説明のギャップ


説明のギャップ(英:explanatory gap)とは、主に神経科学や心の哲学の分野で使われる言葉で、脳に関する客観的で物理的な記述と、意識の主観的な性質(現象的意識クオリア)に関する記述との、つながりの欠如のこと。アメリカの哲学者ジョセフ・レヴァイン(Joseph Levine)が、1983年の論文 "Materialism and qualia: The explanatory gap" の中で使用した言葉。

例えば「透明な青い海」を見ている時の神経状態を記述したする。しかしその記述には「透明な青い海」を見た時の心的現象が描かれていない。物理的記述と心的記述には大きなギャップがある。フランク・ジャクソンはマリーの部屋という思考実験で、このギャップを浮き彫りにすることにより、物理主義はクオリアの問題を取りこぼしていると主張した。逆にギルバート・ライルは、物理的な記述と意識の主観性についての記述のつながりを探すのはカテゴリー錯誤であると批判した。大森荘蔵は独自の一元論的な立場から、物理的記述と心的記述は重ねて描かれるべきだとする「重ね描き」という科学哲学上の概念を提唱した。

なお、説明のギャップはあるが、それは現段階での我々の知識の不足によるものであり、科学の進歩によりやがて埋まるという、物理主義的な立場もある。また説明のギャップは存在論的なギャップを意味しているという二元論的な立場もある。

表象説

1990年代以降、クオリアを物的なものに還元、つまり説明のギャップを埋める試みが盛んになる。ギルバート・ハーマンらは、「緑の木」という知覚経験は緑の木を表象するが、緑のクオリアはその表象される緑に他ならないと主張して、クオリアの「表象説」を唱えた。

表象がもつ特徴には、表象それ自体に備わる「内在的特徴」と、表象によって表象される「志向的特徴」とが区別される。たとえば「緑の木がある」という文の場合、六文字から成ることや主語述語から成ることが内在的特徴であり、「緑」や「ある」ということが志向的特徴である。

表象説は物理主義的な立場から説明のギャップを埋めるほとんど唯一の試みである。


  • 参考文献
大森荘蔵『知の構築とその呪縛』ちくま学芸文庫 1994年
信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』勁草書房 2004年
  • 参考サイト