第1話(BS49)「新興国家の契約事情」 1 / 2 / 3 / 4

1.1. 新卒組と出戻り組

 魔法都市エーラムには、多くの魔法師の「一門」が存在する。彼等は世界中から集められた「魔法師の素養を持つ者達」の集団であり、それぞれの一門内での上下関係は「師弟関係」であると同時に、養子制度によって結ばれた「疑似家族関係」でもある。
 だが、極稀に実際の血族がそのまま同じ一門の一員となることもある。その稀有な事例の一つが、「リアン一門」を継承する静動魔法師のアルジェント(下図左)と錬成魔法師のメルキューレ(下図右)という二人の高等教員であった。彼等はもともと実の兄弟であり、ほぼ同時期に魔法師としての素養を見出され、共に同じ一門に加わった。ただし、今の彼等の間には、厳密に言えば「血縁関係」はない。というのも、兄のアルジェントの身体には現在、「血液」が流れていないのである。


 兄のアルジェントは静動魔法師として類稀なる才能を持ちながらも、生来病弱で、おそらく成人するまで生きられぬ身体であろうと言われていた。そんな兄を生き永らえさせるために、弟のメルキューレが錬成魔法で「(子供の頃の兄の姿に似せた)義体」を開発し、そこに兄の「脳」を移植したのが、現在のアルジェントである。もっとも、その義体の四肢には人体並みの神経が通っている訳ではなく、実質的にはただの「人形」にすぎない。それをアルジェントが静動魔法で動かすことによって、どうにか彼は「人」としての生活を保っているのである(そのために消費する精神力もまた、弟が作り出した魔法薬で補っていた)。
 現在、この兄弟教員の下にはそれぞれ二人ずつ、合計四人の弟子(養子)が在籍している。いずれも魔法大学で優秀な成績を収めた俊英達なのであるが、この日、彼等はその四人に対して「重大な案件」を伝えるために、メルキューレの研究室に呼び集めた。
 彼等の四人の弟子達のうち、二人は過去に「契約魔法師」として君主に仕えていた経験を持つ、いわゆる「出戻り組」である。そのうちの一人が、兄アルジェントの一番弟子であり、元素魔法師(橙の学派)のラナ・スプレンドーラ・リアン(下図)であった。彼女はかつて、ランフォード子爵領カサドール地方の一角に位置するギーレン村の領主シュティール・マローンと契約を交わしていた。しかし、数年前にその地域一帯を襲った混沌災害の中で出現した巨大な亀型の凶悪な投影体 バウザー との戦いでシュティールは命を落とし、ギーレン村も壊滅してしまったのである。この時、崩れゆく瓦礫の下敷きになったまま何も出来ずにいたラナだけが結果的に生き延びることになり、エーラムへと帰還することになった。


 もう一人は、弟メルキューレの一番弟子のメーベル・リアン(下図)である。彼女はメルキューレと同じ錬成魔法師(紫の学派)であり、薬物調合を得意とする。彼女はかつて、領邦国家アロンヌ西部の沿岸都市イオの領主ルイ・デュヴェルジェと契約を交わしていたが、ルイは好色な放蕩貴族として有名で、名家の婿養子であるにもかかわらず、メーベルに対しても執拗に性的関係を迫り続けるような性癖の人物であったため、それに我慢出来なくなった彼女がメルキューレに相談し、彼の調停の下で契約を解除することになったのである。本来、一度契約した君主との契約を魔法師側の事情で破棄することは御法度であるが、この時はメルキューレが裏から様々な手を駆使して、解約交渉を成功へと導いたらしい。


 ラナとメーベルは共にまだ22歳であり、今から新卒の魔法師達と並んで新たな契約相手を探す立場としても特に支障がない程度には若い。だが、そんな二人よりも更に若い義弟妹達が、この場に彼女達と同時にこの場に呼び集められていた。
 そのうちの一人が、メーベルの義妹(メルキューレの弟子)に相当する時空魔法師(夜藍の学派)のローラ・リアン(下図)である。彼女は元来は「オリンポス界の月の女神ヘカテー」を信仰する少数民族の出身で、ヘカテーの加護を受けて独自の手法で魔法を習得した自然魔法師であった。彼女の両親はその一族の中で他民族との交易を担当する立場だったことから、ローラも幼い頃から「外の世界」に興味を抱くようになり、やがてエーラムへの留学を決意するに至ったのである。歳はまだ15だが、もともと故郷にいた頃から魔法の基礎訓練を受けていたこともあり、既に魔法大学の夜藍の学部を卒業し、契約魔法師となるに十分な実力を備えていた。


 そして、そのローラよりも更に若く「リアン一門の末っ子」と呼ばれているのが、ラナの義弟(アルジェントの弟子)に相当する14歳の召喚魔法師(青の学派)、ランス・リアン(下図)である。彼の両親が熱心な聖印教会の信者だったため、子供の頃から教会の聖典を読み聞かせられながら育っていた彼であったが、ある時、彼は魔法の力に目覚め、自分自身が「特別な存在」であると考えるようになり、やがて自ら「堕天使ヤマトゥ」と名乗り、新たな教義を掲げた「ヤマト教」なるものを創始する。だが、当然のことながら、そんな子供の戯言に耳を傾ける者などいる筈もなく、やがて孤立した彼は故郷からも追放されるが、そんな「変わり者」の噂を聞きつけて来訪したアルジェントに拾われて、その一門に加わることになった。


 なお、「ヤマト教」および「堕天使ヤマトゥ」の語源は不明であり、彼が掲げる教義にも特に明確な根拠はない(そもそも、その日の気分次第で内容も変わる)。また、彼は常に眼帯を装着していることがあるが別に目の病気でもなく、左手には包帯を巻いているが別に毒手な訳でもない。ただ、ローラのような「入学前の下準備」があった訳でもないのに僅か数年で召喚魔法学部を卒業したという意味では、類い稀なる素質の持ち主であったことは確かである。ランス自身はそれを「堕天使としての潜在能力」だと考えてるようだが、実際には「ただの天才」なのであろう、というのが召喚魔法学部の教員達とアルジェントの共通認識であった。

1.2. 無人島合宿

 こうして集められた四人を前にして、メーベルとローラの師匠(義父)であるメルキューレ(弟)が、彼等をここに集めた理由を語り始める。

「さて、前々から話をしていた、皆さんの就職先および再就職先の件ですが、ようやく話がまとまりつつあります」

 メルキューレはいつも固そうな表情を浮かべているため、見た目は厳格そうに見えるが、物腰は穏やかであり、自身の養女達に対しても、基本的には敬語調で話すことが多い。もっとも、彼自身がまだ25歳であり、メーベルとは歳が3歳しか違わない以上、そもそも彼の中では彼女達に対して「娘」であるという意識自体が弱いのかもしれない。

「エーラムの人事課を介して各地の君主達に話を持ちかけた結果、現時点でまだ契約魔法師が不在の四名の君主の方々との間での契約交渉の場として、まずは互いの相性を確認するための『無人島合宿』を開催することになりました」

 そう言いながら、彼は壁に掲げられた世界地図へと視線を向けると、アロンヌとハルーシアから程近い海域に浮かぶ、小さな島を魔法杖で指し示す(下図)。そこには「クロノス島」という名が記されていた。


「このクロノス島は程々に混沌濃度も高く、程良く投影体も出現するため、これまでにも魔法大学の学生達の研修地として何度も用いられたことがある島ですので、皆さんの腕試しにも丁度良いでしょう。もし何か不測の事態などがあれば、我々に連絡してもらえれば対処はします」 

 メルキューレがそこまで言ったところで、兄のアルジェントが淡々とした口調で付言する。

「就職先に親が出張ってくることを恥と思わないのであれば、だがな」

 アルジェントはメルキューレとは対照的に、子供のような外見からは想像もつかぬような辛辣な言い回しで、周囲の人々の心を凍りつかせるような発言を繰り出すことが多い。

「『親の力を借りなければ何も出来ない』と思われるような醜態を晒した上で就職したいのであれば、いつでも助けを呼べばいい」

 過去に好色貴族との解約のために義父のメルキューレに助けてもらった負い目のあるメーベルにしてみれば、この発言は心に深く突き刺さる。アルジェントはそんな彼女に冷めた視線を向けながら、そのまま語り続けた。

「いつぞやの契約解除の件に関してはやむを得ない事情もあったとは思うが、 あのような不名誉な失態を避けるためにも、今回の合宿を通じて、相手の人間性を見極めておくことは重要だ。まぁ、一度失敗したことで、『人を見る目』は養われた筈であろうから、今度は大丈夫だろうとは思うがな」

 畳み掛けるようにメーベルの心に圧力をかけていく「伯父」を目の当たりにして、メーベルの義妹のローラが心配そうな表情を浮かべるが、二人の師匠であるメルキューレはそんなメーベルに柔らかな口調で(しかし表情はいつもの厳格そうな雰囲気のまま)問いかける。

「大丈夫ですよね、メーベル?」
「……はい!」

 笑顔でそう答えるが、内心では彼女自身も不安がある。先代の契約相手との一件以来、彼女は男性君主全般に対して、ややトラウマに近いような嫌悪感を抱いてしまっていた。彼女がなかなか「次の契約相手」が見つからない一因もそこにある。幸か不幸か彼女は「小柄ながらも男性に好まれやすい肢体」の持ち主だったため、エーラムに留学中の男性貴族達からは、街角で見かけた彼女を気に入って契約を持ちかけようとする声も多かったのだが、その大半をメルキューレが事前に断っていたのである。
 そんな(やや過保護な)メルキューレとは対照的に、アルジェントは今度は直弟子(養女)であるラナに対して、冷たい視線を向けながら釘を刺す。

「当然、契約相手となる君主が『混沌に負けない実力の持ち主』かどうかを見極めるのも重要なことだからな」
「あぁ、はい、そうですね……」

 ラナは目を逸らしながらそう答える。実際のところ、ラナが以前契約していたシュティールは、「騎士級聖印を持つ地方領主」としては決して実力不足だった訳ではなく、あの時点での村の戦力を考えれば、誰が陣頭指揮を取っていたとしても結果は変わらなかったであろう。それほどまでにバウザーは難敵であり、しかも当時のカサドール全域を襲った混沌災害自体はあまりにも強力だったため、他の村からの援軍を期待出来るような状態でもなかった。
 だが、この点に関してはラナは一切言い訳することもなく、かつての契約相手を貶めるような周囲からの発言に対しても、あえて積極的に同調も反論もしなかった。彼女の中では「結果」が全てであり、終わってしまった過去に対して一々言及することに価値を見出してはなかったようである。

(相変わらず、お姉様達に対して辛辣ですね、伯父様……)

 ローラは内心でそう呟きながら軽く怯えているが、気にせずアルジェントは四人に対して話を続けた。

「もちろん、向こう側にも選ぶ権利はある。だから、媚を売れとは言わんが、『ありのままの自分』でそのまま就職出来るとは限らないということは、肝に命じておけよ」

 微妙に回りくどい言い方でそう語った人形姿の魔法師に対して、末っ子の「堕天使ヤマトゥ」ことランスが「謎の決めポーズ」を披露しながら答える。

「心配ない。我が教導を以ってすれば、君主達はすぐに我が信者となるだろう」

 なんの根拠もなく自信満々にそう語る直弟子のランスに対して、アルジェントは表情一つ変えずに淡々と呟く。

「まぁ、何事も経験だからな」

 それ以上何も言わずに直弟子の妄想を聞き流そうとするアルジェントであったが、その傍らではローラが心配そうな表情でメルキューレに訴える。

「すいません、師匠、本当にこの人連れてって大丈夫ですか?」
「……やはり、実際に経験してみなければ分からないこともありますから」

 この点に関しては、メルキューレも兄と同意見らしい。確かに、この数年間の指導を通じても一向に「自分の妄想の世界」から出てこようとしないランスの目を覚まさせるには、一度、「就活の現場」という「現実」を突きつけるのが一番なのかもしれない。そんな師匠達の考えなど一切意に介さぬまま、ランスは自信に満ち溢れた笑顔で言い放つ。

「大丈夫だ。我に任せておけ」

 何がどう大丈夫なのかは、この場にいる誰にも伝わらない。

「不安しかないです」

 同世代のローラは、改めてそう呟いた。だが、彼と同じ一門というだけで、彼と同類扱いされるかもしれない、と考えただけで、ローラとしては憂鬱な気分になる。

「あまりに不安が大きすぎるんですが」

 義姉のラナも同意する。ただ、本気で憂鬱な表情を浮かべているローラとは対称的に、ラナは口調も表情もあくまでも淡々とした様子である。もともとラナは基本的にマイペースで、あまり他人に干渉したがらない性格であり、ランスの日頃の妄言や奇行に対しても冷ややかな目で眺めるだけで、特に矯正しようとはしなかった。その意味では、ランスがここまで増長した原因の一端は、彼女にもあるのかもしれない。

「ランス君、少し黙ってようね」

 おっとりとした笑顔からそう言って釘を刺したのは、メーベルである。彼女はラナとは対照的に情に厚く、面倒見の良い性格のため、必然的にこのような場では(歳はラナと同じなのだが)「長女」としての立ち回りになりやすい。もっとも、そう言われたランスの側には、まるで聞き入れる気配はないのであるが。
 そんな四姉弟(?)のやりとりを眺めながら、アルジェントは最後にローラにも忠告する。

「就職先によっては、投影体という存在全般に対して偏見の強い地域もある。その意味では、どこまで自分の出自を表に出すべきかは、自分自身で判断しろ」

 ローラが信仰する女神ヘカテーは、かつて極大混沌期にこの世界に現れて人々を救ったと言われる「異界の神々」の一人であり、人々に対して友好的な投影体としてエーラムでは認識されているが、投影体全般に対して「排斥すべき対象」という意識を持つ者達も確かにこの世界にはいる。ランスの両親が信仰していた聖印教会の人々などはその典型例と言えよう。

「はい、分かりました」

 ローラがそう短く答える横で、ランスは先刻までとはまた異なる「謎の決めポーズ」で悦に入っている。実際のところ、アルジェントのこの言葉はローラだけでなく、魔物を召喚することを本業とするランスに対しての警鐘でもあったのだが、どうせランスは聞き入れはしないだろうと考えていたのか、彼からの反応がないことに対して、アルジェントは特に何とも思っていなかった。
 こうして、アルジェントからの一通りの「個別の注意事項」の説明が終わったところで、改めてメルキューレが無人島合宿全体についての詳細を語り始める。

「今回の四人の契約相手候補のうち、二人はブレトランドの中央山脈を拠点とするグリース子爵領という新興国家の地方君主です。トーキー村の領主のエディ・ルマンド殿と、マーチ村の領主のセシル・チェンバレン殿。二人は従兄弟同士で、エディ殿は現在22歳ですが、セシル殿はまだ11歳ということもあり、セシル殿と契約する魔法師には、実質的には『教育係』としての役割も期待されているようです」

 「グリース子爵領」という国名に関しては、この場にいる者達は誰も聞き馴染みがない。1〜2年ほど前に突如勃興した「得体の知れない国」というのが、大陸諸国の間での一般的な認識なのだが、このメルキューレの説明を聞いたランスは、思わせぶりな顔で呟いた。

「ふむ、なるほど。教育か……」

 どうやら彼の中では、自分がその「少年君主の教育係」という役割を担うべき、という使命感が湧き上がってきたらしい。

「ランスくん?」

 メーベルは不穏な表情を浮かべる。

「何でしょうねぇ。可哀想なことになりそうですが」

 他人事のようにラナが呟く。

「ランス、あんまり変なコトしちゃダメだよ?」

 真剣な表情でローラが釘を刺したのに対して、ランスは大仰な素振りで肩をすくめる。

「別に変なことなど、していないではないか」
「君を見てると、毎回不安なんだよ」
「我が宗教を広めるのに、何の問題があるのだ?」

 自信満々にそう答えるランスに対して、もはや何を言えば良いのかも分からなくなったローラはメーベルに助けを求めるような視線を向け、メーベルも深い溜息をつくが、この件に関して彼に何を言っても通じないことは、この場にいる者達全員が分かっている。メルキューレは何も聞かなかったことにした上で、話を続けた。

「あとの二人は、アロンヌの内陸地方の名門貴族コンドルセ家の兄弟騎士だそうです。名前はまだ確認出来ていないのですが、どちらも20代の男性だとか」

 君主と魔法師の契約斡旋に関しては、エーラム内でもそれを専門とする部署の人々が担当している。今回はその部署の人々が、アルジェントとメルキューレからの要望を受けて四人の君主を紹介することになったのであるが、実は当初の契約相手候補だった大陸南東部の諸侯の君主達が、戦乱の激化によってことごとく戦死してしまったため、急遽代わりの君主を集めることになったという経緯もあり、まだ正確な情報がリアン家には届いていないらしい。
 ただ、この話を聞いた時点で、メーベルの内心ではやや不安が広がる。

(全員男性かぁ……。ルイみたいな人がいなければいいけど)

 彼女としては、やはり男性君主との再契約に対しては不安がある。だからこそメルキューレも出来れば女性君主を斡旋してやりたかったところではあるのだが、大抵の貴族家は聖印を男子に継承させることが多いため、「契約魔法師不在の女性君主」自体の数が少ない。

「では、この合宿を成功させるために、我も鋼の意志の心意気で臨むことにしよう!」

 ランスがそう言いながら、召喚魔法の精度を上げるために自らの魔力を精神そのものに宿らせようとしているのに対し、アルジェントはいつも通りの冷ややかな目で忠告する。

「最初から気合を入れすぎて、息切れを起こさぬようにな」

 魔法薬を飲みながらそう呟く兄の横で、その魔法薬を作った弟が付言する。

「いざとなったら、ウチのメーベルを頼って下さい。彼女も私と同じように精神回復剤を作り出すことは出来ます」

 実際、メーベルにとっては薬剤生成こそがまさに本業なのだが、そう言われた彼女はなぜか微妙な表情を浮かべる。

「そうですね……、気力が足りなくなったら言って下さいね、ランスくん。一応、正当な理由があれば、投与してあげますから」
「なんだその『正当な理由』というのは? 我が正当でないことで魔法を使う筈もなかろう。まぁ、我が気力切れを起こすことなど、まず無いのであろうけれども……」
「じゃあ、安心ですね。必要ないですね」
「……もしものことがあったら、頼むこともあるかもしれないこともないかなぁ」

 自信があるのか無いのかよく分からないそんな末弟の様子を伺いながら、ローラは改めて溜息をつく。

「不安だなぁ……」
「どんな不安があるのだ? 我がいる時点で不安はゼロだ。むしろプラスだ」

 何の根拠もないまま胸を張るランスに対して、直姉のラナは淡々と呟く。

「コイツと同じ一門になってしまった時点で、私の運は尽きてしまったのかもしれないな」

 直弟のランスに対するラナの態度は、一門の中でも一番辛辣であるが、だからと言って、別にそれほど落胆しているようにも見えない。あくまでも淡々とそれを「事実」として認識した上で、運が無いなら無いで、無いなりにどうにかすればいと割り切っているのかもしれないし、それで駄目ならそこまでの人生だと達観しているのかもしれない。

「ローラちゃんも、ラナちゃんも、頑張ってね」

 メーベルは二人に対してそう告げつつ、ランスに対しては生暖かい視線を向ける。ただ、彼女の場合、ランスのこのような言動には食傷気味ではあるものの、彼女の中ではなんだかんだで「可愛い後輩」でもあり、本気で見捨てる気にもなれずにいた。
 こうして、リアン一門の四人は、それぞれに期待や不安を胸に抱きながら、まだ見ぬ君主との邂逅に向けて、出立の準備を始めることになった。

1.3. 青年領主と少年領主

 ブレトランド小大陸中部に位置するグリース子爵領は、約2年前に突如この地に現れた流浪の君主ゲオルグ・ルードヴィッヒの手によって築かれた新興国家である(その建国の経緯はブレトランド戦記・簡易版を参照)。彼は旧トランガーヌ子爵領の残党達の一部を吸収して瞬く間に勢力を拡大した結果、ヴァレフール、アントリア、神聖トランガーヌの三国に囲まれた状態の中で、一種の緩衝地帯のような形で独特の国際的地位を確立しつつあった(下図参照)。


 このグリース子爵領の東部に位置するトーキー村の領主エディ・ルマンド(下図右)とマーチ村の領主セシル・チェンバレン(下図左)は、いずれもヴァレフールとアントリアの抗争の狭間でなし崩し的にグリースの傘下に加わった君主達なのであるが(トーキーの保護領化に関してはブレトランドの英霊5、マーチ併合に関してはブレトランド風雲録11を参照)、いずれもまだ契約魔法師が不在の状態であった。


