マリーの部屋


概説

マリーの部屋(英:Mary's Room)、またはスーパー科学者マリー(英:Mary the super-scientist)とは、1982年にフランク・ジャクソンが提示した物理主義、特に機能主義を批判する内容の思考実験である。

マリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋に閉じこもり、白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査している。彼女の専門は視覚に関する神経生理学であり、我々が熟したトマトや晴れた空を見るときに感じる「色彩」についての全ての物理学的、神経生理学的情報を知っている。また「赤い」や「青い」という言葉が我々の日常生活でどのように用いられ、機能しているかも知っている。さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろう。彼女は何か新しいことを知るだろうか?
マリーは「色彩」を経験し、「赤」や「青」などのクオリアの存在を知るはずである。ならばクオリアというものを除外した上で成り立っている物理主義は間違っている、というのがジャクソンの主張である。

ジャクソンによれば、物理主義とは「全ての情報は物理的情報である」という立場である。これにはクオリアは物理的情報ではない、という含意がある。

注意すべき点であるが、思考実験でジャクソンが批判した物理主義とは、1980年台に主流であった機能主義を指しているということである。機能主義では、心的状態とは客観的に観察可能な「機能」であるとされ、私秘的な現象的側面(クオリア)は除外されているのである。この機能主義の問題点については、既にネッド・ブロックジョン・サールが独自の思考実験で批判していた。ジャクソンの思考実験もこのような機能主義批判の流れに位置づけられるものである。しかしながらブロック、サール、またジャクソンも、広い意味では物理主義者であり、物理学そのものを否定しているわけではないのである。

知識論法

このタイプの思考実験は「知識論法(Knowledge Argument)」と呼ばれる。マリーは新たにクオリアの知識を得たのだから、心的な状態については神経生理学的な説明で全て事足りる、と主張する物理主義は誤っていることになるからである。ただしジャクソンがいう物理主義とは、全ての知識は物理的事実についての知識のみであるとする認識論的な意味での物理主義であって、あらゆる事物は物理的であるとする存在論的な意味での物理主義ではない。

しかしジャクソンの意図にも関わらず、知識論法には存在論的な含意を読み取ることができ、デイヴィッド・チャーマーズは後にマリーの部屋を発展させた哲学的ゾンビの思考実験によって、存在論的にも物理主義を批判することになる。

すなわちマリーの部屋の思考実験で問題とされるのは、物理的現象とクオリアの知識は異なるものかという「認識ギャップ(epistemic gap)」と、物理的現象とクオリアとは異なる存在かという「存在ギャップ(ontological gap)」の二つとなる。

三種類の応答

チャーマーズは知識論法に対する主要な哲学的見解を三つのグループへ分け、それらを「タイプA」「タイプB」「タイプC」と呼んだ。この分類はその後の知識論法についての議論で頻繁に用いられることになる。

タイプA

「タイプA」は還元主義であり、クオリアなど心的現象の物理学的、還元的説明を認める。この立場ではマリーが白黒の部屋から出ても新たな情報を得ないと考える。つまり認識ギャップと存在ギャップの両者を否定する。

物理的、機能的なものを全て説明すれば意識に関しては全て説明される。哲学的ゾンビは思考不可能であり、またマリーが本当に「物理学的に全知」であるとするならば、解放前からすべての事実を知っているはずである。クオリアについての知識は物理的な情報であり、白黒の部屋で得られる物理的知識からの演繹的推理によってクオリアの情報も得られる。つまりマリーはクオリアの知識をもっていないとする思考実験の前提を否定する。

なお、チャーチランドはこの論証で用いられる「知識」という語が曖昧であると批判している。全ての情報は物理的であるとする物理主義の立場からすれば、白黒の部屋で「全ての知識」を得ているのならば、部屋から開放されても新しい知識は得られないというわけである。

しかし物理学とは神やラプラスの悪魔のような「全知」を目指しているわけではなく、当然マリーの得ている「全ての物理学的知識」とは宇宙の全情報ではない。従ってこの立場は、物理的知識からの演繹によってクオリアの知識が得られる可能性を示すことができないことが難点であり、最も支持する者が少ない立場である。たとえるなら、「数学の知識を演繹すれば美術や恋愛の知識を得られる」というようなものであり、これはカテゴリー錯誤の一種である。またジャクソンは、白黒の部屋のマリーが演繹的推理によってクオリアの情報が得られるとする批判は的外れであり、問題は「想像できない」という点ではなく、彼女が事実として、それを「知らない」という点であると反論している。

タイプB

「タイプB」はクオリアの還元的説明を認めない物理主義であり、たとえクオリアが物理的知識から論理的に導出されないとしても、物理主義は成立すると主張する。つまり認識ギャップを認めるが存在ギャップを否定する。マリーが解放時に新たな事実を知ること、認識ギャップがあること、ゾンビが思考可能であることは認めるが、それらが存在論的含意を持つことはない。

