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 ほのかに甘くて、やわらかい香りが漂っていた。翠星石がプレーン・スコーンを焼いているのだ。
 ハルヒは、その様子を立ったままぼんやりと眺めていた。オーブンの前で焼き上がるのを待つ翠星石が顔を向けると、ハルヒは穏やかに言った。
「今日は、普通のスコーンなの?」
「そうです」
 翠星石はそう答えると、冷蔵庫からジャムの瓶を取り出した。それを渡されたハルヒは、リビングに行くとテーブルの上にジャムを置き、ソファーに腰かけた。そしてティーカップに紅茶を注いで翠星石を待った。窓の外には雲ひとつなく、突きぬけるような青空が広がっていた。
 しばらくして、翠星石が白い皿に盛られた焼きたてのプレーン・スコーンを持ってきた。
「おいしそうね、いただきます」
「いただきますぅ」
 シンプルで飾り気のない味わいは、素朴だが紅茶によく合うものだった。
「ハル姉は明日どうするんですか?クリスマスだしSOS団で何かやるんですか?」
 翠星石が尋ねてもハルヒはそれに答えず、ほんのわずかな間をおいてから、逆に質問をした。
「……翠は?どうすんのよ?」
「チビ人間の家にでも遊びに行ってやろうかと思ってますぅ」
「ふぅん。それじゃアタシはSOS団で鍋パーティーでもやろうかしら」
 二人はそれからあまり会話をせず、食べることに集中した。

 夕方になるとアスカが帰ってきた。ハルヒは食事の支度をしていて、翠星石はリビングでテレビを見ていた。やがて夕飯ができると、三人は食卓に着いた。
「ねえ。帰ってきたとき何かいい匂いがしたんだけど?」
 アスカに聞かれ、ハルヒは翠星石の顔を見ながら言った。
「翠がスコーン焼いてくれたのよ」
「えー!ずっるーい! いーなぁ、あたしも食べたかったなぁ。どんな味のやつ?」
 羨ましそうに口を尖らせるアスカに、翠星石が答えた。
「今日は普通のです。まだ少し残ってますよ」
「ほんと!?あとで食べよっ!こないだ作ってくれたのは美味しかったわ、チョコチップ入りのやつ。また食べたいわね。他の味も作ってみるといいんじゃない?」
「そのうちやってみますぅ」

「ところでアスカ、あんた今日何してたのよ?ずっと出かけてたじゃない」
 箸を進めながら、ハルヒが言った。
「それが聞いてよハル姉!明日のクリスマスパーティーでプレゼント交換するんだけどさ、バカシンジが何買えばいいか分からないから付き合って、とか言うのよ?それじゃあたしはシンジのプレゼントの中身を先に知っちゃうじゃないって答えたら、あぁそっか、だって!!もうどこまでバカシンジなのよ!?でも一人で買わせて変なもん用意されても困るし、仕方ないから付き合ってやったのよ!」
「へぇー、相変わらずね」
 ハルヒの言葉に翠星石が付け足した。
「というかアス姉はシンジと買い物がしたかっただけですぅ」
「ばっ……!そんなわけないでしょ!!?もうっ!!」

 食事が終わり、アスカが自室でくつろいでいると、ドアを叩く音がした。
「アスカ、入るわよ」
 そう言ってハルヒが部屋に入ってきた。
「なに?ハル姉」
「あのさ、明日、ミサトさんちでパーティーよね?」
「そうよ」
 返事をしたアスカをまっすぐ見つめて、ハルヒが言った。
「やっぱさ、あたしたち三人で過ごせないかしら?」
「え?急にそんなこと言われても……。何でよ?」

 ハルヒは、その理由についてアスカを見つめたまま淡々と話し始めた。

       *

 それはアスカの誕生日のことだった。
 アスカは翠星石の作ったスコーンが大好きで、いつも本当に美味しそうに食べては、そのたびに絶賛するほどだった。
 そこで翠星石は誕生日祝いにスコーンを焼くことにした。それまでプレーン・スコーンしか作ったことがなかったが、せっかくだからと思い、いつもと少し違うスコーンを作った。
「なかなか腕を上げたじゃない!しかもチョコチップ入りとはね!最高に美味しかったわ翠、ありがと!!」
 アスカにそう言われて喜んだ翠星石は、クリスマスに向けて今度はマフィンを作ってみようと意気込んだ。色々な味のマフィンを作って、テーブルを華やかに彩る。
 初めてスコーン以外のものに挑戦するのだ。誰かに教わるわけではなく、自分の力で。
 本を買ってきて、アスカが学校に行ってる間にこっそり練習した。上手に作れるようになって、クリスマスにアスカを驚かせようとしていたからだ。
「いつのまにレパートリー増やしたのよ?やるじゃない、翠」
 そんな言葉を期待しながら、暇をみつけてはマフィン作りに励んでいた。
 ハルヒが腕によりをかけた料理を三人で囲み、自分が作ったマフィンと買ってきたケーキを食べる、翠星石はそんなクリスマスを思い描いていた。

