「雨、降ってきたな」
 灰色の髪を後ろに撫でつけたハンス=カウフマンは窓間から見える灰色の街並みを眺めながら、じっとラジオに耳を傾けていた。
 「はい」
 ノイン=カウフマンは頭の上の耳をぴくぴくさせながら夫と同じ様に窓間から雨に濡れる景色を眺めている。
 ラジオからはゆったりとした曲が流れ、カウフマン家の居間全体を包みこんでいる。
上の娘二人は今はそれぞれミュンヘンとベルリン、真ん中の息子と下の四人の娘はまだ学校。店は定休日。
 それにここ最近立てこんでいたごたごたも片付いて、久々にハンスは妻とゆっくり休める休日を過ごしていた。
こんなのはいつ以来だろうか。とハンスは思う。
 おそらく慣れない料理をしようとしてレンジで手を火傷した時、病室でノインと夜を明かした時以来だろうか。
いや。ちょうどこんな雨の降っていた、この街にたどり着いた日以来だろうか。
思えば、この人生で大事な日にはいつも雨が降っていた。
夫婦に初めての子供が産まれた日、店を開いた日、結婚式をあげた日、この街にたどり着いた日、そして妻と出会った1945年の4月、第三帝国最後の雨の日。
あの日。ハンスは第三帝国最後の、四月の雨の日に思いをはせる。
 俺は戦車に向かってくるノインに火焔放射器の引金をひき、その顔に醜い火傷を負わせた。
 それは今も彼女の顔に消えることなく残っている。戦時の、狂った環境だからこそ許された、俺の戦争犯罪。
敗戦後の五月、ナチスの高官よりも先に俺はバイエルンに向かう貨車の中で、ノインによってケロイドをつけた罪を裁かれた。
判決は「わたしを一生幸せにする」刑。
包帯でぐるぐる巻の、異臭を発する右眼のあたりから、膿とは違う液体を溢しながらの判決だった。
 そしてすでにあの地下で受けていたはずの罰に、さらに罰を加えられた。
果たしてノインの小さな胎いっぱいに俺の精が注がれ、この街で暮らし初めて数ヵ月のうちにノインのお腹はみるみる膨らみ、俺は父親となってしまった。
「これは止みそうもないな」
「そうですねえ………」
昔は落ち着きがなく、子供っぽかったノインだが、ここ最近、急に静かになった。
 だが
「あなた」ノインは立ち上がると、ソファに座るハンスを押し倒し、そのまま抱きついた。
 鼻孔に、ほのかな石鹸の臭いが入ってくる。
「えっちしましょうか」
おとなしいのなんか上べだけで、今も彼女の中身は子供っぽく、甘えたがりなノインだ。
「まだ昼間だぞ」
 何を言っても無駄なのはわかっているが、とりあえず言っておく。
「夜まで待てないですよ、ハンスさん」
二人称が「あなた」から「ハンスさん」に変わっている。
 どうやらスイッチがノイン=カウフマンから甘えたがりなノインに切り替わってしまったようだ。
ノインは白いブラウスと下着を脱いでしまい、テーブルに乗せる。
六度の妊娠、七人もの子供を身篭ったせいか、出会ったときとは比べ物にならないほどに大きくなった乳房のてっぺんで、色のくすんだ乳首がノインの気持ちを代弁していた。
「お前も、五十越えた枯れたおっさんに良く興奮できるよな」ハンスは乳首を指で軽く弾く。
「私だって十分おばさんですよ……」
そう笑うノインの顔はまだ若々しかったが、彼女はライカさんのような純粋な獣人ではない。
混ざりっけの多いノインの血では、体の老化が人間より多少遅いだけで、寿命は人間と何ら変わりなかった。
それでもノインは「もしあなたを先に亡くしても、すぐに追い付けるから良いじゃないですか」とか言ってるが。
「ハンスさんも早くその子を楽にしてあげませんと………」
 「好きにしろ」ハンスは苦笑を浮かべた。
 ハンスの言葉に、ノインはおあずけを解かれた犬のごとく、ジッパーを下ろし、パンツの中のものをまさぐる。
途端、解放されたハンスのものが飛び出す。ノインはそれを握って、上下にしごき始めた。
「ハンスさんだって熟れきって腐っちゃったおばさんの手で元気になっちゃってるじゃない」
ノインはしごくのをやめないまま「このっ、このっ」とものを指で弾く。
「熟れきって腐ったって………まだ実も青いうちに食べさせて、どこが腐るんだよ?」
「子宮」ノインはきっぱりと答えた。
その言葉をハンスはよくわからないといった、複雑な顔をする、それをみていたノインが口を開く。
 「わたし、もう三ヶ月くらい生理が無かったんです。
 だからまた妊娠かなーって思ってお医者さんに行ったら、妊娠じゃなくて閉経だって言われました」
そこでやっとハンスの中で話が繋がった。
つまり、もうノインの子宮は子を成せなくなってしまったのだ。
「ハンスさんは、腐っちゃったわたしは嫌いですか?」
静かに、ノインは呟く。 「決まってるだろ」ハンスはノインに向かって吐き捨てた。「何年一緒にいるんだ。子宮が腐ろうと、婆さんになろうと、お前は俺の嫁さんだ」
 それに。とハンスはつけ加えた。
「大体年食い過ぎてるし、顔の火傷もほっといて、子宮も使い物にならず、そこも子供の産みすぎでガバガバになってる犬女なんか俺以外誰が愛するんだよ」 「ハンスさんのいじわるっ!」
 ノインはロングスカートの間からショーツを脱ぎ捨てると、抗議しながらハンスの体を跨ぐように立つ。
「そんないじわるなハンスさんなんか、死ぬまで私が離さないだから」
そう言うとノインは自己主張するハンスのそこに照準を定め、一気に腰を下ろした。
 「んはぁ……ハンスさんが……入ってくるぅ」
 「くぅ……」
 すでにぬかるんでいたノインのそこは、昔のようなきつい締め付けこそないが、ふんわりと抱き締めるかのように優しくハンスを包みこむ。
 ハンスはその感覚にすっかり久し振りの射精感を覚えた。
「ノイン、気持ち……良すぎ」
「あれだけ、んぁ、ガバガバって、やぁ、言ってたくせにひゃ、きもち、いいんですか?」
「……前言撤回、俺が悪かった。緩い分気持ちいい」
ふふっ。とノインはあえぎながら微笑みかけた。
「ほら、はぁん、おなかの、なかで、ひぁ、わたしの、いゃぁっ! し、しきゅう……と、キスしてるうぅぅっ!
