山田勝彦


  • 1969年7月2日生 愛知県名古屋市出身 右投右打
  • イーグルス在籍時の背番号は「72」

  • 現役時代は阪神暗黒期の負の面を一身に背負う。
    打撃が非力で、リードも阪神時代のノムさんに酷評された。
    • 東邦高校が山田卒業後翌々年の1989年に春の選抜高校野球に優勝したことから後輩が「疫病神がいなくなってよかった」
と陰口をたたかれたともいう。
    • 打率が身長より、下回ることもしばしばで、7番久慈・8番山田・9番投手という下位打線は、暗黒時代の象徴とも言えた。
    • ファンからも「外スラの山田」と言われたとかいないとか。
  • 結局、関さんや矢野輝弘に挟まれ、確固たる正捕手の地位をものにすることはできなかった。
  • 2002年オフに下柳剛らとのトレードで日ハムに移籍するもぱっとせず、2005年に引退。
    • 2003年と2005年には阪神優勝、2006年には日ハムが44年ぶりの日本一を果たしたことから、山田の自宅のある神戸では近所の住人に
「山田さんがいなくなるとどうして優勝できるのかしらねえ」と後ろ指をさされ、怒りから「俺だけのせいにするな!!」と
家族やチームメイトにDVを起こしたこともしばしば
  • 日ハム側からはコーチ就任を要請されたが、かつての上司ノムさんを慕って楽天へ。
  • 井野中谷あたりを見るにコーチとしての手腕はそれなりにあるようだが
チーム全体に結果を残せない悲劇のコーチとも揶揄されている。
  • 2010年シーズン終了後、退団を申し入れて受理される。
    その後は自宅のある神戸に戻り、2011年からはオリックスのバッテリーコーチに就任。新しく監督に就任した星野仙一との確執も原因だったようだ。
    • また昨年までオリックスのコーチだった三輪隆が楽天に来たため、わしせんでは「コーチをトレードした」と言われている。
  • 2011年7月11日に対猫で高宮が中島に死球を与えてしまい、乱闘が発生。
    ナベQ監督との間で激しいやり取りが生じた。わしせん民の間でも話題になった。檻の選手・コーチの中で1番怒っていた。
    • 2013年11月3日の楽天日本一になったことからわしせんでは「結局山田元コーチは選手をダメにしたり、周囲を不幸にする男」と言われている。

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最終更新:2013年11月06日 22:55