#6 藤田一也


  • 1982年7月3日生まれ 右投左打 徳島県鳴門市出身

  • 2012年シーズン途中、6月24日に内村賢介とのトレードで横浜DeNAベイスターズからやってきた。
  • 本職はショートだがセカンド・サードもそつなくこなす「ハマの牛若丸」。
    • 11年には脅威の失策0を記録している。
    • 藤田の守備範囲に打球が飛ぶと「残プ(残念そこはプロ)」と書き込まれるのがはませんのお約束。
      そしてそれはわしせんにも引き継がれている。
  • 守備に関しては新人時代から定評があったものの、当時は打撃成績が芳しくなく、スタメン定着を阻んでいた。
    解説の達川に「アマチュアのバッティング」と酷評されたことがあるが、それ以降成績が上昇したという。
    • ネットでの愛称「藤田プロ」はそれが由来となっている。打たないと「藤田アマ」に格下げ。
  • 成績を上げたかと思えば次々に新戦力が加入し(渡辺直人もその一人)、押しのけられてしまう不運なお人。
  • しかし規定未到達とはいえ、10年、11年と2年連続で3割にのせている。
    ただし好不調の波が激しく、また小技や長打もないためやっぱりスタメンになりきれなかったらしい。
    • 代打で結果→スタメンで不振がお約束。初球打ち打者なので、特にひどい時は3打席3球3アウトすらあった。

  • 2004年ドラフト4位指名で近大から横浜に入団。
    つまりマメの後輩であり、藤田もなかなかアホ天然な発言が多い。また野球脳の方も(ry
  • ファンからの人気も高く、トレード発表時にはうっちー共々、双方のファンから惜しむ声が多数寄せられた。
    ちなみに、その2週間前の交流戦で劇的な逆転タイムリーを放ったのが当の藤田であった。
  • 守備の即戦力としての獲得とあって、発表から2日後の試合(対公)で即スタメン起用される。
  • Kスタ独特のバウンドには苦労していたようで、当初は守備職人らしからぬエラーも出た。
    しかし、度々見せる堅実かつ素早い守備を見たわしせん民はすぐ手のひらを返す。
  • 稼頭央の離脱時には特に「藤田がいてくれてよかった」と重宝された。
  • その後は枡田慎太郎が怪我してしまったのでセカンドのレギュラーに。またまた重宝することに。
  • 2013年には移籍2年目ながらキャプテンから直々に副キャプテンに任命され、
    不動の2番セカンドとして自身初の規定打席到達、打率.275、打点48と結果を残す。
    • 堅守も健在。捕球してからの素早い送球で一二塁間を抜けそうなヒット性の当たりを何度もアウトにしてチームのピンチを救った。
    • 本人曰く、「パ・リーグの各打者の打撃の特徴を頭に叩き込んで、捕手のリードから球種とコースを計算してあらかじめ打球が来そうなところを読み切っている」らしい。
      コントロールのよい投手ほどその高い守備力は発揮されるといえる。
    • 日本シリーズでも堅守と勝負強さでチームを支えたが第5戦、G西村から足に死球を受ける。
      あまりの痛がり様に離脱も心配されたがそのまま出場。
      銀次のタイムリーで勝ち越し3塁を陥れたところで無念の交代。
      ベンチに下がった藤田の目には悔しさで涙が浮かんでいた。
  • 球界でも三本の指に入ると言われる鉄壁の二塁守備が評価され2013年自身初のゴールデングラブ賞を田中と同時受賞。
    同じく名手と呼ばれるH本多雄一を抑えての価値ある受賞となった。
    ちなみに田中と嶋以外の選手が受賞するのはチーム初のことである。
  • 田中マギーとともにベストナインも受賞。むろん自身初受賞である。
  • 2014年、全試合出場する。オフの契約更改では年俸を1億円の大台に乗せた。
  • 2015年、主力選手に怪我が相次ぐ中、なんと3番を任される。藤田が3番とは...。しかしこれは結構ハマっていた。...のだが、藤田自身も怪我で登録抹消。復帰後はサードを主に守った。
  • 余談だが楽天ファンがよく利用しているであろうホームゲーム開催日の仙台駅東口→Kスタのシャトルバスの車内アナウンスを担当している。

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最終更新:2015年10月11日 10:32