フッサール

心の哲学まとめWiki内検索 / 「フッサール」で検索した結果

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  • 独我論
    ...型である。 フッサールの独我論は、客観的な実在に対する判断を停止して、自分に現れる現象の構造を探究し、それによって自分がどのようなプロセスで「主観と客観」と呼ばれる世界理解を成しうるかを記述しようとするものである。つまりバークリー的な独我論と性質を異にし、フッサールの場合は方法的な独我論である。デカルトが「全てを疑っても、その疑う自分自身の存在は疑えない」という原理から始めたのに対し、フッサールの方法は「全てを疑えるにしても、そのように疑う前提となる対象が現象しているということは疑えない」というものである。 ウィトゲンシュタインは、自己と他者の非同一性の考察から出発した、世界の人間のうち、一人だけ本当の私がいて、他の人間は意識的な存在者ではあっても、この私ではない。すなわち、本当の「私」は自分一人のみであるという主張であり、その独我論的世界観は「私に見えるもの(ある...
  • 現象
    ...るとした。 フッサールの現象学では、現象外部の実在性について判断を中止し、現象の構造を分析し記述するという方法を採用した。カントが感性や悟性といった超越論的な能力をもつ自我を想定したのに対し、フッサールは現象を記述するための手段として自我を(暫定的に)想定したに過ぎない。フッサールは現象について、その背景にある実体などとの相関については想定しない。 参考サイト http //ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E8%B1%A1 http //kamiya0296.blog.so-net.ne.jp/2009-02-09-2
  • ルネ・デカルト
    ...ということになる。 フッサールは自我を経験的自我と超越論的(現象学的)自我に分ける。つまり自我自体をさらに見ている自我の存在を想定する。「自然的見方をする自我としてのわたしは、同時につねに超越論的私でもあるが、しかしわたしは、現象学的還元をおこなうことによってはじめてそのことを知るのである」とフッサールはいう。すなわち、経験的自我と、それを超越論的に還元することによって見出された現象学的自我があるということだ。これはデカルトが同一視した「私は疑う」と「私は考える」を区別し、超越論的還元を行う「疑う私」と、そのような還元によって見出される超越論的主観の区別である。なお、フッサールの「自我」の概念は人間の経験を可能にする原理という意味であり、デカルトがコギトを実在だとしたのと全く異なっている。 バートランド・ラッセルは、コギトを単なる意識内容(コギタティオ)の告知とみなし、「I thin...
  • 志向性
    ...ある。ブレンターノやフッサールの現象学においては、志向性とは意識のあらゆる活動に伴うものであり、すなわち心的現象の本質的な特性であって、心的現象は志向性によって物質的現象から区別できるとされた。 たとえば「愛」とは何ものかを愛することであり、「欲求」とは何ものかを欲っすることであり、「嫌悪」とは何ものかを嫌うことである。心的現象は常に志向対象をもつという説は「ブレンターノ・テーゼ」とも呼ばれる。 また志向的状態は、思考対象とそのアスペクト形態(aspectual shape)をもっている。アスペクト(aspect)とは人が認知をする際の、対象となる事物の現れ方のことである。例えば金星は、ある時は「宵の明星」という現れ方をし、ある時は「明けの明星」という現れ方をする。 ジョン・サールの見解 心の哲学においては特にジョン・サールが志向性の問題に注目しており、著書『...
  • トロープ説
    ...偶有性」を規定した。フッサールの「契機(momente)」や、ベルクマンの「完全個別者(perfect particulars)」、ストローソンの「個別化された質(particularized qualities)」もほぼ同様の概念である。 キャンベル(Campbell 1981)はトロープについてラディカルな立場をとる。彼はトロープを個体に依存しない独立的な存在だと考え、さらにトロープこそが最も基礎的なカテゴリーであり、他のカテゴリーはトロープから構成されると主張する。リンゴも人間も車も諸々の「トロープの和(the sum of tropes)」とみなす。これはラッセルや論理実証主義の感覚与件論や、マッハの感性的要素一元論と類似の方法論である。キャンベルは全てをトロープの集合とみなすことで普遍者を存在論的に消去しようと試みる。 中世の普遍論争では、普遍が実在すると考...
  • ジョン・サール
    概説 心の哲学におけるサールの見解 意味論的外在主義に対する批判 概説 ジョン・サール(John Rogers Searle 1932年7月31日- )は言語哲学および心の哲学を専門とする哲学者。カリフォルニア大学バークレー校教授。ニクソン大統領時代には大学問題大統領特別顧問としても活動した。 人工知能批判で知られ、チューリングテストに対する反論として中国語の部屋という思考実験を提案した。また、言語表現が間接的に果たす遂行的機能(間接発話行為)の研究を行い、ジョン・L・オースティンの後継者と称された。 2000年にジャン・ニコ賞を受賞。 心の哲学におけるサールの見解 サールは心の哲学における自分の立場を「生物学的自然主義(biological naturalizm)」と呼んでいる。これは意識が自然現象のひとつであることを強調するものである。たとえば胃が胃液を...
