独今論


概説

独今論とは永井均の用語であり、われわれが感じる変化や時間の流れは実在ではなく、ただ「今」だけがあり、全ては一挙にこの「今」に現れていると考える。過去や未来はその特権的な「今」の内部の一様態に過ぎないとする。

永井均によると、〈今〉という問題は独在性における〈私〉という問題と論理的な構造は同じである。独我論と独今論は同じ構造をしている。認識論的独我論が、全ては私への現れだと主張するのと同じように、認識論的独今論は、全ては今への現れだと主張する。つまり、過去とはいま存在する思い出にほかならず、未来とはいま存在する予想や期待にすぎない。これに対して、存在論的独今論は、でもその今とはいったいいつのことだ? と問わずにいられない。認識論的独今論は、どの今に関しても成り立つだろう。そうした今一般のなかに「この今」という特別な時点があること、たまたま何年何月の何日であることに驚くとき、存在論的な問いが始まる、という。

なお永井は、特別な存在であるかのような「この今」も、沢山ある「今」のうちの一つに過ぎない、とみなす立場を「共今論」と呼んでいる。

※「独今論」という語は、時間軸上のある一点のみの実在を認め、他の時間の実在を否定する「ここ今主義(here-now-izm)」にニュアンスが近い。これは時間と空間の哲学では「現在主義」の一種である。


  • 参考文献
永井均『〈子ども〉のための哲学』講談社現代新書 1996年
永井均『〈私〉の存在の比類なさ』勁草書房 1998年
永井均『転校生とブラック・ジャック――独在性をめぐるセミナー』岩波書店 2001年


最終更新:2013年10月13日 20:30