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そういうわけで?もう一件、空気の読めない愛すべき馬鹿野郎の話をするか

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そういうわけで?もう一件、空気の読めない愛すべき馬鹿野郎の話をするか

 鷹嘴 mixi日記


 そういうわけで?もう一件、空気の読めない愛すべき馬鹿野郎の話をするか。つかマイミクの中から死人が出るとは思わなかった。


 俺がネット上に歴史問題・政治問題に関する書き込みを始めたのは2000年の夏ぐらいからだったと思う。2ちゃんねる、「日本ちゃちゃちゃ倶楽部」などでネトウヨ相手に飽きもせず書き込みを続けていたが、そのうち半月城さんのサイトや問答有用、思考錯誤など多くの左派論客が集う場所ものぞくようになり、「とほほ」というハンドルを用いる大物の存在も知ることとなった。

 その後俺は「とほほ」さんも書き込むことのある問答有用に乱入し、ウヨサヨ構わず馬鹿、氏ね、と罵倒を浴びせたり浴びせられたりしてたんだが、06年2月、とほほさんから「南京への道・史実を守る会」の呼びかけ人にならないか、というお誘いが届いた。これに快諾し、そして5月、同会の集会に参加した(集会の名前は「歴史問題ネットワーカーと反小泉・護憲運動ブロガーの集い」だった。反小泉と護憲運動はどこにいったのやら?)
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=2437;id=sikousakugo#2437

 これは要するに生まれて初めてOFF会だった。ネット上じゃ二言目には「氏ね」「逝け」と口走る厨房のクセに恥知らずにも自分の顔を晒しに出かけ、そして名だたる論客の皆さんにお会いしたわけだ。とほほさんは痩せてたけどイメージ通り「只者じゃないな」という雰囲気を漂わせていた。けど親分肌で気さくないい人だった。その後俺は同会に事務局員として参加し、夏淑琴裁判支援活動に加わった。

 で、「とほほ」さんも「史実を守る会」結成の言いだしっぺの一人だったけど、なにしろ広島在住なんで東京での活動に参加するのはちょっと無理だ。そのころとほほさんはAML(09年3月に閉鎖)で激しい議論を続けていた。

 そして06年10月、事件が起こった。とほほさんが突然「撫順の奇跡を受け継ぐ会」と「史実を守る会」の脱会を表明したのである。
http://t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=3483;id=sikousakugo#3483

 脱会の理由は、
 「受け継ぐ会と史実を守る会の母体とも言える組織である八王子平和市民連絡会が予定している集会で、9.11陰謀論を唱える『きくちゆみ』さんが座談会に出席するという。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-October/009686.html
 だから堪えられない」

 ということだった。「とほほ」さんはAMLでこの陰謀論と闘ってきたのである。

 正直俺も一時この陰謀論に傾倒していたが、AMLで「とほほ」さんや高橋亨さんの投稿を読んで目が覚めた。(OFF会でこれを告白すると「とほほ」さんは呆れた顔をしていた。その後俺はAMLでとぼけた顔をして陰謀論に反対する投稿をしていたのだが)

 たしかに9.11テロはヤラセだった、という主張は無理がありすぎる。しかし反米厨が9.11陰謀論にかぶれるように、保守的な人間が南京大虐殺否定論にかぶれるように、媚中派がダライ・ラマとラビア・カーディルさんに対しあれこれ言うように、人間誰しもそういうのに引っかかってしまう弱点があると思う。決して陰謀論なんかに騙されない、とか逝ってるヤツはタダの嘘つきだ、そういう奴こそぁやしい。陰謀論を唱えてるからと言ってその人の主義主張を全否定するのはちょっと厳しすぎやしないか?そりゃともかく、八平連が9.11陰謀論を主張しているわけじゃないだろ?

 それに「受け継ぐ会と史実を守る会の母体とも言える組織」というのは全くの誤解だ。「受け継ぐ会」と「史実を守る会」の立ち上げ人の一人であるジャーナリスト熊谷伸一郎さん(現在は岩波の編集者)が、八平連の「50人以上いる」呼びかけ人に名を連ねている、というだけだ。これじゃ「某要請行動の賛同団体にJR総連と百万人署名運動の名前がある。百万人署名運動はカクマルになったのか?」というのと同じだ(実際、この二つの団体の名前が他の多くの団体とともに並んでいるサイトがあった)。しかしみんな引き止めたが言い出したら引っ込まない「とほほ」さんの意思は変わらなかった。あのおっさんA型だったのかな?それともAB型?

