非法則一元論


非法則一元論とは、心の哲学における物理主義的な立場のひとつ。ドナルド・デイヴィッドソンにより主張された。「非法則的」とは「法則論的」の逆の意味であり、心的出来事に法則が当てはまらないとすることで「非法則的」であるが、心的出来事が物理現象(脳の状態)と同一であるとすることで「一元論」である。

非法則一元論は、物理主義でありながら、心的なものを物質的なものに還元できないと考える。このようなタイプの物理主義を「非還元的物理主義」という。心的性質を物理的性質と同等のものとみなすため、非還元的物理主義は物理主義的一元論を自称していても性質二元論の一種とみなされることもある。

デイヴィッドソンは、心身の関係には以下の三つの原理があるとする。

(1)因果的相互作用の原理――心身の(限定的な)相互作用
(2)因果性の法則論的性格――出来事の原因と結果の厳密な法則性
(3)心的なものの非法則性――非還元主義

三つの原理は一見矛盾しているよう思えるが、実際は同時に成り立つとデイヴィッドソンは考えた。彼の理論は、全ての存在は物理的だとしながら、心と物の間には厳密な法則は存在せず、物理的出来事に関する知識がいくら完全だとしても、心的出来事は予測されないということである。このことから彼は人間の自由意志を包括した唯物論を導き出そうとした。

心身の間には厳密な法則が成り立っており、物理現象の知識が十分にあれば、どのような心的現象が生じるかは予測できるという一般的な心脳同一説を、デイヴィッドソンは「法則論的一元論」と呼ぶ。また心的現象と物理現象は異質なものだとするデカルト的な二元論を「非法則的二元論」と呼んでいる。

デイヴィッドソンは、心的なものが物理状態に依存している状態を「付随性(スーパーヴィーニエンス)」と呼ぶ。心的状態は物理的状態に付随するが、物理的状態に還元可能ではない、というテーゼである。「付随性」は関数的な依存関係をあらわしている。つまり物理的なものに変化がないかぎり、心的なものにも変化がない。

非法則一元論は、全ての事実の原因は物理的なものであるとする物理主義に反しているという批判がある。非法則一元論を極端に解釈すれば、ミクロレベルまで完全に同一の脳の作用が二つあっても、それぞれ異なる心的現象が生じる可能性があるからだ。


  • 参考文献・論文
ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』山本貴光・吉川浩満 訳 2006年
S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999年
大田雅子『心のありか』勁草書房 2010年
柴田正良「非法則論的一元論とエピフェノメナリズム」中部哲学会紀要, 28: 29-41 1996年
  • 参考サイト


最終更新:2013年08月02日 23:27