現象主義


概説

現象主義(英 Phenomenalism)とは、われわれの認識の対象は〈現象〉の範囲に限られるとし、現象外部の存在については不可知である、とする哲学上の方法論である。現象論ともいう。実在論と対極の思考法である。経験主義的な方法を徹底したものであり、英国経験論を代表するジョージ・バークリーに始まり、デイヴィッド・ヒュームにおいてひとつの哲学的立場として完成した。実在論が意識から超越した実在を認めるのに対し、現象主義は意識内在主義の立場を取り、世界および自我を「知覚現象の束」として説明する。近代における代表的な論者はエルンスト・マッハであり、マッハの思想はアインシュタインなどの科学者や、フッサールウィーン学団の哲学者、論理実証主義者たちに影響を与えた。日本では大森荘蔵が現象主義の方法論を透徹し、〈立ち現われ一元論〉を主張した。

現象主義は、論理実証主義に代表される還元主義的な現象主義と、大森荘蔵に代表される非還元主義的な現象主義に大別される。還元主義的な立場では「感覚与件」という現象の「原子」のような存在を措定し、それらの組み合わせで知覚・観念・思惟など、全ての現象が構成されていると考える。対して非還元主義的立場では、それぞれの現象は他の何ものにも還元できない全一的な存在だと考える。

現象主義はしばしば観念論と同一視される。事実ジョージ・バークリーは現象主義者であり、観念論者でもあった。両者の違いは、現象主義とはあくまで哲学的思考の方法論であり、観念論とはその方法から出発して形而上学的な判断を行うものだということである。

現象学(英 Phenomenology)とは、基本的には現象主義を出発点として、人間の認識と思考作用の構造を考究する学であるが、学者によってその意味と内容は大いに異なっている。なお独我論とは、現象主義を出発点として、人間は〈現象〉外部の存在を知り得ない、とする認識論的立場をいうが、やはり学者によってその意味と内容は大いに異なっている。

前史

歴史的にはプラトンのイデア論に対するアリストテレスの批判から始まる。アリストテレスは、「初めに感覚の内になかったものは知性の内にない」という認識論の根本原則を主張し、これが現在にまで至る経験主義の基礎となる。中世の普遍論争においては、14世紀イギリスのスコラ学者オッカムによって、アリストテレスを経験主義の立場から解釈した唯名論が強く主張された。オッカムは人間活動の全般を〈習慣〉概念によって経験的に説明しようと試み、オッカムの剃刀によって形相のような形而上学的存在者を否定した。このオッカムの思想は近代の英国経験論、現代における道具主義、プラグマティズム、実証主義、論理実証主義といったさまざまな経験主義的理論への道を開いた。

近代の哲学者ルネ・デカルトは、方法的懐疑によって、絶対に疑えない精神(現象)の存在を出発点とし、身体・世界・神など、あらゆる存在の証明を試みた。このデカルトの方法はニコラ・ド・マルブランシェに引き継がれる。マルブランシェは、デカルトにおける精神と物質の峻別が、物質世界の認識不可能性を導いているとし、物質世界の実在性を否定できると考えた。このマルブランシェの懐疑主義は英国経験論のジョージ・バークリーに大きな影響を与えることになる。

英国経験論においては、感覚はあらゆる認識の究極の源泉として尊重され、その思想は前述のアリストテレスの原則に基づいている。ジョン・ロックは、われわれの心は白紙(タブラ・ラサ tabula rasa)のようなものであり、そこに感覚および内省の作用によってさまざまな観念が生じるとした。ジョージ・バークリーはロックとマルブランシェの思想を継承してラディカルに発展させ、「存在することは知覚されることである(ラテン語“Esse est percipi”エッセ・エスト・ペルキピ、英語“To be is to be perceived”)と主張した。これが現象主義の始まりである。デイヴィッド・ヒュームはバークリーの現象主義をさらに推し進め、自我さえも知覚の束であり、また因果関係さえも人間の習慣に依拠して規定されると考えた。そして19世紀の後半にはオーストリアのエルンスト・マッハが、経験主義的な認識論にオーギュスト・コントの実証主義を取り入れた〈感性的要素一元論〉を主張し、そしてその世界観を基に〈現象学的物理主義〉と呼ぶ自然科学の方法論を提唱した。

このような近代の経験主義の背景には、ガリレオやデカルトによってなされた科学革命に対する反動がある。アリストテレスの自然学においては、感覚や形相といったものもその範疇に含めていたが、近代の科学革命においては、感覚に与えられた対象の中で数学的に記述しうるもののみが着目され、運動における位置変化のみが記述される。ガリレオやデカルトにおいては、科学の対象とはわれわれの知覚する現象全体でなく、それらから切断された一面に過ぎなかったのである。

