現象判断のパラドクス

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  • 現象判断のパラドックス
    現象判断のパラドックス(英:Paradox of phenomenal judgement)とは、心の哲学において議論される意識についてのパラドックスである。現象報告のパラドックスとも呼ばれる。「現象」とは意識の主観的側面である現象的意識やクオリアのことである。デイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレムについて論じた文脈で言及したパラドックスであり、「現象的意識が脳の物理状態に対して何の影響も及ぼさないなら、なぜ私達は現象的意識やクオリアについて判断でき、また語れているのか?」という問題である。 このパラドックスは意識というものを、機能的意識と現象的意識という二つの概念(意識の二面性)に分離することから生じるものである。二元論の立場では、現象的意識は物理的性質には還元できないものとするが、同時に物理的なものが因果的に閉じていること(物理領域の因果的閉包性)を認めるならば、現...
  • 中立一元論
    ...か、また因果的提灯や現象判断のパラドクスを回避できるかが課題となる。 中立一元論のバリエーションの一つであるトロープ説では、心的性質と物理的性質はコインの表裏のように不可分なものとして心的因果を擁護しようとするが、しかしその不可分性の強調は、心的性質の物理的性質への依存に過ぎないと物理主義者は批判している。 参考文献 S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999年 参考サイト http //en.wikipedia.org/wiki/Neutral_monism
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  • 因果的閉包性
    物理的領域の因果的閉包性(英 Causal closure of physics)とは、「どんな物理現象も物理現象のほかには一切の原因を持たない」とする原理のこと。物理的閉鎖(英 physical closure)、物理的な閉鎖(英 closed under physics)などとも呼ばれる。 心の哲学においては心的因果の問題、つまり現象的意識やクオリアが物理的な身体や脳に、いかに作用するかという議論において、二元論への批判として提示される概念であり、クオリアなどを持ち出さなくても、脳細胞に起こっている現象を解明すれば人間の行動は神経科学的に説明できるという物理主義的な立場である。 物理的なものが本当に因果的に閉じているのかという点については、少なからぬ学者・科学者から大いに疑問視されている。例えばカール・ポパーは「宇宙というのは一部には因果的であり、一部には確率的であり、...
  • 随伴現象説
    概説 利点と問題点 概説 随伴現象説(ずいはんげんしょうせつ、英:Epiphenomenalism)とは、物質的な脳と現象的意識やクオリアといった心的なものとの因果関係(心的因果)についての仮説で、心的なものは物質的な脳の作用に還元できないが、脳の作用に付随して生じるだけの現象にすぎず、物質的な脳に対して何の作用ももたらさない、とするものである。物理領域の因果的閉包性を前提にして主張される。 T.H.ハクスリーは随伴現象説のセオリーを「警笛と機関車」の例えで説明している。機関車は警笛を鳴らすことができるが、警笛は機関車を動かすことはできない。「警笛と機関車」を「物質と意識」に置き換えればわかりやすい。 心的なものの状態は脳の物理的な状態によって決まるが、心的なものは脳の物理的な状態に対して何の影響も及ぼさない。 これが随伴現象説の主張である。 随伴現...
  • マリーの部屋
    概説 知識論法 三種類の応答タイプA タイプB タイプC 派生問題 概説 マリーの部屋(英:Mary s Room)、またはスーパー科学者マリー(英:Mary the super-scientist)とは、1982年にフランク・ジャクソンが提示した物理主義、特に機能主義を批判する内容の思考実験である。 マリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋に閉じこもり、白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査している。彼女の専門は視覚に関する神経生理学であり、我々が熟したトマトや晴れた空を見るときに感じる「色彩」についての全ての物理学的、神経生理学的情報を知っている。また「赤い」や「青い」という言葉が我々の日常生活でどのように用いられ、機能しているかも知っている。さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろう。彼女は何か新しいこと...
  • 無限論
    1 はじめの一歩 2 無限論と実在論 3 ゼノンのパラドックスの終着点 4 カントによる無限批判 5 形而上学無限の不可能性 6 物理学による形而上学的無限の回避可能性 7 数学的無限と形而上学的無限の不調和 8 結論――実在論の最期 9 無限の派生問題 1 はじめの一歩 人生の道を一歩踏み外せば奈落に落ちる。僅か一歩には生死を分ける重大さがある。それは学問の道でも同様であろう。しかし哲学での無限についての議論では、その一歩の重大さが忘れられているように思える。はじめの一歩を踏み間違えていたなら、その後いくら懸命に歩を進めようと間違った地に行く着くしかない。 ゼノンのパラドックスは二千年以上にわたって夥しい学者たちが反駁を試みてきたが、今日でもなお議論が続いており、未だ万人が納得する解決法が発見されていないように思える。大森荘蔵は、ゼノンの主張は詭弁であるという前提からパラ...
  • 動物の心
    (以下は管理者の見解) 動物にも何がしか「心」のようなものがあるというのは大半の動物学者が認めていることである。根拠のひとつは振る舞いが人間と似ているということである。動物には自分の心の状態を報告する人間的な言語を持たないが、猫でも石が当たって怪我をすれば人間のように痛みを感じているよう振る舞って泣き声を上げる。もうひとつの根拠は人間同様に目、耳、鼻といった感覚器官をもち、神経構造もまた人間と似ているということである。特に哺乳類の場合は人間と類似した構造の脳――意識活動に十分と推定できる脳細胞を持っている。それらから動物にも心のようなものがあると類推することができる。 成長したチンパンジーの知能は一般的に人間の三歳児ぐらいといわれる(科学的な根拠は不明)。人間の一、二歳児に心があると認めるならチンパンジーに心がないと考えることの方が難しいだろう。しかし動物にも心があると仮...
