第5話(BS41)「楽園の守護神」 1 / 2 / 3 / 4

1.0. 投影体の楽園

 「パンドラ楽園派」とは、ブレトランド・パンドラにおける四派閥の一つであり、投影体の身でありながら生命魔法を習得した異色の魔法師アイン・ナウム・サンデラ(下図)に率いられた「投影体の国」の建国(=人間社会との住み分け)を目指す投影体達の集団である。


 彼は元来は「20世紀の地球」において、ベトナム戦争に従軍していたソ連兵の父と現地人の母との間に生まれた混血児であり、地球では若くしてベトナム軍の軍医を務めていた。この世界に投影された直後に、放浪時代のダン・ディオード(現アントリア子爵)と知り合い、彼の旅仲間の一人となり、同じ仲間の一人であったノギロ・クァドラントから生命魔法を学んだ後、旅先で出会った貴族令嬢ミカエラ・サンデラと結婚して婿養子となるが、投影体を嫌う者達の手で殺されそうになったところをミカエラに庇われ、彼女が命を落とす。これを機に「投影体の国」を作る必要性を実感するようになった彼はパンドラに加わり、やがてパンドラに協力していた投影体達を引き連れて、「楽園派」を結成するに至る。
 そんな彼等は半年前、その宿願を果たすために(投影体の存在を許容するパンドラの他派の魔法師達の力も借りて)ブレトランドの南東に異界の「投影島」を出現させた。首領アインの故郷の名を取って「フーコック島(通称:楽園島)」と名付けられたその島では、現在、アイン達の指導下で、様々な世界の投影体が「互いに互いの文化を尊重する」という前提の上で共存する国家を(様々な対立と混乱を内包しつつも)形成しつつある(また、同時に、協力関係にある他のパンドラの諸派閥の面々にとっての「隠れ家」としても機能している)。
 このように、彼等は人間社会と対立することを避けるために、人間の土地を奪わずに海上に新天地を築くという道を選んだのだが、それでも、彼等の存在によって従来の航海ルートを妨げられた者達や、投影体の存在そのものを嫌う者達、そしてパンドラ撲滅を目指す者達にとっては、やはり彼等は「討伐対象」であり、周辺諸国とは一触即発の状態にあった。
 そして、この「楽園島」には、それぞれの様々な事情からこの島での生活を余儀なくされるようになった「投影体(異界から投影されてきた者達)ではない住人達」もいる。これは、そんな「事情」を抱えた少年少女達の冒険譚の最初の一節である。

1.1. 神と魔獣

 この島には「異界の神(およびそれに類する何か)の投影体」が幾人か存在する。その中でも実質的に中心的な役割を果たしているのが、密教界から投影された「アカラナータ(不動明王)」と呼ばれる女性型の神格的存在である(下図)。元の世界における彼女がどのような存在だったのかは不明だが、この世界に出現した彼女は非常に激しい気性で、当初は訳も分からないままにその力を振るって暴れまわっていたが、やがて放浪中のダン・ディオードやアイン達と出会い、彼等との戦いの末に意気投合し、その仲間に加わった。


 その後、彼女とダン・ディオードとの間には娘が生まれ、「ウチシュマ」と名付けられた(同名の神が密教界には存在するが、彼女はあくまでも「この世界で生まれた半神半人の存在」であり、「密教界のウチシュマの投影体」ではない)。ダン・ディオードには彼女の他にも多くの女性との間の子供がいたが、神格的存在の大半はそもそも「一夫一婦制」という観念を持たないため、他の「妻」達に対しては、ライバル心はあるものの嫉妬心はなく、「彼女達」との関係は良好である(と少なくとも本人は思っている)。
 やがて、彼女はアインの掲げる「投影体のための国を作る」という思想に興味を抱き、彼と共にパンドラに加わり、現在では島の警備隊長的なポジションを務めている。一方、そんな彼女の娘であるウチシュマ(下図)は現在13歳。子供ながらに母の投影体としての能力を受け継ぎ、神格的存在として、この世界の混沌を利用した様々な奇跡的現象を起こせる力を覚醒させてはいるものの、本人は今のところ、その力を用いて何かをしようとする訳でもなく、ただ淡々と母親の庇護下で自堕落な日々を送っていた。


 そんな彼女がこの日も自室でゴロゴロとダラけていたところに、一人の「怪物のような姿をした少女」が現れる(下図)。彼女は人間の子供程度の大きさの爬虫類(地球で言うところの「イグアナ」に近い存在)のような姿をしているが、その正体は不明である。数ヶ月前にこの島の海岸に状態で流れ着いていたのを発見されたが、その時点で過去の記憶を一切持っておらず、自分自身が何者なのかも分かっていなかった。


 アインを初めとする島の魔法師達の見解によれば、彼女は「投影体」でも「(混沌を吸収しすぎた)邪紋使い」でもない「よく分からない存在」らしい。ただ、彼女は人語を解し、そして発見された時点で(既にボロボロになっていたとはいえ)「上質な生地を用いた人間の少女の装束」を身に纏い、その右手には「高価そうな指輪」が嵌められていたことから、元来は「高貴な家柄の人間の少女」が、何らかの力によってその姿を変えられた存在なのではないか、というのがアインの憶測である。
 つまり、彼女は厳密に言えば「投影体」ではない(可能性が高い)が、この島の人々は彼女を「新たな住人」として受け入れた。この島は「互いの文化を尊重する」という基本原則を共有出来る価値観の者であれば、投影体でなくても受け入れるというのがアインの方針である(そもそも、厳密に言えばウチシュマのような「混血児」もまた投影体ではないが、彼女の居住権に異論を唱える者はいない)。
 この少女は(地球に存在する書物に登場した「彼女とよく似た怪物少女」の名をとって)「リカ」という名前を与えられ、当初は戸惑っていた彼女も、やがて島の子供達と徐々に打ち解け、笑顔を見せるようになっていく。ウチシュマもまた、そんな彼女の「友人」の一人であった。

「ウチシュマさん、今からお洗濯するので、ここにあるお洋服、持って行ってもいいですか?」

 リカはそう言いながら、ウチシュマが部屋の各地に脱ぎ捨てたままの洋服を掻き集めようとする。リカは身寄りのない自分を救い、受け入れてくれたこの島の人々に深く感謝しており、少しでも何か「自分の力で彼等に貢献出来ること」を探したいと思い、こうして自主的に、住人達の家事や雑用を手伝おうとしていた。

「別に〜、わざわざ洗濯しなくても〜、このままでいいよ〜」

 ウチシュマは眠そうな声でそう言った。彼女は「この島の警備隊長」という重職を務める「神」の娘でありながら、日々是無気力であり、服が多少汚れようが、そのせいで周囲からどう見られようが、特に気にするような性格でもなかった。

「では、お掃除を……」

 リカはそう言いながら、散らかり放題で埃も溜まりつつあるその部屋を片付けようとしたが、それに対してもウチシュマは、物臭そうな仕草で手を横に振る。

「別にいいって〜」
「でも、何かさせて頂かないと落ち着かないというか……」

 リカが困った表情を浮かべながらそう言ったのをみて、ウチシュマはゆっくりと起き上がる。

「じゃあ、一緒にやろっか〜。その方が、後でぐっすり寝られるし〜」

 そう言いながら、ウチシュマはのんびりとした動作で、彼女と一緒に掃除を始める。ウチシュマとしては、自分の部屋が汚れていようがいまいが「どうでもいい」と思っていたが、リカがどうしても「何かしたい」と思っているのなら、それを手伝うこともやぶさかではない。そして、やる気の無さそうな動作ながらも、存外効率良く室内に転がった諸々を着実に片付けていく。基本的には彼女は「やれば出来る子」なのである(ただし、滅多に「やる気」にはならない)。
 こうして二人で「汚部屋清掃」を進めていく中で、リカはふと、今の自分の立場について、思い悩んでいることを口にする。

「私は、誰なんでしょう……? 自分自身が誰なのかも分からない私に、この島にいる権利はあるのでしょうか……?」

 この島に辿り着いてから、幾度となく悩み続けてきたその問題に対して、ウチシュマはあっさりと答える。

「気にする必要はないんじゃないかな〜。私も好き勝手にやってるし〜」

 冷静に考えれば「ウチシュマが好き勝手にやっていること」と「リカがここにいる権利」との間には何の連関性もないのだが、そんな「何の根拠もない無責任な説明」が、今のリカにとっては救いであり、癒しでもあった。
 やがて二人は、一通り無事に掃除を終え、その心地よい疲労感と共に、二人で並んで横になって「お昼寝」を始める。穏やかな午後の昼下がりの出来事であった。

1.2. 森人と剣士

 この島には、そんなウチシュマの「異母兄」と「異母姉」が一人ずつ、それぞれの「母親」と共に生活している(厳密に言えば他にも異母兄弟は沢山いるのだが、彼等についてはブレトランドの英霊4を参照)。なお、生まれた順としてはウチシュマが一番最後ではあったが、数ヶ月程度の差しかないこともあり、周囲からは「母親違いの三つ子」のように扱われている。
 その「三人の母親」の中で、一番最初に子を産んだのは、リーザロッテ(通称:リズ)という名のエルフであった(下図)。彼女は比較的若くして(100歳程度の頃に)この世界に投影され、当初は気ままな一人旅を続けていたが、旅先で出会ったダン・ディオードに一目惚れして、
彼と行動を共にするようになり、やがて娘を産むに至った(彼女はもともと奔放な性格なため、ダン・ディオードが他の女性との間に子供を作ることに対しては、内心では嫉妬心を抱きながらも、無理に拘束する権利は無いと考えているらしい)。アインの掲げる「投影体のための国を作る」という思想には、当初は興味がなかったが、アカラナータや「もう一人の母親」達に流される形で協力することになり、島の自然環境の整備などでその能力を発揮している。


 その彼女の娘の名は、モルガナ(下図)。ウチシュマ同様、投影体とアトラタン人(君主)との混血児だが、母親の血を強く受け継ぎ、13歳にしてエルフとしての様々な能力に目覚めている。なお、13歳という年齢は、エルフとしては極めて年少ではあるが、リーザロッテ曰く「成人するまでのエルフの歳の取り方はこの世界の人間と変わらない」とのことであり、実際、同世代のアトラタン人と同程度の外見に見える(ただ、エルフ界の住人にも個体差はあるとも言われているので、彼女の説明が他の全てのエルフに適用されるかは分からないし、そもそも「エルフ界の一年」と「この世界の一年」が同じ長さなのかどうかも分からない)。


 モルガナは異母妹ウチシュマとは対照的に、何事に対しても全力で取り組む真面目な性格であり、この日も朝から島の片隅の海岸の近くで、母親から「エルフのたしなみ」として伝授された弓の練習に打ち込んでいた。

「敵の急所を狙い、その血管を貫くように、撃つべし! 撃つべし!」

 そう呟きながら、練習用の木の板を目掛けて、弓矢を放つ。そんな中、彼女は海岸線に「船」が近付きつつあることに気付く。警戒しながらモルガナがその様子を凝視していると、やがてその船は岸に接舷し、そこから奇妙な装束を身にまとった一組の若い男女(下図)が降りてくる。その二人のうち、男性の方がモルガナに声をかけた。


「この島の『偉い人』と話がしたいのですが、取り次いで頂けますか? 『サオリさんに呼ばれてきたソウジという男』だと言えば、通じると思います」

 モルガナはその青年には見覚えはなかったが、「サオリ」という女性のことは知っている。というよりも、彼女のことを知らない者はおそらくこの島にはいない。彼女は地球人であり、パンドラ楽園派においても指折りの実力の剣士として、これまで多くの同胞達を助けてきた英雄であり、現在はアカラナータの副官的な立場で島の平和を守っている。なお、前述の「魔獣少女」に「リカ」と名付けたのは彼女である(母親の持っていた「少女漫画」が語源らしい)。
 モルガナは、この青年が言うところの「偉い人」が誰を指しているのかよく分からなかったので、ひとまずサオリを呼びに行くことにした。

「わかりました。では、しばらくここでまっていてください」

 モルガナはそう伝えた上で、エルフ特有の身軽な足取りで、サオリを探して島の居住地区へと向かう。彼女の記憶が正しければ、おそらくこの時間帯の彼女は島の西方地区を巡回している筈であった。

 ******

 ほどなくして、モルガナはサオリ(下図)を連れて海岸へと戻ってくる。その間に、男性の方は岩場に腰掛けて岸辺に遊ぶ子蟹達と戯れ、その周囲では女性の方がやや警戒した様子で目を光らせていたが、二人の気配を感じると男性は立ち上がり、そしてサオリの姿を見るなり、彼は懐かしそうな(もしくは嬉しそうな)表情で何かを呟こうとするが、彼よりも先にサオリの方が口を開いた。


「伝説の剣士、沖田総司殿とお会い出来たこと、心から感謝致します」

 そう言って、サオリは深々と男性に向けて頭を下げる。どうやら彼はサオリと同じ世界から投影された存在であり、しかもサオリから見れば、彼の方が「格上」の存在らしい。

「これは驚きましたね。本当にキヨとそっくりだ」

 彼はそう呟く。その言葉の意味はモルガナには分からなかったが(知りたい人はブレトランド八犬伝8を参照)、彼はそのまま話を続ける。

「手紙で記した通り、今日はあくまでもハルーシアの一将校としてお話させて頂きます。外交権も統帥権も私にはないので、あまりお役には立てないかもしれませんが」

 ハルーシアとは、この世界を二分する軍事同盟の片割れである「幻想詩連合」の盟主国であるが、この島の外の事情のことを殆ど知らされていないモルガナには、当然のごとく聞き覚えのない地名である。そんな彼女の傍らで、サオリは真剣な表情で言葉を返す。

「構いません。我々も、一足飛びに全てが順調に運ぶとは思っていませんから。ただ、少しでも今は理解者を増やしたい。それだけです」

 サオリにそう言われると、その男性は黙って微笑みで返しつつ、そのままサオリに案内される形で(連れの女性と共に)、島の中心部へと向かう。彼が乗ってきた船はそのまま岸に接舷したままであり、彼以外の乗員達はそのまま船の中で彼の帰還を待つつもりらしい。
 モルガナは「大人達」が何の話をしていたのかもよく分からないまま、二人が去った後の海岸で、木の板を相手に、今度は短剣の訓練を始めるのであった。

1.3. 少年と聖剣

 そして、この島にはウチシュマとモルガナの「異母兄弟」に相当する、もう一人の「現アントリア子爵ダン・ディオードの庶子」がいた。その母親の名はユリ・ナカムラ(下図)。元来はサオリと同じ「地球」の「日本」という国の出身だが、彼女はサオリよりも百年近く前の時代から投影された存在らしい。


 彼女は祖国においては良家の令嬢であり、「モダンガール(モガ)」と呼ばれる(当時の)先進的な価値観の持ち主であった。だが、そんな彼女はこの世界における「魔境」に投影され、右も左もわからず困惑していたところを偶然出会ったダン・ディオードに助けられ、よく分からないまま彼の旅に加わることになる。当初は、幾人もの女性と「関係」を持つダン・ディオードの生き方に対して違和感を抱いていたが、もともとあまり先入観にとらわれない性格だったこともあり、やがてそれが「この世界の一般的な男女関係」だと勘違いして、いつしか自分自身もまた彼に惹かれ、やがて彼の息子を産むことになった。その後、彼女はアインの掲げる「投影体のための国を作る」という思想には誰よりも強く共鳴し、現在は様々な文化的背景を持つ投影体間の価値観の衝突を防ぐための「相談所」の責任者を務めている。
 そんな彼女の息子の名前は「エイト(瑛斗)」。生まれた順番としては「モルガナとウチシュマの間」であり、見た目は(左右の目の色が違うこと以外は)一般的なアトラタン人とあまり変わらない風貌の少年である(下図)。もともとアトラタン人と地球人は外見が酷似しているため、よほど特殊な力がない限りは「異界人との混血児」だと認識されることはないが、彼もまた母親の持つ「地球人特有の力」を引き継いでおり、君主でも魔法師でも邪紋使いでもないにも関わらず、異母姉妹達と同じように「異界の投影体としての力」を備えている。ただ、彼は父親の血をやや強く受け継いだのか、身体的にはかなり恵まれた体格であり、実年齢よりも2〜3歳は上に見える早熟な体躯の持ち主であった(なお、彼の右目は父親と、左目は母親と同じ色であるが、日頃は長い前髪で右目が隠れているため、そのことを知る者は少ない)。


 だが、彼は異母妹ウチシュマとはまた別の意味で「やる気のない子供」であった。彼は、この世界にとっての「異物」である投影体が、この世界の住人に対して「居住権」を主張すること自体に正当性を感じられず、そのために奔走する母親達のことを、いつも冷ややかな目で眺めていた。ましてや「投影体との混血児」である自分の異質性は十分すぎるほどに自覚しており、そんな異端者である自分は、「アトラタンの本来の住民」に対して何らかの権利を主張出来るような立場ではない、と考えていたのである。
 彼にとってこの島は「行き場のない異物達の掃き溜め」であって、それを「楽園」などと呼ぶこと自体に嫌悪感を抱いており、そもそもこの世界でそのような「楽園」など築ける筈がない(築く権利もない)という諦観が彼の心を支配していた。ただ、それと同時に彼の中には、この世界のどこかに「自分の居場所」を求めたいという本能的欲求もあり、その認識と願望の矛盾に思い悩んでいる。少なくとも今のこの島は「楽園」とは到底思えないが、だからと言って今の自分には自力で「自分の居場所」を作り出すことも出来ない、そんなやるせなさが、思春期に入りたての今の彼から「活力」を奪ってしまっていたのである。
 だが、彼は自分の中のそのような葛藤を誰かに打ち明けることも出来ないまま、誰に対しても常に本音を隠して、どこか達観したような表情を浮かべながら生きている。そのために、いつしか彼は、自分の本音を誰にも悟られないよう、あることないことを嘯く虚言癖が身についてしまっていた。
 この日、彼を初めとする島の少年達は広場に集められ、「いざという時のための護身術」の訓練を受けていた。彼等の相手をしているのは、見た目には彼等と大差なさそうな風貌の褐色の少女(下図)であるが、彼女はその小柄な身体と同じくらいの長さの大剣を自在に駆使して、次々と彼女に挑戦する少年達を弄ぶように軽くあしらい続けている。


