スタンレーの犬



題名:スタンレーの犬
作者:東 直己
発行:角川春樹事務所 2005.8.8 初版
価格:\1,900

 東直己が間違いなくペースを上げている。年間一作も出さないことがままあったこの作家が、ここ二年ほど、重い作品、軽い作品と種々取り混ぜてではあるけれど、どんどん書いている。少なくともぼくら読者にはそのように見える。

 その理由として、ひとつには、シリーズものへのこだわりが確実に取り去られたことがあるかもしれない。ススキノ探偵シリーズ、畝原シリーズ共通の大敵であった、道警がらみの暗黒史に一応の決着を見て、その大テーマから解放された作家が、これまで溜め込んできた構想を一気に言葉にしてゆくという、まるでアイディアの搾乳時間というような工程が、今なのかもしれない。

 本作は、かたちを変えた探偵小説である。どちらかといえば『ススキノハーフボイルド』に近い十代後半の若さのさなかにあるアルバイト探偵が主人公であり、これは風変わりな彼による、一人称小説である。

 しかし主人公のユビは、青春小説の主人公のようではなく、どこかジム・トンプスンの『サヴェッジ・ナイト』に登場する若き殺し屋のようである。どこか老成して、どこか不安定で、それでいて淡々として、超人的な部分がある。

 とある58歳の女性社長を札幌から遠くオホーツクの海辺に連れ出し、彼女が一週間札幌に戻らないよう監視し続ける任務をユビは請け負う。彼女がいない間に会社では謀略が行われ、彼女は失脚する。そんな謀略のほうはストーリーの原因ではあっても、ストーリーにさして絡んでこない。だから、これは探偵小説である以上に、不思議な緊張を孕んだロード・ノヴェルなのである。

 前作『義八郎商店街』で見せた荒業とも言える超常的な部分を主人公は秘めている。作品世界の雰囲気は、しっとりとして、シックで、叙情的で、幻想的ですらある。

 そして多くの寓話が主人公らの間で交わされる。これ一冊が多くのエッセイ集であるかのように、多くの寓話を元に、青年探偵と女性社長が会話を繰り広げる。その寓話のひとつがスタンレーの犬の話だ。イギリスにあるスタンレーという村で見たという女性社長の話。

 二つの彷徨える魂が、現実には想定にくい構図で絡み合う不思議なラブ・ロマンスと読めないこともない。それにしては相当にクールな主人公ではある。読み解こうとすれば少し難解。どこか村上春樹的色調を帯びた、東直己の新しい文学世界である。

(2005/09/18)
最終更新:2007年01月05日 02:06