  • クオリア
    ...なる。ブレンターノやフッサールは志向性が意識の本質だとし、心的状態は全て志向的だと考えた。この"ブレンターノ・テーゼ"に従ってクオリアも志向的であるとする論者がいる。しかしクオリアは非志向的であるとし、意識の「高階の性質」としてクオリアを定義する者もいる。たとえばティム・クレインは、「歯痛」とは歯に対する有向性(志向性)と、歯痛特有の性質(クオリア)を持っているとする。またジョン・サールは、全ての意識状態はクオリアを持つとしながら、「痛み」を感じている場合、「痛み」はそれ自身を超えるものを何も表していないので、志向的ではないとしている。 茂木健一郎によると、クオリアには階層構造がある。クオリアが階層的に集合してより複雑な表象(representation, vorstellung)が生じる。例えばガラスの透明な質感や、ガラスの表面の色はクオリアであり、この...
  • 現象主義
    ...インなどの科学者や、フッサールやウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。 現象主義は、論理実証主義に代表される還元主義的な現象主義と、大森荘蔵に代表される非還元主義的な現象主義に大別される。還元主義的な立場では「感覚与件」という現象の「原子」のような存在を措定し、それらの組み合わせで知覚・観念・思惟など、全ての現象が構成されていると考える。対して非還元主義的立場では、それぞれの現象は他の何ものにも還元できない全一的な存在だと考える。 現象主義はしばしば観念論と同一視される。事実ジョージ・バークリーは現象主義者であり、観念論者でもあった。両者の違いは、現象主義とはあくまで哲学的思考の方法論であり、観念論とはその方法から出発して形而上学的な判断を行うものだということである。 ...
  • 大森荘蔵
    ...ち現れ」という言葉はフッサールの「射映(Abschattung)」からとってきたものだという(*12)。 「立ち現れ」一元論は現象一元論である。心的現象や物的現象がさまざまな思いや構造を持って立ち現れるとし、その現象外部のものについては不可知であるとする。「立ち現われ」には、感覚的な「知覚的立ち現われ」と、非知覚的で思考的な「思い的立ち現われ」がある。 二元論者によれば、知覚は物理的対象の表象である。「表象」という語は表象するものと表象されるものが区別されることを前提している。このような考えに対し、大森は立ち現れが何ものかの表象であることを否定する。二元論者が想定する物理的対象といった私の外界――経験を超越したものは、立ち現れの「外」でなく、立ち現れの「中」で捉えられなければならない。従って立ち現れは「背後をもたない」とされる。このような考え方は「存在とは知覚されるこ...
  • 永井均
    ...などのドイツ観念論やフッサールなどの現象学もこんなやり方で「自我」が存在するかを考えているという。(『〈子供〉のための哲学』p.48) 永井均に対する批判と疑問 (以下は当サイト管理者の見解) 1、永井のいう〈私〉は、デレク・パーフィットがいう自己についての「非還元主義」の一種である。非還元主義では、人格の同一性は単に心理的連続性や物理的連続性だけでなく、それら以外の根本的な「何か」により成り立っていると考える。しかし、永井はその「何か」が同一性のための必要条件であることを論証できていない。またパーフィットは思考実験として、人間を火星に転送する装置によって自分の複製体が火星に生まれてしまうことを想定する。永井によればその時どちらが〈私〉であるかは「まったくの偶然」によって決まると考える(『転校生とブラックジャック』p.111)。パーフィットはさまざまなスペクトラムの思...
  • 中国語の部屋
    概説 思考実験の意味 中国語の部屋に対する反論 コンピューターは「心」を持てるか? 概説 中国語の部屋(英 Chinese Room)とは、ジョン・サールが機能主義を批判し、強いAIの実現可能性を否定するため考案した思考実験である。 中国語が理解できない英国人に、沢山の中国語のカードが入った箱と、そのカードの使い方が書かれた分厚い英語のマニュアルを持って部屋に入ってもらう。部屋には小さな穴が開いていて、そこから英国人は中国語で書かれた質問を受け取る。そして英語のマニュアルに従って、決められた中国語のカードを返す。その英国人は中国語の質問と返答の「意味」がわからないにも関わらず、中国語によるコミュニケーションを成立させており、外部の人からは中国語を理解しているかのように見える。 この思考実験でサールが主張するのは、コンピューターが「計算」することと、「意味」を「理解」...
  • テセウスの船
    概説 ジョン・サールの解答 概説 テセウスの船(英 Ship of Theseus)とは「同一性」についての思考実験。テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体を構成する部分が徐々に置き換えられ、やがて全てが置き換わったとき、以前の物体と同じであると言えるのか、という問題である。 同じ川に2度入ることはできないというヘラクレイトスの主張も類似の問題である。またデレク・パーフィットは人格の同一性の問題において、人間の脳細胞を他者の脳細胞と徐々に置き換えていくという同型の思考実験を行っている。(この場合はテセウスの船と異なり自己について重大な問題が派生する) プルタルコスは以下のようなギリシャの伝説を挙げている。 テセウスがアテネの若者と共にクレタ島から帰還した船がある。アテネの人々はこれを後々の時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置...
  • 機能主義
    概説 目的論的機能主義 ブラックボックス機能主義 コンピューター機能主義 機能主義に対する批判 概説 心の哲学における機能主義(英:Functionalism)とは、心的な状態とはその状態のもつ機能によって定義されるという立場。 心的状態をその因果的な役割によって説明し、「心とはどんな働きをしているのか」を考えることが「心とは何か」という問いの答えとなるという立場である。 たとえば腕を強く打ったりすることの結果として生じ、打った腕を押さえたり顔をしかめたりすることの原因となる心的状態が「痛み」であるとされる。またそのように因果作用をもたらす心的性質を機能的性質(functional property) という。つまり心的状態とは知覚入力の結果であり、行動出力の原因であり、また他の心理状態の原因や結果であると考える。 行動主義やタイプ同一説の問題点を踏まえた上で、それ...