 トーキーの領主エディは22歳、マーチの領主セシルは11歳。二人の母親はマーチ村の領主家に連なる姉妹であり、彼等は「母方の従兄弟」の関係にある。彼等が統治する中央山脈東部は混沌濃度が高く、混沌災害に見舞われやすい地域ということもあって、あまり産業も発展せず、決して豊かとは言えない。それ故に、新たな契約魔法師を迎え入れるだけの支度金もままならない状態であったが、この山岳街道の警備の強化の必要性から「優秀な魔法師」を招き入れたいと考えていたグリース子爵ゲオルグ・ルードヴィッヒによるエーラムへの積極的な働きかけと資金提供により、今回の無人島合宿にこの二人を送り込むことになったのである(なお、彼等が不在の間はアルファとレクサスという二人の騎士がそれぞれ領主代行として各村に駐在する)。
 エディが数年前に父の後を継いでトーキーの領主となった時点では、父の契約魔法師であったジャスタカークとの契約を引き継ぐ形になっていたが、そのジャスタカークが混沌災害で殉職した後は、周辺諸国の勢力争いに巻き込まれてその国際的地位も不明確な状態が続いていたこともあり、新たな魔法師を招聘することもままならない日々が続いていた。エディは実直な性格で、村人達からの信頼も厚いが、対アントリア最前線の村を任せるには、やや「お人好し」すぎるという評価もある。
 一方、セシルは元来はヴァレフール七男爵の一人であるガスコイン・チェンバレンの長男であり、本来ならばマーチの南方に位置するヴァレフール領の湖岸都市ケイの次期領主となる筈だったのだが、一年前の混沌災害の折に「とある特殊な事情」により、10歳にしてマーチ村(この時点ではヴァレフール領)の領主にならざるを得ない状態となり、その後、父の謀反とそれに伴う諸々の混乱の結果、ヴァレフールから離反してグリース傘下の騎士となった。元来は素直で快活な少年であったが、最近は両親の死およびそれと前後して発生した諸々の混乱に振り回されすぎたこともあり、徐々に塞ぎ込み気味の性格となりつつある。
 そんなセシルにも、心を許せる者達が「三人」だけ存在する。そのうちの一人が従兄のエディであり、そして彼と同等以上にセシルの中で重要な存在となっていたのが、セシルの親衛隊長とも言うべき、ヴェリア界から投影されてきた一人の女性である。彼女の名はSFC(下図)。正式な名は(彼女自身がその名を語ることを禁忌としているため)不明であるが、元来は地球において作られた「玩具」のオルガノンであるらしい。彼女は日頃はセシルの「遊び相手」としてその「本体」を用いて彼の心を癒しつつ、セシルに害を為そうとする者が現れれば未然に察知して粉砕する。幼くして両親を亡くしていたセシルにとって、まさに親代わりのような存在であり、今回の無人島合宿にも(セシル自身の希望もあり)彼女が「保護者」として同行することになった。


 なお、現地までの彼等の護送は、ゲオルグの契約魔法師であるヒュース・メレテスが呼び出したワイバーンが担当する。本来ならばヒュース自身も同行すべきなのであるが、彼自身は別件でどうしても今はグリースを離れる訳にはいかなかったため、一時的にワイバーンをエディに貸し出すことにした。ヒュースは以前から何度も駐在員としてトーキーに派遣されていたためエディとは懇意な関係であり、エディ自身が「騎乗能力」に特化した聖印の持ち主ということもあって、「任せても大丈夫」という判断に至ったらしい。また、ヒュース自身もクロノス島には魔法大学の新歓合宿で行ったことがあるため、現地までの空路をワイバーンに教えることも容易であった。
 なお、エーラムに対して彼等への契約魔法師斡旋の要望を提出していたのも、他ならぬこのヒュースである。彼は出発前のエディとセシルに対して合宿の概要を一通り説明すると、エディから一つの質問が投げかけられた。

「我々以外に参加する君主は、どんな方々なのですか?」
「君主側に関しては、お二人の他に、アロンヌの内陸地方を治めるルイ・コンドルセとフィリップ・コンドルセという兄弟の君主が参加されるそうです。系譜的にはアロンヌの中でもルクレール伯の傘下の領主殿達ですね。基本的に平和な地域を治めているようで、これまであまり目立った戦績などは無いようです」

 アロンヌは領邦国家であり、現時点では明確なアロンヌ全体を統べる国主は存在せず、ドーソン侯、ルクレール伯、リマ伯という三人の大貴族が実質的に分割統治している状態である。しかし、いずれの領主達も(少なくとも形式的には)幻想詩連合所属であり、グリースは名目上は「連合寄り」の立場を示しているため(もっとも、昨今はヴァレフールとの関係も微妙になってはいるが)、その意味では友好国であると言える。
 一方、SFCからはより直接的な質問が提示された。

「魔法師の方々のプロフィールを紹介して頂けますか?」
「届けられている資料によると、全員同じ一門の魔法師のようです。そのうち二人、元素魔法師のラナ・リアンと錬成魔法師のメーベル・リアンの二人は過去に契約魔法師として就職した経験があるのに対し、時空魔法師のローラ・リアンと召喚魔法師のランス・リアンは、まだ学部を卒業したばかりの新卒です。この中で、私が知っているのは召喚魔法科の後輩のランス・リアンだけなのですが……」

 そこまで言ったところで、ヒュースは記憶の中にある「数年前に最後に会った時のランス少年」を思い返しつつ、どう説明すべきか迷う。

「……まぁ、その、最後に会ったのは随分前ですし、当時の彼はまだ子供だったので、今はもう色々と成長していると思いますよ、えぇ」

 それ以上の言及はあえて避けることにした。一方、横でその問答を聞いていたSFCはヒュースの回答の中で、とある一つの言葉が気にかかっていた。

「時空魔法師か……」

 彼女は以前、一時的に共闘関係にあった(筈の)時空魔法師に、戦闘中に後ろから雷撃を打ち込まれて殺されそうになった過去があるため、「雷を操る時空魔法師」全般に対して強烈な忌避感を抱いていた。なお、その「雷への嫌悪感」が「彼女の『本体』にとっての天敵であること」と関係しているのかどうかは定かではない。また、その魔法師の名前がよりによって彼女(の先輩?)にとって因縁浅からぬ「ローラ」であるというのも、何やら奇妙な巡り合わせのようにも思えるが、おそらくそれはただの偶然であろう。

「そして、こちらが島の全貌です」

 そう言いながらヒュースはクロノス島の光景が描かれた「絵」をエディ達に見せる。厳密に言えば、それはエーラムの特殊技術によって作られた「風景をほぼそのままに紙上に描き起こした画像」であり、島を様々な方角から「撮影」した代物であった。島の中央部は小高い山となっており、島全体が豊かな森林地帯に覆われていて、人の手は殆ど入っていない。海岸の一角に木造小屋が設置されている以外は、完全に自然状態のまま放置されているような状態である。
 だが、その「絵」を目の当たりにしたセシルは、島そのものよりも、その周囲の光景に対して、驚きと感動が入り混じったような表情を浮かべていた。

「え……? これ、まわりは全部海なの?」

 セシルは湖岸都市ケイの出身だが、「海」はまだ見たことがない。故郷が面しているブラフォード湖はブレトランド内でも有数の広大な湖として知られてはいるものの、「陸地が水に囲まれている状態」は、彼の中ではかなりの衝撃であったらしい。

「まぁ、島ですし、当然のことかと」

 SFCは淡々とそう答えた。彼女もまた「この世界の海」はまだ見たことはないが、彼女が所持するソフトの中には「海」や「島」が登場する作品も沢山存在するため、さほど物珍しくは思わないらしい(なお、今の彼女の「本体」に防水加工が施されているのかは不明である)。
 一方、セシル同様にまだ「海」の実物を見たことがないエディもまた、(もともと歳の割には童顔ではあるのだが)少年のような瞳を浮かべながら感嘆の声を上げる。

「すごい! 海ってこんなに広いんだな!」
「エディ兄も、海には行ったことないの?」
「そりゃあ、村から出たこと自体、あんまりないしな」
「そっかぁ。楽しみだね♪」

 父ガスコインの戦死以降、以前にも増して部屋に閉じこもり気味になっていたセシルにとっては、この「海」という広大な自然環境に触れることが、鬱屈した心の闇を晴らす上でも良い機会になるかもしれない。もっとも、一歩間違えばそこで新たなトラウマが植え付けられる可能性もあるだろう。そのことを危惧したSFCは、念のためセシルに忠告する。

「いいですか、気をつけて下さいね。海ではダイオウイカなどが襲ってくることもありますから」
「あぁ、そういえばSFCのゲームの中にも出てきてたね。なんかあの変な動きをするやつが」
「あと、浅瀬を見つけたら、ちゃんと壺を置くんですよ」

 彼女が何を言わんとしているのかは誰にも分からないが、ひとまずエディが答える。

「SFCは相変わらず不思議なことを言うなぁ。まぁ、気をつけておくよ」
「気をつけるにこしたことはないですから。海は怖いですから。今までどれだけの冒険者が沈んでいったことか」 

 そんな会話を交わしつつ、彼等はワイバーンに乗って、空路でクロノス島へと向かうことになるのであった。

1.4. 不穏な手紙

 一方、「エーラム側」の四人は「まずは馬車でアロンヌ南西部の港町エクレウスへと向かった上で、そこからクロノス島への船(不定期便)に乗る」という方針で出立の準備を進めていた。そんな中、出発直前の四人の前に、メルキューレが一通の手紙を持って現れる。

「ローラさん、あなたの御実家から、手紙が届いています」
「あ、はい」

 ローラはそう言って手紙を受け取る。エーラムの魔法師家の一員となった者は実家との繋がりを絶たれるのが原則であるが、彼女の場合はもともと「留学」という形式だったこともあり、ある程度の融通が認められている。この辺りの裁量はそれぞれの一門ごとに様々であるが、今のリアン家の場合はアルジェントとメルキューレがもともと実の兄弟だった(そして今でも深い絆で結ばれている)ために、本来の血縁関係者から完全に切り離すことへの抵抗が(特にメルキューレの場合は)強いのかもしれない。
 とはいえ、実際にこれまでローラに対して実家から手紙が届いたことなど殆どない。そんな中、唐突に届いたこの手紙に対して、これは何か緊急の連絡かもしれないと思った彼女がその場で封を開くと、そこに書かれていたのは、彼女の想像以上に深刻な内容であった。
 彼女の一族が信仰する女神ヘカテーは、極大混沌期にこの世界に出現して以来、数年に一回程度の頻度で、この世界に短期間だけ「実体」として現れる。それはあくまでも気紛れな「混沌」の作用によるものであるため、正確にどの時点で世界のどこに出現するかはヘカテー自身も分からないのだが、ローラ達の一族は過去の諸々の文献を参考に女神の出現周期を大まかに割り出しており、彼等の推測が間違っていなければ、もう間も無く彼等の女神はこの世界に出現する筈であった。その上で、彼等はその降臨の可能性を高めるための特殊な「儀式」の準備に勤しんでいたのである。
 ところが先日、そんな「異界神降臨の儀」の噂を聞きつけた聖印教会の者達が、彼等の集落を襲撃して祭壇を破壊し、集落そのものも崩壊へと追い込み、彼等は各地に散り散りとなってしまったらしい。聖印教会から見れば、彼等はまさに「邪教の集団」であり、その勢力を根絶やしにすることは「邪神降臨を止めるための聖戦」なのだろう。ここ数年の間に聖印教会は急激に勢力を拡大しつつあり、集落の主だった者達は今も世界各地の聖印教会信徒達の間で「指名手配」状態になってるという。

「もしかしたら、いずれお前のところにも奴らの手が伸びるかもしれない。だが、大丈夫だ。心配することはない。我々には女神の加護がある。ヘカテー様の加護が有る限り、我々は負けはしない」

 手紙の最後にはそう綴られていた。あまりにも唐突な内容に、ローラがしばし呆然としている中、彼女は自分の背後から「誰かの視線」を感じる。振り返ると、そこにいたのはランスであった。

「……見てた?」

 彼女は手紙をパッと隠しながらそう問いかけると、ランスはいつもの「根拠のない自信に満ち溢れた顔」を浮かべる。

「我に任せておれ。我が宗教にかかれば、聖印教会などコテンパンだ」
「いや、あの、うん……」
「任せておれ」

 どこか微妙におかしな言い回しでそう語るランスに対して、ローラは言葉を濁しながら距離を取り、そして隣にいたメーベルへと寄り添う。

「あいつ、やっぱり苦手です〜」
「そうですか……」

 メーベルは溜息をつきながら、ランスを諭すように嗜める。

「ランスくん、人の手紙を勝手に見ちゃだめですよ」
「心配ない。他の者に話したりはしない」

 だからと言って、それは彼が覗き見て良い理由にはならないのだが、そのことについては一切悪びれるつもりはない。そして実際、彼の中には一切の悪意がない。だからこそ、その言動がより一層問題なのだが、そのことを彼に理解させられる者はこの場に誰もいない。
 なんとも言えない絶望的な空気が広がる中、やや面倒臭そうな声で、ラナが口を開いた。

「何はともあれ、まぁ、協力すべき時は協力しましょう」
「……そうですね」

 メーベルが力なくそう答える。ラナの中では、ランスはもはや「矯正可能な弟」だとは思われていないらしい。彼があくまで人の話を聞く気がないのであれば、彼のことは「話が通じない生き物」と割り切った上で、必要な時に力を貸してくれさえすればそれでいい、と割り切っているようである(逆に言えば、彼がそれすら出来ないような存在なら、いざという時にこちらから手を差し伸べてやる義理もないと考えているのかもしれない)。だから、メーベルやローラに対しても、その程度の存在だと割り切った上で彼と接してくれれば良い、というのが姉としての見解、ということなのであろう。
 そこまで割り切ってしまっている姉の心境をランスがどこまで理解しているのかは不明であるが、彼は胸を張って答える。

「当たり前であろう」

 ランスが何をどこまで分かっているのかは誰にも分からないまま、彼等は出立の準備に戻る。ローラは実家の一族のことを心配しつつも、ひとまずこのことは胸の奥にしまった上で、今は自分が為すべきことに専念しようと、心を切り替えていた。

 ******

 そして翌日、四人はアロンヌに向けて馬車で旅立っていく。師匠二人はその馬車を見送った後に、ようやくエーラムの人事部から「今回の無人島合宿参加者」についての詳細な連絡が届いていたことに気付くのだが、その名簿を見た瞬間、二人の中では「嫌な予感」がよぎる。

「兄上、この君主、もしや……」
「……まぁ、アロンヌにはよくある名前だ。偶然かもしれん」

 仮に偶然ではなかったとしても、これ以上口出しすべき問題ではないだろう。人形の義体に宿った兄師匠の魂は、心の中でそう呟いていた。

2.1. 謎の荒天

 数日後、アロンヌ南西部の港町エクレウスに到着した四人は、クロノス島に行くための小船を出してもらうために、船乗り達との交渉に赴く。クロノス島の所有者は「エーラム魔法師協会」扱いとなっているため、協会の許可がなければ日頃は誰も寄り付くことがない以上、当然のことながら「定期便」は存在しない。しかし、協会からの要請があればいつでも船は出すように、この港町の領主の契約魔法師からは命じられている。だが、それにもかかわらず、この日の港の船長達は渋った様子であった。

「うーん、クロノスかぁ……。あの海域、今はちょっと天候が荒れてるんだよなぁ……。とはいえ、もうしばらく待ったところで、晴れる保証もないんだが」

 船長達曰く、季節的にもこの時期に海が荒れるのは珍しい事例であり、何らかの混沌の作用が原因の悪天候である可能性が高いと彼等は考えているらしい。そうなると、確かにどの段階になれば晴れるのか予想は難しい。
 そう言われたローラは、ひとまずここで時空魔法を用いて未来予知を試みることにした。無数に広がる未来の中から「今すぐ出航した場合」において発生し得る事態に関するあらゆる状況を演繹的に求めてみた結果、彼女の脳裏には四つの言葉が導き出される。

「荒天」
「回避」
「悪化」
「経過」

 これらの言葉がどう繋がるのか、即座には判断出来ない。ローラはこの状況から様々な可能性について熟考する。

(今すぐ出ても荒天……、でも、それを回避しようとしても、経過と共に悪化する、ということなのかな?)

 ひとまず、その憶測に基づいた上で、改めて彼女は港の埠頭に立ち、周囲の混沌の気配を調べてみた結果、どうやら彼女のこの仮説が正しそうな状況であるという結論に至る。

「ローラちゃん、どうだった?」

 義姉からそう問われたローラは、素直に答える。

「このまま待っていても、悪化するみたいですね」

 それに対して、横からランスが口を挟む。

「ならば、今が目覚めの時……、いざ行かん!」

 勇壮なポーズをキメながら彼はそう言い切ったが、その直後に、なぜか「別の考え」が彼の中に唐突に舞い降りてきた。

「……あ、いや、しかし、この荒天が我に与えられた使命だとするならば、あえてその荒波を乗り越えて行くというのも……」

 一人で勝手にそう呟き始めるランスに対して、姉達は彼を置いて船長達の溜まり場となっている酒場へと向かって歩き始める。

「私達は今から行きますよ」
「当然、私も」
「姉さんとラナ先輩とはそう言ってるけど、ランスは行かないの?」

 そう言われて、自分一人だけがこの見知らぬ港町に取り残される光景を想像したランスは、急に表情を一変させる。

「待ってよ〜! 僕も行く〜!」

 やや涙目になりながら慌てて三人の後を追う彼の姿は、堕天使でも教祖でもない、ただの一人の弱気で臆病な14歳の少年であった。

 ******

 その後、彼等は渋る船員を説得して、荒波の海へと漕ぎ出すことになる。かなり激しい船揺れだったこともあり、メーベルは途中で船酔いに苦しむが、教養学部時代に習った基礎魔法の力を用いてどうにか平静を保ちつつ、彼等は無事にクロノス島へと到着した。
 なお、合宿期間は「最長でも一週間。早い段階で話がまとまれば、予定を前倒しして帰っても良い」とされていたため、ひとまず船長には「何も連絡がなければ、一週間後にまた来てほしい」と告げた上で、もし予定を早める場合は港町エクレウスの契約魔法師への魔法杖通信を用いた上で、誰かを派遣してもらうことにしたのであった。

2.2. 沈みゆく船

 それから数刻後、ローラの予想通り、クロノス島を取り巻く天候は更に悪化していった。そんな中、ワイバーンに乗ったエディ、セシル、SFCの三人もまた、徐々に島へと近付きつつあった。激しい雨風が吹き荒れる中、ワイバーンの上に乗っている彼等も激しい揺れに苦しんでいたが、どうにか悪酔いは食い止めていた(そもそも「機械」に三半規管なるものがあるのかどうかは定かではないが)。
 そんな中、セシルがふと荒れる海に目を向けると、そこで彼は「何か」を発見する。

「ねえねえ、エディ兄、あの船、沈みそうになってない?」
「どれどれ」

 セシルが指差した先には、荒海の中で半壊して沈みかけている船と、その上に立って救助を求めてると思しき人の姿があった。

「大変だ! 助けに行かなきゃ!」

 エディはそう叫ぶが、現在彼等が乗っているワイバーンは島へ直行するように召喚主に命じられているため、ここでエディが方向転換を命じても応じてはくれない。そこで彼は、聖印の力で小型化していた愛馬ロリータをその場で「本来の大きさ」に戻し、その鞍上に飛び乗ると同時に、聖印の力でその馬体から翼を出現させて飛行能力を付与する。

「頑張って下さいね。私はこちらでセシル様をお守りしていますので」

 ワイバーンの上からそう告げたSFCの言葉を背に、エディは「天馬」となった愛馬ロリータに乗って、荒海へと向けて急降下して行った。

 ******

 一方、既に島に着いていたメーベルもまた、海上で起きているその光景を目の当たりにする。

「見て、ローラちゃん、ペガサスだわ!」
「え? 本当ですか?」

 この世界において「翼を生やした馬」はそこまで珍しい生き物ではない。もっとも、それが「異界から召喚されたペガサス」なのか、「聖印の力で強化された馬」なのか、「混沌の力で生み出された合成獣」なのかを識別するのは難しい。
 メーベルはもともと、言葉が通じない普通の動物を相手に話しかける程の動物好きではあるのだが(エーラムの調査によれば、この世界には約36人に1人の割合で、そのような趣味趣向の人間がいるらしい)、さすがに遠目に見てこの「翼を生やした馬」の正体を見極めるのは難しい。ただ、その鞍上に誰かが乗っていることと、その天馬が向かう先に「船と思しき何か」がすることには気付いていた。