また現象主義は、唯物論の知覚理論に対する批判として広く受け入れられたという面もある。唯物論の知覚理論は知覚因果説であり、これは「カメラ・モデル」や「写し」と批判される。つまり人間の眼をカメラのレンズにたとえて、その眼が客観的事物の情報を受け取り、脳がその情報を処理する過程で知覚が生じるとするもので、知覚は客観的事物の「写し」というわけである。この知覚理論では、たとえば私がリンゴを見る場合、「実在のリンゴ」と「知覚像のリンゴ」という二つのものを認めており、二世界論ともいえる。しかし実在に対する主張は「物自体は認識できない」という、カントによって論証された人間の認識能力の限界を超えた形而上学的な主張を行っており、また後のデイヴィッド・チャーマーズが意識のハードプロブレムとして提起したような、解決困難な心身の相互作用の問題を生じさせるものである。しかし現象主義の立場を取る限り、相互作用、心的因果、随伴現象説などの問題は生じないのである。

方法論

マッハは伝統的な物心二元論を排し、感覚要素が世界を構成する究極の単位であると考えた。そして科学的認識からいっさいの形而上学的要素を排除しようとし、実体間の力の授受の関係を予想する原因・結果の概念――因果関係や、精神や物質という概念、つまり心的・物的の区別さえも排除し、ただ一つ経験に与えられる基本的事実である〈感覚要素〉の、その相互間の法則的連関の記述だけが科学的認識の目的であるべきだとした(現象学的物理主義)。

マッハの思想はウィーン学団によって論理実証主義として展開され、〈感覚与件理論〉として英米圏の哲学に浸透した。感覚与件(sense‐datum)の語はアメリカの哲学者 J. ロイスに由来し、いっさいの解釈や判断を排した瞬時的な直接経験を意味する。そのテーゼは「事物に関する命題はすべて感覚与件に関する命題に還元可能である」と要約され、このテーゼを忠実に展開したのがカルナップの『世界の論理的構築』である。ほかに G. E. ムーアバートランド・ラッセル、分析哲学の流れに属する哲学者たちがこの〈言語的現象主義〉の立場を代表する。

日本では大森荘蔵が分析哲学の影響を受け、論理実証主義の還元主義的な感覚与件論は否定したものの、〈立ち現れ一元論〉を主張して現象主義の一つの到達点を示した。大森の考えでは個別の心的現象はすべて〈立ち現れ〉であり、唯物論や二元論が心的現象をもたらす原因とする物質的実在の存在については、語ることは無意味であるとする。また〈立ち現れ〉は感覚与件論のように原子的な要素に還元できず、全一的な存在だとした。

現れる意識現象そのものが世界であるとする現象主義の立場では、認識主観や認識主体というものを否定する。つまり人格の同一性問題において、「自己」や「自我」が通時的に人格の同一性を成り立たせているという考えを否定する。現象主義では、デカルトのコギトを単なる〈意識内容(コギタティオ)〉の告知とみなし、「I think, therefore I am」ではなく、「It thinks within me (ラッセル)」と言い換えようとする傾向がある。

論理実証主義

論理実証主義の思想は、現象主義の代表的な人物であるマッハの科学的世界観、感性的要素一元論と呼ばれる現代経験主義に基づいて起こった初期の科学哲学である。またラッセルとウィトゲンシュタインの論理哲学にも強く影響され、特にウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は論理実証主義者にとって聖書のような扱いを受けており、「世界は事実の総体であり、ものの総体ではない」(「ものの総体」とは「物自体の総体」と解釈された)、また「語りえぬものには沈黙しなければならない」というウィトゲンシュタインの哲学は、人間が直接経験できない形而上学的なものについて語ることはナンセンスであるとする経験主義の立場を端的に表現している。

論理実証主義は、初期には感覚与件理論を採用し、「物理的事物は感覚与件からの論理的構成物である」と定義した。われわれが世界についてもつ知識は、科学的知識も含めて、究極的には全て知覚経験に還元されるというものである。この立場では、たとえば「茶色の机の上に青い本がある」という場合でも、「机」や「本」という語は一種の判断であるとし、ただ「茶色の広がりの上に青い小さな広がりがある」という、より根源的な知覚経験に還元する。この場合、「茶色」や「青い小さな広がり」とは懐疑可能な判断ではなく、懐疑するのが無意味な感覚与件であるとされる。つまり感覚与件論の目的は確実な知識と懐疑可能な知識を選別することである。なお直接に知覚できないニュートリノやクォーク、また法則や仮説などの理論は、「対応規則を通じて理論文は経験可能な観察文に翻訳できる(言語的還元)」として、科学は決して経験から乖離しないとする。