チャーチランドは、マリーが旧知の事実をクオリアという新しい様式で知っただけであると主張した。このタイプBの主張は「旧事実/新様式戦略」と呼ばれる。

D・ルイスは、知識には命題知(地球が丸いというような、事実に関する知識)と技能知(泳ぎ方、というような能力としての知識)を分ける。マリーが部屋の中で習得したのは命題知だから、クオリアを識別する能力としての技能知がないのは当然であり、それはクオリアが物理的でないことを示すものではないという。

ジョン・ビゲロウとロバート・パーゲッターは、物理学的理論へ還元されえないクオリアなど現象的性質に関する知識が存在することを受け入れる。しかしながらこうした知識の存在は、心的なものを純粋に物理的な術語で説明しようとする物理主義プログラムと対立しないと主張した。

ブライアン・ロアーは「概念(concept)」を、「物理的‐機能的概念」と「現象概念」に分けて旧事実/新様式戦略を提示した。白黒部屋でマリーはすべての物理的事実を物理的‐機能的概念によって知っていた。しかしマリーは解放後に新しい何かを学ぶ。ロアーはこの事態を、マリーが現象概念を得たとする。現象概念は物理的‐機能的概念から導出されないため、マリーはそれを白黒部屋で学ぶことができなかった。しかし新しい概念が得られたからといって、それが指示する対象は旧知の物理的対象なのであり、マリーはそれを新しい現象概念で再認識しただけである。このロアーの方法は「現象概念戦略(Phenomonal Concept Strategy)」と呼ばれ、近年注目されている。

タイプBは思考実験についての人々の直感に反していないため、多くの物理主義者によって支持されている。しかしジャクソンは、問題なのはマリーの経験の事実と、他者の経験の事実との相違であり、これは知り方の様式とは関係ない客観的な事実である。知識論法はこうした事実が存在することを主張すると反論している。

なおタイプBの難点は、認識のギャップを認めた時点で存在のギャップに繋がる可能性が生じることである。デイヴィッド・チャーマーズはその可能性を、意味の「一次内包」と「二次内包」の概念で示した。

タイプC

「タイプC」は二元論である。この立場は知識論法が物理主義を棄却すると考える。つまり認識ギャップと存在ギャップの両者を肯定する。チャーマーズと、(当初の)ジャクソンの見解がタイプCに属する。

チャーマーズは知識論法を独自の仕方で形式化した。P をすべての正しい物理的情報、Q をクオリアの情報とし、彼は知識論法を以下のように定式化する。
Pre1 白黒部屋でマリーは P を知っており、かつ彼女は P から「論理的に導出されうる」情報をすべて知っているが、彼女は Q を知らない。
Pre2 物理主義が真であるならば、Q は P から論理的に導出されうる。
Conc よって物理主義は偽である。(Pre1 とPre2 より)

チャーマーズはマリー部屋を発展させ、ゾンビ論法(哲学的ゾンビ)を以下のように展開する。
Pre1 ゾンビ世界が存在する可能性がある。
Pre2 物理主義が真であるならば、ゾンビ世界が存在する可能性はない。
Conc よって物理主義は偽である。(Pre1 とPre2 より)

このタイプCの立場の難点は、現象判断のパラドックスが生じ、心身関係論において随伴現象説が帰結する可能性が指摘されていることである。

※参考までに、上記の三つのタイプ以外の立場として、マリーが白黒の部屋ですべての物理的知識を得ていなかったと主張するタイプのものがある。この主張は知識論法の前提を否定し、クオリアも物理情報であるとして、白黒の部屋では全ての物理情報を得られないとするものである。

派生問題

フランク・ジャクソンはこの思考実験によって機能主義を批判したのだが、しかし彼は物理領域の因果的閉包性を認め、全ての行動はなんらかの物理的作用によって引き起こされる、とする広い意味での物理主義者だった。それゆえジャクソンは心身関係論については随伴現象説の立場をとっていた。

しかしジャクソンは後に立場を変え、クオリアについて表象主義の立場をとる。なぜなら、マリーは最初に赤い色を見るとき驚愕するからであり、その「原因」となるのはやはりクオリアでなければならない。このことは随伴現象説と矛盾する。この問題は後にデイヴィッド・チャーマーズによって現象判断のパラドックスという名前で定式化され、二元論の立場から解答が与えられなければならない最も重要なパラドックスと位置づけられた。

なお、ジャクソンが知識論法を放棄したため、現在ではチャーマーズが知識論法の代表的支持者になっている。


  • 参考文献・論文
信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』勁草書房 2004年
大田紘史「知識論証に対するタイプA物理主義的応答」『哲学論叢』Vol. 37 2010年
山口尚 「知識論証――その歴史と展望」2009年
  • 参考サイト