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竜馬くんのページ

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ゆうさんのページ| 渡辺さんのページ| 掲示板に書き込む

 K-Kです。
 みなさん、こんにちは。

 長い間、当掲示板をご利用くださって有り難うございます。
 この度、掲示板を「思考錯誤」に移転しました。議論をつづける場合は、「思考錯誤」の方にご投稿ください。

 有り難うございました。


掲示板「思考錯誤」
http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/



核心 - 02/11/30 22:04:37

コメント:
>K-Kさん

これも消していいけど。

親父が虐殺に使用した刀十数本は完全な形で保管されています。

核心 - 02/11/30 21:52:42


コメント:
>K-Kさん

これ消していいですけど。

うちの親父に聞いたけど「なぜ黙っているのか」というと「昭和天皇のハジになるから」なんだって。

「昭和天皇のハジ」のせいにして自分たちのハジを隠してるだけじゃない。

親父の話があったときから元戦友から毎年、梨がおくられてくるようになりました。

あれって「虐殺はナシにしてっくれ」ってことだったのかなあ?

ゆう - 02/11/26 23:06:33
電子メールアドレス:「東中野氏の徹底検証」より


コメント:
只今、自前のHP製作のため、掲示板は「休暇中」です。まもなく、そのうち一部は公開できると思います。

とはいえ、あまりご無沙汰すると忘れられそうなので(^^)、「ネタ」をひとつ、投稿します。

(新HPに掲載予定です)

*********************

●公務以外の外出は不可能?

日本兵は公務で外出する以外、外出は原則として不可能であった。厳しい軍規の下、強姦に出かける可能性は極めて少なかったように思われる。
(「徹底検証」P274)

「極東軍事裁判」でも、このような証言が行われています。確かにこの通りであれば、「不軍紀事件」などおこりようがない。

しかし実際には、「南京戦史資料集」などに収録されている兵士の日記を見ると、結構自由に外出しているようです。



○初年兵の手記「硝煙の合間にて」 (歩兵第七聯隊第一歩兵砲小隊 N・Y一等兵)

十二月十四日、南京城内
(略)午後部屋を片付け終ってから水を探したり又今夜のお菜にするため材料を見つける為に堀田さんと二人で家を出た、南京には占領と同時に多くの憲兵が入って軍紀風紀の取締についていると言われていたので、自分達は裏町づたいに家を覗いていった。
(「南京戦史資料集?」P385)


○水谷荘日記「戦塵」 (歩兵第七聯隊第一中隊・一等兵)

十二月十七日
(略)今日は五時起床。歴史に残る南京入城式だ。指揮班からH伍長、I、G(注.橋本伍長、稲垣上等兵、常光上等兵?)が参加する。宿舎の直ぐ裏にドイツ人の住宅があり、何となく親近感をもって遊びに行く。此の家の主人シハイリン氏は居ないが、中国人の給仕が居て葉巻を出してくれた。たどたどしい日本語を話せるのも居たので、正午迄遊んで帰る。
午後は近くの池に、支那軍の手榴弾を投げ込んで魚をとった。六○種以上もある大きなのが五匹も取れ、その以下のものも十数匹取れたので、早速天ぷらや塩焼にして食う。
夜昨日の裏の山寺へ行って、魚をとる為の手榴弾二箱を取って来る。
(「南京戦史資料集?」P397)


○牧原信夫日記 (歩兵第二十聯隊第三機関銃中隊・上等兵)

十二月十八日
午前六時半起床、自分は岡山と炊事当番であった。八時に食事を終る。皆は食事が終ると何時とはなしに徴発に出る。自分は事務室に居残る。
(「南京戦史資料集?」P407)




更に、「公務外出」と言っても、別に書類を届けにいくような用事ばかりではない。東中野氏は、別の章で、次のように書いていますが・・・。

また、それから二日後、山田支隊の堀越文男伍長(仮名)は部隊長の命を受けて城外から城内に入った。堀越伍長が公用外出して見たものは、路上の死体の山ではなかった。露店であった。そこで堀越伍長は、「難民の売る平たいパン様のもの」を買っている。
(P232)


堀越伍長の、日記の該当部分です。

○堀越文男 陣中日記 十二月十九日

聯隊は揚子江を渡江し警備のため冬営するの目的を以て明二十日出発の予定につき南京城内に至りて炭焼きに必要なる斧鋸その他のものを徴発すべしとの部隊長の命令をうけて小泉准尉以下十名南京城内へ出発す、九時なり。
難民区に至りて難民の売る平たいパン様のものを食ふ、テンプラうまし。
南方へ、山へ、よきたてものあり入りてチャン飯を馳走になる、よろこびてもてなしくれたり、うましうまし正にうまし、午後二時自動車にてかへる。
(「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」P79)


「公用外出」とは、実は「徴発」のことでした。あまりいばれたものではありません。しかし、これを「公用外出」の言葉でごまかす、東中野氏の神経は・・・。

渡辺 - 02/11/25 02:08:14
電子メールアドレス:十一年式軽機関銃


コメント:
ご紹介URL:
http://www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/newpage429.html
-----
腰溜射撃

近接戦闘」時に多用する射撃方法で「滿洲事変」以降、現地部隊では多用されてきた射撃方法であり、昭和14年
に国軍の制式射撃方法として「緒兵射撃教範」に明文化される。
 目標の方向に左足を前に出し、右足を少しまげて腰を落とすと共に腰の位置に軽機関銃を構えて、右手で「銃把」を握り「左手」で、「九六・九九式軽機関銃」では「提把」を保持し、「十一年式軽機関銃」では銃身下の「握革」をつかんで射撃する。
-----

まぁ、メイドさんの腰溜射撃姿勢でも見て研究してください。
長いページの中ほどにあるから、「十一年式軽機関銃腰溜射撃」でページを検索してみてね。
何んか変なの...(^^;

渡辺 - 02/11/24 21:33:33
電子メールアドレス:地図


コメント:
タラリさん:>
>ご存じかと思いますが、地図の一枚一枚は著作権があり、1/2までしかコピーを許されていません。もう一度行ってコピーするしかありません。

全然知りません。生協のコピーカード使って、バンバン複写しています。もっとも、古い地図だと、もうパブリックドメインかも。
大学の図書館なら、OPACで検索して、他の大学に史料複写や閲覧の依頼ができるんじゃないでしょうか。
私なんか、肩書きもないし、紹介者もままならないので、最初が大変ですよ。
だから、交通費など考えると買ってしまったほうが、経済的で早いんですね。

「新南京市実測詳図」、確か1万8千分の1とか、変な縮尺だったような...それなら、25,000は高くないと思います。至誠堂の 1/20,000のを 20,000 で買いましたから。
最高法院の、中山北路をへだてた向かい側なら、かなり大きな池がありますよ。

K-K - 02/11/24 00:11:06
電子メールアドレス:タラリさんへ


コメント:
 K-Kです。
 こんにちは、タラリさん。

 地図、羨ましいですね(笑)。
 私も詳細な地図が欲しくて探している所なのですが、値段が高いので尻込みしているところです。
 例えば、以下のサイトで調べると、
 http://www.kosho.or.jp/
 「新南京市実測詳図」というのがあります。これは、検索して調べてみると、以下のような曰くがあるようです。でも、2万五千は高すぎる(笑)。

 何か研究の成果がありましたら、ご報告をお願いします。

http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/kohan6b.html#SEC5
---- 引用 ----
東史郎日記の記述には根拠がある。当時の南京高等裁判所の門前に確かに池が地図にはっきりと示されている。(北京日報12/27)

