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ゆうさんのページ| 渡辺さんのページ| 掲示板に書き込む
渡辺 - 02/03/15 02:03:30
電子メールアドレス:Re:素晴らしい!


コメント:
ゆうさん:>
>ここしばらく気になっていた疑問が、あっというまに氷解しました。

どうして、そんなことがすぐ分ったかと、不思議に思われるかもしれません。
たまたま、"What War Means"を取あげている北村稔『「南京事件」の探求』(文春文庫)の批判を書いているので、"What War Means"の内容の確認などをしていたからです。(クマ板の方に、原資料との異同について投稿しました。)
資料の執筆者が匿名のために、諸説のあった"What War Means"が、お尋ねの部分の出所ではないかと疑ったのです。「南京」に関係した部分について、著者問題は解決していますので、機会をみて投稿いたします。
なお、著者問題についてマギーとフィッチの件は、洞「南京大虐殺の証明」P40-41『6 ティンパーリーの編纂は「怪しい」か』に書かれています。
わたしは、この記事は知らずに、フィッチの"MY EIGHTY YEARS IN CHINA"を米国のオンライン古書店で入手ました。
Nanking Diary が、Timperleyや徐の本に使われ、Reader's Digestについては上海にいたときの秘書が無断で発表したことなども書かれています。
現在ではインターネットで簡単にできることが、1980年代には、研究者でもなかなか難しかったのですね。

秦氏の姿勢を私が問題にしたのは、こういう議論がされていたことをフォローしていないのは研究者としてまずいんじゃないかと思うからです。

"WHAT WAR MEANS"の南京に関する記事は、資料としては価値がうすれているのですが、どうしても否定したい人は"本論"ではなく、こういうところに視点がゆくんでしょうね。
北村氏が「きわめつけ」の資料としている「曾虚白自伝」は、回顧録ではよくあることですが、何かの資料を使って書いていることは確実です。著者は詳しく当時の状況を知っているようですが、かなりの間違いもあります。
例えば、Timerleyが日本軍の占領時に南京南京にいたというのは明白な間違いですが、それを前提として書いています。で、北村氏は板倉氏の又聞きを元にこの説を採用しています。そうしないと、「曾虚白自伝」の記述に従った自説が成り立たないからです。
北村氏は「日本人研究者の新しい提出証拠は援用しなかった」(P22)と言いながら、板倉、東中野、田中正明氏をかなり「援用」しています。最新の証拠を使うのは研究の基本だと思いますが...
で、不本意ではありますが "WHAT WAR MEANS"の成立過程と Timperley の経歴調査に時間を割くことになりました。Timperley については、オーストラリアにいくつかの資料があることが分りましたが、取り寄せるのに時間がかかりそうです。
なお、Timperleyは全然怪しくなく、その居場所は 編集顧問をしていたASIA誌に毎月掲載されています。また、1942年の著書"Japan: A World Problem"では、中国政府と特別の関係があることを、きちんと書いています。この本はかなり学究的な内容です。(なお、中国の顧問をしていたのは、1939年~1943年と思われます。)
1943年からUNRRA,その後ユネスコに勤務しています。
同盟の松本重治氏の「人道主義的な正義感に溢れた人」(「上海時代(上)」(中公文庫)「上海クラブ入会に成功」P155)、「記者というより、学者肌」(上海時代(下)「ジャキノ神父の構想-難民区の成功」P258)という、評は的確なものだと感じます。

いかにもTimperleyが中国の工作員かのように書きながら、結局、北村氏は"WHAT WAR MEANS"に「脚色」がないと言っているのです。基本的には、Timperleyは原資料を掲載しているのですから、あたりまえのことです。
ついでに、いい添えますと 北村氏は"MY EIGHTY YEARS IN CHINA"と"Japan: A World Problem"について言及していますが、実物には目を通していません。読んでいたら、書くことが少し違っていたでしょう (^^)

>外の「地獄」に対比しての「天国」ではなく、「日本軍が来てからの地獄」と対比しての「天
国」だったとは・・・。つまり、田中正明氏は、「大外し」をしていた、ということですね。


二次引用が危険で、出典の確認がいかに大切かということですね。どういう脈略での記述かは最低限チェックしないといけません。と、いってもなかなか大変ですが...

ゆう - 02/03/15 00:43:20
電子メールアドレス:幕府山事件(続き)


コメント:
(ゆう)「陣中日記」には、「南京から逃げてきた非戦闘員の市民も混じっていた」記述は、一切ありません。陣中日記は、一万三千人とも一万五千人ともいわれる捕虜は、すべて「兵」である、との認識で一致しています。

(渡辺さん)多分、下記の記述(ゆうの注・・・「斎藤次郎日記」)などを元にしているのではないでしょうか。私は民間人も混じってはいたと思いますが、従軍日記に「南京から逃げてきた非戦闘員の市民も混じっていた」という記述はありません。
 

実は、何度書き直してもなかなか満足できず、レスがすっかり遅れてしまいました。あまり遅れても何ですので、今回のレスは、将来の「完成版」に向かってのささやかなメモ、と考えて下さい。(ですから今回の書込みは、どうか「ゆうのページ」から省いていただくよう・・・)

前回のレスを、補足します。まず、東中野氏の文を再掲。

<収容された投降兵は、これが兵士かと思われるくらい、「服装も種々雑多」であった。しかも注意して見ると、南京から逃げてきた非戦闘員の市民も混じっていた。さらに注意して見ると、女兵士、老兵、少年兵までが混在していた。何も知らない十二三歳の少年が戦場の第一線に立たされていた。そしてまた、女性も志願して兵士となっていた。そのことが「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち―第十三師団山田支隊兵士の陣中日記」に見える。>(P129)


この部分の「元ネタ」は、次の三つです。

?〆愼?]再?記。(「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」所収)
 「若い者は十二位より長年者は五十の坂を越したものもあり、服装も種々雑多で此れが兵士かと思はれる」

?⇔廠兌蟲?。
 「・・・この中には婦女子あり、老人あり、全くの非戦闘員(南京より落ちのびたる市民多数)がいた・・・」

?L楾?福治日記。(「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」所収)
 「十二三才の小供より五十才位までの雑兵の中に婦人二名有り、残兵尚続々と投降す」


このネタを東中野氏がどう「加工」したのかを、見てみましょう。

まず大きな「トリック」は、この3つの独立した記述を、「しかも注意して見ると」「さらに注意して見ると」という言葉で、あたかも単独の資料の記述であるかのように、強引につないでしまったことです。

その結果、「山田支隊兵士の日記」のどこを見ても見当たらない、「非戦闘員の市民が混じっていた」という「両角手記」の表現が、まるで「山田支隊兵士の日記」の一部分であるかのように錯覚させられることになります。


面白いのは、「十二三才の小供より五十才位までの雑兵の中に婦人二名有り」の記述を、強引に「女兵士、老兵、少年兵」と「翻訳」していることです。「婦人二名」は貴重な「非戦闘員候補」なのに、わざわざ自分で「兵士」と断定してしまっています。(笑)
(ちなみに渡辺寛氏は、「万を超える捕虜群に婦人を含む非戦闘員が未だに残っていたことは・・・目黒日記でも明らかである」と、「婦人二名」を「非戦闘員」と判断しています)

「何も知らない」や「志願して」という「文学的創作」は、毎度のことなので、今更突っ込む気にもなれません。


・・・実際に「非戦闘員」が混じっていたのかどうかは、私にはよくわかりません。しかし、例え東中野氏の(何の根拠もない)記述に従っても、「しかも注意して見」ないとわからない程度の少数であることになります。「両角手記」のいう、「半数」なんて、とてもとても・・・。

(なお私は、先の「斎藤日記」「目黒日記」の記述は、「投降兵」が「兵士」であるとの認識を前提としている、と読んでいました。渡辺寛氏は、この両日記について、「その中に非戦闘員が含まれているという意味である」と断定しています。ただその直後に、「支隊では捕らえた捕虜を全て兵士と見ているようであり、必ずしも非戦闘員とは認定していない」という記述もあり(P199)・・・。論理明快な渡辺寛氏にしては、ちょっとわかりにくい部分です)



さて次に、「両角業作手記の問題点」です。

両角手記の、「逃げ残りの捕虜全員を幕府山北側の揚子江南岸に集合せしめ、夜陰に乗じて舟にて北岸に送り、開放せよ」との記述には、私もちょっと引っかかっていました。

「八卦洲」の存在を全く無視しています。東中野氏は、気にならなかったのでしょうか? (なるわけないか・・・)

これについては、渡辺さんの、

>すなわち、両角氏は現場を見ていないので想像で書いている。

という説明が、最も合理的であろう、と思います。


私が気になっているのは、鈴木明「南京大虐殺のまぼろし」に載っている「山田栴二証言」です。

どうも、「両角手記」との整合性がないのです。


「両角手記」は、「山田少将は「捕虜殺害」を命令したが、自分がその命令を無視して解放しようとした」とのトーンで書かれています。

ところが、「まぼろし」には、こうあります。

「彼(山田少将)の案では、村からできるだけの船を徴発し、揚子江を渡して北の方に逃がしてしまおうということだった」(P195)

山田少将は、明確に、自分の案であることを証言しているようです。


また、「両角手記」では、両角大佐は「釈放予定現場」には行かずに、「松井大将入城式」のあとまっすぐに「露営地」に戻り、そこで報告を待っていたことになっています。

しかし、「まぼろし」では、先の記述に続いて、解放のための舟につき、山田少将が「一隻は見たよ」と証言しているシーンがあります。つまり、山田少将は、現場に行っていることになります。

「命令者」である山田少将が現場に行き、「命令執行者」である両角大佐が現場に行っていない、というのは、不自然ですね。


どちらかが、あるいは両方が、誤った証言をしています。

(鈴木氏のインタビューがいいかげんだった、という可能性もなきにしもあらずですが)

ゆう - 02/03/13 21:16:43
電子メールアドレス:残念です、kkkさん・・・


コメント:
これまでのkkkさんは、少なくとも「討論態度」という点では、堂々としていてなかなか立派だったのですが・・・。「最後に」は、これまでのトーンとは全く異なり、いかにも投げやり、という感じでした。同じ去るにしても、もう少し、カッコよく去ればよかったのに。

私も、これから「具体論」になれば、kkkさんとの「相互理解」ができるのではないか、と期待していたのですが、残念です。「具体論」には、どうも初めから関心を持っておられなかったようですね。

>誰とは言いませんが、全く例えになっていない例えを自信満々で持ち出してきて、それが間違いだと指摘されると「別のところで反応された」と論点のすり替えをするようなことをしたり(今もなおあの例えを自負しているかどうかは興味がありますね 笑

「誰とは言いませんが」などと思わせぶりをいわず、しっかりと名前を出して下さい(笑)。残念ながら、まだ「自負」しております。「ニセ写真問題」と「笠原・泰」諭との関係を説明する上では非常に適切な例えであった、と思っています。

まあ、私も「例えが適切か」なんてテーマで大激論しようとは思っていませんでしたし(何も生みそうもないので、つまらないんです)、去る方相手に、これ以上一方的に書くのはやめましょう。


さて今は、ひたすら「南京虐殺と日本人」を、読み返しています。う~ん、やはり、「名著」ですね。わかりやすく、かつ非常に論理的な本です。


・・・とほほさんにエールをいただきました。力不足ながら、頑張ります。

とほほ - 02/03/13 20:49:50
電子メールアドレス:でも


コメント:
ゆうさんと、渡辺さんの、議論と言うかディスカッションというか、は、お願いだから続けて。

馬鹿退治は私に任せて、、(^.^)、、、(^^;

K-K - 02/03/13 14:53:13
電子メールアドレス:返信:kkkさん


コメント:
 やはり、この様な結果に終わってしまいました。
 そんな気はしていましたが、やむ得ないでしょう。

>K-K氏の「論争を解決する必要がない」という言葉を見て(唖然か
>つ、情けなくなりました)、ここのホームページが明確なビジョンがな
>く、ただの自己満足の人間の吹き溜まりと分かった今、これ以上続
>ける意義が無くなりましたので、私は去らせてもらいます。また、ビ
>ジョンのない不毛な談話をお続けくださいませ。

 私は、以下の通り、明確なビジョンを挙げたはずです。
(1)歴史事実の究明
(2)歴史議論の促進のための資料提供
 kkkさんが仰る”明確なビジョンがない”というのは、間違いです。

 kkkさんは、ご自分のビジョンである「論争を解決する」というものを、最も優先すべきビジョンであるかのごとく勝手に決め付けています。すでに述べましたが、歴史には解釈する人ごとに見解が異なるもので、その間で論争となるのは当たり前のことです。論争はいくらでも行えばよいであり、その論争をおこなうことによりお互いの見解を深め、真相を知ることができるのです。
 東中野氏らの議論で問題は、歴史学の問題ではなく、歴史学手法に関する問題が多く存在することです。この点も既に指摘しました。

 kkkさんの主張は、学術論争までも政治的解決により封殺しなければならない、というような学問を否定するようなものであり、私はこの様な主張を容認することはできません。学問や科学の意味・意義を理解できている人ならば、kkkさんの様な主張を許容できる人はいないでしょう。