 彼女の名はサンクトゥス。彼女の正体は、その手に握られた大剣のオルガノンである。もともとは何処かの世界で「聖剣」と呼ばれていた存在らしいが、それが何処の世界での話だったのか、彼女自身が覚えていない。この世界に出現した後は、様々な剣士達の手を転々と渡り歩いてきたが、数年前にパンドラ楽園派の存在を知り、面白半分に彼等の仲間に加わり、そして今はこうして「少年達の武術指南役」を自ら買って出ている。彼女の中ではそれは「次に自分を振るうに相応しい持ち主」を探し出すための、青田買いのような行為であった。

「次はエイト、お主だ」

 サンクトゥスはそう言って、呼び出されたにも関わらず稽古に参加せず遠巻きに眺めていたエイトに声をかける。

「僕はいいよ。戦うのは向いてないし」

 実際、彼はあまり武芸に秀でてはいない。彼の体内に秘められた(通常の投影体の約半分の規模の)混沌核は、相手の攻撃を無効化したり、味方の傷を癒したりする能力には秀でているが、自ら武器を取って戦うことに関しては、あまり適正があるとは言えなかった。
 だが、そんなエイトだからこそ、サンクトゥスは稽古の必要性を主張する。

「お主にやる気が無くても、相手がやる気を持たずにいてくれるとは限らぬ。むしろ、お主は真っ先に攻撃される。敵にとっては、お主のような能力者は厄介だからな」

 それが、この世界においても長年にわたって様々な戦場を渡り歩いてきた「聖剣」としての彼女の見解である。そう言われたエイトは、しぶしぶ訓練用の剣を手にして彼女の前へと向かう。

「分かったよ。まぁ、別に稽古が苦手な訳でも嫌な訳でもないしね」

 そう言って剣を構えるが、実際のところは、彼はこのような稽古自体を嫌がっており、これはなんとなく、今の自分のそんな心境を悟られたくないと思ったが故に咄嗟に口から出た「でまかせ」である。彼は身体的には恵まれた体躯の持ち主ではあるものの、彼には同世代の少年達のような「強さへの憧れ」や「勝利への渇望」が(そもそも、それを必要とするような「動機」自体が)欠如しており、島の片隅で義母のリーザロッテと共に観葉植物を育てる園芸に楽しさを見出すような、素朴で老成した趣味の持ち主であった。
 そんな無気力な彼が嫌々剣を構えたところで、歴戦の聖剣のオルガノンであるサンクトゥスに太刀打ち出来る筈もなく、彼女が繰り出す「彼女自身の剣圧」に耐えきれずに、あっさりと自分の剣を弾き飛ばされてしまう。だが、それでも特に悔しそうな様子を見せることもなく、淡々と「次」の少年にその場を譲る。
 サンクトゥスが呆れ顔でその様子を眺めている中、この場にもう一人の「女傑」が現れる。エイトにとっての「面倒な方の義母」ことアカラナータであった。

「おぉ、やってるな。どうだ? コイツらも少しは上達したか?」

 そう言われたサンクトゥスは、微妙な表情を浮かべながら答える。

「向上心のある者達は、それなりにな」

 彼女の視線の先には、向上心の欠片も見せようとしないエイトの姿がある。アカラナータはその様子から状況を察しつつ、そのエイトに向かって呼びかける。

「ユリがお前を呼んでる。一緒に来い」

 何か面倒事に巻き込まれそうな予感に嫌気を感じながら、エイトは粛々と彼女に従う姿勢を示す。どちらにしても自分には拒否する権利などない、と諦めている様子であった。

「モルガナはリズが呼びに行くと言ってたから、あとはウチの馬鹿娘と、それからリカを探さないといかんのだが、心当たりはあるか?」

 アカラナータのその問いに対して、エイトは違和感を感じる。自分と異母姉妹は昔から「ひとまとめ」にされやすいので、母が自分と一緒に彼女達を呼び出すのは分かる。だが、そこでリカも同時に呼び出されるというのは初めての事例であった。確かに、彼等三人はいずれもリカとは仲が良い。ということは、今回の呼び出しの本題は自分達ではなく、むしろ彼女に関する話なのかもしれない。
 エイトがそんなことを考えている間に、周囲の少年達から「リカがウチシュマの部屋に向かって行くのを見た」という証言を得たアカラナータは、エイトと共に「馬鹿娘」の部屋へと足を運び、そして二人を叩き起こしてエイトと共にユリの元へと連れて行くのであった。

2.1. 奇妙な因縁

 徐々に陽が陰り始め、夕刻に差し掛かろうとしていた頃、今もまだ海岸で短剣の稽古を続けていたモルガナの目の前に、見慣れない風貌の少年が現れる(下図)。彼はモルガナと同じくらいの小柄な体型であり、その顔立ちや耳の形状はどこかエルフ族に近い風貌であったが、少なくともモルガナの知る限り、この島の住人ではない。やや警戒した様子を見せるモルガナに対して、その少年は「奇妙なこと」を問いかけた。


「それは、私ですか」

 彼はモルガナの持っていた「エルフ界から投影された短剣」を指しながら、そう問いかける。そう言った彼の手には、モルガナの短剣と全く同じ形状の短剣が握られていた。
 常人であれば、彼のこの発言の意味は全く理解出来ないだろう。だが、モルガナは幼少期から「パンドラ楽園派」の者達に囲まれて育った少女である。彼女はすぐに理解した。彼の正体が(サンクトゥスなどと同じ)「オルガノン」であることを。そして、彼の「本体」が、今モルガナが持っている短剣と全く同じ代物であるということを、直観的に理解したのである。

「そうみたいですね」

 モルガナはあっさりとそう答える。この世界に存在する「投影体」は、あくまでも「別世界の世界に存在する誰か(もしくは何か)の複製体」である以上、「同じ物品が同時にこの世界に投影されること」はさほど珍しくはない。そしてオルガノンの性質が「別世界において廃棄された物品がヴェリア界を経由してこの世界に投影された存在」であることを考えれば、元は同じ「エルフ界の短剣」だった代物が、同じ時代のこの世界に複数本投影されてもおかしくはないし、その中の一本がヴェリア界経由でオルガノンとして投影される可能性も、十分にありえる話である。
 とはいえ、そのような不可思議な現象をあっさりと「現実」として彼女が受け入れられたのは、やはり彼女が特殊な生活環境で育ったことと無縁ではないだろう。ありとあらゆる世界から投影された、この世界の常識とは根本的に異なる存在の中で育ったからこそ、先入観に捉われず、どんな状況においても、ありのままにその現象を受け入れられる精神性を身につけていたと言える。
 そんな二人の「奇妙な邂逅」が繰り広げられている中、島の中央部の方から、モルガナの母であるリーザロッテが姿を表す。

「あ、モルガナ、ここにいたのね。あのね、あなたとエイトとウチシュマに、ユリから折り入って話が……」

 彼女はそこまで言ったところで、見慣れない少年の存在に気付く。

「ん? そこにいるのは……?」

 リーザロッテの目には、彼は「同族の、モルガナと同じくらいの年代の少年」に見える。

(あら、なに、この子、まだまだ子供だと思ってたのに、いつの間にこんなボーイフレンド見つけたの? しかも、身なりはちょっと変わってるけど、結構きれいな顔した子じゃない! さすがは私の娘ね! でも、さすがにまだちょっと早いかしら? どうなのかしら? 今、どこまで進んでるのかしら?)

 そんな母親の妄想を打ち砕くかのように、モルガナは素っ気なく答える。

「『これ』みたいです」

 彼女はそう言って、自らの短剣を母親に見せる。

(え? 何言ってるの、この子?)

 どうやらリーザロッテは、娘ほど柔軟な思考は出来なかったらしい。困惑している中、その少年は彼女に「自分の本体」を見せつけながら、こう言った。

「お久しぶりです、リーザロッテ様。私の主人は『アクシア』です。そう言えば、思い出して頂けますか?」

 そう、リーザロッテは実は彼とは面識があった。久しぶりすぎて覚えていなかったが、彼の「持ち主」の名を聞いて、彼女は彼のことも思い出す。それくらい、リーザロッテにとって「アクシア」という名は(色々な意味で)強烈な記憶として刻まれていたのである。

「あー、あの時の……、なるほどね……」

 彼女はようやく状況を理解した。そして、少し離れたところに、彼女にとっての最大の恋敵の象徴である「鮮血のガーベラ」の船旗が翻っていたことにも気付く。

「アイン様から我が主人に『護送任務』の依頼が届いたので、こうして参上致しました。主人は船で待機中なのですが、私がこちらの方面から『自分自身の気配』を感じたので、つい確認したくなって、勝手ながら先行上陸させて頂いた次第です」
「多分、それはユリ経由でアインが手を回したのよね、きっと……。まぁ、いいわ。モルガナ、ついて来なさい。その件でユリから話があるわ。なんだったら、あなたも付いて来てくれてもいいけど……」
「いえ、私は『自分』の存在を確認出来たので、もう十分です。ひとまず主人の待つ船へと帰還します」

 そう言って、彼はそそくさと「鮮血のガーベラ」へと帰って行った。

(娘婿がオルガノン、ってのも、それはそれでアリなのかな? どうなのかな? あー、でも、「あの女」の従者ってのはねぇ……)

 娘の意思など何一つ確認せぬまま、リーザロッテは勝手な妄想を膨らませつつ、モルガナをユリの元へと連れて行くのであった。

2.2. 魔境の泉

 こうして、島の住宅街の中心に位置するユリの「相談所」に、リーザロッテとモルガナ、そしてアカラナータに連れてこられたエイト、ウチシュマ、リカ、といった面々が集められた(なお、まだ惰眠を貪っていたいと思っていたウチシュマは、母親に「俵持ち」されるような形で無理矢理連行されていた)。
 ユリはそんな彼女達に対し、開口一番にこう言った。

「リカちゃんの過去を調べられるかもしれない方法を、思いつきました」

 そう言って彼女はおもむろにブレトランドの地図を広げ、その中北部の森林地帯を指差した。

「昔、私達はこの『グリンの森』に足を踏み入れたことがあります。その時のことを覚えていますか?」

 彼女はアカラナータとリーザロッテに問いかける。すると、二人とも何かを思い出したかのような反応を見せるが、彼女達が何かを言う前に、ユリはそのまま話を続ける。

「このグリンの森には不思議な効能を発揮する四つの泉がありました。私達も森の全てを探索した訳ではないので、もしかしたら他にもあるかもしれませんが、とりあえず、これが私の記憶にある限りの、この魔境の地図です」

 そう言って、彼女は手書きの地図を見せる。あくまでも大雑把な、概念図のような地図ではあたが、そこには「北の入り口」からいくつかの分岐を経て、四つの「泉」へと到達するまでの経路が描かれている。

「その四つの泉って、浸かった人の姿を変化させる泉だったわよね? 身体が若返る泉と、性別が逆転する泉と、よく分からない白黒の動物に変身する泉と、それから……」
「たしか、ヘンな女が出てきて『あなたが落としたのは、この金の君主ですか? 銀の君主ですか?』とかなんとか言ってきた泉もあったような……」

 リーザロッテとアカラナータがそれぞれに記憶を紐解きながらそう語ると、ユリは頷きながら話を続ける。

「そうです。アインさんが言うには、リカちゃんの今の姿は、おそらく魔法か何かの力で書き換えられたもので、元は人間だったのではないか、という話でした。つまり、その中の『若返りの泉』にリカちゃんが浸かれば、今のその姿になる前の『本来の姿』に戻れる可能性があります。ただ……」

 ユリは残念そうな顔を浮かべながら付言する。

「あの『若返りの泉』の効能は、泉に浸かっている間にしか効かなくて、泉の外に出たら『今の姿』に戻ってしまいます。ですから、この泉の力を用いても、あくまで一時的に『以前の姿』が分かるだけなので、完全に本来の姿を取り戻せる訳ではありません」

 とはいえ、「本来の姿」を知ることが出来れば、それだけでも彼女の過去を知る手がかりにはなるだろう。そもそも「本来の姿」に戻ること自体が彼女にとって望ましいことなのかどうかも分からないという意味では、そのような「一時的な効能」にすぎない泉の方が、ある意味で「安全」でもある。
 だが、ユリの中にはもう一つ、それ以上に「残念なお知らせ」があった。

「申し訳ないですが、もう十数年前の話なので、どの泉の効能がどれだったかまでは、思い出せなかったんです」

 つまり、四つの泉を虱潰しに調べて行くしかない。アカラナータとリーザロッテもなんとか記憶を捻り出そうとしてみたが、結局、思い出せなかった。

「そして、出来ることならば私達がリカちゃんを連れて行きたいのですが、今の私達には、この島の中でやらなければならないことがあります。いつまた『外敵』が現れるかも分からない状態ですので、あまり『主力』の護衛を連れて行く訳にもいかない。そこで、あなた達に彼女をグリンの森まで連れて行ってほしいのです」

 ユリはそう言いながら、エイト、ウチシュマ、モルガナの三人に視線を向ける。当然のごとく、ウチシュマは嫌そうな顔をする。

「えー、なんで私達がー、めんどくさいなぁ」

 だが、そんな彼女に対して、ユリは「彼女達が適任な理由」を説明する。

「グリンの森は魔境になっていて、そこには危険な怪物の投影体も沢山出現します。しかし、以前に私達が『あなた達の父親』と一緒にこの魔境の森に入った時、なぜか怪物達に襲われたのは『彼』だけで、私達には一切危害を加えようとしなかったのです。それが、私達が投影体だからなのかどうかは分かりませんが、私達の血を引くあなた達ならば、同じように敵に襲われずに済む可能性もあるのではないかと」

 無論、それはあくまでも「可能性」であって、確実な話ではない。ただ、彼女達は年齢的にはまだ「子供」ではあるものの、その特殊な血統の力もあって、今の彼女達には既に「騎士級の聖印を持つ君主」や「駆け出しの契約魔法師」と互角に戦える程度の「混沌の力」は備わっているとユリは見込んでいた。だからこそ、この機会に彼等にも「任務」を与えることで、「今よりも一段階上の存在」へと成長してほしいという想いも彼女の中にはある。特に、何事に対しても冷めた様子で、自分の生き方を見出せずにいる(ように見える)自身の息子にとっては、このような形で「誰かのために尽力する機会」を与えられることは、色々な意味で「いい刺激」になるのではないかと考えていた。
 そんな母親の想いを知ってか知らずか、エイトは傍にいるリカに問いかける。

「リカちゃんは、自分の過去のことを知りたい?」
「知りたいです! 知らなきゃいけないような気がします! でも……」

 自分一人のために、危険な魔境に皆を連れて行くというのは、彼女としてはどうしても躊躇してしまう。かといって、一人でそこに辿り着けるとも思えない。今の彼女の姿はどう見ても「魔獣」であり、彼女が一人だけで歩いていたら、魔境に到達する以前の段階で、その姿を見た衛兵達から「倒すべき怪物」と認識されて殺されかねない。

「じゃあ、仕方ない。行くよ。正直面倒だけど、まぁ、嫌がってもどうせいずれまた似たようなことをさせられるんだろうし、リカちゃんのためになるなら悪くは無いかな」

 素っ気ない様子でエイトはそう言ったが、本音では彼は、これまで自分達や島の人々のために一生懸命に尽力しているリカに対しては好感を抱いており、彼女のために力になりたいと考える気持ちは確かにあった。そして彼自身もまた「リカの本来の姿」に興味を抱いていたのであるが、その本音は隠したまま、あくまでも「興味なさそうな顔」を浮かべながら淡々と語る。
 一方、そんなエイトの「やる気のなさそうな態度」を目の当たりにしたリカの中では、当然のことながら「申し訳ない気持ち」が更に広がっていく。

「でも、ご迷惑なら、やっぱり、私一人で……」
「いや、行くよ〜」

 突如そう言ったのは、ほんの数十秒前に「面倒臭い」と言っていたウチシュマであった。彼女は何事に対しても「面倒臭い」と反射的に口にするが、それはあくまでも「口癖」のようなものであって、彼女の中で「やらなきゃいけない」と思ったことに対しては、無駄口を叩きながらもきちんとやり遂げる。彼女はそんな(異母兄エイトとはまた違った意味での)「面倒臭い性格」の少女であった。
 一方、そんな厄介な悪癖持ちの異母弟妹達とは対照的に、最初から積極的な姿勢でその話を聞いていたモルガナは、ウチシュマに対してこう言った。

「ダメよ、ウチシュマちゃんは『サボることを頑張る』って決めてるんだから、全力でサボらないと! あ、モルガナは行くけどね」

 モルガナは何事に対してもまっすぐな姿勢で取り組み、他人の言葉を額面通りにそのまま受け取り、そして「他人のやりたいこと」を応援することに生き甲斐を感じる、そんなド直球少女であった。彼女はウチシュマの日頃の言動から、彼女の生き甲斐は「サボること」であると思い込んでいたため、ウチシュマが何事に対しても全力でサボるよう応援しなければならない、と勝手に決めつけていたのである。