  • テセウスの船
    概説 ジョン・サールの解答 概説 テセウスの船(英 Ship of Theseus)とは「同一性」についての思考実験。テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体を構成する部分が徐々に置き換えられ、やがて全てが置き換わったとき、以前の物体と同じであると言えるのか、という問題である。 同じ川に2度入ることはできないというヘラクレイトスの主張も類似の問題である。またデレク・パーフィットは人格の同一性の問題において、人間の脳細胞を他者の脳細胞と徐々に置き換えていくという同型の思考実験を行っている。(この場合はテセウスの船と異なり自己について重大な問題が派生する) プルタルコスは以下のようなギリシャの伝説を挙げている。 テセウスがアテネの若者と共にクレタ島から帰還した船がある。アテネの人々はこれを後々の時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置...
  • 意識の境界問題
    概説 意識の統一性 中心と周辺 組み合わせ問題 きめの問題 解決へのアプローチ 概説 意識の境界問題(英:Boundary Problem of Consciousness)とは、人間の意識が宇宙の構造のあるレベル、つまり「脳」という単位において、統一的に、かつ境界をもって存在しているのはなぜなのかという問題。心の哲学において意識のハードプロブレムと関わる問題のひとつとして議論される。2004年にアメリカの哲学者グレッグ・ローゼンバーグによって提起された。 個人が体験するのはこの世界にある意識体験のごく一部である。例えば隣にいる他人が酷い虫歯の痛みに苦しめられていたとしても、自分がその痛みを感じるということはないし、また地球の裏側で誰かが幸福の絶頂を噛み締めていたとしても、自分がその喜びを感じるということはない。つまり意識体験は境界を持って個別化されている。 意識は...
  • パルメニデス
    概説 思想とその影響 「ある」の解釈 パルメニデスのアポリア 心の哲学におけるパルメニデスのアポリア 概説 パルメニデス( Parmenide-s 紀元前500年か紀元前475年-没年不明)はギリシアの哲学者で、エレア派の祖。「ある」と「ない」の概念を考究し、西洋哲学において最初に一元論を主張した。形而上学の創始者といわれ、また感覚よりも理性による判断に重きを置いたため合理主義の祖であるともいわれる。アナクサゴラスの弟子クセノパネスに学んだとも、ピュタゴラス学派のアメイニアス(Ameinias)に師事したとも伝えられる。 「あるものはある」「ないものはない」という自明な前提から、存在を論理的に限界まで考究したパルメニデスの哲学は、それまでの哲学の常識を覆す途方もない試みであり、生成消滅、運動変化、多数性といった自然現象の根本原理を否定するものだった。 プラトンによれ...
  • イマヌエル・カント
    概説 物自体と認識の形式 統覚 アンチノミー 補足 概説 イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724年4月22日 - 1804年2月12日)は、プロイセン王国出身の思想家で大学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書が有名である。認識論における「コペルニクス的転回」という方法論は、経験そのものでなく経験を成り立たせている条件を考究するものであり、「超越論的哲学」と呼ばれる。「超越論的」を「先験的」と訳すこともある。また認識の構造と形式だけを扱うので「形式主義」とも呼ばれる。ドイツ観念論の哲学者たちは超越論的哲学を引き継いでおり、カントは近代において最も影響力の大きな哲学者の一人である。 カントはイギリス経験論、特にデイヴィッド・ヒュームの懐疑主義に強い影響を受けた。そしてライプニッツ=ヴォルフ学派の形而上学を「独断論のまどろみ...
  • 現象
    現象(英 phainomenon)とは、人間の意識に「現れ」るもののことである。人間によって知覚・理解される全てのものごとは現象である。対義語は「本質」または「実在」。 人間は実在を理解することは不可能であり、現象のみを理解できるのだから、実在を想定することは無意味だとする立場が現象主義である。 現象は外的知覚による物的現象と内観による心的現象とが区別される。「表象」や「クオリア」、また「観念」や「思惟」と呼ばれるものは、全て現象の一種といえるものであり、その現れ方や性質によって分類されているにすぎない。 現象に対する立場には以下のようにいくつかの立場がある。 (1)現象をもたらす普遍的実体があることを想定する観念論的立場。プラトン、プロチノス、J.ヘルバルト、R.ロッツェなどに代表される。 (2) 現象界を叡智界から区別し、現象をもたらす実在・...
  • デイヴィッド・チャーマーズ
    概説 意味の一次内包と二次内包 構造的コヒーレンスの原則 構成不変の原則 情報の二相説 汎経験説 補足 概説 デイビッド・ジョン・チャーマーズ (David John Chalmers、1966年4月20日 - )はオーストラリアの哲学者。1982年、高校生のとき数学オリンピックで銅メダルを獲得する。インディアナ大学で哲学・認知科学のPh.Dを取得。2006年現在オーストラリア国立大学の哲学教授であり、同校の意識研究センターのディレクターを務めている。心の哲学において意識のハードプロブレムをはじめ多くの問題提起をし、この分野における指導的な人物の一人となっている。 チャーマーズはクオリアと呼ばれる内面的な心的体験を、実体(英 entity)的に捉え、質量やエネルギーなどと並ぶ基礎的な物理量のひとつとして扱い、その振る舞いを記述する新しい物理学を構築すべきだと主張する。そして...