とほほ - 02/03/13 14:24:38


コメント:
> 答えになっていません。ですから、あなたはその科学的に判断する事の方法として、歴史的事実を持ち出したんですよ。

答えになってない、でなくて、答えが理解できない、と言う事です。科学的手法で、歴史的事実を認定していく作業のことを「歴史学」と言うのです。
歴史的事実と言うのは物語のようにそこに有るものではありません。科学的手法で事実認定していくものです。

> しかしそれは多くの歴史家が言うように歴史は科学ではないということから私は違うと言ったんです。あなたのいってることは無茶苦茶です。

歴史とは過去の出来事です。それをどう事実認定していくのが歴史学です。科学的に検証されてない歴史物語は確かに事実とは異なるでしょう。科学とは未知なるものを論理的に事実認定していく作業の事です。

己のへんてこな主張を繰り返すばかりでなく、きちんと答えるべきことに答えなさい。法論理、法理についてもあなたの言っていることはめちゃくちゃだよ。

kkk - 02/03/13 10:38:17
電子メールアドレス:最後に


コメント:
数日間のやりとりでここの人たちのレベルがだいたい分かりました。

誰とは言いませんが、全く例えになっていない例えを自信満々で持ち出してきて、それが間違いだと指摘されると「別のところで反応された」と論点のすり替えをするようなことをしたり(今もなおあの例えを自負しているかどうかは興味がありますね 笑)、歴史=科学と常識はずれなことをのたまったのはよいが、論破されると「反論できないのではない、バカらしくてしないのだ」とあきれるほど開き直って、小学生のような負け惜しみをはずかしげもなくされる方。(この二人は例外なのかもしれませんが)

K-K氏の「論争を解決する必要がない」という言葉を見て(唖然かつ、情けなくなりました)、ここのホームページが明確なビジョンがなく、ただの自己満足の人間の吹き溜まりと分かった今、これ以上続ける意義が無くなりましたので、私は去らせてもらいます。また、ビジョンのない不毛な談話をお続けくださいませ。

短い間でしたがお世話になりました。

kkk - 02/03/13 10:37:46
電子メールアドレス:>とほほさんへ


コメント:
>お分かりでしょうが、コップにわける、と言う事象が、人間間の対立主張の解決であることが目的の場合法的認定法の方が絶対にどちらからも文句は出ません、がどちらが事実に近いか?(正確にニ等分されているか?)と言えば科学的に測量されたものが近いわけです。

答えになっていません。ですから、あなたはその科学的に判断する事の方法として、歴史的事実を持ち出したんですよ。しかしそれは多くの歴史家が言うように歴史は科学ではないということから私は違うと言ったんです。あなたのいってることは無茶苦茶です。


「キジも鳴かずば撃たれまい」
せっかく武士の情けで見逃してやろうと思っていたのですが、ご本人の方から蒸し返してくるとは思っておりませんでした(笑)

へたなプライドのためにご自分の誤りを素直に認めることができないのかもしれませんが、あなたは40を超していらっしゃるらしいではないですか(うちの父親とたいして変わらないというのが驚きですね)。大人気ないとは思われないのでしょうか?いったい40年間何を学んでこられたのか、はなはだ疑問ですね。

このような大人がいるということは、社会が病んでいるということなのでしょう。

ゆう - 02/03/13 06:45:10
電子メールアドレス:素晴らしい!


コメント:
ここしばらく気になっていた疑問が、あっというまに氷解しました。

(「南京大虐殺事件資料集2」で、確認しました。確かに洞氏は、「注」の中で、このあたりの経緯を説明しています)

外の「地獄」に対比しての「天国」ではなく、「日本軍が来てからの地獄」と対比しての「天国」だったとは・・・。つまり、田中正明氏は、「大外し」をしていた、ということですね。

この文は、掲示板でも「否定派」がよく議論で引用しますので、今度見たら、しらばっくれて「出典明記」を求めることにしましょうか(笑)。 きっと、死ぬぞ。


昨晩の私のレスは途中で終っていますが、とりあえず、渡辺寛氏の「南京虐殺と日本軍」を読み返してから、「続き」をアップしようと思っています。昨晩、パラパラめくっていたら、早速、私が「天野」氏と「三郎」さんを別人だと思い込むチョンボをやっているのを発見しましたので・・・(よく見ると、確かに「天野三郎」氏だ・・・)。


以下はご返答いただかなくても結構なのですが、渡辺さんって、どういう方なのでしょう? 詳しすぎます。

渡辺 - 02/03/13 00:49:05
電子メールアドレス:Re:難民たちの「天国」


コメント:
ゆうさん:>
>>マギー牧師が言うように、安全区は難民たちの「天国」だったかもしれない。(秦「南京事件」P84)
>「否定派」が、よく引用する文章です。田中正明氏など、大威張りでこれを「安全区は平穏だった」論拠として使います。(「引用元」が秦氏の本になっているところが笑えます。どうやら、田中氏は、「元資料」を発見できなかったようです)

これは、秦氏が南京陥落以前の状況について述べたものです。
-----
水道は十二月十日、電気は十一日、電話は陥落の当日まで稼動していたので、マギー牧師が言うように、安全区は難民たちの「天国」だったかも知れない。
[秦郁彦「南京事件」(中公文庫,1999年)P84]
-----

>私は、文脈から考えて、マギー牧師は、「外の地獄の世界に比べればまだ「安全区」は天国」という意味で使っているのではないか、と推定しました。
>そこで、「東京裁判」資料、及び「目撃者の南京事件」に収録されている「マギー日記」を、調べてみました。・・・しかし、いくら探しても、「天国」発言は、出てこないのです。
>秦氏が根拠のない引用をするとも思えないし・・・。どなたか、この「出典」をご存知でしたら、教えていただけませんか?

これは、マギーの日記ではなく、フィッチの"Nanking Diary"の記述によるものです。
-----
水道は十日まで、電気はその翌日まできていたし、電話は事実上、日本軍の南京入城当日まで通じていました。われわれはいちども深刻な危機感を感じませんでした。というのは、日本軍は安全区への爆弾投下や砲弾を避けているように思われたからです。日本軍が来てからの地獄に比べれば、南京は秩序と安全の天国でした。
[洞富雄編「日中戦争史資料 9」(河出書房新社,昭和48年)P28 「戦争とはなにか」H.J.ティンパーリー弟1章]
原文:
We had city water until the 10th, electricity until the following day, and telephone service actually up to the date the Japanese entered the city. At no time did we feel any serious sense of danger, for the Japnese seemed to be avoiding the Zone with their air bombs and shells, and Nanking was a heaven of order and safety as compared with the hell it has been ever since the Japanese came.
[H.J.Timperley, "WHAT WAR MEANS: The Japanese Trror In China", London, Victor Gollancz Ltd, 1938, P24]
この個所は、フィッチの "Nanking Diary"であり、下記に原文を見ることができます。
[George A. Fitch, "MY EIGHTY YEARS IN CHINA", Taipei, Mei Ya Publications,Inc., 1967, P433]
-----

では、なぜ秦氏はマギー牧師と誤ったのでしょうか。
これは、「日中戦争史資料 9」が刊行された当時には、洞氏がマギー師のものだと推定していたからです。
-----
*(注釈) この長文の書翰を上海の友人に送ったのは、南京安全区国際委員会の委員と南京国際赤十字委員会の委員長をしていたアメリカ聖公会布教団のマギー師(Rev. John Gillespie Magee)であると思われる。
[「日中戦争史資料 9」 P25]
-----

秦氏の「南京事件」の初版でこのような誤りが含まれているのは仕方がないとしても、改訂版でこのような基礎的なところが修正されていないのには疑問を感じます。
秦氏は盧溝橋事件を最初に実証的に検証した研究者とのことで、「歴史と人物」でもすぐれた記事を書いています。
最近の秦氏の発言を読むと、現在は研究はやてしまい、評論家的な発言に終始しておられるのではないかと残念に思われます。

K-K - 02/03/13 00:29:48
電子メールアドレス:追記:kkkさん


コメント:
 
 追加します。
 kkkさんは、当初、裁判について以下のように述べています。

>しかし裁判には真実を究明する大事な機能があるということを忘れて
>はいけません。

>このまま当事者間の主張を争わせたところで水掛け論になり、真実は
>遠ざかっていくだけです。よってここに、裁判により真実を追求して
>いかなくては道理が発生するわけです。
>真実の追究というのは何も警察や学者たちの特権ではないということ
>は司法の世界では常識です。

>私は南京事件は裁判形式で判断しなければならないと思っています。
>否定論者、肯定論者が各々、あったのなかったのと好き勝手言ってる
>ようでは水掛け論になるだけで、真実に近づくことさえできません。

 重要なのは、kkkさんが裁判を「真実を究明」ものだと主張しているところです。私はこのイメージが強かったので、kkkさんが南京事件の「真実の究明」を行うために、裁判形式を用いるのだと考えていました。

 ところが、今度の投稿には以下のような主張がなされています。

>あのう、もう少し全体を見てから指摘してもらえませんか?この答えは後
>の方で述べていると思いますが?つまり、「裁判形式=真実の究明」とは
>言っておりません。それはこのケース(南京事件)では性質上不可能だと
>言ったはずです。ですから裁判形式とは参審制のようなもので「妥協」だ
>と何度もいったのに・・。部分的な指摘ではなく全体を見てください。そう
>でないと蒸し返しが起きます。

 裁判を行う意味が「真実の究明」ではなく、「妥協」だと述べています。

 kkkさんは、「裁判」についてどの様に考えているのか、もう一度、説明してください。

ゆう - 02/03/12 22:21:57
電子メールアドレス:中休み


コメント:
>マギー牧師が言うように、安全区は難民たちの「天国」だったかもしれない。(秦「南京事件」P84)

「否定派」が、よく引用する文章です。田中正明氏など、大威張りでこれを「安全区は平穏だった」論拠として使います。(「引用元」が秦氏の本になっているところが笑えます。どうやら、田中氏は、「元資料」を発見できなかったようです)


私は、文脈から考えて、マギー牧師は、「外の地獄の世界に比べればまだ「安全区」は天国」という意味で使っているのではないか、と推定しました。

そこで、「東京裁判」資料、及び「目撃者の南京事件」に収録されている「マギー日記」を、調べてみました。・・・しかし、いくら探しても、「天国」発言は、出てこないのです。

秦氏が根拠のない引用をするとも思えないし・・・。どなたか、この「出典」をご存知でしたら、教えていただけませんか?

ゆう - 02/03/12 21:43:34
電子メールアドレス:幕府山事件


コメント:
とうわけで、渡辺さんの「具体論」に行きます。(はるか下に沈んでいますので、ギャラリー(もしいらっしゃれば)には大変だと思いますが、しばらくは「私と渡辺さんの世界」ということでご勘弁下さい)

前半の山田栴二日記に関する部分、よくわかります。初めから「非戦闘員解放」説を「当然の前提」とイメージづけておいて、山田日記の「皆殺せとのことなり」を、あたかも「異説」のように取り扱う。・・・「両角手記」の一般的な評価を知らない方でしたら、コロリと騙されそうです。


ついでですが、

<投降兵は、宮本省吾少尉(仮名)の陣中日記によれば、飢えと空腹に苦しんでいた。バラックに護送される途中、「菜を食ふ者」もいた。「一週間も水も米も食はない支那兵が相当数に上って」いたと、他の陣中日記も記す。>(P129)

は、「トリック」です。

これだけ読むと、文章の流れから、まるで投降兵は「日本軍の捕虜となる前から一週間も飢えに苦しんでいた」という印象を受けます。

細かい割には長文解説が必要となるので端折っていたのですが、実際には、

<目下砲台下の支那軍厩舎に収容中にて食糧の補給も不十分にて早一週間も水も米も食はない支那兵が相当数に上っています。>(「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」P251 天野軍事郵便 「三郎」の手紙 12月17日)

という原文に明らかなように、少なくともその期間の一部は日本軍に「収容」されてからの「飢え」です。

なお、「17日」の時点で、「一週間」は長過ぎるのかもしれません。「三郎」さんは、同時に、中国軍捕虜の訴えを書き送っていますが、こちらには、

<しかしここに来てからすでに三日たちましたが結局のところ、どうとりはからっていただけるのか分かりません。数万人のあわれな者達は四日以上も、ひもじい思いをしています。重湯は少しも腹の足しにはなりません。>

と書かれています。こちらの方がより「事実」に近いと思われます。



(ゆう)要するに、「暗い時の出火」を主張するのは、両角手記のみ。残りはすべて、「正午頃」で一致です。

(渡辺さん)この件については、唐光譜「私が経験した日本軍の南京大虐殺」(「南京事件資料集 2中国関係資料編」P251)に、同じ場所と思われるところで、5日目の夜に誰かが竹の小屋を燃やしたので、一斉に外へ飛び出たという記事が一応あります。
ただ、20年以上たってからの回想で、従軍日記とは異なるところもあり、日時や因果関係に記憶違いがある可能性があります。


