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**概説
汎神論(英:Pantheism)とは宗教・哲学において、全ての物体・法則が神の顕現である、または万物に神性が宿っている、または一切が神そのものである、という神の存在を拡大解釈した一連の説である。万有神論ともいわれる。古くはウパニシャッドの[[梵我一如]]、ストア学派の哲学、近代ではスピノザ、シェリングの思想がこれに属する。
ほとんどの宗教における神理解は、一神教・多神教を問わず汎神論的要素を含んでいるとされる。汎神論を意味する英語の pantheism は、ギリシア語の pan(全て)と theos(神)を語源にする語で、文字どおり「全ては神」、または「神は全て」を意味する。
**心の哲学における汎神論
心の哲学においては、[[スピノザ]]の汎神論的な形而上学が[[中立一元論]]とみなされている。スピノザにおいては神だけが唯一の実体であり、その実体は「意識」と、デカルトが延長と呼んだ「大きさ」をもつとされる。もちろん我々人間の意識も神の一部なのである。この世界を広がりを持つものとして考えれば「自然」と呼ぶことになり、意識を持つものとして考えれば「神」と呼ぶのが相応しい。「神」と「自然」という言葉は、心的な特徴と物理的な特徴を併せ持つ単一の実体を指す二つの用語なのである。
**汎神論論争
汎神論論争(独: Pantheismusstreit)とは、18世紀後半にドイツで起きたスピノザの哲学をどう受け入れるかという一連の論争のことを言う。したがって、この出来事をスピノザ論争ともいう。
この論争には、劇作家のレッシング・哲学者モーゼス・メンデルスゾーン、哲学者ヤコービといった当時のドイツを代表する学者のほか、カントやゲーテやヘルダーも言及するなど当時の知識人も注目した論争であった。
スピノザの「神即自然」(deus sive natura)という思想は、当時のキリスト教から無神論とみなされ、主著『エチカ』(Ethica)は、長い間人々の目に触れることはなかった。キリスト教の神と言えば人知を超えた超越神なのだから、スピノザの汎神論は無神論と解釈できる。長らく「スピノザ的」という表現をした場合、それは無神論であり、一種のタブーとされてきた。これらにより、長らくスピノザの哲学は忘れられていた。従って、当時のドイツにおいてのスピノザ研究の水準はかなり低く、ほとんど知られていない。また研究するにしても無神論と危険視されていたため、「果敢」に取り組む必要があった。ゲーテやカントは果敢に挑もうとした人物である。
キリスト教と同じ神を信じるユダヤ教・イスラム教においても汎神論は否定される。森羅万象を神と定義づけてしまうと人間の中にも神が宿っていることとなり、それはすなわち人間が犯す罪は神が犯した罪ということになるからである。
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・参考文献
S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999
・参考サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E7%A5%9E%E8%AB%96
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E7%A5%9E%E8%AB%96%E8%AB%96%E4%BA%89
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**概説
汎神論(英:Pantheism)とは、宗教・哲学における神の解釈の一種で、全ての物体・法則に神性が宿っている、または一切が神そのものである、とするものである。万有神論ともいわれる。古くはウパニシャッドの[[梵我一如]]、ストア学派の哲学、近代では[[スピノザ]]、シェリング、ヘーゲルの思想がこれに属する。
汎神論を意味する英語の pantheism は、ギリシア語の pan(全て)と theos(神)を語源にする語で、文字どおり「全ては神」、または「神は全て」を意味する。
[[汎心論]]は万物に心的なものが宿っているという考えであり、汎神論の「神」を「心」に置き換えただけとも解釈できるが、大きな違いは、汎神論の場合は世界全体に統一的な意思の存在を想定している点である。ヘーゲルの「絶対精神」はその典型である。
**心の哲学における汎神論
心の哲学においては、[[スピノザ]]の汎神論的な[[心身並行説]]は[[中立一元論]]の原型とみなされている。スピノザにおいては神だけが唯一の実体であり、その実体は「意識」と、デカルトが延長と呼んだ「大きさ」をもつとされる。もちろん我々人間の意識も神の一部なのである。この世界を広がりを持つものとして考えれば「自然」と呼ぶことになり、意識を持つものとして考えれば「神」と呼ぶのが相応しい。「神」と「自然」という言葉は、心的な特徴と物理的な特徴を併せ持つ単一の実体を指す二つの用語なのである。
**汎神論論争
汎神論論争(独: Pantheismusstreit)とは、18世紀後半にドイツで起きたスピノザの哲学をどう受け入れるかという一連の論争のことを言う。したがって、この出来事をスピノザ論争ともいう。
スピノザの「神即自然」(deus sive natura)という思想は、当時のキリスト教から無神論とみなされ、主著『エチカ』(Ethica)は、長い間人々の目に触れることはなかった。キリスト教が定義する神とは、人格神であり、世界の外部にあってこの世界を創造した超越的存在なのだから、神と世界を同一視したスピノザの汎神論は無神論と解釈できる。長らく「スピノザ的」という表現をした場合、それは無神論であり、一種のタブーとされてきた。
キリスト教と同じ神を信じるユダヤ教・イスラム教においても汎神論は否定される。森羅万象を神と定義づけてしまうと人間の中にも神が宿っていることとなり、それはすなわち人間が犯す罪は神が犯した罪ということになるからである。
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・参考文献
S・プリースト『心と身体の哲学』河野哲也・安藤道夫・木原弘行・真船えり・室田憲司 訳 1999年
・参考サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E7%A5%9E%E8%AB%96
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E7%A5%9E%E8%AB%96%E8%AB%96%E4%BA%89
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