ロコモティブシンドローム ~超高齢化社会に向かって~

運動器の障害による要介護の状態や要介護リスクの高い状態として「ロコモティブシンドローム(locomotive syndrome 運動器症候群))が提唱されていますね。

以前のPain Forumでも拝聴したお話です。
今回はロコモティブシンドロームの背景や関連する運動器慢性疼痛診療の考え方やチーム医療での実践について、
米延 策雄先生にご解説いただいた内容の覚書です。
 
「ロコモティブシンドローム~超高齢社会に向かって~」
 
〈ロコモティブシンドロームとは〉
・ ロコモティブシンドロームとは、ロコモーション(=動く、機関車)から命名された新しい概念、「運動器症候群」のこと。
・ 超高齢社会を迎えた我々にロコモティブシンドロームが訴えるものは、人がいつまでも歩けることの重要性。
 
〈ヒトの移動の仕組みと運動器〉
・ ヒトの運動器は1本の支柱(骨格)で構成されているのではなく、不安定な丸い節を持った骨格と、それをつなぐための椎間板や関節、靭帯、さらにこれらを動かす筋肉があり、移動の仕組みを作っている。
・ 不安定であるが故に動き、歩くことができる。
・ 骨・関節・筋肉が維持されるには適度なメカニカルストレスが不可欠
・ ストレスが不足しがちになると、骨は骨粗鬆症や骨折が生じ、筋肉は筋減少症や筋力低下を起こす。
・ 逆に、関節軟骨や椎間板は過剰なストレスがかかることによって関節症や腰痛が起こる。
・ このような特性を考えると、ヒトの歩行は転倒の連続とみなせる。
→ 骨や関節軟骨に障害が起きると、歩きにくくなるし、転びやすくなる。
・ ヒトは四足の先祖が二足歩行へと進化し、二足歩行には腰と膝の骨格の変化が必要だった。
・ 48億年の生命の歴史の中で、四足から二足歩行になってからは700万年しか経っておらず、腰や膝の発達・進化は未だ不十分。
→ ヒトは加齢とともに膝や腰が維持できなくなってくる?
・ 2011年の吉村のコホート研究でも、日本の変形性膝関節症の推定患者数は2,530万人、変形性腰椎症の推定患者数は3,790万人と試算。
 