論理実証主義の思想内容はおよそ以下のようなものである。

(1)科学的世界把握
ウィーン学団の最初のテーゼは〈統一科学(Einheitswissenschaft)〉であった。過去の多くの形而上学的世界観とは異なる経験主義的・科学的世界把握を行おうとするものである。そのために、諸学を共通に基礎づけるものとして個人の経験のみを認めるという徹底的経験論を目ざした。

(2)物理主義へ
論理実証主義は初期、マッハとラッセルの強い影響の下に、現象主義の立場をとった。この視点はカルナップの初期の著作『世界の論理的構成』などに明瞭に現れている。しかし、この立場に立つかぎり、科学的真理の根拠は究極において私的なものとなることを不満として、オットー・ノイラートは科学の命題を検証しうるものは〈報告命題〉であり、そしてそれは、感覚言語ではなく、物言語(人名、物の名、場所、時刻など)によって構成されるべきであるという主張を展開し、その後の論理実証主義者の見解は、概してこれに傾いた。この新しい立場は〈物理主義(physicalism)〉と呼ばれる。

(3)論理主義
当時新しく構成された記号論理学を重視し、その発展に貢献した。さらにラッセル、ウィトゲンシュタインの影響の下に、〈論理的原子論(logical atomism)〉に近い立場をとり、現実の世界の構造が論理的であると考えた。しかし、やがて、数学の分野で広まった公理主義に接近し、数学のみならず、物理学をも含む広範な分野で公理主義的な規約主義へと移行した。

(4)形而上学の否定
論理実証主義は、形而上学を無意味な命題を論じているものとして否定した。そして命題の有意味性に対する厳しい規準を立てた。それは「命題の意味とはその検証の方法である」というものであり、これは〈検証原理〉と呼ばれる。しかしこの方法によると、形而上学の命題のみならず、多くの哲学的命題や倫理学的命題などが無意味となり、哲学問題の多くは擬似問題として退けられることになった。またこの規準によるならば、その規準を述べる当の命題そのものが無意味となるというような撞着を含むことが問題となり、この規準はしだいに緩められ、伝統的な哲学問題の多くは復活することになる。

現代においては論理実証主義そのものは衰退し、論理実証主義への反発として発展した科学的実在論や物理主義が、科学哲学上の主流といえる考え方になっている。しかし論理実証主義の議論を通じて行われた言語の論理的分析の手法は現代にも継承され、記号論理学その他の分析哲学各分野において、必須の方法として定着することになった。

クワインは、認識論的ホーリズムを提唱し、論理実証主義の要素主義的な感覚与件論を批判した(デュエム-クワイン・テーゼ)。また理論文と観察文の翻訳の不確定性も指摘しており、クワインの批判によって論理実証主義は衰退したとも評される。

批判と補足

現象主義はマッハを現代の起点として19世紀後半から20世紀前半の哲学者たちに大きな影響を与えた。しかしドイツにゲシュタルト心理学が興り、W.ブントに代表される要素主義を批判して、われわれの経験は要素的感覚の総和には還元できない有機的全体構造をもつことを明らかにした。モーリス・メルロー=ポンティはゲシュタルト心理学を基礎に知覚の現象学的分析を行い、要素的経験ではなく、一まとまりの意味を担った知覚こそがわれわれの経験の最も基本的な単位であることを提唱し、要素主義や連合主義を退けた。フッサールがマッハに対し、志向性の観点が欠けていると批判したのも類似の観点からである。また後期のウィトゲンシュタインは、言語分析を通じて視覚経験の中にある「~として見る(seeing as)」という解釈的契機を重視し、視覚経験を要素的感覚のモザイクとして説明する感覚与件理論を批判した。このように20世紀なかばの哲学においては、純粋な感覚なるものは分析の都合上抽象された仮説的存在にすぎないとし、意味をもった知覚こそがわれわれの〈経験〉であるとする考えが有力になった。また科学哲学の観点からは、物理的事物に関する命題が有限個の感覚与件命題には分析し尽くせないことなどが指摘されている。

ただし人間の心理は基本的な要素に還元できないとするゲシュタルト心理学は、マッハが著書『感覚の分析』において、音楽のメロディや、いわゆる〈反転図形〉にゲシュタルト質があることを指摘し、その着想に示唆されたエーレンフェルトから始まったものである。つまり現象主義といっても多様であり、批判者がイメージするような原子論的要素主義者ばかりではない。