 新華社天津12月26日打電(記者劉慶禄) 天津の収蔵家の陳継揆は数日前自己の収蔵する歴史地図の中から、敗訴したばかりの「東史郎日記事件」のために証拠を探し出し、日本軍の南京大虐殺の時期に、南京高等法院の門前に確かに池が存在した証明した。
 日本の中国侵略兵士の東史郎の日記の中で、南京大虐殺について次のように記載されていた。
 南京の高等法院の門前で「元上官の橋本は、郵便局用の麻袋の中に詰め込まれた中国人にガソリンをかけ、手榴弾を結びつけ、点火して池の中に投げ込んだ」
 東京裁判所は、当時の南京高等法院の門前には池は存在していなかったとしている。池が存在するか否かがこの事件の焦点の一つとなっていた。
 今年77歳の陳継揆はかつて天津師範大学の歴史学部の主任を務めており、彼はずっとこの事件に関心をもっていた。数日前、彼は自分の所蔵する千部にものぼる歴史地図の中から、1935年9月に武昌の亜新地学社が発行した「新南京市実測詳図」を探し出した。天津師範大学の地理学部副教授の高秀林は、この地図を見終わり紹介して次のように語っている。この1:1.8万の縮尺の地図の中では、南京市高等法院の門前に三つの大きさの異なる池を見いだすことができる。だいたい、それぞれ2200平方メートル、1500平方メートル、800平方メートルで、この三つの池と高等法院の距離は、最も近くで100メートル前後で、最も遠くでは300メートル前後である。
 陳継揆は収蔵名家の出身で、現在彼は日本軍の中国侵略時期の手書きの天津地区軍事地図を多数持っている。彼はこの状況を関係方面から東史郎さんに伝えてほしいと願っている。
---- 終わり ----

K-K - 02/11/23 23:49:49
電子メールアドレス:原さんへ


コメント:
 K-Kです。
 こんにちは、原さん。

>私の主張が少々、アラシになってしまったようで管理人様には謝罪した
>いと思います。

 いいえ、謝罪には及びません。
 何せ、竜馬くんと竜馬くんのダブハンに関しては、もともと、この掲示板に生息していたものです。
 ですから、逆に、原さんに竜馬くんがご迷惑を掛けたことに対して、私の方から謝罪しなければならないくらいです(笑)。


>「南京大虐殺」の表現は「儲かりまっか?」様に対して以後使わないよう
>に心掛けたいと思います。
>東京裁判での「The Rape of Nanking」は私の語学力では「南京大虐殺」
>とは訳せません。しかし、中国語の「南京大屠殺」は「南京大虐殺」と訳す
>ことは私の語学力でも充分できます。屠殺(tusha)とは「大量虐殺する」と
>いう意味です。

 特に竜馬くん(又の名を「儲かりまっか?」)に対して「南京大虐殺」を使わない、という必要性は無いのではないでしょうか?何も、「南京大虐殺」は東京裁判で使われたのではなく、それ以前から使われていました。詳しくは、渡辺さんが以下のページで詳述しているので、参考にするのがいいでしょう。
「問答有用」の投稿
渡辺さん『1937,8年に「南京虐殺」はどのように伝えられたか』
http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=12547&range=1

 ついでに書いておくと、東京裁判で判決が出たのは1948年11月ですが、それ以前に、1946年に「中国軍事法廷(南京)」において、谷寿夫ら数名が南京大虐殺に関して判決を受けています。

 また、これも蛇足ですが、この「中国軍事法廷」において、南京事件で行われたと言われる「百人斬り」の2人の被告は、以下のような上申書を軍事法廷に提出したそうです。
---- 引用 ----
「上訴申弁書」
具呈人 M
    N

 国防部審判戦犯軍事法廷
 廷長 石
 国防部長 白 転呈
 主席 蒋

(略)
三、被告等は全然関知せさる【 南京大屠殺 】の共犯と認定せられたるは最も遺憾とし 最も不名誉とするところなり
被告等は断して俘虜 住民を殺害せることなく 又断して【 南京大屠殺 】に関係無き事を全世界に向ひ公言して憚らす 被告等の潔白は当時の上官 同僚 部下 記者等か熟知しある所なるのみならす 被告等は今後貴国及日本国は恩讐を超えて真心より手を握り 世界平和の大道を邁進せられんことを祈願するものなり
(略)

鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』P82~84
---- 終わり ----

 竜馬くんとの議論の内容は解りませんが(竜馬くんの投稿は読まずに削除していますので)、ご参考になったでしょうか?


>管理人様の「南京大虐殺」という表現は間違っていないと判断します。私が理
>解に苦しむのは、事件を否定する人々が、何人から大虐殺と認めるのかが解か
>りません。まさか無念な思いで死んでいった人々に対して100人程度は少数と思
>ったりはしないでしょうね。

 まったくその通りですね。いつもそうなのですが、本質的な議論はまったくせずに「何人死ななければ虐殺ではない」などという人が、世の中には沢山いるようです。


>南京での資料等が掲載されておりあなたのホームページの中国版といったところ
>でしょうが。既にご存知かも知れませんが‥‥。必要であれば日本語訳等の協力
>は惜しまないつもりです。

 ご紹介、ありがとうございます。うーん、なかなか格好いいサイトですね(笑)。
 ぜひ、面白そうな記事などがありましたら、翻訳をお願いします。私は、語学がからきし駄目ですので(笑)。


>私はしがないサラリーマンですが、藤岡信勝氏や田中正明氏の虚言を見抜けぬほ
>ど愚かではありません。小林よしのり氏や感化された人々をむしろ哀れに思って
>います。微力ではありますが、あなた様の力になりたいと本心から思っています。

 最近、向こうの人たちは内部分裂でだいぶ勢力が衰えているようですが、未だにネット上では、マンガ家の影響に惑わされた人が大勢いるようです。この様な情けない状況が少しでも改善できるよう、私も微力を尽くしたいと思います。
 これからもよろしくお願いします。

原 恒裕 - 02/11/23 21:02:55
電子メールアドレス:K-K様へ


コメント:
私からの情報です。中国のサイトで「南京大屠殺」があります。http://www.ch815.com/zuanti/nankingnew/index.htm
南京での資料等が掲載されておりあなたのホームページの中国版といったところでしょうが。既にご存知かも知れませんが‥‥。必要であれば日本語訳等の協力は惜しまないつもりです。私はしがないサラリーマンですが、藤岡信勝氏や田中正明氏の虚言を見抜けぬほど愚かではありません。小林よしのり氏や感化された人々をむしろ哀れに思っています。微力ではありますが、あなた様の力になりたいと本心から思っています。

タラリ - 02/11/23 19:06:05
電子メールアドレス:南京の地図をゲット


コメント:
図書館に行って相談すると意外にもすぐ出てきました。渡辺さんが持っている
ようなすごいものではないんですが、多少は役に立ちそうです。「近代中国都市
地図集成」柏書房というのをコピーしました。ひとつは2万5000分の1の市
街図、もうひとつは南京近傍図。それから中国分省地図から江蘇省地図。

ご存じかと思いますが、地図の一枚一枚は著作権があり、1/2までしか
コピーを許されていません。もう一度行ってコピーするしかありません。

当面これで作業して見ようと思います。

原 恒裕 - 02/11/23 15:54:41
電子メールアドレス:「大虐殺」


コメント:
私の主張が少々、アラシになってしまったようで管理人様には謝罪したいと思います。「南京大虐殺」の表現は「儲かりまっか?」様に対して以後使わないように心掛けたいと思います。
東京裁判での「The Rape of Nanking」は私の語学力では「南京大虐殺」とは訳せません。しかし、中国語の「南京大屠殺」は「南京大虐殺」と訳すことは私の語学力でも充分できます。屠殺(tusha)とは「大量虐殺する」という意味です。
管理人様の「南京大虐殺」という表現は間違っていないと判断します。私が理解に苦しむのは、事件を否定する人々が、何人から大虐殺と認めるのかが解かりません。まさか無念な思いで死んでいった人々に対して100人程度は少数と思ったりはしないでしょうね。
他人を中傷することなく歴史的事実として、人数の調査・歴史的背景の検証をされている方々に対しては尊敬と敬意を持って接していきたいと思います。