 それから何日か経って、シンジからアスカに電話があった。
「あのさ、アスカはクリスマスに予定ある?」
「え…と…なっ……なんであんたにそんなこと聞かれなきゃなんないのよっ!?」
「いきなり何を怒ってるんだよ?トウジとか委員長とか、クラスのみんなでクリスマスパーティーをやろうって話になったから、アスカもどうかなと思って」
「なんだ……そっか……そ、それならそうと先に言いなさいよ!仕方ないわね!空けといてあげるわ!」
「あ、無理にとは言わないよ。何か予定があったんなら、」
「ないわよ!!なにもない!」
「そう?じゃあアスカも参加だね。楽しみにしてるよ」

 アスカはそのことを他の姉妹に話した。
「……というわけで、シンジがどうしてもって言うから、クリスマスはあたしミサトの家に泊まることにしたわ」
「あのシンジくんがどうしてもって言ったんだ。珍しいわね!」
「そ、そうよ!珍しいから仕方なくね……」
「シンジはどうしてもなんて言わないですぅ。もし空いてたらって誘い方をしたに決まってますぅ。がっついたのはアス姉の方ですぅ」
「ちちちがうわよ!このあたしがシンジの誘いにがっつくわけないでしょ!?」

 その日を境に、翠星石はマフィンを作るのをやめてしまった。

       *

「翠はね、自分が作ったスコーンをアスカに食べてもらって、アスカに美味しいって喜んでもらえることに、特別な思いがあるみたいなのよね。きっと本人だけにしか分からない思いがね」
 部屋の中の時間が止まっているかのように、アスカはじっとしてハルヒの話に耳を傾けていた。
 一息ついて、ハルヒは続けた。
「あたしが翠のマフィン作りに気付いたのは、アスカがミサトさんちのパーティーの話をした次の日だったかしら。確かあんたは出かけていて居なかったっけ……」

       *

「翠、この本どうしたの?」
「あ!それは……!」
 リビングのテーブルに置いてあったお菓子作りの本を手に取ると、ハルヒは付箋が貼ってあるページを開いた。
「へー!今度はマフィン作るの?」
「もう……作らないです……」
「えっ?なんで?だって付箋貼ってあるじゃない」
 翠星石は、アスカの誕生日のこと、マフィン作りのことを話した。
「……それで、上手にできるように内緒で練習して、クリスマスに作って驚かせてやろうと思ってたんですけど……」
「あぁ、あの子ミサトさんちに行くんだっけ」
 ハルヒがそう言うと、翠星石は黙ってうつむいてしまった。
「でも別にいいじゃない、クリスマスに拘らなくても。マフィンが上手に作れるように練習を続けたら?いろんなお菓子が作れるようになるのはいい事だわ」
「そうですけど!そうですけど……もう、いいですから……」
 翠星石は、それ以上何も言おうとせず、ハルヒからお菓子作りの本を力なく取ると、付箋をはがして自分の部屋に行ってしまった。

       *

「なんでよ!そんなことでせっかく練習したマフィンをもう作らないなんて……」
 アスカがそう言うと、ハルヒは落ち着いた声で答えた。
「そうよね。別にクリスマスにアスカがいないからって、マフィン作りをやめる理由にはならないわ。でもそれを理由にしちゃってる」
「そんな!?あたしが悪者みたいじゃない!」
「違うわよ! だから、拗ねてんのよ」
「……? どういうこと?」
「要するに、アスカと三人でクリスマスを過ごしたかったのよ。そのために始めたマフィン作りだもの、クリスマスにアスカがいなきゃ、翠にとっては作る意味がないんだわ」

 言葉が出ないアスカにハルヒが続ける。
「それでクリスマスは、ミサトさんちじゃなくて、ココで過ごせない?って聞いたのよ」
「三人で過ごしたかったんなら、翠のやつ前もって話しといてくれたらよかったじゃない!そしたらあたしだって……」
「翠は言うまでもなく三人で過ごすもんだって思ってたのよ。でもそれは翠の思い込み。アスカがミサトさんちのパーティーに行くことになったからって、それもアスカの自由だわ。別に翠はそのことを責めたりはしてないでしょ?アスカの言う通り、三人で過ごしたいって前もって話してたわけじゃないし。あの子もそれぐらい分かってるわよ。それどころか気にしてる様子を全く見せないじゃない?いつもと変わらなく振舞って」
「そうね、全然気付かなかったわ……」
「結果的には、翠が一人で盛り上がって、一人で落ち込んでるだけ。だからこの頼みは、あたしのおせっかいかしら。初めて自分の意思で新しいことにチャレンジしようとした翠を、ほっとけなかったのよ」
「そっ……か」
 複雑な胸中をそのまま顔に表すアスカを見て、ハルヒはこう言い残し部屋を出た。
「あれからあの子はマフィンを作ってない。でもお菓子作りをやめたわけじゃないわ。今日だって作ってたし。……以前と同じ、プレーン・スコーンだけどね」

