トロープ説


概説

トロープ(Trope)とは現代の分析形而上学における用語で、個物の個別的性質のことである。個別的属性とも呼ばれる。

たとえば赤い郵便ポストの前に赤い車が停まっているとする。その場合「赤」という普遍的性質が、郵便ポストと車に個別化して存在しているものが「赤」のトロープである。

個物とトロープの関係は「全体」と「部分」の関係の一種であり、トロープは全体の構成要素である。ただし個物なしでは存在できない「依存的存在者」である点が、通常の全体と部分の関係と異なる。丸いボールの「丸」のトロープの場合、個物であるボールが消えると同時に「丸」のトロープも消える。

普遍とトロープの関係は、「タイプ」と「トークン」の関係に似ている。しかしトークンとは普遍的な性質の実例であるのに対し、トロープとは普遍的な性質がある場所と時間において個別化したものである。わかりやすくいうと、複数のトークンとは「同じ性質」が複数あるということなのに対し、複数のトロープとは「類似の性質」が複数あるということである。トークンと違ってトロープは再現・再生されることのない、特定の時空に限定された性質である。

あおトロープは個物の部分であるため、数学的対象や命題など時空に位置を持たない抽象的存在者とは異なる。

「トロープ」という語を最初に用いたのは、D.C.Williams (1953)であるが、形而上学において最初にトロープに類した個別的性質に言及したのはアリストテレスである。アリストテレスは「述語となりえず、かつ基体のうちにあるもの」として「個別的偶有性」を規定した。フッサールの「契機(momente)」や、ベルクマンの「完全個別者(perfect particulars)」、ストローソンの「個別化された質(particularized qualities)」もほぼ同様の概念である。

キャンベル(Campbell 1981)はトロープについてラディカルな立場をとる。彼はトロープを個体に依存しない独立的な存在だと考え、さらにトロープこそが最も基礎的なカテゴリーであり、他のカテゴリーはトロープから構成されると主張する。リンゴも人間も車も諸々の「トロープの和(the sum of tropes)」とみなす。これはラッセルや論理実証主義の感覚与件論や、マッハの感性的要素一元論と類似の方法論である。キャンベルは全てをトロープの集合とみなすことで普遍者を存在論的に消去しようと試みる。

中世の普遍論争では、普遍が実在すると考える実念論と、普遍は名前だけであると考える唯名論が対立していたが、トロープの概念は唯名論の系統に属する。

性質の存在論において、トロープ主義者(trope theorist) は普遍主義者(universalist) と対立する。

現代を代表する普遍実在論者であるアームストロングは、トロープ説は普遍の問題を先送りしていると批判している。たとえば「赤いトマト」は、「赤」やその他の個別的性質の集合だとしても、それら個別的性質は既に「赤」などの普遍者が用いられている、というものである。

心の哲学におけるトロープ説

心の哲学において、心的性質をトロープとみなすことによって心的因果を説明しようとする立場がある。性質二元論の一種といえる。

トロープ一元主義(Trope Monism) を主張するデイヴィッド・ロブによれば、心的因果の問題は、次の三つの原則が同時に成立しないことから生じる。

1、心的性質は物理的性質とは異なる = 異質性
2、全ての物理的出来事の原因は物理的なもののみである = 物理領域の因果的閉包性
3、心的性質は物理的出来事に因果的に関連することが出来る = 関連性

この三つの原則をを矛盾無く成立させるためにロブは、「性質」概念をタイプとトロープの二つに分け、そして心的トロープは物理的トロープと同一の出来事として存在しているので、物理的タイプに因果的に作用できると考える。

ドナルド・デイヴィドソンは、心的出来事と物理的出来事とを同一とみなすトークン一元論によって、出来事が因果的に過剰決定される問題(心的原因と物理的原因が重複する問題)を解決しようとした。しかし出来事が心的性質と物理的性質を併せ持っているとしても、物理領域の因果的閉包性によって、因果的効力を持つのは結局、物理的性質のみであることが指摘された。

デイヴィドソンの難点は、出来事の心的側面を特徴づける役割と、因果的効力を発揮させる役割を同じ「性質」という存在者に担わせてしまったことであるとロブは考える。その反省を踏まえたロブのトロープー元論は、出来事の心的特徴づけをタイプに、因果的役割をトロープに分担させ、異質性、因果的閉包性、関連性の三つの原則をともに成立させることを試みる。

ロブのトロープー元論では、原因となる出来事の持つ心的トロープと物理的トロープを同一とみなす。したがって心的トロープは因果的効力を持つことになる。一方、心的タイプと物理的タイプは、心的トロープと物理的トロープが同一であったとしても異なることがありうる。たとえば「痛み」のタイプに分類されるものには、さまざまな個別的痛みの性質(トロープ)が属している。それらのトロープは、それぞれに特定の物理的トロープと同一であるが、それらの物理的トロープは異なる物理的タイプに属することがありうる。

心的トロープと物理的トロープが同じだからといって、それらは性質として異なるので還元主義には繋がらないとロブは考える。

このようなロブのトロープ理論には多くの批判がある。まず「異質性」の原理を認めるならば、心的トロープが、物理的なトロープと「同一」の存在者だというのは矛盾であるように思われる。

またトロープ理論にはデイヴィドソンのトークン一元論と同じ難点が指摘されている。心的トロープと物理的トロープが「同一」だからこそ、物理領域の因果的閉包性によって、因果的役割を果たすのは結局、物理的トロープであるということになる。つまり心的トロープは「心的なものとして」因果的に何の作用も果たせないということである。

しかしロブによれば、トロープが「心的なものとして」因果的に何の作用も果たせないという批判は的外れである。心的でも物理的でもあるような或るトロープが因果的効力を持つ、ということである。


  • 参考文献
秋葉剛史「トロープと部分関係」フッサール研究 (7) 49-60 2009年
太田雅子「性質としての心の因果性」人間文化創成科学論叢 2008-03-31
太田雅子『心のありか』勁草書房 2010年
海田大輔「因果的排除問題と性質の因果説」科学哲学科学史研究 (2006), 1: 37-46
倉田剛「『現代存在論入門』のためのスケッチ(第三部)」九州国際大学紀要『教養研究』第16巻第3号、157~181頁,2010.03