#30 永井怜


  • 名前は「さとし」と読む。通称、怜たん、レイタン、永井きゅん、長い、短い等。
  • 1984年9月27日生 群馬県藤岡市出身 右投左打

  • 2006年ドラフトにて大社1巡目で指名され、入団。
  • 当初は先発だったが、後ろが手薄なチーム事情から、8月中旬以降はもっぱらリリーフとして登板する。
    ルーキーイヤーは22試合に登板して防御率1点台という安定した成績をおさめた。
  • 翌2008年もシーズン序盤は先発起用されたが、交流戦から尻すぼみになってしまい、再び後ろに回される。
    結局この年は先発・中継ぎ双方で成績が下回ってしまうシーズンとなった。
  • 9月からHWL(ハワイ・ウィンター・リーグ)に聖澤諒枡田慎太郎と共に参加。
    そこでリーグ最多勝利をあげ、最多奪三振・最多投球回を記録するなど活躍し、最優秀投手に選ばれた。
  • これが転機となったか、2009年は唯一シーズン通してローテを守るなど安定し、13勝7敗と初の2桁勝利もあげた。
    CS2ndステージの初戦先発も任され、7回1/3を4失点で降板。
    その後この試合がどうなったかは、皆さんご存知の通りである
  • 2010年もなんだかんだ言われながらローテを守り、2年連続となる10勝もあげた。
    ちなみに、球団初の先発ローテを2年連続で守った投手となった。
  • しかし10勝をあげたその試合中にホークス優勝が決定したため、各ニュースでは全力スルー。
    それどころか本拠地なのにヒーローインタビューもなしになってしまった。カワイソス
  • スペの多い楽天投手陣の中では体が丈夫な方であったが、2011年に右肩を故障。
    翌年も出遅れ、わずか5試合の登板に終わってしまう。

  • 低めにズバッと決まる大きなカーブを投げる。しつこい位に球を低めに集め、制球力で勝負するタイプ。
    アウトを取るときはフライの割合が大きく、被本塁打もまた多い。
  • 初回失点はデフォだが、それを乗り越えても100球越えたあたりで突如崩れて失点するというお約束がある。
    さらに登板間隔を中5日にしようものなら即死亡フラグ成立。おぉ、もう……。
  • 野村監督からは「永井が投げると(試合が)長い」とよくお小言を頂戴していた。
    • だが2009年には「長い(永井)が短いになった」とエース岩隈田中に続く先発三本柱として認められるように。
    • ただし信頼度はまだまだのようで、監督いわく「手水(ちょうず、便所/手洗い場)の柱」。大黒柱には遠いということらしい。
  • 千葉マリンが大の苦手。なんと、2011年7月30日のロッテ戦まで勝ち星を挙げることができなかった。
    ちなみにこのマリンでの初勝利は被安打2の完封である。

  • チームきってのイケメン。2009年のバレンタインは前年トップのを抜いてダントツ1位。
    これを橋上コーチが皮肉り「おまえは顔とコントロールが甘い」と評されている。
  • 実は痩せの大食いらしく、「すごい食べるのに太らない」と、田中ら若手投手陣が証言する。
    華奢で痩せ型と、スタミナのために脂肪や下半身の筋肉を重要視する先発投手らしくない容姿。
  • 杉山ピッチングコーチは「私服だとプロ野球選手に見えない」との弁。
  • わしせんではよくおでこの広さをネタにされるキャラ。朝井と共に髪の毛を心配される双璧。
    朝井はともかく、永井きゅんにはhageないで頂きたい……。

  • 東洋大時代は主戦投手として活躍し、当初はプロではなく高校野球の指導者を志望していた。
    • 最終的に2単位足りず取得はならなかったが、教員免許は卒業後でも単位を改めて取れば取得できる。
      なので永井もいずれはそうしたいと語っている。
    • ちなみに東洋大への入学はスポーツ推薦ではなく一般入試(法学部法律学科)である。
      そのため、ドラフト指名後も試験や教育実習、卒業論文の提出などに忙しく、たびたびキャンプを離れていた。

  • 2015年、遂に現役引退。長い間お疲れさまでした。

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最終更新:2015年10月09日 09:42