志向性


概説

志向性(Intentionality)とは、人間の意識が外部の世界の何か(志向対象)に対して注意を向ける能力、または心的状態を関連付ける能力である。ブレンターノフッサールの現象学においては、志向性とは意識のあらゆる活動に伴うものであり、すなわち心的現象の本質的な特性であって、心的現象は志向性によって物質的現象から区別できるとされた。

たとえば「愛」とは何ものかを愛することであり、「欲求」とは何ものかを欲っすることであり、「嫌悪」とは何ものかを嫌うことである。心的現象は常に志向対象をもつという説は「ブレンターノ・テーゼ」とも呼ばれる。

また志向的状態は、思考対象とそのアスペクト形態(aspectual shape)をもっている。アスペクト(aspect)とは人が認知をする際の、対象となる事物の現れ方のことである。例えば金星は、ある時は「宵の明星」という現れ方をし、ある時は「明けの明星」という現れ方をする。

ジョン・サールの見解

心の哲学においては特にジョン・サールが志向性の問題に注目しており、著書『志向性―心の哲学』において詳細に論じている。サールによればあらゆる言語は志向性をもち、そして言語のもつ表象能力は心の志向性に由来し、この志向性はそもそも心的状態そのものに内在しているという。サールは志向性こそが言語を生み出す原理であるという立場である。

ただし、サールはブレンターノとは異なり、志向性があらゆる意識活動に伴っているとはみなさない。たとえば「痛み」のクオリアはそれ自身で完結した存在であり、志向対象を持っていないと考える。

サールは志向性を「本来的志向性(intrinsic intentionality)」と「擬似的志向性(as-if intentionality)」に区別している。われわれの心的状態がもつ志向性が「本来的志向性」であり、文字や絵などはわれわれの心的状態の機能に依存した志向性であり、それゆえ「擬似的志向性」というのである。

またサールは、人間の心とコンピューターが決定的に異なるのは、外部のものを志向する能力があるか否かであると考える。チューリングテストにパスしたような高度な人工知能は、「太陽」や「猫」について人間同様に語ることができるが、実際にはプログラム内で情報を処理しているだけであり、外部に在るものを志向しているわけではない。しかし人間の心は「十年先の未来の世界」を志向し、近くを走っている「車」に注意を向けることができるのだ。コンピューターがもつのは擬似的志向性なのである。


  • 参考文献
信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』 勁草書房 2004年
ティム・クレイン『心の哲学』植原亮 訳 勁草書房 2010年
ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』山本貴光・吉川浩満 訳 朝日出版社 2006年
  • 参考サイト