やどかり、と呼ばれるその人ならざるものは、その名の由来である甲殻類の生物と同じように、いつの間にか民家に住み着き、いつの間にか去っていくのだという。
詳しくは分かっていないが、住み着いた家を自分の縄張りとし、その縄張りの中にあるものを自らの所有物として守る性質があるらしい。
満月の夜に発情状態になる事から人狼の亜種ではないかと疑う人もいる。
人に好意的なその姿は偽りで、いつかこちらに牙を向くと怯える人もいる。
かと思えば、そのハサミの如く奇妙な形をした手以外は人と変わらぬ様に見える為に、魔物と戦う為に人が進化適応していったのではないかと言う人もいる。
農作物を魔物から守るというその性質から、豊穣の神の使いだと崇める人もいる。

これが、今まで色々な所をひとりで訪れて、色々な人にひとりで聞いて回った成果だ。
芋にしろ何にしろ、彼女がいなければ大した収穫は得られないらしい。


    it is no use crying over spilt milk


ありがとうございましたとお辞儀して、どこか懐かしい気持ちを蘇らせる農村を後にする。
ここでも彼女を見たという話は聞けなかった。
この村は、もう何年か前に出て行った故郷の小さな街によく似ていて、もしかしたら彼女がいるんじゃないかと淡い希望を抱いたのだが。
やっぱり彼女は見つからない。それに彼女が何を考えていたのかも未だに分からないままだ。

けれど、彼女の悩みを解決する方法は、正解かどうかは分からないが、一応見つかった。

あれは考えてみれば、ただの笑い話なんだ。いや、笑い話にもならないかもしれない。
あの時、声が出せなかったのはその前に喉を潰されたからで、足の自由が利かなかったのは別に恐怖からではなくて、こってりと精を絞り取られたから腰に力が入らなかっただけ。
それを彼女が自分に怯えていると勝手に勘違いして、自分の前から姿を消した、と。それだけの話。
満月の夜の次の朝に骨抜きにされて動けなくなった、なんて事は一度や二度の騒ぎではなかったのだから、よっぽど気が動転していたのだろう。
酒の肴にもならない。馬鹿な話だ。けど、零れてしまったミルクがコップの中に戻る、なんて、都合のいい話は無い。

あの日の俺は、自分と彼女はヤドカリとイソギンチャクじゃないとか他にも色々と我ながらくさい科白を言ったけど、あれは間違いだ。やっぱり彼女はやどかりだった。
彼女は傷つきやすくてとても脆くて、そしてその手のはさみで誰かを傷つけてしまうことを一番怖れてた。
きずつけないように。きずつけないように。それだけを考えて、はさみが誰かに当たらないように身体ごとすっぽりと殻の中に隠していた。
それなのにそのまま動こうとするものだから、見当違いの方向に走っていって、見えない所まで行ってしまった。

能ある鷹は爪を隠すというけれど、やさしいやどかりだってはさみを隠すのだ。
そんな言葉がひょいと頭に思い浮かぶ。彼女に言ったら馬鹿にされるのは目に見えてるのでもっとうまい言い回しを考えないと。


彼女に会う。
それはとても時間と手間のかかる事で、現にそれの為に費やした時間は結構なものになってしまっている。最初は小さい靴下だったこの編み物も、今では一枚の大きな布団になった。
その布団が袋に入りきらなくなっても彼女に会えている保証はないし、会えた頃には自分は毛糸の家を引きずっているかもしれない。
会ってからも彼女が心を開いてくれるまで更に年月が必要だろうし、このまま一生彼女に会えずに野垂れ死ぬかもしれない。
けど、そんなこと、枯れた葉をちびちびと千切る作業を二十年以上も毎日欠かさず――じゃあないか。一日休んだ事がある。まぁ、とにかく――していた俺にとっては屁でもない。

手の形が違う?
むしろ好都合だ。彼女が逃げ出してもこの手で掴んで離さないように出来るじゃないか。
殻に引っ込んで出てこないなら、この手で頭を掴んで引っ張りだしてやればいい。そしてこの手でその殻を叩き壊して彼女の逃げ込む所を無くしてやれ。
自分の両腕の先に付いたはさみを見て、人間と全く異なる種の生物だと思うのなら、この手で覆い隠してやるさ。
彼女が何も見たくないと思ったのならこの手でその目を塞げば良い。彼女が何も聞きたくないと思ったならこの手でその耳に蓋をしてやれば良い。

彼女はやどかりだけど、俺はイソギンチャクではないのだ。殻の外にただくっ付いてるだけじゃ満足できない。
どうしても殻が欲しいというなら、俺が彼女の逃げ込む殻になればいいだけのこと。
自分で言うのもなんだけど、この手じゃ彼女からこぼれおちる愚痴や弱音を全てすくいとる事は出来ないかもしれないけど。
その時はこの毛糸の束で殻を作ろう。彼女と自分が入っても十分余裕がある位の、大きな大きな毛糸の殻を。
丁寧に時間を掛けて隙間無く編みこんで、綻びも穴もない殻を作ろう。
手からあふれ出て受け止められなかった分も底に溜まって、何度でもすくい直せるようにしよう。この頼りにならない自分でも、全部受け入れきれるように。

