ヤージュニャヴァルキヤ


ヤージュニャヴァルキヤ(Ya-jnavalkya ヤージナヴァルキャとも発音される)は、ウパニシャッド最大の哲人で「聖仙」とも称される。生没年不明だが、およそ紀元前8世紀から紀元前6世紀の人物と考えられている。ウッダーラカ・アールニの弟子と伝えられ、梵我一如の哲理の先覚者として知られる。また「自己とは何か」という問題を初めて体系的に探求した人物でもある。

ヤージュニャヴァルキヤは、『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』など初期のウパニシャッド(奥義書)に登場する。彼の哲学は真の自己、すなわちアートマン(自我、仏教用語では「真我」)を知ることにより、輪廻から脱出してブラフマン(梵)と合一するというものである。

アートマンとはいかなるものかと問われ、ヤージュニャヴァルキヤは「あなたは見るという作用の主体たる『見る者』を見ることはできません。聞くという作用の主体たる『聞く者』を聞くことはできません。思うという作用の主体たる『思う者』を思うことはできません。知るという作用の主体たる『知る者』を知ることはできません」という。そして「万物を認識する認識主体を、どうして認識することができるのでしょうか。だからこれを、『ではない、ではない、のアートマン』というのです」と説く。

「ではない」をサンスクリットでは「ネーティ」という(日本語で「非也」と表現されることもある)。真の自己、アートマンは純粋の認識主体である以上「~ではない、~ではない」(ネーティ、ネーティ)という方法でしか表現できない。「~である」と表現すれば認識の対象へと下落してしまうからだ。この考えによれば、私の身体は真の自己ではない。私は私の身体を知覚できるから、認識対象であって認識主体ではない。また私の思考も認識対象であって認識主体ではない。アートマンは不可捉であるということになる。

ネーティ、ネーティと、自己の否定を重ねれば、意識は特定の何かに向かうことがなくなり、やがて自己と宇宙が一体として感じられる境地にまで至る。その境地こそがブラフマンとアートマンの合一、梵我一如の境地である。


  • 参考文献
辻直四郎『ウパニシャッド』 1990 講談社学術文庫
渡辺恒夫『輪廻転生を考える』1996 講談社現代新書