「いやいや〜、私も行くから〜。リカちゃんのためなら、私も頑張るよ〜。面倒だけど〜」

 ウチシュマは、だらけきった笑顔でそう語る。実際、彼女の中では「面倒」だと思う気持ちは嘘ではない(この点は、エイトとは明らかに違う)。ただ、「面倒」と「やりたくない」は彼女の中では同義ではない。モルガナにはその辺りの感覚が今ひとつ伝わっていない様子ではあったが、ともあれ、こうして三人の混血児達は、島で出会った友人の願いを叶えるための「はじめてのおつかい」へと向かうことを決意したのであった。

2.3. 協力者達

 ただ、この段階ではまだ一つの問題が残されている。仮に「若返りの泉」を発見して、リカがそこに浸かることで「本来の姿」が分かったとしても、それを誰が記録に残すのか、という問題である。モルガナもエイトもウチシュマも、画力に関してはそれほど自信はない。
 しかし、その点に関してはユリの中では既に解決策は考案済みであった。彼女は「スケッチ要員」として、この島に住む一人の投影体に、協力を申し出ていたのである。
 ユリは一通りの説明を終えたところで、部屋の奥の棚の中に設置された(彼女の故郷の技術を用いて作られた)「小型の座布団」の上に置かれた「巨大な(ダチョウか何かの?)卵のようなもの」を手に取り、机の上に縦に置く。当然、球体である卵はすぐに倒れそうになるが、次の瞬間、その卵の下部から「足」が生え、上部から「耳」が飛び出し、そして真ん中がバリッと割れて、中から真っ白な「ウサギのような生き物(下図)」が現れた。


「エト・ガルゴ・ジャビットです。エト、もしくはEGGと呼んで下さい」

 その「ウサギのような生き物」はそう言いながら、ユリからニンジンを受け取り、その前歯でボリボリと齧り始める。彼は最近になってこの島を来訪し、その住人となった投影体であり、元々いた世界のことは本人もよく覚えていないらしいが、「イースターラビット」と呼ばれる「卵と密接な関係を持つウサギ」の亜種らしい(なお、当然のことながら、普通のウサギは卵からは生まれないし、卵を食べたりもしない)。
 彼は「流浪の画家」としてアトラタンを放浪して、描いた作品を売りながら路銀を稼いでいたらしいが、当然のごとく、怪物扱いされたり、討伐されそうになったこともあり、どこか安住の地はないかと放浪を続けた結果、この島の噂を聞いて、辿り着いたという。その画力はユリもお墨付きであり、見たものをそのまま写実的に描く技術については、おそらく今の島内では随一の腕前であるという。その彼を「スケッチ要員」として同行させることを彼女は提案したのである(なお、この島にはパブロという名の地球人の画家もいるが、彼は最近「新たな表現法」を確立するための試行錯誤の最中で、写実的な描写への関心が薄れてしまっているため、今回の任務には不適切とユリは考えたようである)。

 ******

 ちなみに、EGGは「絵を描くこと」と「身体を卵に収納すること(何度でも再生可能らしい)」と「ニンジンを美味しそうに食べること」以外には特にこれといった能力を持ち合わせていないため、非常時における「戦闘要員」にはなりえない。また、この点に関してはリカも同様であり、彼女には(その皮膚の構造上、普通の人間よりは痛みへの耐性はあるが)誰かを傷つけたり、守ったりする能力は備わっていなかった。そう考えると、いかに「特殊な異能力」の持ち主とはいえ、子供三人だけで彼女達を守りながら戦うのは、少々不安が残る。
 その意味では、誰か一人くらいは彼等を手助けする「大人」が同行した方が良いのでは、という考えもあったが、そこで手を挙げる者が現れた。

「ならば、我も付いて行くことにしようか。さすがに子供達だけでは心配だろう?」

 そう言って名乗り出てきたのは、聖剣サンクトゥスである。彼女もまた見た目は三人と変わらない程度の子供だが、彼女の本体はあくまでも「聖剣」であり、実年齢的にはこの島にいる者達の中でも、おそらくかなりの高齢である(本人は自分がこの世界に投影されて何年経つのか、もはや覚えていないらしい)。彼女は前々からこの三人の混血児達(特にエイト)に興味を示しており、彼等の「初陣」をこの目で見届けたい、と考えていたらしい。
 エイトは微妙に渋い顔をしてはいたが、三人の母親達があっさりと同意したこともあり、「六人目の同行者」として、彼女も同行することになった。

 ******

 こうして、「グリンの森探検隊」のメンバーが決まったところで、出立前の彼等に対して、パンドラ楽園派が誇る医薬品ブローカーである地球人のジェームスが、旅先で必要と思われる回復薬を提供する(彼についてはブレトランドの英霊6ブレトランドの光と闇3ブレトランド風雲録3を参照)。いずれもエーラムの魔法薬と見た目も効能も酷似しているが、大陸のパンドラで生成された代物であり、彼は子供達に対して、それぞれの薬品の特性と使い所を懇切丁寧に説明する。

「傷を負った時には身体回復薬、気力を使い果たした時には精神回復薬が必要になる。お前達の中では、エイトが『身体の傷を癒す力』を持っているから、時間に余裕がある状態なら、エイトの力で傷を癒した上で、エイトが気力を使い果たしたら精神回復薬を飲む、という手順が最も効率が良いだろう。ただ、戦いの最中でエイトの力では間に合わないこともあるだろうし、エイト自身が倒れてしまうこともあるから、そういう時は身体回復薬を使え。そして、この解毒薬は戦いの最中で猛毒に冒された時に使うものだが、平時においては文字を書く時にも利用可能で……」

 そんな解説を受けながら、 どの薬を持っていくべきかを選定する。子供達からすれば退屈な説明だったようだが、生粋の地球人(しかも21世紀人)であるジェームスの感覚にしてみれば、子供達だけで危険な魔境に旅に出るという話を聞いたら、心配せずにはいられない。万が一のことがあってはならないと、念入りに彼等に薬物の使用法について釘をさすのであった。

 ******

 そして、彼等をブレトランドまで連れて行く役を担うことになるのは、女海賊アクシア(下図)が船長を務める海賊船「鮮血のガーベラ」である。彼女はアインや三人の母親達とも顔見知りであると同時に、アントリア各地の港に自由に停泊出来る許可証を有しているため、今回の任務には打ってつけであった。


「出来れば、あんたの世話にはなりたくなかったんだけどね」

 せっかく来てくれたアクシアに対して、子供達を見送りに来たリーザロッテは、苦い顔を浮かべながらそう言った。このアクシアこそが、彼女達の「共通の夫」であるダン・ディオードの「最初の相手」であり、「第一子(長女)の母」でもある。まさにリーザロッテにとっては、一番の宿敵であった。

「安心しろ。母親が誰であろうと『アイツ』の子だ。邪険にはしないよ」

 アクシアはそう言うが、子供達に対して、自分と彼等の「複雑な関係」を説明する気はサラサラない。そもそも、アクシアの娘自身が(ノギロから聞いた話によれば)あくまで「実の父母とは関係のない人生」を送ろうとしている以上、彼女もまたその「過去」を(自分の中で断ち切ることは出来なくても)他人に公言する気はなかったのである。
 こうして「四人の子供と二体の魔獣(実態としては、二人の投影体と、三人の混血児と、一人の謎少女)」という奇妙な集団は、母親達に見送られながら、フーコック島から、ブレトランド小大陸の北半分を支配するアントリア子爵領の首都スウォンジフォートへと向けて旅立って行った。

2.4. 海亀姫

 フーコック島の出現時に移り住んだ時以来、久しぶりの船旅となった子供達であったが、いつもは一番やる気に満ち溢れているモルガナが、なぜかずっと甲板でぐったりとしている。別に船酔いしている訳ではないのだが、なぜか彼女は(海岸線程度ならば平気だが)周囲を海に囲まれた状態になると、気力を喪失してしまうタチらしい。

「なんか、ワカメみたいだな、お前」

 甲板の縁にだらんともたれ掛かるように倒れている異母姉を見ながら、エイトはそう呟く。その横では、リカが心配そうな瞳で見つめながら、エイトに問いかける。

「モルガナさんのこと、介抱しなくて大丈夫なんですか?」
「気にしなくていいよ、リカちゃん。このワカメは、陸に戻ればまたちゃんとシャキッとするから」

 彼女がワカメ化してしまった原因が「エルフの血」なのかどうかは分からない。一説によれば、別の世界から現れたエルフの中には、むしろ海や水辺を好む者もいるとも言われているが、それらが種族ごとの違いなのか、純粋な個体差の問題なのかも、よく分かってはいない。
 そんな中、倒れ込んだ状態のモルガナの短剣が奇妙な光を発する。それは「危機」を知らせる合図であった。そして当然、「同じ短剣」が乗員として同船しているこの海賊団の面々も、すぐにそのことには気付く。船の先端で進行方向に向けて望遠鏡を覗き込んでいる船員が、全体に向かって叫んだ。

「海蛇だ! 巨大な海蛇の投影体がいるぞ! あと、その近くに……、あれは……、海亀? と、それに乗っている子供のような人影が……」

 エイト達もその方向を凝視すると、確かにその海域では「巨大な蛇のような形の怪物」が暴れている。そして、その海蛇は「やや大型の海亀に乗った少女(下図)」を襲おうとしているように見えた。


「こないでくださーい!」

 彼女は涙声でそう叫びつつも、自身が騎乗する海亀を巧みに操りつつ、襲い来る巨大海蛇を華麗に避け続けている。

「これは、放っておく訳にはいかないね。リカちゃん、下がってて」

 エイトがそう呟くと、いつの間にか彼の傍らには、リカを庇うような姿勢で、それまで船室で(別に気分が悪くなった訳でもなく平常運行で)ダラダラしていたウチシュマが立っていた。

「よ〜し、じゃあ、たまには頑張ってみよっか〜」

 彼女は珍しく「やる気」をみせながら、自身に内側に備わった「神」としての力を発動させる。彼女は進行方向の海域全体に天変地異を引き起こし、そこに母親譲りの謎の異界の言葉(サンスクリット語?)による呪詛を加えることで、巨大海蛇に大打撃を与えつつ、その身を硬直させて、動きを封じ込める。そこにエイトと、フラフラの状態ながらもモルガナが混沌の力を重ね合わせて支援することで、海蛇がそのまま身動きの自由を取り戻す前に、あっさりと撃破に成功した。

(やるじゃないか、さすがは「アイツら」の子供達だな)

 アクシアは後方から黙ってその様子を眺めていた。何かあったら助ける準備はいつでも出来ていたが、母親達から密かに「何かトラブルがあっても、なるべく彼等自身の手で解決出来るように見守っていてほしい」と言われていたため、船員達にも、あえて攻撃命令を出さずに静観させていたのである。

 そして、巨大海蛇の脅威が去ったことで、海亀に乗った少女は安堵した表情を浮かべつつ、海賊船に向かって近付いて来た。背格好からして、おそらくウチシュマ達と同世代と思われるが、パッと見た限りは、普通の人間のように思える。
 アクシアがその少女に乗船を許すと、彼女は「聖印」を掲げながら自己紹介した。

「助けて頂き、ありがとうございます。私の名前はエレオノーラ・リンドマン。ノルドからの逃亡者です」

 「ノルド」とは、アトラタン大陸北部の半島国家であり、現在のこの世界を二分する勢力の片割れである「大工房同盟」の中でも最強の呼び声が高い軍事国家である。彼女はそのノルドを率いる海洋王エーリクの姪(姉の娘)であり、聖印の特殊な力を用いて海亀(名前はラファエラ)を乗騎として用いる騎士らしいが、彼女は先日、その祖国を捨てて、身一つで亡命を決意したらしい。

「もう、あんな野蛮な国にいたくないんです。エーラムに留学していた頃に知り合った、ハルーシアの方々のような、知的で文化的な生活を送りたい……。そう思って、国を抜けてきました」

 彼女は数ヶ月前まで、ノルドの王族の一人として、魔法都市エーラムに留学していた。それは彼女の母(エーリクの姉)であるクリスティーナの「(自分がろくに教育を受けずに育ったが故に大人になってから恥をかいたという経験から)少しでも娘達には『教養』を身につけてほしい」という配慮からの留学であったが、彼女はその母の想いに忠実に応えて、エーラムにおいて同じように各国から留学していた(主に幻想詩連合系の)貴族の子弟達と触れ合ううちに、最先端の文明社会に溶け込みすぎてしまった。
 そんな彼女が数ヶ月前に(戦争の激化に伴い、少しでも多くの戦力を結集させるために)帰国を命じられたのだが、ハルーシアをはじめとする南方の貴族文化に染まりきっていた彼女は、質実剛健と豪放磊落を美徳とするノルドの国風には耐えられなくなってしまっていたのである。

「出来ることなら、ハルーシアに行きたいんですけど、それが無理なら、どこでもいいです。とにかく、もうノルドにだけは帰りたくないんです……」

 切実な表情でそう語る亡命姫であったが、そもそも人間社会の事情をよく知らない三人にとっては、彼女がなぜそこまで祖国を捨てたがるのかは、今ひとつ実感は出来ない。ただ、彼女が真剣に「自分の居場所」を探して家出してきたことだけは感じ取っていた。

「ところで、この船はどちらの船籍なのですか? そして皆様は今、どちらに向かわれているのですか?」

 本来ならば、それは最初に聞くべきことだった筈なのだが、巨大海蛇の襲撃で気が動転していたこともあって、彼女は相手が誰かも分かっていない状態のまま、聞かれてもいない「自分の事情」をベラベラと話してしまっていたことに、今更ながらに気付いた。

「僕達は旅人さ。今はアントリアに向かっている」

 エイトがひとまずそう答えると、エレオノーラは「アントリア」という地名に対して、やや戸惑いを見せる。どうやら彼女の中ではアントリアもまた、ノルドと同類の「辺境の野蛮な軍事国家」として認識されているらしい。
 そんな彼女の心境を察したのか、ここでアクシアが割って入る。

「ハルーシアに行きたいのであれば、確か、『島』にお客人が来ていただろう?」

 アクシアは「親アントリア」という立場上、どちらかと言えば幻想詩連合とはあまり関係は良好ではないが、自ら率先して喧嘩を売るような関係でもない。故に、フーコック島にハルーシアの船(沖田総司率いる特殊部隊の軍船)が停泊していたことに関しては、特に何とも思わず静観していたのであるが、念のためアインに彼等の動向について確認してみたところ、「しばらく彼等は我々との個人的交流のために島に留まる」と言っていた。

「まぁ、ハルーシアでなくてもいいなら、あの島でお前達と共に生きる、という道もあるとは思うがな。あの島での生活が知的で文化的なのかどうかは知らんが、アインは別に『君主』だからという理由だけで排除したりはしないだろう」

 実際のところ、パンドラは「皇帝聖印の出現を防ぐ」という目標さえ共有出来れば、究極的には君主とでも手を結ぶことも可能であるし、実際に影でパンドラと協力関係にある君主も実際には数多く存在する、という説もある。

「私を受け入れて下さるのでしたら、どこでも結構です。そもそも、王族として生まれた身でありながら、そんなことを言い出すこと自体、身勝手だとは思うのですけど……」

 エレオノーラがそう言ったところで、「三人」は不可解な顔を浮かべる。

「いや、別に?」
「生きたいように生きればいいんじゃないかな」
「私達も〜、好き勝手にやってるしね〜」

 現アントリア子爵の庶子にして、パンドラ楽園派の要人達の子供でもある彼等のそんな様子を眺めながら、アクシアは微笑を浮かべつつ呟く。

「意外なところで、父親に似ているものだな」

 そんな彼女の言葉に気付くこともなく、エイトはエレオノーラにこう告げる。

「とりあえず、僕達はこれから、やらなきゃいけないことがあるんだ。その仕事が終わったら、一緒に僕達の住む島に帰ることにしよう。その後のことはそれから考える、ということでいいかな、エレちゃん?」

 優しそうな笑顔でそう言われたエレオノーラは、嬉しそうな様子で答える。

「それでしたら、私もそのお仕事を、お手伝いさせて頂きます!」

 こうして、子供達の「はじめてのおつかい」に、七人目の同行者が加わることになった。なお、この戦いの最中、サンクトゥスは聖剣、EGGは卵の状態のまま倉庫に保管されていたため、彼等がエレオノーラと顔を会わせるのは、陸に着いた後のことであった。

2.5. 調査隊募集

 その後は特に大きな混沌災害に見舞われることもなく、彼等は目的港であるスウォンジフォートに到着する。それまで船内でぐったりと(エイト曰く)ワカメ状態になっていたモルガナも地上に降り立ったことでどうにか生気を取り戻し、サンクトゥスもここから先は自分の足で歩くために「人間体」を顕現させる。一方、EGGは(小柄とはいえ)色々な意味で目立つ存在のため、今後も「泉」に着くまでは「卵」状態のままエイトが運ぶことになった(唯一の「男子」である以上、それは必然的宿命である)。エレオノーラの海亀については、彼女の聖印の力で小型化し、彼女の懐へと収納される。
 そして、「最も目立つ存在」であるリカに関しては、アクシアが彼女の身体全体を覆えるローブを貸し与えることで、どうにか周囲の目をごまかした状態のまま陸に降り立つ。そして、アクシアは彼等が帰還するまではしばらくこの街に滞在すると宣言した上で、彼等と一旦別れることになった。
 現在、この街を治めているアントリア子爵代行マーシャル・ジェミナイは、ウチシュマ達から見れば「異母兄」にあたる存在なのだが、彼等はそのことを知らされていないし、仮に知っていたとしても、特に深い感慨も抱くことはないだろう。また、子供の頃から母親達と共に世界各地を転々としていた彼等にとっては、スウォンジフォートはそれほど目新しい何かが映るほどの町という訳でもなかった。
 一方、島に漂着する以前の記憶がないリカにとっては、深く被ったローブ越しに見る「普通の街」は、初めて見る光景の筈なのだが、彼女もまた、その光景には特に目新しさも懐かしさも感じていなかった。少なくとも彼女にとって、この街は「見慣れた街」ではないものの、それほど奇異に思える訳でもない。それはおそらく、記憶を失う前の彼女が「ここではない、どこかの人間の街」の中で暮らしていたことの証左なのだろう。
 そんな彼女達が、ひとまず食事を取ろうと立ち寄った食堂にて、「人員募集」の張り紙が大々的に掲示されているのを発見する。それは、まさに彼等が今向かおうとしていた「グリンの森」の調査隊への参加者を募集する張り紙であった。どうやらアントリア内においても、この森を調査しようとする動きがあるらしい(ちなみに隊長は「ロディアス・ヒュポクリシス」、副隊長は「アオハネ」と書かれているが、彼等にとってはどちらも見知らぬ名前であった)。
 参加条件の欄には、特に年齢や国籍についての条項はない。とはいえ、かなり危険な任務であることは間違いないため、「邪紋使い歓迎」という文言もあったが、それ以上に彼等の目を引いたのは、その隣に書かれた唯一の禁止条項であった。

