駆けてきた少女




作者:東 直己
発行:ハヤカワ・ミステリワールド 2004.4.25 初版
価格:\1,900

 『ススキノ・ハーフボイルド』では事件の核は描かれていない。主人公である受験生の背伸びしたススキノ・デビューの中で、少年は便利屋と知り合い、女子高生たちの巻き込まれている問題にかする。まさにかするのであって、本当の事件の核には巻き込まれていない。新しい手法で、便利屋シリーズを題材に使ったなと思われる、非常にライトな作品であったわけだ。

 だが、その核のほうを蠢く大人の世界はそうは行かない。少年の目には見えない世界の構造の部分が、より見えてしまうのが47歳の主人公、ススキノ便利屋の目線である。彼の呑む酒の味わいの意味深さは、受験生のそれではない。

 確かにススキノ便利屋シリーズがスタートした地点は、主人公の<俺>がまだ二十代であった。その頃扱った事件は、より個人的なものであり、社会の巨悪なんていうものでもなく、ましてや北海道の闇を蠢く構造悪でもなかった。悪の仕組みは経済ではなかったし、戦う相手はその場その場のヤクザやインテリでしかなかった。

 前作において便利屋はいきなり年齢を重ね、一気に現代へとシリーズは突入してしまったのだが、それでも前作の主たる舞台は北海道の片田舎の町であり、吹雪の中の閉ざされた世界であり、事件そのものの巨悪にはかするだけで済んでいた。

 本作では便利屋はずっとずっと大がかりで手のつけられない警察やマスコミといった巨悪であり、構造悪であり、経済の影の部分でもある世界として、ススキノを歩き回る。少年がハーフボイルドな気分で眺める同じ街を、便利屋は世界への絶望感のようなものにやりきれなさを横溢させ、そこかしこで酒を呑んで歩く。

 憂さ晴らしに近いが、それでも命がけの告発を成してゆく一派に溶け込み、世界の不気味さを嫌なものと捉え、あんなに愛したススキノが重箱の隅のようなやるせないものに変ってきてしまったことに憂いを覚える。駄目になった文化の中、それだからこそ、ごく普通に生きようとする女子高生の姿に便利屋は、惹かれる。彼女のような普通の少女が活きることのできる世界を夢見て、何かをするためにあがく。

 このシリーズは多くの場合、根本的に事件を解決しないし、巨悪は便利屋によって痛手をこうむらない。何かが少しだけ変るかもしれないが、便利屋の前では、途方もない量の金や性欲が腐ったエネルギーを蓄えて転がってゆく。大きな風車の動きを止めようとあがく現代のドンキホーテは、酒と情とを武器にして、とにかくこだわる。こだわり続ける。

 失われゆく世代とも言えそうな、ポスト安保の世代であり、だからこそ個性を重要視する趣味の世代でもある。読者と便利屋のシンクロニシティでこそ読めているが、今のところ、本書に関しては若い世代や団塊の世代の物足りなさしか聞こえてきていない。世代を絞られる作品、になってきてしまっているのだろうか。そのあたりは、ぼくにはわからない。便利屋のこだわり続ける何ものかについて、かなり明確にわかってしまうだけである。
最終更新:2007年01月05日 01:55