ぎゅっと拳を握り、いつ彼女を見つけても良い様に、いつか立てた馬鹿げた誓いを心に刻む。そして、深呼吸を一度して、その足で次の一歩を踏み出す。
彼女に会ったらどうしようか。最初は彼女はどんな事を口にするだろう。
どうして来たんだとぶっきらぼうに言う彼女の姿が目に浮かんだ。その時は馬鹿みたいな理由を言って、彼女の笑う顔を見る事にしよう。



――今度こそあの乳の誘惑に打ち克つんだ。


(it is no use crying over spilt milk/了)


































































日の光を反射して波打つ長い金色の髪。海のように深みのある青い瞳。この世のものとは思えない程に整った容姿。
間違いなく、彼女だった。
ここまで来るのに何年かかったことだろう? どれだけ季節が移り変わっても、彼女はあの日と変わらない姿をしていた。
しかしこうも変わりないと、時間が止まってしまっているのではないかとありもしない馬鹿げたことを考えてしまう。
視界が歪む。気づかない内に随分と涙腺は弱くなってしまったようだ。
潤んだ世界を眺めつつ、先ほどの馬鹿な考えが妄想の産物でしかないのだと実感した。


   そして
   また
   かわらない毎日を


私はいつものように町へ買い物へ出かけました。

お母さんは畑でおいしいお野菜を育てています。
うちの食卓にお野菜があるのはわたしのおかげなんだぞとお母さんは自慢げに言います。なので感謝しながらむしゃむしゃ食べます。
家のことはお姉ちゃんが全部やってくれています。(お姉ちゃんというほど若々しくはないけど、そう言わないと怒られます)
うちの食卓に並ぶ料理がうまいのは、そりゃあうまそうに食べてくれる人がいるからねとお姉ちゃんは笑いながら胸を張ります。なので感謝しながらむしゃむしゃ食べます。
お姉ちゃんのつくるお料理は、ほんとうにおいしくて、どこかの料理人がお姉ちゃんのごはんを食べてシコウだとかキューキョクだとか言ったほどです。
なのにお母さんはたまにお野菜を土が付いたまま丸かじりしてます。
わたしが「お姉ちゃんのお料理、好きじゃないの?」と訊いてみると、お母さんはふふんと笑って「いいか娘よ、女には少しくらい秘密があった方が世の馬鹿な男どもはよってくるんだぞ」と答えてくれました。わたしはまた一つ賢くなったと嬉しくなりました。

わたしの仕事はお手伝いです。
朝は買い物に出かけて、お昼はお母さんと一緒に葉っぱを抜いて、ごはんの前にはお皿を出して、ご飯の時にはお母さんにごはんを食べさせてあげます。
夜はまだまだ子供なのではやく寝ます。

今は朝です。なので町へ買い物へ出かけました。だけどその日はいつもとは少し違っていました。
見たことのない人が私を見ていきなり泣き出してしまいました。
多分その人は別の街から来た、旅の方なのでしょう。おおきな荷物を抱えていて重そうです。
私は街の外へ行ったことはありません。
この街では畑も荒らされたりしていないけど外にはまだこわいこわい魔物がたくさんいるからです。

「あの、大丈夫ですか? 足つかれちゃいましたか?」
心配になって声をかけると、その人ははっと目を見開いて、よっぽど疲れていたのか、がっくりと肩を落としました。
「ご心配をおかけしました。遠くまで歩いたもので、少し疲れてしまっただけです」
やっぱりお疲れみたいでした。私もこの世に生を受けて八年になりますから、そこらへんは分かっているのです。
「じゃあ少しおうちで休んでいかれてはどうですか? おいしいお野菜もありますよ」
旅人さんの手を引っ張って、私はおうちへ帰りました。

◇◇◇

人違い、だった。
彼女によく似ていたけれど、目の前の少女は、とても素直で可愛らしい普通の女の子だった。
そう。普通の女の子。人間の、女の子。
よくよく見れば年相応の体つきをしていて、少女らしからぬ体つきをしていた彼女とは似ても似つかない。
「もうちょっとでおうちにつきますからねー」
無防備な笑顔をふりまくその表情も、やはり彼女とは別人であるという証明か。
少女に手を引かれて向かった先は、これまた一般的な普通の民家だ。

「ただいまー」
「お、お邪魔します」
少女は元気よく扉を開け、一緒に中に踏み入る。するとなにやらおいしそうな匂いが鼻孔をくすぐった。
「ほいほいおかえりさん。早かったわね。ちゃんと魚は買ってきてくれたんだろうね?」
「わ、わすれた」
「……」
恰幅のいい中年の女性が呆れ顔で良物の金属鍋の中のスープをかき回していた。
彼女の母親だろうか? こう言っては失礼な気もするが、なんとも似てない親子だ。
「せっかく、朝から仕込んでいるってのに肉が無いなんてねえ」
「ごめんなさーい! ちょっとひとっぱしり買いに行ってくらあ!」
「こら! そんな言葉遣いはしなさんな!」
「はーい」
分かっているのかいないのか適当な返事をして少女は家の外へと走り去ってしまった。

「……で、あんたはどちらさん? まあいいさね。あの子が連れて来たんだ。悪い人じゃあないだろね。顔でも洗ってちょっとそこに座んなさい。おいしいもんでも食わせてやろうじゃないか」
がっはっはと笑いながら、女性は瑞々しい野菜をよく手入れされた包丁で切りはじめた。