私も、唐光譜証言は、渡辺寛氏の本(名著です)を読む以前に、一応「独力で」発見していました。思わぬところに「両角手記」の「裏付け証言」があったので、ちょっと意外な気持ちでおりました。

東中野氏も、使うのであれば、「山田支隊兵士の日記」ではなく、こちらを使えばいいのに・・・(笑)。まあ、氏としては、「中国側資料」を使用することに、少なからぬ「心理的抵抗」があったのかもしれませんが。

この資料をどう評価するか、私の中でまだ結論は出ていないのですが、たとえこれが「事実」だとしても、少なくとも「半分」だか「三分の一」だかが延焼した「昼間の火災」のような大規模なものではなかったことは、容易に推察できます。

想像するに、両角大佐は、この「夜のちょっとした火事」から、あのような「創作」を思いついたのではないでしょうか? 特に根拠のある「推定」ではありませんが。

いずれにしても、「両角手記」とは全然一致しない「山田支隊兵士の日記」を「両角手記」の補強材料として用いようとした、東中野氏の「トンデモ」ぶりは間違いないところです。

(まだ続きますが、書き上げるのに時間がかかりそうですので、いったん中断します)

ゆう - 02/03/12 21:29:08
電子メールアドレス:抽象論と具体論


コメント:
率直な話、すっかり「抽象論」の羅列になってしまい、私のように「具体的事実から出発する」ことが好きな人間には、あまり関心の持てない展開になりつつあります。


前レスでも述べましたが、kkkさんの発言には、相変わらず「具体論」が出てきません。このままでは、「議論のための議論」になってしまう危険がある、と私は懸念します。

「ヤフー掲示板」でもよく書くのですが、私は、「いろいろな方の意見に学ぶ」ために、討論に参加しています。実のない「抽象論」の世界だけで、ひたすら議論の「トリ」をとることを目的とする、虚しい「論破合戦」を行うことに、私は関心がありません。

・・・いや別に、kkkさんがそうだと言っているわけではなく、これは私がよく述べる「一般論」です。でもこの調子でkkkさんが皆さんと討論を続けると、本当にそうなりそうな気がします。

どうも「発展性」がありそうな論点もなくなってしまったようですし、そろそろ「具体論」に移りませんか? 

(もし「発展性のある抽象論」を続ける自信がおありでしたら、ご自分の主張を、誰でもわかるようなインパクトのある言葉で、一言でまとめられてはいかがでしょう? ヤフー掲示板には、「消費税増税に反対の人は、共産党に投票しよう」トピなどでご活躍のsima2oo2さんのような、「自分の意見を短文でわかりやすく簡潔に主張する」天才がいらっしゃいますから、機会があれば覗いてみて下さい。きっと、kkkさんの参考になると思いますよ)



再掲。

・・・ちょっと気になっているのですが、これまでのkkkさんの書込みは、ずっと「一般論」に終始しており、具体的な記述がありませんね?

「中道で判断」する、という一般論はそれで結構なのですが、具体的には、どこまでの「判断」を行っているのでしょうか?

例えば、東中野氏でも秦氏でも笠原氏でも結構なのですが、それぞれの著作のどの部分に同意し、どの部分に反発していますか? 

このような掲示板で「実り」を生むためには、そんな「具体論」こそが最も必要なものである、と私は考えています。



・・・「求めるもの」が私と違うのでしたら、これはもう仕方のない話なのですが。

K-K - 02/03/12 18:14:19
電子メールアドレス:返信:kkkさん その2


コメント:
>ではどうやってそれを証明するのですか?証拠もなく。口述のみですか?

 誤解があるようです。とほほさんが言っていることは、『「反する事実を証明する」という行為』を指しているということを理解すれば、証拠の有無は関係ありません。



>tp://www.history.gr.jp/nanking/lie.html
>ここで挙げられているようなことを中国がわざわざやっているのでは?
>ということです。
>渡辺さんの書き込みは見落としていました。申し訳ありません。

 中国がわざとウソを主張しているかどうか私には判断できませんが、南京事件を「十分証明」したものが「わざわざニセ写真や過った主張」をしているのではない、というのでしたら問題はありません。



>もちろんです。ですから後のほうでそのように記述しました。裁判は万
>能ではありません。

 歴史的事象を証明するうえで公正ではない、と私は考えます。



>私がお訊きしたいのですが、なぜ、上記のような本来、立証不可能であることが明白である事柄について、わざわざ、裁判形式を持ち出してきたのか、ということです。
裁判形式で出される結論が、犯罪の適法な証明としては正しいとしても、それが歴史的事象の再現にはならないでしょう。

>あのう、もう少し全体を見てから指摘してもらえませんか?この答えは後
>の方で述べていると思いますが?つまり、「裁判形式=真実の究明」とは
>言っておりません。それはこのケース(南京事件)では性質上不可能だと
>言ったはずです。ですから裁判形式とは参審制のようなもので「妥協」だ
>と何度もいったのに・・。部分的な指摘ではなく全体を見てください。そう
>でないと蒸し返しが起きます。

 私が理解できないのは、なぜ、政治的手法により歴史問題の結論付けしようとするのかです。何の為の解決なのか?なぜ、歴史議論を封殺して、学術・研究を否定するような形式にたより、結論をだそうとするのかです。
 私が疑問に思っているのは、その形式(裁判形式)を選ぶこと自体が政治的な選択である、ということです。不公正である形式を用いることで、確実に被害数を低く見積もることができるでしょう。その様なことで、本当に「地域の安定」という目的が達成できるでしょうか?



>政治的手法以外に解決策があれば教えてください。
>そしてあなたの言う科学的手法とはどのようなものなのですか?
>教えてください。
>ただしこの方法には民主的な部分があることを忘れないでください。

 「地域の安定」という政治目的ですか?
 本来の学術的な歴史検証では、「地域の安定」を乱すようなことは起きていないはずです。一部の政治家の失言や、ある特定の目的を持ったグループの運動が「安定」を乱しているだけではありませんか?

 ちなみに、私は政治的解決などは求めていませんから、民主的手続きを必要とはしません。 



>どのようなことを言われていたのですか?

 これは、この議論の基本的部分だと思います。
>とほほさん
------- 引用 -------
まず真実を追究する、と言う事と法廷で決着をつける、と言う事の意味の違いがわかっているのか?(^^;
裁判と言うのは何も真実を追及する場ではないのです。(原理的に)ある意味で決着をつける場です。
--------------------



>それはどのようにして可能なのでしょうか?教えてください。

 歴史学的手法です。




>合理的な解決です。

 なぜ、解決する必要があるのですか?



>それでは質問します。「あなた方は何を目指し、何を望んでいますか?」

 すでに、答えたと思いますが、歴史的事実の追求です。
 無学ながら、歴史研究を志すものですから、当然といえば当然ですが。



>では中国の虚偽報告(前に載せたホームページに載っているようなこと)
>は歴史をゆがめたものではないというのですか?中国の戦禍報告には
>嘘、偽りが全くないとおっしゃるのでしょうか?お答えください。

 私はその様なことを書いた覚えはありません。
 kkkさんの仰っている「中国の戦禍報告」が、具体的に何をさしているのか教えていただきたいのですが?それは、歴史学的手法によって記されたものですか?それは、どの様な考証を行ったのかが判断できるのでしょうか?
 私は、およそ笠原十九司氏の研究に依拠していますので、他の研究は判断には異論があります。もちろん、個別のケースによりますが。



>どのような手法なのですか?

 たとえば、ゆうさんが何度かにわけて、この掲示板で明らかにしてくれていますが、部分的な資料の引用、印象操作等です。



>それはあなたの考えている事実が絶対に正しいということを前提に
>言っているのでしょうか?

 場合によります。


>いったい、kkkさんは、何を、何の為に解決したいのでしょうか?
 事実を明らかにするためですか?
地域の協調を保つためですか?

>事実は明らかにならないでしょう。どちらかといえば後者になりますね。

 答えが、明確ではありません。
 こう考えてよいのですか?
 「地域の協調を保つ」という政治的な目的の為に、「事実の証明」を犠牲にする

 私は、その様なことには反対です。



>それではこのホームページの意義は何なんでしょうか?
>何のためにあなたは訴えているのですか?
>事実を明らかにして、その後のビジョンはなんですか?
>最終的にはどうなされたいのですか?
>お答えください。

 それは、簡単です。
 このHPの目的は、第一には歴史事実の究明ですが、それとは別に、南京事件の論争において、なるべく同じ議論を繰り返すというような不毛なことが行われないように資料を提示することが、今では重要な目的となっています。
 私は、不毛な議論を行うことには反対ですが、議論を行うことが不毛だとは思っていません。南京事件について、有用な議論を行うためにこのHPが利用されるならば本望です。

 ちなみに、研究の「その後ビジョン」などは存在しません。



>泰・笠原両氏の研究で罪が確立したからといって偽証(ニセ写真など)
>したことは許されるのでしょうか?

 誤解があるようですが、誰もニセ写真や偽証が許されるなどとは書いていません。それは、私もそうですが、ゆうさんやとほほさんも同じです。



>本当に影響ないと思っていらっしゃいますか?

 泰・笠原両氏の研究には、影響はありません。
 影響があるのでしたら、具体的にどういう影響があるのかを指摘してください。その上で検討しましょう。



>えん罪を正当化することに賛成なんですか?
>そこに秩序というものが存在すると思われますか?

 当然、反対です。
 私の主張のどこに「冤罪の正当化」をする部分がありましたか?

K-K - 02/03/12 18:14:17
電子メールアドレス:返信:kkkさん その1


コメント:
>いいえ、それは全然違います。
>裁判所内で行われるのは「法廷」であって、「裁判」とは検察でいえば
>捜査、起訴、公判、執行までの刑事手続きをいい、その過程の中に警
>察の捜査ももちろん含まれます。
>裁判とはこれらの一連の流れを包括的にいうもので、広義に描写され
>ます。嘘だと思うのであれば国語辞典なんかではなく、学術書を紐解
>いてみてください。
>その言葉の本質を国語辞典なんかの一行や二行の言葉で表そうとし
>ても不可能です。
>辞書的意味と学術的意味では相違な点が少なからず出てきます。

 私は、別に「うそ」だと言うつもりはありません。
 裁判に対する一般的な認識を提示するために、辞典から引用しました。残念ながら、学術書を参照する時間がありません。出来れば、その学術書の記述を提示していただければ結構なのですが、現時点では、依然として辞書の言葉を信用する以外ないでしょう。



>これは大岡昇平氏からの引用ですが、私の考えもここから来ています。

 大岡昌平の言葉には非常に重みを感じますが、私が訊きたいことは別であることは、すでに明記したはずです。現代の歴史学に対する評価を、同じように考えていいのか?ということです。kkkさんのお答えを頂きたいのですが?



>具体的に国家とはなんでしょう?

 私が住んでいるところでいうならば、日本です。



>あなたもおっしゃっていた国家じゃないですか?

 私は、kkkさんの文章の意味を訊いているのです。
----- 引用 -----
ところで、この「政治的な要素と結びつき利用される事が少なからずあった」という中の「利用される」とは、誰に「利用される」のですか?
------------------



>ところでK-Kさんのいう現代の歴史学的手法の認識とはどのようなものなのですか?

 科学的なものだと思っています。



>私は現代歴史学とは言っていません。

 私にはその様に読めました。説明していただけませんか?
----- 引用 -----
あなたのいうように『統治者に歴史を委ねては、現代歴史学とは言えないで しょう。
結局それは、「統治者の都合に合わせてつくられた」歴史でしかありません』 というのは最もよい理想ですが、それはあくまで理想に過ぎず、現実には不 可能だといわれます。
タイムマシーンでもできて過去を覗ければ別でしょうが、それは夢物語であ り、現実の歴史学というのは純粋な科学とは一線を画すものなのです。
------------------



>つまり、もしもタイムマシンがあれば、歴史学は客観性を帯びた、普遍
>的な純粋科学となりうるというのです。

 「普遍的な純粋科学」とは、何を指しているのですか?

 申し訳ないのですが、一応、科学の意味を辞典から提示しておきます。

かがく くわ― 【科学】 〔science〕
(1)学問的知識。学。個別の専門分野から成る学問の総称。「分科の学」ないしは「百科の学術」に由来する。
(2)自然や社会など世界の特定領域に関する法則的認識を目指す合理的知識の体系または探究の営み。実験や観察に基づく経験的実証性と論理的推論に基づく体系的整合性をその特徴とする。研究の対象と方法の違いに応じて自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。狭義には自然科学を指す。



>あなたは上のところで次のように記しているではありませんか?
>>>私がいつも疑問に思っているのは肯定派、否定派の方たちは一
>>>体何を目指しているのかということです。
>>これは、明らかでしょう。歴史的な事実の追求です。
>のりつっこみですか?(笑)

 文章の意味が解りかねますが、歴史学者が歴史的事実を追求したうえで、別の答えが出たとしても、特に不思議だとは思いません。



>そうだとすると、東野中氏たちの歴史もその存在を認めるわけです
>ね?言っておきますが私は否定論者の歴史認識の肩を持つわけ
>ではありません。

 これは、別のところで答えています。
 簡単にいうならば、歴史学的手法です。ゴットハンド氏が容認できないのと同じ理由です。



>虐殺といえる事実があったのかなかったのかという不毛な論争の
>解決です。

 なぜ、論争を解決する必要があるのですか?

