廣松渉


廣松渉(ひろまつ わたる、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は日本の哲学者。東京大学名誉教授。

高校進学と同時に日本共産党に入党。東京学芸大学に入学するが、中退して東京大学に再入学する。当初はエルンスト・マッハに対する関心が強かったが、指導教官の勧めなどがあってカント研究に専念。東京大学大学院に進学し、1965年に博士後期課程を単位取得退学している。共産党との関係では、1955年の六全協を受け復党するも、翌1956年に出版した共著書『日本の学生運動』が問題とされ離党した。1958年12月に共産党と敵対する共産主義者同盟(ブント)が結成されて以降、理論面において長く支援し続けた。

認識論


廣松は主観・客観図式による伝統的な認識論を批判する。主観・客観とされているいずれの側も二重になっており、全体として世界の存在構造は四肢的だと指摘し、認識の「四肢的構造連関」を主張した。主観と客観という二つの項は切り離されているのではなく、それぞれ「レアール real」 と「イデアール ideal」 という二肢的二重性をもって構造的に連関し合っている。つまり認識の客観的側面と主観的側面とがそれぞれ二肢的に文節化され、合わせて四つの契機から成る連関態として把握されるとするものである。

まず「客観」について言えば、われわれは客観的対象を生のままの所与として受け取るのではなく、それを所与以上の或るものとして意識している。たとえば、黒板にチョークで円を描くとする。その際われわれは単に黒板上のチョークの痕跡というレアールな所与を知覚しているのではなく、その所与を「円」というイデアールな意味として把握している。ただし、レアールな所与とイデアールな或るものは空間的に離れて存在しているわけではなく、イデアールな或るものはレアールな所与において、つまり黒板上のその図形の中にいわば「受肉化(inkarnieren)」しているのであり、この事態を廣松は「即自的な対象的二要因のイデアール・レアールな二肢的統一構造」(著作集第一巻、37頁)と呼ぶ。

「主観」についても同様の二肢的統一構造がある。たとえば日本語や英語など言語において、複数の国の人物たちがある同一の言葉を聞いたとしても、それぞれの母国語に応じて、同じ音声であるにも関わらずその聞こえ方は全く違うことになる。このことは聞き取る主観が単なる「私」ではなく「私以上の私」、すなわち「われわれとしての私」であることを示している。それゆえに「”主体”の側もまた、イデアール・レアールな二重構造においてある」(著作集第一巻、44頁)と廣松は考える。つまり感覚器官を備えたレアールな私個人が、イデアールな「われわれ」、意識の共同主観と表裏一体であり、主観の二肢的二重性は、経験的主観と超越的主観の関係のようにア・プリオリなものではなく、言語のように社会的協働を通じて歴史的に形成されていくのである。

以上のように、認識の客観的側と主観的側面とがそれぞれ二肢的に文節化され、合わせて四つの契機から成る連関態として把握されていること、これが認識の「四肢的構造連関」と呼ばれるものである。ただしこれら四つの契機はあくまでも関数的、機能的に連関し合っているのであり、それぞれ独立に自存するものではない。この関数的連関から切り離して変数を独立の実体として捉えるところから、いわゆる「物象化的錯視」が生じるとする。「物象化 Verdinglichung」 という概念はマルクスに由来する。廣松哲学の立場からすれば、西欧哲学の基本概念である「個物」「普遍」「自我」「超越的主観」などはすべてこの物象化的錯視の所産ということになる。

心身問題


廣松は基本的にはマルクス主義を擁護しながらも、マルクス/エンゲルスの唯物論では心身問題の解決が困難であることを指摘しており、また廣松自身も「唯物論者」と呼ばれることは侮蔑と捉えていた。そして脳の作用が心的現象を産出するという唯物論の基本的セオリーを、唯心論とは同根で表裏の、一種の「オカルト」に等しいとみなしていた。

廣松はエンゲルスの、「人は将来、意識現象の本質は脳髄の分子運動に還元するであろう。だが、果たして、意識現象の本質は脳髄の分子運動ということで尽くされるであろうか」という言葉を援用し、自身も「還元」を認めるものの、意識の本質はそれでは尽くされないという。

廣松はデカルトが異質なものとして分離したように、心的なものは物理的なものと異なって空間的規定性がないことを認め、心的なものが「実体」であったとしても「状態」であったとしても、心的なものは体内に場所を占めないという。そして空間的存在たる身体と没空間的存在たる意識の間に「因果」「随伴」「並行」という概念を適用するのはカテゴリーミステイクであるとする。確かに身体が傷ついたりした場合には「痛み」など意識現象が伴うことを確認できるが、それは身体と意識現象に「照応関係」があることを示しているに過ぎない。一定の身体現象が意識現象を伴うということは、身体の分析から出て来ることではなく、先行的な了解事項なのである。そして廣松は精神現象は肉体現象に還元されるという見方を「俗流唯物論」として批判し、「世界――身体――精神」という三項化された図式を廃却すべきであるという。

廣松は心身問題の諸説を以下のように分類した。

■第一網(実体二元論
①直接的作用説
a.相互作用説
b.随伴現象説

②心身並行存在説
a.機会原因論
b.予定調和説(ライプニッツ

■第二網(一元論
①精神実体説(唯心論的同一説――唯心論観念論)
②身体実体説(唯物論的同一説――物理主義)

■第三網(中立一元論
心身はいずれも実体として完結しない。
①一実体両属性説(スピノザ
②同一事態相貌説(心脳同一説

廣松はそれぞれの問題点として、第一網は相互作用のメカニズムが解き難く、第二網は証明が不可能であり、第三網の一実体両属性説は第一網の問題を同様に持つとする。因果説、随伴説、並行説は原理的に実証不可能な形而上学的想定であるとし、ゆえに論じるに足るのは第三網の同一本体相貌説であり、これは心身の二元性という構図を止揚しうるゆえに、新たな第四の類型として扱おうという。

知覚の在り方については、廣松はフランス現象学のパラダイムを認めている。人は自分の身体を皮膚によって外部から隔絶されたものとして理解するが、それはいわば客観的に他者の視点から眺められた身体である。それに対しフランス現象学では、感覚によって「自分の手の痛み」とされるような、直接的に体験される主体的身体を区別し、その主体的身体から心身関係を考え直そうとした。廣松は触覚の場合について、手で何かに触れた時は、「手で対象を感じている」とも、「対象に触れる手の状態を感受している」ともいえるとし、ここでは対象の側(所知)と主体の側(能知)が未分化、というより渾然一体となっているという。これが主客未分の「能知的所知=所知的能知の渾一態」である。

エルンスト・マッハは主客未分の立場から要素一元論を主張し、世界は「感覚」と呼ばれる中性的な要素から成り立ち、それが脈絡に応じて物理的存在や心理的存在とされると考えた。しかし廣松はマッハ同様に主客未分から出発していても、世界が何かの「もの」的な、根本的要素から成り立っているという立場を拒否する。これはゲシュタルト心理学の成果を踏まえたものといえる。廣松は、世界とはどういう「こと」かを問う必要があるという。


  • 参考文献
廣松渉『心身問題』青土社 1988年
廣松渉『今こそマルクスを読み返す』講談社現代新書 1990年
  • 参考サイト