近鉄電鉄

近畿日本鉄道電気鉄道株式会社の略称。
正式名称は異なるようだ。
近畿日本鉄道株式会社(きんきにっぽんてつどう、英称 Kintetsu Corporation)

大阪府・奈良県・京都府・三重県・愛知県の2府3県に跨る営業路線網を持つ大手私鉄である。
最近神戸にも乱入している。
JRグループを除く日本の鉄道事業者(民営鉄道)の中では最長の路線網を持つ。

一般的には略して近鉄(きんてつ、Kintetsu)と呼ばれている。
多数の企業を擁する近鉄グループを抱え、様々な事業を行っている

近鉄電鉄の歴史
1910年(明治43年)9月16日:奈良軌道設立
1910年(明治43年)10月15日:大阪電気軌道に社名変更
1914年(大正3年)4月30日:生駒トンネルの開削により上本町駅 - 奈良駅間開業
1921年(大正10年)1月1日:天理軽便鉄道を買収
1922年(大正11年)1月25日:生駒鋼索鉄道を合併、生駒鋼索線となる
1923年(大正12年)3月21日:畝傍線(現在の橿原線)全通
1926年(大正15年)6月11日:菖蒲池駅前にあやめ池遊園地を開園
1926年(大正15年)9月16日:上本町ターミナルビル(初代)開業
1927年(昭和2年)7月1日:八木線(現在の大阪線布施駅 - 大和八木駅間)が全通
1927年(昭和2年)9月28日:参宮急行電鉄を設立
1928年(昭和3年)1月8日:大阪電気軌道が長谷鉄道を合併。長谷線となる
1928年(昭和3年)11月15日:京阪電気鉄道と半分ずつ出資の合弁会社である奈良電気鉄道により、京都 - 西大寺(現在の京都線京都 - 大和西大寺間)が全通
1929年(昭和4年)3月27日:大阪電気軌道が生駒山上遊園地を開園
1929年(昭和4年)3月31日:大阪電気軌道が伊賀電気鉄道を合併、伊賀線となる
1929年(昭和4年)5月25日:大阪電気軌道がバス営業開始(奈良春日奥山周遊線)
1929年(昭和4年)8月1日:大阪電気軌道が吉野鉄道を合併、吉野線となる
1930年(昭和5年)12月15日:大阪電気軌道の信貴線開業
1930年(昭和5年)12月20日:参宮急行電鉄の桜井駅 - 山田駅(現在の伊勢市駅)間が全通し、上本町駅 - 山田駅間直通運転を開始
1931年(昭和6年)3月17日:参宮急行電鉄の山田駅 - 宇治山田駅間が開業
1932年(昭和7年)1月1日:上本町駅 - 宇治山田駅間に特急を運転開始
1936年(昭和11年)1月24日:関西急行電鉄を設立
1936年(昭和11年)9月15日:参宮急行電鉄が伊勢電気鉄道を合併、桑名駅 - 大神宮前駅間を伊勢線とする
1938年(昭和13年)2月1日:大阪電気軌道の長谷線廃止
1938年(昭和13年)6月20日:参宮急行電鉄が津線参急中川駅 - 江戸橋駅間を全通させ、伊勢線と接続
1938年(昭和13年)6月26日:関西急行電鉄が桑名駅 - 関急名古屋駅(現在の近鉄名古屋)間を開業
1940年(昭和15年)1月1日:参宮急行電鉄が関西急行電鉄を合併
1940年(昭和15年)8月1日:参宮急行電鉄が養老鉄道を合併、養老線となる
1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併し、関西急行鉄道となる
1942年(昭和17年)4月1日:電気供給事業を関西配電(現在の関西電力)に譲渡
1942年(昭和17年)8月11日:元伊勢電気鉄道の路線の一部だった伊勢線の新松阪駅 - 大神宮前駅間が参宮線も含めた3路線競合区間ということもあり、不要不急線として廃止
1943年(昭和18年)2月1日:大阪鉄道を合併。現在の南大阪線等の前身。この時、本社を上本町から旧大阪鉄道本社のあった阿部野橋に移転する
1944年(昭和19年)4月1日:南和電気鉄道・信貴山急行電鉄を合併
1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道と南海鉄道が合併、近畿日本鉄道が発足。この時、4営業局体制(難波・天王寺・上本町・名古屋の各営業局)となる。難波営業局は旧南海鉄道本社に置かれる
1947年(昭和22年)6月1日:旧・南海鉄道の路線(難波営業局管内全路線と天王寺営業局管内のうち阪堺線・上町線・平野線)を高野山電気鉄道改め南海電気鉄道へ譲渡
1947年(昭和22年)10月8日:名阪特急運転開始
1948年(昭和23年)3月31日:河内花園駅構内で追突事故が発生
1948年(昭和23年)7月18日:特急で車内販売開始
1949年(昭和24年)12月1日:プロ野球球団近鉄パールス(後の大阪近鉄バファローズ、現在はオリックス球団と統合してオリックス・バファローズ)発足