  • 無主体論
    概説 非人称表現 直接経験 デカルト的自我との対比 シュリックの無主体論 ウィトゲンシュタインの無主体論 ラッセルの無主体論 派生問題 概説 無主体論(英 No ownership theory / No subject theory)とは、意識作用について、思考したり知覚したりする「主体」を想定する必要はないとする説である。 たとえば感覚などは、一般的には「私は痛い」というように表現するが、実際の痛みは現れた時点で誰のものであるか決定しており所有関係を問うことは出来ない。つまり「私は痛い」という文の「私は」という語は、何の機能も果たしていないため、不要であると考える。これはルネ・デカルトが懐疑主義的方法の果てに見出した「我思うゆえに我あり」を批判的に検証し、認識の主体である「我」の存在を必要としないとするものである。認識の所有者の存在を否定するため「非所有論」とも呼ばれる...
  • カント『純粋理性批判』の検証
    1 観念論の困難 2 『純粋理性批判』の目論見1――世界の観念性の証明 3 『純粋理性批判』の目論見2――自然科学の根拠付け 4 純粋理性と実践理性の境界 1 観念論の困難 私は超能力で自由自在に空を飛べる。何年か前には地上から三千メートルぐらいの高空を飛んだことがある。綿のような白い雲を突きぬけ遥か下方の街並みを見ながら飛び続けたのだが、飛んでいる最中ふいに超能力が消えて転落してしまうのではないかという不安もよぎった。そんな不安を駆逐するように自分は空を飛べるのだと強く信じて風を切りながらひたすら飛び続けた。転落の恐怖と戦いながら遥かな高空を飛び続けるのは痺れるほどの快感であり、これは人生で五番目ぐらいの素晴らしい経験だった。 夢での経験を上のように位置づけていけない理由はない。特に私は存在論的に反実在論の立場である。この立場では夢の経験も現実の経験も「経験」ということで...
  • 現象主義
    概説 前史 方法論論理実証主義 批判と補足 概説 現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 ...
  • 大森荘蔵
    二元論の否定 普遍概念と無限集合 重ね描き 立ち現れ一元論 実在論批判 自我と他我 時間論 無主体論と無時間論 大森荘蔵(おおもり しょうぞう、1921年8月1日 - 1997年2月17日)は日本の哲学者。独自の現象主義的な思考方法によって、独我論的な「立ち現れ」一元論を主張した。中島義道は大森哲学を「独我論的現象一元論」と定義している(*1)。 1944年東京帝国大学理学部物理学科を卒業。その後1949年東京大学文学部哲学科を卒業する。戦後アメリカのスタンフォード大学、ハーバード大学に留学し、分析哲学の影響を受ける。帰国後東京大学教養学部助手を経て、さらに留学後、東京大学教養学部教授(科学史・科学哲学科)に就任。現在第一線で活躍中の多くの日本の哲学者たちを育て、影響を与えることとなった。 大森の弟子たちによると、「哲学とは、額に汗して考え抜くことである」という信念...
  • 時間と空間の哲学
    ...心的因果が排除され、現象判断のパラドクスという問題が生じてしまう。そして物質的な脳からいかにクオリアが生じるのかという意識のハードプロブレムも解決困難な難問として残存したままの状態である。 しかし、時間・生成・変化といったものの非実在を主張するブロック宇宙説では、それら心の哲学の難問が一挙に解決する可能性がある。ブロック宇宙説では因果関係や時間の矢を問うことは無意味なので、心身関係や心的因果を云々する意味がない。橋元淳一郎がいうように「あらゆる事象は在るがままに在る」のだから、脳の状態と対応関係にあるように見えるクオリアが、ただ存在しているだけということになり、物質的な脳からいかにクオリアが生じるのかというハードプロブレムも消滅することになる。 時間の実在性を否定した場合、青山拓央がいうように「狂気」としか表現できないような、あらゆる常識が崩壊した世界観が帰結すること...
  • 現象的意識の非論理性
    1 「変化」という矛盾 2 心の哲学における「変化」の説明 3 実在論の無意味 4 物理法則の内在性 5 心脳問題 6 現象主義的心脳同一説 7 時間・因果の非実在 8 無時間論の可能性 9 補足 1 「変化」という矛盾 目を閉じると闇になる。私はその闇に美女でも戦車でも銀河系でも思い浮かべることができる。そして次にはその美女も戦車も銀河系も消すことができる。これは魔法や奇跡としか形容しようのない不思議なことである。 意識に現れる現象は次々に変化する。これは一般人には当たり前のことと思われている。しかしその変化なるものは紀元前にパルメニデスが指摘したように、論理を逸脱した不思議なものである。変化とは「ある」ものが「ない」ものになることであり、「ない」ものが「ある」ものになることである。「無からは何も生じない」というのは世界の基本原理である。逆に言えば存在していた何かが無にな...