「君主の参加は不可」

 そう書かれていたのである。あくまでも「魔境討伐」ではなく「調査」である以上、確かに君主がいなければならない理由はない。だが、わざわざ君主の参加を断らなければならないというのは、明らかに不自然な話である。もし、彼等の中での「君主を連れて行ってはならない特別な理由」が、あの魔境の性質そのものに関わる問題なのだとすれば、彼等は魔境に関して、ウチシュマ達が把握していない情報を握っている可能性もある。

「さて、どうする? 同じ魔境に入り込もうとしている奴等がいるようだが……」

 サンクトゥスはそう問いかける。彼等の目的は分からないが、仮に、彼等が自分達と同様に同じ「若返りの泉」を探しているのだとしても、彼等がその存在を消し去ろうとしているのでない限り、共闘は可能である。他の目的があったとしても、君主の同行を禁止していることから察するに、魔境そのものを浄化しようとしている可能性は低い以上、自分達がパンドラであるということさえ隠しておけば、同行者として潜り込むことは出来るだろう。彼等の協力を得られれば、魔境で危険な状況に遭遇した場合でも生還出来る可能性は高い。
 難点は「君主」としてのエレオノーラの存在であるが、別に彼女を魔境の中にまで同行させる必要はないし、仮に同行させるにしても、黙って聖印の力を隠し続けておけば、その正体が露呈することはないだろう。場合によっては「ノルドの姫君」という肩書きを持つ彼女の存在が、彼等との協力交渉において有効に作用する可能性もありうる(もっとも、世間知らずの子供達にそこまで器用な交渉が出来るか、と考えると、正直なところサンクトゥスには不安もある)。
 ただ、彼等にはもう一つの難点がある。それが「リカ」である。参加要件の項目の中に、特に投影体を禁止するという文言はなかったため、彼女のことを「友好的な投影体」として紹介すれば、その姿に関しては不問となるだろう(もし投影体全般を禁じられるなら、サンクトゥスもEGGも参加出来なくなるので、そもそも話は変わってくるのであるが)。だが、楽園島の大人達の間では、彼女の正体は「何処かの国の貴族令嬢ではないか」と推測されてる。もし、その推測が当たっていた場合、「彼女の真の姿」をアントリアの人々が見た時に、そこで示される反応には様々な可能性が考えられる。場合によっては、それは彼女の正体を知る上での好機ともなりうるが、その「正体」次第では、その場で彼等がリカの身柄を拘束しようとするかもしれない。不確定要素が多い今の段階では、迂闊に協力者を増やすことには危険性が伴う。

「まぁ、気にする必要はないんじゃない? 私達は私達で、勝手に調べに行けばいいだけだし〜」

 ウチシュマはそう言った。そもそも、マイペースな彼女には、国家から派遣された正規の調査隊と行動を共にすること自体、無理がある。そのことを理解しているが故かは不明だが、エイトもモルガナも彼女の意見に同意した。一方、この場にいる唯一の「君主」であるエレオノーラは申し訳なさそうな顔を浮かべる。

「あの……、もし、私のせいで参加出来ないなら、別に無理に私を連れて行っていただかなくても……」

 彼女はおずおずとそう言い出すが、それに対してエイトは笑顔で否定した。

「いや、そういう訳じゃないから、気にしなくていいよ、エレちゃん」
「そもそも、此奴らに団体行動は無理じゃからな」

 サンクトゥスがそう付言したのに対し、エイトの鞄の中から「そう思うなら最初から提案しなければいいのに」と言いたそうな真っ赤な瞳が光っていたが、そのことに気付いた者はいない。
 一方、エレオノーラはエイトの爽やかな笑顔に対してどう反応すれば良いか分からず、縮こまって俯く。そんな様子を、リカはローブの奥から複雑な表情で見つめていた。

2.6. 魔獣少女の葛藤

 結局、その日のうちに彼等は隣のソルティア村まで足を運び、そこで宿を取ることにした。子供ばかりの、しかも大半が少女の集団に対して、宿主は当初は訝しげな視線を向けていたが、母親達から大量の金貨の入った袋を彼等が持ち合わせていたのを確認した時点で、細かいことを考えるのをやめ、あっさりと最上級客室を貸し出す(と言っても、小さな宿場町なので、それほど豪華な部屋ではないが)。
 久しぶりの「揺れない寝室」を手に入れた子供達(特にモルガナ)が嬉しそうな表情を浮かべる中、リカだけはどこか浮かない表情を見せる。それに気付いたウチシュマは、部屋に彼女と二人きりとなった状況を見計らって、ふと問いかけた。

「なんか、寂しくなっちゃった?」

 理由も何も問われぬままに不意にそう言われたリカであったが、その一言だけで、自分の心理を見透かされた気分になる。

「そうなのでしょうか……」

 話が噛み合っているのかどうかも確認せぬまま、彼女は呟くようにそう答えた。そして実際のところ、二人の会話はきちんと噛み合っていたのである。
 リカはエイトがエレオノーラを助けた時以来、彼がずっとエレオノーラに付きっきりの様子なことに、どこか寂しさを感じていた。島にいた頃から、自分がずっとエイトを独占していた訳でもないし、彼は彼で(モルガナやウチシュマとはまた違った意味で)マイペースに生きているため、全く会えない日もある。だが、エイトはあまり他人と深く関わろうとしない性格のため、彼が「家族以外の誰か」と親しげにしている様子自体が、リカにとっては見慣れぬ光景であった。
 更に言えば、それが「エイトと同年代と思しき可憐な少女」であることが、リカの気持ちを蝕んでいる原因なのかもしれない。もしそうだとすれば、それは「寂しさ」とはまた別の(より厄介な)感情であることになるのだが、今のリカには、そうなのかどうかの判断がつかない。そもそも自分が人間なのかどうかも、そして少女なのかどうかも分からないのである。そして、仮に自分が「人間の少女」であったとしても、果たして自分が「あの少女」と張り合えるような存在なのかどうか、今の時点では皆目見当もつかなかった。
 実際のところ、リカは今の自分の姿にどこか違和感を感じている。あの島には、自分と同じような姿の者はいなかったが、もし仮に「今の自分」と同種族(?)の者がいたとしても、おそらく彼女の中では「同族」とは思えないような気がしていた。むしろ、明らかに自分とは外見が違う「人間型の投影体」の人々の方に親近感を抱いている。だとすると、「島の大人達」が言っていたように、自分は元は人間(もしくはそれに類する何か)だったと考える方が自然なように彼女自身も思えた。彼女から見てエイトは「魅力的な少年」に思えたし、ウチシュマもモルガナも、そしてエレオノーラも、いずれも「見目麗しい少女」に思えた。そのような美的感覚を抱いている時点で、やはり自分は彼等と同種の生き物なのではないか、という考えが彼女の中でも支配的になっていく。
 だが、それでも今の自分の姿が明らかに「人外の存在」であることには変わりがない。エイトが、そんな自分のことを「仲間」として受け入れてくれたのは、純粋な「優しさ」以外には理由が見つからない。そんな「優しさ」を持つ彼であれば、怪物に襲われていたエレオノーラを率先して助けに行ったのも、自分に対して与えてくれた「優しさ」でしかないのかもしれない。だが、もし、彼の中に(エレオノーラに対して)「それ以上の感情」があったのだとしたら……、そう考える度に、リカの中では寂しく、辛く、そして悲しい気持ちが広がっていったのである。
 そして、そんな感情が広がっていくごとに、リカの中でも「自分はやはり人間なのではないか。エイトに対するこの感情は、人間の少女ならではの『あの感情』なのではないか」という気持ちが支配的になっていく。だが、どう考えても今のエイトが「今の自分」に対して、「そんな感情」を抱いてくれるとは思えない。そして、もし仮に自分が「本当の姿」を取り戻したとしても、その姿を見たエイトが、自分に対してどんな気持ちを抱くのかも分からない。
 だからこそ、今のリカの中では「人間の少女」の姿で彼の前に立つことで彼の心を振り向かせたいという気持ちが高まりつつある反面、そうなった時にエレオノーラと比べられた上で自分が「選ばれない立場」に立たされる絶望を味わいたくない、という感情もまた同時に湧き上がっている。同じ土俵に立たされることで惨めな思いをするくらいなら、愛玩動物(?)という「特別枠」でもいいから彼の近くにいさせてほしい、という気持ちもある。
 無論、自分の正体を知るためにここまで同行してくれた彼等に対して、今更「真実を知りたくない」などと言い出すことは出来ない。だが、仮に「人間だった時の姿」が判明したとして、その時点で自分がエイトに対して、どんな顔をして何を語れば良いのかも分からない。そんな苦悩に満ちた感情を、言葉に出せずに思い悩んでいるリカに対して、ウチシュマは何も聞かずに朗らかな笑顔で告げる。

「私は、リカちゃんの味方だからね」

 どこまで自分の気持ちが彼女に見透かされているのかは分からない。だが、その一言だけで、リカは(何の根拠もないが)救われた気持ちになったのは確かである。そして、今のこのモヤモヤした感情をはっきりさせるためにも、改めて「自分の正体」と正面から向き合う覚悟を固めたのであった。

3.1. 異形の樹木

 翌朝、彼等は揃って村を出て、南に広がる「グリンの森」へと突入を開始する。ユリの書き記した地図とメモによれば、この森の中には何本かの「獣道」が形成されており、この村の南方から伸びている獣道の分岐の先に、四つの(あるいは、それ以上の数の)泉が存在するという。
 アントリアとグリース(旧トランガーヌ)の間に広がるこの森は、森全体が魔境という訳ではなく、外観自体は普通の森と変わらない。だが、森の奥地に進めば進むほど混沌濃度が高まっていき、危険な投影体や不可思議な現象の発生率が高まっていく。その意味では、空間そのものが異世界に置き換わるような形で突発的に出現するような類いの魔境とは、やや性質が異なっている。
 元は普通の森だったものが少しずつ混沌に侵食されて今の姿になったという説もあれば、数百年前に出現した魔境が少しずつこの世界の自然律の中に溶け込んでいって生まれた森だとも言われているが、今のところその正体は謎に包まれている。過去にこの森に広がる混沌を浄化しようとした計画は全て失敗に終わっており、ボルフヴァルド大森林と並ぶブレトランドの二大魔境の一つとも言われているが、今のところ森の中から外に対してその混沌災害が広がった事例は殆ど存在しないため、近年では周囲の人々から「放置」を決め込まれている。
 そんな森に足を踏み入れた子供達であったが、もともと楽園島自体が(この世界の定義に従えば)「魔境」である以上、三兄弟やサンクトゥスは特に恐れる様子を見せない。徐々に森の奥地に入り込むにつれて、不気味な様相の木々や動物の鳴き声が彼等の五感に届くが、そんな異様な状況すらも楽しんでいるように見える。
 一方、混沌濃度が低いエーラムでの暮らしが長かったエレオノーラには、この森の光景はかなり異様に映る。一応、彼女も留学時代に様々な「魔境」の存在は学んではいたものの、実際にこのような不気味な光景を目の当たりにすると、どうしても心が恐怖に支配されそうになる。それでもどうにか正気を保っていられたのは、もし何かあっても「彼」が守ってくれるだろうという、絶対的な信頼感故なのかもしれない。
 そんな彼女とは対照的に、リカはその目に映る「見知らぬ光景」が、何もかも新鮮かつ興味深い存在に思えて、どこか気持ちが高揚していた。記憶を無くした今の彼女は、自分にとって何が既知で何が未知の存在なのかも分からない筈なのだが、なぜか本能的に今のこの自分の周囲にある諸々は「記憶を失う前にも見たことがない存在」であるように思えて、それがどこか楽しく感じられたようである。その好奇心の強さが、彼女の本来の性格なのか、それとも「刺激に満ちた魔境」である楽園島で暮らしていたせいなのかどうかは分からないが、そんな彼女がふと、木々の間に咲く奇妙な形状の花に目を向ける。

「珍しい花ですね」

 そう言って彼女が手を伸ばそうとした瞬間、モルガナが淡々と告げる。

「あ、リカちゃん、それにさわっちゃだめよ。それ、毒花だから」

 モルガナ自身もその花を実際に見るのは初めてだが、昔、母から聞かされていた毒花の形状にそっくりだったので、すぐに気付いたようである。あるいはそれは、森の民であるエルフの血を引く者としての直感だったのかもしれない。慌ててリカが手を引いて、モルガナに礼を言おうとした瞬間、彼女達が進もうとしていた森の奥地の方面から「不自然な足音」が聞こえてくる。

「これは、動物のあしおと……、ではない? ましてや人でもない……」

 モルガナが鋭敏な聴覚でそう淡々と呟いていると、彼女の持つ短剣が光り始めた。明らかに「危険な存在」が近付こうとしているのは間違いない。
 エイトとウチシュマもそのことに気付いて身構えると、彼等の視界に不気味な「樹木のような姿をした何か」が、近付いてきた。一見するとそれは通常の(ブレトランドでは一般的な)針葉樹のように見えるが、その「根」に相当する部分が何本もの「足」のような動きで地上を闊歩していたのである。それが異界の投影体なのか、それとも混沌の力で異形の姿に変わってしまった樹木なのかは分からない。だが、それらは子供達に向かってその歩みを早め、そして「枝」に相当する部分を「腕」のように振るって、彼等に向かって襲いかかってきたのである。
 ユリは「自分達の血を引く子供達であれば、森の魔物達も襲ってはこないのではないか」と予想していたが、残念ながらその楽観的憶測は外れてしまったらしい。もっとも、この「樹木」が誰を狙ってその「枝」を振るおうとしているのかは分からない。とはいえ、こうなると子供達としても、ここはひとまず応戦せざるを得ないだろう。
 三兄弟はそれぞれに母の出身世界由来の武器(モルガナは弓、ウチシュマは長剣、エイトは竹槍)を構えて、「樹木」の前に立ちはだかる。三人とも本来は前線で戦うことに慣れてるとは言えないが、それでもリカ達を危険に晒すわけにはいかないと考え、あえて三人とも一歩前に出た状態で、その「樹木」に武器を向ける。
 そんな彼等の後方では、サンクトゥスが涼しい顔で「お手並み拝見」とばかりに三兄弟の様子を眺める一方で、 エレオノーラは聖印の力で彼等を支援しようとしていたが、そんな中、その更に後方から同じような形状の「樹木のような姿をした何か」が現れる。

(まずい、挟み撃ちか!?)

 皆がそう思ったが、その「樹木」は後方に控えていた三人(リカ、エレオノーラ、サンクトゥス)の前に立った瞬間、その歩みを止め、そして振り上げていた「枝」をだらりと下げ、まさに一本の樹木そのものであるかのように、その場に立ち尽くす。
 その状況の意味が理解出来ぬまま、ひとまず三兄弟は目の前の「樹木」を撃破し、そしてリカ達と合流する。後方から迫ろうとしていた「樹木」がそのまま動こうとしないのを不気味に思いつつ、あえてこちらから斬りかかる必要もないと判断した彼等は、そのまま地図に従って南方へと歩を進めるのであった。

3.2. 巨大蠍

「この先に、また魔物がいるわね」

 最初の分岐に差し掛かったところで、モルガナは「左の道」に短刀を翳しながらそう判断すると、ひとまず「魔物がいない方」である「右の道」へと進み、皆は彼女についていく。地図によれば、「四つの泉」のうちの一つは左側の道の先にあるようだが、どれが正解かも分からない現状において、あえて危険な道を選ぶ必要もないだろう。
 そして、先にあった「二つ目の分岐」と「三つ目の分岐」をどちらも共に「右」に曲がる形で歩み続けた結果、彼等はその先に「泉」を発見する。だが、同時に彼等の目には一体の不気味な投影体と思しき魔物の姿が飛び込んできた。それは巨大な蠍のような姿をしており、子供達(の誰か?)に対して、あからさまな敵意を向けている。
 ここは戦いは避けられないと判断したモルガナが真っ先に巨大蠍に矢を射かけるが、それに対して巨大蠍は瞬時に彼女との距離を詰め、その不気味な尾を伸ばして、その先端の毒針でモルガナを貫こうとする。

「危ない!」

 エレオノーラがそう叫ぶと同時に聖印を浮かび上がらせ、巨大蠍とモルガナの間に防壁を作り出すことで、彼女はどうにか重傷を免れるが、その一撃が先刻の「動く樹木」よりも強力であろうことはすぐに予想出来た。

「やっぱり〜、手伝わなきゃダメっぽいね〜」
「戦うのは苦手なんだけどな……。モルガナだけじゃ心もとないし……」

 そう言いながらウチシュマとエイトがモルガナの救援に向かう一方で、後方で何も出来ずに立ち尽くしたままのリカは、サンクトゥスに守られながら、歯痒い思いをしていた。

(私にも力があれば……、皆を守れる力があれば……)

 彼女が心の中でそんな想いに打ちひしがれていると、徐々に彼女の周囲に「混沌」が集まってくる。もっとも、そのことに気付けたのは、人一倍感受性が鋭いモルガナだけであった。

(リカちゃん、あなた、それは……?)