〈超高齢社会と運動器疾患〉
・ 2000年WHOは日常的に自立した生活ができる期間を「健康寿命」と定義。
・ 日本人の健康寿命は2004年のWHO保健レポートでは、男性72.3歳、女性77.7歳。
・ 別の報告では、2004年の日本人の65歳からの平均余命は男性18.21年、女性23.28年、無障害平均余命は男性12.64年、女性15.63年。
・ 平均余命と無障害平均余命の差は男性5.57年、女性7.65年とその差が大きく、支援や介護を受ける期間が長い。
・ 65歳以上の要介護・支援認定者数は平成22年には503万人と年々増加し、介護保険給付額も増え続けている。
・ 一方、それを支える日本の人口構成は、1930年代のピラミッド型から、2010年の高齢化率は23.1%、2025年では30.5%となり、人口構成は不安定なひし形になると予想。
・ 高齢社会では人の終末期は個人の問題と同時に社会の問題。
・ 平成19年の厚生労働省国民生活基礎調査でも、要支援・要介護となる原因は、骨折・転倒・関節疾患は要支援の約28%、要介護の約20%と運動器疾患が1/4を占めている。
・ 人の身体、特に運動器は耐用年数のある「物」の一面も。
・ 年齢と病気の種類は、小児期には鼻水・咳・熱、中年期には頭痛・肩こり・倦怠感、老年期には手足の痺れ・見づらい・物忘れが、それぞれピークとなる年代的な特徴がある。
・ 工学(機械)の世界での故障曲線(横軸が時間、縦軸が故障率)に近似。
・ 故障(病気)の種類は初期(小児期)では初期不良(=感染症・アレルギー)、中間期(中年期)では偶発故障(=事故)、後期(老年期)では磨耗故障(=腰痛・関節痛・骨粗鬆症)となる。
・ 医学研究や医療体制の整備の結果、長寿社会を迎え、運動器の健康はさらに重要に。
・ 長寿となったことで治療医学からQOLを問う医療の時代になり、国の健康施策についても生命重視から筋骨格系及び結合組織などのQOL疾患にも注視されている。
・ 生活習慣を改善することによって脳卒中や心筋梗塞などを予防することを目的として、メタボリックシンドロームという概念が人々の行動に影響を与えた。
・ ロコモティブシンドロームという概念も、運動を推奨することによって要介護・寝たきりを予防することを目的。
・ 日本は高齢社会となり、長期間運動器を使い続ける新しい集団が出現するという、人類が今まで未経験の新しい事態を迎えているという認識が社会に必要。
・ 多くの人にとって、運動器を長期間健康に保つことは難しい一方で、年齢を重ねても運動器を上手に使っている人もいる。
・ ロコモティブシンドロームは、効果的な運動器の鍛錬とその方法の適用を目的に、予防的な考え方を提唱している。
・ 前述のように、骨・関節・筋肉の維持には適度な負荷が必要であるが、機能を果たす限界値まで痛みもなく無症状で機能を果たすため、不調に気付き難いという特性あり。
・ 日本整形外科学会では、日常生活の中では7項目の「ロコチェック」でロコモティブシンドロームの早期発見を推奨。
・ ロコチェックの以下項目は、1つでも当てはまる項目があれば、運動器に問題があり、ロコモティブシンドロームである可能性あり。
  2kg程度の買い物(1リットルの牛乳パック2個程度)をして持ち帰るのが困難である、
  家のやや重い仕事(掃除機の使用、布団の上げ下ろしなど)が困難である、
  家の中でつまずいたり滑ったりする、
  片脚立ちで靴下がはけない、
  階段を上るのに手すりが必要である、
  横断歩道を青信号で渡りきれない、
  15分くらい続けて歩けない、
・ ロコモティブシンドロームを予防するためのロコモーショントレーニング(ロコトレ)も提案。
・ 運動を継続することは余程の目的意識がないと難しく、家族や社会の心理的支援が継続の要とされている。
 
〈運動器不安定症〉
・ ロコモティブシンドロームという概念の目的は運動器の低下に早期に気付き予防すること。
・ 実際には高齢化によりバランス能力及び移動歩行能力の低下が生じ、閉じこもり、転倒リスクの高い状態となる。
→ 運動器不安定症:脊椎圧迫骨折および各種脊柱変形、下肢の骨折、骨粗鬆症、下肢の変形性関節症、腰部脊柱管狭窄症、脊髄障害、神経・筋疾患、関節リウマチおよび各種関節炎、下肢切断、長期臥床後の運動器廃用、高頻度転倒者。
・ 骨粗鬆症の定義は、2000年の米国国立衛生研究所(NIH)により「骨折リスクを増すような骨強度上の問題を既に持っている人に起こる骨格の疾患」と提唱。
・ 骨粗鬆症により大腿骨頸部骨折が生じやすいことが知られているが、大腿骨頸部骨折は生存率を著しく低下させることが報告。
・ 脊椎椎体圧迫骨折は急性期には疼痛、慢性期には疼痛・脊柱変形・脊髄障害、さらに骨折により身長が約2cm縮むとされ、QOLの著しい低下を招く。
・ 運動器疾患の薬物療法の進歩はめざましく、骨粗鬆症には、ビスフォスフォネート・ビタミンD・PTH(parathyroid hormone副甲状腺ホルモン〈遺伝子組み換え〉)製剤の新しい薬剤が次々と開発され、その効果が期待されている。
・ 軟骨疾患である変形性関節症や変形性脊椎症には十分な効果の薬はないが、高分子ヒアルロン酸の関節内注入や、関節形成術が用いられることがある。
・ 筋肉疾患である筋減少症や神経疾患には効果的な薬剤はなく、運動療法での対処が現状。
 