◇◇◇

豚さんが安かったので、豚さんのお肉を買っておうちに走って戻りました。
おうちからすごく、すごーーく離れた街の中でも、お姉ちゃんの作るおいしいお料理の匂いが漂ってきていて、私の足を動かします。
この匂いの前には息苦しさも足の裏の痛みも土下座して逃げ出してしまいます。
すぐに赤い屋根の我が家が見えてきました。

◇◇◇

ばきゃっ、どすん!
入り口の方からけたたましい音が響いた。昔どこかで聞いたことのあるような騒々しさ。
驚きそちらに首を振ると、右手を前に突き出して、あんぐりと口を開けている金髪の少女。
間抜けな表情だが、容姿の美しさも相まって非常に愛くるしい印象を与える。なぜかよだれも垂れ流しであるし。

「お姉ちゃんのせいだー! おいしいお料理の匂いをお外に出しちゃうから!」

――あ。

一瞬のことだが。
眩暈がした。
変な責任転嫁をする姿に、もう何年と声すら聞いていない彼女の影を見い出してしまった。
麻薬の切れた中毒者の禁断症状と変わらないなと自嘲する。

「あ、お客さん、もうごはん食べちゃったの? なにもないところなのでお暇でしょう?
ちょっと待っててくださいね、すぐごはんを食べて私が一緒に遊んであげますから!」

子供特有の身勝手さが、古びた記憶の埃を払っていく。
いつまでも鮮明に覚えていると自分では思っていたのに、結構色褪せていた事に驚いた。

◇◇◇

かくして追いかけっこをすることになったのだが、
「つかまーえった! 子供だからって手を抜いてるでしょー、ちゃんとやらないと許しませんからねー」
「……いや……ゃんと、やって……ます……」
肺が痛い。長年放浪し続けた足腰は街の少女に手も足も立たなかった。
後ろから抱きつかれる形で捕まえられる。まだ幼い為か少女の手は自分の身体に回してしまうと、かろうじて指が届く程度だった。

「あ」
呼吸を整えていると少女が声を漏らした。何か鳥が飛んでいるのでも見つけたのだろうか?

「おじさん、お母さんと同じ匂いがする」
なんだそれは。
そういえばもう何日も身体を洗っていないことを思い出し、少女の母親は一体どんな豪傑なのだろうかと首を傾げた。

◇◇◇

追いかけっこに飽きるとかくれんぼ、それもしばらくしてままごとに変わり、最後にはお昼寝となってしまった。
やがて日が暮れ夕餉となり、絶品のポークシチューをご馳走になり、久々に腹が膨れ上がるまでの飯にありつけたのだが、
月が真上に昇るようになっても少女の母親は帰ってこなかった。
「ちょっとお兄さん、あんた、家の裏にある畑にあの子を呼びに行っといてくれ」
少女の姉(おば? 本当に姉であるなら母親は一体何歳でどんな容姿なのだろうか)に頼まれ、無銭で宿と飯を食べさせてもらった身なので二つ返事で家を出た。
月が出ているとはいえ藍色に染まった夜の闇は濃く、細部までは分からないが、畑には誰もいないようだった。
しばらく周りを捜し歩き、街を見歩き、そして畑にもう一度戻り、人気が無いのを認めて今度は街から少し離れた場所に行ってみる。
どこにもいないようだし、そろそろ夜も明けるというので少女の家に戻ろうとすると、畑に人影を見つけてしまった。

そちらに向かって歩くと、人影というのは間違った言い方であると思った。
日中畑仕事をしているとは思えない透き通るような白い肌が、土埃とは無縁のきらめく金色の長い髪が、沈みかけの月に照らされて、まるで一枚の絵画を切り取ったかのような神秘的な光景を作り出していた。

近づくこちらから逃げるように後退を始めたその女の手首をしっかりと握りしめた。
今度はどこへも消えてしまわれないように。
しっかりと。

すらりと伸びた長身。人形のような非人間的な美しさを備えた顔(かんばせ)。空よりも澄んでいて、海よりも深い青色の瞳。
そして何より、その手。
姿はあの日とは違っていたが、間違えようがない。

年月を経て成熟した彼女の手を、しっかりと握り締めた。

◇◇◇

「どうして来たんだ? 今更、わたしに、何の用なんだ?」
その声はあの頃よりも少し落ち着いていたが、頬を撫でる夜風よりも冷たかった。
けれど、第一声は思い描いたとおりで、見た目は少し変わっても彼女が彼女であることには変わりない。
「何を笑っている? 言っておくが、私は今、人間共と暮らしているんだ。わたしがちょっと変わるだけで、簡単に溶け込めたんだ。
お前の手なんてもう、必要なかったんだ」
笑みが漏れてしまったようだ。不快そうな顔をして彼女は言葉を続けた。
「家にいるアレを見ただろう? 娘だ。私はもう夫も貰ったし家族だってある」
視線を横にそらし、彼女は最後の言葉をこちらに告げた。
「今更来られても、手遅れだ。帰ってくれ」

正直な話、彼女が元気に過ごしている姿を見たら、満足してしまった。
何年も世界を歩いた挙句、それだけでいいなんて、端から見たら馬鹿げているかもしれない。自分でも少なからずそう思う。
けれど、彼女はその足でしっかりと歩けている。自分が支えなど無くとも。きちんと立っていた。
そうと知れただけで、満足だった。