  • 夢と現実と真実と
    1 夢の懐疑 2 現象主義と可能世界論 3 マクタガートに見る「変化」の難問 4 変化のパラドックス――四次元主義の破綻 5 独今論 6 無世界論 7 真実の行方 8 私の死と世界の死 9 夢と現実と真実の狭間で 1 夢の懐疑 幼い頃に恐ろしい体験をした。或る真夏の夜、私は両親と二人の兄弟と共に、家族五人で一つの部屋で寝ていた。家の一階北側の部屋で、中庭に面した窓を網戸にして涼を取っていた。エアコンがまだ高価だった昭和の時代のことである。 深夜、どさっと何かが落ちるような音がして目が覚めた。見ると畳の上でどす黒い異形のものが蠢いていた。蛇だった。一匹の大きな蛇が長い総身を奇怪に絡めて波打っているのだった。誰かが悲鳴を上げた。父が大急ぎで網戸を外して手に持ち、その網戸で蛇をつついたり掬ったりして、なんとか掃き出し窓から庭へ払い出した。そしてガラス戸を厳重に閉めた。どこから蛇が...
  • 現象的意識
    現象的意識とは、意識の性質のうち、客観化できない主観的な内容のことである。心の哲学においては、客観化できる意識の機能的な側面と対比させて、現象的な側面を指す場合によく使われる。 クオリアという用語は現象的意識とほぼ同じ意味で用いられることがある。たとえば表象主義では、意識の「現象的側面(phenomenal aspect of consciousness)」がクオリアと呼ばれる。 現象的意識という用語はネド・ブロックが案出した。ブロックは「現象的意識(phenomenal consciousness)」と「アクセス意識(access consciousness)」を区別した(Block 1995)。 ブロックは現象的意識の本質を、トマス・ネーゲルが「コウモリであるとはどういうことか」という論文で述べた語句を引用して説明する。つまり「生物が意識的な心的状態をもつのは、...
  • 人格の同一性
    1 過去とのつながり 2 記憶説と身体説 3 還元主義と非還元主義 4 物理主義と反物理主義 5 三次元主義と四次元主義 6 独我論と実在論 7 独在性のアポリア 8 クオリアの同一性と非同一性 1 過去とのつながり 年始に親戚回りなどをしていると、稀に十年以上会っていなかった人物に再会することがある。前回見たときは五歳だった少年が、今は中学生になっている。当然、昔の面影は全く消えていて別人に見える。 五歳の時の少年は色白く内気な感じで、いつも携帯ゲーム機をいじっており、私が話しかけてもゲームをしながら「うん」「いいや」とガスが抜けるような気のない返事をするだけだった。ところが中学生になった少年は身体が五倍大きくなり、野球部に入って逞しく日焼けし、私が話しかけると真っ直ぐ私の眼を見て、溌剌としたスポーツマンの声でしっかり受け答えをする。 あの色白で内気だった五歳の少...
  • 廣松渉
    認識論 心身問題 廣松渉(ひろまつ わたる、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は日本の哲学者。東京大学名誉教授。 高校進学と同時に日本共産党に入党。東京学芸大学に入学するが、中退して東京大学に再入学する。当初はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めなどがあってカント研究に専念。東京大学大学院に進学し、1965年に博士後期課程を単位取得退学している。共産党との関係では、1955年の六全協を受け復党するも、翌1956年に出版した共著書『日本の学生運動』が問題とされ離党した。1958年12月に共産党と敵対する共産主義者同盟(ブント)が結成されて以降、理論面において長く支援し続けた。 認識論 廣松は主観・客観図式による伝統的な認識論を批判する。主観・客観とされているいずれの側も二重になっており、全体として世界の存在構造は四肢的だと指摘し、...
  • 実在論論争
    概説 実在論の種類観念実在論 素朴実在論 形而上学的実在論と内在的実在論 科学的実在論 介入実在論 構造実在論 反実在論構成的経験主義 自然主義 非実在論現象主義・懐疑主義・実証主義 規約主義・道具主義・操作主義 社会構成主義・相対主義 心の哲学と実在論論争 概説 実在論(Realism)とは、われわれが認識する現象から独立して、現象を成り立たせている物質や普遍的概念(イデア)などが世界に実在しているという立場である。物質や外界が実在するという場合は、素朴実在論や科学的実在論になり、普遍が実在するという場合は観念実在論になる。実在論と対立する立場は現象主義や観念論である。 歴史的には紀元前のパルメニデスが、感覚で捉えられる現象世界は生成変化を続けるが、そもそも「変化」とは有るものが無いものになることであり、無いものが有るものになることであり、これは矛盾であるとし、感覚を超越...
  • ライプニッツ
    概説 オプティミズム(最善観) モナド(Monades)モナドとモナドとの関係 自我と魂 概説 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646年7月1日(グレゴリオ暦)/6月21日(ユリウス暦) - 1716年11月14日)はドイツ・ライプツィヒ生まれの哲学者・数学者。「モナドロジー(単子論)」を提唱した。心の哲学においてライプニッツのモナド論は「予定調和説」として位置づけられる。 ライプニッツの思想は、哲学、形而上学の範囲にとどまらず、論理学、記号学、心理学、数学、自然科学などの極めて広い領域に広がる。また同時に、それらを個々の学問として研究するだけでなく、「普遍学」として体系づけることを構想していた。ライプニッツは通常、デカルトにはじまる大陸合理論に位置づけられるが、ジョン・ロックの経験論にも学んでいる。精神と...