〈運動器の痛みとその対策〉
・ 運動器疾患において大きな問題は痛み。
・ 平成19年の厚生労働省国民生活基礎調査でも関節疾患の症状は痛みであり、通院者率でも、腰痛症・肩こり症・関節症と痛みを伴う疾患が多く、外来患者数別順位でも痛みを主訴とする運動器疾患患者は多い。
・ 痛みが注目されてきている背景には、痛みが社会に与える大きな影響が認識され、痛みに対する科学の進歩や、1990~2000年の脳の10年(Brain decade)と呼ばれる脳科学の進歩、薬物治療による痛みの治療の進歩がある。
・ 1998~1999年のアメリカ全土の慢性痛(癌性疼痛を除く)調査では、成人人口の約9%が痛みの程度の高い慢性痛を患っており、痛みによる労働生産力の損失は年間650億ドルと推計された。このためアメリカ議会は2001年からの10年間を痛みの10年(the Decade of Pain Control and Research)とすることを採択して、治療や診療体制の開発に力を注いだ。
・ American Pain Societyでは、痛みは5番目のバイタルサイン(①脈拍・②呼吸・③血圧・④体温)として加えることを提言。
・ 痛みを感じない先天性無痛無汗症や後天的な脊髄癆では、侵害刺激に対する防御機構が働かず、皮膚は傷だらけ、骨は折れ、関節は傷害を受ける。人にとっての痛みの意味は有意の警告信号であり、侵害刺激に対する反応であるため。
・ シュバイツァー博士の「Pain is a more terrible load of mankind than even death itself.(痛みは死よりも恐ろしい暴君である)」という言葉のように、痛みは変質し、ある程度や時間を越えると辛いだけのものになるという性質をもっている。
・ 痛みの治療ではこのような痛みの性質が課題になる。
・ 日本でも平成21年の厚生労働省の慢性疾患対策の更なる充実に向けた検討会では、慢性疼痛に対する対策の取り組みの強化が挙げられている。
・ 慢性の痛みは主観的な体験の表現であるために客観的な評価が困難であり、標準的な評価や診断法は未確立であること、また、診療体制が十分に整っていないこと、さらには旧来の消炎鎮痛剤の効果が6割程度しかなく、痛みに悩む患者は複数の医療機関を渡り歩いている現状があるため。
・ 現状を改善するために、医療体制の構築、チーム医療の整備、人材育成、患者参加型の医療が必要とされ、現在体制整備を行っている。
 