  • 心的因果
    心の哲学における心的因果の問題とは、現象的意識やクオリアなどの心的現象が、いかにして物理的な身体に作用することが出来るのかという、心と体の因果関係の問題であり、これは心的なものと物理的身体は別のものだとする二元論を前提にしたとき生じる問題である。そしてこの問題は、物理的な存在である脳の作用がいかにして現象的意識やクオリアといった心的なものを生じさせるのかという逆の問題(意識のハードプロブレム)と表裏の関係にある。歴史上はじめてこの問題に言及したのはルネ・デカルトであり、彼は実体二元論を前提にして、心的現象と物理的現象は相互に作用しあうとする相互作用二元論を主張した。 現代の脳科学では、心的現象は脳の作用から生じると考えるが、物理領域の因果的閉包性の原理を前提に、その脳から生じた心的現象が、逆に脳に作用するということを認めることができない。従って一部の哲学者は、心的なものは脳の作用に...
  • 還元主義
    概説 還元の種類 概説 心の哲学における還元主義(Reductionism)とは、心的なものの存在は物理的なものの存在に還元できるという唯物論的な考え方であり、心脳同一説及びトークン同一説を前提とした機能主義や表象主義がその立場である。 還元主義な方法では現象的意識やクオリアは説明できず、心身問題は解決できないとする立場が二元論や中立一元論である。なお唯物論であっても消去主義はクオリアを消去しようとする立場なので還元主義とはいえない(ただし後述する「定義的還元」に該当する可能性がある)。また心理学的な行動主義やブラックボックス機能主義は、クオリアの存在論的身分を棚上げするので還元主義には該当しない。 スティーブン・ホーストは自然科学における還元の限界が心の哲学の議論にも適用できるのではないかと主張している。デイヴィッド・チャーマーズは『意識する心』で、意識が物理的な...
  • 消去主義的唯物論
    心の哲学における消去主義(eliminativism)、または消去的唯物論(eliminative materialism)とは、心理学や哲学によって行われている心的活動の説明は、やがて科学に取り込まれ、「心の哲学」は「心の科学」へ、また「素朴心理学」は「科学的心理学(神経科学)」へと自然化されることによって、消去されるとする立場。ポール・ファイヤアーベント(1963)、リチャード・ローティ(1965)によって主張された。現代の代表的な論客はパトリシア・チャーチランド、ポール・チャーチランドである。バラス・スキナーの徹底的行動主義や、ダニエル・デネット、ケヴィン・オレーガンの行動主義は、消去主義と類似の立場である。 消去主義では、素朴心理学に頻繁に登場する精神、信念、欲求といった命題的態度は錯覚であると考え、その実在性を否定する。それらは科学史上のフロギストンやカロリック、エーテ...
  • 中国人民
    心の哲学における「中国人民」、または「中国脳(China brain)」とは、ニューヨーク大学教授の哲学者、ネッド・ブロックが提起した機能主義の限界を示すための思考実験。 中国には十数億もの人民がいるなら、人間の脳で何十億ものニューロンが行っているプログラムと同じステップを、同様に中国人にリレーとして行わせれば、そのリレーに現象的意識は生じるか? というものである。 もちろん、個別の中国人には心的現象はあるだろうが、リレーじたいに現象的意識が生じるわけは無いとブロックはいう。 ジョン・サールによる中国語の部屋も類似の思考実験である。
  • 自己
    概説 還元主義と非還元主義 概説 自己(英:Self)とは、意識される自分自身を言う。「私」に近い概念である。その自己を起点とする意識作用が自我である。自己と自我は混同されて用いられることも多いが、自己と違い自我とは物事を対象化する機能である。 自己は、時間を経ても持続的に存在しているように感じられる。しかし、昨日の自分と今日の自分は同一であるのかと懐疑することができる。この問題は人格の同一性というテーマで考究されている。 還元主義と非還元主義 哲学においては、自己について対極的な二つの考え方があり、デレク・パーフィットは双方の立場を以下のように「還元主義」と「非還元主義」と呼び分けた。(ただし、パーフィットがいう還元主義は、心的な現象は物理現象に還元できるという還元主義とは意味が異なるので注意が必要である) 1、非還元主義 自己がそれ自体で存在するという...
  • アウェアネス
    概説 意識とアウェアネスの違い 概説 アウェアネス(英 awareness)とは、認知科学や心の哲学の用語で、人が自分の精神や知覚の情報にアクセスできて、その情報を直接的に行動のコントロールに利用できる状態(direct availability for global control)」のことを言い、日本語で「気づき」とも訳される。自覚状態を指すため「覚醒」という意味もある。 茂木健一郎は以下のように説明している。 部屋で本を読んでいる時など、突然、換気扇の音や、冷蔵庫の音に注意が向けられることがある。これらの音は、アウェアネスの中ではクオリアとして成り立っていたのであるが、注意が向けられていなかったので、それと把握されたり、言語化されたり、記憶に残ったりすることがなかったのである。(茂木 2004 50) 電車でぼんやり窓外を見ていると、さまざまな光景が...