とほほ - 02/11/22 00:11:14
電子メールアドレス:tohoho@ddt.or.jp


コメント:
> オイラがもっと端的にあんたのアクセス情報をまたばらすぞ(笑)

とか何とか言いながら(^^ゞ
私も最近YahooBBに乗り換えたのでプロキシ経由です(^^;
とほほが本物か偽者か確認したい時はメールをしてね。

とほほ - 02/11/21 02:40:34
電子メールアドレス:個人情報の開示は削除しましょう。


コメント:
まーーだ、いっとるんか?(笑)

オイラがもっと端的にあんたのアクセス情報をまたばらすぞ(笑)
個人情報が大事なら私と一緒に個人情報保護法案設立運動を推進するかい?(笑)
言っとくが個人情報保護と無責任発言保護は意味が違うぞ(^^;

核心 - 02/11/20 08:07:10
電子メールアドレス:arts-jp@jcom.home.ne.jp


コメント:
>K-Kさん

今度お願いする付記は私の知っている範囲内での否定派の父に関する記述を完全に否定したものにしたいと考えています。

K-K - 02/11/19 23:06:50
電子メールアドレス:核心さんへ


コメント:
 K-Kです。
 こんにちは、核心さん。

>昭和59年8月7日の毎日新聞の記事の父の証言のあとの記述は以下の
>ようになっています。
(略)
>と続いています。
>
>結論から言うと国を上げての隠蔽工作としかいいようがないと思うんですけど。
>なんなんですかねえ、これは。

 記事の中にある『防衛庁防衛研修所戦史室の「支那事変陸軍作戦<1>」』は『戦史叢書』と一般に言われているものですが、もともと、旧陸軍の将校によって書かれたものですので、なるべく南京事件を過小に見せたいという意図があったのだと思います。


>父の証言に関する内容は共通していますので両氏とも一緒に笑ってしまいましょう。

 これは、なかなか面白いですね。
 もしよろしかったら、今度、付記を改訂するときに、一緒に載せてみようかと思うのですがいかがでしょうか?

核心 - 02/11/19 20:18:17
電子メールアドレス:arts-jp@jcom.home.ne.jp


コメント:
田中正明氏の「南京事件の総括 虐殺否定の15の論拠」およびゼンボーの畑中氏の記事を笑う。

父の証言に関する内容は共通していますので両氏とも一緒に笑ってしまいましょう。

1.誤:「小金井市在住」
  正:「小平市」
2.誤:「本多という人は中国人の言うウソばかり書いてる」
  正:父は本多氏の素性を知りません。したがって「中国人の言うウソ」なんてものを観念できることはありません。
3.誤:「のせられた」
  正:「のせられた」かどうかは知りませんが、のせられてウソをつくような人間ではありません。
4.誤:「私が虐殺の張本人になんている」
  正:父はつねづねそのように話しているので、この発言は捏造です。

核心 - 02/11/19 16:35:38
電子メールアドレス:arts-jp@jcom.home.ne.jp


コメント:
昭和59年8月7日の毎日新聞の記事の父の証言のあとの記述は以下のようになっています。

昭和40年発行の「郷土部隊戦記」(福島県郷友会など共同出版)では、捕虜を殺せという軍命令はあったが、山田栴二旅団長が、捕虜を対岸に釈放することを決め、十数隻の船でこぎ出したところ、対岸から発砲され、岸に残ったいた捕虜が騒ぎを起こし、警戒中の日本兵を襲ったため、発砲したとされ死者は千人となっている。
鈴木明氏の「南京大虐殺のまぼろし」では、山田旅団長ら上級将校の証言をもとに同様の「自衛発砲」説を取り、防衛庁防衛研修所戦史室の「支那事変陸軍作戦<1>」や、今年7月発行の児島襄氏の「日中戦争3」も同内容。
「自衛発砲説」について栗原さんは「後ろ手に縛られ、身動きもままならなかった捕虜が集団で暴動を起こすわけはない。虐殺は事実。はっきりさせた方がいい」という。

と続いています。

結論から言うと国を上げての隠蔽工作としかいいようがないと思うんですけど。
なんなんですかねえ、これは。

核心 - 02/11/19 15:41:07
電子メールアドレス:arts-jp@jcom.home.ne.jp


コメント:
>儲かりまっかさん

貴方は関西人ではないでしょう?
関西人のふりをして発言するのは関西人に対する侮辱ですよ。
言葉の訛りを変えてまで卑劣な発言をしたいのですか。

核心 - 02/11/18 22:28:46
電子メールアドレス:arts-jp@jcom.home.ne.jp


コメント:
それと長兄(利弘)に対する虐待ですが、父も戦争の二次的被害者だと認めていますので。

核心 - 02/11/18 22:25:47
電子メールアドレス:arts-jp@jcom.home.ne.jp


コメント:
父は南京入場直後の虐殺数は7万人と言っているだけです。
より具体的な証言や他の場所での虐殺についても父は家では話しているのですが、なんせ否定派の人達の非難ですくんじゃったものですから。

核心 - 02/11/18 22:22:42
電子メールアドレス:arts-jp@jcom.home.ne.jp


コメント:
私が父にすすめたものですから、どの部分が自虐なのか知る権利はあると思うのですが?

核心 - 02/11/18 21:13:49
電子メールアドレス:arts-jp@jcom.home.ne.jp


コメント:
自虐的という言葉について

昭和59年に父の証言を記載してもらったところいろいろ非難が寄せられたのですがもっとも多かったのは「恥じを知れ」というのと「年金を返上しろ」という内容のものでした。

私は父のしたことが別に恥じだとは思っていなかったものですから、なんとも感じようがなかったのですが。

自虐と言う言葉もそのような類のようか気がするのですけど。

どこが自虐なのかわかりませーん。

核心 - 02/11/18 12:20:29
電子メールアドレス:arts-jp@jcom.home.ne.jp


コメント:
南京事件は隠しようのない歴史的事実です。

特に幕府山の捕虜虐殺は現に私の父が生存しているのですから、否定することに意味がありません。
裁判で言えば加害者が自白しているのど同じなのですから。

話しは飛ぶようですが私は現在の日本人の不幸は歴史的事実を正しく認識できていないことに一端はあると考えています。
家庭内暴力、幼児虐待、リストラ、中高年の自殺などは多くの人が自分の社会的位置を正しく把握できていないことに原因があると考えています。

日本は島国であり時間的、空間的に相対的な自分の位置を把握しにくい物理的な状況にあります。
そこで故意に歴史的事実をゆがめて伝えると、人々はより正しい時代認識ができなくなり、個々の位置を把握できなくなり、その結果、上記のような個人的悲劇に集団として突入していってしまっているように思うのですが。

自虐的などという悪意ある言葉の使用により、自国の歴史をより正しく認識できなくしていることは確かです。

(この件は話しが長くなることなのでこの程度で止めにします。)

