モナド

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  • ライプニッツ
    概説 オプティミズム(最善観) モナド(Monades)モナドモナドとの関係 自我と魂 概説 ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646年7月1日(グレゴリオ暦)/6月21日(ユリウス暦) - 1716年11月14日)はドイツ・ライプツィヒ生まれの哲学者・数学者。「モナドロジー(単子論)」を提唱した。心の哲学においてライプニッツのモナド論は「予定調和説」として位置づけられる。 ライプニッツの思想は、哲学、形而上学の範囲にとどまらず、論理学、記号学、心理学、数学、自然科学などの極めて広い領域に広がる。また同時に、それらを個々の学問として研究するだけでなく、「普遍学」として体系づけることを構想していた。ライプニッツは通常、デカルトにはじまる大陸合理論に位置づけられるが、ジョン・ロックの経験論にも学んでいる。精神と...
  • 予定調和説
    ...宙にあるもの全ては「モナド」からなり、各モナドは最善の状態になるよう神によって予め定められていると考える。ライプニッツからすれば心と体というものは、あらかじめ良く調整された二つの時計のように、ぴったりと調子を合わせて進行するように、神が事前に調整してくれているのである。 ライプニッツは、この宇宙には究極的な実体であるモナドだけが存在すると考える点では一元論者であり、そのモナドには一つとして同じものが無く、それぞれパースペクティブを異にする存在であるとした点では多元論者である。彼は世界の全てはモナドに還元できると考えていたが、原子論とは異なり、モナド同士が相互に影響を及ぼすことはなく、モナドは他のモナドに影響を及ぼしているように見えるような方法で神によって作成されたと考えた。これを「予定調和 (pre-established harmony)」の原理という。ライプニッツによれば...
  • 実体
    ...は実体のモデルとしてモナドを考えた。集合的に構成されたものは当然、実在しているとは言えず、その構成要素から、その存在を受け取っているものと考えるほかない。そしてものを要素へと分割していけば、いつかは本当に存在しているものでかつ「まったく要素を持たない厳密に単純な」ものへとたどり着くはずである。このような論理から出てくる非延長的な実体がモナドであった。このモナドは相互作用するかに見える(予定調和)が、それにもかかわらずモナドは、全体としての世界を反映しつつ(モナドは鏡である)、相互に独立している(窓がない)ものと説かれる。 ヘーゲル ヘーゲルはスピノザの唯一の実体である神は自己原因であるという考えを批判的に継受しながら、実体は、絶対知へと自己展開する精神であり、主体として考えるべきだとした。現実に存在するものは合理的であり、その相互対立の弁証法によってますます絶対知の完成へと自...
  • 一元論
    ...nad"(モナド)という言葉で表される。モナドという言葉は「単一の、単独の」といった意味を持つギリシャ語「モノス」に由来し、古代ギリシアのエピクロスやピタゴラスによって最初に用いられた。 一元論は以下のように二つの基本的なタイプに区分される。 1、「一種類」のものだけがあるとする考え 属性一元論とも呼ばれる。一種類のカテゴリーの中にたくさんの個物があるとする。デモクリトスやレウキッボスの原子論では、一種類のアトムが無数に存在しているとされた。現代の物理主義もこの思想の系列上に属している。またある種の観念論(唯心論)では、精神的なものだけが実体として多数存在していると考える。ライプニッツやデイヴィッド・ヒュームがこの立場である。 2、「唯一」のものだけがあるとする考え 数的一元論(numerical monism)または絶対一元論とも呼ばれる。世界...
  • 哲学的ゾンビ
    ...ライプニッツは著書『モナドロジー』の中で、以下のような思考実験を行っている。 ものを考えたり、感じたり、知覚したりできる仕掛けの機械があるとする。その機械全体を同じ割合で拡大し、風車小屋の中にでも入るように、その中に入ってみたとする。だがその場合、機械の内部を探って、目に映るものといえば、部分部分が互いに動かし合っている姿だけで、表象について説明するに足りるものは決して発見できはしない。 この風車の議論から、ライプニッツは、モナド――ライプニッツが存在すると仮定したこの世界の基本的構成要素の、内的な性質として表象を位置づけていく。 2、ラッセルによる世界の因果骨格の議論 20世紀前半、哲学者バートランド・ラッセルが『物質の分析(Analysis of Matter)』(1927年)を中心に様々な著作の中で展開した議論の中にも、同種の議論が見られる。ラッセルは物...
  • 無限論
    ...発見者であり、彼の「モナド」は無限小と解釈されることもある。しかし石黒ひでの解釈では、ライプニッツの無限小とは「いくらでも小さくできる」という操作的な概念であり、ライプニッツはコーシーやヒルベルト流の有限的定義の先駆者である。G.M.ロスの解釈によれば、ライプニッツは数学が属す現象界と、モナドが属する叡智界とを存在論的に厳格に区別しており、ライプニッツの無限小は実在でないという(*28)。なおニュートンは「絶対時間」と「絶対空間」を想定していたことから、形而上学的無限を肯定していたと考えられる。ヘルマン・ワイルはヒルベルトの立場に近い。 ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』には次のような文がある。 空間、時間、そして色(なんらかの色をもつということ)は対象の形式である。(2.0251) 対象が存在するときにのみ、世界の不変の形式が存在しうる。(2.026) ...
  • 人格の同一性
    ...ともライプニッツの「モナド」は、同じものは一つとしてなく、必ず差異があり、固有のパースペクティブをもって世界を表象するものとされる)。つまり A-mindと B-mindはライプニッツの原理から存在論的に同一だと考えることができ、同一であるにも関わらず「私」と「他者」という根源的な差異が実際に生じていることになる。 つまり人格の同一性問題を個別的なクオリアまで還元して考えると、パーフィットが取りこぼした問題が明らかになる。それは意識の超難問と必然的に接続し、「私」というものが有する、物理的性質にも心理的性質にも還元することができない性質が顕わになる。これが永井均が主張してきた「独在性」の核心問題と考えられる。永井が主張する独在性は、問題性を個別の人物から個別のクオリアまで還元すれば明瞭になる。 私は「独在性のアポリア」として以下のように問題を提起する。 アポリ...
  • 夢と現実と真実と
    1 夢の懐疑 2 現象主義と可能世界論 3 マクタガートに見る「変化」の難問 4 変化のパラドックス――四次元主義の破綻 5 独今論 6 無世界論 7 真実の行方 8 私の死と世界の死 9 夢と現実と真実の狭間で 1 夢の懐疑 幼い頃に恐ろしい体験をした。或る真夏の夜、私は両親と二人の兄弟と共に、家族五人で一つの部屋で寝ていた。家の一階北側の部屋で、中庭に面した窓を網戸にして涼を取っていた。エアコンがまだ高価だった昭和の時代のことである。 深夜、どさっと何かが落ちるような音がして目が覚めた。見ると畳の上でどす黒い異形のものが蠢いていた。蛇だった。一匹の大きな蛇が長い総身を奇怪に絡めて波打っているのだった。誰かが悲鳴を上げた。父が大急ぎで網戸を外して手に持ち、その網戸で蛇をつついたり掬ったりして、なんとか掃き出し窓から庭へ払い出した。そしてガラス戸を厳重に閉めた。どこから蛇が...
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