  • 行動主義
    概説 歴史 心の哲学における行動主義 行動主義への批判 概説 行動主義とは、心理状態は行動状態にほかならないとする理論である。心の哲学においては物理主義の一種である。元は心理学のアプローチの一つで、観察不可能な心の私秘的性質に依拠せず、観察可能な行動を研究することで人間の心理を科学の対象とする試みだった。従って行動主義においては、人に意識現象があるとみなせるのは、自分に知覚や意識があると報告可能な場合に限られる。 行動主義においては、意識において志向対象とならなかった表象やクオリアは、報告不可能なため研究の対象とならない。このため心の哲学における行動主義は1960年代には衰退し、心脳同一説にとって代わられていった。だが、行動主義の方法論のいくつかは機能主義に受け継がれている。 歴史 20世紀、精神分析学のムーブメントと同時期に、行動主義学派は心理学に浸透した。 行動...
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    TOPページ ※このサイトについて ▼メニュー ■形而上学 ■心の哲学全般  ├実在論論争  ├時間と空間の哲学  └心身問題 ■二元論 ├実体二元論 | ├相互作用二元論 | ├予定調和説 | └機会原因論 ├性質二元論 | ├心身並行説 | ├自然主義的二元論 | └トロープ説 ├随伴現象説 └新神秘主義  └認知的閉鎖 ■一元論 ├物理主義 | ├行動主義 | ├心脳同一説 | ├機能主義 | ├表象主義 | ├非法則一元論 | └消去主義的唯物論 ├観念論 |└唯心論 ├現象主義 | └重ね描き ├中立一元論 └汎神論・汎心論 ■思考実験 ├中国語の部屋 ├中国人民 ├逆転クオリア ├水槽の脳 ├スワンプマン ├テセウスの船 ├哲学的ゾンビ ├コウモリの視点 ├カルテジアン劇...
  • 逆転クオリア
    概説 逆転地球 思考実験のアレンジ 概説 逆転クオリア(Inverted qualia)とは、自分と同じ物理現象を体験している他者が、自分とは異なるクオリアを体験している論理的可能性を指摘するもので、哲学的ゾンビ同様の想像可能性論法である。思考実験では同じ波長の光を受け取っている異なる人間が、異なる「色」を経験するパターンがよく用いられる。逆転スペクトル(Inverted spectrum)やスペクトルの反転とも呼ばれる。 例えば自分と他者が同じリンゴを見ていても、自分には赤く見えるが他者には青く見えている可能性があると考える。この場合、その他者には「赤」という言葉がそのリンゴの「青い色」を指しているのだから言葉ではクオリアの逆転を知ることはできない。リンゴの青と他の色とを区別できるのだから色盲テストもパスできるし、信号が赤に変わればその他者は自分と同じように停まる。自分と...
  • ゲシュタルト構造
    (参考文献:ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』) 二〇世紀初頭、心理現象は個別の要素の結合からなるとする従来の心理学に対して、心理現象には要素の総和には還元できない全体性がある、と考える学説が提唱された。この心理現象が備える全体的な性質を「ゲシュタルト」と呼び、ゲシュタルトから心理を研究する立場は「ゲシュタルト心理学」と呼ばれる。 意識体験は無秩序な混乱として生じるのでなく、統一されたひとつの全体として生じる。例えば木のテーブルを見るとき、部分としての木の部品や、テーブルに付いた染みでなく、全体としての木のテーブルが意識体験として生じる。そして、そうした対象の断片のみを見ても統一されたひとつの全体をイメージできる。例えば車のタイヤだけを見ても車全体をイメージできる。脳は不十分な情報でも、それを一貫性のある全体へと組織する能力を備えているのだ。 さらに、脳は受...
  • 多重実現可能性
    概説 派生問題 概説 多重実現可能性(multiple realizability)とは、心の哲学において、一つの心的現象はさまざまな脳の作用から生じうるとする説。特定の心的現象は特定の脳作用と同一であるとする心脳同一説のタイプ同一説に対する批判として、ヒラリー・パトナムが主張した。 例えば「痛み」という心的状態は何らかの脳状態で実現される。「痛み」を神経科学に還元するためには、「痛み」と何らかの脳状態との同一性を示すような「橋渡し法」(bridge law)を構築する必要がある。即ち、「痛みが生じるのは○○であるときに限る」という文を神経科学の語で完成させなければならない。例えば、「痛みが生じるのは神経線維Aが発火するそのときに限る」というようなものである。 これに対して多重実現可能性は障害になる。「痛み」を持つのは人間だけでなく各哺乳類、鳥類、爬虫類も「痛み」を...
  • ダニエル・デネット
    概説 クオリア批判 人工知能擁護 批判 概説 ダニエル・デネット(Daniel Clement Dennett, 1942年3月28日 - )はアメリカの哲学者。2005年2月現在、タフツ大学教授。同大学認知科学センター監督官。1963年ハーバード大学卒業後、1965年オックスフォード大学にてPh.D取得。ハーバードではW・V・O・クワインに、オックスフォードではギルバート・ライルに師事。心の哲学では物理主義の代表的な人物である。 他者の内省報告を観察データとして認める「ヘテロ現象学」(Heterophenomenology)を掲げ、行動主義に陥ることなく、観察可能なデータから主観的意識の問題を扱えると主張する。 デネットは意識と脳の神経的なプロセスを異なる次元のものとして考えてきた心身二元論というデカルト以来の哲学的伝統を批判する。意識をつかさどる中央処理装置カル...