原 恒裕 - 02/11/18 05:03:17
電子メールアドレス:儲かりまっか?様


コメント:
あなたの解釈する「南京事件」と判断していただいて結構です。以後、南京事件と表現することにします。私は一般人が犯した犯罪は個人の問題だと思いますが軍人が犯した犯罪は国家の問題として重く受け止める必要があると認識しています。沖縄での米兵の犯罪についても同様の見解を持っています。南京事件は中国共産党が意図的に誇張して政治的に利用していた事を認識した上で事件として肯定しています。
前回、ぼちぼちでんなー様へもレスしたように南京事件と他の歴史的事件をリンクして考えておりません。南京事件を引き合いに出した場合、原爆の罪の無い被害者を侮辱することになると思います。ナチスと日本軍を同列にする根拠が理解できません。自虐者という表現は相手に対して失礼ではないでしょうか?何らかの悪意があれば別ですが。南京事件とナチスを同列するのはドイツ人への侮辱に当たると思います。もしドイツ人やユダヤ人がアウシュビッツでの出来事に日本軍や日本人を引き合いに出したりしたら不愉快に思います。私たちは自虐的になってはいけません、徴兵以後の日本人が自虐的になれば、徴兵された方々は完全なる犯罪者とみなされてしまうような気がします。文永の役・弘安の役で対馬や壱岐の日本人がどのような仕打ちを受けたか、その事で自虐的になっている中国人や韓国人の話は聞いたことがありませんし、中国に対して恨みを言う日本人がいたら笑いものだと思います。南京事件が日本と中国の友好関係の足かせになるようなことがないように願いたいものです。南京で出会った中国人の方も日本人が自虐的になることを望んではいませんでした。彼らにとっては30万人だそうですが固定観念というか彼らの常識のようになっているようです。

原 恒裕 - 02/11/16 19:38:18
電子メールアドレス:儲かりまっか?様


コメント:
あなたのレスを見落としていましたすみません。悪意は無かったのですがあなたの怒りに触れたことにお詫び申し上げます。儀礼的ではなく心からの謝罪と受け取っていただければ幸いです。人数に関する問題については儲かりまっか?様とは認識が異なるようにお見受けいたします。ぼちぼちでんなー様へのレスと内容が重複しますので省略させていただきます。
「意図的に事実であると言う確たる証拠のない事を事実と強弁する日本人」とは私のことをいっているのだと判断しましたがよろしいでしょうか?
確たる証拠とは人数のことでしょうか?そのことについてなら具体的人数を明言した憶えはありませんし、未だに確信をもてる情報を入手できてないのが実情です。他に確たる証拠とはどのようなことを指摘されているのでしょうか?私自身、南京虐殺があったと主張するからには書籍だけではなく現地で調査を行ったつもりですが。

原 恒裕 - 02/11/16 18:12:52
電子メールアドレス:ぼちぼちでんなー(笑様


コメント:
こんにちは、レスを頂き感謝します。
「虐殺された人間一人一人の無念さは皆同じやおまへんか?」という主張について私も同感です。南京への旅については、単なる旅行好きが少々深入りしすぎたようですね。虐殺された人数については、私なりに勉強はしましたが未だに自信のある数値は確認できておりません。しかし虐殺事件があったことは事実として認めています。この件について、ぼちぼちでんなー様も私と同じ考えと思ってもよろしいでしょうか?
それとも、南京虐殺事件について全て否定されているのでしょうか?
「日本人や朝鮮人にも中国人に虐殺された遺族がいてまんねやで。」この事実も教わるまでもなく存じております。私はあくまでも南京虐殺事件について私の考えを主張しただけで、他の史実を持ち出すと「そら、味噌も糞も的ごちゃ混ぜでっせ。」とおしゃるあなたの主張になってしまいます。
どうやら、ぼちぼちでんなー様は私のことを日本人の戦争犯罪を反省・謝罪する会(実際はこんな会無いと思います。)みたいな考え方の人間と思われているようであれば誤解です。過去の歴史の一部分だけをとって日本が中国に負い目があり謝罪しなくてはいけないなどと考えておりません。過去の歴史的過ちは日中双方にあり、当事者でもない日本人が自虐的になる必要は無いと思います。
私のログで誤解を与えたのであればお詫びします。私は他の歴史的事件と南京での事件をリンクして考えておりません。
再度考えを明確にします。南京虐殺事件について虐殺された人数の正確さを基に全く事実が無かったように主張する人たちへ怒りを感じるわけで、中国側の主張する30万人が多い少ないは今後の歴史研究の中で明らかにしていけばよいことだと思います。あなたが南京虐殺の人数にこだわる几帳面さには尊敬します。歴史学者にとってはとても重要なことだと思います。私にとっては虐殺があたのか無かったのかの方が重要と思えてなりません。当時の日本軍の報告も中国同様あてになりませんよ。もし南京での虐殺された方々の人数がわかったら教えてください。原恒裕は実名ですしアドレスも過去ログを見ればわかると思います。

原 恒裕 - 02/11/16 14:26:36
電子メールアドレス:虐殺事件は事実です


コメント:
南京での忌まわしい事件について、否定することはできません。他のサイトでは品性に欠けるログが多く見られ投稿したことはありませんが、このサイトは多くの皆様がまじめな意見を投稿されていることに深い敬意をしめします。南京での出来事は大虐殺と判断するか小虐殺とするかは「没問題!」だと思います。
私が知る日本側の少ない人数でも充分「大虐殺」と言って問題ないし、何より虐殺があった事実を認めることが重要だと思います。
当時の南京に限らず中国の人口は、今の日本のように正確ではなかったのは事実であり、後の調査の報告や裁判での数値の矛盾を基に、加害者側の国民が事実否定するのは卑劣すぎるのではないでしょうか。
歴史の研究としての事実調査や意見の発表は有意義であると認めますが、悪意をもって事実を抹殺することは許されないことだと思います。
教科書から「南京大虐殺」を削除する意見を聞いたりするたび、私は疑問を感じます。本来、歴史教育とは「過去を知ること」ではなく「過去を学ぶこと」だと思います。私は再度、南京へ気ままな一人旅をする予定です。当時の日本軍から被害にあった関係者の方はまだいます。彼らは日本人の前から逃げも隠れもしませんよ。

K-K - 02/11/16 00:15:03
電子メールアドレス:ダブハン


コメント:
 K-Kです。
 一応、お知らせ致しますが、

竜馬 = 毎度! = 儲かりまっか?(及びその他)

 ですのでご注意を。
 おおよそ確認をとりましたので確実です。


※竜馬くん、荒し行為はやめましょう。

播磨 - 02/11/15 21:33:59
電子メールアドレス:イイワケなしで


コメント:
毎度 タラリ氏 - 02/11/14 20:47:28
コメント:
君の人口年表は南京城区と南京城区+近郊6県
がごちゃ混ぜじゃないですか?
毎度指摘されている都合のいい編集そのものですよ。

(引用終り)

下はタラリさんがまとめた南京人口
------------
南京市
1928年 476,526
1929年 524,969
1930年 577,093
1931年 653,948
1932年 657,617
1933年 726,131
1934年 747,416
1935年 879,079
1936年1月 1,017,934
1936年10月 979,594
1936年12月 1,006,968人(警察庁及市政府調査)
1937年1月 1,015,697
1937年2月 1,016,115
1937年3月 1,019,667人 200,810戸 (首都警察庁調べ)
1937年6月 1,015,450
1937年10月28日 53万人余 (警察庁、広田外相電)
1937年11月23日 50余万人 (南京市政府報告)
1938年2月末 200,000人 (難民区人口を南京市自治委員会と特務機関が推定)
1938年3月1日 235,056人 (南京特務委員会、難民収容所にいる女性は含まれない)
1938年3月 250,000人 (スマイス調査)  
1938年8月 308,546人 (警察庁及市政府調査)
1938年10月末 329,488人 82,195戸 (南京市自治委員会調べ)
1939年10月末 552,228人 132,403戸 (南京特別市政府調べ)
1941年3月末 619,406人 140,439戸 (南京市政府調べ)
1947年 1,114,000人
---------------