  • デイヴィッド・ヒューム
    概説 知覚――印象と観念 因果関係論 実体 自我の否定 ヒュームの観念論と自然科学の関係 派生問題――知覚の同一性と意識の連続性 概説 デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)は、スコットランド・エディンバラ出身の、英国経験論を代表する哲学者。スコットランド啓蒙の代表的存在とされる。ジョージ・バークリーの観念論と現象主義を継承して発展させ、自我さえも「感覚の束」であるとしてその実在性を否定した。この自我論は後に無主体論とも呼ばれ、現代の心の哲学では主流の立場になる。 ヒュームは懐疑主義を徹底し、それまでの哲学が自明としていた知の成立過程の源泉を問い、それまで無条件に信頼されていた因果律を、論理的なものでなく連想の産物であると見なし、数学を唯一確実な学問とした。また科学哲学においては自然の斉一性仮説を提唱した。 知覚――印象と観念 ヒューム...
  • バートランド・ラッセル
    概説 心の哲学におけるラッセルの見解 自我論 概説 バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell,OM,FRS 1872年5月18日 - 1970年2月2日)はイギリス生まれの論理学者、数学者、哲学者。 哲学者としては新ヘーゲル主義から経験主義に転向し、初期の論理実証主義に大きな影響を与える。無神論者であった。 ラッセルはウィトゲンシュタインの才能を早くに見抜き、親交を結んで互いに影響を与え合った。しかし後期のウィトゲンシュタインを始めとする日常言語学派には批判的であり、言語の分析を哲学の終点とみなさず、あくまで言語が指示する対象に拘り、独自に形而上学を探究した。 ラッセルは分析哲学の創始者の一人でもあり、その哲学は生涯に渡って変化を続けたものの、哲学的手法は終始一貫して分析的・論理的であった。...
  • 実践理性の方向
    1 実践理性の方向 2 実在論の可能性 3 心脳問題と他我問題 4 無世界論と実在論 5 死と実践理性の彷徨 1 実践理性の方向 その昔、自宅のテレビで映画『2001年宇宙の旅』を見た。映画にモノリスが登場したとき、私は大いなる哲学的驚愕に打ち震えた。宇宙には人知を遥かに超越した何かが確かにあって、モノリスがその何かを象徴していることは、青年だった私にも理解できた。映画を見終えても、私はしばらくテレビの前で呆然としていた。映画を通じて宇宙の神秘を垣間見たという感慨を堪能していたのだ。 ところがそれから何十年も経ち、今DVDで『2001年宇宙の旅』を見直しても、私は大した感慨を得ることができない。 それは今の私が哲学をやっているからである。宇宙にモノリスがあろうとアリスが迷い込んだ不思議の国があろうと、存在するものは単に存在するだけで、「不思議」とは人の心にのみあるの...
  • 書評1
    中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 戸田山和久『哲学入門』 鈴木貴之『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう 意識のハード・プロブレムに挑む』 入不二基義『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』 中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 強引、というより無理過ぎる大森哲学解釈、という印象を受けた。中島は大森の弟子であり、大森と幾度も対話を重ねている。大森に会ったこともない私が異論を挟むのはおこがましい感もあるのだが、大森と同様の現象一元論者として、あえて本書を批評したい。 概説すると、中島が大森哲学批判を通じて主張したのは、「過去時間」と「意識作用」の実在性を認めるしかないということである。穿った見方をするならば、それらの実在性を前提にし、意図的に偏った大森哲学解釈をしたと思える。なに...
  • 永井均
    独在性 累進構造 脱人格的自我 非還元主義 永井均に対する批判と疑問 永井 均(ながい ひとし、1951年11月10日 - )は、日本の哲学者。日本大学教授。自我論・倫理学などを専門分野とする。歴史上のあらゆる哲学は「なぜ私は私なのか、なぜ私は他の誰かではないのか?」というアポリアに答えを与えられず、その意味で哲学は始まってすらいないと言い、「独在性」という概念によって、独自の独我論を展開する。独在性の問題は意識の超難問の一種といえる。永井の独我論はウィトゲンシュタインに大きな影響を受けている。 永井の主張は大きく分けると二つあり、ひとつは「なぜ私は他の誰かではないのか?」という問いが擬似問題ではなく真性の問題であるということ。もうひとつはその「私」の本質は決して他人に理解されてはいけないということである。 独在性 独在性とは永井均の自我論・独我論において用いられる...
  • 水槽の脳
    概説 派生問題 概説 水槽の脳(すいそうののう、Brain in a vat)とは、自分が体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか、という懐疑主義的な思考実験で、1982年哲学者ヒラリー・パトナムによって定式化された。物事の実在性を哲学的に問う際に使用される。水槽脳仮説とも呼ばれる。デカルトが『省察』において、方法的懐疑として行った「夢の懐疑」と同型のものである。 ある科学者が人から脳を取り出し、脳が死なないような成分の培養液で満たした水槽に入れる。脳の神経細胞を電極を通して脳波を操作できる高性能なコンピュータにつなぐ。意識は脳の活動によって生じるから水槽の脳はコンピューターの操作で通常の人と同じような意識が生じる。われわれが現実に存在すると思っている世界は、実はこのような水槽の中の脳が見ている仮想現実かもしれない。世界が実は...