  • 固定指示子
    固定指示子(rigid designators)とは、ソール・クリプキが主張する概念。全ての可能世界において、つねに同一の対象を指し示す表現と定義される。人物の名前などがこれにあたる。心の哲学では心脳同一説に対する批判として用いられる。 サマータイムの発案者であるベンジャミン・フランクリンは固定指示子である。しかし「サマータイムの発案者」という表現はベンジャミン・フランクリンを指し示すものであっても固定指示子ではない。ベンジャミン・フランクリンがサマータイムの発案者でない可能世界は容易に想像できるからだ。なおこの場合、固有名の用い方は現実世界に準拠しているという点が重要である。ベンジャミン・フランクリンという名の猫がいる可能世界が仮にあったとしても、その猫は何の関係もない。 固定指示子の概念からクリプキは同一性文「AはBである(AとBが同一であることを示す文)」の考察を進め...
  • カテゴリー錯誤
    カテゴリー錯誤(カテゴリー・ミステイク,英:category mistake, category error)とは、ある対象に固有の属性を、その属性を持つことのできないものに帰すという誤りである。ギルバート・ライルが著書『心の概念』(1949年)で、心身問題解決の鍵として提起したものである。 例えばケンブリッジ市のハーバードを訪れ、さまざまな学部や実験室などの各施設、そして教員や生徒を見たある人物が、最後に「それで、肝心のハーバード大学はどこなんです?」と聞くとする。その人は自分が見てきたものの他に「大学」そのものがあると思い込んでいる。しかしその人は実感していないものの、既にハーバード大学を見知っていることになる。大学という用語はそれぞれの学部や各施設、構成員を指示する言葉だからである。その人の思い込みこそがカテゴリー錯誤である。大学という言葉は学部や教員という言葉とは同じカテゴ...
  • 意識の統一性
    概説 人格の同一性問題との関連 意識の時間的統一の問題 概説 人間には五感がある。しかし同時に複数の感覚があった場合、それらは独立して存在しているのでなく統一された意識の内部にある。たとえば繁華街を歩いていると様々なものが見え、同時に様々な音が聞こえ、同時に様々な匂いがある。それらの感覚は統一的な意識の内部にあり、意識は全一的なものとして存在している。これが意識の統一性である。 ジョン・サールは次のように論じている。 いま私は、指先の感覚や首まわりのシャツの圧迫感、落葉の風景だけを経験しているわけではない。これらすべてを単一の統合された意識野の一部として経験している。病理的なところのない通常の意識は、統合された構造とともにある。カントはこの意識野の統合を「統覚の超越論的統一」と呼び、そこから多くのことを引き出した。そして彼は正しかった。これから見ていくように、それは...
  • 物理主義
    概説 歴史 物理主義の問題 概説 物理主義(英 Physicalism)とは、この世界の全ての物事は物理的であり、また世界の全ての現象は物理的な性質に還元できるとする哲学上の立場である。心の哲学においては心的なものの実在性を否定して、物理的なものだけが実在するとし、心的因果を否定する。一元論の一種。物質一元論とも呼ばれる。 「唯物論(Materialism)」は同じ立場の思想であり、物理主義という語と互換的に用いられている。唯物論という用語は17世紀のライプニッツによるものであるが、物理主義とは20世紀のオットー・ノイラートの定義によるもので、論理実証主義から派生した概念であり、歴史的脈絡が異なるというだけである。 「物理的」という言葉の定義は、時空間的であり運動できるもの、とされている。 柴田正良によれば、人間の精神を素粒子群の運動や配置に還元するのが素朴...
  • 非法則一元論
    非法則一元論とは、心の哲学における物理主義的な立場のひとつ。ドナルド・デイヴィッドソンにより主張された。「非法則的」とは「法則論的」の逆の意味であり、心的出来事に法則が当てはまらないとすることで「非法則的」であるが、心的出来事が物理現象(脳の状態)と同一であるとすることで「一元論」である。 非法則一元論は、物理主義でありながら、心的なものを物質的なものに還元できないと考える。このようなタイプの物理主義を「非還元的物理主義」という。心的性質を物理的性質と同等のものとみなすため、非還元的物理主義は物理主義的一元論を自称していても性質二元論の一種とみなされることもある。 デイヴィッドソンは、心身の関係には以下の三つの原理があるとする。 (1)因果的相互作用の原理――心身の(限定的な)相互作用 (2)因果性の法則論的性格――出来事の原因と結果の厳密な法則性 (3)心的な...
  • 性質二元論
    概説 類似の概念 概説 性質二元論(英:Property Dualism)とは、心身問題に関する形而上学的な理論のひとつで、この世界に存在する実体(physical substance)は一種類だが、それは心的な性質(mental property)と物理的な性質(physical property)という二つの性質を持っているという考え。中立一元論と類似の概念である。なお Property Dualism は特性二元論、、特徴二元論、属性二元論などとも訳される。 同じ二元論に分類される実体二元論は、物理的実体とは別に、心的実体を置く。それに対し性質二元論は、クオリアなどの心的現象と脳の物理的現象はある一つの実体の二側面であると考える。したがって性質二元論は、存在論的には一元論を前提にしている。歴史的に初めてこの考えを主張したのはスピノザである。 性質二元論の構図 ...
