#21 釜田佳直


  • 1993年10月26日生まれ 石川県小松市出身 右投両打

  • 2011年夏の甲子園で注目を集めた高校生右腕。同年10月、ドラフト2位指名で入団。
  • いきなり球団創設時からのエース・岩隈の背番号「21」を与えられ、ファンを驚かせた。

  • 金沢高校出身で、高須洋介は大先輩になる。釜田曰く「お父さんみたいな存在」。
  • 1年春から公式戦に登板するようになり、2年秋には明治神宮野球大会に出場。
    神宮球場とはいえ、この時点で球速は150km/hを計測している。
  • 3年次には春夏ともに甲子園に連続出場し、通算で34回を投げて防御率は1.32、40奪三振の成績をあげた。
    AAAアジア野球選手権の日本代表にも選出され、金メダル獲得に貢献した。釜田の成績は2回無失点。
  • 卒業後の進路は、教員免許取得も考え大学進学を希望していたという。
    そんなとき、2011年9月10日のマーさんとF斎藤佑樹の投げ合いに感化され、プロ一本に絞ったといういきさつがある。
  • 中学1年生までは捕手だった。投手転向のきっかけは、2006年夏の甲子園決勝戦。
    • 駒大苫小牧のマーさんと早稲田実業の斎藤佑樹による投げ合いは延長引き分け再試合に。
      TV観戦していた釜田は、いてもたってもいられず翌日特急列車に飛び乗って甲子園へ向かった。
    • 壮絶な試合を目にし、監督に「投手の方がカッコいいし、銭になりそうだから転向させてください」と直訴。
    • このようにマーさんは進路に2度も影響を及ぼしており、釜田も尊敬しているという。
      ちなみに最初に好きになったのはむしろ斎藤の方。クールに投げている姿がカッコよかったそうだ。

  • 小柄ながら最速153km/hを誇り、手元で微妙に「動く」直球とスライダーが持ち味。
  • プロ入り早々、春の教育リーグから登板機会を与えられ、首脳陣からの期待がうかがえる。
  • 2軍では防御率0.86の好成績で、これにはわしせん民も大いに浮かれる。
    とはいえやはり高卒一年目、じっくり修行させるだろうという見方がほとんどだった。
  • ところが交流戦に入ってすぐ、一軍にお呼びがかかる。
    当然中継ぎ――かと思われたが、なんと5月20日(対T)にプロ初登板初先発。しかもビジターの甲子園球場。
    • 初回から枡田がやらかしまくるなど、味方からプロの洗礼を浴びて3回3失点(勝ち負けなし)。
    • コントロールがばらつくものの、ピンチの場面でその日最速(自身最速タイ)の153km/hを投げるなど、度胸のよさが光った。
    • 当日ご両親が観戦に来ており、「まさか登板日を予測していた?」と言われる。
      だがどうもお父上は虎ファンで偶然チケットを取っていただけのような(ry
  • 2度目の登板は一週間後の5月27日、今度は2年秋に躍動した神宮球場での燕戦。
    打線の援護もあり、6回0/3を投げて1失点でプロ初勝利をつかんだ。
  • さらに6月17日には、この年交流戦を制した巨人の強力打線を相手に、1失点でプロ初完投勝利!
    • 相手は3週間前にノーノーされた杉内だった。ちなみに田中の初完投勝利の時の相手も杉内。
    • また高卒新人による初完投勝利は、巨人戦に限れば1987年の近藤真一(元D)のノーノー以来とのこと。
  • 緩い日程の交流戦ゆえのお試し起用かと思いきや、なんとそのままローテに食い込んでしまった。
    本人は「サンデー釜田」襲名に乗り気。
  • 8月16日対日ハム戦、楽天高卒ルーキーでは田中以来となるプロ初完封勝利!・・・すごい奴だ。
  • シーズン終盤にムエンゴなどもあり失速するも、7勝4敗防御率3.28と高卒新人としては十分すぎる成績を残した。

  • 2013年はピンチで結果を残した前年の経験からOP戦や練習試合で全球セットポジション投球に取り組んだりしている。

  • 2015年、手術から復帰し終盤に1軍登録。

  • いわゆる「野球脳」も評価が高い。高校時代の監督も「自分の頭で考える力を持っている」と評する。
  • ヒーローインタビューや取材では、常にはきはきと物怖じせず受け答えしている。
    長島一茂にも「本当に18歳?」と驚かれた。

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最終更新:2015年10月11日 10:15