「あそこの船、沈みかけてるみたいね」
「あ、本当だ」

 二人がそんな会話を交わしている中、ラナが通りかかる。

「どうしたの?」
「ラナ先輩、あそこに沈みそうな船が……」

 ローラにそう言われたラナも、目を凝らしてその様子を確認する。

「あのペガサスは、それを助けに行こうとしてるのかな? でも、あの一騎だけじゃあ……」

 ラナがそう呟きながら何か手を講じようかと考えているところで、突如その場に現れたランスが、一目散に海に向かって走り出す。

「我が力を以ってすれば、この程度の荒海、どうということはない!」

 彼はそう叫ぶと同時に、海に向かって飛び込んだ。

「ランスくん!?」
「ランスのバカ! 勝手に一人で行っちゃ……」

 そもそも水泳の経験自体殆どないランスは、当然のごとくそのまま溺れ、海の底へと沈んでいく。その光景を目の当たりにしたラナは、深い溜息を吐きながら、魔法杖を構えた。

「仕方がない……。ベルちゃん、あとで『いつもの』ちょうだいね」
「オッケー。『いつもの』ね」

 ラナが言うところの「いつもの」とは、精神力を回復させるための魔法薬である。ラナは多大な精神力を消費することを覚悟した上で、水中呼吸の魔法を用いて、溺れたランスの救出へと向かうのであった。

 ******

 島の海岸でそんなやりとりが繰り広げられている中、天馬に乗ったエディは沈みゆく船のすぐ近くにまで到達していた。そこでは貴族風の装束を身にまとった男性が、聖印を掲げて救助を求めている。このタイミングで島に向かおうとした船に乗っていることから察するに、おそらくは無人島合宿に参加しようとしていた残り二人の君主だろう。

「大丈夫ですか?」
「あぁ、いますぐその馬に乗せてくれ!」

 二人のうちの片方がそう叫んだのに対し、エディは少し困った顔を浮かべる。

「そうですね……、この馬に同時に乗れるのは二人が限界ですが、上に仲間のワイバーンがいるので、まず一人を私がワイバーンまで届けた上で、また戻って来てもう一人を……」
「い、いや、待ってくれ! そんなことをしている間に、船が完全に沈んでしまう!」

 実際、彼等の足場の船(の残骸)は既に崩れかかっていた。

「仕方ない、ここは兄の私が優先だよな?」

 片方の君主がそう言ったのに対し、もう一人は「冗談ではない」と言いたそうな顔を浮かべ、そして次の瞬間、唐突に「何か」に気付いたような表情を見せる。

「兄上、待って下さい。私は名案を思い浮かびました。二人であの馬に乗りましょう!」

 そう言いながら彼は腰の剣を抜き、エディの乗騎を奪うために彼にその剣を向けようとするが、足場も不安定な状態だったこともあり、まともに剣を構えることも出来ない。
 二人がそんなやり取りを交わしている間に、エディは「待っている間にしがみついていられそうな、浮きやすい流木」などを探しているが、もともと内陸育ちの彼には、どれなら持ちこたえられそうかの判断が出来なかった。

「とりあえず、立ち泳ぎに自信がある方が残って下さい」

 エディは二人にそう告げるが、二人は猛反発する。

「無理だ! 俺達は内陸育ちなんだよ!」
「いや、兄上は少し前まで港町を治めていたではないですか!」
「治めてただけだ! 海で泳いだことなんて、一度もない! 仕方ない。やはり力づくであの天馬を……」

 彼がそう言いかけたところで、彼等が立っていた「足場」が完全に崩壊して、二人は海に投げ出される。どうにか船の残骸に二人がそれぞれしがみついて沈むのを防ごうとする中、エディはひとまず自分の近くにいた「兄」と思しき方を抱え上げる。

「頑張って浮いてて下さい!」

 彼はそう叫ぶと、全速力でワイバーンに向かって飛び上がり、何も説明せぬまま彼をワイバーン上のSFCに向かって投げつける。

「この人、よろしく!」

 訳も分からないままSFCがその男を受け取るのを確認すると、エディは急回転して海上へと戻る。すると、そこには、掴んでいた流木をも失って海の底へと沈みかけていた「弟」の姿があったが、間一髪のところでエディが彼をどうにか海中から引っ張り出して、そのままワイバーンの元へと再び飛び上がって行く(なお、その間に島の方でも、無事にランスはラナによって救助されていた)。
 ワイバーンの近くまで到達したエディは「弟」を鞍上に乗せた状態のまま、ひとまずワイバーンの傍をそのまま天馬に乗って並走する。

「エディ様、お疲れ様です。で、この『磯臭いヤツ』はなんです?」
「溺れていた人、だよね?」

 SFCとセシルにそう問われたエディは、気を失った状態の「弟」を聖印の力で回復させながら答える(なお、兄の方も天馬による突然の急浮上によって心身共に混乱したのか、この時点で既に意識は朦朧とした状態であった)。

「あぁ、多分、二人とも君主だと思う。警戒はした方がいいかもしれないが、一応、介護を頼むよ」
「とりあえず、正体と目的を調べるために、拷問でもしますか?」

 物騒なことを言い出すSFCの隣で、セシルが聖印を掲げる。

「いや、まずは治さなきゃ」

 セシルもまたエディと同様に、聖印の力で「兄」の身体を回復させていく。その間に、先にエディに治癒されていた馬上の「弟」の方が目を覚ました。

「助かった……、全く、聞いてないぞ、魔法師協会が所有する比較的安全な島だと聞いたから私は来たのに……」

 やはり、この男は「無人島合宿」に参加予定の君主であるらしい。そのことを確信した上で、エディは問いかける。

「というか、船が大破していたようですが、何があったのですか?」
「ダイオオイカに襲われたんですよね、分かりますとも」

 横から口を挟むSFCを無視して、その君主はエディの質問に答えた。

「分からん。渦潮だか竜巻だかよく分からん何かが起きて、船が急にグワーっと揺れて、浸水が始まって、それを止めようとした船員達も次々と海に投げ出されて……」

 エディが海面まで辿り着いた時点では、その船員達の姿は発見出来なかった。可哀想だが、今から救出しようにも、もう手遅れだろう。

「なるほど。漂流するイベントですね。あ、でも、これでシナリオから外れてしまったんじゃないですか? 大丈夫ですか? やっぱり、もう一回漂流した方が……」
「……お前は何を言っているんだ?」

 SFCの意味不明な発言に困惑する「弟」に対して、エディは淡々と助言する。

「彼女はこういう人なので、あまり気にしない方がいいですよ」
「あぁ、イベントが、イベントが……」

 一人で勝手に「何か」を心配するSFCを無視して、エディは改めて「弟」に対して語りかけた。

「申し遅れました。俺はエディ・ルマンドと言います。君主です。あなた方は?」
「私はフィリップ・コンドルセ。さっき先に助けてもらった方が、兄のルイ・コンドルセだ」

 その話を聞いたSFCは、ピタッとそれまでの動きを止めて、通常の口調で語り始める。

「一緒に合宿に参加すると言ってた人ですね」

 そう言われたフィリップもまた、この時点で概ね状況を理解した。

「ということは、貴公らがブレトランドの君主殿か。よろしく頼む」

 つい先刻、エディを殺して馬を奪い取ろうとしていたことなど無かったかのように、いけしゃあしゃあと彼はそう語る。

「貴公らもブレトランドの山岳地帯の人々だと聞いているが、まったく、エーラムは何を考えて我々をこんな不慣れな荒れた海に……。我々に何か恨みでもあるのだろうか」
「荒れた海……、孤島……、密室殺人……」

 SFCがなにやら小声で不吉な言葉を呟く中、彼等の視界にはようやくクロノス島が見えてきたのであった。

2.3. 自己紹介

 一方、ランスを無事に救助した魔法師達もまた、近付いてくる「彼等」の存在に気付く。

「姉さま、あれ、さっきのペガサスでは?」
「あら、ほんとね。ペガサスね」

 ローラとメーベルがそんな会話を交わしている中、更にその後方からは巨大なワイバーンの姿が現れる。

「あれは、我が眷属……」

 ランスが勝手にそう呟く。実際、ランスが所属する召喚魔法学部の青の学派では、ワイバーンを呼び出す手段は既に確立されており、ランス自身はまだ未修得であるが、いずれは自分自身の手でワイバーンを呼び出して世界を駆け回る姿を日々妄想している。
 そんな中、メーベルは、ワイバーンに乗っている「三人」の中の一人が「見覚えのある人物」であることに気付いた。

「ん、んん〜……?」

 そして、先刻セシルの治療によってようやく息を吹き返したばかりの「彼」もまた、そのことに気付いた様子である。ワイバーンが島に到着し、三人が降りたところで、「彼」とメーベルはほぼ同時に叫んだ。

「なぜお前がここにいる!?」
「なんであなたがここにいるんですか!?」

 エディによって助けられた「兄」ことルイ・コンドルセとは、かつてメーベルが契約していたルイ・デュヴェルジェと同一人物であった。彼はかつて、アロンヌ西岸の港町イオを治める名門貴族家デュヴェルジェ家の婿養子として招かれたが、あまりの女癖の悪さ故に、先日妻に見限られて離縁され、実家であるコンドルセ家へと「出戻り」することになっていたのである。
 そんな二人のやりとりを目の当たりにしたエディがルイに問いかけた。

「おや、知り合いですか?」
「いいえ!」

 ルイよりも先にそう答えたのはメーベルである。彼女の中では、ルイと自分が友人であるかのような言い方をされたことが、極めて不本意だったらしい。一方で、ルイは何かに気付いたかのような表情で語り始める。

「そうか、この嵐はお前の陰謀だな! お前が私に嫌がらせをするために……」
「そんな訳ないでしょ! あんたのことなんて微塵も気にしてませんよ!」

 メーベルが激昂する中、実直なエディは率直に彼女に問いかける。

「陰謀だったんですか?」
「違いますよ! っていうか、誰ですか!?」

 怒りに我を忘れた様子のメーベルがそう叫ぶ一方で、ルイはエディに語りかける。

「気をつけなされ、エディ殿、この女は私に因縁をつけて、私に濡れ衣を着せて、私が養子先から追い出されるきっかけを作った女です!」
「そうなんですか!?」

 実際のところ、メーベルとの契約破棄の一件は、それまで無理矢理ごまかしていたルイの乱行の数々が表沙汰になる上での一つの契機ではあった。

「それはそもそも、あんたが毎晩毎晩、私の部屋に夜這いに来るからでしょうが!」
「そうなんですか!?」
「い、いや、違う! あの女が私を誘っていたのだ!」

 そんなやりとりが交わされる中、SFCがルイの手を掴む。

「……ちょっとこちらに来て頂けませんか?」

 どうやらSFCの中での「子供向け玩具としての『何かの規定』」に引っかかったらしい。少なくとも、このような話をセシルの目の前で交わされることは、教育上よろしくないと判断したようである。
 とはいえ、セシルはこの時点で、そもそも二人が何の話をしているのかも理解出来ていなかった。むしろ、この会話に動揺していたのは、彼よりも少し年上(思春期)のランスである。

「ふ、不純なのはいけないであろう! いけないんだぞ!」

 彼は顔を真っ赤にして叫ぶ。血の繋がらない姉達に囲まれて育った彼であるが、どうやらこういう話にはあまり免疫がないらしい。
 そしてこの混乱した状況をどうにかまとめようとしたのか、エディが更に「余計な一言」を口にする。

「なるほど。喧嘩するほど仲が良いということなんですね」

 メーベルにしてみれば、全くもって不本意な言われ方だが、ここでムキになって反論しても逆効果だと思ったのか、ひとまずグッと怒りをこらえて黙り込む。そんな彼女を遠目に見ながら、フィリップはボソッと呟いた。

「あー、なるほど。あれは確かに兄上の好みだ……」

 どうやらルイは「小柄で可愛らしい女性(その上で抱き心地が良ければ尚良し)」が好みらしい。ルイの女癖の悪さを熟知しているフィリップは、「どうせ悪いのは100%兄上なんだろうな」と思いながらも、冷めた目でこの状況を達観する。
 色々と状況がよく分からなくなってきている中、改めてエディがメーベル達に問いかけた。

「ところで、エーラムからの魔法師の方々とお見受けしますが」
「はい、そうです」

 ひとまずルイのことは無視することにしたメーベルは、気を取り直してそう答える。

「はじめまして。俺はトーキー村の領主であるエディ・ルマンドと申します」
「はじめまして。私はリアン一門の……」

 メーベルがそこまで言いかけたところで、唐突にランスが「謎の決めポーズ」を披露しながら、エディ達に向かってこう呟いた。

「混沌に、呑まれよ」

 彼の中では、最高にイカした挨拶のつもりだったのかもしれないが、すぐさまローラとラナが彼の前に立ちはだかって、君主達の視界から彼のことを隠そうとする。

「ごめんなさい、この子のことは放っておいて下さい」
「あまり外に出なかったもので、このような世間知らずな子になってしまいまして……」
「いやいや、世の中のことは理解しておるぞ」

 そんな混乱した状況の中で、今度はSFCが両者の間に唐突に割って入る。

「本日の面接官を担当しております、SFCと申します。では、まず志望動機からお願いします。どうぞ」

 だが、それに対してはエディが一旦制止した。

「いや、待ちなよ。先にセシル達も挨拶すべきだと思うよ」
「あ、それもそうですね」
「ほら、セシル」

 そう言われて前に押し出されたセシルは、少し緊張した面持ちで語り始める。

「はじめまして。マーチ村の、領主の、セシル・チェンバレンです。あの、僕のところには、その、今まで、正式に契約を結んだ魔法師の人はいなくて……、その、研修で来て下さっていた人はいたのですが、色々あって、その人はもう帰られてしまって……」

 なお、その魔法師も時空魔法師だったのだが、不採用になった理由は「雷撃の魔法を使えるから」ではない(もっと致命的な問題を彼女は抱えていた)。とはいえ、別にそのことを今ここで話す必要もない、ということに気付いたセシルは、そもそも何をどこまで話せば良いのかも分からなくなり、ひとまず話を終える。

「……よろしくお願いします」

 この時、メーベルとラナは、セシルが精一杯明るく振る舞おうとしているものの、どこか無理をしているような雰囲気を感じ取っていた。

「はじめまして、セシル様。私はメーベルと申します。先程は取り乱してしまって、本当にすみませんでした。私、薬品を作るのが得意な錬成魔法師ですので、困ったことがあったら何でも言って下さいね」
「じゃあ、私も自己紹介させて頂きますね。私はラナ・リアンと申します。元素魔法師ですので、自然関係のことでしたら割と得意です。よろしくお願いしますね」

 二人がそう言って挨拶している間、SFCは「面接官」としてメモを取りながら、二人の様子をつぶさに観察していた。そんな彼女の目の前に今度はランスが現れて、「イカしたキメポーズ」と共に自己紹介を始めようとする。

「我が名は、堕天使ヤマトゥ!」
「あ、はい、もう結構です」

 SFCはこの時点で、彼から「村に招き入れてはならない何か」を感じ取ったらしい。だが、気にせずランスはそのまま語り続ける。

「ヤマト教の教祖であり、ヤマト教の全てを司る者!」
「では、結果は後日郵送致しますので」

 SFCがそう言われて強引に話を打ち切られると、彼はラナによってその場から引きずられながら退場しつつ、最後にセシルに対してドヤ顔で言い放った。

「セシル、よろしく頼むぞ」

 どうやら彼は、最初から「セシルの教育係」としての座に狙いを絞っているらしい。もっとも、セシルの保護者の中では、この時点で既に彼の評価は最低レベルにまで達していたのだが。

「ごめんなさい。あの子の名前はランス・リアンです。よく分からないこと言ってたと思いますが、気にしないで下さい」

 メーベルはそう説明した上で、義妹に視線を向ける。

「ほら、ローラちゃんも」

 義姉にそう言われたローラは、「彼の後はやりにくいんだよなぁ……」と言いたそうな表情を浮かべつつ、おずおずと語り始める。

「ランスがすみませんでした。私は、ローラ・リアンと申します。夜藍の学派の時空魔法師ですので、何か色々とお手伝い出来ればいいなと思ってます」
「時空魔法師?」

 SFCの表情が一瞬にして強張る。そして彼女は、自分にとって最も重要な質問をローラに投げかけた。

「雷撃の魔法は?」
「なんですかそれ? 知らないです」

 時空魔法師の中でも、雷撃の魔法を用いるのは「藍の学派」の者達であり、ローラの所属する「夜藍の学派」の魔法体系の中には含まれていない。それでも生粋のエーラムの時空魔法師であれば、その存在自体は知っていて当然なのだが、彼女の場合はそもそも学外からの編入生だったこともあり、他流派の魔法まで把握していなかったらしい。

「では、大丈夫です」

 何がどう大丈夫なのか分からないままSFCにそう言われたローラであったが、ここで、それまで黙って話を聞いていたルイが、唐突に口を開く。

「なに? 貴様、時空魔法師のくせに雷撃も打てないのか? まったく、それでは戦争の時に役に立たないではないか」

 唐突にそう言われたローラはムッとした様子を見せる。そして当然、よりによってルイに妹を侮辱されたメーベルはそれ以上に露骨に嫌悪感に満ちた顔を浮かべていたのであるが、気にせずルイもまた自己紹介を始める。

「私はルイ・コンドルセだ。私が治めるホール村はアロンヌのルクレール地方の内陸部にあり、牧畜業が盛んで、最近は養豚業が主産業となりつつある。まぁ、それなりに税収は安定しているし、治安も悪くないぞ」

 実際のところ、ルイが以前に養子入りしていた港町イオに比べるとやや見劣りはするものの、彼が引き継ぐことになった実家の領地も、マーチやトーキーに比べれば圧倒的に豊かな土地である。ただ、メーベルはもちろん、彼女から悪評を散々聞かされていたラナとローラもまた、最初から訝しげな目で見ているため、いくら自領の産業を自慢したところで、あまり彼女達の中での好感度が上がった様子はない。
 だが、「だが、平和で安定した所領」という話に対して、一人だけ微妙に興味を示している者がいた。ランスである。

「布教にはうってつけだな」

 小声でボソッと彼はそう呟く。彼の中では本命はセシルなのだろうが、基本的には布教出来そうな環境さえあれば、どこでもいいらしい。もっとも、平和で安定した土地柄が新興宗教の布教にとって好条件なのかどうかは分からないのだが。

「何か今、不穏な言葉が聞こえたような……」

 微かに義弟の言葉を聞き取ったラナが嫌な予感に顔を歪ませている中、メーベルは義妹に改めて注意勧告する。

「ローラちゃん、気をつけてね。この人、油断をすると夜這いをかけて来るから」
「はい、お姉さま」

 そんな二人のやりとりを見ていたフィリップは、ローラがメーベルと同じくらいに小柄な女性であることを確認した上で、彼女もまた確かに兄の好みに合致していそうなことを実感しつつ、ここでルイとメーベルの口喧嘩が再発するのも面倒だと思い、淡々と自己紹介を始める。

「私はフィリップ・コンドルセ。我が所領のライト村はこちらの兄ルイの所領のすぐ隣だ。我が村ではどちらかというと農業の方が盛んで、主にライ麦が主産業となっている」

 二人の主家であるギャロス家(ルクレール伯爵家)は元来はノルドからの入植民で、アロンヌの中では珍しい武闘派の一族と言われているが、この二人は昔からのアロンヌの土着の農耕貴族の末裔らしい。
 フィリップはそこまで言ったところで、ふと周囲を見渡しながら、魔法師達に問いかけた。

「で、この島には我々が暮らすための木造小屋があると聞いているのだが、それはどこに?」

 彼がそう言ったところで、セシルがヒュースから預かっていた地図を取り出して皆で確認してみたところ、どうやら今、彼等がいる場所は島の東岸であり、合宿用の木造小屋はここから少し歩いた南岸の方面に存在するらしい。それぞれに微妙な感情を互いに抱き合いつつ、四人の魔法師と四人の君主、そして一人の投影体(玩具)は、南岸へと向かって歩み始めるのであった。

2.4. 金槌亀

 彼等が海岸線に沿うような形で南岸へと向かって歩を進める中、ローラはふと、自分達が進もうとしている道の先から、奇妙な気配を感じ取る。

「ね、姉様、あっちの方から物音が……」
「あら、物音? 何でしょうね。まぁ、動物とかじゃないかしら」

 メーベルはそう答えるが、動物好きの彼女の記憶の中にある「動物の出しそうな足音」とは若干異なるような気もする。そんな中、ローラの耳元でSFCがボソボソと囁き始める。

「誰もいない筈の孤島で、謎の足音が……、そして、第一の被害者が現れる……」
「ヒィ!」
「ローラちゃん、大丈夫?」

 思わずメーベルが心配して声をかけるが、ローラは涙目で周囲を見渡す。

「え? ここにいるの、私達だけだよね?」

 それに対して、今度はラナが答える。

「話ではそう聞いてたけど……」

 だが、そう言いながらも、ラナもまたこの先に何か嫌な気配を感じ取っていた。しかも、その気配はかつて彼女の赴任先を襲ったあの宿敵バウザーの気配にどこか似ているような、そんな悪寒が彼女の中で広がりつつあった。
 こうして魔法師達が徐々に警戒心を強める中、ランスだけは何も考えずに意気揚々と先頭に立って歩き続ける。だが、そんな彼が進もうとしていた先に、ローラは「何か」を発見する。

「姉様、何かが飛んで来ます!」

 言われた直後にメーベルも叫ぶ。

「皆さん、気をつけて!」

 だが、先頭に立っている筈のランスは、なぜか気付かない。

「何を言っているんだ、ん?」

 そう言ってランスが振り返った直後、彼の頭上から無数の「金槌」が降り注いできた。次の瞬間、このままでは大量の鉄の塊が自分に直撃することをランスはすぐに理解する。

(これ、死ぬか?)