渡辺 - 02/03/12 15:31:32
電子メールアドレス:「南京事件の虚偽報告」


コメント:
kkkさん:>
>渡辺さんの書き込みは見落としていました。申し訳ありません。

で、下記の問にははまだお答えをいあただいていないのですが、お答えいただけませんでしょうか。
-----
投稿の論旨がよくわからないところがあるのですが、「南京事件の虚偽報告」とは、具体的に何という「報告書」なのでしょうか、教えていただけませんか。
----

ご紹介いただいた
http://www.history.gr.jp/nanking/lie.html
は、多分何かの本を受け売りしているのでしょう。

「南京には崖がない」とか「人間は死亡すると
筋肉の弛緩(ゆるむ)が始まります。ですから斬られたなら必ずあごの筋肉が緩み口がだらんと開くはずです」とか、まるで見てきたかのような粗雑な記事なので、あまりコメントをする気がしません。
屋外で撮影した写真を合成することは想像するより、はるかに難しいことです。そんなことをしなくても、日本兵自身が、このような写真を撮影、郷里に送付したり、現地写真屋で焼き増ししたために流失した写真がほとんどです。
これは、岡村寧次大将、パウエルやアルコットなどの外国人ジャーナリストの証言などからも裏付けられます。
この件については以前、投降いたしましたが、アルコットの記事を添えて、後日投降いたします。

とりあえず、「南京事件の虚偽報告」とは、具体的に何という「報告書」なのか教えてください。

とほほ - 02/03/12 11:41:16


コメント:
>でも、とほほさんは反論できるらしいですから、ばかばかしいとは思いますが、あなたの持論である「歴史的事実=科学的事実」ということを証明していただけませんでしょうか?

お分かりでしょうが、コップにわける、と言う事象が、人間間の対立主張の解決であることが目的の場合法的認定法の方が絶対にどちらからも文句は出ません、がどちらが事実に近いか?(正確にニ等分されているか?)と言えば科学的に測量されたものが近いわけです。

とほほ - 02/03/12 11:38:59


コメント:
法廷もなく、裁判官もなく、もしかして原告も被告もなく裁判だけしたいの?(笑)

kkk - 02/03/12 11:18:31
電子メールアドレス:>とほほさんへ


コメント:
>と、いうよりkkkさんは法廷を開きたいのであれば自分の立場をどこにおいているか?だよね(笑)

どこに法廷を開きたいと記述しているのでしょうか?指摘してください。
そのような記述はしておりません。勝手に作り出すのはどうかと思われますが。

>まさか、裁判官がいちばんかっこいーなどとガキみたいな思考でなければ良いけど(^^;(^^;

私の提案した裁判形式には裁判官は登場しませんが?よく読んでから書き込んでください。

>あんたの立論を受け入れるから、じゃ法廷を開いてみろよ、と言ってるの。法的決着がついているのは認めたあなたがどのような法廷を定義するか虎視眈々と笑ってるの(笑)

何度も言いますが、わたしの立論には法廷はでてきません。裁判形式=法廷ではなく、参審制のようなものだと口が酸っぱくなるほど言いました。もう少し人の書き込みを見てから意見を言ってはどうでしょう?勝手に作られてはかないません。



>あんたに反論しないのはばかばかしいから>kkk

あなたの例えでは歴史的事実=科学的真実でしたよね?それは多くの歴史家が否定してきたことと私は何度も言いましたが、あなたはまだ、歴史的事実=科学的事実という認識をしておられますか?

反論しないのではなく、できないのではないでしょうか?(笑)

でも、とほほさんは反論できるらしいですから、ばかばかしいとは思いますが、あなたの持論である「歴史的事実=科学的事実」ということを証明していただけませんでしょうか?
よろしくお願いします。

kkk - 02/03/12 11:17:43
電子メールアドレス:>K-Kさんへ(2)


コメント:
>同義ではありません。
 kkkさんは「反論の根拠となる明確な証拠」と言っています。つまり、証拠の提示を求めているわけですよね?
とほほさんの言っている意味は、「反する事実を証明する」という行為をさしているのだと思います。

ではどうやってそれを証明するのですか?証拠もなく。口述のみですか?

>申し訳なのですが、具体的に仰っていただけませんか?
 誰が「わざわざニセ写真や過った主張をする」のですか?

tp://www.history.gr.jp/nanking/lie.html
ここで挙げられているようなことを中国がわざわざやっているのでは?ということです。

渡辺さんの書き込みは見落としていました。申し訳ありません。

>私は、その様な証拠裁判主義は、適法であるとは思いますが、歴史的事象については公正であるとは思えません。

もちろんです。ですから後のほうでそのように記述しました。裁判は万能ではありません。

>私がお訊きしたいのですが、なぜ、上記のような本来、立証不可能であることが明白である事柄について、わざわざ、裁判形式を持ち出してきたのか、ということです。
裁判形式で出される結論が、犯罪の適法な証明としては正しいとしても、それが歴史的事象の再現にはならないでしょう。

あのう、もう少し全体を見てから指摘してもらえませんか?この答えは後の方で述べていると思いますが?つまり、「裁判形式=真実の究明」とは言っておりません。それはこのケース(南京事件)では性質上不可能だと言ったはずです。ですから裁判形式とは参審制のようなもので「妥協」だと何度もいったのに・・。部分的な指摘ではなく全体を見てください。そうでないと蒸し返しが起きます。

>私は、これこそが政治的手法であると考えています。
政治的に問題を解決するのでしたら、これでも構わないでしょう。
しかし、これは「歴史的真実」を追求するものではありませんし、科学的な手法とも思えません。


政治的手法以外に解決策があれば教えてください。
そしてあなたの言う科学的手法とはどのようなものなのですか?教えてください。
ただしこの方法には民主的な部分があることを忘れないでください。

>文言が違うものの、結局は、当初とほほさんが言われていることと、さほど変わりがないように思えます。

どのようなことを言われていたのですか?

> これは、明らかでしょう。歴史的な事実の追求です。

それはどのようにして可能なのでしょうか?教えてください。

>これは、私がもっともkkkさんに訊きたかったことです。すでに、前回、訊いているのですが、返答は貰えませんでした。

問題となっているのは、歴史学上の結論ではなく、その手法です。

合理的な解決です。
それでは質問します。「あなた方は何を目指し、何を望んでいますか?」

>問題なのは、歴史学的手法の問題です。そして、なぜ、そのような誤った手法を使ってまで、歴史をゆがめるのか?ということでしょう。

では中国の虚偽報告(前に載せたホームページに載っているようなこと)は歴史をゆがめたものではないというのですか?中国の戦禍報告には嘘、偽りが全くないとおっしゃるのでしょうか?お答えください。

>何度か述べたとおり、問題としているのはその手法です。

どのような手法なのですか?

> しかし、自分の考えている「事実」と違うことが述べられていれば、反論する必要を感じるのは当然のことだと思います。

それはあなたの考えている事実が絶対に正しいということを前提に言っているのでしょうか?

>いったい、kkkさんは、何を、何の為に解決したいのでしょうか?
 事実を明らかにするためですか?
地域の協調を保つためですか?

事実は明らかにならないでしょう。どちらかといえば後者になりますね。

>私は、解決策など持っていませんし、何か政治的な問題を解決しようとは思いません。

それではこのホームページの意義は何なんでしょうか?
何のためにあなたは訴えているのですか?
事実を明らかにして、その後のビジョンはなんですか?
最終的にはどうなされたいのですか?
お答えください。



>すでに別の根拠・別の資料により南京事件の証明が十分為されている以上、その研究とは関係のない「ニセ写真」や「中国の主張の誤り」などが存在しても、南京事件の証明に影響はないだろう、ということでしょう。

泰・笠原両氏の研究で罪が確立したからといって偽証(ニセ写真など)したことは許されるのでしょうか?
本当に影響ないと思っていらっしゃいますか?
えん罪を正当化することに賛成なんですか?
そこに秩序というものが存在すると思われますか?
回答よろしくおねがいします。

kkk - 02/03/12 11:16:54
電子メールアドレス:>K-Kさんへ(1)


コメント:
>そうですか?
 私は、裁判とは、裁判所内で行われる事象のことかと思っていますが?
 警察の捜査までが「裁判」というのはおかしいでしょう?
 警察が捜査して、検察が起訴して、裁判で判決をくだす。弁護士は容疑者の権利を擁護する。普通はこの様に解釈すると思うのですが、何が違うのでしょうか?

いいえ、それは全然違います。
裁判所内で行われるのは「法廷」であって、「裁判」とは検察でいえば捜査、起訴、公判、執行までの刑事手続きをいい、その過程の中に警察の捜査ももちろん含まれます。
裁判とはこれらの一連の流れを包括的にいうもので、広義に描写されます。嘘だと思うのであれば国語辞典なんかではなく、学術書を紐解いてみてください。
その言葉の本質を国語辞典なんかの一行や二行の言葉で表そうとしても不可能です。
辞書的意味と学術的意味では相違な点が少なからず出てきます。

>私が訊きたかったのは、現代の歴史学が、ここで書かれている様な「歴史」を、評価もせずに羅列しているのか?ということです。それは、今回あげられて戦後の歴史に対しても同じ事が言えるでしょう。歴史学とは、与えられた歴史をだた羅列しているだけなのか?
 今回のお答えは、このことについて触れていないように思われます。

「史料というものは、文書作成者の主観に彩られ、事実の変更が加えられているという意味では固定的なものではない。そこで重要になってくるものは歴史家の想像力ないしは構成力である。ここには小説家の創作姿勢と同様なものが働いており、歴史は時代の変遷によって絶えず書き換えられる。歴史と小説は全く別物と一般には見られがちだが、想像力の統制が根底において働いているという意味では同じ基盤に立つものと考えられる。ただし、統治上正確な情報・知識が必要となるとき、事実である歴史と虚構である物語が対立する意識が生まれる。国家の起源について、あるいは歴史上の事件についての正確な情報が、政治的方針を決めるに当たって、必要と感じられた場合、そこに歴史が作られる。歴史は常に統治者の公的な歴史の羅列を意味している。」

これは大岡昇平氏からの引用ですが、私の考えもここから来ています。

>今で言えば、国家でしょう。

具体的に国家とはなんでしょう?

>ところで、この「政治的な要素と結びつき利用される事が少なからずあった」という中の「利用される」とは、誰に「利用される」のですか?

あなたもおっしゃっていた国家じゃないですか?

>それは、現代の歴史学的手法の結果とは思えませんが。

ところでK-Kさんのいう現代の歴史学的手法の認識とはどのようなものなのですか?

>現代歴史学が、結局のところ、「「統治者の都合に合わせてつくられた」歴史」でしかない、という意味ですか?

私は現代歴史学とは言っていません。

>また、タイムマシーンが存在しないことと、歴史学が純粋な科学ではないということの関係性がよく理解できません。 

つまり、もしもタイムマシンがあれば、歴史学は客観性を帯びた、普遍的な純粋科学となりうるというのです。

>「一つの歴史」を必要とする理由は何ですか?

あなたは上のところで次のように記しているではありませんか?

>>私がいつも疑問に思っているのは肯定派、否定派の方たちは一体何を目指してい
>るのかということです。

>これは、明らかでしょう。歴史的な事実の追求です。

のりつっこみですか?(笑)

>私は、歴史家ごとに歴史が存在するのは当然だと思います。

そうだとすると、東野中氏たちの歴史もその存在を認めるわけですね?言っておきますが私は否定論者の歴史認識の肩を持つわけではありません。

>何を解決するつもりなのかがよく解りません。

虐殺といえる事実があったのかなかったのかという不毛な論争の解決です。

とほほ - 02/03/12 04:49:05


コメント:
> この議論は、南京事件の証明に裁判形式を用いるべきだ、というkkkさんの主張に対するとほほさんとの議論を発端としてます。その中でゆうさんの発言である

と、いうよりkkkさんは法廷を開きたいのであれば自分の立場をどこにおいているか?だよね(笑)
まさか、裁判官がいちばんかっこいーなどとガキみたいな思考でなければ良いけど(^^;(^^;

あんたに反論しないのはばかばかしいから>kkk
あんたの立論を受け入れるから、じゃ法廷を開いてみろよ、と言ってるの。法的決着がついているのは認めたあなたがどのような法廷を定義するか虎視眈々と笑ってるの(笑)

K-K - 02/03/11 16:19:41
電子メールアドレス:補足:kkkさん


コメント:
>一番肝心の所を勘違いしておられます。
>主語が全く違いますよ。「なぜニセ写真や、謝った主張をする必要
>があるのか?」の主語は中国側です。中国は南京事件があったと
>いうことは事実として認識しているわけですよね?だったらなぜ、
>その事実をありのまま事実として報告せずに、わざわざ虚偽の報
>告をする必要があるのですか?と聞いたのです。事実であればそ
>のままの事実を報告すればよいまでのことで、嘘をつく必要はない
>のです。これが裁判であれば、偽証罪となり大変なことになるから
>です。



 この議論は、南京事件の証明に裁判形式を用いるべきだ、というkkkさんの主張に対するとほほさんとの議論を発端としてます。その中でゆうさんの発言である

>「南京事件の存在が他の資料で十分確定している以上、「ニセ写真」
>やら「中国の主張の誤り」やらがあろうがなかろうが、別に関係ない
>でしょう」ということです。

 という発言に対し

>大きな罪が確立したのだから、小さなことは気にしなくてもいいだろう、
>と濡れ衣を正当化する、これはとんでもないことです。

 と発言をしたはずです。

 ここで議論しているのは、一貫として「南京事件の証明」に関するものでした。ですから、私は、

>ではお聞きしますが、なぜ十分証明されているのにわざわざニセ写
>真や過った主張をする必要があるのでしょうか?私はこの点が理解
>できないのです。

 この主張の主語が、「南京事件の証明」を行っている者(特に肯定派)であると理解しました。これは、ゆうさんも同じでしょう。

 南京事件が「十分証明されている」のは、日本の研究者である泰・笠原両氏の研究であり、中国の研究・主張とは関係がありません。「わざわざニセ写真や過った主張をする」理由として、「(南京事件が)十分証明されている」ことを挙げるのであれば、ここでの主語が南京事件を肯定する歴史学者であると読むのは普通ではないでしょうか?

