デイヴィッド・チャーマーズ


概説

デイビッド・ジョン・チャーマーズ (David John Chalmers、1966年4月20日 - )はオーストラリアの哲学者。1982年、高校生のとき数学オリンピックで銅メダルを獲得する。インディアナ大学で哲学・認知科学のPh.Dを取得。2006年現在オーストラリア国立大学の哲学教授であり、同校の意識研究センターのディレクターを務めている。心の哲学において意識のハードプロブレムをはじめ多くの問題提起をし、この分野における指導的な人物の一人となっている。

チャーマーズはクオリアと呼ばれる内面的な心的体験を、実体(英:entity)的に捉え、質量やエネルギーなどと並ぶ基礎的な物理量のひとつとして扱い、その振る舞いを記述する新しい物理学を構築すべきだと主張する。そして探索すべき(クオリアを含めた)未知の自然法則のことを、「精神物理法則(英:Psychophysical law)」と呼ぶ。これまでの物理学はクオリアの問題を全く扱わず、神経細胞の活動の分析のみで心の問題を解決しようとしてきたとし、我々の脳の作用からなぜクオリアが生じるかという難解な問題を意識のハードプロブレムと呼び、脳の神経科学的な解明を目的とするこれまでの物理学的な方法を意識のイージープロブレムと呼ぶ。そして意識のハードプロブレム解決の試案として、チャーマーズは自然主義的二元論情報の二相理論を主張している。

チャーマーズはは想像可能性論法によって、普通の人間と外見的には全く同じだが、内面的な心的経験を欠いた哲学的ゾンビの思考実験により、物理主義を否定する論証を行っている。

物理主義に対するチャーマーズの批判は以下のようなものである。

(1)世界には意識的経験が存在する
(2)意識的経験は物理的なものに論理的に付随しない
(3)したがって意識に関する事実は、物理的な事実を超えたさらなる事実である
(4)それゆえに、唯物論は偽である

このチャーマーズの批判は、単に既存の物理学でクオリアの問題が扱われていないという主張だけでなく、既存の物理学が間違いであるというラディカルな主張が含意されている。

精神物理法則はどのようなものか、という問題について、チャーマーズは情報を中心に置いた中立一元論のような立場から法則を模索すべきでないかとしている。つまりビット列のようなもので構成された抽象的な情報空間がまずあり、そこから物理的状態と心的な状態がそれぞれ実現されているのではないか、という考えである。

意味の一次内包と二次内包

チャーマーズは意識体験が物理現象に論理的に付随しないことを示すために、意味論における内包と外延に関して、一次内包と二次内包という概念を提唱している。

大雑把に説明すれば、「水」の一次内包とは川や湖にある透明で飲める液体のことであり、アプリオリに認識できる意味である。二次内包とは「水」を構成する元素H2Oのことであり、アポステリオリにしか認識できない意味である。心的経験についていう場合は、一次内包とは「赤」という色を見たときの「赤」のクオリアであり、二次内包とは「赤」という色彩体験をもたらすとされる波長 630-760 nm の電磁波である。また「熱」の感覚は一次内包であり、その熱の感覚をもたらすとされる分子の運動が二次内包である。なお概念については、「宵の明星」と「明けの明星」は別個の一次内包であるが、二次内包は「金星」ということで同じである。

チャーマーズからすれば一次内包は二次内包と論理的に繋がっておらず、論理的に想定し得る可能世界においては、例えば「水」はXYZであるかもしれない(クリプキ流に言えば水がXYZであることは論理的に可能であるが形而上学的には不可能である)。つまり一次内包から必然的には二次内包が導かれないということである。このことから哲学的ゾンビにおけるゾンビワールドや、逆転クオリアの思考実験が有意味なものとされる。

すなわちチャーマーズの内包による分析とは、
一つの言明の論理的必然性と論理的可能性を、
(a)諸処の世界の論理的可能性を用い、そして
(b)その言明に含まれる語が決定する内包を用いて解析していく。
ということである。(『意識する心』p.96)

「赤い」という一次内包(意識体験)は物理的事実に論理的に付随しておらず、それは自然的な付随関係である。しかし二次内包は物理的事実に論理的に付随している。このことは意識体験は物理的事実に還元できないということも意味する。熱、光、音のような現象も同様である。このチャーマーズの主張はソール・クリプキ固定指示子の影響を強く受けている。

以上のように、意識が物理理論に論理的に付随しないことを根拠に、チャーマーズは還元主義的物理主義を否定し、自然主義的二元論を提唱することになる。

構造的コヒーレンスの原則

構造的コヒーレンスの原則(英:The principle of structural coherence)とは、チャーマーズが提唱している意識に関する原理のひとつ。意識体験のある所には「気づき(アウェアネス)」があり、適切な種類の気づきのある所には意識体験がある。意識の構造的特徴は気づきに現れる構造的特徴に直接対応している。この意識と認知の相関関係(コヒーレンス)と並んで、意識の構造は気づきの構造によって映し出され、そして気づきの構造は意識の構造によって映し出されているという相関関係から、チャーマーズは構造的コヒーレンスの原則を提唱した。

これは1995年にチャーマーズが提唱した三つの原理の内の最初のものであり、あとに続くのは構成不変の原理と情報の二相理論である。

チャーマーズは例えば「赤」という心的体験をした時の現象判断を、以下のように三つに分けて考えている。
一次判断 = それは赤い。
二次判断 = 私は今、赤いという感じがしている。
三次判断 = 感じというのは不思議だ。
構造的コヒーレンスでの「気づき」とは一次判断に対応している。デネットやローゼンタールは、「意識がある状態とは、われわれがそれについて意識している状態である」と考える。言い換えれば「信念」を持っている状態、と定義しており、チャーマーズからすればそれは二次判断になる。