「そうか、分かった」
それだけ言ってこの街を後にしようとした。
けれど、方向を反転する前に東の方から眩しい光が地平を照らし、藍色の世界に色を付けた。


そこに広がっているのは真っ白な世界だった。
一面に咲いた白い花が視界を隙間無く埋め尽くし、一枚の大きな大きな白い編み物を作っていた。

不自由な手で彼女が一生懸命、
丁寧に織り込んだ、
芋の花で出来た、大きな大きな、白いじゅうたん。

◇◇◇

「こ、これはっ、そのっ、違うんだ! 別にお前のことを忘れられないとかじゃなくて、ほら、わたしって芋好きだから! それで、それでっ!
というか、そもそも、これはわたしの畑でもなんでもないし!」
手を顔の前で左右に振り、この畑の主は自分ではないと主張してごまかそうとするも、丸分かりだった。

どれ位からか知らないが、人間生活に慣れ、意思の疎通が容易になったであろう彼女はやがて悟ったのか、眉を八の字にして、あきらめたような表情を浮かべた。
「……そうだよ。わたしは、お前のことが忘れられなかった」
一言本音を言ってしまうと、あの別々の道を歩んだあの日のように、その後は止まらないようだった。
「何度もお前の家に、お前の元に帰ろうとした。あやまろうとした。水に流してくれと頼もうとした。
けれど、わたしは、お前に怖がられてしまったらと思うと、こわくて、こわくて、とてもじゃないが会うことなんて出来なかった」
恥ずかしそうに、つらそうに語り続ける。
「そんな中、お前の子供を身篭った。あれだけ濃い子種を溢れるほど流し込まれたんだ、当然の結果だ」
自嘲するような顔をこちらに向けた。
「正真正銘、お前の娘だぞアレは。夫なんているはずない。わたしはお前以外の人間に抱かれたことなんて一度もない。そんなこと、するはずがない」
そしてからかうように付け足す。
「アレはな、お前によく似ているよ。頭が弱いところとかそっくりだ。」

「いくらわたしといえど、一人で生むことなんて自信が無かった。なによりアレがわたしと同じような目に晒されるのが嫌だった。だからわたしは」
ここで一息入れて、両手を見せた。
「人間のふりをすることにした」
はさみなどない、綺麗に手首の先には何もない両手を、こちらに差し出した。

◇◇◇

その手を先ほど見たとき、どうりで彼女の話を耳にしないわけだと納得した。
「手首を噛み切り、今同居している女性の家の前で倒れたわたしは、そこでアレを産んで暮らし始めた。
いざ人間のふりをしてみると、これがなかなかうまく溶け込めた。奇異な目で見られることもなかった」
ふっと彼女の顔が緩んだ。
「挑戦してみるとな、この不恰好な手でも服はきれるし、畑を耕すこともできたんだ。なに不自由しなかった」
畑仕事で少しよごれたワンピースを少女は脱ぎ捨てて実践してみせ、一糸纏わぬ肢体を惜しげもなくさらけ出した。
「でもな」
朝日に照らされた身体は円熟した女性的な曲線を描いており、大きかった胸は更にその存在感を増し、金色の陰毛が出張った丘に茂っていた。
「でも、だめだった。ぜんぜん、だめだ」
少しはみ出た茶味がかった桃色の小陰唇はてらてらと反射しており、濡れそぼっていることは明らかだった。

「お前のくっさい精子の臭い、それが今もわたしのおまんこに染み付いて、頭をかき回すんだ」
右手を破壊的な巨乳に、左手を恥部に持っていった。手のない腕で胸を揉み、陰核を愛撫した。
「満月の日じゃなくても、お前の臭いのせいで、わたしは何度も自分で自分を慰めなければいけないんだぞ?
この大きいだけしか必要性のない胸を愛してくれた手を思い出して。乳輪を広げさせて乳首をこねくり回した指を頭に描いて。毛も生え揃っていなかった未熟なおまんこを、こうやって何もせずともご馳走を前にお預けを命じられた犬のようにだらしなく涎を垂らさせるまでに開発した舌を夢に見て」
どんと、頭に衝撃が走った。下は土だったので痛くないが、頭皮と髪の毛の間に砂が転がってちくちくとする。
脂の乗った女盛りの女から熱っぽい眼差しを向けられて、少女の頃には面と向かっては見せてくれなかった本心をまざまざと表に出されて、長い間使っていなかった肉棒が猛りを取り戻していくのを感じた。