 鍛え上げられた屈強な戦士ならともかく、身体的にはただの14歳の子供であるランスならば、ほぼ間違いなく即死だろう。脊髄反射的に彼は叫んだ。

「オルトローーーーース!」

 即座に彼の目の前にタルタロス界の地獄の番犬が出現し、金槌の一部を受け止めてくれたおかげで、どうにかランスは一命を取り留める。だが、そのオルトロスでも止めきれなかった金槌を身体中に受けて、彼は相当な深手を負ってしまった。
 その金槌が飛んできた方角に皆が目を向けると、そこにいたのは二体の 大型の金槌を手にした人間と同等の大きさの二足歩行の亀 であった。ラナの目には、彼等はバウザーよりはかなり小型であるものの、どこか似た匂いを感じ取る。そしてSFCにとって彼等は明らかに「見覚えのある亀」だった。

「セシル様、少し下がっていて下さい!」

 SFCはそう叫ぶ。彼女の記憶にある限り、この「金槌を投げて来る二人組の亀」はなかなかの強敵であり、万が一にもこんなところでセシルに怪我を負わせるわけにはいかない。そして実際、SFCのゲームを通じてその亀達に見覚えのあるセシルは、彼女の意図を察してその金槌の射程範囲の外側まで後退した。
 そのセシルと入れ替わるようにエディが再び天馬に騎乗して前線に出る一方で、既に最前線に立っているランスは自らの頭上に「炎を纏ったカボチャの魔物」であるジャック・オー・ランタンを呼び出し、そして大声で叫んだ。

「ジャック、炎の玉だ!」

 彼の指示に従い、ジャック・オー・ランタンは手前にいた方の亀に対して炎を投げかけ、それに続いてランス自身もまた魔法杖を構える。

「ヤロウ、ぶっ殺してやる! 俺にハンマーを当てた罪……」

 ランスは、まるで「抑圧していた第二の人格が金槌を受けたことによって解放されてしまい、先刻までとは別人になったかのような表情」を浮かべながらそう呟きつつ、攻撃魔法を仕掛けようとするが、その動作の途中で、次に同じ量の金槌が飛んで来たら、(たとえオルトロスで庇ったとしても)今度こそ間違いなく即死すると確信する。そして今、この状況でまだ自分が最前線に立っていることも自覚していた。

「いくぜ、俺の必殺技! キュアライトウーンズ!」

 そう言いながら、彼はおとなしく自分に回復魔法をかける。

(必殺技なのに、回復なのか)

 SFCは少し驚いた表情でその様子を確認する。口では大言壮語ばかり吐いているようだが、いざ戦いになった時は、ある程度冷静な行動が取れる程度の判断力は持ち合わせているらしい、という意味で、少し評価を改めたようである(それでもまだ圧倒的にマイナスポイントが貯まった状態ではあるのだが)。
 一方、ラナは土の元素を利用した攻撃魔法を、そしてローラは基礎魔法の衝撃波をそれぞれ手前の亀に向かって投げかけ、更にエディが疾風の如く空を駆けながら同じ亀に向かって突撃しつつ、激しく斬りつける。だが、さすがに屈強な甲羅によって阻まれていたこともあり、今ひとつ強い手応えを感じられない。
 更に続けてSFCもその亀に対して接敵しつつ、その周囲の空間に「彼女の世界」における自然律を浸透させる。その結果、彼女とその亀の周囲だけが、「解像度の荒い光景」となり、その上で彼女は亀に殴りかかるが、その一撃は甲羅によって完全に弾き返されてしまう。

「さすがに硬いな。やはり亀にはファイアーボールか」

 実際、その亀は最初に受けたジャックの火炎攻撃が最も効いているように見えた。その時の炎の後遺症に苦しみながらも、その亀は即座にその場から離脱しつつ、エディとSFCに向けて(どこから生み出しているのかも不明な)大量の金槌を投げかける。これに対してエディは避けきれずに深手を負い、SFCは前転しながら避けつつ、その亀との間合いを詰めようとするが、その彼女のところに続けざまに後方の亀が金槌を投げ込み、今度は避けきれずに彼女もまたその身体を激しく損傷させる。
 この時点で、エディもSFCも、次に同じ攻撃を受けたら今度は命に関わるほどの重症であったが、その様子を見ていたメーベルは、ひとまず手前にいたエディに向かって走り込みつつ、自身が持っていた魔法の傷薬を投げかけたことで、かろうじてエディは息を吹き返す。
 その直後、ジャック・オー・ランタンの二発目の炎で、どうにか手前にいた方の亀は倒された。この結果、SFCが言っていた通り、やはりこの亀達には炎攻撃の方が得策と判断したラナは、大量の精神力を消費することを覚悟した上で、後方の亀に対して業火の魔法を解き放った。その炎は亀の身体全体を覆い尽くし、それでもなんとか立ち続けてはいるものの、その亀の表情は苦悶に満ちている。だが、ラナもまた大規模魔法を費やしたことで、少し足元がフラつくほどに精神は疲弊していた。

「ラナちゃん!」

 メーベルはそう叫びつつ、今度は彼女に精神回復薬を投げつける。それと時を同じくして、ランスもまた後方の亀に向かって、今度は炎系の瞬間召喚魔法を叩き込んだ。

「ウィル! オー! ウィスプ!」

 彼の放った鬼火の一撃は亀を直撃し、更にその表情を歪ませる。一方、炎を生み出す攻撃魔法を持たないローラは、先刻と同じ衝撃波の魔法を後方の亀にも喰らわせようとするが、今度は避けられてしまった。やはり、夜藍の学派である彼女にとっては、そもそも魔法によって相手を傷つけること自体が専門外らしい。
 だが、その彼女の汚名返上の機会はすぐに訪れた。エディが後方の亀に向かって突撃して斬りかかろうとした瞬間、彼女は基礎魔法を用いて彼のその動きをより俊敏に強化したことで、亀はその一撃を避けきれず、その首を斬り落とされたのである。このように、味方を魔法で支援することこそが、補佐役としてのローラの真骨頂であった。
 こうして、どうにか目の前の脅威を退けた彼等であったが、ここで後方に下がっていたセシルが、最前線で戦っていたSFCに向かって叫ぶ。

「SFC! さっきの二人のお兄ちゃんが、どっか行っちゃったんだけど……」

 皆、その存在そのものを忘れていたようだが、確かにこの戦闘中、ルイとフィリップは何もしないまま、いつの間にかこの場から姿を消していた。

「あ、そういえば、いませんね。まぁ、アレですよね、こういうのって大抵、単独行動した人から悲惨な目に遭いますよね」

 自分の所持しているホラー系のソフトを思い出しながらそう語るSFCの横で、エディはセシルに問いかける。

「セシル、二人は何か話していた?」
「うん、なんか後ろで何かコソコソ話しているな、とは思ってたんだけど、気付いたら、いなくなってた」
「どっちに行ったかは分かる?」
「うーん、足跡を見れば分かるかな……」

 そう言って彼は足元を確認するが、今のところこの海岸には他に人の様子もないので、少し調べればすぐに分かった。どうやら、二人は「今来た道」を戻るような形で、この場から走り去って行ったらしい。

「逃げましたね」

 絶海の孤島サバイバルのセオリーを思い出しながら、SFCはそう呟く。

「逃げたんじゃないですか」

 ルイがいなくなって清々したような表情で、メーベルはそう呟く。

「でも、逃げるって言っても、どこへ? ここ、島だよね?」

 セシルが心配そうな声でそう問いかけると、ひとまずエディが冷静な表情で答える。

「先に小屋に行ってるのかもしれない。二人はさっきまで溺れてたこともあって、まだ戦える状態じゃなかったんだろうし。とりあえず、小屋に行って状況を整理しよう」

 エディはそう言ったが、少なくとも彼等が走っていった方角は、明らかに小屋とは真逆である。とはいえ、小さな島なので、反対回りで回り込もうと考えている可能性もあるだろう。いずれにせよ、今は彼等を追うよりも、まずは安全な拠点としての木造小屋を確保することの方が先決であろうというのが、この場に残された七人の共通見解であった。

2.5. 生活圏の確保

 だが、七人が地図に書かれた「木造小屋のある筈の場所」へとたどり着いた時、そこに広がっていたのは「木造小屋だったもの」の残骸であった。

「これはおそらく、何か巨大な生物に踏み潰された跡でしょうね」

 SFCはそう分析する。彼女はヴェリア界にいた頃、幾多の「廃棄された建物」と遭遇していたが、それらの中でも「巨大怪獣や巨大ヒーローに踏み潰された家」の形状に近いように思えた。それに加えて、その崩れた小屋の奥の方には、「巨大な何者か」が島の中央の山岳部の方面に向かって歩いて行ったかのような痕跡も見られる。
 この光景を目の当たりにしたラナは、ますます自分の中で「嫌な予感」が自分の中で高まっていくのを実感する。先刻の二匹の「亀」も含めて、かつての自分の赴任先を破壊したあのバウザーがもたらした混沌災害と、あまりにも状況が酷似していた。
 そんな彼女の心配をよそに、SFCは自分の記憶の中にある開拓ゲーム(アクトレイザー?)の知識をフル回転させる。

「これくらいだったら、頑張って直せばどうにかなると思います。ということで、D・I・Yをしましょう」

 SFCが地球にいた頃にそんな言葉があったかは定かではないが、ひとまず、小屋を建て直すための木材となりそうな木々は、この自然豊かな島にはいくらでもある。

「そうだね。契約魔法師を迎えるために来たのに、このままでは落ち着いて話し合いも出来ないからな」

 エディはそう言いながら、小屋の残骸の状況を確認する。森に囲まれた村で育ったエディにしてみれば、木造小屋の修復など日常茶飯事である。幸い、小屋の骨格となる柱の大半は無事だったため、ちょっとした雨風をしのげる程度の強度の小屋ならば、陽が落ちるまでにはどうにか再建出来そうに思えた。 

「そうですねぇ」
「せめて寝る場所だけでも欲しい」

 メーベルとラナはそう呟きつつ、ローラやランスと共に、エディとSFCの指示に従って、小屋の再建作業へと乗り出すことになった(なお、セシルも手伝おうとしたが、11歳の子供に肉体労働をさせることには皆抵抗があったようで、ひとまず作業中の彼等の周囲を警戒する役に回されることになった)。

 ******

 まず最初に必要なのは、小屋を再建するために役に立ちそうな木材の調達である。この島の木々は針葉樹林中心のブレトランドとは明らかに異なる生態系の植物であったが、エーラムの魔法師達は魔法の習得と同時にこの世界に関する幅広い知識を植え付けられていたため、彼女達がその知識を活かして「建材として使えそう」と判断した木々を、エディとSFCが小屋に残されていた手斧で切り倒していく。

「よし、ジャック、この木をさっきの小屋のところまで運んでくれ」
「いや、燃えるから! やめて!」

 ローラに止められたことで、しぶしぶランスは姉達と共に、自力で木々を運んでいく。本来非力な魔法師達にとってはかなりの重労働であり、ラナは途中で体力を使い果たしてセシルと共に木陰で休まざるを得なくなってしまったが、そんな中、意外にもランスが効率良く運ぶ方法を見つけ出し、更に途中からは伐採を終えたSFCが大量の木材を一人で軽々と抱え上げて運んだ結果、当初の目算よりも早めに移送に成功する。
 その後の製材と組み立ての作業では、逆にランスは殆ど役に立たなかったのであるが、エディの愛馬にも様々な形で手伝ってもらいつつ、どうにか小屋を「かろうじて人が住める程度」にまで復元することに成功する。

 ******

 だが、この時点で彼等にはもう一つの難題が残されていた。それは「食料の調達」である。本来、この小屋には「魔法で軽く手を加えるだけで食べられる状態になる非常食」が常備されている筈だったが、小屋そのものと同様に、それらも残骸程度の形状でしか残っていなかった。
 しかし、こんな時でもSFCは抜かりがない。

「調理道具は私が持ってます。あとは食材さえあれば」

 なお、SFCには非売品の「料理を題材としたゲーム」も存在するが、彼女がそれを所持しているかどうかは定かではない。
 こうして自力で食料調達に赴いた彼等は、SFC、エディ、ランスの三人が森の中を徘徊していた兎を何羽か捕まえる一方で、ラナ、メーベル、ローラは食べられそうな山菜を手に入れることに成功する。その後、SFCがそれらを異界の調味料(?)を用いて美味しく調理したことで、どうにか彼等の疲労は幾分回復することになった。

 ******

 そうこうしている間に陽は落ちる。一応、小屋内には二つの「小部屋」が作られていたため、男性陣と女性陣に分かれて、それぞれの小部屋で就寝することになった。
 ただし、この島にはまだ何が潜んでいるかも分からないため、何らかの形での「見張り」は必要となる訳だが、その点に関してはランスが呼び出したジャック・オー・ランタンに任せることにした。ランスはジャックに小屋の周囲を飛び回って周囲の様子を確認し続けるように命じつつ、それに加えてもう一つ、個別の指示を付け加えた。

「兄弟っぽい男二人が来たら、追い払うように」

 「彼等」が今回の諸々の異変の黒幕だと認定する証拠はどこにもないのだが、ランスとしては彼等の態度が色々と気に入らなかったらしい。これは完全にランスの独断による暴走であったが、いつもならば彼のお目付役である筈のメーベルも、この時ばかりは同意する。

「特に『年上っぽい方』は、出来れば焼いちゃって下さいね、ジャックくん」

 ジャックにその識別が出来るのかどうかは不明だが、ともあれ彼等は、こうして「この島での生活圏」をどうにか確保するのであった。

2.6. 男部屋の様相

 ようやく落ち着いてくつろげる空間を得た彼等は、男女それぞれの部屋に分かれて、かろうじて残っていた布切れの残骸をまとめて、簡易ベッドを作り上げる。男部屋ではセシル、エディ、ランスの三人が、それぞれの体格に合わせた形で毛布を並べていた。

「大変だったね、エディ兄」

 セシルはそう言いながらも、どこか楽しそうな雰囲気でもあった。初めて訪れた無人島での様々な出来事に、どこか心踊ってる様子にも見える。

「そうだな。結局、あの二人はどこに行ったのか分からないままだし……」

 エディはその点がまだ気掛かりではあったのだが、今の時点でこれ以上考えても仕方がないと判断し、話題を変える。

「そういえばランス君はさっき『ヤマト教』とか言ってたけど、それはどんな宗教なんだい?」

 問われたランスは、水を得た魚のように活き活きとした目で語り始める。

「うむ、よくぞ聞いてくれた。我がヤマト教は、この我、堕天使ヤマトゥを教祖とした、全く新しい宗教だ」
「そうなんだ。君は教祖なんだね」
「あぁ。当然である。まぁ、戒律は特に無い。邪悪なものを許さない正義の宗教だ」
「そうか、それはいいな」
「ただし、寝るときは必ず、全員『全裸』である」
「へぇ〜」
「これは、他の宗教の『なになにを食べてはいけない』などと一緒だ」
「信者の人はどれくらいいるんだい?」
「世界の人口の……」

 ランスは自分の中での綿密な妄想に基づいて正確に算出しようと試みる。

「……82%、のつもりでいる。君達は、残りの18%の人だろう」
「そんなに沢山の人が入っている宗教なのか。知らなかったよ」

 今まで、ヤマト教の話をここまで真剣に聞いてくれた人がいなかったこともあり、ランスは上機嫌になる。そしてセシルも目を輝かせながら感嘆の声を上げた。

「すごーい」
「セシル君、君も82%の一員になろう!」
「僕、ブレトランドの外に出たことがなかったから分からなかったけど、世界にはそんな大きな宗教があるんだね」
「我が宗教は多神教だ。いろんな神様がいて、みんないいという宗教だ」

 ランスは更に調子に乗り始めるが、ここまで長く誰かに教義を語ったことがないため、そろそろ話す内容が無くなり始めて、徐々に話す内容がブレ出していく。だが、セシルもエディもそのことにも気付かず、素直に彼の言うことを真に受けてしまう。

「ずいぶん、懐が広い宗教なんだな。だから信者も沢山いるんだな」

 改めてエディにそう言われたランスは、少し照れながらも胸を張って答える。

「もちろんだ!」
「すごいな、ランス君は」

 ここまで率直におだてられた経験もないランスは更に増長したまま、妄想話を更に加速させていくのであった。

2.7. 姉弟子達の見解

 そんな話が繰り広げられていく中、そろそろ本格的に就寝予定時刻になろうとしていた頃合いで、SFCが「男部屋」の扉を開いた。

「皆さん、寝る前に暖かいお茶はいかがですか?」

 ちょうどその時、部屋の中ではランスが「自らの教義」に従って、全裸になるために下着を脱ごうとしていたところであった。そんなランスと目が合ったSFCは、冷たい表情を浮かべながら口を開く。

「失礼ですが、さすがに仮にも他国の君主の前で『そのような格好』をするのはいかがなものでしょうか?」
「う、うむ……、君主には君主の礼節があるのかもしれないが、我とて宗教上、やらねばならないことはある。寝る時は必ず全裸。これは教祖として、譲れない」
「なるほどなるほど」

 SFCは淡々とそう言って頷きつつ、セシルに視線を移す。

「セシル様、このように何らかの宗教を信奉される方々の中には、譲れない一線というものが多々あります。よって、このような頑固な戒律に縛られた方々を契約魔法師として採用するのは難しいと思うのですが、いかがでしょうか?」
「でも、この世界の82%の人達はそのヤマト教の信者だと言ってたから、ブレトランドの外では、服を着ないで寝るのが普通なんじゃないの?」

 純粋な瞳でそう答えるセシルの横で、エディもまた頷きながら呟く。

「そうそう。それが多数派だったとはな。知らなかったよ」

 実際のところ、この世の中には確かに全裸で寝る習慣の人々は存在するが、エーラムの調査によるとその割合は全人口の中で「約36人に1人」程度と言われており(つまり、動物に話しかける人々と同程度の割合)、しかも彼等の大半は「どうしても必要な時は服を着る」という程度の良識は持ち合わせている(今のこの状況が「どうしても必要な時」かどうかは不明であるが)。
 セシルとエディの様子が明らかにおかしいと感じたSFCが訝しげな目をランスに向けると、彼はその空気を察したのか、少し動揺した表情を浮かべつつ、話を少しずつ捻じ曲げ始める。