  • 認知的閉鎖
    認知的閉鎖(英 cognitive closure)とは、イギリスの哲学者コリン・マッギンによって提唱された意識のハードプロブレム、すなわち物理的な脳からいかにして現象的意識やクオリアが生み出されるのかという問題への一回答であり、人間の精神・知性はこの問題に関して「閉鎖」されている、人間の理解できる領域ではないとする可能性のことである。 人間による理解が現段階において科学的に不十分であったりするためではなく、人間の精神・知性にはそれらを理解するキャパシティーが端的に欠けているためである。マッギンによると、私たちは五感による知覚などの認知能力が備わっているが、逆に言えば私たちはそれら認知能力によって理解できる事柄以外は認知できないということになる。これはマリーの部屋の思考実験からも類推することができる。宇宙には人類以外にも多数の生命体がいて、彼らは人間にとって未知のクオリアを体験して...
  • 因果的閉包性
    物理的領域の因果的閉包性(英 Causal closure of physics)とは、「どんな物理現象も物理現象のほかには一切の原因を持たない」とする原理のこと。物理的閉鎖(英 physical closure)、物理的な閉鎖(英 closed under physics)などとも呼ばれる。 心の哲学においては心的因果の問題、つまり現象的意識やクオリアが物理的な身体や脳に、いかに作用するかという議論において、二元論への批判として提示される概念であり、クオリアなどを持ち出さなくても、脳細胞に起こっている現象を解明すれば人間の行動は神経科学的に説明できるという物理主義的な立場である。 物理的なものが本当に因果的に閉じているのかという点については、少なからぬ学者・科学者から大いに疑問視されている。例えばカール・ポパーは「宇宙というのは一部には因果的であり、一部には確率的であり、...
  • コウモリの視点
    アメリカの哲学者トマス・ネーゲル(Thomas Nagel, 1937年7月4日 - )は、論文「コウモリであるとはどのようなことか?」(1974年)で、機能主義的な物理主義に対する反論として、意識・クオリアの主観性をコウモリを例にして主張した。 コウモリはどのように世界を感じているのか。コウモリは口から超音波を発し、その反響音を元に周囲の状態を把握している(反響定位)。コウモリはこの反響音をいったい「見える」ようにして感じるのか、それとも「聞こえる」ようにして感じるのか、または全く違った風に感じるのか……。コウモリの感じ方を問うことは出来るが、しかし人間はその答えを知る術を持ってはいない。 この問いで注意すべきなのは、人間がコウモリのような生活をしたらどのように感じるかということではない。それは人間である私にとってどのようなことか、という「私の視点」にすぎない。ネーゲルが...
  • 付随性
    付随性(ふずいせい、英 Supervenience)とは、ある現象が、それと異なる現象に依存している性質であり、現象同士の非対称的な依存関係を指す。現象Aが現象Bに付随しているということは、Aのどんな変化も、Bの特定の変化に対応しているということであり、Aが完全にBに依存しているということである。逆にBはAに依存せずに変化できる。これが非対称的な依存関係である。 心の哲学における付随性とは、クオリアや現象的意識など心的な性質(高次の存在者)は、ニューロンの活動など脳の物理的な状態(低次の存在者)に付随(supervene)しているという仮説である。心的な存在を「高次」、物理的存在を「低次」とするのは、物理的存在を基礎にして、その上に心的な存在が成り立つという物理主義的前提を含意している。この仮説からは心的因果の問題が派生することになり、さまざまな議論がなされている。 近年...
  • マリーの部屋
    概説 知識論法 三種類の応答タイプA タイプB タイプC 派生問題 概説 マリーの部屋(英:Mary s Room)、またはスーパー科学者マリー(英:Mary the super-scientist)とは、1982年にフランク・ジャクソンが提示した物理主義、特に機能主義を批判する内容の思考実験である。 マリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋に閉じこもり、白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査している。彼女の専門は視覚に関する神経生理学であり、我々が熟したトマトや晴れた空を見るときに感じる「色彩」についての全ての物理学的、神経生理学的情報を知っている。また「赤い」や「青い」という言葉が我々の日常生活でどのように用いられ、機能しているかも知っている。さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろう。彼女は何か新しいこと...
  • 意識の境界問題
    概説 意識の統一性 中心と周辺 組み合わせ問題 きめの問題 解決へのアプローチ 概説 意識の境界問題(英:Boundary Problem of Consciousness)とは、人間の意識が宇宙の構造のあるレベル、つまり「脳」という単位において、統一的に、かつ境界をもって存在しているのはなぜなのかという問題。心の哲学において意識のハードプロブレムと関わる問題のひとつとして議論される。2004年にアメリカの哲学者グレッグ・ローゼンバーグによって提起された。 個人が体験するのはこの世界にある意識体験のごく一部である。例えば隣にいる他人が酷い虫歯の痛みに苦しめられていたとしても、自分がその痛みを感じるということはないし、また地球の裏側で誰かが幸福の絶頂を噛み締めていたとしても、自分がその喜びを感じるということはない。つまり意識体験は境界を持って個別化されている。 意識は...
  • 人格の同一性
    ...持続と現象学的時間」フッサール研究 (3) 229-238 2005年 久保田顕二「人格の同一性」哲学への旅 不安への誘い. 第2章 北樹出版 1987年 小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年 小山虎「時間的内在的性質と四次元主義」科学哲学36-2 2003年 佐々木拓「ジョン・ロックの人格同一性論を巡る諸問題」第53回日本倫理学会自由課題発表原稿 坂井賢太郎「分析形而上学における人格の同一性--人格の同一性は何によって担保されるか」哲学論叢 (2010), 37(別冊) S73-S84 坂倉涼「パーフィットの一人称に関する問題について」千葉大学人文社会科学研究 (20), 273-284, 2010-03-00 柴田正良『ロボットの心 7つの哲学物語』講談社現代新書 2001年 高村友也「マルコフ過程と時間の矢」科学哲学 44-2 2011年 ...
