#44 斎藤隆


  • 1970年2月14日生 宮城県仙台市出身 右投左打

  • フロントの本気補強第3弾。
    • 宮城県出身、MLBでの実績も十分なリリーバーという楽天の理想の投手。

  • 高校は東北高校出身。もちろん佐々木ともチームメイト。その他の先輩には葛西稔、中根などがいる。
    • 楽天では阿部が後輩にあたる。
    • この時は投手ではなく内野手としてプレー。
  • 大学は東北福祉大学。同期には浜名千広(元鷹)、金本(元鯉・虎)がいる。もちろん佐々木ともチームメ(ry
    • 監督から「凡退したら野球やめろ」と宣告されるも、その打席で凡退。佐々木が背丈が高い(188cm)ことから
      投手転向を監督に提案したのだとか。
  • 横浜大洋に指名され入団。同期には、ばんてふや永池恭男がいる。もちろん佐々木ともチー(ry

  • 1年目から1軍で登板、2年目にはローテ入り。94年にはオールスターにも出場。
  • 96年に2桁勝利、206奪三振で奪三振王に輝くも、翌年は怪我で棒に振る。
  • 98年は13勝を挙げて横浜優勝、日本一に貢献、カムバック賞も受賞。翌年も14勝をマーク。
  • 佐々木移籍後の2001年には、森監督の「俺はお前と心中する」という言葉でストッパーに転向。
    • この年7勝1敗27セーブ、防御率1.67の成績を挙げる。
    • この時の経験が今後に大きく生きることに。
  • ギャラードの獲得や佐々木の復帰で先発再転向。しかし怪我で好成績を残せず。
  • 2005年オフに一度でいいからメジャーで投げたいと希望し、自由契約に。
    • しかし、近年の不振に加え、高齢であったことがネックで契約する球団はなかなか現れず。

  • 06年2月にドジャースにマイナー契約。スプリングトレーニングに招待選手として参加するも、開幕はAAAスタート。
  • しかし、クローザーガニエが怪我をしたため、メジャー昇格。ワイルドカードでのプレーオフ出場に
    セットアッパー・抑えとして貢献。
    • 楽天での背番号44はドジャースでのメジャー入りを掴んだときの背番号。
  • チームメイトからも信頼されており、メジャー1年目に打たれてベンチで落ち込んでいた時に、
    「顔を上げろ」と励まされ、その後に打線が4連続ホームランを決めて逆転勝利したのは有名な話であり、自分の野球観が変わったという。
  • 07年もクローザーとして活躍。日本人メジャー最高球速となる99mph(約159km/h)もマークした。
    • また同日に記録したセーブによりメジャーデビュー以来48度のセーブ機会で45の成功を収め、
      初セーブ機会からの救援成功率で44/48のガニエを抜きメジャー新記録を樹立した。
    • 前半戦だけで23セーブを挙げるなど変わらぬ安定感が評価され、オールスターに監督推薦で初出場。
      最速97mph(約156km/h)を計時し1イニングを三者凡退に抑えた。
  • 08年は怪我で安定した成績を残せず、オフには松坂や岡島などがいるレッドソックスへ移籍。
  • 2009年はセットアッパーとして活躍。6月11日に日米通算100勝目を挙げ、日米通算100勝100セーブを達成。
    • 翌日も勝利投手となり、日本人メジャーリーガー初の2試合(2日)連続勝利投手になった。
    • メジャー入り以来4年連続での防御率2.50未満を記録。
    • 2年目契約のオプションがあったが、セットアッパーとしては年俸(09年の年俸+出来高)が高額となり、
      ウエーバー掲示され、アトランタ・ブレーブスに移籍。
  • ブレーブスでもセットアッパーとして活躍。
    • 両リーグのリリーフ投手中4位のウェルヒット率(相手打者に良い当たりを打たれた率).124、
      同ナ・リーグ9位のFIP2.43、同6位の奪三振率11.50を記録するなどチームのプレーオフ進出に貢献。
    • この年は特に速球が効果を発揮し、速球の奪空振り率は両リーグトップの33.5%を記録。
  • 日本人投手メジャーリーガー初の40代での勝利、セーブ、長谷川以来の5年連続40試合登板をマーク。
  • 11年はブルワーズに在籍。一時期は故障者リスト入りしたが、チームの29年ぶりの地区優勝に貢献。
    • 松井秀喜を抜いて日本人メジャーリーガー史上最多となる5度目のポストシーズン出場を果たした。
    • リーグチャンピオンシップで佐々木主浩に並ぶ日本人メジャーリーガー最長タイ記録となる
      ポストシーズン通算7試合連続無失点を記録。ポストシーズンで好投を見せるもチームは敗退した。
  • 12年はダイヤモンドバックスに在籍した。しかしふくらはぎの怪我が長引き、復帰にも時間がかかった。
    • この年は自己のメジャー成績の中で最低となる。本人曰く体調管理が大変だったとのこと。
  • 楽天からは数年前からオファーがあり、このときの新社長・立花社長の熱烈ラブコールに応える形で、楽天入り。
  • 迎えた13年シーズンではキャンプの怪我で一軍昇格が5月まで出遅れるものの
    5/6の日本復帰初登板でいきなり二死満塁のピンチを作るものの無失点で切り抜ける。
    するとその裏打線が松井稼頭央の満塁ホームランなどで一挙7得点。復帰初登板を勝利で飾った。
  • その後は故障など年齢を考慮され連投制限を設けられるなどで計算通りに起用できなかったものの
    30試合に登板して防御率1.85、1勝9ホールドを記録し貧弱な楽天のブルペン陣を支えた。
  • またチーム最年長ということもあり一時期故障で離脱した小山伸一郎に代わってブルペン陣のリーダー格と精神的支柱として日本一に大きく貢献した。
  • 流石に全盛期と比べたら衰えたものの直球の威力と決め球のスライダーは未だに健在であり、
    特に直球は楽天のブルペン陣で一番いい球を投げているとまで言われる程である。

  • スリークォーターからスライダーとフォーシームを武器に三振を奪う。他にもカーブとツーシームを持ち球とする。
    • かつてはフォークも投げていたが、レッドソックス移籍に際して、失投の確率のあるフォークを封印したとのこと。
  • 上述の通り、5回もプレーオフに出場しており、プレーオフ請負人である。

  • 斎藤隆といえば、『ササキ様を願いを』でもおなじみ。
    • しかし、マンガと異なり、大学時代は同じ寮の部屋だったが、佐々木に起こしてもらい、
      部屋の掃除を指示されても、掃除しなかったとのこと。(佐々木談)
  • メジャーでは、チームのムードを盛り上げようと侍のコスプレでチームメイト・敵チームを和ませた。
  • 歌も上手なイケメンであり、ぐう聖でもある。

  • 幼少時代から大学時代までをずっと仙台で過ごした生粋の仙台っ子、そして東北人である。
  • 地元の復興の象徴として東北の地で躍動して、優勝に貢献してもらいたい。

  • 2015年、遂に現役引退。長い間お疲れさまでした。でも、もう1年やれば、山本昌の引退により球界最年長選手になったのになあ。

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最終更新:2015年10月09日 09:46