イイワケはいらないので
どれが(南京城区と南京城区+近郊6県 がごちゃ混ぜ)か言ってください。

播磨 - 02/11/15 03:08:03
電子メールアドレス:寝る前にそろそろ


コメント:
ぼちぼちでんなー(笑 - 02/11/15 02:34:54
儲かりまっか? - 02/11/15 02:24:06
竜馬 - 02/11/15 02:23:53
あきまへんなー(笑) - 02/11/15 00:55:38



ぼちぼち寝るのじゃなかったの(w
接続切ったりつないだりして何がしたいのだろ。(w

そろそろ
>君の人口年表は南京城区と南京城区+近郊6県
>がごちゃ混ぜじゃないですか?
>毎度指摘されている都合のいい編集そのものですよ。

これに答えてくれないかな。待っているんだけど。

播磨 - 02/11/15 01:02:49
電子メールアドレス:困りますねえ。2(w


コメント:
>12月13日南京陥落時の人口は20万~25万人だっ>たという、1938年発表された外国人資料(スマイス>調査)の検証です。

推測資料ですよ。
郷区も含まれていません。
あきまへんなー(笑) 竜馬クン

播磨 - 02/11/15 00:56:44
電子メールアドレス:困りますねえ。(w


コメント:
>1937/11/27日「30~40万」アメリカ資料編
  
>   12/10日「20万」   同上

>   12/13日「20万」陥落時 安全委員会公文書

推測資料を入れてどうするんですか。


>1937年11月23日 50余万人 (南京市政府報告)
>1938年2月末 200,000人 (難民区人口を南京市自治委>員会と特務機関が推定)

イチャモンだったということでいいかな。(w

タラリ - 02/11/15 00:37:26
電子メールアドレス:名無し氏へ


コメント:
1937年10月28日と1937年11月23日のものは正式の統計調査ではなかろうと
考えています。しかし、まだ、通常の市政府と警察組織が活動出来た時期
であり、聞き込みや市からの入出を観察して推定したデータでろうと考え
られ、ある程度の信頼性はあると考えます。

1938年2月末から1938年3月のものは推計/サンプル調査/部分調査で信頼性
に欠けるものです。

また、南京陥落前後の資料と称するものは統計調査であるという証拠が見あ
たりません。

私の推論は確かな統計調査だけを使って推論をしています。

--------------------------

>ここの常連さんは南京陥落時前後の人口資料すっぽり
>抜かして播磨んな。どうゆうことでっか?

1.南京陥落時前後の確かな統計資料というものがあれぱ示して
下さい。

2.1937年11月23日 50余万人 (南京市政府報告)の調査範囲は
それまでと同じと考えましたが、違うでしょうか。違うなら証拠
を持ってご教示下さい。

3.1938年2月末 200,000人 (難民区人口を南京市自治委員会と
特務機関が推定)は近郊六県が入っていないことを表示しています
が、読めませんか?

4.私が示した統計資料によって何か誤った結論を導くと主張
するつもりですか?

PS.この文章の頭の悪さからすると君は竜馬でしょ。

播磨 - 02/11/15 00:12:06
電子メールアドレス:訂正


コメント:
語)それでも、根気よく説明されのは感心します。

正)それでも、根気よく「サヨじゃないけれど」氏
  が説明を続けられたのは感心します。

播磨 - 02/11/14 23:58:01
電子メールアドレス:困りますねえ。(w


コメント:
>1937年11月23日 50余万人 (南京市政府報告)
>1938年2月末 200,000人 (難民区人口を南京市自治委>員会と特務機関が推定)

困りますねえ。
上の二つは近郊6県の人口は含まれていませんよ。

>見た限りではあきまへんな。これも2ch過去ログよーよまはったらよろしい。
>ただ単に丁寧だけでハグラカシとるのがよーわかりまっせ。

2チャンでも、あなたのような資料を理解できていないイチャモンが
ほとんどでしたね。
それでも、根気よく説明されのは感心します。

>過ちを意地でも認めようとしない人とは言葉遊びにはなっても議論にはなりません。

その通りです。肝に命じてください。

播磨 - 02/11/14 22:09:30
電子メールアドレス:>儲かりまっか?


コメント:
>2chで明らかに論破され姿を消した 「サヨじゃないけれど」さんも
>そうでしたが、何があろうと白を黒と誤魔化し通そうとする姿勢は肯定派
>の特徴です。

見た限り、「サヨじゃないけれど」氏が資料を元に丁寧な問題提起を重ね
否定派の皆さんが、資料は出さないで無理なイチャモンをつけ続けるという
様子でした。

失礼ながらまるで聞き分けのない子供を大人である「サヨじゃないけれど」氏が
懇々と言い聞かせている痛ましい光景でした。

>南京大虐殺を肯定しているのがこのような人々ですから、まず誰も本気にすることは
>ないでしょう。

否定しているのがこのような人々ですから、相手にされないのでしょうね。

>過ちを意地でも認めようとしない人とは言葉遊びにはなっても議論にはなりません。

その通りです。肝に命じてください。

播磨 - 02/11/14 21:58:54
電子メールアドレス:>毎度 タラリ氏


コメント:
>君の人口年表は南京城区と南京城区+近郊6県
>がごちゃ混ぜじゃないですか?
>毎度指摘されている都合のいい編集そのものですよ。

タラリ氏が記された1928年以降の南京市の人口の推移には
近郊6県の人口は含まれていません。

どの部分か指摘してください。


五番街 - 02/11/14 16:53:08
電子メールアドレス:K-Kさんと渡辺さんへ


コメント:
K-Kさん、渡辺さんどうも。

K-Kさんが引用された孫宅魏氏の発言に以前から引っかかってい
まして、前回の投稿ではうろ覚えで書きましたが、今回、この引
用を読むと、大虐殺の地理的範囲を南京城区とし、虐殺数を30万
人としています。日本側では南京城区+近郊6県で最大20万人と
主張しているのですから、この地理的範囲をどちらかに統一した
場合には、その差はさらに拡大すると思われます。

もう一つは、時間的範囲ですが、これについては明確に述べられ
ていないようですが、中国側の南京城区を範囲とした場合と日本
側のように+近郊6県とした場合では、前者の時間的範囲は後者
よりも狭くなる可能性があるように思います。

また、渡辺さんのご指摘の捕虜の反乱や便衣兵容疑者のケースは
お説の通りだと思いますが、たとえば、次のケースでは、虐殺の
被害者が、中国兵なのか民間人なのか、その割合はどの程度なの
か判然としません。

----------
この辺で戦死した中国人は、十数万と伝えられているほどだと言
う。南京陥落の末期、雪崩を打って敗走する中国軍隊に対し、日
本軍は、空からと、揚子江上の軍艦ならと、陸上の三方から、砲
爆撃と、機銃掃射とで大殲滅戦を敢行したので、文字通り屍山血
河だったらしい。(中略)(矢吹一夫『昭和動乱私史』上)

下関における殺戮のすざまじい規模をうかがわせる証言である。
ただし矢吹は、殲滅されたのは中国軍だけであったように書いて
いるが、そのなかに多数の一般避難民が混在していたことについ
ては、すでにみたとおりである。(「天皇の軍隊と南京事件」吉
田裕 青木書店)
-----------

このケースでは敗走あるいは逃亡しようとした状態で殺害された
民間人と兵士の区別がつけられない一方で、兵士に対しては合法
的な「殲滅戦」あるいは掃討戦として虐殺ではないという主張が
行われると考えられます。ところが、この戦闘において死亡した
兵士を虐殺数に含めると、民間人・兵士の全てが虐殺の犠牲者に
なって、兵士と民間人の区別をつける必要もなくなると考えられ
ます。