「無論、例外も存在する! 我は寛容である!」

 さすがにそろそろボロが出始めると思い始めたらしい。

「なるほど。では、そのあたりは私も詳しくないので、ここは同門の方々に聞いてみましょう。今からお呼びしてきます」

 SFCがそう言って部屋を出て行こうとすると、ランスより先にセシルが、顔を赤らめながら動揺した声を上げる。

「え? で、でも、ちょっと待って。さ、さすがに女の人が裸で来るのはまずいよ……」
「まだ寝る前ですから、問題ないですよ。実際、皆さん、服は着ていましたし」

 そう言われたセシルが「え? そうなの?」という表情を浮かべると、ランスは必死で軌道修正を図る。

「いや、待ちたまえ。無論、女性が寝る時は全裸というのは、ちょっと……、ね……、恥ずかしいから、ね……」
「おや? 羞恥心を理由に宗教心を捨てても良いのですか?」
「まぁ、その、女の子は、ちょっと、ね……」

 ランスが言葉に詰まっている間に、SFCは立ち去って行った。

 ******

 しばらくして、姉弟子達を連れてSFCが戻って来る。SFCから話の概要を聞かされた三人は、いずれも呆れ果てた表情を浮かべていた。最初に口を開いたのはメーベルである。

「まず、誤解を解いておきたいのですが、私達はコイツの宗教の門下生でも何でもありませんから」

 それに続けてラナも、溜息をつきながら、身も蓋もない言葉で断言する。

「彼はよくホラを吹くので、変なことを吹き込まれたのでしょう」

 これに対してセシルとエディが困惑した表情を浮かべると、再びメーベルが語り始める。

「セシル様、世界の82%がコイツの信者というのは、まったくの嘘ですから」
「デタラメを言うな! 我が宗教は本当にこの世界の……」
「ランス君、ダメだよ、あんまり暴走しちゃ」

 ローラがそう言って末弟を嗜める。そのやりとりを目の当たりにして、エディは少し残念そうな声で呟く。

「そうか、嘘なのか……」
「嘘じゃないもん!」

 もはや教祖としての威厳もかなぐり捨てたような拗ねた声でそう叫ぶランスを横目に、メーベルは憐憫の情を抱きながらエディに頭を下げる。

「こういうコトを言ってしまう年頃なんです。どうぞお許し下さい。この子の中ではこういう世界観が作り上げられているのだとお思い下さい」
「そうか……、じゃあ仕方ないね」

 エディは元来は、自分が嘘をつくのも、他人から嘘をつかれるのも、激しく嫌悪する性分である。しかし、どうやらこのランスという少年の心の中では、本当に「世界の82%が自分を教祖として奉っている」と本気で信じているらしい、ということを理解した時点で、彼の中では「仕方ない」という裁定が下された。結果的に彼が言っていることは真実とは程遠いが、そこには(「自分を尊大に見せよう」という見栄はあっても)「他人を騙そう」という悪意は感じられない。そう考えれば、エディの中ではまだ今回のランスの発現は「ギリギリ許せること」のようである。
 一方、セシルはまだ状況を理解しきれていない様子のまま、ランスの姉弟子達に問いかける。

「じゃあ、他のみんなはどんな宗教とか信仰とか、そういうのを抱いているの? この世界では、どんな人達が多数派なの? やっぱり、聖印教会の人達なの?」

 まっすぐな瞳でそう問われると、メーベルもローラもラナも、どう答えれば良いのか分からない。

「まぁ、そうなんですかねぇ……」
「私も詳しくないんでよく分からないんですけど、そうじゃないんですかね」
「そういうものなんでしょうねぇ、多分」

 実際、この世界の宗教事情に関しては、彼女達もよく分かっていない。この世界において明確に確立された世界宗教として存在しているのは聖印教会くらいであり、それ以外の人々は、ローラの実家の集落のように土着の小さな宗教が存在する程度である(なお、ローラとしては、今この場で自分達が信奉するの女神の話を語り出すと状況がややこしくなると思ったのか、あえてそのことは黙っていた)。

「ちなみに私はNintendoという宗派でして」

 SFCがまたよく分からないことを口にし始めるが、その話に突っ込んでも話がややこしくなると思ったのか、誰もあえて深くは聞こうとしなかった。そんな中、ランスは改めて声を荒げる。

「聖印教会など、恐るるに足らんわ!」

 彼の中では、自分の教義を聞き入れずに故郷から追放した聖印教会に対しては今でも強い怨恨を抱いているようで、彼等よりも格下扱いされることは我慢出来ないらしい。そんな彼に対して、メーベルもラナもローラも、改めて生暖かい視線を向ける。

「いずれにせよ、世界の八割二分が彼の信者というのはあくまでこの子の世界観の話ですから」
「彼の頭の中ではそうなんでしょう」
「ダメだよ、ランス君」

 そんな姉弟子達の様子を見ながら、エディはひとまず状況を整理する。

「宗教にはあまりこだわりのない人が多い、ってことなんだな」

 おそらくはそれが現在のアトラタンにおける一般的な認識なのであろう。その上でSFCは改めてセシルに対して警告する。

「とは言っても、こだわる人はこだわるので、やはり、そういった『しがらみ』がない人を採用した方が無難かと思われます」

 どうも彼女の中では、宗教そのものに対する警戒心が強いらしく、いつもよりも強い語気を感じる。しかし、それにもめげずに、ランスは訴える。

「我が教義は寛容である。無論、他の宗教も寛容に受け入れるぞ」
「あなたの世界観、ブレてるのか一本筋が通っているのか、さっぱり分からないわね……」

 メーベルにそう一刀両断されると、再び心を折られたランスは、おもむろに部屋の隅で全裸になって、体操座りで拗ね始める。

「誰も僕の話を信じてくれない……」
「とりあえず、服は着よ?」

 ローラは遠巻きに淡々とそう言った。どうやら彼女達も、この末弟の全裸は既に見慣れている様子である。
 そんな彼等のやり取りを一通り見ていたセシルは、困惑の度合いを更に高めながら呟いた。

「正直、僕は今、何が正しいのかよく分からないというか、最近は誰を信じればいいのかもよく分からないし……、ごめん、僕、もう疲れたから、寝ていいかな?」

 実際のところ、もう明らかに子供は寝るべき時間である。

「あ、どうぞ。お邪魔してすみませんでした」

 メーベル達がそう言って去っていこうとする中、ひとまず全裸の上からローブを羽織ったランスが、力強く言い放つ。

「己を信じればいいんだよ!」

 その言葉自体は何も間違っていないため、義姉達もそれに対しては何も言わない。すると、就寝体勢に入ろうとしていたセシルは、思い出したかのように問いかける。

「……服は着てていいんだよね?」
「お腹を冷やしてしまわないように、着てて下さい」

 ランスよりも先にそう言い切ったのは、メーベルである。出鼻を挫かれたランスも、教祖としてのポーズを取り直しながら答える。

「仕方ない。君はまだ子供だからな」
「君は早く寝て下さい。全裸になるにしても、セシル様に見えないようにして下さい」
「ランス君、寝ようね」
「出来れば、隅の方でね」

 姉弟子達にそう言われたランスは、再び拗ねた様子で部屋の隅で全裸になり、布団をかぶる。

「いいもん、寝るもん」
「はい、お休みね」

 メーベルはそう言い残して、ラナ、ローラ、SFCと共に男部屋を後にするのであった。

2.8. 女部屋の様相

 女部屋に戻った四人は、それぞれに就寝準備を進めつつ、ふとメーベルがSFCに問いかける。

「セシル様、どこか塞ぎ込んでいるように見えましたけど、何かあったんですか?」
「そうですね……、かいつまんで説明しますと、最近になってセシル様の御両親が御他界されたこともあって、今はセシル様の周囲には『信頼出来る方』があまりいないのです。ただでさえ一度、悪い人に利用されたこともありまして、心の底で信用出来る人が減っているので、不安になっているところは多々あると思います。ですから、もし仕えて頂けるとすれば、その不安を和らげられる人が望ましいかなと、臣下としては考えています」

 いつも意味不明な言い回しを多用しているSFCが、珍しく「まともな言葉」で「まともな内容」を話していることからも、今の彼女がどれほど真剣にセシルのことを心配しているのかが伺える。

「あと、出来ればあまりセシル様に悪影響を及ぼさない程度には、まともな方がよろしいかと」

 SFCの基準の中で何が「悪影響」で何が「まとも」なのかはよく分からないが、少なくともランスが選ばれることはないだろうな、と横で聞いていたローラは実感していた。
 実際、SFCの中では、ランスのことは「悪意のない少年」だとは認めつつも、明らかに「悪影響を及ぼす少年」であるという認識である。とはいえ、最終的に決めるのはセシル自身の意思であるとも考えている以上、セシルが自らの強い意思でランスを迎え入れたいと考えるのであれば、(可能な限り、思い直すように説得はするだろうが)それに従うつもりではいた。
 一方、これまで男性君主に対して忌避感を抱いていたメーベルの中では、まだ今のところ「男」を感じさせる歳ではないセシルに仕えるという道は一番現実的な選択肢のように思えた。一方でエディもまた、(ランスの妄言をあっさり信じてしまうあたり、やや心配な面はあるが)ルイとは明らかに異なる「誠実かつ信頼出来そうな好青年」として彼女の中では認識されており、彼と契約するのも悪くないとも考えていた。

(そういえば、ルイは一体どこに……、まぁ、どうでもいいけど)

 正直なところ、ルイでさえなければ誰でもいい、というのが、今のメーベルにとっての一番の本音なのかもしれない。そんな想いを抱きつつ、ラナやローラと共に、彼女はこれまでの疲れを癒して明日以降に備えるために、静かに眠りに就くのであった(なお、その間に「玩具」がどのような形状で眠っていたのかについては、永遠の謎である)。

2.9. 月の女神

 この日の夜、お気に入りのナイトキャップを付けて眠っていたローラの夢の中に(なお、この世界で寝る時にナイトキャップを被る人々の割合も「約36人に1人」と言われている)、謎の女性らしき声が響き渡る。

《よくぞ、この地に足を踏み入れました。我が信徒よ》
(あれ? ヘカテー様?)

 ローラはまだ「この世界に具現化したヘカテー」と遭遇したことはない。だから、それが本当にヘカテーの声なのかどうか確信は持てなかったが、このような形で夢の中に女神が現れることがある、という話は聞いたことがある。

《あなたもクロノス様の復活の気配を感じ取って、この地に赴かれたのですね》
(?)
《あれ? 違うんですか?》
(え? え? そうなんですか?)
《では、ここに来たのは偶然……、まぁそれもそれで運命のお導きでしょう》

 ローラがまだ微妙に混乱した状態にある中、ヘカテー(と思しき誰か)は話を続ける。

《この島の名であるクロノスとは、かつて私を生み出したティターン族の長の名です》

 「ティターン族」と言われても、ローラには今ひとつピンとこない。彼女達はあくまでも「この世界に出現した女神」としてのヘカテーを信奉しているだけで、彼女が「本来の世界」においてどのような系譜の神に属しているのかについては、あまり正確に伝わっていないのである。ただ、ヘカテーよりも更に格上の存在として「時の神」に相当する存在がいる、という話は聞かされていた。

《この世界にもクロノス様は何度か姿を現されたことがあります。そして今、この島の周囲に再びクロノス様の気配が高まりつつある。ただ、我等のような神々の台頭を快く思わない者達がいます。ありもしない空想の神の存在を騙り、この世界の人々を惑わそうとする者達が》

 一瞬、ローラの中ではランスの顔が思い浮かぶが、「者達」と言われた時点で、それが聖印教会のことを指していることは理解する(ヤマト教に関して語るなら、ここで「複数形」になることはありえない)。

《彼等はあなたの家族である我が信徒の集落を襲い、そして私を祀る祭壇をも破壊した。もしかしたら、彼等はこの地におけるクロノス様の復活をも妨害しに来るかもしれない》
(ヘカテー様、私は不安です)
《しかし、この地にはあなたの仲間も来ているのでしょう?》
(そうですね。お姉さまだったり、先輩だったり……、頼りないけどランスくんもいます)
《ならば大丈夫です。あなたが本当に心の底から我々『真の神』を信じる心があれば、あなたが負けることはないでしょう》
(はい……)

 彼女が心の中でそう答えると、ヘカテー(と思しき誰か)の気配は消えていく。

(ヘカテー様、私、頑張ります……)

 彼女は改めてそう誓った。この日は、月の綺麗な夜であった。

3.1. 再探索

 翌朝、仮設小屋の七人は無事に目を覚ました。まだ昨日の疲労が回復しきらないエディがメーベルから精神回復薬を処方してもらう一方で、ランスがジャック・オー・ランタンに昨夜の状況を確認してみたところ、特に誰かが小屋の近辺に現れることもなかったらしい。

「良かった、残念……」

 ランスが支離滅裂な呟きをこぼす中、メーベルの薬で気力を取り戻したエディは、再び愛馬ロリータを本来の大きさに戻して、その鞍上に飛び乗る。

「やっぱり、あの二人が心配だ。俺が馬で一駆けして探して来るよ。一人くらいなら一緒に乗れるけど……」
「ならば、我がついて行ってやろう」

 相変わらず尊大な態度で、ランスが名乗りを上げる。昨夜の時点では心が折られたような様相だったが、一晩寝たことで全て忘れて「いつもの彼」に戻っていた。

「ありがとう、心強いよ」

 エディはそう言って、ランスを後ろに乗せる。実際、彼の呼び出す召喚獣達が戦場で役に立つことは、昨日の亀達との戦いでも十分に理解している(ランス自身は金槌で死にかけていたが)。

「すみません、この子をよろしくお願いします」

 メーベルがそう言って頭を下げると、その勢いにつられてランスも急に謙虚な姿勢になる。

「よろしくお願いしまーす」

 もしかしたら、本当はこの「素直な少年」の姿の方が、本来のランスなのかもしれない。なんとなくそんな印象を周囲が抱いている中、ローラがランスに声をかける。

「ランス君、迷惑かけちゃダメだよ」
「我が迷惑をかける訳がなかろう」
「心配だなぁ」

 ローラのそんな危惧など気にする素振りも見せずに、ランスは改めてジャック・オー・ランタンを呼び出す。

「Come on Jack!」

 エディ達に合わせようとしたのか、ブレトランド訛りで彼がそう叫ぶと、その頭上に再びカボチャの灯が光る。そして彼等はまだ未踏の西岸方面へと向けて海岸沿いに駆け出して行った。

「ジャックくんがいるなら、大丈夫ですかね。では、私達は山菜や薬草に使えそうな植物を探しに行きましょう」

 メーベルがそう言うと、ラナとローラもそれに同意する。ひとまず彼女達は、謎の巨大生物の動向にも警戒しつつ、島の中央部の丘陵地帯を中心に探索することにした。

「では、私とセシル様は、『あの兄弟』が戻って来た時のために、ここに残っています」

 SFCはそう言って、彼女達を送り出す(もっとも、「あの兄弟」が戻って来た時にどのように対応するかについては、この時点では互いに意志確認をしていなかったのであるが)。

3.2. 邪神を追う者達

 エディとランスは、時計回りに島の南岸から東岸、更にはそのまま北岸にかけて、海岸線を中心に周囲の状況を観察するが、これといって何か巨大な生き物が暴れたような形跡もなく、そしてルイとフィリップの姿も見当たらなかった。
 そんな彼等が島の北東端にまで到達しようとしたところで、ランスは海の向こうから船が近付いて来るのを発見する。方角的には、彼等が訪れた最寄りの港町であるエクレウスからではなく、もっと遠方からこの地に向かって来ているように見える。エディがそれに気付いていない様子であったため、ランスは声をかけた。

「待たれよ。我のこの邪気眼が反応している」
「邪気眼?」

 それが何を意味しているのかはエディには分からない。そしておそらく、ランスにも分かっていない。

「海の向こうに、何か巨大な物が出現している。見るがいい」
「巨大なもの?……船だ!」

 しばらく二人はその場で遠目で様子を見ていると、やがて船は海岸に停泊し、中から人々が降りて来ているように見える。

「なんだろうな、行ってみようか?」
「そうだな。我の信者かもしれんしな」

 だが、彼等よりも先にその人々と接触する者が現れた。島の中心部の方面から現れた、ルイとフィリップである。最初は「どちら側」も戸惑ったような様子だったが、彼等は互いに何か言葉を交わし、そして徐々に意気投合しつつあるように見える。
 そこへエディとランスが馬で駆けつけた。船から降りてきた人々は、見たところ下級騎士達のようで、金属鎧を着込んだ状態で聖印を掲げている。突然現れたエディ達に対して彼等が剣を構えて警戒する姿勢を示す中、その中の中心に立っていた人物が、大声で問いかける。

「そこの者、魔法師か!?」

 どう考えても自分の方を指していると分かったランスは、馬から飛び降りた上で、高らかに名乗りを上げる。

「我が名は堕天使ヤマトゥ! ヤマト教の教祖である!」

 質問に答えてはいないのだが、少なくとも、「まともではない何者か」であることは瞬時に伝わる。そして下級騎士達の中の一人が、唐突に叫んだ。

「おい待て! 俺、あいつ知ってるぞ! あいつは、ウチの村の出身で、かわいそうに頭がおかしくなってしまって、追放された奴だ!」

 それに対して、ランスは「いつものドヤ顏」で応じる。

「何を言う。我は頭がおかしくなったのではない。遂に理解したのだよ。深淵の理を」

 したり顔でそう語るランスに対して、馬上からエディが確認する。

「ランス君、知り合いかな?」
「あのような者は、知らんな」

 実際には覚えていないだけで、その人物は確かにランスと同郷の、しかも彼の両親と懇意にしていた村人であった。そして、改めてその下級騎士達を凝視したエディとランスは、彼等が掲げているのが「聖印教会の旗」であることを理解する。
 そして、彼等の傍らに立っていたルイとフィリップは、困惑した様子ながらも、その聖印教会の集団達に向かって訴える。

「我々はエーラムに騙されてこの島に来てしまったのです。我々は被害者です」
「そうです、我々は彼等とは関係ありません!」

 彼等が何を思ってそう主張しているのかがよく分からないまま、ひとまずエディはこの場においても聖印教会の面々を相手に、正直に自己紹介を始める。

「はじめまして。エディ・ルマンドと言います。実はこの島で、君主と魔法師が互いの契約相手を探すための場が設けられておりまして、その途中で魔物に襲われた時、そこの二人がいなくなってしまったので、探していたのです」

 何一つ間違っていない正確なその説明を聞いた聖印教会の信徒達は、ルイとフィリップに向かって怒りを込めた口調で問いかける。

「なに? では貴様等も、魔法師と契約するためにここに来ていたのか?」
「違います! 我々はエーラムに騙されてここに来てしまったのです!
「我々は何も知りません!」

 二人が必死でそう主張するのに対して、信徒達がまだ訝しげな目で見ている中、意外な人物がその説明で納得する。

「そうなのか」

 エディである。ルイとフィリップは昨日の時点では明らかに契約魔法師を探す意思を示していた筈だが、本人達がそう言っているのなら、それが真実なのだろうと、この時点でエディは本気で信じていた。
 だが、そんな彼等に対して、ランスはまたしてもドヤ顔で語り始める。

「そこの者、嘘をつかんでも良いぞ。こいつらは騙されても、我の邪気眼は邪魔されない」

 だが、(ランスにしては珍しく、それなりに正論だったにもかかわらず)その言葉に耳を貸す者はいない。エディは昨夜の一件で、彼の言うことを真に受けてはならないということを理解していたし、聖印教会の者達もまた、自ら「堕天使」などと名乗る少年の言うことに耳を傾ける気はなかった。
 とはいえ、エディの中にも当然、少々不可解な点は残っている。

「では、あなた方は魔法師と契約するつもりはなかったのですか?」
「な、ないぞ……、うん……、ない……」

 少し躊躇しつつ、ルイはそう答える。

「では、なぜこの島に?」
「我々は……」

 ルイが必死で何か言葉を取り繕うとしていたところで、今度はフィリップが声を開く。

「我々は、エーラムの企みを暴こうとして、逆に罠にはめられてしまったのだ!」

 急にそう言われても、その「エーラムの企み」なるものがよく分からない以上、エディとしても今一つ信用出来ない。だが、一方で別の人物がその説明で勝手に納得していた。

「そうだったのか!」

 ランスである。彼の中では、この世界は常に何らかの陰謀にまみれているようで、自分が所属するエーラムが何らかの陰謀を企てていたとしてもおかしくない、と考えているのだろう。
 エディは色々と困惑した状態ながらも、ひとまずこの状況を整理しようと、更に二人に質問を投げかける。