K-K - 02/03/11 15:04:29
電子メールアドレス:返信:kkkさん その4


コメント:
>私の考えを整理しておきますと、まず私は裁判においてそこで全て真実
>が出る、などと傲慢なことは言っておりません。
>裁判で真実が追求され、結果が出るのは、「適法な証拠調べを経て、自
>然的関連性、法律的関連性の証拠能力のある証拠によって厳格に証明さ
>れ、そこに合理的な疑念、矛盾が相容れない程度に高度の毅然性のある
>確信が得られた場合」という証拠裁判主義に基づいたときのみです。

 私は、その様な証拠裁判主義は、適法であるとは思いますが、歴史的事象については公正であるとは思えません。
 簡単に言えば、65年も過ぎ去った事柄について、多くの証拠がその能力を失っていると思われること、証拠を裏付けるべき証人らがほとんど故人となっていること等です。犯罪を適法(刑事訴訟法に則った)に立証することは、不可能であるでしょう。
 つまり、裁判形式を用いても、「真実」が明らかにはならないでしょう。



>前述したように裁判で真実が出るのは疑いようのない厳格な証拠に基づか
>れた場合のみです。歴史学における事実は前に述べたように絶対的な真実
>とは言えません。

 私がお訊きしたいのですが、なぜ、上記のような本来、立証不可能であることが明白である事柄について、わざわざ、裁判形式を持ち出してきたのか、ということです。
 裁判形式で出される結論が、犯罪の適法な証明としては正しいとしても、それが歴史的事象の再現にはならないでしょう。



>ですから、その代替的なものとして、「統合的交渉モデル・法的交渉」をもち
>だしたのであります。これはつまり歴史的事実とされるものを両国の一般市民、
>歴史家、政治家、オピニオンリーダー、などにより参審制、陪審制などを通じ
>て、了解のパレート最適を見いだし、その際には他国の裁定者を使って交渉を
>スムーズに行うという裁判形式というものでした。いわば、「妥協」です。こ
>の方法では納得できない部分があろうとは思いますが、もっとも民主的かつ合
>理的なやり方だと思っています。

 私は、これこそが政治的手法であると考えています。
 政治的に問題を解決するのでしたら、これでも構わないでしょう。
 しかし、これは「歴史的真実」を追求するものではありませんし、科学的な手法とも思えません。
 文言が違うものの、結局は、当初とほほさんが言われていることと、さほど変わりがないように思えます。



>私がいつも疑問に思っているのは肯定派、否定派の方たちは一体何を目指してい
>るのかということです。

 これは、明らかでしょう。歴史的な事実の追求です。



>双方とも本当に解決を望んでいるのでしょうか?
>私が最も聞きたいことは「あなた方は何を目指し、何を望んでいますか?」

 これは、私がもっともkkkさんに訊きたかったことです。すでに、前回、訊いているのですが、返答は貰えませんでした。

 問題となっているのは、歴史学上の結論ではなく、その手法です。



>否定論者を完膚無きまでに論破して、事件の確立を望んでいるのですか?私
>はこれは不可能だと思っているのですが。

 当然、不可能でしょう。
 そういうことを行っている人も居ないと思います。
 問題なのは、歴史学的手法の問題です。そして、なぜ、そのような誤った手法を使ってまで、歴史をゆがめるのか?ということでしょう。



>それは肯定論のなかにも疑われるべき事象が全くないことはない、というこ
>とから否定論が根絶することはどうしても考えられないと思われます。(そ
>れはあなた方も憎いくらいに分かっていらっしゃることとは思いますが)

 「憎いくらい」?というのはちょっと解りませんが(笑)。
 もちろん、まだ、明らかになっていない点が多々存在することは事実です。
 何度か述べたとおり、問題としているのはその手法です。



>そうであれば、このまま終わりのない論争は不毛としか思えません。

 私は、南京事件の論争が、有用であるとは思っていません。
 多くの議論が不毛であるとも思っています。
 しかし、自分の考えている「事実」と違うことが述べられていれば、反論する必要を感じるのは当然のことだと思います。



>よろしければK-Kさん、とほほさん、ゆうさん、達の考えている解決策を教
>えてもらえないでしょうか?宜しくお願いします。

 いったい、kkkさんは、何を、何の為に解決したいのでしょうか?
 事実を明らかにするためですか?
 地域の協調を保つためですか?

 私は、解決策など持っていませんし、何か政治的な問題を解決しようとは思いません。

K-K - 02/03/11 15:03:53
電子メールアドレス:返信:kkkさん その3


コメント:
>ですからそのために用いる明確な証拠では?ということです。
>ほぼ同義とは思いますが

 同義ではありません。
 kkkさんは「反論の根拠となる明確な証拠」と言っています。つまり、証拠の提示を求めているわけですよね?
 とほほさんの言っている意味は、「反する事実を証明する」という行為をさしているのだと思います。



>ではお聞きしますが、なぜ十分証明されているのにわざわざニセ写真や過
>った主張をする必要があるのでしょうか?私はこの点が理解できないのです。
>そして、罪は確立しているのだからと、このような虚偽をあなた方は何の問
>題もないといえることができますか?わたしにはできませんが。

 申し訳なのですが、具体的に仰っていただけませんか?
 誰が「わざわざニセ写真や過った主張をする」のですか?(この「過った主張」とは、「誤った中国の主張」ということだと思います)

 例えば、笠原氏は岩波新書「南京事件」の中で、写真を誤用したことは有名な話ですが、これは「わざわざ」ではありませんでした。誤用を指摘されてすぐに、差し替えたことからもそのことは判断できるでしょう。

 「誤った主張」については、以前、渡辺さんが以下のような指摘しています。このことも、具体的にする必要があると思います。

渡辺さん 『Re:写真問題』
------- 引 用 -------
kkkさん、
渡辺ともうします。
投稿の論旨がよくわからないところがあるのですが、「南京事件の虚偽報告」とは、具体的に何という「報告書」なのでしょうか、教えていただけませんか。
------------------------




>このようなものを用いた学者もいたと思いますよ。
>一人もいないのでしょうか?

 具体的に論じていけば、お互い納得のいく結論がでるのではないかと思います。

K-K - 02/03/11 15:03:00
電子メールアドレス:返信:kkkさん その2


コメント:
>「だけ」とはいっていません。多々あると言っているのです。
>特にそれは戦後処理の場合に多くあったようです。
>戦勝国は自国に都合のよいことを前面的に史実として残し、汚点は消し
>去るという行為を当然視していました。よって「歴史、特に戦争史とい
>うのは戦勝国の半フィクション物語である」(ブローデル)、というの
>です。

 kkkさんは、この様に書きました。

>現在伝わっている歴史というのは、古代史から近現代史に至るまで統治者の
>都合に合わせてつくられた、真実とは違う出来事の変遷だということです。

 私が訊きたかったのは、現代の歴史学が、ここで書かれている様な「歴史」を、評価もせずに羅列しているのか?ということです。それは、今回あげられて戦後の歴史に対しても同じ事が言えるでしょう。歴史学とは、与えられた歴史をだた羅列しているだけなのか?
 今回のお答えは、このことについて触れていないように思われます。



>統治者とは誰のことなんですか?

 今で言えば、国家でしょう。



>これはボブズボームの言葉を借りてきたのですが、そうでしょうか?
>統治者による資料の選択はよくあったようですよ。

 私が書いたのは、統治者の創り出した歴史についてではありません。現代歴史学の手法です。



>ウェーバーによれば、『特定の歴史的事実(国家的価値判断)は各個人の
>価値判断に基づくものであって、「客観的な正しさ」などというものは持
>ち込まれない。
>この価値判断自体が客観的な根拠をもつからだ。実践的な面においては,
>個人の人格に「聖」なる<価値>を認め,運命を選び取る主体的な決断を
>称揚する。
>この客観性は具体的には歴史家の研究の成果が社会的な共感を呼び起こす
>ということのうちにしめされる』
>このようにウェーバーは歴史認識が一面的主観的であり、その主観性のな
>かには個人(歴史家)の価値判断が多分に含まれていると言っている。
>そして歴史家による価値判断には政治的な要素と結びつき利用される事が
>少なからずあったというのだ。

 これも、誤解があるようです。
 前回、私が書いたとおり、歴史学者個人の価値判断が、歴史学的手法の中にも入ることは当然だと思っています。ですから、私はそれを「客観的」だと主張するつもりはありません。

 ところで、この「政治的な要素と結びつき利用される事が少なからずあった」という中の「利用される」とは、誰に「利用される」のですか?



>例えば、天皇の絶対性を基礎づけるための「万世一系」やイギリスのテュー
>ダー朝を絶対のものとするためのアーサー王伝説、
>ヒトラーのアーリア人優秀論、などなど歴史的認識は史料の恣意的な選択
>によってその当時の統治者に委ねられてきました。

 それは、現代の歴史学的手法の結果とは思えませんが。



>あなたのいうように『統治者に歴史を委ねては、現代歴史学とは言えないで
>しょう。
>結局それは、「統治者の都合に合わせてつくられた」歴史でしかありません』
>というのは最もよい理想ですが、それはあくまで理想に過ぎず、現実には不
>可能だといわれます。
>タイムマシーンでもできて過去を覗ければ別でしょうが、それは夢物語であ
>り、現実の歴史学というのは純粋な科学とは一線を画すものなのです。

 現代歴史学が、結局のところ、「「統治者の都合に合わせてつくられた」歴史」でしかない、という意味ですか?
 また、タイムマシーンが存在しないことと、歴史学が純粋な科学ではないということの関係性がよく理解できません。 



>歴史は歴史家がいればその数だけ歴史があり、そこに絶対真実の一つの歴史
>などは存在しないということです。

 「一つの歴史」を必要とする理由は何ですか?
 私は、歴史家ごとに歴史が存在するのは当然だと思います。



>近い例で言えばゴッドハンドの自作自演では歴史的事実が一夜で覆りましたね。

 これは、良い例えだと思います。
 批判されるべきは、歴史学上の結論ではなく、その科学的正確さだといえるでしょう。うそや欺瞞によりなされた研究が、非難されるのは当然です。ゆうさんや渡辺さんの投稿を見れば判るとは思いますが、批判の対象となっているものの多くは、その歴史学的手法です。





>「前面」の間違いです。すみません。
>つまり戦時、戦後の史料、とくにそれが復讐(賠償)などに基づかれたような
>大きく偏見のあるもの(なかにはないものもあるでしょうが)には多分に主観
>性が混じっていて、
>そこには事実と乖離したものも多く含まれやすいといわれるため、それがいく
>ら一次史料だからといって疑いもなく根拠にすることは危険があるということ
>です。

 これは、資料の読み方が間違っていると思います。
 確かに、歴史の考証の中で「一次資料」が重要とされますが、それは、「一次資料」を盲信することとは意味が違います。一次資料というのは、その当時記されたものを指すと思いますが、それはただ、当時の記されたものであって、その内容が正しい事実を記しているとは限りません。
 例えば日記などは、身近に起こったことや、執筆者が把握した情報が記されるわけですから、内容的に「何らかの意図」が含まれる、ということはありえません。この意味では、資料の価値として高いことは言うまでもありません。しかし、それはあくまでも執筆者の認識の中でのことであり、執筆者に正しい情報が伝わったということではありません。
 ですから、歴史を考証するうえで、「一次資料」だという理由で「疑いもなく根拠にすること」はありえません。



>言ったように私は歴史は真実とは思っていません。
>ここでいう真実とはタイムマシーンで過去に行って見るような絶対的な真
>実を指し、そのようなものはわかり得る分けがなく、解決などできないで
>しょうという皮肉です。

 何を解決するつもりなのかがよく解りません。

K-K - 02/03/11 15:01:05
電子メールアドレス:返信:kkkさん その1


コメント:
>「裁判」とは捜査から判決までの一連の流れを指すのであって、弁護
>士、警察、検察全ての行動を包括的に表したものです。DNA鑑定、
>ポリグラフ検査、などの科学的捜査を駆使して真実を暴いていきます
>。国語辞典なんかでは載っていませんよ。

 そうですか?
 私は、裁判とは、裁判所内で行われる事象のことかと思っていますが?
 警察の捜査までが「裁判」というのはおかしいでしょう?
 警察が捜査して、検察が起訴して、裁判で判決をくだす。弁護士は容疑者の権利を擁護する。普通はこの様に解釈すると思うのですが、何が違うのでしょうか?