「この愚民っ。変態っ。幼女趣味っ。お前のせいだっ。わたしの目が、口が、鼻が、耳が、肌が、子宮が、お前を求めて暴れだすようになってしまったんだぞっ」
顔や唇を貪るように舌を這わせ、歯を立て、口付けをし、いつかのように涎まみれにした。
「なにをしてるっ。はやく胸をもてあそんでくれ! どうせ不細工なお前のことだ、女とまぐわう機会なんて無かったんだろ? ほら存分に触っていいぞ」
「うんありませんでしたよ。こんな最高の身体を知ってしまったら、世の女になんて勃たなくなるにきまってるでしょう?」
「えっ? あ、うあ、お、おま、あたっ、当たり前だっ。そうだよなっ。言われなくても知ってるぞっ。そんなのっ」
彼女は顔を真っ赤にして、生娘のように初々しい反応を見せた。
いつの間にか下半身を覆う布は無くなっており、彼女は雁首に小陰唇をあてがった。
「ふぅっ――!!」
雁首がほんの少し掠めただけだ。それなのに、彼女は背を仰け反らせ腰から砕け絶頂に達してしまった。
「ふああぁ……」
呆けた顔をこちらの胸板に預けると、数秒と立たない内に我に返った。
「お前、いいか動くなよ、ぜったい動くなよっ。わたしがいいと言うまで、そんなのぜったいに許さないんだからな!」
そしてまた腰を落とし、小陰唇が雁首を少し咥えたところで、また彼女は絶頂に達した。
「うあっ、あっ……あっ、ああぁ……」
美しい容姿には、阿呆のように口を半開きにし涎を垂らす様は酷く不恰好で、それなのに扇情的な魅力をかもしていた。

「……うー」
低いうなり声を上げてこちらを睨みつけ、
「わ、わかったぞ」
ひとり納得したように呟いたかと思うと、その美しい声を張り上げた。
「この絶頂こそ、お前が何年もわたしを探し当てるのに時間がかかったせいで飢えに飢えてしまったわたしのおまんこの歓喜の声だったんだよ」
な、なんだってー!

まるで「こんな事実に気づくなんて、やはりわたしは天才だ」などとでも思っているのか、ふふんと鼻を鳴らして誇らしげである。
しかし、すぐ「はっ」と我に返ったかのように厳しい表情を作り、

「い、いや違う、喜んでなんかないぞ!」
かぶりを振って弁解した。

「その、証拠に、もう一回、ちゃんと、演技無しにお前のちんぽをくわえ込んでやるからな」
再度腰を下ろした。
「いっ! ぬあっ……や……」
雁首が半分も埋まらないところでまたも彼女は快感の波に襲われた。
「ふぃ……」
ふにゃふにゃと力の抜けた彼女の腰はそのまま下に崩れ落ち、膣が肉棒を根元まで一気に咥え込んだ。
「ひぎぃいいっ!」
悲鳴を上げたかと思うと、電流を流されたようにぴくぴくと痙攣を起こし、まごうことなき美女となった彼女は年甲斐も無く小便を漏らしてしまった。
肉棒に生温かい感触が伝わり、湯気が立ち込める。
彼女の膣は、人一人を捻り出したとは思えないほどきつい位に肉棒を締め付け、再会できたことを心の底から嬉しんでいるかのようだ。
「ふぁ……ああ……んんあ……もれ、ひゃった……」
放心した彼女は、しばらくしてはっと我に返り事態を把握して、こちらをきっと睨みつけた。


「お前のせいだぞ」
呪詛を呟くような声が大地に重々しく響き渡り、ちゅんちゅんと鳴き声を上げて空を飛ぶ小鳥を地面に落とした。
「お前のせいだっ、もう母親なのに赤ん坊みたいにおもらししてしまったのも、先っちょを入れただけで簡単に達してしまうのも! ぜんぶぜんぶお前のせいだ!」
そして、小さな子供が癇癪を起こすように喚き立てる。
「お前がすぐに来なかったから! だからお前のちんぽがこんなに気持ちいいってことを忘れてしまったんだ!
お前みたいなどうしようもない奴のくっさい精液を子宮に、卵巣いっぱいに流し込まれたいって、わたしのおまんこがおねだりしてしまうんだっ、責任をとれ!」
先程までの威勢はどこへやら、瞳に涙を溜めて、迷子になった子供のように呟き始めた。
「私のことを疎ましく思っていなかったならっ、恐れていなかったなら、なんでもっと早く来てくれなかったんだ……」
不遜な彼女の外郭の奥にしまい込んでいた本音だったのだろう。きっと口に出しているつもりも無かったのかもしれない。
「私を見たお前が恐怖のあまり逃げることすらままならない……そんな夢に何度うなされたと思う?」
不意に漏れてしまったような、誰に言うでもない、そんな情緒不安定で独り言のような呟きだった。
「お前の腕を布団にして寝るなんてことは一生出来ないと思っていたのに、お前と過ごした温かな日々をようやく忘れられるかもしれないと思い始めた所だったのに」

