小坂誠


  • 1973年7月2日生 宮城県亘理郡山元町出身 右投左打
  • 選手時代の背番号は「32」

  • 通称こさっち。身長167cm(公称)、体重63kgと球界最軽量の眼鏡っ子。
  • 千葉ロッテ‐読売ジャイアンツを経て、2008年11月に金銭トレードで入団。初の宮城出身選手だった。
  • バッターボックスに入るとき、審判に軽く会釈するのが特徴。
  • 21世紀に入って一番最初に始まった公式戦で一番最初に打席に立った(投手は松坂大輔)。
  • 実は楽天が初めて三振を奪った打者(当時鴎、投手は岩隈)。
    なおかつ「0-26」の際最初に本塁を踏んだりもしている。
  • 宮城出身ということも合わせ、何かとチームとの縁を感じる選手である。

  • 守備と走塁の技術に非常に長けている。
  • ゴールデングラブ賞を4度、盗塁王を2度受賞。
    ロッテ時代は松井稼頭央とこれらのタイトルをめぐって激しい争いを繰り広げていた。
    • 「幕張の防波堤」といえば、当時の鴎の守護神小林雅英の愛称。
      だが、ロッテファンからは「真の防波堤は小坂」と認識されていたという。
    • 「小坂がいれば防御率が1下がるというのも大げさじゃない。それくらいの安心感がある」
      ――と格のない人からも太鼓判。
    • 脅威の守備範囲と精確無比の送球、柔らかなグラブ捌きでことごとく打者をアウトにしていく。
      誰が呼んだか「小坂ゾーン」と謳われ、わしせん民ならずとも安心。
      • 小坂の守備範囲に打球が飛んだ場合などには「残念そこは小坂ゾーン」というコメントが多く飛び交った。
      • その守備範囲の広さはお笑い界でもネタに使われたほど。
        くりぃむしちゅー上田、とんねるず石橋が「ロッテ小坂の守備範囲くらい広い」というツッコミを入れた。
    • ルーキーイヤーでいきなり56盗塁を決め、今も破られていない新人最多記録を打ち立てる。
      さらにリーグ最多犠打を2度、リーグ最多三塁打を4度達成。
    • その脚は楽天でも発揮。セカンドゴロの間に三塁からホームインし、決勝点を決めたことも。
  • 打撃はさほど期待できない。
    しかし1点をあげる代わりにその守備で1点を防いでみせる。
  • 黙々と送りバントを決め、四球を選んで出塁する様子はまさに職人の技。
  • ショートとセカンドとサードとセンターとレフトを一人で守る男、それが小坂である。
  • ニコ動やようつべに年度ごとにまとめたファインプレー集がアップされているので、興味を持ったら探してみてね。

  • ロッテ時代は遊撃手のスペシャリストとして活躍し、巨人時代に身につけた二塁・三塁手の技術で楽天の内野を支えた。
    この人とノリさんが加入してから、楽天の内野守備は本当に締まるようになった。
  • ずば抜けた身体能力もさることながら、趣味に「練習」をあげるほど地道な努力を欠かさない人物でもある。
    平石がブログで練習に臨む小坂の姿勢を絶賛していた。
  • 入団会見時には内村が弟子入りを志願。あとからそこに渡辺直塩川ら他の若手野手陣も加わる。
    ベースランニングする小坂を、彼らがカルガモの雛よろしくついていく姿が見られたそうだ。
  • 野球を始めたその最初から最後まで、向上心を決して失うことのない選手だった。
    その姿は、選手だけでなく、ファンをも魅了した。

  • 鴎から巨人への移籍劇は、ファンも、そして本人もびっくりする急なものだった。
    楽天への入団が発表されたときには、パファンから「パにおかえり、小坂!」の声が多くあがった。
  • 2009年8月16日、延長12回で12年ぶりのサヨナラヒットを放つ(奇しくも相手は古巣、鴎)。
    お立ち台での「プレッシャーの中でやらせていただいているのも幸せなこと」というコメントに涙した人も多いのでは?