1950年(昭和25年)8月22日:タクシー事業を近鉄タクシーに分社
1954年(昭和29年)10月1日:旅行業を近畿日本航空観光(現在の近畿日本ツーリスト)に譲渡
1956年(昭和31年)9月28日:名古屋線川原町駅 - 諏訪駅 - 四日市駅 - 海山道駅間が新線に切り換えられ、国鉄四日市駅を経由しなくなる。同駅北に存在した半径100mの急曲線(善光寺カーブ)も解消され、同線の速度向上と車両大型化に貢献した
1956年(昭和31年)12月8日:大阪線上本町 - 布施間の複々線化が完成
1958年(昭和33年)7月11日:伊勢特急に2階建て車両付きの特急「ビスタカー」が登場
1959年(昭和34年)3月6日:毎日放送テレビで自社提供番組「真珠の小箱」の放送開始(2004年3月27日、2,314回で終了)
1959年(昭和34年)9月26日:伊勢湾台風により被災。不通区間多数
1959年(昭和34年)11月27日:名古屋線全線復旧と同時に同線標準軌化。なお同線の支線は当時の神戸線(現在の鈴鹿線)を除き狭軌で復旧
1959年(昭和34年)12月12日:名阪特急の直通運転を開始。伊勢中川駅での乗り換え解消。「ビスタカー2世」登場
1960年(昭和35年)3月26日:電子計算機による特急座席予約業務開始
1960年(昭和35年)9月15日:日本初の2階建てバス「ビスタコーチ」の営業を開始
1960年(昭和35年)12月1日:大和文華館が開館
1961年(昭和36年)1月22日:伊勢線の残りの区間である江戸橋駅 - 新松阪駅間廃止。津市街の一部区間はしばらく三重交通バス専用道路とされ、代行バス的な運行が行われる
1961年(昭和36年)3月29日:中川短絡線が開通。同線経由で上本町駅 - 名古屋駅間にノンストップ特急(甲特急)運転開始(乙特急の短絡線使用開始は1963年9月21日より)
1962年(昭和37年)4月4日:2階建て団体列車用車両「あおぞら」登場
1963年(昭和38年)10月1日:奈良電気鉄道を合併。京都線となる
1964年(昭和39年)4月28日:信貴生駒スカイラインが全通
1964年(昭和39年)7月23日:新生駒トンネルが開通
1964年(昭和39年)10月1日:信貴生駒電鉄を合併、生駒線・東信貴鋼索線・田原本線となる。伊賀線伊賀神戸駅 - 西名張駅間を廃止
1965年(昭和40年)4月1日:三重電気鉄道を合併、志摩線・北勢線・湯の山線・内部線・八王子線となる。現在の路線網がほぼ完成する
1965年(昭和40年)7月1日:茨木バスの事業を譲り受ける
1967年(昭和42年)3月26日:葛城索道線(葛城山ロープウェイ)営業開始
1967年(昭和42年)12月4日:奈良線で近鉄初のATS使用開始
1968年(昭和43年)12月20日:丹波橋駅での京阪電気鉄道との相互直通運転廃止
1969年(昭和44年)9月21日:京都線・奈良線・橿原線・天理線・生駒線・田原本線の架線電圧を600Vから1,500Vに昇圧
1969年(昭和44年)11月23日:上本町ターミナルビル新館第一期が完成(現在のビルの南半分。北半分は1973年6月15日に完成)
1969年(昭和44年)12月5日:上本町に現本社ビルが完成。これにより本社が阿部野橋から再度現在の上本町に戻る
1970年(昭和45年)3月1日:鳥羽線全通。志摩線改軌完成。賢島への特急直通運転開始。上本町駅地下ホーム使用開始。また「近畿日本」を冠していた駅名を「近鉄 - 」に改める(近畿日本名古屋駅から近鉄名古屋駅へなど)
1970年(昭和45年)3月9日:特急座席予約システム更新。即時発券開始。世界初の(指定券)特急券自動発売機実用化
1970年(昭和45年)3月15日:難波線が開業。奈良線列車が延長運転される
1970年(昭和45年)3月21日:近鉄難波駅(現在の大阪難波駅) - 賢島駅間直通の特急の運転を開始
1971年(昭和46年)10月25日:大阪線榊原温泉口駅 - 東青山駅間で特急同士の列車衝突事故が発生
1972年(昭和47年)6月1日:百貨店事業を株式会社近鉄百貨店に分社
1975年(昭和50年)11月22日:新青山トンネルが開通、大阪線の全線複線化が完成
1978年(昭和53年)12月30日:「ビスタカー3世(現在のビスタEX)」営業運転開始
1983年(昭和58年)9月1日:東信貴鋼索線廃止
1984年(昭和59年)9月3日:VVVFインバータ制御車、1250系(現在の1420系)落成
1985年(昭和60年)10月3日:上本町ターミナル整備が完成、近鉄劇場と都ホテル大阪が開業。テレメイトの運用を開始
1986年(昭和61年)3月1日:VVVFインバータ搭載量産車、3200系営業運転開始