と、ようやく自分が何を言っているのか把握した彼女は「ちがう! いまのはなし! ぜんぜんちがうんだからな!」といつもの有り余る元気を取り戻していた。
腰を少し浮かしては絶頂に達し、肉襞が収縮し、また動いては絶頂が訪れて彼女の柔らかなたわわな二つの胸が顔にめりこむ。
「だ、だいたいなんだそのちんぽは!?
もう加齢臭漂うおっさんちんぽのくせして、全然萎えてないじゃないか! この変態! 子供一人を孕ませてるくせにちんぽを童貞みたいにかちかちに勃起させて恥ずかしくないのか!」
いや、そんなにおっさんじゃないでしょう。まだ四十に入ろうかどうかという所だぞと訂正しておこうかと思った。
しかし久しぶりに見目麗しい彼女に罵られたら……なんていうか……その…下品なんですが…フフ……射精………しちゃいましてね………
それでも彼女は強気な姿勢を崩さずに、腰を上下させ、久しぶりの性交でこちらも限界が訪れる。
「ひゃあああ、うあっ、ふ、ふふ……そんなにすぐに果ててしまうようじゃ童貞と変わらないな、到底わひゃっ、しを、満足させることは出来ないぞ」
どくんどくんと、精管を伝わって何年も溜め込んだ精液が膣へと吐き出される。
「この様子だと、本当に久しぶりだったんだな。そ、そのっ、こころがけっは、いいぞ、ほめてやる」
射精は止まる気配を見せず、どんどん彼女の膣を満たしていく。彼女の目が不安げに揺れた。
「い、いつまで出す気なんだ? お前は、が、がまんなんて、まったくしらないんひゃな、ふぅ……ああ」
子宮をすでに満杯にした白濁は逆流を始める。
「も、らめら……っああ……や、やめ、」
戸惑う彼女とは対照的に、彼女の膣は、さらに精液を求めているかのように蠢き、射精感を煽った。
「おうぅぅうぅっ! うおっ、あぅぅうううぅぅ!!」
獣のような彼女の嬌声があがって、彼女は気を失った。こぽっと、接合部からあふれ出した。

「一度の射精でこんなに出すなんて、よっぽど、溜まってたんだな」
こちらに同意を得るかのような口調だった。
「それだけわたしを求めていた、ということだろ? な? わたしは、お前のそばにいてもいいと、そういうことなんだろ?」
悲愴な面持ちで問われ、こくりと首を縦に振った。
「だったら、感謝しろ、ずっと、離れることなく一緒にいてやるからな」
それは自分自身への決意表明だったのかもしれない。もうお前と離れないという彼女なりの告白だったのかもしれない。


射精後、すぐに猛りを取り戻した男根を見て「げ、げんきだな……」などと少女は少し驚いたように呟いていたが、こちらにそれが聞こえたのを察すると、「まだ犯したりないのか色情魔め」と嘲笑しながらまたその締りのいい膣内に肉棒を咥え込んだ。
そして、さもどうでもいい事だという口調でこちらに質問した。
「そうだ、アレを産んだ時はお前は馬鹿だからどこかほっつき歩いていたから、乳なんて飲んだこと無いだろう?
おっぱい狂いの愚民にはさぞや残念なことだったろう?」
答えに窮していると、彼女の目に僅かに翳がささった。
「残念だろう? ……ちがうのか? お前はわたしのおっぱい、むしゃぶりたくないのか? ちゅううって、思いっきり吸い付きたくないのか?」
もう成熟した大人になったというのに、彼女は捨てられた子猫のような瞳をこちらに向けている。
「それとも本当に幼女趣味で、こんなはしたない大きな胸なんて嫌いなのか?」
世界が終末を迎えるかのごとく気を落とし、涙を目に溜め訊ねてきたので力いっぱい否定した。
すると途端に彼女は機嫌を戻して、
「そうだろう! ふふふ、お前は変態の最低野郎だからな、しょうがないからわたしのおまんこにお前の子種を注ぎ込ませてお前の子供を年中孕んでやる。
ぱんぱんに張った乳をお前に搾らせてやる。牛のように張ったおっぱいをお前は赤ん坊よりも貪欲にいやらしく、目を血走りさせながらちゅうちゅう吸うんだ」
乳首にしゃぶりついて母乳を吸われる自分を想像しているのか、はさみの無くなった手を、いくらでも乳を溜め込めるであろう大きな胸にこね回すように押し当て動かしている。
大きく柔らかい乳房が荒々しく千変万化していき、今にも乳が溢れそうだ。彼女ははあはあと息を絶え絶えにしている。

「いっぱい吸わせてやるかわりに赤ん坊の面倒もちゃんと見て、わたしと一緒に子育てをして、芋を作って、アレと遊んでやって、それで、年中乳が出るように毎晩毎晩、必要とあらば日が出ている中もわたしのおまんこにどろっどろの黄ばんだひどい臭いの白濁の欲望をちんぽが赤く腫れ上がるまで種付けするんだ」
彼女は前にも増して卑猥な言葉を、幼かった当時とは比べ物にならない艶みがかった美声で投げかけ続ける。
歳も忘れて肉棒に更に血が集まって締りのいい膣を圧迫していく。彼女はその様子を全身で感じ取り「嬉しそうだな変態」と見下すように言ったが、勘違いでなければその顔は自愛に満ちていた。
「ちゃんとわたしが孕むように、どっぷりとわたしのまんこに注ぎ込むんだぞ? 孕んでぽってりとお腹が膨らんでも双子や三つ子を作るつもりで精液を出し続けるんだ。
お前のくっさい牡臭さが子供たちに移らないように途中からおまんこは禁止だけど、お前は途方も無い性狂いだからな、欲求不満になって他の女や犬やら牛やらを犯してしまわないように、尻穴やおっぱいや口で何発も抜いてやるからな」
ふふんとお馴染みの鼻笑いをして、
「尻穴だぞ? 排泄にしか使わないような穴をお前は鼻の下を伸ばしてほじくり回していたからな、やっとお前の物に出来てさぞや満足だろう?」
などと呟いていた。それに喜びを感じているのはこちらだけではない様で、彼女のでっぷりとした何人でも赤子を産む事が出来そうな大きな尻の谷間の菊門は、彼女が喋っている間中ひくひくと皺の影を濃くしたり薄くしたり、まるで言葉を発しているかのように窄ませていた。

