実体二元論


実体二元論とは

実体二元論(英:Substance dualism)とは心身問題に関する形而上学的な立場のひとつで、心的なものと物質的なものはそれぞれ独立した実体であるとし、またその心的な現象を担う主体として「魂」のようなものの存在を前提とする説である。代表的な論者はルネ・デカルトである。

実体二元論と対置される性質二元論では、精神と脳の状態を同一の実体の両面と見ている。この考えでは脳が作用を停止すれば精神現象は消滅する。しかし実体二元論の立場では、脳が作用を停止しても精神現象を担っていた主体である「魂」は存在し続けることになる。また性質二元論では、心的なものと物質的なものは相互作用しないと考えるが、実体二元論の一種の相互作用二元論では、心的なものと物質的なものは相互作用すると考える。

実体二元論、特に相互作用二元論は心と身体の因果関係を説明するのが難しい。物質は物理法則のみに従って運動する、という現代科学の基本的な前提と整合的に理解することが難しく、今日ではこの理論を支持する論者は極めて少ない。しかし近年に実体二元論を唱えた人物としては、20世紀のオーストラリアの神経生理学者ジョン・エックルズ、科学哲学者のカール・ポパー、哲学者のリチャード・スウィバーンがいる。エックルズはしばしば、最後の二元論者として扱われる。

実体二元論の利点と問題

実体二元論の利点は、「自己」が説明しやすいということである。一般的に性質二元論では、さまざまに変化している精神現象を担う主体としての魂のようなものを存在していない。このためさまざまな体験が、なぜ「私」という同一主体に帰属しているかのように感じられるのか説明するのが難しい。しかし実体二元論のように魂を想定すれば、さまざまな心的現象を生じさせているのは魂の作用なのだから、そのような困難はない。しかし魂のような何かがクオリアやセンスデータを知覚するというこの考え方は、「カルテジアン劇場」、「機械の中の幽霊」といった批判がある。

実体二元論の問題は、物理的領域の因果的閉包性(英:Causal closure of physics)と相克するということである。因果的閉包性とは「どんな物理現象も物理現象のほかには一切の原因を持たない」とする経験から推測された原理のこと。物理的閉鎖(英:physical closure)、物理的な閉鎖(英:closed under physics)などとも呼ばれ、科学哲学の分野で扱われている。心的なものは物理的なものに対して影響を与えるとする実体二元論は、因果的閉包性が事実なら否定されることになる。

エネルギー保存則の問題

アメリカの哲学者ダニエル・デネットは、1992年の著作 "Consciousness Explained"(邦訳「解明される意識」)の中で、心身の相互作用がもしあるとすれば、エネルギー保存則を破ることになると説明した。仮に脳内の分子が何の物理的な力も受けずに突然動き出したり、また今まで動いていたものが、何の力も受けずに突然静止したりするなら、そこではエネルギー保存則が破れている。つまり非物質的な精神が物理的なものに影響を及ぼすという考えは、物理学の基本法則と矛盾するものであり、サイコキネシスなど超能力を主張するのと変わりないとデネットは説明した。

概念上の批判

イギリスの哲学者ギルバート・ライルは、1949年の著作"The Concept of Mind"(邦訳:心の概念)において、実体二元論を概念上の混乱として批判した。ライルは脳とは別に、実体としての精神を措定するデカルト的な二元論を、機械の中の幽霊のドグマと呼び、カテゴリー・ミステイク(カテゴリー錯誤)という概念上の混乱によってもたらされた大きな誤りであるとした。

カテゴリー錯誤(category mistake, category error)とは、対象に固有の属性をその属性をどうあっても持つことのできないものに帰すという、意味論的あるいは存在論的な誤りである。

発展可能性

前述のような困難が山積するため、実体二元論は現在、科学者からも哲学者からも、支持する者が少ない立場となっている。しかし一部の科学者や哲学者は因果的閉包性、つまり物理的領域は因果的に閉じていないとする考えの基で探究を続けている。これは量子力学による方法である。つまり波動関数の収縮過程において、精神が物理領域に影響を与えるのではないか、という考えである。こうしたアイデアは量子脳理論と呼ばれる。


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