答えを聞いて笑顔を浮かべる。

「そっか、よかった」
「貴様も、その力を誇ればいい」
「うん、今は誇れる。孤児院の皆とか、マージャ村の皆を守れるだけの力だから……。死神の力は皆を不幸にするだけじゃないって、私自身が示していくんだ……。ありがとう、堕天使さん」
「我が同族を元気付けるのは当たり前だからな」

 彼の中でどこまでが「同族」扱いになっているのかは不明である。当然、彼自身の中でもそのあたりは明確には定まっていない。

「まだまだこの村の音楽祭はこれからが本番です。楽しんでいって下さい」
「当然であろう。楽しむ時は楽しむのが一番である」
「私も、この音楽祭、出るんです。ぜひ、楽しみにしてて下さいね」
「うむ。同族の歌は楽しみであるからな」

 なお、厳密に言えばティリィ自身が歌う訳ではない。彼女は前回出場した子供達と共に、この村に住む「六人の歌姫達」の伴奏担当として出場する予定なのである。

「我も出ようかな」

 ボソッとランスはそう呟く。一応、「魔歌」を通じて魔力を高められる技術は手に入れた彼であったが、その歌声は決して、耳の肥えた音楽祭の観客達を満足させられるような代物ではない。とはいえ、別に技術的な足切り制度がある訳ではないので、本気で出ようと思うなら、今からでも出場登録することは可能ではある。
 だが、ランスがそんな気紛れ発言を広げるよりも前に、この場にもう一人の「ランスに興味を持つ人物」が現れた。レインである。

「ねえねえ、さっき言ってた『幸福と平等』について、話しない?」

 彼女は彼女で、ランスの求める「理想の世界」に強い関心を抱いているらしい。

「うむ、ならば、我が主義について聞かせてやろう」

 そう言ってランスが滔々と妄想を語り始める中、レインとティリィは笑顔で興味深そうにその話に聞き入る。そして、そんな三人を少し離れたところから眺めている悪魔の姿があった。

「堕天使(Λucifer)に死神(La mort)、そして狂王(Crazy Lord)か……。どうやらこの世界でも、吾輩の求める極上のミサが実現出来る見通しが立ちつつあるようだな……」

 誰にも聞こえぬ声で悪魔はそう呟く。そして、彼の野望を実現するために必要な「最後の欠片」が間もなくこの村へと近付きつつあるのだが、そのことを知る者はまだ誰もいない。

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最終更新:2018年09月16日 01:10