心脳同一説


概説

同一説(英:Identity theory)、または心脳同一説とは、心身問題に関する立場の一つで、「心の状態やプロセスとは、脳の状態やプロセスそのもののことだ」という考え方のことである。心的なものの存在を物理的なものの存在に還元して説明しようとする還元主義でもある。英語圏では「Mind is Brain」と、be動詞を強調することによって心と脳の同一性を表現する。心の哲学においては、行動主義の失敗を反省し、物理主義の一種として二元論一般と対立する文脈で語られる。

心脳同一説は性質二元論中立一元論の考えに似ているよう思えるが、大きな違いがある。性質二元論や中立一元論では、心的状態と脳状態は同一の実体の二つの側面であり、たとえるならコインの表裏の関係である。しかし心脳同一説では、「雲とは水粒である」「稲妻は電荷の運動である」というたとえが用いられる。雲と水粒の集合は概念としては異なっているが、指し示す対象は同一である。つまり心的状態と脳状態は概念が違うだけで、雲と水粒の集合のように完全に同一の存在だと考える。

心の哲学では心的因果の問題が重要なトピックとして議論されるが、同一説では心的状態が脳の状態と「同一のもの」として存在しているがゆえに、心は因果的効力を持ちうると考える。

同一説はタイプ同一説とトークン同一説に分けられる。タイプ同一説は「タイプ物理主義」と呼ばれ、分析哲学で単に「心脳同一説」また「同一説」という場合はこのタイプ同一説を指し、トークン同一説は「トークン物理主義」と呼ばれて使い分けられている。

タイプ同一説

タイプ物理主義、ないしタイプ同一性説とも呼ばれる。タイプ物理主義はJ.J.C.スマート (J.J.C. Smart)とアリン・プレイス (Ullin Place)によって展開されたものである。これらの哲学者は、もし心的状態が物質的なものであって、しかもそれが行動ではないのなら、おそらく脳の内的状態と同一ではないかと推論した。非常に単純化した言い方をすれば「心的状態Aは脳状態Bである」ということである。

たとえば「痛みという心的状態は、ある特定のニューロンの発火である」というように考えられる。この場合の「である」とは、「赤とは色である」というような定義を示すものでなく、「彼女の服は絹である」というように構成条件を示すもの――述語として、あるものにある性質を帰属させるために用いられるとプレイスはいう。意識と脳の関係はそれほど単純に同一性を証明できないという批判に対し、彼は「稲妻は電荷の運動である」という例をあげている。稲妻に接近してよく調べれば電荷が大気を走っていることが発見される。これと同じような方法で心的現象が脳内の電気活動と同一であることが科学的に発見される可能性があるとする。

プレイスによれば心身は互いに独立して相関関係にあるのでなく、あくまで同一の事象なのである。彼は「二組の観察が同一事象についての観察と見做されるなら、それは適切な科学理論の文脈に組み込まれた専門的・科学的な観察が、一般の人の観察にも明快な説明を与えるような場合である」と述べ、相関関係と同一性を区別する。

トークン同一説

同じ種類の心的現象は常に同じ種類の脳の現象と相関するというのは、神経学者たちが否定している。例えば脳の構造は人によって微妙に異なっているが、誰もが「リンゴ」や「カタツムリ」などのイメージを持つことができる。三人の人物がリンゴをイメージしている時、三つの脳は微妙に構造が異なっているのだから、同一タイプの心的出来事と同一タイプの物理的出来事のあいだに同一性は成立しないことになる。そのため現在では心脳同一説を徹底的なタイプ――タイプ説として擁護することはできず、トークン――トークンの同一として解釈されるべきだという考え方が主流であり、機能主義を始め現代の物理主義のほとんどは、このトークン同一説を前提として成り立っている。

タイプとトークンとは、「普遍」と「個物」の関係の類比として理解できる。「猫、猫、猫」と猫の文字が三つある場合、一つのタイプの言葉について三つのトークンがあるということである(詳細はWikipediaを参照されたし)。

トークン同一説によれば、ある個別の心的出来事はそれぞれある個別の物理的出来事と同一であると解釈されている。この解釈によれば、似たタイプの心的出来事が似たタイプの物理的出来事と必ずしも相関している必要が無いからである。例えば、あらゆる痛みのトークンが唯一の「痛み」という心的タイプに属するとしても、個別の痛みのトークンは、物理的な脳状態のさまざまなタイプと相関しているかもしれないということだ。

しかし、そうした全てのトークンを同一の心的状態のタイプに帰属させているのは何なのか? という問題が生じる。二人の人物が「今日は三月六日」だと信じていて、かつ二人の脳状態が異なっているなら、二人は何を共有しているのか? こうした問題はヒラリー・パトナムが多重実現可能性というテーゼにしている。トークン物理主義の立場では二元論のように「還元できない心的現象を共有している」というわけにはいかない。

物理主義はトークン同一説の直面した問題に対し、機能主義の立場から回答した。すなわち脳状態のトークンを心的状態にするのは、行動全体に関わるあるタイプの機能であるとするのである。要するに心的状態とは、ある種の機能を持った状態として定義することである。それによって心的状態そのものを問題にすることを回避できるのである。

同一説への批判

  • ブレイスの説に対して、中枢神経内の諸過程――電気的な脳細胞を移動する現象を詳細に記述することは可能かもしれないが、仮にそうであったとしても、その記述からは心的な語彙が全て省かれてしまっているという批判がある。
  • 痛みの経験は脳のc繊維の活動と同じであるとした場合、c繊維を脳から取り出して実験容器の中で活動させても、そこに痛みが生じることになるのではないか、という指摘がある。
  • ソール・クリプキは固定指示子によって、心的状態と脳状態の厳密な一致を論証することが不可能であることを示した。


  • 参考文献・論文
S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 勁草書房 1999年
信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』勁草書房 2004年
武田 一博「D.チャーマーズは心の唯物論を論駁したか」2003年