#79 大石知宜


  • 本名「大石友好」
  • 1954年1月15日生まれ 徳島県海部郡宍喰町出身 右投右打

  • 2012年より二軍バッテリーコーチを務める。
  • プロ入りは黄金時代の西武ライオンズ。
    • 一年目から一軍定着するが、伊東勤との争いに敗れる形でデス杉本と共に中日へトレード。
      交換相手は田尾安志である。
  • 中日の監督は星野仙一で、彼の指揮下で中尾孝義・中村武志に次ぐ控え捕手に定着した。
    • 高卒新人にして一軍初登板ノーヒットノーランを達成した近藤真一のボールを受けていたのが大石だった。
  • 1991年引退し、その後コーチとして球団を渡り歩く。
    壊れた信号機・デス杉本と並ぶ、球界三大世渡り上手と呼ばれている。
    • 1992年から1994年中日コーチ。1992年1軍バッテリーコーチ補佐だったが12年ぶりの最下位に終わる。監督の高木守道に指導力を問題視され2軍コーチに降格させられる。中村武志が正捕手だったがそれに次ぐ捕手が育てられなかった。
    • 1995年、現役時代バッテリーを組み、大石の兄貴分・東尾修が監督就任に伴い1軍バッテリーコーチに就任する(ちなみに東尾はデス杉本の兄貴分でもある)。同年は優勝したオリックスに大きく負け越し、5連覇が止まり3位に終わる。
翌年ヘッドコーチになるも低迷し、最終的に3位になるも1981年以来の負け越しになった。伊東勤に次ぐ捕手が育てられず、FAで中嶋聡を獲得し、バッテリーコーチの中尾孝義同様伊東と不仲であった。1998年には脱税で解任、1999年に復活する。
東尾が監督辞任し、2001年にデス杉本と共に解任された。
    • 2002年、ダイエーのバッテリーコーチに就任。城島健司に次ぐ捕手が全く育てられず、城島移籍後は捕手が固定できず、盗塁阻止率リーグ最低を記録。2008年は最下位に終わり、投手陣を粉砕した投手コーチの杉本正と一緒に解任された。
    • 2009年、西武総合コーチ。前年に辞任した黒江透修の後任だったが前年リーグ優勝、日本一のチームが中継ぎ崩壊などもあり4位に終わり、翌年バッテリー総合コーチに回されるも記録的失速で優勝を逃して解任。翌年は初の解説者になった。
    • 2012年、中日時代の監督星野仙一、西武時代の同僚楠城徹のコネもあり2軍バッテリーコーチになるも捕手が全く育てられず、2016年はヘッドコーチに回され、2018年オフ、西武時代投手とコーチの関係だった石井一久によって解任された(同じ西武時代投手とコーチの関係だったデス杉本も石井によって解任された。)。大石と杉本の同時解任は3球団3度目であり、最下位で解任されるのは10年ぶり2度目である。

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最終更新:2019年06月09日 18:24