中立一元論

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#contents ---- 中立一元論(英:Neutral monism)とは、[[心身問題]]についての考え方のひとつで、心的だとか物理的だとかいうものは、世界の究極的な実在の二つの性質のことだとする理論である。二面説とも言われる。[[性質二元論]]はほぼ同じ立場である。 物質的なものと心的なものが実在するとする[[実体二元論]]と対立する。また存在論的には[[一元論]]であるが、物理的なものだけが存在するとする[[物理主義]]や、心的なものだけが存在するという[[唯心論]]と対立しつつ、その両者の中間的位置を取る。[[バートランド・ラッセル]]、ウィリアム・ジェイムズ、ピーター・ストローソンがこの立場である。[[デイヴィッド・チャーマーズ]]が主張する情報の二相理論は中立一元論の一種である。[[スピノザ]]は汎神論的な一元論者であるが、心身問題に関しては中立一元論といえる。 我々は通常、身の回りにある物理対象を直接に見知っていると考えている。これが素朴実在論といわれる立場である。多くの中立一元論者の場合、我々が直接知るのは知覚であり、その次に心や物理対象を、経験から知的に構成されたものとして記述する。経験内容は心的でも物理的でも無い。 ・スピノザはひとつの実体(神)だけが存在すると考えていて、この実体を存在するものの全体と同一視した(汎神論)。実体は二つの属性をもっており、それが「意識」と「大きさ」である。これがデカルト的[[実体二元論]]に代わるべき性質二元論、あるいは特徴二元論という考えである。 ・ラッセルは心的なものであれ物理的なものであれ、実体が存在するということに反対する。心的なことも物理的なことも、語るということは感覚知覚の内容(感覚与件)に関して語ることに依存している。ラッセルによれば感覚与件は心的でも物理的でもない中立的なものである。 中立一元論は、心的なものについての説明が困難な物理主義の欠点と、物理的なもののリアリズムと対立している観念論の欠点を、それぞれ回避しているという点で優れた理論である。しかし肝心の「中立的な」、究極の実体とは何かについては論証が困難であるという欠点をもつ。 ---- ・参考文献 S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999年 ・参考サイト http://en.wikipedia.org/wiki/Neutral_monism ----
#contents ---- 中立一元論(英:Neutral monism)とは、[[心身問題]]についての考え方のひとつで、心的だとか物理的だとかいうものは、ある一つの実体、または出来事の、二つの性質のことだとする理論である。[[性質二元論]]はほぼ同じ立場である。 中立一元論は物質的なものと心的なものが実在するとする[[実体二元論]]と対立する。また存在論的には[[一元論]]であるが、物理的なものだけが存在するとする[[物理主義]]や、心的なものだけが存在するという[[唯心論]]と対立しつつ、その両者の中間的位置を取る。[[バートランド・ラッセル]]、ウィリアム・ジェイムズ、ピーター・ストローソンがこの立場である。[[デイヴィッド・チャーマーズ]]の自然主義的二元論は中立一元論の一種である。[[スピノザ]]は汎神論的な一元論者であるが、心身問題に関しては中立一元論といえる。 中立一元論は、心的なものについての説明が困難な物理主義の欠点と、物理的なものの実在性と対立している観念論の欠点を、それぞれ回避しているという点で支持する者が多い理論である。 しかし現代の物理主義者は物理領域の[[因果的閉包性]]を前提に、中立一元論者がいう「性質としての心」も、因果的に排除可能だと論じており、心的因果を擁護できるか、また因果的提灯や[[現象判断のパラドクス]]を回避できるかが課題となる。 中立一元論のバリエーションの一つであるトロープ説では、心的性質と物理的性質はコインの表裏のように不可分なものとして心的因果を擁護しようとするが、しかしその不可分性の強調は、心的性質の物理的性質への依存に過ぎないと物理主義者は批判している。 ---- ・参考文献 S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999年 ・参考サイト http://en.wikipedia.org/wiki/Neutral_monism ----

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