 私が国語辞典から引用したのは、言葉の基本的意味を提示するためです。その基本的な意味のなかには、kkkさんの仰っている意味はない、ということです。



>その歴史学的手法に基づいた事実(と認識しているもの)を好き勝手
>に言っているというのです。好き勝手という表現がまずかったですね。
>しかし、少なくとも私にはそうみえるのです。これは主観の問題ですね。

 やはり、意図を把握しかねます。
 学術的手法に基づいた結論を表明することは、学者として当然だと思いますが、kkkさんにはこれが「好き勝手に言っている」ことになるのでしょうか?

kkk - 02/03/11 12:33:35
電子メールアドレス:>ゆうさんへ


コメント:
>私は、東中野氏に対して、「一事」のみから演繹して「万事」を否定しているわけではありません。私の過去投稿を無視して、「問題を熟慮せぬまま結論を先走って出してしまうという危険性」などを指摘されるのは、全く「余計なお世話」としか言いようがないのですが・・・。「南京事件」に限らず、私は、掲示板への投稿に関しては、「熟慮」しないで「結論」を出したことはありません。

別に私はあなたの努力の成果を否定しているつもりはございません。素晴らしいと思っております。
ただ、私がいいたいのはそのような論理法を用いると逆用される危険性もあるということをいいたかったのです。
何度もいうようにあなたの研究成果云々ではなくて、「論理法学的」にです

>「例え話」の趣旨は、「ニセ写真問題と「南京事件」そのものの存在とは何の関係もない」の一点でした。

ゆうさんは私が別のところで反応したとか書かれていましたが、はたして本当に「別」のところでしょうか?
私はあなたに「一事が万事ということなら、南京事件にもあてはまりますよ」と質問したところ、ゆうさんは例の「大震災の例え」を持ち出してきました。
しかし私は「その例えでは例えになっていないから納得できない、」といったのです。
客観的に判断してください。本当に関係のないことでしょうか?私は直接関係していると思いますが。どこをどう考えて関係のないところとおっしゃったのか指摘してもらえないでしょうか?

>>(kkkさん)誰も否定するとは言っていません。
ただ、疑いようがあるといっているわけです。

>この答えにはちょっと驚きました。

>kkkさんは、「中国側のニセ写真」問題を材料に、お二人の研究成果を「疑いようが
ある」と、主張するわけですね?

驚いたのはこちらもです。
誰もニセ写真をもって疑いようがあるとは言っておりません。
何度も言っているように、歴史学的事実には真実と乖離したところが多くあるということから、判断したのです。もう少しこちらの認識をご理解していただきたいのですが。
私はニセ写真にはそれほど留意しておりません。

>>ではお聞きしますが、なぜ十分証明されているのにわざわざニセ写真や過った主張をする必要があるのでしょうか?私はこの点が理解できないのです。

>私にも理解できません(笑)。
>ただ言えるのは、同じ「否定論」といっても、結構幅があることです。

一番肝心の所を勘違いしておられます。
主語が全く違いますよ。「なぜニセ写真や、謝った主張をする必要があるのか?」の主語は中国側です。中国は南京事件があったということは事実として認識しているわけですよね?だったらなぜ、その事実をありのまま事実として報告せずに、わざわざ虚偽の報告をする必要があるのですか?と聞いたのです。事実であればそのままの事実を報告すればよいまでのことで、嘘をつく必要はないのです。これが裁判であれば、偽証罪となり大変なことになるからです。

主語を勘違いされると私の質問が真反対になってしまいます。
主語を中国に置き換えて意見をお聞かせください。

ゆう - 02/03/11 06:58:23
電子メールアドレス:カゼも直ったので・・・


コメント:
>一事が万事という言葉は非常に便利で、使い勝手がいいためよく用いられますが、しかし、そこには問題を熟慮せぬまま結論を先走って出してしまうという危険性があるのです。
あまり簡単に用いるものではないと思います。

もともと私は、「事実認定」に慎重な性質(たち)です。自分なりに100%の自信ができるまでは、決して「断定」は行いません。私が誰かに対して「トンデモ」という表現を使ったのは、(素面の時には)おそらく東中野氏に対するものが初めてだと思います。

前にも書いた通り、私は、一ヶ月ほどかけて、氏の著作の主要部分をそのままパソコンに書き写し、「引用元」と一件一件照合する、という作業を行っています。

その過程で、数多くの「トリック」を発見しました。過去投稿したものは、そのうち、おそらくは東中野氏のエピゴーネンですら認めざるをえないような、明々白々な「トンデモ」だけです。私の方でちょっとでも「断定」の自信がないもの、立場によってわずかでも議論の余地がありそうなもの(あと、あまり「読者受け」しそうもない細かいもの)は、すべて省いています。

少なくとも、「思いつき」、あるいは「他人の尻馬に乗って」、東中野氏を「トンデモ」と断定したのでないことは、ご理解ください。


私は、東中野氏に対して、「一事」のみから演繹して「万事」を否定しているわけではありません。私の過去投稿を無視して、「問題を熟慮せぬまま結論を先走って出してしまうという危険性」などを指摘されるのは、全く「余計なお世話」としか言いようがないのですが・・・。「南京事件」に限らず、私は、掲示板への投稿に関しては、「熟慮」しないで「結論」を出したことはありません。



>例え話をしてきたのはゆうさんの方であって、私はそれはちょっと違うんじゃないのか、と反射的に反応しただけですが? 原因は私にあるのでしょうか? このようなことを言われるのは心外ですね。(笑  

「例え話」の趣旨は、「ニセ写真問題と「南京事件」そのものの存在とは何の関係もない」の一点でした。

続くKKKさんの発言を見ると、どうもまだそのことをご理解いただいていないようなので、次でもう一度「質問」することにしましょう。



(ゆう)日本には、笠原氏、秦氏という、立派な研究成果を残している方がいらっしゃいます。お二人の「研究成果」を、「中国側のニセ写真」問題でもって、否定することはできますか?

(kkkさん)誰も否定するとは言っていません。
ただ、疑いようがあるといっているわけです。


この答えにはちょっと驚きました。

私は、「ニセ写真問題」と、笠原・秦両氏の研究内容とは、全く関係ないと思っています。(といいますか、この「考え」が常識でしょう)

kkkさんは、「中国側のニセ写真」問題を材料に、お二人の研究成果を「疑いようがある」と、主張するわけですね?

それでは、具体的に指摘して下さい。「中国側のニセ写真」は、笠原氏・秦氏の研究の、どの部分にどのような「影響」を与えますか?



>あくまで、中道で判断したいのです。
どちらかの立場に立つとステレオタイプになってしまい、正確な判断ができなくなりますからね。

それで結構だと思います。

私も、何かの「問題」を判断する時には、いったん自分の「政治的立場」を忘れようと努力します。

具体的には、自分の「政治的立場」と対立する意見を、まず優先的に調査します。

そして、双方の意見を比較検討しながら、ゆっくりと「自分の意見」をつくっていきます。

その結果、私本来の「政治的立場」から演繹されるべき「意見」とは、全く違う「意見」が出来上がってしまうことも、しばしばです。(「ヤフー掲示板」でも鋭い人に指摘されてしまいましたが、だから私は、絶対に特定の政党には参加できません(笑))


・・・ちょっと気になっているのですが、これまでのkkkさんの書込みは、ずっと「一般論」に終始しており、具体的な記述がありませんね?

「中道で判断」する、という一般論はそれで結構なのですが、具体的には、どこまでの「判断」を行っているのでしょうか?

例えば、東中野氏でも秦氏でも笠原氏でも結構なのですが、それぞれの著作のどの部分に同意し、どの部分に反発していますか? 

このような掲示板で「実り」を生むためには、そんな「具体論」こそが最も必要なものである、と私は考えています。(例えば、渡辺さんの私に対するコメントのように。このようなご指摘でしたら、私もおおいに勉強になりますし、また「研究」を進める意欲も湧いてきます・・・これに対するコメントは、またのちほど)



「時間切れ」ですので、もう一つだけ。

>ではお聞きしますが、なぜ十分証明されているのにわざわざニセ写真や過った主張をする必要があるのでしょうか?私はこの点が理解できないのです。

私にも理解できません(笑)。

ただ言えるのは、同じ「否定論」といっても、結構幅があることです。

例えば、東中野氏や田中正明氏のそれは、もはや「アジビラ」レベルです。「事実が何か」よりも、「どのような事実が政治的に都合がいいか」をもとに議論を進めている、としか私には思えないのです。

一方、板倉由明氏、畝本正己氏あたりになりますと、同じ「否定論」でも、なかなか真面目な議論です。(他の方からは異論が出そうですが・・・)

「ニセ写真(でもって既存の「肯定諭」までついでに否定しようとする議論)や(意図的な)誤った主張をする」のは前者の方々のみである、という「事実」だけは指摘しておきましょう。

渡辺 - 02/03/11 03:21:45
電子メールアドレス:Re:幕府山事件


コメント:
ゆうさん:>
>基礎資料となるのは、「南京戦史」グループからすら「他の一次資料に裏付けされないと、参考資料としての価値しかない」
>と酷評される「両角手記」。当然、東中野氏は、「他の一次資料」での「裏付け」など一切やらず、「両角手記」をバイブルの
>ごとく無謬のものと捉えて、全く無批判に使用しています。

>「幕府山事件」自体を論じるのは本稿の目的ではありませんので、例によって、東中野氏の資料検証のいいかげんな部
>分、トリックに絞って、取り上げることにします。

まず、「山田栴二(せんじ)日記」に関するトリックを補足します。
----
付近の村落は清野作戦のため「皆敵ノ為ニ焼カレ」ていた。そこで山田旅団長は、上元門(幕府山麓)郊外に発見された学校に武装解除後の投降兵を収用した。(P128)
----

まず、問題なのは『「皆敵ノ為ニ焼カレ」ていた』ので、「上元門(幕府山麓)郊外に発見された学校に武装解除後の投降兵を収用した」としているところです。
日記では先遣隊が幕府山を占領した。「近郊ノ文化住宅、村落等皆敵ノ為ニ焼カレタリ」と続いており、次行の「捕虜ノ始末ニ困リ...学校ニ収用セシ所」とは関係がありません。
まさか「近郊ノ文化住宅」に捕虜を収容しようとしたわけではないでしょう。

しかも、翌15日には
-----
捕虜ノ始末其他ニテ本間騎兵少尉ヲ南京ニ派遣シ連絡ス
皆殺セトノコトナリ
[偕行社「南京戦史資料集?供?331]
----
と、もう「殺せ」という命令がありました。東中野氏はすぐにはこの記事には触れず「非戦闘員は開放された」と根拠もなく記述し、また、食料がないことをまず印象付けておく。
続いて「皆殺セトノコトナリ」というわずかの記述に2頁もさいて、結局『山田隊長が「殺セ」という命令をどう受け止めていたか、わずか三行の記述だけでは何ともいえない』(P132)と当たり前のことを書いています。
2頁を割くまでもなく、捕虜を得た翌日には「殺せ」という命令があったということは明確に書かれています。
「命令」があったということは「組織的」だったということなのです。(P134参照)

>要するに、「暗い時の出火」を主張するのは、両角手記のみ。残りはすべて、「正午頃」で一致です。

この件については、唐光譜「私が経験した日本軍の南京大虐殺」(「南京事件資料集 2中国関係資料編」P251)に、同じ場所と思われるところで、5日目の夜に誰かが竹の小屋を燃やしたので、一斉に外へ飛び出たという記事が一応あります。
ただ、20年以上たってからの回想で、従軍日記とは異なるところもあり、日時や因果関係に記憶違いがある可能性があります。

>「陣中日記」には、「南京から逃げてきた非戦闘員の市民も混じっていた」記述は、一切ありません。陣中日記は、一万三千人とも一万五千人ともいわれる捕虜は、すべて「兵」である、との認識で一致しています。

多分、下記の記述などを元にしているのではないでしょうか。私は民間人も混じってはいたと思いますが、従軍日記に「南京から逃げてきた非戦闘員の市民も混じっていた」という記述はありません。
-----
拾二月拾六日
<途中省略>
山となって居ル死人ノ上をアガツテ突刺ス気持ハ鬼ヲモヒ丶[シ]ガン勇気ガ出テ力一ぱいニ突刺シタリ、ウーンウーントウメク支那兵ノ声、<u>年寄モ居レバ子供モ居ル</u>、一人残ラズ殺ス、刀ヲ借リテ首ヲモ切ツテ見タ、コンナ事ハ今マデ中ニナイ珍ラシイ出来事でアツタ、<以下省略>
[小野賢二他「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」(大月書店,1997年)P350-351]
-----