彼女が言葉を発している間にも、川辺にいるかのごとく水気の帯びた音を立てながら交合を続けていたため、まるで自分の為にあつらえたように肉棒にみっちりと吸い付く彼女の肉襞の攻めに呆けていたこちらを一瞥し、言葉がちゃんと耳に入っているのか不審に思ったのだろう、彼女は一旦動きをやめて念を押した。(その間にも彼女の肉壷はきゅうきゅうとこちらの雁首を締め付けていたのだが、それはまあさておき)
「わたしは絶世の美女だからな、他の男に言い寄られたり強姦されるかもしれない。そんなことが起こらないように、お前がしっかりわたしの口とおっぱいとお尻とまんこに精液まみれのちんぽをこすり付けて、わたしの体臭をお前の臭いに変えてやるんだ。わたしがお前のものだってどんなに離れていてもわかるようにしっかり何度も何度も染み込ませるようにするんだぞ。
それで何歳になってもお前はわたしのそばにいて、それで一生を終える。今からはそういう人生を送る」
ここで深呼吸をして、更に言葉を紡いだ。
「まずは、今までやれなかった分の埋め合わせだ。
お前のちんぽの太さも固さも長さも反り具合も雁首の出張り具合も忘れてしまった。きっちりちんぽの形を覚えさせて、閉じっぱなしのおまんこをお前の臭いが広がるように開けてやるんだ」

――ああ。やっぱり、彼女は彼女だ。そう確信した。


「ふぅっ!」
何度目かは分からないが、また彼女の膣内で果てると、溢れた白濁を指のない手で綺麗に掬うと、出張ったところのない腹に練り込むように擦り付けた。
腕を徐々に上げていき淫らな二つの巨峰にも、思わず鼻を摘んでしまう色欲で出来た牡の臭いを付けていくが、あまりに彼女の乳房が大きすぎるので量が明らかに足りていない。
「うー」と不快感をあらわにした彼女は肉棒の前にしゃがみ込むと、巨乳をその手で寄せあげ、谷間に男根を挟みこんだ。
膣とは違う、むにゅむにゅと柔らかな圧迫にびくんと肉棒が跳ね上がる。しかし、なめらかな白磁の肌の肉塊に埋もれている為に亀頭はおろか、根元を見てもそうだとは分からなかっただろう。
肉棒を挟みこんだ張本人、その大きな乳房の持ち主には当然分かったようで、胸を抉るような刺激に「あうっ」と妙齢の女らしい甲高い嬌声を上げた。

「昔みたいに、いやそれ以上に、お前をこれから奴隷のように扱っていくんだからな、お前はその醜いちんぽを使っておっぱいにさえ奉仕してしまうんだ」
などと暴君じみた発言をしつつ、谷間に男根を痛々しい位にめり込ませて、自由自在とは言えない腕を懸命に動かし、「こうしたら気持ちいいんだろう?」と逐一こちらの反応を窺いながら身体全体を使う姿は、どうにも奉仕しているのは彼女にしか思えない。
その旨を彼女に言ってみると、図星をつかれたというような表情を一瞬浮かべたものの、「お前がそう思いたいなら勝手にすればいいっ。けど、ほんとは逆だからな、私が主でお前が従なんだからなっ」と、固く勃起させた乳首で雁首を刺激しつつ、尿道口を鮮やかな朱色の舌で掃除するかのように丹念に舐め上げながらそう言った。

初めて味わう行為に無意識の内に腰が揺れ動いていたのだろう、「おやどうした? 腰、ふってるぞ? おっぱいとまんこの区別もつかないのかこの耄碌め」と馬鹿にされた。
「ふふ、おっぱいまんこ、そんなにきもちいのか? あからさまに腰動いてるぞ」
たわわに実った乳で作った卑猥な擬似膣は、本物と同じように肉棒へくっついてくるので空気が入る隙間などない。まるでこちらを欲しているかのようで彼女に己が必要とされている感じがして気分が良い。そう考えると、彼女の罵りにも侮蔑以外のものが含まれているように思える。まあ、「……そうか、胸もちゃんと使えるのか、孕んでいる間もこの変態を満足させられそうだ」などと、ひとり納得して呟く彼女を見てしまえば、それが見当違いでも無いのが分かる。
快感が高まり、射精しそうだというところで、彼女ははさみのない手を利用して胸でぎゅっと肉棒全体を押さえつけ、精管を塞いでしまった。
「だめだっ、まだ奉仕したりな、させ足りないぞっ」
思わず苦痛に顔が歪むと、彼女は「だいじょぶか? いたくないか?」こちらの身を案じるが、その優しさが嬉しくて、大した痛みでなかったのもあるが、苦痛は吹き飛んだ。
「がんばれ、もう少しだけ、もうひょっとだけっ」
そのふっくらと煌いている唇に片方の乳首を咥えて自分で快感を貪っている彼女に励まされながら、一緒に絶頂に達した。