「ということは、聖印教会の方々はあなた方の連絡を受けて、この島に来たのですか?」

 それに対して答えたのは聖印教会の面々であった。

「いや、我々は彼等とは今ここで会ったばかりだが……」
「では、あなた方の目的は一体……?」

 そう問われた聖印教会の指導者は、真剣な表情で訴える。

「まもなく、この島で邪神が復活しようとしている。それを止めるために我々は来たのだ」

 唐突に「邪神」という言葉が発せられたのにに対して、脊髄反射的にランスが口を開く。

「キサマら……、我が計画のことを知っていたか!」
「なんだって!?」

 エディが驚愕の声を上げるが、当然、この時点でランスは何も計画などしていない。だが、彼はそのまま、その場で思いつく限りの妄言を垂れ流し始める。

「我がヤマト教の堕天使ヤマトゥを召喚しようという企み、バレてしまっては仕方がない。そうだ、私は邪神を召……」
「STOP!」

 突如その場に響き渡ったその声の主は、メーベルであった。その背後にはローラとラナもいる。彼女達は中央の丘陵地帯を探索し終えて、そのまま北上した結果、偶然この場に辿り着いたところで、ランスがいつも以上に悦に入ったテンションで見知らぬ人々を相手に妄想を語ろうとしている場面に直面し、よく事情も分からないまま、思わず静止に入ったのである。
 メーベルはそのままランスに向かって早足で近付き始める。

「ランス君、STOP!」
「うむ、どうしたんだ? こんなところで」
「いや、私達は山菜や薬草の原料を探してたんだけど、君はここで何をしているのかな?」
「我が企みがバレたので、仕方なく……」
「企みって、何かな?」
「決まっているであろう。邪神の召喚だ」
「はい、お黙りなさい」
「なぜだ!?」
「いや、ホントにね、君は話をややこしくするというか何というか……」
「間違っていないだろう」

 まるで会話が成り立っていない様子を見かねたエディが、ひとまずメーベルに事情を説明する。

「……ということで、『この島に出現しようとしている邪神』を倒すために、聖印教会の人達がこの島にやってきたらしい」
「うん、とりあえず、その邪神というのは、ランス君のことではないと思うな」

 メーベルがそう答えると、後ろからついてきたラナも同意する。

「私も、違うと思う」

 一方、目の前にいるのが「聖印教会」の騎士達であることに気付いたローラは、何も言わずにメーベルの背後にすっと隠れた。
 そして、メーベルは聖印教会の側にルイがいることにも気付く。

(あ、生きてたんだ)

 とはいえ、なぜルイがここで聖印教会の面々と一緒にいるのか、メーベルがよく事態を把握出来ずにいると、ルイは唐突に大声で叫んだ。

「そうだ、あいつだ! あいつが全ての黒幕だ!」
「よく言いますね……」

 メーベルは怒りを押し殺したような表情を浮かべながら、彼の背後にいるのが「聖印教会」の面々であるという状況において、あえてこう問いかける。

「さて、『元上司』のルイ様、その話の裏は取れてるんですか?」
「なに? 元上司だと?」

 聖印教会側の指揮官は、そう言って再びルイを睨む。どうやら彼等は、魔法師と契約していたというだけでも重罪と考えるほどの過激信徒らしい。

「違う、こいつは、その、あの、なんだ……、昔の女だ!」

 咄嗟にそう言い繕おうとしたルイであったが、おそらく、魔法師と「そういう関係」になることもまた、聖印教会の中では「君主としてあるまじき行為」であるという意味では変わらないだろう。墓穴を掘ってしまったルイに対して、その傍らにいたフィリップは思わず溜息をつく。
 一方、メーベルは強張った笑顔を浮かべつつ、一歩ずつルイ達に向かって歩を進める。

「あなたの夜這いが成功したことは一度もない筈ですけど?」
「いや、その、ともかく……、私はこいつと契約してた訳ではない!」
「いえ、契約してましたよ。エーラムにいるメルキューレ師匠に聞いて頂ければ、確認は取れる筈です」

 徐々に追い詰められていくルイであったが、この二人の不毛なやり取りに苛立った聖印教会側の指揮官は、メーベルに対して問いかける。

「エーラムの内部事情など知らん! 一つだけ、はっきりさせてもらおう。お前は魔法師だな?」
「はい、魔法師ですよ」
「分かった。ならば殺す!」

 そう言い切った上で、視線をランスに向ける。

「お前も当然、殺す!」
「なぜだ!?」

 彼が魔法師であろうと堕天使であろうと邪神であろうと、彼等の教義の中では「殺すべき対象」であることには変わりなかった。

「あと、お前らも魔法師だろう!?」

 ラナと(メーベルの背後に隠れていた)ローラに対しても彼は叫ぶが、ここでエディが二人を庇うように立ちはだかる。

「待って頂きたい。先程も言った通り、ここは君主と魔法師の契約のための『お見合い』のような場だ。それを妨害するのはゲオルグさんの意思に反することだから、このまま魔法師の殺害を見過ごす訳にはいかない」
「魔法師のことを庇いだてするなら、貴様も混沌の手先とみなす!」
「その理屈だと、グリースそのものと敵対することになるが、それでいいのか?」
「知ったことではない。というか、そもそも、グリースってどこだ?」

 どうやらこの聖印教会の信徒達はブレトランド人ではないらしい。神聖トランガーヌとグリースが現在休戦協定を結んでいるということなど、彼等にとっては知ったことではないようだ。
 その上で、彼等はルイとフィリップに対して一瞥しながらこう言った。

「とりあえず、お前達が何者であるかの確認は後回しだ。まず我等はこやつらを片付ける。神の名の下に」

 そう言いながら彼等は聖印を掲げ、エディと魔法師達に向かって剣を構える。

「神は私だ」

 ランスはそう言い放つと(彼自身が神なのか堕天使なのかは、やはり彼自身にも分かっていないらしい)、ジャックに命じて炎の球を彼等に向かって解き放たせる。
 一方、ローラは改めてメーベルの背後に隠れつつ、聖印教会の面々の背後に「大軍の魔法師団」の幻影を浮かび上がらせた。

「援軍か!? どこから現れた!?」

 聖印教会の面々達が混乱している中、彼等の頭上に今度はランス自身がウーズを召喚して彼等の動きを封じ込め、更にそこにラナが火炎球を、メーベルが火炎瓶を叩き込んだ結果、彼等は何も出来ないまま、その全身を炎に焼かれながら、最後はウーズの毒にその身を蝕まれつつ、ジャックの残り火によって灰燼に帰す。邪神を討つためにこの島へと乗り込んだ「神の戦士達」は、「邪神なのか堕天使なのか魔法師なのかもよく分からない何か」とその仲間達の手によって、何も出来ないまま無残にその命を散らしたのであった。

3.3. 執行猶予

 一方、この両者の衝突を横目に、ルイとフィリップは聖印教会の面々が乗っていた船へと向かって走り出していた。それに気付いたエディが、天馬で駆け込んで回り込む。

「ちょっと待って!」

 エディとしては、とりあえず二人から色々と話を聞きたいと考えていたのだが、急に進路を塞がれたルイは露骨に動揺した様子を見せる。

「あ、う、うん。その、とりあえず、ほら、『船』が手に入った訳だし、この船でとっとと一緒に逃げようぜ。お前も、こんな島にはもう、いたくないだろ?」

 ルイは必死でエディに対してそう訴えた。どうやら彼等は、二人で聖印教会の船を奪って、この島から逃げようと考えていたらしい。先刻の一連の騒動の中であれだけ魔法師達を敵に回すような発言を繰り返した以上、もはやメーベル達との間で関係修復は不可能だろうと覚悟した上での決断であった。
 無論、先刻の状況で彼女達に味方する姿勢を見せたエディを今更説得するのは難しいだろうということは分かっていた。分かった上で、馬に乗った彼から逃れる末は無いと判断した上での、苦し紛れの説得だったのだが、それに対してエディは想定外の返答を返す。

「うーん、俺がこの島に来たのは契約魔法師を見つけるためだから、今帰るつもりはないけど、二人が帰るって言うなら、彼女達にもそう伝えておくよ」

 どうやらはエディは二人の意思を確認したかっただけで、このまま勝手に帰ること自体は見逃してくれるつもりらしい。

「お、おう、そうか、じゃあ……」

 拍子抜けしつつも、ルイがそう言ってフィリップと共に再び駆け出そうとしたところで、後方からメーベルが叫んだ。

「エディ様! その兄の方だけでもいいので、こちらに連れて来て頂けないでしょうか?」

 その声を聞くと同時にルイは慌てて逃げようとするが、即座にエディが彼を抱え込む。メーベルの基礎魔法による支援もあり、あっさりと捕縛されたルイは、そのままメーベルの元へと運ばれて行く。

「ルイさん、彼女がそう言ってるので、ちょっとこちらへ。帰りはちゃんと送り届けるから」

 その一方で、フィリップは一人で勝手に船に乗り込み、その船に残っていた操舵士や航海士達を脅して、そのまま船を出航させていた。

「お、おぉぉぉい! 待て待て! 俺を置いていくな!」
「大丈夫。船よりは俺の馬の方が、竜巻とかには強いと思うから」

 実際、まだ天候は荒れ気味であり、今のこの時点で船に乗るよりも、エディの天馬で大陸まで送ってもらった方が安全かもしれない。もっとも、それまで生きていられれば、の話であるが……。

 ******

 エディがメーベルの前にルイを突き出すと、彼女の依頼により、その頭上にジャック・オー・ランタンが布陣する。

「ジャックちゃん、ちょっとその人が逃げようとしたら、炎吐いてくれる?」

 笑顔でそう語るメーベルに対して、ルイは必死で命乞いを始める。

「し、仕方なかったんだ!」
「はい」
「お、俺は、あの狂信者達に脅されて、仕方なく……」
「はい」
「あの、その、ほら、だから……」
「はい。落ち着いてゆっくり話して下さいね」
「……昔馴染みだろ? 俺達」
「は?」

 彼女の凍てついたその一言は、ルイの心を凍りつかせるには十分であった。

「とりあえず、そこに正座してもらえますか?」

 ルイは無言で首を縦に振ってその場に座り込み、頭上からジャックがいつでも炎を吐ける準備を整えた状態で、メーベルは着火寸前の火炎瓶をその手に握る。

「火炎瓶とジャックくんの炎と、どっちで燃やされるのがいいですか?」
「あの、えーっと、だから……」
「とりあえず、ここで会ったが百年目ってカンジですね」

 至近距離から火炎瓶を投げつけようと構えるメーベルの背後から、ラナが声をかける。

「さすがにそれは可哀想だから、木に縛り付けるくらいにした方がいいのでは?」
「あぁ、それもそうですね。もしかしたら、この島にいるかもしれない巨大生物の餌になってくれるかもしれませんし」
「うん、やっぱり、直接手を下すのは良くないよ」

 ラナの中では、直接手を下さないのであれば、別に問題ないらしい。更にそこへ、今度はランスが口を挟む。

「木に縛ったまま、海に還してやればいいのではないか?」

 彼に関しては、ただ単に話に便乗して面白がって言ってるだけなのだが、実際に昨日の時点で海で溺れかけたルイにしてみれば、その状況を想像しただけで恐怖で震えが止まらなくなる。
 そんな彼等の傍らで、エディはさすがに「ドン引き」していた。一応、「帰りはちゃんと送り届けるから」と約束してこの場に連れてきた以上、このまま「帰らぬ人」にされてしまうのは、さすがにエディとしても心地が悪い。

「すみません、エディ様。お姉さまはこの人に対してはちょっと……」

 ローラがそう言って場の空気を落ち着かせようとする中、エディはその「お姉さま」に対して問いかける。

「そもそも、彼にはどんな用があったんだい?」
「うーん、そうですねぇ、個人的な恨みですかねぇ」

 もはや何も包み隠す気すら起きないほどに、メーベルの心の底では怒りの炎が燃え上がっていた。その雰囲気をなんとなく察したエディは、今度はルイの方に問いかける。

「さっき聖印教会の人達が言ってた『邪神の話』が気になるんだけど、君は詳しく聞いていたのかい?」
「いや、知らん。まず、こいつは本当に邪神なのか? それとも、邪神を呼び出す何かなのか?」

 ルイはそう言ってランスを指差すと、ランスは「いつもの物腰」で答える。

「当然であろう。キサマ、我がヤマト教に対する反逆か!」

 反逆も何も、もともと彼はヤマト教の影響下にあった訳でもない。その意味では、そもそも「ヤマト教に対して反逆出来る者」など、この世界のどこにも存在しない。

「……で、エーラムの連中はそんな奴を野放しにしているのか?」
「いや、この子が言ってることは戯言なので……」

 メーベルが淡々とそう答える。実際のところ、ルイもその点については薄々そう思ってはいた。だが、だとしても、一つ腑に落ちないことがある。

「じゃあ、聖印教会の連中はこいつに騙されてここまでやってきた、ということか?」

 その点についてはエディも同様の疑問を抱いていたのだが、ひとまずエディは自身の見解を述べる。

「聖印教会も、実際に邪神の気配を察知しなければここには来ないだろうから、また別の邪神がいるんじゃないのか?」

 もっとも、実際には邪神の力を感じ取る能力は君主にはない。それ故に、昔から君主の思い込みだけで無実の人間を「悪魔の使い」として殺してしまった事例はいくらでもある。その意味では、彼等が「邪神復活を目論む魔法師がこの島を訪れている」という話を聞いて、この地に討伐に来た、という可能性も無くはない(もっとも、その場合、彼等が「邪神復活を目論む魔法師」とみなしていたのは、ランスではなくローラである可能性もありうるのだが、その点に関してはローラはあえて黙り続けていた)。

「我の力が、漏れてしまっていたか……」
「あなたはもう黙っていて。今、この人の処遇をどうすべきか、とても悩んでいるところだから」

 メーベルとしては、今はランスのお守りをするような気分ではなかった。彼女は改めてルイを見下しながら、おもむろに火口箱で火をつける。

「そうですねぇ、不能くらいにはしておきたいんですよねぇ」

 そう言いながら、バチバチとした状態の火炎瓶を彼の下半身に近付けようとする。さすがにここでローラが止めに入った。

「ね、ね、ね、姉様、あまり過激なことは……」
「あら、ごめんなさい」
「個人的な恨みがあることは分かっているのですが、あまり、あまり、その……」
「じゃあ、この人、どうしますか? やっぱり、海に流しますか?」

 このまま放っておくと本当に何をしでかすか分からないと思ったエディは、ひとまず和解案を提示する。

「まずは、一旦小屋に連れていけばいいんじゃないかな?」

 エディとしては、どのような個人的な恨みがあったにせよ、目の前で無抵抗の相手を殺害したり虐待したりする光景を見たくはないらしい。メーベルも、散々怯えて命乞いを重ねるルイを目の当たりにして、さすがに少し冷静さを取り戻していく。

「そうですね。聖印教会の人達のようになりたくなければ、私についてきて下さい」

 まだ燃えている聖印教会の騎士達の死体の山を横目に、彼女はそう言った。ルイはその言葉に従いつつも、ボソッと本音をこぼす。

「そもそも私、お前達に危害を加えてないだろ……?」

 実際、それはエディも思っていた。もっとも、実際にはルイはエディに対して、この島に来る前に明確に危害を与えようとしていたのだが、エディ自身はそのことに気付いていない様子である。

「そうですね。それは全くもってその通りなのですが、しかし、過去に私にした所業を思い出して頂ければ幸いです」
「いや、だからそれは『示談』という形で解決したんじゃなかったのかな? うん……」

 それに対してはメーベルは溜息だけをついて、何も答えない。そんな彼女の横で、エディは改めてルイに問いかける。

「君が言っていることは、エーラムの陰謀という話といい、聖印教会に云々という話といい、話の内容がコロコロ変わりすぎて、結局どういうことだか分からないんだが……、正直に話してくれるよね?」

 さすがにエディも少し語気が強まっていたのを実感したルイは、ここで(唯一自分を助けてくれそうな)エディを敵に回したらもう完全に生きてはいけないと悟った上で、歩きながらここに至るまでの事情を素直に語り始める。
 ルイ曰く、昨晩は島中を歩き回った上で、弟と交代で番をしながら、ひっそりと野宿していたらしい。彼はこの島を覆う荒天や昨日の「金槌を投げつけてきた亀達」のことを、本気で「自分に嫌がらせをしようとするメーベルの陰謀」だと思い込み、一刻も早くこの島から逃げ出す算段を考えていたのだという。
 そんな中、聖印教会の者達が現れたのを見て、救助を求めて接触してみたところ、「この島で邪神が復活しつつある」と言われたことで、それもメーベル(とその義弟)の陰謀の一環だと決めつけて、 彼等に協力する姿勢を示したのだという。

「そう、我は邪神である」

 誇らしげにそう語る義弟を無視して、冷静さを取り戻したメーベルは歩きながら状況を整理し始める。

「聖印教会の人達がわざわざ来たということは、邪神の復活自体は割と真実味はありますね。それがランス君かどうかはともかく」

 隣を歩くラナも同意する。

「そうですね。おそらく別の何かがいるのでしょう」

 もしかしたらそれがバウザーと関係しているのかもしれない、という可能性を考慮しつつ、ラナは気を引き締める。
 一方、その二人の後ろを歩いていたローラは、俯きながらひたすら黙り続けていた。

(ヘカテー様、どうしましょう……)

 もし、この地で蘇ろうとしているという邪神が「クロノス」だった場合、彼女としては、そのクロノスに対して弓引いて良いのかどうか、判別がつかない。少なくともヘカテーはクロノスのことを自身にとっての上位神として位置付けているようであるが、それがこの世界に害をもたらす者だとすれば、エーラムの一員としてはその「邪神」と戦わなければならない。ローラは誰にも相談出来ないこの状況に、一人思い悩み続けていた。

3.4. 小屋での再合流

 それからまもなくして、すっかり抵抗する気力を無くしたルイを連行する形で、エディと四人の魔法師達は無事に小屋に帰還した。

「皆様、おかえりなさい。おや? その方は、新しい食材ですか?」

 先に小屋に入ってきたのがメーベル達だったため、SFCには「彼女達が連れているルイ」が「食材調達の成果」のように見えたらしい。

「そうですね。そのようなものです」

 メーベルは笑顔でそう答える。

「いや、さすがに人ですから、食べるのは……」

 ラナは一応止める。

「食すには、丸焼きが必要であろう」

 ランスはジャック・オー・ランタンを呼び出す。

「やーめーてー」

 ローラは全力で止める。

「せっかく食材調達してもらって申し訳ないのですが、そのような習慣は我々にはありませんし、セシル様にも悪影響を及ぼしますので、この場では控えて頂きたいかと」

 SFCとしては、食人文化の人々の価値観を頭ごなしに否定する気はないらしい(とはいえ、さすがに人肉料理のレシピまでは彼女のメモリの中には存在しない)。全裸教も、人肉料理も、セシルの目の届かないところでの話なら、彼女としては咎めるべき問題ではないようである。
 そんな彼女達の会話を目の当たりにして、さすがにこの状況を放置しておくのはまずいと思ったのか、エディが状況を説明する。

「いや、実はさっき聖印教会と戦闘になって……」

 もっとも、エディとしても状況の全容が理解出来ている訳ではない以上、それを聞いたSFCの中にも、当然彼等と同じ疑問が湧き上がる。

「なるほど。しかし、なぜ聖印教会が?」
「我が邪神の企みがバレてしまったようでな」

 直後にメーベルがランスの口を塞ぐ。そしてラナが補足する。

「彼が言っていることはただの戯言なのですが、それとは別に『何か』がいるようなのです」

 ラナの中では、当然、その「何か」がバウザーに絡んでいる可能性が思い浮かんではいるものの、今の所は状況証拠すら揃っていない状態なので、それを口にする気にはなれない。一方、より強い「心当たり」があるローラは、やはりこの場でも何も言わずに黙っていた。
 SFCは彼女達の話を聞いた上で、真剣にこの状況を整理する。

「邪神、ですか……。そうなると、やはりここは一旦合宿を中止して帰った方が良いのではないでしょうか? そのような危険な事態にセシル様を巻き込む訳にはいきませんし」

 冷静に考えればそれが一番妥当であろう。アルジェントは「親が出しゃばることを恥とも思わないなら連絡しろ」とは言っていたが、もし本当に「危険な邪神」が存在するなら、まず最寄りの港町エクレウスの領主に連絡して討伐隊を編成してもらうのが筋である。もっとも、相変わらず海の様相は荒れ気味なので、船がすぐに到着する保証はない。
 だが、ここで今まであまり自己主張をしなかったセシルが、SFCや周囲の面々に対して疑問を投げかけた。