  • デイヴィッド・ヒューム
    概説 知覚――印象と観念 因果関係論 実体 自我の否定 ヒュームの観念論と自然科学の関係 派生問題――知覚の同一性と意識の連続性 概説 デイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)は、スコットランド・エディンバラ出身の、英国経験論を代表する哲学者。スコットランド啓蒙の代表的存在とされる。ジョージ・バークリーの観念論と現象主義を継承して発展させ、自我さえも「感覚の束」であるとしてその実在性を否定した。この自我論は後に無主体論とも呼ばれ、現代の心の哲学では主流の立場になる。 ヒュームは懐疑主義を徹底し、それまでの哲学が自明としていた知の成立過程の源泉を問い、それまで無条件に信頼されていた因果律を、論理的なものでなく連想の産物であると見なし、数学を唯一確実な学問とした。また科学哲学においては自然の斉一性仮説を提唱した。 知覚――印象と観念 ヒューム...
  • 書評1
    中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 戸田山和久『哲学入門』 鈴木貴之『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう 意識のハード・プロブレムに挑む』 入不二基義『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』 中島義道『生き生きとした過去――大森荘蔵の時間論、その批判的解読』 強引、というより無理過ぎる大森哲学解釈、という印象を受けた。中島は大森の弟子であり、大森と幾度も対話を重ねている。大森に会ったこともない私が異論を挟むのはおこがましい感もあるのだが、大森と同様の現象一元論者として、あえて本書を批評したい。 概説すると、中島が大森哲学批判を通じて主張したのは、「過去時間」と「意識作用」の実在性を認めるしかないということである。穿った見方をするならば、それらの実在性を前提にし、意図的に偏った大森哲学解釈をしたと思える。なに...
  • 現象的意識の非論理性
    ...的同一性の問題――」フッサール研究第3号 2005年 佐金武『時間にとって十全なこの世界 現在主義の哲学とその可能性』形相書房 2015年 鈴木貴之『ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう 意識のハード・プロブレムに挑む』勁草書房 2015年 中島義道『「時間」を哲学する』講談社現代新書 1996年 中島義道『カントの自我論』岩波現代文庫 2007年 中山康雄『科学哲学』人文書院 2010年 野内玲「存在的構造実在論の妥当性」科学基礎論研究Vol.37 2009年 野内玲「科学的知識と実在 ~科学的実在論の論争を通して~」2012年 信原幸弘『心の現代哲学』勁草書房 1999年 信原幸弘『意識の哲学 クオリア序説』2002年 野家啓一『無根拠からの出発』勁草書房 1993年 橋元淳一郎『時間はどこで生まれるのか』集英社新書 2006年 三浦...
  • 心の哲学全般
    概説 心の哲学の用語 自然主義 根本問題 概説 心の哲学(英 Philosophy of mind)とは哲学の一分科で、現象的意識やクオリアなど心的なものと、物質的な脳や身体との関係、そしてそれらの存在論的な位置づけを研究する学問である。 心の哲学の基本的なテーマは心身問題と心的因果であるが、心身問題は科学の領域では心脳問題として研究の対象となっている。歴史的には心身問題は心脳問題の前史としてあったということになる。 デイヴィッド・チャーマーズは、心的現象と脳の活動の対応関係を研究する神経科学の問題を「イージー・プロブレム」と呼び、その脳の活動からどのようにしてクオリアなどの心的現象が生まれるのか、またその心的なものは物理的な脳とどのような因果関係(心的因果)があるのかという問題を「ハード・プロブレム」と呼んでいる。近年の心の哲学ではその意識のハード・プロブレム...
  • デイヴィッド・チャーマーズ
    概説 意味の一次内包と二次内包 構造的コヒーレンスの原則 構成不変の原則 情報の二相説 汎経験説 補足 概説 デイビッド・ジョン・チャーマーズ (David John Chalmers、1966年4月20日 - )はオーストラリアの哲学者。1982年、高校生のとき数学オリンピックで銅メダルを獲得する。インディアナ大学で哲学・認知科学のPh.Dを取得。2006年現在オーストラリア国立大学の哲学教授であり、同校の意識研究センターのディレクターを務めている。心の哲学において意識のハードプロブレムをはじめ多くの問題提起をし、この分野における指導的な人物の一人となっている。 チャーマーズはクオリアと呼ばれる内面的な心的体験を、実体(英 entity)的に捉え、質量やエネルギーなどと並ぶ基礎的な物理量のひとつとして扱い、その振る舞いを記述する新しい物理学を構築すべきだと主張する。そして...