 その現象の正体が気になりつつも、まずは目の前の巨大蠍に集中しなければならない、そう考えたモルガナは、弟妹達の支援を受けながら、巨大蠍の強固な装甲の隙間に短刀を突き刺し続け、どうにかその動きを完全に封じ込めることに成功する。
 それと同時にリカの周囲に集まりつつあった混沌は、何事も無かったかのように自然蒸散していった。リカ自身がその現象には気付いていない様子だったこともあり、モルガナはひとまずその点には触れないまま、ひとまず泉に視線を向ける。

「さて、とりあえず『ひとつめの泉』はみつけたけど……」

 問題は、この泉が「若返りの泉」かどうかである。「はずれ」だった場合、それがユリが言ってた「他の泉」の中のどれかであれば、それほど害は無さそうだが、数年の時を経て、全く別の泉に変わっている可能性も十分に考えられる。

「とりあえず〜、これを放り込んでみればいいんじゃな〜い?」

 ウチシュマはそう言いながら、巨大蠍を指差す。まだ微妙に息がある状態のこの巨大蠍は、確かに「実験材料」として使えそうである。
 とはいえ、子供達の筋肉では、一人で持ち上げるのは難しいため、ひとまず泉の近くまで引きずって移動させた上で、皆で一斉に抱え上げつつ、そのまま投げ込むことにした。

「じゃあ、いくよ、せーのっ!」

 エイトのその掛け声に合わせて皆が手を離そうとした瞬間、エレオノーラの脳裏に「嫌な予感」が思い浮かぶ。

(あれ? もしこれが「若返りの泉」だったら、この蠍さんが息を吹き返すのでは……?)

 そう思った彼女であったが、気付いた時にはもう手を離してしまっていた。そして、巨大蠍は水しぶきを上げながら泉の中に沈み、そして次の瞬間、そこからは「白黒の熊のような生き物」が浮かび上がってくる。

「はずれか〜」
「ざんねん」
「次行こう、次」

 三兄弟がそう言って、来た道を戻ろうとする中、エレオノーラだけは密かにホッと胸をなで下ろしていた。

3.3. 弩と翼

 一つ前の分岐まで戻った時点で、彼等の目の前には改めて二つの道があった。「左の道」は「さっき来た道」であり、「右の道」は「未知の道」である。
 ユリの地図によれば、「右の道へと向かった先」と、「左の道を戻った上で、『もう一つ前の分岐』で『さっき選ばなかった道』へと向かった先」に、それぞれ泉は一つずつ存在する。どちらの道を先に選んでも良かったのだが、「左の道」の方向から、何者かが戦っていると思しき喧騒の音が聞こえてきた。その物音の様子から察するに「人間達」と「怪物達」の争いのように思える。

「おそらく、例の調査隊の連中ではないかな?」

 サンクトゥスはそう推測する。実際のところ、ここに至るまでの獣道の中で「人間の集団」が通ったと思しき形跡は見られない以上、彼等が自分達よりも先に突入していたとは考えにくい。だとすれば、彼女の推測が当たっている可能性が高そうに思える。今この時点で彼等と遭遇しても面倒なことになるだけだと考えた三兄弟は、ひとまず「右の道」を選ぶことにした。
 その道の先の近辺でモルガナは再び魔物の気配を感じ取るものの、素早く気付かれないように通り抜けることで遭遇を回避し、その先の分岐で右の道を選択した彼等は、無事に「二つ目の泉」を発見する。

「さて、今度はどうしようか……」

 今回は泉の近くにこれといった(実験台となりそうな)動物の姿は見えない。あるいは「植物」でも有効なのかもしれないが、ここで皆がどうしようかと迷っている中で、ウチシュマが自ら率先して泉に近付いて行った。

「とりあえず、私が入ってみるよ〜」

 面倒臭がりな彼女であるが、どうやらこの状況で、「安全な方策」を考えることの方が面倒に思えたらしい。それよりは、自分自身が実験台となった方が早いと考えたのだろう。周囲が止める間もなく泉に飛び込んだ彼女は、首だけが沈まない程度の深さのところまで到達した時点で、自分の身体に「異変」が起きていることに気付く。

「ん? あれ? これって……」

 彼女はそう言いつつ、自分の身体をまさぐってみる。すると、自分の身体の一角に、「本来ない筈のもの」が存在することに気付く。

「あ〜、なるほど〜、そういうことか〜」

 周囲の者達は、「顔」だけしか見えない状態の彼女を見ても、その変化には気付けていないが、少なくともウチシュマが若返っているようには見えないし、金色にも銀色にもなっていない。だが、ウチシュマはあっさりと状況を認識した。

「ざんねん〜、ここも『はずれ』だわ〜」

 彼女はそう言いながら、泉の外に出てくる。そして泉の外に出ると同時に、彼女の「身体」は元に戻っていた。彼女のその証言から、この泉の「正体」を概ね察した他の面々は、あえて詳しくは聞かないまま、その場を後にする。
 そして一つ前の分岐まで戻った彼等の前には、「さっき来た道(左)」と「未知の道(右)」という二つの選択肢が提示されていた。地図によれば、残る二つの泉のうち、この位置から近そうな場所にある泉は、どちらの道を辿っても到達は可能である。ただ、右の道の先にはこの魔境の「核」が存在すると書かれており、その周囲は極めて混沌濃度が高い区域らしい。ユリの予想に反して、この魔境の怪物達が自分達に襲いかかってきたここまでの状況を考えると、その道を選ぶことはかなり危険である。
 そのため、彼等は左側の道経由でもう一つの泉へと向かおうとしたが、そんな彼等の進行方向の先から、人間の集団と思しき足音が近付いてくる。モルガナが短剣を確認したところ、特に反応はしていないため、今の時点で自分達に害を及ぼそうとする集団ではないようだが、警戒した上でその方向へと向かうと、そこに現れたのは、三兄弟と同世代と思しき弩を持った少年(下図)に率いられた武装集団であった。


 その少年は、三兄弟達の存在を確認した上で問いかける。

「僕等はアントリア子爵代行閣下の命によって派遣された調査隊だ。君達は何者かな?」

 ひとまず穏便な口調で話してはいるが、その瞳からは明らかに警戒する気配が漂っており、いつでも弩を放てる準備は整えている。そして、彼はその「独特の嗅覚」を用いて、この場に漂う「独特の匂い」を嗅ぎ分けていた。

(混沌の気配が六つ……、そのうち三つは明らかに投影体……、いや、でも、あの帽子の女の子からは全然感じられない。あと一体は……、あの男の子の背中の鞄の中か?)

 彼が密かにそんな憶測を巡らせている中、ひとまずモルガナが答える。

「モルガナたちは、ただの旅人ですよ」

 それに対して、今度はその弩の少年の背後から現れた少女(下図)が口を挟んだ。大きく露出されたその肌には邪紋が浮かび上がり、そしてその背中には青い翼が生えている。どうやら、鳥化の邪紋の持ち主らしい。


「こんなところに、普通の旅人は足を踏み入れないよね? 何か特別な目的があってココに来たんでしょ? 違う?」

 その少女もまた、世代的には三兄弟と同じか少し上程度の年頃のように見える。ニヤニヤと笑いながら、興味本位でそう問いかけた彼女に対して、今度はエイトが答えた。

「この子を元に戻すための手がかりが『この森』にあると聞いて来ました」

 リカの姿を彼等に見せながら、彼はそう答える。この場で中途半端に隠し事をしても話がややこしくなるだけだと判断したらしい。

「え? なになに? どういうこと? その子って何者? 元に戻ると、どうなるの?」

 翼の少女がそう問いかけるが、それに対してどこまで答えるべきかエイト達が顔を見合わせたところで、弩の少年が再び口を開く。

「そちらにも色々事情があるなら、詳しくは聞かない。ただ、この魔境の中は危険だから、一緒に行動した方が安全じゃなかと思うんだけど、どうかな?」

 彼はそう言った上で、エイト達の反応を伺いつつ、思案を巡らせる。

(もし彼等がグリースからの密偵だったら、何を聞いてもどうせ本当のことは言わないだろう。彼等の正体を見極めるには、近くで監視しておいた方がいい……)

 だが、そんな思惑とは裏腹に、エイトはあっさりと首を振った。

「いえ、結構です。多分、そちらとは目的も違うでしょうし、お互いに相手がよく分からない状態のまま一緒にいても、かえって混乱すると思うので」

 それに対して、翼の少女はなおも説得しようとしたが、弩の少年はそれを止めた。

「そっか。では、ご武運を」
「お互いに」

 そう言って、彼等はすれ違うようにその場を立ち去って行く。互いに相手の姿が見えなくなったあたりで、翼の少女が弩の少年に問いかけた。

「隊長さん、たしかグリースの密偵の中には『エルフの女の子』がいるって話じゃなかったっけ? あの弓持ってた子、エルフっぽいように見えたんだけど……」
「うん、僕も最初はそう思った。だけど、もう一人の『小柄な男の子』がいなかったんだよね。あの男の子は、僕よりもずっと背は高かったし」
「んー、でも、私達の『同類』だとすれば、外見なんてどうとでもなるよ。まぁ、私も彼等は違うとは思うけどね。なんというか、『素人』っぽかったし。でも、それはそれとして、彼等は彼等でなんか面白そうな子達じゃなかった?」
「そうだね。でも、彼等が一緒に行きたくないなら、無理に誘っても仕方ないし、そこまで強引に詮索する権利は僕等にはないよ。彼等の正体が分からない以上、僕等も僕等で、逆に色々細かく詮索されても、どこまで答えれば良いか分からないし」
「まぁ、それもそっか」

 そんな言葉を交わしつつ、彼等はこの魔境の「核」の方面へと、警戒しながら進軍して行くのであった(弩の少年の正体についてはブレトランド八犬伝・簡易版を参照)。

3.4. 謎の声

 調査隊と別れた後、もう一つ前の分岐(入口から数えて二つ目の分岐)まで戻った彼等は、そこで右折して「未知の道」へと向かった後、最初の分岐で左折して、どうにか「第三の泉」を発見する。幸い、ここにも危険な魔物の類いはいなかったが、動物も存在しなかったので、またしても、これといった「実験台」が見つからない状態である。
 またもう一度ウチシュマが入るという手もあったが、やはりそれは一定の危険が伴うことでもあるため、今度はモルガナが、試しに近くに落ちていた「折れた木の小枝」を泉に放り投げてみた。既に「生き物」ではなくなっている存在で効果があるかどうかは分からないが、試してみるだけならタダであるし、仮に何か反応があっても、さほどのリスクはないと考えたのだろう。
 すると、今度は泉の中から、白地の亜麻布を纏った美しい女性が現れ、モルガナに対してこう問いかけた。

「あなたが落としたのは、この金の小枝ですか? それとも、銀の小枝ですか?」

 彼女の手には確かに「金色の小枝」と「銀色の小枝」が握られている。どちらも見た目はモルガナが投げ込んだ小枝とほぼ同じ形状であった。

「あー、またここもはずれですか……。どっちもいらないです」

 そう言ってモルガナが背を向けてその場を立ち去ろうとした時、その泉の女性はモルガナに何か声をかけようとするが、それよりも早く、この場にいる者達全員の耳に、どこからともなく謎の男性らしき声が聞こえてくる。

「お前達、何が目的でこの森に来た?」

 モルガナが振り返ると、泉の女性は狼狽した顔を浮かべつつ、金銀の小枝を手に持ったまま、泉の中へと消えて行く。その結果、今、この場にはモルガナ達以外誰もいない状態となった。

「あなたは、だれです?」

 どこに向かって問いかければ良いかも分からないまま、モルガナが周囲を見渡しつつそう問い返すと、再びどこからともなく同じ声が聞こえてくる。

「我はグリン。英雄王エルムンド様に仕えし、全ての邪紋を極めた邪紋使い」

 「グリン」とは、この森の名である。そう名乗るということは、森そのものの意思が彼等に語りかけている、ということなのだろうか。あるいは、この森の「主」である何者かが、どこかに隠れているのかもしれない。
 一方、「もう一つの固有名詞」に関しては、モルガナは首をかしげる。

「エルムンド?」

 彼女はその名に聞き覚えがなかった。振り返って弟妹達や同行する少女達を見ても、誰も特に心当たりがある様子はなさそうである。無理もない。この場にいる者達の中で、生粋のブレトランド人は誰もいないのである(いや、正確に言えば「一人」いるのだが、「今の彼女」にはその自覚はない)。
 だが、そんな中で突如、エイトが持っていた鞄の中からEGGが飛び出してきた。

「それって、四百年前にこのブレトランドの混沌魔境を浄化したっていう、あのエルムンド様ですか!?」

 EGGはブレトランド出身ではない。だが、絵画に造形が深い彼は、神話や伝承の類いにも精通している。楽園島に来る前から、その名前には聞き覚えがあった。

「そう。我はエルムンド様直属の邪紋兵団の団長にして、最後の生き残り。戦いの中で倒れていった仲間達の邪紋を全て吸収し、この世界に存在するあらゆる邪紋を全て使いこなせる境地にまで達した後に、人の身体の限界を超えてしまった。この森は我そのもの。我から生まれし森。それが今、お前達が足を踏み入れているこの地だ」

 滔々と語られる壮大な自己紹介に対して、子供達はどう反応すれば良いのか分からない。唯一、EGGだけが興味深そうに会話を続けようとする。

「そのような方がいらっしゃったとは……。勉強不足で知りませんでした」
「いや、それで良い。おそらく、我が名はどこの伝承にも残っておらぬだろうが、それで良いのだ。英雄王の臣下が魔境そのものと成り果てたなどと、語り継ぐべき話ではない」

 「謎の声」がそこまで言い終えたところで、ただ黙って聞いていたリカは、不意に自分に向けて「何者か」が視線を向けているような感覚を覚え、ビクッと身体を震わせる。

「そこの『鱗の娘』はエルムンド様の末裔。そしてエルムンド様の輝石を受け継ぐ者。そうであろう?」

 この場にいる者達の中で「鱗」を持つ者はリカしかいない(正確に言えば、エレオノーラが連れている海亀にも鱗はあるが、今は聖印の力で小型化されて彼女の懐の中にることもあり、そちらを指しているとは考えにくい)。だが、そう言われてもリカとしては当然、何のことだかさっぱり分からない。

「この森の者達が色々と迷惑をかけたようだな。かつてこの森を浄化しようとした君主達が大勢いたこともあり、彼等は聖印を極度に恐れている。だから、聖印を持つ者に対しては無条件で襲いかかってしまうのだ。それでも、エルムンド様の末裔にだけは絶対に手を出さぬように制御しているのだがな」

 「グリン」と名乗る謎の声はそう語る。どうやら、やはり魔物達が襲いかかってきたのは、エレオノーラが原因だったらしい。そして、入口付近でエレオノーラを急襲しようとした「樹木」が直前で動きを止めたのは、その傍らにリカがいたからであろう(そしておそらく、十数年前に三兄弟の「父親」と「母親達」がこの森を探索した時に「父親」だけを攻撃していたのも、その「君主への拒絶反応」が原因なのだろう)。
 今ひとつまだよく分からないことが多いが、ひとまずこの「謎の声の主」が自分達(特にリカ)に対して害を為そうとしている訳ではないらしいと判断したモルガナは、ここでようやく「最初の問いかけ」に答える。

「モルガナたちは、この森のどこかにあるという『わかがえりの泉』をさがしてます」

 彼女のその発言に対して、あっさりとその「声」は答えた。

「若返りの泉か……。それならば、ここからは『反対側』だな。では『道』を開こう」

 そう言い終えると同時に、それまで獣道すら存在しなかった「三つ目の泉の奥」の木々が突然左右に分かれるれるように「通路」が形成される。地図を確認してみると、確かにその方角の先には「最後の泉」がある空間へと繋がっているように見える。

「久しぶりにエルムンド様の気配を感じて目を覚ましてしまったが、私の中で『人』としての意識を保てるのは、この辺りがそろそろ限界のようだ。再び眠りにつかせてもらおう。鱗の娘よ、何故にそのような身となったのかは知らぬが、どのような姿であろうとも、あの方の末裔として、誇り高く生き続けよ。お主がその『誇り』を捨てぬ限り、我等はお主の味方だ」

 その言葉を最後に、「謎の声」は一切聞こえなくなる。何が何だかさっぱり理解出来ない心境であったが、ひとまず子供達は言われた通りに、その「開かれた道」の先へと向かって行くのであった。

3.5. 本当の姿

 彼等が「突発的に出現した道」をそのまま進み続けると、そこには確かに「泉」があった。ユリの記憶にある泉はこれが「最後の一つ」であり、先刻の「謎の声」の証言が正しければ、これこそが「若返りの泉」の筈である。もっとも、あの声の主の正体が分からない以上、それが真実である保証はどこにもない。
 だが、リカはここまでの経緯から、あの声の主の言うことは信用に値すると信じ込んでいた。明確な根拠はない。だが、そう考えた方が全ての辻褄が合うように思えたのである。