  • 試合前練習ではノリさんとよくキャッチボールしている。
    同い年ということもあって仲がいいようだったが、ノリさんが2軍落ちしてからはベンチに一人で座っていることが多い。
  • 草野とはよく酒を呑むそうだ(河北新報より)。
    草野は、小坂の友人であるジョニー黒木の後輩なので、そういう縁もあるのかもしれない。

  • 鴎時代の2002年8月26日、9回2死から西口文也(猫)のノーヒットノーランを阻止した過去を持つ。
  • だが2009年10月10日、引退表明していた伊藤剛(公)の5球目外角高めクソボールを空振り三振。
    引退登板に花を添えた。
    その功績により、わしせん・はむせんの両住人から「空気を読める子」認定を受ける。

  • 2010年はキャンプ前の自主練習中にヘルニアを発症し、出遅れてしまった。
    二遊間守備固めの不在という、地味に深刻な影響を与える。
  • そして7月19日、待望の一軍復帰。そのときスレは歓喜に沸いた。キャーコサカサーン
  • しかし、腰は本調子ではなかったのかすぐ二軍へ逆戻り。そのまま戦力外、引退……え?
    ど    う    し    て    こ    う    な    っ    た    。
  • もし2011年も現役だった場合、松井稼頭央との超・恐怖の二遊間コンビができていたかもしれない…。

  • 引退後は二軍育成コーチ(野手担当)に就任。宮城に残ってくれてありがとう。
  • 2012年からは二軍内野守備走塁コーチに。ぜひとも中川西田ら若手を鍛えあげてほしい。
  • 無言会の一員。
    ノックの際、足元に置いた小関をアンプ代わりに方向指示を出させている姿を目撃された。
    二軍ではサードコーチャーを務めているため、大声で走者を制するシーンをたまに見ることができる。気になる人は三塁付近の席で観戦してみよう。

  • 2014年から日ハムの2軍内野守備コーチを務める。

  • 震災後、壊滅的な被害を受けた故郷山元町の復興に携わっている姿が報じられる。

  • 礼儀正しさ、腰の低さは並大抵ではなく、その真面目すぎる性格ゆえに面白い発言がしばしばみられる。
    • ルーキーイヤー、4月の月間MVPを受賞
      (コメントを求められ)「自分がもらっていいのかナ、と…」
    • パリーグ新人王を獲得
      「本当に僕でいいんですか。本当に僕なんですか。どうして僕なんですか」
    • 小坂選手を目標にしているちびっこにメッセージをと聞かれ
      「あんまり僕みたいになんないほうがいいですよ」
    • 日米野球出場
      メジャーリーガー「youは足が速いな!足にジェットエンジンでもつけてるのかい?HAHAHAHA!」
      小坂「いえ、ジェットエンジンは積んでません」(真顔)
    • 「踊る!さんま御殿」に出演
      さんまに「本当に168cmなんですか??」としつこく何度聞かれても「公称168cmです」を繰り返す。
    • 09/8/16、対ロッテ。サヨナラタイムリーを打ってお立ち台に
      「本来であれば(この日通算350号HR達成の)タケシさんが先にインタビュー受けるはずなんですけど、
      僕が受けてしまいまして申し訳ありません」
      開口一番に謝る。
    • オフシーズン、宮城出身のプロ野球選手による野球教室
      「言わせて頂くと、捕る時にもう少しグローブを柔らかく使ってあげて下さい」小学生相手に敬語。
    • 平石らとエレベーターに同乗、小坂が一番年上なので最初に降りる。
      「お先に失礼します」
    • 引退後のイベントにて
      • 「家ではよく家族と話します、主に子供とですけど」
      • (奥様とはどんな話をしますか?)「仕事の話はしません。趣味とか」
      • (具体的にどんな話題を?)「えっと…そばの話」(会場の聴衆:ぽか~ん)


 東北楽天関係の二つのニュースに心を動かされた。岩隈久志投手(29)の米大リーグ挑戦にも驚いたが、唯一の宮城県出身選手である小坂誠内野手(37)の引退の知らせは残念でならない。
 山元町生まれで、柴田高卒。JR東日本東北から、1997年にロッテに入団した。おいが高校の後輩ということもあり、新人時代からのファンだった。

 167センチと小柄ながら俊足を生かし、1年目に56盗塁をマークして新人王を獲得。遊撃手として、4度のゴールデングラブ賞にも輝き「守りで1億円を稼げる男」と言われた。言葉通り2002年には1億円プレーヤーの仲間入り。巨人を経て昨年、楽天入りした。
 入団会見で「いつかは楽天でプレーしたいと思っていた」とうれしいことを言ってくれた。大いに活躍を期待したが、今季は腰を痛め、たった7試合に出場しただけだった。

 1日に戦力外通告を受けての引退発表。スポーツは結果がすべてとはいえ、まだまだ現役でやれる年齢だ。本人は無念だったに違いない。高校球児のような、あのきびきびしたプレー。もう少し見たかったなあ。
http://www.kahoku.co.jp/column/khksyou/20101005_01.htm

  • 参考動画:youtube「小坂ゾーン」

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最終更新:2013年11月24日 23:57