なお唯物論を擁護するマルクス主義の立場からは、レーニンが『唯物論と経験批判論』において、マッハの現象主義を「バークリーの焼き直しの主観的観念論である」と厳しく批判している。このようなレーニンの批判は、現象主義が個人的経験を基にしているゆえ相対主義を含意しており、ヘーゲル的な世界の共通認識を前提としたマルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論と相容れない思想であること、そしてマッハの思想がロシアのマルクス主義者たちにも浸透し、マッハとマルクスの思想を調和させようとしたボグダーノフなどが現われため、マルクス主義の分裂を危惧したことが理由だと考えられる。

マッハは現象主義の立場から原子の存在を否定し、ボルツマンと対立したが、後に原子の存在が確かめられ、原子物理学の発展によって現象主義は衰退することになった。

大森荘蔵は論理実証主義の感覚与件論は否定するが、〈立ち現われ一元論〉と〈重ね描き〉のアイデアによって、直接に知覚できない原子やクォーク、また法則や仮説などの理論を、「語り存在」として解釈して、現象主義的な方法を透徹した。つまりクォークなどの知覚できない理論的存在は、それを「語る」こと、つまり日常言語と繋がる科学用語で描写されることによって、存在の意味が見出されると考えた。

現代の心の哲学においては、持続的で志向的な意識と、要素的で必ずしも志向性を持つわけではないクオリアを区分するのが一般的である。そしてデイヴィッド・チャーマーズなどは汎心論的な立場から要素主義的な原意識の可能性を想定している。これらは初期の現象主義と類似点が多い。チャーマーズが原意識などを想定するのには相応の理由があり、それは意識現象の「由来」、つまり心的現象というものがどのように生成しているのかという、意識のハードプロブレムの核心問題が物理主義では説明困難だからである。従ってチャーマーズは、クオリアという心的性質を非物理的な何かに還元しようと考えたのである。また要素的な感覚を否定し、対象化されて意味をもった感覚こそが「経験」であるとするホーリズム的な立場では、動物の心の問題においてアポリアが生じるかもしれない。猫などの哺乳類は感覚を対象化できるかもしれない。しかしヘビなどの爬虫類、またバッタなどの昆虫、さらに微生物ならどうだろう。もしヘビに感覚を対象化する能力がないとしたら、ホーリズム的な立場では、ヘビが怪我をしてもがいていても、「ヘビは何も感じていない」と主張しているに等しいことになる。現代の心の哲学では、動物にも何らかの心やクオリアがあると仮定するのが一般的である。

なお、現代の科学哲学における実在論論争においては、経験主義的な傾向の哲学者は科学的実在論に対する批判として、現象主義を前提にした主張を行っている。(詳細は非実在論を参照のこと)

現象主義の最大の難点は、知覚因果説を否定するため、神経科学や物理学の成果を説明するのに困難があるという点である。そもそも知覚因果説は19世紀後半からの生物学や神経科学の発展を受けて主張されたもであり、自然科学との相性は良い。感覚器官や脳に損傷があれば知覚に傷害が生じることから、神経および脳と知覚との因果関係は明白だと思われる。従って人の感覚器官が外界の対象からの情報を受け取り、その情報が神経細胞を伝って脳に至り、脳が知覚を「生み出す」という、唯物論の知覚因果説は知覚の由来についての説明にある程度成功しているよう思われる。ただし「生み出す」という最後の点については大きな不合理があり、それが意識のハードプロブレムが主張される理由である。なお現象主義の立場から神経科学や物理学の成果を説明しようとした試みが、大森荘蔵重ね描きである。


  • 参考文献・論文
大森荘蔵『言語・知覚・世界』岩波書店 1971年
大森荘蔵『物と心』東京大学出版会 1976年
大森荘蔵『時間と存在』青土社 1994年
金子洋之『ダメットにたどりつくまで』勁草書房 2006年
木田元『マッハとニーチェ 世紀転換期思想史』新書館 2002年
小林道夫『科学哲学』産業図書 1996年
小林道夫『科学の世界と心の哲学』中公新書 2009年
種村完司『知覚のリアリズム』勁草書房 1994年
丹治信春『クワイン―ホーリズムの哲学』平凡社ライブラリー 2009年
戸田山和久『科学哲学の冒険』NHKブックス 2005年
神崎繁、熊野純彦、鈴木泉 編集『西洋哲学史4』講談社 2012年
ジョージ・バークリー『人知原理論』大槻春彦 訳 岩波書店 1958年
田村均「現象主義の検討」
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24461/1/0907.pdf
片桐 茂博「現象主義と主観性」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000486933
  • 参考サイト