「私が自分で確かめます」

 そう言って、彼女は一歩ずつ、慎重に湖の中へと入り込んでいった。「本当の自分の姿」を知ることへの怖さは今でもあるが、それ以上に、危険を冒してこの奥地まで連れてきてくれたエイト達を一刻も早く無事に帰還させるためにも、ここで躊躇している時間はない、と考えていたのである。
 やがてその身が半分以上湖に浸かる深さにまで達した時点で、彼女は自分の身体に少しずつ「変化」が発生しようとしているのを感じる。いや、正確に言えば、それは「変化」というよりは「退化」に近いのかもしれない。本来は時の流れと共に成長していく筈の身体が、その時の流れに反して、急激な速さで逆流していくような感覚を覚えた。それこそがまさに「若返りの泉」の効用である。
 それでも、最初はその影響は表面的には殆ど現れなかった。だが、 ある時点に到達した瞬間、彼女の周囲が一瞬にして「謎の光」に包まれ、そして次の瞬間、蜥蜴のような鱗に覆われていたその身体が、うら若き可憐な「人間の少女」の姿(下図)へと書き換わったのである。


 その肌はまさしく深窓の令嬢が如き白さでありながら、その顔立ちはどこか快活な雰囲気を醸し出しつつ、その立ち姿全体からは優雅で気品に満ち溢れた雰囲気が漂っている。歳の頃は、三兄弟やエレオノーラと同世代くらいであろうか。その瞳からはどこか子供らしい無邪気な純真さを感じさせつつも、島で自由気ままに生きている三兄弟に比べて、何か重大なものを背負って生きてきたかのような不思議な「気高さ」が感じられた。

「あら、かわいい〜」
「おきれいね」

 ウチシュマとモルガナが率直にそう呟く中、エイトは何も言わずにただ黙ってその姿を目の当たりにしている。今まで「守るべき対象」としか思っていなかった異形の少女に対して、これまでに経験したことのない不思議な感情が芽生え始めていた。「どこかの国の貴族令嬢かもしれない」という話は前から聞いてはいたし、先刻の「謎の声」の証言からも、やんごとなき血筋の姫君なのかもしれないとは考えていたものの、実際に彼の目の前に現れたその姿からは、彼の中で想像していた「お姫様」のイメージを超えた「何か」が感じられた。
 そしてもう一人、そんな彼女を見て言葉を失っていたのは、エレオノーラである。それまで彼女はリカに対して、自分の乗騎である海亀のラファエラを見る時と同じような目で見ていた。いくら「元は人間だったかもしれない」と言われても、今ひとつ実感が湧かなかったのである。だが、目の前に現れた「自分と同世代の可憐な少女」を目の当たりにして、一瞬にして彼女の中での認識がひっくり返った。そして自分の傍らに立つエイトが、リカに対して「これまでとは明らかに違う視線」を送っているのを目の当たりにして、彼女の中での心拍が急に高まってくる。
 そんな子供達の様子を眺めながら、見た目は彼等と大差ない褐色の「聖剣の少女」は、興味深そうにほくそ笑む。

(さてさて、これは面白そうなことになってきたのう、エイトよ)

 そして、ようやく自分の「出番」が来たことを瞬時に理解したEGGは、背中に背負っていた筆と紙を手にして、サラサラとその姿を描き始める。当初はただただ戸惑っていた様子のリカであったが、やがて水面に映った自分の姿を確認すると同時に驚愕の表情を浮かべ、その直後、自分に対してエイトからの熱視線が浴びせられていることに気付くと、今度は思わず頬を赤らめる。そんな彼女の表情の変化も加味しながら、EGGは様々な角度からリカのスケッチを続け、そして幾枚かの肖像画を書き終えた時点で、EGGは「あること」に気付いて筆を置いた

「リカさん、あなたの身体、少しずつ小さくなってます。そろそろ上がった方がいいでしょう」

 彼に言われるまで誰も気付いていなかったが、確かにリカの身体は、少しずつ全体的に縮小しつつあった。おそらくそれは「若返りの泉」の効果を受け続けた結果、より幼い身体へと変化(退化)しようとしていたのだろう。このまま入り続けていると、いずれ存在そのものが消滅する可能性があることに気付いたリカは、慌てて泉の外に出る。すると、瞬く間にその姿は元の「魔獣」の身体に戻った。

(あれが本当の私……、私はやっぱり人間だった……? だとしたら、一体どこの誰? 「エルムンド様の末裔」って言ってたけど、それってどういう意味……?)

 まだ今ひとつ実感の持てないままリカは泉から上がり、そしてモルガナとウチシュマが濡れた彼女の身体の水滴を拭き取る。一方でエイトは、リカが「見慣れた姿」に戻ったことで、ようやく平静を取り戻したかな表情を浮かべるが、内心ではまだ動揺はおさまっていなかった。そしてエレオノーラもまた、そんな彼の内心を直感的に見抜いて、複雑な心境に陥っていた。

3.6. 一号と二号

 その後、彼等はここまで歩いて来た道をそのまま戻る形で、森の外へと出ようとする。だが、(森の入口から見て)最初の分岐にまで戻ったところで、彼等の目の前に巨大な怪物が現れる。それは二足歩行でどこか人間に近い風貌を持ちながらも、全身毛むくじゃらで、その体毛の下には尋常ならざるほどの強靭な筋肉が形成されていることが読み取れた。
 だが、その怪物が子供達(おそらくはエレオノーラ)に襲いかかろうとした時、その後方から小柄な二つの影が現れる。それは、不自然に袖口が広がったひとつなぎの装束(一人は白、もう一人は薄桃色)を身にまとい、妙に長い鍔のある帽子(一人は黒、もう一人は赤)を被った、三兄弟達よりも更に小柄な少年と少女であった。よく見ると、少女の方は耳が細長く横に尖っている。

「バッターモンがいる限り、ダン・ディオードは栄えない! 行くぞ、2号!」

 白服・黒帽子の少年がそう叫ぶと、隣に控える少女と共に怪物に向かって飛びかかる。

「ケンダマインゴーシュ!」
「シビレイピア!」

 二人はそう叫びながら、素早い動きで怪物を翻弄しつつ、的確にその急所を突く連携攻撃で怪物を苦しめる。そんな中、少年は三兄弟達の姿を発見する。

「お前達はファンタジアか、それともファクトリーか?」

 唐突にそう問われた彼等であったが、この少年が何を言っているのかは理解出来ない。ただ、彼の先刻の発言から、彼等が自分達の父と対立する立場の人間であることは薄々察することが出来た。そしてモルガナは、母達の知人の中に、そのダン・ディオードと対立する立場にある女性がいることを思い出す。

「マーシーさんのお知り合いですか?」

 そう問い返された少年は、驚いてマインゴーシュを落としそうになる。

「何!? どういうことだ? 少なくとも、マーシー殿からは我々以外にこの地に潜入している者がいるとは聞いてないぞ!」

 慌てて体勢を立て直しつつ、改めて怪物と対峙しながら、黒帽子の少年はそう叫ぶ。このやりとりを目の当たりにしたサンクトゥスは、密かに子供達に耳打ちする。

「なんかよく分からんが、こいつらには関わらん方が良さそうじゃ。あの化け物と戦ってる間に、とっととこの森を抜け出した方が良かろう」

 その提案に対して、子供達は(特に何の根拠もなかったが)彼女の認識に同意し、そのまま足早に入口へと戻ろうとする。その時、赤帽子の少女がモルガナの「耳」に気付いて問いかけた。

「あなた、もしかして同族ですか?」
「ちがいます!」

 モルガナは全力でそう答えて、弟妹達と共にそのまま走り去る。実際のところ、客観的に見ればあの赤帽子の少女の外見は確かにエルフ族によく似ている。だが、なぜかは分からないが、モルガナの中では「あんな人達と一緒にしてほしくない」という気持ちが湧き上がっていたようである(なお、この二人の正体についてはブレトランド戦記・簡易版およびブレトランド八犬伝4を読めば分かるかもしれないが、別に分からなくてもいい)。

3.7. 錯綜する少女達

 こうして、彼等は無事にグリンの森から帰還する。その途上、あの調査隊の者達と再び遭遇することもなかった。おそらく彼等はまだ森の中で何かを調べているのだろうが、目的を果たした今の彼等にとっては、他の者達の動向など、特に気にする必要もない。

「リカもエレちゃんも、お疲れ様。二人とも、口を開けてくれるかな?」

 エイトはそう言って、懐から 色鮮やかな飴玉の入った缶 を取り出す。これは母親の祖国から投影された「異界の菓子」であり、彼はその缶をガラガラと振りながら、小さな開け口から飴を出てきた飴を、二人の口の中に一つずつ投入する。偶然にもその二つは、どちらも「檸檬味」の飴であった。

「不思議な味ですね……、酸っぱくて、でも甘くて……、とても美味しいです」

 リカが素直に嬉しそうな顔でそう答えるのを眺めながら、エイトが満足そうな表情をしているのを目の当たりにして、エレオノーラは改めて複雑な表情を浮かべる。今の彼女には、甘酸っぱいこの檸檬の独特の味が、今の自分の中の心境となぜか重なり合ってしまい、その味の感想を素直に言葉に出来る心境ではなくなってしまい、俯いたまま黙り込んでしまっていた。
 そんなエレオノーラにエイトが視線を向けようとしたその時、彼の目の前に「物欲しそうに口を開くウチシュマ」が現れる。

(お前にやる飴なんて、これで十分だろ!)

 そう思いながら、エイトは自分が一番嫌いな「薄荷味」の飴が出るまで、何度も缶を振り続ける。その様子がどこかおかしかったのか、周囲の少女達はクスクスと笑みを浮かべ始め、やがてそれにつられてエレオノーラの表情も和らいでいく。

「え〜、私この味、あんまり好きじゃな〜い」

 ウチシュマがそう言って露骨に嫌そうな顔をするのをエイトは満足気に眺める。こうして、結果的にエレオノーラは自分の「見られたくない感情」をエイトに見られずに済んだ。ただ、そんな彼女の様子に、ただ一人モルガナだけは気付いていたのであった。

 ******

 その日はもう陽が落ちかけていたこともあり、そのまま森の近くの村の宿に泊まることになる。そんな中、モルガナはエレオノーラがまだどこか気を病んだ様子であることが気掛かりになり、宿屋の一角の、他の誰もいない場所で、ふと彼女に語りかけた。

「大丈夫? エレちゃん」
「え? あ、はい、いえ、その、特に何もないというか、むしろ、私がいたせいで皆さんを危険に晒してしまったことが申し訳なかったというか……」
「そんなことはないよ。さそりとのたたかいでは、防壁をつくってたすけてくれたし」

 モルガナはそう答えたが、もしあの「謎の声」の言っていたことが本当なら、そもそも自分が同行しなければ巨大蠍に襲われることすら無かった筈である。そう考えると、やはり最初から自分がいない方が良かった、という気持ちになるのも致し方ないことであろう。ましてや彼女の場合、海亀を巨大化して戦う海上戦専門の君主である以上、一緒にいても戦力としては殆ど役に立たないことは最初から分かっていた筈である。それでも、エイトの傍にいたいという感情を優先させてしまったためにこのような事態に陥ってしまったという自責の念は強かった。
 それに加えてもう一つ、全くもって個人的な感情から、今の彼女の気分は沈んでいたのである。そのことを「彼の姉」であるモルガナに伝える気はなかったのだが、話を変えようとしたところで、つい、今の自分の中にある「本音」が溢れてしまう。

「リカさん、綺麗でしたよね……、私よりも大人っぽいというか……。エイトさんも、きっとああいう人の方が……」
「モルガナは、エレちゃんを応援するよ」

 あえてそれ以上は何も言わないし、何も聞かない。それがモルガナの答えであった。そして、ただその一言を聞かされただけで、エレオノーラはどこか救われた心境になり、ようやく少しだけ、笑顔を取り戻すのであった。

 ******

 一方、その頃、宿屋の別の場所で、リカはウチシュマと言葉を交わしていた。

「やっぱり、私は人間だったのですね。しかも、どうやら『普通の素性』ではないようで……」

 「英雄王エルムンド」については、帰り道にEGGから話を聞かされていた。四百年前にこの小大陸の混沌を祓った君主ということらしいが、さすがに彼も伝聞でしか聞かされていない以上、あまり詳しいことは分からない。ただ、エルムンドの末裔がその後の三王国(ヴァレフール、トランガーヌ、アントリア)を築いたという伝承までは彼も聞いたことがあるらしい。もしその伝承が本当ならば、リカの「実家」は当初の想像以上に「やんごとなき家」ということになる。
 もしそうだとしたら、リカの実家の人々は今、彼女のことを必死で探しているのかもしれない。だとしたら、一刻も早く記憶を取り戻した上で帰国した方がいいのかもしれない。だが、今の彼女にとって、ウチシュマやエイトやモルガナに囲まれた「楽園島での暮らし」は極めて快適な環境であり、そして彼女達に恩を返すまでは島を離れたくない、という思いもあった。

「私は、自分でもどうしたら良いのか分からないんです。あの島の人達は優しい。でも、私の正体が人間なのだとしたら、私にはあの島にいる権利はない……」
「いや〜、別にそんなこともないと思うよ〜」

 実際のところ、楽園島にも「人間」がいない訳ではない。もっとも、それらの大半は楽園島を「隠れ家」にしている秘密結社パンドラの指名手配犯達であるが。

「でも、もし私が『特別な家』の一族なのだとしたら、きっと私には、やらなければならないことがある。そんな気がするんです。そんな私があの島にいたら、色々な人達に迷惑をかけてしまいそうな気がして……」
「好きに生きたらいいのよ〜。私達だって〜、母さん達だって〜、みんな好きに生きてるだけなんだから〜」

 ウチシュマはいつもの「だらけた笑顔」でそう答えるが、実際のところ、今の自我そのものが不安定なリカには、「それ」が自分でも分からないことが問題なのである。

「好きに生きれば、と言われても……、私にとっての『好き』って……」

 彼女がそう呟いたところで、エイトがその場を通りかかる。

「ウチシュマ、リカ、もうそろそろ寝た方がいいよ。明日にはあの港町まで戻りたいし」
「あ、は、はい! そうですね!」

 リカはそう言いながら、慌てて自分の客室へと向かう。そして、その様子は、少し離れた場所から客室に戻ろうとしていたモルガナとエレオノーラの視界にも入っていた。

(エイトさん、「あの姿」を見てから、リカさんのことを「リカ」と呼び捨てで呼ぶようになったんですよね……)

 そんな彼の「無意識の変化」に唯一気付いていたエレオノーラは、再び自分の中に「嫌な感情」が湧き上がってくるのを感じて、黙って自分の部屋へと向かう。そんな彼女の背中を眺めつつ、モルガナはウチシュマとエイトに近付き、おもむろにこう告げた。

「モルガナは、エレちゃんを応援することにしたから」
「そうなの〜? 私はリカちゃんに頑張ってほしいなぁ〜」

 姉と妹が自分を横目に見ながらそんな会話を交わしているが、当のエイトは怪訝そうな顔を浮かべて首をかしげる。自分がそれに対して何か反応を求められているような気がした彼は、少しだけ思考を巡らせるが、改めて首をひねり直す。

「何かうまいこと言おうかと思ったけど、本気で二人の言っていることが分からないよ」

 ******

「のう、EGGよ、お主がエイトを描くとして、奴と並び立った時に一番絵的に映える『相手』は誰じゃと思う?」

 一足先に自分の客室で眠りに就こうとしていた褐色の聖剣少女は、成り行きで同じ部屋に割り当てられた「巨大卵(の中身)」に対して、そう問いかける。彼は卵の中からでも(なぜか)殻の外に対して声を響かせることが出来るらしい。

「さて、どうでしょう……。少なくとも、姉君や妹君と一緒にいる時の彼は、あまり『いい顔』をしてはくれないのですよ。出来れば彼の『自然な笑顔』を引き出してくれるような人物であれば良いのですが……、正直、彼は蜥蜴のお嬢さんに対しても、海亀のお嬢さんに対しても、どこか『よそよそしい笑顔』なんですよねぇ……。あ、でも、魔境から帰ってきてからの彼は、蜥蜴のお嬢さんに対して、前よりも自然な接し方になってきてるような……」

 そこまで聞いたところで、聖剣少女は突然、自らの本体の「鞘」で巨大卵を叩き割った。

「いきなり何するんですか!」

 割れ出た巨大卵から出てきたEGGが怒ってそう叫ぶと、不機嫌そうな顔で少女は答える。

「そこはまず真っ先に『あなた様です』と答えるべきところじゃろうが。この無粋者め」

 そう言いながら、聖剣少女はEGGに背を向けて不貞寝を始める。あまりに理不尽な仕打ちに腹を立てつつ、EGGは謎の力で卵の殻を修復させながら、ボソッと小声で呟く。

「あんたと一緒にいる時が、一番嫌そうな顔してるでしょうに……」

 次の瞬間、寝返りを打った聖剣の「抜き身」の一撃で、直りかけていた卵が再び粉砕されたことは言うまでもない。

3.8. 女海賊の見解

 翌日、彼等は予定通りに村を出て、無事にスウォンジフォートまで帰還する。その上でアクシアと再会し、そのまま船でフーコック島へと向かって船出することになった。
 その船の中で、アクシアに魔境の中で起きた一通りの出来事を説明すると、ブレトランドの裏事情に詳しい彼女は、自分なりの見解を伝える。

「おそらく、その森の中で遭遇した『黒帽子の少年』と『赤帽子の少女』は、グリースの密偵だろうな。目的は分からんが、いざという時に、グリンの森を突破してアントリアへと攻め込むことが可能かどうかを調べてみたのかもしれない。そして、アントリア側は彼等の動きを牽制するために『調査隊』を派遣したのではないかな」