下記に両角手記に対する私の見解を投降しました。

渡辺 - 02/03/11 03:10:09
電子メールアドレス:両角業作手記の問題点


コメント:
昨年の5月頃、「そよか板」に投降した「両角業作手記の問題点」をこちらにも掲載いたします。
しかし、「両角業作手記」の内容や現場のおおざっぱな地理に不案内な方には、何のことかよくわからないと思います。

(1)事件の場所
田山大隊長に次のように指示したとしている。
「十七日に逃げ残りの捕虜全員を幕府山北側の揚子江南岸に集合せしめ、夜陰に乗じて舟にて北岸に送り、開放せよ..」[「南京戦史資料集?供廖偏鷙埃辧?340]

「幕府山北側の揚子江南岸」は、「大湾子」でこの位置は他の証言と一致する。「大湾子」の位置はすでに明らかとなっており、洞他「南京大虐殺の現場へ」(朝日新聞社,1991年)P153に地図で示されている。
「幕府山北側の揚子江南岸」の向かい側は揚子江北岸ではない。幅約200mほどの支流を隔て八卦洲という大きな中洲がある。
そこからは「舟にて北岸に送」ることはできないし、「長江の中流まで」行くこともできない。すなわち、両角氏は現場を見ていないので想像で書いている。

(2)周辺の状況
では、現場がもう少し上流で、八卦洲南端近くの上元門付近(幕府山のほぼ西側)と仮定したらどうなるか。
ここからなら「北岸」に行けそうだ。しかし、両角氏は海軍のことをすっかり忘れている。
揚子江はすでに海軍に完全に制圧されており残敵掃討と掃海を揚子江で行っていた。夜陰にまぎれ日章旗もかかげず、日本兵が引率しない中国人を満載した舟が揚子江を渡れる状況ではない。
さらに、対岸の状況についても認識をあやまっている。
「長江の中流まで行ったところ、前岸に警備しておった支那兵が、日本の渡河攻撃とばかりに発砲したので」とある。
「前岸」はすでに渡河した国崎支隊が占領した浦口の近傍で、もしそこに中国軍がいれば「渡河攻撃」にかまっていられるような状態ではなかった。
すなわち、両角氏がこの「手記」を書いたときには、すでに周辺状況を忘れているために海軍の存在や対岸の状況を無視している。

(3)その他の問題点
「捕虜」が火事で「少なくとも四千人ぐらいは逃げ去ったと思われる」のに、警備の兵が「恐らく千数十人」にもかかわらず「上司」に報告しなかったという。
十七日は入場式で松井大将が南京に滞在する重要な日である。捕虜の「処置」の「督促」があった(つまり命令があった)のに、「少なくとも四千人」の脱走を許した上に(抗命してまで)捕虜を開放しようとしたという。
いくら当時の軍紀が弛緩していたとはいえ、この記述を事実とはしがたい。

結局、両角証言はいくつかの事実と伝聞を自分の想像でつなぎ合わせたものであり、この証言を支持する証拠もない。

一方、小野賢二他「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」(大月書店)は関係した兵士が書いた当時の日記を収集したもので、一部は日記本文の写真も掲載されている。
「栗原証言」は現場にいた体験者の証言で地図も正しい。偕行社「南京戦史資料集?供廚坊悩椶気譴拭峭啌だ怯卞?記」P345の12月17日の記述、台湾で発見された「還俗記」の記事と状況が一致するなど、捕虜大量虐殺の証拠はしっかりしている。

これでも、「両角業作手記」が事実を語っているといえるであろうか?

kkk - 02/03/10 21:58:29
電子メールアドレス:総括


コメント:
私の考えを整理しておきますと、まず私は裁判においてそこで全て真実が出る、などと傲慢なことは言っておりません。
裁判で真実が追求され、結果が出るのは、「適法な証拠調べを経て、自然的関連性、法律的関連性の証拠能力のある証拠によって厳格に証明され、そこに合理的な疑念、矛盾が相容れない程度に高度の毅然性のある確信が得られた場合」という証拠裁判主義に基づいたときのみです。

「裁判でも真実は追求される」、ということを持ち出したのは、とほほさんが「裁判とは真実を追究する場所ではない」ということへのアンチテーゼとして言及しただけです。(裁判にはこのような機能もあるということを知っていただくためです)

前述したように裁判で真実が出るのは疑いようのない厳格な証拠に基づかれた場合のみです。歴史学における事実は前に述べたように絶対的な真実とは言えません。
確実な証拠と言えないのですからそれを根拠に裁判で真実を追究する、などとは毛頭思っていません。

ですから、その代替的なものとして、「統合的交渉モデル・法的交渉」をもちだしたのであります。これはつまり歴史的事実とされるものを両国の一般市民、歴史家、政治家、オピニオンリーダー、などにより参審制、陪審制などを通じて、了解のパレート最適を見いだし、その際には他国の裁定者を使って交渉をスムーズに行うという裁判形式というものでした。いわば、「妥協」です。この方法では納得できない部分があろうとは思いますが、もっとも民主的かつ合理的なやり方だと思っています。

私がいつも疑問に思っているのは肯定派、否定派の方たちは一体何を目指しているのかということです。双方とも本当に解決を望んでいるのでしょうか?
私が最も聞きたいことは「あなた方は何を目指し、何を望んでいますか?」
否定論者を完膚無きまでに論破して、事件の確立を望んでいるのですか?私はこれは不可能だと思っているのですが。それは肯定論のなかにも疑われるべき事象が全くないことはない、ということから否定論が根絶することはどうしても考えられないと思われます。(それはあなた方も憎いくらいに分かっていらっしゃることとは思いますが)
そうであれば、このまま終わりのない論争は不毛としか思えません。

よろしければK-Kさん、とほほさん、ゆうさん、達の考えている解決策を教えてもらえないでしょうか?宜しくお願いします。

kkk - 02/03/10 21:57:36
電子メールアドレス:>k-kさんへ(3)


コメント:
>とほほさんが言っている「反証」とは、「一切の証言を拒否した場合(つまり検察だけの主張で)」と書いているように、「身に覚えにない罪で起訴された」ことに対して反する事実を証明することだと思います。

ですからそのために用いる明確な証拠では?ということです。ほぼ同義とは思いますが

>南京事件で言われる「あった」「なかった」というのは、現在では、「数が多かった」「数が少なかった」という意味です。すでに、「あった」「なかった」という議論には決着がついてます。否定論の主張する「なかった」とは、「数が少ない」=「大虐殺ではない」=「なかった」というものです。

そのように認識しております。

>これは、ゆうさんの言っている意味を誤解しているのだと思われます。ゆうさんの発言の主旨は、すでに別の根拠・別の資料により南京事件の証明が十分為されている以上、その研究とは関係のない「ニセ写真」や「中国の主張の誤り」などが存在しても、南京事件の証明に影響はないだろう、ということでしょう。

ではお聞きしますが、なぜ十分証明されているのにわざわざニセ写真や過った主張をする必要があるのでしょうか?私はこの点が理解できないのです。
そして、罪は確立しているのだからと、このような虚偽をあなた方は何の問題もないといえることができますか?わたしにはできませんが。

>「中国の誤った主張」や「ニセ写真」をえん罪だと非難するのは構いません。しかし、それと、各学者の研究とどう繋がりがあるというのかをはっきり説明しなければ、「えん罪である」等の発言が「冷静な物事の見方」であるとはいえないでしょう。

このようなものを用いた学者もいたと思いますよ。
一人もいないのでしょうか?

kkk - 02/03/10 21:55:23
電子メールアドレス:>k-kさんへ(2)


コメント:
>果たして現在の歴史学で証明されていることは、「統治者の都合に合わせてつくられた」歴史を、ただ羅列しているだけのものでしょうか?

「だけ」とはいっていません。多々あると言っているのです。
特にそれは戦後処理の場合に多くあったようです。
戦勝国は自国に都合のよいことを前面的に史実として残し、汚点は消し去るという行為を当然視していました。よって「歴史、特に戦争史というのは戦勝国の半フィクション物語である」(ブローデル)、というのです。

>現在の歴史学とは、「統治者」から歴史を取り戻すことに意義があるのではないかと思います。

いい言葉ですね。賛成です。

>逆に言えば、「統治者」にすり寄っている「歴史」が、如何に反現代的であるかは例の教科書などを見れば明らかでしょう。

統治者とは誰のことなんですか?

>しかし、だからといって「史料の選択が恣意的におこなわれる」わけではありません。つまり、「歴史学は政治とは無縁ではいられない」証明として、この事例を出すことは不適当でしょう。

これはボブズボームの言葉を借りてきたのですが、そうでしょうか?
統治者による資料の選択はよくあったようですよ。

>個人的な「価値判断」と、国家・地域の「価値判断」と混同しているように思えます。
個人的価値判断の中に、国家・地域の価値判断が含まれていることは当然ですが、
それが国家・地域の「価値判断」とは違うことは言うまでもないでしょう。

ウェーバーによれば、『特定の歴史的事実(国家的価値判断)は各個人の価値判断に基づくものであって、「客観的な正しさ」などというものは持ち込まれない。
この価値判断自体が客観的な根拠をもつからだ。実践的な面においては,
個人の人格に「聖」なる<価値>を認め,運命を選び取る主体的な決断を称揚する。
この客観性は具体的には歴史家の研究の成果が社会的な共感を呼び起こすということのうちにしめされる』
このようにウェーバーは歴史認識が一面的主観的であり、その主観性のなかには個人(歴史家)の価値判断が多分に含まれていると言っている。
そして歴史家による価値判断には政治的な要素と結びつき利用される事が少なからずあったというのだ。
例えば、天皇の絶対性を基礎づけるための「万世一系」やイギリスのテューダー朝を絶対のものとするためのアーサー王伝説、
ヒトラーのアーリア人優秀論、などなど歴史的認識は史料の恣意的な選択によってその当時の統治者に委ねられてきました。

あなたのいうように『統治者に歴史を委ねては、現代歴史学とは言えないでしょう。
結局それは、「統治者の都合に合わせてつくられた」歴史でしかありません』
というのは最もよい理想ですが、それはあくまで理想に過ぎず、現実には不可能だといわれます。
タイムマシーンでもできて過去を覗ければ別でしょうが、それは夢物語であり、現実の歴史学というのは純粋な科学とは一線を画すものなのです。
歴史は歴史家がいればその数だけ歴史があり、そこに絶対真実の一つの歴史などは存在しないということです。
近い例で言えばゴッドハンドの自作自演では歴史的事実が一夜で覆りましたね。

>「何の」全面に「出る」のですか?
 そして、それは何のためすか?

「前面」の間違いです。すみません。
つまり戦時、戦後の史料、とくにそれが復讐(賠償)などに基づかれたような大きく偏見のあるもの(なかにはないものもあるでしょうが)には多分に主観性が混じっていて、
そこには事実と乖離したものも多く含まれやすいといわれるため、それがいくら一次史料だからといって疑いもなく根拠にすることは危険があるということです。

>kkkさんの仰る「真実」とは何をさしていますか?
 そして、何を「解決」するつもりですか?

言ったように私は歴史は真実とは思っていません。
ここでいう真実とはタイムマシーンで過去に行って見るような絶対的な真実を指し、そのようなものはわかり得る分けがなく、解決などできないでしょうという皮肉です。

>>だからといって、もう一度裁判をするのか?といってもそれも不可能です。
>>だったらどうするのか。

> この意味が解りません。
一体、誰を被告にする裁判をするつもりなのでしょう?

日本を被告に中国を被害者にしたものと読みとってください。

kkk - 02/03/10 21:53:03
電子メールアドレス:>K-Kさんへ(1)


コメント:
>検察の仕事は、犯罪を立証することであり、弁護士の仕事は被告の利益を守ることです。この北陸クリニックの事件でいうならば、検察は、被告が点滴に筋弛緩剤を入れて患者を殺害しようとしたことを証明しようとしているのであり、弁護側は、この被告が筋弛緩剤を入れていないことを証明しようとしているわけです。この時点で、「真実を追究」しているのはこの2者でしかなく、裁判所も裁判官も真実を追究しているわけではありません。判事は与えられてこの2つの証明について、どちらが合理的証明であり、真実を証明しているのかを判断するのだと思います。

「裁判」とは捜査から判決までの一連の流れを指すのであって、弁護士、警察、検察全ての行動を包括的に表したものです。DNA鑑定、ポリグラフ検査、などの科学的捜査を駆使して真実を暴いていきます。国語辞典なんかでは載っていませんよ。

>否定論者も肯定論者も各々、「好き勝手」に有った、無かったと言っているとは思いません。各々、歴史学的手法により「有ったこと」「無かったこと」を証明しているわけであり、各々の論の「勝手に言っている」とは思えません。ただし、場合によってはそうではないこともありますが、歴史学的手法に立つ、というのは議論の前提であることは当然でしょう。
 具体的に「好き勝手言ってる」状況を説明していただけませんか?