 アスカは一人になると、夕飯での会話を思い出しては、無数の小さなトゲで胸の奥を刺されているような気持ちになった。

  (クリスマスは当たり前のように三人で過ごすつもりだった翠……
『……明日のクリスマスパーティーでプレゼント交換するんだけどさ……』
    あたしは何も気付かないで無神経なことを言ってたんだ……)

  (あたしを喜ばせようとしてスコーンを焼いてくれた翠……
『……また食べたいわね。他の味も作ってみるといいんじゃない?』
    もう新しいお菓子は作ってくれないかもしれない……)

「まったく……ホントしょうがないわね!あの子も、あたしも!」
 アスカは、机の上にあった携帯電話を腹立たしげに掴んだ。

       *

 翠星石がプレーン・スコーンを焼いている。
 アスカは隣でオーブンを見つめる。
 いつまでたっても焼き上がらないスコーン。
 アスカは言った。
「もう焼けたでしょ?」
 翠星石は何も答えない。聞こえていないようだ。
 今度は声を張り上げて、アスカは言った。
「もう焼けたでしょ!?」
 翠星石は何かつぶやいたが、アスカには聞こえなかった。
 オーブンからスコーンを取り出した翠星石は、動こうとしなかった。
「どうしたの?」
 アスカの問いに答えることなく、翠星石は黙って立ちすくんでいた。

       *

 勢いよくベッドから起き上がったアスカは、一瞬、自分の意識がどこにあるのか分からずに混乱した。
「何!?今の……。夢?ワケ分かんない……」
 朝になっていた。
 ふと横を見ると、ハルヒが部屋のドアにもたれかかって立っていた。
「早くしなさい。翠のやつ、はりきってるわよ」
 ハルヒの言ってることがすぐには理解できず、アスカは口を半開きにしたままドアの方を見つめていた。
「いつまで寝惚けてんの?昨日あの後、あたしの部屋に来て言ったじゃない、ミサトさんちのパーティーには行かないことにしたって。それで今日は買い出しに行って、帰ったら三人でマフィンを焼く。夜はあたしが作って、三人でクリスマスを過ごす。そうすることにしたんでしょ?ほらさっさと着替えて来なさいよ!」
「あ……そっか、そうだったわね。うん、すぐ行くから待ってて」

 アスカが着替えてリビングに行くと、ハルヒと翠星石が待っていた。
 二人に意地悪そうな眼差しを向けた後、アスカは笑みを浮かべて言った。
「ま、何ていうの?クリスマスは家族で過ごすのが当然でしょ?って思うんだけど、ほら、シンジのやつが無理矢理誘うから一度はOKしてやったのよ。でもやっぱりあたしは家族と一緒がいいなぁって、やんわりとね、改めてお断りして…」
「ハイハイ分かったですぅ。今さら何言っても、ハル姉から全部聞いてるですよ?昨日の夜シンジに告白したら見事にふられて、今日のパーティー気まずくて行けなくなったなんて、アス姉は可哀想な子ですぅ。いつもバカ呼ばわりしてるシンジにふられて負け惜しみなんて、ほーんとアス姉は…」
 アスカは固まって、ハルヒの方に視線だけ移した。
「ハ、ハル姉……!?全然意味分かんないんだけど……?」
 すると不思議そうな顔でハルヒが言った。
「あら?あんた昨日あたしの部屋に来て泣きながらそう言ってたじゃない?あたしは、ありのままを翠に話しただけよ?」
「ハル……姉……?????」
 アスカをさらりと無視して、二人は買い物の相談を始める。
「で、何を買えばいいかしら。夕飯とマフィンの材料、それからケーキ、あとは?」
「翠星石はチキンが食べたいですぅ」
「ナイスアイディアね!そうしましょ!お昼はどっかお店に入ればいいわよね。じゃ、買い出し行きましょっか!」
「ちょっと!!何であたしがシンジにふられたことになってんの!?ねぇ!!ハル姉!?」
 唖然とするアスカを引っ張って、三人は家を出た。
 その日買い物をしている間、翠星石はアスカと繋いだ手を一度も離さなかった。