ジョン・サール


概説

ジョン・サール(John Rogers Searle 1932年7月31日- )は言語哲学および心の哲学を専門とする哲学者。カリフォルニア大学バークレー校教授。ニクソン大統領時代には大学問題大統領特別顧問としても活動した。

人工知能批判で知られ、チューリングテストに対する反論として中国語の部屋という思考実験を提案した。また、言語表現が間接的に果たす遂行的機能(間接発話行為)の研究を行い、ジョン・L・オースティンの後継者と称された。

2000年にジャン・ニコ賞を受賞。

心の哲学におけるサールの見解

サールは心の哲学における自分の立場を「生物学的自然主義(biological naturalizm)」と呼んでいる。これは意識が自然現象のひとつであることを強調するものである。たとえば胃が胃液を分泌したり、植物が光合成を行ったりするように、脳の生物学的な条件によって意識が生み出されると考える。確かに意識は客観視不可能な一人称的特質をもっているが、そのことは生物学的現象であるというテーゼとなんら矛盾しない。「消化」が「消化器官」と独立して存在できないように、意識は実体や素材ではなく、消化や光合成や呼吸と同様、「脳の特性」としての生命現象なのである。

そして生物学的自然主義は、心的状態の生物学的な特徴を重視し、唯物論と二元論をともに退ける。意識は因果的には還元可能であるが、存在論的には還元不可能であると考え、「心的なものを物理的なものに還元可能か」という問題は重要な区別――因果的な還元/存在論的な還元――の区別が適切になされていない擬似問題であるという。

意識の生物学的自然主義は、以下の四つのテーゼで述べられる。

1、意識状態――主観的体験、クオリアは現実世界における現実の現象であり、錯覚ではない。また意識は神経生物学的な基盤にも還元できない。そのような三人称的な還元は意識の一人称的な存在論を切り捨ててしまうからだ。

2、意識状態はもっぱら脳内における低レベルの神経生物学的な過程によって引き起こされている。従って意識状態は神経生物学的過程に因果的に還元できる。意識状態には神経生物学的な基盤から独立したそれ自体の活動というのは全く無い。因果的には、意識は神経生物学的な過程と「別の何か」ではない。

3、意識状態は、脳内において脳組織の性質として現実化されている。従って意識状態はニューロンやシナプスよりも高レベルで存在している。個々のニューロンは意識を備えていない。だが、ニューロンから成る脳組織の諸部分は意識を備えている。

4、意識状態は、現実世界の中の現実の性質であるから因果的に機能する。たとえば私の意識に現れる喉の渇きは、私が水を飲む原因となる。

上のテーゼでは、脳の機能について低次機能と高次機能の二分法が設定されており、そして低次の神経生物学的な過程から高次の意識現象であるクオリアなどが「創発する」という主張が含意されている。つまりサールは機能主義を批判してはいるものの、彼のクオリアについての主張には物理主義的傾向がある。このように意識を脳の特性とするサールの主張に対し、デイヴィッド・チャーマーズは創発のメカニズムを全く説明していないと批判している。

サールは実体二元論性質二元論と異なる第三の二元論として、「概念二元論」を提唱する。この考え方は「物理的」という言葉が重要な意味においては「心的なものではない」ことを意味し、「心的なもの」という言葉が「物理的なものではない」ことを意味する見解である。伝統的な二元論も唯物論もそうやって定義された概念二元論を前提としている。唯物論者たちも心的なものの実在性を否定しようと躍起になっている時点で、既にデカルト的な二元論を前提としており、それゆえに唯物論は結局の所は一種の二元論であるという。

サールは、第三者から見て観察可能なデータのみを扱う行動主義や機能主義のようなアプローチを、意識の還元不可能性を無視する姿勢だとして批判している。例えばダニエル・デネットによるヘテロ現象学のような姿勢は、意識の存在自体を否定するものだとサールは言う。

心的なものと物理的なものとを相互排他的であると考えてきた伝統に対してサールは批判的であり、意識という心的なものは脳の物理的なプロセスによって産出されることは明らかなことであって、心的/物理的というようなカテゴリーはもはや廃棄すべきだと考えている。その一方では、脳と意識の関係を科学的に解明するにあたっては、意識のもつ存在論的で還元不可能な性質(存在論的主観性)を取り残さないことの必要性を強調する。意識は、統一された場(unified field)であるという性質を持つことを指摘したうえで、サールは神経科学に対し、意識に相関した脳活動を見つける上で、ニューロンの活動を個別に調査して徐々に意識へと迫るという、通常採用されるビルディングブロック的なアプローチよりも、意識する状態にある脳と無意識の状態の脳の差異を比較する統一場的アプローチ(unified-field approach)のほうが、より効率的に意識の謎へ接近できるとして推奨している。

意味論的外在主義に対する批判

サールは、ヒラリー・パトナムが意味論的「内在主義(internalism)」に対して主張した「外在主義(externalism)」を批判している。

パトナムは意味が頭の中だけにあるのでないことを示すのに「双子地球」という思考実験を用いた。双子地球とこの地球との唯一の違いは、湖や川や海を満たす水が、地球の(H2O)ではなく、XYZという何か他の物質である点である。この結果として、地球人が「水(water)」という語を使うとき、その語は双子地球人が使う語の「水(water)」とは違う意味となる。つまり物理的に区別がつかない二つの星の人物たちの言語と、頭の中(心的内容)は同じであるにも関わらず、その同じ言語と同じ心的内容が指し示す意味は異なっているのだ。つまり私たちは頭の中にあるものだけで意味を決定することはできないのである。

それに対しサールは、「水(water)」とはこの地球における水の機能を有していれば、元素記号がXYZであれ他の何であれ水なのであり、それが水という言葉の意味なのである。意味の決定は心に依存しているのだ。パトナムは「水とは私たちが知るものと同じ構造――H2Oを指す」と指標的な定義に置き換える。このような条件はもっぱら世界に依存しているわけであって心は関係ない。内在主義とは心がどのようにして条件を設定するかについての理論である。外在主義の批判はその対象自体が間違っているのだ、という。

なおサールによれば、一般に心の哲学における外在主義とは、単に私たちの志向内容や言葉の意味が外在的出来事によって引き起こされると主張しているのではない。(この点に関しては観念論の立場を除けば多くの内在主義も同じ見解である)外在主義が主張するのは、心的内容自体は実際には内在しておらず、それは私たちの「内部」と「外部」が混ざったものであるという立場である。


  • 参考文献
ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』山本貴光・吉川浩満 訳 2006年
ジョン・R・サール『ディスカバー・マインド!』宮原勇 訳 2008年
河村次郎『自我と生命』萌書房 2007年
  • 参考サイト