「でも、もし本当にここで邪神が復活しようとしているなら、それを止めるのが僕達君主の使命なんじゃないの?」

 実際、その「邪神」の状況次第では、調査隊や討伐隊の到着を待っている間に手遅れになる可能性もある。少なくとも、敵の正体について一切調べないまま、ただ黙って帰るというのは、セシルには無責任に思えた。

「さすが我が友」

 勝手にセシルのことを友達認定しているランスは、我がことのように誇らしげに語る。結局、「堕天使」にとって「邪神」が「復活させるべき対象」なのか「倒すべき対象」なのか(あるいはそれ自体が「堕天使そのもの」なのか)、彼の中では設定がまとまっていないらしい。

「セシル様がそう仰るのでしたら」

 SFCとしては、セシルを危険な目に晒すことは本意ではないが、最終的にはセシル自身の意思を優先する方針である。

「そうですね。私もそれに関しては出来る限り尽力致しますけれども……」

 メーベルはそこまで言ったところで、冷めた視線をルイに向ける。

「……その前に、この色欲限界突破浮かれポンチキはどうしましょうか?」

 もはや彼には、何かを言い返す気力すら残っていなかった。

「私としては、一応、他国の君主様ですし、なるべく穏便に済ませてもらいたいのですが。まぁ、セシル様に危害さえなければどうでもいい、というのが本音でもあります」

 あまり興味なさそうな口調でSFCがそう告げると、ローラは具体的に「穏便に済ませる方法」を提案する。

「とりあえず、色々とお手伝いしてもらえばいいのでは? 危害は加えないという約束で」

 実際のところ、今のルイにはもう彼女達に対して危害を加えるだけの気力も体力も残っていない。昨日の遭難騒動以来、回復薬を投与してもらう間もないまま、まともに食事も取れず、慣れない野宿で中途半端にしか休めなかったこともあり、既に心身共にボロボロの状態であった。

「何かあったら総叩きしてもいいという約束なら」

 ラナがそう付言すると、メーベルも頷きながらルイに語りかける。

「そういうで、一応、この小屋に入れてあげないこともないですよ、ルイ様」

 表面上穏便な彼女のその口調にルイは改めて恐怖を感じつつ、上擦った声で答えた。

「うむ……、一応、あれだ、私は多少、料理は出来るぞ」
「あら、そうなんですか。それは意外ですね」
「ジャガイモの皮剥きくらいなら……」
「……婿養子のボンボンに期待すべきことではなかったですね」
「ニンジンも剥けるぞ!」
「まぁ、とても偉い」

 メーベルは明らかに馬鹿にしたような声色でそう言った。無論、今のこの状況で、そもそもジャガイモやニンジンなどといった「都合の良い食材」が手元にある筈もない。

「ね、姉様の目が死んでます……」

 ローラが義姉から漂う禍々しい雰囲気に恐怖している中、そんな雰囲気など一切気にすることなくランスはルイに問いかける。

「とりあえず、我がヤマト教に入るつもりはあるか?」
「今、それはどうでもいいから」

 メーベルが冷たくそう言い切ったのを無視して、ランスは話を続ける。

「入るつもりがあるなら、我は寛容だから、暖かいスープと寝床を用意するつもりはあるぞ」
「それ作るの私ですけどね。まぁ、私は別に、宗教に入ろうが入るまいが、食事を提供するつもりではいますが……」

 SFCはそう言いながら、セシルに視線を向ける。

「……セシル様、本当に『この人達』の中から選ぶんですか?」

 SFCとしては、どうにもこの場にいる魔法師達が、色々な意味で危険な集団に思えてならないらしい。

「え、えーっと、まぁ、その……、多分、この人達は、僕達が知らないことを色々知ってるんだと思う。だから、そういう人が村に来てくれるのは嬉しいんだけど……、でも、正直、今の僕には、この人達が言ってることの、何が真実で何が嘘なのかが分からなくて……」

 当然の判断であろう。実際、今の段階はまだその「選択」を決断すべき時ではない。ひとまずエディが、話を本題に戻そうとする。

「とにかく、小屋が一度『巨大な何か』に踏み潰されたこともからも察するに、このまま放置して無人島を出るのはよくない。ひとまず皆で固まって、無人島の奥地を探索するのが良いんじゃないかな」
「そうですね……」

 メーベルはそう呟きつつ、ここで一つ、「嫌な話」を思い出した。ルイには女癖の悪さだけでなく、少年愛の趣味もあるという噂を聞いたことがあったのである。

「すみません、ルイ様、参考までに聞いておきたいのですが、あなたの『男側の趣味』はどういった傾向にありますか?」

 改めて火炎瓶をその手に握りながら、彼女は元上司に問いかける。

「え? そ、それは、まぁ、えーっと、その、健康で優良な……」

 彼はシドロモドロな様子で目を泳がせながら、一瞬、その視線がセシルを捉えたような気がするが、慌ててすぐに目をそらす。

「SFCさん、あの人、やっぱりちょっと気をつけた方がいいと思います。趣向的な意味で」
「勿論、セシル様に危害が及ばないように監視するのが私の役目ですから」

 調理用の包丁を構えながら、SFCはそう答える。

「じゃあ、安心ですね」

 メーベルが乾いた笑顔でそう答えると、ランスもまた自信満々に呟く。

「安心しろ。我が友は、我が守ってやる」

 何一つ安心出来る要素はないのだが、少なくとも昨夜、全裸になった上で何もせずに寝ていたことから察するに、ランスが「あやまち」を犯す心配だけはないだろう、と皆は思っていた。

3.5. 不可解な予言

 その後、SFCの手による「人肉の入っていない料理」を食べた彼等は、ひとまず男部屋と女部屋に分かれて一服する。そして再び月が夜空に浮かび上がった頃、ローラは部屋の隅で一人、密かに魔法杖を握って呪文を唱えていた。
 彼女は「今、この島で復活しようとしている者」の正体を探ろうと、ヘカテーの象徴である月光の下で未来予知の魔法を発動させていたのである。その結果、彼女の脳裏には以下の四つの単語が浮かび上がった。

「ヴェリア界」
「時の神」
「玩具」
「旧式」

 ローラは混乱した。「ヴェリア界」とはSFCのようなオルガノン達の出身世界であり、様々な世界で廃棄された道具類などが漂着する世界だと言われている。そこに「玩具」という言葉が加われば、必然的にSFCと同じような(?)「玩具のオルガノン」が復活しようとしている、という推測に行き着くだろう。
 だが、一方で「時の神」という言葉も導き出されている。クロノスに関しては、その正体はよく分かっていないが、ヘカテーを含めたティターン族の長は「時の神」であるという話はローラも聞いたことがある(異説もある)。だとすると、やはりこの場に出現しようとしているのはクロノスなのではないか、という推測も成り立つのだが、問題は、「神」が道具類と同じように「廃棄」された上でヴェリア界に行き着く、などということが、そもそも理論上ありえるのかどうか、ということである。召喚魔法が専門ではないローラには判断出来ないし、召喚魔法が専門の末弟には、とてもではないが相談する気にもなれない。
 最後の「旧式」という言葉に至っては、どうとでも解釈が出来る。「旧式の玩具」なのかもしれないし、「旧い神」という意味にも解釈出来る(実際、ティターン族はオリンポス界においては「旧神」のように扱われることも多い)。あるいは、もしかしたら「現在のヴェリア界よりも旧い時代から存在する別のヴェリア界」なるものがどこかに存在するのかもしれない。

「これ、本当にヘカテー様が言ってたクロノス様……?」

 子供の頃から信奉し続けた女神の言うことを疑うのは、ローラとしては抵抗がある。だが、どうしてもこの四つの言葉(特に「玩具」)から、「ヘカテーをも凌ぐ絶対的な主神」のイメージが導き出せない。いっそのこと、完全にただのヘカテーの勘違いならば(もしくは、自分が見たあの夢が天啓ではなく純粋に「ただの夢」だったのならば)問題はなかったのだが、なまじ「時の神」という言葉も導き出されている以上、そう断言することも出来ない。考えれば考えるほど、彼女の中での混迷の度合いは深まっていくのであった。

3.6. 玩具の邪神

 部屋の隅でローラが苦悶の表情を浮かべる中、そんな彼女の奇妙な様子にメーベルとラナが気付き始めたその時、島の中央部から激しい物音が響き渡り、それと同時に強大な混沌の気配が島全体に広がり始める。

「これはラストダンジョンの気配! 大丈夫ですか? ちゃんとセーブしましたか? 必要なアイテムを持ちましたか?」

 SFCが唐突にそう叫ぶが、当然、魔法師達は彼女が言っていることの意味がさっぱり分からない。

「えーっと、セーブというのは……?」
「SFCさん、どうしたんですか?」

 メーベルとローラが首を傾げていると、SFCは淡々と答える。

「せっかくですので、こういった時に言っておかないと、キャラが薄れるような気がしまして」
「キャラは十分立ってると思うんですけど……」

 メーベルは困惑しながらそう呟く。少なくとも彼女の中では、無駄にキャラだけが強い末弟と並べても遜色ない程度には、SFCは強烈なキャラのように思えていたようである。
 ともあれ、彼女達はすぐに男部屋の面々と合流しつつ、島の中央部へと向かう。なお、ルイはまだ心身の疲労が激しい状態であったため(そしてメーベルとしては彼のために魔法薬を提供する気にもなれなかったため)、連れて行っても戦力にはならないだろうと判断し、小屋に残して行くことにした(一方、セシルに関しては「ルイと二人で残しておく方が不安」という周囲の判断もあり、エディ達に同行することになった)。

 ******

 彼等が島の中央部に辿り着いた時、彼等の前に現れたのは、全身に無数の傷を負って満身創痍の状態で倒れている、人間の倍以上の体躯の巨大亀であった。それは、紛れもなくラナのかつての赴任先を襲った、あのバウザーの姿であった。
 既にバウザーは虫の息の状態であったが、そんな瀕死の怪物に対し、ラナは驚愕しつつも無言で石飛礫の魔法を発動し、とどめを刺そうとする。その瞬間、バウザーもラナのことを思い出した。

「貴様、あの時の……、そうか、此奴は貴様が呼び出した存在だったか……」

 野太く苦々しい声でバウザーはそう呟きつつ、ラナが放った石飛礫が頭部に直撃したことで、そのままあっさりと絶命する。

(此奴……?)

 バウザーが何のことを言っていたのか理解出来ないまま、ラナが周囲に目を向けると、少し離れたところに、バウザーとは全く別種の、バウザーよりも更に強大な混沌の気配をまとった「SFCと良く似た形状の投影体」の姿を発見する。
 その投影体は、SFCと同じように胴体部分に「本体」と思しき「謎の器具」が埋め込まれている。月明かりに照らし出されたその本体は暗い灰色で、その中央部分には「斜めに『輪』をかけられた球体」の記号が描かれていた。その姿は紛れもなく、かつて地球においてSFCよりも少し後の時代に作られた 「時の神(SATURN)」の名を冠する家庭用ゲーム機 であった。
 彼女(?)はSFCに対して、消滅しつつあるバウザーを指差しながらこう叫ぶ。

「貴様の眷属はもう既に葬った」

 別にバウザーは、この「オルガノンとしてのSFC」の眷属ではなく、勝手にNintendo界からこの世界に投影されただけの存在だったのだが(ついでに言えば、昨日の金槌亀兄弟もおそらくはバウザーの眷属であって「このSFC」の眷属ではないのだが)、彼女の目にはそう映ったようである。

「またこの展開ですか」

 SFCは、うんざりしたような声で吐き捨てる。

「なんだろう、この妙な既視感は……」

 エディは、かつてマーチ村の南部で遭遇した「N64」の文字の入った怪物との戦いを思い出しながら、そう呟く。
 当然のことながら、魔法師達は彼等が何を言っているのか理解出来ない。

「いいですか、あなた、もう少し先輩に対して敬意というものを持ちなさいよ!」
「貴様がとっとと後進に道を譲っていれば良かったものの、いつまでも現役で居続けようとするから、貴様の一族は我らの後塵を拝することになったのだ。少なくともあの時は!」

 最終的には、より強力な「共通の敵」の前にどちらの一族も屈服することになるのだが(やがてその「共通の敵」の末裔はこのアトラタン世界そのものを飲み込み、再生産するほどの存在となるのだが)、それはまた別の世界の物語である。
 そんな「玩具のオルガノン」同士にしか分からない謎の会話を二人が繰り広げる中、他の者達は一様に困惑していた。

「あれが、邪神?」

 エディの目には、SFCやN64(仮称)と同類の存在にしか見えない。ただ、彼女から感じ取れるのは、明らかにSFCよりもN64(仮称)の方に近い禍々しいオーラであった。

「それにしてはちょっと……」

 ラナも首を傾げる。ただ、あのバウザーを倒すほどの強大な力の持ち主であることは間違いない以上、警戒すべき存在であることは確かである。

「でも、さっき私が調べたら、確かにこの地に現れるのは『ヴェリア界からの投影体』だという予言が出てました」

 ここに至って、ようやくローラはそのことを口にする。だからと言って、それが「邪神」なのかどうか(そしてクロノスなのかどうか)は彼女には判断出来ないのであるが。

「じゃあ、やっぱりそうなのかしら」

 メーベルは半信半疑の心境でそう呟きつつ、手持ちの薬瓶と火炎瓶をいつでも取り出せるように準備する。この「SFCの同類と思しき何か」の正体が何者であろうとも、極めて危険な存在であろうことは、その雰囲気から感じ取っていた。
 一方、その「SFCの同類と思しき何か」は、彼等の会話に対して割り込むように言い放つ。

「邪神と呼ぼうが何と呼ぼうが、それはお前達の自由だ。だが、私に与えられた名は『SATURN』。すなわち『時の神』。その名を冠する私は、神といえば神であるし、玩具と言えば玩具だ」

 なお、ローマ神話におけるサターンとは、ギリシャ神話におけるクロノスに相当する神なのであるが(異説もある)、そのことを知る者はこの場には誰もいない。

「確かに、あなたのソフトの中にも神的に優秀なゲームがあったことは認めましょう……」

 そこから続けてSFCが何か言おうとしたところで、エディが問いかける。

「『玩具の投影体』でありながら『神』ということは、SFCの上位互換みたいな存在なのか?」
「いえ、それはないです! 売り上げ的に私の方が遥かに上です! そこだけは譲れないです!」

 基本的にSFCは「後輩」から隠下扱いされるのは我慢出来ない性分らしい。その彼女の反応を確認した上で、改めてエディは問いかける。

「とりあえず、敵ってことでいいのかな?」
「はい、敵です!」

 SFCにしてみれば、この時の神(自称)は明らかに異教徒(SEGA)の一族である以上、問答無用で敵である。だが、そんな宗教上の問題とは別次元で、エディの目から見てもこの時の神(自称)からは、かつてのN64(仮称)と同じ「人類全体に対する強烈な敵対心」が感じられた。一般的にはオルガノンは人に対して友好的な存在であることが多いのだが、SFCとは異なり、元の世界において持ち主に巡り会うことすらなく廃棄処分となってしまった玩具達の場合、憎しみだけに囚われた破壊衝動の化身となってしまう。エディはこの玩具から、そんな哀しくも禍々しい気配を感じ取っていたのである。
 そして実際、今のこの時点で時の神(自称)はSFCに対する殺意を隠す気はなかった。

「私も貴様の存在を認める訳にはいかない。そして貴様の味方をするのであれば、そこの人間達も敵だ!」

 時の神(自称)がそう言いながら手を挙げると、彼女の傍らに「青いハリネズミ」が現れる。どうやら、彼女の眷属らしい。

「貴様等は自分の身に何が起きたかも分からないまま、こやつの針で一突きにされるであろう」

 彼女は薄ら笑いを浮かべながらそう言い放つが、そもそも当のオルガノン達以外の面々には、今この場で何が起きているのか自体が、まだ全く理解出来ていない。ただ、この時の神(自称)が明らかに強大な混沌核を持つ投影体であることは分かる。そして、青いハリネズミのその形状から察するに、バウザーに深手を負わせたのはこの魔物の仕業であろうことも予想は出来た。
 ラナにしてみれば、宿敵のバウザーを倒したのが彼等だとするならば、ある意味で「敵の敵」ではあるのだが、バウザー以上に危険な気配をこの時の神(自称)から感じ取れた以上、ここで退く訳にはいかないと覚悟を決める。
 一方、その傍らのローラはまだ内心で逡巡していた。

(どうしよう……、これ、倒しちゃっていいのかな……?)

 この時の神(自称)の言っていることは欠片も理解出来ないが、どう見ても彼女が「ヘカテーの上位神」とは思えない。その上、既に彼女の方から勝手に「敵」認定されている以上、ここで戦いを回避する方法も思いつかないし、そもそも、何をどう説得すれば戦いをやめてくれるのか、皆目見当もつかない。どう考えても戦うしか道は無さそうなのだが、それでも昨夜の夢の中のヘカテーの言葉が頭を離れず、心のどこかで躊躇が発生してしまっている。
 そんな彼女とは対照的に、彼女達の後方では堕天使(自称)が、何も迷うことなくジャック・オー・ランタンを呼び出していた。

「我がヤマト教に仇為す者であれば、許す訳にはいかない。成敗!」

 だが、堕天使(自称)の命を受けたカボチャの魔物が炎を吐くよりも先に、青いハリネズミが動いた。彼は一瞬にして、エディ、SFC、ローラ、メーベルの四人に、目にも留まらぬ早業で斬りかかったのである。
 ラナが咄嗟に妨害魔法でそのハリネズミの足元を崩したことでその動きは一瞬鈍り、その隙をついてSFCは前転回避しながら時の神(自称)との間合いを詰めるが、残りの三人はそれでも避けきれずに目の前に青い斬撃が迫る。だが、その直前にローラが周囲一帯に次元断層を作り出してハリネズミから繰り出される攻撃の大半を防いだことで、かろうじて三人とも一命はとりとめた。しかし、それでも相当な深手を負っていることは確かであり、もし次に同じ一撃が繰り出されれば、間違いなくローラとメーベルの命は無いだろう。
 その直後、堕天使(自称)に命じられたジャック・オー・ランタンの火炎攻撃と、堕天使(自称)自身によって呼び出されたラミアによる絡みつき攻撃が時の神(自称)を直撃し、それとほぼ同時にメーベルの火炎瓶とラナの火炎球によって時の神(自称)とハリネズミは激しい業火の炎に包まれる。それでもかろうじてその身を保っていたハリネズミであったが、そこにエディとSFCの連続攻撃が(ローラの魔法支援もあって)命中したことで、ハリネズミは完全にその身を貫かれ、そのまま消滅していった。

「貴様、よくもウチの稼ぎ頭を!」

 激昂する時の神(自称)に対して、SFCは更に挑発する。

「この程度では、ウチのヒゲオヤジや電気ネズミには勝てませんよ!」

 その一言で逆上した時の神(自称)は、SFCの片腕を掴み、そのまま背負い投げで彼女を地面に叩き付けようとするが、堕天使(自称)の呼び出したインプに邪魔され、更にローラの妨害魔法によって体勢を崩されたことで、失敗に終わる。彼女はあくまでも「時の神」の中でも旧型(黒版)のため、 新型(白版)の必殺技 を繰り出そうとしたこと自体に、無理があったのかもしれない。
 その直後、時の神(自称)に対して再び堕天使(自称)によるジャック・オー・ランタンとラミアの攻撃が炸裂し、更にラナの火炎攻撃とエディによる一撃離脱の形で突撃によって、徐々に彼女の表情が歪み始める。
 ここで、メーベルは火炎瓶を構えるが、彼女の火炎瓶はその炎が燃え広がる範囲が広いため、この状況で投げると時の神(自称)の至近距離にいるSFCをも巻き込んでしまう。そのことに気付いたメーベルがやむなく投擲を断念しようとした瞬間、SFCは叫んだ。

「構わず投げて下さい!」

 SFCとしては、一刻も早くこの「後輩」を倒さなければならない、という思いもあり、メーベルの火炎瓶投射と同時にそれを避ければいい(仮に避けられなくても一発くらいなら耐えられる)と判断したのである。いつぞやの時のように「無断」で雷撃を打ち込まれるのはたまったものではないが、この状況であれば、むしろ自分を巻き込んでくれてもいいという覚悟が彼女の中では固まっていた。
 その言葉を受けてメーベルが投げ込んだ火炎瓶は時の神(自称)に直撃し、SFCはそれを寸でのところで避けて逃れる。そして直後にSFC自身が謎の(Nintendo界の?)特殊戦技を用いて、荒ぶる「後輩」を完全に機能停止へと追い込んだ。