 だが、その点に関しては、子供達にとっては「どうでもいい話」であった。肝心なのは、リカの正体についてである。

「その『森の主』の言うことが本当かどうかは分からんが、もし、彼女が本当に『英雄王エルムンドの末裔』であるならば、心当たりは何人かいる」

 四百年前の英雄王エルムンドの三人の子供が、ヴァレフール伯爵家、トランガーヌ子爵家、アントリア子爵家の始祖になったと言われている。その末裔達のうち、現時点で「行方不明」とされている姫君は、彼女が知っているだけでも「四人」存在する。
 アクシアがまず真っ先に名を挙げたのは、旧アントリア子爵家の四女マリア・カークランドである。ダン・ディオードに殺された先代子爵ロレインの末妹であり、十年ほど前にコートウェルズで行方不明となっている。生きていれば現在10代半ば程度の年齢の筈であり、EGGが描いたスケッチから推測される年齢とも概ね一致する。
 次に可能性が高そうなのは、現ヴァレフール伯爵ワトホートの長女フィーナ・インサルンドであるという。彼女もまた十年以上前に旅先で行方不明となっており、生きていれば現在18歳程度の筈である。スケッチに描かれた少女はもう少し幼そうに見えるが、彼女が何年前から「今の姿」になったのかが分からない以上、年齢はあまり当てにならない。そして、そのスケッチの少女の髪や瞳の色は、アクシアが伝え聞くワトホートの姿に近いようにも思えた(もっとも、彼女は実物を見たことがないので、それが正確な情報かどうかは分からない)。
 この他に、幼い頃に魔法の力に目覚めてエーラムに留学した令嬢が二人いる。一人の上述のマリアの姉リリア・カークランド、もう一人は旧トランガーヌ子爵家の末裔のエレナ・ペンブロークである。この二人については、エーラム入門後は別の名を名乗っているらしいので、どこで何をしているのかは明かされていない。もしかしたら、何らかの魔法実験の事故で異形の姿となり、そのまま放逐された(もしくは処分されようとしたところを脱走した)という可能性もありうるだろう(なお、マリアとリリアの間にはもう一人、ミリアという姫君もいるが、彼女は現在、コートウェルズでの混沌征伐に尽力しているという情報が伝わっている)。

「無論、この他にも、傍流や隠し子の系譜でその血を引き継ぐ人物はいくらでもいるだろう。可能性を考え始めればキリがない。何なら、このスケッチを各国の宮廷に顔が利く連中に見せて回って調べる、という手もあるが……、その場合、『正解』が分かった時点でどうすべきか、ある程度の『覚悟』を決めておいた方がいいだろうな」

 実際のところ、リカにはまだその「覚悟」が定まっていない。たとえば、もし彼女の正体がヴァレフール伯爵家のフィーナであった場合、間もなく退位すると言われているワトホートの後継者の候補として当然その名は挙がるであろうし、その場合は今まで後継者候補の筆頭と言われていた妹レアとの間で骨肉の争いが発生する可能性もあるだろう。
 旧トランガーヌ子爵家のエレナだった場合も、実質的にその後継国家の座を争う神聖トランガーヌとグリースの間で、その身柄の争奪戦が発生する可能性は十分にあるし、場合によっては、神聖トランガーヌ枢機卿ネロもしくはグリース子爵ゲオルグとの間で縁談の可能性も出てくる。
 旧アントリア子爵家令嬢のいずれかであった場合も、アントリア内の反ダン・ディオード勢力に担がれる可能性もあるし、逆に反体制勢力を取り込むために、現アントリア子爵代行マーシャルとの間での縁談という選択肢も浮上する。
 ただ、いずれにしても、それはまず彼女の「記憶」と「身体」が元に戻ることが大前提である。それらを元に戻す方法も分からない今の状態で、どこまで彼女に利用価値を見出すかは分からないし、神聖トランガーヌやヴァレフール内の副団長派(聖印教会派)の者達がこの事実を知れば、「英雄王の末裔が混沌に汚された」という事実を隠蔽するために、彼女を抹殺しようとする可能性すらある。
 改めて今の自分の立場の重さを痛感したリカがどう答えれば良いか分からずに俯いていると、アクシアはポンと彼女の肩に手を置いた。

「まぁ、ゆっくり考えればいいさ。島に戻れば、またアイン達が何か名案を考えてくれるかもしれん。こいつらの母親も、なんだかんだで頼りになるしな」

 彼女はそう言い残して、ひとまず船長室へと戻る。その途上、彼女は一人、この状況への想いを巡らせていた。

(出来れば、カークランドの娘ではないことを祈りたいものだ。別の女達の子とはいえ、アイツの子供達が争う姿は見たくない……)

3.9. 放たれた力

 やがて、彼等を乗せた船は、フーコック島の周囲を覆い尽くす霧が立ち込める海域へと到達する。そして、その霧の中で、彼等は見慣れない大船団を発見した。それは客船でも貨物線でもなく、大量の投影装備を積んでいると思しき「武装船」の集団であった。霧の中に翻る船旗を見たエレオノーラは驚愕の表情を浮かべる。

「あれは……、ノルドの船……。まさか、私を探すために……」

 青ざめた表情で、身体を震わせながらそう呟くエレオノーラに対して、子供達は「いやいや、そんな大袈裟な」と言いながら宥めるが、アクシアは真剣な表情で口を開く。

「ありえない話ではない。もっとも、それが主目的かどうかは分からんがな。姫君を追って来た者達が、偶然にあの島を発見して、近隣のノルド海軍に連絡を取ったとしたら……」

 アクシアの知る限り、ノルドの騎士達は何よりも武を尊ぶ。見知らぬ島、ましてや明らかに魔境と思しき島を発見すれば、己が聖印を成長させるために、いち早くその地の浄化を目指して乗り込んできてもおかしくはないだろう。仮に楽園島の住人達が「話せば分かる相手」だと示したとしても、まずは自分達の武を誇示し、そして相手の武を見極めた上でなければ、彼等の中では交渉は成り立たない。そもそもこの海域は本来は連合の支配下である以上、その海域に現れた「謎の投影隊集団」を「討伐対象」と認識するのは、彼等の中では当然の理屈であった。
 ひとまずアクシアは、ノルド海軍との衝突を避ける航路でいち早く島に上陸すると、島の方では既に臨戦体制が整えられていた。どうやら島の住人達も、ノルド海軍が敵意を剥き出しに迫りつつあることに気付いているらしい。

「私が戻れば、彼等は引いてくれるかもしれません」

 エレオノーラは周囲にそう訴えるが、その声には明らかに動揺と狼狽が見え隠れしていた。それに気付いたモルガナがすぐに問いかける。

「エレちゃんは、それでいいの?」
「良くはないですけど、でも、他に方法が……」

 彼女としては、自分のわがままでこれ以上皆に迷惑をかけるのが耐えられなかった。だが、彼女達がそんな会話を交わしているところに、この島の警備隊長を務めるアカラナータが現れる。

「どちらにしても、引いてはくれんだろう。あのノルドの蛮族共に、一度振り上げた拳を下ろさせるには、奴等が納得するまで殴り合うしかないのさ」

 目の前にいるのがその「蛮族」の姫君であることを知らぬまま、アカラナータは自分自身がまさに蛮族そのもののような表情を浮かべながら、楽しそうにそう告げた。そして彼女の背後には、日本刀を抜いたサオリと、この島の主であるアイン、そしてあの「ハルーシアから来訪した地球人の男性(沖田総司)」の姿もある。

「私達も戦いましょうか? というか、むしろ彼等は、私達を追っている中でこの島を見つけた可能性もある訳だから、私達が矢面に立つのが筋のような気もしますし」

 涼しい顔で地球人の青年はそう言ったが、それに対してアインが首を振る。

「いや、今、貴殿等に表に出られると、むしろ彼等には『連合討伐』という『引けない理由』を与えることになる。ここはしばらく『そこ』の中の中にでも隠れていて下さい」

 アインはそう言って、後方に突如出現した 謎の建物 を指差し、そして子供達にも声をかける。

「お前達もだ。ここから先は本物の戦場になる。お前達にはまだ早い。特にリカ、お前は……」

 アインがそう言ったところで、彼はリカの周囲で「謎の混沌収束」が起きようとしているのに気付く。それはモルガナが魔境の中で一度だけ目撃した巨大蠍との戦いの時の現象に酷似していた。モルガナは即座に「危険な予感」を感じ取る。

「エレちゃん! リカちゃんの周囲の混沌を浄化して!」
「え? あ、はい!」

 この場にいる中で唯一、混沌浄化が可能なエレオノーラが、言われた通りに聖印を掲げて浄化を試みるが、直後に苦悶の表情を浮かべる。

「無、無理です……、強すぎます!」

 この時、リカ自身もまた、自分の身体に何が起きているのかが分からない様子であった。ただ、今の自分の中で、ある一つの衝動が湧き上がっていたことだけは、はっきりと自覚している。

(皆を守りたい……、皆を助けたい……、私を助けてくれたこの島を守るための力が欲しい……、その力さえあれば……)

 彼女のそんな想いは、やがて周囲の混沌を彼女の身体の中へと吸収し、そして彼女のその口の中から、謎の怪光が放たれる。その光の先にいたのは、モルガナ、エイト、ウチシュマの三人であった。

「ウチシュマ!」
「モルガナ!」
「エイトさん!」

 三人が光に包まれた瞬間、周囲の人々が思わず叫ぶ。だが、その直後にそこで起きた光景に、その場にいた誰もが我が目を疑った。謎の怪光を浴びた三人の身体が、その身に装備された服や武具ごと「巨大化」したのである。

「こ、これは一体……」
「なにがおこったの?」
「え〜っと〜……、なんだろうね〜、この状況〜」

 当の三人も、今の自分達の身に起きたことが、全く理解出来ない。彼等三人から見れば、周囲の世界が突然縮小したような感覚である。いつも自分を見下ろしていた大人達が、今は自分達の足首程度の高さしかない。

「どういうことだ……、リカは『元人間』ではなかった、ということなのか?」

 いつもは冷静なアインすらも、初めて見るこの光景に困惑を隠せない。光を放ったリカ自身もまた、自分が何をしたのか分からないままその光景を呆然と眺めている。だが、この場にいる中で一人だけ、ある一つの「仮説」に辿り着いた者がいた。

(巨大化光線……、そうか! 放射能か! 聞いたことがある。遥か昔の怪獣映画で、放射能を浴びた生物が巨大化するという話を。ということは、彼女は『イグアナの娘』ではなく『ゴ……)

 サオリがそこまで思い出したところで、海の向こうから砲撃音が聞こえてきた。どうやら、島に近づきつつあったノルド艦隊が、突如現れた「巨人」に向かって発砲したらしい。だが、その一撃はエイトが発動させた「地球人」としての混沌の力によって(それが更に何倍にも増幅されることによって)あっさりと消失してしまう。

「すごいな、この力……」

 エイト自身もまた、今の自分自身に対して驚愕の表情を浮かべる。

「じゃ〜、とりあえず、戦ってみよっかぁ〜」
「そうね。島をまもるために!」

 そう言いながら、ウチシュマは(海蛇と戦った時よりも何倍も大きな)天雷を引き起こし、モルガナは超巨大カタパルトのような弓矢を放って、ノルド海軍の船を次々と沈めて行く。その圧倒的な「巨人」の破壊力の前に、彼等の船が全滅するまで、僅か数十秒程度の出来事であった。
 船の残骸の隙間からは、脱出艇に乗る間も無く船から投げ出されたノルド兵達が必死で生き残ろうともがいている。その様子を見て、さすがに、このあまりに一方的な虐殺に気が咎めたエイトは、その巨大な手を差し伸べて、出来る限り彼等を回収して、島の海岸へと連れて行く。いかに不屈のノルド騎士といえども、この圧倒的な戦力差を前に抵抗する気力は失せてしまったようで、あっさりと武器を手放して投降することになった。

4.1. 非公式交渉

 それから時間がしばらく経過すると、三人の姿は縮小を始め、やがて「本来の大きさ」に戻る。何が起きたのか分からない状態のまま、ひとまずアインの弟子の医師や魔法師達が彼等の身体や武具を調べるが、これといった異変は見つからなかった。彼等の身体に発生したあの現象はあくまで一時的な異変だったようで、今の彼等からは何ら特別な力は感じられなかったらしい。
 その間に、アインはノルドの捕虜達から一通りの話を聞く。どうやら「ノルドの姫君」と「ハルーシアの客将」の予想は、どちらも正解だったらしい。家出した姫君を探してこの海域に来た調査船がこの島を発見し、連合の遊撃隊としてのハルーシア艦隊を迎撃しようと周囲を巡回していた武装船団と合流した上で襲撃に至った、というのが彼等の証言である。
 島の秘密を守るためには、彼等をこのまま抹殺した上で、それをハルーシア海軍の仕業に見せかけることで事無きを得る、という選択肢も無くは無かったが、その前にエレオノーラが両者の間に入ることで、アインに捕虜達の助命を嘆願する。

「この人達は、私の身勝手のせいでこの島に迷い込んでしまった被害者なんです。私が彼等と一緒に国に帰って、もうこの島には手を出さないように叔父様にお願いしますから……」

 無論、それは彼女の本意ではない。しかし、さすがに自分のせいでこれ以上の犠牲が出ることは彼女には耐えられなかった。だが、それに対してアインは淡々と答える。

「姫様、申し訳ないが、それは無理だ。いくらあんたが頼んだところで、ノルドの海洋王はただ負けたまま引き下がる訳にはいかないだろうよ。それよりは……」

 アインはニヤリと笑って、ノルドの捕虜達の中で、最も身分が高いと思しき者に問いかける。

「なぁ、海洋王殿は、異界の武具には興味はないか? 俺達と手を組むなら、エーラム経由では手に入らない特殊な投影装備を融通してやってもいい。ただ、俺達は色々と故あって『エーラムの御墨付きを持たない投影体』だから、このことがエーラムに知られたら、あんたらも面倒なことになるだろう。あくまで非公式な形での交易、ということでどうだ?」

 さすがに「パンドラ」まではとは名乗らなかったが、「エーラムの御墨付きを持たない投影体」という時点で、それはこの世界の倫理的には「討伐対象」だと名乗っているようなものである。だが、そのような存在を相手に交易をすること自体、必ずしも珍しいことではない。特にノルドのような混沌濃度の強い辺境地方では、過去にいくらでも「異界の神」や「異界の龍」との「取引」に応じたことはある。

「……我等には、陛下のお考えまでは分からん。約束は出来ん」
「まぁ、そうだろうよ。だから、とりあえずは国に帰った上で、陛下と相談してくれればいい。で、まずはその友好の証に、姫様には『賓客』として、この島でごゆるりと御滞在して頂く、ということで、どうだ?」
「なにが『賓客』だ! 要は『人質』ということだろうが!」
「そこは好きに解釈してくれて構わない。だがな、あんたらが姫様を大事に思うなら、あくまでも『賓客』という扱いにしておいた方が無難だぜ。俺達に姫様を無理矢理連れ去られたとあっては、あんたらも海洋王殿もメンツが立たないだろう。そうなれば、またウチの『秘密兵器』の子供達がお相手することになる。それはお互いにとって不毛だろう?」

 そう言われた騎士達は、自分達の目の前に現れた「巨大な子供」という不気味な光景を思い出し、寒気が走る。

「一体、何者なんだ、あいつらは?」
「それはさすがに軍事機密だ。答える訳にはいかない。ただ、あんたらも、まさか『あの三人』だけで終わりだと思っている訳じゃないだろう?」

 完全なハッタリだが、あのような光景を見せつけられた後では、同じような「巨人」が更にその奥に控えている可能性を否定出来る根拠はどこにもない。騎士達の表情が青ざめていくのを確認した上で、アインは話を続ける。

「いずれにせよ、俺達は無駄な争いは好まないし、快く国交を開くために、ここで遺恨を残しておきたくない。だから、お互いの友好親善のために、あんたらは俺達じゃなくて、連合の遊撃隊に奇襲されたことにしておく、ってことで、どうだい?」
「……貴様等、連合と手を組んでいるのではないのか? 連合の遊撃隊の船が、この島に停泊しているのを遠眼鏡で見た者もいたのだが?」
「『いた』か。その目撃者はどうした?」
「おそらくは、もう海の底だ……」
「それはお気の毒様。まぁ、きっと何か別の船と見間違えたんだろうよ」

 もし仮に目撃者が生きていたとしても、いくらでもごまかす方法はあるし、そもそもそれ自体は今回の交渉においては重要な議題ではない。仮に彼等と連合との交流がごまかせなくなったとしても、今の時点でそのことを深く追求することがお互いのためにならないことは、ノルド騎士達にも分かっていた。腑に落ちない点は多いが、確かに今のこの段階では、アインが提案する「建前」を受け入れることが、自分達にとっても、ノルドにとっても、「一番マシ」な選択肢に思えたのである。ただ、彼等の中で一つだけ、どうしても確認しなければならないことがあった。

「姫様は、それでよろしいのですか?」

 そう言われたエレオノーラは、一瞬アインに視線を向ける。それに対してアインが笑顔で目配せをすると、彼女は少し考えた上で、必死で平静を装いながら、彼等に伝えるべき言葉を必死でひねり出していく。

「この島の人々との交易こそが、もともと私の本来の目的でした。ですが、それが上手く進む保証がなかったこともあり、誰にも説明せぬまま一人で国を飛び出し、その結果として今回のような不幸な衝突を招いてしまったこと、大変申し訳なく思っています。この上は、私のこの聖印にかけて、必ずこの交易事業を成功させたいと考えております。不幸にも散ってしまった同胞達の命を無駄にしないためにも、皆様、ご協力頂けませんか?」

 彼女のその口調には明らかに不自然さが漂っていたし、彼女のここまでの言動ともやや矛盾を孕んでいる。だが、「言わされている様子」は感じられなかったし(実際、アインにしても彼女がここまで言ってくれるとは思わなかったので、少々驚いていた)、あくまでも彼女自身の意思による「方便」であろうことは、ノルドの騎士達にもおおよそ推察出来た。その上で、自分達を助けるために、あえて彼女が自分から「そういうこと」にしておいてくれているのだろうと察した彼等は、深々と頭を下げる。

