随伴現象説


概説

随伴現象説(ずいはんげんしょうせつ、英:Epiphenomenalism)とは、物質的な脳と現象的意識クオリアといった心的なものとの因果関係(心的因果)についての仮説で、心的なものは物質的な脳の作用に還元できないが、脳の作用に付随して生じるだけの現象にすぎず、物質的な脳に対して何の作用ももたらさない、とするものである。物理領域の因果的閉包性を前提にして主張される。

T.H.ハクスリーは随伴現象説のセオリーを「警笛と機関車」の例えで説明している。機関車は警笛を鳴らすことができるが、警笛は機関車を動かすことはできない。「警笛と機関車」を「物質と意識」に置き換えればわかりやすい。
心的なものの状態は脳の物理的な状態によって決まるが、心的なものは脳の物理的な状態に対して何の影響も及ぼさない。
これが随伴現象説の主張である。

随伴現象説は還元主義的な物理主義と対立し、物質と意識は別の存在であるとする二元論の一種である。哲学の歴史では、ルネ・デカルト実体二元論を解消しようとした18世紀の唯物論者、ラ・メトリーに随伴現象説の原型がある。そして19世紀後半から生物学と神経科学の発展により、唯物論と知覚因果説が支配的になるのを受け、T.H.ハクスリーが今日的な意味での随伴現象説を主張した。

19世紀以前は神秘的とされていた「心」の問題も、神経科学の発展で科学的に説明できるとする考えが広まり、世界の出来事全ては科学によって説明され、科学の説明以外の原因によってはどんな出来事も生じないとする「物理領域の因果的閉包性」が常識となっていく。しかし物質的な性質と心的な性質はあまりに異なる。物理的な性質とは全て数量化可能なものであり、心的な性質は数量化不可能なものである。従って現象的意識クオリアは物理的な存在ではないとするなら、随伴現象という立場を選択する以外ないということになる。19世紀末から20世紀初頭では、心的なものについて観察可能な人の行動だけを研究対象とする行動主義心理学に反対する立場として、随伴現象説は広く受け入れられていた。

利点と問題点

随伴現象説は、物理世界は物理世界だけで因果的に閉じていると考える「物理領域の因果的閉包性」を前提としているため、物理学との相性が良い。随伴現象説を採用するならば、今の物理学を改変したり否定したりする必要は基本的にない。

しかし随伴現象説には現象判断のパラドックスと呼ばれる重大な難点がある。まず、クオリアなど心的なものが物理現象にたいして何の因果的影響も及ぼさないなら、物理現象にぶら下がっているだけの「因果的提灯(いんがてきちょうちん)」であると指摘される。そしてクオリアが因果的提灯であるならば、なぜ私達はクオリアについて語れているのか? という問題がある。物理的存在としての脳細胞に「赤」や「痛み」といったクオリアの情報が現実にあるわけであるが、随伴現象説によると、クオリアからこういう情報はインプットされるはずがない。にも関わらずわれわれはクオリアについて語れているのである。また進化論的に考えれば、「赤」や「痛み」を経験できない生物が、それらを経験できる神経構造をDNAに保存することは不可能であるよう思える。

以上の難点があるため、今日の心の哲学では「随伴現象説」という言葉はネガティブな意味しかもっていない。たとえば「……という考え方は随伴現象説が帰結するので不合理だ」という風に使われる。

現代の心の哲学者で随伴現象説を主張している者はほとんどいない。デイヴィッド・チャーマーズは随伴現象説には好意的な見方をしているが、自身は中立一元論の立場から自然主義的二元論を主張している。マリーの部屋の思考実験で知られるフランク・ジャクソンは、以前は随伴現象説を主張していたが、後に表象主義]に転向した。茂木健一郎は1998年には随伴現象説を主張していたが、現在は不明である。


  • 参考文献
デイヴィッド・J. チャーマーズ『意識する心―脳と精神の根本理論を求めて』林一 訳 白揚社 2001年
S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999年
  • 参考サイト