チャーマーズの構造的コヒーレンスの原則は、バースのグローバルワークスペース・セオリーや、デネットのセレブラル・セレブリティの理論と似ている。つまり脳の一部だけで利用可能な情報でなく、広域的に利用可能な情報が意識に上るという理論とである。チャーマーズの理論とそれらの違いは、バースやデネットが存在論的に物理主義的な立場からこうした理論を提唱しているのに対し、チャーマーズは性質二元論的立場からこの原理を主張している点にある。つまり物理的に定義される「気づき」の状態に対して、対応する現象意識が自然法則的に付随する、という形でこの原理を提示している。これは随伴現象説的な見方とも思えるが、後述の「情報の二相説」によれば、物理現象を外在的性質、現象的意識を内在的性質とした中立一元論的な考え方となっている。

チャーマーズは構造的コヒーレンスの原理を自然法則ではなく、新しい自然法則が満たす条件として提示している。この原理には「気づき」というマクロレベルの特性が使われているが、意識に関する新しい自然法則があるとするなら、それはミクロレベルの特性で記述されなければならないとし、気づきの概念(ある情報に関する包括的なコントロールへの直接的な利用可能性)は、例えば「情報の増幅レベル」といったミクロレベルの特性へ帰着できるのではないか、という推測を提示している。

構成不変の原則

構成不変の原則(The principle of organizational invariance)とは、チャーマーズが提唱している意識に関する仮説的原理である。「意識は脳の機能構成によって生まれている」ということを前提に、脳がニューロンでできていようとシリコンでできていようと、それの持つきめの細かい機能構成が同一なら、同一の意識体験が生じる、という仮説。心の哲学の分野で大きい支持を得ている機能主義の考えを、性質二元論的な形で拡張したテーゼ。1995年にチャーマーズが提唱した三つの原理の内の二つ目の原理で、構造的コヒーレンスの原則の次にあたり、情報の二相理論の前段階に当る。

この原理は現象意識の実現に関する多重実現可能性を含意する。そのためここからチャーマーズは汎心論的な理論も視野に入れる形で議論を展開していく。

情報の二相説

情報の二相理論(英:double-aspect theory of information)は、チャーマーズが1995年に意識のハードプロブレムへの解答として考案した形而上学的理論。世界の究極的な実在(Ultimate reality)を情報(inforamtion)とし、その情報が物理的な性質と現象的な性質を持つとする立場。

この立場は心身問題の伝統の中で中立一元論(または性質二元論)と呼ばれる立場にあたる。中立一元論とは世界の究極的な実在として、物理的でも心的でもない、何か別のものを考える立場である。 チャーマーズはそうした何か別のものとして、情報を考えている。

情報という言葉は、広い範囲の意味をもつが、チャーマーズは情報の定義として、グレゴリー・ベイトソンの「違いを生む違い」(a difference which makes a difference.)を引く。情報を究極的な実在とするアイデアは、物理学者ジョン・アーチボルト・ウィーラーとエドワード・フレドキンの哲学に大きい影響を受けている。ウィーラーは量子力学に関する考察の中から、世界の究極的な実在を情報と考え、それを "it from bit"(それはビットから)という標語であらわした。フレドキンは、宇宙はビットの巨大構造の根底に実現されたセルオートマトンと考えた。チャーマーズは情報を外側から見ると物理的、内側から見ると現象的、とする。

チャーマーズは"it from bit"という世界概念を「不思議なぐらい美しい考えである」と評価する(『意識する心』p.372)。それは純粋に情報の流れだけで、それ以外の何の実質も無い世界像である。この世界像からは、〈時空〉そのものを情報空間の間にある関係でできているとみなすこともできる。要するに世界は基本的な差異の世界、それらの差異の因果的なかつダイナミックな関係の世界でしかない、とチャーマーズは考える。

汎経験説

チャーマーズは情報の二相理論を推し進め、汎経験説(Panexperientialism)的な主張を行う。汎経験説とは物理的な情報処理の実現がある所には、現象的な意識(クオリア)もまたあるという考えで、チャーマーズは比喩としてサーモスタットやCDプレーヤーにも、人間のもつ意識より遥かに単純であるにせよ、現象的意識がある可能性を主張する。これは情報の二相理論を前提に考え、かつ「自然界の中で人間の脳は、取り立てて特別な何かではない」または「自然を統べる法則はすべての時・場所で共通である」という自然の斉一性を前提にしたことから導かれた考えである。そして、物理主義的な創発説を認められないとする立場なら、意識の中で生成消滅するクオリアを物質的なもの以外に還元しなければならないとする要求もあり、汎経験説は必然的に導かれた立場と言える。

チャーマーズは心の哲学における主要な立場を六つに分類している。チャーマーズ自身は自分の立場をラッセル的「汎原型精神論者(panprotopsychist)」と述べている(Chalmers 1999)。これは中立一元論の一種である。

補足

チャーマーズはジョン・サール中国語の部屋の思考実験で否定した「強いAI」の実現可能性を認めている。これは心的なものが物質的な脳に論理的に付随しないという主張の背面であり、シリコンなどで作られたコンピューターにも心的なものが自然的に付随する可能性があるということである。


  • 参考文献
デイヴィッド・J. チャーマーズ『意識する心―脳と精神の根本理論を求めて』林一 訳 白揚社 2001年
武田 一博「D.チャーマーズは心の唯物論を論駁したか」2003年
  • 参考サイト