多重実現可能性


概説

多重実現可能性(multiple realizability)とは、心の哲学において、一つの心的現象はさまざまな脳の作用から生じうるとする説。特定の心的現象は特定の脳作用と同一であるとする心脳同一説のタイプ同一説に対する批判として、ヒラリー・パトナムが主張した。

例えば「痛み」という心的状態は何らかの脳状態で実現される。「痛み」を神経科学に還元するためには、「痛み」と何らかの脳状態との同一性を示すような「橋渡し法」(bridge law)を構築する必要がある。即ち、「痛みが生じるのは○○であるときに限る」という文を神経科学の語で完成させなければならない。例えば、「痛みが生じるのは神経線維Aが発火するそのときに限る」というようなものである。

これに対して多重実現可能性は障害になる。「痛み」を持つのは人間だけでなく各哺乳類、鳥類、爬虫類も「痛み」を持っているかのうように見えるからである。神経構造が異なっている全ての生物種に共通な神経状態を固定することはできないだろう。

ジェリー・フォーダーやパトナムらによれば、多重実現可能性は、タイプ同一説への強力な反論であるばかりか、高次の心的現象について、どのような低次の説明、たとえばニューロンやシナプスの活動というミクロ・レベルの説明を行っても、十分な説明にならないことを示している。つまりある心的現象が生じるには何億ものニューロンが活動する必要があるだろうが、個別のニューロンは例えばシリコンチップに置き換えることも可能かもしれない。ならば個別の心的現象は個別の脳の作用と同一だといえなくなるし、また全てのニューロンをシリコンチップに置き換えてもやはり心的現象は生じるのかという疑問が生じる。

このような問題に対し、パトナムは「機能的同型性(functional isomorphism)」という議論を展開している。これは「一方のシステムの諸状態と他方のシステムの諸状態の間に機能的な関連を維持するような対応があるとき、二つのシステムは機能的に同型である」とするものである。たとえばシリコン・チップでつくられたコンピュータと歯車でつくられたコンピュータは、機能的に同型でありうるが、構成上は異なる。機能的同型性は、多重実現可能性を含意している。この議論の方法は、「アプリオリ論法(a priori argument)」ともいわれる。

機能的同型性の議論においてはクオリアや現象的意識の存在が無視されており、この点をジョン・サール中国語の部屋の思考実験によって批判している。

派生問題

(以下は当サイト管理者の見解)

人間は経験則から、さまざまな動物が「痛み」という感覚をもっているように思うのだが、そもそも人間が感じる「痛み」さえ常に単一のものでなく、私個人が分類可能な痛みの種類さえ何十とある。ましてや脳の神経構造が人間と大幅に異なる動物たちなら、人間が想像可能な「痛み」とは全く異なる性質の痛みを感じている可能性は大いにあるだろう。

この点についてはトマス・ネーゲルが「コウモリであるとはどのようなことか」でクオリアの主観性を巧く論じているが、結局のところ人間はコウモリが音波をどのように感じているか類推する材料をもたないのと同様に、ヘビやカエルがどのような痛みを感じるかを類推できないのである。

そのような論理からすれば、特定の心的状態と何らかの脳状態との同一性を示すような、「橋渡し法則」が現に存在している可能性を否定できなくなる。これは心的状態のタイプと脳状態のトークンの一致の可能性である。もちろん、心的現象は私秘的であり、逆転クオリアの思考実験で示されたように、感覚を言語によって報告可能な人間の脳状態でさえ、橋渡し法則を解明するのは困難であろう。

もうひとつ、多重実現可能性は「普遍概念」についての問題を派生させるように思える。前述したように、人間が感じる「痛み」といってもさまざまな種類があり、完全に同じタイプの痛みを人は再度経験することは不可能かもしれない。しかし普遍概念については別である。例えば「円」や「正方形」などの幾何学的概念、また「4」や「7」といった数の概念は、誰が、いつ、どこで意識しようと、完全に同じタイプのもののはずである。ここでは心的現象の私秘性は問題ではない。つまり普遍概念については、心的状態のタイプと、脳状態のトークンの一致は、おそらく脳科学によって橋渡し法則が解明される日が訪れるのだと思う。


  • 参考文献・論文
ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』山本貴光・吉川浩満 訳 2006年
太田紘史「経験科学における多重実現と多様性探求
  • 参考サイト