  • 独我論
    概説 各種の独我論 概説 独我論(英 solipsism)とは哲学における認識論の立場の一つ。自分にとって存在していると確信できるのは自分の精神現象だけであり、それ以外のあらゆる存在は疑いうると考える。デカルトが「方法的懐疑」で到達した「今私が考えているということ以外全て疑いうる」という極限の懐疑主義を出発点とし、ジョージ・バークリーの「存在するとは知覚されることである」という現象主義を経て発展した。哲学の歴史上、独我論は認識論における一つの方法論として機能してきた。 各種の独我論 ジョン・R・サールは独我論を以下の三タイプに分けている。 1、心的状態を持つのは自分だけであり、他者とは私の心に現れる現象に過ぎないとする立場。 2、他人も心的状態を持っているかもしれないが、それを確かめる事はできなとする立場。 3、他人も心的状態を持っているとしても、その内容は私と違...
  • 意識のハードプロブレム
    意識のハードプロブレム(英:Hard problem of consciousness.) とは、物理的な脳からどのようにしてクオリアなどの心的現象が生まれるのか、またその心的なものは物理的な脳とどのような因果関係(心的因果)があるのかという問題である。1994年、オーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズによって、これからの科学・哲学の課題として提起された。対置されるのは意識のイージープロブレム(Easy Problem of Consciousness)である。 意識のハードプロブレムは20世紀後半の神経科学の発展によって、意識に関する大きな問題はもう残されていないと考えていた神経科学者や認知科学者に対する批判として提示された。当時の研究者が解決したと考えていたのは意識のイージープロブレム――脳の神経細胞がどのように情報を処理するかという問題であり、その1.5kgの灰色の...
  • アウェアネス
    概説 意識とアウェアネスの違い 概説 アウェアネス(英 awareness)とは、認知科学や心の哲学の用語で、人が自分の精神や知覚の情報にアクセスできて、その情報を直接的に行動のコントロールに利用できる状態(direct availability for global control)」のことを言い、日本語で「気づき」とも訳される。自覚状態を指すため「覚醒」という意味もある。 茂木健一郎は以下のように説明している。 部屋で本を読んでいる時など、突然、換気扇の音や、冷蔵庫の音に注意が向けられることがある。これらの音は、アウェアネスの中ではクオリアとして成り立っていたのであるが、注意が向けられていなかったので、それと把握されたり、言語化されたり、記憶に残ったりすることがなかったのである。(茂木 2004 50) 電車でぼんやり窓外を見ていると、さまざまな光景が...
  • 新神秘主義
    新神秘主義(英 New mysterianism)は、心身問題、つまり心的な意識現象と物質的な脳がどのように関わりあっているのか解明するのは不可能だとする立場のこと。代表的な論者にコリン・マッギンがいる。トマス・ネーゲルも新神秘主義者に分類されることがある。 マッギンは認知的閉鎖説を提唱し、人間が意識の謎、つまり意識のハードプロブレムが解明される可能性に懐疑的である。トマス・ハックスリーは1886年に、「神経組織の活動によって意識状態という驚くべきものが出現することは、物語のアラジンが魔法のランプをこすれば魔人が現れることのようだ」と心と脳の関係を表現した。このハックスリーの言葉は意識現象がいかに奇跡的であるかうまく捉えていたとマッギンはいう。そしてマッギンは心的特性を物理特性に還元する物理主義を批判し、また心的なものの排他性を強調する二元論は脳から心を切り離すようなものだと批判...
  • 観念論
    概説観念論に対する批判 各種の観念論超越論的観念論 ドイツ観念論 イギリスの観念論 主観的観念論と客観的観念論 概説 観念論(idealism)という語は実に多義的であるが、通俗的な意味においては、観念的なものを物質的なものに優先する立場を観念論といい、唯物論に対立する用語として使われる。なお「観念論者(idealist)」の語を最初に用いたのはライプニッツである。 しかし哲学用語としての観念論は、歴史的に以下のような二つの対極的な立場で使われている。 (1)人間が直接経験できないものが実在し、それがわれわれの認識を成り立たせているとする思弁的な立場。プラトンのイデア主義に起源をもつ。新プラトン主義のプロティノスや大陸合理論のスピノザやライプニッツを経て、イマヌエル・カントの超越論的観念論を近代の転換点とする。超越論的観念論はフィヒテやシェリングなどを経由し、ヘーゲ...
  • 形而上学
    形而上学(metaphysics)とは世界の実在や原理についての仮説である。形而上学はmeta-physicsの字義通り物理学(physics)の制約に囚われず、思弁的方法によって世界の真理を探求する。しかし物理学に反するものではなく、形而上学は物理学の知見を包括するものである。 形而上学の多くを占めるのは存在論であるが、認識論も一部含まれる。存在の認識は人の認識能力に制限されるからである。とりわけカント哲学においては存在論と認識論は一致する。カントによれば人の認識はアプリオリな形式によって制限され、現象世界はその形式に従って現れる。しかし物自体(実在)は人間理性が到達できない不可知の存在である。 カント哲学に限らず、形而上学とは認識論と存在論が重心を異にしながらも重なり合った構図となる。ただし近年の認識論は独自に発展して多くの問題領域を持ち、それら問題は個別に議論されてい...