「またしても、またしても立ちはだかるか、Nintendoよ……」

 混沌核を破壊され、徐々にその表示が粗くなって消滅していく「後輩」に対して、「先輩」は手向けの言葉を捧げる。

「あなたのゲーム、家庭用の方はアレですけど、アーケードの方は面白いですよ」

 こうして、殆どの人々には何が起きていたのかさっぱり分からないまま、このクロノス島の邪神騒動はひっそりと幕を閉じたのであった。

3.7. 巨大蛾との対面

 一方、強大な「時の神(自称)」とその「青い眷属」との激しい戦いが前線で繰り広げている中で、実はSFC達の後方でも、密かに「もう一つの戦場」が形成されていた。より正確に言えば、「形成されようとしていた」のである。
 実は、時の神は先刻、青いハリネズミと同時に、もう一体の眷属である「二尾を持つ狐」を召喚していた。二尾の狐は青いハリネズミが魔法師達の目を惹きつけている間に、後方から密かに彼女達を急襲しようとしていたのだが、その存在に気付いたセシルが懐から「謎の生物」を取り出すと、その「謎の生物」はその狐に向かって「白い糸」を吐き出し、狐はその糸に身を絡み取られたまま「繭」のような状態でその身を完全に拘束されてしまった。結果、この「もう一体の眷属」は何も出来ないまま、人知れず無力化されていたのである。
 仲間達がその「繭」の存在に気付いたのは、戦いを終えた直後であった。エディとSFCはその状況から大方の事情を推察出来たが、その「繭」に関する話を何も聞かされていない魔法師達には、理解出来る筈もない。セシルは少し迷いつつも、意を決して語り始める。

「今まで黙ってて悪かったけど、僕にはSFCとエディ兄の他にもう一人、信頼出来る友達がいるんだ」

 そう言いながら彼は、自分の懐から一匹の「昆虫の幼生体と思しき何か」を取り出す。

「今は聖印の力で小型化してるけど、本当はこの子はもっと巨大な『蛾』の幼虫で……、さっき、別の魔物が背後から皆を襲おうとしていたのを見て、この子に『繭』を吐いてもらったんだよ」

 この説明で皆が納得してくれるかどうかは分からない。そもそも、人によってはこのような「幼虫」自体を生理的に毛嫌いする者もいるだろう。だが、毛嫌いするどころか想定外の好反応を見せた人物がいる。

「あら、かわいい。はじめまして。お名前はなんていうの?」

 メーベルである。彼女の動物好きはリアン一門の面々は全員知っているが、どうやら彼女の中では「蛾の幼虫」も「かわいい」の範疇内らしい。そして、彼女は日頃から、普通の動物に対して(言葉を交わすことが出来ないことを承知の上で)話しかける癖の持ち主なのだが、ここでその幼虫自身が彼女に語りかけてきた。

「我が名はバス・クレフ。と言っても、この名を告げたところで、ブレトランドの外の者には分からんだろうがな」

 さすがに、人の言葉を理解出来るとは思っていなかったため、メーベルも一瞬驚くが、それはそれで彼女の中では嬉しい誤算のようである。

「うん、まぁ、色々ややこしい事情があってね……」

 セシルはそう言って言葉を濁す。実際のところ、彼自身もその「ややこしい事情」の全容が分かっている訳ではない。そんな中、姉弟子に負けずにセシルの好感度を上げようと張り切った堕天使(自称)がセシルに声をかける。

「キサマも我と同じ、『特別な印』を持つ者か」
「え? じゃあ、お兄さんにも誰かいるの?」
「いるではないか、そこに」

 そう言って彼は、ジャック・オー・ランタンを指差す。確かに「人外の相棒」という意味では同じような存在と言えなくもない。しかし、ジャックはバス・クレフに対して、明らかに怯えている。彼(?)はバス・クレフの小さな身体から、先刻の時の神(自称)をも遥かに上回る強大な混沌核の力を感じ取り、恐怖に打ち震えていたのである。

「ジャックも友達が出来たことで、嬉しさのあまり震えている」

 自信満々にそう解釈する堕天使(自称)であるが、ローラは冷静に助言する。

「いや、ランスくん、違うと思うよ……」

 投影体召喚に関しては素人の彼女が見ても、ジャックがこの状況を喜んではいないことは明らかであった。

「どうやら彼は、自分の従属体とも意思疎通出来ていないみたいですね」

 SFCが冷静にそう呟く。そもそも、四六時中一緒に生活していた義姉達とすらまともに意思疎通出来ていない彼が、これから先、まともに心を通い合わせることが出来る存在が現れるのかどうか、それは誰にも分からなかった。

4.1. 潮時

 その後、二尾の狐はあっさりと繭の上からとどめを刺され、それを含めた投影体達の混沌核の残骸をエディとセシルの聖印で浄化吸収した上で、七人は木造小屋へと帰還する。
 小屋の隅で怯え震えていたルイは、開口一番にメーベルに対して問いかけた。

「もう大丈夫なのか?」
「えぇ。もう大丈夫です」
「そうか、さすがは私が見込んだメーベルだな」

 それに対してメーベルはあえて何も言わず、乾ききった微笑みを返す。その上で、ルイは皆に対して改めて提案する。

「とはいえ、そこまで強大な投影体が出現したのであれば、やはり本格的にエーラムがこの島を再調査すべきではないか?」

 彼としては、一刻も早くこの「針のムシロ状態」の合宿を終わらせたいらしい。メーベルは微妙な表情を浮かべつつも頷く。

「癪ですが、正論ですね」

 実際のところ、あの時の神(自称)を倒して以来、この島全体の混沌濃度は明らかに低下している。海の様子もかなり落ち着いてきた様子なので、今から港町の契約魔法師に連絡すれば、おそらく明日の昼頃には船を島まで出航させてくれるだろう。
 この方針に対して他の面々も全員賛同したため、代表してメーベルが港町に対して魔法杖で連絡を取ることになった。最長一週間の予定が、実質二泊三日で終わってしまうことになるが、それでも十分すぎるほどに濃密な時を共有したことによって、参加者達の能力や人となりについては概ね理解することは出来たと言えよう。

「では、そろそろ告白タイムと参りましょうか」

 SFCが語弊のありそうな言い方でそう提案しつつ、指名が競合した時のための「ドラフトくじ」を作ろうとするが(なお、そんなシステムはこの合宿の予定には組み込まれていない)、エディが軽く静止する。

「ちょっとその前に、君主同士で話をさせてもらえないか?」

 エディとしては、まずセシルの意思を確認したいと考えていたようである。その提案を受けて、魔法師側も魔法師側で、事前に軽く話し合う機会を作ることにした。

4.2. 君主達の意思調整

 もともとの男女比の都合もあり、ひとまず「男部屋」が「君主同士の密談の場」として用いられることになった。と言っても、ルイは部屋の隅でオドオドしているだけで、積極的に話をしようという気配が感じられないため、エディは当初の目的通り、セシルに話しかける。

「セシル、誰か気になる人はいたかな?」
「そうだね……、みんなすごく強い人だということは分かった。あの堕天使の人は何を言ってたのかよく分からないけど……、でも、『この子』を見ても臆さなかったということは、ウチの村に来ても大丈夫なのかもしれない」

 手元でバス・クレフを撫でながら、セシルはそう答える。もともとSFCやバス・クレフといった「何を言っているのかよく分からない人外の友達」と接してきたセシルにしてみれば、堕天使(自称)と友達になることも、実はそれほど難しいことではないのかもしれない。もっとも、だからと言って、積極的に彼を選ぶ理由も特にない。そして、バス・クレフに対してはもっと好意的な態度を示してくれた者もいる。

「薬使いのお姉さんも、この子のことは気に入ってくれていたし、他の二人も特に嫌がってる様子ではなかったけど……、SFCはどう思う?」
「そうですね……、やはり宗教家を村に招き入れるのは治安の問題がありますので、誰を推薦するかと言われたらメーベルさん、ということになりますが、最終的に決断を下すべきはセシル様ですので、セシル様の御意志に従います」
「エディ兄は?」
「俺もどっちかというと、セシルの意思を優先しようと思ってたから、セシルが選んだ人以外の中から選ぼうかな、と思っているんだ」

 実際のところ、エディとしては、今の村の状況に鑑みた上で「即戦力」として起用出来る魔法師を求めており、その意味ではメーベルも十分にその候補となりうる。とはいえ、今のセシルにとって必要な「母親役」としても、メーベルは適任であるように思えた。

「そっか……。でも、僕があの薬使いのお姉さんを選んでも、お姉さんの方が僕でいいと言ってくれるとは限らないけどね……」

 セシルはそう呟きつつも、自分の中での一つの「決意」を固める。一方、ルイは「もういいから早く帰りたい」というオーラを全身から発しつつ、最後まで一言も喋らなかった。

(これ以上、彼女達には関わり合いたくない……)

 ただひたすらに、そう思い続けていたルイであった。

4.3. 魔法師達の意思調整

 一方、「女部屋」の方には魔法師達が集まっていた。その中で、契約する気満々のランスとは対照的に、ローラは窓から月夜を見ながらポーッと気が抜けたような表情を浮かべていた。

(結局、倒してしまって良かったのかな……)

 時の神(自称)のことを思い出しながら、半ば放心状態となっていたローラの脳裏に、再び「あの声」が響き渡る。

《申し訳ございません……》
(え? え? ヘカテー様?)
《どうやら、あの島に出現したのは、クロノス様の名を騙る「異界の魔物」だったようです》

 正確に言えば、あの魔物(?)は「クロノス」と名乗ってすらいない。「クロノスと同一視されやすい別の神話の神の名を持つ玩具のオルガノン」でしかなかった。何を根拠にヘカテーが誤認したのかは分からないが、勘違いにも程がある。

(そ、そうだったんですね、よかったぁ……。あんなのがヘカテー様のおっしゃっていた方なのかと思うと不安だったのですが……)
《いえ、あの方は、もっと偉大なお方です》
(そうですよね、安心しました……)

 こうして窓辺で月を見ながら一喜一憂しているローラを横目に、メーベルはラナに問いかける。

「まぁ、ローラちゃんはたまにああなるから、今は放っておくとして、ラナちゃんは、誰か気になる人はいた?」

 そう言われたラナは、少し考えた上で、メーベルとランスの間で視線を動かしながら答える。

「私はどちらかといえば、エディ様かな。どうもセシル様は、あなた達が取り合いをしているみたいだし」

 実際、ラナの中ではどちらの君主も印象は悪くない。ただ、今の時点において「混沌と戦っても負けない力」の持ち主がどちらかと言われたら、間違いなくエディだろう。

「そうねぇ。ランス君に譲ってあげたい気持ちもあるけど……、あの子、どうも不安定なところがあるみたいだし、私が支えてあげたい気持ちもあるな……。最終的にはセシル様のご意向に委ねようかしら」
「我とあやつはもう友だ。我等の契りは決して揺るがないだろう」

 何の根拠もなくそう言い切るランスを無視して、メーベルは窓辺のローラに声をかける。

「とりあえず、ルイ様はやめておきなさい、ローラちゃん」
「え? なに? 何話してたの?」

 唐突に声をかけられて動揺したローラに対して、ラナが一言で説明する。

「誰がいいかって話よ」

 急にそう言われても、実際のところ、ローラとしては特に何も決めていなかった。というよりも、この合宿期間中、彼女は「別のこと」で頭がいっぱいで、自分の就職のことまで考えが回らなかったのである。

「貴様に適任なのは、ルイであろう」
「……ランス君、とりあえず、ほっぺたつねっていい?」
「なぜだ?」

 年下組がそんな会話を交わしている中、メーベルはボソッと呟く。

「むしろランスくんこそ、ルイ様でいいんじゃない? あなたは『あの人の好み』じゃなさそうだから、大丈夫だと思うわ」

 実際、それが一番世の中全体にとって平和な結論なのかもしれない。問題は、どちらの側もそれを望んでいない、ということであるが。

4.4. 再就職

「話は終わったかな?」

 女部屋の扉の向こう側から、エディの声が響いた。

「あ、はい。どうぞ」

 ラナがそう言うと、彼等を部屋に迎え入れる。こうして、3人の君主と4人の魔法師(と1人の玩具)が部屋に揃った。
 やや緊迫した空気が広がる中、真っ先に動いたのはセシルである。彼は緊張した面持ちで、メーベルの前へと向かった。

「僕は、まだ君主としては未熟だし、色々と迷惑かけるかもしれないし、もしかしたら、何かすごく怒らせるようなことをしてしまうかもしれないけど……」

 そう言いながら、セシルは少し怯えているように見える。どうやら、ルイに対して彼女が見せていた表情を思い返していたらしい。

「……でも、今の僕に一番必要なのは、あなたなんだと思う。だから、僕の契約魔法師になってくれませんか?」

 セシルは聖印を掲げながら、その小さな手をメーベルの前に差し伸べる。

「このようなことを申し上げるのもおこがましいとは思うのですが、あなたはどこか不安定で、塞ぎ込んでいたようなので、私のような年上の者を頼って頂けたのは、嬉しいです」

 メーベルはそう言いながら、少年の手を握る。

「これから、よろしくお願いします」

 心からの笑顔でメーベルがそう答えると、その傍らに立っていたローラが思わず感嘆の声を上げる。

「お姉さま、おめでとうございます!」

 メーベルも内心安堵した様子で、思わず表情がほころぶ。セシルの背後から二人を見守っていたSFCも、満足気な表情を浮かべていた。
 その様子を見届けた上で、今度はエディが一歩前に出た。彼が歩を進めた先に立っていたのは、ラナであった。彼もまた聖印を掲げながら、その手をラナに向けて差し出す。

「ラナさん、俺の治めているトーキーは、何かあったらすぐ戦争になる最前線の村なんだけど、ウチの村は裕福でもないし、戦力には乏しいんだ。混沌災害に対しても、俺と僅かな自警団で対処するしかない。だから、あなたの『一度に沢山の相手を攻撃出来る火炎魔法』と『その使い時を誤らない冷静な判断力』に期待したいんだ。どうか、俺の契約魔法師になってくれないだろうか?」

 確かに、この島に来て以来、エディが目の当たりにした三つの戦場で、最も強力な攻撃魔法を繰り出していたのは、間違いなくラナである。それに加えて、他の魔法師達が様々な奇行や暴走を繰り広げている中でも、ラナだけは特に動じることなく常に冷静な姿勢であり続けた。それは単に彼女が「他人に興味がない」というだけの話なのかもしれないが、エディは自分自身が感情的に行動する人間だと分かっているからこそ、彼女のその「達観した冷静さ」が必要だと考えたのであろう。

「そうですね。私も、前の就職先では、前線に立って指揮をしながら攻撃するのが主な役割だったので、こちらとしてもそれで嬉しいです。よろしくお願いします」

 ラナもまた、そう言いながら笑顔で彼の手を握る。

「ありがとう。よろしく頼むよ」

 エディはいつもの少年のような微笑みを浮かべながら、その手を改めて握り返した。そしてローラが再び歓声を上げる。

「わーい! 先輩、おめでとうです!」

 結果的に「実績のある再就職組」が契約を勝ち取ることになったが、ローラとしては、そのことに対して悔しさを感じているような雰囲気はなく、心から喜んでいる様子である。

「お姉さま方が就職出来て私も嬉しいです。ね、ランスくん?」
「うむ、まぁ、今回は駄目であったが、我はまだ次があるからな」

 ランスが内心でどう思っているのかは不明だが、ひとまず今は、素直にこの結果を受け入れていたようである。
 なお、まだこの時点でルイにも指名権はあったのだが、彼は相変わらず部屋の隅(メーベルから見て一番遠い位置)で「早く帰りたい」という表情を浮かべていただけだったので、あえて誰も何も言わなかった。

「二人の就職を祝って、お祝いですね!」
「これで、伯父様にネチネチ言われずに済みます……」
「師匠の辛辣な言葉を聞かずに済むのは、嬉しいですね」

 魔法師達がそんな会話を交わす中、波乱万丈の無人島合宿は、無事に二組の「契約(再就職)」を成立させて、幕を閉じたのであった。

4.5. 後始末と新企画

 翌日、島には船が到着し、7人は大陸へと帰還する。本来、エディ達は島からワイバーンに乗って直接ブレトランドへ帰る予定だったのだが、ルイに「大陸まで一緒について来てくれ」と懇願され、ひとまずは同船することになった(ルイは、エディ達がいなくなったらいつ殺されるか分からない、という恐怖に怯えていたらしい)。なお、すっかり天候も安定して、帰りの便はすこぶる快適な船の旅であった。
 その上で、港町に着いたと同時にルイは一目散に実家の所領へと逃げ去り、そんな彼を見送ったエディ、セシル、SFCの三人は、改めてワイバーンに乗ってグリースへと帰還する。一方、就職先が決まったメーベルとラナも、ひとまずは師匠への報告と諸々の手続きのため、一旦は君主達と別れて弟妹達と共にエーラムへと帰還することになった(ちなみに、その後のラナの赴任先での物語に関してはグランクレスト異聞録1(ロードス島戦記RPG編)を参照)。
 なお、前日の時点で聖印教会の船を奪って出航したフィリップの行方に関しては定かではない。それらしき船がどこかに停泊したという話も、その残骸が発見されたという話も聞かないが、少なくともルイが実家のホール村に戻った時点では彼は帰還していなかった。この件について、フィリップの家臣達には島の管理責任者であるエーラムに抗議文を出す権利はあったが、ルイが「やむにやまれぬ事情があったので、これ以上騒ぎを起こさないでほしい」と家臣達に告げたことで、「不慮の事故」として扱われることになった。フィリップの所領であるライト村には、親戚筋から別の君主が派遣されることになるという。

 ******

 それから数日後、メーベル達の報告を受けたエーラムから派遣された一団がクロノス島の調査へと赴いたものの、「混沌の揺らぎは収まったものの、いずれ再び巨大な投影体が出現する可能性も完全に否定することは出来ない」という中途半端な結論しか出せずに終わった。ちなみに、エーラムに残された数少ない古代の文献によると、極大混沌期にはあの島には様々な「強力な混沌核を持つ投影体」が出現したという記録があり、その大半が「時の神クロノス(サターン)に関係する投影体(四輪の乗り物のオルガノン、黒髪短髪で水兵服を着た少女、子馬を形取った鎧を来た少年、古代機械を召喚するカード使い、美声を響かせる痩躯の中年男性、etc.)」であったらしい。
 一方、聖印教会は今回の一件に関して、特に明確な声明を出していない。どうやらあの島に乗り込んだのは、教会内でも(日輪宣教団とはまた別の)過激なはぐれ一派だったようで、教皇や各地の枢機卿達は特に関与していなかったようである。ローラの故郷を襲ったのが彼等と同一の一派なのかも不明であり、そもそもなぜ彼等が時の神(自称)の復活に気付いたのかも定かではない。もしかしたら、聖印教会の外部の何者かによる情報提供があったのかもしれないが、現時点では明確な真相には辿り着けなかった。
 また、かつてカサドールに出現して以来、行方知れずの状態続いていたバウザーが、なぜあの島に出現していたのかについても、真相は不明である。おそらくは「宿敵」の気配を察知して、それを倒そうと(自身の眷属である金槌亀兄弟と共に)乗り込んできたところを返り討ちにあったのではないか、というのがエーラムの見解であるが、だとしたらそこでも裏で何者かがバウザーを操っていた可能性もある。SFCとSATURNとバウザーの関係を熟知している者がエーラム内にいれば、SFCがその黒幕として疑われていた可能性もあるだろうが、幸いにして誰もその件についてまともな報告が出来なかったため、真相は闇の中に消えたままであった。

 ******

 こうして、色々と微妙にすっきりしない状態のまま、この一件に関する捜査は打ち切られることになったのであるが、そんな中、アルジェントとメルキューレの元に、エーラムの人事部から次なる契約斡旋の企画への招待状が届いた。

「これはまた……、相当な大物が参加するようですね」
「もし、このような場で何か粗相をすれば、奴の首一つでは済まないかもしれないな」

 アルジェントはそう呟きながらも、「何かとんでもない粗相をやらかしそうな弟子」のその企画への参加に同意する。一度「弟子(養子)」として迎え入れた以上、何があっても最後まで見捨てずに師匠としての責任を果たし続けるだけの覚悟は、彼の中では最初から定まっていた。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2018年08月17日 12:45