あかちゃん、できないのにぃぃぃ、あつあつざーめん、かけて、かけて、って、んやぁぁぁぁ! きゅんきゅんっておねだりしてるぅぅ!」
「随分………っ! 欲張りな、子宮だな」
「よく、ばり、だよっ! だって、しきゅっ、もう、にゃあんっ! せーし、ちゅ、どく、なんだよぉっ! 
せー、し、ないと、せつなくて、いゃぁぁぁ! わたし、しん、じゃう、もん!」
「……俺依存症ってところか」
「あたり、まえ、でしょ! なん、ねん、も、やさしくっ! され、たら、こころのなか、おかしく、なっ! ひああああん! なっちゃうに、きまっ、てるよ!」
ノインの両頬には細いラインがつたり、腰はがくがくと痙攣しはじめる。
膣も思い出したようにきゅっ、きゅっ、とひくつきながら不規則に締め付けてくる。
「……ノイン、俺、もう限界」
「だしてっ! いっぱいだしてっ! おなかたぽたぽにしてぇっ!」
涙流しながらアクメ顔でおねだりされて、普通出さない人間がいるわけもなく、ハンスは白濁の生命の素をノインの中に解き放つ。。
「きゃふっ! きゃおおおおおおんっ!!!」
ノインは自らの胎内に暖かさを感じたのを引金に、達してしまった。
尻尾をぴんと立て、舌を出して叫ぶ姿は、さながら犬のようであった。
「あなた、今日何の日だか覚えてる?」乱れた着衣を戻しながら、ノインが訊く。
 すぐにハンスは思い付く限りの祝日や記念日を思い当たってみたが、今日は全くの平日である。
 うちの店の定休日ではあるが。とハンスは思ったが、まず関係ないだろう。
「4月30日……何の日だっけ」
もう!とノインは頬を膨らまし、ハンスに向かって顔を近付ける。
「今日はハンスさんと初めてあった記念日です!」 ああ、そういえば、とハンスは頷く。
 だが、ノインにとっては顔のケロイドをつけられた、あまり祝える日ではないだろう。とハンスは内心思った。
不意に、ハンスは唇を奪われる。
性行為の前にノインがねだるむさぼるような濃いキスでなく、もっと軽い、フレンチキスの雨。
やがて、ぷぁ。とやっとノインはキスの雨をやませると、その体をハンスの胸によりかからせる。
 「このケロイドに誓って、これからもずっと、もっと私を幸せにすること」
 そして、遅れて「私を悲しませたりしたら、許さないんだから」と付け足す。
バカ。ハンスは心の中で投げ掛ける。
俺が死ぬまで、お前の側にいるから安心してろ。
先に俺が死んでも、その時は子供達に俺の罰を相続させるさ。
そう思いながらハンスは胸の中の、かつての子犬を抱き締めた。


「ただいま……」カウフマン家の居間の扉を開けたのは、子供達の中でも黒一点のルドルフだった。
だが、今日はなぜかいつもほど声に張りがない。
不思議に思ったハンスとノインがルドルフのほうを見ると、下を向き、尻尾をだらしなく振りながらドアの前につっ立っているルドルフの後から、ルドルフよりいくらか小さな影が踊り出てくる。
ルドルフの学校の制服を着た、少し小さめの女の子。
頭にはちょこんとフクロウとかミミズクの獣人特有の羽角がついている。
彼女は下を向きっぱなしのルドルフの手を握ると、唖然とする夫婦に向かって、ぺこりとお辞儀をする。
「ルディのお父さんとお母さんですね、前から話は聞いてました」少女は口を開いた。「私、エンネ=ギュンダーと申します」
「おいルディ、この子は……」あっけにとられたハンスがルドルフに訊く。するとルドルフは絞り出すような声で答えた。
「俺の…………彼女………」
その一言を絞り出すと、早くこの場から立ち去りたいと思ったのか、エンネの手を引いて、ずんずんリビングの奥の階段を上って、自分の部屋へむかっていった。
バタン! とルドルフの部屋の扉が閉まると、リビングに残された二人はやがて、くすくすと笑い出す。 どうやら外の雨も止んだようだ。