このケースで死亡した兵士・民間人の数も正確には不明のようで
すが、それぞれ数万は下らないのではないでしょうか。

特に私としては中国側に肩入れするつもりはないのですが、村山
談話にあるように、日中戦争は日本が起こした戦略戦争に対する
中国の抵抗の戦いであったことは、日中の共同認識になっている
のですから、中国側のように、南京攻防戦で戦死した中国軍兵士
も虐殺の犠牲者にカウントすることは特に犠牲者数を拡大させる
ための恣意的なやり方とは言えないように思えてなりません。

渡辺 - 02/11/14 16:29:04
電子メールアドレス:タラリさん


コメント:
タラリさん、示唆に富む広島の件、ありがとうございます。
私は、空襲による家族構成への影響について興味がありますが、現時点では時間的都合もあり、まだ資料が入手できません。

南京の人口変遷のおそらく最初のグラフは、南京日本商工会議所によって作成されました。同所編纂の『南京』p.21にあります。
「事変後、民国二十七年以降の人口の増加率が恰も民国十六年に南京が国都となった頃のそれに略々同じなのは興味が深い」(p.23)と解説されています。
しかし、広島と似ていはいますが、違うのは日本の敗戦まで南京では人口があまり増えていないことです。
1946年 808,656
1947年 1,037,656
[候楊方『中国人口史 第六巻 1910-1953』復[行人偏なし]旦大学出版社,p.160]
それ以上に、ドラスティックに変化したのは、家族の構成と男女比です。ここに、私は注目しています。
(民国十六年から「事変」までと民国二十七年以降では、統計上の人口の増加については似ていますが、家族構成と男女比が「事変」前後で大きく変化しています。)

なお、原稿の締切が近づいているので、しばらくおいとまをいたします (^^/~

タラリ - 02/11/14 10:52:01
電子メールアドレス:人口推移を読む、香港市、広島市との比較


コメント:
南京で1937-1938年に何人が殺されたか、南京陥落前と虐殺終了後の人口がわかれば
明らかになる、という考えでいろんな研究がなされてきた。しかし、データはいずれ
も欠失があり、断定的な回答は出ない。

ロングスパンで人口推移を見れば、直接的に何人が殺害されたかということではなく
おおまかな全体像を推定することが出来ると私は考えた。

以下に、南京市、香港市、広島市の戦前、戦後の人口推移のデータを示す。
香港市は日本軍の侵入による市民の脱出、退避モデルである。
広島市では原爆投下による大量殺戮モデルである。

南京市で1937年8月以後、市民の脱出、退避が起こったことは否定派も認める
事実である。香港市、広島市のデータを比較すれば、南京市では脱出、退避に加えて
大量殺戮が起こったことは明白である。

南京市
1928年 476,526
1929年 524,969
1930年 577,093
1931年 653,948
1932年 657,617
1933年 726,131
1934年 747,416
1935年 879,079
1936年1月 1,017,934
1936年10月 979,594
1936年12月 1,006,968人(警察庁及市政府調査)
1937年1月 1,015,697
1937年2月 1,016,115
1937年3月 1,019,667人 200,810戸 (首都警察庁調べ)
1937年6月 1,015,450
1937年10月28日 53万人余 (警察庁、広田外相電)
1937年11月23日 50余万人 (南京市政府報告)
1938年2月末 200,000人 (難民区人口を南京市自治委員会と特務機関が推定)
1938年3月1日 235,056人 (南京特務委員会、難民収容所にいる女性は含まれない)
1938年3月 250,000人 (スマイス調査)  
1938年8月 308,546人 (警察庁及市政府調査)
1938年10月末 329,488人 82,195戸 (南京市自治委員会調べ)
1939年10月末 552,228人 132,403戸 (南京特別市政府調べ)
1941年3月末 619,406人 140,439戸 (南京市政府調べ)
1947年 1,114,000人

データは前回提示したものにいくつか新に見つけた資料を加えた。
戦前人口の復帰には約10年を要している。
----------------------------------

【表 4】香港の人口推移
中嶋嶺雄『香港回帰 アジア新世紀の命運』
中公新書 1997年, p123より抜粋
年     人口
1901年 283,205
1911年 456,739
1921年 625,166
1931年 849,751
1941年 1) 1,640,000
1945年 1) 600,000
1947年 1) 1,800,000
1951年 1) 2,265,000
1961年 3,129,648
1971年 3,948,179
1981年 5,207,000
1991年 5,822,500
1996年 6,311,000
1)は推定
http://www1.doshisha.ac.jp/~mnawa/ttakeuchi/works/federal-china.htm

1941年12月に8日間の戦闘によりイギリス軍は降伏、1945年8月末にイギリス軍復帰。
人口減少は脱出、退避によるが、ここでも日本軍による殺戮はおこった。しかし、
南京に比べれば規模はずっと小さいと思われる。殺戮の詳細は以下の書物のリストを
参照。
日本軍撤退後、わずか2年で戦前人口を上まわっている。

http://viva.cplaza.ne.jp/cruise/26th/booklist/hongkong.html

広島市の人口推移
これはグラフなので目視してほしい。戦前30万人の人口が原爆により、20万人殺され、
約10年後に原爆投下前の人口に復帰している。数字はあいまいだが、感覚的に
いろんなことを読みとれる。投下前には疎開、徴兵による出生率の減少、投下後には
兵員の帰還などがあり、経済成長率による人口増も明らかである。

http://www.business.econ.city.hiroshima.jp/page3-03.html

渡辺 - 02/11/14 05:46:54
電子メールアドレス:五番街さん


コメント:
五番街さん:>
>このことから考えると、通常の戦闘で死んだ中国軍兵士も、あるいは捕虜も反乱を起こしたか否かを問わず、犠牲者にカウントされているようですね。

埋葬記録では、厳密に戦闘による死者を分離するのは難しいと思いますが、これは軍民を分ける場合でも同様だと思います。なお、戦闘による死者は、1,2万程度と思われます。日本軍も死者の正確な数は不明です。
ですから、こういう数字は、あくまでも規模を示すもので、正確さを要求するのは難しいと思います。

「捕虜も反乱を起こしたか否かを問わず」というのは、記録としては、そういう事実は無いと思います。ただし、捕虜を殺害するときに抵抗され、味方もまきぞえになったというようなことは、日記や証言にあります。

「便衣兵容疑者の殺害は違法か否かという議論」の件ですが、ゲリラ(便衣兵)は南京にはいなかったと思われますので、その議論そのものに無理があると思われます。
中国軍人の殺害を正当化するために、「戦数」理論が持ち出される場合もあります。
当時の国際法解釈でも「変装」だけでは戦時犯罪とはされていないようです。
問題の期間に軍事法廷が設置された事実はありませんので、戦時犯罪人の容疑者が仮にいたとしても「便衣兵容疑者の殺害」は違法です。(なお、「便衣兵容疑者」であるためには、武器を所持していなければなりません。)
立 作太郎はこう述べています。「凡そ戦時犯罪人は軍事裁判所又は其他の交戦国の任意に定むる裁判所に於て審問すべきものである。然れども一旦権内に入れる後、全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際習慣法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ。」(『戦時国際法論』日本評論社、昭和十九年、p.53)
昔のひとの書いたものは、文章がむずかしくて困ります (^^;