  • 逆転クオリア
    概説 逆転地球 思考実験のアレンジ 概説 逆転クオリア(Inverted qualia)とは、自分と同じ物理現象を体験している他者が、自分とは異なるクオリアを体験している論理的可能性を指摘するもので、哲学的ゾンビ同様の想像可能性論法である。思考実験では同じ波長の光を受け取っている異なる人間が、異なる「色」を経験するパターンがよく用いられる。逆転スペクトル(Inverted spectrum)やスペクトルの反転とも呼ばれる。 例えば自分と他者が同じリンゴを見ていても、自分には赤く見えるが他者には青く見えている可能性があると考える。この場合、その他者には「赤」という言葉がそのリンゴの「青い色」を指しているのだから言葉ではクオリアの逆転を知ることはできない。リンゴの青と他の色とを区別できるのだから色盲テストもパスできるし、信号が赤に変わればその他者は自分と同じように停まる。自分と...
  • 還元主義
    概説 還元の種類 概説 心の哲学における還元主義(Reductionism)とは、心的なものの存在は物理的なものの存在に還元できるという唯物論的な考え方であり、心脳同一説及びトークン同一説を前提とした機能主義や表象主義がその立場である。 還元主義な方法では現象的意識やクオリアは説明できず、心身問題は解決できないとする立場が二元論や中立一元論である。なお唯物論であっても消去主義はクオリアを消去しようとする立場なので還元主義とはいえない(ただし後述する「定義的還元」に該当する可能性がある)。また心理学的な行動主義やブラックボックス機能主義は、クオリアの存在論的身分を棚上げするので還元主義には該当しない。 スティーブン・ホーストは自然科学における還元の限界が心の哲学の議論にも適用できるのではないかと主張している。デイヴィッド・チャーマーズは『意識する心』で、意識が物理的な...
  • 心的因果
    心の哲学における心的因果の問題とは、現象的意識やクオリアなどの心的現象が、いかにして物理的な身体に作用することが出来るのかという、心と体の因果関係の問題であり、これは心的なものと物理的身体は別のものだとする二元論を前提にしたとき生じる問題である。そしてこの問題は、物理的な存在である脳の作用がいかにして現象的意識やクオリアといった心的なものを生じさせるのかという逆の問題(意識のハードプロブレム)と表裏の関係にある。歴史上はじめてこの問題に言及したのはルネ・デカルトであり、彼は実体二元論を前提にして、心的現象と物理的現象は相互に作用しあうとする相互作用二元論を主張した。 現代の脳科学では、心的現象は脳の作用から生じると考えるが、物理領域の因果的閉包性の原理を前提に、その脳から生じた心的現象が、逆に脳に作用するということを認めることができない。従って一部の哲学者は、心的なものは脳の作用に...
  • ヘーゲル
    概説 心の哲学についてのヘーゲルの思想 概説 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年8月27日 - 1831年11月14日)は、ドイツの哲学者。ドイツ観念論哲学の完成者といわれる思想家である。 デカルト的二元論を克服するためにシェリングから「世界精神」の概念を受け継ぎ、心的なものと物理的なものが精神という新たな綜合において存在しているという独自の「絶対的観念論」を提唱した。 ヘーゲル哲学を批判的に継承・発展させた人物としては、セーレン・キェルケゴール、カール・マルクスなどがいる。ポストモダン思想においては、マルクス主義国家における全体主義的傾向は、理性によって人間を含む世界の全体を把握できるとするヘーゲル思想に由来している、という見方がされている。 心の哲学についてのヘーゲルの思想...
  • 付随性
    付随性(ふずいせい、英 Supervenience)とは、ある現象が、それと異なる現象に依存している性質であり、現象同士の非対称的な依存関係を指す。現象Aが現象Bに付随しているということは、Aのどんな変化も、Bの特定の変化に対応しているということであり、Aが完全にBに依存しているということである。逆にBはAに依存せずに変化できる。これが非対称的な依存関係である。 心の哲学における付随性とは、クオリアや現象的意識など心的な性質(高次の存在者)は、ニューロンの活動など脳の物理的な状態(低次の存在者)に付随(supervene)しているという仮説である。心的な存在を「高次」、物理的存在を「低次」とするのは、物理的存在を基礎にして、その上に心的な存在が成り立つという物理主義的前提を含意している。この仮説からは心的因果の問題が派生することになり、さまざまな議論がなされている。 近年...
  • 心身並行説
    心身並行説(英 Psycho-Physical Parallelism)、または単に並行説とは、心と体は存在論的に別の性質としてあるが、お互いがお互いに影響を与えることは出来ないという考え。心的な現象は他の心的な現象と相互作用し、脳で起きた物理的現象は他の脳での現象と相互作用するが、心と物的なものは並行して進んでおり、お互いに影響を与え合っているように見えるのは見かけ上だけであるとする。 この考え方を取った最も有名な人物はスピノザであり、彼は心と体は同一の実体の二つの側面であると考えた。マルブランシュの機会原因論も類似の考えである。 対比される考え方として、心的なものと物的なものがお互いに影響を及ぼしあっているという相互作用二元論、そして心的なものは物的なものに完全に付随して生まれているという随伴現象説がある。 スピノザの心身並行説は、現代の心の哲学においては心的現象と物...