どくどくと脈打つ肉棒をぴったりと挟みこんだ胸の谷間から粘り気のある精液が断続的に噴き出し、間欠泉や火山の噴火を思い起こさせる。
活きの良い黄味がかった濁りが、美しい白桃のような胸や端整な顔に満遍なく垂れかかり汚していく。
「うわあ……吐き気を催すひどい臭いだぞ……お前は馬鹿だからさっきの話を本気にしたんだろ? そんなひどい臭いさせて街を歩くなんて阿呆なことする訳ないだろ」
精液のついた顔や胸に手を当てているが、その動きは拭っているというよりも擦り込ませているように見える。
「……くさい精液……顔にまで飛んできてる……やっぱり変態だ……」
手の末端を口に含んでぺろりと舐めた後、また胸や顔に白濁液をなすりつけていく。
「稀代のうつけのお前は、こうやってくっさい精子を私の全身に練り込ませるつもりだったんだろう?」
と、胸に念入りに精液を垂らしつけるものの、きめ細やかな肌に精液は馴染んでいかず油の上に水を垂らした様に弾いてしまって少女は「あれ? ……おかしいな……ちゃんとしみこめっ……」となにやら四苦八苦していた。
ようやく胸も顔も乾いた精液がなめらかだった肌をパリパリとざらついたものへと変えると彼女は満足げに、
「わたしにこんないやらしい香水を付けさせるなんて馬鹿な考えを起こして、お前はやっぱり変態だ」
と言って笑みをこぼした。



◇◇◇

終わってみると日は真上に昇っていた。

長い間に考えた事は、彼女と自分の血を受け継いだあの普通の人間の少女を見て、少し真実味を帯びてきていた。
各地を渡り歩いている内に、色々な宗教や学問、呪術や魔法を見聞きして行ったのだが、なかでも遺伝子の話は面白かった。
遺伝子というのは次代の種に生物の形質を伝える為の因子で、親の遺伝子の半分ずつが子供に転写されていくのだという。
遺伝子は転写はされるが、それ自体が変わることは無い。つまり後天的に獲得した能力や形質を次代に引き継ぐ事は不可能なのだ。
転写の際に情報が抜け落ちたりすることによって生物は突然変異を起こし、突然変異種は抜け落ちた遺伝子を持つので次代もその形質が伝わっていく。
突然変異した生物の種の遺伝子が栄えたり、絶えたりすること、これが自然淘汰という考え方だ。
娘にはあの甲殻類じみたはさみがないということで考えられることは二つしかないのだ。
つまり、人間である自分の形質を受け継いで消えたのか、そもそも彼女自身にもともとはさみなど無かったのか、という二つしか。
そこから考えられることは自分の頭では一つしかなかった。
すなわり、やどかりというのは、実の所、きわめて特殊な条件下で発病する病気であり、
やどかり自体のの少なさやその人間離れした特徴、感染性の低さから、治療法はおろか、それを病気と考えることさえされて来なかった。
やどかり信仰は都市部においては異端宗教である。彼女は都市のどこかで生まれて、そして生後間もなく発病してしまったために捨てられてしまい、物心ついたときには山で生活するようになった、ということなのではないだろうか。

「何をぼやっとしているんだ? この抜け作め」
「……いや、なんでもない」
「何を笑っているんだ? きもちわるいな」

「おかあさーん。おじさーん。どこですかー。いたら返事してくださーい」

「! ややややばいぞ! おい何をちんたらしてるんだっ、はやくその服をよこせっ」
「焦らずに慌てないで。今着せてあげますから」
「わ、そんなこと、自分で、いや、着させてくれ」

「あー! いたー! もうっ、夜遊びせずにちゃんとおうちに帰らなきゃ駄目なんだからー」
「娘よ、これには深い事情があってだな」
「くさい!」
「へ?」
「なんか変なにおいがする!」
「娘よ、ついに鼻がいかれてしまったか。母として悲しいぞ」
「えー? だってくさいよー?」
「気のせい」
「うーん……そかなー? なんかそんな気もしてきたー。あ、そうだ、お昼ごはんができてるんだよ! 早くおうちへ帰りましょう!」
「はいはい。そうしますかね」


賑やかな二人の会話に思わず頬を緩ませながら、一歩を踏み出す。
けれどその一歩は今までとは全然意味が違っていた。
思い返せば、彼女と出会ってからというものの、色々なことがあった気がする。

春が来て冬が来て、また春が来て。
季節は変わり巡っていく。

自分たちは長い年月を経て色々な所が変わった。帰る家も変わってしまったし、あの頃のように二人だけでもない。

白い花弁が舞い散る花畑を彼女は金色の髪をきらめかせながら歩いていく。そして自分もそれを追いかける。
時を経て、少女は大人になり、二人の歩調は完全に合うようになっていた。
真っ白な花の絨毯に埋もれずに咲き誇る、世にも美しい彼女。
そんな幻想的な風景、そこをこうして自分も一緒になって歩いていると、今自分のいるこの世界が実は、きれいな装丁を施された絵本に描かれた、ありもしないおとぎ話の一頁なのではないかという幻覚にとらわれてしまう。

もう、冬など永遠に来ないのだと。
この暖かな春は、もう二度と去らないのだと。

そんな、馬鹿げた、おとぎ話の。


「足が止まっているぞっ。ただでさえ短いのだから、もっときびきび歩けっ」


そしてしばらくの間は、この温かな夢から醒めることなんて出来そうにない。



(了)