  • 時間と空間の哲学
    ...を与えた二人の巨人、フッサールとウィトゲンシュタインがともに立ち向かったが、ともに解決できなかった問題である(*98)」と述べている。空間を非実在的なものとするなら、他我の定義が一つ消えることになる。 参考文献 青山拓央「時制的変化は定義可能か」科学哲学37-2 2004年 青山拓夫『新版 タイムトラベルの哲学』ちくま文庫 2011年 青山拓央『分析哲学講義』ちくま新書 2012年 伊佐敷隆弘『時間様相の形而上学』勁草書房 2010年 井上忠『パルメニデス』青土社 1996年 入不二基義『時間は実在するか』講談社現代新書 2002年 入不二基義『時間と絶対と相対と』勁草書房 2007年 入不二基義「無についての問い方・語り方」Heidegger-Forum Vol.6 2012年 植村恒一郎『時間の本性』勁草書房 2002年 中村秀吉『時間のパラドック...
  • まとめサイト作成支援ツール
    まとめサイト作成支援ツールについて @wikiにはまとめサイト作成を支援するツールがあります。 また、 #matome_list と入力することで、注目の掲示板が一覧表示されます。 利用例)#matome_listと入力すると下記のように表示されます #matome_list
  • カント『純粋理性批判』の検証
    ...02年 松井隆明「フッサールとアリソン流カント -超越論的観念論と物自体の問題-」東京大学哲学研究室『論集』33号 2014年 村田貴信「〈超越論的〉対象の二義性と「批判」 「超越論的」と「ア・プリオリな総合」」九州大学哲学会 1999年 隈元忠敬 編『知のアンソロジー ドイツ的知の位相』ナカニシヤ出版 1996年 鳥居修晃・望月登志子『先天盲開眼者の視覚世界』東京大学出版会 2000年 日本カント協会編『日本カント研究2 カントと日本文化』理想社 2001年 日本カント協会編『日本カント研究4 カント哲学と科学』理想社 2003年 マルティン・ハイデガー『ハイデガー全集3 カントと形而上学の問題』門脇卓爾 訳 創文社 2003年 イマヌエル・カント『カント全集〈3〉前批判期論集(3)』福谷 茂 他訳 岩波書店 2001年 イマヌエル・カント『カント全集 12 自然...
  • 新神秘主義
    新神秘主義(英 New mysterianism)は、心身問題、つまり心的な意識現象と物質的な脳がどのように関わりあっているのか解明するのは不可能だとする立場のこと。代表的な論者にコリン・マッギンがいる。トマス・ネーゲルも新神秘主義者に分類されることがある。 マッギンは認知的閉鎖説を提唱し、人間が意識の謎、つまり意識のハードプロブレムが解明される可能性に懐疑的である。トマス・ハックスリーは1886年に、「神経組織の活動によって意識状態という驚くべきものが出現することは、物語のアラジンが魔法のランプをこすれば魔人が現れることのようだ」と心と脳の関係を表現した。このハックスリーの言葉は意識現象がいかに奇跡的であるかうまく捉えていたとマッギンはいう。そしてマッギンは心的特性を物理特性に還元する物理主義を批判し、また心的なものの排他性を強調する二元論は脳から心を切り離すようなものだと批判...
  • プラグイン/ニュース
    ニュース @wikiのwikiモードでは #news(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するニュース一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_174_ja.html たとえば、#news(wiki)と入力すると以下のように表示されます。 マニュアル作成に便利な「画像編集」機能を提供開始! - ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」 - 川崎経済新聞 【グランサガ】リセマラ当たりランキング - グランサガ攻略wiki - Gamerch(ゲーマチ) 「Wiki」創設者のPC 競売に - auone.jp 篠原悠希×田中芳樹が明かす「歴史ファンタジー小説ならではの悩み」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【Ape...
  • 夢と現実と真実と
    ...014年 松田毅「フッサールのメレオロジーに関する試論」神戸大学文学部紀要, 40 1-31 2013年 松本仁『カラシニコフ Ⅰ Ⅱ』朝日新聞出版社 2008年 三浦要『パルメニデスにおける真理の探究』京都大学学術出版会 2011年 三浦俊彦『可能世界の哲学』NHKブックス 1997年 三浦俊彦 「意識の超難問」の論理分析」『科学哲学 35-2』2002年 八木沢敬『神から可能世界へ 分析哲学入門・上級編』講談社選書メチエ 2014年 山川偉也『古代ギリシャの思想』講談社学術文庫 1993年 渡辺恒夫『人はなぜ夢を見るのか』化学同人 2010年 神崎繁、熊野純彦、鈴木泉 編集『西洋哲学史1』講談社 2011年 鈴木生郎・秋葉剛史・谷川卓・倉田剛 著『ワードマップ 現代形而上学』新曜社 2014年 アリストテレス『アリストテレス全集4─天体論・生成消滅論』岩波...
  • 無限論
    1 はじめの一歩 2 無限論と実在論 3 ゼノンのパラドックスの終着点 4 カントによる無限批判 5 形而上学無限の不可能性 6 物理学による形而上学的無限の回避可能性 7 数学的無限と形而上学的無限の不調和 8 結論――実在論の最期 9 無限の派生問題 1 はじめの一歩 人生の道を一歩踏み外せば奈落に落ちる。僅か一歩には生死を分ける重大さがある。それは学問の道でも同様であろう。しかし哲学での無限についての議論では、その一歩の重大さが忘れられているように思える。はじめの一歩を踏み間違えていたなら、その後いくら懸命に歩を進めようと間違った地に行く着くしかない。 ゼノンのパラドックスは二千年以上にわたって夥しい学者たちが反駁を試みてきたが、今日でもなお議論が続いており、未だ万人が納得する解決法が発見されていないように思える。大森荘蔵は、ゼノンの主張は詭弁であるという前提からパラ...
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