  • 機能主義
    概説 目的論的機能主義 ブラックボックス機能主義 コンピューター機能主義 機能主義に対する批判 概説 心の哲学における機能主義(英:Functionalism)とは、心的な状態とはその状態のもつ機能によって定義されるという立場。 心的状態をその因果的な役割によって説明し、「心とはどんな働きをしているのか」を考えることが「心とは何か」という問いの答えとなるという立場である。 たとえば腕を強く打ったりすることの結果として生じ、打った腕を押さえたり顔をしかめたりすることの原因となる心的状態が「痛み」であるとされる。またそのように因果作用をもたらす心的性質を機能的性質(functional property) という。つまり心的状態とは知覚入力の結果であり、行動出力の原因であり、また他の心理状態の原因や結果であると考える。 行動主義やタイプ同一説の問題点を踏まえた上で、それ...
  • 物理主義
    概説 歴史 物理主義の問題 概説 物理主義(英 Physicalism)とは、この世界の全ての物事は物理的であり、また世界の全ての現象は物理的な性質に還元できるとする哲学上の立場である。心の哲学においては心的なものの実在性を否定して、物理的なものだけが実在するとし、心的因果を否定する。一元論の一種。物質一元論とも呼ばれる。 「唯物論(Materialism)」は同じ立場の思想であり、物理主義という語と互換的に用いられている。唯物論という用語は17世紀のライプニッツによるものであるが、物理主義とは20世紀のオットー・ノイラートの定義によるもので、論理実証主義から派生した概念であり、歴史的脈絡が異なるというだけである。 「物理的」という言葉の定義は、時空間的であり運動できるもの、とされている。 柴田正良によれば、人間の精神を素粒子群の運動や配置に還元するのが素朴...
  • 意識の二面性
    意識の二面性、または意識の多義性とは、「意識」というものには本人にしか知られない主観的側面と、第三者からも観測できる客観的な側面の二つがあるということ。またそのために「意識」という用語がさまざまな意味で使われているという状況を指す。 このような混乱した状況は心の哲学の研究にとって障害となるため、デイヴィッド・チャーマーズは意識という概念を以下のように「機能的意識」と「現象的意識」の二種類に分けた。 1、機能的意識 機能的意識とは、「人間が外部の状況に対して反応する能力」のことである。脳を物体として捉える観点から言えば、入力信号に対して出力信号を返す脳の特性としての意識であり、外面的に観測することができる客観的な特性である。心理学的意識とも言われる。 2、現象的意識 現象的意識とは、「主観的で個人的な体験」のことであり、他者からは観測できない個人の主観的な特性とし...
  • 中国語の部屋
    概説 思考実験の意味 中国語の部屋に対する反論 コンピューターは「心」を持てるか? 概説 中国語の部屋(英 Chinese Room)とは、ジョン・サールが機能主義を批判し、強いAIの実現可能性を否定するため考案した思考実験である。 中国語が理解できない英国人に、沢山の中国語のカードが入った箱と、そのカードの使い方が書かれた分厚い英語のマニュアルを持って部屋に入ってもらう。部屋には小さな穴が開いていて、そこから英国人は中国語で書かれた質問を受け取る。そして英語のマニュアルに従って、決められた中国語のカードを返す。その英国人は中国語の質問と返答の「意味」がわからないにも関わらず、中国語によるコミュニケーションを成立させており、外部の人からは中国語を理解しているかのように見える。 この思考実験でサールが主張するのは、コンピューターが「計算」することと、「意味」を「理解」...
  • ダニエル・デネット
    概説 クオリア批判 人工知能擁護 批判 概説 ダニエル・デネット(Daniel Clement Dennett, 1942年3月28日 - )はアメリカの哲学者。2005年2月現在、タフツ大学教授。同大学認知科学センター監督官。1963年ハーバード大学卒業後、1965年オックスフォード大学にてPh.D取得。ハーバードではW・V・O・クワインに、オックスフォードではギルバート・ライルに師事。心の哲学では物理主義の代表的な人物である。 他者の内省報告を観察データとして認める「ヘテロ現象学」(Heterophenomenology)を掲げ、行動主義に陥ることなく、観察可能なデータから主観的意識の問題を扱えると主張する。 デネットは意識と脳の神経的なプロセスを異なる次元のものとして考えてきた心身二元論というデカルト以来の哲学的伝統を批判する。意識をつかさどる中央処理装置カル...
  • 自然主義的二元論
    概説 自然主義的二元論(英 Naturalistic dualism)とは、デイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレム、すなわち物質としての脳からどのようにして現象的意識やクオリアなどが生まれるのか、という問題に対して取る自分の立場を呼ぶ名称であり、その問題の解決のためには物理学の理論の存在論的拡張が必要だという主張のことである。 自然主義とは、自然が存在するものの全てであり、心的現象を含む一切は自然科学の方法で説明できるとする哲学的立場のことである。 チャーマーズは意識が物理理論に論理的に付随しないことを哲学的ゾンビの思考実験などで論じ、それを理由に、物理特性以外にさらにこの世界を形作っているものがあるとして、以下のように唯物論を批判する。 1、我々の世界には意識体験がある。 2、物理的には我々の世界と同一でありながら、意識体験が無い世界が論理的に存在...
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