〈慢性疼痛と痛みの概念の変化〉
・ かつて、痛み感知のメカニズムの原型を考え出した哲学者デカルトの「灼熱痛の経路」を起点に、現在では痛みが伝わる解剖学的経路はかなり解明され、さらに、痛みを可視化する技術が進歩してきた。末梢で痛みを起こす組織の変化を確認したり、機能的磁気共鳴画像法(Functional MRI)による疼痛の可視化により、痛みの客観的評価が可能となり、診療の進歩に繋がっている。
・ しかしながら、人の感覚の機構は複雑であり、未だ解明されていない。痛みも単なる皮膚からの刺激だけでなく、中枢内には複雑な事象が起こっていると考えられ、慢性疼痛(非常にしつこい痛み)が残ると考えられている。
・ 平成22年度の厚生労働省科学研究「筋骨格系の慢性疼痛に関わる調査研究」では、慢性疼痛保有者は18歳以上男女の15.4%(男性13.6%・女性16.8%)を占めると報告。
・ 2009年の服部らの「日本における慢性疼痛を保有する患者に関する大規模調査」による報告でも、慢性疼痛保有者は18歳以上男女の13.4%であった。痛みの部位は腰が最も多く、治療機関は、病院・診療所19%、民間治療20%、両方3%、治療していない55%であった。治療内容は、マッサージ31%、投薬22%、理学療法16%。
・ 治療機関を変更する場合もあり、その理由としては、前の治療に満足できなかったから40%、家族や知人に紹介されたから33%。
・ これまでの治療への満足度は、非常に満足4%、やや満足32%となっており、治療に満足していない患者は、どちらともいえないを含めて半数以上に上る。
→ 慢性痛がうまく治療されていない実情が明らかに。
・ 痛みは、侵害受容性疼痛・神経障害性疼痛・心因性疼痛に分類。
・ 侵害受容性疼痛は外から人の体に害を及ぼすような刺激が加わったときに生じる痛みで、侵害刺激や炎症により活性化された発痛物質が侵害受容器を刺激することによって起こる。
・ 外傷、変形性関節症、打撲などがある。神経障害性疼痛のメカニズムはまだ十分解明されていないが、神経の損傷あるいはそれに伴う機能異常により起こる痛みで様々な知覚異常を伴う・・・帯状疱疹後神経痛、糖尿病性神経障害に伴う痛み、脳卒中後疼痛など。
・ 診断には問診で診断サポートツールを用いて評価することがある。
・ 心因性疼痛は心理的な要因による傷みである。
・ 痛みの要因は重複することが多く、侵害受容性疼痛、神経障害性疼痛にさらに心因性疼痛が加わることにより、その対応は非常に複雑なものとなる。
・ 痛みは、なんらかの外傷(侵害刺激)によって末梢侵害受容器が刺激され、それにより生じたインパルスが末梢神経を通り、脊髄、脊髄視床路を通って脳に伝達され、痛みを感じる仕組みと考えられている。
・ 脊髄や脳でこの伝導系を抑制する仕組みなどが分かっている。
・ 侵害刺激による侵害受容性疼痛の治療には非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDS)
・ 神経障害性疼痛にはそれぞれの部位の神経機能を停止させ痛みの伝達を遮断する末梢神経ブロックや脊髄の硬膜外ブロック。
・ 痛みの伝導系や抑制系の各所に働く薬物が開発され、末梢性神経障害性疼痛にはプレガバリンや抗不安薬など。
・ 鎮痛剤の選択肢が増えてきた結果、最近、欧米では慢性疼痛でも癌性疼痛と同様に三段階除痛ラダーに添ったオピオイドを含む鎮痛剤の使用が推奨。
・ 第1段階では非オピオイド鎮痛薬(NSAIDS、アセトアミノフェン)±鎮痛補助剤(抗うつ剤、抗てんかん剤)、第2段階では弱オピオイド(コデイン)±非オピオイド鎮痛薬±鎮痛補助剤、第3段階では強オピオイド(モルヒネ、フェンタニル)±非オピオイド鎮痛薬±鎮痛補助剤の使用を選択する。
・ DDSの進歩により、注射や坐剤であった合成麻薬は貼付剤として開発され、新しい鎮痛薬の特性や副作用を十分に理解し、適正な使用が求められている。
 
〈運動器疾患診療におけるチーム医療〉
・ 20世紀は、「病院の世紀」とされ、医学が様々な病気を治すことが可能になり、各種専門職種を集め、効率的に診療をする体制が病院として成立
・ 医療技術の急速な進歩、専門の細分化が進み、1980~90年代には、単に命を永らえるだけでなく不老を望む時代に。
・ 病院内の医療者の連携が密でないと、患者にリスクが生じた場合に防御機構が働かない。
・ 医療者の人間関係が潤った連携が、リスク管理の概念であるスイスチーズモデルのように視点の異なる防護策を何重にも組み合わせることで事故が発生する危険性を回避することに繋がっていく。
・ 運動器疾患の薬物治療は急速に進歩しているため、今後、薬剤師のチーム医療での役割に期待したい。
 
Q.1患者から痛みの相談を受けたときには、まずどの科を紹介したらよいか?また、診療科を超えての診療体制の整備は今後期待を持ってよいのか?
A.1痛みの治療については診療体制が整っていないのが現状である。現時点では、まずは整形外科を受診し、状況に応じて麻酔科医のサポートや心理的な要因があれば精神科医の指導も必要だと思われる。現在、厚生労働省も含めて診療体制を整備する出発点にある。痛みをもつ患者は民間療法に頼りがちでもあるが、今後は医療人が治療だけでなくこのような相談にも対応もしていく必要があると考える。
最終更新:2011年10月19日 12:54