(まだ色々と詰めは甘いが、この姫様、成長すればいい君主になるかもしれんな)

 アインは内心そう思いながら、ひとまずこの非公式交渉を終え、エレオノーラと連名で、ノルドの海洋王エーリクへの「親書」をしたためる。そして捕虜達のノルドまでの送迎は「偶然島の近くを通りかかった善意の女海賊」が引き受けることになった。

4.2. 友としての見解

 それから数日後、楽園島に一人のパンドラの魔法師が来訪した。異国情緒溢れる独特の装束を身にまとい、左右で異なる色の瞳を持つ、長い黒髪のその男の名は、シアン・ウーレン(下図)。ブレトランド・パンドラの一員と名乗りながらも、実際にはどの派閥にも所属せずに活動する孤高の錬成魔法師である。


 彼はアインからの要望を受けて、出張先のコートウェルズから呼び戻された。理由は二つある。まず一つは、彼はブレトランド・パンドラの中でも指折りの情報通であり、各地の王族・貴族達の外見についてもある程度まで把握しているからこそ、彼ならば「リカ」の正体が分かるのではないか、と考えたからである。
 到着と同時に、彼はアインの執務室へと招かれた。同じ部屋には、モルガナ、エイト、ウチシュマの三人もいるが、リカはいない。まずはリカに知らせる前に、その周囲の人々との間で「方針」を確認すべき、というのがアインの考えであった。
 アインはシアンに「EGGが描いたスケッチ」を見せると、シアンはあっさりと言い放つ。

「ヴァレフールのレア・インサルンド姫だな。間違いない」

 その名前に聞き馴染みがなかった三兄弟が困惑していると、アインが補足する。

「レア姫はヴァレフール伯爵ワトホートの次女だ。現在は次期伯爵の最有力候補と言われている。だが……」

 説明しているアイン自身がやや困惑した表情を浮かべつつ何か言おうとしたところで、エイトが口を挟む。

「行方不明になっていたのはフィーナ姫の方であって、レア姫ではないのでは?」
「あぁ。レア姫は数ヶ月前にサンドルミアからヴァレフールに帰国して、今もヴァレフールにいる筈だ。つまりそれは……」

 アインがそこまで言ったところで、今度はシアンが口を挟む。

「おそらく、今ヴァレフールにいるのは、影武者か何かだろうな。姿を似せる方法なんて、いくらでもある。実際、君にだってそれは可能だろう?」

 そう言われたアインは、黙って頷く。彼は生命魔法を極限まで極めた魔法師であり、自分や他人の外見を変える魔法を用いることは出来る。

「それに、手紙の中にあった内容から、おおよその察しはついていたんだ。おそらくは、自分の聖印の規模では浄化しきれないほどの混沌核を浄化しようとして、失敗して聖印を混沌核に書き換えられてしまったんだろう。それで『ヴァレフール伯爵家の娘』が『蜥蜴のような姿』になってしまったのだとしたら、それは私がこれまで実証しようとしていた仮説の正しさが証明されたようなものだ。つまり、マルカートの血族の誰かであれば、その聖印を成長させた上でその聖印を割ることによって、再び彼女と同じような巨大魔獣を生み出すことも可能で……」

 自分の世界に浸りながら滔々とそう語っていたシアンだが、アインも子供達もついてこれていない様子だったので、話を本題に戻す。

「さて、その上で、私をここに呼んだのは『王族鑑定士』としての仕事だけではないんだろう、アイン?」
「あぁ。彼女が記憶を失った要因を突き止め、可能ならばその記憶を蘇らせてほしい」

 アインのその発言に対して、三兄弟は目を見開く。真っ先にモルガナが口を開いた。

「出来るんですか?」 
「見てみないと分からないけど、よっぽど高度で意地悪な魔法師によって消された訳でもない限りは、どうにかなると思う。ただ、問題は……」

 シアンがそこまで言ったところで、今度はアインが遮ってその先の言葉を伝える。

「お前達が、それを望むかどうかだ。彼女が記憶を取り戻した場合、彼女は『今の彼女』ではなくなる可能性もある。それでもいいのか?」

 実際のところ、本来ならばこれは三兄弟だけの問題ではない。原理は不明であるものの、今のリカには「他人を巨大化させる能力」が備わっている以上、彼女が「今の状態」のままこの島に居続けること自体が、周囲の外敵に対する大きな抑止力になりうる。そんな彼女が記憶を取り戻した場合、状況次第によっては、彼女はこの島から出て行くと言い出してしまうかもしれない。それは楽園派を束ねるアインにとっては、戦略的に考えて大きな損失である。
 ましてやシアンの推測通りに彼女の正体が「ヴァレフール伯爵位の第一継承者」なのだとすれば、このまま島に留まり続けるとは考えにくい。場合によっては、国に帰った上で、自分達に対して弓引く存在となる可能性すらある。楽園派は現在のヴァレフール内の反体制派とは不戦の密約を結んでいるが(ブレトランド風雲録2参照)、彼女は血統的には体制派側の姫君であり、彼女を支持する者達の背後には聖印教会もいる。そんな彼女が記憶を取り戻した場合、この楽園島自体が危機に陥る可能性すらある。
 だが、状況次第では彼女の存在が(上述のエレオノーラのように)今後の対ヴァレフール交渉における「切り札」となる可能性もある。無論、それは彼女の思惑次第でもあるので、非常に慎重に対応すべき案件であるというのが、この島の住人達の命を預かるアインとしての見解だった。
 そのことを踏まえた上で、それでもアインはあえてこの場に招いた「三兄弟」に、この問題の結論を託すことにした。これまでリカを受け入れ、彼女を守ってきたこの三人にこそ、その決断を下す権利があると考えたからである。そして、今も内心では深い信頼を寄せる「あの男」と、そして自分と共にこの島を守り続けた「彼女達」の間に生まれた彼等ならば、きっと正しい道を選べる筈だと彼は信じていた。
 そして、三人はあっさりと結論を出す。

「リカが記憶を取り戻したいなら、取り戻させるべき」

 それが、彼女の友としての彼等三兄弟の共通見解であった。

4.3. 魔獣少女の決断

 こうして、リカもまたアインの執務室へと呼び出されることになった。戸惑った様子の彼女に対して、エイトが事情を説明した上で、改めて彼女に問いかける。

「リカ、君は、記憶を取り戻したいかい?」

 それに対してリカが少し迷った表情を浮かべていると、彼はそのまま彼女に語りかける。

「別に、無理に記憶を思い出さなくてもいいんだよ。ここは『どんな人でも暮らせる楽園』なんだから。過去がなくたって、リカは僕達の友達だ」

 実際、彼の中ではそれは「どちらでもいいこと」だった。ただ、一つだけ嘘が混ざっている。彼の中ではこの島は決して「楽園」などではなく、あくまでも「掃き溜め」にすぎない。それでもあえてこのような言い方をしたのは、ただの彼の虚言癖故なのか、それとも今のリカに対してはそう伝えた方が良いだろうと考えたからなのか、おそらくそれは彼自身も自覚していない。
 そんなエイトの言葉を受けて、リカはまだ少し躊躇しつつも、「彼女の中で一番気になっていること」を確認する。

「私の記憶を元に戻した場合、『記憶を失った後の記憶』はどうなるのでしょうか?」

 つまりは、「今の時点での自分の記憶」が、「記憶を失う前の自分の記憶」に置き換えられてしまうのかどうか、ということである。彼女にとっては、失われた記憶を取り戻したい(取り戻さなければならない)という気持ち(使命感)がある一方で、この数ヶ月の間にこの島の中で培った記憶を失ってしまうことは耐え難いという思いもあった。
 当然、それに関してはエイトが分かる筈もないのでシアンに視線を向けると、彼は涼しい顔で淡々と答える。

「確証はないが、残る可能性が高い。もっとも、消したいと思うなら消すことも出来るけどね」

 人によっては、「記憶を失う前」と「記憶を失った後」で全く異なる人生を歩んだ結果、真逆の価値観を抱いてしまうことによって、その二つの記憶の混在に苦しむことになる者もいる。実際、以前にシアンが記憶を復元させた少女がそのような状態に陥ったこともあるため(ブレトランドの英霊2)、彼としては事前に「その選択肢」も提示することにしたのだが、その話を聞いたリカは、決意を込めた瞳でシアンに訴えた。

「今の記憶も残る形で、失う前の記憶も戻して下さい。お願いします」

 その言葉と共に、蜥蜴のような黒目がちな瞳で熱視線を向けられたシアンは、微笑を浮かべながら、部屋の隅の椅子に座っていた彼女に近付いていく。

「分かった。じゃあ、ちょっと失礼するよ」

 そう言ってシアンがリカに近付こうとした時、彼はリカの右手に嵌められた指輪を一瞬だけ凝視する。

(この子がレア・インサルンドだとするならば、あれはおそらく「風の指輪」。「英雄王の六つの輝石」の一つか……。これもこれでじっくり鑑定させてほしいところだが、まぁ、今はそれ以上に「この子自身」の方が興味深い……)

 内心そんなことを考えながら、彼はリカの額に手を当てる。蜥蜴のようなゴツゴツしたその感触を確認しつつ、その身体が確かに「混沌」の産物であることを実感する。

(惜しいな……、このまま混沌を与えて成長させれば、第二のマルカートになるかもしれないのに……。いや、自らを巨大化させるのではなく、他人を巨大化させるという意味では、七騎士の誰とも違う独自の力でもある。それはレア姫がもともと「癒しの聖印」の持ち主の力であるが故なのか、あるいは、エルムンドの血が加わったことによる影響なのだろうか……。まぁ、彼女が記憶を取り戻したとしても、この混沌核が元に戻る訳ではないし、上手く説得して『こちら側』に引き込むことが出来れば……)

 シアンがそんな物思いに耽っていると、向かいに座っているアインが(形の上では笑顔を浮かべながらも)冷たい視線を向けているのに気付く。

(余計なこと考えてんじゃねーぞ!)
(あぁ、はいはい。やりますよ、ちゃんとね……)

 目線でそんな会話を交わしながら、シアンはリカに目を閉じさせ、その手から混沌因子を注ぎ込み、リカの脳内の様子を確認していく。

(これは、魔法による隠蔽ではないな。ただの外的衝撃による一時的な記憶喪失だ。この程度なら、ほいほいっと……)

 シアンはリカの脳内で混沌因子を自在に操り、彼女の記憶の中に偶発的に発生していた「記憶の扉の鍵」を取り除く。そして彼はリカから手を離し、問いかけた。

「あなたの名は?」

 リカはゆっくりと目を開け、そして、明らかに先刻までとは異なる表情を浮かべながら、静かにな口調でゆっくりと答えた。

「私は、レア・インサルンド。ヴァレフール伯爵ワトホートの次女です」

4.4. 三つの選択肢

 「リカ」あらため「レア・インサルンド」は、全てを思い出した。シアンの推測通り、彼女は留学先のサンドルミアにて、巨大な混沌核の浄化に失敗して、その身を「今の姿」に変えられてしまったらしい。

「私にはもともと『影武者』を務めている幻影の邪紋使いがいます。おそらく、今、ヴァレフールで『レア・インサルンド』として振舞っているのはか……、彼女でしょう」

 実際のところ、その邪紋使いの「本当の性別」についてはレアも知らないのだが、ひとまずここは「彼女」と呼んでおいた方が話が通じやすいと思ったレアは、そう説明する。その上で、彼女はその場にいる人々に対して深々と頭を下げた。

「今まで、見ず知らずの私のことを助けて下さり、本当にありがとうございます。皆様から受けた数々の御恩は、今も私の心にしっかりと刻まれています。そして、この記憶を消さずに残して下さったことにも、本当に感謝しています」

 見た目は「小型の魔獣」の姿のままながらも、これまでとはどこか異なる雰囲気を醸し出している彼女に対して、アインと三兄弟がどう反応すべきか戸惑っている中、シアンが彼女に対して淡々と問いかける。

「さて、では姫様、これからどうなさいます?」
「私は……、出来ることならば、本来の姿に戻りたいです。ここまでご迷惑をおかけした上で、更にこのようなことを申し上げるのは大変心苦しいのですが、この姿を元に戻す方法について、何か心当たりはないでしょうか?」

 そう懇願する彼女に対して、シアンは苦笑を浮かべる。

(まぁ、そうなるだろうとは思ったがね……。仕方ない。ここはひとまず素直に答えておくか)

 内心でそんな独り言を呟きながら、彼は淡々と語り始める。

「選択肢は三つあります。一つは、あなたのその混沌核を、『聖印』と同じような性質を持つ『擬似聖印』に書き換えること。実はこの世界には、それが可能な君主が一人だけいるのです」

 シアン曰く、その君主は現在、ブレトランドの北に位置する(「龍の巣」の異名を持つ)コートウェルズ島にいるという(ブレトランドの英霊7参照)。ただ、その力によって書き換えられた「擬似聖印」は、通常の聖印と同じような力を発動させることは出来るものの、混沌核を浄化することは出来ず、そして「他人の聖印」と融合させることも出来ない。つまりは、「君主に近い存在」にまでは戻れるものの、「ヴァレフール伯爵家の聖印」を引き継ぐことは出来ない、ということになる。

「二つ目の選択肢は、あなたのその身体の混沌核を身体から除去する方法です。私の知る限り、それが可能な者はこのブレトランド内に少なくとも一人います」

 その人物は現在、アントリア北東部のラピス村で領主を務めているらしい(ブレトランド八犬伝・簡易版参照)。ただ、アントリアはヴァレフールとは敵対関係にある以上、協力してくれる保証はない。また、今のレアほど身体中が混沌核に覆われた状態においては、それを除去することによって身体そのものが消滅してしまう可能性もあるという。

「そして最後の選択肢は、外見だけを変えて、中身の混沌核を浄化するのを諦める、という道です。このアインの生命魔法の力を用いれば、このスケッチに描かれたあなたの姿とそっくりに、あなたの姿を上書きすることは可能です。そうだろう、アイン?」

 それに対してアインは頷きつつ、説明を補足する。彼はどんな口調で語るべきか迷いつつ、ひとまずここは(「伯爵令嬢」ではなく)「リカ」に対する「いつもの口調」で語りかけた。

「正確に言えば、その場合、二つの方法がある。一つは『外見』だけを作り変える方法。この場合、身体の内側はその魔獣のままなので、こないだ使ったような『魔獣としての能力』を維持することは出来る。ただ、その場合は『人』としての本来の能力、たとえば『人間の子供を産む能力』を持つことは出来ない。もう一つは、身体の中身そのものを完全に『人間の女性』に作り変える方法だ。この場合、魔獣としての能力は失われるが、普通の女性と同じように子供を作ることも可能になる」

 その説明をしている中、シアンは「二つ目の方法は、教えないでほしかったな」と内心で思っていたが、アインはそんな彼の思惑を察しつつ、気にせずそのまま話を続ける。

「ただし、どちらにしても、体内に混沌核は残る。だから、それを除去しなければ『君主』には戻れない」

 そこまで聞かされたレアは、しばらく考え込み、三人に相談しようとするが、三人共「リカの望むままにすればいい」と目線で訴えていることに気付く。そんな彼等の想いを受け取った上で、彼女は一つの「暫定的な結論」を下す。

「まずは一度、ヴァレフールに帰ります。その上で、私の代役を務めてくれている影武者と、彼女と共に私の留守を守ってくれている人々と相談した上で、どうするか決めたいと思います」

 現実問題として、今の彼女にはそれ以上の結論は下せない。というよりも、まず、今、ヴァレフールがどのような状態にあるのか、ヴァレフールの中にいる「自分」がどのような立場にあるのかを確認しなければ、結論の下しようがない状態であった。

「分かった。じゃあ、僕も一緒について行くよ。さすがに一人じゃ心配だ」

 エイトがそう言って立ち上がると、横の姉と妹も手を挙げる。

「モルガナもいくよ」
「私も〜」
「えー、お前らもかよー、別にいいよ、来なくても」

 エイトがうんざりした顔でそう言うと、扉の向こう側から、別の少女達の声も聞こえてきた。

「そういう台詞は、一人で何でも出来るようになってから言うことじゃな」
「あの……、もしよろしければ、私も、ご一緒させて頂けないでしょうか……。今度こそ、お役に立ちたいです!」 

 そう言って、サンクトゥスとエレオノーラが現れる。どうやら彼女達も話を密かに盗み聞きしていたらしい。おそらく、アインはそのことに気付きつつ、あえて放置していたのだろう。
 複雑な表情を浮かべる少年、やる気に満ち溢れた姉、やる気があるのかないのかよく分からない妹、からかうような表情で見つめる聖剣、そして汚名返上に燃える異国の姫。そんな少年少女達に囲まれて、レアは感涙を抑えるので必死であった。

(私は、この人達への恩義は絶対に忘れない。これから先、どんな道を辿ることになろうとも、いつか必ず、この恩義には報いてみせる)

 彼女がそう決意を固める中、部屋の隅に無造作に置かれていた巨大卵は一人静かに心の中で独白する。

(もう少し、彼等の物語を眺めていたかったけど、とりあえず今回の旅で疲れたから、私はお休みさせてもらいます。旅から帰ってきて、また一段と成長した皆さんの姿を絵画にさせて頂く日を楽しみにしていますよ)

 無論、そんなウサギの思いに気付く者など誰もいない。そしてレアもまた、誰にも気付かれないまま、窓の外に広がる空を見ながら、祖国ヴァレフールへと想いを馳せていた。

(待っててね、パペット。そして、トオヤ……)

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最終更新:2018年03月10日 02:59