知覚因果説


知覚因果説とは、客観的に実在している物質などの対象を原因とし、人の感覚器官がそれら対象の情報を受け取り、脳がその情報を処理した結果として知覚が生じる、とする説である。知覚を外界の「写し」と考えるので「カメラ・モデル」ともいわれる。表象主義が採用している知覚理論である。現象主義では知覚因果を否定する。

かつて知覚因果説は実体二元論と唯物論(物理主義)の立場から主張されていた。しかし現代のほとんどの心の哲学者は、性質二元論の立場でも科学的実在論を前提としているので、知覚因果説を採用していることになる。

知覚因果説では、知覚というものを認識主体と認識対象の相互作用として考える。この場合の認識主体とは自我ではなく、感覚器官と、その器官から受け取った情報を処理する脳という身体全体を指す。なおイマヌエル・カントのように物自体に加えて自我を想定する場合は、知覚というものを認識主体、認識対象、認識作用の三つの相互作用によって理解することになる。

知覚因果説は19世紀後半からの生物学や神経科学の発展を受けて主張された。感覚器官や脳に損傷があれば知覚に障害が生じることが解明され、神経および脳と知覚との因果関係は明白だと受け止められた。従って人の感覚器官が外界の対象からの情報を受け取り、その情報が神経細胞を伝って脳に至り、脳が知覚を「生み出す」という、唯物論的な知覚観は20世紀初頭には広く信じられるようになった。

しかし知覚因果説には多くの困難が指摘されている。外部の対象を知覚して認識していると仮定しても、外部の対象が知覚像と一致していることを確かめる方法は無い。そもそも外部対象に備わっているよう思える「色」や「味」などは知覚としてしか存在していない。素粒子に色や味や匂いがあるわけではないからだ。色といわれるものは電磁場の一種であり、音と言われるものは空気の振動である。17世紀には既にジョン・ロックが物質の性質を、物質固有の延長・形状などの一次性質(primary quality)と、人の知覚として存在する色味香などの二次性質(secondary quality)とに区分していた。しかし延長や形状といわれる性質も人間固有の性質である可能性は否定できない。

また知覚因果説は、物質だけが存在するとする唯物論の立場であっても、一種の二元論になる。たとえば人がリンゴを見る場合、実在するリンゴと、知覚像としてのリンゴの二つを想定していることになる。たとえ知覚やクオリアは物質に還元できる(還元主義)と主張しても、還元しなければならないものを認めている点で二元論であり、意識のハードプロブレムが生じることになる。

人は知覚情報によってのみ物質が実在しているだろうと仮定できる。そして唯物論者は、その物質が原因となって知覚が生じるとし、かつその知覚は物質に還元できると仮定する。つまり唯物論者の知覚因果説には二重、三重の仮定があることになる。しかし人が直接的に理解しているのは知覚像だけである。そして知覚対象は現象の変化を説明するために仮定されたものに過ぎない。現象の変化を説明するために知覚対象の実在は必要条件ではない。現象の変化をもたらす「法則」があるだけだとすれば仮定は一つですむ。このことからジョージ・バークリーや後のエルンスト・マッハオッカムの剃刀を用いて、知覚対象の実在と知覚因果を否定した。これが現象主義である。