 その後俺は「史実を守る会」の活動を続け、「とほほ」さんのことはすっかり忘れていたのだが、08年3月にまた事件が起きた。「とほほ」さんが突然復帰し(それ自体は喜ばしいが)、同時に「史実を守る会」メールニュースの編集長になる、とML上で宣言したのだ。

 これには他のメンバーから大きな反発が起きた。たしかに自分から出て行ったクセに復帰早々編集長になります、じゃみんな怒るだろう。俺は「ああそうなの」としか思わなかったけど。(ちょっとボランティア的に参加してる、という意識しかなかったからね)

 実は、俺は知らなかったがメールニュースの送信に苦労していたのでネットに詳しい「とほほ」さんに頼みましょう、という経緯があったのだ。しかし「とほほ」さんほどの人をメール送信だけに使うのはもったいないというか失礼だし、本人も物足りないだろ?そう言えばこのとき突然俺の携帯に「とほほ」さんから電話があったけど、それが俺と「とほほ」さんとの最後の会話となった。

 さらにこの件のゴタゴタが収まるひまもなく本当に重大な事件が発生した。「とほほ」さんが会員のAさんに電話をかけて怒鳴り散らし、なおかつ「史実を守る会ML」でもその人を激しく非難したのだ。「史実を守る会」事務局はAさんに謝罪し、かつ暫定的に「とほほ」さんをMLから解除する、という対応をした。

 「とほほ」さんは頭が良すぎるだけじゃなく、たとえ同志でも曲がったことは許せない、いつでも直球勝負の人なのだ。この性格が災いしてしまったのだ。運動体の維持なんかよりも自分の正義感を裏切れないんだ。こういう造反有理な人こそ本当の左翼、というべきだろう。(ちなみに彼が激しい論陣を張りすぎて疎まれたのは「史実を守る会ML」やAMLだけじゃなかったという)

 しかしこの件にはちょっと事情がある。このAさんはML上で、ある行事への参加を呼びかけていた。これに「とほほ」さんが参加する意向を示したのだが何故かAさんは他の人のメールには応答したのに、「とほほ」さんのメールは無視していたのである。そのためせっかちな「とほほ」さんはAさんに直接電話をかけ、会話の中でキレてしまったのだ。

 しかもAさんの呼びかけは、Aさん自身がこの行事の実行に関わるが如く誤解させるようなものだったこと、かつ行事の内容を都合よく解釈していた、という問題があった。「とほほ」さんの言動に問題があったのは言うまでも無いが、Aさんの行動も当然非難されるべきである。

 「とほほ」さんにはしばらく頭を冷やしてもらい、二度とこういう騒ぎを起こさないことを約束してもらいMLに復帰してもらう。そしてAさんにも行動要請をする場合には充分注意してもらう・・・というのがベストな解決方法だと思ったのだが、結局「とほほ」さんはMLから無期限解除、及び事務局員専用のMLからも解除(すなわち事務局員としての資格剥奪)という重い処置が下された。要するに爪弾きにしたわけだ。能力の高い人であり、長年の同志であり、飲み友達でもあるのに・・・まあ俺も(当時の)事務局員の一人としてこの決定に立ち会ったのだから言い訳しても無駄だけどね。

 そういうわけで俺はすっかり「史実を守る会」に醒めてしまい、夏淑琴裁判の高裁判決までは付き合ったが以降は会議も集会もほとんど参加せず、今年6月には幽霊のままじゃ悪いと思って事務局員を辞めさせていただいた(会員はやめてないけど)。つか中国の人権蹂躙がすっごくムカついたり、某党派との付き合いが増えたりして、歴史認識問題とか戦後補償問題とかに興味が失せていき、それに彼らの付き合いを続けるのは「とほほ」さんに後ろめたいし、「あなたからフェイドアウト~♪」状態だった。

 「とほほ」さんは相変わらずAMLで激しい議論を続けていたが、あまりに荒れ状態が収まらないので管理人の嫌気がさしたのか今年3月AMLは閉鎖されてしまった。

 閉鎖の原因となったいくつもの問題のうち少なくとも一つは「とほほ」さんも関わっている。激しい言葉を浴びせる彼を未だに快く思わない人も多いだろうが、この件について「とほほ」さんが被害者だったことを明確にしておきたい。

 「とほほ」さんはある人物に「てめーも大概にしろよ、面倒だから電話かけろ」という文言とともに自分の電話番号を貼り付け私信メールを送った。そして今度はその人物からAML上にてひどいストーカー攻撃を受けることになる。しかしこれに至るまでに、その人物からねちっこい嫌がらせを受けていたのだ。(↓「とほほ」さんがまとめた経緯)
http://list.jca.apc.org/public/aml/2009-February/024181.html

 それにしても・・・決して「とほほ」さんが悪いわけじゃないが、わざわざ火に油を注ぐようなことは避ければよかったのに、と思う。全く損な性格だ。

 そしてAMLを引き継ぐ形でスタートしたCMLに「とほほ」さんは参加せず、どこで何をしているのか知らなかったが、10月末に突然訃報である・・・。自宅で亡くなっているところを数日後に発見されたという(独身だった)。かつて彼を粛清した団体の一人として実に後ろめたい気持ちである。

 しかし、まさに「馬鹿は死ななきゃ治らない」を地でいった人ではないか?彼のような性格ではどこに行っても騒ぎを起こし、敵を作っただろう。しかし彼は嫌われることを恐れず、正義感を通し、決して妥協することはなかった。俺も少しは見習いたいものだ。

 ご冥福をお祈りします、と言いたいとこだが彼に「冥福」は来ないだろう。今頃地獄の羅刹や亡者ども相手に激しい議論を行い、論破した相手に血の池地獄に突き落とされたりしてるに違いない。(彼の性格から言って閻魔大王に天国に行け、と言われても断るだろうw)ヒロヒトとか見かけたら厳しくやり込めてるだろうな。「死ななきゃ治らない」じゃなくて「死んでも治らない」よ、彼は。俺もそのうちお世話になるだろうから是非この議論に加わりたいものである。


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