別作者さんによる涼宮ハルヒの変化 の続きです。
鏡の中の自分に微笑みかけた。柔らかく口端を上げて、聖母のように慈悲深い優しい瞳がポニーテールの私を見る。
我ながら完璧な変身だわ。ついでにノンフレームの伊達眼鏡を掛けたら顔が引き締まる気がした。胸がこれから起きる不思議な何かへの期待で一杯になる。
一昨日、お隣に住む長女から聞いた魔法の呪文のような言葉。半信半疑だったけれど、ちょ~っと慎ましやかになっただけで昨日の周りの反応のあの面白さと言ったら背筋がゾクゾクときた。
これは絶対に不思議な事を引き起こすキッカケになるわ!
もしかしたら、私の変化を聞きつけて宇宙人や未来人、はたまた超能力者が向こうから接触するかもしれない! そしたら捕まえて、SOS団並びにうちの家族やお隣の人達も巻き込んで不思議探検に行ってやる。今回は特別なんだからね。
……べ、別に一人が怖いんじゃないんだからっ。
朝食の席に先についていたアスカと翠の固まった顔を涼しい顔して眺めながら、さっき鏡の前でした笑顔を浮かべて言った。
「おはよう御座います。アスカさん、翠星石さん」
「……ハル姉、まだ戻らないのね」
「よく判らないですけれど、アスカさんの気分を悪くさせてしまっているようなら心から謝らせてください。可愛い妹が清々しい朝に憂鬱げな顔をしているだけで、それが気掛かりになり、私の胸を深く締め付けますわ」
「ハル姉~」
額に青い陰りを帯びたアスカが食パンを不味そうに啄む。こういう時、一番イイ反応をしてくれるのがアスカよね。翠がハル姉と私の腰に縋り、涙目でこちらをじっと見た。さすがに良心が痛い。翠は繊細でまっすぐなのよね。
翠の頭を優しく撫でる。これぐらいなら変化の範疇内のはずだわ。
「泣かないで……確かに、アスカさんと翠星石さんが仰る、一昨日前と今の私の相違点はよく判らないのですが……私は幸せ者なのですね」
「ハル姉~! 本当に……判らないんですか」
「愛しの妹たちにこんなにも心配されて、姉冥利に尽きますわ」
アスカは早口でドイツ語を呟いて席を立ち、鞄を持って疲れた顔で「行ってきます」と玄関に急ぐ。うなだれた翠星石も私から離れると台所から出て行った。
なんだか、台所が広い。いつもの騒がしい朝食が静まり返って、心の中のもう一人の私がつまらなそうに眉を顰める。
私はもう一人の私に『普通のどこが面白いの!』と声を出さずに怒鳴りつけて深く息を吐いた。
私は変身しただけ。不思議な体験をしたら、絶対にジョンにも会えるわ。鼻高々と事細かに報告してやるの。普通の人間が体験出来ないことを沢山!
調子を狂わされながらも、私は湯気の立つコーンポタージュを飲んで、一緒に登校するためにアスカの後を追った。
玄関の扉を開けて飛びかかる北風を払いながらアスカが歩く隣に小走りで行く。アスカのキャラメル色のダッフルコートが朝日を浴びて、より明るく見えた。
「アスカさん、待って」
「……ハル姉はもっと後に出ても学校に間に合うわよ」
「今日は可愛い自慢の妹と登校したかったの……駄目だったかしら?」
私の顔を見て脱力したアスカはそういえば編み物は誰に渡すのと聞いてきた。
昨日、お遊びで作ったのは落ち着いたチャコールの目が粗い短めなマフラー。なんとなくジョンを思い出して作っていただけで渡すのまで考えていない。
涼宮ハルヒ、慌てては駄目よ。平常心平常心。
「もしかしてキョンさんに?」
「残念、違います。ふふっ、アスカさんはおませさんね。今度はアスカさんによく似合う赤いマフラーを作りますから」
アスカは短く溜め息をついてこめかみに人差し指を押し当て苦笑する。
「そうね、ルビーみたいな綺麗な色でお願い」
「翠星石さんにはお抹茶のような優しい緑色のカギ編みのマフラーにしようと思っているんです」
「お抹茶……敢えてもうツッコまないわ。それに翠に似合いそう」
「はい。張り切って作りますからね」
アスカに向かって微笑むと、「うう、気持ち悪い」と顔を反らされた。言葉とは裏腹にその声は優しい。
まったく、素直じゃないんだから。
疲れ気味のアスカと別れ、高校の教室に辿り着くとすでにキョンが席に座っていた。珍しく早い。