K-K - 02/11/13 22:57:33
電子メールアドレス:原恒裕さんへ


コメント:
 K-Kです。
 こんにちは、原さん。

 南京は如何でしたか?私もぜひ、機会があれば行ってみたいと思っています。

 仰るとおり、自分たちの都合の悪い事実を抹殺しようとする勢力が、最近増えてきているようです。私も、仕事で学生などと話していて、南京事件について、小林よしのりの主張そのままのことを話していることを知り、びっくりさせられた記憶があります。

 これから、どんどん国際化しなければならない時代に来ているというのに、この様な殻に閉じこもったような主張が蔓延っている状況は、まったく情けないものです。正しいことも、誤ったことも、私たちが歩んだ道として、真っ直ぐ見据えることが出来るような国になって欲しいと思っています。

 これからもよろしくお願いします。

K-K - 02/11/13 22:56:55
電子メールアドレス:五番街さんへ


コメント:
>両者の約10万人の差は、おそらく中国側では、日本が起こした侵
>略戦争に抵抗した正規兵も虐殺の犠牲者としており、一方、日本
>側は、正規の戦闘で死亡した中国軍の兵士のケースは虐殺にカウ
>ントしない、という虐殺の定義の違いによるものではないだろう
>か、と想像します。日本でも、中国のような定義を採用すれば、
>その差は大分埋まると思えます。

 実をいうと、私は、中国側の主張というものが何なのか把握できていないといのが現状です。ただ、漏れ聞くところによるものを頼りに、五番街さんの提起された問題を考えてみると、やはり、日本の学者の見解と、中国の学者の見解には差があると思います。

 例えば、中国の研究者として有名な孫宅魏氏は、以下のように述べています。
---- 引用 ----
孫 私は南京のまわりの県を含めるという笠原先生の意見に賛同する。しかし犠牲者数については問題がある。私たちが言っている三〇万というのは、まわりの六県その他地域お入れていない。これはあらたな課題として考えて行きたい。
---- 終わり ----
『南京事件をどうみるか 日・中・米研究者による検証』
 この発言に見るように、笠原氏は、南京市城区(南京市)と近郊6県を合わせた「南京行政区」をその範囲としているのに対し、孫宅魏氏の見解では、南京城区(南京城と周辺地域、南京市)が南京事件の範囲としているようです。
 もし、犠牲者数30万(中国側見解)と20万(日本側見解)を比べとしても、やはり、いわゆる南京事件の地理的定義及び時間的定義の違いを考慮すべきではないかと思います。

核心 - 02/11/13 12:42:57
電子メールアドレス:arts-jp@jcom.home.ne.jp


コメント:
私は部外者ですが竜馬くんの投稿は「アラシ」でしたよ。

五番街 - 02/11/13 07:56:05
電子メールアドレス:RE:五番街さん


コメント:
渡辺さん、さっそくのレスをありがとうございます。

------------
広島の原爆での犠牲者数が何人か議論する場合を考えてみれば、
「南京事件」の犠牲者数の問題が口角泡を飛ばすような話しでは
ないと思うのですが...

実証的な研究であれば、30万でなくとも感情的になることは少
ないと考えています。
------------

おっしゃることはその通りだと思うのですが、なにせ、南京の人
口は20万人だったから中国側の30万人説はナンセンスで、虐殺
はなかった、というのが否定派の論理の一つになっているわけ
で、この30万人説の根拠を少なくとも知っておく必要はあるん
じゃあないだろうか、と思ったワケです。

------------
五番街さんの関心事は「中国側」との距離を縮めることにあるか
と思います。
------------

そうだといえばそんなんですが、もうひとつは、日本側の研究が
便衣兵容疑者の殺害とか捕虜の殺害とかの、いわゆる違法な殺害
に焦点を合わせた場合が多いように思われることです。

つまり、仮に、違法な侵略戦争に対して抵抗し、通常の戦闘で死
んだ正規兵のケースも虐殺としてカウントする場合には、便衣兵
容疑者の殺害は違法か否かという議論はなくなり、彼らが違法行
為を働いたとしても侵略軍に抵抗するために許容されるという考
えから、虐殺の犠牲者に含まれ、同様に、捕虜が反乱を起こした
としても、彼らも同様に侵略戦争の犠牲者ということになって、
南京虐殺をめぐる研究や議論に相当な影響を与えることになるの
ではないかと考えます。

------------
なお、中国政府は日本政府と同様に、私の知る範囲では数につい
て公言していないと思います。もし、そういう発表があるのでし
たら教えてください。
多分、中国の教科書に書かれているとか、そういった意味でおっ
しゃっているのではないでしょうか。
------------

このあたりは、よくは知らないんですが、たしか南京の虐殺記念
館に30万人という数字が掲げられており、それを政府の公式見解
として理解されているのではないでしょうか。それと、ちょっと
うろ覚えですが、日中共同のシンポジウムが開かれた時に、中国
側の参加者(あるいは代表)が「日本では犠牲者数を20万人と主
張しているが、中国では30万人とされている」と言うような、な
にかしら不満をこめたコメントが何かの本に収録されていた記憶
があります。

-------------
さて、「犠牲者数」は軍民合わせての数字です。
「30万」という言い方は、本当は正確ではなく、南京軍事法廷
の判決文によれば、埋葬記録による「15万以上」と、その他焼
かれた「19万以上」、つまり34万以上という意味で「30万
以上」が認定されました。
-------------

このことから考えると、通常の戦闘で死んだ中国軍兵士も、ある
いは捕虜も反乱を起こしたか否かを問わず、犠牲者にカウントさ
れているようですね。

どうもありがとうございました。

渡辺 - 02/11/13 06:35:41
電子メールアドレス:五番街さん


コメント:
五番街さん、
いつも貴重なご意見、ありがとうございます。
「南京事件」は、「虐殺」だけが問題ではありませんし、また日中戦争での事件の一部にしかすぎません。
アヘンの問題は、通常「南京事件」に含めませんが、南京では占領後すぐに特務機関によって持ち込まれ、1938年にはイラン・アヘンが大量に「輸入」され、その税金が傀儡政権の重要な財源となりました。
否定論者が「数」の議論にもって行こうとしているわけです。
広島の原爆での犠牲者数が何人か議論する場合を考えてみれば、「南京事件」の犠牲者数の問題が口角泡を飛ばすような話しではないと思うのですが...

さて、「犠牲者数」は軍民合わせての数字です。
「30万」という言い方は、本当は正確ではなく、南京軍事法廷の判決文によれば、埋葬記録による「15万以上」と、その他焼かれた「19万以上」、つまり34万以上という意味で「30万以上」が認定されました。
「19万」のほとんどは供述と陳述による数字を合算したものです。
証拠として採用されたと思われる個々の供述書など見ますと、数字の根拠がはっきりしない点がありますし、埋葬記録と数字が重複しているのではないかと思われる部分もあります。しかし、その内容のすべてを否定することはできないと思います。
たとえば、燕磯子での5万人は、幕府山の捕虜殺害の件を含めて考えますと、ありそうな数字を述べているのですね。
東京裁判では、1946年1月までに谷寿夫裁判のために調査された25万以上あるいは26万というような数字が証拠として提出されました。
以上が、「30万」の意味、南京法廷と東京裁判との違いですが、研究としては、裁判のための供述や陳述にでてきた数字をただちに採用するわけには行きませんので、それぞれに検討した上で10万~20万程度の数字を研究者があげているわけです。
なお、孫氏のように人口の変動をもとに「30万以上」としている研究者もいます。