1986年(昭和61年)10月1日:東大阪線(現在のけいはんな線長田駅 - 生駒駅間)が開業。プリペイドカード「パールカード」「パールカード11」発売開始
1988年(昭和63年)3月18日:名阪特急に「アーバンライナー(現在のアーバンライナーplus)」が登場し、120km/h運転を開始
1988年(昭和63年)8月28日:京都市営地下鉄烏丸線と相互直通運転開始
1988年(昭和63年)11月11日:阿部野橋ターミナルビルの増築が完成、高速バス発着場(あべの橋バスステーション)も開設
1989年(平成元年)10月3日:団体列車用車両「旧あおぞらII」が登場
1990年(平成2年)3月15日:吉野特急に「さくらライナー」が登場。前後して駅係員・乗務員の制服を灰色地のものに変更
1990年(平成2年)11月23日:団体列車用車両「楽」が登場
1992年(平成4年)3月19日:特急用電車「ACE」が登場
1994年(平成6年)3月15日:伊勢特急に「伊勢志摩ライナー」が登場し130km/h運転を開始
1996年(平成8年)1月30日:公式ウェブサイト「K's PLAZA」開設
1996年(平成8年)2月:2610系改造車にてデュアルシート車(L/Cカー)の試験を開始
1997年(平成9年):世界初のデュアルシート車(L/Cカー)の量産車、5800系登場
1999年(平成11年)10月1日:自動車局(バス部門)を近鉄バス・近鉄観光バスに分社(2006年9月1日に近鉄観光バスは近鉄バスに統合)
2000年(平成12年)3月15日:京都線・橿原線・天理線・奈良線で新型通勤車両「シリーズ21」営業運転開始。以後大阪線・南大阪線に登場
2001年(平成13年)2月1日:関西共通乗車カードシステム「スルッとKANSAI」に参加、青山町以西でストアードフェアシステム開始
2001年(平成13年)10月14日:青山町以西で「Jスルーカード」が利用可能に
2002年(平成14年)3月20日:特急での車内販売を休止
2003年(平成15年)3月6日:名阪特急に「アーバンライナーnext」登場(ただし2002年12月23日より団体列車で暫定営業)
2003年(平成15年)4月1日:北勢線を三岐鉄道へ譲渡
2003年(平成15年)6月28日:上本町・天王寺の各営業局を統合して大阪輸送統括部に、名古屋営業局は名古屋輸送統括部に名称変更し、3営業局体制から2輸送統括部体制に変更。また、駅業務・営業部門を近鉄ステーションサービスに分社(駅係員の制服も一新)
2004年(平成16年)6月6日:近鉄あやめ池遊園地が閉園
2004年(平成16年)11月30日:大阪近鉄バファローズの経営権をオリックス野球クラブ株式会社に売却。球団合併によりオリックス・バファローズとなる。その後も当球団の20%の株式を出資
2005年(平成17年)12月1日:団体列車用車両「新あおぞらII」が運転開始。公式ホームページを鉄道情報と企業情報に分離
2006年(平成18年)3月1日:近鉄ステーションサービスを合併し、駅業務を再直営化
2006年(平成18年)3月27日:けいはんな線生駒駅 - 学研奈良登美ヶ丘駅間開業。東大阪線をけいはんな線に改称(既存路線名の改称は1963年の神戸線(現在の鈴鹿線)以来43年ぶり)
2006年(平成18年)11月3日:伊勢志摩発着の特急に限り車内販売を再開(土曜・休日の伊勢志摩ライナーに限る)
2007年(平成19年)4月1日:ICカード「PiTaPa」サービス開始。同時に近鉄線で「ICOCA」も利用可能に
2007年(平成19年)10月1日:伊賀線および養老線をそれぞれ伊賀鉄道、養老鉄道(いずれも近鉄の子会社で、第二種鉄道事業者)に運営を移管。線路や車両などは近鉄が第三種鉄道事業者として保有
2008年(平成20年)3月17日:GPSを用いた日本国内2例目となる「運転士支援システム」をワンマン列車など一部の列車を除く全列車に導入
2008年(平成20年)6月14日:車上速度パターン照査式ATS (ATS-SP) を難波線全線と大阪線・京都線・南大阪線・名古屋線の一部区間で使用開始
2008年(平成20年)9月15日:Jスルーカード・パールカードの発売を終了
2009年(平成21年)3月1日:Jスルーカード・パールカードの自動改札機・自動精算機での利用を終了(自動券売機での切符への引き換えは、当面の間継続)
2009年(平成21年)3月20日:阪神なんば線と相互直通運転開始。近鉄難波駅を大阪難波駅、上本町駅を大阪上本町駅、富洲原駅を川越富洲原駅に改称

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最終更新:2009年12月02日 19:21