突然後ろから肩を叩かれ振り向くと満面の笑みを浮かべた朝倉が「おはよう!」と挨拶を寄越した。意外と厄介なのよね。
「朝倉さん、おはよう御座います」
「あらら、まだ戻ってないのね」
「あの……どうかしましたか?」
「ん~ん。でも嬉しいな、おはようって返されたの初めてかも。じゃ」
手を振る朝倉にそういえばそうねとぼんやり思っていると、キョンに名前を呼ばれた。
「ハルヒ、お前もしかして熱でも有るのか? 朝倉に挨拶なんて」
「いえ、心配には及びませんキョンさん」
「その気持ち悪い呼び方を止めろ! お前にさん付けで呼ばれるとサムイボが立つ」
「キョンさん遅れましたがおはよう御座います」
この世の終わりだと悟った影を背負うキョンは頭を抱えてうなりだす。と、そこにバカ谷口がヘラヘラ笑ってきた。
「朝から痴話喧嘩か~」
「違います」
「……どうした涼宮」
「おはよう御座います。谷口さん」
「キョンよ、涼宮ハルヒには性格が真逆な双子の姉でも居たか」
「いや、紛れもなく涼宮ハルヒは三姉妹の長女で一卵性の双子もいない」
「さきほどから皆さん失礼です。キョンさんも谷口さんも私を化け物か何かのように……」
みくるちゃんを少し真似て心細そうに口元に手をやる。
多少大袈裟に言ってもどうやら効果はてきめんのようで、変な動きをしながら谷口は席に戻っていった。
キョンは溜め息をつくと目元を人差し指で指して、呆れた声で私に尋ねる。
「お前、その眼鏡は? 視力は良かったと思うのだが」
「伊達眼鏡です。昨日、出先で気に入って買いました……似合いませんか?」
「一般論で言えば似合っていなくはないが、俺個人に限ってはお勧めしないな。ポニテは顔の輪郭を素直に表すが、眼鏡はそのラインを壊して隠してしまう」
ヘンテコなポリシーを語ったキョンはまた溜め息をつくと、まだ席に座らない私を見上げた。そろそろ予鈴が鳴る。木枯らしが窓の外で草笛を唸らせた。
「アスカも翠星石も困ってなかったか?」
キョンの何気ない問い掛けに疲れた表情のアスカと塞ぎ込む翠の目を思い出す。朝食の時に胸の奥に押しこんだもう一人の私が騒ぎ出した。
『私の妹たちを悲しませないで! ただ振り回してるだけじゃない!』
「そうですね。アスカさんも、翠さんも……」
お隣の長女の穏やかな声がこみ上げてくる何かを遮ろうと頭の中で回る。
変わらなきゃ、変わらなきゃ私はずっと普通の女子高生よ。ジョンにだって顔向けできない。
キョンが何かに気付いたように今度は短く息を吐いて口を開けた。
「……ハルヒよ。レイさんが言ったことだが、あれは確かに正しい部分も有る。まあしかしだ、変わるということは変わりたくない部分まで多かれ少なかれ変えるのだ。お前の妹たち二人を困らせることは変わりたい部分なのか?」
「バカキョン!」
喉がピリピリし出して、思わず叫んでしまった。本当は認めたくないけれどバカなのは。
伊達眼鏡を外し、ポニーテールにしていた紐を解くと視界がクリアになり、降ろした髪が寒かった首元を温める。
「私、今日は体調不良で欠席するわ。SOS団も今日は休みよ」
「唐突な展開なのは致し方ないようだな。その横暴さこそ涼宮ハルヒだ」
「……そ、それとキョン、これは要らなくなったからあげるわ。捨てちゃ駄目よ、なんなら妹さんに私からのSOS団支部の物資と伝えておいて!」
スクールバックから少し短いチャコール色のマフラーを出すとキョンの机に否応無しに叩きつけた。そのことを大して気にせず、キョンはこれからの私の予定を聞いた。
そんなの決まっている。
「赤と緑のマフラーを編むのよ!」
変わりたい部分をもっと変われば良いだけの話。鏡で練習をしたことのないいつもの笑顔で、私は教室を飛び出した。冷たい風が熱い頬を気持ち良くなぜる。セーラーのリボンが揺れて赤い炎に見えた。
アスカは頬を紅潮させ、翠は嬉しそうに顔を寄せて、私の作ったマフラーを巻いて笑っている。幸せな気分が胸を駆け巡った。
目指すは手芸屋だわっ。
END
【番外編】
「ねえ有希、何故あなたは私に自己啓発の本を最近寄越すの? 私はハーレクイン小説が読んでみたいのに」
「私の、誤差プログラム」
「?」