その歴史学的手法に基づいた事実(と認識しているもの)を好き勝手に言っているというのです。好き勝手という表現がまずかったですね。しかし、少なくとも私にはそうみえるのです。これは主観の問題ですね。

>>裁判形式の意味が、私には理解できません。具体的に教えてください。

裁判形式とは何も被告、原告、裁判官という構図のみを指すものではありません。
後で説明します。

kkk - 02/03/10 21:51:31
電子メールアドレス:>


コメント:
[一事が万事」・・私はこの言葉に疑問を持ったからゆうさんに問題提起をしたのであります。

つまり、ゆうさんが東中野氏の論理を否定するために、この言葉を用いるのは不的確ではないのか、思ったからです。一事が万事という論理法を用いるのは構いませんが、この言葉は「論理法的にいえば」、南京事件にも十分当てはまってしまうということです。ニセ写真がどうのこうのというのではなく、論理法的にです。ニセ写真はあくまで一つのファクターとして用いただけです。別に固執していっているわけではありません。

一事が万事という言葉は非常に便利で、使い勝手がいいためよく用いられますが、しかし、そこには問題を熟慮せぬまま結論を先走って出してしまうという危険性があるのです。
あまり簡単に用いるものではないと思います。

>しかし、どういうわけかこの論と関係ないところで「反応」されてしまい、ちょっと首を捻っていたところでした。

例え話をしてきたのはゆうさんの方であって、私はそれはちょっと違うんじゃないのか、と反射的に反応しただけですが? 原因は私にあるのでしょうか? このようなことを言われるのは心外ですね。(笑  

>「日本には、笠原氏、秦氏という、立派な研究成果を残している方がいらっしゃいます。お二人の「研究成果」を、「中国側のニセ写真」問題でもって、否定することはできますか? 」

誰も否定するとは言っていません。
ただ、疑いようがあるといっているわけです。
私は東中野氏を支持するのでも、笠原、秦氏を支持するのでもありません。
あくまで、中道で判断したいのです。
どちらかの立場に立つとステレオタイプになってしまい、正確な判断ができなくなりますからね。

とほほ - 02/03/10 11:10:16
ホームページアドレス:http://web.archive.org/web/20070315064328/http://www.ddt.or.jp/~tohoho/
電子メールアドレス:とほほ の過去ログより


コメント:
そうでないとバランスが崩れているか否かなどあなたに論評が可能なわけがない。
例えばここに「ある一つの事実がある」という確固とした現象が存在したとします、それに対して「ない」と言う論理を立てることは論理上可能なのです。だからといってその二つの立場のバランスを取ったものが正解と言う事には決してならないのです。

ここに擬似科学たる誤謬が潜んでいるんです。「ない」と言う論理が一方の立場として存在するには観測された事実が必要なのです。

つまり、正論の対極にでたらめを起きそれを一方の立場として主張しその真中が正しいと言う論理は成り立たないのです。

∥>と思います。ただ、この件は、「日韓基本条約」という、国家間の条約で既に決着している
∥>のではないですか?

都合の良い解釈ばかりしていると自分で自分の論理に追い詰められてしまいますよ、米国もそう言う意味では日系人の問題は決着は就いていたのです。

ゆう - 02/03/10 11:06:12
電子メールアドレス:幕府山事件


コメント:
今度は、「幕府山事件」の記述について、「南京虐殺の徹底検証」と「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」の照合を行いました。


そもそも、東中野氏の記述自体、ちょっととんでもない代物です。

基礎資料となるのは、「南京戦史」グループからすら「他の一次資料に裏付けされないと、参考資料としての価値しかない」と酷評される「両角手記」。当然、東中野氏は、「他の一次資料」での「裏付け」など一切やらず、「両角手記」をバイブルのごとく無謬のものと捉えて、全く無批判に使用しています。

「幕府山事件」自体を論じるのは本稿の目的ではありませんので、例によって、東中野氏の資料検証のいいかげんな部分、トリックに絞って、取り上げることにします。


まず、「両角手記」をめぐって、大きな争点となっている「火災の時間」。まず、東中野氏の記述を紹介します。

<この放火事件は、「第十三師団山田支隊兵士の陣中日記」の筆者十九名中、四人が陣中日記に記す。
ただ、出火の時間となると、一致しない。四人のうち三人は十六日正午頃と記し、残る一名は「夕方二万の捕虜が火災を起し」と記す。両角連隊長の手記も暗い時の出火であったと記す。出火時間は、各人まちまちの記録であった。ともあれ、放火を十六日の出来事とする点では一致する。>(P132~133)

これだけ読んでも、ちょっと、あれ、と思います。「出火時間は、各人まちまちの記録」とありますが、少なくとも「四人のうち三人」は「十六日正午頃」と記しているはずです。

さて、残る一名の「夕方二万の捕虜が火災を起し」との記述ですが・・・。

これは、このHPにも掲載されている、「近藤栄四郎出征日誌」からの引用です。HPからコピペします。
<夕方二万の捕慮(虜)が火災を起し警戒に行った中隊の兵の交代に行く>

「夕方」は、明らかに「兵の交代に行く」に係ります。すなわち「近藤日誌」には、「出火時間」のことなど、何も書かれていません。

要するに、「暗い時の出火」を主張するのは、両角手記のみ。残りはすべて、「正午頃」で一致です。

・・・東中野教授は、「出火時間の記録がまちまちだから、両角手記にもそれなりの信頼性がある」とのイメージをつくりあげようとしていますが、「両角手記」だけが他と違うのでは、どうしようもありませんね。



他の突っ込みどころ。

<収容された投降兵は、これが兵士かと思われるくらい、「服装も種々雑多」であった。しかも注意して見ると、南京から逃げてきた非戦闘員の市民も混じっていた。さらに注意して見ると、女兵士、老兵、少年兵までが混在していた。何も知らない十二三歳の少年が戦場の第一線に立たされていた。そしてまた、女性も志願して兵士となっていた。そのことが「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち―第十三師団山田支隊兵士の陣中日記」に見える。>(P129)

「陣中日記」には、「南京から逃げてきた非戦闘員の市民も混じっていた」記述は、一切ありません。陣中日記は、一万三千人とも一万五千人ともいわれる捕虜は、すべて「兵」である、との認識で一致しています。 
(それ以外が一応正確な紹介であるだけに、そんな記述があるのかな、と、私も最初は騙されました。「真実」の中に「ウソ」をにさりげなく紛れこませるのが、「プロパガンダ」のセオリーです)



<ところが、ある一棟から出火した。不注意で出火させれば寒天の下で眠らなくてはならないから、不注意の出火ではなかった。意図的な放火であった。>(P132)

何度読み返しても、私にはこの「理屈」がわかりません。「意図的な放火であれば寒天の下で眠らなくてはならないから、意図的な放火ではなかった」というのなら、少なくとも「理屈」としてはよくわかるのですが・・・。

なお、驚くべきことに、東中野氏がこの事件を「失火」ではなく「放火」と断定する根拠は、こ れ だ け です。



おまけに、ひとつ、「揚げ足取り」。
<放火事件の翌十七日、烏龍台砲台を警備中であった中野政夫(仮名)は戦場のありふれた戦死を陣中日記に記している。
「小隊員中××××、××××の両名歩哨服む中、敵敗残兵のため手榴弾をなげつけられ負傷す。毎日敗残兵の銃殺幾名とも知れず。」>(P136)

・・・「戦死」じゃないぞ。(笑)

とほほ - 02/03/10 02:26:42


コメント:
真実をこそ追究すべきだ。と言う論に対し、真実などどうでも良い、と開き直った御仁に「法的事実認定」やら法の目的やらを語られた日にゃ、法が泣く。

ゆう - 02/03/09 21:53:52


コメント:
k-kさん、私の意見を適切に理解していただき、ありがとうございます。

もともと、この話は、

>あのう、一事が万事ということであれば、偽写真を用いた中国の嘘の報告にも当てはまるのではないでしょうか?中国が虚偽の報告をしたという事実は存在します。この一事が南京30万人説まで突飛するという万事に発展するということはゆうさんの理論だと成立してしまうことになるのですが、どうでしょう?

というkkkさんのご発言から始まっています。

私はこれを、「ニセ写真があるから南京事件はウソだ」という「諭」であると解釈し、これまでのコメントはその一点に絞っています。

私は繰り返し、「ニセ写真の存在をもって「南京事件」を否定することはできない」趣旨の書込みをしています。しかし、どういうわけかこの論と関係ないところで「反応」されてしまい、ちょっと首を捻っていたところでした。


kkkさんへ。再掲します。
「日本には、笠原氏、秦氏という、立派な研究成果を残している方がいらっしゃいます。お二人の「研究成果」を、「中国側のニセ写真」問題でもって、否定することはできますか? 」

K-K - 02/03/09 18:19:27
電子メールアドレス:返信:kkkさん その3


コメント:
>つまり反証=「反論の根拠となる明確な証拠」の提示ということでしょうか?
>もしそうだとしたら、それは違いますよ。

 とほほさんが言っている「反証」とは、「一切の証言を拒否した場合(つまり検察だけの主張で)」と書いているように、「身に覚えにない罪で起訴された」ことに対して反する事実を証明することだと思います。

はんしょう 【反証】(名)スル
(1)相手の主張に証拠をあげて否定すること。反対の証拠。「―をあげて抗議する」
(2)〔法〕
(ア)訴訟法上、立証責任のない当事者が立証責任を負う相手方の申し立てた事実・証拠を否定するために提出する証拠。⇔本証(イ)推定規定について、推定事実に反する事実を証明すること。




>南京事件については「なかった」という明確な証拠を示すことはできないでしょ
>う。というよりは事件の性質上不可能でしょう。
>だから、このような問題では弾劾証拠などにより判断すべきなのです。

 南京事件で言われる「あった」「なかった」というのは、現在では、「数が多かった」「数が少なかった」という意味です。すでに、「あった」「なかった」という議論には決着がついてます。否定論の主張する「なかった」とは、「数が少ない」=「大虐殺ではない」=「なかった」というものです。
 「存在しない証明」などとは別の問題だと言えるでしょう。



>と、この発言にはビックリしてしまいます。
>これでは秩序も何もあったもんじゃありません。
>そのようなことであれば、裁判で殺人罪が確定した人に、その罪を確立させる
>ために警察が作った虚偽のアリバイ崩しの証拠さえもその人の罪に加算される
>ということも別にかまわない、ということですよ。
>大きな罪が確立したのだから、小さなことは気にしなくてもいいだろう、と濡
>れ衣を正当化する、これはとんでもないことです。
>このようなえん罪を極力防ぐために裁判は慎重で公正におこなっているという
>のに・・。もう少し冷静に物事を見られてはどうでしょう?

 これは、ゆうさんの言っている意味を誤解しているのだと思われます。ゆうさんの発言の主旨は、すでに別の根拠・別の資料により南京事件の証明が十分為されている以上、その研究とは関係のない「ニセ写真」や「中国の主張の誤り」などが存在しても、南京事件の証明に影響はないだろう、ということでしょう。

 だから、ゆうさんはそのすぐ後に、以下のように述べています
-------- 引用 --------
日本には、笠原氏、秦氏という、立派な研究成果を残している方がいらっしゃいます。お二人の「研究成果」を、「中国側のニセ写真」問題でもって、否定することはできますか? どう考えてもお二人は、「中国側の主張」とは全く独立したところで、それぞれオリジナルティのある論を展開しています。
------------------------

 「中国の誤った主張」や「ニセ写真」をえん罪だと非難するのは構いません。しかし、それと、各学者の研究とどう繋がりがあるというのかをはっきり説明しなければ、「えん罪である」等の発言が「冷静な物事の見方」であるとはいえないでしょう。

K-K - 02/03/09 18:16:09
電子メールアドレス:返信:kkkさん その2


コメント:
>現在伝わっている歴史というのは、古代史から近現代史に至るまで統治者の
>都合に合わせてつくられた、真実とは違う出来事の変遷だということです。

 古代史から近代史まで、確かに、「統治者の都合に合わせてつくられた」歴史が多かったと思います。権力者が作って残した歴史などは、まさしくその通りです。しかし、果たして現在の歴史学で証明されていることは、「統治者の都合に合わせてつくられた」歴史を、ただ羅列しているだけのものでしょうか?歴史学によって、この「統治者の都合に合わせてつくられた」歴史に無い部分の歴史を発見したり、別の事象と「統治者の都合に合わせてつくられた」歴史を比較・考察したうえで新たな歴史解釈を作りあげることが行われてきました。
 現在の歴史学とは、「統治者」から歴史を取り戻すことに意義があるのではないかと思います。逆に言えば、「統治者」にすり寄っている「歴史」が、如何に反現代的であるかは例の教科書などを見れば明らかでしょう。



>科学というものは全て事実に立脚しなくてはならないということは当然で
>すが、歴史学はその対象が過去の事実であるからして、事実の判定に苦し
>むことは多々あり、また、史料の選択が恣意的におこなわれることも多く
>、意図的にではないにしても虚像を描くことは当然あります。歴史学は政
>治とは無縁ではいられないということですね。




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