12月に出る『中帰連』の原稿の中で、私はこの数字について触れるつもりです。
中国軍の軍人の死者が8~9万であることは、当時の日本軍の発表、参謀などの日記、中国軍の総数から見た検討などで、裏付けられます。それらのほとんどは、捕虜として待遇されるべきであった者と思われます。
市民を含んだ数については、やはり埋葬記録が一番信頼できます。赤十字、紅卍字会については問題はないと思いますが、崇善堂については資料が少ないこいとは事実です。
しかし、当時の外国人の日記でも、市民7万とか、埋葬が10万というような記述があり、更には日本軍によって処理されていた遺体もありますので、規模としては10万~20万と考えるのが合理的に思われます。
10万単位の犠牲者が出れば、人口統計にも必ず変化がみられるはずですので、『中帰連』への記事では、人口統計からみた犠牲者数についての議論を加える予定です。
議論の内容は、すでに投稿しましたので過去ログにありますが、更に詳しく男女の割合などについても検討しています。
概要は、南京市では平時(1931~36年)1戸5人であったものが、南京戦後約4人となり、主に男性が失われ、1938~1940年の統計では、1戸5人に近づいて行くが減少した絶対数はほぼ固定して約10万人であるというものです。
この消えた市民10万人は、崩壊しなかった戸の「犠牲者」の数である可能性が高いと考えています。

五番街さんの関心事は「中国側」との距離を縮めることにあるかと思います。
実証的な研究であれば、30万でなくとも感情的になることは少ないと考えています。
なお、中国政府は日本政府と同様に、私の知る範囲では数について公言していないと思います。もし、そういう発表があるのでしたら教えてください。
多分、中国の教科書に書かれているとか、そういった意味でおっしゃっているのではないでしょうか。
まとまりのない話でしたが、今日は以上で失礼いたします。

原 恒裕 - 02/11/13 02:43:07
電子メールアドレス:heng2yu4@ybb.ne.jp


コメント:
初めて投稿します。中年のしがないサラリーマンです。私は10回ほど江蘇省を旅しましたが何故か南京だけは避けて旅をしていました。11月7日自分自身にとっての中国に対してけじめをつけるため南京に行ってきました。現地の方々と交流することでやはり南京事件はあったと認識しています。規模の大小に関係なく過ちは過ちであり、意図的に事実を抹殺する日本人がいることにどうしようもない怒りを感じてしまいます。過去の歴史を反省しようがするまいが個人の自由かも知れませんが無理やり事実を歪曲する人たちに私は悪意を感じます。

五番街 - 02/11/13 02:08:33
電子メールアドレス:K-Kさんなど、皆様に質問です


コメント:
南京の人口の問題はともかく、日本の研究者でいわゆる大虐殺説
を唱える者も、最大で20万人強で、中国政府と30万人説と大き
な差がありますね。

両者の約10万人の差は、おそらく中国側では、日本が起こした侵
略戦争に抵抗した正規兵も虐殺の犠牲者としており、一方、日本
側は、正規の戦闘で死亡した中国軍の兵士のケースは虐殺にカウ
ントしない、という虐殺の定義の違いによるものではないだろう
か、と想像します。日本でも、中国のような定義を採用すれば、
その差は大分埋まると思えます。

そして、日本の研究では、この定義の問題を検討することをおろ
そかにしているのでは、とも思います。こうした点を、みなさま
はどう、おかんがえでしょうか。

K-K - 02/11/13 00:21:02
電子メールアドレス:■重要なお知らせ■


コメント:
 K-K@南京事件資料集です。

 すでにお知らせしましたが、南京事件資料集掲示板を今月末をもって、とほほさんの掲示板「思考錯誤」と合併させていただくことになりました。

 つきましては、この掲示板に書き込みを行えるのも、今月末までと致します。
 ただし、過去ログに関しては、引き続き閲覧出来るように致します。

 ご了承お願いします。

とほほ - 02/11/13 00:11:14
電子メールアドレス:tohoho@ddt.or.jp


コメント:
核心さんへ。
この掲示板へ集う人々は「証言」と言うものに対して真摯に取り組む人たちであることを、どうぞ、ご理解ください。

それによる利害なぞ関係のないひと達なのです。

K-K - 02/11/12 19:44:21
電子メールアドレス:核心さんへ


コメント:
 K-Kです。
 こんにちは、核心さん。

>父の証言に対する付記を全面的により正確な内容に変更させてください。
>本多氏のインタビュー後の記事は全て捏造ですので、その事を明記したい
>と考えています。

 それはいい考えですね。
 ぜひ、改訂の原稿を送ってください。
 私も準備をして待っています。

核心 - 02/11/12 03:24:14
電子メールアドレス:arts-jp@jcom.home.ne.jp


コメント:
>K-Kさん

父の証言に対する付記を全面的により正確な内容に変更させてください。
本多氏のインタビュー後の記事は全て捏造ですので、その事を明記したいと考えています。

核心 - 02/11/11 23:39:34
電子メールアドレス:arts-jp@jcom.home.ne.jp


コメント:
私のメールアドレスはいつも公開しています。

どなたでもメールをいただければご返答差し上げます。

名なし便衣兵 - 02/11/11 15:57:12
電子メールアドレス:はじめまして


コメント:
はじめまして。
いつも、ここはのぞかせて頂いていますが、初めて書き込みをします。
昨日、「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて―元兵士102人の証言」を(私にとっては高かったのですが)購入し、読み始めました。以前手に入れた「南京大虐殺を記録した皇軍兵士達」と同じく、大変な労作であると思います。
証言を集め、まとめられた方達への、尊敬の念を禁じ得ません。
まだ、読み始めなのですが、「役務」という言葉の使い方に、引っかかる物を感じました。
証言中、「捕虜を役務に」という表現が出てきますが、これ、よく読んでみると「機関銃中退の人間が役務と称してかり出され、捕虜を銃殺した」という意味で使われています。当時の兵士達が、「役務」という場合、すべてこういう事を指していたかどうか分かりませんが、一般的な使い方として、こういう用例が通用していたのか、それとも私の単なる読み間違いなのか、やや気になるところです。もう少し精読したら、また、ご報告します。
それと、できればなのですが、ここにたびたび投稿されている「核心」氏と、ご連絡をとりたいのですが、核心さん、もしご覧になっいてましたら、お返事をいただければ、と思います。
乱文、失礼しました。

タラリ - 02/11/10 22:40:09
電子メールアドレス:渡辺さん、情報をありがとうございます


コメント:
地図の件、手をつくして探してみようと思いますが、渡辺さんの話を読ん
でいると楽なことじゃないですね。航空撮影の地図まで揃えたというのを
読んだら、頭がクラクラしてきそうです。

『この事実を・・・』を読んでいると役に立ちそうなことはかなり多い
です。否定派の反論のときに中共資料という非難のため使われにくいの
かどうか知りませんが、今までの日本人研究者の死亡数の検証などを読
んでも中国側資料を使いこなしているものはないと思います。

南京アトロシティで一番重要なのは被害者証言であり、中国側資料である、
というのが私の確信です。

ゆうさん、お誉めにあずかり恐縮しています。初学者としては比較的、
アクセスが少なそうなところで、練習をかねて書き込んでいましたが、
資料集板と合併するそうで、いい加減なことを書いたり、他人の書き込み
からこっそり頂いてきたりということが出来なくなりそうです。

現在のテーマは北村稔の批判で、あらすじは構想しているのですが、
鞭が入らないとなかなか先に進めるものではないです。

今日は図書館に行って北村本に引用のあるヘルケ・ザンダー著「1945年
 べルリン解放の真実」というベルリンにおけるソ連兵の強姦を書いた本を
借りてきました。北村は日本兵が強姦したのは悪かったが、どこでも起こった
ことだ、と書き流しているのです。

これ自体興味ある書物ですが、読んで驚きました。南京なんかと全然違う
のです。北村の怠慢と無神経にはあきれる他はありません。いずれ、トホホ
板に書き込みます。



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