機能主義


概説

心の哲学における機能主義(英:Functionalism)とは、心的な状態とはその状態のもつ機能によって定義されるという立場。 心的状態をその因果的な役割によって説明し、「心とはどんな働きをしているのか」を考えることが「心とは何か」という問いの答えとなるという立場である。

たとえば腕を強く打ったりすることの結果として生じ、打った腕を押さえたり顔をしかめたりすることの原因となる心的状態が「痛み」であるとされる。またそのように因果作用をもたらす心的性質を機能的性質(functional property) という。つまり心的状態とは知覚入力の結果であり、行動出力の原因であり、また他の心理状態の原因や結果であると考える。

行動主義やタイプ同一説の問題点を踏まえた上で、それらのあとに続く考え方として、1960年代にオーストラリアの哲学者、デイヴィッド・アームストロングによって始められた。ウィトゲンシュタインの「(語の)意味とはその用法である」というアイデアに由来する。行動主義との違いは、心的な状態を行動としてでなく、行動の原因として定義する点である。

機能主義は一般的にトークン同一説を前提にし、多重実現可能性を認め、心的状態はさまざまなタイプの物理状態によって実現できるとする。心的状態を機能とみなすならば、必然的にその心的状態は多型的に実現可能であり、たとえば痛みの経験は脳のC繊維の活動だけではなく、F線維でも、人造繊維の活動でも可能である。

なお機能主義では、例えば脳から取り出されて容器に隔離されたC繊維が活動して、痛みなどのクオリアが仮にあったとしても、それは何の因果作用も持たず、何の機能もはたしていないから、そこに痛みの心的状態はないと考える。こうして機能主義はタイプ同一説の難点を克服する。

目的論的機能主義

目的論的機能主義とは、還元主義的な方法で志向性を自然化する試みの一つである。志向的な心的状態は心臓や肺などと同じく生物学的な器官の一種であり、「心臓は血液を循環させることが目的である」というように、生物学的な器官のはたらきがその特定の生物学的機能の観点から説明されるように、志向的な心的状態のもつ表象能力も、それがどうのような生物学的機能に由来するのかを明らかにすることによって説明される、とする。ルース・ミリカンらがこの立場である。

固有の機能は、その機能をもつ事物が実際に「行うこと」でなく「行うべきこと」によって説明される。たとえば多数の精子は実際に卵子と受精することはないが、それでも卵子と受精することが精子の機能である。また心臓は血液を循環させるだけでなく、その持ち主の健康状態を鼓動によって医師に知らせることができるが、それは心臓の本来の機能ではない。

目的論的機能主義のメリットの一つに、心臓などの存在や志向性が神によるデザインであるというような仮説を持ち出さずに、自然選択による進化であるというように、合理的な説明が可能であるということがある。

※目的論的機能主義は、必ずしも機能主義の一種として考えられているわけではなく、心の哲学において機能主義とは別のカテゴリーとして位置づけられることもある。

ブラックボックス機能主義

機能主義者の多くは唯物論者であるが、機能主義は必ずしも唯物論を前提にしなくても成立する理論である。心的状態そのものを「存在記号」に置き換えることによって検証可能な文にするラムジー文(フランク・ラムジーの発案による)と呼ばれる方法がある。この方法によると、「ラムジーは知覚 a を得て、信念 g をもち、それが欲求 y を生じさせた」というように、心的状態を因果関係のみで定義する。つまり心的状態そのものは「ブラックボックス」であり、ならばそのブラックボックス内部にあるのが本質的に非物質的な精神や霊魂であってもかまわないことになる。このような立場はブラックボックス機能主義と呼ばれる。

コンピューター機能主義

近年における急速なコンピューター技術の発展の過程で、脳とコンピューターを類似のものとみなす考えが生まれてきた。すなわち脳はコンピューターのように作動し、「心」と呼ばれるものはコンピューターのプログラムに相当するものだという考えである。脳における心的表象は、構文的構造をもった記号操作、つまり計算の過程にすぎないとみなす。物質的な脳と心の関係は、コンピューターのハードとソフトの関係に等しいと考える。このような立場をダニエル・デネットは1978年にコンピューター機能主義と呼んだ。心の計算理論、計算主義ともいう。

アラン・チューリングはチューリングテストを考案した。コンピューターが十分知性的であるか否かを判定するテストである。具体的には人間の判定者が、離れた場所にいる別の人間と一機の機械に対しキーボードとディスプレイにより対話を行う。判定者が、機械と人間との確実な区別ができなかった場合、この機械は「知性」を備えていると考えた。

ジョン・サールはチューリングテストを批判し、人工知能を「弱い人工知能」と「強い人工知能」に分類した。弱い人工知能は人間の心理現象をプログラム上で模倣する機能しかない。しかし強い人工知能は人間のように「心」を持つものである。サールは中国語の部屋でコンピューターが心を持ち得ない事を論証した上で、コンピューターが心や精神を持ち得ると考える機能主義者に対する皮肉として、「強い人工知能」と呼んだのである。

なお近年のコンピューター機能主義では、ニューラルネットワークの研究成果を受けて、古典的な計算主義に対し、コネクショニズムという立場が主張されている。これは脳の表象構造は統語論的(主語、動詞、目的語などからなる)構造であるとする古典的計算主義と違い、脳の構造と見立てたニューラルネットワークによる表象は、ニューロン群全体が分散的に表象する構造であり、統語論的構造を持たないという考えである。

機能主義に対する批判

機能主義は現象的意識クオリアを取りこぼしており、人間の意識を説明するには不十分だという批判がある。そして多くの哲学者が思考実験によって機能主義に反論している。代表的なものにジョン・サール中国語の部屋、トマス・ネーゲルのコウモリであるとはどのようなことかデイヴィッド・チャーマーズ逆転クオリア、ネッド・ブロックの中国人民などがある。

ジョン・サールは、主観的なクオリアを避けて説明する機能主義は、心的現象の説明に十分条件を与えていないという。そして逆転クオリアの思考実験を用い、機能主義では「私は赤を見ている」という自分の経験と、クオリアの反転した人物の「私は赤を見ている」という経験を全く同じものと考えるが、二人の内的経験は異なっているのだから機能主義は間違っている、という。心というのはクオリアから成り立っているにも関わらず、機能主義はクオリアを扱わず、それとは異なったテーマを扱っている。そして、心的なものの存在論的ステータスは客観的なものであると考えることは誤りなので、心の哲学の方法論も、それ自体客観的に観察可能なものにのみ関わるべきであると考えることも誤りである、という。


  • 参考文献
小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年
信原幸弘――編『シリーズ心の哲学Ⅰ人間篇』2004年
S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999年
ジョン・R・サール『MiND 心の哲学』山本貴光・吉川浩満 訳 2006年
ジョン・R・サール『ディスカバー・マインド!』宮原勇 訳 2008年